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2008年3月18日火曜日

プロ野球ストライキ事件の価値は

 一応、今は各労働者団体が行う春闘の真っ最中のはずです。しかしこのところは経営者側の力が強くて、これらの春闘も形式的な意味合いの方が強いような気がします。それに続いて、このところはストライキもめったに行われなくなりました。
 そのストライキ自体についても語ることは山ほどあるのですが、今日はちょっと思い出したのもあり、2004年に起こったプロ野球ストライキ事件について解説します。

 2004年、当時近鉄とオリックスの合併問題が巻き起こり、それに乗じて一リーグ制への移行やらライブドアの球団買収名乗り上げ、ついでに西部とダイエーも合併するとか、果てには現楽天の一場選手の不正スカウト問題と、この年は野球界の問題が一挙に噴出した年でした。
 そんなあれこれ問題を抱える中、合併問題にオーナー側の横暴がひどすぎると、当時の選手会会長であった古田前ヤクルト監督が試合のストライキを決断し、結果的にその行われた一日は試合がなくなりました。

 このストライキ問題、各所であれこれ議論を呼びましたが、私の結論から言うと非常に価値のあったストライキだったと思います。その理由も、まず選手会側の主張どおりチームのオーナー達は当時の近鉄の後処理についてライブドア側の声明は完全に無視、一リーグ制へ無理やり舵を取ろうなどと、選手達の意見は全く無視して突っ走っていました。さらにスカウト問題なども引き起こし、結果的には金のあるチームが得するようなドラフト制度に変えていこうなどと、消される側の近鉄球団の選手達から見たら非常に横暴な態度だったように思えます。
 それがストライキを起こすことによってひとまず話し合いの場が作られ、そしてドラフト制度改革、二リーグ制の維持、、セパ交流戦の開幕、果てには楽天新球団の参加と、最終的になかなかいいところへと双方、話が落ちた結果だと思います。

 特に一リーグ制へ移行しなかったのが非常によかったと私は考えています。当時オーナー達は、観客の少ないパリーグの球団を一リーグにして救ってやるんだというのを金科玉条のように唱えていましたが、この年から導入されたプレーオフ制度、そして新庄選手の日ハム入団などと、この年からパリーグのチームも非常に注目されるようになって行きました。特に日ハムは2004年に札幌ドームに本拠地を構えてから毎年経営黒字を出し、同様に仙台で産声を上げた楽天球団も毎年利益を出していると聞いています。皮肉なことに、本来救ってやるはずだったセリーグの球団の方は視聴率低迷にあげき、経営が前以上に苦しくなったところが増えているらしいです。実際、私もこのところはパリーグの試合結果の方が気になるようになったし。

 しかし後から思い返してみると、当時のニュース報道はやはりオーナー側に偏った報道だった気がします。テレビ番組などは球場近くのコンビニを取材し、弁当の売り上げが落ちるといった店長のため息を流し、どちらかというと選手側を暗に批判しているような報道でした。私が見る限り、選手側のほうが正当性もあり、理屈も通ることから本来マスメディアの人間は中立をとるだけでなく、もっと選手達を応援してあげるべきだったと思います。まぁTBSは無理なのはわかってるから無理強いする気はないけど。日テレはどうだろうかなぁ、ここも無理かな。

 それにしても今じゃスター選手はみんなパリーグのチームにいる気がします。ダルビッシュに涌井、成瀬、億の置物の清原と、さらには注目ルーキーの中田翔。本気で、セリーグのチームは大丈夫だろうか。

三月政局について

 またえらく更新が滞った。昨日は所用で横浜まで行って、帰ってきたのは十時半だったし。

 それはともかく三月末の政局についてです。はっきり言って、現在の状況は予想外でした。というのも、今年の三月末にはガソリン税を初めとした特別税問題が山場を迎えるかと思っていたら、思いもよらぬところから日銀総裁人事問題がこじれにこじれ、現在に至っています。

 恐らく、このまま行けば明日で任期切れになる現日銀福井総裁がいなくなり、ひとまず代役を立てることになりますが、そうなってしまえば妥協する点がなくなるために、民主党はさらに強硬になるかと思います。一説によると、現在のような状況に入ってしまったのは、この総裁人事くらいはすぐ決まるだろうと鷹をクックっていた福田首相の判断違いによって、人気ぎりぎりになって問題が浮上したといわれていますが、私もこの説を支持します。どうも、昔の官房長官時代と比べて、政局を読む勘が鈍くなっているようです。このままだと、本気でガソリン税も片付ける時間がなくなり、四月に入ってガソリンが急に安くなり、福田首相の責任論が浮上してきて、民主の思惑通りに四月選挙に至るかもしれません。

 それともしかしたら明日辺り、自民党の議員が民主党がごねることに対して、
「日銀総裁が決まらないという状況が世界のトレーダーを失望させ、株価を下げさせている原因になっている」
 とでも言うかもしれませんが、そう言った議員は無能と見てよいでしょう。今の株価下落の原因はすべてアメリカのせいなんですから。
 ついでに書いておくと、前FRB長官のグリーンスパンが今回の株価下落について、戦後最大の恐慌になるとか言ってましたが、私自身そうなる可能性が高いと現在見ています。その理由は言うまでもなく……言うまでもないことなので、省略します。

2008年3月14日金曜日

裁判の可視化について

 私はこれまで、今度から日本の裁判でも施行される陪審員制度にあまり期待はしていませんでした。しかしふたを開けてみると、ただ難解なだけで専門家だけの言葉のようであった司法用語を簡単なものへと改めたりするなど、なかなか問題をはらんでいる日本の裁判にとっていい改善へのきっかけとなっています。

 その一方で、今回のお題の裁判の可視化については未だ本格的に議論されていないようです。もっともこの可視化は、捜査段階の警察による取調べについてはなかなか議論されていますが、この前警察が取調べ時に被告が自白したほんの数分だけを録音して提出したら、案の定証拠として採用されませんでしたけど。
 この裁判の可視化、ついでに捜査段階の可視化ですが、欧米ではすでに当然のものとなっています。オーストラリアなんかは十年位前から取調べ時の録音をやっており、アメリカでは裁判はテレビカメラを入れて当然なくらいの雰囲気です。そりゃビデオテープが出始めた頃ならともかく、これだけ技術の進んだ現在においてまだやっていないというのは非常に遅れているとしか言いようがありません。

 この可視化、言い直すならば裁判においてカメラを入れない点について法務省は、被告のプライバシーなどとがたがた抜かしていますが、こんだけ法廷スケッチとともにマスコミで裁判の状況が報道されるのに、プライバシーもクソもないでしょう。それでもあえて言うならば、一部の国のように社会的に大きな影響を与えた事件、たとえばオウム事件や和歌山毒入りカレー事件など、このような事件に限ってテレビカメラを入れるとかいう手もあるはずです。もともと裁判は閉鎖性を伴うと一部に偏った判決になる恐れから、憲法の上でも原則公開するとしているにも関わらず、こうしてカメラを覆い隠すのは私個人でおかしいと思います。

 そしてカメラを入れるメリットも非常に捨て難いです。というのも、一度カメラなどで保存しておくことによって、時間を置いて再審などが行われる際、以前の供述から証言まできちんと残せるからです。これはむしろ取り調べの際のほうがメリットが大きいですが、これによって原告被告ともに供述の覆り等を正しく証明できるようになります。
 そういった意味で、なるべく早く日本も可視化、記録化をすべきだと私は思います。

2008年3月13日木曜日

単純に物事を考えることについて

 前回の投稿では社会保障について、やや単純に問題を追っていきました。この、「単純」という言葉ですが、どちらかというと悪い意味で使われることの方が多いと思います。かといって「複雑」という言葉も、どちらかというとマイナスな意味が付与されているような気がします。
 まぁ言ってしまえば両者は両者で如何に使い分けるかが重要ではあるのですが、政治の世界だとやはり複雑な言い回しの方がいいとされています。ですが小泉元首相のように、単純な言い回しをする政治家の方が人気は集まりやすいものです。

 いきなり結論ですが、私は基本的に物事は単純であれば越したことはない、単純であるほうが優勢だと考えています。というのも論文においても、複雑な論理であればある程その主張が発揮される場所が限定されるのに比べて、単純で簡潔な論文ほど応用範囲が広いことになります。かの有名な遺伝の法則をメンデルが科学アカデミーに報告した際、その紙量はほんの一、二枚だったといいます。実際に遺伝の法則は実に単純で、理解して見ればわかりやすい。それだけに法則は偉大だともいわれています。

 そして物事を行う際に計画を作るにしても、私なんかは結構手抜きしやすい性格なのもありますが、大まかな目標を作った上で始めてしまう事が多いです。というのも、理想の計画通りに現実がうまく行くことなんて百に一つもないと思っており、それよりその大きな目標に対して過程をどうやりくりするかに対して重要視しています。もっとも、まるきり計画性がないのはやっぱり問題ですが。

 政治の世界についても、私は同様の見識を持っています。かの日露戦争の勝利の立役者の児玉源太郎氏も、軍人としての経歴ばかりが注目されていますが戦後は議員にもなっており、本人は自分は政治家だと自認していたようですが、この人が言うに、
「政治というのは大鉈を振るうように行わねばならない。細々と対処していては何も問題は解決しない」
 と述べています。私もこの言葉に同感します。細かな軸はともかく、大きな観点で問題を見据えることがよい政治家の条件ではないかと考えています。言うなれば、物事を単純化して見る力があるかどうかです。

社会保障支出の今後の展望

 今年はとうとう2008年。私が中国に行ったのは2005年のことで、後3年後にここでオリンピックがあるんだなと思っていたら、とうとうその年になってしまいました。時間経つのが早いような。
 そんな2008年ですが、もう一つの意味合いで象徴的な年になりそうです。その意味と言うのも、最後の団塊世代退職年という意味です。
 団塊の世代の具体的な意味はここでは説明しませんが、その対象年とされているのは1946~48年の3年間に生まれた世代の事を指します。すでにこれまでの間に、こういった世代が一挙に定年を向かえることから新卒の就職状況は活発だなどといわれていますが、その最後の1948年生まれが定年に達するのが、今年ということになります。

 ここでもう一つのある概念と比べてみましょう。近年、年金不安とともに社会保障についての議論がかまびすしく行われています。国会の予算案についても、まぁ今年はガソリン税があるのであまり相手にされませんが、社会保障費と医療費をどうするかということが毎年の議論の的となっています。
 この社会保障、言うなれば老後の年金支出ですが、先ほどの団塊の世代を考慮に入れるとすれば、恐らく支出のひとまずのピークがくるのは今年から5年後、最後の団塊世代が年金受給資格を得る65歳になる年である2013年にくるということが予想されます。というのも、すでに日本の人口は漸減しており、これ以降は若年層も減っていくのですが同様に新たに老年層となる人口も減っていくので、収入面はともかくとして年金としての支出は恐らく5年、もしくは6年後くらいがピークを向かえるかと私は考えています。
 そしてそのピークを向かえた後はどうなるか。これまた単純な計算をすると、今の日本人の平均寿命は大体80歳くらいですから、そのまま80引く65をして15、つまりそれから15年後でひとまずの支出が極大化する過渡期が終わると考えられます。実際に西暦に直すと、それは2028年、つまり今から20年後です。

 またまた単純な結論に持ってくるとすれば、年金支出が膨大化するのは今から5年後、そしてそれが収まるのが今から20年後ということです。これを言い直すのならば、間の15年間が日本の財政を考える上で一つの過渡期となるという事です。この過渡期を乗り切ってしまえさえすれば、ここまで単純ではないにしろ、日本の少子高齢化問題のうちの高齢化問題はある程度片がつくと思います。
 そこで政策的にはどうするべきかというと、恒久的な年金、社会保障案はこの際考えない方がいいと思います。言ってしまえばこのいびつな年代に合わせて社会保障体制を作ってしまうと、その後は人口比などの面から必ず歪みが生じてきます。それならばいっそ、時限立法的にこの15年間をどう乗り切る、どう予算を集めるかというような方法を考える方がずっと建設的だと思います。それこそ、この15年間限定で今話題のガソリン税のような特定財源、特別税を作るのも一つの手でしょう。

 と、問題を単純化して社会保障に対する政策案をまとめて見ました。なかなかいい出来でしょ。

2008年3月12日水曜日

地球温暖化は本当なのか?

 本当は中部大学の武田邦彦氏の本を読んでからこの記事を書こうと思っていたんですが、どこの本屋に行ってもなかなか見つからないもんなので、しょうがないからもう記事を書くことにします(´Д`)ハァ

 この武田邦彦氏は関西に在住の方の方が知っている方も多いと思います。というのも、向こうの「たかじんのそこまで言って委員会」という番組にてゲストとして登場し、そのキャラクターぶりとあいまって、環境問題に対する彼独自の主張が非常に大きく取り上げられました。
 彼の主張を簡潔に言うと、まず現在環境問題がらみで言われていることはすべて嘘らしいです。何故そんな嘘がまかり通るのかと言うと、単純に言って先進国が新興国の急成長を阻むためやら、新たなビジネスチャンスにしようとしているからで、さらにはアル・ゴア氏の映画「不都合な真実」の最も不都合なのは、映画の内容のほとんどが真っ赤な嘘だということだそうです。

 この武田氏の主張には多かれ少なかれ私も同感する気持ちがあります。まず私が小学生の頃から、石油やレアメタルは後10年もすれば枯渇すると言われ続けてきました。ニカド電池を作るカドミウムはたしか95年くらいでなくなると言われていましたが、知ってます、ニカド電池は携帯用の充電池なんだって。
 こんな感じで危機感を煽るだけ煽っといて現実がまるで変化しなければそれは疑問に思います。それにこのまま温暖化が進むと世界中で大変になるといいますが、それ以上に人口が増えることの方が大変だと思うのに、そっちの方は完全にスルーです。

 そして環境問題の本丸ともいうべき地球の平均気温の上昇ですが、これは以前からその科学的裏付けには乏しいといわれていました。冷静に考えて見ると、同条件で普通の空気だけを充填した空間と、二酸化炭素を普通の空気以上に濃くした空間にてそれぞれの気温の上昇率を測ってみればそれなりに説得力のある温暖化の検証が取れそうな気がするのですが、私は未だかつてこのような実験を見たことがありません。
 そんなことを言うと、二酸化炭素を排出する車がビュンビュン走る道路近くの方が暑い気がするとか言われそうですが、それはむしろコンクリートの照り返しとか、ガソリン燃やした車の排熱とかの原因のが強いのであまり当てになりません。
 ほかにも、このところの夏は最高気温が記録を塗り替えているという意見もありますが、知ってましたか、ここ数年で気温観測所とかが結構移動しているのを。確か名古屋は観測所を動かしたらその年から記録更新のオンパレードになったそうです。また都市部では、先ほどの車や温まった空気が抜けないヒートアイランド現象の方が実際には強い気がします。

 もうこれだけでも十分怪しいのですが、私がこの地球温暖化説を否定する際に最も使う根拠というのが、大塩平八郎の乱です。この乱の当時は1837年ですが、当時の記録によるとこの乱の当時、大坂を流れる川は凍結していたらしいです。もちろん今の大阪では過去十数年位で冬に川が凍結した例など一例もありません。川が凍結するということは日中の気温でも零下を大体下回らなければならず、恐らく現在の北京くらい(向こうでも冬は川が凍結する)の気候だったことが予想されます。

 たかだか170年くらい前と現在で、これほどまでに気候の違いがあるのです。それほどまでに地球規模の気温変動というのは大きな物で、ここ十数年くらいの変化など、どうと言うことはない。人為的な力でそこまで変化は及ぼせない、地球温暖化というのはほとんどが嘘だというのが私の持論です。

  追伸
 確か先週の朝日新聞の一面だったと思いますが、地方自治体で環境保全に従事しているというお墨付きであるヨーロッパの「ISO14001」をかつて取得したものの、次は更新しないという自治体が現れてきたそうです。その理由と言うのも、更新に際して非常にお金が掛かる(数百万単位)ことからだそうです。
 私自身、この「ISO14001」を取ること自体は決して悪くはないとは思うのですが、取得や更新に金が掛かること、取得したからといって環境保全に対して直接投資するわけでないことを考えると、この手の動きをむしろ歓迎します。しかし頭の固い連中や企業は物がわからないようで、噂によると松下、今度からはパナソニックですが、ここはこの「ISO14001」がなければ取引相手として選ばないとして、中小企業をいじめているとのことです。こんなものに金をかけるくらいなら、植林や間伐に使った方がずっといいのにね。

インテリジェンス交渉術の紹介

 まるで佐藤優のファンサイトかのように彼を扱うことの多いこのブログですが、おとといの三月十日はいわずと知れた文芸春秋の発売日で、私もその日に買ってのんびり読んで、今日読み終わりました。その文芸春秋誌上にて、佐藤優氏によるビジネスマン向け処世術「インテリジェンス交渉術」が現在連載中です。
 内容はビジネスマン向けに、外交交渉などで使われるテクニックや組織のあり方を紹介、説明するもので毎号楽しく私も読んでいますが、今日はその中でも以前に書かれたものをすこし紹介しようと思います。

 載っていたのは確か去年の秋頃だったと思います。扱ったテーマは2001年に起こった、松尾克俊氏による外務省内の外交機密費流用事件でした。
 この事件を説明する前にまず、佐藤優氏の外交機密費に対する考え方を私が捉えた範囲で説明します。まず佐藤氏は外交交渉において金という物はとにもかくにも掛かるものだと言っています。それこそ権力のある政治家に近づくためやらあれこれの下準備などで、表に出せない出費というものはやはり存在するようです。そして交渉がうまく進めばそれらの費用は効果的に評価されるのですが、逆にうまくいかなかった場合は無駄金となってしまいます。その失敗に終わった際、無駄な支出だったとしていちいち外務省員が非難されてしまえば、こうした交渉にリスクを負って取り組む人間はいなくなるとして、こうした予算が組まれる必要性はあると、確か主張していたと思います。

 ですが領収書の要らない予算ということで、その松尾克俊氏の事件のように実際の外交案件とは全く関係ない、マンションやら競走馬に途方もないお金を使われてしまったという事件が起こりました。実はこの事件を起こした松尾氏自体に佐藤氏も接触していました。
 佐藤氏がかつてある仕事をしていた際、松尾氏が佐藤氏の仕事振りを見てこの外交機密費から金一封を持たそうとしたそうです。それに対して佐藤氏は、
「いや、自分は別にお金に困っているわけじゃないので、それは受け取れない」
「気にしないでいい。第一、君は仕事がらみで自腹を切ることが多過ぎる。これくらいは受け取って当然だ」
 として、無理やりねじ込まされたらしいです。
 この佐藤氏の自腹を切る話ですが、この人はどうにも欲のない人らしく、本来外務省に請求すべき支出などに対しても大抵自分の金で払ってしまうことが多かったそうです。彼を接見した検事も、
「君を見ていて反面教師にしようと思う。あまりにも仕事熱心すぎる」
 とも言わせています。

 その後、流用疑惑でこの松尾氏が捕まった後、松尾氏を昔から知る人と佐藤氏が話をしたそうです(ちょっと記憶があいまいだなぁ)。その人によると、この松尾氏も昔は非常に仕事熱心な人だったらしく、仕事での支出を自分で負担することも珍しくなかったようです。佐藤氏の分析によると、松尾氏は外務省という組織のために自分はこれまで散々お金を使ってきたのだから、逆に組織の金を少しくらい使ってもいいと考えるようになったのではないかと推量しています。

 こうして話をまとめた上で佐藤氏は、自分もそのように国益にかなうことを理由として組織のために自己のお金を使ってきたことを反省し、ビジネスマン一同に向けて組織と自分のお金を分けろ、つまり公私をはっきり分けろと主張していました。さもなければ組織と自分の境目がはっきりしなくなり、結果的に双方にいい結果を残さないと断言しています。

 この回の内容が最も面白かったので覚えていましたが、それ以外にも毎号面白いことが書かれているので、興味を持った方はぜひ自分の手で読んで見ることをおすすめします。