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2008年6月26日木曜日

新聞メディアを考える~最終回、今後の予想~

 予告どおり、今回がこの連載の最期の投稿です。最期なのでこれまでを振り返りつつ、今後に起こりうる変化について予想します。

 まず、何度も言っていますが現在の新聞社は非常に厳しい経営を迫られています。そのことについて最初の投稿にて、
「よく巷では、日本のメディアは規制に守られていると考える人が多いのですが、マスコミ関係に勤務するある知人の話のよると、確かにテレビメディアは守られているが新聞メディアはそうでもない、と言っていました。それでも私は新聞メディアは他の業界に比べて守られている気がします」
 と書きましたが、この時に私が言おうとした日本の新聞メディアを守っている規制と言うのは、知っている方も多いでしょうが「記者クラブ」です。

 本当はこの記者クラブで一回分記事を書いてもいいのですが簡単にまとめると、日本の官公庁の記者会見による発表の際、この記者クラブという業界団体に加盟してないと、取材はおろか会見場に入ることすら許されないのです。この記者クラブに入れるのはそれこそ新聞、テレビの主要メディアだけで、雑誌メディアなどは目の敵のように追い出されるらしく、これは大メディアによるいじめだと、元週刊文春の記者で今はテレビのコメンテーターをやっている勝谷誠彦氏がよく吠えています。

 しかし実際に、この制度ほどおかしいものはありません。よくマスメディアは「知る権利」を主張して国に情報開示を迫りますが、そのマスメディア自体が業界団体を作り、新参メディアを排除して情報を独占しているのは言い繕えようのない矛盾でしょう。そしてもうひとつのこの制度の欠陥が、現在の日本のマスメディアはニュースを獲得するのに、官公庁発表に頼りきっているという点も見逃せません。

 それこそ犯罪事件の捜査状況などは警察に頼るほかなく、警察に嫌われまいとマスコミは警察の悪いニュースはあまり報道したがらないという憶測さえ飛び交っています。実際に、警察内部の裏金問題を暴露した北海道新聞はその後、道警から情報をもらえなくなったとまで言われています。そして五回目の連載にて書いたように、情報ソースが一緒で同じ発表をみんなで報道するもんだから、各新聞社の紙面が横並びに同じ記事になってしまうという弊害もあります。どう贔屓目に見たって、この記者クラブにいいところなんて見つかりません。

 そういうわけで欠陥を抱えまくって経営も苦しいのに、何故未だに新聞社が会社として成り立つかですが、その理由は恐らく、現段階で情報を入手するまともな取材機関を持つのが新聞くらいだからでしょう。もっとも、対抗馬のテレビメディアも取材機関を持っていますが、三回目の連載で書いたように新聞社と一体な所があるので、敢えてここでは区別しません。

 ネットの情報も、基本はこの新聞社の取材機関が取ってきた情報を元にあれこれ出回ります。かつて、確か三年くらい前だと思いますが、韓国で成功した、ネットユーザーから情報を募り報道するというネット専門のニュースサイトが日本でも発足した際、「2ちゃんねる」管理人の西村氏がそのレセプションにて、「きっとこの手の商売は成り立たないと思う」と、発言しました。その理由というのも、ネットユーザーからの情報は自発的な投稿に頼るほかなく、給料をもらって情報をとってくる連中に敵うはずがないというものからでしたが、その予想は的中したのか、その後このネットニュースサイトの続報は私は見たことがありません。

 なんだかんだいって、日本に流れる情報の大半は新聞記者が取ってきた情報です。この状態が続く限り二、三社は潰れるとしても、新聞社がなくなるということはないと思います。逆を言えば、先ほど言及した記者クラブがなくなり、新参メディア、それこそインターネット会社とかが自前でまともな取材機関を持った時というのが、本格的に新聞メディアが死ぬ日だと思います。

 そして何より、現在の日本の新聞社は企業として大きくなり過ぎています。世界の主要新聞と比べても、発行部数ばかりでかくて権威は全く及びません。そして今、その大きくなりすぎたつけとして経営が圧迫されているのだと思います。
 今後日本の新聞社が取り得る選択肢としてまず挙がるのが、社員の大幅なリストラです。この際、現在の半分以下にした方がいいと思います。
 次に、メディアの鞍替えです。この際新聞という媒体から、お仲間のテレビに取材機関を移してやってく方が賢いかもしれません。どうせテレビメディアは規制に守られてて、法外な給料をもらっているらしいし。

 最初にも書きましたが、現段階でいうなら新聞は死ぬメディアです。そして私個人的にはかつて娯楽がラジオからテレビへと移ったように、この新聞メディアを殺す新たなメディアがこれからでてくるのではないかと思います。それこそ今の雑誌メディアかもしれませんしネットメディアかもしれません。どちらにしろ、新聞で主な情報を得るという時代は遅かれ早かれ、もしかしたらすでに過ぎているのかもしれません。

2008年6月25日水曜日

最近の日本の文化について

 今日は涼しいから調子が良くて四本目の投稿。どれも短いしね。

 さて今回の内容は以前にも個人的なエッセイに書いた内容なのですが、このところの日本の文化についてちょっと私は思うところがあります。結論から言って、暗い。全体的に内容が暗いし、おまけにつまらないものばかり。代表例は携帯小説でドラッグ、レイプ、暴力の三つがあれば何でも許されるのが不思議でしょうがない。
 私個人としては、やはり社会全体が活力を取り戻すには希望に満ちた、明るい文化が必要だと思います。それこそ歌でもいいし、小説でもいい。この際、漫画やアニメでもいいのですが、どうもどれも暗いものばかり。その中でも個人的に気に入っているのは、今もジャンプで連載中の「アイシールド21」という漫画。一時は全くと言っていいほどなかったスポ根漫画で、久々の大ヒットを作ったこの作品ですが、読んでて元気になってくるのは最近だとこれくらいです。今問題になっているけど、「金色のガッシュ」も同様です。

 小説だと最近じゃ一時代を築くような、誰もが読んで知っているような作品がないのが致命的です。かく言う私も最近はほとんど読まず、なんか「阿Q正伝」とか「若きウェルテルの悩み」など古典を読んでます。元々私は小説書きだったのでこの現状を残念だと感じることが最近特に多くなりました。
 特にこのところはブログで書く文量が数年ぶりに増えてきているので、またなにか小説でも書こうかと思う余裕がこのところあります。書いたらどうしようかな、ホームページで公開でもしようかな。

小中学校で教えるべき内容

 去年友人のツッチーと一緒に受けていた授業にて、ある日こんな発言が出てきました。
「……というより、本当はこの日本の国民皆保険制度や年金制度の仕組みとか、小学校や中学校で教えるべきなのでは」
 この発言に、思わず私も頷きました。

 恐らく、今のようにあれこれ問題が顕在化するまで、日本の年金がどのような制度で、誰によって運用されているのかきちんと理解していたのは国民の5%にも満たなかったと思います。幸いと言うか、問題が顕在化してからはテレビ番組などがあれこれ特集を組んだので、ひとまず理解は広がったと思います。しかしその一方、今度はこっちが問題化してきた健康保険制度については、多分全体の骨格すらわからないどころか、他の国ではどのように医療制度を作っているのか比較までできる人となると皆無に近いでしょう。

 どちらも、日本の社会で生きる上では本来知っておくべき制度で、子供とはいえ早いうちにその中身を教えておくべきだと言うのが先ほどの発言です。言われてみると、なんだかんだいってこういった大事な中身は今の今まで人に教わらず、大抵自分が本などで調べた内容だとこのとき私も気がつきました。

 私が覚えている中で、小中学校で社会知識として教えられた内容と言うのはまずクレジットカードやクーリングオフといった制度が思い浮かんできました。どちらも、90年前後に自己破産者が急増したことにたいする対策でしょう。それ以外に私が教わった変り種として、株式会社の制度と株取引の中身くらいかな。

 こうして考えてみると、社会で生きていくのに必要な知識は意外と学校で教えられていない気がします。学校と言うと算数や国語を教える場所と言う定義がすぐ出てきますが、本来は社会生活に順応できるように教育する場所のはずで、算数や国語はあくまでその中のひとつの手段に過ぎません。それこそ、今も問題となっている保険や年金はもとより、銀行などの金融機関での振込み支払いのやり方、やたら細かい印鑑の使い方などなど。そして今では何よりもインターネットの使い方を教え込む必要があるでしょう。違法サイトはもとより、情報の検索の仕方、ネットショッピングの仕方、あ、あと電子マネーとかもあるな。

 このところは学問の教育レベルの問題ばかり議論されていますが、元に戻って、こうした社会訓練の分野においても教育議論というものが必要だと最近感じます。私なんて私立の中学校にいたもんだから中には世間知らずも多くて、「七福神ってなに?」って、真顔で聞いてきた友人もいました。

一家心中、大量殺人事件続発について

 昨日、千葉県柏市にて老齢の男性が一家の人間を四人も殺害する事件が起きました。男性には知的障害があり一概に心中事件とは言えないのですが、どうもこの手の一人で何人も殺害すると言う事件がこのところ続発しているように思えます。もちろん正式な統計を見たわけではなく不確実なのですが、こういった事件が表沙汰になる件数が増えているのは間違いないので、ちょっとその辺について書こうと思います。

 まず一家心中ですが、確か去年にも中学、小学生の子供と心中しようと父親が凶刃を振るった事件があり、それ以外でも何度かこういった事件がこの一年でよく起きています。また、心中とは違った一人の人間による大量殺人事件も、今回の秋葉原通り魔事件を筆頭に、主に若い世代の男性によって何件か起きています。

 こういった事件の背景について私見ながらいくつか意見を出してもらうと、いわゆる格差が目に見えてはっきりしてきたのが一つの原因になったのかと思います。これは社会学を習った人間なら誰でも知っている内容ですが、19世紀にデュルケイムというちょっぴり暗そうなフランス人が「自殺論」という本で、自殺は景気の不況期に増加すると思われがちだが、好況期にも増加する傾向があると証明しました。実際に今の日本は表向きは数年前と比べるとよっぽど景気がいいのですが、自殺者の数は一向に減少する気配はありません。

 なぜ好況期にも自殺が増えるかと言うと、単純に言って、人間と言うのはみんなで苦労している間はそんなに不満は感じないのですが、何人かが羽振りがいいのを見ると、以前と同じ苦労をしているにもかかわらず不満が大きくなると言う、比較の心理がそうさせるようです。それこそ、2000年代初期のデフレ不況下では日本はどっちを向いても景気が悪かったのであまり大きな問題にはならなかったものの、このところは一部では景気が良くなってしまい、よくならなかった側の人間からすると前よりは幾分楽になったと言えども、なんとなく気持ちは素直になれないというような感じです。

 特に、私が警戒しているのはある言葉の変化です。それまで職に就かず職業訓練も受けない若者、つまりニートのことを「無気力な若者」と呼んでいたのが、ここ一年くらいで「現状に不満を抱く若者」という言葉に置き換わっている気がします。この言葉の変化がどういったところから来ているのか、また本当にそう変わっているのかまでは検証しませんが、なにかしらこういった気配を私は感じています。
 実際に、2004年の段階で現状を危惧する内容の記事を読んだことがあります。誰かは忘れたのですが、現在ニートとなって親の庇護下で生きている若者は将来親が年をとって庇護することができなくなった時が非常に危険だといい、その記事が出る少し前に起きた、「自分にも親にも将来がないことがわかっていたから」と言って、ニートの若者が両親を殺害した事件が今後も増えると予想していました。

 一家心中と若者の大量殺人、近いようで意外に問題の原点は近い気がします。しかしそれにしても皮肉なものと言うか、そこまで若者を追い詰めた景気の悪さが、良くなるとともに顕在化するというのも。

グッドウィル廃業のニュースについて

 このブログでも何でも取り上げてきましたが、とうとうグッドウィルが廃業することを正式に発表しました。詳しくは「グッドウィル支店長逮捕事件について(http://imogayu.blogspot.com/2008/06/blog-post_05.html)」に書いてありますが、一部不透明な動きがマスコミなどであまり議論されなかったのが残念です。

 それと、確か先週の日曜あたりの朝日新聞朝刊に、人材派遣会社が集まってできた組合が一面カラーで意見広告を出していました。内容は「長期雇用を増進させるために努力する」とか、「職の安定に寄与します」など白々しい内容が書かれていましたが、今回のこのグッドウィルの事件で摘発理由となった「二重派遣」について何も書かれていないのは正直、どうかと思いました。今回の事件でこの問題が尻切れトンボにならないことを祈っています。

2008年6月24日火曜日

新聞メディアを考える~その六、新聞社の経営~

 今日はちょっと疲労気味なので、短くまとめて、信長の野望で真田家で天下を狙いたいと思います。いやね、この前長野の真田家の居城である上田城を見てきてまたやりたくなっちゃってさ。

 さて今回は新聞社の経営についてですが、特に専門的にこの分野を学んだというわけではないので、あくまで私の理解の中の話だと了解して読んでください。
 新聞社の経営について、わかっている人はわかっていますが、その収入の半分以上は広告料です。一ヶ月当たりの新聞購読料は4000円くらいですが、これらはほとんど収入にならず、スポンサーが紙面に載せる広告料が主な収入源となっております。そのため、スポンサーである広告主を集めてくる広告代理店に新聞社は逆らえなくなっているのが今の日本のマスコミ界の最大の問題と言われ、しばしば非難される点でもありますがそれはまた今度にやるとして、とにもかくにも新聞の広告料が新聞社の生命線となっています。

 ちなみに少し話は脱線しますが、新聞社の経営というのは一般的にも非常に難しいといわれています。それこそ明治の初めの頃はいろんな人が新聞を出していましたがみんな失敗してます。一例を挙げると首相にもなった西園寺公望は主筆に幸徳秋水を迎えてやってましたが失敗し、また当時から知名度の高かった福沢諭吉も失敗してます。なおその当時の経営も購読料よりは広告費に頼る傾向が強かったようです。

 そんなんで現代の新聞経営では広告が大事なので、基本的に大きなスポンサーには逆らえないとも言われております。それがたとえ、そのスポンサーとなっている会社が社会的に大きな影響を及ぼす事件を起こしたとしても、黙殺されてしまうとまで言われています。まぁ黙殺とまで行かなくとも、実際に新聞社がスポンサーにプレッシャーを受けているのは間違いなく、以前に書いた「キャノン、御手洗会長の報道について」(http://imogayu.blogspot.com/2008/01/blog-post_21.html)で書いていますが、キャノンと松下が今も問題になっている偽装請負を行っていた(行っている?)事実を朝日新聞が明らかにしたところ、現在に至るまでこの二社の広告が朝日新聞には載らなくなりました。この損失は大きく、朝日ではこれで広告収入が大きく減ったと聞いています。

 しかし、スポンサーになるのは何も会社だけではないようです。ここからがハイレアな情報になりますが、私自身が直接朝日新聞の社員から話を聞いたところ、「今の新聞社を支えているのは、大学だ」と言っていました。というのも、このご時世にもかかわらずカラーで両面広告を出してくれるのはもはや大学だけらしく、事実上大きな広告主となっているからだそうです。実際にこの時期に電車に乗ると、張られている広告にはオープンキャンパスの日程が書かれた大学の広告が目立ちます。恐らく、この情報に間違いはないでしょう。

 ただこの広告費と購読料の割合は新聞社によって多少の差があると言われています。よく言われるのは朝日新聞では広告費の割合が高いのに対して、読売新聞は逆に購読料の割合が高いとされ、それが両紙の新聞の論調に現れているといいます。朝日新聞では企業やそういったものに向けて理念を語るのに対して、読売は一般消費者目線の記事が多いなど、うなずける部分があると私も思います。
 ついでに書くと、読売新聞は公称1000万部の部数があると言っていますが、これも知ってる人には知られてると思いますが、なにも読売新聞に限らず、どの新聞社の部数の半分は「押し紙」といって、印刷された新聞屋の中におかれたまま捨てられるといいます。何故そんな無駄なことをするのかというと、一応刷ったら刷ったで広告主に対して、「この広告は1000万部も届けられています」と言えるので、広告料を引き上げられるからです。この方法はアメリカで新聞王と言われたマードック氏が考案した方法です。

 そうやって広告料をあれこれ新聞社は稼ごうとしているのですが、それでも現在の新聞社はどこも経営が苦しいと言うのは一致しているようです。聞くところによると、ある全国紙の新聞社では広告料と購読料をあわせた新聞販売事業では完全に赤字で、会社の持つ不動産事業でなんとか黒字にこぎつけているところもあるそうです。まぁ会社ってのは潰れそうで潰れないものですしね。

 ただ素人目から言わせもらうと、現代の新聞社はすべからく、企業として大きくなり過ぎていると言えます。何故そんなに社員数を増やしてここまで大規模化したのかというと、単純に報道力高めようとした結果とのことです。何でも日露戦争以降、日本の新聞は社説などの論説からスクープで紙面を埋めるようになり、情報を取るために大きく大きくなり、現在ではその祟り目となって経営を圧迫しているように思えます。
 多分、このまま何かネタが思い浮かばなければ、今度でこの連載も最期です。

2008年6月23日月曜日

大河ドラマについて

 最近カテゴリーが「社会のはなし」ばかりなので、ちょっと別のカテゴリーの補充をしておきます。ついでに近況を書くと、今日買った「ノノノノ」という漫画の二巻、めちゃくちゃ面白かったです。

 今日のYAHOOニュースで知りましたが、今年の大河ドラマ「篤姫」で、今視聴率を押し上げているのが十三代将軍徳川家定役の堺雅人らしいのですが、この人ならさもありなんと思いました。私自身この堺氏が大好きですし、四年前の大河ドラマ「新撰組!!」にて山南敬介役を演じた堺氏の演技がいまだにありありと思い出せます。つうか、出るんだったらもっと早くからだせよなぁ。

 その大河ドラマも来年は「天と地と」で、直江兼次が主役になるそうです。しかし番組の多チャンネル化に伴い、ここ数年の大河ドラマは視聴率が下がりっぱなしと言われています。それで確かこれも四年位前だったと思いますが、友人と話をしている時に、「誰が主役だったら大河ドラマも面白くなるかなぁ」と、相談しあったことがあります。
 その際に私が出したのは、
「足利尊氏役を元若乃花、弟の直義役を元貴乃花に演じさせて、兄弟間の争いを描いたらどうかな」
「視聴率は取れるけど、撮影が途中で中断になるんじゃない」
 と、言い返されました。面白そうだけど。

 そんな感じでなんだかんだと候補を挙げていったのですが、最後になって突然友人がポツリと、
「僕、甲斐宗運だったら必ず全話見るよ」
「俺も、それだったら見るわ」
 と、妙な形で決着がつきました。