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2009年9月19日土曜日

料理で学ぶ優先行動順位

 大分昔に「声に出して読みたい日本語」の作者の斉藤孝氏が、あるテレビ番組にてこんなことを言っていました。

「子供の教育において何をやらせれば一番いいのかといえば、実は料理なのです」

 斉藤氏が言うには料理をすることで子供は自然と効率的な動き方、行動の仕方を覚えるので、幼児期の思考の発達において非常に有意義だそうです。この斉藤氏の主張にテレビ番組を見ていた当時高校生だった私は果たしてそんなものなのかなと思いましたが、後年になって自分でも料理をするようになると段々とこの主張に納得するようになりました。

 普段から自分で料理している人間なら分かるでしょうが、案外料理というものは非常に複雑なパターンの集合体ともいえるような行為です。たとえばどの食材から切り分けるか、それとも先にお湯を沸かして食材を煮るか、その間に先に肉類に火を通しておくべきなのかなど、行動分岐を数えようものなら何百パターンにも分かれていきます。
 それでも一品の料理であればあらかじめ用意されているレシピ通りの順番で作れば間違いはありませんが、これが複数の料理を同時に作るとなれば選択の幅は大きく広がってしまい、どちらの料理のどの作業から初めて同時に何を進めておくべきか、効率的に動こうと思ってもなかなかそのようには動けず、終わってみると随分と回り道をしてしまったと思うような経験を私も何度もしております。

 そう考えると、料理作業において効率的に動くというのは非常に難儀なことです。ですが斉藤氏の言うようにそのような料理作業を通してどの行動を優先して行うことが最終的に最も効率的なるのか、そのように考える癖を身に付けて普段から行動できるようになればその他の様々な分野においても非常に応用が利くと私は確信しております。

 まず第一に応用が利く場として挙げられるのは、仕事の場です。アルバイトにしろ正社員にしろ、よっぽど管理された流れ作業でない限りは一つの作業中に何かしら突発的な事態や横槍が入るのは当然です。そのような事態に際し、現行の作業を優先するべきかそれとも突発的な事態に対応するべきなのかというのは、それこそ状況次第によるので画一された答えと呼べるものはまずないでしょう。そんな事態に瞬間的に現状を見極め、効率的な選択肢はどちらなのかと考えられてそのように行動できるのであれば、まずもって周囲から期待される位の働きが出来ることに間違いないでしょう。

 またこのような仕事の場に限らず、このブログのような文章の組み立てからスケジュールの組み方、果てには資産の運用の場など、この思考法が応用出来る場を挙げれば切りがありません。また以前にもこのブログでちょこっと書いたことはありますが、私は突き詰めて言えば思考というのは事象に対し優先順位を付けることに尽きると考えており、この料理によって鍛える効率的な動き方の考え方というのは根本的な思考力に対しても大きな発達が見込めるとも思います。
 しかるにこうした効率的な動き方や思考法というのは、工場での管理以外の現場ではそれほど着目されていないように私は感じます。それこそ斉藤氏のように幼児期から料理などを通してこうした思考を鍛えることは子供の将来的にも教育的にも効果が見込めるので、もっと全体で着目して盛り上げていくべきでしょう。

 差しあたっていえるのは、サークルの活動履歴とかどうでもいいような個人的な自慢に着目するのではなく、作業手順に順位付けなどをさせることで企業の採用担当は人材を見極めるべきじゃないでしょうか。

2009年9月17日木曜日

自分が変わらない理由

・友人Aの証言
「花園君ってさ、本当に昔から変わらないよね」

・友人Bの証言
「あのさ、それだけ政治とか経済にコミットしているのに、会社内とかでそういう話題の話し相手がいないのに我慢できるの?」

 最近、友人らから上記のようなことを度々言われます。
 この友人らの意見を補足するとこれは大概の日本人がそうでしょうが、就職して組織人になることで学生時代のように自由に振舞うことが出来ず、思想や言動も無意識のうちにかつてのものと比べて幅が狭くなっていきます。私の友人らも彼らが言うにはご多分に漏れず、自分の思想や言動がいつの間にか組織の型にはまってきて以前ほどの幅や自由さを感じられなくなってきているそうです。

 そんな友人らが言うには、この陽月秘話の内容を初めとして今でも私は若い頃と全く変わらずに以前と同じ内容を以前と同じ具合で話し続けているそうです。一体どうしてそれほどまで以前の自分を保ってられるのかとよく驚かれるのですが、かくいう私自身も決してこの点を意識せずに果たしているわけではないので今日はその辺について話をしようと思います。

 まずそもそも私が周囲に全く影響されずに以前と変わらずになりふりかまわない言動を続けられるのは、言ってしまえば幼少の頃の体験によってそういった周囲からの影響への耐性というか、自分の保ち方というものを身に着けていたからだと思います。
 自分でこういうのもなんですが、私は小さい頃から周囲とは妙に異なった振舞い方、考え方を常にしておりました。それでも小学校くらいまでは特に取りざたされることはないのですが、中学高校ともなるとクラス単位の集団の付き合いというものが強くなるため、周囲からいろいろと訳の分からないことを言われることが増えていきました。まぁ中学時代に、弁当のおかずを全部食べてからご飯を食べ始める癖は周りから注意されてよかったと自分でも思いますが。

 とにかくそれこそやることなすことから言うことまでよく周囲から、「それはおかしい」と言われ続け、私としても最初のうちは自分が何でそんなことをするのかをしっかりと周囲に説明すれば分かってもらえると思っていましたが、途中からは多分自分と周囲の人間で型が違うのだろうと割り切ってしまうようになりました。しかし割り切るにしても、自分がその振る舞いや言動を変えない限りは周囲からの変な目をくらったり、矯正するべきというプレッシャーを掛けられたりするのは変わりません。となると多少の苦痛は感じますが、そういった振る舞いや言動を自ら封印して出来る限り目立たないように行動することが一番割がいいだろうと判断したわけです。

 そもそもの話、私がそれほど周囲から奇異の目で見られるような振る舞いを止めて周囲に合わせればよかったのではないかと言われる方もいるでしょう。確かに言われればその通りで私も可能であればそちらの手段を取ったでしょうが、当時の私はどうしても周囲の振る舞いや考え方が正しいものとはとても思えませんでした。

 いくつか例を挙げると、私が高校生くらいの頃から携帯電話が流行りだして学校内はそれこそ携帯も持たないでどうするのという空気になり、持っていない生徒らも競って親にねだっていました。しかし当時の私はなにか緊急に連絡する状況になることはほとんど無く、むしろ通話代を親に負担させることになるので断固として持とうとしませんでした。
 またこの携帯電話に限らずシャンシャン総会みたいに無気力全開の図書委員会でも、こんな状態はよくないと一人で図書の推薦文を書いて全校に配ったり本の整理などもよくやりましたが、やっぱり他の委員からは変な人のように見られてたようです。
 更に言うと、周りがカードゲームやアーティストの話題を好んでする中で、私は一人で北朝鮮のテポドン事件についてあれこれ調べたり考えてたりしました。しかしこんな話題をしても周囲は相手にしないのも分かっていたので、無難に周りの話題に合わせて孤独に政経関係を勉強しておりました。

 こんな具合で、いわば周囲から無理やり型にはめられるようとする中で可能な限り目立たず、かつ自分が正しいと思う振る舞いや言動、思想を下手にさらさずに自分ひとりで育ててきた期間が長かったため、一応組織人となった今でも学生の頃と全く変わらないままでいられるのだと思います。ただそうした身の隠し方がこのところは過ぎているのか、どうも初対面の人からは自分が大人しいタイプの人間だと勘違いされることが増えてきています。自分ほど感情の上下が激しい人間はそれほどいないとは思うのですが、逆を言えばそこまで自分を隠すことが出来るようになったのだと最近は前向きに受け取っています。

 最後に自分が変わることについて、それがいい結果を生むか悪い結果を生むかはケースバイケースだと断言しておきます。変わるべき要素もあれば変わらざるべき要素もあり、自分のどこを変えてどこを変えないかをしっかり自分で考えて選ぶことが非常に重要です。一番よくないのはわざわざ私が言うまでもないですが、周りに翻弄されるがままに変わっていくことです。

オリックスの大石監督の続投問題について

 すでにあちこちのスポーツ系の報道にてオリックスの大石監督の来期の去就が噂されており、早いところなんか前阪神監督の岡田氏がオリックス監督に就任するとまで書いているところもありますが、私はというとオリックスは来期も大石体制で望むのがいいのではないかと思っています。

 まず今期のオリックスの成績ですが、確かに現在パリーグで最下位でほぼ負け越しが決まっているほど芳しくはないのは事実ですがそれでも四月まではまだ調子がよかったです。やはり今期で致命的だったのはローズ、カブレラという主砲打者二人が前半戦も早々に骨折によって長期離脱してしまったことに尽き、二人とも怪我をする途中まではホームランランキングでトップを争うほどの成績だっただけに、この二人の離脱が今期のオリックスに与えた影響は計り知れないでしょう。

 またこれは何も今に始まったわけじゃありませんが、今年のオリックスの投手陣の崩壊ぶりもまさにパンデミックものでした。私なんかは去年に新人王を取った小松投手に期待していたのですが、今年の成績は去年のあの変化球のキレはどこに行ったのかと思うほどの目も当てられない成績で、先発からリリーフに至るまで安心して見ていられる投手がオリックスにはいません。それを前半戦は打撃でカバーしていたというのに、主砲の外人二人が怪我するなんて……。

 こんなチーム事情では私は監督の責任はあまり問えないと思います。そしてなにより、あの癒し系とも取れる大石監督のさわやかな画面映りは失くすには惜しいです。そういう意味では、かつての横浜の監督だった山下大輔こと大ちゃんもいろんな意味で惜しかったのですが。

2009年9月16日水曜日

聖徳太子は一体誰なのか?(; ・`д・´)

 前にちょこっと書いたので、せっかくなので聖徳太子について私の見解をまるごと書いてみようと思います。

 まず大前提として、現在の日本の歴史においてはっきりと信頼性を置けるようになるのは壬申の乱後に即位した天武天皇の時代以降です。というのも天武朝以降の日本は隣国の唐へ遣唐使を送ることで相互にその歴史を証明し合っているだけでなく、東大寺を初めとして当時に作られた遺跡や建築物の系譜が現在においても比較的はっきりした形でまとめられているからです。
 これは逆を言えば、天武朝以前の日本の歴史は全く証明がつかない、あくまで推定の範囲での歴史だということになります。

 ここで挙げた天武朝以前というのは時代的には聖徳太子や蘇我馬子、また日本初とされる女性天皇の推古天皇がいた飛鳥時代から中大兄皇子こと天智天皇が大化の改新を行い、その天智天皇の息子の大友皇子と天武天皇こと大海人皇子が皇位を争った壬申の乱までです。
 では何故この辺りの歴史に信用性が低いのかというと、この辺の歴史については天武朝の系譜を引く奈良時代の天皇政権が編纂した古事記、日本書紀によるところが多いのですが、どちらの史料も時の政権によって編纂されたもので支配政権の正当性がご多分に漏れず主張されているからです。言ってしまえば大化の改新も、敢えて蘇我氏を悪役に据えてそれを退治した天智天皇一派、もとい藤原氏を善玉に仕立てているのではないかとかねてから言われております。なにせ、日本書紀編纂の責任者が藤原家二代目の藤原不比等なのだし。

 そういうわけで私に限らず蘇我氏、また同時代の聖徳太子についてその人物から立ち位置に至るまで疑義を呈す人間は少なくないのですが、聖徳太子についてはその存在もかねてより疑問視されております。以前の記事にも書いた通り聖徳太子が建立したとされる法隆寺は確かに史料通りの年代に作られていることが礎石から証明されておりますが、肝心な聖徳太子の子孫は蘇我氏によって滅亡に追い込まれたとされており、大化の改新後もしばらくは残っていた蘇我一族と比べるとなんだか唐突な印象を受けます。

 そんなことをこの前ガストで友人に話していたのですが……少し話は脱線しますがその友人は私と高校の同級生で世界史科目では学年で一番の成績を取っていたような友人なのですが、他の人間同様に歴史の知識は世界史だけに偏っていて日本史は時代によってほとんど知識がないところがある友人です。しかし世界史の成績がよかっただけに歴史に対する興味は強いのか、この時も私の聖徳太子の話を黙々と聞くだけでなくその後の反応についても下手な日本史科目の受験者よりずっと上でした。

 話は戻りますがその友人はこうした聖徳太子の話についていきなり、「聖徳太子は十人いたんじゃないのか?」と切り出してきました。何故十人かというと聖徳太子のあるエピソードによるからで、そのエピソードというのも聖徳太子の賢者ぶりを表す有名なエピソードです。
 日本書紀によると、聖徳太子は一度に十人もの人間の訴えを聞き分け、また適切に各人に返答したというエピソードが載せられております。これは暗に、聖徳太子という人物はその時代における複数の人物をひとまとめにして作った架空の人物ではないかと言っているのではないかとその友人は考えたわけです。

 この聖徳太子複数人説というのは実はこれまでにも提起されており、現状で私も最も支持する意見であります。というのも日本書紀における聖徳太子というのは本当にスーパーマンばりになんでもこなす万能人間で、本当にこれが同一人物が行ったのか疑わしい面も少なくないからです。
 いくつかそうした聖徳太子のモデルを紹介すると、蘇我氏が権力を握るきっかけとなった物部氏との戦闘においては軍隊を指揮する軍人で、自らも深く帰依して仏教を日本の国家宗教にする過程では宗教者で、小野妹子を隋に派遣する場面では外交官、憲法十七条を作る場面では政治家と、このように一人の人間としてみるにはあまりにも多くの姿を持ちすぎております。このほかにも細かいところを挙げれば一つでいいような氏寺を四天王寺や法隆寺などいくつも建立しており、また空飛ぶ馬に乗って通勤していたという超能力者っぽいエピソードまであります。

 となるとこの聖徳太子というのは、蘇我政権下で活躍した人物、もしくは蘇我馬子の功績を彼から引き剥がすために作られた人物と考えるのが自然かもしれません。一つ一つのエピソードは本物でも、それを果たしたのが一人の人物だとは必ずしも限らないのは歴史の常です。もっともそういうパターンはこれとは逆に、ローマのネロみたいになんでもかんでも当時に起こったよくないことを一人の歴史人物に押し付けられることのほうが多いのですが。

鳩山内閣の顔ぶれについて

 本日衆参両議会の氏名を受け、鳩山由紀夫民主党代表が見事総理大臣に就任しました。なにはともあれ、民主党の結党からこれまでいろいろ苦労を重ねた上にようやく総理大臣にまでたどり着いた鳩山首相に対し、この場ながら一日本人としてお祝いを申し上げることにします。またこの鳩山氏の総理大臣就任と共に、本日はかねてより議論されていた鳩山内閣の顔ぶれについてもはっきりしました。

 まず民主党若手の中で最も期待され、かつ入閣が確実視されていた長妻昭氏はやはり「ミスター年金」の名に恥じることなく厚生大臣に就任しました。私としても長妻氏が厚生大臣にて年金行政を担当することには全く異存はないのですが、派遣業法の改正や新型インフルエンザ対策など、前職の枡添大臣でもそうでしたが現在の厚生大臣は非常に多忙を極める職となっております。出来ることなら仕事分野を別の担当大臣などを設けることで分けて、私は長妻氏には年金のみをこの際しっかりと取り組んでもらいたかったというのが本音です。

 次に同じく若手の中で去就が注目されていた前原誠司氏ですが、一応は要職に当たる国土交通大臣に就任しました。まぁ防衛や外交といった、党本部とは真っ向から対立する意見を持つ前原氏がそういうところに就任しなかっただけでもマシと見るべきかもしれませんが、確か前原氏は前回の参議院選挙の民主党マニフェストについて、こんな大盤振る舞いは出来るわけがないから政権を取っても大きく方針を変えなければならないと主張していたことを考えると、高速道路無料化などで齟齬をきたさないかちょっと心配ではあります。
 ついでに前原氏の私の評価を書いておくと、この人は悪い人には見えませんがいかんせん勢いばかりありすぎてやや慎重さが足りないような気がします。私もあまり人のことは言えませんが。

 このほかの大臣については一括して私の意見を書きますが、まず第一印象としてはややベテラン議員が多すぎるように感じました。上記の長妻氏、前原氏を除き、六十歳未満の大臣となると後は原口一博総務大臣と小沢鋭仁環境大臣、福島瑞穂消費者少子化担当大臣しかいません。
 確かにこれまで民主党は長らく野党としてやってきたのだから、ずっと党を支えてきたベテラン議員には論功行賞とばかりに今回はポストを与えたいという心情も分かるのですが、逆にそうやってついに政権を奪取したのだから今度はそうして得た政権を長く保たせるためにも若手を大胆に起用し、政治家を現場で育てる姿勢をもう少し見せて欲しかったです。
 ただ民主党はこれまでの自民党政権ではほとんど機能していなかった副大臣を活用すると主張しているので、もしかしたらこの辺で若手を使うつもりなのかもしれません。だとしたらそこそこ期待できるのですが。

 最後に、まぁあくまで根も葉もない噂ではありましたが、財務大臣に大学教授の榊原英資氏が就任することはやっぱりなかったようです。順当といえば順当ですが、民間人採用も一人くらいはあってもという気持ちもします┐(´ー`)┌

2009年9月15日火曜日

谷垣貞一氏の自民総裁選出馬宣言について

 今回の選挙戦の大敗北を受けて混乱続く自民党ですが、明日鳩山民主党代表が臨時国会にて総理大臣就任をする直前に至り、今日になってようやく次の自民党総裁選挙に名乗りを上げる人物が出始めてきました。
 口火を切る形で名乗りを真っ先に挙げたのがこの記事の題になっている谷垣貞一氏で、これに続く形で河野太郎氏、小野寺五典氏も本日になって総裁選への意欲をマスコミに発表しました。また記者からの出馬についての質問に対し、「そういった話は総理大臣氏名が終わってからです」と、石破茂氏は曖昧な態度を取っていますが、こんな発言をわざわざするのだから多分出るのではないかと私は見ています。

 とはいえ現時点で最有力候補とくれば、やはり谷垣氏ということになります。谷垣氏は自民党内で古賀派に属しており、今日意欲を示した小野寺氏も同じく古賀派のために同派閥内で小野寺氏が出馬するのに必要な推薦人20人を集めるのは難しい上に、派閥会長である古賀誠は今日の小野寺氏の出馬意欲発言に激怒したとまで報道されております。
 そんな最有力候補の谷垣氏ですが、実を言うと麻生総裁が辞任すると表明したときからこいつにだけは次期総裁になってもらいたくないと私が真っ先に思っていた人物でした。

 何故私が谷垣氏をそこまで評価していないかというと理由はいくつかあり、まずこれまでの経歴が気に入りません。
 なんでもこの人、一応東大を出ていますが卒業するまで八年かかっており、なおかつ卒業後にはすぐ定職につかずに確か七年くらい勉強して司法試験に合格しています。司法試験に合格したのは確かに評価できますが、いくらなんでもそんなちゃらんぽらんに生きてきた上に世襲議員と来ればちょっと私はこの人の人物を疑います。

 次に谷垣氏の政治家としての資質です。
 確かに早くから要職を歴任して小泉政権下では財務大臣という重職まで努めているのですが、当時から注意深く観察していましたがどうもその財務大臣時代にこれという仕事を谷垣氏がなした形跡が全く見られません。当時の金融、経済関係の問題処理はほとんど竹中氏がやっていたので無理もありませんが、それでも当時から現在に至るまで谷垣氏からこれという政策提言や未来のビジョンを聞いたことがありません。
 小泉元首相辞任後の総裁選においては型通りのことしか言わなかったし、また当時に文芸春秋が行った総裁候補へのインタビューには文春に書かれた自身のスキャンダルへの意趣返しとばかりに応じませんでした。まぁ、気持ちは分からないわけでもありませんが。

 そして極め付けが、麻生総裁との過去の密談の暴露です。
 確か安倍元首相が辞任した前後だったと思いますが、ある日谷垣氏が記者団を前にして自ら話を切り出し、

「麻生がこの前、次の総理大臣は俺とお前の交代にしよう。先に俺にやらせてくれよと私に言ってきた」

 と、まぁ実際に麻生総裁なら言いかねないこの発言をいきなり暴露していました。発言内容が内容なので別にそれほど気にすることでもないのですが、谷垣氏は失言こそ少ないもののこの例のように突然妙なことを言い出すところがあるので、資質もあれだから野党とはいえ自民総裁にはなっちゃ駄目だろうと早くから私は思っていました。

 じゃあ誰がなったらいいのかといえば、谷垣氏を擁立する派閥が古賀派だというのなら、派閥会長の古賀が選挙前に東国原宮崎県知事を口説きに行って混乱を招いたのだから、向こうもその気だし、擁立するのならいっそそっちでも擁立したらどうなのかとやや皮肉っぽく思います。

中国語検定について

 すでに何度もこのブログで書いているように、私もいっぱしの中国語使いで今でも向こうの新聞を辞書なしで読むことも出来れば中国人と日常会話をすることが出来ます。とはいえ仮に私が中国語の新聞を取り出して音読みをしたところで中国語を知らない人からすると、それが本当に正しい中国語なのか、本当に私が中国語を理解しているのかはまず分からないでしょう。ではどうすれば私が中国語を使えるのかと他人に証明できるのかといえば、やはり力を発揮するのは外部の検定などによって得られる資格です。

 中国語の資格とくればちゃんと分かっている人はHSKこと、「漢語水平考試」という試験の資格を真っ先に思い浮かべるでしょう。このHSKというのは中国政府が国内の北京語を母語としない少数民族らの大学入学資格を測るために作られた試験なのですが、現在では主に外国人らが自分たちの中国語の技量を測るために受験しております。
 試験概要を簡単に説明すると、このHSKには「初、中級」と「高級」の二種類のテストがあり、それぞれのテスト成績内で何級かを測定されます。なおそうして得られた成績の証明には有効期限があり、確か一年間だけだったと思いますが、私の場合はすでに三年前の成績ですが「初、中級」の七級資格をかつて得ました。

 しかしこのHSKですが、お世辞にも日本国内で知られている試験ではありません。実際私も履歴書に書く傍から「何これ?」と聞かれまくり、一社の担当者だけが知っていてそこだけは話が早く済みました。では日本、というよりも日本企業の人材担当者が中国語使いを見る上で何を重視するかといったら、今回の題にある中国語検定です。結論から申しますが、私は逆にこの中国語検定を初めから信用しておらず、こんなもので中国語のレベルを測ること自体が大きな間違いだと思います。

 いきなりこう全否定しておきながら言うのもなんですが、私も一応は外面を保つためにこの中国語検定の三級は取得しております。「一年間も北京に留学していたのだから、三級といわずに一級とかをなんで取らないの?」、ということをたまに友人に聞かれますが、何故私が三級以上の試験を受けなかったのかというとこの検定に受ける価値がないと判断したからです。
 留学から帰国直後、当時の私もまだ中国語をしっかり覚えている状態で可能な限りこの中国語検定で高い級を取っておこうと考え、三級とは言わず二級か準一級を受験しようとしたのですが、書店で販売されている公式テキストを見てそうした考えが一挙に吹っ飛んでしまいました。

 まず何に驚いたかというと、二級の試験問題に使われている中国語表現のほとんどが全く見たことも聞いたこともないような代物ばかりだったからです。はっきり言って古文や漢文のような、ネイティブの中国人に聞いてもまず知らないであろう訳の分からない四字熟語や一般的には全く使われない単語が羅列してあり、多分覚えても役に立たないであろう問題内容ばかりでした。仮にも私は一年間北京にいましたが、普通に受験してもきっとこの二級の試験には今でも合格できないでしょう。

 そんな役にも立たない中国語知識を得るために勉強時間を作るのも馬鹿馬鹿しかったので、何も勉強しないでもまず受かるであろう三級に受験試験をシフトしたというわけなのですが、試験前に一応ざらっと問題集を解いているとここでもまたいろいろ驚かされることになりました。

 ちょっと専門的な話になりますが、中国語では「状態補語」といって比較表現と組み合わせてその程度を表す表現があり、使い方はというとこんな具合で使います。

・名詞(A)+比+名詞(B)+動詞+得+副詞

 この形で、「AはBよりずっと~だ」みたいな表現が出来、ちょっといくつか例示すると、

・北京冬天比東京冬天冷得多。(北京の冬は東京の冬よりずっと寒い)

 という風に使ったりします。

 ここで問題なのは「得」という漢字の後に来る副詞です。普通この表現を使うときは「ずっと~」と言うことが多いので最もポピュラーなのは「多」という漢字なのですが、中国語検定三級のテキストでは何故かそのような場面には「很」という漢字を使うことになっており、先ほどの表現を使うと、

・北京冬天比東京冬天冷得很。

 というように、実際に三級のテキスト問題でもこのように選ばないと間違いになる問題が盛り込まれていました。
 しかし、はっきり言って私はこんな中国語を一度たりとも北京で聞いたことはありません。それどころか北京語言大学の授業でこの単元を学んでいる最中に先生から、「この表現では絶対に”得”という字の後に”很”を使ってはいけませんよ」という注意まで受けています。

 こんな具合でこれ以外にもいくつか疑問と思える表現が中国語検定では見受けられ、こんな試験に意味があるのかと思いつつ本試験に臨んだら案の定選択問題でこの表現が出てきたので、中学生くらいの自分だったら、「いいや、お前が間違っている!」とばかりに「該当なし」と回答したでしょうが、私も大分こなれて来ていたので「很」を選んで見事合格したわけです。

 調べてみるとこの中国語検定を実施しているのは「日本中国語検定協会」というところだそうですが、前の漢字検定もいろいろと問題があり、試験内容についても上級の試験はただ難しい漢字の羅列だけで何の教養にもなっていないと批判されていましたが、なんだか私はこの中国語検定にも同じにおいを感じます。
 最後に各企業で人事担当をしている人に伝えたいのですが、こうした資格とかで相手を値踏みするのが如何に簡単だからといって安易にそれを鵜呑みするべきではないでしょう。本気でいい人材かそうでない人材かを見極めたいのなら、もっと時間を掛けて個別に面接とかを実行するべきじゃないかと、今年の就職活動で苦しんだという後輩らの意見を聞いていてよく思います。