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2011年2月23日水曜日

私生活を切り売りすることについて

 このところ以前の陽月秘話で見受けなかったハンドルネームの方々からよくコメントを戴きます。コメントの内容を見ている限りですとどうも以前から読んでてもらっている方々のようで、よくもまぁこんな駄々長いブログを読んでてもらえるなとうれしく感じるとともに、潜在的な固定読者はなかなかに多いのだと身が引き締まる思いがします。

 さてその陽月秘話改め現在の陽月秘抄ですが、やはり住所が日本国内から中国国内に移り変わった影響から日本の社会批評などが減ってきて、その分中国関係や歴史関係の話がこのところ多いと自分でも自覚しております。この辺をもう少し何とかならないものかと色々考えてて、中国のテレビはケーブルテレビなので契約次第によっては日本のテレビ局の海外放送も受信することが出来るのでちょっと今検討しております。
 その分中国のニュースをどんどん翻訳して書いていけばという案も考えてはいるのですが、なんというかただ翻訳して載せるだけだと芸がないような気がしてどうもプライドがそれを許しません。もうすこし経ってこっちのニュース情報を加工できるくらいに物知りになれば話は別ですが、現時点ではまだ手を出す気にはなれずにおります。

 話は変わってブログについてですが、私のブログは社会系ニュースや思想に関することばかりで明らかに他の一般のブログとはやや趣が異なっておりますが、基本的にブログというものはその運営者の私生活を切り売りするものだと私は考えております。私生活を切り売りするとは読んで字の如くその執筆者の普段の生活や考えたことなどを敢えて外に公表するということで、書籍の形ではいわゆる私小説というものがこれに当たります。
 私が知る限りではこの私小説を日本で始めて大々的に発表したのは明治の文豪森鴎外で、処女作の「舞姫」自体もこの私小説の要素を過分に含んでて公表当初から色々周囲に言われたそうですが、「舞姫」以上に凄いのが後年の作品に当たる「イタ・セクスアリス」です。こちらは本当に鴎外の私生活というか、自分の嫁と実母の嫁姑抗争をありのままに書いたことで公表時にはこんなものが文学としてなりうるのかといろいろ議論となったそうです。その一方で抗争を暴露された嫁と姑はその後何故だか仲良くなっていったそうですが。

 私のこのブログでもたまにプライベートなことを書いたりしますが、やはり書いてる側からするとこのような私生活を切り売りする記事は書きやすいです。内輪ネタのような感覚というか、大抵自分で面白いと思うことを書くので気分的にも舞い上がり、なおかつ情報の加工が一切必要なくただ記憶に従って書くだけなのですぐにすんなり書き終わってしまいます。それこそちょっと珍しいことをやったり見たりしたことなどを書けば記事としての体裁は出来上がってしまいますし、読者の反応もこれまで書いたそのような記事からするとそれほど悪くない気もします。
 その一方で、書いてあることは本当に私生活の暴露に当たる内容のためこうして文字情報として残ってしまうインターネットに記述してしまえば、その後気が変わったとしてもその情報を秘匿することは難しくなります。それこそ書いた当初はどうでもいい愚痴のつもりで書いたものが後年になって何かの禍根になるかもしれませんし、変な形で揚げ足を取られる事態を自ら招くことにもなりかねません。

 似たような内容で陽月秘話のごくごく初期に確かネットにおける犯罪告白について書いた覚えがありますが、やはりこういうブログとかミクシとかだとあまりにも手軽すぎてついつい余計なことを書いてしまいやすく、注目を集めたいと思ってしまうものなのか先日の中学生による新宿通り魔予告事件など自らを破滅に追いやることまで書いてしまう人も少なからずおります。
 現在までのところ私のこのブログでは書いた後で「しまった!」と思うようなことはありませんが、政治や思想というやや機微な内容が多いことを考慮して比較的に慎重に書いているつもりです。そのためいろいろと準備してそこそこいい内容になると確信を持った記事についても、余計な批判を受ける可能性や一部の無関係な人間を傷つける恐れがあると踏んで結局没にしてしまったことも何度かあります。

 そういう意味で私生活を切り売りするというのは非常に手軽な分、ある種の危険性をはらんでいるということになります。しかもそうやって公表する私生活というのは無限に存在するわけでなく、極論を言えば公表を続けていればいつの日かネタ切れになって切り売りする私生活がなくなってしまうことになります。
 では切り売りする私生活ネタがなくなった人間はどうするのか。別にそれで生計を立ててるわけでなければ極端な影響はないでしょうが、一部の芸能人などにおいては敢えてスキャンダルを起こす、もしくは以前のものを暴露してまで世間の注目を浴びるように仕向けて命脈を保とうとする人がいます。ただそうそう何度もスキャンダルなんて起こせるものではないですし、何度かそういうことを繰り返しているうちに周囲からも飽きられてしまうのが大抵のオチです。

 わざわざ実名までは挙げませんが、女性に多いですがいくつかの芸能人では本当にこういう風になって今じゃすっかり世間から忘れられてしまっている人も少なくありません。切り売りするような私生活もすでになく、スキャンダルを起こしてもまたかと相手にされず、元々の芸も評価されずと一体あんたは今まで何やってきたんだと言いたくなってくる程です。
 このように考えるのなら、私生活というものはある意味その人個人にとって有限の財産という風に見ることが出来ます。もちろんその財産価値は人によって違いますが、公表するという形で消費してしまうと二度と取り返せなくなる可能性を持っており、普段意識しないけどこういう自分とその周囲だけの秘密というものは案外大事なんじゃないかとこのごろ思います。

 お金というものは持ってると使いたくなりますが、一回使ってしまうとなくなってしまいます。私生活も同様で、ついつい珍しい体験などは誰に聞かれることもなく自分から話してしまいがちですが、それをある程度秘密として持つことにもまだ価値があるんじゃないかと思います。まぁどんだけ聞かれようとも話したくない秘密も誰にでもあるでしょうが。

2011年2月22日火曜日

中東での革命の連鎖について

 このところ連日報道されているように、中東諸国において革命を求むデモが起こり次々と政権が崩壊しております。初めはチュニジアにて起こり、その後エジプトにて長く軍事政権を続けてきたムバラク政権が崩壊し、そしてついにはリビアにおいて数十年にも渡って独裁を保ち続けたカダフィ大佐にすらも引退を要求するデモが起こり目下内戦のような状態へと発展しております。正直に言って、チュニジアでデモが起こった当初にこれほどまで大衆運動が波及するとは誰が予想したでしょうか。デモがエジプトにまで波及した際は現在のエジプトの経済状況が悪かったことから多少は仕方ないとしても、リビアこそが独裁国の代表ではあるものの比較的豊かな国だけにこちらまでは波及しないだろうという予想をあちこちで見受けましたが、私もそういった情報から判断するに恐らくエジプトでこの大衆運動は止まるのではと見ておりました。
 それにしても革命というものはこうも波及するものかと、かつてトルーマンが社会主義のドミノ化を恐れたというのも今こうして現在になって見ると理解できるような気がします。

 一応国際政治を専門と掲げてはいるものの、実は中東の情勢については私はあまり詳しくないのが本音です。元々日本は中東諸国とは距離もあることから交流が少なく、ホメイニ氏によるイラン革命の頃まではビジネスライクな関係で紐帯が強いわけではないものの貿易量が多く、親しくないもののお互い利益を分かち合うような関係でした。特に革命前のイランはプロ野球選手のダルビッシュ選手の父親を初めとして数多くの留学生が日本にやってきていたようで、90年代中ごろまでは東京都内の至るところで見つけられたそうです。そのせいで一時社内のあだ名が「ビンラディン」だった中東系の顔しているうちの親父は当時はよくイラン人に間違えられたそうですが。

 そういうわけでちょっと今回の一連の事件を契機に勉強をして見ようかといろいろ、特にエジプト関係を中心に調べて見たのですが、やはり中東史を語る上でははずせないのは中東戦争です。この戦争については一般的にはアラブ諸国対イスラエルという二次大戦後のこの地域における領土問題だと一般的には教えられていますが、改めて調べて見るとそれ以外にスエズ運河をめぐる英仏とエジプトの争い(第二次中東戦争)も含まれており、その最中に頭角を現した各軍人らが後に国の最高権力者となるくだりなどを見ていると現代に直結する歴史であったのだと、自分の不学を嘆く羽目となりました。
 個人的に気になった人物を挙げるとエジプトにおけるムバラク大統領の一代前の、イスラエルと電撃的和解を行って暗殺されたアンワル・サダト元大統領が一番興味を引きました。このほかは中東戦争で活躍してその後首相になり、殺人者とまで呼ばれたアリエル・シャロン元イスラエル首相とかかな。

 それで今回のこの革命について一つ予想というか分析を行うと、正直なところはこの辺に詳しいだろうカイロ大卒の小池百合子氏の意見とか聞いてから判断したいのですが、やはり今後もしばらく革命の影響が中東に及ぼすのではないかと思います。特にこれはすでに言及されていますが、これまでのエジプトのムバラク政権は比較的イスラエルに対して和平的であったのですが今度成立するであろう新政権はイスラム主義色の強い政権が予想されており、親パレスチナを掲げてイスラエルと衝突する可能性が高いといわれております。
 またその一方で、これまでそうしたイスラエルとの対立ゆえに軍人出身者の多い政権で運営されてきた各国は今後民主化の波を受けて非軍事政権が新たに作られる可能性があります。それはそれで歓迎したいものの、その間の混乱を縫ってこの地域に多く潜伏する国際テロリストらが暗躍して経済や国家体制により大きな混乱を生み出す可能性も全く否定することは出来ません。

 特に日本にとって一番懸念しなければならないのは、今日の東証でも影響が出たように原油価格の高騰です。かねてからドバイやカタールなどは近年の原油高を受けて高層ビルが数多く建設されるなど原油バブルが起こっていると指摘されてきましたが、今回の革命の余波を受けてそのバブルに歯止めがかかることもありえ、その一方で原油の輸送などが止まって世界はますます原油価格が高騰し、多方面に大きな影響が及ぶことも考えられます。
 ただあまり心配をしすぎるのも問題なので、やや距離のある日本としてはこの歴史的一大事に立ち会えるのだと考えてしっかりと見ておくというが一番必要なのかもしれません。私自身も小学生の頃に何度も、「後三年早く生まれていれば」とソ連崩壊に立ち会えなかった(生まれてはいるが意識して見ることは出来なかった)のを悔しがったことがあるだけに、こうした大きな革命劇を見る世代に入れたのは幸運だと感じております。

 最後にこの革命とアジアについてすこし書いておくと、タイでも先年にタクシン政権が崩壊して以降はなかなか政治が安定しておりません。まぁ今回の中東の革命とは無関係なのであまり影響はないでしょうが、それ以上によくこの手の話題に上ってくるのが今私がいる中国です。
 中国も距離が離れているとはいえやはり気になるのか、どうもあちこちでピリピリしているそうです。そのためか昨日の報道によると街中にいた日本の外交官を何かのデモに参加していると勘違いして一時拘束したそうですが、日本側が抗議するやあまり大事になってもらいたくないのか素直に認めて謝罪までしてきました。普段が普段なだけに、こうも下手になってくるとかえって気味が悪いです。

 もっとも中国は今のところは右肩上がりで、またこのところのこちらの主要な話題となっている各都市における最低賃金についても経済界からの反発を抑えて地方政府らは大きく上昇させるなど底辺の労働者対策も全くしていないわけではないので、中東の影響は恐らくないかと私も思います。
 こんな風にリビアも言われながら、今のような状況になってることを考えるとあまり口を開くべきではないかもしれませんが……。

2011年2月21日月曜日

弟キャラの特徴とは

 それほど詳しいというわけでもないですが、よくある美少女キャラのカテゴリに「妹キャラ」というものがあると聞きます。私は読んだことはないのですがライト小説で「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」という本がよく売れていると聞きますし、一時は年上に当たる姉御キャラが流行っていると聞いていましたがやはり未だに妹属性というものは強いようです。
 どうでもいいですがPixivにて、「俺の壬がこんなに可愛いわけがない」というネタイラストを見た時は久々に腹を抱えて笑いました。滅茶苦茶濃い二瓶氏のマンガ「バイオメガ」が元なだけに、そのギャップが凄まじい。

 さてこういう女性キャラの姉妹属性というかそういうものはよく見ますが、逆に男の兄弟はどういう風な属性を持つのかちょっと考えて見ました。無論兄弟たっていろいろあるでしょうが話的に妹キャラにはどちらかというと保護欲というか弱弱しさみたいなものが求められる一方、弟キャラは逆に「しっかり者」というような印象が浮かんできます。

 私がまず代表的な弟キャラとして考えた際に真っ先に思い浮かんだのは、歴史上の人物ではありますが羽柴秀長です。苗字からわかるとおりにあの豊臣秀吉の父親違いの弟で、目立たない人物ながらも陰で兄の覇業を助けたとして彼の早世が豊臣政権の崩壊を生んだとまで言われるほど評価の高い武将です。96年に放映された大河ドラマ「秀吉」では堺屋太一氏の「豊臣秀長」が原作の一つとして組み込まれ、このドラマで秀長役をした高嶋政伸氏の好演とともに一気に知名度が上がりましたが私自身も非常に好きな武将で、出来る弟といったら日本史中では随一でしょう。

 同じく歴史上の人物で秀長とともに戦国時代で活躍したとなると、武田信玄の弟の武田信繁も優秀な弟として挙がって来ます。この信繁の何が凄いかって言うと元々信玄の父親は信玄を疎んで信繁を跡継ぎにしたがっていたそうですが、兄の信玄が業を煮やして父を追放するやその兄の行動を支持して実質その片腕として縦横無尽に活躍していることです。惜しくも川中島の戦いで戦死しますが、こちらもまた存命していれば長篠の戦での敗戦はなかったとまで言われております。

 こうした歴史上の人物に対してマンガの中の弟キャラとなるとこちらで最初に思い浮かんだのは「北斗の拳」における主人公のケンシロウですが、北斗三兄弟はいろいろと比較対象にするのはどうかと思う兄弟なのであまり参考にならないような気がします。
 そんなケンシロウの次に浮かんできたのはキャラクターのスヌーピーでおなじみの「ピーナッツ」に出てくるライナスです。ライナスには身勝手で口うるさいルーシーという姉がいるのですがあるシーンでそのルーシーが珍しく思い悩み、人生はかなくて生きる価値なんかあるのかなどとつぶやいていると、「少なくとも、いなくなってしまったら寂しがる弟はいるよ」と女殺しもいいところなやさしいフォローをかますようなキャラです。身勝手でわがままな姉と打って変わって冷静で心優しいキャラで、しっかり者の弟キャラとしてはまさに典型でしょう。

 ただこうしたしっかり者な弟キャラがいる一方、しっかりしすぎというか突き抜けすぎて上にあたる兄や姉が困るという関係もいくつかあります。こちらの代表例はまた歴史の人物になりますが真田幸村で、実際に徳川方についた兄の真田信幸は徳川陣営の中でおおいに苦心したそうです。また信幸自身も名将と名高いものの弟の武名が高すぎるがゆえかどうも劣った武将のように思われる傾向もあり、本当に死んでからも弟に苦しめられてるようで可哀想です。

 ちなみに私も姉がいる弟キャラの一人ですが、こうして中国でふらふらしているあたりはとてもしっかり者とは言えるレベルではありません。あと友人に三人男兄弟の一番上とか真ん中がいますが、彼らに聞いたりすると弟は可愛いと思うもののやはり時折鋭い一言を言われたりするので空恐ろしさを感じることがあるそうです。
 近年の中国は一人っ子政策によって兄弟がいるという人自体が非常に少ないですが、こっちの人にこういう兄弟関連の話は理解できるのかな。

 末筆ながら、ニュージーランド大地震の被災者の方々へご無事をここでお祈りさせていただきます。

伝記にまつわるエピソード

 子供に対してどんな本を読ませたらいいかと問われるなら、私は迷わず伝記を勧めます。「事実は小説より奇なり」と言われるだけに、空想の物語と言えども多かれ少なかれ実際に起こる事実や展開に依拠せざるを得ず、そういう意味では現実の人間の話以上にオリジナル性の高いストーリーはないということになります。
 私は小学生くらいの頃からいわゆる歴史マンガを通して人物の伝記を読み漁り、中学生くらいになると歴史小説や人物伝など徐々に文字だけの伝記も読むようになっていったのですが、やはり当時の自分にいい影響を与えて今でも思い出すことのある本のジャンルとなると決まって伝記物になります。聞くところによると世界で一番多く伝記が書かれたのはフランスのナポレオンだそうで、日本は大正期くらいまでは西郷隆盛が一番多かったそうですが恐らく現代では織田信長か坂本竜馬と言ったところでしょう。

 さてこういった伝記ですが、教育的な効果云々について長々と語っても仕方がないのでいくつか伝記にまつわるエピソードを紹介しようかと思います。基本的に伝記というものはヒトラーなどその時代ごとに批判される対象を除いてその人物をどちらかと言えば持ち上げて書かれる傾向があるのですが、中には持ち上げられすぎと言うべきか本質を失って世に誤解を生み続ける伝記も少なくありません。

 その代表格と言うべきか、世間では立派な人物だと言われつつも実際にはすごいダーティだと私が感じる最筆頭の人物はほかでもなくトーマス・エジソンです。
 エジソンときたらアメリカの発明王という認識で一致するかと思いますが、確かに彼は数多くの発明を生み出して千を越える特許を取得しましたが、彼の本当に評価すべきところは発明という才能よりも特許商法とも言うべき経営手腕にあると私は思います。エジソンは自ら発明をする一方で細かな技術を権利者から特許権を買取り、それらを集合させて一つの商品を作って売り出すということで現在のゼネラル・エレクトリックス社を盛り上げました。そのため商品全体で見れば確かにエジソンの発明に見えなくもないのですが、その商品を構成する様々な技術はいろんな人が持つ特許をかき集めたもので実際にエジソンが一から発明したものとなると実際にはほとんどないそうです。

 そのくせ自分の特許権のこととなるとほかの人間には一切つかわせまいとばかりに度々訴訟を起こしてたり、また有名な「天才とは99%の努力と1%のひらめきが必要」という言葉も、実際の意味は「たとえ99%努力したって1%のひらめきもなければすべて無駄」という内容だったそうです。インタビューを行った記者がこれじゃちょっとあんまりだと思って努力が報われるという意味の最初の言葉に改変したそうですが、まさかそれが100年以上も流布されるとは本人も思わなかっただろうな。

 こうしたエジソンに対して、同時代の日本人にも伝記にまつわるあるエピソードがあります。その日本人とは黄熱病の研究で有名な野口英世ですが、彼はその死後に研究結果はほとんど否定されているために実際の功績となると梅毒の研究くらいで、どちらかといえば生前の方が知名度が高かった人物でありますが、そうした生前の知名度の高さが影響してかなんとまだ生きている間に日本で伝記が出版されていたそうです。
 そんなわけで野口英世は出版された自分の伝記を読んだそうですが、一読するや「こんな完璧な人間、いるわけないだろ」といって投げ捨てたそうです。本人ですら否定するくらいなのですから相当持ち上げられた内容だったのでしょう。

 このほか近年で持ち上げられすぎだなと私が感じる人物だと、ちょっと前にブームとなった白洲次郎です。この人はいろいろエピソードがあるのですが生憎ほとんどがはっきりとした根拠のない噂ばかりで、本当にそのエピソード通りの人物かとなると非常に怪しいです。
 特に一番有名なエピソードとしてGHQ統治時代にマッカーサーへ昭和天皇からの贈り物を持って言った際にマッカーサーから、「ああ、そこにでも置いといてくれ」といわれたことに対してふざけるなと抗議したというエピソードですが、これは歴史家からはっきりとありえないと指摘されています。プレゼントを直接渡すなぞ暗殺すら起こりうる事態で、実際にマッカーサーへ届け物がされる際はGHQの係官が受け取ってから中身を確認し、かわりに渡すのが実情だったそうです。ま、そりゃそうでしょう。

 最後に伝記というわけじゃないですが、元阪急の野球選手である福本豊氏のWikipediaのページは下手なギャグマンガよりずっと面白いです。

2011年2月20日日曜日

清末期に争われた立憲君主制と共和制

 先日に中国の歴史参考書を購入したと書きましたがその参考書中で近代のページを見るにつけ、中国近代史においてこれまで着目していなかったある点に目がいくようになりこのところそのあたりをやけに詳しく調べています。具体的に何を気にするようになったかというと、本記事の表題に当たる清朝末期における立憲君主制支持派と共和制支持派の争いです。

 現在において立憲君主制国家の代表格と来れば今度ウィリアム王子が結婚することで早くも盛り上がっている大英帝国ことイギリスで、基本的にこの立憲君主制という政体は憲法をベースに議会が実際の政治を切り盛りするものの最高権力者として世襲制の王を戴くという形で、実質の権力はイギリスと比べると小さく、なおかつ議論も少なからずあるものの天皇制を持つ日本も広義では間違いなくこの立憲君主制国家に含まれます。
 それに対して共和制というのはこれの反対で、いうなれば国王や皇帝といった世襲の権力統治者や象徴が存在せず議会や内閣、大統領が最高権力者となる国のことを指しており、現在でしたらやっぱりアメリカやフランスが代表格です。

 そこで本題に戻りますが、現在の中国は中国共産党の一党独裁による国で君主制か共和制かといえば一応は共和制ではあります。あくまで一応だけど。
 ではそれ以前の中国はどうだったのかというとほかの国同様に君主制こと、王朝が政体をなしておりました。そんな中国における最後の王朝は少数民族である満州族が設立した清朝ですが、その末期において、具体的には1900年前後の日清、日露戦争の時代に中国では今後の政体を立件君主制とするか共和制とするかで知識人内で激しい対立があったようです。

 清朝は日清戦争以降、それ以前のアヘン戦争は言わずもがな日本にも敗戦したことでようやく西洋技術を取り入れなければ最早どうにもならないという認識が各界に根付いたようです。日本も幕末は薩英戦争など当初は攘夷思想が強かったもののそれ以後は率先して西洋技術を取り入れてきたことを考えると今更かという気がしますがその辺は中華思想ということで、とにもかくにもそういったプライドをかなぐり捨ててようやく光緒帝の頃に変法運動といい、政体の革新などを図ったようです。
 その頃に光緒帝の元で活躍し、この変法運動を大いに推進したのは康有為と、その弟子の梁啓超なのですが、どちらも恐らくは漢民族だとは思いますが満州族の清朝を盛り立てて中国の独立を保とうとしています。彼らが目指したのはそれまでの権力を皇帝一人に集中させる専制性ではなくそれこそ明治期の日本のような立憲君主制を目指していたようですが、彼らのこういった革新行動はかの有名な西太后ら清朝保守派のクーデターによって阻止され、光緒帝は幽閉され、康有為と梁啓超はそれぞれ日本に亡命することになります。

 そうした立憲君主制を目指す勢力がいた一方、西洋技術の取入れなどといった点は共通していながらもこの際清朝を打倒し、新たに政体を共和制にして一から構築しなおすべきだと主張する勢力もこの時期に現れております。このような共和制を目指す勢力の代表格は孫文や後に中国共産党初代総書記となる陳独秀らですが、これらの共和制支持派は主に海外に拠点を持って中国国内に革命を呼びかけるなどして清朝打倒を目指していたようです。

 結論から言うと西太后の死後にまだ幼い宣統帝溥儀ことラストエンペラーが即位したこともあり、当時軍権を握っていた袁世凱があっさりと孫文らに裏切って清朝は崩壊して共和制支持派の面々が権力を握ることとなりました。もちろんその後、梁啓超など立憲君主制支持派だった面々も議会に参加するなどして活動を行っておりますが、なんとなくこの争いを日本の薩長を始めとした統幕派、会津藩を中心とした佐幕派の争いのように見てしまいます。
 明治維新期の日本も大きくこの二派に分かれて内戦を起こしましたが、戊辰戦争以後は幾度か内戦が起こったものの、清朝崩壊後の中国ほど激しい混乱にはならず徐々に統一国家への道を歩んでいきます。逆に中国は清朝崩壊以後は各地で軍閥が台頭し、目立った勢力を挙げるだけでも袁世凱の後釜を争って勝ち残った張作霖、中国共産党を引っ張った毛沢東、財閥のコネクションから上海で軍権を得た蒋介石などなど、文字通り群雄割拠の時代が訪れて統一ともなると蒋介石による北伐完了までまたなければなりません。

 何故中国がこれほどまでに混乱を続けたのかとなると一次大戦など当時の世界情勢も影響しますが、むしろ逆に日本の方が異常な速度でまとまったと見るべきかもしれません。日本は明治維新から約30年後に国会を開設し、未だ薩長閥が勢力を握った上での制限選挙ではあったものの、憲法を制定した上で形なりには民主制の開放を達成しています。然るに中国は共産党が実験を握って70年程度経ちますが、未だに全国で一般市民選挙というものは実施されておらず、この点では日本が大いに優れていたと考えてもいいでしょう。

 あと敢えて中国に対して苦言を呈すならば、清朝崩壊後にどうしてここまで混乱したのかといえばその一つの原因はほかならぬ孫文に大きな原因があるような気がします。孫文についてはWikipediaのページを見てもらえばわかる通りに何かと時代時代で手段を選ばずに交渉を行っては後の火種を自ら作っており、もうちょっと革命後の方針について確固たるビジョンを持って取り組んでたら全然歴史が違ったのではないかと思わざるを得ません。そういう意味では日本も、案外幕府をあくまで打倒しようとした薩長の考え方が正しかったのかもしれません。

2011年2月19日土曜日

必要な苦労、余計な苦労

 自分にしては珍しくここ三日間更新がありませんでした。理由は単純に飲み会が昨日一昨日とあって帰宅がどちらも11時を過ぎてただけで、ネタ不足とかそういうわけではありません。

 そういうわけで今日は久々の更新となりますが、まず一つの話から紹介します。その話が載っているのは文芸春秋の1月号で、料亭の京都吉兆で料理長をしている徳岡邦夫氏のコラムです。
 そのコラムによると老舗料亭である京都吉兆もバブル崩壊後は経営が悪化し、料理長である徳岡氏は再建のために様々な改革に取り組んだそうです。まず取り組んだのは「人」こと人材採用で、それまで縁故採用が多かった料理人の採用に当たってなけなしの予算五万円をかけて外部に求人広告による募集をかけ、そうして集めた新人三人の教育に当たり以下のようなことをしたそうです。

「その施策の中には、かつての料亭文化ではありえないようなものも多かった。たとえば、「料理は見て盗め」といわれていた厨房の世界だが、新人にもどんどんレシピを教えてしまうようにした。また、料理経験のある人ならば、包丁もすぐに持たせてしまうこともある。これも、従来では考えられなかったことだ。
 こうした料亭の常識は、実は百害あって一利なし、先輩料理人が後輩に追いつかれないために存在している悪習でしかないと私は考えて、それらを一掃してしまったのだ。」

(文芸春秋2011年1月号より引用)

 正直に言って私は、こういうことを現役の料理人の方が口にするということに非常に驚きました。私は実際にそういう調理の世界に入ったことはないものの新人は皿洗いなど雑用を数年間経て初めて包丁を握らせてもらうものだと聞いていただけに、入ってすぐにレシピから包丁まで、しかも老舗料亭でそういうことが実施されてたなんて思いもよりませんでした。
 ただ言われて見ると徳岡氏の言う通りに料理人というのは包丁持ってなんぼのもんだし、雑用を誰かがこなさなければならないとはしても新人料理人の教育に際して早くにそういった直接的な技術は教えた方がいいに決まってます。それにもかかわらず「新人は皿洗い」というイメージが私の中にあったのは、これもまた徳岡氏の言うように先輩料理人による悪習としか言いようがないでしょう。

 この京都吉兆は直接関係はないものの例の船場吉兆の事件の際にはとばっちりを受けたそうでいろいろと大変だったそうですが、その後もこうした徳岡氏の改革が功を奏したかミシュランガイドにて三ツ星の評価を得たそうです。この話一つとってもなかなか含蓄があって面白いのですが、ちょっと気にかかったというか先ほどの新人料理人にすぐに包丁を握らせるという話から別に思い当たったエピソードがありました。

 そのエピソードというのはほかならぬ田中角栄の生前のエピソードで、以前に鳩山邦夫氏が言っていた話です。兄に鳩山由紀夫元首相がいるのでこれから邦夫氏と表記しますが、邦夫氏は大学卒業後に政治家を志してすぐに田中角栄氏の秘書を始めたのですが、その秘書時代に田中角栄は邦夫氏に対しこんなことを言ったそうです。

「君も将来立派な政治家になろうとするのであれば、今の自分を見てよく反面教師としておきなさい」

 当時の田中角栄は絶頂期であったために邦夫氏は一体先生のどこを反面教師とするところがあるのだと聞き返したところ、続けてこう話したそうです。

「確かに俺は今調子はいいが、ここに至るまで相当無理をやってきている。若いうちの苦労は買ってでもしろとは言うが、余計な苦労はしないに越したことはないんだ」

 後に田中角栄はロッキード事件など金銭に絡む事件で特捜に逮捕されることになりますが、その時に至って邦夫氏はあの時の田中角栄の言葉はこういうことだったのか、つまり金策のために脱法行為も行っていたということを理解したそうです。
 今でこそこういうことは常識はずれですが、当時の政界は工作に当たって何につけても金が必要だったそうですから私はこの点で極端に田中角栄を批判する気はありません。むしろこうした金策に対して田中角栄本人もある程度気にしていたというか、やらずに済むならやらない方がいいと考えていたということが少し驚きで、やっぱり人の子だったんだなとちょっと親近感が湧きました。まぁ逆を言えば邦夫氏の実家が金持ちなんだから無理に金策するなと言っていたんでしょうけど、邦夫氏の兄のことを思うといろいろ複雑です。

 すでに大分長いですが久々の更新でテンションがやけに高いのでこのまま一本の記事にまとめてしまいますが、私が上記二つのエピソードからこのところよく思い耽っているのは「余計な苦労」という言葉です。京都吉兆、というよりそれまで料亭の暗黙の文化だった「新人は初め数年間は皿洗い」といい、田中角栄など当時の政治家による「脱法行為による金策」、どちらもやらずに済むのならそれに越したことはありません。

 上記の田中角栄の台詞の中にあるように世の中には「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉が流布していますが、一応まだこの言葉をかけられる若者身分の私からするとあまり反抗的では良くないと思いつつも、この言葉は上の連中からすると随分都合のいい言葉だなと生意気にも大体中学生くらいの頃から感じていました。そんな性格ゆえによくパソコンに対して八つ当たりするくらい今でも忍耐力がないままなのですがそれでも敢えて続けて言わせてもらうと、苦労とは言っても『必要な苦労』と『余計な苦労』とではっきりと別れるのではないかと思います。

 たとえば大学受験に合格するために長時間の勉強をしたり、体を鍛えるために走り込みを行うなどそれぞれ目的に合致した必要な苦労というものがあると思います。こういった必要な苦労に対してよく運動部などにある上級生の下級生に対するしごき、たとえば野球部における球拾いとか下級生は更衣室を使えないとか(私の実体験)、それぞれのスポーツ技術の向上には全く関係ないと言える余計な苦労も、というかこっちの方が世の中ごくごく溢れかえっております。こういったしごきについてよく指導者や上級生は上下関係を教えたり忍耐力をつけさせるために必要だと主張しますが、では目的に合った苦労では忍耐力はつかないのかと私は逆に問いたいです。

 大学の受験勉強然り、長時間の走りこみ然り、言うは簡単ですがこれらをこなすとなるとなかなか大変な苦労で、実行にあたりそこそこの忍耐力が要求されます。しかも先ほどの運動部によるしごきと比べてこれらの必要な苦労はそれぞれの目的に対して学力の向上、体力の向上といった付帯効果があり、その上で私はちゃんと続けることで忍耐力も共に鍛えられるのではないかと思います。忍耐力がどちらでも鍛えられるのであれば、しごきといった余計な苦労はせずに必要な苦労を率先してやっていった方がずっと効率的ではないでしょうか。

 私は何も、なんでも苦労を避けて楽な道を選ぶべきだと言うつもりはさらさらありません。きちんと目的を持ち、その目的を達成するために必要な苦労はどんどんとやるべきである一方、その目的達成に対して何の関係もない苦労はやらないに越したことはない、むしろ時間の無駄となるのでそういった余計な苦労は避けた方がいいと私は主張したいのです。
 そうは言っても世の中理不尽なことが多いのでそういったことに耐性をつけるためにもある程度は余計な苦労もしておく必要があるのではないかと言われる方もいるかもしれませんが、私はそのような理不尽に対する耐性は必要な苦労でも得られると思いますし、そもそも理不尽に対して何でもかんでも黙っているのもまた問題な気がします。その理不尽を甘受せずに環境を変えるなり対策を行う方がずっと前進的でしょう。ま、多少の我慢はもちろん必要ですが。

 私はこのところ自分を取り巻く環境に対し、今自分が負担に感じている苦労は必要な苦労なのか余計な苦労なのかとよく考えています。もちろん必要な苦労だと思えば心情的にも軽くなるし頑張ろうという気持ちも持てますが、余計な苦労だと一体何のために我慢しているのかと考えれば考えるほど余計に辛くなってきます。ただ単に自分が未熟で必要な苦労か余計な苦労か判別も出来ないのかもと思う一方、先ほどの「新人料理人は数年間は皿洗い」など、世の中では一般化されていたとしても明らかに余計だとわかるものははっきりわかる気がします。
 何でもかんでも人生思い通りに行くわけではないので多少のことはもちろん我慢するべきです。しかしあまりにも余計過ぎる苦労は周囲から非難を受けるとしてもやはり避けるべきで、きちんと目的を持って必要な苦労を求めていくことが我慢強いとされる日本人に必要なのではないかというのが、今日の結論です。

  おまけ
 今回の記事内容について先に友人と相談をしたのですが、その友人とはある苦労を共有しておりました。我々が通った大学の一、二回生時キャンパスは辺鄙な田舎にあり、我々二人はそのキャンパス近くに下宿を借りて住んでいたものの本当にシャレにならないくらいの場所の上に中途半端に都会に近いもんだから精神病を起こす学生もいるほどで、ご多分に洩れず我々二人も入学当初にすぐ五月病をリアルに発祥するなど苦労をしたのですがその時の体験について、

花園「あそこでの生活は確かに辛かったけど、今となれば『必要な苦労』だったかな( ´ー`)」
友人「いや、僕にとっては『余計な苦労』以外の何者でもなかった(´д`)」

 と、見事に意見が割れました。この後もお互いに『必要な苦労』と『余計な苦労』とこの二つの言葉を使い分けてあれこれ愚痴を言い合いましたが、「社内のお局対応は『余計な苦労』だ」、「あの上司の指導は厳しいが、『必要な苦労』だった」など、使ってて意外に便利な言葉だと思いました。

  おまけ2
 三日ぶりの更新ですが見事四千字を越える長文、書いててものすごく気持ちよかったです。やっぱり定期的に文章書かないと自分は駄目ですね( ´Д`)

2011年2月15日火曜日

小沢氏の党員資格停止について

「党員資格停止」を議決=反対論押し切る―民主常任幹事会(時事通信)

 昨日一昨日と力の入った記事を連日投下したので、今日はさらりと流せるニュース解説です。
 ようやくこの問題に一つの目処がついたというべきか、上記リンク先のニュースで書かれている通りに強制起訴された民主党の小沢氏に対して本日民主党幹事会は裁判が確定するまで党員資格停止するという決議を行いました。この決定に対する私の意見は、まぁ当然といえば当然だけどこれまでの対処期間を考えるとやや決断が遅かったかなといったところです。

 小沢氏に対する評価は色々ありますが、先日産経のニュースにてやや高所ぶった目線で書かれていましたがこんな記事がありました。その記者がタクシーに乗った際に政治ついて運転手と会話したというのですが、そのタクシー運転手はこんな世の中だからこそ豪腕の小沢氏が政治を主導した方が何か変わるのではというものの、その記者は小沢氏は豪腕とよく言われるもののこれまでの日本の政治史において何か政策を主導したことはなく、また具体的な政策目標を何も持ってないとしてそのタクシー運転手の意見を否定したというないようです。

 この記事の内容が、小沢氏についてよく言い表していると私は思います。小沢氏は確かに細川連立内閣を作って55年体制に終止符を打つのを主導したことは間違いなく、またその後の小選挙区比例代表制制への以降も彼の強い希望で行われました。この二つを功績と取るならば確かに功績ですが、しかしその後の彼の政治キャリアはというとただ政党を作っては壊し、無駄に日本の政権を不安定にさせてきただけとしか私には思えません。しかも何故政党を何度も壊し続けたのかというとこれも、どう見ても彼が主導して実現した政党交付金制度を悪用して私服を肥やすためでしかないでしょう。
 特に一番罪業が重いというか、公明党とともに連立を組んでいた小渕政権時に自民党の立場が苦しい時期を見計らって無理難題を吹っかけ、要求が通らないとわかるや連立を離脱したことです。実質このときのショックが引き金となって小渕元首相は脳梗塞を起こして死去しており、政治に駆け引きは必要だとは思いますが不必要な要求のために無駄に権力を不安定化させた小沢氏の行動には疑問を持ちます。

 とはいえ今回のこの民主党の決議にてようやく小沢騒動もひと段落しそうです。民主党内の小沢派が反旗を翻して分裂するとも言われておりますが、マルチ商法の親玉である山岡氏はともかく日教組のドンである輿石氏は意外にも早くに見限って菅首相や岡田幹事長側に寄って行っていますので、小沢派の動きはそれほど大きな影響は及ぼさないと思います。どうせすでに参院で過半数割ってるんだし。
 本来ならば小沢氏の強制起訴が決まった段階ですぐにこれくらいの処分は行うべきといえばそうなのですが、曲がりなりにもシンパが多い人なので時間がかかったのはしょうがないのかもしれません。願うことならこれに続いて、勝手にしゃしゃり出ては北方領土などに関して問題発言を繰り返している鳩山前首相も処分してもらいたいのですが。

 あと本件と関係のないニュースですが、ちょっと驚いたというか思うところがあるニュースがあります。

中国の米10%がカドミウム汚染、イタイイタイ病発生(サーチナ)

 内容は中国のお米の10%はあの四台公害病の一つであるイタイイタイ病を引き起こすカドミウムに汚染されているという、実際に中国で生活している私からするとちょっと気が気でないニュースなのですが、実はこのニュースは昨日の中国版Yahooにて載っていたニュースです。たまたま自分も読んでて翻訳してブログで取り上げて見ようかとも思っていたのですが、先を越されたというかまるまんま翻訳しただけのニュース記事に、あまりケチをつけるべきではないと思うもののなにやら釈然としないものをちょっと感じました。
 ちなみに元記事では「イタイイタイ病」のことをそのまま「痛痛病」と書かれており、多くの患者から聞かれる悲鳴から当時の医師が名づけたという由来もきちんと紹介されてます。またその中国の村の土壌が何故カドミウムに汚染されているのかというと、近くに鉱山があってその発掘の際に出る泥などが川を経由して汚染されているのではと書かれていました。よその村から来た女性が言うには、昔からその村にはあまり嫁に来たがる人はいなかったと言うほど曰く付きの土地だそうで、収穫物を国が徴収していた時代(人民公社時代?)もその村は免除されていたとまでいうほどブラックな土地だそうです。