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2011年8月28日日曜日

儒学の反骨性

 よくネット上などで、「日本は儒学社会だから社畜が多い」などという言葉を見かけます。この言葉の言わんとしていることは「お上に何でも従え」と教える儒学概念が日本では強いため、外国人からしたら劣悪以外の何物でもない雇用環境でも文句も言わず働く日本人が多いという意味ですが、後者の部分はともかくとして前者の部分には「異議ありっ!!( ゚Д゚)」と言いたいです。私は確かに真剣に儒学を学んだわけじゃありませんが、儒学は上意下達な学問ではなく、むしろ反骨心が高い学問だとみているからです。

 そもそもの話として、日本で儒学と言ったらほぼ間違いなく朱子学を指します。この朱子学というのは私の恩師に言わせると、「儒学の中でも極左的なもの」だそうで、中国でも一時国学化されたものの決して全土で流行ったものじゃなかったそうです。しかし何故かその極左的な朱子学は上意下達で為政者にとって都合がよかったことから朝鮮半島、そして日本では流行ってしまい、中国本国とはまた違った儒学がそれぞれの国で発展することとなりました。

 では元々の儒学はどうなのかということですが、儒学と言ってもたくさん学派があるのでひとくくりは出来ないもののその一番のバイブルとなっている「論語」においては結構反骨心が高い記述が多く、むしろ効かん気の強い学問ではないかという風に感じるところが多いです。
 そう思うような具体的な個所をいくつか紹介すると、「もし主君が正道を務めないようであれば諌め、それでも改めなければそっと離れなさい」という記述があります。これは主が間違った行為をしているようであれば批判を恐れず諌め、それでも行動を改めようとしないのであればその主君に付き従ってはならない、むしろ協力するなという意味です。またこれ以外にも間違った方向へは自分の才能は使ってはならないなど、ゆくゆく仕えるべき主君についてあれこれ注意がなされております。

 実際に古代における中国の儒学者の経歴を見ると、頑固というか言うこと聞かない直言居士ばかりが目につきます。当時から一流の儒学者だった司馬遷はもとより、今のアカデミックの主流が反権力を掲げているのと同様に儒学も権力に対して批判的な立場であるのが正位置なのではないかと思います。
 それ故に最初の話に戻るのであれば、今の日本社会は邪教がはびこったせいでいろいろおかしなことになっているのではないかと私は思っている、というか常日頃から主張しています。人間もちろん我慢が出来るというのは美徳ですが、度が過ぎた我慢というのは周囲をも巻き込み全体を不幸にしてしまうと考えます。友人などから話を聞きますが冗談抜きでどうして過労死にならないのか、なったとしても誰も気に留めないのか、年末に毎日のように人身事故が起きても誰も気に留めないのかと思うくらいの今の日本の状況においては、嫌なものは嫌とはっきり拒否する勇気が必要なのではないかと思い、本来の儒教にある価値観こそが今求められているのではという気がします。

 ちなみに日本におけるもう一つの有名な儒学の学派は陽明学がありますが、こちらも日本に伝わる途中でちょっと変遷を受けて「実践第一」が妙に重んじられるようになりましたが、そのせいか著名な日本の陽明学者は吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山と、反体制思想の塊のような面々が集うようになってしまいました。もし仮に私が為政者の側であったら、朱子学は弊害が大きいと判断して採用しない程度でほっとくでしょうが、陽明学においてはさすがにあれなんで流行らせないようにするかもしれません。

 最後にもう一つ蛇足ですが実践という話ではよく、「義の無き信念は無に等しい」という言葉を私は使ってます。これは原作:武論尊氏、作画:池上良一氏の漫画の「HEAT -灼熱-」という漫画に出てくるセリフですが、セリフが出てくるシーンのネタバレをするとアメリカで弁護士をしていた主人公の父親が世話になったマフィアのボスから、黒人への銃乱射事件を起こした白人の少年の弁護を頼まれます。目撃者も多くいたことから有罪確定とみられた裁判は主人公の父親の腕もあり無罪へと傾きますが、この父親の行動に子供だった主人公は強く反発します。
 そして裁判では最後に無罪判決が下りて裁判所から喜んで白人の少年は出てくるわけですが、主人公の父親はその背後から少年を射殺すると、自分の保険金は事件の遺族らに渡るよう手配していると言って自殺します。その父親から主人公への遺書に上記の言葉が入っているわけですが、頭で考えるだけでも駄目、実践するだけでも駄目という意味でこのエピソードをよく思い浮かべるようにしています。

2011年8月27日土曜日

各国の輸出依存度統計について

 先日自殺率について書いた記事で、「日本が最も自殺率が高いと思っていた」というコメントを受けました。実をいうと私もかつて自分で統計を調べてみるまでは同じように、恐らく1~3位には必ず入っていると漠然と考えていたのですが、実際にデータを調べてみると上には上がいるというか2010年度で日本は6位でした。
 しかしこのように「日本は自殺が最も多い国」と誤解するには、断言してもいいですがマスメディアのミスリードが原因でしょう。テレビなどで自殺が取り上げられる際には枕詞のように「先進国中最も自殺率の高い日本」という言葉が付け加えられますが、仮にこの言葉通りだと日本より上位のロシアはG7に入ってるのに先進国ではないということになります。まぁ確かに日本の自殺率は高い方ですが。

 実は最近、この自殺率と同じように実際の統計データを見てみて激しく誤解していたことに気が付いたことがありました。その統計データというのは最近あちこちでちらほら見かけるのでもしかしたら皆さんも知っているかもしれませんが、今日の題になっている輸出依存度です。

統計局ホームページ 世界の統計第9章 貿易

 社会学やっている人間からすれば必ず知っておかなければならない、というより知らなかったら冗談抜きで社会学を真面目にやっていないと言ったっていいくらいの上記統計局ホームページですが、今回私が参考にしているのは、「9-3 貿易依存度」のところにある貿易依存度のエクセルファイルです。このファイルの中には「輸出依存度」といって、どれだけその国が輸出で生計を成り立たせているのかということを示す指標があります。ちなみに計算方法は、以下の通りです。

  輸出額(FOB価格)÷国内総生産(GDP)=輸出依存度

 どうでもいいですがFOBというのは「Free on board」の略字です。最近はクーリエが流行って輸出もCIFで出すことの方が多いのですが、貿易事務屋からすると輸出も輸入もEx worksでやった方がコストの計算がしやすくて助かります。
 そういうどうでもいい愚痴は置いときまして、早速主要国の輸出依存度を紹介します。

<各国の輸出依存度(2008年)>
日本:16.1%
韓国:45.3%
中国:33.0%

シンガポール:179.0%
香港:168.6%
タイ:63.4%
アメリカ:9.0%
カナダ:29.9%
ブラジル:12.1%
イギリス:17.1%
イタリア:23.5%
ドイツ:39.5%
フランス:20.8%
ロシア:28.1%
オーストラリア:18.0%
ギリシャ:7.3%

 統計局のデータでは2009年度のデータが最新ですが、2009年はリーマンショックの影響で世界中で輸出量が大きく目減りしているので、2011年の現状に近いのは2008年ではないかという判断から敢えて2008年データを引用しました。
 このデータを見てもらえばわかる通りに日本の輸出依存度は16.1%で、実は先進国中ではアメリカに次いで低い(ギリシャの7.3%を除いた場いい)という、かなり特異な国だったというわけです。ちなみにシンガポールや香港といった、中継貿易が非常に盛んな国は100%を超えており、元データを見てもらえばわかりますがこの二カ国は輸入依存度でも100%後半に位置しています。

 こういうのもなんですが、GDP規模が小さい国であれば輸出依存度が低くてもまぁありかなという気はするのですが、日本ほどのGDP規模ながらこれほど低い輸出依存度で経済が成り立っているというのは異常な気がします。アメリカの場合はドル体制と財政赤字無視できるという環境があるからまだ理解できますが、よくこれで維持できるなというのが最初見た時の感想です。
 もう少し解説を加えると、輸出依存度が低いということはそれだけ内需の規模が大きいということです。つまりこの数値は日本は内需規模が非常に大きいとともに、必ずしも輸出に依存し切った経済ではないというのを表しています。

 私はこれまで日本というのは内需が小さい国であるから、輸出産業がなければ経済を維持することができないとずっと教え続けられてきました(特に親父から)。しかし上記統計だけで判断するのは早計かもしれませんが、このデータを見る限りですと日本は他国ほど輸出に依存しておらず、内需規模も実質にはかなり大きな国ではないかという気がしてなりません。逆に日本より輸出依存度の高い韓国などは日本の円高以上にウォン高が韓国全体の経済に与える影響は大きく、世界的な景気の影響を受けやすいとも聞きます。

 ……ここでもう記事を書き終えてもあまり問題はない、というかそうした方が差し障りはないのですが、もう少し深く突っ込むとどうして私を含め日本人は「輸出がなければ日本はやっていけない」と考えるのでしょうか(うちの親父を含め)。もちろん内需規模が大きいから輸出産業を疎かにしていいわけでありませんし、むしろ低いのだからもっと引き上げるような努力をやるべきという前向きな意見にまとめても良いのですが、その輸出を増やすために日本は何をしてきたかということです。
 ここで私が言いたいのは、自動車メーカーや家電メーカーといった声のでかい産業企業らが必要以上に日本人の輸出に対する不安を煽って、自分たちの都合のいいように世論や政策を動かしてきたのでは、ということです。今の円高にしたって輸入産業にとってはプラスに働くのですが、そういった方面の景気のいい話はほとんど聞こえず、自動車メーカーや家電メーカーの嘆き節しか報道されていないような気がします。

 そりゃ人間誰だって自分がかわいいはずですし、自分たちに都合のいいように物事を動かそうとするでしょうしそれが悪いことだとは私は毛頭いうつもりはありません。しかし根が真っ正直で真面目に嘘がつけず就職活動で苦労した私からすると、現実を覆い隠すような策謀をする人間は大嫌いですし、二次大戦中の日本みたいに虚飾ばかりの情報が流れていると世の中必ず悪くなるという確信があります。
 くれぐれも言いますが輸出依存度が低いからって日本は安心していいわけじゃありません。ただ輸出ばかりどうこうしようというのではなく、内需においてももっと考えられる方向性を考える道もあっていいのではないか、輸出産業ばかり保護する必要はあるのかというのが、今日の私の意見です。

 今日も太閤立志伝5ばかりやってたから、記事書くの遅れてしまったな(;´Д`)

2011年8月24日水曜日

悪の枢軸、電通について

 今日友人からリクエストもらったので、広告代理店の電通についていろいろ書こうと思います。それにしても我ながら思い切ったタイトルだ。

電通(Wikipedia) 

 広告代理店と言ってわかる人には話が早いですが、念のためにどういう業種なのか簡単に説明します。基本的な業務はその名の通りに「広告、PR活動を代行する」という業務なのですが、そのやっている仕事が近いということでイベントの管理や運営なども主な業務としています。ちなみに昔こういった広告代理店の業務を後輩(理系)に教えたら、「ああ、要するに下請けってことですね(゚∀゚)」と返事したので、「アホ、そんなんゆうたら世の中の仕事全部が下請けや。もうちょい経済勉強して出直してこい!(#゚Д゚) プンスコ!」ってすごんだら、しばらくその後輩は自分のことをまじめに怖がっていました。後から思うと自分でもなんであんな怒ったのかわかりませんが、その後その後輩には特別ご飯を多めにおごるように気を使いました。

 話は戻って電通ですが、その来歴を話すと元々は半官半民の国家機関のような団体で、こちらも同じく国家の意向に沿った情報を戦前に国内に流しまくってた共同通信の下部会社として設立されたと聞いています。そのため設立時期は戦前なのですが、戦後になってテレビなどのマスメディアが発達するようになって広告部門の売り上げが巨大化し、親を食うと言ってはなんですが、いつしか電通は親会社の共同通信を大きく上回る会社となり現在に至ってます。
 一体どうして広告会社がそれほど力を持つのかと不思議に思う方もいるかもしれませんが、順番的にはテレビなどのマスメディアが大きく力を持つのが先で、そのマスメディアに対して大きな力を持つのが電通ら広告代理店だからです。というのも受信料で成り立っているNHKを除いてテレビ局の収入はCMでの広告収入が主で(現在は不動産収入が主になりつつある)、その広告のスポンサーを取るためには広告代理店を経由しなければならず、業界最大手の電通を敵にしたらテレビ局は収入源を一度に絶たれるために頭が上がらないというわけです。

 なお広告業界とはいうもののこの業界は昔から電通の一巨寡占が続いており、電通一社の売上高は業界全体の過半数を越えているために業界2位の博報堂や3位のADKといった有名企業がたとえ束になっても電通の前には足元にも及びません。っていうかどうして独禁法に引っかからないのかが不思議なくらいで、それゆえに広告業界=電通という考え方は一部で正しい見方です。

 さてここまで読んで、というかタイトル見た時点でわかるでしょうが率直に言って私は電通が嫌いです。理由は色々あって公憤もありますが私憤の方が大半を占めていますが、公憤パートで電通の悪いところを片っ端からあげていくとまずはその仕事の取り方です。基本的に仕事は上にも書いてある通りにマスメディアとスポンサー企業の仲立ちなのですが、スポンサー企業から仕事を取ってくるために電通は何をするのかというと大企業の社長や役員の子女をコネ入社で毎年大量に入れております。
 具体的な名前を挙げちゃうと安倍元首相の夫人である安倍昭恵氏は森永製菓の社長令嬢という経歴からして典型で、なんか話に聞く限りですと大量にいるコネ入社組を面接を突破して入社してきた社員が必死に支えてるという、冗談でも笑えない話もちらほら聞こえます。なおほかの広告代理店も多かれ少なかれ似たようなことはしていますが、広告業界の人に話を聞いたら電通のコネ入社量は業界内でも半端じゃなく多く、えげつないそうです。

 ただこれだけであれば倫理的には好きになれない企業で終わるでしょうが、電通の問題とされていのは文字通り情報の扇動です。何度も繰り返すように電通はテレビ局をはじめとした大メディアに対し強い発言力があり、電通自身が流行らせたいと思ったものはたとえその時点で流行っていなくても「流行っている」として報道させることができます。というより、現実にテレビ局でこうして取り上げられるもののほとんどは電通、もしくはそのスポンサーの大企業の意向が強く働いているとまで言われます。
 こちらも実際に具体例を挙げると、有名なものだと今じゃ多分覚えている人のが少ないであろう「セカンドライフ」というものがあります。これはネット上における仮想空間のことで現実のように店舗を開店したりネット上の土地を売買するというような感じなのですが、事の顛末はここのサイトに詳しい通りに当初は電通が誰も知らないのに猛プッシュして一部の大企業も実際に参加したりしましたが、びっくりするくらいに流行らなくてとうとう電通自身も撤退に追い込まれたという経緯があります。ただこうして目に見えて電通が失敗したのは珍しく、世の中で流行っているものはほとんど電通が作った流行と言われています。一説には今フジテレビで問題となっている韓流猛プッシュも電通の意向かとも言われてますが、これについては生憎まだ裏を取っていません。

 まぁこれ以外にも電通にはいろいろ言いたいこととかたくさんありますし、日清ラ王の無許可山頂照英CM事件とか、あまりにも画面映り悪くて抗議が相次いだ倖田來未のキリン氷結CMなど細かいところを上げたら切りがありません。ただそれを言ったらこの広告業界自体真っ黒いところが多く、冤罪事件で有名な厚生省の村木厚子さんが逮捕されるきっかけとなった障害者郵便制度悪用事件など、これは断言してもいいですが2位の博報堂は確信犯でこの制度を悪用しており、槍玉に挙げられたベスト電器は博報堂に安い郵送料で済むと騙されたというのがオチでしょう。むしろ摘発されたこの事件以前にもどれだけ同じ悪用をしていたのかが気になりますし、何故村木さんが逮捕されて博報堂幹部は逮捕されなかったのかというのが不思議なくらいでした。

 というような具合で悪口をかなり書き立てましたが、多分そう遠くないうちに電通を含めた広告業界は力を失うというか、下手すりゃ倒産が相次ぐと予想しています。わかる人にはわかりますがリーマンショック以降はどこも広告費を大幅に削り、今の広告業界はどこも青息吐息な状態が続いています。広告業界が何故そこまで苦しくなった構造問題については今日は書きませんが、フジテレビに対して先週日曜にあれほど大規模デモが行われたのとか見るとメディアも大分力を落としたなという気がします。少なくとも、広告費で経営を立てるというのはもう至難の業でしょう。

2011年8月23日火曜日

民主党の代表選について

 辞任発言をしておきながらなかなかやめようとしなかった管首相がようやく近くの辞任を明言するようになり、その光景をめぐる民主党代表選挙の話題が盛り上がってきました。ただしょっぱなから言うのもなんですが、今の日本の政治状況は多分今まで私が見てきた中で最もつまらない時期で、私自身はというと次の後継総理が誰になろうがあまり興味が持てないのが現実です。
 すでに野田財務相などの人物が出馬を表明しており、本日には前原前外相も出馬を発表しました。私の予想だと恐らく自民党などからも歓迎されることから前原氏が固いのではないかと見ていますが、前からも言っているように前原氏は病気と言っても差し支えないくらいに異常に脇が甘いところがあり、この人が総理になるくらいなら管首相がまだ続けていた方がましなのではないかとすら考えています。

 また今回の代表選に絡んで現在党員資格が絶賛停止中の小沢氏についてもいろいろ取りざたされており、自前の小沢派総裁選に大きな影響力を及ぼすなどといろいろ書かれていますが、私は世間でいうほど今の小沢氏はそれほど力を持っていないんじゃないかと密かに見ています。その根拠というのは小沢派の国会議員は選挙当選回数の低い新人ばかりで発言力はなく、また小沢氏の周辺人物は海部元首相や小池百合子氏など年月とともに離れていく傾向があるため、ある意味では前回の選挙直後が最も力があって今だと果たしてどれだけがきちんとついてくるのか疑問です。また小沢氏肝煎りの人物だと野党もいろいろ反応するだろうし。

 それにしても自分で書いてて本当にこのところ政治話題が少ないのが嫌です。個人的には政策の話題とかもいろいろ書きたいのですがそもそも書こうとするネタもほとんどない。また震災復興についても既に五カ月以上経っている癖に具体策や案もどこをどう探しても出てこず、いくらなんでもスピードが遅過ぎる気がしてなりません。もう少し復興のためにはどれくらいの金が必要なのか、その金を用意するために増税するのか国債出すのか、増税ならどこからどうとってくるとかいう話題が欲しいところなのですが。

 ちなみに目下のところで私が一番いいと思う財源はやはり国債発行、それも個人への発行だと思います。通常の国債は銀行などが引き受けるのですが、この個人向け国債の場合は通常の国債と違って一切金利はつかないものの、もし償還前に国債保有者が死亡した場合には相続者に対しその国債には一切相続税をかけないというオプションが付くという奴です。このような国債だと将来の財政負担は金利がつかないので比較的低く、また確かに相続税収入は減るでしょうがその代りに市場に出回っていないお爺ちゃんお婆ちゃんのタンス預金を引き出す効果もあるので、総合的に見るのなら益の方が大きいのではないかと思います。

 なお余談ですが、私の母方の家系は祖父を除いてみんな年金を受け取る前に死んでおり、私も今の生活が生活なので今のところ一切年金は支払っておりません。特に一昨年亡くなった叔父などは見事に64歳という受給前ギリギリで亡くなりましたが、その叔父は生前にうちの母親を含む兄弟らとの会話で、「お墓のサイズは上を見たら切りがない、仁徳天皇陵もあるしなぁ」と、何と張り合ってるんだよという妙なセリフを口にしてました。

2011年8月21日日曜日

韓国のシルミド事件について

 今日msnニュースの方でちょっと気になるニュースがあったので、韓国のシルミド事件について書こうかと思います。

取れなかった「金日成の首」 映画シルミド(SHILMIDO)(産経新聞)

 気になったニュースというのは上記リンク先のニュースなのですが、この記事は2004年に日本でも公開された韓国映画の「シルミド」のロケ地を歩くという記事です。ちょうど今日は韓流ばかり流して偏向報道だとするフジテレビへのデモが予定され実際に決行された日なのですが、産経はわざわざこれに合わせてこの記事を持ってきたのかと少し勘ぐりたくなります。
 ただこの記事の主題となっている「シルミド」という韓国映画については私も実際に観ましたが、名前も全く知らないような韓流アイドルとかは出てこず(おっさんばかり)、変な感情抜きで素直に面白い映画だと思えました。またこの映画を通し、これは韓国でも公開当時はそうだったようですが歴史の闇というかシルミド事件についても初めて知り、当時の朝鮮状況を知ろうとする上でいいきっかけとなりました。

実尾島事件(Wikipedia)

 詳しくは上記のウィキペディアの記事を読んでもらった方が早いのですが、1968年に当時の朴正煕大統領の暗殺を目的とした北朝鮮の特殊部隊が韓国国内に侵入し、韓国の治安部隊と衝突した「青瓦台襲撃未遂事件」というものが起こります。この事件では韓国治安部隊が北朝鮮の特殊部隊を撃退して大統領は事なきを得るのですが、この北朝鮮の軍事行動に激怒した大統領は報復として「金日成暗殺部隊」を北朝鮮に送ることを企図し、特殊部隊の設置をKCIAに指示します。そしてその特殊部隊の養成地として、シルミドこと実尾島が選ばれることとなったわけです。
 このシルミドには高額な報酬に応じた一般人ら31名の隊員が集められたのですが(映画版では死刑囚などが集められたと描かれ、事実と異なっていると遺族らから抗議が起こっている)、途中で7名の隊員が命を落とすなど相当過酷な訓練が実施されていたようです。しかし部隊創設から間もなく、アメリカ側が共産圏への融和策へ外交方針を変更したことにより韓国側も北朝鮮への目立った軍事行動を取ることが出来なくなり、シルミドの部隊についても徐々にその存在価値を失っていきました。

 最終的には1971年に「部隊そのものがなかった」ことにされ、当初隊員らには支払われていた高額な報酬も徐々に減らされていき、待遇悪化に不満を感じた24名の隊員は訓練教官を殺害し島を脱出するや、真偽は不明ながらも直接大統領に抗議をするためとして韓国大統領府のある青瓦台を目指しソウルへ侵入することとなります。しかしソウル市内で韓国正規軍や警察と衝突すると、追い詰められたシルミドの部隊は奪ったバス内で手りゅう弾を使い自爆します。この時の自爆で大半の隊員は死亡し、生き残った4名もその後の軍法会議で死刑を受け翌年に全員処刑されたそうです。

 この事件は内容が内容であるだけに当時はおろかごく近年に至るまで韓国国内でも完全に秘匿されてきましたが、韓国の民主化後に初めて明らかとなり、その後この事件を舞台にした件の映画が公開されたことによって徐々に詳細が公開されるようになりました。
 私自身のこの事件の印象を話すとすれば、確かに非常にドラマチックな内容であり映画とするには恰好な事件だと思います。ただそれ以上に当時の国際状況というか、本当に007やゴルゴ13みたいな事件が現実に起きていたのかと、初めて知った際には驚きを感じました。さらに言えばこれは佐野眞一氏が甘粕正彦についての著書にて、「国家の前に個人の一生などどれほど脆いものか」と、国に翻弄され続けた甘粕の人生を評していましたが、このシルミド事件についても同じような言葉が私の中で浮かびました。

 最後に蛇足ですがあまり映画を見ようとしない自分がこの「シルミド」という映画を観ようと思ったのは、「あの映画はほんまおもろいで!」と、今は亡き叔父が強く勧めてきたからでした。自分も年をとってきたのかこの叔父のことをちょくちょく思い出すようになり、最初の産経の記事も「叔父さんがいなけりゃちんぷんかんぷんだったろうな」などということを覚え、それ以外のことを含め自分にとってはいい叔父だったということを改めて思い起こしてました。ただ叔父と旅行に行った際、叔父のいびきがあまりにもうるさくほとんど眠れなかったのだけはちょっと嫌な思い出ですが。

2011年8月20日土曜日

日本企業の経営陣給与

 時期を分けると面倒くさいので今日は経済ネタ二本投入です。以前に友人らと企業経営人の給与動向について話をした際にある友人がよく、

「日本の大企業における経営陣給与は年数千万円だが、欧米大企業の経営陣だと数億とかも当たり前だ。そういうのと比べると抱えている責任と言い、日本の経営人の給与は低過ぎるよな」

 この話を聞いた際は私もその通りだと考えましたが今となっては逆で、それでも日本の経営陣給与は高過ぎると考えています。特に長く書くほどでもないのでもうぱぱっと書いちゃいますが、こう思うきっかけとなったのは東日本大震災後の東電経営陣を見てからです。さすがに前の社長は散々抵抗したものの辞任することとなりましたが会長はそのままですし、それ以外にも管理職の人間らの発言などを聞いていてこんな連中があれだけの報酬を受け取るのかと思うと虫唾が走りました。また東電に限らなくとも企業が不祥事を起こしても本当にとんでもないくらいの大問題でもなければ役員連中が謝罪することはおろか、末端の現場社員が詰め腹切らされて責任を取らされるというのも数限りない気がします。

 では欧米はどうかと言えばアメリカの金融系企業をはじめとして恐らく似たり寄ったりじゃないかと思いますが、果たして役員に対してこんなに大金を支払うべき価値があるのかと思うとそろそろ真剣に議論してもいいんじゃないかと思います。以前にもこの関連で記事を書きましたが、私の主張としてはもっと賃金報酬の査定を細かくし、長期のプロジェクトにかかわる立場であるのであればむしろ退任後5年間程度の業績を判断して支払うというのも一つのやり方ではないかと思います。

日本的経営とねずみ講

 かなり今更な話だと自分でも自覚しておりますが、どうもよそで見ていても誰も主張する人がいないので記念に書いておくことにします。

日本的経営(Wikipedia)

 日本的経営とくれば現代ではすでに死語ですが、歴史を軽く紐解くと90年代半ばまでは非常に幅を利かせて世界で最も優れた経営方法だと多分日本人たちは疑わなかったと思います。しかし失われた十年の後半に至ってさすがに維持することができなくなり、中高年のリストラ開始によって一度否定されるものの2000年代中盤頃にトヨタやキヤノンといった企業経営者(奥田&御手洗、何気に二人とも経団連会長)が、実際には日本的経営とはかけ離れたことをやっておきながらも、「日本的経営を放棄して成果主義に走った企業は負け、維持した我々が勝ったのだ」と主張したことで、あくまで私の私感ですが一時また持ち上げられていたような気がします。
 しかしそう主張していたのもつかの間、サブプライムローン問題が火を噴いた2008年を過ぎるとそんなこと言ってた連中もさすがにいなくなり、現在では「ああ、そんなのもあったね」といった感じの概念になりつつあるのではないかと思います。

 それでこの日本的経営ですが、ウィキペディアにも書いてある通り具体的な要素としては主要なもので以下の差難点が挙げられます。

1、終身雇用
2、年功序列
3、企業別組合

 結論から言ってしまうと上記の三要素は既に日本企業にはありません。かろうじて残っていると呼べるものとしたら2番目の「年功序列」くらいですが、1番目の「終身雇用」は完全ズタズタになって消え去っておりますし、3番目の「企業別組合」に至っては大企業にはまだ残っているものの、不景気という時代ゆえか解雇阻止や賃上げ要求する方が明らかに間違っていると言われかねず、その機能を完全に失っていると言っても過言ではありません。
 そんな当たり前のこと言うだけなら誰でもできるし以前にも私自身書いていますが、今回ここで改めて主張しようと思うのは、そもそも論として日本的経営は成り立つはずがないという話です。

 結論から先に言うと、具体的にどこが問題なのかというと2番目の「年功序列」で、だれも言いませんがこれは冷静に見るなら詐欺商法でお馴染みのねずみ講と同じ構図じゃないかと私は考えています。この年功序列というのは勤続年数に従って給与と社内地位が向上していくというシステムで、日本的経営が機能していた頃にはこれがあるおかげで従業員の離職率は低くなり熟練度が高い社員層が構築できると言われ、機能しなくなった頃には無能だろうと昇進して給与コストが無駄に増大すると言われました。
 基本的には機能しなくなった頃に言われていた批判内容で私も間違っていないと思っているのですがこれに付け加える形で敢えて述べると、以下の二点について言えると思います。

1、勤続年数とともに昇進する→昇進させた社員の分だけ部下となる社員数を増やさなければならない
2、勤続年数とともに給与が増える→増やす給与分だけ売り上げ、収益を増やさなければならない

 まず一番目の点についてですが昇進させると言っても名ばかり管理職とするのならともかく、数名の部下とかを付ける役職にするのであれば昇進させた社員数の倍数分だけ新入社員を補充しなければなりません。これはつまり初年度に5人からスタートしたとして、その5人が管理職にさせる頃には5×5=25でほかに25人の社員がいなければならず、さらにその25人が管理職となる頃には25×5=125人と、かなり単純な図式とするならこのような具合でどんどん倍々ゲームで社員を増やさなければ成立しません。
 次に二番目の点ですが、これも一番目同様に一定の所で限界値は設けてたでしょうが、年々給与を増やすのであればその分だけ支払い余力も増えてかなければなりません。これは言い換えるなら毎年売り上げと収益が増えなければ成立しないということで、先ほどの倍々ゲームと組み合わせて考えると、マイナス成長がありえないという前提でなければ絶対に成立しないと言ってもいいでしょう。

 この二つの図式を組み合わせて考えるなら、倍々ゲームで何もかも伸びていくというねずみ講と同じ構図、言い切れば絶対に成立するはずがない構図じゃないかと私は考えています。もちろん実際には何が何でも給与を増やすとかそういったことは毎年行われてたわけじゃなく、時期によっては労使で調整とかされていたそうですが、新卒一括採用制度とも組み合わせて考えると都合のいい考え方してんじゃないかと思います。