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2009年6月18日木曜日

猛将列伝~木村昌福~

 前回の猛将列伝のコメントで誉めてもらって調子に乗っているので、またこの関係の記事です。今日は久々に近代の軍人で、通にはよく知られているものの一般にはやや知名度が低そうに見える木村昌福氏を取り上げます。

木村昌福(ウィキペディア)

 あまり歴史に興味がないために私と私の親父、果てには福岡出身の嫁さんがいる親父の従兄弟揃って「これだから九州の女は……」と言われる鹿児島出身のうちのお袋ですが、不思議なことにこの木村昌福氏についてはよく知っていて、どのような人物でどんな業績をあげたのかまでも詳しく知っていました。というのもお袋が子供だった頃にこの木村昌福氏をモデルにした映画が三船敏郎氏主演で公開されており、その影響を受けてかお袋らの世代は彼の業績である、あの伝説のキスカ島撤退作戦を知っている人が多いようです。逆にその世代に対して私くらいの世代だとあまり知らない方も多いと思うので、そこそこいい記事にはなる気がします。

 この木村昌福氏というのは旧日本海軍の軍人で、はっきり言ってしまえばそれほど出世街道を歩んだ人物ではなくどちらかというなら叩き上げの軍人タイプな人物でした。旧日本海軍ではハンモックナンバーこと海軍兵学校や海軍大学校時代での成績がそのまま後年の出世順につながったため、大学校に行くことはおろか兵学校で118人中107位の成績だった木村氏はそもそも大した出世は望める立場ではなかったものの、駆逐艦の艦長として長い間勤務するも水雷の戦闘知識や指揮においては周囲からも一目置かれていたため、最終的には実力で中将という地位にまで昇っております。

 そんな木村氏が一躍戦史に名を轟かしたのは既に述べた、俗に言う「キスカ島撤退作戦」からです。
 1943年、ミッドウェー海戦を経て既に防戦側に立たされていた旧日本海軍はこの年に太平洋上にあるアッツ島を米海軍によって攻め落とされてしまいます。このアッツ島は太平洋の上で日本の支配地域からポンと突き出た位置にある島であったため補給もままならず、米軍の激しい攻撃によって守備隊員2650名は全員が玉砕した上に占領されてしまうという悲劇的な結末に終わってしまいました。
 そこで困ったのがこのアッツ島以上に日本から離れた位置にあったキスカ島です。当初日本海軍は米軍が攻めてくるとしたら先にこっちを落とすだろうと守備隊もアッツ島より多い約6000名を擁していたものの、米軍は日本の裏をかいてキスカ島の先にあるアッツ島を先に落とすことでこの島を孤立無援の状態へと追い込んだのです。

 こんな状況下では反撃など望めるべくも無く、司令部も守備隊の救出を最優先事項として早速救出部隊を編成して第一陣として潜水艦の部隊を送るものの米軍のレーダー網にあっさりと見つかり、何百人かを救出するものの少なくない損害も出してしまいました。そこで第二陣として大人数を輸送できる駆逐艦部隊の派遣を決め、その指揮官として木村昌福氏が選ばれました。
 木村氏はこの地域特有の濃霧に隠れて救出作戦を行おうとじっと天候を眺めてチャンスをうかがい、七月十日に一度出撃するもこの時はキスカ島に近づくにつれて霧が晴れてきたために結局途中で引き返してしまいます。この際には米軍と戦闘したわけでもない上に誰も救出してこなかったことから上層部より激しい非難を受けますが、当の木村氏はあまり気にせずすぐに再出撃するようにとの中央の命令を無視しつつ、平然と現地で釣りをしながら次のチャンスをうかがっていました。

 そして来る七月二十二日、再び濃霧発生の予報を受けたことにより木村氏の艦隊は救出のために基地を出撃します。その濃霧予報は見事に当たり、キスカ島に行く途中に同じ日本の艦隊内で沈没にまで至らなかったものの衝突事故を起こすほどの濃霧だったようで、米軍のレーダーも霧によって誤認を起こし、誰もいない海域に向かって延々と攻撃をかけてしまったほどだったようです。
 しかも奇跡的というべきか、米軍はその後も一向にレーダーがうまく機能せず、先にレーダーで誤認した敵艦隊をすでに全滅させたと勘違いして七月二十八日に一旦補給をするためにキスカ島を包囲していた艦隊を撤退させてしまいます。そのまさに一瞬とも言うべき米軍が包囲を解いた間隙に、木村氏の艦隊は七月二十九日にキスカ島に上陸を果たしたのです。

 もちろん敵軍なんていないものだから一切妨害を受けないばかりか迅速な輸送によって5000名を越える人数をわずか55分で収容し終えて、そのまま米軍に見つかることなく基地への撤退を見事完了しました。当初、この救出作戦は状況の圧倒的不利さから不可能とまで呼ばれたほどの作戦だったのですが、終わってみると被害は全くといっていいほど無く、しかも一切の戦闘を行わずにこれほどの大人数の撤退を成功させた例は世界戦史上でも全くないといっていいでしょう。なお七月二十八日に包囲を解いた米軍は七月三十日に再び包囲を行いますが既にその時の島はもぬけの殻で、わずか一日の差で米軍は日本兵を逃してしまったのです。

 濃霧といい米軍の誤認といい偶然が重なった要素が多いのは事実ではありますが、一回目の出撃で救出が不可能と見るや批判を恐れずに撤退し、二度目の出撃がドンピシャのタイミングだったことを考えるとその後の強運とも言うべき状況を引っ張ってきたのは木村氏の高い決断力によるものとしか言いようがありません。そのため当時の旧日本軍だけでなく戦後は米軍からも木村氏は高く評価されたとのことです。

 その後木村氏は終戦時まで生き残り、戦後は故郷の山口県で元部下らと共に商売をして天寿を全うしたそうです。豪放磊落な人柄で部下からもよく慕われ、その上冷静な決断を上からの命令にものともすることなく忠実に実行する様はまさに軍人の鑑で、何もこのキスカ島のエピソードだけでなく米国の民間輸送船を撃沈させた際も乗組員がしっかり脱出するまで待ってから沈没させたとのことで、軍人としてだけでなく一私人間としても尊敬させられる人物です。特に出撃に至る決断は見事なもので、中途半端な妥協を一切許さなかったこの決断なくしてこの奇跡はありえなかったでしょう。

 ちなみにこの脱出時にはもう一つ小さなエピソードがあり、キスカ島の守備隊が脱出時に悪戯で「ペスト感染患者隔離所」という嘘の看板を島に残して行った為、守備隊のいなくなった後に上陸した米兵はペスト菌に感染するのではないかと大いに慌てたそうです。

2009年6月17日水曜日

公務員の金銭感覚について

 もうあんまり会わなくなってそこそこ時間が経っていますが、以前に俳優を夢見て活動している友人がいました。その友人は物を貸したらなかなか返してくれないルーズな奴でしたが基本はいい奴で、下宿が隣同士ということもあって当時に二人で結構むちゃくちゃなことをやっており、今でも覚えているので片道25キロかけて一緒に自転車で京都市内に突入した挙句、そのまま自転車で市内を一日中観光し回ってまた25キロを走って帰ってきたのはいい思い出です。

 そんな友人ですが父親は県庁で働いているという公務員一家の出身で、私も興味があったこともありいろいろと公務員の仕事ぶりなどを聞いてたりしていたのですが、その際によく友人が言っていたのは、「よく公務員は楽な仕事とか言われてるけどそんなんじゃねぇよ」という言葉でした。
 確かに一部の公務員、私がはっきり知っているのは空港などの入国審査官などは文字通り昼ごはんも食べる暇も無いほど忙しいらしくその働き振りには頭が下がるのですが、友人の父親は県庁なのでどんなものかと敢えて細かいことを聞かずに好きな風に話させ続けさせていると、給与面についてやっぱり民間と比べると公務員は少なくて家計のやりくりは大変だったと洩らすようになりました。

 その友人に言わせると確かに不況期であった当時は周りと比較しても大差は無かったがバブル期の頃は民間との給与の差が大きく大変で、その後も一貫して標準の所得世帯よりは一段低かったなどということなのですが、私はというとその友人の語る内容に対して少し疑問に思うところがありました。というのもその友人が普段話す内容がこう言ってはなんですがどこか浮世離れしているところがありまして、下宿は私と同じで家賃が三万円のアパートでしたが生活ぶりは私からしてやや華美な生活、というより金遣いでした。そこで一つカマをかけようと、何かの拍子にこんなデータを敢えて紹介してみました。

「確か2003年のデータだったと思うが、全所得世帯のうち年収1,000万円を超える世帯は全体の4.9%だ」
「えっ、マジ? 俺、年収1,000万円越えている所って結構あると思ってた」

 そう言って、案の定というか彼の家も年収1,000万円を越えているのを白状しました。

 別にその友人が嫌いでもなんでもないですし最近連絡とってはいないけど今でもいい友人だと私は思っていますが、この友人の例のようにどうも外から見ていると公務員やその一家は自分たちの収入について「少ない方だ」と本気で信じ込んでいる傾向があるのではないかと私は思います。実際には日本の公務員の収入は地方中央のどちらもバブル崩壊以降は民間の給料が一貫して下がっているのに対して逆に上がり続け、現在に至っては民間平均の数割増で当たり前というほどの超高給職となっております。にもかかわらず大阪府や大阪市、それに京都市から果てには今ブログ市長で有名な阿久根市の職員などはテレビカメラの前でも声高に、「自分たちは一生懸命働いているのに何で限界ギリギリの給与をさらに下げようとするのだ」と「それはひょっとしてギャグでやっているのか(゚Д゚;)!?」と思わせるような限界ギリギリの発言を平気でよくやっています。

 何で彼ら公務員たちは自分たちの収入を少ない方だと信じ込むのは、まぁ単純に思い浮かぶ理由としては非常に視野が狭い中で働いているからだと思いますがそれは置いといて、国と地方合わせて借金漬けの日本をどうにかするために私は彼らの給与は民間平均、場合によってはそれより一段低いところまで引き下げてでも支出を減らさねばならないと思います。そうすると優秀な人材が集まらないなどと国家官僚らは以前からよく言っていますが、社会保険庁などの問題を見ているとそんだけ金をつぎ込んでも優秀な人材が集まってきていないのは確かなのでだったら少ない給料で越したことはないでしょうし、むしろ少ない給料でも働こうとやってくる人材の方が私は公務員という職には適している気もします。

 では具体的に公務員の給料を引き下げるにはどうすればいいかですが、それはやはり情報を一般に公開した挙句、一般世帯との比較をはっきりと突きつけてやることに尽きます。現在例の阿久根市長は各部署ごとに人件費の総額を窓口に貼り付けて公開することで引き下げを現在迫っているそうですが、それによると阿久根市職員の給与は阿久根市全体の平均所得よりやはり三、四割ほど高いそうです。
 よく民主党の議員らが公務員の意識改革と強く訴えておりますが、この金銭感覚一つとっても一般人と大きくかけ離れているところが私からしても見受けられるのであながち間違いじゃない気がします。公務員なのだからデータはすべて公開、比較して、存分に有権者の洗礼を受ける時期に来ていると思います。

  追伸
 今日よく引用した阿久根市と言うのは実はうちのお袋の実家で、普通にテレビニュースでこのブログ市長が取り上げられるとお袋の知り合いもよく映ってきます。またこの前訪問した予備校の恩師もここの出身で、その恩師によると以前の阿久根市の市長の退職金は東京都知事よりも高かったそうです。元はといえば、その退職金の返納を巡ってこの竹原信一阿久根市長が暴れだしたんだけど。

2009年6月16日火曜日

猛将列伝~范雎~

 最近歴史関連の記事が少ないので久々にこの「猛将列伝」系列の記事を書こうと思います。なおグーグルアナリティクスによると、今でも私のブログは検索ワードで「宮崎繁三郎」が二位に就き続けてアクセス数を稼いでおります。件の記事は以前に書いたこの猛将列伝シリーズのこの記事ですが、なんでこんなに検索されるんだろうと書いた本人が一番びっくりしています。

 そういうわけで本題に移りますが、本日紹介するのは中国戦国時代、西暦にすると紀元前三世紀の「范雎」という人物です。この人物が描かれている歴史書は言わずもがなの史記ですが、実は史記に登場する人物の中で私はこの范雎が一番好きな人物でもあり、中二病的なくらいにこの人物と自分を重ね合わせたりすることがよくあります。
 そんな范雎ですが一体どんな人物かというと、一言で言えばその後始皇帝の時代に始めて中国を統一した泰国の宰相です。この范雎が活躍したのは始皇帝が国王として統治する前の昭襄王(始皇帝の曽祖父)の時代で、事実上後の泰の統一を確固たるものにした国王です。

 この范雎は元々は泰の人間ではなくむしろ泰と長らく敵対してきた魏の出身でした。若い頃から弁舌に優れていてそれを評価した魏の大臣の付き人として働いていたのですが、ある日斉の国に使者として派遣された大臣に付いて行ったところ、范雎の優秀さに気がついた斉の大臣が先にコネを作っておこうと范雎個人へ贈り物を送ろうとしたのですが、それを何かしら機密情報を密告した謝礼ではないかと疑った大臣らによって激しい拷問をかけられることとなってしまいました。
 もちろんそんな事実は一切なかったようなのですが、その際の拷問は凄まじいもので散々殴る蹴るなど暴行を加えられた後に文字通り簀巻きにされて便所にまで放り投げられ、各人に小便まで引っ掛けられて嘲け笑われた程でした。

 そんな大ピンチの中、范雎は牢番に死んだことにして助けてくれと頼み、その頼みを受け入れた牢番が大臣に小便で溺れ死んだと偽ったことによって九死に一生を得ました。そうして脱出した范雎は密かに魏を脱出して泰に赴くと、「長禄」という名前に変えて当時外戚によって権力を握られて何もすることの出来なかった昭襄王に近づき、一念発起して外戚を追い出して親政をすべきだと諭して信用を得、范雎の建言を受け入れて親政を始めた昭襄王によって宰相に任命されます。
 宰相に任命されるや范雎は次々と政策を実行していき、その中でも特に際立ったのはいわゆる「遠交近攻」政策でした。これは日本の戦国時代でもよく使われた外交政策ですが簡単に説明すると国境の接していない遠くの国とは誼を結び、自国とその国に挟まれる国境の接する国を両国で攻め込んで打ち倒していくというオセロゲームのような外交戦略のことです。まぁもっとも、間の国が倒れたら今度はその両国が争うことになるんだけど。

 この遠交近攻政策が功を奏し、当時の泰に戦国時代最強とまで言われた猛将白起もいたことで泰は一挙に勢力を拡大し、隣国の韓の領土を分断して弱体化させただけでなく近隣の弱小国も次々と併呑していきました。極めつけがこれまた戦国時代において最大規模の戦争と言われる長平の合戦において、白起の名采配もあり泰に次ぐ最大国であった趙を完膚なきまで叩いて40万もの趙兵を生き埋めにするという大戦果を挙げるに至りました。

 この頃、巨大化する泰に対してその脅威を和らげるために魏から泰へ使者が送られたのですが、皮肉なことにこの時送られた使者というのがかつて范雎を拷問にかけた大臣の一人でした。その大臣が来るとわかるや范雎はわざt汚い身なりをして会いに行き、運良く生き返ったといって再会を喜んだふりをしました。大臣の方も行き違いがあったとはいえ高く評価していた范雎と再会したことを喜び、しかもその范雎が泰の宰相に今仕えていて大臣に早速明日にでも引き合わせてくれると言うもんですから疑いも無く信用してしまいます。
 その大臣は泰の宰相は長禄という人物だと信じていたのですが、既に述べたようにそれは范雎が泰に来てから名乗りだした変名で、次の日に大臣を屋敷へ連れて行って待合室で待たせていざ謁見するや、さっきまで汚い格好をしていた范雎が宰相の席に座っているもんだから大いに腰を抜かしたことでしょう。

 范雎はその大臣が再会時に汚い身なりを哀れんで上等な着物を譲ってくれたことに免じて生かしてやると伝えるものの、魏との同盟は一切認めず、また自分を拷問にかけるのを主導した公子(国王の一族)の首を持ってこない限り真っ先に魏を叩き潰すと伝えて大臣を追い返しました。その後紆余曲折はありましたが、范雎は見事復讐を果たして公子の首を送り届けさせます。

 その後范雎は屋敷にやってきた人物に、もし范雎を買ってくれた後ろ盾の昭襄王が死ねばかつての呉起や商軮のように范雎に恨みを持つ人物らによって殺されるだろうから今のうちに引退したほうがいいと説得され、まだ全然現役にもかかわらず早くに引退します。史記というのは才能があるものの悲劇的な最後を遂げる人物が多い中で、過程は壮絶ではあるものの、唯一といっていいほどこの范雎は在世中に功績を挙げただけでなく無事天寿を全うすることが出来ました。

 私がこの范雎に惹かれるのはそうした苦労をしたものの最後は報われた人物であることと、自分をあらぬ罪で追い落とした人物へ見事復讐を果たした点に尽きます。世の中才能があってもなかなか報われないとはわかっているだけに、見事それを開花して成功した話は相応の美しさがあります。

ウィキペディアのハゲのページについて

 まずは何も考えず、以下のページをご覧ください。

ハゲ(ウィキペディア)

 このページは今日発見したのですが、何があるかってまずいきなりハゲの一例として旧ソ連大統領のゴルバチョフ氏の写真が出てくることです。このゴルバチョフ氏に続いてフルシチョフ氏、そして何故か舛添要一厚生労働大臣の写真が貼り付けられており、終いにはフランシスコ・ザビエルの肖像画までついてきております。

 これらの写真はハゲ方の一例として貼り付けられていますが中身の文章とは何の脈絡もなく、恐らく貼り付けた方が冗談でこれらの写真を選んだのだと思います。それにしたって、もうすこし選びようがあるだろうという気もするのですが……。

2009年6月15日月曜日

厚生労働省職員逮捕について

 西川郵政会社社長の人事を巡って揺れに揺れた一週間が鳩山総務相の更迭によってようやく過ぎたかと思うや、この人事問題の一つの発端となったヤマダ電機による障害者団体割引不正使用問題が昨日になって急展開を見せ、なんと郵政会社に留まらず厚生労働省の次期次官候補の一人として目されていた女性職員が逮捕される事態となりました。
 事件の詳細や女性職員の逮捕容疑については他のニュース報道に譲りますが、いくら素人といっても鳩山元総務相が更迭された直後にこんな急展開を見せられもしたら、何かしら政官財の間の裏があるのではないかと疑ってしまいます。

 当の鳩山元総務相はというと本日のNHKの七時のニュースにて報道されていましたが、前回の「鳩山邦夫総務相更迭について」で私も書いた事実を記者団に対して肯定し、

今年の春に麻生首相から手紙を受け取り、その中に書いてある候補の中から西川社長の次の後任を選ぶようにとの指示を受けた

 とぶちまけ、最後の捨て台詞として「信じた私が馬鹿だった」とまで言ってくれました。この件を夕方にぶら下がり記者に問われた麻生首相は「ノーコメントです」と返答を拒みましたが、これじゃ暗に肯定しているようなもんでしょう。
 さすがに私も今までは慎重を期して敢えて匂わす程度で抑えてきましたが、要するに今回の後任人事問題は鳩山元総務相というより麻生首相の主導で行われてきた可能性が高い、というのが私の最初からの見立てです。鳩山総務相の方はというと恐らく本人も言われるがままではなく自らの考えもあって西川社長を糾弾していたのだと思いますが、ここまで派手に暴れまわったのは麻生氏の直接的か間接的かの指示を受け、もしくは阿吽の呼吸というか麻生首相の意を汲んで行っていたのだと思います。どっちにしろ、それが見事に逆の結果となってしまったのは皮肉ですが。

 私としてはこの関連の記事で何度も言っているように、障害者割引の不正使用問題が起きた際に西川社長ら経営陣が一切事態究明に取り組もうという態度を見せないばかりか、昨日に厚労省の職員が逮捕されるまでほぼこの事件はもう終わりかと思わされる位に事態が動かなかったなことに納得行かず、民営化の推進はともかく西川社長は経営責任を取って辞任すべきだと考えていました。言ってはなんですが恐らくヤマダ電機が摘発されたような行為は恐らくそこだけにとどまらず、もっといろんなところでやっているでしょう。広告代理店も絡んでいるんだし、業界内では割と公然と行われていたと予想できますし、その辺をこの期に洗いざらい摘発されることを願っております。

 なおこれは完全に根拠なしで私の勝手な妄想ですが、今回の厚労省職員の逮捕は足利事件での菅家氏の釈放が無ければ行われなかったのではないかと個人的に思います。今回職員を逮捕したのは東京地検特捜部ですが、検察はあの足利事件によって国民から総スカンを食らったので今回は汚名返上とばかりに幕引きが行われようとしていたこの事件を鳩山元総務相の更迭で注目が集まっている中で仕事してるのを見せ付けるため、急転直下で捜査をまた動かし始めたんじゃないかと疑いすぎかもしれませんが思わずにおれません。一つだけ確かなのは、今回の職員逮捕の背景には問題となった障害者団体の認定を巡りある国会議員の強い要望に職員が応じて団体の認定を行ったことが逮捕容疑となっていて、その国会議員は今日の朝日新聞夕刊によると民主党だと報じられているということです。

2009年6月13日土曜日

鳩山邦夫総務相更迭について

 すでに昨日の段階で報道されておりますが、かねてより西川郵政会社社長の続投に異を唱えていた鳩山邦夫総務相が麻生首相に促される形で辞任しました。名目上は辞任ですが、実際には更迭と見るべきが妥当なので本記事中ではそちらの表現を採用します。
 さてこの鳩山総務相の辞任の影響ですが他のニュースなどでも既に報じられているように、中山文部相、中川財務相に続いてこれが麻生内閣における三人目の閣僚の辞任とあり、しかもことここに至るまでの紆余曲折が長引いたこともあってただでさえ政権基盤の弱かった麻生政権のダメージは少なくなく、自民党内でも解散前の倒閣運動こと麻生降しの噂が早くも飛び交う事態とまで至っております。

 今回のこの総務省の辞任劇について各新聞社も本日社説にてそれぞれ論説を述べていますが、産経新聞は以下のリンク先の記事を早速乗せております。

更迭劇の舞台裏 「けんか両成敗」か「鳩山切り」か 苦悩の末の決断(YAHOOニュース)

 この産経の記事では麻生首相がギリギリまで両者の和解を努力したものの結局は鳩山総務相が折れなかったことと、喧嘩両成敗で両者共に更迭することに自民党内で反対論が強かったことから鳩山氏だけが更迭されるという結果となったと報じていますが、言っちゃ何ですが産経新聞の書いていることは真実ではないと思います。自分でもここまでばっさり切っていいものかなとは思いますが、私の見立てと産経の報道内容にはどうも隔たりがあり、内容的に如何なものかと思う点が少なくありません。
 じゃあそんな自信たっぷりに言う私のこの辞任劇の見立てはどんなものかというと、実は読売新聞の社説内容がまんま私の思い描いたものと一緒なので、まずはこちらのリンク先をご参照ください。

首相、当初は「西川交代」…竹中・小泉コンビが封じ込め(YAHOOニュース)

 こっちの読売新聞の記事では当初麻生首相も鳩山総務相の意向通りに西川社長を更迭して代わりの人物を新社長として立てようとしたものの、小泉元首相と竹中平蔵氏の根回しによる逆襲を受けて新人事案を潰されてしまったという、比べてみると産経新聞の報じた内容との間に違いのある事実を報じております。

 では何故私が読売の記事の方が信憑性があると判断したのかですが、その判断材料は更迭直前の関係者たちによる一連の発言からです。まず前回に書いた記事で私が引用したように、麻生首相自体が数ヶ月前に「私はそもそも郵政民営化に反対であった」という発言をしており、この発言から麻生首相本人がそもそも西川社長に対してそれほど信頼感を持っていなかったのではないかと私は考えました。だからこそこの問題を長々と放置し、言うなれば鳩山総務相の好き放題にさせたのではないかとにらんでいます。

 まぁこの麻生首相の発言からくる私の判断はあくまで推測であってそれほど根拠として強くは無いものなのですが、もう一つの発言こと更迭直前の鳩山総務相の発言は決して見逃すことが出来ません。その発言というのも更迭される前日の6/11(木)の夕方に記者団に対して鳩山氏が語った一言で、

「(麻生)首相はすでに新しい人事候補を揃えている」

 という発言です。
 その日の夕方のニュースでしか私は確認していませんが、恐らく報道された場所もそこだけだったと思います。そんな恐ろしく小さなニュースで見ようによっては鳩山総務相がいつもの出しゃばった発言という風にも受け取ることが出来るのですが、この発言の直後と言うべきかその翌日に更迭が行われたことを考えると、私は最終的に更迭に至ったきっかけはこれではないかとすぐに思いました。
 このニュースを踏まえた上で先ほどの読売の社説です。記事内には「ポスト西川」の候補としてNTTの和田紀夫会長、生田正治元日本郵政公社総裁、西室泰三東京証券取引所会長などの財界人の名前が実名入りで載せられており、先ほどの鳩山総務相の発言が真実味を持ってくるように私は感じました。

 となると今回の更迭劇は読売の言う通りに小泉、竹中ラインによって行われたということになるのですが、私としてはさもありなんといったところです。
 私自身は郵政民営化には賛成ですが昨今の郵政関連における不祥事や、それに対する対応の悪さを鑑みて西川社長にはこの際降りてもらって、新たな社長の下で心機一転を図ってもらいたかったというのが素直な心情だったのですが、こういう後味の悪い結果になってしまっていろんな意味で残念です。

 やっぱりニュースの街頭インタビューを見ると国民の反応もいまいちで、次回の選挙において自民党への逆風にしかならない騒動だったでしょう。仮にこれで麻生首相を引きずりおろして新たな首相でやるにしても、人気のある舛添厚生大臣は参議院議員なので総理に就任することは出来ず、残った一発逆転の人材としては一か八かで小池百合子氏という手はまだ残っていますが前回の総裁選の報復人事からか現在閑職にあり、露出もほとんどなくなっていることから押し出すのにはなかなか苦労がいるでしょう。っていうか、この人なら鳩山邦夫氏以上に選挙直前に民主党へ鞍替えしかねないから逆に恐いな。

 なお次の選挙の一つのキーパーソンとして、現在私は自民党の菅義偉氏に注目しております。この人の経歴は文字通り根っからの叩き上げでそれだけに実力も申し分の無い議員なのですが、次回選挙の公約として議員の世襲禁止を盛り込もうとしたところ自民党内から猛反対を受けてちょっといま孤立気味です。しかし選挙対策などの技術においては自民党随一ということもあり、この人が今後どう動くか、また世襲禁止がまたどのように争点となっていくのかを見る上で見逃せない人物です。

2009年6月12日金曜日

献血について

 以前に友人から、構想中の小説のプロットとしてこんな話を聞かされました。
 なんでもその小説は究極なまでに合理、効率化された未来からやってきた「モルトン・クリードマン」という男が、どれだけそのような未来が素晴らしいかということを主人公に話して聞かせるという内容だそうで、その中のあくまで究極的に合理化された未来での話として、未来での医療現場ではクローンの技術がふんだんに使われており、遺伝子操作によって脳の思考をつかさどる部位をあらかじめ潰した人間のクローンをカテーテルから強制的に栄養を付与して育て続け、そのクローン人間から延々と血液を抜き出すことで輸血用の血液を安定的に確保する、人間を以って人間の血液を精製し続けるという話がありました。しかもそのクローンは血液に留まらず、必要とあれば内蔵も移植用に抜き出されて使われるという話で、恐らく倫理観や道徳を一切無視して合理化をとことんまで追求するとこんなことまで起きかねない、クローン技術がこんな風に使われかねないという皮肉を込めて友人はこの話を盛り込んだのだと思います。

 この話を聞いた私の第一印象はもちろん「気持ち悪い」という印象でしたが、その一方で今の献血体制の危うさも遠からず突いているという気もしました。私は年に複数回は確実に献血に行くヘビードナーですが、どうも関係者に聞くと日本の医療現場では慢性的に血液が不足しているそうです。まず血液はそれほど保存がきかない上に必要な際に一度に大量に使うことが多く、なかなか安定して確保している状態を保てないそうです。さらに日本の場合は売血行為というか輸血者に金銭での謝礼を支払うことを禁じており、その中でどうやって献血に来てもらうかと各団体は報酬に頭を悩ませているそうです。

 特に最近は新型インフルエンザの流行でドナーがなお一層集めづらくなっており、手術などに使う輸血はもちろんのこと、血友病患者のための血小板献血もなかなか集められないそうです。こうした状況を考えると、先ほどのモルトン・クリードマンの未来の話は確かに倫理的に今の私には認めたくない手段ながらも、それで血液を安定的に確保できるのならと全部が全部反対する気にまではなれません。
 しかし現代の献血行為についても今でも反対する団体などが数多くおり、また明治頃までは一般民衆の間でも他人の血を自分に入れるなどという心理的抵抗が強かったとききます。恐らくモルトン・クリードマンでなくとも、今の私が江戸時代の人に現代の献血治療を話せば相当な抵抗感を覚えられるでしょう。

 そういう時の流れを考えると、これから数百年後には同じ事を私が言われているかもしれません。とはいえ現在もクローンについては慎重に議論が続けられておりますが、いくら効率的だからといって全体の倫理感を一挙に飛び越えるような新たな治療法をそうやすやすと導入するべきではないと思います。また今の献血についてはやっぱりまだ助け合いという意識が根底にあるので、反対する団体や個人がいるのはわかりますが、やっぱり無いよりはあった方がいいと思いますし、現代の倫理観からそう大きくは外れていないと思います。そういうわけなので明日は血小板献血に行こうと思うのですが、ちょっと今週からある薬を毎日飲まなきゃいけなくなったので受けられるかどうか微妙です。血の気の多さは折り紙付きなんだけどなぁ。