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2010年7月12日月曜日

今後の政局について

 昨日一昨日とまたブログの更新をしませんでしたが、決してサボっていたわけでなくまたちまちまとしたある作業をやっておりました。うまくいけば多分、来週までにはその作業の成果をお見せできるかと思います。
 それはさておき全く盛り上がりませんでしたが、ようやく民主党が与党についてから初めて行われた参院選も終わりました。議席数を大幅に減らした民主党に対して大敗と書く新聞が多かったですが、私の感想はというと「勝者なき選挙」だったというのが結論のような気がします。

 唯一今回の選挙で良い思いをしたのは10議席を獲得した渡辺嘉美氏率いるみんなの党くらいで、一番多くの議席を獲得できた自民党ですらもあれだけ死に体だった民主党を追い詰める事も出来ず、また選挙前に数多くの離党者を出した事から本人らもどうにも勝利風を吹かしているようには見えません。それに対して民主党では今回の選挙での敗北責任を誰が取るのかで早くも揉めているなどという報道がなされており、選挙中に無闇な消費税議論をぶち上げた菅首相か、選挙区を取り仕切った枝野幹事長かなどと言われていますが、普通に考えるなら菅首相に変わるまで選挙準備を行っていた挙句資金管理問題で足を引っ張った小沢氏だと思うのですが。

 そういったおさらいはおいといて、ちゃちゃっと今後の政局について私の意見を紹介します。
 まず結論から言って、与党民主党が衆参でねじれ状態に陥った事からただでさえ惰弱な政権基盤が今後ますます弱まる事になり、不安定な政権が続く事によって今後ますます政治的混乱が続くと思います。すでに海外メディアなどは今回の選挙結果を得て、「また日本で首相が変わるのでは」と意見を載せているそうですが事実その通りで、同じねじれ状態でも安部、福田、麻生政権と違って衆議院で三分の二以上の議席を占めていない事から、このままの状態だと国会での法案成立にかつてないほどの時間がかかり政治が停滞する事は必至でしょう。

 そのような現実を踏まえて今後の政局はどのように動くかとなると、私の希望も強く入っていますが一番良いのは民主と自民で連立、もしくは合併をするのが望ましいかと思います。

 前に私が書いた「自民、民主のマニフェストを見比べて」の記事でも書いたように両党の選挙前公約は八割方一致しており、どちらにしろ議論しなければならない実行手段をお互いで刷り合わせれば何も問題ないんじゃないかというくらい一緒です。唯一対立している意見として外国人参政権問題がありますが、はっきり言ってこの問題は経済対策、司法改革と比べれば優先度が非常に低く、連立の間は政策協議こそ行えど法案提出をしないとして棚上げにすればいいかと思います。
 またこれまで自民、民主とで異なる立場だった普天間の米軍基地移設問題も、皮肉なことに一番ややこしくしてくれた鳩山前首相が最後は自分の首とかわりに社民党を追い出して自民党案に乗っかった事で、もはや対立する理由はなくなっております。

 今の日本政治に何が一番求められているのかと言うと立派な政策や改革などではなく、安倍政権以降、というより小泉政権を除いた小渕政権以降の政治的混乱に終止符を打つかのような安定性だと私は考えております。前鳩山政権は社民、国民新党と連立を組んだものの言ってはなんですが組んだ相手が非常に悪く、かえって政治基盤を揺るがせてしまいましたが、あんなクレーマーみたいな連中とではなくちゃんと方向性を同じくする政党としっかりと期間を定め、対応策に共通した意見を持つ政治的課題を片っ端から片付けていくのが何より重要かと思います。

 ただこの大連立を行うに当たり、やらねばならない事が一つあります。それはどんな事かというと両方の政党において後々禍根となりかねない、連立を行う上で障害となるであろう人物の粛清です。
 民主党においてはすでに鳩山前首相は引退を表明していますが、その鳩山前首相を傀儡としただけでなく90年代以降の日本政治において混乱が起きるように自ら動いて私腹を肥やしてきた小沢一郎氏と、日教組のドンこと輿石東氏、マルチ商法の元締め山岡賢次氏といった小沢と不愉快な仲間達。あと外国人参政権を強硬に主張する枝野幹事長も考え方を改めようとしなければ放逐する必要があるでしょう。

 自民党においては失政の責任を取ろうともせずに居座り続ける森、安倍、福田、麻生の元総理経験者の四人です。正直な所、他の三人はともかく福田氏には残ってもらいたい気持ちもありますが、近年の自民党総裁がどうして力を発揮できずに独自色を出せなかったのかを突き詰めると、元総理経験者がでかい顔して居座っていたのが大きな原因に思えてならないからです。彼らが居座り続ける事によって彼ら自身だけではなく、その取り巻きにも新たな総裁を気を使わねばならず、一番手っ取り早い方法として小泉元首相同様にこの四人にも退場をしてもらうことが連立後の安定性を維持する上では欠かせないでしょう。
 そうして連立を組む代わりに、自民党としては次の総選挙を前倒しして任期切れの2013年ではなく二年後の2012年に前倒すといった条件を民主党に出してもいいかもしれません。

 最後に前の記事でちょっと書き忘れていましたが、あまりニュースなどで取り上げられないものの民主党は今回の選挙マニフェストにおいて、今年から始まった子供手当てを国内に子供がいる家庭に範囲を狭めると謳っておりました。今更という感じですが、やるなら早くやれというのが私の感想です。

  訂正
 自民と民主が連立するに当たって粛清する必要がある人物として民主党の枝野幹事長をこの記事で挙げましたが、これは枝野氏ではなく仙石官房長官の間違いでした。どちらも外国人参政権の導入に積極的ですが、枝野氏がまだ内容を詰める必要があると言うのに対して、仙石氏はとにもかくにも急いで導入するべきだとしていてこの人物は連立するにあたって障害になると私は判断しました。
 私自身も外国人参政権については実は賛成派ですが、今の民主党案だと今の子供手当てみたいに内容が詰められていないためにすぐに穴が空くのは目に見えており、それにもかかわらずもう実施すべきだという仙石氏の意見はちょっと奇異なものに見えます。

2010年7月9日金曜日

匿名性と攻撃性

 なんかこの所、選挙が近いせいか出張所の方に記事内容とは全く関係のない、一方通行な政治主張をしつつ特定のアドレス、書籍ばかりを並び立てるコメントが多いので、最近私の気が立っているのもあるのでそれらコメントを削除すると共にコメント主をアクセス禁止にしました。言っちゃなんだけど、何が楽しくてやるんだろこういう人達。

 それはともかくとして、やっぱりこういったブログなり掲示板のコメントともなると中には日常世界で言ったらすぐに村八分になりかねないほどの過激な意見が書かれる事が多いと言われています。一体どうしてネット上では現実世界より意見が過激化、先鋭化するのかですが、原因は間違いなくネットの匿名性にあるでしょう。

ミルグラム実験(Wikipedia)

 私のような社会学系の人間にはもしかしたら「アイヒマン実験」と書いた方が通りがいいかもしれませんが、上記リンクに貼ったある実験の内容と結論を簡単に説明すると、質問者と回答者がお互いに顔が見えない様に2グループに別れ、もし回答者が質問者からの問題の答えを間違えたら質問者は罰として回答者に電圧を流すよう言われた所(実際には電圧はかけられず、回答者は痛がるような声を出すだけ)、質問者は回答者が回答を間違える度にどんどんと電圧を上げていき、最終的には実験者の大半が450ボルトという、人が死んでも全くおかしくないほどの電圧をかけるという結果になりました。

 ちょうど昨日にテレビ番組の「奇跡体験 アンビリーバボー」でこれと同じ実験をしたフランスのテレビ番組を取り上げていましたが、この実験が何を言わんとしているのかと言うと、人間は自分に責任が及ばないとわかるや直接顔の見えない相手に対してとことん冷酷になりうるということで、それゆえに上記のミルグラム実験はナチスドイツにおいてユダヤ人の大量虐殺を指揮したアドルフ・アイヒマンの名前を関するようになったわけです。

 これがネット上の意見とどう関わるかというと、いちいち言うまでもありませんがネット上では言い合う相手の顔も見えなければ個人の特定も難しく、まさに先ほどのアイヒマン実験のような環境にあります。それゆえに日常生活上では言えないほどの攻撃的な言葉や批判が行われ、それに対して言われた側もカチンと来てより激しく言い返して加熱して行くという現象があるとインターネット黎明期より指摘されていましたが、政治系の内容を扱う上は自分のブログもそうなるのかなと危惧していましたが今の所はまだそうはなっていない気がします。今回削除したのも、どちらかと言えば宣伝目的のものだったし。

 よくうちの親父から、このブログでの記事内容やコメントに対する私の対応が普段の私の姿からは想像も出来ないほど落ち着いているので意外だと言われます。実際に書いている自分でも、日常生活ではほぼ毎日、「死ね、ボケっ(# ゚Д゚)カス!!」とリアルに言っている自分がどうしてネット上だと攻撃性が低まるのかよくわかりません。なんていうか、むかつく相手の顔を見ている方が私の場合はイライラするのかな。

 ただ敢えて無理な解釈をすると、私はこのブログで自分のメールアドレスも公開していますし、通常のプライバシーを保てる範囲内では出来るだけ自分の匿名性を下げようと意識しています。政治系の主張をする以上は自分の発言に責任を持たねばならないと考えているがゆえの意識ですが、それゆえに私はかえってネット上の方が「人に見られている」と強く感じます。

 ここで言った「人に見られている」という意識ですが、これこそが日本人の行動に影響を与える意識の中では恐らく最も強いものでしょう。また暇があったらこれ単体で記事を書きますが、ネット上でも見られていると思うか見られていないと思うか、この意識の違いが結局はその日本人の潜在的攻撃性を図る上で一つの指標になるんじゃないかと今日バスに乗りながら考えていたわけです。

2010年7月8日木曜日

自民、民主のマニフェストを見比べて

 さすがに投票も直前になったので、そろそろ選挙関係の記事を書いておこうと思います。一応ネタは前々から仕込んでいて、街頭で配られているマニフェストを取っておいたので今日はその内容を自民と民主とで比べて見ようと思います。

 まず全体の構成ですが、見栄えで言うなら今回は民主党の方が出来がいいように思えます。分野ごとに政策案がまとめられており、巻末には自画自賛ではありますが今年の国会で挙げた実績と達成できなかったとして今後の課題を分けており、内容面はともかくとしてまとめ方でいえば及第点です。
 それに対して自民党はというと、なんていうかもっとまともなデザイナーはいなかったのと言いたくなるようなマニフェスト冊子でした。こちらも各分野ごとに政策案がまとめられてはいるのですが、部分部分に入れられている絵がなんと微妙な感じの人物の透かし絵で、悪気はないんだろうけど見ていてどうも斜陽産業的な印象を感じました。私だけかもしれないけど。

 それでは肝心の内容についてですが、結論から言えばどちらも前回の衆議院選挙時同様に何の参考にもならないと言っていいでしょう。理由は幾つかあり、

1、書かれている内容が前回マニフェストとあまり変わっていない
2、自民も民主も八割方内容がかぶっている
3、書かれている政策同士で矛盾がある
4、議員の責任について調子のいい事を書いている


 ざっと挙げるとこんなもんで、どちらもいい格好を見せようと調子のいい事しか書いていないというのが私の感想です。

 細かく説明するとまず1番目については言うまでもないですが、前回マニフェストに書かれていたのにどうして今だ実現できずにこれからできるというのか。格好いいセリフで言うと、「今日戦う事が出来ない奴がどうして明日を戦えるか」で、特に民主党は与党という立場にあったのだから実現できなかったというのであれば何度も同じネタを投下すると言うのはどんな物でしょうか。論語でも、「できもしない事を口にする奴は愚かだ」って言ってるし。

 2番目についてはまさに今の日本政治の駄目な部分の象徴ともいうべき箇所ですが、自民も民主も、「公務員の総人件費の二割削減」や「国会議員の定数削減」、「高校大学進学の奨学金を作る」などといった主だった政策が完璧なまでに一致しております。どうして議席第一党と第二党が共通した政策を持っているにもかかわらず前回選挙から今の今まで実現できないのか、答えは簡単でどちらも本気でやる気がないからでしょう。っていうかここまで一致してんだったら、この際連立なり合併するなり一緒にやっていったらと言いたくなるくらいの一致ぶりです。

 3番目についてはこちらもあまり説明する必要はありませんが、片方では財政健全化を目指すと言っておきながら、もう片方では社会保障にもっとお金をかけると言っており、一体どっちに重心を置いているのか全く訳がわからない内容に二冊ともなっています。民主については新たな歳出には無駄遣いを減らした分を充当すると書いていますが、今年の予算で全然その目論見が上手く行かなかったにもかかわらずまた書いてくるなんてちょっと呆れた態度です。

 でもって4番目。これは一つ一つ抜き出しておきましょう。

・法律で政治家の責任を明確に規定し、違法行為を「秘書の責任」にできないようにします(自民)
・国会議員の歳費を日割りにすると共に、国会の委員長手当てなどを見直す事で、国会議員の経費を2割削減します(民主)


 まず自民について、確か自民党も過去にたくさん「秘書のせい」にして言い逃れをしてきた政治家がたくさんいたはずです。こういったことを主張すると言うのならまずはその過去に秘書に責任を負わせた政治家らをすべて除名してから言うべきじゃないでしょうか。
 次に民主党ですが、国会議員の歳費を日割りにすると言っていますがほんの少し前、今年の四月と五月にそれぞれ一日しか登院しなかったくせに議員歳費約460万円を受け取った河上満栄なんていう駄目な人間を除名せず、ちゃっかりボーナスを受け取らせてから衆議院議員職を辞職させてから今度の参議院選挙に出馬させる組織が言うセリフではまずないでしょう。真面目な話、タイゾーの方が全然まともだった気がする。

 こんな具合なので、この二党についてはマニフェストをいちいち参考にする必要はないと思います。

 最後に一つ付け加えておくと、仮にどちらかのマニフェストに嘘でもいいから、「郵政民営化を元のレールに戻す」という一項目が書かれていれば私はそれだけでその党に投票するつもりでした。タイムリーに今、ゆうパックの遅配問題が起きていますが、小泉政権下で行われたこの郵政民営化は天下り、無駄な財政支出、中央集権から地方分権、族議員の排除といった広範囲の問題に関わる非常に重要な改革であったと私は評価しております。それが現在、小泉政権を引き継いだ安部内閣で野田聖子などといった郵政造反組の復党に端を発して民主党政権に至った今ではとんでもない内容でまた国有化されようとしています。

 この辺についてはまた今度解説しますが、もし民主党が今国会で提出された郵政改革法をそのまま通せば、恐らく郵政は集めた貯金をすべて国債につぎ込んでしまう事になると思います。今回の遅配問題で、これに待ったがかかれば言う事なしなんだけど。

2010年7月7日水曜日

日本式経営と住宅

 リーマンショック前に一次復権したものの今じゃすっかり死語と化してしまった「日本式経営」ですが、私も以前に書いた「失われた十年」の連載にて「日本式経営」と一項目を設けて解説しております。この日本式経営というのは簡単に説明すると高度経済成長期の日本企業の特徴と言うか雇用方針の事を指しており、具体的な特徴をWikipediaから引用すると、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」の三本柱で成り立っているとされております。
 ただ私はこの三本柱に加えて、あまり表では言われておりませんが日本式経営にはもう一つ、「住宅」という要素も重要な意味を持っていたのではないかと考えており、今日は一つその辺を解説しようと思います。

 これまた不況ゆえに今では全く聞こえなくなりましたが、私が子供だった頃は結構あちこちで、「日本人にとってマイホームを特別な意味を持つ」、「外人と比べて、日本人の家に対するこだわりは強い」という言葉がよく叫ばれていました。今じゃマイホームを持つ事自体、減価償却や地震、火災保険といったランニングコスト面で非常にリスキーな世の中である事を考えるとどうにも隔世の感が否めませんが。

 そんなマイホームへの強いこだわりがどうして日本式経営と関わってくるのかですが、私があちこちから話を聞いていると高度経済成長時代の日本企業では社員の福祉厚生の名目で社員の住宅購入時に低利で頭金を貸し付けたりする事が多く、企業自体が率先して社員に住宅購入を勧めていたという節があったようです。確かに社員のために住宅購入の援助をするというのは一見すると美談なのですが、さらによくよく話を聞いていると、どうもそうやって住宅を購入した途端に異動、転勤となったという話も同じくらいに聞こえてきて、それらを総合すると企業側は社員を縛る目的を持って住宅購入を勧めていたんじゃないかと思うようになりました。

 話のからくりはこうです。
 一生に一度の買い物といわれる住宅を購入する際、その金額ゆえに普通の人なら十年以上の期間に渡る長期ローンを組んで購入しますが、一旦ローンを組むと人間守りに入るというか、ちょっとやそっとのことでは収入を減らすような真似、言ってしまえば転職なり退職などといった決断がし辛くなります。
 これを企業側の視点から見ると、社員を効率的に働かせるためにはそれこそ異動なり転勤なりといった社員の意にそぐわない命令も時には必要ですが、それがきっかけで社員に逃げられてしまっては元も子もありません。ですが社員に住宅ローンを組ませてしまえばもうこっちのもんで、借金を抱えている負い目につけ込んで異動や転勤といった命令や、サービス残業なども以前より思いのままに申し付ける事が出来るようになります。

 このように、会社が社員に住宅購入を援助したり勧めることで社員に長期ローンを組ませ、転職や退職といった考えを持たせないようにする事で会社は社員の会社への依存心を意図的に高めていたのではないかと私は考えているわけです。でもってこの手段が発展していき、社員を会社に縛るだけじゃなくてこの際お金も儲けようとして作られたのが、自動車メーカートヨタの子会社であるトヨタホームだったんじゃないかと私は見ています。
 以前に愛知県の人から話を聞いた事がありますが、トヨタという会社は社員に対して熱心に住宅を購入するよう勧めてその購入費の援助も半端じゃなく、その甲斐あってトヨタ社員の持ち家率は非常に高いそうです。まぁ考えようによってはうまいやり方だけど。

 こんな風に考えてみると、私が子供だった頃に盛んに叫ばれていたマイホームを持つ価値というのは社員をなるべく会社に縛り付けて起きたいという企業側が作った風潮だったのではないかと思います。今じゃ日本企業は逆に社員にあまり長々と居着いてもらいたくなくなっており、こうした住宅購入援助も心なしか以前よりはなくなってきているように見えます。

 結論をまとめると、日本式経営における「終身雇用」を成立させる一つの条件として、住宅購入による長期ローンというのがあったのではないかということです。かなり久々に経済関係の記事を書いた気がする。

2010年7月6日火曜日

阿久根市のシャッターアートについて

 参議院選投票日まですでに一週間を切っていますが、政治系ブログの癖してこの話題についてはトンと触れておりません。多少なり争点がまだ書く気が湧きますが、今回はそもそもその存在理由すら公然と批判されている参議院の選挙でもあってわざわざ記事にするほどの価値は見出せません。敢えて苦言を呈せば、目立った争点を作る事が出来なかった最大野党の自民党があまりにもだらしなかったのが原因だと思います。

 そんなわけで今日も選挙と全く関係のない話題を取り上げますが、今日ネット上を見回していたら、一つ気になるニュース記事を見つけました。

日本一のシャッター街・阿久根(デイリーポータル)

 リンクに貼った記事は、市長が市役所職員と年がら年中ぶつかってはブログで愚痴を書き綴り、全国ニュースにも取り上げられてすっかり全国区となってしまった鹿児島県阿久根市のシャッター街の取材記事です。シャッター街というと寂れた地方都市について回るネガティブな言葉ですが、阿久根市はこのシャッター街を利用して観光の一つの目玉にしているということで、記者の方が真偽を確かめるために現地を取材したという内容です。

 一体何故シャッター街が観光材料になるのかとクエスチョンマークが浮かんできますが、百聞は一見に如かずで早速記事内容を見てみると、なんと阿久根市では各店舗のシャッターにトリックアートのような絵を街全体で描いている様子が写されておりました。しかもよくよくその絵を見るとそんじょそこらの落書きのレベルではなく、どれもウィットに飛んでいてミレーなどの名画の構図を微妙に現代風にアレンジして描いており、よくもまぁこれだけレベルの高い絵を街全体に作ったなと感心させられる出来栄えです。

 実はここだけの話、この阿久根市というのは酒ばかり飲んでいるうちのお袋の実家で、私も子供の頃は毎年のように訪れていた街です。私自身はこの阿久根市の近くにある同じく鹿児島県出水市の病院で生まれましたが、実質「ぼくの夏休み」的な田舎となると私の中ではこの阿久根市と叔母さんの住んでいた喜入市が浮かんできます。

 そんなわけで早速この記事をお袋に見せると案の定いい反応を示し、
「ここの肉屋は昔からあった」
「ここの家の長男は叔父さんと仲がよかったが早くに死んだ」
 などと、田舎らしく世界の狭い話を延々と話し始めました。

 ただこの取材記事の末尾にて、いろいろと悪い報道の絶えない市長について阿久根市の住民たちは好意的に評価している声が聞こえると書かれていますが、うちのお袋によるとこのシャッターアートというのは市長支持派の店舗にしか施されず、市は反対派の店舗に対しては殆んど行ってくれないそうです。取材内容から察するに恐らく、この記事を書いた記者の方がインタビューしたのはシャッターアートが施された店舗の住人ばかりだったのではないかと思え、そう考えるとお袋の情報も正しいような気がします。

  おまけ
 お袋に許しをもらったから書いてしまいますが、お袋の高校時代に留年して学年が落ちてきた同級生の男子がある日、
「鹿が食いたいなぁ」
 とぼやき、友達を誘って体育倉庫から金属バットを借りて、野生の鹿がたくさんいる阿久根大島へとフェリーで渡ったそうです。でもってそのバットを使って鹿を撲殺し、焚き火で焼いて望み通りに鹿の肉を食べたそうですが、焚き火の火の回りが早くて危うく大火事になりかけたそうで、学生服使って火を必死で消したために上着が大分焦げたというオチまでつけていました。
 その後、この時鹿を殴った人は警察官になったそうですが、火事の現場には誰よりも早く駆けつけることで有名になったそうです。

2010年7月5日月曜日

ロンドン海軍軍縮条約の意味

 私は中学、高校時代はそんなに学校の成績がよくありませんでしたが、こと歴史科目においては一貫して成績上位を難なく取っておりました。そんな歴史が得意な私だから思うだけなのかもしれませんが、やっぱり学校の授業では表面的な事項の説明に終始するため、教師ももっと深く掘り下げてやった方が学んでいる側も覚えやすくなるのにと思うことが数多くありました。一例を挙げると、これは世界史ですが中国で宋朝の後に出来た金朝を作った女真族は、後に清朝を作る満州族と同じだということなど。

ロンドン海軍軍縮会議(Wikipedia)

 上記リンクに貼った事項もその一つで、今日はちょっと政治思想的な内容を含めてこのロンドン海軍軍縮条約について私の意見を書いてみようと思います。

 第一次世界大戦後に二度とあのような世界大戦を引き起こさないため世界各国で軍縮を進めようという目的の下で1922年に結ばれたワシントン海軍軍縮条約に引き続き、1930年にこのワシントン海軍軍縮会議は開かれました。先にこの二つの条約の違いについて説明しておくと、前者のワシントン海軍軍縮条約では保有する戦艦の重量を制限したのですが、戦艦が作れないのであれば巡洋艦を作ればいいじゃないとばかりに、条約締結後に各国では制限対象にない攻撃能力の高い巡洋艦の建造ラッシュが始まってしまいました。
 しかし、これでは全く軍縮にならないじゃないかということになり、1930年に今度はロンドンで巡洋艦の保有数も制限しようとして開かれたのがこのロンドン海軍軍縮会議です。

 結果から言うと、艦の種類によって微妙に比率は異なりますが全体的には米英に対し日本は重量にして約10:6.975の割合で艦を保有を制限する事に決まったのですが、この条約案に対して批准するかどうかについて旧日本海軍内部は真っ二つに分かれました。
 腐っても欧米列強に対して約7割の保有数量を勝ち得たのは大成功だとする「条約派」、片や四方を海に囲まれている日本の海軍防衛力の重要性は米英の比ではないとして条約案を批判した「艦隊派」と海軍首脳部で二つに分かれたのですが、日露戦争の大立者である東郷平八郎はこの時、明確に艦隊派の立場に立って条約派を批判していました。

 最終的には時の政府を率いていた浜口内閣が大恐慌時代の最中ということもあり、余計な歳出を減らしていきたという思惑が条約派と一致して条約に批准はしたものの、海軍内部の艦隊派を含めて一般民衆からも条約批准時には政府に強い批判が起きたそうです。この動きに乗ったのが時の野党政友会で大物代議士であった鳩山一郎で、彼こそ後の軍部独裁時に錦の御旗として使われる事となる「統帥権の干犯」という言葉を使った最初の人間で、海軍内部の反対を押し切って条約を結んだ政府は憲法批判だと強く批判しました。
 よく鳩山一郎はハト派だったと評価する人がいますが、この鳩山一郎も孫同様に時期によって自分の意見や主張を平気で180度転換する事が多々あり、佐野眞一氏の言葉を借りるなら「嫌な人間の一族」の一人であると私も認識しています。

 さてそんなすったもんだがあったロンドン海軍軍縮条約ですが、たまに右翼的とされる評論家がこの条約について、「米英が躍進著しい日本を封じ込めようとして、艦隊の保有数量を制限しようとした策謀であった」という意見を述べる事がありますが、この意見について私は的外れな意見を言うのもいい加減にしろと言いたくなる意見だと考えています。

 名前を忘れましたが当時の条約派の軍人がこの条約に対し、「一見すると日本は米英の約7割に制限されるように見えるが、実際には日本7に対して米英を10に制限する、日本にとってこれ以上ない有利な条約だ」と述べております。これはどういう意味かというと、当時の日本と米英の工業生産力の差は現代とは比べ物にならないほど差があり、先ほどの軍人の意見の続きをそのまま引用すると、「仮にこの条約が撤廃されて建艦競争に入ると、日本が7の二倍の14に増やしている間、米英は20どころではなく30、40まで増やしているだろう」と述べており、実際にこの生産力の差はその後起きた太平洋戦争で実証される事になります。

 一つ例を紹介すると、太平洋戦争が開戦されるやアメリカはその有り余る生産力を存分に使って一気に軍備を拡張し、なんでも一ヶ月に一艦の割合で空母を建造していたそうです。それに対して日本は損傷した艦の修理にも何ヶ月もかかり、新造艦ともなると小さい物でも三ヶ月くらいの工期がかかっていたと思います。ちなみに大艦巨砲主義の申し子である戦艦大和はその運用において、先ほどのアメリカで一ヶ月に一艦の割合で作られた量産型空母一艦しか破壊する事が出来ず沈没しております。

 はっきり言って、当時のアメリカの工業力と日本の工業力を比較すれば先程の軍人が述べたようなロンドン海軍軍縮条約の価値は誰でも分かる話です。それにもかかわらず妙な精神論やら党利党略に走ってこの条約を批判し、挙句の果てには米英の妙な陰謀論まででっち上げるなんて馬鹿馬鹿しいにも程があるでしょう。

 昭和史研究家の半藤一利氏はこの時代の陸海軍首脳について、調べれば調べるほどにその要所要所の無責任さに呆れてくると述べていますが、このロンドン海軍軍縮条約一つ取ってもその言わんとする事が私にも分かります。この後に開戦される太平洋戦争の直前においても海軍は図上演習こと開戦した場合のシミュレーションを行っているのですが、なんでも十回以上やって全部アメリカの勝利に終わるという結果が出ても、「勝負はやって見なきゃわからないよ」と言って、最終的には政府の開戦提案にOKを出してしまいます。

 ちょっと前に日本人の無責任さについて長々記事を書きましたが、これは何も今始まった事ではないというのが今日の私の意見です。あともう一つ書いとくと、日本人はやたらと陰謀論を好みますが、実際にはそんなに込み入った陰謀と言うのは世の中少ないということも覚えておいてください。

2010年7月4日日曜日

長い文章を書けるようになるには

 よく人から毎日のように更新されるこのブログについて、「どうしてああも長い文章を毎日書けるの?」と聞かれます。実際に自分でもブログを始めた当初に想定していた以上に現在のこのブログは更新数も多ければ一回の記事辺りの文章も長く、まさかここまで書くことになるとは思ってもいませんでしたが、ブログを始める以前からも長い文章は比較的よく書いておりました。
 一番代表的なのはこのブログでも公開した「北京留学記」で、これは留学から帰国して半年後くらいにまとめて書いて中国語の恩師などへ報告書の形で贈りました。この留学記のように旅行などから帰ってくると備忘録の意味を込め、あらかじめ人に見せる事を前提にしてまとまった文章を書いてました。

 それで一体どうすればこれだけ長々と文章書けるようになるのかですが、結論から言えば練習あるのみで、それまでにどれだけの量の文章を書いてきたのかで全部決まると思います。

 私の場合、中学生の頃から小説を書くようになりましたが、お世辞にも当時は文章が上手いとは言えず、確か400字詰め原稿用紙を20枚くらい書いた所で一つの話を書き終えていたと思います。しかし人間書き続けていればなんとやらで、各回数を重ねるごとにこの枚数は飛躍的に増えて行き、確か15歳の頃には一本の小説で原稿用紙100枚はざらで、新人賞に投稿したのになると300枚は行っていました。やっぱり自分でも一本で100枚を超える小説を作った時にはなにか壁みたいなのを破ったような気がして、それ以前とそれ以後で表現の技術やら段落の運び方などで大きな差が出来たように思います。

 その後高校進学後も小説は書いておりましたが、その頃になると小説より現在このブログでやっているような社会批評など、何かしら題材を取って解説したり意見を述べるルポのような文章を書くことの方が好きになっていき、ただ長い文章量の小説を書いていた頃と比べて短くとも内容にこだわる文章を心がけるようになって行きました。今思うと、いい時期に目指すべき文章の方向性を変えた気がします。

 そして大学進学後、この頃はそれまでと打って変わって文章を書く機会がめっきり減りました。最初でこそ一人同人誌(雑誌名は確か「出来心」)を作るなどしてやる気十分だったのですが、一人で活動する寂しさに加え、何かを発信しようとするよりもまずは発信する中身を鍛え上げねばと大学で勉強していて感じるようになったのが原因で、確か一人同人誌は三回出して終わりました。見せていたのも、近所の友人だけだったし。

 そんなわけで代学在学中は文章をあまり書かず、このブログを始めてからまたどえらい量の文章を書くようになったのですが、最初に書いたように自分でも思っていた以上に書き続けてきており、ブランクとかそういった物は感じた事はありません。大学受験での国語の能力は数学と違って落ちにくいと予備校の講師から聞かされておりましたが、文章を書く技術と言うのも案外その類に洩れず、それこそ一度鍛えたらずっと身についてくれる物なのかもしれません。

 たまにどうすれば文章が上手くなれる、長く書けるようになれるかといった質問を受けることがありますが、多分人から教わるよりも自分で小説でも日記でも何でもいいから書き続ける事が一番早道だと思います。ちなみにきれいな文章を書くためには文豪の小説なんかはたくさん読めばいいという人もいますが、少なくとも私に限れば人に言うのも恥ずかしいくらいこの手の読書量は少ないです。決して文豪の小説を読むのが悪いというわけではありませんが、書くんだったら読むよりも書いているほうがいいんじゃないかと、いい訳がましく考えております。