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2008年1月28日月曜日

Drマシリトへの弁護

 さて、今の若い人はDrマシリトといってすぐわかるかな。これは「Drスランプアラレちゃん」という漫画に出てくるキャラクターの名前ですが、モデルは名前を入れ替えた、週間少年ジャンプ鬼の編集者と呼ばれた鳥嶋和彦氏のことです。
 大体90年代末期でしょうか、当時にジャンプは売上が大きく落ち込み、ライバル紙の週間少年マガジンに販売部数で97年にはとうとう追い抜かれ、少年漫画雑誌一位の座を明け渡しています。当時、このジャンプの零落ぶりにあちこちでこの鳥嶋元編集長への批判が起こり、元編集者だったという人間なんか本まで出して鳥嶋氏がすべての元凶だとまでいっていました。
 そこで今日は当時、本当に鳥嶋氏がよくなかったのか、その辺を検証してみます。

 参考に使うデータはいつものようにウィキペディアで、これで見てみると、ジャンプの最盛期は95年で、この時に一週間平均で約653万部と、新聞を越えるとまで言われた驚異的な発行部数を出しています。ただこの年、メイン連載であったドラゴンボールが連載終了し、その後はずんずん下がり、マガジンに追い抜かれた97年は約405万部、そして……これは多分、最新のデータだと思うけど、それだと 2,778,750部とのこと。実に、ピーク時の半分以下です。

 このような低落振りの原因は一般に、それまで三本柱と呼ばれた連載の終了にあります。実際に、「ジャンプ第一次黄金期」と呼ばれた時期の最後は先ほどの「ドラゴンボール」、「スラムダンク」、「幽々白書」が一度に連載が終わり、その影響が一番強いと言われています。しかし、このことに関して言うと、鳥嶋氏は96年から01年まで編集長をやっており、確かにこの時期にいくらか連載が終わっていますが、これをもって鳥嶋氏の采配が悪いというのはややこじつけな気もします。
 実際に、先ほどの漫画はどれも無理やり連載期間を延ばされていたと作者達が証言しており、あれ以上続けても作品の価値を下げるだけでなく、人気もそこまで続かなかったと私は考えています。

 また、この鳥嶋氏の期間中に連載が始まった漫画を見てみると、「遊☆戯☆王」、「封神演義」、「ONE PIECE」、「ヒカルの碁」、「テニスの王子様」、少し問題はあるが「HUNTER×HUNTER」といった、当時だけでなく現在も絶賛連載中の漫画が連載を開始しておりますし、充実した連載ラインナップを鳥嶋氏が崩したとは少し思いづらいです。なお、98年から00年の間を私は便宜的に「ジャンプ第二次黄金期」と読んでいますが、この頃は文字通り、毎週新号が出るのが非常に楽しみな時期でした。当時に好きだったのは「ヒカルの碁」、「HUNTER×HUNTER」、「ONE PIECE」で、当時が私の青春期でもあったからでしょうが、今でもジャンプはこの時期が一番面白かったと私は思っています。

 こうしてみると、現在のジャンプの主力作品を作り、また海外にも展開しだした漫画、なんでも「ヒカルの碁」は現在ロシアで大ブレイクしているというらしいですが、そのような海外にも受ける漫画を作ったことを考えると、決して鳥嶋氏の功績は低くないのではないかと思います。一時期にマガジンに追い抜かれたとはいえ、02年にはまた追い抜き返していますし、95年までが異常だったと考えるべきではないでしょうか。
 それに、近年は少子化で漫画を買う子供の数が単純に減っているのもあり、また発行部数は落ちていながらも、05年にはコミック単行本の売上は過去最高記録を作っているという、購読者ニーズの変化が起きた事を考えれば、このような低落の仕方はむしろ自然な事だと思います。

 そして、鳥嶋氏がもっとも批判される、気に入らない作品は次々と蹴落とすという噂ですが、期間ごとに短期集中連載を除く、連載が一年未満で打ち切られた数を数えてみたところ、90年から94年では40本、鳥嶋氏が編集長だった95年から99年は37本と、あまり大差ありません。ちなみにこの数字はくらくらしている時に数えたので、多少の狂いはあると思います。それにしても、やっぱジャンプって打ち切り多いな……。

 と、このように私は考えています。まぁここまで書いといてなんだけど、うちの親父が仕事でこの鳥嶋氏と大喧嘩を起こしたこともあるので、ぶっちゃけ私もあまり好きじゃないんだけどね、彼。ただ、「ジャンプ第二次黄金期」の功績があまり評価されてないのは少し可哀相だと思ったので、こんなん書いてみました。

古紙配合率偽装問題とカルテルの疑惑

 本来なら、今回のネタは私はあまり書きたくなかったのが本音です。どこかのマスコミがこの点を追究していてくれたならばそっちに任そうとの思いがありましたが、フセインについての記事同様、ほかがやっていないので私が取り挙げる事にします。まぁ週刊誌から新聞まで全部チェックしていないから、もしかしたらどこかやっててくれたかもしれないけどね。

 先週になり、日本製紙が年賀状に使われた再生紙の古紙配合率をごまかしていたという事が明らかになりました。そしたら続けざまにどこの製紙会社もノートや封筒に使われている再生紙の配合率を実際より多く表示していたことが明らかになりました。連中は環境に配慮している事をアピールする必要があるにも関わらず、古紙の価格が上昇しておりコストが高くなったのと、見栄えが悪くなるとのことでこのような行為を行ったといってましたが、はっきり言っていらんことやって馬鹿を見せただけでしょう。要望に答えられないなら、初めからそう言えばいいのに。

 と、この辺の事実報道なら多分誰でも知っているでしょう。問題はこの後です。恐らく、同じ業界にいて同じ業種に関わっている人間同士なら、ライバル会社の再生紙の古紙配合率はまがい物だと普通は見抜けるでしょう。後出しじゃんけんみたいでちょっとかっこ悪いですが、私自身も巷に出回っている再生紙を使ったノートを見て、果たしてこれほどまできれいに作れるものかと、素人目ながらに疑問に感じていました。昔の再生紙ノートはもっとざらざらしていて鉛筆書きにちょうどよかったのに、最近はつるつるして嫌だなと思いつつ、技術が進歩したとはいえここまでなるものかな、というような感じで。

 私の予想だと、恐らく製紙業界関係者はお互いに古紙配合率を上乗せし合っているという事実がわかっていたんじゃないかと思います。でなければ今回のように製紙会社が揃って謝罪するという現実には合いません。無論、これだけでも十分非難の対象になります。いくらライバル会社とはいえ不正を知っておきながら黙っているのは、社会倫理上許されない行為でしょう。ですが私が考えるに、製紙会社らは黙認し合っていただけでなく、カルテル行為、いわゆる談合を行っていたのではないかと疑問に思っています。お互いに古紙配合率を実際より数割上乗せし合い、環境PRを邪魔し合わない、というように。

 これも無論、根拠となる事実は今のところ私の手元の情報にはありません。しかし状況から察するに、こういった予想もこの機にしておかねばならないと私は思います。これは特にマスコミの人に言いたいです。今回の事件で日本製紙のトップは辞任をするようですが、他の製紙会社のトップも一緒に辞任しないとするならば、カルテルがあった場合にまたこういった事件が起こる可能性があります。そのために疑惑は推論でも徹底的に追及するのがマスコミの役割だと思いますが、多分例によって広告費や新聞紙に使う紙代とかの関係で、あまり大手メディアはやらないんだろうな。

2008年1月27日日曜日

大阪府知事選と地方政治について

 今日は今朝から頭痛で寝込んでました。でもってテレビ漬け。なので一日中テレビを見ていたので、今回の大阪府知事選の速報も、大体九時前くらいに出ていたのもチェックしてました。まぁ予想の通り、橋本氏が受かりましたが。

 今回の府知事選を私から言わせてもらうと、非常に争点のない争いでした。
 現在の大阪府が真っ先に対処しなければならない問題はまずは財政再建、次に市政改革です。前者は言うまでもなく、通産省出身で鳴り物入りで知事になった太田房江は借金を増やすだけ増やして無策のままやめていきました。結果、大阪府は経済力でも生産高計算で2005年から愛知県に抜かれ、人口でもこの前に神奈川県に抜かれています。文字通り、両方の意味で第三の都市となり、このまま地方都市へと成り下がるか否かの瀬戸際でありますが、選挙中にも関西ローカルの番組などで選挙の報道を見ていましたが、どう見ても財政対策への具体的な方策がどの候補にも見えてきませんでした。言ってはなんですが、選挙に不利になるとはいえ大阪府、市を合わせた職員の全給料のうち△%をカットするなどの具体的な数字を出してもらいたかったものです。

 そして今回当選した橋本徹氏ですが、やはり私自身は疑問を感じる人物です。今回の府知事選の際に、過去の「横山ノック」知事についてはあまり触れられず、恐らくまた大阪府民は知名度だけで選ぶだろうとは思ってはいましたが案の定そうなりました。
 一応言っとくと、橋本氏という人物を私は決して評価していないわけではありません。ただ私が言うまでもなく彼の最大の武器は歯に衣着せぬ物言いで、出来る事なら弁護士であり芸能人という立場から日本の問題を抱えまくっている司法について、これからも問題点を追究していってもらいたかったです。ですがこれが知事という公人の立場だと、滅多な発言はできなくなります。それどころか、この彼の武器は反転し、失言癖となって非常にマイナスな特徴にまでなってしまいます。
 さらに言えば、今回橋本氏は無所属で出てはいますが、自民、公明の推薦を受けている事も問題です。はっきり言いますが、大阪府議会議員は無能の集団です。2004年以降に次々と明らかになった大阪市職員の問題は、本来ならば彼ら府議員などが暴かなければならないところを、結局MBSが単独で暴いていますし、また市民団体からなんども注意を受けているにも関わらず、政務調査費といっては府から金をむしり取っているだけで、やはり知事となるからには、対決姿勢を多少出さねば大阪で改革は何も起こせないでしょう。

 とはいっても、今回の候補は自分から見て、改革力や実行力ではほとんど差のない人間達ばかりであった事を考えれば、誰がなったところで大きな変化はないのかもしれません。しかし橋本氏の失言癖と、テレビにあれだけ露出しているくせに弁護士としての仕事を本当にやっているのか、実際は西村慎吾前民主党衆議院のように、弁護士資格の名義貸しをやっているのではないかという疑惑を考えると、熊谷氏の方が個人的にはよかったと思います。ま、彼も民主の推薦を受けているからあまり意味ないだけど。

 あかん、文章のノリが悪いわぁ。自分、大阪府民ちゃうのになぁ。

2008年1月26日土曜日

サイバー犯罪と京都府警

 先日、大阪電気通信大学に通う学生がネット上にプログラムを破壊するウィルスをばら撒いたとして、京都府警に逮捕されました。さてこの京都府警、一部のネットユーザーからはとにもかくにも嫌われる警察組織です。というのも2004年にわざわざ東京くんだりまで行って、当時の東大助手であったファイル交換ソフト「winny」の作者を逮捕しています。

 前回の事件といい今回の事件といい、京都府警はネット犯罪に対してやや刑法を高飛びさせるような行動をとっています。果たして、組織内にそういったものを専門的に扱う部署でもあるのかとホームページを見てみると、「京都府警察ハイテク犯罪対策室」というのがあり、恐らくこの中に相当ネット犯罪に対して相当見識のある人間がいるのではないかと思います。

 先に言っておくと、私は京都府警を評価しています。確かに日本の法体系はネット犯罪に対して今だ整備が出来ておらず、しかも規制を強くしようという声すらほとんど上がっていません。今回の事件で明るみになったのは犯罪者が一大学生だったというプロフィールではなく、ウィルスの作成者を取り締まる法律すらないという日本の現状でしょう。詳しくは知りませんが、確かスパムメールを送る人間に対しても処罰する法律がなかったんじゃないかな。そういった意味で、問題提起を行ったこの京都府警は賞賛されるに値するでしょう。
 でも私が一番言いたいのは、政府はせめて普通の国並にこういった犯罪を防ぐ法体系を早く作って欲しいという事です。どっちの事件も犯人は大学に在籍している人間で、倫理観も非常に問われる問題だと思います。確か、前の官房長官の与謝野馨はパーツの開封から完成まで2時間でやってのけるという自作パソコンマニアだって言うから、彼あたりにそこら辺を作らせればいいのに。

2008年1月24日木曜日

英語における「自由」

 前回に続いて言葉の話です。なんでこんなのばっかやってるんだろう……。

 さてこの前は宣教師が「愛」という言葉の意味を変えたと書きましたが、今日は「自由」という言葉について考えてみます。早速この自由という言葉を自分の持っている電子辞書で英訳を見てみましたが、主なもので三つ、「free」、「independent」、「liberal」の三系統に大別されます。これをみて、結構不思議に思いませんか? 日本語の自由という言葉を英語圏、というより欧米では三種類も分けています。

 私は昨日も書いたように別に言語学をやっているわけじゃないので詳しくはわかりませんが、イメージ的には「free」は「自由に選択できる状態」、「independent」は「何にも依存していない状態」、「liberal」は「何の束縛もない状態」という風に感じています。

 自分から見て欧米人はやはり、自由に対する意識は高いと思います。これは以前に友人から聞いた話ですが、日本はアメリカのマッカーサーから自由をただでもらった国だから、革命を起こしたフランスや、学生運動で独裁を倒した韓国と比べて自由を守るという意識が希薄なんじゃないかと言われましたが、まさにそのとおりだと思います。ですから逆に、欧米の概念を理解する際、自由には数種類の意味が付与されているという事を念頭におかないと、連中の思想や価値観を読み違えるのではないかとも思います。

 私がわずかに知っている欧米の自由の概念ですが、大きく大別すると二種類あり、「積極的自由論」と「消極的自由論」と分かれているようです。前者は、人間は自らの理性に従って生きる事が正しいのだから、自由な理性を阻む社会上のあらゆる束縛や概念から逃れていなければならないという考え方で、後者は人間を束縛するものがまずあり、それから初めて対極概念として自由が生まれるという考え方です。
 この話を聞いて私が思い出したのはフランスの教育制度です。フランスでは以前、宗教的な影響を与えてはいけないということで、教師も生徒も含めて学校にイスラム教の女性が被るスカーフを被ってはならないという法律が出てあれこれもめましたが、これはさきほどの「積極的自由論」に従った、教育段階で概念の押し付けをやってはならないという考え方からきたのではないかと思いました。

 結論から言えば、概念を徹底的に排除する事は出来ないと思うし、果たしてそれが本当に人間が正しく生きる方法とは思えないので、日本人らしく私は「消極的自由論」を推します。
 なお、今回の話のネタは間宮陽介氏の本、「ケインズとハイエク」からもってきています。興味があれば一読をするのもいいかもしれません。あまりにも難しくて私は途中で投げましたが……この間宮さんは遠目に見かけたこともあるのにな。

2008年1月23日水曜日

愛という言葉について

 いきなり臭いタイトルですが、自分はこの「愛」という言葉にある由来があるのではないかと思っていました。自分は高校時代は完璧な古語マニアで、あれこれ自分でも漢文やら古語を見ていましたが、どうも見ていると古語の中の「愛」というのは「愛い」(うい)という形で、現代の「可愛い」という意味で使われている事に気がつきました。で、現代の「愛」の意味に近いのはどちらかと言うと「恋」の漢字で、まぁわかるでしょうけど、現代では「恋愛」といってセットで使われますがその感情の比重は昔と逆転し、「恋」はどちらかというと若い時分の幼い感情みたいな意味で、「愛」は大人な成熟した感情みたいな感じで使われています。

 一体、いつ頃にこのような変化が起こったのだろうか、ある日突然考えた(昔あったな、こんな歌詞)。そこで、ある一つの仮説が出てきました。もしかしら、キリスト教が変えたのかもしれないと。

 言わずもがなにキリスト教は室町時代後半にやってきて、結構当時の文献とかでもこのキリスト教の「愛」という概念がよく出てきます。自分が考えるに恐らく、キリスト教の宣教師達は男女間が惹かれあう感情とは別な意味の、いわゆる隣人愛を説くために、この「愛」という文字を使って布教活動をしたのではないでしょうか。このあたりから「愛」の比重が高まり、いつのまにか「恋」を追い抜いてしまったのではないかと思います。

 とまぁこんな風に想像してたら、さっきウィキペディアを見たらどうもそれに近いことかいてあって、ますます自信がついて調子乗って今日のネタにしました。ちなみに、直江兼続はとリビアの泉でもやってましたが、領民を愛するという意味で、「愛」の文字をかたどった兜を被ってたようです。

 ちなみに、外来語と日本語の関係は結構複雑で、いくつかの概念についてはきちんと西洋の概念を日本語化できていない例もあります。今度はその代表格とも言うべき、「自由」をちょっと解説します。

2008年1月22日火曜日

日本語の「懐かしい」の価値

 今日からブログの自己紹介欄を、「専門は国際政治」から「専門は国際政治と中国語」に変えました。別に外語大は出ていないけどね。
 そんなわけで中国語ネタも一発かましておこうかと思い、この「懐かしい」を取り上げます。

 実はこれは自分のエピソードですが、中国語で「あ、この番組懐かしいっ」って言おうとした時、言葉が出てきませんでした。普通、懐かしいってよく使う言葉なんだからなんで自分って知らないんだろうと思いつつ、辞書で「懐かしい」をひいたところ、「懐念(フォワイニエン)」という文字が出てきました。他の候補はないかとみましたが、どうもこれだけのようです。最初これを見たとき、ちょっと自分はおかしいなと思いました。何故かと言うと、非常に堅い表現で、実生活上でこの言葉を中国人から聞いた事がなかったからです。そこで、日本語の出来る中国人の友人に改めて聞いてみたところ、面白い回答が帰ってきました。
「日本語の懐かしいにあたるのはあえて言うなら懐念だけど、実際はないと思う。日本語はとにもかくにも感情に関する言葉が多すぎる」
 と、いうように、厳密にいえば中国語で「懐かしい」にあたる単語はないそうです。
 考えてみると、英語にもないような気がします。強いてあげるなら、「remindable」といって、「思い出させる、想起させる」という言葉しかなく、どうも日本語の「懐かしい」にマッチする言葉は見当たりません。

 この「懐かしい」は恐らく、「懐く」という「心引かれる、おもしろい」というような意味の古語からきていると思います。そうするとかなり前から日本人が使っている言葉になるのですが、この「懐かしい」という言葉を改めて考えてみると、日本人はやけに「懐かしい」ものが大好きな気もしないでもありません。
 最近ヒットした「ALWAIYS 三丁目の夕日」とか、今度やる「母べえ」(間に「げえ」は入らないのかな)もこの部類ですし、アニメ作品にも多数懐かしさを呼び起こす映画が大ヒットしています。代表的のは、クレヨンしんちゃんの映画版「モーレツ大人帝国の逆襲」でしょう。「MEMORYS」もこれに当るかな。

 どうも、自分はこの「懐かしい」という表現は日本人の感性を代表するのではないかとも思っています。まぁ自分がそう思うのは、未来がお先真っ暗な時代に生きているせいかもしれませんけど。書き終わってからなんだけど、あまり中国語は関係ないね。