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2010年10月23日土曜日

犯罪は何から生まれるのか

 私の専門とする社会学には犯罪社会学という分野もあり(○○社会学と言ったらなんでも社会学になってしまうけど)、私はあまり手をつけませんでしたがなかなか面白いことをやっている分野です。具体的にどんなことを研究するのかというと、「何がその社会で犯罪となるのか」とか「犯罪者はどうして犯罪者になるのか」などと、まるで禅問答のような問いに対して如何に科学的に分析するかを取り扱います。聞くところによると成立した当初、イタリアにて犯罪者には何かしら犯罪者となるべき特徴などはないものかなどと真剣に比較研究が行われたらしく、なんと犯罪者と一般市民の頭蓋骨まで比較し合って特徴を探そうとしたことも合ったそうです。

 それでこの犯罪社会学ですが先にも言った通りに私はあまり手をつけなかったもののひとつ面白いと感じた一説に、「犯罪は何から生まれるのか」というくだりがあります。非常に適当に勉強してたものですから誰だったか名前も忘れましたけど、確かハーバードの研究者で実際にマフィアと交渉し、一時その構成員となって参与観察を行った人が居り、その人が発表した論文にこんな記載があったそうです。

「犯罪とは、自分の欲求を正当に適える手段がない時に行われる逸脱行動である」

 もちろん犯罪社会学には何がその社会で正当な行為か、逸脱行動なのかを議論する分野もありますがそれは今回置いといて、そのアメリカの社会学者は上記のように犯罪が発生する要因をまとめております。

 具体的にどういうことかというと、たとえばある男が高級な腕時計を欲しいと思ったものの購入するお金がなかったとします。多分現代では日本の大多数の人はお金を貯めてからその腕時計を購入するのが正当な手段だと考えると思いますが、その男はお金を貯める間もなく欲しいと思ったとしてほかの人からお金を強奪して買う、もしくは店から直接腕時計を盗んだりするとなると犯罪となります。

 この話で重要なのは、男が犯罪に走る以前に「腕時計が欲しい」と欲求を持ったことです。そもそも男が腕時計を欲しいと思わなければ盗みなどする必要もなく、このように大半の犯罪が生まれる背景には何かしらの欲求、もしくは不満が存在するのです。それは逆に言えば社会全体で構成員の欲求や不満を減らすことが犯罪の抑止効果があるという考え方につながるわけで、過剰に消費意欲を煽ることは犯罪増加に繋がるのではという話になっていくわけです。

 ただもうひとつその社会学者は重要なことを指摘していて欲求を正当な手段で叶えられないからといってすぐに犯罪に走るわけじゃなく、その欲求を叶える脇道的な手段こと犯罪の手法も必要だとしてその犯罪手法を教える犯罪学校の重要性も指摘しております。犯罪学校とは言いますがこれに該当するのは要するにマフィアや暴力団で、一つ例にとるとまだ件数の多いオレオレ詐欺も皮肉なことに警戒するようにと警察やマスコミが手法を公開したことによって続々と模倣犯が生まれていった傾向があり、また日本で発生するようになってからしばらくすると韓国や中国でも同じ手法が使われるようになったとも言われています。

 そういう意味で被害に遭わないよう警告するために犯罪手法を公開するのは諸刃の剣のような効果があり、公開するべきかどうかの判断は難しいといえば難しいでしょう。ただオレオレ詐欺の場合は手段が簡単なためにほっといても広がっていく可能性があり、私は公開し警告を促して正解だったと考えております。

 まとめになりますが犯罪が生まれるには大きく分けて、「正当な手段で欲求をかなえられない人がいる」、「その欲求を脇道から叶える犯罪手法が教えられる」という二つの要素があり、これらが組み合わさった時に犯罪が発生することになります。ただ基本的に世の中でお金が欲しくないと思う人間はいるはずもなく労せずして稼げる手法がわかればみんな手を出すのが当たり前です。そういう意味でそういった犯罪手法を世に出回らせないことが大きな犯罪対策となりうるのでしょうが、こうもネットが発達した時代、爆弾の製法までわかってしまうのでは難しいでしょう。

2010年10月22日金曜日

本当に強い剣客は誰なのか?

 この前街中を歩いているとふと、日本で個人としての武力で一番強い人間は誰になるのかと気になりました。それこそ時代劇小説ではさまざまな剣客が登場しますが、多かれ少なかれ脚色がされた姿が浸透していて中には実態からかなりかけ離れてしまっている人間も少なくありません。そこで今日は私の独断と偏見と持ちうる知識で、主だった剣客は実際のところどれほど強かったのかを評価しようと思います。

1、宮本武蔵
 はっきり言って私は宮本武蔵は実際のところそれほど強くなく、ただ売込みが上手かった剣客なだけだと評価しております。もともと吉川英治が小説の「宮本武蔵」を書いたのも雑誌での、「武蔵は本当に強かったのか?」という対談がきっかけだったくらいだし。
 いくつかそんな評価理由となるエピソードを紹介するとまず有名な巌流島の佐々木小次郎との決闘ですが、この決闘は武蔵が木刀で小次郎を一回叩くや周囲からわっと武蔵の弟子が出てきて小次郎を一斉に切り倒したと言われており、決闘というよりかは騙まし討ちに近かったそうです。またこれ以外にもある有名な剣客が武蔵に決闘を挑んだものの、武蔵はあいまいに返事して次の日には逃げていなくなったそうで、勝てそうな相手としか戦わなかったそうです。それはそれで相手を見る目はあるんだけど。
 そもそも上記のエピソードらも一体本当なのかどうかも怪しく、まず確実に言えることは武蔵自身が語っているエピソードは事実に基づいていない虚飾が以上に多いことです。いつの時代もうそつきは世にはばかる。

2、上泉信綱
 上泉信綱の詳細についてははっきりしないところが多いものの、彼の弟子があちこちで活躍するのを見る限りだと上泉自身も相当強かったのではないかと思います。弟子の柳生宗厳は徳川家の指南役になったことはもとより、直接教えた足利幕府十三代将軍足利義輝は松永久秀の謀反を受けた際、自ら刀を取って敵兵をばったばったと切り倒したと伝えられています。そうしたことから察するに、この人の強さは本物だと思います。

3、前田慶次、柳生十兵衛
 両者ともに取り上げた本が売れまくったせいで実態からかなりかけ離れた像が一人歩きしていますが、彼らの経歴はあまり明らかになっておらず、強かったかどうかは事実上判別の使用がありません。まぁお話の中くらいは強くあってほしいけど。

4、岡田以蔵
 文句なしにこの人は強かったでしょう。「人斬り以蔵」と呼ばれただけあって関わったとされる暗殺事件は数多く、それ以外にも注目すべきは勝海舟、中浜万次郎の護衛時のエピソードで、どちらも複数人の刺客相手に一歩も引かず、逆に何人かを斬り殺して撃退しています。

5、沖田総司
 私が考える中では、多分この沖田総司が確認できる中では最強じゃないかと考えています。元々沖田が所属していた新撰組自体がかなりの化け物揃いの集団で、局長の近藤勇に至っては池田や事件にて奇襲とはいえ永倉新八とともに十数人を二時間近く相手にしていたとされます。
 そんな猛者揃いの新撰組の中にあって最強は永倉か斉藤一か沖田かとまで言われ、攘夷派からも非常に警戒されていたという書類までも残っています。特に圧巻なのは生前の沖田を目撃したとされる方の証言で、夜に三人の追っ手から追われていた沖田は立ち止まって振り返るやあっという間に三人を斬り殺したとされています。本当かどうか、すこし怪しいけど。
 ただ新撰組が幕末当時において非常に腕の立つ剣客集団だったことは間違いなく、近藤亡き後も各地にて転戦を続けた際も白兵戦では恐ろしいほどの活躍を見せたとされており、その中で最強と評された一言を持っても評価に値するかと思います。

 このほかにも本田忠勝なども挙げるべきかとも考えましたが、この辺になるといくらか怪しくてはっきりしない部分もあるので今回はやめにします。ただ個人の武力は匹夫の勇であって真に世に求められるのは大軍を率いる指揮力だと昔から言われますが、小説とか書く上ではこういう人たちがいないと困るので必ずしもそうではない気がします。

2010年10月21日木曜日

逆境下の日本人

 今日は昨日の記事の続きです。昨日は「自動車の燃費について」というタイトルで純ガソリンエンジンとしてはかつてなら考えられない燃費性能を達成したマツダを取り上げましたが、この記事で私が言いたかった内容は割りと日本人は追い詰められた際に真価を発揮するということで、これが長所でもあり短所でもあるのではと私は考えています。

 追い詰められる、というより無茶な要求にも意外にも応えてしまうという方が適当かもしれません。昨日取り上げたマツダの例ではハイブリッドエンジンの開発が遅れていたことからガソリンエンジンで燃費を追求した結果、ハイブリッドエンジンにも大きく引けをとらない性能のエンジンを作ってしまったことを紹介しました。こういうことは何も日本以外でもあるとは思いますが、日本に限って言えばかつての太平洋戦争初期に無類の強さを発揮して米英軍から「見つかったら逃げろ」と、敵前逃亡しろなどというとんでもない命令を出させたゼロ戦も、

「このくらいの高度と、このくらいの速度が出せる飛行機をこの予算で作って」

 という、軍上層部からのかなり無茶な要求を当時の技術者が本当に実現してしまったがゆえに出来たと言われています。まぁその分、機体装甲が果てしなく薄くなってパイロットの死亡率も非常に高かったそうですが。

 技術に限らなくとも日本人は納期や製造などといった各方面でも割合に上からの要求に応えてしまうところが多いように思えます。私なんか無茶な要求に期待させるようなことを言っちゃ駄目だと考えているもんだから無理だと思ったらすぐに無理ですと言って、「もっと言い方ってものがあるだろ!」と相手によく怒られた経験がありますが、こうした言い分が通るあたり日本人はたとえどんな無茶な要求や要請にも一応は対応し、応えねばならないという考えが強く浸透しております。

 もちろん常識では無茶だと思われるものに取り組んで実現していこうという精神は立派でもあるし非常に大切だと思いますが、その一方で無茶だとわかっていながら引き受け、結果やっぱり駄目だったせいで各方面で足を引っ張ることになるという話も日常茶飯事のように聞きます。特にこういったものでよく聞くのはIT業界での納期や対応で、受注段階で労力やシステム内容から言って明らかに相手の希望に応えられないにもかかわらず安請け合いして、残業に次ぐ残業をしながら納期に間に合わず結局発注元に怒られ、発注元もスケジュールが遅延してあれやこれやと。

 またIT業界に限らず、一部の業界ではかなりきつきつの納期設定を行っていてほんの少し予定がずれただけで全方面に玉突き事故のように出荷に支障が出るということも聞きます。かくいう私も一回そんなのに巻き込まれて、物は届いているので早めに出荷指示を出してくれれば海外への輸出手配を行えたのに何故だかなかなか指示が来ず、やっときたかと思ったら急いで出してくれと……。二時間ごとに荷物が今どこにあるのかと電話鳴らされた際はいろんな意味でいい迷惑でした。

 恐らく普通の社会ならば、こちらの希望通りにそうそう事は運ばないと考えて納期や日程にある程度余裕を持たせることでしょう。ただ日本の場合は案外希望通りに事が運んでしまう、運ぶように相手が努力してくれるがゆえか、何事に関してもタイトに物事を考えてしまうところがある気がします。私もあまり人のことを言えませんが、電車がわずか五分程度遅れただけで激怒する人とか見ているともはや精神病じゃないかとつい思ってしまいます。
 私に限らずこのようなタイト過ぎる日本社会を批判する声はあり、一部の経済学者からは日本全国で納期を一日ずつ余裕を持ち合えばGDPは減るどころか増加するという意見もあり、私もこの意見に賛成です。

 ホッブズの「リヴァイアサン」に書かれた有名な一説に、「万人の万人に対する闘争」というものがあります。この記事の内容だけじゃないですが、このところこの一説がしょっちゅう頭にもたげ、今自分を含めた周囲の人間らは何と戦っているのだという疑問をよく持ちます。ライバル会社以上に同じ会社の人間に憎悪を持つ人とか見てると。

2010年10月19日火曜日

自動車の燃費について

・マツダ、HV並み低燃費ガソリン車を来年発売(産経新聞)

 久々にニュースのリンクから始めましたが、なかなかに驚きのニュースなだけに初見で私もびっくりしました。上記のニュースは自動車会社のマツダがつい最近に出した自動アイドリングストップシステムことアイストップを小型自動車のデミオに搭載し、なんと低燃費が売りのハイブリッド自動車に匹敵するリッター30キロという燃費の車を来年以降に販売するというニュースです。

 私は事故率の低いことで一部有名な鳥取の日本海自動車学校を卒業しておりますが決して人に誉められるほど車の運転はお世辞にも上手くなく、それほど乗る時間も多くないものの車を見るのは好きで、最近はあまり読まなくなったけどたまにベストカーという雑誌も買って読んでます。そんな私の個人的な感想ですが近頃の車はというとやはり家族向けに売り出す車が多くてデザインがどことなく落ち着いており、若者向けのちょっと突っ張った漢字のデザインの車はほとんどない気がします。それに対してバブル期の車は時代が時代なだけにデザインも多彩で、年数も経っていることから中古車価格も低くなっているのでこの際なにか運転の練習を兼ねて三菱の古い車でも買おうかと一時期私も考えたことがありましたが、結果はというと結局買わなかったわけです。

 一体何故買わなかったのかというと、新旧の車で燃費性能にとてつもない差があったからです。十年一日とは言いますが現在新車で並んでいる車と十年前の2000年前後に発売された車では燃費に雲泥の差があり、いくら中古車本体の価格が安くとも燃料代を含むランニングコストを考えると新車買った方が明らかにお得で、いくらデザインが肌に合ってもこれほどの差は埋め切れないとあきらめました。

 自動車の燃費は「20世紀に間に合いました」のキャッチコピーとともに97年に発売された世界初の量産ハイブリッドカーであるトヨタのプリウスが発売されてから開発競争が始まり、2000年代中盤からはどこの自動車会社も主力車をそれまでのワゴン車からコンパクトカーに変えてよりこの方面に注力していきましたが、ホンダがプリウスのデザイン丸パクリのインサイトを出してからはまるで、「ハイブリッドカーにあらずば車にあらず」と言わんばかりに去年、今年はハイブリッドカーが売れてきました。

 それに対して今回ニュースで取り上げたマツダはハイブリッドエンジンの開発がそれまであまりなされていなかったのもあってあくまでも通常のガソリンエンジンでより燃費を高める方向で研究を進めていたようですが、その研究が実って去年アクセラに搭載されたのがアイストップという自動でアイドリングストップを行うシステムで、これにより従来の燃費を大幅に向上することに成功したわけです。
 当初は自動でアイドリングストップすることにちょっと不安感を私も覚えたのですが聞いている限りだと乗っている方には好評で、特にこれが原因での事故も聞かないので大したシステムだと評価しております。

 それが今回待望のデミオに搭載されることでありえない燃費を実現したことになるわけですが、本当に十年前ならガソリン車でこの燃費は考えられなかったことでしょう。特にこのアイストップシステムはハイブリッドエンジンと違ってそれほどコストがかからないらしく、またレアアースもそれほど必要としないので中国対策としても抜群です。

 マツダの関係者のインタビューを見てたりすると、やはりハイブリッドエンジンにどう対抗するかということでいろいろと努力をしてきたという発言がよく見えます。まぁそういいながらも広島の人から話を聞くと不況を言い訳に下請けいじめがこのところ増えているそうですが、なんだかんだで追い込まれると日本人は本当になんでもやってしまうんだなと思わせられる話です。

 本当はそのまま書こうかと思ってましたが長くなったので、「追い込まれた日本人はとんでもない」という話はまた明日書きます。それにしてもほかの自動車会社はいろいろとニュースがあるのに対して、私が贔屓にしている三菱自動車に関してはこのところ何も取り上げられません。わかっちゃいるんだけど、こうもなぁ……。

インドから見た日本

 日本人からするとカレーとダルシム(ヨガ)のイメージが強いインドですが、近年にわかに日中関係から日本における存在感が高まっているのではないかと勝手に思っています。一体インドが何故日中関係に影響するのかというと単純に中国とめちゃくちゃインドは仲が悪く、地理の授業でもカシミール地方で中国とインドとの間で領土問題が起こっていると教えられるくらい仲が悪い国だからです。

 そんなインドに対して中国はこの前の尖閣諸島で見せたいつも通りに強引な主張をこのカシミール問題でもやっていることでしょうが、その裏ではしたたかな外交戦術というべきか、「敵の敵は味方だ」と言わんばかりに最近はだいぶマシになったけどこれまたインドと仲の悪いパキスタンとの外交関係を強化しております。
 これはいわば中国伝統の遠交近攻策で、オセロゲームのように敵を自国と味方で囲い込むことで攻めていくやり方なのですが、このオセロの範囲を広げるとちょうどインドと日本の間に中国を当て込むことも可能で、今後中国の領土拡張政策を抑えるためにも中国を囲む周辺国で一致して行動し、そのためにもインドは日本の重要なパートナーになるであろうという意見を主張する人も少なくありません。

 ではそんなインドは日本に対してどんなイメージを持っているかですが、まず前情報として企業進出の話をします。インドに出ている日本企業の中でも代表的なのは自動車、バイクのメーカーであるスズキで、ここは早くからインドに進出して現地での生産、販売を幅広く手掛けてきた甲斐あって現地の人間なら知らないものはまずいないというほどの認知度を獲得しております。ただ進出した際はやっぱり大変だったそうで、日本の「同じ釜の飯を食う」という発想の社員食堂を作ったところ、「下のカーストの連中と一緒には食べれない」という文句が来たりしたそうです。

 スズキ以外の日系企業となると、私自身があまり詳しくはないのもありますがやはり自動車関連のメーカーがいくつか出ているのを除くとまだそれほど多くないような気がします。90年代にIT化を進めようと日本が言い出した際、インド人技術者には率先して就労ビザを出そうといいながらもほとんど出さなかったくらいなので民間交流はそれほど多くないと言えるでしょう。

 では単純にイメージではどうかですが、実は私がインドに旅行中に直接インド人ガイドに尋ねたことがありました。そのガイドは私の質問に対し、

「インド人は日本人に対してそれほど悪い感情を持ってはいませんが、核のことについてとやかく言われたくないと思っています」

 そうだった。インドは核保有国だった。
 このガイドの話を聞いた直後の私の感想はまさにこれでした。インドは隣国パキスタンとの軍拡競争の中で核爆弾の製造と実験を行い、NPTから脱退した上で核保有国となりました。そして世界唯一の被爆国である日本は当時に強くインドとパキスタンを非難しました。

 もっともインドの核実験が行われてもう大分経つので向こうも気にしてないかもしれませんし、これまでも日本はアメリカの核の傘に効果があったないかは別として守られてきたのは事実なのであまり気にせずに中国を封じ込めるために共同歩調を取ることに問題はないかと思います。私としても先日の何も食べずとも行き続けられるおじいちゃんを始めとするビックリ人間が大量にいるインドは子供のころから大好きな国なので、日印で仲良くしてくれたらなぁという勝手な願いがあります。たとえそれが中国との関係を悪化させるとしても。

  おまけ
 今日の中国の報道で、この前日本に来て天皇会見問題に関係した中国の習近平氏が軍事責任者第二位に就任することが発表され、事実上胡錦濤氏の後継となることになりました。私はなんだかんだいって胡錦濤氏は日中関係に努力してくれて、今回の尖閣諸島問題でも何故かテレビでこの問題に言及することがなかったので名残惜しい気持ちがして、次の習近平氏はなんか冷たい感じがするのでまたやりづらくなるような気がします。

2010年10月17日日曜日

横浜ベイスターズ売却に見るテレビ局の経営不振

 先日に大きく取り上げられましたが、プロ野球チームの横浜ベイスターズを保有するテレビ局のTBSが球団売却を現在水面下で進めているようです。プロ野球チームの身売りは何もこれに始まったわけじゃなくつい六年前にも近鉄バッファローズの売却で楽天とライブドアで争奪戦になったことは記憶にも新しいですが、ここ数年チーム成績も非常に悪いベイスターズなだけにこの際、別のオーナーがついたほうが球団にとってもいいんじゃないかと私も考えています。
 ただそうしたベイスターズの売却騒動以前に、こうして球団身売りが現実化してきたTBSの不振ぶりのほうがこのニュースにとっては重要でしょう。

 近年、日本のテレビ局はテレビCMの広告料不振が続いて非常に経営が苦しいとあちこちで言われております。その中でも特にTBSは度々不祥事を起こし、視聴者もそれを感じ取ってか目に見えて視聴率競争でも悪化の一途をたどっております。
 日本のテレビ界では長年、年間平均視聴率では娯楽番組の多いフジテレビが一位の座を長く守り、そのフジテレビの調子が悪いときに巨人戦を中継する日本テレビが時たま一位を奪うという構図が続いていました。それに対してTBSはというと地味に不動の三位の座にあり続けたというのがこれまでだったのですが、去年はどうだったかまでは忘れましたが確か数年前にとうとうその三位の座を万年四位のテレビ朝日に奪い取られ、看板番組もない中で「潰れるとしたらまず真っ先にTBSだろう」と言われていました。

 先にも言ったとおりに近年のテレビ局は広告単価の低下に伴い収益が悪化し、現時点ではどこもテレビの広告収入よりテレビ局が保有するビルのテナント料などといった不動産収入が上回るようになっており、テレビ局というよりは不動産屋のような様態をなしております。不動産収入が広告収入を上回ってるのは新聞社も同じことですが、逆に言えば不動産の保有量が少ないテレビ局ほど苦しいということになり、その条件から言ってもTBSがまた当てはまってしまうわけです。

 はっきり言いますが日本の放映権は完全に独占事業であって行政によって非常に守られた市場であり、それにもかかわらず経営不振になるというのは明らかにテレビ局の経営陣が無能な人間であるが故でしょう。ただ中央局のTBSですらこの有様ですから、地方局はきっとこれ以上にひどい状態であるのは想像に難くありません。

 では仮にTBSが経営破綻をしたらどうなるかですが、私はおそらくフジサンケイグループことフジテレビと合併するのが一番可能性が高いと思います。そもそもこの二社のバックにある新聞社は産経新聞と毎日新聞のいわゆる全国紙負け組の二紙で、新聞社同士でも苦しい間柄ゆえに以前から合併するのではと言われていました。ただこの二紙で決定的に違うのはテレビ局の内実で、フジテレビは現在も視聴率では高い数字を取っているもののTBSは先にも言ったとおりにボロボロで、毎日新聞もTBSからの送金がなければ万年赤字体質なだけに両者で赤字となっては未来も何もあったもんじゃありません。

 両社が合併して経営が改善するかといったらそれもまた微妙ではありますが、割とこの業界は政治勢力の干渉が強い業界なだけに救済というかたちでフジテレビが買収する線が高いのではないかというのが私の見方です。TBSが潰れるとしたら私が個人的に気になることとしてアナウンサーの安住紳一郎氏がどこへ行くかで、逆を言えばこの人がフリーに転進する時期がデッドタイムなんじゃないかと勝手に勘繰ってます。

育つ政治家、育たない政治家

 最近また政治ネタから遠ざかってきているのでちょこっと加工のいる情報を流すことにします。
 民主党政権になって早くも一年が過ぎましたが、前首相の鳩山由紀夫氏があまりにもあれだったのもあって現在の菅首相はまだマシに見えますが、それでも早くも尖閣諸島の対応について批判を受けて支持率の低下を招いております。ただそれでもまだ決定的な菅下ろしにまで発展しないのはなぜかと言うと、菅直人氏以外に首相を張れるようなまともな政治家がほかにいないというのが最大の理由でしょう。

 かつての小泉政権時にある評論家が、小泉元首相は不良債権の処理や郵政民営化など目に見える施策は確かに行ったがその一方で首相として果たさなければならない後進の政治家の育成だけはついぞ行わなかったと評していました。それでも敢えて当時の自民党内に将来首相足りえる人材として候補を挙げると、安倍、福田、谷垣、麻生、竹中といった当時の小泉政権のメンバーをその評論家は挙げていましたが、皮肉というか上記の候補らはその後すぐに議員辞職をした竹中氏を除くとものの見事にみんな自民党総裁になり、現在の谷垣氏を含めていずれも評価の低い、というよりどうしてこんな奴が……と資質を疑うような政治家だったということが露見する事態となりました。
 ちなみに私の評価は、「福田>>安倍>谷垣>麻生」、といったところです。

 それにしても国会議員が何百人もいながら与野党問わず首相を張れそうな人物がこれほどまでに少ないというのは異常事態です。かつての55年体制であれば実力があって期待もされながらも時に恵まれず首相となれなかった渡辺美智雄や金丸信などといった惜しまれる人物がたくさんいたことを考えると、べジータじゃなくとも現代は首相のバーゲンセールもいいところで、待ってりゃそのうちお鉢が回ってきそうな状況ですらあります。

 久々に前置きが長くなりましがたが、どうしてこれほどまで現代は政治家が育たないのかというのが今日のお題です。政治家が育つか以前にまともな人間が選挙を経て政治家になれるかという問題もありますがそれは今回置いといて、一度議員となった人間が議員生活を通して成長するか否かにスポットを当てます。

 この手の話をするとなると避けては通れないのが、55年体制時の自民党の派閥政治です。この派閥時代はどの政治家も何がしかの勢力に加入することでその派閥内で先輩から教育を受けて勉強したと言われますが、派閥がなくなった今とを比べると確かにその教育は存在して効果があったと言わざるを得ません。ではこの時代に戻れとなるとそれはまた別の話で、確かに今の状況よりは派閥時代のほうがマシかもしれませんがいまさら元に戻ろうとしてもまた違った形での派閥政治になってしまう可能性もあり、私はあまり賛成ではありません。
 では自民党ではなく現与党の民主党ではどうか。政権党ではなかったというハンデこそありますがあれだけ政策論議してきてこの結果かよと、やや擁護的な立場をとっている私ですらちょっと思ってしまう状態です。

 逆にこの十年くらいで成長したなと感じさせられる政治家はというと、挙げるとしたら小池百合子氏になってしまうのかな。打たれ強さなら定評があるけど。