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2008年6月23日月曜日

私が中国語を学んだ理由

 今日は例の上海人からリクエストがあったので、中国語でお送りします。

 很多人常常问我,你为什么学习汉语……

 だめだな、なんだか文字化けする。まぁそういうわけなのでいつもどおりに日本語で書きます。
 まぁ書き出しの文の通り、周りからなぜ中国語を勉強しようと思ったのかよく聞かれます。ただその際の私の返答はいつも決まっていて、「三国志が好きだったから」の一言だけです。大抵の人は、「は?」ってな顔をして、人によっては、もっとこれから需要が増えるとか、将来を見越してとかじゃないのと余計なお世話と言い返したいようなことを言ってきます。

 時系列に沿って言うと、私は小学生の頃から「信長の野望 覇王伝」をやりこむくらいの日本史マニアでした。きっかけは当時に友達が少なく、教室にあった学級文庫の歴史漫画を学校にいる間中ずっと読んでいたからです。なんせ、友達がいないもんだからあの頃は昼休みはずっと席に座って、歴史漫画を読んでいました。なんか絵に描いたような話だな。

 そんなある日、ゴミ捨て場に捨てられていた横山光輝氏作の漫画版「三国志」の一巻と出会いました。堅そうな話だけど、歴史の話だからいっかと持ち帰って読んだのが、私の三国志との出会いでした。当初はそれほどはまらなかったのですが、当時に高校生だった姉が学校の図書館から残りの続きを毎日借りて持ってきてくれたので、全六十巻を読破することができました。もう最期の方の五丈原に至る頃にはすごいはまってて、確かその年のお年玉で「三国志Ⅲ」を買ってました。

 それ以降も中国に対して異様な親近感とともにその歴史に尊敬にも似た気持ちを持つようになっていきました。さらに言うと、今もやっている「世界丸見えテレビ」という番組では当時、レンガを食べて暮らすとかひじで釘を刺すとか、体中に針を刺すとかいうトンデモ超人ときたら、ほぼ間違いなく中国人かインド人が出てきていました。昔から今でもそうですけど、そういうわけのわからないものがとにもかくにも好きなので、子供心に見たあの番組から今でもこの二国が非常に大好きなんだと思います。

 その後、中国語を実際に学び始めましたが、別にこの分野だけに限るわけじゃないですが、私の場合やり始めの頃は非常に成長が遅い傾向があります。中国語でもそうで、最初の二年は全然上達してなかったし、留学奨学生の試験も即効で落ちてました。この辺もいつか解説したいですが、私は敢えてこのような傾向を自らに起こして、大器晩成型に能力を伸ばしています。それが見事に功を奏したのか、今では街で見かける中国人には片っ端から話しかけて、特に発音には非常に力を入れた分、発音に対して褒められることが非常に多いです。

 なので、私は中国語を学んだ理由を必ず三国志からだと答えています。別に何か物をやり始めるのに、大層な理由は必要ないと思いますし、むしろこういった単純な理由の方が人間って動くと思います。こうして文章を書くようになったのだって、昔にあった「サウンドノベルツクール」というゲームでセーブに失敗し、せっかく書こうと思ってた長い話が全部おじゃんになって、それなら紙に書こうと小説を書いたのがきっかけなんですし。

2008年6月21日土曜日

新聞メディアを考える~その五、新聞の個性~

 今日は私個人が今の新聞に足りないと思うものを解説します。結論から言うと、今の日本の新聞には個性がないと思います。

 皆さんはどういう時に新聞を買うのか、まずそれを考えてみてください。恐らく、普通なら何かしら求める情報を得るために買うのだと思います。しかし買った後、自分の知りたいと思う情報が必ずしもその新聞に載ってなかったという経験がないでしょうか。
 私が言いたいのは要するに、今の日本の新聞だと、求める情報と提供されている情報が必ずしも一致しないというのが最大の欠点だと思います。それこそ、スポーツ新聞の場合だとそう言う事はまずありません。野球なり競馬なり、そういった方面に詳しい情報を載せている新聞はたくさんあり、購読者もそういった情報を求めてその新聞を選んで買います。ほかにも日経新聞をはじめとする経済新聞も同じで、これも経済関係の情報なら必ず載せられているので、サラリーマンならまず必携になってきます。

 それに対し、全国紙の場合はどうでしょうか。確かに社説の論調で言うなら朝日、毎日が左寄り、読売、産経が右寄りと言われていますが、その取り扱う内容にはほとんど違いが見出せないと思います。それこそ、新聞の1~3面までに載っている記事なんて、どこも変わらないのが実情でしょう。
 私が今の新聞に対して求めたいのは、少なくとも「この分野には強いぞ」というような、個性が欲しいです。たとえばほかの新聞に比べて紙面における政治に関する記事が多いとか、他の新聞にはない小説なりエッセイの連載をやっているとか、そういったような個性です。

 現状では4コマ漫画や毎週の決められた曜日におけるエッセイが各新聞で連載されていますが、私が期待して読むのは朝日新聞夕刊におけるしりあがり寿氏による「地球防衛家の人々」くらいです。ほかにはと言われても、どっかで連載していた漫画批評のエッセイなんて、これで金がもらえるのかよと思ったほどくだらない内容で、言っちゃ何ですがほとんどの連載は読む気が起きないし、それほど価値がないと思います。

 唯一の例外は日経新聞で、ここは前に連載していた「愛の流刑地」、通称「愛ルケ」は新聞の連載小説としては近年稀に見る大ヒットを起こし、また昔から連載されている各界の著名人による「私の履歴書」など、お家芸の経済面以外でもこういったコンテンツ分野も充実しています。それを反映してか、団塊の世代の集団退職に伴って減ると思われた部数が日経の場合、ここ数年は右肩上りで増えています。
 さらに付け加えると、私のようなチャイナウォッチャーにとって現在でこそ中国経済新聞の「チャイニーズ・ドラゴン新聞」がありますが、以前は毎日中国の情報を載せていたのは日経新聞だけだったので、学者の方々はほぼ間違いなく日経新聞を読んでいました。

 以上のように、「この新聞を買うと、少なくともあの関係の情報は確認できる」、と期待できるようなコンテンツが、今の日本の新聞にとって最も足りていない点だと私は思います。私個人で期待する内容はというと、政治系や海外情報に充実した内容が欲しいところです。
 ちなみに、今回解説した内容はそのままブログの運営にも当てはまると思います。特にブログはネット上に無数にある中で固定した読者を得なければならないので、やはり期待されるコンテンツをしっかり持つことが重要になってくるでしょう。私のこの陽月秘話の場合は、

 ・ほかでは絶対にやってなさそうな情報や解説
 ・通常より、やや難しい中から上級者向けのニュース解説
 ・難しい内容でも可能な限りわかりやすく書く私の文章力

 以上の三つを柱に据えています。よく友人から、「ブログの内容が難しすぎてわからないんだけど」と言われることがありますが、決して苦に思う必要はないと思います。時たま、やりすぎたと私も難易度に対して思う時があります。
 しかし驚くくらいに今の日本のメディア界ではこういった、難しい内容の解説がないのが現状です。誰でもわかりやすい内容だけを書くのも必要でしょうが、自らの知識欲に満足できない人に向けて、今日も明日も私は書くのです。昨日は上海人に召集食らって休んだけど……。

2008年6月19日木曜日

新聞メディアを考える ~その四、新聞の特性~

 早いもので今回の連載も四本目。そこで今回は新聞が持つ、他のメディアに無い特性について語ろうと思います。どうでもいいですが、今ちょっとアニメ版、「ヒカルの碁」で使われた曲を聞いています。あまり知られて無いけど、いい曲が非常に多いです。なお、「ヒカルの碁」は何でも今ロシアで大ヒットしており、「ГО(ゴー)」と入力したら引っかかると前に聞きました。

 そんなくだらない話はいいとして、まずほかのメディアの特性ですが、インターネットは言うまでも無く情報量の多さと検索の早さで、テレビは音と画像の同時提供とリアルタイム放送があります。これらに対して新聞はどんな特性を持つかというと、まずあげられるのは「見出し」だと私は思います。
 これはうちの親父の受け売りですが、「見出しというのは一行の言葉でニュース内容を読者に理解させるもので、作ろうと思ってもなかなか作れない玄人芸だ」と言ってましたが、実際その通りだと思います。テレビやネットのニュースに対して、ざらっと情報を見渡す、それこそ何か気になるニュースはないかと探す時間だと新聞が圧倒的に短いと思います。この点は手放しで新聞を褒められる点です。なお、最近私が気に入った見出しは巨人のクルーン投手が試合で乱調だった次の日の朝日新聞のスポーツ欄で、「荒れクルーン」と書かれた見出しです。

 この見出しともうひとつ、見逃せない新聞の特性というのが、情報の編集です。
 本当は別に1コーナー儲けて解説をしたいのですが、ネットが始まってから「情報に強い人間」という定義が私の中では変わりました。始まるまでは文字通り、「どれだけ大量に情報を持っているか」だったのですが、ネットの検索機能が強化されたあたりから、「どれだけ情報を整理できるか」が、情報に対して強い弱いを決まるようになったと思います。

 たとえば、今かまびすしい死刑に対する賛否問題ですが、ネットで検索をかければそれこそ賛成派だろうが反対派だろうが、どちらにとっても都合のよい意見を収集できるはずですし、その量にも大差はないと思います。しかし、普通の人にとってその死刑に関する意見や情報のすべてをネット上で眺め回すことなぞ、時間的にも物理的にもほぼ不可能に近いです。そこでは如何に効率よく、信用度や説得力のある意見を見つけられるかが問われるようになって来ます。私が言いたいのはこういうことで、ネット時代の到来と共に情報とは不足するものから過多なものへと化しました。その時代の情報人の必要とされる能力は記憶力ではなく、情報の収集や分析技能だと私は考えているのです。

 そんな前置きはよしといて新聞の編集という特性ですが、基本的にほとんどすべての情報は新聞社に一旦集められこそしますが、そこで記者によって必要な情報か、重要な上であるかを判断する編集作業というふるいにかけられて、くだらない情報はそぎ落とされてから(私などはこの過程を「スクリーニング」と呼びます)私たちの元へと届けられます。これによって読者がどんな点で得するかというと、まずくだらない情報を掴まされる事がなくなります。それこそ誤報に至っては掴まされたら大事ですが、ネットで適当に見ているとやっぱりそういう情報も少なからずあります。しかし新聞はその点、発行部数に関わるのでそういった信用度の低い情報は切り捨ててくれます、たまにのっける事はあるけど。また、見るだけ時間の無駄な情報も切り捨てられるので、効率よく情報を得られる上にその逆の、同じ意見でも説得力のある有効な意見も選んで載せるというのも、編集の作業のひとつでもあります。

 現在まであれこれ批判はありますが、少なくとも現状でこの編集能力が高いメディアは新聞でしょう。まぁ現在はあれこれ問題は抱えていますが、少なくともこの「見出し」と「編集」は新聞の特性と言ってもよいと思います。しかし、私から見て現在の新聞社はこの他のメディアに勝るこの二つの特性を使い切れていない気がします。次回は、「新聞会社もこうすりゃいいのに」、と私が思う点を紹介します。

2008年6月18日水曜日

日本の猫の目農政

 今日になってようやく日中が東シナ海のガス田開発を共同で行う旨を政府が発表しました。まぁなんというか、少なくとも嘘をつかずに済んでよかったです。

 さて今日は新聞メディアの連載をちょっと休んで、日本の農政について書こうと思います。まずタイトルの「猫の目農政」ですが、これはコロコロと変わる日本の農業政策を揶揄して言われている言葉です。
 実際に日本の農政の方針は何度も変わっています。古くは米の流通自由化からですが、ちょっと今回の改正は致命的なところもあるのでその辺を詳しく説明します。

 まず、大体2000年に入ったあたりでしょうか、何を思ったか農林省は、「日本の農業は土地規模の少ない零細な農家が多い。これらを統合して大規模集団農家にすれば、きっと効率が上がるはず」と言い出しました。当時にうちの親父なんか、「これからは農業も企業がやる時代だ」と言ってましたが、年をとってから私が思うのは、何をそんな適当な事をという事だけです。

 この、「農業の企業集団化」というのは要するに、近くの農家同士で一つの経営団体を作り、農産物をつくって行くという事です。たとえば、2ヘクタールの土地を持つAさんと、3ヘクタールの土地を持つ隣のBさんが共同で農業をやっていくと役所に届け出て、それ以降は二つあわせて5ヘクタールの土地を使い、それまで別々に作っていた大根を一緒に作る……というような具合です。政府の言い分だと、大きな土地を集団で耕すのだから生産量も増えるはず。しかも集団で集まるのでまとまった資金も使えるようになり、トラクターなどの農業用器具も購入できるようになりみんなで万々歳だ、といってました。

 そして大体二年位前からこの政策を実行に移して行きました。具体的にはこの農業を集団化する事を届けた場合、税制などの優遇するなどのエサをぶら下げ、農家の方々に自発的に集団化する事を誘導しました。しかし結果はというと、詳しくは調べてはいませんが伝え聞くところによると、全然届出がないらしいです。そして実際に集団化したところも、生産量にあまり変化が無いというらしいです。

 それもそのはずです。農業というのは農家の方のモチベーション、つまり「やる気」が非常に大きな影響を及ぼす労働だからです。私自身農業を行っていないので強くは言えないのですが、やはり非常に体力のいる作業だと言われております。それでも、その労働が自分の収入に直結するなら、耕しているのが自分の土地ならば、といったやる気によって、生産量が大きく変わると言われています。実際に日本でも戦後のGHQの農地改革の際、それまで小作人ばかりであった日本の農家を土地を安く買い与えて自作農家に変えた事によって、飛躍的に生産量が伸びています。また中国でも作った作物が一時的に全部政府に取られていた共産主義経済時代に比べ、自由主義経済になり、一定量の作物を納めた残りは自由に売ってもよいという「生産責任制」を導入して以降に生産量が増加しています。

 それが今回の集団化を行ってしまうと、やはり名義上は自分の土地ではなくなるのですからやる気も失せて当然です。さらに生産効率の面でも、日本人は土地が少ない分これまで熱心に狭い土地を耕作してきており、単位面積あたりの生産効率は世界でもトップクラスだと言われていますし、私もそう思っております。いわば、生産効率がほぼ限界に近いまで上にいるのに、日本より生産効率が全然低い、アメリカのやっているような農業の集団化を行ってどうして生産効率が上がるのか、非常に疑問です。

 そんなんだからこの農家の集団化は失敗に終わりそうです。そうして失敗が見えてきた最近になり農水省は、「やっぱ、今のナシね」と言い出しました。何が不幸かというと、すでにタッグを組んで集団化をやっている農家の方々です。
 なにも農政に限るわけじゃないですが、日本の政策はそれこそまるで猫の目の如く、コロコロ変えられてしまう政策が多すぎます。今回の高齢者医療制度も始まるや否や改正やら廃棄やら言い出す始末ですし、もう少し原則と言うものを持つべきでしょう。今度は医療の方でもやろうかな、この問題。

2008年6月17日火曜日

新聞メディアを考える ~その三、新聞社とテレビ局の関係~

 まず最初に昨日の記事の続きです。日中が東シナ海のガス田開発を共同で行うとした朝日新聞の報道ですが、調べてみると産経も同様に報じていたようです。どちらにしろ現在まで政府発表はなく、その他のメディアもまだ続報を流していません。本当だったら両紙ともに大スクープと見ていいでしょう。

 そんなんで本題ですが、今日は新聞社とテレビ局の関係です。最初に言っておきますが、別に私はマスコミ業界の人間でもなんでもなく、これまでの連載記事はともかく今日はあくまで一般人の目から適当なことを言うと思いますので、そこら辺をどうか了解してください。

 以前にも少し書きましたが、日本で地上波テレビの放送免許を得る際にはニュースソースを持たなくては免許がもらえません。そのため、基本的にはどのテレビ局系列も提携している新聞社があり、株式も持ち合われているために実質同じグループ企業として扱われることが多いです。いちいち挙げなくともいいと思いますが、主なテレビ局とその提携している新聞社のリストは以下の通りです。

・テレビ朝日:朝日新聞 ・日本テレビ:読売新聞 ・フジテレビ:産経新聞
・TBS  :毎日新聞 ・テレビ東京、大阪テレビ:日経新聞

 その他地方局は地方局で地方新聞と提携していることが多いです。先に言っておくと、この中で異彩を放つのはやはりテレビ東京:日経新聞のタッグです。よく2ちゃんねるではどんな大事件が起こっても特番を放送しないといって持て囃されるテレ東ですが、ただ単にほかのテレビ局と比べて予算がなくて特番が作れないだけです。さらに言うとこの局は少ない予算でどうにか番組を作らなくてはいけないので、放送する洋画は大抵B級映画で(それがいいんだけど)、制作費がほとんど掛からないためにアニメをどんどん製作しています。皮肉な話ですが、今の日本のアニメ文化はテレ東、ひいては日経新聞によって支えられているといっても過言じゃないでしょう。

 話は本題に戻りますが、このように新聞社とテレビ局は傍目にも密接な関係にあるといえます。特に日テレと読売新聞はもはや同会社といってもいいくらいに距離が近いと言われ、しばしばその弊害が指摘されます。というのも、これは学者などが批判している点ですが、日本はこのようにメディアの違うマスコミ同士が提携しあっているため、お互いの恥を隠しあってしまうと言われています。これは特に日本で顕著だといわれる点でもあります。

 そのお互いの恥を隠すという代表的な事例を挙げると、私が覚えているのは数年前にあるテレビ局のアナウンサーが不祥事を起こした際、どのテレビ局、新聞社も事実を報道するだけにとどまり、敢えて深く追求しませんでした。これは何故かというと、どこの局にもすねに傷を抱えたアナウンサーを抱えており、深く追求しすぎるとすぐに逆襲に遭うのをお互いに恐れたためだと雑誌メディアに指摘されています。またこのような両メディア全体に限らなくとも、新聞社で起こった不祥事をその系列テレビは報じず、その逆のテレビの不祥事を系列新聞社が報じない例などたくさんあります。このように、新聞とテレビの両メディアの密接な関係に対してジャーナリズムの精神が貶められていると昔から言われています。

 しかし、私はちょっと違う見方を持っています。その一例となるのは例の「亀田事件」で、亀田大毅が内藤選手とのボクシングの試合にて反則行為を連発した試合後、ほとんどのメディアがこれまで亀田家を異様に応援してきたTBSが彼らを助長させてしまったと批判しました。するとその際、なんと系列の毎日新聞までもが、「TBSが悪い」と書き、「毎日よ、お前もか」とあちこちで言われました。
 まぁこの事件はそれほど影響が強かったといえばそれまでなのですが、実は私は世間で言われているほど新聞社とテレビ局の関係は密接ではないのではないかと思います。前にもちょっと書きましたが、規制で守られているテレビ局に比べて、新聞社は何にも守られてなく非常に経営が危うくなっているそうです。伝え聞くところによると、そんな待遇の差に結構新聞社で働く人なんかは気が気でない人もいると聞きます。

 それでも、新聞社からテレビ局、もしくはその逆で社員などはよく異動するということから、並みの会社と比べれば相当に近い関係だと言えるでしょう。
 私から言えることは、やっぱりどっちを向いても独自性がないというのは、メディアとしては致命的な気がします。テレビも新聞も、果てにはどのマスコミも同じニュースをまとめて流すのでは、そりゃみんな見やすいテレビやネットに流れるでしょう。また皮肉を言いますが、かえってこの両メディアの関係が新聞社本体の心臓に釘を刺しているんじゃないかと思います。そんなわけで、次は新聞の独自性について書こうかな。

2008年6月16日月曜日

日中ガス田共同開発のニュース

 ネットでのニュースではまだ流れておらず、細かく他紙で確認はとっていないのですが、本日の朝日新聞の夕刊にて、今週中にも日中両政府は日中国境線沿いにあるガス田の共同開発を行うことを発表すると報道されていました。もしこれが事実なら、朝日のスクープですね。

 日中ガス田問題については今月の初めに「東シナ海ガス田問題における日中の駆け引き」(http://imogayu.blogspot.com/2008/06/blog-post_02.html)の記事の中で言及していましたが、今回の結果は私にとって、非常に残念な結果だと言わざるを得ません。といっても、現首相が福田首相で、この前の胡錦濤氏の来日があった時点でこうなる事はうすうすわかっていました。
 すでに言いたいことは前回の記事にて全部書いていましたが、いざ改めて現実になると、なんとはなくかくことが見当たらないですね。それにしても、誰が喜ぶんだろうこの決定……。

2008年6月15日日曜日

新聞メディアを考える ~その二、新聞の実力~

 この連載を始めた昨日の今日で、今朝に毎日新聞が北海道地方での夕刊の配送をやめるというニュースが入ってきました。毎日は相当経営が苦しいとは聞いてはいましたが、ここまでとは思っていませんでした。

 そんなわけで、今日も前回に引き続き新聞メディアについて考察して行こうと思います。今回は新聞の実力についてです。
 現在、主要メディアとしては新聞以外にネット、テレビ、雑誌、ラジオ、マイナーどころでは無線や回覧板もありますが、そのうち新聞とネットとテレビと雑誌の四つを項目ごとに比較してみようと思います。まずは速報性ですが、それは以下の通りです。

 ・速報性
テレビ>ネット>新聞>雑誌

 恐らく、「ネットの方が速報性については早いのでは?」と考える人もおられるかと思いますが、私は確実にテレビの方が早いと思います。というのも、ネットで出回るニュースというのはすでに報道されたニュースしかありません。なぜならネット媒体は独自の取材機関がないため、ニュースを取材するテレビや新聞が報じて初めてネットにも情報が流れるので、必然的に、テレビ>ネット、となるでしょう。たとえば今回の東北地方の大地震のような大事件であろうとも、まず最初にテレビが報じてからネットも反応を示します。後の順番について、特に言及するまでもないでしょう。

 次に、取材力について比較しますが、それは以下の通りです。

 ・取材力
新聞=テレビ>雑誌>>>ネット


 ちょっとこれには悩みましたが、以上のような図になると思います。まず新聞とテレビが同じだと書きましたが、日本でテレビなどの放送免許を取得する際に、ニュースを提供する報道機関を持たなくてはなりません。この規定が日本でテレビ局と新聞社が同じマスメディアであるにも関わらず癒着を強めている原因だと非難する声が大きいのですが、これについてはまた今度考察します。ただひとまず言えることは、基本的にテレビニュースで流れる内容は仲間の新聞社から提供を受けた情報です。しかし中にはテレビ局が独自に集めた情報もあり、逆に新聞にしか載らない情報もあるので、ひとまず等号で結びました。
 その次の雑誌メディアについては、これはテレビによく出る勝谷誠彦氏が口をすっぱくしていっていますが、記者クラブに入れないのが大きく、敢えてテレビと新聞の下に置きました。記者クラブについては、ウィキペディアかなんかで調べてください。そして最後のネットについては言わずもがな、取材機関すらないので論外です。

 で、今度は娯楽性です。用はどんだけ読んでて面白いかってことで、それは以下の通りです。

 ・娯楽性
ネット≧テレビ>雑誌>新聞


 これもちょっと悩みましたが、最近テレビの視聴率がネットに食われているという話を聞くので、敢えてこの順番にしてみました。後は言うまでもなく、恐らく今の日本人にとって新聞は「お堅い」というイメージが強く、娯楽で読むなら雑誌の方が高いのではないかとして、こうしました。最近で新聞連載の小説で売れたのも、「愛の流刑地」くらいだし。なお、今回は一般紙を対象にしているため、スポーツ新聞は除外しています。あれ入れたら雑誌よりは上に行くかもね。

 次に、評論力について考えます。これはそのメディアが特定のニュースについてその内容の評価や次に起こるであろう事態を予想できるかで、ある意味メディアの心臓ともいえるべき部分です。例を出すなら、今後の国会予想とか、殺人事件の犯人探しについてなどです。

 ・評論力
雑誌>テレビ>新聞>ネット

 これは多少私の好みが入っているかもしれませんが、これくらいの順番かと思います。もちろん、批判は甘んじて受けるつもりでやってます。
 まず一位の雑誌ですが、なんだかんだ言ってこの分野ではピカ一だと思います。ほかのメディアと比べて速報性に優れないという欠点から情報を整理、分析することに特化した結果がこの長所でしょう。経済専門誌はもとより、私の愛読している文芸春秋や中央公論といった総合誌、芸能や犯罪ニュースについてあれこれ検証する写真週刊誌など、雑多な情報も多いですが状況に応じて雑誌を手に取ることがニュースを考えるのに最も良い方法だと私は思います。
 恐らくこう書くと、「新聞の社説を舐め過ぎじゃないか?」という指摘も来るかと思いますが、私がここ半年くらいで、「なるほど、こんな見方もあるのか」と思わせられたような社説にはついぞ出会えませんでした。というのも、各社揃い踏みで似たような内容ばかり、その上事態の上っ面しか書かれていないことが多く、深く内容を見通すには物足りないものばかりです。それならばテレビにて専門家の討論番組など見ている方が参考になることが多いです。ちなみに、私がよく見ているのはNHKの毎日11時半からやっている、「ニュース&スポーツ」の解説部です。単体で見るなら一番ここが参考になる情報が多いメディアです。
 ネットについて言えば確かに中にはいい評論もありますが、いかんせんその他の雑多な情報が多すぎて、要らない情報かどうかを峻別する作業を考えたら、やっぱり最低になるんじゃないかと思います。

 最後に、情報量について比較します。これも言うまでもなく、そのメディアがどれだけ情報をカバーできるかという点です。

 ・情報量
ネット>>>テレビ>新聞>雑誌


 これも、悩んだ末の順番です。まず一位のネットは言うまでもありません。グーグルで検索かけたら関連情報なんてアリのごとく出てきますし、掲示板を除けばニュースに対する反応まですぐに得られます。そしてその後の順番ですが、最近じゃ夕方のテレビニュースでもあれこれ特集するし、今回の地震の報道のようにもライブ中継を行えることを考えれば、テレビの方が新聞より情報量は上かと考えました。ま、雑誌に関して言えば、やっぱりページ数の都合もあることなので。

 以上のような感じで、比較を終えます。こうして比較してみると、まず新興メディアのネットは取材力という点では無に等しいものの、情報量ではダントツであることが目立ちます。それに対して今回槍玉に挙げている新聞はというと、取材力ではトップであるものの、ほかの分野では下位に収まっていることが多いです。雑誌も同様に評論力のみが高く、テレビは比較的どれも上位に入っているような感じです。まぁこんな感じで、次回の記事に繋げていきます。