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2010年12月22日水曜日

伊能忠敬と勉強を始める年齢

 昔テレビ番組にてタレントのタモリが、「一番好きな歴史上の人物は?」という質問に対し伊能忠敬の名前をあげたのを見てやっぱりこの人は通な人なんだなぁと感じたことがあります。

 伊能忠敬については知っている方も多いと思いますが、日本中を歩き回って衛星写真はおろか航空写真すらない当時にして非常に正確な日本地図である「大日本沿海輿地図」を作成した人物です。この地図はかのシーボルトが出国の際に持ち出したことで国外追放処分を受けることとなった因縁の地図でもあるのですが、シーボルトが持ち出したものを(恐らく写本となって)回りまわって日本に開国を求めてきたペリーも持参してきており、Wikipediaの記述によるとペリーはこの地図を大まかな見取り図かと思っていたら海岸線の距離など余りにも精確であったために驚いたそうで、日本は侮るべからずと心胆寒からしめたというほどの出来だったそうです。

 そんなすごい地図を作った伊能忠敬ですが、彼は始めから測量を行う役人はおろか地図作りに関して専門的な教育を受けていた人物ではありませんでした。彼は村の名主の生まれではありますが若い頃は商人として生き、店を息子に譲って隠居してから江戸に出て本格的に勉強を始めたのですがそのときの年齢は実に五十歳で、当時の平均寿命といってももいい年齢でありました。地図作りが始まったのは勉強開始から六年後の五十六歳からですがいい年しながら実に健脚この上なく、最終的に地図は彼の没後に弟子が完成させるのですが地図作成までに彼が歩いた距離は地球を数周するほどだったそうです。

 私がこの伊能忠敬のエピソードで一番よく使うのは、学問を始めるのに年齢は関係ないということを説明する際です。確かに伊能忠敬が相当頭のいい人だったというのは間違いないでしょうが、それにしたって一般的には物忘れが激しくなりだす五十歳から勉強を始めてこれほどの偉業を達成できたということは注目に値し、やり始めるのに年齢は関係ないということを強く示す例でしょう。また伊能忠敬に限らず、ある程度年齢がいってから勉強を始めてすごい記録や偉業を打ち立てた人はほかにもいます。

 ちょっと検索をかけてみたらあっさり見つかって話は早いのですが、あの小中学生が妙に競い合う円周率の暗誦において世界一位の人物はほかならぬ日本人で、下記サイトの運営者です。

円周率πの達人 原口證

 その世界記録である原口氏の暗誦数は101,031桁という途方もないものですが、私は以前にこの原口氏の暗誦記録挑戦のエピソードを読んだことがありました。そのエピソードによると原口氏はある日新聞を読んでいると海外で円周率を五千桁まで暗誦して世界記録を作ったという人のニュースを読み、「向こうが五千桁なら五万桁に挑戦してみよう」と考えたそうです。
 原口氏は確か二十歳か三十歳かの頃に記憶力が落ちてきていると感じてそれから記憶力を高める練習をやり始めたのですが、その五万桁暗誦挑戦時は確か四十歳をとうに過ぎていながらも、居並ぶ記録証明人らの前で一回だけ詰まったものの、見事五万桁を正確に暗証して見せたそうです。知らないうちに十万桁まで達成してたようだけど。

 この原口氏ともう一人、私がよくこの手の話で引用する人物ですが、生憎こちらは名前を失念してしまったのですがある樹木医の方です。その方はかねてから朽ち果てそうな樹木を再生するような仕事をしたいと考えており、定年の60歳まで働いた後から植物について勉強を始め、その後逝去するまでの間に数百本の樹木の再生を行ったそうです。再生した樹木は主に寺社や仏閣などにある大木なのですが、その中には触るとたたりが下るという平家関連の樹木もあったそうですが、さすがに平家の落ち武者もお医者さんには手を出さなかったようでたたりはなかったそうです。

 うちのお袋なんかはよく、「若い頃は何だって覚えられたのに」とパソコンの操作を私に聞く時にぼやいたりするのですがその度に私は、「お袋が若い時ほど物を覚えようという気力がないだけで、年齢のせいにするな」と厳しく言い含めています。
 上記に上げた三者のエピソードといい、また自分の体験談からといい、年齢とともに物覚えが悪くなるというのは肉体の衰え異常に学ぼうという気力の衰えが原因だと私は思います。年をとっても自分の興味のあるものはすぐ覚えられますし、若い頃はなんだって覚えられたというのは学校というある種勉強を強制する機関があるからこそでしょう。

 これは逆に言えば学問を始めるのに年齢は関係ないということです。物を始めるのに遅すぎるという年齢はなく、やる気さえあればこと学問に関しては私は何とかなると思います。
 最近は不況の影響か生涯学習という言葉が余り聴かれなくなりましたが、私は日本において本来大学に行くべき年齢はある程度社会経験を経た三十歳くらいの方々だという気がします。理想は高校卒業から数年間働いてから行くべきだと思いますが、紋切り型新卒一括採用の今の日本では難しいでしょう。

2010年12月19日日曜日

サイト移転のお知らせ

毎度、陽月秘話をご贔屓いただき、誠にありがとうございます。この度管理人
が中国に長期滞在することとなり、中国からではこのサイトにアクセスができず
更新もままならないために今後は下記サイトにて更新を行うことにしました。

移転先サイト:陽月秘抄
http://blog.goo.ne.jp/miyamakikai

陽月秘話をお気に入りに登録されている方は、誠にご面倒ではありますが上記
アドレスに変更を行っていただくようお願いします。今後とも、陽月秘話改め陽
月秘抄をよろしくご閲覧のほどお願いします。

2010年12月11日土曜日

今日漫画喫茶で読んだ漫画

 今日は朝早くから漫画喫茶に行って来ました。目当ては「スティールボールラン」の最新刊と先日最終巻が出た「鋼の錬金術師」で、本当はコーヒーのうまい別の漫画喫茶に行きたかったのですがその店はこのところ店長の体調不良でやってないので、本当にシャレにならないくらいまずいコーヒーを出す所に行きました。それでも飲んだけど。

 それで読んだ感想ですが、「スティールボールラン」もほとんど終わりに近くて前刊から迫真の戦闘シーンが続いていて非常に面白く、この刊に限るわけじゃないですがジョジョシリーズは戦闘の最中にちょこっとエピソードじみた話を入れるのがうまく、今回もそれが強く印象に残っています。

 もう片っ方の「鋼の錬金術師」については説明するまでもない近年、というより2000~2009年代の漫画における最大ヒット作といっていい作品ですが、最終巻はどんな結末になるかとこちらも楽しませて読ませてもらいました。詳しい内容についてはネタバレになってしまうと良くないので言いませんが、この作品についていいたいことというかなんというか、なんでも作者の荒川弘氏はこの漫画の連載中に普通に妊娠、出産を経験しているらしいのですが、他の雑誌でも連載を掛け持ちしているにもかかわらず一切休まずに連載を続けたそうです。

 荒川氏だけならこの人が相当すごい人だで終わるのですが私が贔屓にしていて、荒川氏と同様に他の雑誌の掛け持ち連載をしている楠桂氏も同じスクウェアエニックス発行の雑誌で連載中に妊娠、出産をしており、恐らく本人らも編集部と話はしているでしょうが、この出版社はもう少し作家の体調管理を考えてやれよと言いたいです。

2010年12月10日金曜日

鹿児島夫婦強殺事件での無罪判決について

 今日はいろいろ書かなくちゃいけないのに、つい先ほどに私が愛読している「ノノノノ」という漫画が打ち切られていたという事実を知ってかなりしょげています。何もブログ書く前に知ることになるなんて……。

・<鹿児島夫婦強殺>「疑わしきは被告の利益に」 原則貫き(毎日新聞)

 今日取り上げるニュースは上記リンクの、鹿児島県鹿児島市で夫婦が殺害された事件で犯人として捕まり検察から死刑が求刑された白浜政広被告に対し、裁判員裁判にて無罪判決が下りたという事件についてです。

 事件詳細については他の記事に譲りますがこの事件における警察の捜査、検察の立件の仕方に対しては疑問を感じざるを得ません。警察がどうして白浜氏を犯人として捕まったのかというと犯行現場から白浜氏のDNAが網戸から、指紋がタンスから見つかったからだと主張していますが、網戸のDNAについてはすでに試料を使い切っているので再鑑定できないとしており、タンスについていた指紋というのもよくよく調べてみるとタンスそのものではなく、タンスの中に入ってあった封筒一枚についていたものだったようです。
 また警察は今回の事件を金に困った白浜氏が金銭目的で強盗に入ったと動機を説明していますが、タンス自体は荒らされていたにもかかわらず現金や通帳には一切手がつけられておらず、先ほど述べたように封筒にだけ指紋がついているというなにやら腑に落ちない点も少なくありません。指紋についてはこのほか凶器とされたスコップにもついておらず、夫婦を殺害する際に手袋などをつけて指紋を残さなかったとしたら、その後タンスを開ける際に手袋を脱ぐとは考え難いと裁判員からも指摘されております。

 そして極めつけが犯行現場に数多く残されていたという靴跡で、白浜被告の所持していた靴とは全く違う靴底だったようです。もちろん犯行用に使用して使用後は処分したとも考えられますが、それでもその場合は入手経路などを辿る事も不可能でなく、この点についてなんら言及をしなかった鹿児島県警は一体どんな捜査をしたのかという気がします。さらにはこれだけ曖昧な点、はっきりと証明され切っていない点があるにもかかわらず、いわば取り返しがつかなくなる恐れのある死刑を求刑した検察にも頭を傾げざるを得ません。ついこの前にDNA鑑定の結果のみに頼った挙句冤罪を作ってしまった足利事件が出たにも関わらずどうしてこれほどまで強気で来たのか、時代遅れも甚だしいでしょう。

 過去を穿り返すと鹿児島県警は以前にも志布志事件といって、初めから冤罪だとわかっていた一般市民らに対して暴言や脅迫を行って選挙法違反の自白を強要するという呆れた事件を起こしています。私も鹿児島に生まれた人間の一人であるためにもうこういうことは会って欲しくないと陰ながら願っていましたが、群馬県警、栃木県警、神奈川県警、大阪府警、北海道警らと同じで、不祥事を起こすところは何度でも起こすものです。

 最後に、仮にこの裁判が裁判員裁判でなかったら、以前までの裁判だったらと考えた場合、私は死刑とはならずとも無期懲役刑が判決されていた可能性が高いと考えております。裁判員裁判や足利事件、そしてつい最近の厚生労働省の村木氏の裁判の影響から、日本の刑事裁判はここ一、二年で劇的に変化が起きています。私としてはこの変化を大いに歓迎しており、今回の無罪判決も報道を聞く限りで支持する次第であります。

2010年12月9日木曜日

政倫審を巡る仙谷対小沢の攻防、絡む自民党

 本日の朝日新聞の朝刊でも取り上げられていましたが、政治倫理審査会への小沢一郎氏を招致するかどうかで民主党内が揺れていると各所で報じられています。首相の菅直人氏は来週月曜にも来年の通常国会にて小沢氏を招致することを発表すると言われていますが、これに対してリアルに焦っているのか小沢氏側もここ数日の間に異様に活動的な様子が報じられています。

・きな臭い…小沢氏、舛添氏、鳩山兄弟会食(日刊スポーツ)

 上記リンク先ニュースにある通りに一昨日の晩、小沢氏、桝添要一氏、鳩山由紀夫、邦夫兄弟が四人揃って会談を行いました。そこで話された内容について参加者は明かしてはいませんが評論家に伺うまでもなく反菅政権色の強い四人なだけに、菅政権を崩壊させた上での政界再編を話し合ったのではないかと思われます。
 また同日、自民党の谷垣氏はかねてから自民と民主の大連立を主張している読売新聞の渡辺恒夫と会っており、報道によるとやはり渡辺から大連立を進められたものの谷垣氏は今の民主党とでは組めないとして拒否したと伝えられております。

 この小沢氏と渡辺氏の動きは内容はもとより時間が一致していることからもある程度示し合わせてのものだと思われます。大メディアの報道では政倫審に菅首相もとい仙谷官房長官がどうしても出席を求めるのであれば党を割る、もしくはそのような牽制でもって菅政権を崩壊させ、自民党の面々と合流した上で新たな内閣を小沢氏が作ろうとしているのではと報じられていますが、私としても同じような見方をしています。そしてそんな小沢氏の動きに失地回復を図ろうとしている鳩山由紀夫元首相、中途半端な自分から脱却したい鳩山邦夫氏、勢力を伸ばしたい桝添要一氏が同調し、渡辺恒夫は自民党へ地ならしに行ったというのが12/8の夜だったと思います。

 ただこうした小沢氏の目論見が上手くいくかとなると、私はそうも行かないと思います。小沢氏側は仙谷氏に問責決議案が下りたのだから菅政権より自分達に支持が集まると思っているかもしれませんが前回の民主党代表選といい、今の時点で以っても菅か小沢かといったら菅首相を取る人間の方が多いような気がしますし、私自身もその側です。その上で小沢氏はすでに検察審査会での強制起訴が決まっており、お仲間が爆弾兄弟こと鳩山兄弟に人気が急落している桝添氏だけでは話にならないでしょう。特に桝添氏については以前はあれだけ口汚く小沢氏を批判していたのにという気持ちが私にはあります。

 そして凌ぎ場となるはずの自民党側もその辺のリスクを承知しているのか、谷垣氏も大連立には難色を示しており、また昨日には石破政調会長も、

・自民・石破氏、大連立「脱小沢の民主なら」 可能性に言及(日経新聞)

 と、谷垣氏と全く同じ事を言っているので、福田元首相くらいの年代ならともかく大半の自民党議員は民主党以前に小沢氏と組む事自体に警戒感を持っているように伺われます。

 私としては是非このまま仙谷官房長官に小沢氏を政倫審にかけてもらい、小沢氏にも手下を引き連れて民主党を分裂してもらいたいと考えております。それによって政界再編が起きるのであれば今現在で理想的な分かれ方になり、日本政治全体にも好影響を与えると信じております。
 さらに注文をつけるなら、これを気に小沢氏を完全に政界から放逐できれば何も言う事はないです。小沢氏を支持している方には申し訳ないですが、私はこの十年の間に小沢氏が政策的な発言をしたのを全く見たことがなく、むしろ政策的議論をなんらかの不祥事なり事件なりにかこつけることで政争に祭り上げ、議論をおかしくさせてきたようにしか見えません。私は渡辺恒夫ともども小沢氏は今の時代には不必要な人材であり、早く表舞台から退場、それも過去の清算も果たしていなくなるに越した事がないと考えております。

 今の菅政権は誉められた政権運営だとはとても言えません。ただ小沢一派を放逐することに価値があると私は考えているので、もしそのように動くのであれば私は支持していこうかと思います。

悪法は守るべきかどうか

 昨日は「お上と法律」といって、市民に法を従わせるためにはお上がある程度率先して法を守らねばならないという事を私は主張しましたが、この法律を守るか守らないかの議論において一番重要な議題となるのは、「悪法といえども守らなければならないのか」という事だと私は思います。そしてこの根源的な議論に最初に挑んだというか象徴的に取り上げられるのは、今日取り上げるソクラテスでしょう。

 ソクラテスについては詳しくここでは話しませんが、彼は当時の人間からしても明らかに不当な裁判によって死刑判決を受け、それに同情する人々から逃亡を薦められるもそれを拒否し、「悪法といえども、法は法」といって自ら毒杯を煽って死しています。このソクラテスの言った「法は法」という言葉と彼の行動、ひいては「ソクラテスは生きるべきだったのか死ぬべきだったのか」に対して文系の学生なら一度は議論しておいてもらいたいものなのですが、果たしてどれくらいいることやら。こういうからにはもちろん私も議題に上げて議論をしたことがあるのですが、根源的な内容なだけに画一的にこれが正しいという結論は求めず、確か友人と意見が分かれたままで終えた気がします。

 それで私の意見を紹介すると、結局どっちつかずでした。確かにソクラテスの言うとおりに間違っていると分かりきっていたとしても法を破れば間違った法を運用する人間らと同じになってしまうというのも分かりますが、死んでしまったらその法を改革する事もどうにもする事も出来なくなる事を考えると、恥を忍んででも生きて世の中をよりよくするために活動していくべきだったのではという、どちらかといえば「生きるべき」論の側に至りました。

 ただしこれはソクラテスのように命が懸かった場合に限る話で、それ以外の軽微なものであれば私は悪法といえども従うべきだと考えています。
 今現在においてもやれ法人税を下げろとか規制を減らせという様々な法律改正の意見はありますが、その意見を発信する人間はどんな人間かと辿るとほぼ間違いなくそれらの法律改正によって利益を得る人間ばかりです。法人税の減税主張者は経団連の人間で、規制解除論者も新規参入を図る人ばかりで、こう言ってはなんですが自らが不利になるといえども公益のために法律改正を叫ぶ人間はほとんどいません。

 まぁお互いに利益を追求する事で成り立つ資本主義社会なのだからそれはあながち間違いではないのかもしれませんが、時たまこういった法律改正を叫ぶ人間を長く見ていると、時間の経過によって全く反対の意見を言い始める人間も中にはいます。何故その人間が従来の主張をひっくり返したのかと言うと、これまた言ってしまえば以前の案だと自分の不利益になってしまうように状況が変わったことに他ならないでしょう。

 最近はモンスターペアレンツなど堂々と果たすべき義務も果たさず法律が悪いという人が表にはっきりと出てくるようになりましたが、私は恐らく、彼らが悪いと言っている法律が自らに利益をもたらす立場となれば全く逆の事を言うと思います。そういった事を考えると、最低限法律を変えるべきだと主張するからには悪法といえども従うような、最低限の節度というか公益性を持つ必要があると考えます。
 ただこれも突き詰めてしまうと政府の言論統制に何でも従うべきだという意見にもなってしまい、ノーベル平和賞で揉めてる中国なんかを見ていると法律破ってでも思想や報道の自由は守らなければとも考えてしまいます。

 そういうわけで結局この議論はケースバイケースで、画一的に出せるものじゃないということになってしまいます。ただ日本においては命まで取られる様な事態はそれほど多くないと思うので、変な法律でも私は守りつつ改正を主張するべきだと思います。
 ちなみにこれまで日本の年金について私もいろいろ言ってきましたが、今度から海外で暮らすために支払いを止めたのでこれからは文句言わない事にします。

漫画家レビュー:押切蓮介

 私が押切蓮介氏を知るきっかけとなったのは、一枚の絵からでした。
 ある日いつも通りにネットを見ていると、「ホラー漫画家の押切蓮介氏が綾波レイを描いた」という記事を見つけました。綾波レイというのはいうまでもないでしょうがかつて大ヒットを記録して現在も新劇場版が続々と公開されているアニメ作品、「新世紀エヴァンゲリオン」のヒロインのことで、90年代の日本アニメを代表するヒロインの一人ですが、何でも当時にこのエヴァンゲリオンを製作したガイナックスが定期的に有名な漫画家やイラストレーターにガイナックス作品のキャラクターを書かせてホームページのトップイラストに載せていたそうです。

 このガイナックスの企画を押切氏も受けて綾波のイラストを描いたそうなのですが、今でもそのイラストはネットで「綾波 押切」とでも検索すれば出てくるでしょうが、私は押切氏が書いたそのイラストを見てちょっと不思議な感覚を覚えました。押切氏については何も知らず、ホラー漫画家と紹介されていたのでてっきりホラー漫画に特徴的な猫の目のように見開いた目で綾波が書かれているのかと思ったら、畳が敷かれた和室のような部屋で綾波が座り、ふすまの開いた背後に使徒らしきものが立っているという、やや風変わりな構図の絵でした。

 そういうわけでホラー漫画家というだけあって奇妙さを感じる絵を描く人だなとは思いはしたもののその時はそれっきりでしたが、それからしばらくしてこれまたどこかのサイトにて、「ミスミソウ」という漫画のレビューを読む機会がありました。この「ミスミソウ」のあらすじを簡単に書くと、田舎の学校に転校したところ転校先のクラス総出でいじめを受け、家族まで焼殺されるという聞いててぞっとするような内容で、一体どんな漫画家がこんな漫画を描いているのだと調べたところ、まさにその漫画家が押切氏だったわけです。

 最初の綾波のイラストを見た時期から時間がしばらく経っていたせいで当初は気づかなかったものの、Amazonで「ミスミソウ」の表紙を見ていてなんか引っかかる絵だなとじろじろ眺めて同じ漫画家だと気がついたのですが、それから興味を持つようになってまずは試しにと代表作の「でろでろ」という漫画から買ってみました。ただこの「でろでろ」はホラーはホラーであるものの、霊感体質の強い主人公の日野耳雄がそこらのオバケにしょっちゅう因縁つけては殴り倒すというホラーギャグ漫画で、「ミスミソウ」の暗いあらすじからすると程遠い漫画でした。とはいえこの「でろでろ」もつまらないわけじゃなく、むしろ今時の漫画としては珍しく一話完結のストーリーなので何度も読め、話の構成も妙なところで凝っていてすぐに気に入りました。

 そうした前段階を踏んでとうとう「ミスミソウ」にも手を出したわけですが、前評判の通りに本当に救いのない話でした。こちらはホラーはホラーでも「でろでろ」と違って幽霊の類は一切出ないのですが、現実の人間が怖いというサイコホラーに属し、猟奇的描写を含め非常に陰惨な内容に終始していました。先に「でろでろ」を読んでいたせいもあって、「本当に同じ作者が書いているのか?」と疑うくらいだったし。

 ただ押切氏の作品を読んでて、やはりほかの漫画家の作品と比べて読者を引っ張りこむ引力が格段に強いように感じました。押切氏自身もホームページの絵日記にて、「なぜ俺には美少女が描けないのだ」と悩む場面が出てきますが、確かにお世辞にも押切氏は今風でなくややレトロな画風ではありますがその分個性が強く、逆に美少女が出てきて当然な今の漫画業界の中では異様な存在感を覚えます。そんな押切氏の画風に対してこれまでどうも自分の中でも表現し切れなかったのですが、「でろでろ」の単行本巻末に寄せられた漫画評論家の話を読んで一気にそれも氷解しました。

 その評論家は以前に70~80年代に出た、作者は真面目に書いているつもりなんだろうけど読んでてギャグに見えてしまうとんでもホラー漫画を集めて出版したりした人らしいのですが、その人の出した昔のホラー漫画集を押切氏も読んでいてそれが漫画を描くきっかけとなったそうなのです。実はそのとんでもホラー漫画集ですが私も小学生くらいの頃に手に取っていて、知っている人にはわかるでしょうが「呪われた巨人ファン」とか、なんともいえないくらいに不条理極まりなく、何が怖いのかわからないのが怖いようなホラー漫画だったと今でも強く印象に残っています。
 その評論家も言っていましたが押切氏はそのような漫画に影響を受けただけあって過去と現代を繋いでると評しましたが、私も言われてみてすごく納得したというか、押切氏の漫画の妙な存在感というか空気の源泉について合点がいきました。

 そんな感じですっかりファンの一員となった私ですが、本日とうとう押切氏の最新作の「サユリ」という漫画の一巻を買ってきました。この漫画のテーマは「いわれなき怨み」だそうで、折角だからWikipediaで書かれているあらすじを引用すると、

高校受験を来年に控えた則雄は、父が購入した郊外の家に家族とともに引っ越した。駅や学校から遠い不便な場所だが、今まで住んでいたアパートよりも広く、家族は喜んでいた。別居していた祖父母と共に暮らす新しい生活が始まった矢先、父が急死する。さらに一家を襲う様々な怪異。何かに怯える祖父。様子のおかしい姉。

この家には何か恐ろしいものが存在する
やがて祖父が死に、弟が、姉が、母が、相次いで姿を消していく。恐怖に打ちひしがれる則雄の耳に、女の狂ったような哄笑が聞こえた…
そんな時、ボケていた祖母が正気に戻った。かつての気丈さを取り戻した祖母は、この家にいる“恐ろしいもの”との戦いを宣言した。

 ここで書くのもなんですが、私が考える日本ホラーの真髄というのはこのような不条理とか無慈悲さにあると思います。海外のスプラッター映画とかだと殺される人間には墓を壊したり、誰かをいじめたりといった何かしら"殺される理由"が付与されるのに対して、日本ホラーは割と本当に無関係な人間や力のない女性や子供から祟り殺されたりするところがあるように思え、先ほどの「いわれなき怨み」というものが重要なファクターな気がします。先の「ミスミソウ」でもそうでしたがこの「サユリ」でも遺憾なくその要素が発揮されており、なかなか見ごたえのある漫画でした。

 レビューといいながら好き勝手に書きましたが、押切氏自身の特異性、また美少女なしでは通用しづらくなっている今の漫画界への警鐘を含めて書いてみました。個人的にもお勧めの作者なので、興味のある方はぜひ手にとってください。つっても、漫画喫茶にはあまりおいてないんだけど…・・・。