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2009年11月25日水曜日

鳩山首相の献金疑惑について

「今でもないと信じたい」=実母からの資金提供-鳩山首相(YAHOOニュース)

 この鳩山首相への故人献金疑惑が伝えられた頃からある程度目算がついていましたが、案の定というかこの献金疑惑はどうやら鳩山家内で円滑に遺産相続を行うために実行されていた可能性が高くなってきました。今日は久々にちょっとやる気が低いので簡単にまとめますが、日本の政治団体というのは法人と同様に代表の変更、引き継ぎがあってもその保有資産には一切税金がかかりません。そのため親の政治団体を子供が引き継いだとしても、事実上一切の相続税がかけられないまま資産の移動が行えてしまいます。

 この件が初めて大きく取り上げられたのは去年の週刊誌にて、小渕優子現衆議院議員が父親の小渕敬三氏の死後に政治団体を引き継いで代表に就任した際に、とんでもない額の政治団体が保有していた資産も一緒に引き継いだ事を政治家の世襲だと問題視する記事を載せたことからでした。今回の鳩山首相の一連の故人献金の出所の大半はリンクに貼ったニュースによると彼の母親の個人資産とのことで、恐らくこのまま普通に鳩山首相の母親が亡くなると相続に当たって大幅な相続税の負担を受けることが予想されることから、前もって生存中に相続税がかからない政治団体へ財産移動を行っていたというのがこの事件の構図だと私は見ています。

 この一連の鳩山家の財産移動はまごうことなき税金逃れで、政治団体への個人献金額が年間上限が150万と決められていることを考えると明らかな不正です。さすがに逮捕されるまでの重罪ではありませんが、鳩山首相も自分の母親がやっていることなのだからまずもって意図的である事を考えると、その責任は決して軽くはないでしょう。

 ついでに紹介しておきますが、今年夏の文芸春秋の特集にて佐野眞一氏が書いたルポによると鳩山氏の母親はブリジストン創業者の娘という事でブリジストン株を大量に保有しており、またその孫に当たる鳩山由紀夫、邦夫の兄弟も相当数のブリジストン株を持っているらしく、恐らくその配当金は年間で5000万円を超えているそうでそれが鳩山家の政治活動資金になっていると指摘していました。さすがに5000万円が何もせずとも入ってくると聞いて、これだけの額だと政経癒着じゃないかと思わず私も目を疑ってしまいました。なんか今度この記事をまとめた文庫本が出るそうだから、買いなおそうかな。

 ただこの鳩山家の財産移動を追う特捜の方も今はあまり調子がいいとは言えず、先程会見がありましたが郵便の障害者割引の認定過程で不正を行っていたという厚生省元局長の女性が改めて無罪を主張していました。この事件は言ってはなんですけど自民党が選挙前に民主党を貶めるために選挙前に行った国策捜査のきらいがあり、すでに政権交代が起こった現在においてこの点を政府から追求されると検察の方もたまったもんではなく、もしかしたらこのあたりで手打ちが行われたりしないだろうかとちょっと心配です。

 最後にまだ疑いの残る点として、この鳩山家の財産移動は果たして由紀夫氏だけのものなのか非常に気になります。あくまで私の予想ですが、同じような事を鳩山邦夫氏もやっているのではないかという気がします。そこら辺が気になっているのですが、なんかどのメディアも邦夫氏へのインタビューがないんだよなぁ。

2009年11月24日火曜日

個人主義とモラルは対立するか

 前回の記事にて私は近年の日本人のモラルの低下について自分の考えを披露しましたが、かいつまんで言うとお互いに仲間だと意識しあえる共同体の数や範囲、枠の強さが揃って低下したために、日本人のモラルが大きく低下する事になったのではないかと主張しました。

 しかしこうした考えに対するいい反例なのが、ほかならぬ私自身であります。こう言ってはなんですがかれこれ20数年も生きていながら未だにどの集団の中でも孤立しつつ、一匹狼的な生き方を生まれてこの方ずっと貫いてきております。当然所属する共同体も非常に少なく、一般人が強く持つであろう家族関係ですら非常に希薄で地域との結びつきに至っては皆無に等しい、っていうか地元の人間からは厄介者のように見られている程です。
 その分、個人個人の付き合いで言うなら非常にしっかりとした信頼関係を持つ友人は割と多い気はします。特にこのブログで普段展開しているようなわけの分からない濃密な話をお互いに理解しあって話しが出来る友人らに対しては、こうした人間にめぐり合えて自分は本当に幸せだとすら感じるほどです。

 話はモラルの話に戻して、このように所属する共同体、またその共同体への意識があり得ない位に希薄な私ですが、世間一般のルールやモラルに対しては他人より厳しいと周囲からよく言われます。待ち合わせに遅れない事はもとより、学生時代にしろ留学中にしろ授業というものを基本的にサボる事はなく誰も誉めてくれないのにいつも皆勤賞で、またこれは自分でもやりすぎたなと思うエピソードですが、買い物をした際にレジの人が間違って自分に多くのつり銭を渡していたことを一日後に気がつき、レシートも捨ててしまっていた事から仕方なく多く受け取った400円を募金箱に放り込んだことがあります。

 私が前回の記事で展開した仮説ですと所属する共同体が少ない人間はそれに比例してモラルが低いはずなのですが、私自身は危険人物だと後ろ指を差されながらもモラルが悪い人間だと言われた事はなく、また私の友人にも共同体への帰属意識が低い割には下手な人間よりずっとモラルが良く、振る舞いもきれいな人間も少なくありません。果たしてこれは如何なものかと友人に振ってみた所、私の場合は恐らく、他人と比較して「個人」への意識や条件を特段に強く持っているからだと言われました。

 言われてみると全く思い当たる節がないわけでもなく、やはり他人と比べて個人の概念というものが私の場合は非常に特別な形をしているように思えます。この点について私を語る上で外せないものに、多分本邦初公開ですが、洗礼こそ受けないまでも以前に私は熱心にキリスト教を信奉しておりました。宗教自体が最初の議論における重要な「共同体」の一つに当てはまるのですが、私の場合は個人的な信仰ながらもその後の生き方を占う上でキリスト教は最も大きな影響を与えたものの一つです。
 そのようなキリスト教にのめり込んでいた時期に私が強く考え、また実行していたものというのも、恐らく大多数の日本人がその生き方を、「どうすれば周りに評価される人間になれるか」と考えるのに対して、「どうすれば自分自身は善い人間になれるのか」と考えていました。ここまで突き抜けてると、我ながら面白いなぁ。

 偏見かも知れませんが、私は一般の日本人の生き方というか思考は先ほどにも書いたとおり、如何に周りに評価されるかというのが中心にあり過ぎる気がします。それは逆に言えば集団の中で評価される人物ほど善い人間だと考えてしまうという事で、その集団(共同体)が社会全体に貢献しようという集団であればまだしも、自己利益の確保しか考えない集団であればそこに属す人間が高いモラルを持ちうるとは考え辛いです。

 近年の日本の場合ですと何度も書いてある通りに共同体の拘束力が弱まっている事もあり、「何が善い行動なのか」の価値判断基準を集団に置いている日本人からすると一体何がその社会で正しい行動なのかが分かり辛くなっているのではないかという気がします。要するにしかるべきモラルの指針が分からないために、みんな好き勝手に自分、もしくは自分を含む小集団に都合のいいモラルを設定し合って、低次元の個人主義化が発達した結果モラルが低下したのではないかと私は思います。

 とはいっても、私みたいな個人主義的価値観が必ずしも正しいと言い切るつもりは全くありません。確かに日々の行動やモラルへの社会意識については人並み以上に強いと自負しますが、そのかわりに自分自身で間違っていると思う事に対する並外れた攻撃性や、正しいと思う事への徹底した意固地さも身についているために見方によっては非常にテロリスト的です。そもそもテロリストやマフィアが宗教的価値観を強く持つというのも、こういう考え方をするとごく自然なのかもしれません。

 回りくどい言い方になりましたが、私の結論は個人主義の発達が必ずしもモラルの低下に結びつくわけではないという事です。現状の日本でモラルが低下している原因というのは集団に価値判断基準を丸投げする日本人が共同体の力の低下によってその基準を失った事による、言うなれば中途半端な個人主義化が起きた事が原因で、真に個人としてどのような生き方をするべきかと模索している個人主義者が悪いわけじゃないのではと思います。
 実際に私の友人らもはっきり言って個人主義の塊のような人間もいますが、そんな友人でも「個人として集団における最低限のルールは守るべきだ」と称して、下手な集団主義者よりずっとモラルの高い行動を取っております。

 仮にこの考えが正しいのであれば、日本人全体のモラルを高めるには単純に二者択一になります。一つは集団主義をこのまま持たせながら共同体の力を再び盛り返させる。もう一つはこの際集団的価値観をひっくり返して、真の意味での個人主義を日本人に根付かせるという方法です。
 私はどちらがいいのかと聞かれるのであれば、私自身はあまり好ましくないもののまだやりやすい前者の方法がマシなのかと思います。そうなったらなったで、私自身は日本社会で生き辛くなるのですが。

2009年11月23日月曜日

モラルの低下と共同体の喪失

 大分以前に車で親父と旅行をしながら、阪神大震災新潟県中越地震を比較したことがあります。具体的に何を比較したのかというと、両地震発生時のモラルについてです。

 実は阪神大震災の発生時に外国メディアがこぞって取り上げたものの一つに、災害時における日本人のモラルの高さがありました。都市機能が完全に麻痺するほどの大災害であったにもかかわらず、他国では必ずといっていいほど頻発するいわゆる火事場泥棒などといった治安の乱れが日本の阪神大震災の現場では驚くほど発生しませんでした。そんな状況を見て海外メディアは、日本は大きな災害を被ったがそのモラルの高さを改めて世界に知らしめたなどと報じてくれました。

 しかし、結論から言えばもうこの時のような気高い日本人のモラルはもはやなくなってしまったと言わざるを得ません。というのも95年の阪神大震災から9年後の04年に起きた新潟県中越地震時には、かつてはほとんど報告されなかった火事場泥棒の事例がいくつも報告されたからです。しかもそのやり口というのも非常に陰湿で、緊急避難的に食糧だけを盗むというものではなく、倒壊の恐れがあるとして避難勧告が出ていた家から金品を盗むといった汚いものばかりでした。またこれは先ほどリンクに貼ったウィキペディアの記事を見て私も初めて知ったのですが、当時は義捐金を募る団体と称して金品を横領したり、家の補修工事を手伝うなどと言っては後からとんでもない額の工事代金を請求するというような詐欺事件も頻発したそうです。

 このように両地震時の状況を比較すると、本当に十年も経たない内に日本のモラルはここまで堕ちてしまったのかと思わせられてしまいます。また地震時ほど特別な状況に限らずとも、老い先短い年寄りを騙すという振り込め詐欺を始め、大手金融機関も平然とやっているサラ金の貸し出し、明らかに同業者がやっているとしか思えない農作物の盗難など、それこそやった者勝ちのような価値観のはびこり具合に私も歳を取ったのか、この頃は日本のモラルの低下を深く嘆く日々が続いております。

 そこでこの連休中、これはと思う友人らにあれこれとこのモラルの低下について話を振っていました。一体何故ここまで日本のモラルは低下したのか、またどうすればまた立て直せるのかという風に話を振っていたのですが、まずみんなで共通していた意見として、失ったモラルを立て直すのは並大抵の事じゃないということでした。それこそ十年で壊れたモラルであれば三十年は建て直しにかかるなど、日本人が失ってしまったものは計り知れないということはみんなで一致しました。

 ではどうして日本人のモラルは低下したのか、その原因に対してある友人は模範となるようなみんなから尊敬される対象がいなくなったからではないかという意見をあげました。この意見は私も以前から持っており、尊敬の対象というよりは権威の失墜と言い換えた方がいいかもしれませんが、かつては社会の模範とされた教師や政治家、土光俊夫といった経済人は「失われた十年」の間に起こった不祥事や犯罪事件によってことごとくその権威を失墜し、尊敬の対象としては見られなくなってしまいました。

 細かい理屈をいちいち言わなくとも、人間誰しも尊敬する人間、模範とする人間像があれば自然と行動もそのような模範とする像に近づこうとします。しかし現代においてはそのような模範像はほとんど存在しなくなり、またかつてのように門限を破ったという堀内に鉄拳制裁を与えたほどルールに厳しかった王貞治氏のような一人の人物を日本人の大多数が尊敬するというような、みんなの尊敬を一身に集めるという人物はもうほとんどいなくなり、みんながみんなでバラバラに尊敬する人物を個人的に持ち合うことも増えた気がします。あくまで私の所感ですが。
 まぁ言ってはなんですが、私自身も経済人なら安藤百福とか鮎川義介小倉昌男のようなあまり大衆受けするわけでない人ばかり尊敬してます。

 そんな尊敬を集める対象の喪失という意見に対し、別の友人は共同体の喪失が大きいのではという意見を言ってきました。
 多少話が社会学的になってきますが、人間が社会で生活するうえでは様々な共同体ことコミュニティに属すことが絶対条件となっております。この所属する共同体というのは必ずしも一つに限るわけじゃなく、一般人ならマトリョーシカのようにいくつもの入子構造のようにして様々な共同体に入っております。

 簡単に例を挙げると、まず現代の一般成人男性であれば最小の単位として「家族」があります。そしてその家族の上に「友人」があり、「会社」がありといった具合で、通常なら共同体の範囲が大きくなるにしたがってその共同体の枠というものは薄くなっていきます。
 具体的に何が言いたいのかというと、私の仮説として人間は所属する共同体が多ければ多いほど、その枠が強ければ強いほど自らの行動を抑制する事が多くなり、ひいてはモラルの向上につながります。それを逆に言うなれば共同体が喪失すればするほどモラルは低下する事になり、現代の日本で起きているモラルの低下はこの共同体の喪失にあるのではないかということです。

 あれこれややこしく言うのもなんですので、以前の日本人と現代の日本人の所属する共同体を一つ比較してみましょう。

・以前の日本人
家族、親戚、友人、地域、青年会、組合(自営業者)、会社(被雇用者)、国家

・現代の日本人
家族、友人、会社、国際社会


 見てもらえば分かるとおりに、まず大きな違いとして「親戚」、「地域」という共同体が現代では明らかに喪失しており、またあえて自営業者と被雇用者で分けたりもしましたが「会社」や「組合」といった共同体も現代でも確かに存在はしているものの、以前と比べると明らかにその枠は薄く弱まっております。
 このように個人を取り囲む共同体という集団の数と枠の強さが低下した事が、すべての原因だとまでは言いませんが日本人のモラル低下の大きな要因の一つではないかと私と友人は考えました。言うなれば共同体というのは「顔の見える範囲」と言い換えることが出来、以前では知り合いがやっていた本屋であったものが今ではチェーン店化したことにより顔が見えなくなり、万引きをするにしてもためらいがなくなったというふうに解釈する事も出来ます。もちろん、見えようが見えまいが万引きは犯罪ですが。

 となると日本人のモラル復活の鍵は共同体の復活にあると言うことになるのですが、具体的にどうすればいいかまでは思案が出てきません。ただ共同体によって得られるモラルに対し、生まれた頃から反抗期で未だ集団に逆らってばかりのほかならぬ私自身はどのようにしてモラルを作っているのかという点については、「個人」という枠が他人と比較して明らかに強過ぎるからだと友人が指摘してくれました。この辺についてはある程度解説できるので、次回にて行います。

2009年11月22日日曜日

ゲームレビュー「PS3 ガンダム戦記」

 さすがに書くのはやめようかなぁと思っていたのですが、このゲームのアマゾンのカスタマーレビューを見て考えが変わりました。やっぱりみんな同じ風に思うんだなぁ……。

 実は昨日、「グランツーリスモ5」の発売日も決まったことだし、そろそろ買っとこうかとプレイステーション3の本体を購入しました。バイオハザード5もやりたかったのですが一緒に購入したソフトは今日のレビュー対象の「機動戦士ガンダム戦記」というアクションゲームで、何でこれを最初に購入したのかというと、こちらはPS2ですが私も以前に「ガンタンクでの戦い」で取り上げた事のある前作が非常に面白く、その続編という事で以前から気になっていた作品だったからです。

 しかし結論から言うと、私の期待はことごとく裏切られました。
 私は前作の続編に対して、新しく望む事は何もありませんでした。ただ同じシステム、ゲームバランスで使用機体数とミッション数を増やして欲しい。それ以外は全く同じシステムであっても、新品で買っても惜しくないほど前作は高く評価しておりました。

 しかしそんな思いをしながら七年間も待って出てきたこの続編はというと、久々に癇に障るひどいゲーム内容でした。
 まずゲームバランスが最悪です。前作は機体ごとの性能差がはっきりあったものの、それでも戦い方によってはザクでもガンダムを倒すという一発逆転が可能な作品でしたが、今回ははっきり言ってそんなの絶対不可能です。というのも弱い機体ですと攻撃力の高い機体の射撃攻撃一発で死んでしまうし、その上前作と違ってガードや回避がしづらくなっており、いきなり遠距離から狙撃一発でわけも分からず殺される事すら序盤の面でもざらです。

 そして通常の操作においても、もはや改悪としか言いようのないシステムとなっております。特に私が一番目に付いたのがロックオンで、前回は距離さえ満たせばいつでもどこでもロックオンできてまたすぐに外すことも出来たのですが、今作ですと敵機との間にちょっとでも岩とかの障害物があるとどれだけ間近な距離にいてもロックオンが外れてしまいます。
 さらに前回は距離範囲内の敵なら360度どこでもロックオンをする事が出来たのに対し、今作は何が何でも敵機を画面上に映さなければロックオンする事が出来ません。ですので例えどれだけ近い距離にいても、機体に横を向かせて敵機と向かい合わせても、プレイヤー視点の画面内に敵機が入らなければこれまたロックオンできません。しかも前作はプレイヤー視点が自然と機体正面に合うようになっていたのに今回はいちいちボタンを押しなおさないといかず、一体何のためのレーダーだと思わず怒鳴ってしまいました。

 そして極め付けが、なかなか自由に決められない機体選定です。前作はミッションをクリアするごとに使用できる機体数がどんどんと増えて自由に選べるシステムだったのですが、今作はミッションクリアごとに増えていくのは一緒でも、ミッション後に得られるポイントを消費して購入しなければ機体を使用する事が出来ません。しかもその購入システムですが私はまだ序盤ですが、それでも一つの機体を購入するのに必要なポイント数の多さに唖然としているのですが、アマゾンのレビューを見ると高性能な機体はさらにとんでもなくポイントがかかるそうで作業ゲームだとまで揶揄されております。

 はっきり言って久々に、「金返せ!#゚Д゚)オラー」、と思わせられたゲームでした。たまたま行ったゲーム屋が中古しかなかったのもあるけど、こんなのを新品で買わずに済んだと心底ほっとしました。前からバンダイナムコのゲームはとかくこういう良かったものを悪く焼きなおす傾向がありますが、今作は本当に出す前に、これじゃマズイだろと誰か思わなかったのか不思議でしょうがありません。前作があまりにも良かった分、今作は高くとも新品で買ってあげようと思っていましたがそんな価値は一切ありませんでした。

 あとついでに書いておくと、一応シナリオモードもあるのですがそのシナリオもびっくりするくらいくだらない内容です。ガンダムのゲームなのに一年戦争後の残党狩りという設定のために原作の主要キャラは一切出てこず、いけ好かない変に若いイケメンキャラの主役が隊長というどうでもいいような話です。このゲームに限るわけじゃないけど、なんでもかんでも主人子は若くてイケメンにすりゃいいってもんじゃないでしょう。それだったらむしろ、08小隊のノリス・パッカードが主人公でグフカスタムを縦横無尽に操るゲームの方が絶対いいように思えます。ただもうノリスの声優だった方は亡くなられているんだよなぁ(´Д⊂

 そんなこんなで、私もアマゾンのレビュアー同様にこのゲームは絶対的におすすめできません。買うとしても、もっと値下がりを待ってから中古で購入される事をおすすめします。
 最後にこの前、ふとしたことから思いついたガンダムネタを紹介して締めさせてもらいます。

夏候淳「まだだ。たかがメインカメラの一つ、やられたくらいで!」

2009年11月21日土曜日

北京留学記~その二二、ドゥーフェイ②

 前回に引き続き、また私の留学中のルームメイトのドゥーフェイの話です。
 さて前回では主に彼の母国であるルーマニアを含む東欧を取り巻く状況について書きましたが、今日はルーマニアという国自体について彼が話していた事を書こうと思います。

 まずルーマニアと来ると日本人は何を想像するかですが、もう世代にも寄ってしまいますが、恐らく比較的年齢が高い世代だとまず第一にチャウシェスクが出てくると思います。このチャウシェスクについて分からない方のために説明しておくと要は旧ソ連時代にルーマニアを支配していた独裁者で、旧ソ連が崩壊する間際、ゴルバチョフのペレストロイカ政策によって次々と東欧諸国が民主化していく中で起こったルーマニア革命時に捕縛後、独裁時代に国民の生活を省みなかったとして婦人とともに公開処刑されております。

 しかし処刑後、当時にルーマニアの政治を取り仕切っていたのは高級官僚たちでチャウシェスク自身は国内がどんな状況にあるか全く知らない裸の王様だったのではないかと言われております。またそうした声を受けてか革命後の国内調査でも、市場経済化によって失業者が増え、最低限のパンは配給されていた共産主義時代が懐かしいと国民の六割が答えたそうです。
 何気にタイムリーな事に、この前ベルリンの壁崩壊から二十周年記念がベルリンで行われていましたが、その際のインタビューにて元東ドイツ住民が似た様な事を言っていました。

 このチャウシェスクの次に有名なルーマニア人と来ると、こちらも大分古い人物ですがナディア・コマネチが来て、その次辺りには女子マラソンでいつも二位だったリディア・シモンがいます。

 そんなルーマニアの現在の状況ですが、ドゥーフェイによるとやはり貧しい国だそうです。首都のブカレストはまだしも、農村に行くと未だに農業機械が全くないために牛や馬が中心の農業が営まれており、身内への贈答品にはなるべく大きな動物ほど喜ばれるそうです。

 そして先ほどのチャウシェスク関連になりますが、共産主義時代と今とを比べてどうかと尋ねたところ、彼の場合は率直に今の時代の方が良いと即答しました。恐らく彼がこう答えた背景には彼がルーマニアの国民の中でも比較的裕福な出身による影響が大きいと私は見ていますが、彼が今の時代の方が良いという理由について語った中に、以前はお金があっても何も手に入れることが出来なかったが今ではお金があれば何でも買うことが出来るというのがありました。そのような今なら手に入れられるものの代表格として彼が挙げたものの一つに、意外なことに蜜柑が真っ先に挙げられました。

 なんでも共産主義時代は西側との貿易が許されず、蜜柑などといった柑橘系の果物が一切入ってこなかったそうです。これまた元東ドイツの話になりますが、ちょっと前の東ドイツの若者は電車の中だろうと街中だろうとみんなバナナを手に持って食べ歩いていたそうなのですが、彼らが子供だった旧東ドイツ時代はバナナを一切触ることすら出来ず、その反動で元東ドイツで子供時代をすごした現代のドイツの若者は今貪り食うようになったと言います。話を聞く限りだとルーマニアでもほぼ同じ状況だったそうで、ドゥーフェイ自身も暇さえあれば蜜柑を買って食べていました。

 私自身、行った事もなければ勉強したこともありませんが、東欧諸国というのはこのように貧しく、また厳しい生活環境にある国が多いそうで、自殺率のランキングも上位をこの東欧諸国がほとんど占めます。もし機会があればそれこそこのルーマニアやウクライナなんかに私も出向いてみたいのですが、何時になることやら。
 さて次回はドゥーフェイの個人的な話を紹介します。今日はまだ短くまとめられた。

2009年11月20日金曜日

これからの不動産購入について

 このところ不況の影響からか、住宅ローン破産を取り上げるニュースが増えてきました。このような特集で取り上げられる例は年二回のボーナス払いを行う住宅ローンを組んだものの、不況によって会社が倒産した、または倒産こそしていないもののボーナスが削減、見送りされたために年末のボーナス払いが行えなくなりやむなく住宅を売り払うといったケースです。

 私の友人によると、そもそもローンを組めばその分だけ原価に加えて金融機関に金利を払わねばならず、なおかつ住宅を保有してしまうと火災や地震の倒壊リスクを抱え込むことになるので、ローンまで組んで焦って住宅を買う奴が馬鹿なんだと常々申しておりました。私もこの友人ほど極端ではないものの、毎年増えていく金利に加えて火災、地震保険のランニングコストを考えるとまとまった金額が貯まるまでどうして賃貸で我慢しないのかと思ってしまいます。

 もっともこんな風に考えるのも私とその友人が根っからの貧乏性で、お互いに学生時代は家賃三万円以下の安アパートで起居していた経験があるからかもしれません。しかしそれを推しても、私は今後の日本の不動産市場はローンを組むだけ損をするという風に考えております。例外なのは今年と来年の一年間くらいで、それ以降に購入する場合はなるべく待てば待つほど購入する側が有利になって行くと思います。

 まず今年の不動産購入についてですが、今年は例のリーマンショックの影響を受けて不動産業界にとって最悪の年となりました。そのため中には会社を維持するために赤字覚悟でマンションなどを安値で売り出している所も多く、今現在で言えば不動産を購入するのにいい条件が揃っているかと思われます。
 しかしこの状況がさすがに来年以降も続くかといったらそれはまた微妙で、まだ来年一年くらいは不動産価値に対してそこそこ良い値で購入できるかもしれませんが、それでももう一つの要素である日本の人口減による影響を考えるとちょっと考え物です。

 今ここで出しましたが、私は今後の日本の不動産市場を考える上で最も重要な要素となるのが日本の人口が減っていくという点だと考えております。
 バブル期の日本の不動産は土地から建物にいたるまでどれもとんでもない額で取引されておりました。一体何故そんなとんでもない額が飛び回っていたかといえば当時の日本が成長の絶頂期にあったということもありましたが、それ以上に全国各地で住居が不足していたという理由が大きくありました。

 私なんかがまだ生まれてもいない高度経済成長期の本などを読んでいると、よく狭い住居に家族で住むのは大変だ、政治がもっとしっかりしなければ、などといったセリフ回しをよく見ます。実際に当時の社会問題を見ると核家族化の広まりによって全国的に住居が不足していて、住宅建築ブームというものがはっきりと起きていたそうです。
 このように日本はバブル期まで一貫として住居、ひいては土地といった不動産の需要が非常に高かったのですが、それらの需要を引き上げていたのは他の何よりも母数の増加こと人口の増加という要因でした。

 しかし少子化が叫ばれて久しいこの世の中、もはやバブル期以前ほど住居を新たに必要とする人間自体が大きく減少しました。当たり前といえば当たり前ですが、このまま少子化の傾向が続くのであれば不動産全体の需要も減っていくこととなり、恐らく東京の中心部を除いて今後は下がる事はあっても不動産価値が上がる事はまずよっぽどのことがない限りありえないと私は見ております。それはつまり、今後の日本の不動産は時とともに下落していく一方という事になります。

 それでも失われた十年の間は東京に人口が集まってきた関係もあってOLが都内のマンションを購入し、それを賃貸に回して利ざやを稼ぐという方法も通じましたが、どうもあちこちから話を聞いているとすでに東京都内の賃貸マンションの価格すらも下落し始めてきているそうです。これは東京への人口集中するのが止まったというよりは、人口集中以上に少子化の影響が強く出始めてきたのではないかとうちの親父は話しています。

 そのため私は今後日本で住宅などの不動産を購入する場合には、粘れば粘った者勝ちという傾向にあるのではないかと考えております。つまり購入するのを我慢して下落を待てば待つほど、先に購入した人間が支払う原価、金利分を上回る安値で購入出来るのではないかという事です。
 これを消費者全体で見るなら、それほど悪くない変化だと私は考えております。というのも日本の住宅価格は世界的にも以上な価格なために今起きているような不測の事態にローン破産をするものが出たり、その後の将来設計を大きく制限させられているからです。
 
 しかしこれが不動産市場で見ると、まぁ今まで明らかに需要以上に市場が大きくなりすぎていたきらいもありますが、今後の不動産市場は縮小していく一方という事になります。今まで異常だったのが元の鞘に戻るだけでごく健全なことなのですが、こういうことを知らずに不動産業界に学生が入っていくのを見るといろいろと不憫な気持ちになります。

  おまけ
 以前に知り合いの中国人が私に、「ライオンズマンションって会社はどう?」と聞いてきました。なんでも彼の友人がそこに就職する事になったそうなのですが、私はこの記事で書いてある話をして恐らくきついだけで将来はあまり明るくないと教えたところ、案の定そうだったらしく、就職した彼の友人は半年で辞めてしまったそうです。入社式をハワイでやったそうですが、こういう無駄なものに金をかけている時点で怪しいと思わなくちゃ。

2009年11月19日木曜日

北京留学記~その二一、ドゥーフェイ①

 本来なら時間があるであろうこの前の土曜日に今日の内容を書こうと思っていましたが、すでに何度も書いているようにインフルエンザによってそんな体力もなく、周り回って本日に執筆する事になりました。それほどまでに気合が必要な今日の内容というのも、私の留学中のルームメイトであるドゥーフェイです。

 このドゥーフェイという名前は彼の本国での本名からつけられた中国語の読みで、名前を漢字で書くと「吐飛」になります。この名前は彼の母国での正式な名前である「ドミトリー」から、彼が中国に留学してすぐ学校の関係者によってその場でつけられた名前だそうです。割合中国人らしい名前ですが、欧米人はこのように中国語を学ぶ際に自分の名前の漢字を決めなければならないので、こうした名前のことをよくチャイニーズネームと称して分けています。日本人や韓国人は元から漢字名ですけど。

 そんなドゥーフェイですが彼の出身国はルーマニアで、ウクライナ人の父親とルーマニア人の母のハーフです。両親のうちどちらか(恐らく父親)の仕事が外交官だったらしく、経済情勢の厳しい東欧出身ながらも弟もオーストラリアに留学中だそうで、本国では裕福な家庭なのだと想像できます。
 私と会った時の彼の年齢は大体25歳でしたが、なんでも本国の大学で物理学を学んだ後に一時期教師をやった経験があり、しばらく職に務めた後から中国語を学ぼうと留学に来たそうです。どうして中国語を学ぼうと思ったのかまでは聞きませんでしたが、全く中国語が喋れない状態でいきなり中学に来て、当初はいろいろと苦労が絶えなかったそうです。

 性格は至って温厚で、非常に静かで親切でな人間でした。やってきた当初はノートパソコンを持ち合わせていなかった私に対し、彼は自分のパソコンに別ユーザー登録をした上で自由に使わせてくれました。
 このドゥーフェイは私が中国に着いたその日から帰国の日まで毎日一緒に過ごした相手なだけに、書く事も膨大な文だけあります。そこで今日は彼から聞いた彼の母国ルーマニア事情と東欧についてを中心に紹介していきます。

 まず一口に東欧と言っても、その事情や日本との関係は様々です。大まかな定義としては旧ソ連時代はソ連側についていたヨーロッパ諸国で、冷戦崩壊後は資本主義陣営の国とは技術や経済の面で大きく立ち遅れており一般的には貧しい国が多いです。目下の所で日本と関係が深いと言えるのは今も大相撲で活躍する琴欧州関の出身国であるブルガリアで、他の東欧諸国のほとんどが日本へは一時滞在にも渡航ビザの取得が必要なのに対して、ブルガリアだけは何故かビザなしで入国できます。

 ではドゥーフェイの国のルーマニアは一体どういう国なのかですが、中国語にすると「羅馬尼亜」と書き、発音も「ルゥオマァニィーヤァー」と発音します。日本語でルーマニアと読むとちょっと分かり辛いですが、この国名の意味というのは「ローマを受け次ぐ」という意味で、「ローマニア→ルーマニア」という風に日本語では表記が変わって行ったそうです。この国名の由来の通りに昔のルーマニアは古代ローマ帝国の民族系統をそのまま継承していると自称していたそうですが、実際の所はルーマニア人達もそれはないだろうと認識しており、また詳しい研究でもやっぱり少し違うそうです。しかしスラブ系、ゲルマン系が多い東欧の中で唯一と言ってもいいくらいラテン系の民族で国民が占められているという事実は珍しく、主要言語であるルーマニア語ももちろんラテン語圏に入ります。
 日本人からすると想像し辛いですがラテン語圏の言語は細かい違いなどあれども共通単語が多いため、文法を細かく問わないならばルーマニア人はフランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語も聞いてて理解できるそうです。実際にドゥーフェイもNHKにて中継されていたジーコのWカップでの言い訳を内容を違えず見事に聞き取っていました。

 そんなルーマニアの外交関係について聞いてみた所、まずドゥーフェイの口から出てきたのはヨーロッパ唯一のアジア系民族国ハンガリーとの仲の悪さでした。ルーマニアの隣国であるためにかつては何度も戦争をしあった国同士であり、互いの国民で激しく憎み合っているそうです。
 ではかつての親玉、といってもチャウシェスク時代からも仲は悪かったロシアとの関係はどうかと聞いてみたところ、これについても「決してよくない」と言われました。ただ私が、ルーマニアが認識するヨーロッパの最強国はどこかという問いに対しても「ロシアだ」と答えられました。

 日本はよくその国力をなんでもかんでも経済力で測ってしまう所があり、ヨーロッパの最強国となるとやはり経済力があり、EUの中心国家であるドイツがしばしば挙がってきますが、ドゥーフェイに言わせると軍事力と東欧における影響力を考えればロシアだと見ているそうです。
 もっとも、最強国と認識しつつもルーマニア人はやはりロシアが嫌いだそうです。理由はもちろんソ連時代の政策やら、やってきた共産主義者によってルーマニア自体も苦労を味わったという歴史からだそうです。ちなみに彼に言わせると、チャウシェスク死後の体制とは、「古い共産主義者の去った後に、新しい共産主義者が来ただけだ」だそうです。

 では日本人が恐らくヨーロッパの最強国と見ているドイツについてはどうかと聞いてみると、やはり経済のドイツは伊達じゃないらしく、ルーマニアの若者はみんな本国に仕事がないのでドイツに出稼ぎに行くそうです。ルーマニアの一般人は高校を卒業するや皆でドイツに行き、二年か三年かけてお金を貯めるてから本国の大学に進学するそうです。今の日本人学生にも聞かせてやりたい。

 案の定収拾がつかないほど長いので、続きはまた次回に。