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2008年11月11日火曜日

田母神氏の参考人招致について

 本日参議院にて、このところ世間をにぎわせている田母神元航空幕僚長の参考人招致が行われました。細かい内容については他の報道に譲るとしてそこで彼が話した内容を簡単にまとめると、従来の主張を曲げずに自説の正当性、そして今回のこの騒ぎは一種の言論統制に当たると主張しました。

 最近は連載記事ばかりでこういう時事問題をあまり取り扱わなかったのですが、ちょっと今回の件は私としても個人的に意見を持つ内容なので、きちんと記事を書いてみようという気になりました。
 まず田母神氏の主張に対してですが、やはり私としては同意しかねる問題ある意見だと思います。田母神氏は第二次世界大戦における日本の行動について一切の侵略ではないと主張しました。その根拠として、当時の世界情勢の中では他国に領土を広げるのは当然の行為だったと主張していますが、この点については既に第一次世界大戦後のウィーン会議等でみだりに他国の主権を犯すべきでないということも採択されており、そして何より、あの満州事変はどう贔屓目に考えたところで中国に対する侵略行為においてほかなりません。
 この点については右翼の論客……というとちょっと語弊があるかもしれませんが、日本の正当性を強く主張する論者の藤原誠彦氏もアメリカとの戦争はしょうがないとしても中国への進軍は明らかな侵略だったとしており、またこっちは紛れもない右翼雑誌の文芸春秋でも、満州事変については軍部の暴走による侵略だと、よく保坂正康氏と半藤一利氏の昭和史家コンビが対談の度に言っています。

 またアメリカとの戦争についてですが、よく日本への貿易禁輸措置によってアメリカは日本を追い込み、極東国際軍事裁判のパール判事の意見を引用しては日本は無理やり戦争に引き込まれた、打って出るしかなかったという主張がなされていますが、私としてはちょっとこの意見にも無理があると思います。というのも、実はこのアメリカの屑鉄などの貿易禁輸措置が取られる直前に日本は、それ以前に進軍していた東南アジアの北部仏印(現在のベトナム)に加え、1941年7月に南部仏印に進軍しております。

 ちょっと話はややこしくなりますが、この時既にフランスはドイツ軍によって占領されており、ドイツの傀儡政権であったヴィシー政権が名目上フランス政府を代表してはいたのですが、この仏印地域の一部のフランス軍はイギリスにて亡命政府を作っていたドゴール政権を支持しており、日本はヴィシー政府の許可を得て進軍はしたのですがもちろんそういった軍の抵抗にあって戦闘も起きています。
 アメリカやイギリスはもちろんドゴール政権を支持しているので、この南北仏印進駐は日本のフランスへの一方的な侵略だと批判したのですが、日本はそれに耳を貸さずに進軍しています。それでもまだ比較的戦略価値の低かった北部の進駐だけには米英もとやかくは言わなかったのですが、南部仏印の進駐に至ってとうとう侵略行為に当たるとして、禁輸措置などの制裁行為を両国は取るに至りました。

 この時の禁輸措置が原因で太平洋戦争に至ったというのなら、逆を言えば南部仏印進駐が太平洋戦争の大きな引き金となったと見てもいいでしょう。実際にこの後の5ヵ月後に日本は真珠湾への奇襲攻撃を実行しています。
 そしてこの時の南北仏印進駐の動機についてですが、一般的に言われているのは石油やゴムなどの資源獲得のためらしいですが、結果的にアメリカに禁輸措置を取られて余計に資源に苦しむようになったのですし、はたしてアメリカとの徹底的な関係悪化を起こすことが目に見えていたのにこの地域の占領価値はそこまで高かったのかとなると、今の私からすると非常に疑問です。よく日本の取って引き返せるルビコン川にあたるポイントは日独伊三国軍事同盟の締結前だったと言われていますが、私はそれよりもこの南部仏印進駐の方が大きいんじゃないかと思っています。

 こうしたことを考慮し、「中国への進軍は侵略ではない」、「日本はアメリカによって戦争に引き込まれた」という田母神氏の意見は私とは相容れません。そして何より、結果論から言って日本は奇跡的に復興できたからいいものの、あの戦争で失った代償というのは計り知れません。結果的に負ける戦争をしてしまったこと自体が反省すべき歴史であり、奇しくも先月号の東京裁判についての対談記事の中での、これまたタイムリーですが防衛大学教授の戸坂良一氏の発言の、「負けたらこうして(東京裁判のような)仕打ちを受けるのだ。負けるような戦争を始めてはいけない」に尽き、どんな理由であれ当時の日本の行動を正当化するべきではないと思います。

  おまけ
 何気に高校の日本史期末テスト時、今日書いた南部仏印進駐が絡んだ時系列並び替え問題だけ間違えて、学年一位ではありましたが点数が98点になってしまったのはいい思い出です。なお当時に私は学内の日本史のテストは大体トップか二位で、おまけに受験時に世界史も科目として受けており、日本史と世界史を一緒に受ける河合塾の模試などではさすがに全国トップまでは行きませんが、両方とも結構上位に常にいました。それにしても、日本史はともかく学内で当時に世界史で私より下の点数を取った人間はどうなんだろうかと、他人事ながらちょっと心配になりました。

世界同時株安の中の中国株価

 専門が中国語の癖に、中国の株取引をしていないのであまり細かく中国の株価を見ていないのですが、今日改めて中国株価の一つの指標となっている上海総合指数のチャートを見てみると、去年の12月に5000ポイントだったのが、今年の4月には半分近くの3000ポイントくらいまで下がり、今日に至っては1800ポイント台にまで下がってきています。なんかこれ見ると、日経平均が8000円割れしたのがどうでも良くなってきます。

 しかしその一方、世界的にも中国経済はまだ平穏を保っている方だという見方をよく聞きます。ちょっとこの辺は細かく調べていないのでどういう根拠からの見方なのかというのまではわからないのですが、私も向こうのホームページを見ている限り、アメリカや欧州ほど大きな混乱にまでは至っていないような気がします。
 では現在、どうして中国は落ち着いていられるかですが、それについては私の中でもいくつか考えられる理由があります。

 まず一つは、現在世界で一番外貨保有高、つまり米ドルを持っているのが中国政府であり(二位は日本)、海外との貿易決済の際に少なくとも外貨がなくて不渡りが出るという心配がないから。二つ目は、中国の株価が大きく下落したのは今年の4月頃で、リーマンショック以前にすでに大きく下落していたために今回の世界同時株安における一撃のダメージが少なかったから。そして三つ目ですが、今年の下落は中国政府折込済みの下落だったからというのが、今日ここで解説するネタです。

 以前に雑誌の記事で読んだのですが、前述している今年前半の大幅な中国株価の下落は、実は中国政府の壮大な実験の成功だったと言う評論家がいました。この評論家が言うには、中国の主要株の大半は実際にはほとんど市場に流通しておらず政府関係者や共産党幹部たちが握っているらしいです。実際に私が見ていても、「賄賂は社会の潤滑油」とまで公然と言われている中国の主要企業はほとんどがそういった人間に占められているでしょうし、現実に日本以上に政と商が癒着しまくっているので、株もそうした人間によって握られているのがかえって自然な気がします。

 にもかかわらず今年の4月に大幅に株価が下落したのは、政府が自分たちで株価をコントロールできるかを実験するため、敢えて下げるように仕向けたというのです。そして実際に株価が下がって自分たちで市場をコントロールできることを確認した中国政府にとって、この大幅な下落は大収穫だったというわけです。
 この話が本当か嘘かまでは私も検証できませんが、少なくとも現在の世界同時株安の中で中国は日本と同様にまだマシな国によく数えられています。そういう風に考えてみると、中国の主張する「社会主義市場経済」というものはこうした海外からくる影響に対して、非常に強い抵抗力があるということになります。アメリカは何でもかんでも市場に任せて今回の同時株安を引き起こしましたが、それに対して大分緩んだとはいえ未だに政府の統制が強い中国で混乱が少なかったということは、なかなかに参考に足る現象だと思います。まぁ中国は、これから実体経済も賃金の上昇によってどんどん悪くなっていくと思うけど。

2008年11月9日日曜日

100年後の世相について その二、倫理編

 久々に昨日は投稿を休みました。久しぶりに勉強したのがよくなかったのか、夜になってえらい頭痛を起こして夜10時には寝ました。まぁほんとのところはきっと、「スパーキン」って名前のカーブ、チェンジアップ、シンカーがそれぞれレベル3で、スタミナB、コントロールA、最高球速150キロの本格派先発投手を作って一喜一憂したからだと思うけど。

 さて前回では100年後の世界について主に技術面での世界観の予想を紹介しましたが、今回は倫理面での予想を紹介します。既に前回の記事でのコメント欄に、たとえ寿命が延びたとしても人間は幸せになるのかという疑問が呈されていますが、これは現実においても十分問われている問題です。大体戦後初期くらいまでは働き終わった60代くらいで寿命が来ていましたが、今の日本では平均寿命が80歳にまでなり、60歳で定年を迎えるとしても残り20年間は余生がある時代です。その20年をどうやって生活するかという点ですら現代においても明確なライフスタイルというものは決まっておらず、目的が不明瞭なままただ生き続ける老人世代が多いというのは眼前としてある事実です。

 一時は「豊かな年金生活」を謳って趣味に旅行にというライフスタイルが提唱されましたが、どうもこういったライフスタイルは「働かざるもの食うべからず」という日本人の気質に合わなかったのか、お金はあるものの旅行などには費やさない老人が多数派を占めました(今でも老人世代の貯蓄率が高い)。そもそも体力的な面でも、こういったライフスタイルは実現が不可能だった気もします。
 にもかかわらず、前回でも書きましたが医療技術は進歩する一方なので、今後も更に「第二の人生」について目的がないまま延長していくでしょうし、本当に老後をどうするか、そういった方面への議論がこれからも必要になってくるでしょう。

 その議論の中で、私が今後重要度を増してくるのはこれまで重要に取り扱われてきた「生き方」に代わり、今も尊厳死などで議論される「死に方」だと思います。自分の人生や命を何に捧げるか、どの時点に至ったら自分は死を受け入れるのかというように、どうやって死ぬかというのが一般にも深く浸透していき、場合によってはこれから年々自殺数というのも上がってくるのかもしれません。

 しかしそうやって自殺が増えるのは、ある意味世界的にはいいのかもしれません。そういうのも、医療技術の進歩と普及によって何が世界で一番問題になるかといったら、まず間違いなく人口問題です。現在ですら膨張し続ける世界人口なのに、今後は中国だけじゃなくアフリカなどでも人口は拡大するのが目に見え、有り余る人口に対して地球の資源では持たなくなるのが目に見えています。
 それこそ宇宙に殖民できるのならともかく、地球の人口に拡大に対してそこまで宇宙開発技術が追いつくかどうか、難しいところです。そうなるとどうなるかですが、まず世界的に取り組まれるのは口減らしでしょう。これなんかガンダムの世界でよく取り上げられますが、地球環境的には人口が少ないに越したことはありません。そのため資源が追いつかなくなる、つまり食料が先進国の人間にすら行きわたらなくなる事態になれば、こうした口減らしが公然と主張されるようになり、恐らくその影響で人権意識も今後低下していくと思います。
 何気に私は、米ソ対立によって安定した世界情勢が作られていた1980年代こそが人類史上最も人権意識が高かった時代になると思っています。

 こうした人権意識と共に、恐らく今後100年の間に大きく変わっていくだろうという意識はやはり国家意識でしょう。友人なんかがすごい気に入っている言葉ですが、攻殻機動隊の一番最初のプロローグにて、「国家や民族が消えてなくなる程情報化されていない近未来」という言葉が入っていますが、この言葉は裏返すと、情報の公開、共有化が究極的に行われるならば国家という概念は消えてなくなるということを表しています。

 細かい理屈までは語りませんが、確かに情報化が進んだことにより一部では国家の壁というか概念を乗り越えた動きや組織が生まれ、その一方でこうした動きに抗うかのような反動も起こっています。まず前者ですが一番大きいのはやはりアルカイダに代表される、国家を跨ぐ国際テロリストでしょう。これなんか当初はまだイスラム教過激派というくくりが通用したのですが、最近ではただ反米であれば何でも取り込むかのようになっており適用範囲は広がっているように思えます。そして反動というのは日本ではあまり大きくならない、アンチグローバリズム運動です。これなんかは思想的というよりは経済的概念で語られることが多いのですが、戦前の過剰な保護貿易体制が国家間で対立を生んで第二次世界大戦が生まれたとの反省から、戦後はGATT(現在のWHO)体制の下で自由貿易が一貫して西側諸国を中心に推し進められてきましたが、ここに来てEU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易同盟)などと、こうした動きに逆行して地域ごとに保護貿易圏を作ろうという動きが進んでおり、自由貿易自体が格差を大きく生むのだという主張のもとで欧州では自由貿易自体に反対する組織も生まれています。

 こうした背景から、今後100年間で国家概念はまた乱高下することが予想されます。これなんか私の持論ですが、基本的に世界は歴史的にも互いに開き合う時代と閉じ合う時代が交互にやってきており、近年では2000年代前半が開き合った時代のピークで、今回の世界同時株安を契機に今後はまた閉じ合う時代へとシフトしていくことが予想されます。ただその動きが一貫して続けられるかは怪しく、その閉じ合う時代がある程度続いたらまた今度は開き合う方へ戻ってきます。こんな感じで、三歩進んでは二歩下がるように、徐々にではありますがどっちかと言うのなら世界はオープンな方向へは行くでしょう。情報化は、その一つの起爆剤です。

 最後に、確かアインシュタインの言葉だったと思いますが、世界大戦についての言葉を紹介して終えます。
「第三次世界大戦ではどんな兵器が使われるかはわからないが、第四次世界大戦ならはっきりしている。石と棒だ」

2008年11月8日土曜日

100年後の世相について その一、技術編

 友人からまた不思議なリクエストがあったので、今日はそれについて話をしようと思います。

 実は今年の初め頃に小池百合子氏の講演会を聞きに行ったのですが、その際に小池氏が話したのはちょうど今から100年前のある日本の新聞の話でした。何でも、1901年にある新聞が20世紀の始まりということを記念して、「100年後はこうなる」という特集記事を組んだそうです。その記事の中では100年後の世界では当たり前になっているものとして、まず電信技術が発達し写真や声も瞬時にどこへでも送れるようになり、開発されたばかりの自動車も一家に一台という具合にまで普及するだろうともあり、更には当時の主要エネルギー源だった石炭が今後石油に変わっていくだろうといった予想まで書かれており、なかなかに未来を見通していた記事だったようです。

 その記事を引き合いに出し小池百合子氏は、100年前には夢物語だった話も時が経つにつれて当たり前になる、今後も技術は向上するだろうし今では帰宅するとともに携帯電話を充電するのが当たり前になっているが、未来では自動車も電気で走るようになって家に帰るたびに充電するのが当たり前になるかもしれないと講演で話していました。小池氏の言うとおりに、100年も経てば今では夢のような話、それこそ今SFの文物で描かれている世界が当たり前のものになるかもしれません。
 その中でもっとも近い未来にあるものが、先ほどに小池氏が話した電気自動車の話です。現実にもう三菱自動車はi-MIEVという電気自動車を開発しており、来年の発売に向けて現在試作テストを繰り返しているそうです。このi-MIEVの凄いところはなんといっても、本当に家庭用コンセントで充電できるという点です。他の車でのガソリン吸入口の部分にプラグがあり、それこそ家から延長コードを持ってきて差せば充電できるという代物で、燃費効率も劇的にとまでは行かないまでも、現在のガソリン自動車よりは資源の節約につながなるそうで、試乗したテリー伊藤氏(この人は大の三菱党)も予想以上の乗り心地だとべた褒めしています。ちなみに、その記事が書かれていたのも三菱自動車の御用雑誌に近い「ベストカー」です。親父とよく買って私も読んでます。

 こうした従来とは一線を画す未来型の自動車が生まれる一方で、肝心のエネルギーについては大幅な転換が起こることが予想できます。というのもいわゆる石油が枯渇するオイルピーク説で、これなんか相互リンクを結ばせてもらっている「温暖化よりも、脱石油依存、食糧問題、自然農法等が重要だと思っています!!」さんのところでよく取り上げられていますが、石油資源に限度が見え、遅くても2050年までには採掘費用に採算が合わなくなってくると私は思います。ではそうなったらどうなるかですが、これは武田邦彦氏と同じ意見になるのですが、困った時の原発頼みというか、核技術を使った発電がメインになってくると思います。そういうのも、石油に変わる化石資源が今後出てくるかというと非常に可能性が低いからです。
 ただ今のところまだあまり現実味がないですが、深海中にある「メタンハイドレート」という、通称「燃える氷」という化石資源は豊富にあります。しかしこのメタンハイドレートは深海の底にあるために採掘が難しく、目下のところ採算が全然合いません。けどこの前、なんかどっかの国立法人が連続しての採掘に成功したというニュースがありましたから、技術が格段に進歩すればこっちがくる可能性もあるかもしれません。

 それで話は原子力発電の話に戻りますが、これも現在のまま話が推移していくわけではないと思います。たとえば現在日本がやろうと思ってもなかなかやれずにいる、一度原発に使った燃料を絞りきるまで使う「プルサーマル計画」というのもありますし、何よりも現在の核分裂反応を利用する発電方法から逆に重水素を作る核融合反応を利用する発電方法に切り替わる可能性は結構高いと思います。
 ただこの分野については大分前、っても確か4年くらい前になるのですが、立花隆氏が日本政府はこの分野への研究投資額を非常に低く見積もっており、このままでは主要な特許が同じく開発を行っているフランスにすべて取られてしまうと、わざわざ当時文芸春秋でやっていた連載を中断してまで意見を出していました。それから大分時間が経っていますが、生憎この分野には詳しくないために今どうなっているかはわかりません。日本だとやっぱりこういう話題は表に出辛いでしょうし……。

 さて最初にSFで描かれる世界が当たり前になると書きましたが、そうなるとやっぱり一番盛り上がるのは「攻殻機動隊」で描かれる体のサイボーグ化でしょう。こちらの方は大分前に映画の「ターミネーター」が公開されて早くから話題になっていたものの、あまり機械と肉体の融合は私の目には進んでいないと思います。唯一、確かホンダだったと思うけど、身体にくっつけて筋肉運動を補助する機械みたいな物は出来てたと思います。しかし「鋼の錬金術師」ばりの義手義足はまだ実現には程遠そうです。

 その一方で、バイオ技術には今後も大きな期待ができると思います。まずはなんといっても京大の山中教授によって研究が進められているIPS細胞、通称万能細胞が大分実用化の見通しが出来、この前にはマウスにて大脳細胞の誘導、つまりコピーに成功したそうですし、四肢や神経細胞の復元なら近いうちに行えるようになるでしょう。皮膚細胞だったら恐らくすぐにでもできるでしょうし、やけどなどの根本的治療などで大いに楽しみな技術です。

 そしてこのIPS細胞に加えヒト遺伝子の解析も既に完了しており、何気にすこし自慢ですがちょっと前にこの世界的研究に参加していた横浜にある某研究所に入って見学をさせてもらいました。巨大な超伝導磁石を用いているので、中に入る際は貴金属類はすべて外して、建物内部もそういった関係から木材を多く使ってましたね。
 と、ちょっと話が横道にそれましたが、要するに遺伝子分野の研究です。これなんかクローン研究に至っては倫理学的議論をある程度踏めばすぐにでも実行できるレベルにありますし、徳弘正也氏が「狂四郎2030
」という漫画で描いている「理想的な遺伝子配列の兵士」がこれらの研究を利用して作られていくかもしれません。なお、以前に友人と話をした際に、
「ハンマー投げの室伏広治選手のクローンで大軍団を作れば、相当無敵な軍隊が作れそうだ、格闘戦だけなら朝青龍のクローンも捨てがたい」
 という話をしたことがあります。これじゃスターウォーズだなぁ。でも一万人の室伏部隊ってのも壮観だろうなぁ。

 とまぁこんな具合で、バイオ技術は恐らく今後10年で異様な発展を遂げる気がします。それに合わせて人間の平均寿命も、今の日本では大体80歳前後ですが、恐らく100歳も夢じゃなくなってくると思います。アメリカなんか今のブッシュ政権で最近日本でもちらほら見かけるようになった「アンチエイジング」への開発投資が行われ、需要も高いことから発展、普及していくと思います。まぁそうなったら生き方とか年齢の価値観についてひっくり返るから、それに合わせて倫理学の議論が必要になってくるでしょう。

 最後に、最もSF世界で取り上げられる宇宙開発について一言付け加えておきます。恐らく宇宙開発は軍事的な必要性から中国とアメリカ、そしてソ連で研究が進み、こちらも発展していく可能性が大でしょう。日本はアメリカとの密約上これ以上宇宙開発は出来ないと聞きますし、それならば宇宙での運用を想定する工具や機械の開発、言ってみればガンダムの開発をやった方がいいかもしれません。定額給付金をやるくらいならその金使ってガンタンクの一台でも作ってみれば、私も自民党に一票を投じるのですが。

 予想以上に長くなったので、100年後の思想や倫理については次回に書きます。

2008年11月7日金曜日

失われた十年とは~その八、何故不況が続いたのか~

 この記事でようやく経済学的な失われた十年の分析は終わりです。もともとここまでの内容は他でも行われているので敢えて私がやる必要もなく、本音を言うと次回辺りから書き始めるこの時期の社会状況の方が書く側としても非常に楽しみです。

 前回では失われた十年における「平成不況」において、日本の景気を決定的に悪化させるに至った97年の転機について解説しました。その後の日本の経済状況についてはリストラ、合併の嵐で、構造的にも97年から大体03年までの間に日本の社会構造は大きく変換を余儀なくされました。その代表例の一つともいえるが日本の銀行で、今のアメリカの金融機関のように生き残りをかけて各銀行はこの時期にお互いに合併を繰り返した結果、現在において三大メガバンクと呼ばれる三つの銀行に主要行としての機能がほぼ集約されるようになりました。それで、その現三大メガバンクがどのように構成されたのかを列記すると、

・みずほ銀行   (第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行)
・三菱東京UFJ銀行 (三菱銀行・東京銀行・三和銀行・東海銀行)
・三井住友銀行  (住友銀行・さくら銀行)

 と、こうして書いて見るとほんのちょっと前まで日本にはたくさん銀行があったことがわかります。今でこそ思いますが、以前の日本人はこんなに銀行があるのにどうやって振込とか送金とかしていたんだろう。非常に面倒くさそうな気がするのですが。

 他の業界でもこの銀行業界のように合併が繰り返され、その度に吸収される会社の側では大幅な人員カットことリストラが行われたと言います。その結果失業率も増えるなどして一時的に日本社会は大きく暗く落ち込みましたが、敢えて前向きに取るならこの時の苦しみの経験が今のまだマシな状況を作ったのだと亘がるのなら、決して無駄な時代ではなかったと思えます。

 それでこの平成不況がいつ、どのようにして終わったかですが、これについては私が以前に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」(http://imogayu.blogspot.com/2008/08/blog-post_02.html)の中で書いてあるので、そちらをご覧ください。正直言ってこの記事は恐らく一番私も力を入れて書いた記事なので、本音を言えばもっと高く評価されてもいいと思ってます。

 ここまででこの平成不況の大まかな概要はほとんど書き終えているのですが、それでは何故これほど長い間日本で不況が続いたのかがまだ疑問として残ります。これまでの記事の中にもちょっとずつその原因を挙げてはいるのですがここで簡単にそれをまとめると、まず第一に政府の政策ミスが挙がってきます。政府としてはバブル崩壊以後の企業の業績不振を単純に、「個人消費の停滞」と判断し、個人消費を浮揚させるために散々公共事業を行いましたがこれは根本的な間違いであり、現在において実際の不況の原因は信用不安にあったとほぼ断定されております。
 この信用不安とはちょうど今アメリカで起こっている経済問題がこれで、お金を貸しても物を売っても、その企業がお金を自分のところに返すか払う前に潰れてしまうのではないかと互いに尻込み、資金の流通が滞ってしまうことを指しています。日本の場合はそれまで資金融資の担保となっていた土地に代表される不動産の価格が大きく目減りしてしまい、金融機関としても損失を明るみにさせないために無理やり融資した資金を取り立てずに不良債権をどんどんと抱え込んだのが不況を長引かせた原因とされています。なので竹中氏がこの不良債権を徹底的に減らした途端に、まぁ中国の景気に引っ張られたのもありますが日本の景気も復活したわけです。

 こうした不況原因の特定ミスともう一つ、この不況を長引かせた原因となったのは根強かった日本経済への楽観論でしょう。
 当初、バブル期は異常ではあったがしばらくすればまた日本の景気はよくなるだろうという楽観論は非常に強かったと思います。その根拠として、当時の各政策決定者たちも不況が始まった当初から不良債権を問題視していたのですが、ひとまず公共事業をやって景気が落ち着いてから対処しようと、皆が皆この問題を先送りにしていた事実があります。この時の状況をたとえて言うなら、火事が起きているのに火元を消さず、自分の周りにだけ水を撒いているようなもんですね。

 何故こうした楽観論が根強かったのか私の考えを言わせてもらうと、やはりバブル期以前に経済大国としての地位を固めたことにより日本人全体で経済に対して強いうぬぼれが生まれた気がします。逆を言えば相当に自信を持っていたために、現実の経済として通用しないことがはっきりした97年の転機によって今度はものすごい自信を失って日本式経営への批判が急に巻き起こっています。そこら辺は次回で解説しますが、こういったことから不況になった当初、真面目に不況対策を考えていなかったのが裏目に出たのだと私は考えています。

 そして最後に、これなんかまんま私の持論なのですが、この連載の「その六、ポストモダンとデフレ」で書いたように日本においてポストモダン化現象が起きたのも原因として考えてもいいと思います。結構さらりと書いてはいますが我ながらなかなか重要なポイントを突いていると自信をもって公開してはいるものの、反響が少なく一人で落ち込んでおります。

筑紫哲也氏の死亡報道について

 今日また例によって知り合いの上海人からこのネタに書いてほしいとリクエストを受けたので、ちょっと思うところを書いて見ます。

・筑紫哲也氏が死去 「NEWS23」メーンキャスター(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081107-00000583-san-soci)(YAHOOニュース)

 相変わらずこっちではリンクが貼れません。いい加減、とっととFC2の方に本拠地移そうかな。
 それで本題ですが、いきなり結論から入ると、私は今でも何故この筑紫氏が著名なニュースキャスターとしていられたのか不思議でしょうがありません。ちょっと調べてみると80年代に若者論を出して一気に有名になったということなのでその時代を知らない私だからこういう感想を持つのかもしれませんが、少なくともまだ「ニュース23」に出ていた頃の、番組後半に筑紫氏が時事問題について自分の意見を紹介する多事総論を見ていて参考になったことは、私においてただの一回もありませんでした。

 敢えて筑紫氏の発言や意見を私なりに分析すると、こういうのもなんですが毎回非常に曖昧な結論に終わることが非常に多かったように思えます。なんか他でもあれこれかかれていますが、どうもこの人はしっかりとした意見なんてものは持っておらず、その場その場で周りに都合のいい意見ばかり言っていたんじゃないかとすら思います。それで自分の意見を言う際には、どこにも角が立たないようにそれこそどっちとも取れるように言葉で濁してたんだと思います。

 しかし言うまでもなく、それは言論人としてはなはだしく恥ずかしいことです。あまり一つの意見に偏りすぎるのも問題ですが、基本的に言論人は自分の考えを提示することで視聴者に対して物事を見るモデルを与えるのが仕事です。にもかかわらず筑紫氏はモデルを提示しないあまりか、時局によってころころ意見を変えるなどもってのほかです。

 生前にも何故こんな人間がマスコミの大御所気取って存在していられるのか、怒りまでは覚えませんでしたが世の中は変に出来ているなとは前から感じていました。それならばもっと他にもいいキャスターもたくさんいますし、特に「ニュース23」に至ってはこの筑紫氏が引退して今のキャスターの後藤謙次氏に代わって非常にいい番組になったとすら思います。何気にテレビニュースはTBSが一番幅広く、バランスよくやってくれるので結構重宝してます。フジテレビは深くニュースを解説してくれるますが分野は幅広くはなく、日テレに至っては論外ですし。

2008年11月6日木曜日

失われた十年とは~その七、転換点~

 久しぶりの連載記事です。前から書こう書こうと思っているのですが、別の記事を片付けていると途端にものすごい疲労感があってこの三日間は手が出せませんでした。別に何かで忙しいとかそういうことはないのですが、ぶっちゃけ今も疲労がものすごくてへとへとになりながら書いてます。

 それでは今日は失われた十年全体において、その年を以って前期後期と分けるような象徴的な一年となった97年について解説します。
 この連載の四回目の「個人消費」についての記事で私は、失われた十年の前半期は企業業績が全般的に落ち込みながらも、世界的にも歴史的にも珍しく当時の日本では個人消費はなかなか下降しなかったと解説しました。そしてこの経済の中で唯一好調だった個人消費が落ち込むことでこの時代の平成不況は本格的に深刻さを表してくるのですが、ちょうどこの97年が個人消費が落ち込み始めるようになった年であるのです。

 では何故97年に個人消費が落ち込み始めたのかですが、以前の記事で解説したように世帯ごとの貯金が減っていったなどの継続的な理由もありますが、やはり一番の引き金となったのはこの年より施行された消費税のそれまでの3%から5%への引き上げです。これによって日本全体で物価が底上げされて個人消費が激減したことにより、日本は企業業績が悪化する一方で物価は上がる「スタグフレーション」という、名実ともに底なしの不況へと突入していきました。

 政治界でもこの消費税増税による反発によって自民党の支持が急激に減ったためにこの年の参議院選挙で自民党は大敗し、当時の橋本龍太郎首相も退陣を余儀なくされています。もともとこの消費税の増税は世界中の経済学者が時期的に不適当だと批判されながらも橋本首相が強行した政策であり、結果的には橋本氏のそれが命取りとなったのですから皮肉なものです。なお私自身の橋本元首相への評価をここで紹介すると、彼の在任中の業績は言われているほど低くはなく、特にこちらも強行して取り組んだ行政改革は日本の政治史においても大きな成果であり、これがなければ後年の小泉改革により一時的な成功もなかったものと私は確信しています。もっとも既に書いたように消費税の増税のタイミングは本当に最悪のタイミングであり、この増税を実行したことについての非難はやむを得ないでしょう。

 何はともあれこの年になるとしばらくすればまた景気は回復するだろうとの楽観論も完全に消えうせ、社会全体で先が見えない暗い雰囲気が立ち込め始めてきました。企業の方も上がらない業績に徐々に経営が追い詰められ、データで見てもリンクが貼れないのでアドレスだけ紹介すると東京商工リサーチ(http://www.tsr-net.co.jp/new/zenkoku/transit/index.html)のデータで、92年から96年までは企業倒産数は14000件台から15000件台の間にあるのが97年には一万六千件台に入り、その後も小渕政権でありえないくらいのバラ撒きが行われた99年を除いて18000件台から19000件台という非常に多い数字が2002年まで続きます。にしても、東京商工リサーチはいいデータを公開してくれている。帝国データバンクとは大違いだ。

 そしてこの年の倒産といえばなにより、察しのいい人はもう勘付いていると思いますが、あの山一證券の倒産を抜きにして語ることは出来ないでしょう。
 それまで野村、日興、大和と並んで四大証券と呼ばれ、日本を代表するエリートが集まると言われた大企業の一つ、山一證券がこの年に破綻をして本当に跡形もなくこの世からなくなってしまいました。この時に私は中学生でしたが、未だに当時の野澤正平社長が泣きながら記者会見で、

「みんな私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから! 善良で能力のある社員たちに申し訳なく思います。優秀な社員がたくさんいます。ひとりでも再就職できるように応援してください」

 と、思わず全文を引用してしまうほどの重みを持った訴えをしたのが目に浮かんできます。それほどまでにこの山一證券の破綻は日本社会に大きな影響を与え、もはや大企業といえども安心ではないと、この日を境に社会の空気が一変したと、当時の私ですら感じました。
 また大企業の倒産と言えばこの山一證券が破綻した11月22日のほんの五日前、11月17日にはこちらもエリート街道まっしぐらと言われた北海道拓殖銀行が破綻しております。

 このように、かつては誰もがうらやむ就職先と言われた大企業の連続した破綻が、日本人はもとより世界中にこの不況はただ事じゃないと強く知らしめました。そして本当に景気が申告に悪化していったために続々と中小企業も倒産してゆき、生き残った企業も合併や所有部門の売却、そして後で解説する社員のリストラの実行とタダでは生き残れない厳しい時代を歩むことになりました。

 このように、全体の景気においても社会の空気においても、失われた十年においてもっとも重要な転換期に当たるのがこの97年、更に言えば山一證券が破綻した11月22日がすべての転換点に当たるとして、便宜上これ以前を前期、これ以降を後期として私は失われた十年の期間を二分しております。
 前期はこれまでも語ってきたように「変なものが流行ったりしてなんとなくおかしな感じだけどまだまだ余裕」な頃で、後期は「皆で後ろ向き、フォーエバー!」ってな頃だと勝手に解釈しております。

 不思議と、書き終わってみると書き始めの頃より元気になっています。