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2013年5月12日日曜日

韓国の近現代史~その十三、朴正煕暗殺事件

朴正煕暗殺事件(Wikipedia)

 だいぶ長い間書いてきた朴正煕ともこれでおさらばです。そういうわけで久々の連載再開記事は、朴正煕大統領の暗殺事件を取り上げます。

 事件が起こったのは1979年10月。朴正煕は1963年から韓国の最高権力者の座に就いてから16年間もの月日が経ち、この間には暗殺未遂事件も何度か起きておりますが国内の選挙干渉や学生デモを弾圧し続けることによってこの座を維持してきました。また暗殺される直前には憲法を改正して自身が終身制の大統領に就くことを明記しており、当時は朴正煕自身が辞任するか暗殺されるか、はたまた革命が起こるかでしか彼を大統領から引き摺り下ろすことが出来ない状態でありました。

 それで実際に暗殺されることとなったわけですが、朴正煕を暗殺した人物は彼の腹心でもありKCIAの金載圭でした。金載圭は暗殺を実行する前に学生デモなどへの弾圧が手ぬるいとして朴正煕から叱責を受けていたことに不満を持っていたそうですが、これが直接の動機だったかについては後に詳しく書きますがちょっと微妙なところがあります。

 暗殺の状況について詳しく書くと、当日はソウル市内にあるKCIAの秘密宴会場で朴正煕、金載圭、車智澈・大統領府警護室長、そして何故かこの宴会にお呼ばれされていた女性歌手の沈守峰と女子大生モデルの申才順の五人で晩餐会が行われておりました。この晩餐会の最中にも朴正煕から叱責を受けると金載圭は一旦中座し、部下にいくらかの指示を与えた後に拳銃を持って会場に戻り、そのまま朴正煕と車智澈の二人へ発砲。二発発射した後に拳銃が故障したことからまた部屋を出て、部下から拳銃を借りて戻るとまた朴正煕と車智澈に一発ずつ発砲して止めを刺しました。残った歌手と女子大生に金載圭は「慌てないで。安心するように」と言い、近くにある別の宴会場にいた陸軍参謀総長の鄭昇和を訪ねて、自分が射殺犯であることを隠した上で朴正煕の死を伝えた後、非常戒厳令を布告するよう迫ったそうです。

 恐らく金載圭は暗殺を北朝鮮とか別の人物によるものに仕立て上げた上で自分の犯行をうやむやにしたかったのか、ほかに何らかの思惑がったのかもしれませんが、密室でこれだけ露骨な暗殺をしておいてばれないはずがありません。戒厳令の布告を渋っていた鄭昇和は「暗殺犯は金載圭だ」という報告を受けるや金載圭を逮捕し、その上で戒厳令を出して自らが戒厳司令官に就任しました。その後、国内にはしばらく大統領が死亡した事実は伏せられておりましたが日本を含む国外ではすぐに報じられ、外国に親戚や知人がいる人たちから国内にも情報が伝わっていきました。

 逮捕された金載圭は動機について当初、終身独裁制を築いた朴正煕を大統領の座から下ろすにはこれしか方法がなかった、民主主義を守るためだったという、KCIA長官らしからぬ理由を話したとされますが、現代では単純に自らの地位が危うく保全を図ったものという説が強いです。もっとも未だにその理由についてははっきりしておらず、翌年には死刑判決を受けてすぐ執行されていることから、なんというか口封じされたような気もしないでもありません。

 ざっと上記までが一連の流れですが、太字にしちゃいますが一体どこから突っ込んでいいのかちょっと悩みます。しょうがないのでひとまず疑問点を箇条書きにします。

1、なんで秘密の宴会場なんて言うものがあるのか?
2、しかもなんで女性歌手と女子大生モデルが同席していたのか?
3、しかもなんでなんで二人とも暗殺現場に居合わせたのに射殺されなかったのか?
4、金載圭もどうして陸軍参謀総長に掛け合ったのか?

 1番に関しては妻が暗殺されて以降、朴正煕は若い女性と一緒に夕食を取ることが多かったためにそれほど不自然ではないという説明を見かけますが、はっきり書いてしまえば性接待があったのかと勘ぐってしまいます。そしてスルー出来ない2番と3番についてですが、普通の感覚してるなら射殺する現場を見た人間を生かしておくはずないのに金載圭は何故か見逃しております。ちなみにこの二人、確かまだ存命中です。
 でもって4番目ですが、仮に金載圭は怨恨目的で暗殺したというのなら普通は海外逃亡するか、偽の犯人を仕立てあげた上で、「大統領は暗殺されたが犯人は我々が逮捕(または射殺)してやったぞ!」というシナリオを組むんじゃないかという気がしてなりません。なのにわざわざ陸軍参謀総長に出向いて戒厳令を求める、やはり腑に落ちませんというか行動が明らかに奇妙です。

 それこそ、金載圭が叱責を受けたことによって何の準備もなしに発作的に暗殺を実行してしまうような底の浅い人物だったというのであればそれまでですが、なんていうか逃げ道を約束されていたから同席した二人の女性には手を掛けなかったんじゃないかとも考えてしまいます。じゃあその逃げ道とは何か、こちらもやや安直ですがアメリカです。
 ウィキペディアにも書かれていますが当時、朴正煕とアメリカ政府(カーター政権)は韓国の核開発計画を巡って冷え込んでいたとされており、それが原因ではないかという声も出ています。でもってアメリカも前科があるというかベトナムでは実際にCIAによって南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領を暗殺してるんで、朴正煕もやっぱやられたんじゃないかなぁって気がしないでもないです。

 となるとシナリオというのはCIAがやや不満を持っていた金載圭を唆して、「朴正煕を暗殺してきたら後の面倒は全部こっちで見るよ、鄭昇和も仲間だから終わったら彼に報告してね」的なことを伝えて、韓国人同士で処理完結させたような感じでしょうかね。あまりこういう陰謀論というかなんでもかんでも悪いことをアメリカのせいにするのも良くないとは思いますが、一つの仮説としてはもっておいた方がいいので書いておくことにしましたが、真実の検証が済むのはあと50年くらい先で、同席した女性二人が回顧録とか出す頃かなと思います。

2013年5月11日土曜日

憲法96条改正案について

 政治ネタが続きますが、現在国会での主要議論と言ったら今回緒台に挙げた憲法96条の改正案です。そこで今日はこの議論の論点を整理するとともに私の意見を紹介します。

 まず憲法96条の中身を簡単に説明しますがこれには憲法改正の発議に関する条件が定められており、衆参両議院の三分の二以上の賛成を得て初めて発議を認めると書かれてあります。通常の法案が過半数こと二分の一以上となっていることに対して憲法故に条件が強められております。仮に憲法を改正するとしたら国会での発議後、つまり三分の二以上の賛成を得た後に国民投票で過半数の支持を得なくてはならないため、国会内での議論だけで改正されることはありません。

 そんな96条に対して安倍首相率いる自民党は発議要件を三分の二以上から二分の一以上に引き下げようと提案したのが今回の議論の始まりです。自民党のほかには維新の会、みんなの党なども賛意を示していると報じられておりますが、みんなの党については渡辺代表が、「憲法改正の前に公務員改革などを片づけるべきだ」と述べていることからやや慎重な姿勢ではないのかと私は見ております。このほかの政党はほとんどが憲法を示威的に変えられやすくなるなどとして反対を示しており、自民と連立を組んでいる公明党ですら、具体的に今の憲法をどのように改正するのか方向性を示してから96条について言及するべきだとして、やや否定的な様子です。

 結論から述べると、私は今回の議論では公明党の意見が最も正しいように思えます。というのも自民党というか安倍首相はかなり以前から憲法改正を主張しており、その改正内容も集団的自衛権の行使や自衛隊の存在を明確にするなどと具体的なところまで踏み込んでいたのに対し、今回の96条改正議論を吹っ掛けるや急にこれらの内容への具体的言及は避けるようになってきました。
 前もって言いますが私自身としては集団的自衛権、自衛隊の合憲化は望むところであって、むしろ早く憲法を改正するべきだという立場です。ですが安倍首相が堂々と改正案の方向性を示さず96条の改正から先に手を付けようとするのを見ているとどうもこれ以外にも変えようとする腹案があるのか、そんな風に勘繰らざるを得ません。

 一方、公明党を除く野党らの主張に関しても不満があります。9条がどうたらこうたらとヒステリックに言う社民党の主張はこの際というか相手しなくていいですが、その他の野党の96条改正に対する反対意見はどれも鋭さがありません。大体が硬性憲法と軟性憲法の比較をした上で憲法は国民を守るために政府を規制するものであって、改正しやすくするなんて言語道断だという意見なのですが、改正には国民投票も必要なのだから発議条件が二分の一にハードルが下げられても一応は政府を規制できるのではと思います。
 またそれ以上に、ここからはあまり報じられない私の意見となりますが、そもそも硬性憲法であったことから一度も改正されずにいたがゆえに起こる問題に意識を払わないのかと野党の人には問いたいです。

 他の先進国は米国やドイツ、あとお隣の韓国(時の為政者にいいように変えられたケースが多いが)などはこれまでに何度も憲法を改正しております。改正条件も日本同様に議会で三分の二以上の同意が必要なところも多いためにあくまで私が見る限りだと、ほかの国では改正が必要だからこそ改正しているように見え、やはり時代に合わせようとする姿勢が見えます。
 それに対して日本。日本はこれまでに一度も改正していませんが、憲法が作成された頃と比べて時代はかなり経ております。これだけ時代を経るとやっぱり憲法自体がいろいろと現実に合わなくなってきているところも増えてきており、卑近な例というか誰も言わないけど私がよく思う点として、選挙権が20歳からなのに衆議院に立候補するための被選挙権は25歳、参議院は30歳からと、小学生へのひっかけ問題にしか使えない無駄な年齢条件などがあります。

 こうした経年劣化に対して日本はこれまでによく、憲法の解釈を変えることで対応をしてきました。同じ条文にもかかわらず解釈を変えることでそれ以前は違憲だと考えられた行為を合憲にするという事を繰り返してきており、はっきり言ってしまえば憲法の意味ないじゃんと言いたくなるようなことをかなり繰り返してきました。
 こういう風な解釈主義に陥った原因はやはり日本の憲法が改正し辛い、さらに言えば一度も改正されたことがないためだと私は考えているのですが、同時に解釈主義から早く脱しなければと思います。というのも解釈でどうとでもなるのであれば憲法が空文化する恐れもあり、昔の上司の言葉を借りれば、「自衛隊は憲法上、存在しないことになっているという事の方が危険なんだ(法律に縛り辛いから)」とも言えます。

 こうした現状に対し野党の意見はとかく、憲法は変えてはならない、絶対神聖不可侵という精神主義が見られ、非常に問題だと私は思います。昔なんかは議論すること自体を許さない雰囲気があったのでそのころと比べると大分マシにはなりましたが、野党の反対意見はそのころから変わっていないというか、幼稚で合理性が含まれておらず、いい加減にしろと強く言いたいです。反対するにしてももう少しまともな言い分もあるというのに。

2013年5月9日木曜日

川口氏の委員長解任について


 アニメが絶賛放映中の「進撃の巨人」に関連して上記の画像がネットで流行っておりますが、面白くてつい自分も保存してしまいました。ちなみに自分は4月21日生まれなので上記の表に従って言葉を選ぶと「一個旅団分の地に堕ちた鳥」になります。なにこの鳥インフルエンザっぽい言葉って思いますが、7月3日生まれの人(「超大型芋」)に比べればまだマシかもしれません。

 話は本題に移って久々の日本政治ネタこと、本日参議院で行われた川口順子氏の環境委員長解任についてです。事情を知らない人のために簡単に説明すると川口氏は先月、あらかじめ国会に届け出をした上で4月23~24日の二日間の予定で中国を訪問しました。25日には帰国して環境委員会に出席する予定だったのですが、中国外交部の前部長(日本だと前外務大臣に当たる)楊潔篪(ようけっち)との会談が急遽25日に行えることとなったことから、日本の国会に連絡した上で滞在を1日延長することとしました。
 これに対し民主党をはじめとする野党7党は、委員長の身分ともある者が会期中にもかかわらず委員会を無断欠席したとして国会を軽視する行為だと批判。川口氏の委員長解任を主張し、これに対し与党自民党も昨日の参議院予算委員会の審議を欠席するなど対抗姿勢をみせましたが、本日に参議院の議席数で野党が上回っていたことから野党の主張通りに川口氏は解任されました。

 今回のこの騒動に対する私の意見を述べるとただ一言、低レベル過ぎるに尽き、野党側に問題があると思え批判します。今回の問題では与野党ともにいろんな論点を出してきておりますが、突き詰めると「委員会が1日流れたことによってどれほどの影響が出たのか」に尽きると思います。

 自民党側は楊潔篪と会談することは中国外交が冷え込んでいる時期なだけに国益を優先したと主張しておりますが、報道によると川口氏は数分だけしか楊潔篪と話しておらず、第一、役者が外務大臣経験者とはいえ川口氏ですから言うほど価値があったかと言えばないと言わざるを得ません。まぁでも楊潔篪は一応は中国政治界の大物(前の)の一人ではあるし、接触しないよりはした方がよかったというのが私の見方です。

 翻ってすっぽかされた環境委員会ですが、25日に川口氏が出るかでないかで何がどう変わったのか、どんな影響があったのかについて野党側の説明は理解できるものではありません。聞くところによると代理を立てて普段通りに運営することも出来たそうなので、馬鹿にしちゃあなんだけど川口氏がいてもいなくても通常通り進行できたことでしょう。仮にすっぽかした理由が昔の田中真紀子みたいに指輪が見つからないからとかいう私的なものなら今回の解任も理解できますが、一応は与党議員としての外交活動で欠席したのだから、無駄にこんな大騒ぎするほどではないでしょう。結構前だけど、小沢一郎が民主党にいた頃に衆議院本会議を欠席したことの方が大きな問題だと私は思いますが、民主党は当時何も処分しなかったしねぇ。

 以上のような観点から、今回の騒動で私は与党自民党の肩を持つ、というより野党の幼稚さに反吐が出る次第です。こういってはなんだけど民主党の誰かがこの騒動の責任とって役職下りるなり辞めるなりするまで自民党は参議院での審議を拒否してもいいとすら思います。

2013年5月8日水曜日

中国バブル崩壊論の誤謬 その二

 前回に引き続き中国バブル崩壊論者が主張することにいちいち否定するこのコーナーです。前回でそこそこ書いたからもういいかなとか思ってましたが、改めて読んでみるとまだ抜けている内容も多かったのでこうして追加することにしました。それにしてもなんでこの時期に風邪引いちゃったんだろう、マジで体だるい<丶´Д`>ゲッソリ

3、共産党の一党独裁に対する矛盾
 中国は言うまでもなく中国共産党による一党独裁で成り立っている国で、民主主義の国みたいに選挙なんてものがなければ民意が政治に大きく反映されることがない国です。そうした点をついて崩壊論者はよく、「高度な資本主義に中国の古い政治体制は耐えられない」といったことを主張し、一党独裁体制に対する矛盾が国家を崩壊させると説明しております。
 中国が一党独裁体制だからこそ社会に様々な矛盾があるという事実に関しては私も否定しません。最もその弊害が現れる部分は事故や災害といった問題に対する隠蔽体質で、最近だと四川省での大地震、ちょっと前なら高速鉄道の衝突事故などで当局が被害規模を隠蔽しようとした上に本気で対策に取り組もうとしなかった点が挙げられますが、これらを考慮しても中国が今すぐに崩壊する要因とはなり得ないと私は思います。

 確かに一党独裁体制では情報統制がされていろいろと問題な点が見受けられますが、その一方で強みともいえる部分も存在します。私なんかそういうのを目の当たりにした一人だと考えておりますが、中国だととにもかくにも政治での意思決定が異常に早いです。敢えてたとえるなら日本の様な民主主義国家がサラリーマン社長によって経営される会社に対し、中国はオーナー企業そのものと言っていいほどの決断の速さで、また人権も多少無視できるので大規模開発や国家プロジェクトへの投資が異常にスムーズです。
 この項目を簡単にまとめると、中国の政治体制は一党独裁体制だからこそデメリットも存在しますが、その一方で民主主義国家に対するメリットもあるということです。そのため、「お国柄の違い」と分析するのが正しくて、「民主主義国家じゃないから駄目」というのはやや上から目線な意見だと私は考えております。

4、住宅価格の乱高下
 これは前回取り上げたGDP成長率と並んで引用される指標ですが、はっきり言いますが崩壊論者は卑怯もいいところだと言いたいような主張をしています。それこそ住宅価格が上昇するや「これはバブルだ」と批判し、下がると「景気に勢いがなくなった」、「経済をコントロールできていない」と、どっちに転ぼうとみんな批判してます。

 中国の住宅価格に関しては香港の不動産市場を追うなど修行した甲斐もあってそこそこ詳しい自身がありますが、まず2010年にかけては確かにバブル的と言ってもいい上昇ぶりでした。そのため中国政府は主に投資目的で買われる二軒目以上の住宅購入に対して厳しい制限を付けて2011年からは全国各都市で下落が起こるようになりました。なおこの時に一番下落が激しく今も尾を引いているのは、中国で最も投資意識の高い地域と呼ばれる温州市です。
 こうしたことから2012年も前半はほぼどこでも下がり続けましたが、後半からはまた徐々に上昇に転じ始め、さっきに中国国家統計局のデータを見たら2013年3月の新築住宅価格統計だと温州市を除いてたすべての都市が前月比で上昇しておりました。ただ今回の上昇は投資目的での購入が厳しく規制されている中での上昇なので、どちらかと言えば実際に居住するための購入、実需が主体の上昇であるため、ブームが終わってガクッと値段が下がるような上昇とは違うような気がします。

 第一、これだけ毎年高成長を続けているのだから住宅価格が上がるのも自然と言えば自然なので、仮に前年比で50%上昇とかだったらバブルと言えそうですが、15%以下なら許容範囲じゃないかというのが私の意見です。もっとも今年3月統計だと広州市が前年比11.1%増だから、もうちょっと規制した方がいいかもとは思っちゃいますが。

5、人件費の上昇
 多分今一番ホットな中国の経済テーマである人件費の上昇ですが、崩壊論者曰く、人権費が上昇することによって外資が撤退し、中国への投資も落ち込むというシナリオとなっております。確かに中国の人件費は前に私も書いた通りに急激に上昇しており他の東南アジアにある発展途上国と比べると競争力を失いつつありますが、その一方で中国人1人当たりの可処分所得は増え、これまで市場が成り立たなかったブランド品、化粧品といった商品の市場は拡大を続けております。
 恐らくライターや靴といった労働集約型の工場は中国から撤退せざるを得ませんが、その一方で付加価値の高い製品を作る工場であれば中国市場向けとしてまだ進出が続くと思います。更に言えばサービス業系企業の進出は可処分所得が膨れるこれからが本番で、実際に上海市に限れば昨年の外資の進出割合だと第三次産業が最も多かったという結果が出ています。そういうわけで、これもデメリットもあればメリットもある論点なので、デメリットだけに着目するのはよくないなぁと思うわけです。

2013年5月6日月曜日

中国バブル崩壊論の誤謬 その一

 先日に書いた「世界終末論と中国経済崩壊論の記事がやけにアクセスを稼いでいるので調子に乗ってもう一本関連した記事を投稿しようと思います内容は前にも一度に多様なのを書いておりますが中国バブル崩壊論者挙げる崩壊する理由に対してそこは違うぞという私なりの主張です


、少子高齢化の進行
 この理由は最近挙げる人が多いですが、要するに「中国では一人っ子政策によって少子高齢化が急激に進んでおり、高齢者の介護負担や年金負担によって遠からず破綻する」といったような主張がよく見受けられます。

 確かに中国ではもうそろそろ終わると何度も言われるつも一人っ子政策が継続されており少子高齢化は進んでおりますが、高齢者に対する社会負担によって中国経済が破綻するのは少なくとも今ではなく、まだずっと先です。このように私が主張する根拠というのも、皮肉にも崩壊論者たちが主張する上海の高齢化率です。
 この辺りの事情は以前にも調べて特集記事を書いたこともあったので詳しい自信があるのですが、人民網の記事によると中国で最も少子高齢化の激しい都市である上海市では2011年末時点、60歳以上の高齢者人口が全体に占める割合が24.5%に達しており、実質的に4人に一人が60歳以上という計算となります。


 一見すると上海の高齢化率は高いのだなという印象を受けますが、日本の高齢社会白書によると、日本は2011年10月1日時点で65歳以上の高齢者人口の全体に占める割合は23.3%に達しており、ほぼ上海と同じく全国規模で4人に1人が高齢者となっております。しかも中国の水準に合わせて60歳以上で計算すると確か30%近い数字にまで引き上がり、今後も上昇することはあっても下がることはありません。

 ここまでの内容を簡単にまとめると、中国で最も少子高齢化の激しい上海ですら日本全国よりも高齢化率は低く、中国全土で見ればさらに低いということです。確かに一人っ子政策は中国の将来的なリスクではありますが、少子高齢化による社会負担が大きな問題となるのはまだまだ先、少なくとも10年以上はかかるでしょう。更に言えば少子高齢化で破綻するというのなら今のままだと中国よりも確実に日本が先に破綻することになるので、人の心配してる場合じゃないってことです。

2、GDP成長率の急激な落ち込み

 このところ中国のGDP成長率が前年同期比を下回ることが多いことから崩壊論者たちは、「中国の成長減速が始まった」、「これから本格的なバブル崩壊が始まる」などという言葉をよく使います。ちなみにGDP成長率が前年同期比で上昇していた頃は、「これはバブルが膨らみ続けいるが中国政府は放置」「もうすぐ経済は破裂する」などと言われており、一体どっちやねんと突っ込みたくなります。

 まず直近こと今年第1四半期(1~3月)の中国のGDP成長率ですが、これは市場予測の8.0%を下回り7.7%となり、前期比の7.9%を2ポイント下回りました。ぶっちゃけ自分も8%台になると予想していたもんだからちょっとショックを受けましたが、少なくとも崩壊論者が主張するほどの急激な落ち込みとは言えないでしょう。

 崩壊論者たちは00年代の頃は10%超の二桁成長が続いていたなどとかなり昔のデータを引用して今の成長率が一桁に留まっていることを揶揄しますが、そもそも絶対値が違うことに気が付いていないのか強い疑問を感じます。確かに以前の中国はGDP年間成長率が毎年二桁に達しておりましたが、そもそも中国のGDP額はこの10年ちょっとで倍以上に増加しております。仮に10年ちょっと前のGDPが100だとすると現在は200ちょっとで、次の年の成長率がそれぞれ10%増、7%増だったとしても、

<GDP増加額の比較>
以前:100×0.10=10
現在:200×0.07=14

 という計算となり、GDPの増加額の絶対値では現在の方が上回っていたりする年もあります。単純に成長率という割合だけで見ては本質を見失うと言ってもいいでしょう。

 第一、中国は現在既に米国に次ぐ世界第二位の経済大国です。これだけ大規模になってもまだ7%超の成長をしているのはやはり大したもので、しかも昨日たまたまテレビニュースで見ましたが、今年第1四半期のGDP成長率では新興国と呼ばれているフィリピンやミャンマー、インドネシアなどアジア各国を中国が全部上回っておりました。もちろん日本に対してもです。

 崩壊論者は「落ち込み方が激しい」と言いますが、じゃあ適正な成長率はどの辺なんだよと深く問いたいです。私からするとこれだけ大規模になったんだから徐々に落ちていくのが当たり前なんだし、仮にいきなり成長率が5%台に落ち込んだら確かに大ごとだけど、少なくとも落ち込み幅が前期比1ポイント以内ならまだアリじゃないというのが私の意見です。


 まだまだあるけど、今日はこの辺で終えときます。続きは……なんかめんどいなぁ。

2013年5月5日日曜日

「写ルンです」を偲ぶ


「お正月を写そう」

 上記のデーモン小暮氏(現デーモン閣下)の動画とキャッチコピーに言いようのない懐かしさを感じることが出来た方はきっと私と波長が合うことでしょう。どちらも富士フイルム発のヒット商品である「写ルンです」の広告に使われたものですが、昭和生まれの人間ならきっと一度は見たり聞いたりしたことがあるでしょう。それにしてもデーモン閣下も若いなぁこの頃。
 なんでまた唐突に「写ルンです」について話し出したのかというと、昨日の記事に書いたように「富士フィルム・マーケティングラボの変革のための16の経営哲学」の作者である青木氏とお会いした際にこの商品でも話が盛り上がり、懐かしいのと同時にあのヒットの裏側などについて詳しく教えてもらえたからです。そこで今日は懐古主義に走ってしましますが、「写ルンです」についてあれこれ書いてこうかと思います。

 まず知らない方のためにも簡単に説明すると、「写ルンです」という商品は富士フイルムが発売した「レンズ付きフィルム」というちょっと変わった商標の商品で、簡単に言い換えるなら使い捨てカメラといったところです。一体なんで「レンズ付きフィルム」という商標になったのかですが青木氏によると、「カメラ」という商品では海外に輸出する際にフィルムと比べて割高な関税がかけられるためあくまで「フィルムにレンズが付いたものであってカメラではない」という方便だったそうです。物はいいようだ。
 この商品ですがデジカメのなかった90年代においては絶大な用途があった商品で、1個につき約27枚の写真を撮ることが出来て、すべて撮り終えた後にカメラ屋に持っていくと現像してくれるというような商品でした。使い捨てであることから費用も安く商品自体が軽いことから小中学生の修学旅行などにも大活躍し、日本全国の観光地にあるお土産屋ならどこでも買うことが出来ました。

 この「写ルンです」が登場したのは1986年ですが、青木氏によると富士フイルムの営業の人が使い捨てのカメラを作ってみたらどうだろうということから発案されたそうです。ただ企画当初に搭載されたフィルムは画質が荒く、社内ではあまり売れる見込みがないとして評判はよくなかったそうなのですが、試しに少量生産してギフト市場向けに売ってみたところ意外にもすぐ売り切れ、その後は全社一致団結して販売に向けた体制作りが始められたそうです。フィルムの方も2代目からは一般的な35ミリフィルムが搭載されるようになっただけでなくストロボ装置も加えられ、日本国内はおろか世界中でヒットして富士フイルムの代名詞となったと言ってもいい商品でした。

 大ヒットした要因はその利便性のほか「お正月を写そう」といった効果的なキャッチコピーや有名芸能人を使ったユニークなCMなどがあるのですが、一番上に動画を付けたデーモン閣下のCMに関しては「裏話がある」と青木氏は教えてくれました。その裏話というのも、最初にデーモン閣下を起用した際に富士フイルムの社内上層部では「なんだこの白い奴は?」という感じであまり印象が良くなく、撮影したCMは使うべきではないのではとの声も出ていたそうです。ただ既にテレビ放送枠を取っていたことからこれまた試験的にとりあえず流してみようかとやってみたら視聴者からは大受けで、その後も続編が作られるようになったそうです。

 そんな「写ルンです」ですが、小型ですぐその場で撮った写真を確認できるデジタルカメラが登場してからは徐々に下火となり、今日もうちの親父と浅草に行ったところどのお土産屋にも「写ルンです」は置いてありませんでした。富士フイルムの会社HPをみると一応今でも売っているようですが、一時代を築いたとはいえさすがに過去のものとなりつつあるようです。

 ここで「写ルンです」からは少し離れますが、最近の富士フイルム製品の中で「チェキ」という、撮ったその場で写真を印刷できるプリンタ付カメラことインスタントカメラが売り上げを伸びております。さっきから何度も出ていますが青木氏によると、撮った写真をその場で確認できるという意味では普通のデジカメでもできることから発売当初はそれほど売れ行きも良くなかったものの、海外でテレビドラマなどに使われたことから徐々に売れ始め、その後に詳しくマーケティング調査をしてみると「撮った写真をその場で印刷して、その場で相手に渡せる」という特徴が消費者の好感を得ているそうです。先程の「写ルンです」といい、つくづく富士フイルムという会社は変わった商品を開発する能力に長けているとともに、マーケティングをしっかり行っているんだという印象を覚えます。

  おまけ
 「写ルンです」のデーモン閣下のCMは今見ても新鮮というかなかなかインパクトがあるのですが、見ている最中にふと、「ゴールデンボンバー」が出ているソフトバンクのCMが頭に浮かんできました。こちらのCMにも顔面を白塗りにした人が出てますが、白塗りは見た目にもやっぱりインパクトがある気がします。

2013年5月4日土曜日

書評「富士フィルム・マーケティングラボの変革のための16の経営哲学」

 本のタイトルが長いせいもあってこの記事の見出しも長いですが、今日は故あって読んだ「富士フィルム・マーケティングラボの変革のための16の経営哲学」という本を紹介します。

 この本の概要を簡単に書くと、富士フイルムの執行役員も務めた著者の青木良和氏が社内研修会で取り上げた割と旬の経営者たちの経歴、業績、特徴を人物ごとにまとめられております。取り上げられている経営者の具体名を挙げるとキヤノンの御手洗冨士夫氏やソフトバンクの孫正義氏などメジャーな人物はもとより、ユニクロの柳井正氏、パナソニックの中村邦夫氏、でもってちょっと古いのだとクロネコヤマトの生みの親と言っていい小倉昌男氏など、主要な人物は一通りカバーされております。

 ほかのビジネス本と比べてこの本の優れているところを私なりに分析すると、一冊の本の中に多くの経営者をまとめて紹介していることもあって各経営者の特徴というか人となりが非常に比較しやすいです。具体的には挙げませんが成功している経営者の共通点や、似たような構造改革をしながら微妙に異なる点などが把握しやすく、敢えて言わせてもらうとビジネス本に読み慣れていない大学生や新社会人などが読むのにちょうどいい本じゃないかという印象を受けました。
 また経営者一人一人が項目別に比較的短くまとめられていることから読みやすく、文章自体もライターらしい文体ではなくわかりやすい書き方がされております。この点は何でも、中見出しなどを除いてほとんどの文章を青木氏自身が書いたということから二度びっくりです。

 そもそもなんでこの本を私が手に取ったかですが、以前から富士フイルムという会社に興味を持っていたことがきっかけです。知ってる人には早いですが昨年に写真フィルムで世界大手の米コダックが経営破綻しましたが、同じく写真フィルム事業を営んでいた富士フイルムは未だに元気いっぱい(?)存続しております。また冷静に自分が所有している富士フイルム製のデジカメを手に取ってみると、「一体なんで写真フィルムを否定するかのようなデジカメという製品を富士フイルムは作っているんだ」と思えてきて、主業を見事に転換させた企業なのではないかと去年末あたりからマークしておりました。
 その辺の顛末というか衰退する写真フィルム事業の一方で医療用フィルムや化粧品事業などへの多角化によって見事「コダックにならなかった」話は下記リンクのダイヤモンドの記事にまとめられています。

【企業特集】富士フイルムホールディングス写真フィルム軸に業態転換新事業を生んだ“技術の棚卸し”(ダイヤモンド)

 ちょうどシャープやパナソニックがテレビ事業で大赤字を出している最中だけに「選択と集中」、というより「捨てる勇気」という経営とはどんなものかと考えおり、何かのヒントになるのではないかと思って青木氏の本を手に取ってみたわけなのですが、富士フイルム内部の経営改革が主題ではないものの(ちらちらは書いてある)複数の経営者をきれいにまとめていることから期待以上に面白い本でした。なもんだから、今日の午前中に著者の青木氏に直接会ってきました。
 我ながら今に始まるわけでもなく唐突なことをまたやらかしましたが、なんか調べてみると青木氏の住んでいる所と自分が住んでる所が近いことがわかり、折角だから接触を試みようと出版社を通じて打診してみると快く応じてくれて、今日のこの書評も直接書いていいとお墨付きを得られました。

 で、肝心の青木氏からのお話ですが、先にも書いてある通りにこの本は青木氏をはじめとしたメンバーが富士フイルム社内で行った社内研修会の内容がまとめられております。そもそもその社内研修会はどんなところから始まったのかと尋ねてみると、社内研修というのはほとんどの会社で人事主導で進められるが、なるべく営業の現場にいる人間が必要な研修を自ら考え自ら組んだやった方がいいのではというところからスタートしたそうです。その上で、企業というかサラリーマンはどうしても視線が内向きというか社内に向きやすい傾向があるから、なるべく社外から講師を招いて会社の枠を超えた視点や論理力を若手社員に付つけさせる目的で実施していったそうです。

 そうやって研修した内容を本にするに当たって意識した点について聞いてみると面白い回答が返ってきて、各経営者の資質よりもそのバックグラウンド、どういった境遇の出身でどんな教育を受けてどういった経歴を歩んできたのか、そういったものが経営者を測る上で重要なのではないかと思って重点的に書いたと教えてくれました。言われてみるとこの点が非常によく書かれてあり、読んでて納得というかあまりこれまでの自分にない視点だったなと思わせられました。

 夢のない話をしてしまいますが世に出るビジネス本の8~9割は経営者などへのインタビューを経てコピーライターによって書かれております。それが決して悪いと言うつもりはありませんが、コピーライターが書くとどうしても「知識のない人間が知識のある人間を通して書く」ためその伝えられる内容にはやはり限界があるように思えます。
 それだけにこの青木氏の本は富士フイルムの営業の現場にいた青木氏が自らの知識と経験によって直接書いてるだけあって、やっぱほかの本と違うような印象があり、自分でもややほめ過ぎな感じもしますが素直に推薦できる本です。そんなわけで興味のある方は若いプータローですら気さくに会ってくれる青木氏を応援する意味合いでも、ぜひ手に取っていただければ幸いです。