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2013年4月18日木曜日

猛将列伝~李陵

 この連載では既に数多くのややマイナー気味な戦争指揮官を取り上げておりますが、今日ふとしたことから前漢の李陵という人物について書いていないことに気が付いたので、反省を込めて早速書くことにします。ちなみにその「ふとしたこと」というのは横山光輝の漫画「史記」を読み返したことなんだけど。

李陵(Wikipedia)

 中国史に興味を持って調べたことのある人、または相当な日本文学好きならきっとこの人のことを知っているでしょうが、それ以外の人はきっと誰も知らない人物でしょう。

 この李陵という人は項羽を倒した劉邦が打ち立てた前漢の後期に出た人で、ちょうど紀元前1世紀頃に活躍した武将です。彼が活躍した時代の前漢の皇帝は武帝という人物で、それまで控えめともいえる外交方針をひっくり返しシルクロードに当たる西域や朝鮮半島などへ遠征軍を派遣し領土拡張を積極的に図った皇帝でした。その数ある遠征の中で最も大規模だったのは北方の異民族、匈奴に対するもので、前漢は成立当初に劉邦自身が匈奴討伐に出たものの逆に散々に打ち負かされたことから、贈り物を送って友好関係を保つ融和策を採っていたのですが、この武帝はこうした関係に我慢ならず、匈奴内で内紛が起きていたこともあり一挙に討伐して制圧しようと考えたわけです。

 匈奴に対する遠征は何度も行われ戦果も上々だったことから、最終的に匈奴は前漢に対して服従するようになるわけなのですが、今回取り上げる李陵はその数ある遠征のうちの一つに参加して軍功を上げております。彼が参加した遠征は当初、李広利という将軍が総大将となり李陵は後方支援こと補給に従事するように指示されたのですが、妹が武帝の妃となったことから将軍になった李広利の下に就くことを代々軍人出身の李陵は嫌ったのか、わずかな兵でもいいから別働隊を率いさせてほしいと願い出ます。この願い出は叶えられ、李広利は3万、李陵は5千の兵隊をそれぞれ率いて匈奴討伐に出発します。

 こうして遠征に出たところ本隊の李広利の軍にではなく李陵の軍がいきなり数万もの匈奴の本軍と遭遇するのですが、圧倒的な兵力差がある中で李陵は見事な采配を示し、数に勝る匈奴を散々に打ち負かして撃退します。この時の大勝利は陳歩楽という武将が首都、長安に伝令して宮中は大いに盛り上がったのですが、手ごわい相手と見た匈奴はさらに兵力を増強して李陵軍に襲い掛かってきました。さしもの名将李陵でも数倍の敵軍相手に永遠と戦うことも出来ず、途中で矢玉も尽き、散々抵抗を行った上で匈奴に降伏しました。

 これに怒ったのは短気で有名な武帝で、別に責任ないのに最初に勝利の伝令に帰ってきた陳歩楽を散々に責めて自殺に追い込み、あれほど善戦したのだから降伏したのも苦渋の上での決断だろうと、群臣全員が非難する中でただ一人だけ李陵を弁護した天文官も気に入らずに投獄しております。ただ本当の悲劇はそれからというべきか、李陵をして悲運の名将と呼ばれる出来事はその後も続きます。

 李陵は降伏後、匈奴のボスに当たる単于に気に入られ部下として匈奴の軍隊を率いるように何度も誘いを受けますが、これを固辞していました。ただ李陵より先に匈奴に降伏していた李緒という人物がおり、漢軍に降伏した匈奴の兵が「李将軍の指揮で戦った」と証言したことから、李陵は降伏したばかりか裏切って漢軍に攻撃を加えていると誤解されてしまいます。これに怒ったのは短気で有名な武帝で、この報告を聞くや国内にいる李陵の一族を全員皆殺しにし、先に投獄した天文官に対しても追加とばかりに死刑を与えております。
 よく三国志の曹操は三族皆殺しをしているけど、量といい回数といい、武帝など前漢の権力者の方がえぐい気がします。

 この事実は後に誤報、つまり匈奴兵の言う「李将軍」というのは李陵ではなく李緒だということが長安にいる武帝たちにもわかるわけですが時既に遅く、刑はすべて執行されておりました。そして北方の地にいた李陵もこの事実を知り、事の原因となった李緒を殺害しております。ちょっと八つ当たりな気もしないでもないが。
 その後、李陵も踏ん切りがついたというべきか失うものが何もなくなったからか匈奴の娘を娶り、匈奴の武将として活躍し右校王という地位にまで昇り、そのまま北方で亡くなったと言われます。

 この李陵の悲運な運命は「山月記」で有名な中島敦が「李陵」という小説に書いておりますが、李陵と同時期に匈奴に囚われていた蘇武という外交官が最後まで従属せず、10年以上も厳しい環境に抑留された上で長安に帰国したエピソードと対比させ、文学的に言うならその運命の翻弄さを際立たせております。なお李陵と蘇武は匈奴の地で何度も会っており、李陵は蘇武に降伏を進めたものの頷かなかったことから陰ながら食料を送るなどして援助していたようです。

 もう一人この李陵を語る上で外せない人物として、勘のいい歴史好きならもう気づいていることでしょうが、武帝に怒られて死刑判決を受けた例の天文官がおります。この天文官こそ江戸時代までの日本で使われていた「太陽太陰暦」という暦を作り、「史記」という歴史書を編んだ司馬遷その人です。
 彼はどんだけ短気なんだよと問い詰めたくなる武帝の怒りを買って投獄、そして死刑まで受けますが、宮刑という屈辱的な刑罰を受けて宦官となることで死刑を免れています。当時の貴族こと士大夫層の間では宦官になるくらいなら死刑を受けた方がみんなマシだと思っていたようですが、司馬遷は父親の遺言である歴史書を完成させる使命を果たすため、恥を覚悟で宦官となる道を選んだと言われます。なお司馬遷の刑の執行後、さすがの武帝も自分の短気ぶりを反省してかわざわざ中書令という新たなポストを作って司馬遷を官界に復帰させております。本当に豆知識ですが、この中書令は日本で言うと関白みたいな仕事で、隋や唐の時代には実質的な宰相職になっています。

 司馬遷は史記の中でもきちんと李陵について触れておりますが、李陵に関わる一連の事件は司馬遷のパーソナリティに大きな影響を与えたということは想像に難くありません。そもそも武帝に向かって敢然と李陵の弁護を行ったという事実からも司馬遷は直言居士というか我の強い人物だったと思われますが、やはりこの事件を受け、自分の力が及ばぬ運命に翻弄された人物に対して非常に同情的な目を持つに至ったと思えます。
 詳しい人なら説明するまでもありませんが、史記というのは高い才能を持ちながらその力を発揮せずに没した人物が多数載せられており、それらに対して司馬遷は「時代に恵まれなかった」などと非常に同情的な批評を与えており、自身を投影した素振りがあります。敢えて言うなら史記は「敗者版プロジェクトX」、ガンダムで言うなら「MS IGLOO」の様な歴史書で、多分そんなんだから自分も大好きなんだと思います。自分もよく才能を発揮できていないと不遇をかこってますが、李陵や司馬遷に比べたら不平言ってる場合かよと毎回反省する次第です。

2013年4月16日火曜日

プロ野球、本塁打激増の裏

 今日は時事物をよく取り上げますが、自分でも比較して見ようかなと思っていた矢先にスポーツ新聞が上手くまとめてくれていました。

統一球なのに本塁打激増!飯田コーチ「打った瞬間に違いが分かる」(スポニチアネックス)

 野球を見ている人間ならきっと誰もが違和感を感じていることでしょうが、今年はやけにホームランが多いです。リンク先の記事を引用すると、「開幕から5カードを終え、昨年の56本から111本と倍増している」とのことで、統一球の質が変わったとしか思えない状態が続いております。

 プロ野球では低反発の統一球を導入して以降、極端にホームラン数が激減していわゆる投高打低の状態が続いていたのですが、今年は開幕から文字通りホームランの打ち合いとなる試合が散見されます。記事によると統一球を作っているミズノとかは反発力をいじっていないと言っておりますがヤクルトの飯田コーチは「去年よりは飛ぶね」とコメントしており、どっちを信じるかって言ったら私は元ヤクルトファン(現ソフトバンクファン)なだけに飯田を信じます。

 ただこの変化は正直な所、一プロ野球ファンとしては歓迎したい気持ちです。やはりホームランがあると試合も華が咲きますし、去年と比べて今年はホームランが多い分、終盤で逆転する試合もあってみていて面白い気がします。ただ少し気になる点もあるというか、これは先週に友人とも話したのですが、巨人はビジターだとあまり得点しない癖に何故ホームの試合だとああも大量得点になるのか、WBCの最中に桑田氏が「ドームラン」という言葉を使ったことといい、なかなかミステリーです。

また愛知で立てこもり事件(;゚ Д゚)

刃物男、屋根に逃走=知人女性連れ―愛知・稲沢(時事通信)

 愛知県の稲沢市でなにやら、立てこもり事件が現在進行で起きている模様です。幸いというか今のところ誰かが人質にとられているようでもなく死傷者もいないようなのですが、不謹慎と言われること覚悟で述べると、なんで愛知県はこうも立てこもり事件が多いのか本当に不思議に感じます。

名古屋立てこもり放火事件(Wikipedia)
愛知長久手町立てこもり発砲事件(Wikipedia)
愛知・豊川の信金立てこもり:被告に懲役9年 「動機は顕示欲」−−名古屋地裁支部判決(毎日新聞)

 上記の事件はすべて近年に愛知県で起きた立てこもり事件ですが、一番上の「名古屋立てこもり放火事件」は2003年、「愛知長久手町立てこもり発砲事件」は2007年にそれぞれ起きたもので、最後の事件は記憶している方も多いことでしょうが昨年11月に愛知県豊川市の豊川信用金庫蔵子支店で起きたものです。最後の事件については何気にちょうど先週、犯人に対して懲役9年の判決が下りておりタイムリーな感じがします。それにしても、わずか10年で4件も起きてるんだなぁ……。

 別に私は愛知県に対して悪く言うつもりはなく、変な悪感情も持っておりません。むしろ日本全国を左遷され続けたうちの親父が最後に辿り着いて今も住んでいる場所であるだけにほかの地域よりは愛着を持っているつもりなのですが、それにしたって何故こうも立てこもり事件が何度も起きるのか、そろそろ犯罪心理学者はここの地域性とかを真剣に検証した方がいいような気がします。
 何か愛知県民を立てこもりに駆り立てる習慣とか文化があるのだろうか(; ゚д゚)

2013年4月15日月曜日

韓国の近現代史~その十、シルミド事件

実尾島事件(Wikipedia)

 今日は多分知っている人も多いであろう、シルミド事件について取り上げます。

 前回の記事で私は、金日成が朴正煕を暗殺するために工作部隊を送ったという事件を取り上げましたが、この事件を受けて暗殺されかかった朴正煕は非常に激怒し、報復として金日成暗殺部隊を創設することを決断します。この部隊こそ事件の主人公である「684部隊」で、高額の報酬を条件に民間から目的を知らせずに1968年に31人の隊員が集められ、仁川近くの実尾島(シルミド)にて訓練が行われました。

 この時の訓練は非常に過酷だったと言われており、3年後の1971年に至るころには訓練中の事故で7人が既に命を落とし24人にまで減少しておりました。それほどまでの訓練に耐えながらも、684部隊にはなかなか金日成暗殺作戦の命令が下らなかったのですが、その背景にはこの時期に韓国の外交方針が南北融和に傾いており、過激な軍事行動を慎む空気に変わっていたからです。

 そのような中で684部隊に対する待遇も徐々に悪くなり、具体的に何がきっかけだったかはまだはっきりしていませんが、大統領に直訴する意見があるという主張の下に隊員らは教育係を殺害。そのまま島を脱出してソウルへと潜入します。ソウルでは公共バスを乗っ取り大統領のいる青瓦台を目指しますが途中で警官、軍の攻撃を受け頓挫。多くの隊員は銃殺されるか、手りゅう弾で自爆しましたが4人の隊員は生き残り、その後に軍事裁判を受けて全員洩れなく死刑を受けております。

 この事件は表沙汰に出ると軍の威信にも関わることから長らく秘匿され続けておりましたが、2003年に題材にした「シルミド」という映画が公開されたことから市民間でも認知が広がり、これに応える形で政府も情報の公開を始めたそうです。なお映画中では蜂起に至るきっかけとして、用済みの部隊そのものを抹消というか、隊員全員を秘密裏に軍が抹殺しようしたためと描いております。

 この事件に対して私からも批評をすると、金日成を暗殺するために育てた部隊が逆にソウルを襲撃することとなり、非常に皮肉な結果になったとしか言いようがありません。それと同時に、この時代は暗殺者が国境を越えて飛び交うという、本当にゴルゴ13の様な世界があったのだと軽いインパクトを受けました。

スピリチュアル体験録

 気の置けない友人がある日、っていうかちょうど一週間前に「君も言ってきたらどうだ」と言ってあるサイトを見せてきました。その友人の言葉に従い先週、運勢判断と言ってはなんですがスピリチュアリストにひとつ見てもらってきました。

 私が訪ねたスピリチュアリストはその筋(?)では有名な人で、MyNewsJapanの編集者の面々が「本物のスピリチュアリストっているのかよ」という目的の元で取材した内容を収めた「第2の江原を探せ!」という本でも取り上げられており、5人の編集者が全員揃って「この人には何かしら、言葉で言い表せない能力がある」と太鼓判を押した人です。別に隠すほどでもないのだから名前を明かしてしまうと荒川静氏という方で、本人曰く「大阪のオバちゃん」に恥じない気さくな感じの人でした。

 一体なんでこの人を訪ねようと思ったのかというと、まず紹介してくれた友人がこれまでに荒川氏のセッションに2回も訪ねており、「あの人は確実に何か持ってるよ」という感想を述べていたからです。仮にこの友人がなんでもかんでも信じちゃうような人物でしたら私も胡散臭く感じたでしょうが、実際にはこの友人は非常に疑り深くかつ世の中に対して斜めに構えてるような、敢えてガンダムにたとえるとカイ・シデンみたいな友人で、彼が言うのだから相当なんじゃないかと思うのと同時に、上記の「第2の江原を探せ!」(この友人が貸してくれた)でも編集者5人が5人とも初対面じゃまず知り得ないパーソナリティを看破されされており、どんなものなのかと前からちょっと興味がありました。

 そんなわけで早速30分/1万円コースのセッションを予約し、先週の火曜日の夜に東京都青山にある荒川氏のセッションルームへ訪れました。門を開けてくれた荒川氏は非常に話しやすい感じの人で、予約していた者だと自分が名乗ると、「えっ、花園さんってアナウンサーみたいな仕事?すごい丁寧で通った声をされてらっしゃる」と言われました。これなんか知ってる人には早いですが、自分はかなり特徴的な発声の仕方をしていて大学時代も、「教室のどこにいても花園君の声はすぐわかる」と言われるほどだったのですが、初対面で直接アナウンサーなのかと尋ねられたのは今まであまり経験がなく、ちょっと新鮮に感じました。
 もう少しこの時の雑談を続けると、「こういう声しているのでよく戦場カメラマン(本人からはわからないがああいう感じの話し方らしい)のモノマネを強制されます」と自分が伝えると、「そうねぇ、私はさすがにイナバウアーしろとは言われないけど」と咄嗟の返しがよく利いてました。

 話は本題に入りますが、早速セッションを開始し、まず自分のオーラの色を見てもらいました。荒川氏によると人間のオーラは個別に約10種類の色に現れ、その色でその人の個性がある程度見えてくるそうなのですが、見てもらった次の瞬間、「えっ!?ちょっとまって!?」と言われ、もう一回見直された結果、「花園さんは意外ですけど、オレンジ色の範囲が広いです」と言われました。
 荒川氏によると、自分のオーラはまずオレンジ色が広く広がっており、体の周囲に少しだけイエローが出て、またオレンジの付き添うような感じでラベンダー色も出ているそうです。この時の私のイメージは三色アイスで、自分のことながらなんかバランス悪そうだなとか思ってました。それで各色の特徴はというと、


オレンジ:変わり者。ほかの人が興味を示さないものに対して強い興味を持つなど知的好奇心が強い上、チャレンジ意欲が高くリスクを好む傾向がある。

イエロー:陽気。ムードメーカーであるがやや子供っぽく、また好きな人と嫌いな人に対する意識の差が激しい。

ラベンダー:夢見がちな空想好き。気持ちがポジティブな時とネガティブの時の差が激しく、極端から極端に走る傾向がある。


 多分、直接私のことを知っている人間が以上のオーラの色の判定を読んだら、「よく当たってるじゃん」と思うことでしょう。正直に言って自分の性格を言い表すと、割と上記の判定通りになると私自身も思います。

 その上で細かい自分のパーソナリティを聞いてみると、やはり圧倒的にオレンジ色の影響が強いそうです。元々、このオレンジ色が出ること自体が非常にレアらしいのですが、私の場合は外見が非常に大人しそうに見えるため、とてもリスクを好むような変人に見えなかったこともあって解説に入る前に荒川氏も「当たってるかどうかちょっと自信ないのですが……」と言っていました。ただ自分の見方とも一致していると話すと、「前にもとても地味な外見の女性にオレンジ色が見えたのですが、趣味はと聞くとハングライダーと答えられ、やっぱりオレンジの方って外見と中身が一致しないことが多いのかもしれません」と話してました。

 こうしたオーラの色の解説をしてもらった後、今度は魂の輪郭というかともかくそう言ったものを見てもらいました。それによると私の特徴としては、まず頭の回転が異常に早いところがあって知力に関しては文句なしに抜群であるものの、かえって理解が早いせいか勉強とかしていても「苦労して理解できたぞー」というような快感が余り得られないところがあり、持続的に物事を続けることが出来ない傾向があると判定されました。人付き合いに関しても同じ傾向があり、少し話した段階で気の合う人、気の合わない人を自分の中で判定し、後者とはその後は接触を避けようとすると言われました。多分友人とかは今頃、「この人、花園君のことよくわかってるじゃん( ・∀・)」とか思ってることでしょう。それくらいなまでに私自身も一致している気がします。

 ここまでの解説を受けた段階で、では今後の自分の人生で課題は何かと尋ねたところ、一つとしては持続力をもっと高めること、そしてもう一点、自分の才覚を如何に伸ばして発揮するかと言われました。これはオレンジ色の人間の特徴でもあるそうなのですが、荒川氏によると私にはクリエイティブな才覚が非常に高いものの、自分自身ではその才覚を発揮させ辛いそうです。そのためこれからともかくいろんな人間に会って、その才覚を理解して活躍する場を与えてくれる人と出会うことによってブレイクスルーが起こると指摘されました。

 そしてこれに関連することとして仕事運に関しては、「普通の会社では無理です」と断言されちゃいました。決して能力が大きく劣っているわけではないものの今の日本の企業自体に私の様な、才覚はあるんだけどちょっと不器用なタイプの人材を雇おうとする余裕がないため、まともなサラリーマンを続けるには難があるそうです。仮にバブル期であればテレビ局や広告代理店などで遺憾なくその才能を発揮することが出来たでしょうが今の時代には報われ辛いと、スピリチュアルなのにやけに現実的なアドバイスをもらいました。

 ここで私の上記セッションに対する感想を書いていきますが、はっきり言って大きな驚きは何もありませんでした。なんで驚きがないのかというと、うすうす自分でも感じていること、わかっていることを的確に突いてこられたので、「ああ、やっぱりそうなのか」と終始納得させられっぱなしだったからです。特に「普通の会社じゃ無理」というあの一言ですが、親しい友人ならまだしも初対面の人間にこうも言い当てられるものかとこれに関しては素直に驚くのと同時に、かなりきわどい言葉であるにもかかわらず迷いなく言われたという点において、やはりこの人は只者ではないという印象を受けます。
 
 このほかにも守護霊的な人の意見を聞いてもらったりしたのですがそれは割愛するとして、セッション全体に対しては満足度が非常に高かったです。先にセッションを受けた友人からすれば、やはり赤の他人にいろいろと自分の性格を言い当てられた上で相談に乗ってもらうというのは、よくわかってもらっている友人とはまた別で非常に心が安定するとのことで、私もこの友人の意見に同感です。かなりケチな性格で有名な私なのですが、荒川氏のセッションに関しては1万円でも高くないと本気で思えるほどです。

 最後に紹介してくれた友人の意見を一つ書くと、「欧米では宗教が精神面のサポートを行うが、大半の日本人はあまり宗教に頼らない。でも精神面の負担はやっぱりあるのだから、多少は怪しいがこういう占い師とかスピリチュアリストっていう人は必要なんじゃないかな」と言っており、あまり神霊を信じない自分も今回の一件では少し考えさせられました。

2013年4月13日土曜日

北朝鮮は戦争を起こすのか?

 なんかこのところ朝鮮半島に関連するものばかり書いてて食あたり気味です。かといってやる気があまりわかない今の状態でパパッと書くことと言ったら北朝鮮しかないので、パパッと開戦するかどうかについて私の意見を述べます。そもそも、パパッと言うことでもない気がするが。
 結論から述べると、北朝鮮は挑発行動は行っても自ら開戦することはありえないと思います。理由はごく単純で、戦争をするにしても物資があまりにもないからです。

 たとえばこれは中国の話ですが、中国が保有する石油備蓄量は国内消費量の約1ヶ月分しかありません。これに対して日本は約6ヶ月あり、戦闘を継続する能力で言えば圧倒的に日本が高いために中国の軍事専門家ですら「尖閣で有事があった場合、中国は日本に勝てない」とはっきり分析しており、中国も日本並みに石油備蓄量を増やすべきだという意見も出ております。

 北朝鮮が一体どれだけの石油を備蓄しているのかわかりませんが、常にエネルギー不足に悩んでいることから察するに1ヶ月、下手したら1週間も持たないのではないかと推測します。それこそ夏季であればまだいいでしょうが、冬季にでも戦争となったら暖房用燃料の供給すらままならない状況になるでしょう。
 そんな状態では戦争をやろうったって土台無理でしょうし、恐らく軍隊を展開して1週間程度で物資の底が尽き、攻撃はおろか防衛すらできなくなるのがオチだと思います。いくら狂信的な国家とはいえ、さすがにこの辺の事情というか自分たちの懐くらいは理解しているんじゃないかなぁ。

 そんなわけで、ミサイルを撃って脅すことはあっても戦争は起こさない、というより起こせないのが北朝鮮です。どちらかというと相手の政府を脅すより相手の国民を脅すことが目的で、戦争なんか起こせっこないのに「第二次朝鮮戦争が起こるのか!?」などと掻き立てるマスコミは北朝鮮に対する利敵行為だと私は思います。今に始まることじゃないけど、言うねぇ俺も。

2013年4月12日金曜日

反日ドラマに全裸女性?

 昨日までサムスンの長い記事を書いていたこともあるので今日は更新をさぼろうかなとも思ってましたが、ちょっと気になる中国ニュースを見つけたので軽く取り上げます。

抗日剧现裸体女子 网友怒斥无道德底(長江時評、リンク先は中国語)

 上記のリンク先は中国ニュースのページなのですが、どうもみんな大好き反日ドラマの撮影で全裸の女性が使われていたと誰かがブログ上で暴露し、そのシーンの写真もアップロードされたようです。リンク先のページにはその問題のシーンというか全裸の女性の後ろ姿を撮った写真が貼られてありますが、自分もこの写真をブログに上げようかと一旦迷いましたが、さすがに下品なので自粛しました。

 報道を見る限りですとこの全裸の女性が出てくる反日ドラマはまだ放送されていないようですが、ネット上に撮影中と思われる写真が出回ったことによって大きな議論となり、中国のNHKことCCTVも取り上げています。批判内容としては、重厚なテーマの反日ドラマでこのような破廉恥な場面があるなんて言語道断だとか低俗だとかいろいろありますが、それとともに反日ドラマ自体が商業主義に染まりきっており、これ以外でも粗製乱造が多いという指摘も出ています。

 リンク先の記事によると、やっぱり反日ドラマは視聴率が良く、制作費に対する利益率が200%くらい行くそうです。それだけにより視聴率を高めるために好奇的な演出も増えており、今回の全裸女性問題はその典型だという批判のされ方がされています。
 まぁこう言ってはなんですけど、中国人はやっぱりお堅いなぁという気がします。日本のテレビもさすがに女性の裸を映すことはありませんが、この問題でここまで中国人が熱くなるのを見る限りだと日本人の感覚で中国人を図ってはやはり衝突が起こるように思えます。またオチがないのですが、中国人は意外とウブだっていうのを再確認した次第であります。

  おまけ
中国オタクの女神ランキング(人民網日本語版)

 また中国ニュースですが、人民網の日本語版に中国のオタクに受ける美人ランキングがありました。このランキングの3位には楊穎(アンジェラ・ベイビー)という人が入っているのですが、その評論が少し面白いです。
新世代4大女優のトップ人気を誇る楊穎だが、その完璧すぎる容姿ゆえに、常に整形疑惑が飛び交っている。もし整形だったとしても非常に成功した整形だ
 なんていうか、中国人は極めてシュールなことを言うもんだなとつくづく思います。

サムスンと日系企業の絶対的な違い

 前回の「サムスンは何故躍進したのか」の記事の中で私はいくつかのサムスンの成功の要因を解説しましたが、実はまだ本当の核心というか重要な部分を取り上げておりません。なので今日はその肝心要な部分である、サムスンと日系企業の絶対的な違いである「国内競争の壁」を私なりに説明しようと思います。もっともこの話はサムスンというより、日系企業の多かれ少なかれが抱える普遍的な問題点ではあるのですが。

 まず何度も書いている通り、日本の家電メーカーが不振にあえぐ一方でサムスンは世界市場で好調な売れ行きが続いております。サムスンの好調の要因は第一にウォン安が続いて輸出競争力が高まったことが背景にありますが、それとともに前回に取り上げた二番手商法ことリバース・エンジニアリング、徹底した現地マーケティングを行った上での商品開発なども大きく貢献しております。
 このうち、今回私が読者の方により注目してもらいたいのは「現地マーケティングの徹底」で、これに「何故」を付けてもらいたいです。なんか今日は意識してるわけじゃないのに括弧付けがやけに多いですが、「何故サムスンは現地マーケティングを徹底するのか」という疑問を持ったことはあるでしょうか。この答えは明かしてしまうと非常に簡単で、サムスンというか韓国企業にとって商品・サービスの販売先は韓国国内にはなく海外の市場にしかないからです。

 近現代史に詳しい方なら説明はいりませんが、タイや韓国では1997年にアジア通貨危機といって通貨暴落に伴う深刻な経済危機が発生しました。今私がやっている連載でも後で取り上げる予定ですがこの時に韓国はIMFから支援を受ける代わりにその監督下に入る、つまり経済政策を一任することとなるのですが、この時に規制緩和や財閥の統廃合などと言った徹底的な経済合理化政策が取られるようになりました。この時代の呼び方は「IMF危機」、「IMF事態」などと複数ありますが、この時の政策によって韓国国内では貧富の格差が拡大、というよりもむしろ一般市民の収入が激減して生活が成り立たなくなった一方で財閥企業の売上げは増加することとなります。

 この韓国経済の変化がサムスンにどのような影響を与えたのかというと、私が見るに二つのポイントがあるように思えます。一つは韓国国内で格差が拡大して中間層がいなくなり、サムスンの販売する電子機器などといった商品を購入する消費者市場が小さくなった。もう一つは財閥の統廃合が進み、競合企業がLG電子くらいしかいなくなったという点です。この二つの韓国市場の変化によってサムスンは、国内向けに商品を開発したり、必死で売り込んだりする必要性がなくなり、海外市場で売っていくしか生存の道がなくなったように私は思います。

 必要ないかもしれませんがもうちょっと詳しく説明すると、韓国ではIMFの介入以降、国民生活は非常に苦しくなり貧しい人が本当に増えました。貧しい人相手の商売では売り上げも利益も小さく、事業を拡大しようにもやってられません。次に国内で競合企業がいなくなったという点ですが、日本みたいに家電メーカーだけでも複数ある所と違って競争相手が少ないのだから、適当に商品を出すだけで国内では売れていきます。なので国内向けに商品を開発するくらいなら、初めから海外市場向けに開発する方がサムスンにとって売上げ上昇を期待できることとなり、必然的に海外現地でのマーケティングにも力が入って各地の市場に受け入れられる商品だったり、スマートフォンのGalaxyシリーズのように全世界を対象にしたグローバルモデルの開発に力が入ってくるわけです。

 翻って日系家電メーカーの状況を見てましょう。なんだかんだ言って日本国内の消費者市場というのは世界的にも非常に大きく、お膝元の国内市場を日系家電メーカーは無視できないというか自然と目が向いてしまいます。それがどんな結果を生むのかというと、「日本市場では売れても海外市場では売れない商品の連発」という、勘のいい人ならもう浮かんでるでしょうが「ガラパゴス化」を招いてしまうわけです。
 別にガラパゴス化自体は悪いわけではありません。独自発達した商品はなんだかんだ言って面白く、性能面でも同時代の海外メーカー製を大きく上回っていることも少なくありません。しかし日系企業の明らかに問題と感じられる点を指摘すると、日本国内で売れている商品をそのまま海外市場に投入しがちなところで、このブログで何度も言ってますが日本で売れたからといって海外の消費者に受け入れられる保証もないのにやけに自信満々で投入してくる日系企業関係者を私自身が中国でたくさん見てきました。凄いのになると、日本でも受け入れられてないのに海外では受け入れられると投入してくる会社もいましたが。

 やはり海外で商品を売っていくには、現地の消費者に合わせたアレンジが多少なりとも求められます。まだ自動車メーカーはこの点を理解しており、たとえばトヨタだと国内では全く売れていない「カムリ」という車がありますが、逆に海外市場では最強の主力車と言ってもいい販売台数を誇ります。詳しく見てないけど、多分「カローラ」に次いで売れてるんじゃないかな。
 同様に日産も微妙にデザインやカラーリングを変えるなどして現地の消費者に合わせる努力が見られますし、こっちも日本じゃあまり見ないけど中国では「ティアナ」が多く走っていて「フーガ」はそんな見ません。彼ら自動車メーカーは日本で売る「国内モデル」と海外で売る「国際モデル」を明確に分けており、それぞれ別個に戦略をきちんと立てております。

 一方で家電メーカー。全くしていないわけではないのでしょうが海外向け商品開発の点ではサムスンに比べその努力は非常に劣っていると言わざるを得ません。特に劣っていると私が思うのはデザインへの注力で、サムスンがロンドン、ミラノ、サンフランシスコ、ロサンゼルス、東京、上海の海外6都市にデザインセンターを置き1000人超の人員を配置しているのに対し、日系メーカーはどうもデザインに対するこだわりが低すぎる気がしてなりません。新商品説明会でもやたら機能をPRしますが、「デザインでは一歩先を進んでいる」といったような言及はあまり見られませんし、私自身も家電量販店で日本製家電商品見比べててもうちょっとカラーリングとかこだわれないかなとこの頃疑問に思うデザインが多いです。ノートPCで言えば、台湾メーカー製の方がいい味出しているし。

 昨日に引き続き長々と書きましたが、冒頭に掲げた国内競争の壁というのは、日系家電メーカーは国内に競合企業も多く市場もあるため、どうしても国内市場向けの商品開発に意識が行ってしまうところがあると言いたかったわけです。逆にサムスンは国内には競争もなければ市場もないため、初めから海外市場向けに商品を開発してくるわけですからそりゃやはり分があるでしょう。
 じゃあ日系家電メーカーはどうすればいいかですが、言うまでもありませんが自動車メーカーのようにもっと国内と海外の販売戦略をしっかり分けることが大事で、「日本人には嫌われても外国人には大受けする商品」を作れる人材や企画をしっかり用いることに尽きます。もっとも、海外なんていいから国内だけで売ってればいいといいう戦略であるのならばそんなことをする必要もないのですが。

  参考文献
・サムスンの戦略的マネジメント 片山修 PHPビジネス新書 2011年

2013年4月10日水曜日

サムスンは何故躍進したのか

 先日に「サムスンの歴史」という記事を書きましたが今日はこの記事に続く形で、サムスンがどうして日系家電メーカーを上回るほどの成長を果たすことが出来たのか、その経営的要因を私の分析で以って紹介します。

 まず現在の消費者向け家電市場の状況について簡単に述べますが、日系メーカーに関してはパナソニック、ソニー、シャープと名立たる大企業が空前の赤字を記録するほど不振を極める一方、サムスンはスマートフォンのGaraxyシリーズが大ヒットしたことから世界のスマートフォン市場シェアでトップを握り、全体業績でも過去最高利益を記録するなど絶好調もいいところです。ただサムスンは今でこそブランド力で日系メーカーを上回る(上海の家電小売店のブースの大きさではアップル>サムスン>ソニー)実力を身につけましたが、1990年代までは安かろう、悪かろうと見られるメーカー、さらに言えば日系メーカーのダウングレードという見られ方が長らくされておりました。

   半導体事業で一躍世界メーカーに

 そんなサムスンが世界で一躍知名度を高めるきっかけとなったのは、もはやお家芸と言ってもよい半導体(DRAM)製造でした。1977年に市場に参入してから猛烈な投資を行って先行していた日系メーカーをあっという間に追いつき、1990年代においては世界市場で大きなシェアを握ります。このサムスンの半導体事業においては日系メーカーからのヘッドハンティング、要するに技術を保有する人材を囲い込んでその技術を奪った、卑怯だなどという主張がたまに、っていうか頻繁に見られます。実際私もほんの一端ではありますが半導体産業に関わった時期があってこの時代のことをよく知っている人から、某日系メーカー名の社員が土日の韓国アルバイト(技術指導)に明け暮れていたということを聞いておりますが、これを以ってサムスンが卑怯であるとはあまり感じません。むしろそうやって社員を流出させた点や、機密保持契約をしっかりと行っていたのかという点で日系メーカーに隙があったと考えるべきだと思います。まぁ後の祭りなんだけどね。

 そんな話は置いといて、半導体事業の成功によってサムスンは一躍その名を世界に轟かせましたが、コンシューマー家電ではまだまだ格下扱いを受けておりました。それらの評価が切り替わるのは2000年代に入ってからだったように私は記憶しますが、日系メーカーが強かった先進国市場ではなく、中国やインドといった発展途上国市場から徐々にシェアを広げブランド力を高めていきます。何故サムスンが発展途上国市場で受け入れられたのかというと、日系メーカーに比べて価格を抑え現地の人でも手が出しやすい商品を販売していったことが大きく、その商品開発においては「リバース・エンジニアリング」という手法が効果を発揮したと多方面から指摘されておりますが、

   リバース・エンジニアリング

 知ってる人には早いですがサムスンは韓国の水原(スウォン)市に研究開発所を設けているのですが、ここは別名「水原解体工場」とも呼ばれています。何故そんな異名があるのかというとこの研究開発所で行われていることは本当に他社製商品の解体に次ぐ解体で、部品を一点一点調べてどのような構造、機能を持っているかを徹底的に分析し、どれだけ安価な部品で代替できるか、より効率的に組み立てられるかを調べるそうです。かのi-Phoneも恐らくここで徹底的にバラバラにされてGaraxyシリーズも生まれた事でしょうが、それまでに一体何台のi-Phoneが犠牲になったのだろう( ´ー`)
 このサムスンのリバース・エンジニアリングというモデルですが、言ってしまえば過去の松下電器とやってることは同じです。他社が魅力的な新商品を開発して市場に発表するや、より安価だったり性能が少し上だったりする商品を出すことで一番おいしい消費者層を奪うという二番手商法で、これが「i-Phoneは欲しいんだけど、高くて買えないから似たようなのでいいや」という発展途上国市場で大いに受けました。また解体作業を通してサムスン自体の技術力も向上していき、その後のブランド力アップにもつながっていきます。

   徹底した現地マーケティング

 こうしたリバース・エンジニアリングモデルに加えサムスンの経営で特筆すべき点は、その徹底した現地マーケティングにあります。サムスンは毎年社員から募集を募って各地域にマーケティング調査要員を置いているのですが、そのやり方というのも「年間給与をこれまで通りに払いつつ、1年間全く仕事をさせずに現地で生活させる」という、日本の会社じゃ多分思いつかないような方法を採っております。これで調査員となった社員は本当に1年間何してもいいし、家族と滞在国で好き勝手過ごすのもアリであれば、地元の大学に入って現地の言葉を学ぶのだってOKです。ただし一つだけ厳しい条件があり、現地法人などにいるサムスン社員とは一切接触してはならないこととなっております。これは言葉などが出来る現地社員に頼らせず、部屋探しから行政手続きまで全部一人でやらなければならない状況に追い込むためと言われています。

 調査員は1年、場合によっては2年経った後に本社に現地向け商品企画案を出すよう義務付けられているのですが、これらの企画案から生まれた商品は正直に言って非常にユニークなものが多いです。私が知っているのは3種類ですがそれらを全部挙げると以下の通りです。
  1. 鍵付き冷蔵庫(インド)
  2. 音楽プレイヤー付き洗濯機(インドネシア)
  3. メッカの方向がわかり、礼拝の時間を知らせるアプリが標準搭載された携帯電話(中東)
 一つずつ詳しく解説すると、1番目はインドでは家の中に忍び込み冷蔵庫の中身を盗難する人が多くてそれの防止用として大ヒット。2番目についてはインドネシアでは選択をするのは基本家政婦で、これらの人は貧困層出身が多く娯楽と言ったら歌うことしかなく、洗濯中にも音楽鳴らして歌えるということでこれまた大ヒット。3番目に関しては言わずもがななので省略します。
 これらの商品というか機能は日本にいたらまず気が付かず、現地で生活した者じゃないと出てこない発想と言えるでしょう。3番目に関してこれは友人の証言ですが、サムスンは中東地域に調査員を派遣するに当たり、まずその調査員をイスラム教に改宗させたそうです。徹底的に現地に溶け込ませるという狙いもあるでしょうが、改宗によってその調査員はイスラムコミュニティに入り込むことが出来、現地の人脈作りにおいて大いに効果を発揮したと言われております。

 かねがねブログでも書いておりますが、日系家電メーカーはこのマーケティングという面で非常に拙いです。よく前職でも同僚と話しておりましたが、日本で売れた物を自信満々にそのまま中国市場に投入してくることが多く、一体その自信はどこから湧いてくるのかといつもみんなで不思議がってました。また以前に某家電メーカー大手の知り合いにマーケティングが足りていないと指摘すると、「うちの会社でもマーケティングの重要性は認識しているつもりだが、マーケティングを行うだけの資金的余力がない」と答えられ、この時は私もマジで怒りました。
 というのも上記のようなサムスンのやり方であれば300万円もあれば十分で、下手したら現地に留学している日本人留学生に100万円くらいお小遣い上げて報告書を書かせたってもいいのです。それすらもやらずに弱音を吐くというのはさすがに問題だと、ちょっと厳しく叱りました。

 とまぁ初めてこのブログで中見出しつけたりするなど長々と書きましたが、まだいくらか書ききれていない点があるので、続きはまた次回に書きます。先に触りだけ書くと、日系メーカーにはどうあがいても越えられない「国内競争」という壁があるのですが、それをサムスンは既に越えているという話です。

  参考文献
・サムスンの戦略的マネジメント 片山修 PHPビジネス新書 2011年

2013年4月9日火曜日

中国における環境問題、感染病に関する報道

 気づいている人もいるかもしれませんが、この頃ブログの背景イメージがコロコロ変わっております。色々試しているんだけど、どれもしっくりこないというか納得いかないというか。昔の無地の方がいいって人がいれば、ぜひコメントください。自分もそっちのがいいのかなぁとか悩んでて……。
 話は本題に入りますが、中国の赤い水が話題になっているそうです。

豚にアヒル、鶏…大量死にも「安全宣言」の中国地方当局へ不信と不安高まる(産経新聞)

 上記のニュース、というか産経はこういうのを欠かさずに報じてくるなぁとか思うんですが、このところ起きている環境関連の事件がまとめられており、その中の一つに川が赤く変色してその水を呑んだ鶏が次々と死んだ例が報じられています。
 私の中で赤い水と来ると「SIREN」というゲームに出てくる、飲んだらゾンビみたいに不死になる赤い水が真っ先に思い浮かぶのですがそれは置いといて、この問題では「小豆だって煮れば水は赤くなるだろ」という緊張感の欠片もない発言をした地方の環境保護局長が更迭されたそうです。なんでここで小豆が出てくるのかこの人の思考はよくわかりませんが、この辺の報道に関して少し思うところがあります。

 言わずもがなですが中国は日々、厳しい報道規制が置かれている国です。中央政治界の政治家スキャンダルなんて書いたらNYタイムスの記者みたいに嫌がらせさせられるし、台湾などの報道においても「台湾政府」と書いたら即アウトです。
 しかし近年は少し事情が変わったというか、私が思うに2分野に関しては報道の自由が高まってきております。その2分野というのはもったいぶらずに言うと、環境分野と感染病分野です。前者は上記の「赤い水」事件に代表されるもので、後者はこちらも今が旬な「鳥インフルエンザ」がその代表格でしょう。

 この2分野とも、海外メディアだろうが国内メディアだろうが好きに書いていいし、対応が遅れていたら小豆発言で更迭された局長のように自由に批判しても許されます(さすがに中央批判までは許されないが)。実際に私も中国にいた際にはこの辺の問題の記事を書いてましたが特におとがめは受けず、また地元の新聞も、ほかの分野で規制が多いこともあるせいかやけに精力的に環境問題を多く取り上げていました。

 一体何故この2分野で比較的自由な報道が許されるのかというと、やはり民意が大きいと思います。どちらも一般市民が強い関心を持つ分野で、変な対応を採ったり放置したりしようものならリアルに暴動が起こります。確か去年も環境基準を満たさないのに化学工場の無理矢理建設しようとしたら反対運動が起こって取りやめになることもありましたが、中国政府もこの辺の事情を理解して中央批判にならない限りは自由な報道を認めているように思えます。

 またこちらは感染病分野に関してですが、2002年に中国でおこったSARSの感染拡大が一つの潮目となった気がします。この時はガチで中国政府は感染地域や治療状況などと言った情報を隠蔽したことから国内外で激しい批判を受けましたが、中国政府自身もかえって情報隠蔽したことによって被害を広げたと認識している節があり、これ以降は鳥インフルエンザに限らず新型インフルエンザなどの情報はまだ率先して自分から発表するようになるなど日本人として言わせてもらうと常識的な対応を取るようになってきました。

 希望的観測ですが、今後も中国国内の報道の自由はまだまだ時間はかかりますが、徐々に広がっていくと思います。なんでもかんでも自由でオープン過ぎるというのはまた問題な気がしますが、この流れがもうしばらく続いてほしいというのが私個人の願いです。

  おまけ
 最近朝日新聞読んでますが、総理就任前はあんだけ叩いていたくせに安倍首相への批判がこのところ鈍くなってきています。批判しろというつもりはありませんがちょっとこの心変わりは激しすぎるんじゃないかとツッコミたいです。それと安倍首相は折角なんだし、ココイチとでもコラボして「安倍総理の3000円カツカレー」とかいう商品を売り出したら面白い様な気がします。

  おまけ2
 局長が更迭された川の水は赤らしいですが、私に言わせると赤はまだ目に優しいです。川の水が青とか緑の場合は見ていて本当に不安になってきます。めっちゃ鮮明な色していることあるし。

2013年4月8日月曜日

サムスンの歴史

 現在やっている「韓国の近現代史」の連載を始めるに当たって友人に意見を求めたところ、「サムスンを一回取り上げてくれ」というリクエストを受けました。確かに韓国経済を考える上でその代表格であるサムスンは確かに外せない企業なのでよっしゃこいとばかりに引き受けて勉強し始めたのですが、書き始めたらそこそこの分量に行くと思ったのでこの際、連載からは独立して書くことに決めました。そんなわけでまず今日は、これまでにどのような経過をサムスンは辿ってきたのか、その歴史について解説することにします。

 サムスン、といっても実際には企業複合体なのでサムスングループは1938年、李秉喆(イビョンチョル)が大邱市で「三星商会」を設立した頃を創立期としております。李秉喆についてもう少し詳しく書くと、この人は戦前に日本の早稲田大学に留学(病気で中退)しており、二代目の李健熙(イゴンヒ)氏も早稲田大学を卒業、三代目の李在鎔(イ・ジェヨン)氏は慶応大学大学院を出ており、割かし日本の学校と縁があります。個人的には早稲田、慶応ともに派手なPRはしてないような気がしますが。

 話は戻りますが、設立当初の三星商会は雑貨など生活必需品を取り扱っていたようですが日本や中国の戦争が激しくなるなど戦時色が濃くなったことから李秉喆は家族らの避難を優先し、1942年に三星商会の経営を人に任せて疎開します。
 その後、李秉喆は日本の敗戦した後の1948年、ソウルで砂糖など生活必需品を取り扱う総合商社「サムスン物産」を設立し、しばらくは上々の経営が続いていたそうです。しかし1950年から朝鮮戦争が始まると保有していた物資が略奪されたことにより無一文となり、これまた家族を連れて非難するためにかつて三星商会を任していた人物に会うため大邱市へ向かいます。この時、三星商会を任されていた人物は健全な経営を続けており、快く迎え入れると蓄えていた大量の資金を提供して李秉喆に再起を促したそうです。こうした助けもあってサムスン物産は朝鮮戦争後に蘇り、その後は自前で製糖工場や製紙工場を持つなど徐々に財閥化していきます。

 その後、李秉喆は1969年に日本の三洋電気と提携し、テレビの生産や半導体の組み立てを行う合弁会社「サムスンSANYO」を設立すると同時に、現在のサムスングループの中核と言っていい「サムスン電子」を設立します。そして1977年には「韓国半導体」という韓国の半導体メーカー(まんまやん)を買収し、サムスングループ躍進の要因となった半導体の製造事業に着手します。この頃からサムスングループは総合商社から電子メーカー的性格が濃くなっていくわけですが、半導体事業における研究開発には投資を惜しまず、元三洋の井植敏氏によると、「日系メーカーが256KのDRAM開発に着手していた頃、サムスンは1MのDRAMに着手していた」と話しています。

 このように韓国内で押しも押されぬ大企業となったサムスンでしたが、真に国際企業となるのは2代目の李健熙氏が就任してからです。李健熙氏は三男でしたが、その才覚を父親の李秉喆に見込まれたことによって一度は後継者に指名された長男・猛熙氏を押しのけ、1987年に会長に就任します。
 結果的にはこの後継者指名は当たったと言えるでしょう。李健熙氏は会長職に就くと、国内ナンバー1企業となって大企業病に陥っていた社内に対し、「妻と子供以外はすべて変えろ」と、私なら「ペットも?」と言いたくなるような訓令を発して社内改革に手を付けます。李健熙氏は自著でもインタビューでも度々話していますが、米国のスーパーでサムスン製品が埃被っておかれていたのを見てショックを受けたものの、当時のサムスン社内は海外市場なぞまるで気にしておらず、まずは大企業病を克服しなけれならないと相当な危機感を抱いたそうです。そしてこれは私の推測ですが、国内1位では意味がなく、世界市場でシェアをとらなければならないという意識もこの頃にサムスンの中で育ったのでしょう。

 その後、アジア通貨危機の際は一時破綻寸前となるものの、この時に社内合理化を進め機器の去った後のサムスンはそれ以上の競争力を持つに至っています。ただ李健熙氏については2008年に政界などへの不正送金が摘発されて一旦は引退して息子の李在鎔氏にサムスン電子社長職を譲りますが、ここが韓国でよくわからないところなのですが「平昌オリンピック招致のために必要な人材」ってことで李健熙氏は恩赦を受けます。でもって2010年にはまたサムスン電子の会長職に復帰してます。

 ざっとこれまでがサムスンの歴史です。オーナー色の強い会社だからオーナー追ってけばそれなりに見えてくるというのが書き手にとっては書きやすかったです。で、この後の展開ですが、サムスンがどうして日系企業を現状で上回る会社へと成長したのか、その躍進の秘密について私なりの分析を紹介して行こうと思います。

  参考文献
・サムスンの戦略的マネジメント 片山修 PHPビジネス新書 2011年




韓国の近現代史~その九、青瓦台襲撃未遂事件

 前回は韓国軍のベトナム戦争への派兵を取り上げましたが、今日はその派兵を行った朴正煕大統領に対する北朝鮮の暗殺計画、青瓦台襲撃未遂事件を取り上げます。それにしてもこれから数回は全部「暗殺」が主題の記事を書き続けることになるんだろうなぁ。

青瓦台襲撃未遂事件(Wikipedia)

 先に用語を説明すると青瓦台というのは韓国大統領官邸を指します。ここを襲撃すること即ち、大統領暗殺を行うという意味になります。
 この事件は朴正煕が実権を握ってから7年後の1968年に起こったもので、北朝鮮は朴正煕大統領の暗殺を図り暗殺部隊を組織しました。暗殺部隊は31名(実際は40名ほどか)によって組織され、北緯38度の休戦ラインを突破して韓国の領域内に侵入します。しかし侵入してからすぐ、ドジと言ってはなんですが地元に住む韓国市民に偶然見つかってしまい、通報しないように脅迫した後でその韓国市民を放してしまいます。もちろんこの韓国市民は解放後、当局へ北朝鮮軍の侵入を通報しました。

 北朝鮮の暗殺部隊はその後、ソウル市内に侵入して青瓦台を目指しますが、市民の通報を受けて警戒中だった韓国軍に見つかり、市内で銃撃戦を開始します。暗殺部隊は最終的に29人が射殺、1人が自爆、1人が逮捕され、このほかにも数名が北朝鮮へ逃げ帰ったと推測されています。なお逮捕された1人は計画の全貌を放した後で恩赦を受け、その後はソウル市内の教会で牧師となったと言われています。

 この事件では銃撃戦となったことから警官や民間人の間でも死傷者が出てしまい、標的だった朴正煕大統領は北朝鮮の行動に激怒したそうです。そして報復として金日成暗殺計画を作り、後の「シルミド事件」に連なる暗殺部隊を創設することとなります。そんなわけで今回は非常に短く終わりましたが、次回は映画にもなったシルミド事件を取り上げます。

2013年4月7日日曜日

幸福の型、不幸の型

 先月に関西で友人と会った際に印象に残る言葉を二つかけられました。一つは、「なんか前にもまして歩行速度が上がってない?」というもので、ただでさえ早かった私の歩行速度が中国に行ってからさらに上がっていると指摘されました。もう一つがこの記事の主題となりますが、「なんか花園君ってさ、人間の正の感情よりも負の感情に強く関心を示すよね」という言葉でした。

 正の感情、負の感情というのは読んで字の如し、プラスかマイナス、陽か陰かという意味で、前者は人間がうれしい時や喜ぶ時の感情を指すのに対して後者は苦しい時や辛い時などのドロドロした感情を指します。友人が私に言わんとしたことは、私が取り上げる話題には人間は一体いつ、どんな時に苦しさや辛さを感じて、それがどのように嫉妬や怒りなどに発展するのかを追及することが多いのに対し、逆のパターンこと喜びや快の感情に対するメカニズムにはあまり興味を示さないということです。

 なんかこう書くといかにも私が根暗で陰険な人物のように見えてしますが、実際に前の会社で同僚に「花園さんは陽か陰かといったら明らかに陰ですね」とリアルに言われたこともありますが、多少言い訳をするとこれはなにも私に限ったことではないと思う、ってかないはずです。というのも思想家や文豪はその作品においてなにがしかの「悩み」をテーマにすることがある一方、全くないわけではありませんが「人間が何に感動するか」というテーマは前者に比べ少ないと断言できます。人間心理や思想の研究においては基本、悩むということが前提であると少なくとも私はそう思います。

 正の感情より負の感情の方が探究テーマにされやすいということは先ほどの指摘をした友人と一致し、その上で正の感情よりも負の感情の方がバリエーションが多いということもお互いに認めました。バリエーションが多いというのはそのままで、たとえば人間がどんな時に喜ぶのかという場面の数に対し、どんな特に嘆くのかという場面数は多いように思えるという意味なのですが、これについて別の友人に話を振ってみたところ、「ロシアの小説家のトルストイが同じことを言ってるぞ」という指摘を受けました。

 この指摘を受けてから調べてみたところ、私も初めて知ったのですがトルストイの名作の一つである「アンナ・カレーニナ」の中に、「幸福な家庭はみな同じように似ているが、 不幸な家庭は不幸な様も それぞれ違うものだ」という一節があるそうです。改めてこの一節を見てみると実に深く感じられるのですが、この項について後に出てきた友人と軽く議論を交わしたところ、幸福には定型があるという結論に至りました。

 この結論の意味をざっくり説明すると、人間社会というのは知らず知らずというべきか、幸福である条件を作っていってしまうという意味です。たとえば現代日本であれば、そこそこの収入があって、結婚して、健康であって、一流大学を出ていて、一流企業に勤めていて、勤務時間は適度で、子供もまともに育って、などといった幸福の条件というか型が存在し、この型に漏れること=不幸と捉えるようになってしまいます。仮に一つや二つの条件を満たさなくとも幸福感は得られるでしょうが、「完璧な幸福」には至れないでしょう。
 中には「幸福の条件なんて人それぞれが個別に作るものじゃないか」と言う人もいるかもしれません。ただ意志の強い人、周りに影響されない人であればそのような個別の幸福の条件を維持し、独自に幸福感を感じられるでしょうが、圧倒的大多数はそこまで意志が強いとは私には思えず、人間社会が作る幸福の定型に影響されてしまう気がします。

 私が言いたいことを簡単にまとめると、幸福であるとされる状態というのは多くの条件によって非常に限定されてしまう一方、不幸というのは「その他」というくくりとなってしまうため、トルストイが言ったように膨大なパターンになってしまうということです。そのため人間は、自ら幸福の型を作って不幸だと感じる人を量産していると言えるかもしれません。
 なおこの幸福の型ですが、作っているのは人間社会ですが、その中でもメディアが大きな役割を持っているのは言うまでもありません。でもそのメディアはたまにテレビなんかとかで、「苦しい家庭にあっても幸福でいっぱいの家族特集」みたいなのを組んで放送したりします。ですがとあるマンガで、
『たとえばの話だけどさあ』
『「人生はプラスマイナスゼロだ」』
『――って言う奴いるじゃん』
『エリートでも喜んだり悲しんだりするとか』
『幸福な人間もそれ相応の大変な苦労を積み重ねているとか』
『だから人間はみんな平等だって言いたいんだと思うけど』
『でも』
『「人生はプラスマイナスゼロだ」って言う奴は』
『決まってプラスの奴なんだ』
 という、なんて恐ろしいところを突くんだというセリフが載せられております。
 そこそこ有名なのでわかる人にはわかるかもしれませんが、このセリフは「めだかボックス」という漫画に出てくる球磨川禊(くまかわみそぎ)というキャラクターのセリフなのですが、自分も読んでて久々にしびれました

 この「めだかボックス」は既に出ている単行本を漫画喫茶でまだ読み終わってないのですが、ある程度読み終わったらレビューを書いてみるつもり満々です。しかしこういうセリフにいちいち反応するあたり、やはり自分は『陰』の側なのかなぁと認めざるを得ない気がしてきました。

2013年4月6日土曜日

韓国の近現代史~その八、韓国軍のベトナム戦争派兵

 前回では朴正煕政権の行った経済政策、いわゆる「漢江の奇跡」を取り上げましたが、この経済政策では日本を含む海外からの経済支援が非常に重要な要素となりました。朴正煕はこれらの経済支援を受けるため様々な外交を執り行いましたが、その中の一つとして米国向けに、泥沼化していたベトナム戦争へ韓国軍を派兵するという施策があり、この点についてちょっといろいろ言いたいこともあるので解説します。

 朴正煕はクーデターによって実権を掌握した後、1961年に米国へ赴きケネディ大統領と会っております。通説ではこの時の時点で韓国軍をベトナムへ派兵しようかと提案したとされますが、実際に派兵されたのはジョンソン大統領に変わった後の1964年でした。韓国側としてはベトナムに韓国軍を派兵する代わりに米国から資金援助を得ることが目的で、米国側としては戦力というよりも、同盟国から派兵を受けることによって戦争の正当性を高めるということが目的だったと考えられます。

 このような背景で派兵された韓国軍でしたが、ベトナムに到着するやその兵力に比して多大な活躍ぶりをみせたことにより「猛虎部隊」などと呼ばれベトナム軍側からも恐れられたそうです。派兵人数は30万人以上とされ、この兵力規模は米国に次ぐ大兵力であったことから実質主力の一翼をになったと言っても過言ではないでしょう。派兵された韓国軍兵士に対する給与は米国は支払い、また戦争に必要な軍需物資の需要が跳ね上がったことからサムスンは大宇などの韓国財閥もこの時期に急成長を果たしております。

 さてここからが本題になりますが、皆さんはライダイハンという言葉をご存知でしょうか。これはこの時に派兵された韓国軍兵士と現地ベトナム人との混血児のことを指しており、日本の中国における残留孤児問題同様に韓国への帰国、戸籍取得を認めるべきかで現在議論となっております。
 韓国に限るわけではありませんがベトナム戦争中は現地人との混血時出産が相次いだほか、兵士による暴行、強姦事件が相次いでおりました。そして、虐殺事件も同様に相次いでおりました。米軍もソンミ村虐殺事件という有名な虐殺事件を起こしておりますが、韓国軍も下記に列挙する虐殺事件を起こしております。

タイビン村虐殺事件
ゴダイの虐殺
ハミの虐殺
フォンニィ・フォンニャットの虐殺
(すべてWikipediaより、一部にグロテスクな写真が貼られているため閲覧時は注意)

 上記の虐殺事件はどれも無抵抗の村民を韓国軍が一方的に虐殺した事件とされております。これらの行為は米軍の調査によって明るみとなりましたが韓国軍側はゲリラ掃討のための正当な行為であるとして正当化し、当時の韓国軍司令官は現代においても同様の主張を続けていると聞きます。こうした虐殺行為の繰り返しに対し米軍も韓国軍を後方に移す措置などを、実行したかどうかはわかりませんが検討したとされます。

 これらの韓国軍の虐殺行為は長い間知られておりませんでしたが、1999年に韓国の新聞「ハンギョレ」が大きく報道したことによって韓国国内にも知られるようになりました。ハンギョレの特集記事は現地で虐殺事件の生存者に対しても取材が行われるなど精力的な報道でしたが、韓国国内では報道に反発する動きもあり、退役軍人らがハンギョレの事務所に乱入し備品を壊すという事件も起きています。なお、あまり言う必要もないでしょうがこれら虐殺の事実が長きにわたって韓国で隠蔽されていたのは朴正煕以降も、韓国では軍事政権が続いていたからです。

 非常に機微な内容なので詳しく述懐しますが、私個人としてはこれらの歴史事実を採り並べて韓国を批判するつもりは毛頭ありません。主張の仕方によっては「韓国は自国の虐殺事件を棚上げしておきながら日本に対して従軍慰安婦問題を主張するなんておかしい」などと言うことも出来るでしょうが、果たしてそういう逆批判をすることによって何か意味があるのかと考えたらあまりないように思います。そして何より、これらベトナム戦争中の虐殺事件について当事者であるベトナムが何か主張するならともかく、第三国である日本が余計な口を突っ込むべきではないでしょう。

 では何故この連載でわざわざ取り上げたのか。それは本当にたった一つの理由からで、もし日本がベトナム戦争中に自衛隊を派兵していたらどうなっていたのかを読者の方にも考えてもらいたかったからです。韓国以外にもオーストラリアやフィリピンなど米国の同盟国はベトナム戦争へ派兵しており、状況によっては日本も派兵していておかしくなかったと私は思います。ではなんで日本は派兵しなかったのかですが、これはなんといっても憲法9条の存在が大きかったからでしょう。
 ただ当時に日本は兵員こそ派兵しなかったものの、沖縄の米軍基地から飛び立った爆撃機はベトナムを何度も空襲しております。そのことに対して日本人は責任感を持てと言うつもりはありませんが、事実として知っておいてもらいたいというのが私の本音です。

「我が闘争」の著作権切れが間近な件

ヒトラー著書の出版禁止、著作権切れ後どうなる(読売新聞)

 ドイツでは出版禁止処分を受けており、日本でも「毛沢東語録」に並んで読書感想文の題材にしようしたら一発アウトなヒトラーの著書「我が闘争」が、もうすぐ著作権切れとなるそうです。著作権切れというと日本では「青空文庫」が有名で、著作権の切れた過去の文豪の作品がフリーで読めますが、「我が闘争」に関しては物が物だけにどうなるかが議論されており、ドイツ本国では今後も出版等を禁止するとの方針を出しているそうです。

 私自身は「我が闘争」を読んだことはありませんが、世界史の資料集に下記のような内容が引用されていたのを色濃く覚えています。
 大衆とは極めて愚鈍な集団であり、時に暴力的ともいえる強い言葉を呼びかけることによって簡単に扇動できる。
ヒトラーが演説に優れていたのは言うまでもなく、私も何度かビデオで見ましたが確かに迫力があって聞く人の心をつかむ能力に長けていたのでしょう。昔に指導を受けたことのある教師などは、ヒトラーという男は確かに問題のある人物ではあるが、あの大衆をまとめる能力については着目する価値があるとかねがね言っておりました。

 ところでこの「我が闘争」、自分も友人からリアルに「もうそろそろ自伝書いたら?」と言われるくらいみょうちきりんな飛んだり跳ねたりの人生を歩んでおりますが、折角書くんだったらこのタイトルをパロディにして「我が逃走」とかいうタイトルで出してみようかな。この手のパロディネタはよく浮かんで来るのですがいくつか挙げると、

・「我が放送」(テレビ会社のPR冊子)
・「我が包装」(製紙会社のPR冊子)
・「我が党争」(政界の暴露本)
・「我が水槽」(アクアリウム本)
・「我が清掃」(お掃除ハウツー本)
・「我が構想」(なんにでもOK)

 こんなことばっか考えてないで、もうちょっと自分の人生見つめ直した方がいいんじゃないかともよく思います。

2013年4月4日木曜日

暗殺者列伝~トーニャ・ハーディング

 このカテゴリの連載記事二発目にしていきなりネタに走りましたが、今日は覚えている人は多分ほとんどいないであろう元女子フィギュアスケート選手、トーニャ・ハーディングを取り上げます。

・トーニャ・ハーディング(Wikipedia)

 彼女はアメリカの女子フィギュアスケート選手で幼少の頃から頭角を現し、現代においてはトップ選手の間でほぼ一般的な技とはなっているものの我らが日本の伊藤みどり元選手に続き、トリプルアクセルを女子選手としては世界で二番目に成功しております。

 そんな経歴の彼女がどうしてまたこんな暗殺者をテーマにした連載にでてくるのかというと、1994年に起きた「ナンシー・ケリガン襲撃事件」がすべての原因です。ナンシー・ケリガンというのはハーディングとほぼ同時期にアメリカで活躍していた女子フィギュア選手で、名実ともにライバルでした。
 事件のあらましを簡単に説明すると、練習を終えて帰宅する途中だったケリガンは突如何者かに襲われ、ひざを強打されます。この影響で近くに予定していた大会を欠場することとなりその大会ではハーディングが見事優勝を飾ることとなったのですが、その後の捜査によってケリガンを襲ったのはハーディングの離婚した元夫だったということがわかりました。それどころかその元夫は、ケリガン襲撃はハーディングの依頼によるものだったと供述する始末でした。

 この事態に至ってアメリカのフィギュア教会もハーディング追放を検討しましたが、ハーディング自体が抗議するなどして処分は一時保留。そして事件後のリレハンメルオリンピックにハーディングはケリガンとともに出場しますが、お騒がせキャラは健在というべきかここでも一騒動を起こします。
 ハーディングはフリーの演技を開始した直後、突然リンクの上で泣きだして靴ひもがほどけた、または切れたとジャッジに抗議します。Wikipediaの記述によると当時の映像では靴ひもはしっかり結ばれており、これは恐らく出だしが上手くいかなかったことからやり直しを求めるために行ったハーディングの狂言という説を採っております。

 狂言だったかどうかは別としてハーディングのこの抗議は認められて時間をおいて再演技をすることとなりましたが結果は8位にとどまり、襲撃による怪我から見事復帰したライバルのケリガンが銀メダルを獲得したことによって明暗は大きく分かれることとなりました。
 リレハンメルオリンピック後、ハーディングは襲撃の事実をようやくというかやっと認めてフィギュア界から追放を受けます。その後は何故か全日本女子プロレスがスカウトに動いたり、同性相手に暴行を働いたり、総合格闘家としてマジでデビューしたりと話題に尽きない人生を送っております。

 正確には暗殺じゃなくて襲撃、しかも実行犯じゃなくて指示犯だけど、なんか取り上げたくてこのカテゴリで記事を書いてみました。ちなみにこの事件当時に私は小学生でしたが、誰かから攻撃を受けると、「ハーディングにやられた」などとわけのわからないことを友達同士で言い合ってました。

銀のさらのCM

 知られているかなぁとか思っていたらうちの親父が全く知らなかったので、今日は個人的に面白がってよく見ている宅配寿司「銀のさら」のCMを紹介します。



 百聞は一見に如かずなのでとやかく言わず上のCMを見てもらいたいのですが、ここの会社のCMは露骨に「ネタ」と「自虐」に走っています。多分広告代理店もびっくりな企画を通してくるのですが、度量があるというべきなのか無謀なところがあるというべきなのか、なかなかに難しいです。見ていて面白いと私は思うのですが。


 こっちのCMは最近放送されたばかりなので覚えている人も多いかもしれません。これも単純に見て面白いと評価しています。


 最後のこのCMはちょっと意表突かれました。まだ見ていない人に向かって言うと、認知症に対して非常にきわどい表現がなされているのですが、ショートストーリーとしてみるならこんな規制の厳しい時代によく作ったものだと感じさせられる内容です。
 このCMに限るわけじゃありませんが、近年の日本では認知症、知的障害者に対する表現に規制が激しく、一言で言えば「見え辛い」世の中になってきたように思えます。これは日本に帰ってきてから強く感じるのですが、電車や駅で知的障害者の方を見る時、何か異常に目立つような印象があります。こう感じる一つの要因として、テレビやお話の中で存在がないこともあるような気がします。

 逆に中国では、もちろんそのような障害を抱えた方も街中にいましたが、日本ほど目立ちませんでした。もっともその要因は普通の中国人がやたら声デカくて外だろうが電車の中だろうが、大声でしゃべっていることが大きいでしょうが。

2013年における中国の地方別の最低賃金引き上げ状況


 ちょっと調べてみたら中国各都市で最低賃金の引き上げがある程度で揃っていたので、今日は各数字を解説するとともにこれまでの賃金上昇ペースを自分の知る範囲で書いてくことにします。
 上記の表は今年に入って月額最低賃金(中国では月給、時給で最低賃金がそれぞれ分かれている)を引き上げた都市とその額を「中国新聞網」というニュースサイトが編集し、まとめた図表です。この中国新聞網というサイトは定期的にこうやって最低賃金とか住宅価格を見やすい表にまとめてくれるので、前職にいた頃もよく引用させてもらっていました。記事書く側からしたら本当にありがたい。

 それでは本題に移りますが、まず中国の最低賃金の前提をいくつか話すと、日本と同じようにこれは各都市や地方の自治体が金額を定めます。そして引き上げは年に1回だけで、時期はちょうど今に当たる、旧正月明けから6月くらいまでの間に行われることが多いです。今年もその例にもれず、上の表を見る限りだと主要都市では大体で揃っていますね。

 金額でみると上海市が1620元でやはりというか最高となっております。ちなみに今は「1元=14円」くらいがレートなので、この金額ですと「1620×14=22680」となり、日本円では2万2680円くらいとなります。
 日本円で考えるとやや心もとない金額ですが、かつての中国の事情を考えると随分と高騰したなと私には感じられます。折角だから軽く調べてみるとみずほのレポートがきちんとまとめてくれていて、これによると2005年の上海市の最低賃金はなんと690元と書かれており、わずか8年間で2.3倍にも上昇しております。あと確か2005年当時の最低賃金は全国的に500元程度だった気がするのですが、上の表を見てわかる通りにもはや4ケタ(1000元)以上で当たり前という状況で、上海に限らずどこの地方でも8年間で倍増したと言っても過言ではないでしょう。

 あと確か深圳市(深圳市は広東省内にありますが、何故か最低賃金は別枠)だったと思いますが、去年にここの最低賃金が全国で初めて1500元を突破したことで少し話題になったものの、今回の引き上げで上海市、広東省、天津市が1500元オーバーの仲間入りを果たしております。なんかこの分だと2000元オーバーもそう遠くないだろうな。
 以前の最低賃金と比べた上昇幅で見ると、各都市で2桁(10%以上)超の成長となっているのを見逃せません。特に江西省なんか太字にアンダーバー引いたけど、41.4%上昇ってちょっと急すぎないかと見ているこっちが心配になってきます。それと中国一貧しい地方と言われている貴州省も今回で1000元台に乗っかってきたことから、1000元未満の地方は今年中に確実に消え失せるでしょう。

 まとめになりますが、現在もなお中国の最低賃金上昇率は2桁ペースで伸び続けております。2012年の中国のGDP成長率は7.8%だったことから、経済規模の拡大以上に最低賃金が上昇しており、やはり政府としても格差問題の解消が重要課題だと認識しているのではないかと思えます。
 中国に進出している日系企業の視点で話すと、従業員として雇う中国人の人件費は上海市などでは2500元以上でなければ誰も集まってこない状態なので、今回の最低賃金引き上げによって短期的に賃金コストが上昇することは短期的にはあまりないでしょう。ただ事務所のスイーパーなどへの賃金額はほぼ最低賃金なので連動して引き上がることとなり、ビル管理とかそういう会社はそこそこダメージがあるかなと思う次第です。

2013年4月2日火曜日

北朝鮮の最近の挑発行動について

 コメント欄でもこの話が出てきたしそろそろまた解説を入れてもいいかなと思うのでまた北朝鮮事情について書いてみようと思います韓国の歴史の連載をやっているせいか、なんかこの問題に対する意識も自分の中で前より鋭くなっているような……


 ニュースでも報じられている通り先月に朝鮮戦争の休戦協定を白紙化すると宣言して以降北朝鮮の周辺諸国に対する軍事的挑発が活発化しておりますネット上ではこうした北朝鮮の挑発を無慈悲な○○シリーズ」という風にまとめて茶化しておりますが、私としてもグダグダ言ってないでやるならやれよと北朝鮮に対して思います。ただ北朝鮮の挑発が短期間に増加したという事実に対しては少し思うところがあり、結論をいきなり出すと、金正恩は軍幹部にいいように使われているんじゃないかとみております。

 まずこの問題で一番重要なのは、軍事的挑発を誰が主導して行っているかです。仮に金正日が生きていれば彼自身の強い意向が働いてと考えることも出来ますが既に彼は亡く、では彼の跡目として第一書記を継いだ金正恩が主導しているのかというとちょっと私の中では腑に落ちません。
 勝手な推測ではありますが、彼は第一書記に就任してまだ一年です。この段階では海外とのややこしい問題を起こすより国内統制、つまり自らの権力確立を進める段階にあるんじゃないかという気がします。しかしこのところの報道を見ていると、金正恩自身が軍事基地を視察する写真などが公開されており、あまり国内闘争に走っていないように見えます。

 これがどういうことを意味するかというと、父親の敷いたレールが盤石だったことから金正恩はすぐに北朝鮮の実験を握った、もしくは北朝鮮軍幹部が何らかの意図をもって金正恩を祭り上げ操っている、この二つのうち一つじゃないかと思います。
 素人の勝手な判断ですが、比較的若い頃から諜報部などで働いていた金正日と違い金正恩は本当にギリギリになって後継者となり、その軍歴も短いです。このような状況下で古参の軍幹部は果たしていうことを聞くのか前から疑問でしたが、このところの行う価値があるのかどうかわからない軍事的挑発を見るにつけ、金正恩は軍部をコントロールしきってないんじゃないかと強く感じます。

 じゃあ何のために軍事的挑発をするのか。仮に自分が北朝鮮軍幹部であると仮定すると、散々挑発して米軍などの介入、つまり侵攻を敢えて受け、責任をすべて金正恩になすりつける。そして自分は素知らぬ顔で戦争中に裏切り、金王朝が滅んだ後の北朝鮮で政治リーダーになる……こういうことを考えます。まぁちょっと都合良すぎる気もするけど。
 仮にこういう意図を持っているとしたら金正恩を「挑発は繰り返した方がいい」などとおだてて調子に乗らせればいいだけです。もし本当に米軍などが攻め込んできたとしたら戦後、北朝鮮は国連の監視下で暫定政府などが作られるでしょうから、そこで実権を握った後、将来的な韓国からの併合を待てばいいと思えちゃいますし。

 最後にこれも報道ベースですが、このところ北朝鮮からの脱北、それも元兵士が増えていると聞きます。中国もウィキリークスに公開された文書でアメリカに対し、「金正日が死んだらあの国はもたないから、焦るなって」と言ってたそうですが、あながち間違いじゃない気がします。

2013年4月1日月曜日

エイプリルフールに中国でしてみたいこと

 本日はエイプリルフールですが、日本なんかは大人しいものの、欧米では大手の新聞ですら宇宙人がスパゲッティを食べにやってきたなどとかなり激しい嘘ニュースをのっけてくるそうです。だからといってこのブログでもそういうエイプリルフールネタをやるというつもりはないのですが、前職にいた頃、中国でこういうことをやるとしたらどんな見出しがいいかでちょっと同僚と盛り上がりました。

 見出しをのっけるのはもちろん新聞で、中国らしくありえない見出しを書くとしたらどんなものがいいのかとそれぞれ案を出し合い、私などは「政府、民主化制への移行を決断 来年総選挙へ」という大真面目そうではあるものの有り得ない内容を出したらどうかと提案したら、そんな見出しを出したら嘘であっても即刻廃刊を喰らうとあまり評判はよくありませんでした。
 このほかには、「法輪功、活動が合法化」とか「チベット独立、政府が容認」などと、恐らく中国だと政治で冗談が言い辛いゆえかなんか政治ネタばかりが出てきました。日本を絡めたものだと、「尖閣諸島にズゴッグ上陸 日本、強硬策を展開か!?」なんて見出しで、

「魚釣島に4月1日、日本の自衛隊所属とみられる機動兵器ズゴッグ3機が上陸した。3機は現在も島を離れておらず、目的は不明。人民解放軍は対応を現在検討しているものの、現場のミノフスキー粒子が濃いことから砲撃などの手段を1両日中は行わないとの見方が広がっている。
 上陸した3機のうち1機はエースカラーの赤色をしており、シャア専用ではないかとの憶測がされている。ただ解放軍が解析した情報によると、問題のズゴッグは通常の3分の1の速度で水中を航行したとされ、情報をかく乱するためだけの塗装と指摘する専門家もいる」

 言ってはなんですが、一回でいいからこういう記事書いて載せてみたいものです。出来れば合成でもいいから写真付きで。

韓国の近現代史~その七、漢江の奇跡

 前回ではクーデターを起こした朴正煕が権力を握る過程を解説しました。そこで今回は実際の朴正煕の施政とばかりに、彼の時代に「漢江の奇跡」と呼ばれるほど急成長した韓国経済を取り上げます。

 まず初めに朴正煕についてもう少し説明します。彼は日本統治下の1917年に非常に貧しい家庭で生まれ、長じてからは3年間の教師生活を経てから新京(現在の吉林省長春市)に渡り、そこで満州国の陸軍士官学校に入りました。たまに朴正煕は「旧日本陸軍の軍人だった」と書かれていることがありますが、正確には「満州国軍人」であって自分が歴史テストの教官ならここでひっかけ問題を作ることでしょう。
 第二次大戦終了後は母国の韓国に戻り、そこでも軍人として任官を受けます。ただ一時期に南朝鮮労働党(共産党)に参加していたことがあり、軍にばれて死刑まで宣告されておりますが、当局に情報を提供することによって執行を免れております。

 こうした来歴を持つ朴正煕ですが、その私生活は清廉潔白であったことはどの研究者の間でも一致しております。死後に残された財産はほとんどなく、また変に疑われないようにと親戚関係者をソウルに一切近寄らせなかったというエピソードまであります。そうした姿勢はクーデター直後にも見られ、最高権力者に上るや反社会勢力の大規模摘発にすぐ乗り出しております。

 そろそろ本題に入りますが、最高権力者(国家再建最高会議の議長、1963年からは大統領)となった朴正煕の最大の政治課題は国内の経済問題でした。以前にも書きましたが当時の韓国は世界の最貧国の一つで、国民の生活は非常に苦しかったそうです。かといって当時の韓国には産業と呼べるものはほとんどなく、米国の通商代表団も砂糖などといった作物以外にはなにも輸出するものはないと断じております。

 このような状況下で朴正煕が取った行動というのは、海外からの経済援助をばねに投資を行うという戦略でした。クーデター直後の1961年に訪米してケネディ大統領と会い、自ら韓国軍のベトナム派兵を申し出たと言われております。実際の派兵はケネディが暗殺されジョンソンに大統領職が移った3年後の1964年ですが、この派兵によって韓国は膨大な金額の経済支援を米国から受けることとなります。
 また米国からの帰途では日本に立ち寄り、当時の池田隼人首相と会って国交正常化の交渉を始めることで同意しております。日本とは国内の反対運動を押し切り最終的に1965年、日韓基本条約を結び国交を回復しますが、この時に日本が約束した韓国への経済支援額は当時の韓国の国家予算の約3倍にも迫る金額でした。朴正煕自身は日本に対してそれほど敵愾心を持っておらず、リアリストに徹した外交を展開したと研究者の間では言われております。

 こうして得た膨大な資金を元に浦項製鉄所(現ポスコ)を創立したほか道路といった国内インフラを整備し、民間企業なども振興するなど、日本や中国と同じように国内建設によって主導する経済政策を実行しました。こうした政策の成果がわかるデータを引用すると、1961年の韓国人1人当たりの所得は80米ドルでしたが、1979年には1620米ドルと実に20倍もの成長を果たしております。また当時の経済成長は国家主導ではありましたが、この頃に韓国を代表するサムスン、そして今は亡きダエウーといった財閥も急伸し、書いてるこっちの身としても現代にようやく近づいてきたなという感じがします。

 以上のように朴正煕は国内の経済回復という大きな問題の解決には見事成功しました。にもかかわらず彼への評価は今でも大きく二分しており、というのも国内では徹底的な情報統制、政治弾圧を行っていたからです。その弾圧、検閲ぶりは徹底されており、韓国版CIAことKCIAを創設し、無実の罪で投獄、処刑された人間は数え切れるものではありません。Wikipediaにも書かれてありますが朴正煕の政治姿勢は社会主義的な要素が非常に強く、彼のバックグラウンドを見るとあながち遠い話ではない気がします。

 なお戦後直後の日本も同じように社会主義の色の強い経済政策(統制経済)を採っており、ソ連も5ヶ年計画で躍進したりお隣中国も改革・開放政策で一気に伸びてますが、案外どん底の経済状態から立て直すには社会主義経済政策に分があるのかもしれません。ある程度伸びたら使えなくなるでしょうが。

 ざっと彼の経済政策を眺めてきましたが、この朴正煕政権期のどこが面白いのかというとこうしたマクロな話ではなく、ミクロなところです。なもんだから次回はより焦点を絞り、韓国軍のベトナム戦争派兵について取り上げます。

2013年3月31日日曜日

0増5減の選挙制度改革案について

 このところ政治解説が疎かになっているので、一票の格差を解消するため現在審議されている「0増5減案」について私の意見を今日は解説します。結論から言えば次回の参議院選挙が今夏に予定されていることもあり、一時的な代替策としては現法案で問題はないと考えております。


 一票の格差問題についてはさすがにいちいち解説しませんが、今検討されているこの0増5減案が成立することによって1人の国会議員が当選するのに必要な得票数の差は前回選挙での最大2.52倍から1.998倍に縮小されるそうです。世界的には2倍以下が合理的とされているので無理矢理数字を合わせた感がありますが、既に述べているように次回の選挙も近いことですし、現状は早期にこの改革案を成立させもっと別の問題の議論に時間を投じた方がいいと私は思います。

 ただこの改革案ですが、都市部への人口集中が続いている現状からすると1.998倍の差は5年もすればまた2倍以上に開くことは確実です。そういう意味では根本的な解決に至っていないともいえ、現状はこれでいいとしても選挙の度に毎回区割りを修正するのも問題ですし、抜本的な改革案は今後も求められます。

 ではどういう風に改革すればいいのかですが、一つの議題となるのは比例代表制の議席枠です。民主党なんか比例の議席枠をもっと減らすべきだなどと主張しているようですが、小政党からしたら地方選よりも比例選の方が議席が取りやすく、公明党と連立を組んでいる自民党としても比例枠を減らしたくないのが本音でしょう。

 私自身としては現在の比例制だと政治家の新陳代謝が働かない、要するに無能な重鎮が生き残りやすいためあまり好ましく思っていませんが、地方選との二重出馬を禁止するならば小政党を生かすために存続した方がいいと考えております。となるとやっぱり地方選の区割り、または議席数を大胆に修正していくというのが無難な案といえるかもしれません。

 補足として選挙制度についてもう一点加えると、以前からも主張しておりますが現在の参議院はタレント議員が多い上に衆議院と何の差もなく、その存在意義に対し強い疑問を私は感じております。はっきり言って不要だと思えるくらいで、それであればもっと独自性の強い議員にすべきと考えており、選挙制度をこの際だから抜本的に改革したらどうかと思います。どんな選挙制度がいいのか私の案を述べると、やはりアメリカ同様に、各都道府県につき2人ずつ当選し、47都道府県だから94人が定員の議員にした方がいいと思います。

 この選挙制度の特徴はなんといっても、人口比に縛られず各地方の代表が確実に2人ずつ議会に送られてくる点にあります。言ってしまえば衆議院に比べて都市部よりも地方の意見力が強く発信されやすく、国の代表たる衆議院議員に対して地方の代表たる参議院議員という構図が出来ます。優越権はもちろん現行制度の通り衆議院が持ちますが、地方の代表者が国政の場で意見を発信しやすくさせるためにこの制度が一番ありじゃないかというのが、今日の私の意見です。


 書き終ってからなんだけど、0増5減についてほとんど語ってないな……。

2013年3月30日土曜日

暗殺者列伝~山口二矢

 このところ「暗殺教室」、「AZUMI」という暗殺に関わる漫画ばかり読んでて「暗殺」という言葉に対していろいろ思うことがあるので、実在した暗殺者を取り上げて皆さんと一緒に考えてみたくなりました。そんなわけで、「猛将列伝」に続く列伝物のカテゴリーとして今日から「暗殺者列伝」っていうのを始めます。栄えある一発目は物知りな友人も知らなくて「ヨッシャヽ(・∀・ )ノ」と思った17歳のテロリストこと、山口二矢(やまぐちおとや)を取り上げます。

山口二矢(Wikipedia)

 恐らく自分と同世代の人間はまず間違いなくこの人のことを知らないでしょう。自分よりやや年上の世代でも同じかもしれませんが、1950年より前に生まれた人であればこの名前を見るだけでピューリッツァー賞も受賞したあの写真の情景が浮かんでくるかと思います。この山口二矢がどんな人物か簡単に述べると、17歳時に当時の日本社会党委員長である浅沼稲次郎を刺殺し、逮捕後は東京少年鑑別所内で首を吊って自殺した人物です。

 山口二矢は1943年、戦後になってからでしょうが父親が自衛官という家庭に二男として生まれます。幼少の頃から軍国主義的な性格の兄の影響を受け右翼思想を持ったとされ、高校に入学後は右翼団体とも交流を開始し、高校を中退してからは正式に愛国党という党員になります。

 彼が行った暗殺は既に記してある通り、浅沼稲次郎の暗殺です。左派勢力に反感を抱いていた山口二矢は自宅にあった脇差を忍び、日比谷公会堂で開かれた自民党、社会党、民社党の3党党首演説会で壇上に立った浅沼稲次郎に飛びかかり、彼の胸を2度突き刺して暗殺しました。この暗殺時の情景はネットで検索すれば出てくると思いますが、毎日新聞の長尾靖カメラマンが見事に収めたことによって後に彼を日本人初のピューリッツァー賞受賞へと導きます。
 もっともこの時の撮影については以前に誰かが、当時はまだフィルムが貴重な時代でほかのカメラマンは演者がみんな登壇した時に撮影して使い切っていたところ、長尾カメラマンは仕事を横着していたことからたまたまフィルムを残しており、うまいこと撮影に成功出来たと書いておりました。本当かどうかはわからないけど。

 話は戻りますが、刺された浅沼稲次郎はほぼ即死で、山口二矢はその場で自決を図りますが警官に取り押さえられています。取り調べに対し山口二矢は比較的落ち着いた態度だったとされており、警察は何かしら背後に暗殺を指示した組織があるのではないかと問い詰めたものの本人はあくまで単独犯だと主張し、暗殺理由については浅沼稲次郎個人に恨みはないものの、社会党の指導的立場にいることから決行したと証言したとされます。
 そして逮捕から三週間後、山口二矢は鑑別所内で首を吊って自殺します。壁には歯磨き粉で「七生報国 天皇陛下万才」と書いておりました。こうした鮮烈な一生であったことから死後は右翼勢力に祭り上げられたそうで、未だに追悼祭なども開かれていると聞きます。

 私はこの事件を高校生の時に知りましたが、正直に言ってびっくりするような強い印象を覚えました。当時の心境を言うと、当時の自分と同じような年齢でこんな大それた事件をやった奴がいたのかと思うのと同時に、今現在イラクやアフガニスタンで起きているような政界重鎮の暗殺がこの頃の日本に起こっていたのかなどということを思ったのを今でもよく覚えています。ただ山口二矢の行動に関しては間違いなくテロそのものであり肯定する気にはなれず、尊敬とか崇望みたいな感情はついぞ覚えることはありませんでした。

 しかし、ちょっと表現し辛いのですが、尊敬や崇望はしなかったものの、少なからず共感は感じました。こう書くとなんか自分が危ない人間に思われる懸念はありますがありのままに書くと、あの時の共感は十代における思い込みの激しさや、まるですがりつくかのように一つの思想・概念に凝り固まりやすい時期だったからじゃないのかと、今現在思います。

 大分前にも書きましたが、私も中学から高校の一時期はやや表現が古いですが軍国少年っぽい思想を持ち、政治とかにも興味を持ってわかった振りして吹聴し回ってたのですが、ああいう風になるのは反抗期の影響が強い気がします。自分の周囲も自分ほど極端ではなくとも、親とか教師とか学校とか既存の概念に対して反感を持つ一方、国家とか宗教、オカルトみたいなとかく巨大で一見確固としてそうな概念に魅かれる、しかもかなり思い込み激しく傾倒するところがあったように思え、あの年代というか10代の中盤から後半ってのはそういう時期だと考えてます。
 ただそうした思い込みはあくまで思い込みに留まり、実際の行動として出てくるのは中二病と呼ばれる痛い行動程度なのが一般です。それだけに、暗殺というとてつもなく恐ろしい事を本当に実行してしまったという点で、高校生の自分は山口二矢に対して感じるところというか、自分みたいに妄想だけで実行しない臆病者とは違うんだなと思ったのでしょう。無論、そんな臆病者で自分はよかったと、年を食った自分は思うわけなのですが。

2013年3月29日金曜日

日本人女性の化粧技術は世界一ィィィィ

 無駄に見出しをジョジョ風にしましたが、特に意味はありません。じゃあなんでしたのかっていうと、なんとなく書く話題にジョジョっぽい雰囲気が合いそうだなとか感じたからです。

 唐突ですが私個人の実感として、日本人女性の平均的な化粧技術は真面目に世界一、少なくともトップクラスにあると思います。一体なんでこう思うようになったのかというと、このブログで何度も出てくる上海人の友人が、「日本の女の子はみんな化粧が上手い」と言った一言からでした。改めて言われてみると、中国の街中を歩いている女性はみんな化粧っ気が少ないように思え、化粧をしている女の子も、「なんかメイクの仕方間違ってない?」と男の自分ですら思うほどなってなかったりします。

 では女性の目から見たらどうなのか。前の会社にいた頃に日本人女性の同僚にも聞いてみたところ、「確かに中国の街中を歩いていると、素材はいいのにと思う女の子が多い」と話し、化粧技術が日本人に比べて大きく劣り、ちょっと弄ればグッと良くなると他人でありながらよく思うと話しておりました。
 ぶっちゃけた話、日本と中国以外で女性の化粧技術の差にそれほど着目しているわけじゃありませんが、留学中に見た多国籍の女子学生を思い出すにつけ、確かに日本人女性は化粧が上手いなという気はします。一体なんで日本で発達したのかは資生堂あたりに聞いてもらいたいものですが、一つの日本人女性の特徴として覚えておくと面白いかもしれません。

2013年3月28日木曜日

現在と未来の優先順位

 このところよく考える哲学テーマの中の一つに、未来に対する価値観というものがあります。未来といえば現在より時間が進んだ先の状態、ということには間違いないのですが、その未来をどのように捉えるかでこのところ、というか中国に渡ったきた辺りから価値観が変わってきました。

 まず前提として、多かれ少なかれの日本人は将来、10年先とは言わずとも2~3年先くらいの自分の未来がどのようにあってほしいのか、どうあるべきなのかという予測とも希望ともいう漠然としたイメージがあると思います。多分、高度経済成長期であれば今ほどイノベーションというか世の中の動きが激しくなかったので20年とか超長期スパンで物事を考えていた人もいたかもしれません。
 ではそうした未来の自分に対するイメージは現在の自分にどのような影響を与えるのか。改めて考えるといろいろあって、たとえば将来の仕事に必要だからと思って実行するかどうかは別にして英語を勉強しようと考えたり、資格取得を目指したり、生活に根差したものなら住宅ローンを組んだらどうだとか、組んでいる人はいつごろに返済するかとかそういうものを逆算して現在の収支を組んだりなどするかもしれません。こうした見方からすると、未来に対するイメージは長ければ長いほど、確固としていれば確固としていた方がいいようにも見えます。何故なら、現在の行動の方向性が掴みやすいからです。

 では現代人は自分の将来像をしっかり持った方がいいのか。ここまで書いておきながらですが、私はこの見方に対して異を唱えます。つまり、自分の将来像を固めすぎるとあまり良くないと言いたいのです。
 一体何故こんな風に言うのかですが、単純に現代社会は未来がほとんど読めないからです。恐らく就職活動をする学生さんは応募する企業に対して多少なりとも将来性を考えるでしょうが、5年前に日系メーカーとしては一番勢いのあったシャープが現在では青息吐息な状態であるなど、 現代社会はとにもかくにもイノベーションが激しく、今後も更に加速して行きかねません。それ故にうまくいけばめっけものですが急なトラブルというか方向転換を迫られる事態に巻き込まれた場合、 自分の将来像を固め過ぎてると返って選択肢を狭めかねず、言ってしまえば応用が効かなくなる可能性があります。

 では将来像を全く持たずにその場その場で刹那的に生きるべきなのかという声も出てきそうですが、これでは極端から極端に走りすぎです。全く将来像を描かずに「現在」しか見ないで生きるというのも自らの活躍、発展の可能性を狭めてしまいます。
 じゃあ一体どうしろってんだとそろそろ言われそうですが、結論としてはこれはあくまで日本人限定ですが、もう少し未来より現在に意識を集中して生きた方がいいのではというのが私の意見です。

 一体何故私がこんな意見を持つようになったのかというと、言ってしまえば中国での体験が原因です。中国人は概して、日本人と比べると刹那的に生きている人が多いです。10年先なんて知ったこっちゃないよと言わんばかりに勢いで行動するし、仕事も長期スパンの計画とかが苦手で面倒くさい問題は後回しというか放置(日本人も見なかったことにすることが多いが)、キャリアプランも深く考えずちょくちょく転職も実行します。
 自分も一応は日本人であるのでちょっと中国人は刹那的過ぎるかなぁとは思うのですが、その一方で日本人は長期的に物を考え過ぎるあまりに、いざ方向転換しようと思ったら時既に遅しというパターンが多すぎる気がします。中国人を見習えっていうわけじゃありませんが、今感じていること、考えていること、やりたいこと、やるべきことをもうちょっとストレートに即実行しようとしてみる方が長い目で見ると返っていいのではと思います。

 こんな風な考えを持つに至った故というべきか、未来に対する意識というか価値観が数年前と比べて何か自分の中で変わった気がします。敢えて表現するなら、以前は「出来ればこうあってほしいなぁ」という希望イメージだったものが、「現在を積み重ねた結果」と考えています。
 この辺が非常に表現しづらいのですが、以前は希望する、期待する未来のイメージに現在の自分をどう近づけるかを主に考えていましたが、今はあまりそういった未来のイメージを持たず、今現在で頑張ったり、努力したりすればいい未来に繋がり、逆なら悪い未来に恐らく繋がるだろうというようなアバウトな価値観になってます。要するに、先のことは知らないけどまぁ今目前でやるべきことをしっかりやってれば多分良くなっていく、こんな信仰です。

ホリエモンの釈放について

 このところ連載にかまけて時事ネタと中国ネタが放置に近いので、先に時事ネタとばかりにホリエモンこと堀江貴文元ライブドア社長の刑務所出所について書いてみようと思います。

 既に各ニュースで報じられている通り、一時は時の人だった堀江氏が保護観察の身分とはいえ刑務所から出所しました。各新聞、テレビは入所前の写真を持ち合わせその激やせ(30kg減)ぶりを大きく取り扱いましたが、この人は確か拘置所に一時収監、出所した際も痩せ、そしてまた太ってだったので、なんとなくリバウンドが激しい人だなぁと思いました。

 そうした外見に関する話は置いとき、出所後のインタビューでは混乱を招いて株主や関係者に迷惑をかけたと謝罪してましたが、これにはいい意味で違和感を覚えました。というのもわかる人には早いですが、堀江氏の逮捕容疑は有価証券報告書での架空計上、要するに実体のない取引でさも利益があるように粉飾したという内容でこれ自体は確かに違反背反です。しかし架空計上した金額は確か50億円程度で、言ってはなんですが微々たる金額で果たして逮捕、しかも初犯で実刑を食らうほどかとなるとアメリカさんじゃあるまいし日本の司法上では異例です。
 しかも堀江氏の逮捕後、もっと悪質な手法で金額もでかかった日興コーディアルグループの粉飾事件では逮捕者は一人も出ず、さらにオリンパスに至っては長年に渡って隠し負債があったことが発覚したにもかかわらず処分が異常に緩いという、不公平もいいところだというくらいに司法の判断が分かれました。

 上記の背景があるだけに、真に株主らを混乱に陥れたのは私は日本の司法こと検察だと私は考えているので堀江氏は別に謝らなくてもいいんじゃないのとすら思うのですが、なんか殊勝な態度を見せてきたので、年相応にこの人も落ち着いてきたのかなという印象を覚えます。まぁ最初だけかもしれないけど。

 あとこれは堀江氏が近鉄球団買収(2004年)に名乗りを挙げた際の友人の言ですが、「僕は堀江社長が近鉄の買収に名乗りを上げた事にはそんなに感じることはないんだけど、この人が宇宙開発をしたいと言っていることにはすごい共感する」と評価しておりました。それにしても昔のことを自分も良く未だに覚えているもんだ。
 今回の出所後インタビューで堀江氏は昔同様に、「これからは宇宙開発とか実験に関わっていきたい」と話しておりました。このセリフを聞いて上記の友人のエピソードを思い出したのですが、こういうところは首尾一貫しているなぁと思え、私が言うような立場ではないのでしょうが、堀江氏には是非その方面で活躍してほしいと密かに思います。

2013年3月27日水曜日

韓国の近現代史~その六、朴正煕のクーデター

 この連載も個人的に書いてて楽しいところまでようやくたどり着いた気がします。そんな今回はある意味で今ホットというか恐らく韓国史を扱う上で最重要人物の一人である朴正煕の政治界デビューこと、5・16軍事クーデターを取り上げます。

5・16軍事クーデター(Wikipedia)

 最初に前回までのおさらいをします。前回では韓国の初代大統領、李承晩が朝鮮戦争を経た後も自身の地位保全のため選挙妨害などを行うなどしたことからデモが起こり、1960年に退陣して亡命するところまで書きました。
 李承晩の退陣後、韓国では尹潽善(ユン・ボソン)という初代ソウル市長でもある民主党最高委員が二代目韓国大統領として就任しました。ただ李承晩の後に改正された韓国の憲法では大統領にはあまり実権がなく、政権はむしろ首相であった張勉という人物が運営するような形でした。この時期の韓国政界の特徴としては、ほかの時代や国でも同じですが、共通の敵(=李承晩)を打倒した後というものは主導権争いこと内紛が起こるもので、韓国でも与党である民主党内部で激しい内紛が起こり政局は安定しませんでした。また本来協力し合わなければならない大統領の尹潽善、首相の張勉の二人の関係もしっくりと行かず、こうした状態に懸念を持つ勢力が出てきたということです。

 その懸念を持った勢力こそ、ほかの何物でもない軍部で、1961年には後に大統領となる朴正煕ら韓国陸軍士官学校8期生を中心に軍事クーデターが実行されます。
 彼ら軍部がどうしてクーデターを引き起こしたは色々な要因がありますが、Wikipediaに書かれている内容を抜粋すると以下の通りとなります。

1、自由党政権を引き継いだ民主党政権の政治的無策と党内抗争
2、民主的改革に対する民主党の曖昧な態度、経済状況悪化[2]に対する国民の不安の高まり
3、学生や革新政党を中心とする民主化運動と「行こう!北へ!来たれ!南へ!会おう板門店で!」をスローガンとした統一運動の高まりに対して軍部が危機感を抱いた。
4、分断の固定化と朝鮮戦争によって肥大化した韓国軍では軍人事が停滞し、それによって進級が進まなかった下級将校に不満が蓄積されていた。
5、不正腐敗を働いた高級軍人を追放するため下級将校によって進められた「整軍運動」が失敗し、運動の首謀者が追放されそうになっていた。

 1~3までが社会的背景で、4~5が直接的要因と書かれてあります。私個人の意見としてはやはり4番の理由こと、出世要因が最も大きいとみます。軍人というのは基本、戦争がなければ飛び抜けた実力、才能があってもなかなか出世しづらい職業です。それ故に平時は官僚同様に年紀で昇進するわけなのですが、上記にも書かれている通りに何かの拍子で軍人が余っちゃうと途端に出世が遅れ、8期生とか11期生とか、士官学校の卒業年代別で階級に大きな隔たりが生まれます。それ故に軍隊というのは世代間対立が激しい所で、戦前の日本で起こった皇道派、統制派の対立も突き詰めると世代間対立が原因で、最終的に二二六事件にまで発展したことを考えるとこのクーデターもそう言った対立の延長かなと思ってしまいます。

 話はクーデターに戻り、当時少将だった朴正煕を中心とした8期生の将校らはデモ鎮圧を口実に出動し、そのまま国会やテレビ局といった国家の主要施設の占拠に成功します。驚くべきはこの時のクーデター実行部隊兵数で、わずか5000人にも満たない兵力だったそうです。
 何故それだけの兵力で国盗りが見事に成功できたのかというと、一つにソウルの主要施設をすぐに占領できたことと、軍部の長老の懐柔にうまく成功できたという二点が挙がります。後者の軍長老の懐柔ですが、要するに身の安全や今後の保証を約束した上でクーデターの正当性を認めさせたということなのですが、実際にはこの約束は反故にされてクーデターの成功後、軍の長老らはみんな放逐されております。

 また成功要因としてもう一つ、権力保持側である政権がほとんど抵抗する姿勢をみせなかったということもあります。クーデター開始後、時の首相の張勉は女子修道院に隠れ姿を見せず、大統領の尹潽善もクーデター実行部隊側の要求を聞き入れて非常戒厳令を追認しております。こうした二者の行動に対して批判する声もありますが、当事者としては命にかかわる事態だっただけに私としては批判する気はありません。

 こうして権力を握った朴正煕は国家再建最高会議を組織し、自らが議長に就任。反対デモなどを武力で抑えて軍政を展開します。こうした事態に対して米国こと在韓米軍は、クーデター直後は尹潽善にクーデター軍鎮圧のため軍隊を出すべきだと進言しますが内乱を過熱化させるとして尹潽善は拒否します。そうこうしているうちに米本国は、当時はケネディ政権でしたが朴正煕政権を追認し、朴正煕もこれに応じる形で訪米を果たしております。
 この時の米国の追認ですが、背景にあったのはベトナム戦争だと私は考えています。既に米国はベトナムへの干渉を行ったものの事態は泥沼化を辿っており、下手に手を突っ込んでグダグダになるくらいなら、政権移行がスムースに行くようであれば追認してしまおうと考えたのではないかと思います。どうでもいいですが、日本ではケネディはベトナムからの撤退を準備していたという神話が流れておりますが、ベトナムを泥沼化に追い込んだのはほかならぬケネディでしょう。

 そういうわけで次回は、軍事政権を経て大統領に就任した朴正煕の施政を解説していきます。

2013年3月25日月曜日

日本語表現でこの頃感じること



 いきなり妙なマークから書きだしましたが上記の記号は日本人なら言わずと知れた温泉地図記号です。なんでこんなマークを引っ張り出してきたのかというと、今日買って読んだ「日本人の知らない日本語3 祝! 卒業編」にてロシア人留学生がこのマークを、「おんせん」と読む漢字だと誤認していた書かれていたからです。ちなみにそのロシア人はこれが漢字じゃないと知って、やけにショックを受けたそうです。

 言われてみると確かにこのマークは漢字っぽく見えるし、「温泉はこの一字で表せる」とか言ったらなんとなく信じちゃいそうです。それ以外にもこの漫画では、社長や先生といった役職が宛名に付く場合には「様」を付けないが、どうして時代劇では「お館様」と呼ぶのか、日本人が聞いても考え込みそうな内容が書かれてあって、物事は見方だなぁとつくづく感じさせられました。

 ここで話は変わりますが、実は最近自分の中でもある比喩表現を今後も用いるべきかと悩んでいるものがあります。サッとあげちゃうとその比喩表現とは「彗星の如く」という表現で、一般的には突然現れた時に使用し、対象も物体というよりは人間(人材)などに用います。
 この「彗星の如く」、こういってはなんですが結構お気に入りでした。よく使われるのはアイドルやお笑い芸人など突然売れ始めた人に使われるのですが、アイドルなどをよく「スター(星)」と表現することもあり、このスターと彗星が意味的にもマッチしていて他の人は知りませんが私個人にとっては何とも言えない組み合わせに感じます。

 では何故この表現に今更疑問を持つのかですが、一言で言って「今時、彗星が飛んでくる時刻はほとんど予想されてるじゃん」という点に尽きます。いわば東條が予想されているものに対して突然現れたかのような比喩表現は如何なものかと思うわけです。
 かといって、じゃあほかに何か突然現れた際の比喩表現はあるかとなるとパッと出てきません。改めて考えてみると、意外と「突然」という表現は難しいものがあります。そんなわけでまたオチが弱いですが、日本語って難しいねというのが今日の私の意見です。

  おまけ
 「トラの威を借るキツネ」という比喩表現がありますが、これの応用として「ジャイアンの威を借るスネ夫」という表現がたまに散見し、自分でも使ってみたいなぁと日々感じます。

  

2013年3月24日日曜日

韓国の近現代史~その五、李承晩

 このところテンションの上がらない状態が続いておりますが連載再開です。自分でもメンタル弱いのかなとか思ったりしますが、別の見方をすれば今の状態でもブログ更新続けてるのだからもしかしたらタフな方かもしれません。それにしても、ああしんど……。

李承晩(Wikipedia) 

 今日取り上げるのは韓国の初代大統領の李承晩(イ・スンマン)です。彼の来歴を王と共に健康書記の韓国の動きを解説します。

 李承晩は朝鮮半島が日本の植民地だった頃からアメリカに渡って独立運動をしており、1919年に上海市で大韓民国臨時政府が結成されるとこの機関の大統領に就任しております。
 もう少しこの臨時政府について説明すると、要するに日本統治下の韓国の政府機能を認めず、こっちが本流だとばかりに作られた仮の政府です。二次大戦中の仏亡命政府と比べるとあまり国際的な承認を得られませんでしたが、この時の臨時政府跡は今でも上海市、それも観光地である新天地という場所の近くにあって行くつもりはないのしょっちゅう目の前を通っておりました。

 このように独立運動を続けていた李承晩たちでしたが、最終的には日本が二次大戦で敗戦し朝鮮半島の南半分を占領した米国によって与えられる形で独立を回復します。それまで海外で活動していた李承晩達も帰国して政府の設立準備を始めますが、その他多くの国同様に指導者間で徐々に主導権争いが活発化していきました。
 この主導権争いで李承晩は、左派と右派を統合した幅広い政権作りを考えていた呂運亨に対し、米国が望む左派の徹底的弾圧を掲げたことによって米国の支援を受けるようになり、徐々に主流派となっていきました。こうした中で1948年に行われた第一回総選挙では様々な選挙干渉を行った上で李承晩率いる韓民党は勝利し、李承晩も初代大統領に選出されることとなりました。

 ここまで見れば混乱期に紛れうまいこと大統領になれたというサクセスストーリーですが、先に私の評価を言ってしまうと、李承晩は韓国の内政にはあまり興味がなくどちらかといえば自身の権勢を大きくすることばかりに腐心した節があり、それがため現在の彼への評価もそれほど高くありません。
 そうした姿勢は大統領就任当初からもう見え始めており、李承晩は大統領に強い権限を持たせる大統領制を強く主張したのに対し与党の韓民党は議院内閣制を主張し、議会と激しく対立するようになります。こうして国内の政治闘争に明け暮れていた1950年には北朝鮮が南進して朝鮮戦争が開戦するのですが、この間も米国の方針に逆らって勝手に捕虜の処置を決めたり、休戦条約への署名を拒否したりと、一言で言えば国家元首として如何なものかと思う駄々っ子ぶりを発揮しております。面倒くさいのでここではやりませんが、現在の竹島問題に連なる「李承晩ライン」を引いたのも朝鮮戦争中です。

 そんなかんだで1953年に朝鮮戦争が休戦し、翌1954年は李承晩の大統領任期を迎えます。当時の憲法では大統領は二期までとなっており李承晩は強制的に退任させられるはずだったのですが、「初代大統領に限って三選禁止規定を撤廃する」という自分にだけ都合のいい改憲案を突然出してきました。この改憲案は改憲に必要な3分の2に当たる135票まで1票足らずで否決されるのですが、「四捨五入を用いれば135票であり、改憲に必要な3分の2を超えている」として、ジャイアンもびっくりな思考転換を図って無理矢理可決させてしまい、そのまま大統領の座に居座り続けました。
 もうこの頃には韓国国民も李承晩に対してほとんど支持してなかったようですが、選挙の度に露骨な妨害工作を行い、政敵だった曺奉岩に対してはあらぬ罪を着せて処刑までかますというなりふり構わない手段をとるようになってきました。現在に至っても李承晩の枕詞に「独裁者」とつくのはこうした所以でしょう。

 ただそんな李承晩にも終わりの時が迫ります。1960年の大統領選挙でも再選を目指していつものように選挙工作を行っていたところ、慶尚南道馬山で反李承晩デモが起こりました。この際に行方不明となった高校生が遺体で発見されたことによってデモは瞬く間に全国へ拡大。ソウルでは186人の死者が出るほどの大混乱となったそうです。
 こうした状況を見て事実上、李承晩の後ろ盾だった米国も態度を一変。経済支援の打ち切りまで示唆されたことから、「行政からは手を引くが、元首は続ける」と譲歩する姿勢をみせましたがさすがに韓国の人ももうこの人を信用してなかったのか、完全退陣を求めデモはますます拡大していきました。

 事ここに至り、ようやくというかやっと李承晩も大統領職の辞任を発表します。辞任発表から約一ヶ月後、韓国にはとどまらず夫人と共にハワイへ亡命し、そのまま韓国には戻らず5年後に90歳で死去しました。

 先にも書いておりますが、彼の統治を見る限りどうも国を豊かにしようとかそういう情熱はあまり感じません。実際、1950年代の韓国は朝鮮戦争の影響もありますが世界の最貧国の一つで1960年代の朴正煕政権時に大幅な経済成長を果たしたことと比べるとあまりにも政治が悪すぎるとしか言いようがありません。
 にもかかわらず李承晩が政権の座に就き続けられたのは米国の後ろ盾があったからでしょうが、米国ももうちょっとマシな人物を選べよと心底思います。わかる人だけわかってくれればいいですが、李承晩はゴ・ディン・ジエムと違ってCIAに暗殺されなかっただけマシだなと皮肉っぽく感じます。

2013年3月22日金曜日

公示地価上昇の原因について

・【地価公示】今年の公示地価、全国2千地点で上昇 住宅地は復興の宮城がトップSankeiBiz


 今日はブログ更新はお休みしようかと思っておりましたが短くてもいいからちょっと突っ込んでおくべき話題が出てきたので取り上げておこうと思います
 上記のリンク先に書かれているように国土交通省はこのほど全国の公示地価を発表しどのメディアもリーマンショック以降の地価下落に歯止めがかかりつつあることや一部地域で上昇に転じた報じておりますこれら要因は景気回復兆しが出てきたためで今後も期待感が出ている……というような具合で今朝のテレビニュースでは報じておりました

 結論から言うと今回の地価下げ止まりは景況感による要素も全くないわけじゃないでしょうがそれ以上に大きいのは消費税の増税控えているというこの条件でしょう消費税が増税されれば住宅や土地取得にかかる費用も金額が大きいだけに大きく増えるため駆け込み需要とばかりに取得しようとする人が出てきているのだと思いますもちろん、これらの需要は消費税引き上げ後に一気になくなるので長期的どころか中期的に見ても日本の不動産価格は下落していくと私は予想します

 今朝のあるテレビニュースでは外国人投資家が日本の不動産割安感があり投資価値が高いなど証言した後こうした外国人による取得増えてきているなどと報じておりましたが多分こういう人たちは消費税増税前の駆け込み需要で全部売り抜くつもりじゃないかと思います逆に言うなら、目端の鋭い人たちは既に不動産を取得しており、今更買ってもちょっとしょうがないんじゃないかというのが私の意見です。

2013年3月21日木曜日

海外での人件費上昇に関する考察

 近年、中国では人件費の高騰が著しいことから中国以外の別の東南アジア諸国、具体的にはベトナムやミャンマー、インドネシアなどへ日系メーカーの進出ラッシュが続いていると報じられています。進出目的はやはりコストこと各国・地域の安い人件費にあるのですが、短期的にならともかく長期的には果たしてどうかなと少し感じるところがあるので、今日はほぼすべて私見によるオリジナルな話を展開していこうかと思います。

 まず中国の人件費が高騰していることは紛れもない事実です。この前終わっちゃったけど胡錦濤政権の後半では格差解消が大きな政治課題となっており、実際に中国国内の各地域で最低賃金の引き上げが大々的に実施され続けております。それこそ2005年ごろは500元程度だった最低賃金は現在ではほとんどの地域で1000元の大台を超えており、1500元にも達している地域も確かありました。
 こうした最低賃金の引き上げに伴い、大卒初任給も急上昇が続いております。たとえば上海市内であれは2009年は平均で約2000元でしたが、わずか3年後の2012年には約3000元に達したという調査データが出ております。ちなみに同じ調査データでは、2012年の入社3年後の社員の平均給与は約4500元、つまり3年で給与が2.5倍にまで昇給するというなんだか夢のある話も乗ってました。夢があるたって日本人からすればベースが低すぎるかもしれないが。

 このような中国での人件費高騰は大量の従業員を雇わなければならないメーカーにとって死活問題であり、より人件費の低い国や地域に生産拠点を移転しようというのもごく自然な流れといえるでしょう。中国では昨年にスポーツ用品メーカーの独アディダスが唯一の自社工場を閉鎖し、委託工場への発注も大幅に減らすなど明確な生産移転を打ち出したことが大きく話題になりましたが、日系でもこのところ「中国撤退」という言葉が出て、先程挙げた国に進出するべしという意見がよく出ております。単価の低い商品、具体的には玩具や雑貨、繊維系メーカーなどにとっては実に頷ける話です。
 ただここまで書いておきながらですが、だからと言ってすぐに中国から生産移転をしていいものか、ほかの国に生産移転すればそれで済む話なのかというと少し疑問があります。もったいぶらずに言うと、短期的には安い人件費の恩恵を享受できるとしても長期的には中国以上に急激な人件費高騰を受けるのではないか、という懸念があります。

 私がこのように考える理由は単純に、人口の違いです。言うまでもなく中国は世界最大の人口大国で、豊富な労働力を背景に世界の工場として君臨するに至っております。その中国ですらこの10年の間に人件費が大きく上昇したのが現在の状況ですが、逆を言えば人口が多い中国だからこそ人件費の上昇はこの程度にとどまっていたのでは、具体的には賃金の上昇スピードはまだ緩慢だったのではないかと私は見ております。それこそ、中国ほどではなくともインドネシアなどの国に外資メーカーの進出が相次いだら2~3年という短い間に賃金が2倍、3倍と上昇していく可能性がある気がします。
 参考までにアジア諸国の人口統計を下記に記載します。

中国:13億5300万人(2012年)
インドネシア:2億2900万人(2008年)
日本:1億2600万人(2012年)
ベトナム:8400万人(2008年)
ミャンマー:5000万人(2008年)
※すべてWikipediaより引用

 見てもらえばわかる通りに、ベトナムやミャンマーは中国どころか日本以下、インドネシアはまだ日本を上回っているもののそれでも中国からすれば六分の一程度です。アジア域内で中国に互す人口を抱えているのは唯一インド(11億9800万人)がありますが、インドへの進出はその治安、インフラの悪さに加えカースト制度や宗派対立があるためその苦労は並大抵じゃありません。それだけに向こうで頑張っているスズキは本当にすごいと思うんだけど。

 国にもよるでしょうが、外資メーカーの進出ラッシュが起こることによって今の中国みたいに人手不足がすぐ発生するように思えます。そして不足する人手をかき集めるため人件費も高騰、それに合わせて最低賃金も引き上げへ、この辺の上昇ペースは相当急だと思います。これらの国へ進出するのは日系に限らずさっきのアディダスのように独系、米系もいるからです。
 仮に賃金がこれから急激に上昇していくことも織り込み済みで中国以外の国へ進出するというのであれば問題ないでしょうが、この点を見落とす、現状の人件費水準だけに着目して進出を決め、工場を設立しても投資額を果たして回収できるのかという懸念を覚えます。それであれば既に人件費は高騰しているものの圧倒的な人口を背景に巨大な国内市場を持つ中国に留まるという選択肢も、商品やサービスによってはありじゃないかと個人的に思います。

 今日ここで書いた話は私の完全オリジナル、というか思い付きの話であるため具体的な根拠性についてはやや乏しいです。むしろ問題提起するという意味で書いているので、意見がある方などはどんどんコメント欄に書いていってもらいたいです。
 ちなみになんでこんな話を思いついたのかというと、2005年に出版された中国関連の新書を読んでて当時の人件費が500元前後と書かれてあったのを見てビビッと来ました。我ながら妙なところに反応する傾向がある気がします。

2013年3月20日水曜日

韓国の近現代史~その四、朝鮮戦争 後編

 大分日が空いてしまいましたが、前編に引き続き朝鮮戦争の経過とその結末について書いていきます。前回では北朝鮮の急襲によって米韓側は一時追い詰められたものの、起死回生の仁川上陸作戦の成功によって北朝鮮に対し米韓が逆王手をかけるに至ったところまで解説しました。この時の北朝鮮側の支配地域は元山市に限定されており、誰もが「朝鮮半島の統一は間近」だという風に考えていたでしょう。

 こうした状況下、北朝鮮と国境を接する中華人民共和国では救援(参戦)するべきか否かで大きく揉めておりました。当時の最大権力者と言ってもいい毛沢東らは参戦に積極的でしたが、多くの人民解放軍幹部はWikipediaにも書かれている通りに反対しており、その反対理由をそのまま引用すると、

1、中華人民共和国の所有する武器では、ソ連の援助を得たとしても、アメリカの近代化された武器には勝ち目が無い
2、長年にわたる国共内戦により国内の財政も逼迫しており、新政権の基盤も確立されていないため、幹部、一般兵士たちの間では戦争回避を願う空気が強い
3、中華人民共和国建国後も中国国民党政府の支配下のままとなった台湾への「解放」や、チベットの「解放」など、国内問題の解決を優先するべき
Wikipediaより)

 3番にも書かれている通りに当時の中国は蒋介石率いる国民党との内戦に勝利したばかりで、国内の整備もまだ進んでいない状態でした。そんな最中に外征に出る余裕なぞ少なく、場合によっては米軍に中国本土への攻撃を許す口実すら与えかねない状況でもあるため、多くの幹部が反対したという理由に私は納得できます。
 最終的には「人民解放軍」としてではなく「志願軍」、つまり有志の兵隊が勝手に出向いたという形で参戦してきます。実態的には組織された人民解放軍がそのまま攻め入った形になるのですがその兵力は総勢で100万人近いという説も出ており、単独での参戦兵力数では朝鮮戦争中で間違いなく最大でした。ちなみにWikipediaによると主な参戦国の参戦兵力数を列記すると下記の通りです。

・韓国軍:約60万
・米軍:約48万
・英軍:約6.3万

・北朝鮮軍:約26万
・ソ連軍:約2.6万
・中国軍:約78万

 こうしてみると、如何に中国軍が巨大だったかよくわかります。現代にも言えますが、中国の最大の長所と短所はその膨大な人口でしょう。

 話は朝鮮戦争に戻りますが、米参謀本部は38度線を超えると中国軍が参戦してくると懸念していたようですが、実際に指揮していたマッカーサーは「そんなことはない」と主張して進軍していたほどで、恐らく参戦を予想していなかったのでしょう。それだけに突如現れた大兵力に対する備えがほぼなかったため、戦線を一気に38度線付近まで押し返されます。

 なお余談ですが、私の専門である中国の話をするとこの時の中国軍を指揮したのは彭徳懐という将軍で、国民党との内戦でも朱徳とともに大活躍した軍人です。朝鮮戦争でも上記の通りにその才能を遺憾なく発揮したのですが、後年に中国で吹き荒れた文化大革命の際には紅衛兵による激しい暴行を受け無残と言わざるを得ない最後を辿ります。建国の英雄と言ってもいい彭徳懐がどうしてこのような仕打ちを受けたのかですが、毛沢東の掲げた方針に反対したなどいろいろな説がある中、この朝鮮戦争が原因という説もあります。というのもこの朝鮮戦争に従軍した毛沢東の長男、毛岸英が戦死しており、毛沢東自身も後継者と期待していた人物だっただけに大いに嘆いたそうです。仮に毛岸英が生きていたら歴史も変わったかもと、個人的に思います。

 行ったり来たりが続きますがまた朝鮮戦争に戻ると、中国軍の参戦によって北朝鮮側は一時大きく盛り返します。こうした中でマッカーサーはトルーマン大統領に対して原爆の使用許可を求めるなどことごとく中央の方針に逆らったため、1951年にとうとう解任されます。かわって指揮を執ったのはマシュー・リッジウェイで、中国・北朝鮮軍の反撃を38度線付近で見事に押し留めます。その後はほぼ休戦状態となって大きな戦闘も少なくなり、1953年に米国ではトルーマンに代わりアイゼンハワーが大統領に就任し、ソ連でもスターリンが死去したことによる大きな状況の変化があり、そのまま1953年中に休戦協定が結ばれました。もっとも、この休戦協定は北朝鮮側が一方的に破棄すると今月発表したばかりですが。

 この朝鮮戦争は米ソの冷戦が実際の戦闘に発展した最初のケースで、その後のベトナム戦争につながる一つの段階と見ることが出来るでしょう。周辺国に与えた影響はいうに及ばず、当事者である韓国と北朝鮮では国土が直接戦場になり、大量の犠牲者が出ただけでなく離散家族の問題など深刻な影響を受けることとなり、冷戦が終わったにもかかわらず現在に至るまで朝鮮半島が統一されない最大の要因となりました。
 私個人の一意見を述べると、まだ90年代は先ほど挙げた離散家族の問題がよく取り沙汰されておりましたが、ここ数年は長い年月を経て当事者が減ってきているのか、この単語自体が見なくなってきているように思えます。それだけにかつては「同じ民族、二つの国家」だったものが、段々と二国間の民族同士のつながりは減ってきたのかなという気がします。

 あと周辺国の影響ではやはり日本は見逃せません。日本は隣国での戦争の恩恵を最大限に受けたというべきか、特需景気によって戦後低迷していた経済が劇的に回復します。先日にも親父と話しましたが朝鮮戦争と言いベトナム戦争といい、日本は冷戦のさなかで最も恩恵を受ける立場を享受していたように思え、また冷戦の終了とともに競争力を減らしたのかなとも思います。

 そういうわけで二回に渡り序盤の山場である朝鮮戦争を取り上げました。次回は韓国初代大統領である李承晩の大統領就任から落ち目までを取り上げていきます。

関西遠征について

 昨日友人と焼肉屋に行ったところ、牛タン噛んでいる最中に自分の舌を噛んでしまってまだ痛いです。何この本末転倒。

 話は本題に入りますが、先週の金曜から昨日まで関西地域へ遠征に言っていました。主な目的は親戚や友人に会うためでしたが、昨晩に東京に帰ろうとしたところで上海で知り合った友人から連絡がありそのまま東京で夕食してくるなど、スケジュールの割に会ってきた人間の数は多かったです。もっとも、あちこち移動していた関係でブログの更新は出来なかったけど。

 まとまりのない内容になりますが思いつくことを片っ端から挙げると、これ以前に関西に行ったのは2010年ですが、あくまで私の実感ではあるものの当時より関西の人の表情は明るくなっているように見えました。この点について友人などと話してみると、やはり民主党政権が終わって自民党政権になった去年の12月から世間の空気がマシになったと言っており、私もこれが大きいように思えます。
 それと今回は高速バスに乗って移動しましたが、行きも帰りも疲労しないために昼便を使いました。行きでは東京駅を早朝に出発して夕方に梅田に着くJRバスでしたが、何の気なしに中央道を通る便を選んだら例の笹子トンネルを通って思わず天井を見てしまいました。

 体力の話でもう少し続けると春先の寒暖差を受けちょっと体が疲れ気味というかだるい日が続いており、遠征前にじっくり体を休めておりましたが今日あたりはまだしんどさを感じます。もともと、毎年3月前後の春先はツキのない事態に振り回されることが多いだけにこの時期であるってだけで気分が悪いです。実際に帰国から一ヶ月半経って面倒くさい事態に巻き込まれて実際には書きませんが、聞く人によっては真面目にドン引きする状態に陥ってます。といっても、「殺し屋さん」のネーム担当の作者は自宅が焼けて保険で揉めたりなどとつづっており、この人に比べれば自分なんてまだまだとか思う程度ですが。

2013年3月18日月曜日

WBCでの日本敗退について

 毎日が日曜日というあまり笑ってばかりもいられない環境を使って、今日は朝早くからWBCの日本対プエルトリコ戦を見ておりましたが、結果は皆さんも知っての通りに残念ながら日本が敗退しました。選手の方々が頑張っていただけに残念ではあるのですが、大きくニュースになっているように、8回の内川選手、井端選手によるダブルスチール失敗のシーンはリアルタイムで見ていましたが本当に「えっ!?」と驚かされました。

 現在までに出ているニュースを見る限りだとどうもベンチが無謀だと言い切ってもいいダブルスチールを指示していたようで、それだけに走塁でアウトになった内川選手が不憫でなりません。元々、内川選手は責任感が強そうに思えるだけに人一倍今回の敗戦の責任を感じているかもしれず、声をかけられるものなら「気にしないでいい」と言いたいくらいです。

 それにしても、投手の継投といい今回の監督、コーチ陣の指揮ぶりには素人ではあるものの、私も疑問に感じる点が少なくありません。ショートの位置で守備に不安のある坂本選手がいたり、調子のいい投手を続投させずに細かく変えて失点したりと、もっと人選があったように思えるというのが私の感想です。

2013年3月15日金曜日

韓国の近現代史~その三、朝鮮戦争 前編

 この連載も三回目で、今日は序盤最大の山場に当たる朝鮮戦争を取り上げます。今回の連載を始める前から勉強していたから、書きやすいと言えば書きやすいんだけど。

朝鮮戦争(Wikipedia)

 朝鮮戦争は1950年6月25日に北朝鮮軍が突如として38度線を突破してきたことから開戦しました。先に開戦時における国際状況を説明すると、一番大きいのは  中国で1948年 、毛沢東率いる中国共産党が蒋介石率いる国民党との戦いに勝利して中華人民共和国が勝利しております。北朝鮮にとっては同じ社会主義の政権が国共の接する中国に成立しただけでなく、共産党軍と共に国共内戦を戦った朝鮮族の部隊が北朝鮮軍に合流しております。実戦を経験した部隊であるだけに、金日成の決定に何らかの影響を与えたのではないかと私は見ます。

 ただこうした状況の中、北朝鮮と同じ社会主義勢力の中国、並びにソ連は当初、韓国に攻め込むという北朝鮮の計画に難色を示したと言われております。中国は国民党を台湾へ追い出したと言っても建国まもなく国家機構もきちんと整備されておらず、ソ連も二次大戦で若い男性がほぼ全員戦死したことから労働力不足に喘いでいる上、米軍との直接対決にもなりかねない韓国侵攻を望まなかったと言われており、私もこの説を信じます。
 にもかかわらずどうして北朝鮮は侵攻を実行したのかですが、一説ではソ連のスターリンに対しては「中国からは了承を得ている」と話し、中国の毛沢東に対しては「スターリンからは支援してもらうと約束を得ている」と都合のいいことを言って、双方から支援の約束を取り付けたという説があります。その後の経過を見るにつけ、これも多分間違いじゃないんじゃないかな。

 こうして開戦した朝鮮戦争ですが、韓国側の防衛計画が甘かっただけでなく指揮系統の面でも混乱があったために、序盤は北朝鮮の連戦連勝が続きます。ましてや北朝鮮軍にはソ連から二次大戦中で最強の戦車であったT-34を筆頭に最新鋭の装備が供与されていたのに対し韓国軍の火力は低く、開戦4日目の6月28日にはソウルが陥落しました。
 このソウル陥落時は軍、官憲、市民が一斉に脱出を図ったことからひどい混乱となり、市民が渡河中にもかかわらず橋が爆破され数百人が犠牲となった漢江人道橋爆破事件も起こっております。もっとも朝鮮戦争による非戦闘員こと市民の犠牲はこの後の方がひどく、北朝鮮軍、韓国軍共に進軍先でスパイ容疑をかけるなどして万人単位での大量虐殺を繰り返し、合計すれば少なくとも100万人以上が死亡したと試算されております。

 話は戦況に戻りますが、韓国軍は一時は釜山以外の地域を北朝鮮に占領されるところまで追い詰められます。こうした中で米国は、ソ連が拒否権を発動しなかったのもあって北朝鮮に対して国連軍の派遣を決め、日本でGHQを率いていたダグラス・マッカーサーが指揮を執りました。ただ国連軍の派遣後も戦況はなかなか改善せず苦戦が続いたのですが、こうした中でマッカーサーは起死回生を図り、仁川上陸作戦を実行に移します。

(Wikipediaより引用)

この仁川上陸作戦の上陸地点は上記地図のピンクのポイント、位置にして北緯38度線の西側にあり、当時は北朝鮮の占領地域に当たります。いわば敵地のど真ん中に一気に突っ込むという作戦で米参謀本部ではマッカーサー以外はほぼみんな反対したものの、反対を押し切る形で実行して見事に上陸を成功させました。
 この作戦の成功によって長く伸びきった北朝鮮の補給線は寸断され、逆に韓国軍は作戦の成功に勢いづき一気に反撃を開始し、あっという間に北朝鮮軍を38度線以北に追い帰しました。開戦前の領土を奪回したことからここらで和睦という案も当時出たのですが、「いつ統一するのか、今でしょ」って某予備校講師みたいに言ったかどうかは定かじゃないですがマッカーサーは38度線を越境し、北朝鮮軍への追撃を決断します。

 このマッカーサーの決断に米参謀本部、並びにトルーマン大統領は反対をしたのですが、その理由というのも「38度線を越えたら中国の参戦も有り得る」という情報を得ていたからです。果たしてその予感は当たり、北朝鮮の領土の大半を占領し中朝国境に当たる鴨緑江へ迫ったまさにその時、中国の人民解放軍は志願軍という形で参戦してきました。既にかなり長くなっているので、続きはまた次回で。

2013年3月14日木曜日

中国の反日意識の地域差

 中国事情に詳しい方なら当然と思われるかもしれませんが、日本国内にいると意外と見えてこないテーマでもあるので、本日は中国における反日意識の地域差を簡単に解説しようかと思います。

 まず大前提の話として、日本は世界でも稀なくらいに国民の意識や文化、果てには収入までもがほとんど均一化された国です。最近は東京一極集中などと叫ばれておりますが首都に富が集中しているという点ではソウルに遥か及ばず、また県民性というものも確かに存在しておりますが投票などと言った政治行動などではほかの国ほど極端な違いはないように思えます。

 そんな日本人からすればほかの国は地域差が激しくあるように思え、中国もその例に洩れません。具体的に挙げると、北京市の人々はやや寡黙で政治意識が高いのに対し、上海市の人々は多弁でビジネスライクな思考を取ります。このほか広東省や内陸などの地域も入れると、「中国人」とひとくくりにしてはならないと思うほど性格や行動に違いが見えてきます。全体的な傾向として日本人より個人主義が強いとは言い切れますが。

  私の見る限りですとこうした地域差は反日意識にも出てきており、日本人対する風当たりも都市ごとに異なるように思います。ではどういった都市がどのような特徴を持つのかですが、具体的に挙げると以下の都市においては日本人に対する意識が好意的であるように私は考えます。

・上海市
・遼寧省大連市

 まず上海市に関しては2012年9月に起きた日本の尖閣諸島国有化に端を発して反日デモが頻発した時期でも露骨な暴動、並びに日本人排斥運動は見られず、いくらか飲み屋で日本人が叩かれるという事件はあったものの比較的平穏を保ちました。この時期は私も実際に上海で生活しており、当時に取材などもしたので強く言えます。
 次に大連市については、ここも日系企業への暴動などのニュースはほとんどなく、むしろ日系企業の誘致を進めている関係からか大連市政府が暴動に対して厳しい態度で臨む姿勢を強く打ち出すほどでした。もともと大連市に限らず遼寧省、吉林省、黒竜江省の東北三省は昔から日本との交流が盛んな地域で反日意識は他の地域と比べ低いとされておりますが、近年は日系企業の進出も相まって日本への意識もより好意的になってきていると言われております。

 では逆に反日意識が高い地域となるとどんなところになるのか。参考までに昨年9月に日系小売店、企業への暴動が起きた主な都市を挙げると下記の通りです。

・山東省青島市(イオンが被害)
・湖南省長沙市(アルプラザが被害)
・広東省広州市(日本領事館が被害)

 パッと思いつく大きなところを上げましたが、日本車が叩き壊されるなど小さな被害があった都市を挙げていけばそれこそ無数に増えていくでしょう。ではここで挙げた都市は普段から日本人に対する風当たりが強いのかですが、そうは言い切れないというのが中国事情の難しいところです。というのも、あの反日デモが吹き荒れた時期に暴動を起こしたのは地元の中国人というより地方から来た出稼ぎ労働者が大半だったからです。

 これはほかのケースでも同じですが、中国での暴動の主役はどれもほぼ出稼ぎ労働者と考えて間違いありません。出稼ぎ労働者は教育水準が低いことはもとより、賃金など様々な待遇面で地元の都市住民と比べ大きな差があることから日々の生活上で強い不満を持っているとされます。そのため反日暴動のようにあまり警察に摘発されにくい事案等にかこつけて、日々の鬱憤を晴らすかのように過激な行動を取りやすいと言われます。

 以上のような背景があることから、暴動の起こった都市住民は一概に反日的であるとは言えず、その都市に集まってきた労働者が実際には強い反日的思想を持っていないにもかかわらず暴動を起こすというのが実態です。そのため都市全体で反日的であるかどうかの線引きはし辛いのです。
 強いて都市ごとの反日行動に対する企業リスクを測る指標を挙げるとすれば、国際的な目を意識しているかどうかです。たとえば先ほどの上海市、そして首都の北京市では日本以外の海外メディアも数多く支局を設けていることから、暴動が発生しないよう徹底的な抑え込みが図られました。仮に暴動の様子が世界中に発信されれば中国としてはマイナスのイメージを持たれかねず、こうした海外の目がある場所では当局も採るべき政策を採ってくれることが期待できます。逆を言えば、海外との交流が少ない地方都市であれば当局も暴動を容認してしまうところがあり、暴動が起こりかねない状況となった場合は注意が必要でしょう。

2013年3月13日水曜日

韓国の近現代史~その二、独立前後の混乱

 本日から早速「韓国の近現代史」の連載を本格的にスタートさせます。まずは当たり前と言えば当たり前ですが、日本の植民地から独立する前後の時代について書いてきます。

 韓国は1910年に日本によって併合されて植民地となっておりましたが、第二次世界大戦で日本が敗戦したことに合わせ名目上は独立を回復するに至りました。日本の敗戦後に朝鮮半島の処遇については既に米英ソをはじめとした連合国首脳の間で確認されており、米軍を中心とした連合軍が信託統治する方向で決まっていました。ただ日本がポツダム宣言を受諾する以前にソ連軍が単独で満州地域へ進軍していたことから、米ソの間で北緯38度線を境界に北側をソ連、南側を米が面倒を見ると言ってはなんですが分割して占領する方針が確認されました。

 朝鮮半島にとって歴史的に本当に不幸だったのはこの時の分割統治においてほかならないでしょう。朝鮮半島内では1945年に入ってからは早くに日本の敗戦を見越し、朝鮮民族による統一した政府を起ち上げる準備も進められていたのですが、大国の思惑というか戦後の政策を巡って分割されたことによってこれらの統一政府構想は破綻することとなります。

 話は韓国に焦点を絞ります。韓国、当時は南朝鮮は独立運動家の呂運亨らが敗戦前に知日派こと日本統治時代に官僚組織に属していたり、日本に留学を果たしていた同士らを集め朝鮮建国準備委員会を起ち上げておりました。朝鮮建国準備委員会は8月15日の日本敗戦の報を聞くや早速活動を開始し、月の明けた9月6日には朝鮮人民共和国の樹立を宣言するのですが、わずか5日後の9月11日に上陸した米軍からは正式な韓国政府として認められず施政権も米軍が持っていったために、その後の朝鮮建国準備委員会は朝鮮人民党へと変わり政党活動を主に行っていくようになります。

 この朝鮮人民党というか呂運亨グループの特徴は右派からも左派からも幅広くメンバーを揃えて左右合作を唱えていた点にあるのですが、メンバーの全体的な構成では左派勢力が多かったと言われます。こうなった原因は私の推測ですが、日本の敗戦とともにそれまで囚われていた左派系の政治犯が解放されてこれと合流した事が大きいように思えます。
 一方、右派系の独立運動家は朝鮮内よりも上海をはじめとした海外に数多くおり、日本の敗戦から徐々に戻ってきて韓国民主党(韓民党)を結成し、韓国の社会主義化を懸念する韓国財界からも支援を受けて勢力を拡大していきました。また米軍もアメリカでの政治活動経験のある李承晩を推し、彼と韓民党を結びつけて右派勢力の糾合、悪い言い方すると傀儡政権作りを本格化させていきました。

 こうした中、韓国国内はもとより北朝鮮領域内の政治勢力との連合も模索していた呂運亨が暗殺されます。記録を見る限りこの呂運亨は穏健派の政治家だっただけにもう少し生きていればまた何か違ったような気もするのですが、彼の死によって韓国では右派勢力がますます力を伸ばし、逆に左派勢力への弾圧は徐々に強化されていきます。
 この時期は韓国は北朝鮮に、北朝鮮は韓国で政治工作を活発に行っていましたが、そうした中で済州島では警官の発砲事件をきっかけにゼネストが発生し、これに対し右翼勢力や軍が介入して徹底的な社会主義者への弾圧が実行されます。この事件は済州島四・三事件と呼ばれていますが、島民の5人のうち1人、実に約6万人が虐殺されたそうでこの時の難から逃れるために日本へ渡ってきた在日朝鮮人の方も多かったそうです。この事件は本当につい最近になってようやく事実関係が明らかになってきた事件なのですが、恐らく韓国のほかの地域でもこれほど大きくなくても似たような事件が当時は多発していたと思います。

 皮肉な言い方をすればこうした赤狩りの甲斐あってか韓国では米軍の支援の元で右派勢力が多数を占めるようになり、1948年に実施された総選挙を経て韓民党は多数派を占め、李承晩は初代大統領に選出されます。ただ朝鮮半島の南側で独立した政府が成立したことから北側との分断、いわば統一政府構想も破綻することとなりました。
 そうまでして出来た政府ですが、設立当初は大統領の李承晩と議会が何度も対立するなど国家形成の面ではやや足踏み状態が続きます。一方、強大な権力で基盤を固めていた北朝鮮ではソ連の支援の元、 まさにこの時に 戦争準備を固めていたのでしょう。そういうわけで次回は、前半の山場に当たる朝鮮戦争を解説します。

5種類のカツラで結婚詐欺を繰り返した男

 わざわざこんなのを記事化する理由はあるのかと思いつつ、「それでもあるのだ」と思うから記事化します。

医師名乗り、薄毛にかつら…結婚詐欺容疑の47歳男追送検(産経新聞)

 リンク先の記事によると、その捕まった47歳の詐欺師の男は5種類のカツラを使い分けながら5人の女性から計1330万円をだまし取ったそうです。騙す際には医師などと経歴を偽ったことはもとより年齢も30代半ばと名乗っていたそうなのですが、被害者が「30代にしては老け顔と思った」という証言がなんていうかいろいろ深く考えさせられます。

 それにしても、こんだけカツラ被ったらモテるのかな?幸いというか中国人の理髪師に、「お前は毛髪量多いからハゲナイヨ」となんで髪切ってもらっている最中にそんなこと言われなきゃいけないんだろうと思う一言をかけられたことがありますが。

2013年3月12日火曜日

モバイル向けゲーム会社2強に対する私の評価

 私自身は購入したり遊んだりすることはないのですが、スマートフォンやタブレットPC向けゲームことモバイルゲームを利用している方は多いかと思います。私なんかはゲームときたらファミコン、スーパーファミコン、(セガサターン)、プレイステーション、プレイステーション2と数多くの据え置きゲームを渡り歩いてきた経験からかコントローラーのないゲームには抵抗感があるため手を出しませんが、人から話を聞いたりニュースで見ている限りだとモバイルゲームも新たな娯楽というかゲームの形態として認知されつつあるようです。
 そんなモバイルゲームですが日本における開発会社ときたらディー・エヌ・エー(DeNA)とグリーの2社がトップ2強であることは周知の事実でしょう。2社とも売上高が近年急成長を続けておりますが、一時期に未成年者に対する高額請求問題が大きく取り上げられて経営に対する影響もあるのではと取り沙汰されたものの、その高成長ぶりを維持しているようです。

 このモバイルゲーム開発会社ですが、先ほど挙げた高額請求問題、並びにコンプリートガチャ問題などで批判的な意見も多く出ております。私自身も自分が直接遊んだことがないこともあって一連の問題が取り上げられた際は正直に言ってあまりいい目を持っておりませんでしたが、変な話ですが中国で生活しているうちに段々と考えが変わっていきました。
 アップルは国・地域別販売台数は発表してないですが、i-Phoneの販売台数は中国が世界で最大と言われているだけあって上海では持っている人、っていうか持ってない人を捜す方が大変なくらい普及しておりました。でもって i-Phoneを持っている人がどんなことにそれを使っているのかというと、地下鉄なんかに乗ってる時に見ていると電話とメール以外だとやっぱりゲームでした。

 単純に考えてもスマートフォン、タブレットPCは今後もまだまだ普及していくことが予想されますし、普及台数が増えれば増えるほどモバイルゲーム市場も広がっていきます。また中国や韓国でもこの手のゲーム開発会社が急激に成長しており、世界的にも開発競争が過熱している感があります。
 こうした状況においてやはり日本国内においても、世界で戦っていけるだけのモバイルゲーム開発会社を育成していく必要性をよく感じます。また開発競争を抜きにしても今の日本は投資先となる業種や企業が少ないだけに、数少ない成長分野であるだけに大事にと言っては変ですが批判ばかりして潰してはならない企業分野ではないかと考えるようになりました。

 ただこんなことを言っておきながらですが、先程挙げた2強のうちグリーに対して私は未だに批判的な見方を持っております。何故かというと最大の要因はこちらも先ほど挙げた未成年者への高額請求が当局から一回注意されてもうしないとか言ってたのに、消費者から要求されるまでは返金手続きを取らなかったりとあまり反省した態度が見られないからです。
 一方、DeNAに対しては対照的に好印象を持っております。好印象を持つようになった理由は複数あり、一つは去年末に廃部が決まっていたエスビー食品の陸上競技部をスタッフ、選手共に丸ごと受け入れたことからです。

DeNA、陸上チーム創設のお知らせ エスビー食品陸上競技部スタッフ・選手の移籍(DeNA)

 仮にDeNAが受け入れなければこの陸上部関係者は路頭に迷う状況だっただけに、総監督の瀬古利彦氏も会見で何度もお礼を言っておりましたが私も見ていて涙腺が少し緩みました。DeNAはこの前にも横浜ベイスターズを買収しているだけに、企業のスポーツ向け投資が先細る中で熱心さを強く感じます。

【中国】海信電器とゲーム配信で提携、DeNA(NNA)

 上記リンク先のニュースは昨年、DeNAが中国での提携事業を行うと発表したニュースですが、実はこのニュースは私も前の会社にいた時に取材しております。それ以前からもゲーム関連のリリースは全部自分の担当に回されていたので何度かDeNAの広報に電話していたのですが、はっきり言ってどれも対応が非常によかったです。こういう実体のないサービス事業の提携とか新規事業話っていうのは詳しく内容を聞かないと記事が書けないのですが、企業によっては担当者がサービスの中身をよく理解しておらず、取材してもしょうもない記事になってしまうことが多いのですが、DeNAの担当者に関してはそういうことは全くなく、わかりやすく説明してくれるので取材をしながらいつも好感を持っておりました。

 なんていうか何も金もらってないくせにちょっとDeNAを持ち上げ過ぎかなとも思うのですが、グリーかDeNAかというのならば私としてはDeNAをモバイルゲーム業界における育成対象企業にすべきだと思います。逆にグリーに関してはあまり反省する態度がないのだし、最悪潰してしまった方が業界の改善につながるかなというくらいに評価しておりません。
 無論、今後DeNAも何かしら企業倫理に反する行為を行った場合は遠慮なく批判するつもりです。そういうことなんかせず地道に頑張っていくことを陰ながら祈っているわけですが。

2013年3月11日月曜日

韓国の近現代史~その一、はじめに

 本日からまたしばらくこのブログで連載記事の執筆に取り掛かろうと思います。今回取り掛かるテーマはタイトルにもある通りに韓国の近現代史で、二次大戦後の日本の植民地からの独立から現在の朴槿恵大統領に至るまでの通史をなるべく簡潔にまとめていこうと考えています。

 今回連載をはじめようと思ったのはちょっと前にコメントでまた何か連載をはじめないのかとの書き込みがあったのがきっかけで、執筆するに当たっても現状は余裕がある状態だったのが決め手です。連載をはじめるに当たってどのテーマに手を付けようとしばらく考えていたのですが、中途半端なものにはしたくなかったから自分が比較的得意とする歴史物でなにかと照準を定め、当初は中国の明、または宋の通史が候補でした。

 中国史であればリアルに中国人よりも詳しい自信あるし(実際に中国人にもそう言われた)さらっと書くなら現状の知識でも対応できると踏んではいたのですが、なんかそれだともったいないというか、せっかく勉強する余力もあるのだからまだ手を付けてないテーマの方がいいようにも思えてきました。そう考えている中、朝鮮というか韓国の歴史は今まであまり勉強してきて来なかったことを思い出し、今この時点で勉強することによって日中韓の東アジア三ヶ国の歴史を同時に語れるようになるのではと欲が芽生えました。仮にその範囲が近現代に留まるとしても自分が国際政治を見る上でいいツールになると判断し、最終的な決断へと至ったわけです。

 この連載テーマについて相談した友人からは、「各方面から批判が来るかもよ」と軽い注意を受けましたが、そもそも日本において韓国史は特定の問題、具体的に挙げると竹島問題と従軍慰安婦問題に絡んで特定の部位にのみ説明されることが多く、全体を眺める通史が極端に不足しているように私は感じます。実際に今回の連載に当たって何か一つでもいいから資料に目を通そうとAmazonで検索をかけたところ、近現代の通史を解説する本は自分の想像以上に極端に少なかったです。逆に言うならば、だからこそブログなりなんなりで通史を解説する価値もあるように思え、前の「文化大革命とは」の連載ほどまで行かなくともそれなりに面白い連載になるような気がします。

 先に今回使う、というより自分が買った資料を紹介すると、文京洙氏の著書の「韓国現代史」(岩波新書)です。近現代の通史を取り扱っている本がタイトルを見る限りこれしか見つからなかったので買いました(今日Amazonから届いた)が、厳しいことを言わせてもらうと必ずしもタイトルと内容が一致する本ではありませんでした。一応は独立から盧武鉉政権まで解説がありますが、その大半は韓国全体の近現代史というよりも光州事件をはじめとする済州島、全羅南道地域における市民らの政治闘争史の解説で占められております。はっきり言えばタイトルと内容が一致しておらず、勝手な推測ながら言わせてもらうと筆者が書きたかったテーマと編集者が意図していたテーマが一致せず、いわばコミュニケーション不足が原因でこんな本になったんじゃないかと邪推しております。
 特に編集者の方に対して強く言わせてもらうと、本の中盤ではベトナム戦争のことを「インドシナ戦争」と表記してあるのに後半では「ベトナム戦争」という表記になっていたりと、用語の統一すらおぼついておりません。それだけにさきほどのコミュニケーション不足を強く疑わざるを得ません。

 以上のような本であることから、当初は引用するのだしAmazonのアフィリエイト広告でも貼り付けようかと考えておりましたが、韓国近現代史の解説本としてはちょっと紹介しづらいので見送ります。実際に政治上で結構重要な事件とかがさらりと流されたり、紹介されてなかったりするし。

 そんなわけでまた今度から連載を始めていくので、興味のある方はどうかご覧ください。方向性としては竹島とか従軍慰安婦とか面倒な話はほかでもたくさん解説サイトがあるので無視し、韓国国内の政治の動きと現在の朴槿恵政権にどう繋がっていくかに焦点を絞っていく予定です。

2013年3月10日日曜日

大学の統廃合について

 今日は国公立大学の前期試験の合格発表日だったらしいのですが、なんでも今年の東大文Ⅰは志願者数が少なかったためにセンター試験の結果による足切りが行われなかったそうです。近年は手の届きやすい大学に志望が集まる傾向があることから東大が敬遠された結果とも言えますが、それと共に少子化による影響も見逃せないでしょう。確かセンター試験の受験者数もこのところは年々減少していると言いますし。

 そんな受験者数が減る時代、個人的に大学教育で進めるべき改革は統廃合ではないかと思います。既に定員割れを起こしているFランク大学は数多く存在しておりますし、より学生数を絞り重点的な教育が行えるよう大学数を減らすことは私が主張するまでもなく重要です。ただ大学を減らすことによって弊害ももちろん生まれ、真っ先に思い付くのは大学教員のさらなる募集減少です。現状でも理系のポストドクターが仕官(就職)先もないまま不安定な立場に置かれていると言いますし、文系でも研究者を目指す立場の方々には逆風となるでしょう。更に言えば、廃校になる大学の教員なんかその次の日から職がなくなるからもっと深刻でしょう。

 だからといって統廃合をためらう必要はないでしょう。大学の統廃合を進めることによって一行当たりの学生数を増やすことで大学経営に当たっての資金問題も改善が期待できますし、また多くの学部・学科の学生が同じ学内で学ぶことによって得る経験も少なくないように思えます。

 最後に一つ雑談を入れますが、昨日にうちの親父から大学に戻る気はないかと問われました。私自身は勉強自体は好きですがあの大学のアカデミックな雰囲気というか、やんちゃしちゃいけない空気はどうにも好きになれずに研究者とかそういったものには一切憧れたことがないので「お断りだっ( ゚Д゚)」と拒否しました。大学生時代の恩師からも、「君からそう言う話が全く出てこないのが不思議に思ってた」と言われてましたが。

2013年3月9日土曜日

マンガレビュー「極黒のブリュンヒルデ」

 かなり久々の漫画レビューです。今回からアフィリエイト広告も貼っておりますが基本的に自分の読んだものしか貼るつもりがないので、興味がある人はクリックしてくれたら幸いです。そんな今回紹介するのは、自分が日本に帰ってきて真っ先に買った、岡本倫氏が現在ヤングジャンプで連載している「極黒のブリュンヒルデ」というマンガです。

 このマンガのあらすじを簡単に話すと、幼い頃に幼馴染の女の子を事故で失った高校生の少年のクラスにある日、幼馴染そっくりの少女が転校してきます。その少女は自らのことを魔女だと称して現実に非科学的な能力を主人公に見せる一方、毎日薬を飲まなければ24時間後に死ぬ体だと明かします。しかも研究所から脱走してきたため薬はあとわずかで切れてしまうと話し、主人公は幼馴染とその少女を重ねつつ、なんとか生き残る道を探る……というのが一巻の主な筋立てです。

 これだけ書くとよくありがちなSF漫画の筋書きに見えますが、一番肝心なのはこの漫画を描いているのはほかならぬあの岡本倫氏であるということです。知っている人には早いですがこの人の代表作は「エルフェンリート」という漫画で、アニメ化もされて日本国内よりも海外の方がよく知られています。この作品がどういう意味ですごいかというと一見すると美少女が表紙を飾ってて萌え漫画にしか見えないのですがその実、中身は日本の漫画史上でも屈指のえげつなさを誇り、容赦なく登場人物が次々と死にます。さも重要そうに出てきたキャラクターが次のページでは首が飛んでたりすることが誇張ではなく頻繁にあり、一説では「HUNTER×HUNTER」の作者の冨樫義博氏がこの漫画を読んで影響されたのか、自分の漫画でも首チョンパのシーンを増やしたとまで言われております。

 自分はエルフェンリートも読んでいますが、初めて読み終えた時は感動というより一体この作者はなんなんだという恐ろしさの方が大きかったです。岡本氏の次回作である「ノノノノ」はスキージャンプをテーマにした漫画で前作にあったグロテスクさは陰をひそめましたが、相変わらず読者の予想を裏切る展開で個人的に非常に気に入っている作品です。生憎というか途中で打ち切りを食らって連載を終了してしまいましたが……。

 話は最新作「極黒のブリュンヒルデ」に戻りますが、作者曰く「エルフェンリートのようなノリを読者は求めていると友人に言われた」と書いており、はっきり言ってその通りというか、あの有り得ない展開の運びと共に遠慮容赦のないグロテスクさが見事復活しております。第一巻からぶっ飛んでるというか、幼馴染が事故で死ぬシーン(ダムの水門から小学生二人が真っ逆さまに落ちる)の情景とか、よくこんな絵を書いて載せてくるなと読んでて冷や汗を感じましたが、一番ビビったのはこの前出たばかりの四巻です。詳しくはネタバレになるのですがある重要なキャラクターが死ぬシーンを見てはっきりと、「この作者は狂ってる」と冗談抜きで思いました。

 以上のような内容からこのマンガは大衆受けするものではないと思う一方、単純にストーリーで魅せるマンガというならその異彩ぶりは群を抜いていると言えます。そんなわけで一応広告貼り付けておきますが、グロテスクなのが苦手な人は見ない方がいいでしょう。
 それにしても、なんだかんだ言って自分はこの人のマンガをちゃんと全部読んでるなぁ。

  

TPP交渉の先行き予想

 日本にいるといろいろ情報が手に取りやすいので時事問題も語りやすいです。そういうわけで今回は国論を見事に二つに分けているTPP交渉の先行きについて私なりの予想を紹介いたしましょう。前もって断っておくと、私はTPP参加賛成派です。

 まずTPP交渉に日本が参加するか否かと言ったら、安倍政権は間違いなく交渉参加を決断するでしょう。施政方針演説でも事実上参加するようなことを言ってましたし、この前のオバマ大統領との会談でもこの点について双方がそれぞれ話をしてきたかと思います。またこれが一番重要というか、安倍首相の周りにいわゆる農水族こと国内農業を保護するべきという思想の議員がほとんどいません。強いてあげるとしたら石破茂氏ですが、彼自身は農水族でこの方面の政策に詳しいもののTPP交渉には前向きな姿勢を持っているだけに、JAが期待するような反対行動はとらないと思えます。

 では交渉参加となると日本側はどういう風な姿勢で臨むのか。やはり国内のJAを中心とした団体向けに国内農業保護こと農産物への高関税維持の例外を米国に対して求めていくでしょう。
 私個人としては日本の農業をダメにしたのはまさにJA自身と旧来の自民党であるために守るに値しないと考えており、輸出できるような高付加価値作物を作っているJAの枠外で活躍する一部の農家の方々はTPP賛成を打ち出していることからこの際気にしないでいいと思います。ただ自民党にとっては票田ですし、一応パフォーマンスとして農業を守る交渉をしていくことが安倍政権に求められるでしょう。

 ただ高関税維持を主張するにしても、要求するだけでは相手こと米国は動きません。農業の高関税を維持するために日本側は何を差し出すのか、何を妥協するのかですが、一番可能性があると私がにらんでいるのは米国の自動車関税です。米国の自動車団体は既に日本をTPPに参加させることに対して反対運動を展開しており、米国側の自動車関税を例外として日本は認めるというのであれば米国としてもカッコがつきやすいように思えます。
 でもそれでは日本は自動車を米国に売ることが出来ず旨味がないのでは。そう考える人も多いでしょうが実は現時点で米国の自動車輸入関税は極端に低い水準にあり、自動車関税が現状を維持したところで販売面では何も障害がありません。更に大手日系自動車メーカーはほとんどが米国内に工場を持っており、円高は多少は影響するもののそもそも関税が影響することはないのです。唯一というかトラックなど大型商用車に対してはやや高い関税率が設置されているのですが、この点についてはあきらめるしかないでしょう。

 以上のような観点からすれば、日本は自動車で妥協し、米国は一部農産物で妥協する、といった交渉に持っていくことが私の考える中でベストです。これだと日本は得する面が多く、国内の世論もまとめやすい気がするのですが、それでも米国としては関税を維持させる代わりに現状からの引き下げを求めてくる可能性が高いです。それをどの辺で落とすか、多分こんな交渉になるんだと思います。

  補足
 ちょっと前にNHKの昔の映像特集で、日米貿易摩擦時の映像を見ることがありました。その映像ではデトロイトの市民が日本車をストリートファイター2のボーナスステージみたいに、鉄パイプでガンガン叩いて壊したりひっくり返したりしていて、なんていうかこの前の中国の反日デモみたいな映像が流れてました。時代が変われば所も変わるもんだとしみじみ感じます。