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2008年4月26日土曜日

伊達政宗と茶碗、の巻

 なんか最近歴史関係の話が多くなっているけど、今日もそんなお話です。

 今日、友人と一緒にゲームを買いに行き、友人が「みんなのGOLF4」を買おうとしてレジに並んだら、レジ前にて張られている紙に、「2本まとめて買ったら500円引き」という言葉が書かれており、それを見た友人は、「それならもう一本選んどいた方が良かったかな」と洩らしました。逆に自分はと言うと、「こういうおまけ的なもので判断が鈍ったりする方が嫌だ。第一、こういうときにまとめて買った物ってすぐにいらなくなるし」と言い返すのと同時に、ちょっと以前に別の友人と話した内容を思い出しました。

 その友人と話したのは、スーパーなどのスタンプクーポンの話でした。ああいうのを常に持ち歩いていると財布がすぐにいっぱいになるし、第一、なかなかたまらないからあんまり持ち歩かないと私が言ったところ、友人も同じく持たないと言い、そもそもそのほんのわずかな特典に引かれてなにか買い物をする際に、毎回判断が固定されたり行動が制限されることの方がデメリットが大きいと続けてきました。
 私もこの友人の意見に同感で、ほかにもその商品が安い店があるかもしれないのに、「カード持っているからここでいいや」とか、逆に別の店で安い商品を見つけても、「でもあそこならポイントつくしなぁ」とか考えるのが、私もなんとなく嫌です。

 それで本題に移るのですが、戦国武将でKOEIさん贔屓の伊達政宗は、京都で千利休に教わってから茶道にえらくはまったらしく、領国の仙台でもお茶を無理やり栽培し始めて、現在も日本のお茶栽培は仙台市が北限とされています。
 そんなんだから茶会なども何度も開いていたそうなのですが、ある日、茶会で高級な茶碗を手から危うく落としそうになり、はっとしてそれを受け止めたのですが、受け止めてしばらくすると、
「そもそも、たかが茶碗の癖に俺を焦らせやがってっ!!」
 と言って、わけのわからない逆ぎれを起こしてその場でその茶碗を粉々に叩き壊したそうです。

 まぁ逆ぎれとか書きましたが、私はこの伊達政宗の感情がわかるような気がします。私自身、自分の決断やら判断をなにかに邪魔されるのが無性に嫌で、先ほどのようなクーポンやポイントカードはなんか乗せられているような気がして、一応作ったものの大抵はそのままゴミ箱行きにさせています。ソフマップカードも、ほとんど使わずに捨てたしなぁ。

 さらに詳しくやるとこの話はマルクスの「疎外論」につながってくるのですがそれはまた今度やるとして、こんな性格だから物への八つ当たりが激しいのかと、少し自分の性格を反省するしだいです。

2008年4月25日金曜日

孫子の兵法は本当に強いのか?

 さて今日のお題の孫子の兵法ときたら中国人なら誰でも知っていますし、向こうのビジネスマンは冗談抜きでみんな読んでいます。実際に私が向こうにいたときも、常に本屋で孫子の兵法のビジネス解説本がおいてありました。

 しかしこの孫氏の兵法ですが、果たして軍学としてレベルが高いかどうかについて私は少し疑問を感じています。実際に漢文で私も読んだことはありますが、書いてある内容は非常に質が高いです。ただ問題なのは、この兵法にのっとって戦争をやっても実際に弱いんじゃないかということです。

 と言うのも、中国、と言うより漢民族は対外戦争においては非常に弱いからです。
 古くは漢の時代の異民族である匈奴。漢は毎年莫大な贈り物を送ってまで和平策を取りました。そしてその後に漢が滅んで三国志の魏が出て、魏も滅んで晋の時代には異民族が大挙してやってきて、中国の北半分が取られちゃいました。
 その後も唐の時代には元通りになり、逆に異民族を破って版図を広げるものの、唐が滅ぶと五代十国時代でまたやられ放題。宋に変わってもまた北半分取られてしまいにゃモンゴルの元になるし、明の頃にまた復活するもその後は満州族にやられてしまう。

 もっとも、ここまではまだいいでしょう。当時の民族状況はまだ今とは違いますし。しかし時代が近現代にはいっても、なんか中国は対外戦争に弱いような気がします。
 まず最初にあったのはアヘン戦争、欧米にめちゃくちゃやられます。次は日清戦争、これに負けちゃって眠れる獅子じゃないと言われちゃいます。そして日中戦争、これは内部抗争もあったけどね。

 そうこうしているうちに現在の中華人民共和国になりましたが、今問題になっているチベットの侵略には成功したものの、あまり知られてませんけどアメリカとの戦争のどさくさにまぎれて進軍したベトナムにはコテンパンにやられています。因みにこのときの開戦理由は、「お仕置きを与える」という妙な内容で、実際には仲が悪くなりだしたソ連への牽制だった。

 こんな具合で、どうもはたから見ていると中国は対外戦争にやけに弱いような気がします。なにも孫子の兵法だけのせいじゃないと思いますけど、ここんところはどうなんでしょうかね。
 なお、今日のネタはわざとふざけて、なおかつデフォルメして書いているのであまり真に受けないように。

2008年4月22日火曜日

首相候補について

 結構政界も騒がしくなったので、ちょっとこの辺りで自分の好きな候補でもあげておきます。

 まず今月末にでも自民党が暫定税率を再可決する予定らしいですが、どうもその後に以前の福田首相の一般財源化発言を反故にするような、道路税を道路にしか使わないと言う法律を自民党が用意しているようです。それに対して民主党は暫定税率を再可決しようものならば首相に対する問責決議案を提出すると主張しており、私の予想では恐らくそこま現実も運ぶであろうと思います。

 ただ与野党ともにも世論の動向を気にしているようです。これは週刊誌などでも報じられていますが、もし問責決議案が出された場合、世論の風がどっちに吹くかで解散か現状維持かが決まるでしょう。それこそ決議案を出したところで、「民主党はまたなんにでも反対か」となれば、自民党は強気になって政権を維持し続けるでしょうが、逆に「まだ民意を無視するのか」となれば、よっぽどのスキャンダルがない限り、福田首相の支持率は10%台にまで落ち込み解散にまで運ぶことが予想されます。恐らく、次の週末に行われる山口補選が一つの試金石になるのに間違いないでしょう。

 もっとも、自民党内でも福田おろしのような動きはすでに始まっており、遅くともサミット後に解散か辞任が示唆されています。私としてはここまでおたおたしているようなら、さっさとやめたほうがいいと思いますが。

 さてさて、では私は福田首相の後には誰に首相になってもらいたいかですが、まず世論調査で一番人気の小泉元首相ですが、正直なとこ、いまごたごたしているのはこの人の負の遺産のせいですからまず除外されるべきです。次に人気なのは麻生氏ですが、私はどうもこの人にははっきりとしたビジョンを感じられません。また政策についても、普段見ているとそれほど大した事は言っていませんし、安倍前首相とまではいかないまでも、人気取りだけやってなにも政治は動かない、かつての細川内閣みたいになるんじゃないかと思うのであまりすすめられません。

 じゃあ民主党ではどうかですが、前原氏はすでに一回やってあきれるほどの凡ミスをやらかしているのでまず却下。ついでの代表の小沢氏もすでに古いし体調悪そうだし却下。となると世間でも言われているように岡田氏しかいなくなりますが、意外と無難でいいんじゃないかと思います。まぁ政権とった時点で民主党は分裂すると思うけど。

 結局、一体誰がいいってことなのかですが、私はずばり自民党の与謝野馨氏が現段階では最も良いのではないかと思います。この人の場合、普段の発言から聞いていて政策能力も高そうですし、なおかつ敵がいなくて毒がないと言うのが、小泉元首相の負の遺産を片付けるこの段階では最も適任なような気がします。本人もその気なのか、この前に本を出しましたし。

2008年4月20日日曜日

猛将列伝~島津義弘~ と日韓の歴史の違い

 多分信長の野望とかやった人ならこの人は知っていると思います。島津家の次男坊で鬼島津こと島津義弘です。ゲーム中でも、戦闘能力はどのシリーズでもトップの上杉謙信には及ばないものの最上位に食い込む高さを誇っています。

 一般に習う範囲の歴史だと関が原の決戦においての活躍がまず紹介されています。すでに西軍にとって敗色が濃厚だった頃、残った島津軍に対して東軍が攻撃を仕掛けると、なんと島津軍が逆に突撃をかけてきたといいます。本来ならば退却する戦況であるにもかかわらず、この時島津義弘は追撃を免れるためにあえて敵軍突破を採用し、見事関が原から撤退をしております。まぁ、兵士はほとんど死んだらしいけど。

 この人はこのようにとにもかくにも戦闘のエピソードが多い人です。九州での戦いから朝鮮の役までともかくいっぱい。特に朝鮮出兵では寡兵にて何度も朝鮮軍を撃退し、最終的には朝鮮軍の名将李舜臣も討ち取っており、そのあまりの活躍ぶりに朝鮮の歴史でも「シーマンズ」という名が残り、長い間恐れられたらしいです。
 ただ晩年にはボケてしまったらしいですが、家臣が「殿、戦ですぞ」と言うと、目の色変えて鎧を着けだしていたようです。最後の最後まで戦のエピソードです。

 ついでに言及しておくと、何の作品だかは忘れてしまいましたが、芥川龍之介が歴史について考察を書いており、
「朝鮮の歴史では二人の英雄が日本軍の本陣に乗り込み、朝鮮出兵中に総大将の小西行長を撃ったというように記されているが、小西行長は知っての通りにその後に起こった関が原の合戦で敗戦した後に徳川に首をはねられている。このように、二つの国で歴史を一致させるのは非常に難しい」

 と、まるで現在の教科書問題を筆頭とする日韓の歴史問題を見透かしたようなことを書いております。実際に日中についても、片方が自国の歴史で当たり前と思っている事実が無効では全然別にとられていることもあり、表ざたになっている問題などより実際にはずっと大きな誤解がそれぞれに横たわっていると思います。
 あえて私から提言するなら、それぞれのややこしい問題にならない範囲から両国の歴史を一致させていく必要があるのではないかと思います。一例を言うと、中国での革命の父である孫文は中国では一般的に「孫中山(ソンチョンシャン)」と呼ばれていますが、これは孫文が日本に亡命中に近くにあった家の苗字が「中山」さんで、それが気に入って使っていたというらしいです。こんな風に日本とのエピソードが結構あることはあまり日本人も中国人も知りません。

2008年4月19日土曜日

日本経済の効率の話

 結構この関係のネタがたまってきたので、今日あたり一気に放出しようと思います。

 さて経済効率の話ですが、要するに如何に少ないものから多くを生むかという指標のことを効率といいます。日本はGDP、生産高で見るならば世界二位ですが、果たしてその世界二位の価値を生むためにどのような効率を持っているのかを紹介します。

 まず最近何かと話題の環境問題ですが、日本は単位あたりGDPを作るのに必要なエネルギー量の少なさを表す、エネルギー効率という点では世界でもトップクラスです。簡単に調べてみたところ、ちょっと古いデータだと原子力による発電を入れると世界一位、抜くと韓国についで二位です。その要因は言うまでもなく、燃費効率の高い日本の自動車や家電製品が普及しているおかげだといわれています。実際に「不都合な真実」のアル・ゴア元副大統領もこの点で日本を誉めています。在任中は冷たかったくせに。
 以前に紹介した武田邦彦氏もこの点に着目し、日本は二酸化炭素の排出権を他国で買うようなまねをせず、国際会議などでこの効率の良い製品自体に排出権を持たせるべきだと主張しており、私もこの主張を支持します。

 そんな感じで意外に日本はエコな国なのですが、その一方で労働時間についてはあれこれ議論の種になっております。OECD(経済協力開発機構)の調査による労働時間の国際比較を見ると、まずダントツに一人当たりの年間労働時間が高いのは韓国で2006年で2357時間働いています。そして二位はアメリカで1797時間、三位になって日本が現れ1784時間です。
 結構この話をすると周りに驚かれるのですが、日本が一番労働時間が多いと思われている人が多いようで、この三位という順位をなかなか信じてもらえません。ちなみに、韓国には韓国が調査対象に加わって以降はずっと負けており、アメリカには2000年くらいからほとんど差がなくなって2004年以降はずっと負けております。

 これを見せると、「日本人は世界で最も働き者」、というアイデンティティが揺らぐ方も多いです。まぁそんなアイデンティティなんて知ったことはないのですが、この統計にはずっと裏があるといわれております。というのも、カウントされる労働時間というのは雇用側が給料を支払うのを認めている正規の労働時間なだけで、帰宅後の作業やいわゆるサービス残業などは全く含まれていないからです。実際に日本では雇用側が提出した労働時間の平均と、労働者自身に行うインタビュー調査の平均は毎度の如く大きな隔たりがあり、決まって後者の方が多くなります。
 そのためさきほどのOECDの順位も、韓国までとは行かないまでもアメリカはまず上回っているだろうと言われています。

 そこで今日の話の味噌になりますが、生み出したGDPに対してそれをどれだけ効率よく生んだかという指標こと、「生産性」という指標があります。これはさまざまなものに対して使える指標ですが、その中の一つに労働生産性というものがあり、これは単位あたりの労働力に対してどれだけ効率よく価値を作り出したかというものがあります。
 簡単に説明すると、ピザを作るのに入ったばかりのバイトの人では一時間に十枚しか作れないのに対して、その道30年の達人は一時間に六十枚作ってしまいます。この例だと後者の達人はバイトに対して六倍も労働生産性が高いということになります。

 そこでこの労働生産性をマクロな国際比較がなされたOECDの調査によると、2004年の段階で日本は加盟国中なんと19位にランクインしています。因みにトップからはルクセンブルク、アメリカ、ノルウェーの順番になっています。
 この結果からあれこれネットで調べてみると、日経新聞などは「先進国中最低」だと報じていますが、もし日本が先進国中最低だと日本より下の韓国やロシアは先進国じゃないことになるんだけど、これはどうなのかな。はっきり言わせてもらうと、ちょっと日経さんは偏向報道になるんじゃないかな。

 それはともかくとして、とにもかくにもGDPは二位の癖に労働生産性、つまり働き方の効率は非常に悪いというのは間違いない事実です。そして先に説明した、その計測のために使われる労働時間の統計結果は現実より下回っている可能性が高いことを考慮すると、実際にはもっと低い可能性すらあります。単純に言って、日本人は非効率的に無駄に長く働いているということです。

 なぜこのような結果になるのかについてはあれこれ議論があります。効率や採算の悪い既得利権団体が多いだの、日本全体で競争が歪んでるだの、闇社会に資金が流れ過ぎだの(ロシアほどではないだろうが)。
 私から言えることは、全体での数値であるGDPを如何に上げるかということに議論を尽くすより、こういった効率を上げることのほうが意義はあるのではないか、どうすれば効率が良くなるのかを全体で行えないのかという風に思えます。それこそ、たとえGDPは下がったとしても、この効率が良くなれば国民的にはあまり好きじゃないけど今流行りのQOLことクオリティーオブライフも良くなるのではないか、また効率が上がることによってGDP自体も上がる可能性も多分に含んでいます。しかしこうした議論は未だに私はよく聞きません。

2008年4月18日金曜日

自身への評価について

 人間、国が違えば色々価値観も変わってきます。たとえば一家心中事件などは日本では同情的に報じられることが多いですが、欧米では狂気の沙汰として精神病に分類されます。これなどは日本と欧米の死生観の違いを表すもので、私もルーマニア人の友人と何度も切腹の価値観について議論を取り交わしました。ルーマニア人の彼から見ると、切腹はどう考えてもおかしい、責任の取り方にも何にもならないと常に言っており、この点に他国との死生観の違いがあることは間違いないでしょう。

 その逆に、国が違っても同じ見方がなされる価値観もあります。その代表的な例はずばり、「謙虚」だと私は思っています。そのルーマニア人から自己主張の激しいアメリカ人も、modify、謙虚の英語訳ですがこれは等しく美徳だと母国で見られていると言い、割とグローバルな価値観だと私は考えています。

 しかしその割に、私自身はというと自他共に認めるくらいに自信過剰な性格をプライベートで振舞っています。なにせ、普通に常日頃から自分より賢いやつはほとんどいないと言う位だし。
 ただ、言い訳をするとそれには理由があり、その理由というのも自身を過小にも過大にも評価してはならないという鉄則を持っているからです。ではなぜそんな妙な価値観を持ったのかというと、これは今まで学んだ歴史の逸話が大きく影響しています。

 歴史上、それこそ運がいいだけで権力者になったのもいれば、逆に力があるにもかかわらずほとんど評価されずに悲劇的な末路を終える人間が数多くいました。しかし中には優秀な能力を持っているにもかかわらず、自ら表舞台へ出ることを拒否し、文字通り隠者として世を去った人間もいました。
 一例を出すと日本では上杉謙信がこの例だといわれ、天下を取る実力があったにもかかわらず自ら領国をすすんで広げようとはしませんでした。また中国史ではハクイ、シュクセイという二人の兄弟が王位をお互いに譲り合い、最終的に両方とも国から出て行ったという話もあります。

 こういった話は単体で見るならばそれこそ謙虚で高潔な話だと感心するのですが、よくよく考えてみると結果的にはその謙虚っぷりに振り回されて、周りが結構不幸な目にあっていることも多いです。また細かいエピソードだと、周りから嘱望されているにもかかわらず権力の座に就かず、結果的に暗君がついてその優秀な人間までも誅殺されて国が滅ぶということまであります。

 このような逸話から私が導き出した教訓は、自らを過大評価するのはもとより、過小評価をすれば自らだけでなく周りまでも不幸にしてしまうということでした。そのため、今の自分は全く不得手な分野は人の意見を出来るだけ聞くようにして、逆に自信を持っている分野では強く前に出て意見をするように心がけています。もちろん、得意な分野ですら上には上がいるものです。もしそのような人間が出てきたら、そこは謙虚にその人の意見に従うようにしています。

 とまぁ、こんな風に考えていたらいつの間にか自信過剰な状態になっていました。しかしそれはそれで、「あいつはでかい口を叩いているが、俺だってあいつには負けない」と周りが思ってくれればそれもありかとも思っています。なぜなら、そうすることによって自分より優秀な人間が前に出てくれて、結果的に全体の幸福に繋がっていくのだと思うからです。逆に、自分と比べて大した能力もないのに自分を引きずり下ろそうという人間には、自分だけでなく周りまでも巻き込んでしまうことから絶対に負けまいと心に誓っています。

 結論を言うと、人間は能力に対して分相応に社会で役目を果たすことが、その人にとっても周りに対しても良い結果を生むのだと思います。私自身は自分を優秀かどうかははっきり言ってわかりません。しかし同じステージで出るところまで出て、はっきり敵わないと思う相手や、自分とそう大して能力に差がないと思う人間と会った時点ですっと引こうと思いますし、私自身そうなること願っています。なぜなら、なんだかんだいって権力や責任を背負い込むのは肩が重そうなので、結局のところ、私も隠者でありたいと思っているからです。

2008年4月17日木曜日

後期高齢者医療制度について

 さってさて、えらくニッチな内容を取り扱うことになりました。もしかしたら間違えて書いているかもしれませんから、そのときはゴメンね。

 実は医療問題について、私は去年一年間に友人のT君(通称ツッチー)とともによくしてもらった先生から相当学んだつもりだったのですが、この後期高齢者医療制度についてはすでに成立していたにもかかわらず、全くノーマークでした。別の、廃止すると何度も言われておきながらまだ続いている障害者自立支援法等については相当深い内容まであれこれ話せるのですが、こっちは今のように施行されだしてニュースになってからわかったので、個人的には悔しい思いをしました。

 で、この後期高齢者医療制度ですが、現在把握しているところだと、これまで子供らの世帯に「扶養家族」として保険料の支払いを免除されてきた75歳以上の老人が、この制度によって新たに月々の保険料を支払わねばならなくなったのが肝のようです。しかもあざといことに、今も問題になっている月々に支給される年金から天引き、つまり支払いを拒否することが出来ないということです。

 私自身は、将来の年金や財政の観点から高齢者世代にも多少の負担を受けてもらうことが必要だとは思っていますが、今回の制度のように「75歳以上」という、社会的に弱い世代だけを狙い撃ちにするやり方は好きにはなれません。第一、このような事態を避けるために作られたのが現在も40歳以上に課せられている介護保険制度なのに、そのうえにこのような制度を作るなんてもってのほかです。
 まだこの制度も「60歳以上」、もしくは年金世帯の「65歳以上」というくくりなら私も考えますが、いかにも「死んでくれ」というようなこの年齢範囲は問題でしょう。そんなことより、早く自立支援法も廃止しないといけないのに。