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2011年1月9日日曜日

猛将列伝~ヴァレンシュタイン

 先日ネットのニュースにて、すでに二十年以上も連載が続いているファンタジー漫画の金字塔と呼ばれる「ベルセルク」が映画にて映像化されるという話を聞きました。ベルセルクとくれば昔の知り合いがすごい好きでそいつに紹介される形で私も読み出し、現在も新刊が出ていれば必ずチェックする漫画の一つなだけに映画化と聞いて素直に喜ぶ一方、私だけじゃないだろうけどストーリーがめちゃ長い漫画なだけに本当にできるのかという不安がこのニュースを見てよぎりました。
 さてベルセルクとくれば中世ヨーロッパ、それも神聖ローマ帝国時代のドイツを模したような世界が舞台の漫画で、物語序盤までは主人公も所属している「傭兵団」の存在が非常に大きなキーワードとなっております。このヨーロッパにおける傭兵についてですが、大体十字軍の時代ごろから定着したようで14世紀には名高いスイス人傭兵が各国の戦争で使われるようになり、国民軍がこれに取って代わるフランス革命期までは事実上戦争の主役だったそうです。そんな傭兵団において最大規模の勢力を率いたのが、今日紹介しようと思うヴァレンシュタインです。

アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン(Wikipedia)

 高校にて世界史を勉強していた方なら名前だけ覚えているかもしれません。彼は国家という概念で初めて行われたというドイツ三十年戦争において活躍した傭兵隊長で、教科書によってはワレンシュタインという名前で紹介されています。

 ヴァレンシュタインはボヘミアの小貴族の家に生まれ、元々はプロテスタントでありましたが早くにカトリックに改宗して総本山のイタリアに留学しております。そのイタリアでの留学帰国後から傭兵業を営むようになったのですが、当時のドイツ、というよりヨーロッパはアウグスブルクの和議を経てピークこそ過ぎていたものの未だに新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)の対立が激しく、ドイツにおいては各地域を支配する領主によってその信仰が決められておりました。これはつまりその地域の領主がカトリックなら領民以下はカトリックを信仰せねばならず、逆にプロテスタントならプロテスタントにならなければならなかったというわけです。向こうの価値観ではいちおうこれでも名目上は信仰の自由は持たれたと解釈していたようですが言うまでもなくこれだと領主のみしか自由はなく、領民らについては信仰の自由は未だにありませんでした。

 そこでやはりというか起きたのが、三十年戦争の発端となったボヘミア反乱です。当時のボヘミアを支配していたのは後のマリー・アントワネットをも連ねるハプスブルグ家なのですが、この一族は代々熱烈なカトリック一家で当時支配していたボヘミアにおいて新教徒の弾圧を行ったそうです。これに対してボヘミアにおける新教徒の貴族らは反発して領主であるハプスブルグ家に反乱を起こしたわけなのですが、この騒動に目をつけた周辺諸国は同じプロテスタントの同志を救うという名目の元、本心は勢力を拡大するハプスブルグ家を叩く為に続々と戦争に参加して泥沼化したのがこの三十年戦争の大まかな姿です。こんな具合で起こった戦争だったので、中にはハプスブルグ家と同じカトリックの癖にフランスはプロテスタント側で戦っております。

 当初、この戦争は新教側が優勢だったのですが苦戦するハプスブルグ家に対して助力を自ら申し出てきたのがヴァレンシュタインでした。彼は自身が募集し、訓練した傭兵団二万を率いて颯爽と現れるとドイツに押し寄せていたデンマーク軍を次々と撃破して逆にデンマーク領を侵すまでに進軍を行ったのですが、彼のあまりの活躍ぶりと彼が取った免奪税などの軍税に対してドイツ諸侯から批判が起こり、功績に対する褒賞として領土を得たものの軍指揮官職を罷免されてしまいました。

 ここで彼の取った軍税について説明を行いますが、当時の傭兵団は傭兵を派遣する領主や貴族は派遣先から派遣費を受け取るものの、派遣される傭兵自身は活動期間中に雇い主から給金を支払ってもらうことはなかったそうです。そのため領主らの命令とはいえ戦地で戦ったとしても何も得るものがなく、その代わりの対価とばかりに占領地で略奪を行うのが常で、この三十年戦争によってドイツ内の諸都市が大いに荒廃する一因となったそうです。
 その中でも一際有名でプロテスタント側を勢いづかせるきっかけとなったのがマグデブルクの戦いで、新教勢力が立てこもるマグデブルクという都市をを旧教勢力が陥落させたものの、陥落後は傭兵の統制が利かず大いに略奪が行われたために当時三万人いたマグデブルクの人口が陥落後はわずか五千人にまで減少し、しかもその生き残りのほとんどは成人の女性だったそうです。

 こうした傭兵の略奪は当時としてはよくあることだったのですが、ヴァレンシュタインは自分の傭兵団においては傭兵一人一人に対して給金を支払う代わり、一切略奪を禁じていました。この給金の出所は自分の領地から来る収入を充てていたのですがこれだけではもちろん足りるわけがなく、そのために彼が創設したのが占領地において軍隊が市民に課す免奪税でした。この免奪税はその言葉の通りに「略奪を行わない代わりに取る税」で、彼は戦闘期間中に占領した各都市から勝手にこのような税金を取って傭兵らへの給金に充て、その後似た手法が他でも採用されるなどその後の軍政史に影響を与えています。西郷札も広義で軍税に入るかな。
 この給金を支払って傭兵を率いるやり方は当初はうまくいっていたようです。しかし戦争が続くにしれそのうわさを聞きつけた他の傭兵らが続々と参加したことでヴァレンシュタインの軍は徐々に肥大化し、最盛期には十万を越す大軍団にもなってしまったようです。もちろんこれだけの人数の軍隊は当時のヨーロッパにはなく軍勢だけならヴァレンシュタインはナンバー1となったのですが、逆にこれだけの人数となると維持をするのも大変で恐らくその軍税の取り立ても人数に比例して激しくなっていき、それが諸侯らの反感を買って罷免される原因となったのでしょう。

 こうしてヴァレンシュタインは一時罷免されたのですが、彼が降ろされるやデンマーク軍に変わり今度はグスタフ・アドルフ率いるスウェーデン軍がドイツに侵入してきました。友人曰くこの時が、「スウェーデンが一番輝いた時期」というだけあってスウェーデン軍は連戦連勝し、これにうろたえたハプスブルグ家は罷免していたヴァレンシュタインを再び指揮官に任命することを決めました。この再登板の際、ヴァレンシュタインは前の一件で相当懲りたのかハプスブルグ家に対してかなり交渉で粘り、軍指揮権全権や外交権を認めさせ、そしてわからない人はいいですが皇帝選帝侯位まで求めたといわれております。

 こうして復職したヴァレンシュタインですが再任後に任された部隊は自分子飼いの軍隊でなかったため当初は苦戦するも徐々に戦線を押し返し、最終的にはグスタフ・アドルフ自身の不注意(霧の中一人で敵軍に突っ込んだらしい)もありますが彼を戦死せしめることに成功します。ただこのグスタフ・アドルフ撃破は彼自身の命取りにもつながり、最早脅威はないと判断したハプスブルグ家は用済みとばかりにヴァレンシュタインを暗殺しました。ヴァレンシュタインは元々成り上がりということで嫌われていましたし、また彼の豊富な軍事的才能が恐れられたというのもあるでしょうがこの暗殺により旧教側は足並みが乱れ、その後フランスの参戦によって再び劣勢に立たされる事になります。この時ヴァレンシュタインを暗殺したハプスブルグ家当主、というより神聖ローマ皇帝はフェルディナント二世ですが、少しは反省位すればいいのに。

 ヴァレンシュタインについては以上のような人物なのですが、大規模の軍隊を長期に維持するなど戦略家としてみるなら稀有な才能の持ち主と言えるでしょう。それだけに強過ぎるゆえに警戒され同じく暗殺された前漢の韓信と重なって見えます。
 最後に話は戻って漫画の「ベルセルク」についてですが、この漫画における主人公の宿敵ことグリフィスも傭兵団を率いて活躍するもその後彼自身のヘマもありますが投獄、拷問を受けることとなります。グリフィスは結局ベヘリット使ってゴッドハンドになったけど、ヴァレンシュタインはそうはならなかったのかな。

昨日の上海周遊

 私は現在上海近郊に住んでいるのですが、昨日は中心部に行き「京橋のキムタク」と自称する上海人の友人と会ってきました。

 待ち合わせは上海氏地下鉄駅の水城路で、昼前に合流した私たちはまずは近くのDVD屋に行きました。この水城路を含む上海市西部は日本領事館を初めとして各国の外交使節がたくさんあることから外国人居住者も比較的多い地域で、特に日本人については留学生などもこの辺りによく住んでいるとのことです。そのため駅から出てしばらく歩くだけですぐに何軒もの日本食レストランを発見することが出来、以前に来た際にはイタリアンレストランのサイゼリヤまであったのには驚かされました。
 ちなみにそのような日本料理屋ですが、調理を行う人間ならともかく給仕は大体どこも中国人スタッフです。中には留学生らしき日本人もアルバイトしていますが、値段の設定や宣伝などを見ているとどうも端から中国人客を相手にせず日本人客だけをターゲットにして商売しているような印象を覚えるのですが、それで商売が成り立ってしまうのかもしれません。

 今回、我々は興味本位でDVD屋にどんなもんがあるのかを調査するために訪れました。中国でDVDというと基本的にどれも違法コピー版で、むしろどこに行けば正規版が買えるのかというくらいに偽者で溢れ返ってます。もちろんこんなのに手は出さないとして、では一体どういうものが流通しているのかをちょっと見に行こうかということで来たわけなのですが、看板文字まで日本語で「DVDの販売してます」と書いてあるだけあり訪れた店は本当にあるわあるわで、よくこんなものまでコピーしたなというものまでありました。特に友人が強い反応しを示したのは、この一枚です。


 
 こんなDVD、日本にあったことすら知らないぞ私は。

 そうやって一通り眺めた後はちょっと移動して同じく地下鉄で新天地駅へと向かい、スープがメインの飲茶屋でしたの写真のような昼食を取りました。



 別に昼食内容まで公開せずともと思ったのですが、友人が写真撮っとけと言ったので挙げときます。
 そんな具合で昼食後、この日のメインとして取ってあったユニクロへと赴きました。すでに日本でも大々的に報じられていますし去年は新入社員の三割が中国人だったというだけあり、ユニクロは現在中国各地に店舗の展開を行っております。特にここ上海においては一店どころの騒ぎじゃなくちょっとしたデパートなりビルなりに入ると結構簡単に見つけることが出来ます。



 それぞれ店の外観と内部の写真ですが、この日は土曜ということもあって人が多くにぎやかでした。耳をそばだてるとやっぱりあちこちで日本語も聞こえ、さらにはゲームの「モンスターハンター」とのコラボレーションTシャツが売られているのも発見しました。友人いわくユニクロはブランド品としては値段も安く、最低限品質は保証されるから買いやすいとのことなのですが、日本にいると品質なんて保証されてて当たり前ですからあまり気にならなかったものの中国だと値段は確かに安いもののすぐに型が崩れたろ破れたりする衣類も珍しくありません。私も吸盤で壁に貼り付けるタオル掛けを買ってきたら買ったその日にプラスチック部が破損するという痛い目を見ましたが、こういった最低限の保証がいるのであれば多少値段が張るのも仕方ないと思うようになって来ました。

 で、結局このユニクロでは「モンスターハンター」のTシャツを買おうかどうか悩んだものの結局買わず、運動時に着るようなTシャツを一枚買ってそのまま近くの今度はGAPの店に行きました。
 こちらは写真がありませんが半額セールのためにユニクロ以上に人で込んでおり、シャツ一枚を購入しようとレジに並んだもののなかなか列が進まずに苦労をしました。その行列に並んでいる最中に近くのレジを見て見ると、なにやら子供服ばかり大量に買い込んでいる親子連れがいて友人としげしげと見ていたのですが、まだ精算の途中であったものの購入金額がすでに3500元(約45,500円)を超えていました。子供服だけでこれだけの金額を購入するのも驚きですが、それ以上に子供へとかける中国の親の情熱を垣間見た気がします。

 こうしてショッピングを終えると、その後友人の案内で「田子坊」という観光地へと行きました。



 この田子坊はレトロな建物を残した一角で、細く複雑な路地が入り組んでいる中で観光客向けにいろいろな店がレストランなりお土産屋をやっている場所ですが、路地自体は悪くないものの友人も言ってましたが売っているみやげ物が中国ではどこにでも売っているようなものばかりでオリジナリティがなく、まだまだ観光地としては中途半端な場所だと私も感じました。
 ただここで唯一面白かったというかなんというか、突然後ろから「すいませんミユキさん」と流暢な日本語が聞こえたので振り返って見たら、欧米人らしき男性が別の日本人女性を呼んでました。私も友人も、「日本ならともかく、何で上海であんな人が日本語を……」とどうにも決まりの悪い印象を覚えました。

 そうこうしてその後また何軒か服飾店を見て周って一緒に夕食を取ってその日は別れたのですが、別れる直前に友人が、「君、夜一人じゃ寂しいでしょ」といって、路上で物売っているおっさんからこれを買うように勧められました。



 値段は25元(300円)だったから別にいいけど、おっさんも変な顔してたなぁ。

2011年1月7日金曜日

中国の新聞メディア

 今日も昨日に引き続き中国の話で、中国の新聞メディアについてざらっと解説します。
 中国の新聞とくれば恐らく大概の日本人は人民日報を思い浮かべるかもしれませんが、実は日本人はこの人民日報に対して大きな誤解を持っています。よく日本のメディアは中国関係のニュースの際に、「人民日報によると~」という書き出しなり前置きなりを置いてよく報じるのでさぞや影響力のある新聞だと感じられるかもしれませんが、これは直接複数の中国人にも確認しましたが実は当の中国人らは人民日報を読むことなんてほとんどなく、講読している人なんてほぼ皆無といっていいくらいいません。そもそも読もうにも人民日報はそこらの売店や本屋では販売されておらず入手する方が難しいくらいで、実際に私も中国滞在中に目にすることはほとんどなく、唯一見かけるとしたら大学内の掲示板や団地内の掲示板に貼り付けられいるのを見るくらいです。日本人のイメージだと人民日報は朝日新聞や読売新聞のように全国津々浦々に配られているようなイメージがあるでしょうが、実際のところは読んでる人がいたら結構珍しいような新聞です。

 では人民日報とはどんな新聞なのかですがこれは単純に中国共産党の機関紙で、昔はほかに新聞がなかったから確かに全国でも読まれて発行部数もそこそこあったのですが、作って発行している所が所なだけに現地中国ですら、「日付と題名しか正しくない」とまで言われる始末で(天気予報はどうなんだろ)、競合メディアがほかにも出来た今では共産党内で読まれるだけの業界紙的な立場に追いやられております。ただ何度も言いますが作って発行している所が所なだけに政府の公式見解や発表を知る上では重要な情報源足りうるので、日本人が誤解するくらいに下手すりゃ本国以上に外国メディアや研究者などと海外で読まれる代物なのかもしれません。

 ならば中国の新聞メディアは一体どんなものが読まれているのかですが、まだまだ文盲者が多くいる環境だけに日本みたいに電車や喫茶店で広げられて読まれる姿はほとんど見かけませんが、中にはよく買って読んでいる人はいるそうです。新聞事情については日本は毎朝配達されるのが当たり前など世界の中でも一番特別で説明がやや面倒なのですが、中国では基本的に新聞は雑誌などともに街頭にある売店で販売されており、値段は新聞によって違いますが大体日本円だと100円以下でまず買えます。

 それではどの新聞が影響力があるのかですが、これについてはどれが強いとは一概に言い切れません。というのも中国の新聞で全国紙と呼べるのはほとんど読まれてないけど人民日報だけで、ほかは地方ごとにそれぞれ発行されている新聞が異なっております。北京なら北京の地方新聞、上海なら上海の地方新聞が発行されて現地の人間に読まれており、地方ごとならともかく中国という国単位でオピニオンリーダーと呼べるような新聞はまだないのが現実です。
 また地方新聞と言ったって日本みたいに一県に一紙とかいうレベルじゃなく、上海などの大都市であればきちんと数えたことはないけど十種類以上はあるんじゃないかと思います。その中でも人気のある新聞とかはあるんでしょうが、どれがどのような新聞かはよく読んでいる人じゃないと多分わからないでしょう。

 これから私もいろいろと研究していこうと考えてはいますが中には専門紙というか誰が読むんだというような新聞もあり、以前に私が手に取ったのだと軍事専門紙なんてものがあり、書いてる内容も人民解放軍内の人事異動とかどこそこにどんな兵器が配備されたなどというあまり生活上役に立たない情報で満載でした。ちなみに新聞に限らずテレビでも軍事専門チャンネルってのがあって、よく訓練中の兵士のインタビューとかが放映されてます。

 最後に中国全土の各新聞社についてですが、基本的に民間メディアというものは存在せず地方新聞に至ってもどれも官営メディアです。人民日報のように中国共産党こと中央が運営しているのもあれば地方政府が発行したり資本関係にあったりなど、なにかしら役所が背後に付きまとってきます。ただ近年は以前よりも新聞メディアの独自の動きというか必ずしも政府の意向に沿うわけでなく、海外メディアに報じられるくらい変わった報道とか行動を起こすことが見えてきました。
 古い例だと六年前に私が贔屓にしている北京の「新京報」がストライキを起こしたり、近い例だと産経新聞で報じられてましたが広東省のある新聞がここでは書きづらい人物を暗に祝福したりなどと。ただ広東省は省政府や地元住人が元から北京こと中央に対して反感を持っていると聞きますので、あれは案外省ぐるみの行動だったのかもしれません。

2011年1月5日水曜日

職歴社会の今後を考える

 本当は一つ前の記事の「公認会計士の就職難について」の記事に続けて書く予定でしたが、ちょっと収まりが悪いので記事を分けました。先の記事において公認会計士資格合格者の就職難に触れましたがリーマンショック以後の近年は90年代における就職氷河期を越えるほど若者の就職状況は悪化しており、その影響は様々な分野において現れております。

 ちょっと前にも就職情報にはいろいろ間違った噂も多いというような記事を書きましたが、私が学生だった頃はボランティア活動をしているといいとか、資格があれば有利とか、履歴書の文字はきれいな方がいいなどあれこれありましたが、公認会計士資格は文句なしに印籠の如く使える資格だと聞いていただけに先の記事での内容はショックを受けたわけです。

 ただ前にも書きましたが、皮肉なことにそれまでの日本の雇用慣行において大きな影響力を示していた学歴というものはこの就職環境の悪化によって幾分薄れた感はあります。昔であれば大学の学歴順にその後の出世も決まっていたとか、学閥がどこの会社にもあったなどと聞いていますが、その手の話題はこのところとんと聞きません。
 もちろん大企業によってはエントリー時の足きりに大学を基準にするなどということは今でも残っていますが、それでもかつて語られていた「学歴社会」というのはもう死語になりつつあるのではないかという気がします。現実に中国や韓国の状況よりはマシですし。

 ただその学歴社会にとって変わってきているのが、この記事の題に据えた職歴社会ではないかと私は考えています。
 この職歴社会という言葉は前の「陽月秘話」でも紹介しましたが、私の造語です。意味は読んで字の如く職業として勤務した経験や履歴によって社会的地位が決まりやすい社会ということで、就職するに当たって学力や資格よりも仕事内容ごとによる勤務経験や前に働いていた企業の規模などが影響する社会を指しております。具体例を挙げると、大学新卒時に正社員職を得られないとその後も正社員職への就職が難しくなることや、公認会計士や弁護士資格を取得したばかりの人よりもある程度その方面の仕事の経験者が優遇されるといったことが挙げられます。

 この職歴社会の問題点は言うまでもなく、高校や大学卒業時に就職できなかった人たちの不遇です。この新卒問題は公にも認知されており政府も、「卒業後三年以内は新卒扱いにすべし」と企業に通達を出していますがあまり効果は望めることもなく、その後もずっと正社員への門戸が阻まれることを考えると実に根深い問題だといわざるを得ません。運良く新卒時に就職出来た人間は勤務経験も得られてその経験を生かして転職することも出来るのに対し、新卒で就職できなかった方はその後もハンデが付きまとうことを考えるといささか身分制社会のような印象を受けます。
 それだけに私は新卒で就職できなかった人間がそのハンデを克服する手段としては難度の高い資格取得しかないのではとこれまで考えていたのですが、弁護士や公認会計士資格ですらも就職状況が悪いというのであればもはやお手上げではないかとショックを受けたわけです。

 こういった内容を先日に友人と話していたのですが、このまま行くとゆくゆくは職歴を得るために半ば志願する形で企業に無償で働く、もしくは働かされる人間が出てくるのではないかと予期しました。実際に思い当たる節もないわけでなく、私が上海で転職先を探していた頃に人材会社の人から聞いた話では日本で就職先が見つからないために中国語が全く出来ないにも関わらず中国へ来る人が増えてきているそうです。

 以前人気番組のカンブリア宮殿で「餃子の王将」が取り上げられた際に無茶振りもいいとこな新入社員研修のシーンにて、「その仕事、私にやらせてくださいっ!(;Д;)」と、土下座するかのように新人に言わせていた場面があったことから放送後はあれこれ議論となりましたが、職歴社会が今後ますます幅を利かせるようになるとこのような台詞が一般化するのではないかと危惧せずにはいられません。

 そういう風に友人と話していたらふとしたことからジブリ映画の「千と千尋の神隠し」にまで話が及び、主人公の千尋が湯婆婆に、「ここで働かせてください!!」と言うシーンがありますがこの台詞が日本のあちこちで聞こえるようになり、「お前の名前は今日から千だ」というようなフレーズが続くのではないかと妙な想像までしてしまいました。
 ただこの作品自体が一部評論家よりバブル崩壊後の日本を背負わなければならない子供たちを描いているという評価があり、そういう意味では時代を随分と先取りしているのかもしれず、案外ここで私が書いた内容に通じているのかもしれません。

 久々の一日記事二本は疲れました。あとご飯二合を一度に食べたのがよくなかったのか、ちょっとおなか痛くなってきました。

公認会計士の就職難について

 私は一人暮らしをしだすと食事におけるご飯の比率が急激に増える傾向があるのですが、先ほどの夕食も1パックのレトルトカレーに対して二合のご飯を割と短時間で食べられました。最後はほとんど白米をスプーンですくっているだけだったけど。

 そんなどうでもいい近況はよしといて本題に移りますが、年始の休みの間に日本にいる友人とスカイプで話をする機会がありました。話した話題は多岐に渡るのでそれぞれ機会あるごとに紹介していきたいのですが、今日は年末に流れたあるニュースを私が取り上げたことによる話を紹介しようと思います。

会計士“浪人”急増 不況に加え需給合致せず(産経新聞)

 上記のニュースは去年の十二月十九日配信のニュースですが、一見してさすがの私も面食らったのを覚えています。
 記事内容を簡単に説明すると、司法試験と並ぶほど日本最難関の取得資格と言われる公認会計士資格の合格者らが近年、試験には合格したものの就職先がなく記事中の言葉を用いるなら「会計士浪人」が大量発生していることが報じられております。

 公認会計士という資格は簿記や税理士、行政書士などといった財務、会計資格における最高資格で、日本においては企業の監査業務や資産管理などといった業務において大幅な権限が認められております。主な就職先としては監査法人や会計事務所などが多いのですが、近年は日本でも四半期決算が企業に義務付けられたことから一般企業にて会計業務担当として就職する例が増えていると言われていました。
 しかし、なんていうかそれは確かに2008年くらいまでは本当だったかもしれませんが、現実はさにあらず「大学はでたけれども」ならぬ「公認会計士ではあるものの」という就職状況のようです。

 ちょっと公認会計士について自分の体験談というかかつての価値観を話すと、私が高校生だった頃はまさにその四半期決算の義務化などが控えているため公認会計士資格を持っているとどこ行っても引っ張りだこなイメージがあり、周りでも大学入学とともにダブルスクールとばかりに予備校に通う友人がいました。

 そんなイメージがあった公認会計士なだけに、合格者が就職難に遭っていると聞いて正直にショックを受けました。よくよくその理由を追ってみるとどうも司法試験合格者と同じで、国がこれから需要が増えるだろうと合格枠を広げたものの実際にはそれほど需要がなく、さらにリーマンショックのダブルパンチを受けてしまったことが影響しているようです。そういう意味では今就職できない公認会計士や弁護士は国に翻弄された感があります。

 折角なので公認会計士についてちょっとエピソードを話すと、私が高校生だった2000年代前半はやっぱりもてはやされていたこともあり、指定校推薦を受けた友人も面接にて、

「将来は公認会計士になりたいと思っています( ・∀・)ノ」

 と、話したまではよかったのですが。

「公認会計士とは、どんな仕事をするのですか?(・ω・ )」
「わ、わかりません(;゚д゚)」

 というやり取りをしたがために、普通指定校推薦は一回で合格させてもらえるのにその友人だけは二回も面接を受ける羽目になりました。ま、ちゃんと二回目で合格して、卒業後は公認会計士にはならなかったものの金融系に就職しましたけど。

 またこの友人とは別のエピソードですが、実は私の祖父も公認会計士でしたがきちんと資格試験を受けて取ったわけじゃなく、戦後のドサクサ期に金で資格を買ったそうです。会計仕事は一応出来たそうですけど。
 なんかこの前も調べたら本当に戦後の一時期はそんな感じだったらしく、みんなの党の代表者である渡辺善美氏の父親である渡辺美智雄氏もそのドサクサ期に申請して会計士資格を取ったそうですが、一橋大学の商学部を出ていると言ったら簡単にもらえたそうです。

2011年1月4日火曜日

ある種の鋼の意思

 よく日本刀は刃物としては最高技術の傑作品と呼ばれていることは知っているが、それがどうしてか、どういったメカニズムを持っているかについてはあまり知らないという人が多いと思います。私自身も刀剣にそれほど詳しくわけではありませんが、日本刀のどこが特殊なのかという大まかな特徴についてちょっと今日は話そうと思います。

 日本というとよく切れるイメージが強いと思いますが、そんなによく切れるというのであれば相当硬い鉄でできているのであろうという風に思うでしょうが実はそれは間違いで、日本刀の大部分は比較的柔らかい軟鉄をベースにして作られております。
 一体何故軟鉄をと思われるかもしれませんがそれにはわけがあり、日曜大工で金属をねじったり切ったりするなど金属加工をした経験がある人ならわかると思いますが、柔らかい金属ほど切断しにくく硬い金属ほど実際には切断しやすいものです。それこそアルミと鉄、それぞれで出来た一斗缶に穴を空けるとしたらまず間違いなく鉄のが簡単に穴を空けることができるでしょう。

 これは何故かと言うと単純に柔らかい金属だと力を加えても金属自身が曲がったり、衝撃を吸収したりするのに対して硬い金属は衝撃をすべて正面から受け止めてしまい、表現的に比較的割れやすいからです。そのため刀剣に関してもとんでもなく硬い鉄で全部作れば確かによく切れるかもしれませんが、恐らく切ってる最中にすぐにぽきりと折れて使えなくなってしまうのがオチでしょう。実際に西洋で作られた刀剣は硬い鉄で出来ているためよく折れてたそうで、切るというよりも叩き割るように使われていたそうです。

 そこで日本刀の話に戻りますが、恐らく昔の刀匠も硬い鉄にすればよく切れるが寿命が短くなり、やわらかい鉄ならあまり切れないが寿命が長くなるなどとあれこれ考えた末に出した決断が、「じゃあ二つ一緒に使っちゃえばいいじゃん( ゚∀゚)」だったのかもしれません。
 日本刀が日本刀たる大きな特徴というのは実は硬度の異なる数種類の鉄を組み合わせて作る点で、おおまかに説明すると日本刀は心金と呼ばれる刀の芯の部分には軟らかい鉄を用い、その芯に対して硬い鉄をまきつけるかのように組み合わせて作られます。そのため戦闘で使用したとしても日本刀は芯からぽっきり折れるということはありえないわけではありませんが他の刀剣と比べて少なく、使用中に外側の硬い鉄の部分が刃こぼれを起こすことはありますがその点は手入れを施すことで再び使用することが出来ます。無論芯が軟らかい鉄だとしても実際に物を切る外側は硬い鉄なので、切るときにはきちんとよく切れます。その分手入れがかかせないんだけど。

 よく強固な意志のことを鋼の意志と言ったりしますが私は硬過ぎるだけの鋼というのはちょっとしたことでぽっきり折れてしまうだけに、期待や熱意を持ち過ぎるとかえって挫折しやすくなってしまうなど精神衛生上よくない気がします。実際に学校や会社に気合入れて入る人ほど予想と違ったなどとして五月病になる人が多いですし、それであるならば日本刀のように、外見は一応硬い意志で覆ってるように見せつつも内心ではいくらか浮気心というか下心など、多少軟弱な意志を保つ方が案外物事を長続きさせることが出来るように思います。
 私自身の経験でも自分の納得するくらい勉学に励もうと大学に入ったところ五月病に罹り、その反省から中国に留学した際は帰国用のオープンチケットを見ては、「いざとなったらいつでも逃げれる」などと不届きなことを考えていたら大過なく一年間の留学を終えることが出来ました。

 会社などにおいてもよく「辞めたい辞めたい」などと言っている輩ほど案外長く勤められたりしますし、目下の日本企業はどこも過重労働を社員に課しますが不況ゆえに我慢しなければと思いすぎると鬱になる可能性もあり、それであれば展望はないけどいざとなったらすぐ転職しようなどと思う方が、実際に実行するかどうかは別としていい影響を与えるのではないかと思います。

 こうした人に見せない内部において薄弱な意志を持つことを私は逆説的に「日本刀流鋼の意志」と呼んでるわけですが、中国に転職したばかりの私は目下のところ、契約期間が切れたら日本に帰るか中国の別の企業に転職するかなりしてさっさと今の会社はとんずらしようと早くも後ろ向きなことを考えてたりします。案外こういうところが日本人らしいかなという気もしつつ。

2011年1月3日月曜日

文章表現を鍛えるには

 このブログは他のブログと比して文章量が長め(そのくせ更新も頻繁)のブログですが、ブログに限らず私はプライベートでも以前はよく長い紀行文やら小説などを書いていました。その際によく周囲から、どうすればそれほど長い文章を書けるのかといった質問を多く受けていました。
 結論から言えば、中身を取らないのであれば文章を長く書くにはなんでもいいからひたすら文章を書くに限ります。それこそ人に見せるには恥ずかしいような出来の小説でも日記でもいいから日常的に書く習慣をつけていれば、二千字程度のレポート文などすぐに気軽に書けるようになると思います。

 ただ世の中、そこまで毎日文章を書く気もない人間の方が大半でしょう。そうでなくとも近年は国語教育がいささか疎かになっている雰囲気があり、小中学生では作文なんて真っ平ごめんと思っているのが当たり前です。実際に文章を書き始める前の私もそうでしたが、仮にそういった小中学生らに文章を上手に書かせるためには一体どう教えればいいのだろうかと以前に考えたことがあります。

 指導できる時間は授業時間中に限るとすると、先ほど言ったひたすら書かせるというやりかただと書かせる課題によって個々人に差が出来、あまり効率的ではありません。となると要点をしっかり認識させて短くてもいいから品のいい文章を書ける様にさせる方向がよいと思うのですが、そのためにベストな方法となると真っ先に思い浮かんだのは文章の省略です。
 この指導のやり方は実に簡単で、その日の日記でも評論でも感想文でも何でもいいからとりあえず四百字詰め原稿用紙二枚程度の文章をまず書かせます。書き終わったら今度は同じ内容の文章を原稿用紙一枚にまとめさせます。一枚にまとめ終えたら今度は百文字程度にまとめさせ、という具合に同じ内容でも徐々に書ける文字量を減らして書かせるというやり方です。

 この指導法の妙は同じ内容の文章を文字量を狭めながら何度も書かせる点です。同じ内容の文章なのだから文字量が減らされるとなると元の文章から余計な表現を削ぎ落とさねば書ききれなくなるため書き手には、「何を残して何を削るか」という視点が要求されることになります。残さねばならない箇所は言うまでもなく重要な箇所で、要点を絞ってまとめなおすという作業を行うことになります。
 この元の文章をまとめなおすということ自体は現在の国語教育でも行われていないわけじゃありませんが、その場合に題材に選ばれるのは大抵が教科書に載っている他人の文章で、その際書き手は文章の内容を理解しつつまとめなおすという作業を要求されます。

 しかし最初に挙げた私のやり方では元々自分自身が書いた文章であるため文章の内容を改めて理解しなおすという作業は必要なく、自分の考えなり思考をまとめるという作業に集中することが出来ます。これは文章のみならず自分の考えをまとめなおすことにつながり、思考の訓練にもつながるかと思います。

 よく以前のブログでも書いていましたが、これだけまわりくどくて長ったらしい文章を毎日書いておきながら、自動車の重心が低ければ低いほどいいのと同様に文章というのは短ければ短いほど良いのです。ただし短すぎて内容の理解が出来なかったり周辺の情報を伝え切れなければ意味がありませんが、同じ内容であるのなら短い文章の方が間違いなく格上です。

 文字量を狭めながら文章を何度も書き直させる指導の目的はずばりこの点にあり、要点を絞って書かせるということにあります。しかし要点を絞れといってもいきなり言われても自分の文章であっても急激に絞りきれないのが普通で、そのため徐々に狭めるという段階を経る事で自然にそれを認識させるのがこのやり方の目的です。

 理想を言えば最終的には日本語のリズムの元となっている五・七・五までまとめられればベストかななどと考えていたのですが、去年の十一月、また発表された国際学力テストの結果の報道の際に都内のある小学校における授業の取組みが紹介され、そのとき紹介された取組みというのがまさにここで私が紹介した徐々に文字量を狭めるという指導でした。
 その学校では毎朝児童に本を読ませて原稿用紙一枚程度の感想文を書かせると、徐々に文字量を減らしながら書き直させ続けて最終的には本当に五・七・五までまとめさせているそうです。その指導法だけによるものかどうかはわかりませんが、その学校は他の学校と比較しても平均学力が頭抜けて高い結果を出しているということも合わせて報じられてました。

 正直なところすでに自分が考えた指導を行っているところがあったという事実にまず驚きましたが、きちっと因果関係は図れないもののそれなりの結果を出しているという報道を見てやっぱりそうなのかという気を覚えました。文章というのは小手先の技術である以上に書き手の思考力も如実に現れたりするので、近年は英語教育の導入や増加、また理系離れ対策などが教育界で叫ばれていますが、文系出身文学部卒(専攻が社会学なのは文学部社会学科だから)の私としては作文教育の徹底こそが今の日本の教育に必要だと強く主張したいです。
 その一つの方法として、すでに実施している学校とともにこの指導法を紹介したかったわけです。