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2008年4月5日土曜日

高校教育での歴史

 以前にニュースになっていましたが、一部の自治体で高校科目の「日本史」を必修化しようという動きが始まったらしいです。最初に結論を言うと、私もこの動きを支持します。

 現在の日本の教育制度では、高校生は社会科でまず「世界史」が必修となっており、確か一年か半年は科目として受けないと卒業資格を得られないはずです。そのため、確か2004年度に各学校で受験科目として必要としない文系の生徒らが受講しておらず、卒業できないということで大騒動になりました。まぁぶっちゃけ、今まで文部科学省も見て見ぬふりを明らかにしていたけど。私の知り合いの公立高校の出身者は文系だけど、やっぱりやっていなかったし。

 この世界史ですが、私自身は私立高校の出身者ですけどちゃんと受講していたのでしたが、その世界史の先生が授業中に、「自国の歴史が必修になっていない国なんて、日本くらいだ」とつぶやいていました。
 私自身は自他共に認める歴史マニアなのでそうではないのですが、確かに中にはいい年した大人なのに、全く日本史がわかっていない人をよく見かけます。また大学生レベルでも、前述の問題の影響なのか、受験時に世界史や地理を選択していた人は驚くくらいに日本史をわかっていません。もちろんその逆に、日本史の選択者は世界史をよく知りませんが。
 一例を挙げると、日本史選択者はイスラム教がよくわからず、シーア派とスンナ派が区別できずにニュースがわからなくなり、世界史選択者は日本文化史の話になると全くわからなくなるので、奈良や京都の偉大さが理解できないというような具合で。

 確かに冷静に考えてみると、先ほどの先生のように自国の歴史も学んでいない大学生が量産されるというのは一体どんなに国なのかと改めて不気味に感じます。そもそもなぜこのようなカリキュラムになったのかというと、建前上はグローバル社会に対応するために世界史が最も必要とされるとのことらしいですが、本当は日本史も必修にしたいのだがそうしたら同じ社会科の地理だけが不公平を食らうから、なんだかわけのわからないうちに世界史だけ必修となったようです。

 私は歴史が好きなことと、とある事情で大学受験時に社会科目が二つ必要だったということから世界史と日本史を両方学んで、それぞれで自分で言うのもなんですが相当な点数を毎回の模試であげていました。その一方で数学などはぼろぼろでしたが両方の歴史を勉強した身の上で言うと、やはり片方同士では非常に中途半端な気がします。理想としては両方を一つの科目にして「歴史」という科目にまとめるべきだと思うのですが、歴史の得意な自分が言っても、苦手な人のことを無視しているようであまり説得力はありませんね。

 妥協点としては両方を一応一通りやる中学生の間に、もう少し範囲を広げてしっかり学ばせるの、もしくは最初に挙げた自治体のように、せめて一年間は必修にして学ばせるというのがよいと思います。
 そしたら地理は? ということになりますが、ちょっと厳しいですが倫理や現代社会と同じ部類に落とすのも仕方ないと思います。だって、やろうと思えば中学時代に詰め込めそうだし……。

2008年4月3日木曜日

邪悪とは

 もし誰かに、何が善で何が悪なのかと聞いても、あまりはっきりとした返事は返ってこないでしょう。それこそ中には、「見方によって変わるのでは」というような意見を言われるかもしれません。
 この「見方によって変わる」ですが、至極その通りだと私も思います。昔に私が書いたエッセイの「善悪二元論」においても、「光があるから影があるように、善の概念なくして悪の概念はない」というように、相対的であるがゆえに逆転もままあるという定義の仕方をしています。

 しかし、あるマンガにおいては言い訳の仕様もない悪の定義がはっきりと示されています。そのマンガというのも、マンガ好きなら何かしら触れた事のあるであろう「ジョジョの奇妙な冒険」です。

 では、何がその「悪」なのでしょうか。それがはっきりと示されたのは第五部にて、組織のボスの命令に従っていたところ、肝心なところで裏切られたキャラクター、ってかブチャラティが、
「吐き気をもよおす『邪悪』とはッ!何も知らぬ無知なる者を利用する事だ!自分の利益だけの為に利用する事だ!父親が何も知らぬ“娘”を!てめーだけの都合でッ!許さねえッ!あんたは今、再びッ!オレの心を裏切ったッ!」
 と、言うシーンです。
 作者の荒木氏も、「悪の定義は人それぞれに違うし状況で変わってくるけど、“他人を踏み台にする人”、これは絶対に、誰が何と言おうと悪だと思う」と言っており、この主張は作品全体を通して貫かれています。
 
 この考え方に私も同意です。他人を自分の利益のために利用する、これだけは何が何でもやってはいけないし、そんな考え方をする人間は絶対に許してはならない。自分は長生きをするつもりはありませんから、せめてそんな邪悪な人間を道連れにして死ねればいいと、常日頃から考えて生きています。

なぜ中国をかばうのか

 何もここで取り上げなくとも、各所でチベットの暴動問題に端を発した五輪開会式ボイコットの議論がかまびすしく行われています。しかしこれらの動きに対して反動ももちろんあり、主に政治家などが中国をかばうような発言をして、それに対してネット上ではあれこれ非難の応酬が続いています。

 さて今日のお題の中国をかばうですが、2ちゃんねる等を見ていると自民党の加藤紘一議員などは「媚中派」等といわれて常に批判されていますが、私は以前に友人から、「なぜ自民党の政治家達はあれほど中国のことを良く言うのかな」という質問をされたことがあります。これに対する回答は実ははっきりしていて、私が見るに中国の文化力にあると思います。

 以前、あるアメリカ在住の中国人が自身のブログにて、「日中戦争は中国共産党も日本軍と同罪だ」という内容の記事を発表したことがありました。この人が言うに、「日本軍は中国で散々虐殺をやってきたが、共産党も戦時中に国民党と内戦したりして同じ中国人を大量に虐殺した。日本は言うまでもなく有罪だが、それならば共産党も同罪だ」という内容で、発表された当初は予想通りに中国国内から激しく批判されました。
 しかしこのブログはその後、「たとえ日本が中国全土を占領したとしても、結局は中国化しただろう」というようにまとめており、かなり重要なポイントをついていました。

 かつて、中国において漢民族を支配した異民族はたくさんいました。それこそモンゴル人や満州人、マイナーどころだと契丹人など。こうした異民族はそれぞれ中国国内に王朝なども作りましたが、結局は滅んで今は中国国内の少数民族としてそれぞれ扱われています。彼らが滅んでしまったのはなぜか、それは中国の文化に次第に染まっていってしまったことにあると指摘されています。
 それこそ「元」を作ったモンゴル人など、当初でこそ中国人お構いなしに彼らが使っていた言語を宮廷で話して独自の文字などを作ったのですが、時間の経過とともにそれらは段々と用いられなくなり、最後にはみんなで中国語と漢字を使うようになっていきました。満州人も同様で、彼らなんて後期には満州語までわからなくなったとまで言われています。

 このように、中国の文化力というのは他の文化を自然消滅させるほどにあくが強いとされています。そのため征服した王朝は知らず知らずのうちに中国人化してしまい、最後には内部崩壊を起こして中国人の基に天下は帰ってくると言われています。
 なぜこれほど強いのかは単純で、中国語と漢字を使う漢民族の人数が果てしなく多いからでしょう。まぁそれ以外にも文化的な色々な要素がたくさんあるでしょうが、私自身、この中国文化の強さを実際に目の当たりにしています。中国に来る日本人留学生は大体三ヶ月もすると、最初は中国のマナーの悪さなどを批判するのですが、最後には歴史のある国だとか、やはりたいした所だなどと、急に褒め始めたりします。

 よく国会議員のぶら下がり新聞記者などは、人間的魅力にあふれる国会議員について回るうちに、いつの間にかその議員を贔屓した目で見るようになり、中立的な記事が書けなくなるようでそのことを「政治家に淫する」というらしいのですが、どうも中国についてもそんな気がします。現自民党の「媚中派」と呼ばれる政治家も、政策やら使節やらで中国と関わっていくうちにそれこそ段々と「淫して」、現在のように異様にかばい立てするようになったのだと考えています。ちなみに、加藤紘一議員は外務省時代はチャイナスクール、つまり中国方面の外交官だったという経歴の持ち主です。

2008年4月2日水曜日

兵隊の一割に関する話

 いきなりですが、2:8の法則を皆さんご存知でしょうか。通称パレートの法則といってあちこちで語られているようですが、どうやらそのほとんどは通説の域を出ない、元の法則から乖離したデマのようです。
 たとえば、働きアリは全体の二割が巣穴の中で働き、残りの八割はほとんど働いていないが、その働いていないアリだけを集めると、またそのうちの二割が今度は働き出すとか。この説を使って、企業組織内でも社員の二割が実際には働いていて、残りは働いていないとか。まぁこう書いていて、うそ臭い話だと思います。

 しかし、この考え方がうまく適合できる例もあります。
 かつてのアメリカの調査によると、太平洋戦争中に実際に銃の引き金を引いたアメリカ兵は全体のほんの一割程度だったようです。それ以外は全くといっていいほど銃を撃たないか、そのまま敵に撃ち殺されるだけだったらしいです。この統計は日本軍でもほぼ同様に起こっており、言ってしまえば兵隊の中の勇ましい一割の兵士同士がドンパチやっていたというのが、過去の戦争の実情だったようです。

 しかしこれではほとんどの兵士がつれてくだけ無駄だ。そういうことでアメリカ軍はこの反省を生かし、心理学的見地による軍隊教育を施し、ベトナム戦争ではこの割合を四割以上にまで引き上げたという話を聞いたことがあります。ちなみに、この軍隊教育というのは単純に映画「フルメタルジャケット」の中で行われているようなもので、要するに自分も他人の命も守るに値しない、殺して奪い取ってもかまわないという概念を無理やり植えつけるというやり方です。

 ここで私が何が言いたいのかというと、それこそ特別な意識や逆境に追い込まれ、普段は全体の一割程度の兵士しか戦わない軍隊が本気になって十割全員で戦った場合はどうなるか。もしそうなった場合、理論上は十倍もの兵力差のある敵軍に対して勝利することもありうるということになります。歴史上に数多くある寡兵にて大軍を破る史実も、それこそ背水の陣ではないですが状況次第ではありうると私は考えています。

 なお、さらにさらに話を深めると、基本的に同種の生物同士はリチャード・ドーキンスの「利己的遺伝子論」の言うとおりに、種の保存目的の観点から互いに殺しあうと深いストレスを感じるらしいのですが、人間はどうも全体の一割程度、殺人を犯してもそのようなストレスを感じないタイプが生まれてくるらしいのです。そのほとんどは殺人なんて滅多な体験をせずに、己のそのような特性を自覚せずに死んでいくのですが、ひょうなこと、それこそ戦争などを経験することによってその特性を自覚してしまい、そのまま殺し屋とか戦争屋となったり、精神に異常を持つようになるそうです。
 この話も、先ほどの太平洋戦争の一割の話ときれいに一致します。また、そうした特性のない人間に無理やり殺人を冒させる、先ほどのベトナム戦争の例などを行うと、大抵はその後に精神面で問題を起こし、生活が破綻していくようです。

 自分は心理学という学問が大嫌いなのですが、この話は数字的にも他の説と一致することも多く、また説得力の高い精緻な意見なので非常に気にいっている上、含蓄の深い話だとして解説することが多い話です。

2008年3月31日月曜日

人間の能力について

 自分はよく人に対してこのブログでの内容のように政治やら社会問題について解説するとよく、
「君は本当に頭がいい。それに比べて自分は……」
 という風に言われることがたびたびあります。まぁ自他共に認める自信過剰な性格を私もしているので自分が頭がいいと言われても、「当然でしょ」と普通に思ってしまうのですがその代わり、そうして自分の能力のなさに嘆く相手に対していつも話して聞かせる内容もあります。

「昔、マラソンランナーの有森裕子氏の講演会に行ったのですが、彼女は今でこそ有名ですが大学時代はほとんど入賞もせず、本人も途中で浮気してトライアスロンとかやっていたのに、いざ体育大学を出る際にやっぱりマラソンをやりたいと思って必死でチームを探したらしいです。
 そこで小出監督のいた出来立ての社会人チームに行って必死で採用してくれるように頼んだそうです。そのときに小出監督は、自分は走る技術を教えることは出来るが、走りたい気持ちを作ることは出来ない。君は何の記録も持っていないがそのやる気だけはある、といって採用してもらったそうです」

 ここまで話した上で、

「自分も社会の見方や問題点ということはいくらでもわかりやすく相手に教えることは出来るけど、その教わる本人に聞く気がなければ何一つ覚えてもらえません。そして小出監督同様、そういった問題意識を作ることは出来ないので能力がないことは嘆かないで下さい。その問題意識さえ持っていてさえくれれば、私はいかようにも対応できます。逆に、能力があっても問題意識の低い人間というのは本当に最低です」

 というようにいっつも言っています。 
 実際、相手に対して動機を芽生えさせるという作業は非常に難しい作業です。しかし動機や問題意識さえ持っていてさえくれれば、やはり吸収がいいというか、知識を覚えてもらうのに手間がかかりません。隙こそ物の上手なれといいますが、やる気と人間の能力というのは私も比例すると思います。

2008年3月30日日曜日

留学について思うこと

 今日靴下買いにイトーヨーカドーに行った際、帰りに寄った本屋の新書コーナーにて、なんだっけ、確か「間違った留学」というようなタイトルの新書が出ていました。簡単に前文を立ち読みした程度でしたが、具体的な内容はただ留学に行っただけで語学力が身につくと思ったら大間違いだ。きちんと留学先の学校などを調べ、プランを立てないといけないという具合で話が進んでいます。

 この本の対象としている言語は英語だけでしたが、私自身は中国への一年間の留学経験もあり、現在も中国人留学生の友人とそのお母さんとで、中国株について熱い議論を中国語で交わす程度の語学力を保持しています。
 ただそんな私も、留学に行く前に一通り中国語の文法などを学んではいましたが、聞き取りも発音も今から思うとシャレにならないほど未熟でした。本当に留学に行けば中国語が身につくのか、そりゃ結構不安でした。まぁ別の中国人留学生からは、一年も行けば誰でも出来るようになると言ってくれたのですが、中国語は知っている人もいるかもしれませんが、発音だけなら世界屈指の難易度を誇る言語で、日本語みたいにうまくいくかどうかという心配もありました。

 そうして出ていたった中国留学でしたが、個人的に「いける」とはっきり感じたのは半年を過ぎた辺りでした。それこそ最初の一ヶ月なんて目の回る日々でしたが、それを過ぎて三ヶ月もすると一通り生活面での苦労はなくなり、そして半年も過ぎると、さすがに電話での航空券予約などは出来ませんでしたが、まぁ面と向かい合って話す分なら苦労は全くなくなりました。一部知らない単語が出ても、中国語で「それって何だっけ?」と聞いて教えてもらえばすぐわかる程度ですし、辞書さえ持ち歩けばもはや怖いものなしでした。

 とはいえ、一緒に学んでいた中には、「あと一年で君みたいなレベルにいけるかな」と、まだ不安を抱えている友人もいました。まぁその人は何も中国語を学ばないで来た人でしたが。
 結論から言うと、まぁ一年も行けば何とかなるというのが私の実感です。それに英語だったら中学校から習っているんだし、中国語ほど苦労しないと勝手に思ってます。もっとも、私自身はイギリスにてブリティッシュイングリッシュに苦戦しましたが。

 最後に、これから留学を考えている人に言っておきます。不安はあるでしょうが真面目に現地でまとまった期間を勉強すれば、必ず語学は身につきます。ただ現地でふざけていると、そうはいかないのでちゃんと授業には出ましょう。

世界の目から見た場合

 自分の専門は何かと聞かれた場合、真っ先に答えるのはプロフィールでも書いてあるように国際政治学です。といっても全部我流で考えているのであれこれ基礎的な理論はといわれても何もわかりませんが、それでも敢えて重要な概念はというなら、「相手からの視点」を挙げています。

 昔から孫子でも、彼を知り、己を知れば何とやらとありますが、この考え方を援用して、私はよく周りに相手は自分のことをどう思っているかを考えろと教えています。まぁ教えている本人自体が周りの目を気にしない性格なのですが、国際政治学では特に重要な概念だと思います。

 その相手から見た場合、果たして日本はどう見られているのでしょうか。昔に受けた中学校時代の社会化の教科書には、世界の教科書の中の日本の紹介がありました。その紹介内容というのは大体どこも似たり寄ったりで、たいした資源もないのにすごい経済力がある国、というような紹介です。

 と、このように教科書に書いてはいるものの、実際に外国人は日本をどう思っているのだろうか。これは以前から私が疑問に思っていたことでした。そこで、中国の留学中にあれこれ外国人に対して、日本人への評価はどうだとしつこく聞きまわりました。
 まずルーマニア人の場合、先ほどの教科書の説明と同じく資源が少ないながらもたいした国だという評価らしいです。その上で日本の武士道も伝わっており、律儀でまじめな国民と考えているようです。ただこのルーマニア人が言った中で重要だったのが、日本はアジアの強国ではあるが最強国ではない、という内容でした。彼の言によると、アジアの最強国家はやはり中国であると、ヨーロッパの目ではそういう評価になっているそうです。
 まぁ実際に、軍事力や人口を考えるとそう考えるのが自然ですが、やはり日本は中国に順ずる、経済力に特化した国というような見方をされているようです。