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2009年5月23日土曜日

週刊新潮誤報記事掲載紙の返金について

弁護士「誤報雑誌に価値なし」 新潮社、読者に返金応じる(YAHOOニュース)

 本当は昨日に書くべきだったこの記事ですが、詳しくはリンク先を見てもらえばわかる通りに、私も以前に散々にこのブログで取り上げた「朝日新聞阪神支局襲撃事件」こと、通称「赤報隊事件」について実行犯の手記と称した誤報記事を載せた週刊新潮がなんと、「あからさまに誤報記事だったのだから金返せ」と言って、連載記事が掲載された雑誌二冊とその購入レシートを新潮社へ送りつけた弁護士に二冊分の金額を返金したそうです。

 まぁ私の正直な感想とすれば金を返せと言う方も言う方だなと思うのですが、実はもしかしたらこんな話になってくるんじゃないかと考え、さすがにレシートまでは取ってはいないものの私も連載記事が載っている雑誌は今も取ってありました。もちろんこれをすぐに送りつけて返せとケチ臭いことを言うつもりは毛頭ありませんが、記事中でも新潮社側の担当者が「誤った対応をしてしまった」と述べていますが、この返金の事実は私も非常に呆れた対応だと言わざるを得ません。

 今回の新潮の誤報記事は明らかに意図的なもので非常に悪意の含まれた記事でしたが、だからといってもし今回のように「誤報を載せた」という事実で返金するのであれば、今後故意に載せたわけではなく結果的に誤報となった記事でも返金せよというようになってしまいますし、どうもこの記事に書かれている弁護士の言い分はそうしろというように見えてしまいます。
 もちろん虚偽の事実を記事に載せるのはあってはならないことですが、だからといって揚げ足取りとばかりにいちいち数百円程度のお金を返金しろと騒ぐのもなんですし、それによって起こるであろう混乱を考えると今回の新潮社の対応は非常に悪しき慣例を作りかねないうかつなものだったでしょう。

2009年5月21日木曜日

私の好きなゲームBGM

 ちょっと今日は時間がないので私が評価するゲームのBGMをいくつか紹介しようと思います。あまり注目されないジャンルですが、歌声なしで如何にゲーム内の雰囲気を伝えるかという目的の元で作られており、中には何度聞いても飽きないほど作りこまれた曲もゲームBGMには少なくないと思います。

1、天地創造(エニックス)
 このゲームはやったことがある人ならわかりますが世界を創造していくというストーリーのアクションゲームで、BGMもどことなくクラッシック的な重厚感を思わせるものが多かった気がします。なおこのゲームとBGMには当時小学生だった私は非常にのめりこみ、わざわざサウンドトラックを購入するに至るほどでした。

2、ロマンシングサガシリーズ(スクウェア)
 今でもYoutubeでよく聞いてしまうほどの名曲の数々で、このシリーズに触れたことから伊藤賢治氏のファンになったほどでした。私の一番のお勧めはロマンシングサガ3の四魔貴族戦(二回目)です。次点として、ロマサガ2のメインテーマも挙げておきます。

3、ラングリッサー4(メサイア)
 多分やったことのある人はほとんどいないであろうやや上級者向けの戦争シュミレーションゲームですが、このシリーズはどれも音楽がよく作りこまれていて、特にシリーズ中でも屈指の難易度を誇ったこの4をクリアした際のエンディング曲はBGMのみながら非常に感動しました。

4、ドラゴンボールZ 超サイヤ伝説(バンダイ)
 クソゲーの宝庫といわれるバンダイのゲームの中としてはまだマシな部類のこのゲームでしたが(それでもバグが多かったけど)、今でも折に触れて思い出すのは最終ボスのフリーザ戦の曲です。はっきり言ってこの戦闘はゴクウを超サイヤ人にすればまず負けないイベント戦みたいな内容なのですが、リズム感と臨場感にとんだBGMと、負けはしないけどなかなか死なないフリーザのしぶとさもあって延々と聞く羽目になったので、今でも時たま懐かしく思う曲です。

5、ドラゴンクエスト5(エニックス)
 ドラクエシリーズはたくさんありますが、私がちょうど小学校低学年の頃に出たこの5がやはり一番思い出深いシリーズです。このゲームで使われている曲はどれも素敵なのですが、一番好きだったのはザコ敵との先頭曲で、なんともいえないあの小気味良さが当時の私の感性をしびれさせました。

6、機動戦士Zガンダム PS版(バンダイ)
 Zガンダムのゲームはたくさんあるのですが、私が特に気に入っていたのはこのPS版の、グリプス戦記中のカミーユとシャアの戦闘をなぞるアクションゲームでした。バンダイにしては非常に作りが良くてアクションゲームとしてもこれは文句なしに高く評価できるゲームなのですが、わざわざこのゲームのために新たにアニメーションも作られており、特に最後のシロッコ、ハマーン、シャアが言いあいをする中でカミーユが割って入り、最後のシロッコ戦へと至る過程のBGMが今でも思い出すだけで鳥肌が立つほどのいい出来でした。
 どうでもいいけど、Zのセリフはどれも応用があって使いやすいのですが、その中でも屈指の名言と私が思っているのが以下のセリフです。

「アッシマーがーっ!」

2009年5月20日水曜日

世の中みんなが社長になったら

 これまた大分前、時間にすると六年も前の話になりますが、ある日友人から前にNHKがやっていた「真剣10代しゃべり場」という番組内でのある討論の話を紹介されました。この番組自体は私は一回も見たことはないのですが、何でも高校生くらいの子達が番組内で集まってテーマごとに忌憚なく意見を言い合う番組だったらしく、その内容に賛否両論が分かれたものの当時はそれなりに話題になった番組らしいのですが、ある回にて一人の高校生の男の子が、

世の中みんなが社長になればいいんじゃないの?」

 という意見を提案したそうです。

 この男の子の意図することには、みんな雇われて上司からがみがみ言われてストレスを溜めながら働くくらいならいっそみんなが社長になってそれぞれバラバラに、自由に仕事をやった方が効率的なんじゃないのという、なんていうか男なら小学生の頃に一度は考えるであろう提案をこの番組でぶちまけたそうです。その結果は案の定というか、他の出演者からボロクソに「世の中そんなに甘くない」とか「うまくいくわけないだろ」とばかりに散々批判され、提案者の子は最後はパンチドランカー状態になったかのように元気をなくしていたそうです。

 この話を紹介してくれた友人は話し終えた後、私に男の子のその提案をどう思うかと聞いたのですが私はというと、「確かに甘い考えといえば甘い考えではあるが、非常に前向きで明るい意見だと思うし、その子の心意気は素晴らしいと思うよ」と答えたところ、友人もそう思うと同調しました。

 確かに社長、というよりは一事業主としてやっていくことは日本に限らずどの国でも大変なことですが、皆が皆それこそ一つの会社の社長のように個人として責任を抱える一方で、自分で自由に裁量できる範囲が今より拡大できればそこそこ世の中面白くなるんじゃないかと個人的に思います。戦後の日本はそれこそ可能な限り横並びであることが重要視されてきましたが、別に法律で決められているわけでもないのに大卒の初任給がどこも20万円±1万円で画一化されているのはやっぱりやり過ぎなんじゃないかなと思ったりします。

 特に私の世代なんかは「個性を強く持て!>(゚Д゚ )」と散々言われてきて育ってきた世代でもあるので、近頃の若者を見ているとなんでもかんでも横並びであるよりは、個人ごとに多少のアレンジがあった方が仕事については働きやすいんじゃないかと思います。まぁ横並びから大きく外れたら、それはそれで不安にかんじる世代でもあるんだけど。

 ここで最初の「みんなが社長になればいい」という意見ですが、さすがにみんな社長になれとまでは言いませんが、私はみんな揃って出勤し、みんな揃って休みを取って、みんな揃って同じ給料の現状に対して、正社員でも個人ごとにいくらか応用の利く様な働き方にこれからは変えていく方が全体の利益に叶うのではないかと提案します。それこそプロ野球選手のように毎年年度末にそれぞれ雇用主に意見を言って、自分の要求を通したり相手の要求を呑んだり、それによって年俸も変動するような、そういった形態がすこしはあってもいいんじゃないかとおもいます。たとえるなら、

「(´д)<あなたはこの一年でこれというスキルアップがなかったとはいえ大きなミスもなく仕事をしてきたので、来期の年俸は今期の維持で300万円でどうでしょう?」
「( ゚Д゚)<私はこの一年、成績の上がらなかった部署にいたので功績など作りようがありませんでした。にも関わらず大きなミスもしなかったのでもう少し上げてください」
「(´д)<それはどこの部署も一緒です。悪かった部署にいたのは考慮しますが、会社全体でみればあなたに特段の功績があったようには思えません」
「( ゚Д゚)<私はこの部署で、うだつの上がらない上司の愚痴を一年間黙って聞いて部署内の調和に貢献したと自負しております。この点を評価してせめて10万アップさせてください」
「(´д)<あなたの上司の愚痴には同情しますが、社会人としては基本的なことなので我慢してください」
「( ゚Д゚)<ではこれから私の上司だけでなく、あなたの上司の愚痴ももう聞いてあげません」
「(´д)<それでは、来期は15万円アップの315万円で契約しましょう」

 という具合に、それぞれインセンティブ的なものがあった方がいいんじゃないかと思います。
 さすがにこの会話文は極端な例ですが、例えば給料を一段下げる代わりに有給休暇日を増やしたり、土曜の午前に出勤する代わりに水曜日は午後から出勤できるようにしたり、全社員で画一的な規則ではなくそれぞれがそれぞれの希望を反映できる働き方の方もあってもいいんじゃないかと思います。さしあたって私は、有給休暇日の範囲内で場所ごとに一日相撲を観戦にいけるように契約したいです。

  おまけ
 中国の一部の企業は年度末などのボーナスが物納で行われるそうです。多分クリスマスプレゼントみたいに決められた金額の範囲内で社員の希望の品を会社が買ってプレゼントするのだと思いますが、これだったら会社の経費で処理できるので、日本にあっても悪くないと思います。なお昔は中国の公務員もこれだったらしく、旧正月の前に魚とか大根を持って帰る官僚がたくさんいたらしく、あの頃の方がアットホームで良かったと懐かしがっている官僚も少なくないようです。

2009年5月19日火曜日

現状分析の必要性

 これは有名なエピソードなので知っている方もたくさんおられると思いますが、元プロ野球選手の牛島和彦氏が現役時代、当時の投手コーチから「9回2死満塁、カウント2-3からどんな球を投げるか?」という質問を受けた際、他の投手がそれぞれの決め球を挙げる中で一人だけ「分からない」と答えたそうです。その理由を問われると牛島氏は、

「どのような状況で2-3となったかによって、最後に投げる球も変わってくる。2-3となるまでの経緯がないと、最後の球も決められない。点差によっても投げる球は変わるし、一概に決められるものではない」(Wikipedia引用)

 というように答えて、コーチも納得したそうです。なお後年に牛島氏はこの時を振り返り、もしこの時のコーチが稲尾和久氏でなければきっと嫌われただろうと述べています。
 これはなかなか含蓄深いエピソードで私も気に入ってよく使っているのですが、この時の牛島氏の発言の趣旨を改めて要約すると、「現状のピンチに対する対策はなぜピンチに至ったのかという過程、そしてそのピンチが今後どれほど広がる可能性があるのかを把握していなければ決められない」というものだと私は理解しています。

 この意味は何も野球に限らず日常の様々な場面でも当てはまり、よくよく考えてみると何かトラブルが起きた際に人は一般的な対処法に頼りがちですが、状況によってはその対処法が逆効果を起こしてしまうことも少なくない気がします。例えばこれはある実例ですが、昔アマゾンの密林に航空機が墜落した際、その後の調査で奇跡的に墜落後も生存していた乗客が何人かいたようなのですが無事に生還したのはたった一人の少女だけだったそうです。
 通常、山で遭難するなどサバイバルな状況になった場合は下手に動いて体力をすり減らすよりもじっと救助を待った方が生存できる確率は高いといわれているのですが、この時の墜落の場合は密林という墜落地が見つけづらい場所であったことから、墜落後にすぐに人里を求めて密林を歩いた少女だけが生き残り、その他の墜落後に生存していたであろう乗客は皆墜落地を動かずに死亡してしまったそうです。なおその墜落地は少女が保護された後に行った証言から判明したそうです。

 このようにサバイバル知識としては非常に一般化している「動かずに救助を待つ」という対処法も、時と状況によっては逆の結果を生むこともあり、よくよく自らの置かれた現状と近く予想される事態を考慮して対策や行動を行うことが非常に重要だと私は考えております。

 そういう意味で現下の政府の経済対策として提出している補正予算案について、私は果たして現状分析がしっかりなされて作られているのか疑問に思ってしまいます。今日街頭に立っていた選挙候補者などは小出しに財政出動はやるべきではなくまとめて一気に行うことが重要だと演説しており、確かにその言も全く理解できないわけではありませんが、どこに問題があると分かって効率的に資金を振りまけるのかというと、今回の補正予算案はエコポイントがなんに還元されるのかがまだ決まっていないのをみるとそういった現状分析はしっかりとなされていないのではないかと思ってしまいます。

 こういう風に思うのも私がやたらと調査にうるさい社会学士の端くれだからかもしれませんが、私は今の補正予算案、ひいては国会を通過した本予算案もいわゆる一般的対処法として戦後扱われ続けた「ケインズ的不況対策」に忠実に則ったものに見えます。ケインズの提唱した政策は確かに過去に実績を挙げたとされますがそれが今回の場合にも適用できるのか、そうした議論が今国会で行われることを期待します。

2009年5月18日月曜日

新型インフルエンザの感染拡大について

 すでに各ニュースでも報道されている通り、これまで数人だった感染者数が先週土曜日から関西地域を中心に急拡大し、今日には確認感染者数だけで百人を超すなど新型インフルエンザが猛威を振るっております。今回の新型インフルエンザはわかっている情報の限りだと、毒性についてはH5N1型の鳥インフルエンザよりは大幅に弱いものの空気感染によって爆発的に広がるなど感染力については折り紙つきといわれており、現在の事態を見る限りそれらの情報に間違いはないと思います。

 さて今回の日本の感染拡大についてですが、当初はカナダに学校主催のツアーにて訪れていた関西の高校生らが国内初の感染者として報告され、現在感染が拡大化している地域が神戸を中心としているのを見るとやはりこの時の潜在的感染者から広まったとみるべきかもしれません。しかしこういってはなんですが、遅かれ早かれこのような事態にはなると予想されていたので、感染が広がっている現在においてそのカナダへの旅行を企図した学校や、初の感染者となった高校生らを非難するのは明らかに間違った行為でしょう。

【新型インフル】「帰ってくるな」「謝れ」…大阪・寝屋川市や学校に中傷殺到(MSNニュース)

 残念なことに、上記にリンクを貼ったニュースでも書かれている通りに中には心無いクレームをつけてくる人間も少なからずいるようです。
 しかしただでさえ感染力の強いこの新型インフルエンザですから、私はそれこそ可能な限りの対策を行ったとしても国内での感染拡大は防げなかったと思います。というのも現在感染者数が多いのはカナダやアメリカ、メキシコといった国ですが、こういった国で感染者が多いのは感染している人間が他国より多いというのも事実ですが、それ以上に感染者がそうであるとわかる医療体制を持つ先進国という要素の方が強いと思います。それこそ発展途上国やお隣のだだっ広い中国にいたってはたとえ感染者がいたとしても、なかなかそれが新型インフルエンザだと気づけないばかりか中国の地方政府によっては感染の事実を隠蔽しようとするところもある気がします。

 言ってしまえばそういった感染者が出ていないと思って旅行したところで帰ってきたら感染していたということもおおいに考えられ、ここ数週間の間に日本が行っていた水際対策が無駄だったとは言いませんが、防ぎきるのには自ずから限界があったでしょう。
 ではこれからどうすればいいかですが、まずは慌てずに落ち着くことです。先ほどの高校生へのクレーマーのように大騒ぎしたところで感染者が減るわけでもないのですし、また一部の報道によると複数の医療機関が今回の新型インフルエンザが疑われない場合においても診療を拒んだという行為も報告されております。警戒を怠るのは以ての外ですが、無用に慌ててパニックを起こすというのもまた愚考です。幸い、今回の新型インフルエンザは毒性はそれほど強くないといわれているので、社会機能が著しく低下するのを避けつつどう感染拡大を防ぐかといった対策の整備を推し進めるのが第一でしょう。

 またこれはまだ結論として出されていないものの、今回の新型インフルエンザは老人にはかかりづらいとアメリカなどから報告されております。これは逆に言うのならば若者ほどかかりやすいということになり、日本でも高校生らが最初に感染した(成人の教師一人も含まれていましたが)事実を考慮するとあながち無視できない傾向のように思えます。だとすると対策で重要になるのはそういった若者の感染をどう防ぐかということで、小、中、高の学校でどれほどまで休校や感染予防対策を採るかが肝心になってきます。さっそく関西の学校では本日から休校になったところが多かったそうですが、それをどこまで行うか、また休校した分の授業をどこで補填するのか、そういった議論が今後必要になってくると思います。

2009年5月17日日曜日

刑事裁判における心神耗弱による免責について

 昨日友人とこの頃私がよくハマっているスカイプで会話をした際、昔に話したことのある話題を敢えて取り上げてみました。その話題を話したのは確か五年前だったと思いますが友人もよく覚えており、今回もまた盛り上がったので一つ今日はその話題について解説しようと思います。その話題というのも、刑事裁判において免責理由となる心神耗弱についてです。

 私の専攻は社会学ですが昨日話した友人は法学部の出身で、大分以前に日本の刑事裁判の仕組みについて簡単に説明を受けました。日本の刑事裁判というのは基本的には、「どう犯罪者を更正させるか」という方法を考える裁判であって、被告人を更正させるのに三年間が必要と判断されれば懲役三年が判決され、具体的な期間が定まらないほど難しいと判断された場合は無期懲役、そして更正のしようがないと判断されれば死刑が判決される、というような建前で行われているそうです。

 しかしこうした判決は被告人が一般的な物事が理解でき、更正するための教育を受けられる責任、理解能力があることを前提に下りるようになっています。そのためいわゆる心神喪失状態の人間などは、たとえ犯罪を犯しても更正を行うことが出来ないとして極端な場合だと無罪判決が下りることもあるそうです。またこれに準ずるものとして犯罪時に著しく心神が衰弱、もしくは耗弱しているなど失調をきたしている場合は、正常な判断でその犯罪を実行したものとみなされず罪が減刑されることもあるそうです。

 実際にニュースなどで裁判の模様が報道される場合に十年位前から、「被告は犯行当時心神耗弱状態にあり……」という弁護人の説明をよく聞くようになりましたが、私はというと元から大の心理学嫌いということもあり、そんなうさんくさいもので刑罰が減免されるなんてどこかおかしいんじゃないかと前から思っていたので、五年前のある日にその友人に話してみました。するとその友人がなんで最近の裁判でこれほどまでに弁護側が心神耗弱を陳述で述べるのかという理由について、以下のように教えてくれました。

 まず殺人などの凶悪犯罪の場合、一般人の感覚からしたら犯人の犯行時の心境は明らかに常軌を逸している場合が多く、そうした状況に心神耗弱という理由をつけやすいために弁護側はこのところ率先して弁護理由に挙げるようにしているそうです。なおかつこの心神耗弱を減刑理由に挙げたとしても弁護側は裁判にて何も不利になることはなく、それが通りさえすれば被告の減刑は果たせるのだから言うだけ言ってみようととりあえず使う弁護人が多いのではと言っていました。

 実際に私の目からしてもこのところの裁判では明らかに心神耗弱とは言えなさそうな犯人にすらもこれを弁護理由に挙げる弁護人ばかりで、そのたびに犯行時の犯人の精神状態が裁判にて争点になっては裁判が無駄に長期化しているのではないかとこのところ思います。ただでさえ判決が下りるまで時間がかかるといわれる日本の裁判において、それこそ全然精神がしっかりしていた犯人に対して無理やりにまで心神耗弱を弁護理由に挙げられる様を見せられると、一市民として犯人もろともそうまでして減刑を勝ち取ろうとする弁護人らに対し、それが彼らの仕事なのですから仕方はないのですが腹立たしさを覚えます。

 しかもこれはこの前にテレビで見た話ですが、こうした心神耗弱を判定するには専門の精神科医が約一ヶ月もかけて判定せねばならず、なおかつそうしてまで出した結果は精神科医によってまちまちで一致しないことも少なくないそうです。なので無駄に裁判を長期化させないために、明らかに心神耗弱が疑われない場合においてそれを弁護理由に挙げた場合には、被告や弁護人に対して一定のペナルティを与えるなり一定の基準を設けるなりしててでも、こうした無秩序な心神耗弱の乱用に終止符を打つべきではと素人ながら思います。

2009年5月16日土曜日

民主党新代表に鳩山氏就任について

 今日は折角の土曜日なのに昼前から頭痛がし始めたので安静にしようと寝ていたらどんどん悪化して、三時ごろには脳溢血かと思うくらいのあまりの痛さに「ウワァァ>(ノ´Д`))」ってな具合に顔文字入れると緊迫感がなくなりますが、リアルに悲鳴を上げるほどの辛さでした。元々頭痛持ちだけど、今日ほどの痛みがあったのは初めてかもしれません。
 それでも夕方五時くらいまでずっと寝ていてようやく今になって小康状態になり、無事今日の相撲も見ることが出来ました。それにしても昨日は夜十一時に床に着いたのに、すごい睡眠時間だ。

 そういうわけで今日のニュースですが、昨日にも書きましたが民主党の代表選についてです。下馬評どおりに鳩山氏が勝利して新代表に就任しましたが、今回の鳩山氏の就任について友人が早速メールにて、これで吉田茂の孫と鳩山一郎の孫が戦い合う構図となり、自民党の初代総裁である鳩山一郎の孫が自民のカウンターパートに回るというのは因果なものだと言っていますが、まさにその通りでしょう。
 なお吉田茂と鳩山一郎はなかなか因縁が深く、鳩山は大政翼賛会に属していなかったことから戦後に自由党のリーダーとなるのですが、戦前の思想弾圧事件の滝川事件に文部大臣時に関与していたとして戦後にGHQから公職追放に合い、その鳩山のピンチヒッターとして自由党の総裁となったのが吉田茂でした。その吉田は鳩山がいないことをよくいろいろ好き勝手に振る舞って鳩山の公職追放が解けた後も総裁の座に居座ろうとし続けましたが、最終的には世論に押されて鳩山へとバトンタッチをすることになったのですが、なんとなく今の政界の構図と通じるものがあります。

 さて今回鳩山由紀夫氏が当選したことで今後の政局にどのように影響するかですが、鳩山氏は就任後の会見にて総選挙をすぐに行うのであれば補正予算案の参議院での審議をしっかりと行うことを条件に、早めに法案を通すのに応じてもよいと話しましたが、当の自民党の麻生首相があまり早くに選挙をやりたがっていないのと、決断が遅いことを考えればやはり選挙は八月以降になると私は予想します。
 では仮にこのままの体制で選挙になるとしたらどんな政策を民主党が打ち出してくるかですが、一つ考えられるのは世襲制についてだと思います。私も「国会議員の世襲比率」の記事でわざわざ自分で調査しましたが、格差社会といわれて久しいこの世の中では議員の世襲は大きな争点になる可能性があり、また先月に自民党内でも屈指の叩き上げ議員である菅義偉氏が自民党内で独自に世襲制限を設けようとしたところ、多くの重鎮議員によって研究会を潰されたこともあって選挙後の自民党内の造反を誘発させる意味合いでも効果的だと考えられます。

 またこの世襲制限について、鳩山由紀夫氏が主張するのはある意味うってつけだと私は思います。というのも鳩山氏は血筋で言えば確かに世襲議員ではあるものの、初当選時より父親の選挙区とは関わりのない北海道の選挙区より出馬を続けており地盤で言えば世襲議員に当たりません。この前読んだ記事によるとどうもイギリスの選挙で政治家の子弟が出馬する際は、まさにこのように親の地盤のある選挙区とは全然別の選挙区から出馬させるように政党が仕向けるそうです。そうした別天地ともいえる選挙区でドブ板選挙を学ばせ、たとえそこで当選しなくとも党内の職に就かせて養うことで政治家の育成を行うそうなのですが、私が理想とする世襲制限はまさにこの形で、そういう意味では鳩山氏の現在の立場というのはそのモデルケースでもあり私も支持しやすい形でもあります。

 最後にこうした鳩山氏の代表就任に対して自民党の対応の仕方ですが、ふざけてやるんだったら麻生氏を一回降ろして、あえてここで弟の鳩山邦夫氏を総裁にして兄弟骨肉の戦いになったりしたらいろいろと面白そうですし、邦夫氏本人もどこかそれをねらっている節も見えます。なお先月号の文芸春秋にてこの二人の対談もありましたが、思ったより仲が悪くないなという印象を受けました。
 どうでもいいですが由紀夫氏は東大工学部卒(これからは技術の時代だと考えて入学したそうです)、邦夫氏は東大法学部の出身で、文字通り華麗なる一族のはずなんですが、お互いにキャラが濃いからあまり華麗そうには見えないのは不思議なものです。