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2008年10月10日金曜日

銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 後編

 畜生、巨人の優勝かよ。まぁ後半の阪神の打線の悪さは阪神贔屓の私も呆れるほどなので順当といえば順当でしょうし、ファッキンな中日が優勝するよりは何倍もマシかと思えば……。

 そんな阿部がタイムリーの後に退場したような話題は置いといて、昨日の今日で株価がまたも大幅に下落しました。さすがに私も、株価の急激な下落が続けば年末に八千円台はあるかも……と予想はしていましたが、まさかこんなに早くここまで下がるとは思いませんでした。昨日批判したばっかなので、逆に私も「こんなことも予想できなかったのかよ」と言われても何も言い返せません。まぁ言い訳をすると、公に十月中に株価が八千円台になると予想していた人はいないと思いますが……。

 それでは昨日の続きです。昨日は本来株価が下がった今だからこそその仕事が期待されるにも関わらず、日本の銀行は資金をためるだけで真っ当に仕事せず、どうすればこの銀行のケツを叩けるかということについて日銀の政策方法と絡めて問題提起しました。今日は具体的にその方法を私なりに提案します。
 まず最初に言うと、恐らくここで私の主張するやり方は経済学のセオリーから言えば全く逆の方法になります。自分はこういった問題に素人であるということは重々承知ですが、それでも意見を出すならというならばでこの方法を紹介することにします。

 現在、日本の民間銀行は前年に過去最高利益を上げるなど非常に経営がうまく回っているにもかかわらず、企業への貸付、とくに中小企業への貸付が大幅に減っています。その理由はサブプライムローン問題によってどこがどれほどの損失や不良債権を抱えているのがわかりづらくなり、うかつに倒産して資金が回収できなくなる事態を敬遠しているためと言われていますが、私はこれに疑問を感じます。

 というのも以前に書いた記事でも述べましたが、今銀行の金利はどこも非常に低く抑えられ、どこも1%にも達していないところばかりです。なので個人からいくら預金が集まろうとも、それを運用せずに貯め置いたところで銀行が個人へ支払う利子の金額というのはたかが知れています。私からみるとどうも銀行はそこにつけ込んで、貯め置くリスクがないために確実に資金が回収できる大企業にばかり貸し付けて、少しでもリスクのある中小へはちょっとでも危ない橋を渡らないとばかりに、わざと貸し付けていないのではと思います。まぁ大企業でも貸してくれないところは結構あるけど。

 もしこれが原因だとすると、銀行に多方面へと貸付を行わせる方法というのはやはり、日銀の公定歩合を引き上げることだと思います。通常、公定歩合は引き下げられれば貸付額が増え、引き上げられれば逆に貸付額が減るものなのですが、私はどうもこのところの経済の流れを見ていると、状況によっては必ずしもそうでないのではないかと疑っています。第一、今も日本で絶賛継続中の0金利政策自体が世界初の金融政策なので、何が起こっても、それこそ基本の理論と逆のことが起きてもおかしくはないんじゃないかと思います。
 公定歩合を引き上げることによって必然的に民間銀行もそれに合わせて個人への利率も上げざるを得なくなります。それによって銀行は経費が増えることから、企業への貸付で経費分の利益を確保せざるを得なくなるように追い込む、というのが私の考えです。ほんと、素人くさいけど。

 しかし今こんだけ世界中で株価が下落して大混乱になっている中、日本が公定歩合を引き上げたら恐らく他国からは、「何をこんな時期に緊縮させようとしているのだ!」って怒られちゃいますので、まず実際には実行不可能でしょう。それにここまで下がってしまうと、私ですら引き上げるのに二の足を踏んでしまいます。せめて去年のうちにでも公定歩合を1%にまで上げておけば……。

 じゃあこのまま黙ってみているのかということになりますが、私の案ではようは銀行に利益を稼がせなければならないほど経費を発生させればいいのです。もう一つ、金利を上げずに銀行の経費を上げさせるいい方法があります。その方法というのも、単純に課税です。
 恐らく今もそうでしょうが、日本のほとんどの銀行からは税金が一切国へ支払われていません。なぜかというと、連中はこれまで注入された公的資金を国へ返済してきたということで、その分を繰り上げ納税として計上されているため、今も銀行は税金を免除されているのです。そうやって税金も払わず、企業へも貸し付けず、真っ当な仕事も出来ずにいるくせに、「今年は過去最高利益だ」などと胸張って主張する銀行幹部の気が知れません。ついでに言うと、何も勉強せずにそういった言葉にほいほい乗って銀行に就職活動を行っていた学生たちにも、君たちに正義心はあるのかと小一時間問い詰めたいものです。

 過去最高利益を上げるくらいなら、国に税金を払えるだけの余裕があるはずだろう。なのでこの際銀行へ死なない程度に課税して、経費を増やさせ企業への貸付を増やさせるというのが、私が現状で考えうる最良の方法です。なんなら、企業への貸付をしっかり行っている銀行にはこれまでどおり税金を免除してやるというのもいいかもしれません。どちらにしろ、株価が下がっている今だからこそ、民間銀行は自分らが死なない程度に身を切って仕事をするのが求められています。

2008年10月9日木曜日

銀行の貸し渋り問題にみる日銀政策について 前編

 まずは昨日の情報の続きです。

危機的状況のアイスランド(YAHOOニュース)

 リンクに張った記事によると、私の予想通りにアメリカの新自由主義路線に乗って金融が強かったアイスランドにて、国家破綻すらも懸念されるほどに経済が混乱しているようです。

 そんな続報は置いといて、前回の記事にて私は今の日本の課題は株価の下落以上に銀行の貸し渋り問題だと指摘しました。というのももともと株式というのは何故あるかと言うと、単純に言って自前で運営に必要な資金を集めるためです。逆に銀行がきちんと会社に対して運営資金を提供してくれると言うのなら、株式をわざわざ公開する必要などないのです。まぁその代わりに銀行の言うことに逆らえなくなるけど。

 実は日本はここ数年で株式市場にて資金を集める企業が急速に増えていきました。その理由というのも、バブル崩壊以後の長い不況の中で銀行が一切企業に資金を提供してくれず、主だった企業はそれならばとばかりに自分で資金を集める手段に出たからです。アメリカの策謀もあるけど。
 その結果どの業界にもブイブイ言わせていた銀行の力が弱まったのは良かったのですが、その分外的要因、今回のような世界同時株安などの影響を受けやすくなったと言えます。バブル崩壊時なんて株価は大きく下がったものの、まだ企業同士の株式の持合が多かったから目に見えて資金運営に苦しむ企業は今ほどなかったと思います。

 そんなんで私が今の状況で何が言いたいのかというと、株価が下がっている今だからこそ、代わりに資金を安定的に提供する銀行の存在が必要不可欠だというのに、今の日本の銀行というのは一切資金を提供しないどころか、前にも書きましたが利益を出しているのに運転資金が足らず不渡りを出してしまい倒産する、黒字倒産がここしばらくで急増しています。
 昨日も経済解説ニュースで銀行の話題が取り上げられていましたが、企業への貸付が減ったばかりか、何でも銀行同士の短期融資すらほとんど行われていないそうです。この短期融資というのは文字通り短い期間にお金を貸しあうことで、急な大口預金者の引き出しや融資に対応するために銀行同士で行う貸し借りのことを指しますが、これがお互いにいつ潰れるか疑い合ってなかなか行われず、地方銀行なんてこれで結構困っているそうです。

 なもんで、銀行がお金を貯め始めると普通は社会全体で資金の流通が硬直し、あまりよくない影響が出てきます。では端的に言って、銀行に貯めている資金を吐き出させてまともな企業を救うにはどうすればいいかですが、通常こういったときに行われるのは中央銀行の利率引下げです。今同時株安のために世界中のどの国でもこの利率引下げが行われていますがこれがどういった効果を表すのかと言うと、ちょっと専門外なので間違っているかもしれませんが、基本的にお金は中央銀行、日本では日銀が発行しています。そのお金は民間の銀行が日銀から借りるという行為を経て、それから一般の市場へと出回ります。なので一般人が銀行からお金を借りると利息を払わねばならぬのと同じように、民間銀行も中央銀行へと利息を払わねばなりません。その際の中央銀行の利率のことを公定歩合といい、これが経済政策の舵取りとも言えるものです。

 話だすと長くなるので、要するに中央銀行の利率が低ければ低いほど民間銀行は中央銀行からお金を借り、それを市場にどんどん流して儲け、逆に高ければ払う利息が大きくなるので控えめに抑えていきます。景気の悪い時などは利率を下げることによって市場にお金が流れ、バンバンと皆物を買うようになって景気を刺激し、逆に過熱し過ぎの場合は逆の方法で景気を押さえつけます、もっとも、後者の政策は日本で行われたことがあるかどうかは知りませんが。基本的に能天気だから、景気がよければめでたしめでたしとしか考えないし。

 で、今の日本の公定歩合は0.5%、なんと1%すらも切っています。私の考える普通の利率は3%くらいで、日銀だからといってこれは特別なものでなく、世界的にみても異常な数字です。何でこんなに利率が低いのかというと、長引く不況の中でどんどんお金を流せという、「0金利政策」が日本で行われたせいです。これは世界でも例がない日本発の政策で、結果的に言うとそこそこの成功は収めました。
 しかし、これは竹中平蔵氏が口をすっぱくして言ってましたが、0金利政策は既にその役目を終えていたと私は思います。これだけ低いといざ今みたいに景気が悪くなっても利率を下げて景気を刺激しようにももはや下げようのない、壁を背につけるような状態だからです。竹中氏同様にせっかく株価が落ち着いてきた2006年の段階で次代の景気変動に備え、一歩でも二歩でもこの公定歩合を上げていれば、今のよな事態に対してまだ対応する選択肢は多かったでしょう。

 そこでここが肝心なところなのですが、この公定歩合というのはそのまま一般預金者に対する民間銀行の利率に直結してきます。何故なら銀行は中央銀行からお金を借りて、それを一般人や企業に貸し付けて利益を取るからです。仮に100万円を利率10%で民間銀行が借りるとしたら、一般預金者にはそれ以上の利率、10%以上でこの100万円を外へ貸し出さないと損します。ですがこの利率が3%なら、3%以上あればそれが十分になり、また少ない金利でも民間銀行の儲けは大きくなります。この動きはそのまま一般人の預金金利にも援用され、公定歩合によって預金金利も基本的に変わってきます。なので、今は公定歩合がありえないくらいに低いので銀行の預金利率もありえないほど低いのです。

 通常、金利は低ければ低いほど銀行は儲けるので、貸し出す資金量が増えるはずです。しかし、日本では一向に増えないどころか、逆に貸し渋りすら起きています。これは一体なぜかということですが、思ってた以上に中央銀行政策に時間をとられたので、続きはまた明日に。結構説明飛ばしているけど、読んでいる人はついてこれているのかなぁ。

2008年10月8日水曜日

世界同時株安と日経平均一万円割れについて

 昨日、一昨日と文化大革命の連載が終わった反動からくだけた記事が続きましたが、またぞろ固い記事を復活させてこうと思います。

 本日、日本の株価指標とされている日経平均株価の終値が、確か四年ぶりに一万円を割りました。つい二ヶ月前と比べるなら2000円以上も下がっており、資産価値の下落だけでみるならば、確かに大きな景気後退とみるべき事件でしょう。もちろんそんなもんだから、今日はどこのニュースでも日本人のノーベル賞の受賞ニュースより先に報道して、本当に大変なことになったとばかりに大騒ぎしています。

 しかしここで言わせてもらいますが、先月のリーマンブラザーズ社が破綻した時点で日経平均が一万円を割ることは誰がどう見たって確実なことだったと思います。なぜなら今の日本の株式市場の大口取引先はどこもアメリカの投資会社たちで、本体のアメリカの景気が悪化すれば当然日本の株価も下がることは必定です。なのでどうせ年内にはまず確実に一万円を割ることは間違いないとみていたので、私としてはそれほど大騒ぎするような話だと思えないのが正直な感想です。逆にもし経済人や評論家でありながらこうなることがわかっていなかったら、廃業しろとまでは言いませんが未熟な価値観を改めるべきでしょう。

 問題はこの後です。株価の下落とともに進んだ為替価格の変動は確かに日本にとって大きな影響をこれから与えてきます。今日は一時的にとはいえ1ドル価格が100円を割りましたし、この為替価格は輸出産業がメインの企業(主にメーカー)にとって為替価格の1円の変動は100メートル走における一秒の差並みに大きな意味を持ってくる数字です。さっきNHKがやってましたけど、トヨタ自動車では為替が1円円高するごとに400億円、ソニーは40億円の売り上げ低下になるそうです。じゃあイチローの給料はどれくらい変わるんだろう。

 これだけをみるのならば確かにこの世界同時株安は日本にとって大きな損失を与えているかのように見えますが、私がこの一週間のニュースを見ていて非常に残念なのは、世界同時株安と言いながらも日本とアメリカの情報しか発信されていない点です。世界同時株安なんだったら日本とアメリカ以外の国も相当打撃を被っているはずなのに、どの国がどれほど影響を受けているかと言う情報は全く持って皆無です。私自身がこのところペルソナ3とフロントミッションで忙しいのもあってあまり調べていないのもありますが、もっとマスメディアは大事なことなんだから自主的に情報を配信してもらいたいものです。

 個人的に一番気になっているのは欧州、それもイギリスです。何故ならイギリスが世界で最もアメリカに追従して金融市場主義とも取れる新自由主義経済の路線を敷いていたからです。そのため本家のアメリカがこうも崩れたのならイギリスはどれほどダメージを受けたのか、やっぱり破綻しているのかというのが気になります。
 同様にEU諸国もです。EUはEUでアメリカの路線とは対決するように独自の経済体制を模索していましたが、なんだかんだいってどこもこの世界同時株安で大打撃を被っているという情報ばかり聞こえてきます。特にドイツではあまりの影響ぶりに、政府が個人の預金を金融機関が破綻した場合でも全額保障するとまで発表していますし、もっと詳しい情報が知りたいです。

 なお、一昨日にちらっとだけ見たどっかのネットの記事によると、意外と日本はリーマンショック以降の株価の下落率は低い方でした。その記事によると一番下落率が大きいのは、これなんてほかのどこも報道していないけどインドだと紹介していましたが、どうも裏を取ってみると本当っぽいです。新興国ってのはどこも財政的な力に欠けるところが多いので、この事実にも素直にうなずけます。
 あと先ほどのイギリスと同様に、ひたすら株価至上主義で戦ってきたお隣韓国もえらいことになっているようです。これまで国際的に貸しの多い債権国だったのがいつの間にか借金している債務国に転落しているし、雇用問題も置き去りで結構大変そうです。

 で、同じくアジアを見てみると中国の話もこのところあまり聞きません。なのでせっかくだから自分で「新京報」という北京の新聞サイトを除いてみると、今日の記事ではアメリカの大幅な株安を伝え中国でもA株というくくりの証券市場が価格を下げていると言いながらも、まだ大きな影響はなく未だ中国は世界市場の中で「オアシス」のようなもんだと、まるで他人事のように楽観視しています。まぁ、主要銘柄は皆共産党などの特権階級が握っているから、あんまり下がらないってのもわかるけどね。

 恐らく、今回の株安で一番危険なのは日本を除くアジア市場だと思います。タイでは今でも政治的混乱が続いており、インド、韓国は上記のように大きなダメージを受け、でもって欧州みたいに複数ヶ国で連携して何か対応するということがありえない点から、かつての「アジア通貨危機」みたいなことになってくるのではないかと心配しております。杞憂で済めばいいのですが。
 世間では株価が下がっていることから、その分現物市場がこれから値上がりするなどと言っては金塊を買っとけなどあれこれ意見が出ていますが、現状ではまだ不透明なので私はお勧めできません。実際に原油価格は下落の一途を辿っており、そもそも回す資金自体が世界市場から突然いなくなったのだから、掘った土が横に盛られるわけでもないので上がらないのが普通なんじゃないでしょうか。

 と、素人ながらあれこれ意見を書いてみました。結論を言うと、日本は損害を受けつつも他国よりはまだいくらかマシな状況にあるのではというのが私の意見です。しかし唯一の懸念は、前にちょこっと匂わせた銀行の貸し渋り問題です。こっちは結構表面化しており情報も集まってくるので、また明日にでも解説します。

2008年10月7日火曜日

パワプロのサクセスで私が作った選手

 今日もなんかおなかの調子がよくないので、簡単に流せるゲームの話です。今日は今でもやっているパワプロです。

 さてこのパワプロときたらサクセスというほど、このゲームはスポーツゲームなのに育成ゲームのように多方面でプレイされています。やっぱりいい選手を作ろうとしたらなかなかうまくいかず、かといって能力だけ優秀なだけだと個性がなくてつまらない選手が出来てしまいます。
 私もかれこれ長い間このゲームをやってきていますが、やっぱり馬鹿な子ほどかわいいと言いますか、欠点のある選手は贔屓して使うようになってきます。そこで今日は、過去に私が作った選手の能力の組み合わせを紹介しようと思います。

1、肩力E+レーザービーム
 この組み合わせに意味があるのか、しかもポジション内野だし。友人に使えないと一蹴されました。

2、短気+ポーカーフェイス+ムラッ気
 普通に、こんな奴が近くにいたらすごい嫌な気がします。怒りっぽいのにポーカーフェイスで、なんというか長州小力みたいに「きれてないっすよ」って言うのかな。

3、最速155km+アンダースローの投手
 私以外でも作られていると思いますが、友人にも言われましたがまず肩がいかれるでしょう。

4、持ち球が「カーブ」と「Dカーブ」の投手「洗濯機」
 最初作っていた時は「洗濯機」という名前で「スクリュー」が決め球の投手にしようと思ってたのですが、途中でオリジナル変化球作成イベントが起こったので、「スクリュー」を無駄に「カーブ」に変えて、左右にカーブを投げる中途半端な投手になりました。

5、「威圧感」を持つ投手「ハンニバル」
 別にねらってたわけじゃなかったけど、「ハンニバル」という名前で投手を作ってたら自然と「威圧感」を取得しました。名は体を現すのだと実感しました。

6、「タタ木寸」
 みてもらえばわかると思いますが、ソフトバンクの多村選手の名前を横に拡大したように見える、読みが「たたきすん」という選手です。ほんと、これだけのために作るのもなぁ。

7、「**」(友人の名前)
 友人の名前を使って昔はよく選手を作ってたのですが、よく学校の授業をサボる奴だっただけにスタート時に「サボり癖」がつくことが非常に多かったです。こちらも名が体を現していました。

 といったようなところです。逆に成功した例だと「大笠原」といって、巨人の小笠原選手にあやかった選手を作ったら「アベレージヒッター」と「パワーヒッター」の二つを取得でき、非常に強い選手になりました。その一方で「下原」や「上柳」といった選手は、あやかる選手のようにならず全然駄目でしたね。

2008年10月6日月曜日

スーパーロボット大戦シリーズについて

 ぶっちゃけ今疲労中なのと、長い文化大革命の連載が終わったので気晴らしに軽い記事で今日は乗り切ろうと思います。まぁそんなら何も書かなければいいだけなのですが。

 そんな今日お話しするのはバンプレストから出ているスーパーロボット大戦シリーズというゲームについてです。このシリーズは昔からやっていますが、なんと言うか中途半端にぽつぽとやっています。私がプレイしたシリーズを挙げていくと、

・~EX ・第四次~ ・新~ ・~F ・~F完結編 ・~α ・~α外伝 ・第二次~α ・第三次~α

 といったところでしょうか。時期的には90年代後半から2000年代前半くらいです。
 このシリーズはまぁそこそこはまったのですが、最初にやったのが第四次でこれはなかなか面白かったです。全体的なゲームバランスもよく、きちんと戦略に則って戦え、でもっておまけユニットがそこそこ通にはたまらないもの(サーバインとかSガンダム)でした。ただ私の場合、最終面より難しいといわれる後半の「オルドナ・ポセイダル」という面の難しいバージョンに迷い込んでしまい、ここで一時ゲームが詰んでしまいました。最終的には一回の行動のたびにセーブするという、まるで詰め将棋のような戦いで越しましたが、あれは今でも夢に出てきます。

 その後EX、新を経てからFをセガサターンでプレイしたのですが、個人的な感想を述べるとこのFとF完結編は非常に出来の悪い作品でした。まず一回一回の戦闘でBGMが変わるためにロード時間が膨大になり、その上味方ユニットは中途半端に弱いまんまなのに後半にはHPが一万を越えるドーベンウルフがザコキャラのようにうじゃうじゃ出てきて、普通に敵と戦う際にスーパーロボットとリアルロボットの区別が意味ありませんでした。
 でもってなかなか勝てないもんだから結局ビルバイン一人に負担がのしかかってきちゃうか、イデオンで反則な勝ち方をするかしか選択肢がなくなるという無節操さ。これでゲームと呼べるのか。

 更に言うと、これまた私の特技炸裂ですが今のウィキペディアの「スーパーロボット大戦F」のページにはすでに消されていますが、以前のこのページでは本来一つの作品となるはずが「F」と「F完結編」に分かれたことについて、

「製作側のバンプレストによると脚本の担当者が急病になったためと、容量が一枚のゲームに収まらなくなったことを分割の理由に挙げていたが、ネット上の有志の調査によると、FとF完結編のデータを合わせてもギリギリ一枚のディスクに収まることが指摘されている」

 私的な意見ですが、恐らくデータは一枚でも十分に入ったと思います。何故ならゲームの大部分のデータはBGMやロボットユニットのアニメーションデータで、これはFとF完結編のどちらにもその大体が共通しており、分けるデータといったらシナリオと一部のボイスデータくらいだからです。それにもし一枚に収まりきらなかったとしても、それならそれで単純にゲームを二枚組にして出せば良かっただけの話です。

 私なんかこのゲームが出た当時は中学生くらいだったから、なけなしの小遣い使ってわざわざ新品を買ったのに製作サイドのくだらない理由で二本も買わされた(合計金額13,600円)上に、ゲーム自体がシミュレーションとして戦術性もなにもなく、シナリオも前作にいなかったライディーンがなかったことにされるわ、一話だけ出てきたランバ・ラルがその後一度も出てこないまま空気とされるわ、ガンダムWのキャラクターたちが途中でパーティからいなくなった後、ポセイダルルートを行かずにDCルートを通るとそのまま一切出てこなくなるなど憤懣やるかたない代物でした。にしても、我ながらよく憶えているな。

 このあまりの体たらくにもう二度とスパロボは新品で買わないと新月に誓った15の夜、別に15歳じゃなかったけど。そんな過程もあり次のαは中古で買いましたが、これは逆に非常に面白かったです。シナリオもテンポ良くさくさく進むし、何よりこれまでのシリーズよりオリジナルキャラの主人公がきちんとシナリオに絡んでくるというのが好感を持てました。何気に最初に選んだのは今もレギュラーのクスハでしたが。

 またシナリオだけでなく戦闘アニメーションもようやくGジェネレーションのようにONとOFFが切り替えられるようになり、また少ないカットでロボットの挙動をきちんと再現していたのには感動しました。この次の次にやった第二次αからは戦闘アニメーションが3Dになったのですが、かえって元の原作アニメのセル画カットの動きから離れてしまい、むしろ悪くなった印象があります。戦闘アニメだけで言うなら、このαと次のα外伝が最もすばらしい出来でしょう。

 それで次のα外伝ですが、シリーズ中、実はこれが一番好きです。確かに難易度は結構高めなのですがシナリオの進め方で難易度は調整されますし、また使用アイテムや今作から入った支援コマンドを活用することでFとは違って戦術次第でどうとでも挽回できます。また前作α同様に戦闘アニメーションもカットインを使うことで臨場感が出ており、個人的にはガンダムXのサテライトキャノンとターンエーガンダムの月光蝶が一番気に入っています。

 さぁそれで最後の第二次α。まぁつまらなくはないのですが、明らかに前作のが面白かったのが致命的です。今作から導入された小隊システムには賛否両論ありますが、私はいろんなユニットがつかえるという意味では良かったと思っています。で、一応は上に挙げた第三次ですが、これは途中でやめました。私以外の人も同じようなことを言っていますが、本来なら第二次で地球圏の戦闘は終わって第三次で宇宙人と最終決戦して完結……という流れだったらしいのですが、人気だったということで無理やり「ガンダムSEED」をシナリオに挟み込んだせいでまた地球圏の戦闘が始まり、やっててシナリオに疲れました。こんなの長い間ゲームしてて初めてですよ、別にガンダムSEEDは嫌いでもないのに。

 というわけで、息抜きのつもりだったのにえらく力の入った記事になりました。水野晴夫の笑顔も三度までと言いますが、本当、文章書くのっていいですね。

2008年10月5日日曜日

文化大革命とは~結び、文革は何故起きたか~

 ちょっと試しに前回までのこの連載の文字数を数えてみたら、三万字弱ほどありました。原稿用紙に換算すると七十五枚で、よくもまぁこんなに書いたもんだと我ながら呆れました。
 そんなもんでこの連載も今回が最終回です。もう書くことは大体書いており、最後の今回では文化大革命の総論的なことをちゃちゃっと書いて行きます。

 まず文化大革命は中国にその後どんな影響を与えたかですが、結論から言って中国はこの文化大革命によって発展が三十年は遅れたとまで言われております。中でも最大の損失ともいえるのが知識人で、この連載の最初の記事でも書きましたが、ちょうど日本での団塊の世代に当たる年齢に、中国の大学では教授などの人間がすっぽり抜けてほとんど存在しません。これはこの世代ががまさに文革で排斥される対象となった世代で、文革期に殺されるか、社会的に抹殺されたかのどちらかで存在していません。

 前回のカンボジアの大虐殺でも触れましたが、文革期には中国でも知識人が文字通り根絶される勢いで摘み取られていきました。ここでちょっと想像してほしいのですが、たとえば今、当たり前のようにいる設計士、技術者、熟練工といった人たちがこの社会から突然いなくなってしまうとしたら。もちろんそうなればあらゆる工事から工場の作業、開発製造といった行為がすべてストップしてしまいます。しかも、いざそういった人材をまた育てようと思っても、技術や知識を一から教えてくれる教員すらいない状況であればなおさら悲惨です。

 70年代の中国はまさにこうでした。一度は育てたあらゆる人材がいなくなり、技術や知識の継承をまた一からやり直す羽目となったのです。ただ中国はこれを奇貨として文革後に優秀な学生を選抜して、一気に東大など海外の大学へ留学させて建て直しをはかったりしています。今、中国の経済界ではそのような留学帰りの人たちが大きな力を持っているらしいです。

 中国が文革から受けた損失はなにもこの人材だけではありません。連載中にも書いていますけど何の計画もない土地開発のために自然環境は徹底的に破壊され、また歴史的遺物も「過去の残滓」として数多く破壊されています。
 そして元紅衛兵だったたくさんの若者たちも地方に下放されたまま、故郷へ戻ることすら叶わなくなりました。

 こうしてみると、何故これほどの悲劇が繰り広げられたのか、誰も止めることが出来なかったのかと疑問に思えてきます。敢えて私の分析を披露すると、この文化大革命は毛沢東の手によって引き起こされたものの、中期以降は一般民衆もむしろ率先してこの混乱を加速させ、いうなれば集団パニック、もしくは集団ヒステリーのような現象だったと思います。日本も戦前は教育上は軍部が国民を扇動させたことになっていますが、実際にはかなりの部分で国民も戦争へ突入するのを応援していました。何でも、朝日新聞が当時に反戦の記事を書いたら部数が一気に5%にまで落ちて、慌てて戦争賛美へと論調を変えたほど民衆も戦争一色だったらしいです。

 よく集団ヒステリーというと、大体二、三十人くらいの小集団で起こるもの、大きさにすると学校のクラス単位くらいなものと思いがちですが、歴史的に見ると日本を始めとした国家単位でも起こっていますが、さすがに中国という巨大人口国でも起こるというのはなかなかに驚きです。まぁ実際、集団ヒステリーに人数は関係ないのかもしれませんけど。

 では何故、そこまで混乱が発展したのでしょうか。いくつか理由があり、恐らくは複合原因によるものだと思いますが、その中で挙げられる原因を出すとしたらやはり、文革発生以前に中国人の愛国心が異常に高かったせいだと思います。戦前の日本、そして今の韓国もそうですが、なんだかんだいって愛国心というのは非常に扱いの難しい感情だと思います。低すぎても駄目ですし、高すぎても駄目です。では高すぎると何故駄目なのかですが、ちょっと前に書いた記事の被害者意識のように、国のためになることだったら何をしてもいいんだという風に思う輩が出てくるからです。

 今の中国でも「愛国無罪」という言葉が出るくらいに、国のための行為なら犯罪行為すら許されると主張する人間がおり、日本への批判、外交施設への投石も認めるべきだと過激なことをやる人がいます。恐らく、文革以前は今以上にこういった愛国心が強かったと予想されます。というのも当時の中国はまだできた手の国家で、政府も「皆で国を支えよう」と強く檄を飛ばしていました。そうして高められたまま毛沢東の扇動がおき、国のためならばと紅衛兵が立ち上がって法律を無視し、私的なリンチや密告合戦が起こっていったのだと思います。

 被害者意識の「被害者なら加害者に対してどんな抵抗をしても許される」とか、愛国心の「国のための行為なら何をしても許される」という意識の背景で最も大きいのは、個人の責任というのが乖離されることです。両方とも行為の責任主体を自らに置かず社会に対して置き、この行為は相手に迷惑(被害)をかけるが、自分は本当はやりたくはないのだけれど社会がそう要求する、というような具合で、心の一部で確かに悪いことをやっている気はするものの、なんとはなしにそれを許容するように自己弁護をやってしまうということです。

 戦前の日本でも軍隊内などで、「天皇の意思に背く」という理由でリンチや略奪行為などが許容されたことがありましたが、そもそも天皇がいちいち軍隊内でのビンタなどに意思を持つかどうか、しかもそれが各部隊長が判断できるのかというのは疑問です。一部の評論家たちも言っていますが、当時の軍隊は天皇という言葉を私的に利用しては自分たちの行為に正当性を無理やり持たせていたのでしょう。こんな感じで、「国のため」という言葉が自己を正当化するに至るまで愛国心が中国全体で高かったのが、この文革が起きた大きな理由だと私は感じます。

 最後にこの文化大革命について個人的な感想を述べると、他山の石のように思えないということに尽きます。ドイツでもそうですが、ユダヤ人虐殺などの戦争犯罪はナチスという狂った集団が行ったのだと自分たちと切り分け、我々日本人でも、太平洋戦争という無謀な戦争に至ったのは軍部(主に陸軍の)が国民を欺いたためと、こちらでも一般民衆は加害者ではなく被害者として切り分けています。
 しかし、私はいつもこう思います。

「虐殺もなにもかも、行ったのは自分と同じ人間だ。ちょっと間違えれば、今の自分もこういったことに加担するかもしれない」

 文化大革命も同様で、自分には関係ない、自分なら絶対こういう馬鹿なことはしないと切り分けることが出来ません。もちろんこんな悲劇は起こしてはならないので、常に注意しつつ、可能な限り周囲にこの事実を周りへと広げ歴史への反省を促していきたいと思います。

2008年10月4日土曜日

文化大革命とは~その十三、毛沢東思想の伝播~

 これから書くことは内容が内容だけに、すこし手が震えます。書くことの重大さもさることながら、そのあまりの内容からだと思います。

 さてこの連載の中の「その五、毛沢東思想」の中で、通称マオイズムと呼ばれる毛沢東の思想について、非常にお粗末ながら解説させていただきました。この毛沢東思想ですが、よく勘違いされがちですが伝播した範囲というのは中国国内に限定されておらず、なんだかんだいって欧米でも研究者が出るなど世界的に大きく広がりを見せ、現在でも大まかな範囲で否定されつつも、共産主義と農民主義を合体させたことなど限定的な面で評価されています。
 ここで更に注意してもらいたいのは、この毛沢東思想は決して過去の遺物ではなく、現在もなお影響を持ち続けている思想であるということです。その影響が未だに続いている場所というのは他でもなく、東南アジアに位置するカンボジアです。

 注意してみている人だけかもしれませんが、よく海外政治ニュースなどでカンボジアの情勢が伝えられる際、「毛派」という言葉が出てきます。この毛派というのは文字通り、毛沢東主義を第一に掲げている政治集団のことを指しており、その勢力が大きく衰えたとはいえ現在もなお活動している団体です。もちろん、その活動は非合法なテロなどが多いのですが。

 話は毛沢東が生きていた時代、そしてベトナム戦争が行われていた時代です。当時のカンボジアはシアヌーク国王による王政国家だったのですが、国王が外国に出ている隙に親米派のロン・ノルがクーデターを起こして政権をとりました。当時はベトナム戦争真っ只中ということもあり、ロン・ノルは国内にいるベトナム人や共産主義勢力に弾圧を加えた(カンボジアとベトナムは国境を接している)のですが、それに対して反動が大きくなり、最終的にはポル・ポト率いる共産主義勢力であるクメール・ルージュがゲリラ戦を展開して内戦を起こし、逆にロン・ノルを国外へ追い出すことに成功しました。

 まぁなんていうか、ここで話が終わればそれなりによかったのですが、皮肉なことにこの結果が後にカンボジア、ひいては20世紀の一つの悲劇を生むことになります。
 この時政権を奪取したクメール・ルージュですが、これはフランス語で「カンボジアの真紅」という意味で、カンボジア共産党ともいう意味です。この時の指導者はフランスへの留学帰りが多く、それから名づけられた名前です。
 ついでに余談ですが、中国で私と相部屋であったルーマニア人はフランスのことを、「あそこは共産主義国だから」と評していました。まぁそれとなくそんな感じはするけど。

 それでこのクメール・ルージュですが、内戦時に主に支援を受けていたのは中国からでした。中国としては共産圏を広がることでこの地域への発言力を強めようという意図があったのだと思いますが、この時に中国に影響を受けたことからクメール・ルージュの掲げる思想というのは毛沢東思想に準拠したものになりました。そしてそんな集団がカンボジア首都、プノンペンを占領すると、早速その思想を実行に移します。

 出来れば先にリンクにあげた過去の記事を読み返してもらいたいのですが、毛沢東思想の最も代表的な特徴というのは、「知識人は搾取階級であり悪である」ということです。そのため、この思想を掲げるクメール・ルージュが真っ先に行ったのは知識人の一方的な殺戮でした。聞くところによると、英語をほんのすこし話すだけでも、仏教を修行していただけでも知識人とみなされ一方的に殺戮されたそうです。またそうでなくとも、途方もなく極端な政策が無理やり実行されて強制労働が各所で行われ、文字通り死ぬまで人を酷使した上で逃げ出そうものなら容赦なく射殺していったようです。

 そうして知識人を社会からはじくかわりに持ち上げられたのが、まだ年端もいかない子供たちでした。毛沢東思想の反復になりますが、まだ何の教育にも染まっていない子供たちこそ新たな時代が切り開けるという考えの下でクメール・ルージュは子供に銃を持たせ、政策への不満を漏らしていないかスパイ活動を行わせ、挙句に大人たちの処刑を行わせたのです。このあたりは中国の文化大革命時の紅衛兵を想像してもらえばいいでしょう。まぁさすがに毛沢東も紅衛兵に銃は持たせませんでしたが。

 その結果、このクメール・ルージュ政権時に虐殺された人数は200万人から300万人とも言われ、当時のカンボジア全体の人口の実に四分の一もの人間が殺害されたと言われています。これは一つの政権による虐殺としては過去最大で、あのナチスドイツのユダヤ人虐殺の人数をも越えます。
 にもかかわらず、こちらは日本でユダヤ人虐殺ほどあまり取り上げられません。その理由は恐らく、ユダヤ人には政治家や金持ちが多くいるために世界的に発言力が大きく、それに対してカンボジア人はそれほど発言力がないからと、同じ共産主義国といってもソ連の支援を受けていたベトナムに対する防波堤としてこのクメール・ルージュを中国同様に間接的にアメリカが支援したということが影響していると思います。

 最終的にこのクメール・ルージュは対立していたベトナムと戦争状態になり、実力に優れるベトナム軍にコテンパンにやられ国外から追放され、この虐殺の責任を追及されないことを条件にベトナムに従うという政府関係者によって新たに政権が作られることにより虐殺が終わりました。このことが後々に問題となってくるのですが、こちらはちょっと範囲外なので取り扱いません。

 このカンボジアの虐殺については「不思議館~ポル・ポトの大虐殺~」に非常に詳しく書かれているので、勝手ながらリンクを貼らせていただきます。このページでも冒頭に書かれていますが、この虐殺について詳しく知りたいのなら最もよいのは「キリング・フィールド」という、実話を基に作られた映画を見ることをお勧めします。これはアメリカ人記者とそのカンボジア人通訳の人の話で、作中後者の通訳の方が英語を使える事を悟られまいと必死で隠す姿と、その彼に対して12~3歳くらいの少年が無機質な顔で銃を向ける映像が印象に深く残っています。

 結論を言うと、文化大革命は中国だけでなくカンボジアでも行われたということです。そして両国ともおびただしい犠牲者を生み出し、毛沢東思想というのは事実的にも悲劇の歴史を複数も生んでしまったということです。思想という言葉について最近あまり私が本を買わなくなった佐藤優氏によると、「普段何気なく、当たり前だとみんなが思っていること」と言い、日本人が意識しなくとも仏壇で手を合わせるような事が思想だと説明していますが、この毛沢東思想の例を考えるにつけ、集団を方向付ける非常に大きな要素なのだと思うようになりました。よく教育議論などで思想思想とあれこれ議論になりますが、そんな簡単に扱っていいものか、そんなあいまいな議論でいいものかなどと、軽々しくそれを口にするものに対して強く不快に私は思います。