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2008年8月22日金曜日

中古ゲーム裁判

 なんかこの前突然思い出したので、ちょっと懐かしい話をします。

 今回のお題の中古ゲーム裁判ですが、それこそ私の若い頃は何度も起こされてよくニュースにも載った話題なのですが、このところは全くといっていいほど取り上げられず、もはや死語となった言葉と言ってもおかしくないでしょう。案の定、この題で検索をかけてみた所、なんと六年も前の記事が一番上に出てきました。

 それで中古ゲーム裁判、これはゲームメーカー側が中古ゲームの販売店らに次々と起こした裁判のことです。何故裁判になったかというと、いちいち説明するまでもありませんが、中古ゲームが出回るとやっぱりメーカー側は売り上げが落ちるからです。たとえばあるゲームを百人がプレイするとします。これが百人全員が新品を買えば百本分の売り上げがメーカー側に転がり込みますが、五十人が新品を買って残りの五十人が最初の五十人が売った中古をプレイしてしまえば、メーカー側には五十本分の売り上げしかこなくなります。

 こんな感じになって困るので、中古ゲーム屋にもう売るなと裁判になったのがこの事例です。私が覚えている主なものだけでもコナミ、KOEI、エニックスなどと老舗メーカーなどがそれぞれ別々に裁判を起こしています。そして販売店の側も各チェーン店ごとにあれこれ訴えられて、私が昔行っていたゲーム屋なんて店内に、「我々は間違っていません」などと、裁判の経過(自分らに都合のいい)を貼り出したりしているところもありました。

 まぁ私も一消費者の立場として、中古ゲーム屋を支持する立場にありました。今でこそ新品価格でも8000円を越えることはありませんが、スーパーファミコンの頃は任天堂が高いロイヤリティを取っていたので、普通に新品価格が10000円を超えていました。こんな状態では小中学生はクリスマスや誕生日などのボーナスを当てにしないと、とても自分の小遣いでゲームを買うことはできませんでした。

 そこで出てきたのが中古屋です。中古屋だったら昔のやりたかったゲームなども安くで買うこともでき、私も大体七歳くらいからえらく重宝していました。いかんせん新品なんて買うのを逃すとゲーム屋に並ぶこともないので、そういう意味で私は中古屋をよく利用していました。

 しかし、ふと気がつくとこういった中古ゲーム裁判というのはめっきり聞かなくなりました。多少過去の記事とかを読みましたが、やはりゲームメーカー側が裁判で確実に勝てなかったのが一つの原因でしょう。KOEIなんか、「中古ゲームで売らないように」とパッケージに書いて販売していた時期もあったのですが。

 この裁判の経過というのも一つの原因でしょうが、それでもこの中古ゲーム裁判が行われなくなった最大の要因はやはり、言っちゃなんですがWINNYやエミュレーターに代表される違法ダウンロードという、中古ゲーム以上に歯止めの効かないものが出てきちゃったことにあるでしょう。大きな敵の前には小さな敵なんてかわいいものです。それでなくとも、中古ゲーム屋は新品ゲームの優良な販売店としてゲームメーカー側にも貢献する存在だったのですから、メーカーが矛を収めるようになったのが現状だと思います。
 ま、大人になって好きにゲームを買えるようになった今となっては、この争いに以前ほど注目できなくなりましたね。年取ったなぁ。

現自民党執行部の経済政策について

 久々の政治解説だ、しかも内容もあるからやる気が出る。

 さて現在自民党では経済政策を中心に、党が真っ二つに分かれて政権対立が起こっています。この対立で面白いのは従来の派閥対立と違って、自民党の最大派閥の「町村派」の中で主に対立が起こっている点です。ま、町村派以外の派閥は皆増税派だから、派閥対立と見ても問題はないのですけど。

 ここで簡単に対立構図を出します。前回にも似たようなものを出しましたけど、今回はまたあれこれ深いところまで解説するので頭に叩き込んでください。

上げ潮派 VS 増税派(財政再建派)
中川秀直    与謝野馨
安倍晋三    谷垣貞一
小泉純一郎   福田康夫

 といったところでしょうか。最後の小泉氏、福田氏のところは本当はちょっとグレーですが、一応乗せておきます。

 簡単に説明すると、上げ潮派の主張というのは、景気がよくなれば国の税収も増えるので、税金を上げたりせず景気対策を行ってれば自然と国の借金も返せるようになる、という主張です。
 それに対して増税派の主張は、もはや国としては財政支出を削るところまで削りこれ以上は減らせないのだから、将来的に借金を返していくにはもう増税しかない、という主張です。
 現状で私の見方からすると、どちらも一長一短な意見ですが、まだ上げ潮派の言うことの方が一理あると思います。

 というのも、増税派が主張しているように「もう支出はこれ以上減らせない」というのはあからさま嘘だからです。この前まで孤軍奮闘していた渡辺喜美前行革大臣がぶちまけたように、今もなお国の出先機関である特殊法人や社会保険庁といった組織では予算の無駄使いが絶えず、また国家公務員についても今年六月に大問題となったタクシー券問題で、今日でたニュースによると、問題発覚後にこれまでタクシー券を先に渡して自由に使用させていたのに対して使った分を後から申告するという形に変えて一ヶ月経ったところ、なんと支出が九割以上も減ったというのですから、ここは上げ潮派の言う通り、「増税する前に、まだやるべきことがある」というところでしょう。やるべきこと即ち、無駄遣いの禁止です。
  ネタ元:タクシー券中止で月9千万円減 国交省、国会中も続行へ(asahi.com)

 しかし、だからといって上げ潮派の主張も必ずしも正しいと言うつもりはありません。むしろ、その政策の稚拙さに少し呆れるところもあります。
 上げ潮派の政策は基本的には新自由主義政策、つまり規制改革路線に沿っています。なので経済活動を阻害するような増税や規制は基本的になければないほうがいいという主張なのですが、その結果が今の格差社会ですし、この格差問題をどうにかしようという政策や提言をこの連中は全く言っていません。前安倍政権でも「再チャレンジ」とか言ってたけど、誰に対してとまでは言っていないと私が見ているブログの人なんか揶揄していました。

 両派の主張はこのように隔たりがあるものの、プライマリーバランスの回復という目的では一致しています。このプライマリーバランス、横文字なんて使わずに言うと収支均衡といって、要するに借金を借りる量より返す量が上回った状態の事を指し、今の借金漬けの財政をとりあえずどうにかしようってことです。
 両派ともに「税収の自然増」、「増税」と、歳入を増やす手段は違えどすべてはこの収支均衡のための手段の違いで争っています……風に見えますが、私は実はこの点に大きな嘘が隠されていると思います。

 その嘘をついているのは増税派です。なぜなら、増税派は「税金を上げて、その分を借金返済にまわす」といっていますが、その借金を使っている官僚たちの天下り団体にはやけに好意的で、それを打破しようとした渡辺行革大臣を逆に斬って捨てています。
 率直に言うと、私は増税派が増税して得た収入はすべて、小泉政権時に一度は崩されかけたて自分たちの利権を再び肥やすためにしか使われないと思います。その根拠として、現在閣僚として名を連ねている大臣たちはすべて官僚寄りの政策を採る人間ばかりで、挙句の果てには、旧利権を代表する年寄りばかりだからです。

 さらに言うと、小泉、安倍政権と冷や飯食いだった連中らがここに来て勢力が復権して調子に乗ったのか、こんな本音ともとりかねない発言がありました。
「財政再建は後回しでいい。それよりも、景気対策として公共投資を増やし、個人消費を刺激させるべきだ」
 この発言をしたのはほかでもなく、現幹事長の麻生太郎です。さすがにこの発言には私はあいた口がふさがりませんでした。
 私のブログでもすでに散々取り上げていますが、90年代は延々と「景気刺激策」の名の下に公共投資を行ってきましたが、経済回復は一切なく、ただ国の借金とおかしくなった夕張市のような自治体だけが残されました。結論から言うと、個人消費というのはマクロな経済には何の影響も与えないと私は考えています。

 にもかかわらず過去の反省もなくこんな発言が出てきたのですから、呆れるばかりです。それに、真に公共投資を行うというのならば社会的に弱者とされる人間らに行わねばなりません。それこそ病気の人やら苦しい生活を強いられている農家の方などですが、こういった方々には一切補助はなされず、恐らく増税派のやろうとしている公共投資は、自分たちの票田や利権に関わる土建業者などにしか行われないことは目に見えています。

 よく麻生と福田氏には政策意見の違いがあるといわれていますが、そんなことはないと私は考えています。むしろ政策的にはかなり近く、増税するだけしておいて、ちゃっかり自分の懐に入れようというような政策を持っているように感じます。ただ麻生の場合は嘘が下手だから、「財政再建」という金科玉条を忘れて本音を言っちゃっただけなのでしょう。政治家的に未だ未熟ですね。

 なので、私は現状では上げ潮派をまだ推します。ロシアでは政治家というのは皆腐った連中なのだから、腐った連中の中でもまだマシなのを選ぶのが選挙だと割り切っており、私も同じ毒ならまだ生き残れそうな、こちらの毒を飲みます。

昔見た夢

 ある日私が昼寝していたら変な夢を見ました。

 内容は何故かサザエさんで、サザエさんが安いからといって古くなった玉子を買ってきて台所に置いていたら玉子が孵化し、中から成鳥となっているダチョウが次々と飛び出してくるというものでした。何匹ものダチョウが台所を走り回るのを磯野一家が呆然と眺める中、

「古いのを買ってくるからだよ……」

 と、カツオが一言ツッコミを入れてエンディングへと入っていくのですが、エンディングテーマは何故かTM-Revolutionの「Burnin' X'mas」というハイテンションな曲で、ダチョウが走り回る映像をバックに西川貴教氏の歌声が響くという内容でした。

 見終わった後、なんだったんだろうと小一時間悩みました。

2008年8月21日木曜日

ムシャラフ大統領の辞任について

 久々に国際政治ネタです。どうでもいいですが、今回お題のムシャラフ大統領にはちょっと思い出があり、確か高校二年生くらいの頃に、「武者ラフ大統領、元気?」という、わけのわからない短い小説を書いたことがあります。

 そんな過去の思い出はほっといて、すでに報道でもされているようにパキスタンの大統領であるムシャラフ氏がこのたび、自らの辞任を発表しました。辞任に至るきっかけとなったのは前回の国政選挙にて、議会を反ムシャラフ派の野党が過半数を取ったことにより、弾劾請求を受けるのが明白であったからというのが理由のようです。

 別にこれだけの政権交代劇なら私もわざわざネタにしないのですが、今回のパキスタンの場合はこれとは別に非常に大きな問題を含んでいます。何を隠そう、核拡散の恐れが事情通をを中心に現在駆け巡っています。

 核兵器というのは、言うまでもなく現状で最強の兵器です。パキスタンは過去のインドとの対立(現在は首脳同士が相互訪問するなど大分マシになってはいるが)の際、両国で核競争が起こった際、パキスタンは核実験に成功し、見事核保有国になりました。しかし、インドとは対照的に国内では常に紛争が絶えず、保有後の核管理という面ではパキスタンは非常にインドに対して出遅れているといわれ続けてきました。

 そこで今回の政変です。すでにかなり以前からパキスタンの政情不安から核兵器が他国に流出する核拡散の恐れがあると指摘され続けた上に、これまで統治してきたムシャラフ大統領の辞任です。しかも、代わりに政権を担当するのは反ムシャラフで一致しているだけの連立政権です。権力の基盤もしっかりしておらず、軍隊をきちんとまとめられるのか不安が残ります。

 ムシャラフ氏は報道によると、この後アメリカに亡命すると言われております。彼自身の去就はともかくとして、国際社会は今後、パキスタンに対して核の監視を強めねばならないと私は思います。

2008年8月20日水曜日

電子カルテの問題性

 医療問題を書いたので、も一つおまけに電子カルテの問題について書いておきます。

 現在、医師の仕事時間の半分以上はカルテ書きに費やされているといわれています。これを言うとよくびっくりされるのですが、医療処置や相談を受けている時間より、今はカルテを書いている時間の方が長いようなのです。何故かというと、一つ前の記事でも取り上げたように医療事故、裁判について国が前もってあれこれ経過を書くようにと医師に徹底させたため、このようにいつの間にか順序が逆になってしまうような状況へと医師は追い込まれてしまったのです。

 その結果、カルテの方に時間がかかり、医師の仕事は最近でも報道されるように、時間に追われるハードワークとなってしまいました。その対策として国は、タッチペンなどで押すだけでカルテができる、「電子カルテ」の導入を決めました。
 この電子カルテ、実際に私は使用したことはないのですが(似たようなものとして、献血時の問診票をタッチペンで作るのはやったことがあります)、やはり使うと早いそうです。これを導入することによって一気に作業効率が向上し、医師の過重労働もこれで解消されると言って国は、具体的な日時はわかりませんが、期限を切って電子カルテをすべての医師に原則的に使うようにと定めたらしいです。

 しかし、この電子カルテは何も普通のパソコンにソフトを入れるだけの代物ではありません。なんでも、一台を導入するのに数百万円は下らない代物なそうで、普通の病院に入れようものなら数千万円単位の投資が必要となってくるそうです。

 それこそ大病院なら……っても、最近は大病院でも非常に経営が苦しいのですが、小さい診療所などでやっている開業医なんてとても導入できないそうです。しかし、国が定めた期限以後は電子カルテしか認められないため、その期限がきたら医師不足の現状なのに、多くの医師が廃業を余儀なくされるとまで予想されています。

 私は実際に現役の歯科医の方から話を聞く機会がありましたが、やはり導入することは資金上不可能で、その期限が来たら引退だと述べていました。その上で、もし国は電子カルテを共用させるというのなら、ちゃんと補助金を用意すべきだと主張もしていました。

 私も同感です。そもそも、カルテ書きに医師を忙殺させたのは国の政策です。それならばその対策もすべて国が持つべきでしょう。何をどうすればいいのか、この問題には医師を交えてもっと開いた議論が必要だと私は思います。

医療事件裁判の無罪判決について

 今日プロ野球チップスを買ったら、ついてたカードが日ハムの森本でした。人気選手なだけにカードもキラ仕様で非常にうれしかったです。

 そんなどうでもいいことはおいといて、今日は最近少なかった時事ネタです。

<大野病院医療事件>判決に被告は安堵 遺族は目を閉じ…」:YAHOOニュース

 早速リンク先のニュース記事を読んでくれればわかると思いますが、本日ある医療事故……ということで提訴された裁判の判決が下り、提訴された産婦人科医に無罪が言い渡されました。結論から言うと、私はこの判決を支持します。

 この事件のあらましを簡単に説明すると、原告の妻であった女性が出産の際、手術を担当した被告の産婦人科医が胎児の取り出しを行ったところ、女性が「癒着胎盤」という症状を引き起こし、胎盤を引き剥がすために出血多量となり女性が死亡してしまったことを、原告の夫が医療過誤ということで医師を訴えたのがあらましです。

 今回の無罪の判決理由として、結果的に女性は死んだものの医師の判断が著しい医療過誤とは認められないという理由からでした。
 伝え聞く範囲でも産婦人科医というのは非常に労働条件の悪い職といわれ、その上このような裁判まで行われてもし有罪にでもなってしまえば、一体どうなるかと思っていた矢先だったので無罪となり、正直私はほっとしています。

 私は今回争点となった「癒着胎盤」という症状やくわしい医療知識などを持っているわけではないのですが、各報道の解説によると、医師がこの事件で取った処置はいわゆるグレーゾーンに当たる処置だったようです。データ的に確とした処置法はなく、また突発的に起こっては非常に対応が難しいとされる症状で、そのような場合の失敗をいちいち有罪にされていては、私は医療そのものの根幹に関わるような大きな問題を引き起こしかねないものと考えています。

 確かに、あからさまな過失や意図的な過失の場合はこうして裁判にして糾弾するべきでしょう。しかし、今回の例はかつて2002年に起きた東京女子医科大の心臓手術のカルテ改竄事件のような悪質性はなく、遺族に対しては大事な人をなくされ私個人としては確かに同情いたしますが、やはり裁判にすること事態間違っていたと言わざるを得ません。

 本日の朝日新聞の夕刊によると、今回被告となった医師はこの事件で警察に逮捕されたとき、自身の妻が出産予定日の四日前だったそうです。また勤務していた病院では一人院長、つまり一人ですべて切り盛りしており、それまで担当していた患者たちすべては当時に転院を余儀なくされたのに、警察の捜査のために引継ぎもできなかったそうです。もちろん、この事件の影響で未だに休職中です。
 記事を読む限り、この医師としても患者を死なせてしまったことを強く後悔しているようです。遺族に対しても謝罪をしているようですし、私はこのような立派な医師が何故こうも糾弾されなければならなかったのか不憫でしょうがありません。

 報道につけられた解説でも述べられていますが、本来出産には大きな危険が付きまとう手術です。盲腸でもなんでも、医療手術というのはどれもそれによって命がなくなる危険性が付きまとっています。しかし、治して当たり前、という常識が強くはびこってしまっている現状、一度の失敗で何でもかんでもやれやぶ医者だ、悪徳医師だなんて糾弾しては絶対にいけません。比喩を用いると、たとえ99人の命を助けても、1人の命を救えなければ即地獄行きだなんて、悲しい世の中です。そんな世の中に、してはなりません。

2008年8月19日火曜日

太陽電池とは~その六、今後の展望~

 この連載も今回が最期です。最期につきまして、今後の太陽電池の展望について書いてみようかと思います。

 まず太陽電池はこれから伸びるかどうかといったら、少なくとも現状よりは利用が増えると思います。特に宇宙開発の分野では大きなエネルギー源として期待されていますし、むしろ開発が急がれると思います。しかし連載中にも書いたとおり、地球圏においては主電源としてではなく、補助電源としての使用が限度なのではないかと思います。

 技術革新についてはあちこちでまだまだ発電効率が上がる可能性があると述べられており、非常に期待できると思います。ただ私なんて変わり者なので、一般に広まっているシリコン型の太陽電池よりも、ちょっと変り種に属する色素増感型太陽電池の方に期待しちゃったりしています。
 この色素増感型太陽電池というのはその名の通り、色素を使って発電する太陽電池のことです。通常のシリコン型と比べてまだまだ発電効率が低いのですが、シリコン型と違ってシリコンを使わない、つまり半導体を使わず色素による電子の吸収、移動を行うというなかなか聞いてて楽しそうな構造をしています。中身については私もまだあまり理解していないので、興味のある方は最後のリンク先を覗いてみてください。

 同じく技術革新という点で、富士電機システムズのアモルファス型太陽電池も見ていて興味を書き立てられます。ここの太陽電池は通常、ガラスを基盤に使うところをプラスチックフィルムを代用することによって、なんと折り曲げられます。でもって軽い。なのでそれこそ壁面だろうと電柱だろうと余裕で撒きつけられるので、これまで形状から導入が難しかった場所へも一気に用途が広がります。一応企業なので、怖いからリンクは敢えて貼りません。面白いので、こちらも興味のある方は検索して調べてみてください。

 以上のように、太陽電池についてあれこれまとめてみました。はっきりいってこういった分野は私にとって畑違いなのですが、よく科学ジャーナリストの記事などを見ていると、このような理系の内容を文系が如何にして伝えるべきかというのをこのところよく感じており、わからないからという理由だけで取り組まないよりも、わかる範囲だけでも記事にするべきじゃないかと思い、一つ試しのつもりで書いてみました。
 恐らく私が誤解している部分や、実際には間違っている部分などは多々あるでしょうが、それなりに書いてみて満足はしています。

 唯一惜しむらくは、これを書いているこの三日間はちょっとプライベートの方でめちゃくちゃイライラさせる事件が起こり、ちょっと文体にも影響しているのではないかという懸念があります。実際読んでみると、昔の躁鬱っぽい状態の頃のように文章によって妙にテンションが跳ね上がっているのが見受けられます。別に悪いことじゃないんだけど。

  参考サイト
色素増感太陽電池ホームページ:http://kuroppe.tagen.tohoku.ac.jp/~dsc/cell.html