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2010年12月6日月曜日

自民と民主、どっちの政党ショー

 ようやく中国の就労ビザ申請するための書類届いたけど、風邪引いてちょっと辛い。そういわけで明日は辛いけど六本木の中国大使館に出向く予定ですが、ついでに海老蔵の血痕ビルも見に行こうかな( ゚д゚)/

 さて目下の所支持率が25%になって福田、麻生政権とあまりかわらなくなってきた民主党菅政権ですが、なんだかんだ言って二大政党制が着実に根付いてきているのか対抗馬の自民党は徐々に支持率が上がってきているそうです。民主がダメなら自民へ、私自身が選挙というのはどっちがマシなクズ共か、そういった消去法で選ぶべきだと考えているのでこのような考えも決して悪いというつもりはないのですが、私は現時点ではまだ自民よりは民主の方がマシだと考えていてもう少し政権を維持し続けてもらいたいと考えています。

 くれぐれも言っておきますが現時点の民主党を決して支持しているわけではなく、諸々の対応を見ている限りではちょっと情けない政権運営で問題視はしています。それにも関わらず何故民主をこうも擁護するのかというと、単純に今自民党が与党になった所で今以上にひどい政権になる可能性が高いと見ているからです。その根拠というのも単純で、割と暇な時間が多くて今国会はよく見てはいましたが、結局一度たりとも自民党側から「なるほど」と思わせられるような政策的提言や主張を見ることがなく、結局やっている事は民主党の閣僚が失言なり写真撮影などポカした際に野次を言っているだけでした。

 数え上げれば切りがありません蓮舫氏の国会内写真撮影に始まり仙谷氏の尖閣事件の対応、柳田法相の失言、最後に中井氏の「早く座れ」発言などに対して文句だけしか言ってなかったように見え、何かしら政府案に対して適切な批判や質問をしたかとなると何も浮かびません。そもそも蓮舫氏の写真撮影といい最後の中井氏の事件といい、自民党議員も似たような事やってるし。
 民主党が野党だった頃も大体似たようなもので当時の私も激しく非難していましたが、それでも年金問題を始めとした公務員改革関係の提言などがあり、今の自民党よりはまだ建設的な政党だったという気がします。

 身内の自民党議員も谷垣総裁に敵失を待っているだけじゃダメだと言っていましたがまさにその通りで、何かしら政策提言が行えるようになるまでは二度目の政権交代は起きてもらいたくないのが私の意見です。

2010年12月4日土曜日

西南戦争における日露戦争のキーマンたち

 以前に征韓論について取り上げましたが、今日は西南戦争についてちょこっと書きます。
 西南戦争というと日本最後の内戦、士族による最後の武力反抗として位置づけられ、この後士族らは自由民権運動など言論による反抗を行っていくようになると中学レベルでは教えられます。この説明に問題がないわけじゃありませんが、私としてはこの西南戦争はもっと後世に強い影響を与えているのではないかと睨んでおり、できればもう少し研究とか進まないものかと考えています。

 それはさておき、実はこの西南戦争に関わった人間のうち後年の日露戦争においてキーマンとなる人物が数人おります。
 まずその中でも有名なのは203高地で有名な乃木将軍こと乃木稀典で、らしいといえばらしいですが鎮圧のための官軍を率いて九州に乗り込むも西郷軍に散々にやられて軍隊としては絶対になくしてはならない連隊旗を失くすという大失態を犯してます。本人も後年に至るまでこのことをえらく気にしていたそうですが、それにもかかわらず日露で前線指揮官になるというのはやっぱりミスキャストな気がしてなりません。

 そうやって鎮圧軍に乃木がいた一方、西郷軍の当初の攻撃目標で初期から中期にかけてずっと攻撃を受けていた熊本鎮台こと熊本城に篭城していた中には、こちらも日露戦争にて陸軍を率いた児玉源太郎がいたそうです。当時から児玉は将来が渇望されていた人材だったらしく、西郷軍の撤退の後にはわざわざ無事かどうかが政府から確かめられたそうです。

 そしてこちらは西南戦争には参加していませんが、「もし自分も鹿児島にいたら西郷さんとともに戦った」と語ったのが日本海海戦で海軍を指揮した東郷平八郎です。東郷は当時イギリスに官費留学に出ていましたがそもそもその留学を叶えてくれたのはほかならぬ東郷と同じく薩摩出身の西郷で、非常に恩に感じ入っていたそうです。

 乃木はともかくとして、仮に西南戦争で児玉、東郷の両名が戦死していたらと思うとその後の歴史には思わず寒気を感じます。こういったところから西南戦争を見てみると、もっと議論の価値がある気がするのですが……。

瞬間湯沸かし器について

 実はついさっきまでブログを書いててもうほぼ完成直前だったのですが、うちのお袋が瞬間湯沸かし器を使ったところ停電が起き、折角書いた内容が全部消えてしまいました。以前まで使っていたGoogleのBloggerならどんな風に中断してもきちんと途中保存してくれていてこういうことはなかったのですが、FC2だとそうも行かないようです。

 そういうわけなのでまた一から書くとちょっと精神的にも辛いので、今回停電を引き起こした瞬間湯沸かし器について書こうと思います。
 私が瞬間湯沸かし器を初めて使ったのは中国に留学中のことでした。中国は生水が飲めないためにみんな家で喉を乾いたらお湯を沸かしてお茶などにして飲むのが普通で、ホテルや学生寮にはそのような湯沸し用にどこでも瞬間湯沸かし器が置いてあるのが普通です。

 私が入った寮でもそうだったのですが、元からお茶やコーヒーといった嗜好品が好きな私(煙草は吸わない)としたら使わないわけにも行かず試しにいろいろと使ってみたのですが、これがまた意外なくらいに便利で驚きました。もともと一人暮らししている時は湯沸しポットを使っていたのですがこれだと保温時に電気使うし、かといって一回一回ヤカンで沸かしていても面倒。なおかつ一人で何か飲むときなんてコップ一杯の水を沸かす程度なので、ちょうど湯沸かし器を使う程度でいい感じでした。

 そんなわけで日本に帰国して就職後、電気屋に行ってとっても取れるティファールの湯沸かし器をすぐに購入しました。使い心地は非常によく、大体一分程度で沸かしてくれますし、ポットと違ってドリップ式のインスタントコーヒーの場合だと湯をヤカンみたいに注げるので入れ易いです。
 ただ残念なことに私の家族は私以外には誰一人としてこの湯沸かし器を使う人間はおらず、こんなに便利なのにと力の限り叫んでも効果がありません。

 ちなみにこの前に中国で就職を決めてもう部屋も決めて一週間程度住みましたけど、早速近くで100元くらいで湯沸かし器を買いました。上海人の友人からは高いと言われました。向こうでは炊飯器も100元くらいで買えるので、確かに高かったかもしれません。
 あとまだ向こうでは買ってなくて、今度就労ビザ取って向こうに住みついたらすぐさま買おうと思っているのは自転車です。普通に1000元(12,000円)くらい積んでもいいから必ずいいのを買って、盗まれないようにしないと。

2010年12月2日木曜日

足利事件の真犯人について

 今日も私の知恵袋こと文芸春秋の記事の紹介です。中国行ったら読めなくなるけど、影響とか出ないかな。

 文芸春秋を毎月買っている人なら話は早いのですが実はここ三号三ヶ月連続である特集が組まれており、その衝撃的な内容に一部で大きな議論がなされています。その特集記事というのは日本テレビ社会部記者の清水潔記者による記事で、その内容はというと昨年犯人とされて逮捕、実刑判決を受けたものの冤罪として釈放された菅谷さんが巻き込まれたあの足利事件の真犯人についての記事です。真犯人と言ってもどんな人物か皆目見当がついていないのだろうと皆さん思うかもしれませんが、清水記者はここ数ヶ月に渡る特集記事においてはっきりと”真犯人らしき人物”を特定し、その氏名から住所まで探り当てた上で捜査機関に報告まで行っていると書いております。

 実は私はこれまで今回の取材を行っている清水記者について全く知らなかったのですが、その経歴を調べてみるとこんなすごい記者が日本にいたのかとため息をつかされるような人物だったと分かりました。清水記者が初めて脚光を浴びたのは1999年に埼玉県で起きた桶川ストーカー殺人事件で、この事件において警察より先に犯人の特定を行っただけでなく、埼玉県警が被害者や家族から被害届けを受け取っていたにもかかわらず全く捜査を行っていなかったという不正も暴き、その後の警察捜査に対して大きな一石を投じております。今思うとこの時の埼玉県警の不祥事発覚はその後に起きた北海道警裏金事件など、一連の警察不祥事発覚の嚆矢だったような気がします。

 それだけに業界でも清水記者の評価は高いようで、先月号にて別の記者からも、「あの清水氏が取材しているのだから」と太鼓判まで押されていました。私自身もここ数ヶ月の清水記者の特集記事を読む限りでは実に精緻で細かく事実関係を追っており、なおかつ取材対象との信頼関係も非常に強く醸成されているようで、こういってはなんですが文章上からも只者ではないと窺える人物です。

 その清水記者ですがなんと2007年より足利事件を取材し続けており、この事件を含む群馬、栃木で79年から96年にかけて起きた複数の女児殺人事件は手法の同一性などから一人の犯人によって起こされているのではないかと考え、足利事件の犯人とされた菅谷さんは無実ではないのかと推理して取材を行っていたそうです。その過程では足利事件にて被害者となった女児の母親とも接触し、当初母親は取材を拒否していたものの清水氏の対応に信頼を覚え、実名でテレビ出演まで行っております。
 私がこの清水記者がすごいと感じるのは、警察から犯人も捕まってもう一件落着ですと言われた事件の親類とこうして信頼関係を築いている点です。仮に自分がこの母親の立場であれば今更何をと思うだろうし、むしろ嫌な記憶を蒸し返しやがってと反感を覚えたと思います(事実母親も、当初そのような感情を清水記者に持ったと証言している)。そんな母親に何度も接触を試みて会うなり清水記者は、「菅谷さんは真犯人ではない」と言い放ち、その後も取材を重ねていったそうです。

 そうした清水記者らの活動も貢献してか足利事件ではDNAの再鑑定が行われ、ついに菅谷さんの無実が証明されて冤罪が晴れることとなったのですが、では肝心の真犯人は一体誰だったのかという疑問がこの事件では残りました。この真犯人について栃木県警はすでに時効という事で捜査は未だに行っていないのですが、清水記者によると同一犯人の疑いの強い96年に起きた群馬県太田市女児連れ去り事件については時効を迎えておらず、関連が疑われる事件ながらもおざなりにされてしまっているようなのです。

 ここで一連の北関東連続幼女誘拐殺人事件について簡単に説明すると、79年から96年の間に群馬、栃木の県境付近で起きた足利事件を含む五つの事件のことで、どの事件も年端も行かない女児が誘拐され遺体で発見されるという痛ましい結果ながらも犯人は未だに捕まっておりません。清水記者の取材によると90年の足利事件と96年の太田市の事件のどちらもパチンコ店から女児が誘拐されているという大きな共通点があり、太田市の事件当日のパチンコ店にて、まさに被害者らしき女児とともに店内を出る怪しい男が店内の防犯カメラに映っているそうです。また足利事件当時、被害女児らしき子供と遺体発見現場近くを歩く不審な男を複数の人間が目撃しており、清水記者が件の防犯カメラに映った怪しい男を見せたところ似ているとその目撃者らは答えたそうです。
 ここまで言えば分かるでしょうが、清水記者が真犯人と疑っているのはまさにこの男のことで(風貌から、特集記事では「ルパン」と呼ばれている)、すでに清水記者はこの人物の情報を調べ上げて警察に提供しているそうです。

 しかし今のところ警察が足利事件、並びに太田市の事件について捜査を再開したという動きはありません。この警察の対応について清水記者は、警察、検察といった捜査機関が組織としての体裁を守るために敢えてこれらの事件を闇に葬ろうとしているためだと記事中で指摘しており、私自身もそのように考えております。

 足利事件で菅谷さんの逮捕の決め手となったのはDNA鑑定で、彼の冤罪を証明したのもDNA鑑定でした。というのも最初の鑑定では鑑定方法が古く、正確でなかった為だと警察は発表しましたがこれは実のところ嘘で、実際は犯人とされたDNAの型も菅谷さんの型も、再鑑定では当初割り出した型とは違っており、そもそもの鑑定結果を間違えて出していたというのが真実でした。当時のDNA鑑定は顕微鏡を目視してその型を調べるというやり方だったので、いわば鑑定人が型を見間違えたというごくごく単純なヒューマンエラーだったそうです。

 もちろんそれで長い間獄につながれた菅谷さんのことを考えると決して許されないミスではあるのですが、これが本当に取り返しがつかないのは、同じ鑑定方法で事件が立証され、死刑判決が下りた上にすでに執行されてしまった飯塚事件の存在です。
 この飯塚事件について詳しくはリンク先のWikipediaを読んでもらいたいのですが、犯人とされて死刑がすでに執行された方は逮捕当初から死刑直前まで一貫して無実を訴え続けていたのですが、足利事件と同じ手法のDNA鑑定が決め手となり裁判では有罪死刑を受け、2008年に刑は執行されております。

 仮に足利事件を再捜査すればこの当時のDNA鑑定方法の不備が槍玉に挙がることは目に見えており、場合によっては当時のDNA鑑定すべてが再鑑定にならざるを得なくなります。それによってこの飯塚事件が再調査となり、もしも鑑定が間違っていた場合、冤罪ながらも死刑を執行してしまったということになってしまいます。

 上記のような指摘は足利事件で菅谷さんの弁護士をしていた佐藤博史弁護士がかねてから主張しており私自身も知ってはいたのですが、今回の清水記者の取材からますます警察が事実を隠したがっているという確信を得ました。
 警察はすでに何度も書いているように足利事件について再捜査は行わないと発表しています。にもかかわらず、被害女児の母親が事件の証拠となりDNA鑑定に使われた被害女児の遺品であるシャツの返却を求めた所、栃木県警はあれこれ理由をつけては頑なに、未だに返却を拒み続けています。

 捜査がまだ行われているのならともかく、捜査が打ち切られた証拠品は通常であれば遺族らに返却されます。しかしこの真犯人のものと思われるDNAが付着しているシャツは先ほどの鑑定が根本から間違っていた事を証明しかねないがゆえか、はっきり言って異常な理由をつけて警察は返却を拒み続けているそうです。それだけに私は先ほどの飯塚事件との関連性がより疑えるのではないかと思うに至りました。
 すでにこの問題は国会の法務委員会でも取り上げられているようで、私としても北関東で明らかに異常なほど頻発している女児の誘拐、殺人事件を解明する上で再捜査が行われる事を心から祈ります。

 最後に残酷な一つの事実。清水記者によると、足利事件と飯塚事件のDNA鑑定は同一の鑑定人が行ったそうです。

2010年11月28日日曜日

日本人の感情表現と文章

 ネットを当てもなく見ているとよく、「外国人を見て和む話」というものがまとめられております。実際に読んでみると確かに和む話ばかりで見ていてほのぼのとしてくるのですが、ふと考えてみるとなんで外国人の行動にこうも和まされるのかと疑問を覚え、ちょこっと考えて出した私の結論はというと、やっぱり日本人と比べて外国人は割合に感情をストレートに表現する事が多く、うれしいやがっかりといった感情を比較的押さえ込む日本人からするとそれが素直にさらけ出されるのを見て和みを感じるのではないかと思いました。
 なお言うまでもないことかもしれませんが、ここで言う外国人ってのは基本的に西欧人で中国人とか韓国人は入っていません。中国語でも西欧人は「外国人」もしくは「老外」というけど、日本人と韓国人はこれに入らない辺りにシンパシーを感じる。

 話は戻って素直に感情を出す外国人についてですが、日本人というか日本の世の中は基本的に感情を押し殺す事がすべての場において美徳とされ、小学校くらいからもそのように教育されます。私自身も日本人であるので感情を押し殺して黙々と行動する人間をかっこいいと思う傾向がありますが、その一方でなんでもかんでも感情を束縛される事に窮屈さを感じることもままあります。先ほどの外国人を見て和む話といい、私は今の日本人は一応は感情を押さえることが美徳だと認識しつつも、内心では感情をストレートに表現したいという欲求が強いのではと、考えた次第です。近頃流行りのうつ病も、やっぱりそういった感情表現と関係ある気がするし。

 では日本人は元からそうした感情表現を押し殺すのか、もしくは感情表現自体が苦手なのかと言うと、これは間違いなく後天的に植え付けられた特徴だと考えています。なんだかんだ言って日本の子供達を見ていると実に感情表現が多彩なのに対し、年齢が上がるにつれてそのような傾向はなくなってしまいます。となると日本の教育自体が感情表現を抑えるように教え込んでいる事になるのですが、そう考えた時に真っ先に思い浮かんだのが日本の作文教育です。

 日本の作文教育については過去にも「読書感想文は必要なのか」の記事の中で、日本の読書感想文は執筆者が本を読んで実際に感じた感想以上に教師が納得するような本を誉めるような内容が暗黙のうちに要求される点を指摘しましたが、よくよく考えてみると読書感想文に限らず日本の作文教育は個人的な意見はまだ書けるにしても、文章に感情を盛り込む事については徹底的に排除されているきらいがあります。

 ここで私がいちいち書かなくとも中学高校にて、「文章は客観的に書きなさい」と教えられたことは日本人なら誰にでもあるでしょう。この客観的にというのは響きはいいですが、実際には感情をすべて排除してマシーンのように文章をつづれと言っているも同然で、確かに客観的な視点は文章には不可欠であるものの主観的な視点を徹底的に排除するのはそれも問題だと私は思います。
 元々人間は感情を束縛される事に対して嫌悪感を抱くようで、私の感覚ですけど感情を捨てて文章を書けと言われてもあまり乗り気にはなれません。逆に、「お前の今持っている感情をすべてこの紙の上で表現せよっ!!(#゚Д゚)」などと言われ、自分の好きな歴史人物についてそれが何故いいのかだったり、嫌いな人間について呪詛の言葉をつづれってんなら物凄い乗り気で今からでもいくらでも書く気が起きます。

 くれぐれも言っておきますが、今も書いているこの文章を含め基本的には文章には客観性というか落ち着いた表現が求められると考えています。しかし主観的な表現も全く価値がないわけではなく、感情を文字にて表現するという意味ではむしろ格好の材料となることがあります。
 私が何を言いたいのかと言うと、日本の作文教育は一から十まで感情を殺すように書かせるために作文に対して苦手意識を作っている気がして、せめて小学生の間、出来れば中学校くらいまでは好きな事や感情をそのまま文字にて書かせた方がまだやる気もでていいんじゃないかという事です。

 これこそ先ほどの外国人の和む話で見かけた話ですが、イタリア人の男性は女性を見ると誰彼かまわず歯の浮くような文句で口説くそうですが、彼らは小学生の頃からラブレターの書き方を勉強するなどその方面で徹底した教育受けているそうです。ラブレターまでとは言いませんが、感情をさらけ出す材料をもうすこし作文の題材に選んで欲しいものです。

2010年11月27日土曜日

大学時代の遠慮のない後輩について

 またぞろ堅い内容の記事が続いているので、軟らかいネタでも書こうかと思います。

 先日、大学時代に住んでいた関西に行ってお世話になった方々へ挨拶回りに行きましたが、控えめに言っても私の大学時代は実り多いものだった気がします。今も交流があるほどいい恩師に恵まれた事はもとより、関東育ちの私が敢えて箱根の関を越えて関西の大学に行ったことで関西、関東両方の文化や地理を得られたことは今でも非常に大きな武器となっております。近年は東京一極集中のために関西の学生も地元に未練があるものの関東で働く事になることが多く、関東の学生はもとから住んでいるのもあってずっと関東に居続けると言うことが増えており、事実私の高校時代の友人らもほとんどが関東から出ずにいます。

 ただ大学時代で何が一番大きかったかというと、意外なことに下宿生活が一番だった気がします。ただ下宿するだけならそうでもないのですが、やや都市部から離れたキャンパスに通っていたために私が入った下宿はその大学の男子学生しか入居していない下宿で、周囲からも「○○男子寮」と揶揄されるアパートでした。大家の人も昔から学生を世話しているだけあって入学式の夜には一回生を集めて顔合わせ会などを催してくれるなど、壁が薄くて隣室のテレビの音が3Dサウンドで聞けましたが楽しい下宿でした。

 そんな下宿でしたが何の因果か私と大家夫妻は仲が良くなり、テスト中とかに遊びに行っては蜜柑とかお菓子を一緒に食べたり、下宿を出た後も遊びに行っては話をしたりしてえらく贔屓にしてもらいました。そんなもんだから二回生以降は前述の一回生らの顔合わせ会のまとめ役を毎年して、学年の違う後輩らとも知り合う機会も得られて今時ではない下宿生活をしてたように思えます。

 そうして知り合った後輩の中で、やっぱり特徴が強かったのは四国勢です。私の気のせいかもしれませんが四国出身の人間はみんな県民性を見事に反映していて、なおかつずうずうしいというか妙な遠慮がないために付き合ってて面白い人が多かったです。その中でも特にインパクトが強かったのは香川県から来た後輩で、何故かは知らないですが私がいつも夕食を作っている最中に、

「先輩、ゴミってどう出すんですか?」
「先輩、洗濯機って夜に使ってもだいじょうなんすか?」
「先輩、夏休みに部屋空ける時ってなにかしないといけないんすか?」

 こんな具合に、いっつもメシ作っている最中に来るので私も仕方なく、

「まぁ立ち話もなんだから、上がってメシでも食べてって」
「えっ、マジッすか!? じゃオジャマします!!ヽ(・∀・ )ノ 」

 他の学生ならまだ、「いやいや、そんなの悪いですよ」って遠慮してくるのに、彼だけは二つ返事でいつも食べてきました。まぁその方がこっちも気持ちいいけど。

 その後一旦私は中国に留学しましたが、日本に帰って元の大学に復学した際はキャンパスも変わっていたので別の下宿を借り、その後久々に元の下宿を訪れた際にその香川の後輩を訪ねるとうれしいことに私のことを覚えていて、たまたま一緒にいた自分は半分岡山県人だと言って譲らない神戸市西区出身の後輩ととともに私のことを、

「ちょうど今、俺達花園さんのことを話してたんですよ。井上和香が好きなスケベな先輩がいたよなぁって」
「('A`)」

 この時に新しい下宿の住所を教え、もしよければまた晩御飯を食べにおいでと誘ったら神戸の後輩と共にすぐに来て、その日は確かカレーを作りましたけどあらかじめご飯を四合炊いといたら「足りないっすねぇ( ゚Д゚)」と言ってきたので、追加で三合を炊いたら三人で全部平らげてしまいました。
 私は学生時代にいろんな人間を招いては食事を用意してきましたが、あれほど遠慮がない学生は他にいなく、今でも強烈な印象に残っております。日本の世の中だと遠慮深い事が美徳として扱われますが、私はこの後輩と会ってからは遠慮が強すぎるとかえって相手の気分を害させ、むしろ二つ返事で素直に喜んだ方が人間関係的にもいいと思うようになりました。

 ちなみに下宿にはもう一人、高知出身の後輩がいましたが、香川の後輩ほどではありませんでしたが彼もあまり遠慮はせずにいい意味で感情をストレートに出してました。ただ一回だけ彼の部屋に遊びにいったところ、結構散らかっていたのでそれからは私の部屋に呼ぶようにしました。

2010年11月25日木曜日

オリジナルなき中国経済

 前回の記事では日中の若者の現状を私なりに比較しました。概略を簡単に説明すると日中共に若者は苦しい立場に追いやられているが、日本の若者は中国の若者と比べれば将来性はともかく現状では金銭的にも社会的にも恵まれているにもかかわらず非常に後ろ向きなところがあるという主張をしました。
 そんな次の回の今日は、今回私が中国で滞在した際に感じた中国経済の違和感こと今後の中国の不安定要素と、それを逆の位置から見た日本の優位について一考を紹介します。

 以前に書いた「中国の自動改札と券売機」の記事にて私は中国での自動改札機と券売機を紹介しましたが、どちらも日本の駅に置かれているものと比べると性能的には低いものでした。元々両方とも日本企業の京都三大ブラック企業で有名なオムロンが開発した物なので原産国である日本の機械の方が優位を持ってて当たり前でしょうが、ふと考えるとこうして現在中国国内で普及が進んでいるものは、作っている現場は中国でも元々はすべて外国製なのではという考えがもたげました。自動車然り、携帯電話然り、マクドナルド然り、新幹線という高速鉄道は名前もそのままなのに「自分達で頑張って作りました」と言ってますが実際には日本の技術の流用だそうです。

 中国は今年、GDPで日本を追い抜きアメリカに次いで世界二位になることがほぼ確実視されていますが、世界二位の経済大国にも関わらず中国が独自に世界に発信した文化、サービス、規格となるとほぼ皆無なのが現状です。この傾向については私が記憶している限り五年前から中国国内の学者は今の中国の経済成長と日本の高度経済成長期を比較し、「当時の日本にはすでにトヨタやソニーといった世界に通用するブランドがあったにもかかわらず、中国には未だにそのようなブランドが存在しない」と問題視していましたが、それから五年経った今においてもこの点には一向に改善が見られません。
 企業ブランドで言えば一昨年のリーマンショック以降は吉利自動車がボルボを買収するなど、中国企業は主に海外の自動車系ブランドの買収は手広く行いましたが少なくとも現時点においてはまだそれら買収したブランドが有効に機能しているとは思えません。IBMのパソコン部門を買収したレノボは知名度アップに見事成功したとは思うけど。

 元々中国の企業はかねてから品質トラブルを抱える事が多いので、私みたいに中国と深く関わっている人間でなければあまり企業名までは覚えてもらえないのが常です。そうした企業ブランドの低さに加え、私がもう一つ問題視しているのは中国独自の技術や規格こと、「チャイナスタンダード」の欠如です。

 いきなりチャイナスタンダードといっても、恐らく大半の人は見慣れない言葉に戸惑うかと思います。この言葉の意味は文字通りに「中国規格」で、細かい所までとなると話は別ですが、今現在で中国で流通している商品やサービスにおいて中国独自の規格があるかといえばほぼ皆無なのが実情です。
 考えてもみてください。今現在で中国発の独自な文化やサービス、技術を挙げろと言われてすぐに挙げられる日本人はほとんどいないと思います。実際に他の人より中国に関わる事の多い私ですらこの質問は難問で、強いてあげるならば有人宇宙開発だけは結構頑張っていると思いますがそれ以外となると結局は他国の下請け製造のみで、むしろこの点では半導体製造や韓流ドラマなどを持つ韓国の方が上手です。

 結局の所、中国は以前から問題視されながらも世界に通用されるような独自規格を全く作れず、他国の完成した製品、もしくはサービスを受け入れているだけで、世界の工場といわれながらも製造している製品は他国のコピー止まりなのが現状です。
 断言してもいいですが、今後十年の間はチャイナスタンダードがグローバルスタンダードになることはありえないでしょう。中国は人口も多くて市場も大きいだけに、携帯電話の電波方式など自国でその商品なりサービスの形態を普及させる事で他国の企業を従わせやすいように思えるのですが、不思議な事に今もってそのようなグローバルスタンダードと呼べるような規格を作る事が出来ずにおり、その原因はほかならぬ中国人自身にあると思います。

 それにひきかえ日本はというと、よく携帯電話機の規格などでガラパゴス化しているなどと言われていますが、陰に隠れてちゃっかりと国際規格をいろいろ作っているとこのところ感じます。その一番の代表例はソニー連合のブルーレイディスクで、最初はあーだこーだいいながらも今じゃすっかり世界各国の映像記録媒体として定着していますし、それに合わせて再生機の規格も物にしてます。そのほか鉄道においては言わずもがなの新幹線、特に今度はありえない長距離をリニアモーターカーで結ぶというのですからその技術の高さは素人ながら恐れ深く感じるほどです。

 以上のような考察から私は、中国はまだしばらくは内需喚起で経済成長を確実に続けるものの世界第二位の経済大国と呼ぶにはあまりにも発信力、技術力が低いため、ある日突然に成長を止めることになると予想します。しかもそのブレーキの反動は恐らく日本のバブル崩壊時以上で、かつてヨーロッパ、日本が歩んだ通りかそれ以上の冬が来ると思います。

 かつて日本はアメリカなどから「人まねザル」などと言われた時代がありましたが、その時代にあってもカシオの計算機やマツダのロータリーエンジン、テレビアニメーションなどといった技術や文化を独自に生み出していました。しかし中国には、私の不勉強によるものかもしれませんが未だにそのような技術や文化はなく、むしろ独自性の強かった香港映画がハリウッド映画に成り下がった始末です。
 よく中国関係の仕事をしている人から聞く話に、日本はたくさん独自の技術や文化を持っているにもかかわらずそれを全く活用しようとせずに自国の経済を卑下する、という話がありますが、中国からの視点で見ると私も同じように感じます。日本の将来がダメだと悲観する事は簡単ですが、時と場合によってはまだ余裕がある人間の自己卑下にしか見えない時もあります。