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2013年12月23日月曜日

スマイルサーバーに対する不満と不信

 きのうちょこっと書きましたが、そろそろ頃合いも頃合いなので私とNTT西日本が運営するレンタルサーバーサービス、スマイルサーバーとの心温まるふれあいについてありのままに書こうかと思います。

 実はさっきブログのデザインをいじり、タイトルバナー下にあるタブボタンで新たに「企業居点」というボタンを追加しました。ここを追加すると別サイトへ飛ぶのですが、そのサイトは私がレンタルサーバーを借りて作ったものです。どんなサイトかというと日系企業の海外拠点をまとめているもので、ユーザー層としては海外駐在員向けに作っています。
 なんでこんなサイトを作ろうとしたのかというと、単純に自分が「こんなのあったらいいのに」と思ったからで、欲しいものは自ら作るのがマイポリシーなだけに各日系企業のサイトを全部当たってデータをかき集め、慣れないホームページ作りをした上でこうしたサイトに仕立て上げました。中学・高校時代のあだ名が「クーロンズゲート」で本人も一時期風水師になろうと考えた友人は、もはやこのサイトはインフラだとも言ってくれて、私としても決して無価値な情報ではないという確信があります。

 それでこのサイトの現況ですが、手元にあるデータは数万件あるものの、今の所アップロード出来ている拠点データ数は3000件弱といったところです。ガチで手作業なため1時間当たり100件くらいしかアップできないため焦らずゆっくりこれから入れてこうと思うのですが、実はこのサイト、11月末時点には5000件くらいデータがありました。それが何で減っているのかというと、まんまデータが吹っ飛んだからです

 私はこのサイトの製作に今年7月から着手しましたが、その際に使用したレンタルサーバー会社というのがスマイルサーバーでした。サーバー費用は独自ドメイン代を含めて月額約3000円と、今どき500円くらいからでも余裕でサーバーは借りられる中で敢えてやや高めのサーバー会社を選びましたが、その理由はさっきの「クーロンズゲート」がサイトの情報量が増えれば増えるほどサーバーの調子が悪くなって表示が遅くなると教えてくれていたからで、多少持ち出しが多くなっても将来性を見越してここに決めたわけです。

 ただ使い始めた当初から、使用に当たってやや疑問に感じる点がいくつかありました。私はこのサイトをWordpressというブログソフトを使って作っているのですが、このソフトで自動バックアップを取るためのソフトをインストールしたもののスマイルサーバーが使用しているPHPというプログラムソフトのバージョンが古いため、このバックアップソフトがうまく機能できませんでした。

 そして実際の運用でも、最初の方はそれほど問題ありませんでしたが投稿データ数が増えるにつれて表示速度が落ちていき、ちょうど5000件を超えた当たりから極端に遅くなり、私の計測だと1ページ表示するのに約16秒もかかるようになるなど、もはやまともに閲覧することすらできなくなりました。
 もっともこの時点ではサーバー側に問題があるのではと疑いつつ、普通こんなに遅くなったら何らかの連絡くらいするだろうと思い、私のサイト構成が悪いのかと思って表示速度を少しでも改善しようといくつか外部のソフトを入れてみました。その中のいくつかで噛み合わせが悪かったのかソフトをあれこれ有効化させたりしている最中、突然サイトにもサイト編集画面にも入れなくなってデータが全部吹っ飛んでしまったわけです。

 一瞬呆然としましたが取り直してもう一度一からサイトの立ち上げ準備にかかったわけですが、何故だかデータはすっとんでいるのにサイトの表示速度は遅いままで、さすがにこの辺でおかしいと思いスマイルサーバーに連絡した所、「検索エンジンからのクローラアクセスが大量にあったのでリソース制限(=事実上のアクセス制限)をしていました」ということを初めて明かし、ようやくここに至ってあれこれソフトを入れずにデータすっ飛ばさなくてもよかったんだということに気が付きました。

 そもそもデータの質がちょっと歪だったのはまだ認めるものの、当時のアクセス数は一日300人程度だったのに、この量でアクセス制限されるというのもちょっと納得いきません。第一、一般的なサーバーより明らかにスマイルサーバーの価格は割高なんだからこういう事態への対応も期待したっていい気がします。更に言えば、スマイルサーバーは宣伝や広告で「インターネットで商売したい人も大丈夫!」って謳っていますが、ECサイトを作るとなると商品点数は数千点超えることはざらなのに、わずか5000件のデータでサーバー負荷が問題になるなんてとてもじゃないがお話になるとは思えません。

 と、こういう一件もあり、アップするデータは数万件もあるのだから今後もスマイルサーバーじゃどっち道駄目だろうという結論に至ったので、「アクセス制限をしていたことを聞かれるまで明かさなかったのは不満でした」と伝えた上で解約を申し出ました。スマイルサーバー側からは、「配慮が足らず申し訳ありませんでした」と伝えられた上で、「契約開始から半年以内の解約となるので、違約金2000円を請求させてもらいます」ときっちり言われてしまいました。まぁ別にいいけどさ……。

 そんなこんだで今度はレンタルサーバー大手のさくらサーバーで、月額1000円コースを契約してまた一から作り始め今のところまで持って来れました。データのアップは本当に一からなのでリアルに「倍返しだ!」とか、シャアみたいに「まだだ、まだ終わらんよ(作業が)」と言いつつ作業を進めてきましたが、ひとまずお披露目できる状態には出来たかなと考えてます。つってもまだ先長いが。

 結論を述べると、値段の高いサーバーを借りても決してサービスが良くないという教訓を得たわけです。なお今日頻出の「クーロンズゲート」は過去にエックスサーバーを使っていた際、アクセス制限をかけられた時はちゃんとサーバー会社から連絡が来たと言っていました。

2013年12月22日日曜日

部屋とYシャツとHSK試験と私

 さて先月、このブログでは9月に書いた「HSK5級、6級の試験対策」という記事がやけに多くのアクセスを稼いでいました。HSK(=漢語水平考試)というのは中国政府が主催する中国語の資格試験なのですが、今月初めの12/1にもこの試験が日本各地で催されたことから私の記事も何かの参考にしようと多くの受験生が見に来てくれたんじゃないかと思います。第一、5級と6級の試験対策について書いているホームページって少ないし。

それで前回の記事では9月にHSK6級の試験を私が受けた所までしか書いていませんでしたが、結果を書くとギリギリスレスレだったものの無事合格してました。HSKは6級が最上級なのでもう中国語の試験勉強しなくて済むとホッとしたのと同時に、ギリギリだとかっこ悪いから念のためにもう一回くらい受けてもっといい点数で成績残しておこうかと二つの気持ちが同時に沸いてきました。まぁ今はちょっとプライベートがあまりにも忙しいから無理だけど。
 実はこれまでの人生、歴史科目を除いてテストであまりいいい点数を取ってこなかっただけに、今回こうして曲がりなりにも最上級の語学試験に合格したというのはいい思い出となりました。ただ周りと比べて自分は明らかに語学センスがなく、今回の試験もどちらかといえば試験テクニックを駆使してごまかした感があり、せいぜいこれからの人生はメッキがはげないようにうまくとりつくろわなければという圧迫感も感じます。

 ここで少し話を変えますが、9月の試験で6級に無事受かっていたので12月に行われた試験はもちろん受験しなかったのですが、HSK本部からは連日、「試験受けに来ない?」というメールを山のように受け取っていました。
 笑い話になるので少しその顛末を書くと、HSKの受験申込期間は受験日のちょうど1ヶ月前なのですが、確か11/1が申込期限だったのでこの日の約一週間くらい前からほぼ毎日、「申込期限まであとわずか!」というメールがまるでスパムメールの様に送られてきました。しかもようやく11/1になりもう来ないだろうと思ったら、

「応募者多数のため申込期限を1日延長して11/2までにしました。まだ申し込んでない人は急げ!」

 というメールが届き、まんまスパムメールじゃねぇか、やるな中国などと一人ごちていました。

 あとこういった受験者募集メールのほかに、HSK試験の監督官をやらないかというメールも私の所には届いていました。なんでも4級以上の合格者に対して送っているようで、受験会場を増やしているので不足しているからもしよければって具合でこっちも結構な量が送られてきていたわけなのですが、試験管をやるためには一回だけ講習を受けねばならず、しかも講習費はちゃっかり徴収するという仕組みだったので私は無視しました。
 HSK本部の名誉のために言っておくと、試験監督官を務めればちゃんと報酬はもらえ、その報酬額は講習費用をちゃんと上回っておりました。

 最後にHSK受験者に向けて書くと、私個人としては日本の中国語検定よりもHSK資格の方が実際の能力は測りやすいと考えており、どちらを優先して評価すると言ったら間違いなくHSKです。でもって具体的には4級程度の成績があれば中国で生活するには不自由がなくなり、向こうでの仕事もある程度出来るレベルだと見ているため、中国語学習者はまずは4級取得を一つのベンチマークとして目指すことを強くお勧めします。4級取得に必要な勉強量としては中国留学1年分くらいかなと思うので、多分この記事を読んでくれているであろう留学を予定している友人はぜひ頑張って取得を目指してみてください。

高価格帯商品、サービス不振の原因は

 昨日たまたまニュース番組の今年のおさらいみたいなのを見ていた際、私も記事にして随分とアクセス数を稼がせてもらった阪急阪神ホールディングの発表に端を発した食品表示偽装事件が目に入りました。漫画喫茶行って変にテンション上がっていたからかもしれませんが、その映像を見た際にこの表示偽装事件を始めとした諸々の表示違反、過大広告こそがデフレの真の原因じゃないかなということを思いつきました。内容が少し複雑なので、今日は手加減抜きにして書かないとなぁ。

 まず私の体験からお話ししますが、つい今月になって自分が持っているのは2013年度の最新版ではなくオールドタイプな2012年度モデルだということに気が付いたNexus7(タブレットPC)ですが、私はこれまでこのNexus7に革製のカバーを付けて使っていました。付けた理由はそんな大したもんじゃないですが裸にしておくよりは持ちやすそうだし、カバンの中に入れるのにもいいかなと考えたからで、長く使うことになりそうだしケチな自分にしては珍しく価格が高いカバーを敢えて選んで購入しました。それが間違いでした
 先日、年度モデルを確認しようとNexus7の型番を見るためかなり久々にこのカバーを外したわけなのですが、その際に裸の状態のNexus7が持ってていやに軽いような感じを覚えました。試しに外したカバーも手に持って比べてみると、明らかにNexus7本体よりもカバーのが重かったわけです。でもってこのカバー、持ちやすくするために買ったのに付けてみても持ちづらく、なおかつ背部に片手で持てるようバンドがついているのですがこのバンドも使い勝手が悪く、装着時の不自然な重さと相まって使い勝手の悪いカバーだったということにようやく気が付いたわけです。

 正直な感想を述べるとなんでこんな使い勝手の悪いカバーを今まで使っていたんだと後悔するとともに、敢えて高い価格のカバーを買ったのにほかのカバーよりも質が劣るとはどういうこったとむかっ腹を覚えました。そしてその後に先ほど述べた食品偽装のニュースを見て、「高い価格を払ってもその価格に見合う価値が得られないのでは?むしろ低い価格の商品なりサービスのが高価格の質を上回っていることが多いのでは?」と覚え、もしやこれがデフレの一因ではないかと思いついたわけです。

 デフレについての説明は省略しますが、リーマンショック以後、いやそれ以前から続く平成不況の最大の原因はこのデフレと言って過言ではありません。デフレによって何が起こるか端的に述べると価格が全体で下がっていくことにあり、これによって高価格帯の高級商品なりサービスの需要が落ちて現象が見られます。この高価格帯の需要減少が実際に起きているのか一発でわかるのは百貨店業界の不振で、ここを見るだけでどれだけ日本人が高級品や高級サービスを求めなくなったのが誰だってわかるでしょう。

 それでここからが話の本題ですが、一体何故日本人は高級品や高級サービスを求めなくなったのでしょうか。平均賃金が落ちてきたとか年金など将来の社会保障への不安などももちろんあるでしょうが、そもそも高価格の商品やサービスが価格に見合うだけの価値を持っていないことに消費者は気付き、これら高価格帯に対して強い不信感を持っているのでは、という仮説が昨日に浮かんできました。

 もう一度先程のNexus7用のカバーを例にとると、私はいい品質を求めて敢えて高い価格のカバーを購入しましたが、蓋を開けてみると明らかに二束三文で売っているようなカバーよりも使い勝手が悪かったわけで損した気持ちにさせられたわけです。そして今度は各高級ホテルやレストランで行われていたことが発覚したメニューの表示偽装事件ですが、この事件でも訪れたお客は高いお金を払ってでもおいしい食事を求めたところ、出された料理は表示されたものより明らかにグレードの劣る材料で作られていたわけだったので問題となりました。

 このように高い価格を払っても、その価格を上積んだほどの上質な価値が得られないということが実際に起きており、でもって日本の消費者も意識はしていなくてもなんどなく気がついているように見えます。何も食品の表示問題に限らずともその他様々な商品で、実際の性能や品質以上の価値を謳う表示偽装や過剰広告がばれるという事件は近年枚挙に暇がありません。それこそかつて起きた高級料亭の船場吉兆の事件でも、高い値段を取っておきながら食品衛生管理すらまともにできていない調理をしておりましたし、今回の食品表示事件でも高品質なブランドを謳っておきながら平気で消費者をだましていたわけです。

 もちろん高い値段は取るけどそれだけの価値をきちんと消費者に与えているところもあるでしょうが、全体としてはやっぱり高価格帯の商品やサービスはその価格の裏付けがあまりなく、安いものとそれほどの差がないという風に消費者はみなしているんじゃないかと思います。要するに、高いものも安いものも中身は一緒なんだったら安いのを買った方がいい、こんな境地に至っているのではないかと推測するわけです。

 私自身もそのように感じる機会がこのところ非常に多く、やや値段が高めの飲食店に立ち寄って食事したら、「この値段でこの味?」と感じたり、様々なサポートが必要になるかもしれないと将来性を見越し敢えてサービス料金が高めのサーバー会社と契約したら理解しがたい対応されたり(後日詳しい顛末を書きます)と、高い価格の商品やサービスほどその内容にがっかりさせられることの方が多いです。逆に安い価格の商品やサービスは、「安いんだからぜいたくは言えない」と初めから構えてはいるものの、想定以上に活躍してくれたり使い勝手が良かったりして満足する機会が本当に増えています。

 最終的な結論を述べると、高価格帯の商品やサービスに魅力が感じられないどころか高い価格に見合った価値を消費者に提供できていない、または費用対効果でその価値を認めてもらってないというのが今の日本の現状じゃないかと主張したいわけです。だからこそみんなして高価格帯の商品やサービスを避けるようになり、それがデフレを加速させた一つの要因になっているというのが私の仮説となります。

 こう主張した上で敢えて苦言を呈すと、誰が悪いかといったら明らかに高価格帯の商品やサービスを取り扱っているのにそれに見合う価値を提供できてない業者の側だと私は思います。少なくとも私の目から見てこの手の業者の多くは高い値段を取るくせに全然消費者を満足させておらず、挙句には表示偽装などずるこいてせせこましく金をとる真似までしており、こうした行為が消費者の高価格帯への不信を煽っているように見えます。

 最後に私が今年にお金を払って一番満足したものを挙げると、下にはっつけた広告バナーに表示されている三菱電機製ふとん乾燥機です。以前に、「ふとん乾燥機を持ってない奴は凄い損している」とネットの掲示板に書かれていたので前から興味があって今年十月に買ってみましたが、夜中だろうと布団を外に干したようにポカポカにできるし、寝る前にちょこっと布団を温めたりも出来たりと大活躍中です。独身の人間には強くお勧めします。


2013年12月21日土曜日

来年度の景気予測について

 今年九月に買った低反発枕が三ヶ月の使用によってかなりへっこんできたので、今日また創業50年くらいの雰囲気を感じる地味な寝具店に行ってきて新たな普通の枕を買ってきました。買ってる最中にふと思いましたが、低反発枕があるのなら高反発枕もあってもいいような、売るとしたら商品名は「反逆児」にして、その横の低反発枕は「優等生」って名前がベターかもと思い浮かべましたが、こういうこと考える当たり自分は骨の髄まで体制に反発する側なんだろうとつくづく思います。士郎正宗より大友克洋みたいな。
 話は本題に入りますがこのところ経済ネタを書いていないので、元経済紙記者だったんだしちょこっと来年の景気予測について書こうかと思います。結論から述べると第1四半期は○、第2四半期は×、第3四半期以降は不明瞭というか予想すること自体が馬鹿馬鹿しいと言ったところです。

 まず来年の日本景気の最大のビッグイベントは言うまでもなく四月からの消費税増税です。現時点でもそうですが増税前の駆け込み需要として自動車だったり家等を買う動きが広がっていますが、これは企業間でも同じで増税前に必要な部材や設備などをあちこちで購入しており、以前に聞いた話だと設備メーカーでは受注に納入がおっつかない状態に陥っているそうです。なもんだから、今年の第4四半期はほとんどの企業で売り上げが伸びている状態にあるように見えます。

 ただこうした動きは利益の先食いと言ってもよく、本来ならば来年四月以降に購入するものを先に買っているため、四月以降はこれらへの消費が先細る傾向がある、というか先細るしかないと断言してもいいです。この利益の先食いは来年第1四半期である1~3月までは続くと見込まれることから、この期間までは各企業で売上げは伸び続けるでしょうが、増税後の4月以降は増税分のコストアップと相まって一気に買い控えが進むと見られます。

 この買い控えの期間は短く見積もっても8月くらいまで続くと私は見込んでいますが、長ければもっとずっと延々と続くことでしょう。ここまでの話だったら誰でもできるわけなので自分なりのアレンジを加えると、買い控えが終わる時期については日本経済や各企業の努力以上に政治的な対応が重要な要素となると思います。その政治的な対応というのも、言ってしまえば安倍政権の景気対策です。

 現時点で来年度の景気対策として相当額の金をばらまくことが与党内で決まっておりますが、それらがどのように作用して効果があるのか、これについては実際にばらまかれてみないとわかりません。また同時に安倍首相のアベノミクス、この政策の成長戦略がどれだけ具体的で効果的で価値があるのかと市場に判断されるか、文字通り安倍首相のリーダーシップが試されます。
 少なくとも今年夏に発表した「第三の矢」の内容は現時点で恐らくほとんどの人が覚えていないほど価値がなくくだらないものだったと私は考えているので、ちゃんとした内容を改めて検討して作っとかないと「経済無能」の烙印を安倍首相は押されかねなません。逆に消費税後対策がしっかりと行われ、買い控え時期を短く、具体的には年内までにまた景気を持ち上げられたら立派なものでしょう。この景気の再浮上時期は定義にもよりますが現時点で予想するにはあまりにも不確定材料が多いため、早くても9月以降としか言えません。むしろ具体的に予想しようというのはあてずっぽうなことを言う事と同義なため、予想すること自体が間違っていると思うわけです。

  と、結構後ろ向きな意見ばかり書いてきましたが、現時点でも今後、かなり期待できる業種が実は一つだけあります。遠慮なく明かしてしまうとそれは軍需産業系です。
 こちらもまた来年度予算案の話ですが、どうやら自衛隊関連の防衛費用などを増額する方向で話がついているそうです。これだけでも十分材料となりますがそれ以上に先日、日本が英国と武器開発を共同で行うことで向こうと話がついており、こうした流れから日本国内の軍需産業に関わる企業などは株価上昇が期待出来るんじゃないかなと今朝友人と意見が一致しました。

 では具体的にどんな会社が上がりそうなのか。友人に軍需系でなんか知ってるかと聞いたら、「三菱重工じゃね?」と返ってきました。それに対して私は、「三菱重工が筆頭なのは間違いないが、もう一つ上げるとしたらミネビアじゃね?」と返しました。正直に述べると軍需系についてはそんな詳しくないので適当に名前あげただけですので、信じる信じないは自己判断で宜しくお願いします。

  おまけ
 その友人と話をしている最中に向こうから、

友人「最近、『電波の城』って漫画を読んでるんだけど」
花園「レムリア教だろ?」

 とすかさず反応して見せました。自分はこの漫画を採っとりにいる後輩に勧められてから読み始めましたが、友人も同じ趣味してたんだなとちょっと感じました。

2013年12月19日木曜日

バランスのとれたメディアは何故存在しないのか

 昨日あんな記事を書いてたら今日になって猪瀬知事が辞めちゃいました。まぁ遅かれ早かれって感じだったし、石原慎太郎議員に言われて辞めたってことだから「俺の所に捜査が来る前に早く辞めろ」とでも脅されたんじゃないかな。それにしてもこれほどまでに天国から地獄へ一気に駆け下りた人は久々に見た感じがします。

 そうした雑感は置いといて本題に入りますが、よくネット上では朝日新聞やフジテレビが偏向報道をしているなどとやり玉にあがることが多いです。その通りなんだけどね
 私個人の資質を考慮したとしてもこの二メディア、ひいてはほかの大手新聞やテレビ局も公正中立な報道といいながら多かれ少なかれ偏向というか偏った立場をとります。特にテレビ局では「ほこ×たて」などのようなやらせ番組がばれた時、大手新聞ではこの前の特定秘密保護法案の時など政治が絡んでくると猛烈に一方向からの意見しか取り上げなくなってきます。

 なお特定秘密保護法案の時に私はこのブログで、この法案を批判している民主党は政権与党時に漁船衝突事件が起こり、明確な法的根拠がないにもかかわらず海上保安庁のビデオを非公開にした挙句にそれを暴露した海上保安庁職員を処罰した事実があり、こうした事実をなかったことの様にして安倍政権を批判するのはフェアじゃないと書きました。その上でどうしてメディアはこういった報道をしないのかといいましたが、それからすぐ後に産経新聞がまさに同じような内容で報じたのですが、だからと言って産経新聞が中立なメディア化というとちょっと悩んでしまうわけです。

 ちょっと脱線しましたが偏向報道が起こる度に、「どうしてバランスのとれたメディアは日本に存在しないのだろうか」といった声がちらほら聞こえてきます。何故報道姿勢にバランスのとれたメディアがいなくなったのかその理由を率直に答えると、単純に市場に淘汰されたから、されるからだと思えます。
 一つ上の文章で妙な言い回しをしましたがなんでこんな言い方をしたのかというと、もしかしたら本当に賛成意見、反対意見をきちんと載せ合うバランスのとれたメディアが日本に存在していたのかもしれないと思ったからこう書きました。存在していたのかもということは現在はいなくなってるということになるわけですが、今日の結論を先に述べるとそういうバランス感覚に優れたメディアだと恐らく売れず、商売が成り立たなくなるのではないかと考えるからです。

 たとえば先ほどの個人情報保護法案を例にとってみると賛成意見、反対意見をそれぞれ隔てなく毎日報じるとします。見る人によっては評価するかもしれませんが私の印象だと、恐らく圧倒的大多数からはどっちつかずのように思え、この法案は正しいのか悪いのかどっちなんだという具合でつまらなく感じると思います。さらに初めから賛成派であったり反対派の考えを持ってたりすると読んでて確実に満足感が得られず、それどころか怒りすら覚えるかもしれません。

 事件報道においてはもっと顕著で、淡々とした文書で芸能人の不倫騒動を報じるとします。それこそ誰それが不倫の現場を押さえられ、相手はこういう人間だと事実だけ書いた文章だとそっけなく感じますが、週刊誌の様に面白おかしく大げさに、「○○はかねてから複数の異性と交遊しているという噂が出るなど……」という風に煽った方が読者も支持するでしょう。
 このような具合で中立的なメディアというものは購入してまで読んでくれるような支持層を作り辛く、なおかつよっぽどいい記事でも書かない限りは読者も面白味を感じ辛い文書校正となりやすいように思えます。そのため、仮にそういうメディアが出来たとしても支持層が出来ないために売上げが伸びず、自然と市場から撤退するため中立的なメディアは存在しなくなるのではというわけです。

 これは逆を言えば、偏った報道をする方が売上げ的にはいいということにもつながります。政治の暴走を抑えるのはジャーナリズムだなどときれいごとだけならいくらでも言えますが、お金が回らなければジャーナリズムもへったくれもありません。
 しかしここで敢えて苦言を呈すと、そうした偏向するメディアを支持し、中立的なメディアを支えないのはほかならぬその社会の市民です。言うなれば中立的なメディアが生まれないのはその社会の構成員にも責任があります。

 一つ昔話をすると、よくネット上で「戦時中は国民を戦争に煽っていた」と批判される朝日新聞ですが、確か満州事変が起きた直後に軍部の暴走が過ぎるという方針の記事を掲載したそうです。すると記事が出るや途端に朝日新聞の不買運動が起こり、関西地区では部数がそれ以前と比べ二割まで、要するに八割も減少する事態に見舞われ、これじゃアカンとばかりに記事方針を一転させてイケイケどんどんな記事を載せていくことにしたそうです。
 この事実について立花隆氏は、「あの戦争は国やマスコミが勝手に始めた物ではなく、国民そのものもかなりの部分で賛同していた」と書いてありますが、私もその通りだと思います。もし仮にこういう不買運動が無かったら、と思うのは私だけでしょうか。

  おまけ
 朝日新聞は戦時中の煽り報道を反省して今ある報道姿勢に落ち着いたと自分で言っていますが、以前は政府を極端に支持し、現在は政府を極端に批判するようになりました。しかし極端から極端に走るのは過ぎたるは猶及ばざるが如しなんじゃないかなぁと思うと同時に、結局極端に走った奴が勢力拡大できるんだなとこの記事のテーマをしみじみと感じる次第です。

2013年12月18日水曜日

猪瀬知事はいつ辞めるの?今でしょ

 まるで特定秘密保護法案なんて存在していなかったのかのように、今年年末の政治ニュースは猪瀬知事の話題で持ちきりです。既に一回記事にしていますがこれほどまで後からどんどんとボロが出る、しかもそのボロを弁解しようとすればするほどさらなるぼろが出てくるという具合でかつてのムネオハウスを彷彿とさせられます。ってかムネオハウスも古いな。
 ネット上でも既に話題になっていますが、一昨日も受け取った五千万円を入れたカバンというものをわざわざ持ってきたところ、五千万円に見立てた模型が入らないという今時のお笑い芸人もやらないような一発ネタをかます始末です。ここまで来るとわざとやっているのかという気すらしてきます。

 と、こういう三文記事的な批判だけなら誰でもできるのでちょっと真面目な話に移りますが、私個人としては猪瀬知事には出来る限り早く、年内にでも都知事職を辞任してもらいたいと考えております。理由は単純に招致が決定した2020年の東京五輪に影響が出るからです。既に国の方では委員の選定過程で猪瀬都知事を除外する方向で準備を進めていますが、開催都市の知事ともなれば重要なキーマンなだけに積極的な役割が求められます。もう今の猪瀬知事では五輪どころかまともな政治活動も出来ないのは明白なだけに、さっさとやめて次の人にバトンを映すべきだというのが私の意見です。

 ここで少し話を変えますがネットでの情報によるとなんでも今回の事件が発覚する前に、青山繁晴氏が「ある都道府県知事が徳田一族から五千万円を受け取っていた」とテレビ番組で指摘していたそうです。しかもその同じ番組内で、「その知事の前任者は数億円をもらっていた」とも話しており、そんなの石原慎太郎議員しかいないじゃんと今の段階なら誰もが思う事でしょう。
 まだ何の報道も出ていないし噂だけであれこれ言うのもどうかと思いますが、素直な心境を述べるとこの青山氏の情報には私は真実味を感じます。一つの理由として、徳田虎雄元議員と石原議員は以前から仲が良いと聞いており、なおかつ今まで徳田一族と何の接点も持たなかった猪瀬議員が何故五千万円を受領したのかというと石原氏の後継として都知事に就任したからという理由以外にはあまり考えられないからです。

 仮にこれが事実だとしたら、徳田一族はどれだけ金権政治をやっていたのかと呆れる限りです。なおうちの親父によるとこの前捕まった徳田一族の金庫番である能宗氏は周囲に公然と金をばらまいていることを口にしていたそうですし、鹿児島県の選挙では利権が絡みこういう手法が以前から行われていたとのことです。
 こっからが私の真骨頂ですが、実は今回の徳田一族に関わる事件を見て真っ先に思い出したのが2003年に鹿児島県で起きた志布志事件です。私も以前に取り上げていますが、この事件は選挙違反をしたとして、鹿児島県警が当選した県議会議員を冤罪で逮捕した事件です。しかも逮捕者は議員本人にとどまらず、その支持者や家族など桁違いに多い人間を検挙するという一つの冤罪事件としては近年で最大規模の範囲を誇る事件です。

 事件の捜査自体が一体何の目的で行われたのかいまだにはっきりしない点がありますが、この事件の容疑は冤罪をかけられた議員が不法に金をばらまいて投票を求めたということにあり、何故この人が逮捕された一方で徳田一族は逮捕されなかったのか、むしろ警察を動かしたのは誰なのかが気になります。
 このように考えると鹿児島県の選挙事情は伏魔殿に近いものがあるような気がします。出身県を悪く言うのはやや気が引けますが、この際だからすべての膿を出すような捜査を検察に期待したいです。

2013年12月16日月曜日

中国のネットショッピングにおけるマーケティング

 本題と関係ありませんが、先ほどまた嘘がばれた猪瀬都知事に関するニュースを見ている際にふと、「猪瀬・ボンバイエ2013」という単語が思い浮かびました。いい加減、つかれているのかもしれません。
 話は本題に入りますが、やや時期を逸したものの一読に足る価値があると思うので中国におけるネットショッピングの現状として、この業界で行われているマーケティングについて一つ紹介します。

 早速ですが「双十一」、「双十二」という単語をご存知でしょうか。恐らく中国で生活したことがある人なら知ってるんじゃないかと思いますがこれは日付を表しており、前者は11/11、後者は12/12を意味しております。この日付は見ればわかりますが月と日が二桁のゾロ目となっているのですが、何故かこのゾロ目日がここ数年、中国ではネットショッピングをする日という風に認知されてきております。

 こうした習慣の始まりは確か11/11が1という単独の数字が四連続で続く日であるため、「独身者のための日」みたいに言われたことがキッカkでだったと思います。単独の数字をすぐ独身と言い換えるのはややせっかちな気もしますが、こうした認識に乗っかる具合で「独身の宅男(オタク)がネットショッピングに興じて寂しさを紛らわす日」という風説を主に中国のAmazonこと「アリババ」が言い始めると同時に毎年この日に大々的なキャンペーン、具体的には1日限定で大幅な値引きセールを実施するようになってきました。

 こうしたアリババの動きにほかのネットショッピング(EC)サイトも追従するようになり、中国のEC業界ではこの日はさながら互いの維持とメンツをかけた決選日の様相を見せるようになってきております。私が上海で色んな意味で大活躍していた去年の11/11も大いに賑わい、この大体一週間前くらいから各社がどれくらいの販促費用を出して値引きをするのかとかが報じられていました。
 そして時は移って今年の11/11ですが、私がさらっと見たニュースによるとやっぱりというか規模は拡大の一途を辿っており、1日当たりのネットショッピング取引額で過去最高を記録したそうです。ついでに書くと王者は依然とアリババだったそうですが。

 でもって12/12。この日は11/11の約一ヶ月後であって12のゾロ目ということから副次的に「値とショッピングでキャンペーンが貼られる日」と認識されました。ただ規模は11/11と比べると随分と小さく、先日も私が読んだニュースだと「各社ともにおまけのキャンペーン日という認識でそれほど力を入れていない」と書かれ、売り上げも11/11の様に極端に大きくなったわけでは無かったそうです。

 言ってしまえばこういった「中国版ネットショッピングの日」というのは日本で言うと「バレンタインデー」みたいな、商業関係者がマーケティングによって作った記念日と言っていいでしょう。私が何故このようなことを今日書こうかと思ったかというと、日本では近年こうしたマーケティングが少なくなってきていると思うと同時に、なんていうかせこいセールをやる所が多いと感じる気がするからです。

 具体的に名前を挙げちゃうとイトーヨーカドーで、プロ野球で千葉ロッテがプレーオフ出場を決めると千葉県内の店舗では販売セールが行われました。それから数日後、巨人がプレーオフ通過を決めて日本シリーズ出場を決めると今度は「巨人おめでとうセール」をやっていました。お前はどっちの味方だよとちょっと言いたくなりますし、そもそもどっちの球団ともイトーヨーカドーは関係ないだろと思います。仮にイオンだったら本社が千葉市だから千葉ロッテのセールをするのはおかしくないけど。

 イトーヨーカドーに限らずこの手の便乗セールは非常に多いです。あともう一点書くと、ネットショッピングでのこういう大々的なセール日っていうのをまだ日本じゃ見ない気がします。この前日本シリーズで楽天が優勝した際は親会社の楽天が優勝セールをしましたが、なんかこれも自分が見ていて盛り上がりに欠けた気がするし、楽天も楽天で値引き前価格を大幅に引き上げてたりして味噌付けたしで、いまいちな感じがしてきます。
 私はネットショッピングは今後も拡大を続けると見ていますが、それにしても中国みたいなマーケティングがまだ見られないのはちょっと不安になってくるだけに、もうちょっとこういう大々的なセールの様な努力を見せてもらいたいと思い、今日筆をとった次第です。

2013年12月15日日曜日

中華料理の名前とその意味たち

 すいかさんのブログでネタ振りがあったので、久々の一日二本投稿記事として中華料理の名前とそれらの漢字の意味をコラム的に解説します。

 まずすいかさんがネタ振りに使った「チンジャオロース」ですが、これは中国語の発音をそのまま日本のカタカナに当てはめた料理名で、漢字で書くと「青椒肉絲」と書きます。この料理名は使用する食材を表しており、「青椒(チンジャオ)」というのは実は「ピーマン」で、「 肉絲 (ロース)」というのは「肉を糸の様にして細く切ったもの(ミンチ)」という意味で、この二つを一緒に炒めたものという意味の料理名です。

 このように中華料理の料理名は使用する食材、そして炒めるとか煮ると言った調理法の漢字を並べてったものが多く、「紅焼牛肉」はそのまま牛肉を煮込んだ料理で、仮にこの料理に「じゃがいも」を表す「土豆」という漢字が加わって「紅焼土豆牛肉」となればジャガイモも一緒に煮込まれている事となります。

 このような具合でそれぞれの食材と調理法を表す漢字を覚えればある程度中国語のメニューを見るだけでもどんな料理が出てくるか想像できるようになるのですがいくつか例外もあって、自分が過去に痛い目にあったものに「水煮牛肉」という料理があります。名前からして牛肉を煮込んだシチューみたいな料理かなと思って頼んだら、確かに牛肉を煮込んだものに間違いはなかったものの、煮込む際に唐辛子や胡椒、豆板醤といった香辛料がガンガン入れられるため、有り得ないくらい激辛の味に仕上げられます。そのため私が初めて食べた時は本当に泣きながら食べてて、結局全部食べきれなくて残してしまいました。

 このほか日本でメジャーな中国料理の漢字を挙げてくと、「回鍋肉(ホイコーロー)」、「麻婆豆腐(マーボードウフ)」と書きますが、ホイコーローはどういったいきさつでこの感じになったのかわかりませんが、麻婆豆腐は知ってる方も多いと思いますが、四川省にいた麻(マー)おばさんが作った豆腐料理であることからこのような名前になったと言われています。

コミュニケーション能力と共通体験についての考察

 先日、私が読んでいる「怨み屋本舗」という漫画で気になるセリフを発見しました。そのセリフというのもオタクな趣味を持つキャラクターに対して主人公が、「オタクはオタク同士だと短時間ですんなり打ち解ける。私は彼のコミュニケーション能力に期待している」という内容のセリフです。
 このセリフですが私も深く同感せざるを得ないというか、まさにそういう場面に出くわしたことがありました。その場面というのもバイト先の知り合いに誘われて参加したコスプレ会場なのですが、そこだと中学生と40歳くらいのおっさんがまるで同い年の様にため口でしゃべるという、普段の生活では有り得ないような光景が多々見られました。ちなみにその中学生のコスプレは何故か丹下段平でした。

 一見するとオタクな趣味を持つ人間というと引きこもりに代表されるような、コミュニケーション能力が低い人物が連想されがちじゃないかと思います。しかしさっきの「怨み屋本舗」でのセリフに書かれているように、確かにオタク同士だとびっくりするくらいすぐ打ち解け合うことが多いように思え、そのような事例を考えると一概にオタクはコミュニケーション能力が低いとは言い切れないようにも思えるわけです。では一体何故こういう風な見方が広がるのか2分程度考えた末の自分の結論はというと、結局は共通体験の有無に全部集約されるのではないかと考えました。

 共通体験とは読んで字の如く、他人と同じ体験を自分がしているかどうかという意味です。この話は今度二人っきりで旅行に行く友人の方が専門なのですが、近年の日本はインターネットの普及と共に趣味やライフスタイルの多様化が広がり、こうした共通体験というものが年々少なくなってきております。具体的な例を挙げると私の時代であれば男の子はみんな「ドラゴンボール」を読んでいて、「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」を遊んでいると言ってもほぼ過言ではありません。また成人についていえば昔は今くらいの冬のシーズンになるとみんなスキー旅行に行って、また社会人となると車を持つのが当たり前化の様なライフスタイルでありました。

 しかし現代になると子供の世代でもみんなが確実に触れたことのあるメディアとなると「ワンピース」はあるとしてもゲームだと以前の「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」ほどの存在はなく成人も非正規雇用が増えるなどライフスタイルが多様化する傾向があり、そして単純に余暇の時間が減っていることから触れられるメディアの数も減少傾向にあります。こうした状況について友人はよく、共通体験がないため爆発的にヒットする商品やサービスは生まれ辛く、自然とニッチな産業やメディアを作る方向に日本企業は突き進もうとする傾向があるということを主張しています。

 話を戻しますがオタクの趣味というと一般的にはアニメ、漫画、ゲームの三本柱です。逆を言えばオタクの趣味はこの三種類に限定される傾向があり、それがためオタク同士だと共通体験を保有している確率が非常に高く、なおかつそれぞれがディープにそのメディアに触れていることも多いために初対面でも話題が盛り上がりやすく、なおかつオタクでない層との差別化もあってすぐに打ち解け合えるのではないかという仮説を立てました。

 日本社会では最近、若者のコミュニケーション能力が低いという意見が大手メディアを中心に発信され、各調査でも企業が募集する人員に求める能力の筆頭にはこのコミュニケーション能力が入ってきます。こうしたコミュニケーション能力に対する社会の注目ですが先程の仮説を援用すると、単純に「打ち解け合える能力」が不足しているのではなく「共通体験」が不足しているというのが真相なのではないかという気がします。
 ちょっとアクセルを踏み過ぎたのでブレーキ踏んでもうちょっと詳しく説明すると、最近の若者はコミュニケーション能力が低いように言われているが、そもそもコミュニケーションというのは共通体験を持っているか否かということが成否を左右する大きなファクターであり、この共通体験が社会の多様化に居って上の世代、果てには同世代の間でも非常に少なくなってきているためコミュニケーションがうまくいかなくなっているのではないかと言いたいわけです。自分で書いておきながら、わけわかんないこと言ってますねぇ。

 言うなれば、コミュニケーション能力というのは人格とかそういうものじゃなく、ほかの多くの人と同じ話題を共有できるような共通体験の多さに集約されるのではないかと言いたいわけです。逆を言えばどんなに共通体験が少なくてもお互いに一致していればうまく行けるし、一致しなければほとんどうまくいかなくなる具合で、単純この上なく求めれるのは「お酒が飲めてその話が出来るか」というのが大きなキーワードになってくるわけです。酒が飲めない自分としては不利この上ない条件ですが。

 結論としては共通体験というか同じ趣味がコミュニケーションの成否を左右するという一言に集約され、様々な体験を経験したり幅広い教養を持っている人間というのはコミュニケーション上手になりやすいということです。ただ趣味の範囲が狭くても他人とその狭い範囲で被りさえすればコミュニケーションは簡単に上手くいくこともあり、一概に人格不適合者というふうに扱わない方がいいのではないかと言いたいわけです。
 もっともこういっておきながらですが、共通体験を持っていなくてもコミュニケーションをうまく運べる人間も確実に存在します。私から見てそういう人間は概して聞き上手な人が多く、プレゼンが上手かったり口の立つ人間である条件はなくてもいいと思います。更に言えば、こういうタイプの人間がただでさえ共通体験が持ちづらい海外の現場で活躍するように思えるわけです。

  おまけ
 自分に限って言えば世間一般とは外れた道を歩むことが多かったため、あまり普通の人と被る共通体験は多くありません。そんな自分にとってこういう趣味なり知識なりを持っている人だったら仲良くなれそうかなっていうのを片っ端から挙げると、以下の様になります。

・安保闘争に詳しい人
・文化大革命が好きな人
・中国史に詳しい人
・政治議論が好きな人
・カレーが好きな人
・水木しげるが好きな人

 我ながら、やっぱり趣味が偏っているなぁってしみじみ思います。

2013年12月14日土曜日

グローバルな居酒屋最前線

 先週、例の上海人と一緒に居酒屋の鳥貴族にいったという話を紹介しましたが、その時の店内で一生深かった出来事がありました。当時お店に入ったのは午後八時半くらいでしたが、店内で聞こえる店員の声というか発音がやけに懐かしい響きがしたというか、中国語訛りの日本語がよく聞こえてきました。更に耳を澄ませるともう日本語を通り越して店員同士が中国語で話し合うシーンもあり、以前からもそうでしたが夜間帯の居酒屋は外国人留学生がアルバイトの主役であるというのをまざまざと見せつけられたわけです。

 そうした環境に無駄に対抗しようと私と上海人も途中から中国語を交えた会話をし始めたのですが、ある程度話し終えて食い終えて店を出ようと会計に向かったところ女性店員から、「中国人なのですか?」と、ちょっと外国語訛りの日本語で聞かれました。私はこの時、この人もきっと中国人なんだろうと思って、「ちゃうで、俺は日本人やけどこっちは中国人やねん」と中国語で答えたら、「あの、すいません、意味が分かりません(>_<)」と言い返されてしまいました。改めて聞き直すとその人は中国人ではなくベトナム人で、今思い返すだに失礼なことをしてしまったと反省する限りです。

 更に詳しく話を聞いてみると、我々の予想通りにその店のアルバイトは中国人が大半だそうで、むしろ明らかに日本人アルバイトの方が少ない状態でした。そんな一件があったことから店を出た後、そのベトナム人の女性店員といい意外に日本の居酒屋はグローバルだというようなことを上海人と話しつつ上野の夜を練り歩いたのですが、改めて考えてみると不思議な状態な気がします。
 ほかの国でもサービス業など低賃金のワーカーには外国人の出稼ぎ労働者が多いということはある程度共通しているでしょうが、日本の居酒屋といったローカルな形態の飲食店に外国人がたくさん働いているというのは奇妙な感じにも見えます。言うまでもなくこうなるのは日本人アルバイトは夜遅くまできつい仕事をしたがらないためこうした居酒屋バイトがこの頃敬遠されがちということが大きいのでしょうが、一つ視点を変えてみるとかえって日本国内でグローバルな空間と呼べるのはこうした居酒屋なのではないかとも言えるわけです。

 もちろん働いている最中の外国人アルバイトに根掘り葉掘り聞いたりするのはご法度でしょうが、こうした状況をもっと日本の国際化に使えないのか、何かコミュニティに変えられないのかとちょっと考えたりもします。あとこれは社会学的な意見となりますが、こうした外国人アルバイト同士の横の関係はどうなのか、中国人とかベトナム人とかが一緒の職場でどんな交流しているのかとかにも興味があって可能ならば調べて論文とか書いてみたいわけです。
 銭湯から帰ってきて妙なテンションのまんまで書いているため文章が非常に荒れていますが、ローカルな場所が意外にグローバルだったということを書きたいため、一筆したためました。

2013年12月12日木曜日

敬語が阻害するコミュニケーション

 昨日の記事に関連する内容として前々から主張したかった内容として、日本社会における敬語の使われ方があります。かなり昔、それこそこのブログを始めた当初にも批判していますが、私は現代における日本人の敬語の使い方には明らかに問題があるように思え、可能ならばこの際廃止した方がいいのではないかと考えております。そこで今日はどうしてそう思うのか、何が問題なのかをこのところ好調な表現力を駆使して主張していきます。

 まず最初に行っておきますが、私自身は敬語という日本語の表現技法を高く評価しております。日本語を学ぶ外国人からしたら覚えたり使ったりするのに面倒くさいことこの上ないだろうなとは思いますが、この敬語があるだけで時代劇も成立するし小説とかでも上下の関係を説明なしで読者に理解できます。にもかかわらず何故廃止するべきだというのかですが、単純にコミュニケーションを阻害する要因にしかなっていないと思うからです。

 元々、敬語というのは話し相手の気分をよくするために出来たと言っても過言ではありません。しかし社会上で敬語の使用が一般化するにつれて、敬語を使われないと気分が悪くなる、失礼な言い方だと思うようになっていき、逆説的ですが敬語があるからこそ悪意のない発言が悪意あるように受け取られて責められるような事態が多くなってきているように思えます。
 簡単な例を挙げると駅構内でつまずいて転んだ際、後ろから駅員が心配して「どうしたの?」って声をかけたら、この駅員はまず世間から批判されるでしょう。尋ね方としては「どうなされました?」というのが常識とされてこれ以外の聞き方したらなれなれしいだの客をなめているだのと言われちゃいますが、「どうしたの?」も「どうなされました?」も意味としては同じ内容で、どっちも相手を気遣う意思を表しています。それでも前者を使えば怒られちゃうわけですが、これって馬鹿馬鹿しくやないかと自分は思っちゃいます。

 上記の駅での声掛けの例は極端な例ですが、こうじゃなくても実社会では敬っているつもりで言った言葉が相手からしたらちゃんとした言い方になっていないととられて、まるで揚げ足取りのように責められる材料となることも少なくありません。大昔にもこのブログで言いましたが、目上の人間に「ご苦労様」と言ったらアウトで「お疲れ様」と言うのがセーフというのは日本語の用法からしたら明らかにおかしいし、同じ意味の言葉なんだから細かいこと気にしてないで普通に受け取れよと言いたいわけです。

 あくまで私個人の印象ですが、現代日本の敬語は相手の気分を良くさせてコミュニケーションを円滑にさせる回数よりも、誤用が氾濫している上にお互いぎこちなく気にし合って人間関係をギスギスさせる回数の方が多い気がします。これは本来の敬語の誕生理由とは真逆であるし、なおかつ存在もしない概念が実態を持つ人間の関係を阻害するなんて言語道断でしかなく、それであれば廃止した方が世のためみんなのためじゃないかと考えるわけです。もっともそれ以上に、敬語が使われないとすぐ不機嫌になるような心の狭い人間を淘汰したいというのもありますが。

 かくいう私は敬語というか言葉遣いに対しては寛容であるよう心がけており、後輩にも自分に対して敬語を使う必要はないしフランクに話しやすい言葉で話しかけるようにかなりくどく言い続けてきました。呼び方もさん付けではなくなるべく君付けにするよう指示してましたが、さすがに「呼び捨てでもいい」とまでは言わない辺りまだまだ甘かったのかもしれません。
 もっとも後輩に敬語を意識させないのは敬語の概念に疑問を持っていたこと以上に、敬語を意識するあまり頭の回転を鈍くさせるのがもったいなかったというのが本音です。言葉を普段使わない言い方で話すようにするとどうしてもそっちの方にメモリを食われるというか会話のペースや幅が狭くなるように思え、議論する際はマナーとかを気にするよりも存分に実力を発揮してもらいたかったというのが本音で、そういう奮起を促すためにも「俺を殺すつもりでかかってこい」などと中二病みたいなセリフも言ったことがあります。

 最後に蛇足ですが、自分が議論する際に意識的に発揮できる実力は80%くらいが限度です。ではどうすれば100%まで発揮できるのかですが、これには議論する相手も同等の実力を持っており、なおかつお互いに議論が白熱することで実力以上の実力が引き出されるような感覚を覚えるので、この時が自分の100%だと考えています。今の所、この100%限界値を発揮させてくれる友人は一人くらいで、後は80%まで遠慮なく出せるのが数人、普段は50%以下で頭を回しながら会話している感覚がします。車のエンジンじゃないけど、たまには限界近くまで回転数を上げたいなと思うこのごろです。

2013年12月11日水曜日

禁止にするから腹が立つ

 先日、電車に乗っていたら隣に座っていたおばさんがまだ駅についていないにもかかわらずやおら立ち上がり、ドアの前まで移動する場面に出くわしました。一体何だろうと思ってそのおばさんを見ていたらカバンから携帯電話を取り出して、「ごめん、今電車だから」といってつなげた着信をすぐ切っていました。

 別に何のことはない、むしろマナーのいい場面といえるかもしれませんが私からしたらちょっと違和感を覚えます。というのも、そのまま出ちゃって会話すりゃいいじゃんとか思うからです。念のために言っておきますが私は日本だと電車の中では電話を取りませんが、これが舞台が中国だと遠慮なく取り、「今電車で移動中だから大きい声で言ってね」なんてセリフも吐いたりします。
 私が先程の場面に違和感を覚えたのはいうまでもなくこの中国の体験が原因です。説明するまでもなくというか多分想像つくと思いますが、中国だと電車で移動中だろうが職場だろうが、会議中であろうと余裕で着信音を警戒に鳴らしつつ携帯電話を取ります。でもってナチュラルにプライベートな会話も続けてくるし。

 この辺は文化の違いで片づければそれまでですが、そもそもなんで日本では電車で携帯電話はマナー違反となるのでしょうか。ペースメーカーへの影響などもあるでしょうがそれ以上に現代では電車の中、下手したら往来の中で携帯電話で会話する姿に不快感を感じる人間が多いためということが大きいでしょう。では何故不快に感じるのか、声が大きいだとか周囲への注意力が落ちるとか言い訳はいくらでもあるでしょうが、メタ的に言えば「電車で携帯電話を使ってはいけないというルールを破っているから」というのが最も大きいように私は思います。いわばその行為自体というよりもその行為がルールを逸脱しているということに日本人は腹が立つのではないかと思います。

 上記の携帯電話に近いネタに車のクラクションがあります。これも中国ではプップカプップカ鳴らされているのですが、仮に中国と同じノリで日本で鳴らすと周囲からひんしゅくを買うばかりか、下手したら喧嘩にまで発展しそうです。しかし中国で暮らしてみてこのクラクションの嵐を経験してみると、最初はいら立って運転手を睨み返したりしましたが、向こうとしては「後ろにおるでー」というノリで、どちらかというと安全を喚起する親切心で鳴らしているということに段々気が付いていってからは腹も立たなくなりました。それどころか後方への注意は視覚ではどうにもならないだけに聴覚を使う方が明らかにいいわけで、教習所で「不用意にクラクションを鳴らしてはいけない」と教える日本の方が間違っているんじゃないかと逆に思うようになってきました。

 この電車の中の携帯電話、車のクラクションはともに「やってはいけない」というルールがあるからこそやられると腹が立つわけで、逆を言えばこれらのルールがなければ無駄にイラつくこともないんじゃないのかなとちょこっと思うわけです。現にルール無用の中国社会で暮らしてきた私としては全く意に介しておらず、実害もないわけなんだしこんな細かいことでいちいち苛立つのは損じゃないのか、社会がちょっとギスギスしてやしないかとも思うわけです。もっともルールが無さすぎる中国では逆ベクトルでイラつく機会も多いですが。

 要するに何が言いたいのかというと、本質を考えずただルールで駄目だからということにとらわれて、逸脱者をただ白眼視する傾向が日本にはあるのではないかと言いたいのです。それこそそのルールが正しいのかどうかを考えず、実害があるのかどうかを考えず。
 逆説的に言えば、上記のようなルールを取っ払ってしまえば日本人は無駄にイラつくこともなくなるんじゃないかとも思うわけです。現在、携帯電話のペースメーカーへの影響はほとんどないとの報告も出ているわけだし、車のクラクションも暴走族みたいなのが鳴らすのならともかく安全喚起のためならガンガン使った方がいいわけなんだし、こういうルールは社会全体で無視した方が精神衛生上にもいいと主張したいというのが今日の私の意見です。

  おまけ
 電車の中で携帯電話を使うのくらい大目に見てやれよと言っているそばでなんですが、今朝股電車に乗ってたら同じ車両で馬鹿でかい音でくしゃみするおっさんに出くわしました。おかげで折角うとうとしていたのに目が覚めたし、近くでおしゃべりをしていた女子高生もピタリと会話を止めてました。しかもそのくしゃみ、一回だけじゃなくて5秒おきに三回連続で鳴らされたので、「口くらい押えろこのボケ。なんなら俺が紙袋でも突っ込んだろか」って思いつつ、自分も軽くそのオッサンを睨んでしまいました。まだまだ自分も心が狭いな。

2013年12月9日月曜日

みんなの党の分裂騒動について

 このところ本当に時間がなくて、本気で勉強がしたいです。なもんだから今回も予習復習なしでまた適当に手持ちの知識だけで政治ネタを書くわけですが、もっと背景とか批評とかをきちんと調べてから書きたいものです。

 各所の報道で皆さんも知っているかと思いますが、先日に成立した特定秘密保護法案の作成過程において修正協議に応じたみんなの党が見事なまでに分裂しました。分裂の主役は現党首の渡辺善美氏と前幹事長の江田憲司氏で、江田氏が党内の議員十人以上を引き連れて独立するような形で袂を分かつこととなりました。今後のみんなの党の先行きについて先に私の見方を述べると、恐らくこのまま瓦解するかと思います。

 まず今回の主役である二人について先に述べると、渡辺氏は故渡辺美智雄の息子でいわゆる二世政治家です。彼が表舞台に出てきたのは奇しくも第一次安倍内閣において公務員制度改革の責任者となった時で、この時期にかなり激しい内容の改革案を作成したものの次の福田康夫政権でこの案は却下され、公務員改革が最も急務な改革であることを主張して離党、独立をしました。
 この独立時というかみんなの党の結党に参加したのが、それまで自民党に近い立場をとりつつも無所属で居続けた江田憲司氏です。江田氏は故橋本竜太郎が首相だった頃に通産省から首相秘書官として移り、当時の行政改革にも携わった人間の一人であります。

 私はみんなの党が結党された際、正直な所渡辺氏にはあまり期待はしていませんでした。というのも渡辺氏は厳しい評価となりますが起こったり嬉しかったりといった感情をすぐに顔に出す性格で、政治家としては小物の部類に含まれる特徴があったからです。ただ彼の主張する公務員改革の必要性は理解でき、誰か理解者の下であれば猪突猛進に活躍できるだろうけど政党の党首としては外よりも内に敵を作るタイプなだけに明らかに向いていないという印象を覚えました。
 しかしそのみんなの党に江田氏が参加すると聞き、この党への評価は一変しました。というのもあまりこのブログでは言及していませんでしたが江田氏に関してはかねてから高く評価しており、そのスマートな振る舞いから造詣の深い政治知識など、 現役の政治家としては屈指の実力者というように見ていました。それだけにこの人がサポートに付くのであればこの政党は面白いことになると見て、実際にこれまでの選挙ではみんなの党に投票することが多かったです。

 実際にうまくいったかどうかは別として数多くの政党が出来ては消えていく中、みんなの党は数度の選挙を経ながら着実に議席数を伸ばしていきました。そこへ至って今回の騒動が起きたのですが、もうちょっとお互いに辛抱していたら立派な野党になれたのかもしれないのにねと思わざるを得ません。

 それで今回の分裂の原因について私の個人的な見解を述べますが、江田氏は独立理由をみんなの党が与党自民党にすり寄っていき国民の意思を無視し始めたためなどと述べていますが、これは江田氏の嘘だといっていいでしょう。その理由というのも江田氏は無所属時代から自民党寄りの政策を主張しており、現在においてもその価値観は大きく変化しているとはとてもじゃないけど思えないからです。では何が分裂の真の理由かというと、もったいぶっていうのも馬鹿馬鹿しいくらいですがただ単に渡辺氏と江田氏が互いに反目し合ってケンカになっただけで、政治的利害は何も存在しないかと思います。

 この二人は前回の参議院選挙以降からしっくりいってないことが公にも伝えられており、江田氏が勉強会を作ろうとしたら渡辺氏が激しく批判した上、その門で江田氏は幹事長職も下ろされています。初めから仲良しというわけじゃなかったもののこれまではうまくいっていたのがなぜ急に関係が悪化したのか、江田氏の影響力拡大を渡辺氏が牽制したためなのかどうかとか勉強不足でわかりかねますが、独立する江田氏に対して渡辺氏が「出て行け!」といったなどと報じられる辺りは感情のもつれが最大の原因と言って差し支えないかと思えます。

 先ほども言った通り、私はみんなの党というのは江田氏の支えがあって初めて成り立つ政党だと考えておりました。それだけに江田氏が抜けるとなるとワニの歯が抜けるようなもので、さらに渡辺氏は過去にリクルート事件に関わって父親の足を引っ張ったといった迂闊な性格が未だに尚っていないように見えるだけに、みんなの党はこのまま瓦解していくと予想するわけです。
 では江田氏が新しく作る政党はどうなるのか。今後の状況にもよりますが順当に行くならやっぱり自民党に合流する方向に向かってくんじゃないかと思います。別に悪いことじゃないんだけど、政治票をする立場からすると与党ばっか強くなっても書き辛いんだよねぇってのが本音です。

2013年12月8日日曜日

和食に関する報道で一言

 今日は何にも予定が入っていない休日だったので自宅から半径500メートルも動かずに過ごしました。っても、このところの週末はいつも同じくらい動いていない気がするが。

 で、動かず何してたかというとちまちま自分の作業を進めてたというのがメインですが、その一方でAmazonで大人買いした「ブロッケンブラッド」っていう漫画が午前に届いたので一気に読んでました。この漫画、以前から注目していて1巻だけは数ヶ月前に読み終えており、やはりすごい作品だと思って今回満を持してまとめ買いしたわけなのですが、これ単独でレビュー記事書いてもいいのですがあらすじを簡単に話すと、主人公は高校生の男の子なのにわけのわからない錬金術を使い、変身魔法少女となってコスプレマニアのおっさんなどといった変態と戦い合うといういろんな意味できわどい作品です。
 この設定だけでも色々と笑えるのですがそれ以上に作者のセンスがいろいろとぶっ飛んでて、AKB48をパクッた「KGB48(ケイサツ・ガールズ・バタリオン48)」というバンドが出てくるわ、さらには「AKW47(アコウ47)」のグループ内ユニットとして「松の廊下斬りかかり隊」というのが出てきた時は「マジすげぇこの作者」とか思いました。

 そういうのは置いといて今日ちょっとテレビを見ていて思うところがあったので一言だけ寸評入れます。その番組はNHKの海外ネットワークなのですが、先日に和食がユネスコの無形文化遺産に指定されたことから特集が組まれ、映し出された映像ではフランスの料理人が、「いい素材を選んでいたら和食にたどり着いた」とか、同じくフランスの一般人が魚の味噌漬けを家庭で作っているとかそういうのを報じてたたのですが、見ていて正直嘘くせぇと思いました。いや、出てきた人が仕込みだというつもりは毛頭ありませんが、少なくともこんな無批判で礼賛する人が大量にいるわけなくあくまで「こういう人もいる」くらいなんじゃないかと思ったわけです。

 その上で個人的な意見を述べると、なんでヨーロッパを映したんだということにやや不満を覚えました。確かにフランスはフランス料理持っているだけあって料理大国なんだしそこでの和食の普及度というのは一つの参考値となりうるかもしれませんが、私としてはヨーロッパではなくアジア、それも贔屓を込めると香港を映せといいたいです。
 というのも香港は日本の食品輸入額でずっとナンバー1の国で、いわば日本の食糧産業の最大のお得意先です。更に言えば日本食が本当に浸透しているところで、街中では回転寿司屋が当たり前のようにあちこち存在しており天ぷらうどんとかも余裕で食べられます。感覚的には日本人にとってのカレーくらいに普及しているように見えます。

 ヨーロッパ市場の売上げも決して低くはないと思うのですが、やはり日本食の市場は香港、シンガポール、そして中国といったアジアが中心であり、もっとこういった市場の取材、特に現地の人間の反応とかどんな日本料理が人気なのかを取り上げるべきだと私は思います。さらに意地悪な言い方をすると、欧米が挌上でアジアが格下って見てない?ってちょっと聞きたいです。ま、実際にアジア人が日本食うまいっていうよりも欧米人が言った方が絵になりやすいんだけどね。

 最後に中国人はどんな日本食を食べるかですが、まず寿司ネタで言えば圧倒的にサーモンの人気が高く、安い回転寿司屋行くとサーモンしか回っていないという笑えない事態に陥ります。なんでも、改革開放後に最初に入ってきた魚がサーモンだったからというのが理由らしいですが。
 このほかだと地味にたい焼きやたこ焼きといったB級料理が変に普及してます。この二つはどうも台湾経由でかなり昔に入ってきたそうで、中にはたい焼きは中国の料理だと思い込んでいる中国人もいると聞きます。

  おまけ
 たい焼きに関しては韓国も同じように自国の料理だと信じている人がいるそうで、私の留学仲間のクラスでは「たい焼きは日本のものか、韓国のものか」で激論となり、最終的に「日本にはたい焼きの歌がある」という主張が通って日本のものと認定されたそうです(そのクラス内で)。なんというか子門真人さんのおかげかなぁとしみじみ思います。

2013年12月7日土曜日

上海忍者との邂逅

「一人っ子政策」違反、チャン監督相手取り170億円の訴訟(AFP=時事)

 本題と全く関係ありませんが上記リンク先の記事で誤植見つけちゃいました。もしかしたらアップ後に修正されているかもしれませんが、該当箇所はチャンイーモウ監督に対する請求賠償金額で、第一段では「10億元(約170億円)」と書いてあるのに第三段では、

 「弁護士がチャン監督に支払いを求めた100億元の内訳は、5億元(約84億円)が『公的資金への補償』、残りの5億元が『懲罰的損害賠償金』としているが」

 となっています。残りの90億元はどこ行ったのか気になりますが、これくらいはさすがに校正係も気づけよなぁ。

 話は本題に入りますが昨日今日とこのブログにコメントをよく書く上海忍者と合っていました。彼は自分の大学時代のゼミの同期で、コメントみてりゃわかると思うけど中国人です。
 彼とはもともと大学での学年は異なっておりましたが自分が北京に留学に行ったことから一学年落ち、三回生の後期から同じゼミとなり知り合いました。ゼミにいた間からも仲は良かったですが大学卒業後、二人とも就職先で東京勤務となったことから休日によく秋葉原とかで落ち会う機会も増えてさらにその関係は深まったのですが、2009年に彼が仕事の関係で出身地である上海に赴任することとなった際はしばらく会えなくなるなぁ等と考えていました。その予想は大きく外れることとなったのですが

 ブログでも書いている通りに2010年の後半から自分も中国に渡って転職することとなり、その際には住居の確保など様々な面で上海忍者からバックアップを受け、向こうにいる間は本当にしょっちゅう会ってました。そもそも中国に転職しようと考えたのは色々ときっかけはありますが、彼から「君も早く上海に来なさい」と度々言われていたこともあり、いい意味で彼には人生を変えられたと思います。ただ実際に転職を果たした後にこのことを彼に伝えると、「僕はまさか本当に君が来るとは思わなかった」と言われて、ちょっと「えぇ(;゚д゚)」とか思ったりしましたが。

 話は現在に戻しますが、今回彼は旅行目的で来日してきました。昨晩は東京上野で落ち合ったのですが、何食べるかと相談した所、「鳥貴族がいい」とやけに具体的な指定があったので取り貴族にしました。ちなみに店に入った際、「鳥貴族くると日本で生活した時代を思い出す」と彼は言いましたが私は、「俺はむしろ、君といった上海にある鳥貴族を思い出す」と言い返しました。

 そこで話した話題は取り留めのないものでしたが、問題だったのは座った座席でした。当時、金曜の晩ということから店内は混雑しており、20分くらい待って入店したこともあって座席は狭いカウンターだったのですが、何故かその座席は二人掛けの座席で、同じタイプの座席には自分たち以外にはカップルしか座っていませんでした。そのためお互いに、「これじゃ俺らゲイカップルだよ」なんて言い合って、上海忍者も自分との間にかばんを置き、「ここが我々の38度線ね」といい、「その一線越えたらどうなるんだよ」と聞いたらなんかお茶を濁されました。

 でもって今日も午前から午後にかけてまた合流して二人で東京をうろうろしてましたが、まぁ普段通りというかいつもみたいにゲイネタを交えつつのんびり過ごしました。彼と会うのは実質9ヶ月ぶりですがどうせ自分も上海に行く機会が今後も多くあるだろうし、逆に彼も日本に来る機会が定期的にあるだろうし、お互い懐かしあうとかそういう感情はほぼ全く芽生えませんでした。
 彼は今頃大阪にいるでしょうが、国境を越えた知り合いがいるというのも悪くはない気がします。

2013年12月5日木曜日

平成史考察~通信傍受法と国旗国歌法の成立(1999年)

 昨日に引き続き平成史考察の記事です。今日は1999年当時にメディアなどによって「悪法」と名指しされた二つの法律の成立当時を振り返ります。

犯罪捜査のための通信傍受に関する法律
国旗及び国歌に関する法律(Wikipedia)

 上記の二つの法律が今回取り上げる題材ですが、「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」は「通信傍受法」、「国旗及び国家に関する法律」は「国旗国歌法」という通称がされているのでこの記事でもこの通称を用いて話を進めます。

 それぞれの法律を簡単に説明すると、まず後者の方は読んでそのままで国旗は日の丸、国歌は君が代ということを明記したもので、前者の通信傍受法は平たく言うと暴力団などの組織犯罪に対する捜査において裁判所などの手続きを踏んだ上で盗聴行為を行うことを認める法律です。両者とも法案の審議過程では野党、メディアの双方から激しく批判され、「こんな悪法がよりによって二つも成立するなんて!」ていう論調で報じられていたことを私自身も強く覚えています。
 一瞬書くのを悩みましたが、当時に私は中学生でしたが中学の社会科の教師がちょこっとだけこの二法に言及して、「悪法などと呼ばれている法律が二つ通りました」と話題にしてたのが印象に残っています。もっともこの時の先生の話し方は感情は入っておらずただ単に国会での動きを取り上げただけだったので問題は全くなかったと思いますが、そのように授業でもちょっと話題になったことだけを書いておくことにします。

 話は戻りますが、一体何故この二つの法案が議論の的になったのかをまた軽く解説します。まず国旗国歌法案に関しては今もまだ公立学校にいますが卒業式などで君が代斉唱を拒否したり、拒否するよう生徒に促す現場教師が徐々に見え始めるようになり、現場と教育委員会の間に立つ校長先生が法律に書かれていないのもあって強制し辛いと言った声があり、じゃあこの際だしはっきりさせようという具合で立法されました。しかし国旗も国歌も強制されて歌うのはどんなものか、国民が自分の意思で選ぶべきなのではなどと言う自主性を重んじた反対意見のほか、君が代は戦前からの国歌で軍国主義を惹起させるほか、歌詞が天皇への崇拝の意味しか持ってないため国歌として相応しくないという意見もありました。

 こうした議論の中で覚えていることを挙げてくと、どっかの新聞は君が代に代わる国歌として「ふるさと」を提案してましたが、なんていうかポイントが違う様な気が今だとします。このほか先程の軍国主義を惹起させるという意見に対しては反対意見として、フランスの国歌の「ラ・マルセイエーズ」の歌詞には「ファッキンな敵兵をぶっ殺してドブに捨てちまえ!」っというような内容の文言も盛り込まれていて、それに比べればかわいいものだという声も出てました。
 そのほかにも、これは大分後になって佐藤優氏が自著にて国旗も国家も法律として規定するべきではなく悪法だという意見を書いております。佐藤氏の主張によると、どちらも法律に書かれてなくても国民が想起できることがベストであり、法律化してしまうと変更しようと思ったら変更できてしまうリスクが生まれるとして廃止を求めていました。やっぱ視点が一味違う人だなぁ。

 当時の私の印象だと、国旗に関してはそれほど反対意見は出ておらずやはり国歌を君が代にする点が大きくクローズアップされていた気がします。私個人としても君が代は歌う機会もそんなに多くないし、あとあの独特のテンポがなんか妙に歌い辛いこともあってもし代案があるなら検討した方がいいのでは、ないならないで新しいのを作らせたらいいのではなんていう事を友人と話してました。なお、じゃあ誰に作らせればいいかという点に関しては、「さだまさしでいいんじゃね( ゚д゚)」って結論に落ち着き、何だったらさだまさし氏の「関白宣言」という曲をそのま使ってもアリかもなどと言ってました。

 国旗国歌法に関してはここまでにしてもう一つの通信傍受法に話を移します。この法案も審議当時は散々に叩かれており、具体的には警察が無制限に盗聴活動を行うことによって犯罪とは関係のない民間人も盗聴される可能性がある、プライバシーが侵害されるなどという批判が毎日テレビで報じられていました。
 結論から述べると、成立からもう10年以上も経ちますがこの法律に規定された捜査機関による盗聴が民間人のプライバシーが侵害されたとかいう話は全くと言っていいほど聞きません。そもそもこの法律で規定された通信傍受が認められるのは年間でも十数件くらいらしくそんなに量が多くないってのもありますが、あれだけ大騒ぎしていた割にはなんだよこれはとかちょっと思います。こういってはなんですが騒ぎ損でしょう。

 当時、盗んだバイクで走り出しそうな年齢だった私自身は、そもそも私生活でサツに聞かれちゃまずいような内容を口にするかといったらそんなことはないし、排泄など聞かれたらちょっと恥ずかしい音はたてるもののそんな音をわざわざ盗聴することはないだろうと思って普通に考えれば市民はノーダメージな法律だと思っていました。その上でこの法律によって犯罪組織に対する捜査が広がるのであれば市民にとってはプラスなのだし、何を以ってか世論は反対するのだろうか、自分のプライバシーに盗聴されるだけの価値を持っていると自惚れているのかということを決して誇張ではなく、本気で当時にそう思って周りにも口にしてました。

 今回、なんで1999年のこの二つの法案成立を取り上げたのかというと、いうまでもなくこのところこのブログでも度々取り上げている特定秘密保護法案に対する野党、そしてメディアの対応への不満がきっかけです。この特定秘密保護法案は現在進行形でやんやかんやと批判的に報じられていますが、きっと1999年時と同様に騒ぎ損で終わることになるだろうという予言を書いておこうと思い、また当時と比較するのに面白いと思ったからこそ書き残そうと考えました。

 それにしても今回の特定秘密保護法案に対するメディアの報道の仕方は目に余ります。中には「この法律でプライバシーが侵害される」なんていう全く脈絡のない批判意見まで出てくる始末で、そもそも他人や企業のプライバシーを暴くのがジャーナリストの仕事だってのに何言ってるんだこいつらはと呆れてきます。ある著名ジャーナリストなんかこの特定秘密保護法案が成立すると日本の民主主義が滅びると言ってましたが、そのまえに日本のジャーナリズムを心配しろよと亜流のジャーナリストは思うわけです。

  おまけ
 国旗国歌法に関しては当時に中学生の自分が作った、仲間内で回すだけの文芸同人誌で評論文みたいなのを書いておりました。当時は小説家志望でしたがそれらの同人誌に載せた社会批評文が自分で見てもどれもいい出来で、また書いてて素直に楽しいと思うようになったことからこの時辺りを境にジャーナリストへと志望を転回することとなったわけです。
 なお最初に作った同人誌は友達数人を誘って一緒に作りましたが、その友人らは役に立つどころか足を引っ張る始末で開始二号で廃刊に。この時を境に「他人はクズだ、頼れるのは自分の腕力だけ」という妙な信念を持つに至りました。でもって高校生の頃に今度は一人だけでまた小説メインの同人誌を作りましたが、誌名は何故だか「文化大革命」にしてしまい、友人に渡すところを担任の社会科の教師に見られてしまい、「すごいタイトルだね(;´∀`)」なんて言われたのを昨日のことのように覚えています。あの頃は中身の小説も自分で書いて、表紙絵も描いて、でもってタイトルは筆ペンで書くという有様でしたが、目的に向かって突き進むパワーは高校生として見たら大したものだったと今思えます。

2013年12月4日水曜日

平成史考察~野茂英雄のメジャー挑戦(1995年)

 仮に尊敬する人は誰かと聞かれるのであれば、私ならいの一番にほかならぬ野茂英雄氏の名前を挙げます。なんでまたこの人を尊敬しているのかというとその野球での実績以上に日本人野球選手に対してメジャーへの道を切り開いたパイオニアとなったことに尽き、そこで今日は米野球協会殿堂入りにノミネートされたこともありますし、ほぼ放置していたこの企画不定期連載で取り上げようと思います。

 野茂氏が日本球界からメジャー球団であるドジャースに移籍したのは1995年でした。野茂氏は1990年にプロデビューしていますから日本での実働5年を経て、プロとして6年目からアメリカに渡ったということとなります。
 現在でこそメジャーに挑戦する日本人選手は今話題の田中将大選手を初め、行ってみて本当に上手くいくのかが楽しみなロッテのミスターサブマリンこと渡辺俊介選手など枚挙にいとまがなく、高校生の時点でメジャーを希望する選手まで出てきております。しかし野茂氏がドジャースに移籍した当時はメジャーなど別世界という感覚であり、向こうは向こう、日本は日本と完全に分け隔てて考えられていたように思います。

 では何故そんな別世界に野茂氏は飛び込んだのでしょうか。現在メジャーに渡る選手のようにより高いレベルでの世界でプレイしたいというプロ選手ならではの欲求もあったのかもしれませんが、巷間で伝えられている内容を聞く限りですとそれはやはり二の次で、単純に日本球界で野茂氏がプレイする道がほぼ閉ざされていたことが最大の原因でしょう。

 この辺りの過程についてはウィキペディアに詳しく解説されておりますが、野茂氏は1994年のシーズンを終えた後の近鉄球団との契約更改で球団側と大きく揉めます。元近鉄ファンの方に対して非常に失礼であることは百も承知ですが、この球団は後年にも数多くの選手と契約交渉で騒動起こしたり、末期には球団のネーミングライセンスを他社に売却しようとするなど本気で経営する気がほとんど感じられないほど問題がある球団でした。一説によるとこの時の契約更改でも、優勝すると選手の年俸を上げなくてはいけないから2位くらいの成績が一番いいなどという球団幹部の放言も出ていたそうです。

 話は野茂氏に戻りますが、複数年契約等を求める野茂氏に対して球団側は即座に拒否した上でマスコミに対し、野茂氏は年俸を引き上げるために交渉を長引かせているなどという悪辣な情報を流していました。また当時の近鉄監督である鈴木啓示氏と野茂氏の間ではプレイや調整法などで激しく対立があり、かといって当時においてほぼナンバー1の投手であった野茂氏を他球団に放出する考えは近鉄になく、野茂氏が自分の意図するように野球を行おうにも日本では行えないような状況となっておりました。このように交渉が難航した結果、日本球界に復帰する際は近鉄が所有権を持つことなどを条件に米球団への移籍を球団に認めさせ、野茂氏はドジャース入りすることとなります。

 当時のチームメイトなどによると野茂氏自身は必ずしもメジャーにいきたかったわけでなく、単純に近鉄球団ではプレイできないためだと漏らしていたそうです。私もこの話は本当だと思え、その理由というのもメジャーへの移籍によって野茂氏の年俸は前年の十分の一以下である約980万円まで落ち込んだからです。またメジャーに行く前に記者に対して言った、僕は英語を覚えるためにアメリカに行くわけじゃない。野球をやりに行くんです」というセリフが彼の強い決意を物語っていると思えます。

 こうして海を渡った野茂氏に対して当時の日本メディアは、当時子供だったので正直なところあまり良く覚えていないのですが、少なくとも「頑張っていって来い!」というよりは「散々交渉こじらせて我侭で勝手に飛び出していった」といったような、冷淡な扱いだったと聞きます。かすかな自分の記憶を辿っても、「新たな日本人メジャーリーガーが誕生、勇気をもってアメリカに挑戦!」というようなフレーズは当時聞いた覚えがありません。
 当時の心境は本人のみぞ知る所でしょうが、傍目にも決して気分のいいものではなかったことでしょう。ただ野茂氏のさすがともいうべきところはそのような逆境の中、ましてや環境が全く異なるアメリカのグラウンドで桁違いの脱三振率と防御率を叩きだすという実績を残した点です。その活躍ぶりは現地アメリカ人も認めるほどで、また当時のメジャーリーグは選手のストライキ問題で人気が低迷した中だったそうですが、トルネード投法と呼ばれる野茂氏の独特なフォームが大きな注目を呼んで観客動員数の増加に貢献したと言われ、実際に当時のチームメイトから野茂氏は「お前はメジャーを救った」という言葉をかけられたそうです。

 この時の野茂フィーバーは私もよく覚えており、確か同年にブレイクしたイチロー選手が日産のCMに出て好評を博したことから、シーズンを終えて帰国した野茂氏に対してトヨタがすぐに契約してCM出演していたはずです。もっとも、イチロー選手ほど売り上げを伸ばすには至らなかったようですが。

 その後、野茂氏はアメリカでプレイし続け二度のノーヒットノーランを初め輝かしい記録を作った上で2008年に引退します。私が野茂氏を尊敬するのは半ば日本から追い出されるような逆境の中、自らの実力で以って世間に自らを認めさせたことと、未踏とも言っていいメジャーへの移籍を実現した上でその道を開拓したためです。仮に野茂氏がいなければ現代の様に多くの日本人選手がメジャーでプレイしていたかとなるとやや疑問で、仮にプレイしていても今ほど多くなかったことは確実でしょう。このような意味から野茂氏はしばしば「開拓者」と呼ばれますが、現代においてこの呼び名が最も相応しい人物だと私も思えます。

 なお自分が中国へ渡り転職したのは26歳の頃でしたが、たまたまですが野茂氏がメジャーに渡ったのも26歳で、全然次元も難易度も違いますが野茂氏と同じ年で海外に渡ったというのが自分の一つの自慢です。

2013年12月3日火曜日

伊藤博文に対する日本メディアの浮き足

 先程ちょっとコメント欄に書きましたが実は最近、またぞろ小説でも書いてみたいなと考え始めています。私が何で毎日こんなだだ長いブログを書けるのかというと無駄なものにやけに集中力を発揮出る自分の特異性もさることながら、高校生の頃までかなり本気で小説家を目指して文章を書く訓練を続けていたことが大きいです。自分などより書いている人はいっぱい書いている人はもちろんいるでしょうが中学生の夏休みの頃などは毎日最低三時間は小説を書いており、今思うと酷い表現力でしたががむしゃらな努力は今の自分の大きな糧にはなったでしょう。

 そんな小説家への熱意は大学に入った頃、具体的には2003年の芥川賞受賞と「涼宮ハルヒの憂鬱」を見て一気に冷めたのですが、このまえネットで歴史を読み返していてちょっと気になったテーマがあり、もったいぶらずにいうと伊藤博文と山縣有朋の二人を主人公にして幕末から明治に至る歴史を一気に書ききったら面白いかもという構想が出てきました。

 伊藤に山縣と言ったら維新の元勲でもありながら明治初期にこの世を去った西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允などとは異なり、、この三人が死去した後の明治政府を実質的に切り盛りしながら始まったばかりの議会制民主主義の時代にあってもリーダーとして活躍した人物であります。歴史に詳しい方ならわかるでしょうがこの二人は明治の国会開設当初は互いに政友会、改進党のリーダーとなって政治方針で激しく対立しあうライバルでありましたが、元々は同じ長州の松下村塾出身であり、またその松下村塾内に通っていた武士たちの中でもほぼ最下級の身分同士でもありました。
 こうしてみてみると二人とも数奇な縁を持っており性格もほぼ真逆で、それが政治方針にもしっかり現れています。ただ政治の場では激しく対立しながらもプライベートでは終生仲が良く、お互いに腹の内を相談し合いながら桂小五郎、高杉晋作亡き後の時代を作っていったと思うとロマンが感じられます。

 もっともこのところ忙しいのでこういう小説を書こうには取材する時間と気力もない状態なのですが先にというか伊藤博文について私の評価を述べると、彼は文句なしに近代以降の日本で女癖を除けば最上級の政治家でありその波乱に富んだ人生はもっと高く評価されるべきだと思います。更に言えば、私は彼こそが大河ドラマの主役として相応しいと思うしもっとメディアも彼を主役として取り上げることによって日本における民権運動の流れがより知られるようになるのではと思っています。だからこそ小説で書きたいんだけどね。

 しかし、こういってはなんですが伊藤が主役のドラマなどのテレビ番組は贔屓目に見ても多くありません。それどころか同時代を扱ったドラマでも彼の登場というか描かれ方はあまり良くない気がします。はっきり言ってしまうとこのような伊藤に対するメディアの取り扱い方は韓国を意識したものがあるのではないかと強く疑っております。

 言うまでもなく伊藤博文は韓国で最も有名な日本の偉人の一人で、初代統監府総監に就いて安重根に暗殺されたことから悪者の象徴みたいに見られていますが、少なくとも私の見識内では彼こそが明治政府内でも韓国への対応で穏健派だった人物で、むしろ彼が暗殺されたことによって強硬派だった山縣有朋が勢力を増し、韓国併合に踏み切ることとなったと見ております。言うなれば、伊藤に対して実像とは真逆の見方と評価を韓国は持っているように感じるということです。

 この時点でもかなり不満だし、ちゃんと日本の歴史を勉強しているのか韓国の連中はと言いたいこともあって「じゃあ自分が書くか」などと思うわけなのですが、こんだけネタばらしするのは本音を言うと自分が書かずに済むならそれでいいと思う、というよりも誰か自分の代わりに伊藤の実像を描く人間はいないのかと思うからです。テレビ局でもゲーム会社でもいいから、もっと伊藤を主役に据えてエアポケットみたいにあまり取り上げられない明治中期の時代を見せてくれと私は言いたいわけです。

 仮に大河ドラマで伊藤博文を主役に据えたら韓国側がもう反発してくることでしょう。しかし外国に批判されるから取り上げないというのはあまりにも意気地のない話ですし、それが誤解に基づくものだとしたら尚更です。私の目から見て伊藤は間違いなく明治を語る上で外せない人物であり、そのような人物をまるで腫れ物に触るかのように取り上げないというのはなんだこの根性なしと言いたくなる始末です。むしろ韓国に対して問題提起、伊藤は本当に韓国に対する侵略者なのかを議論を吹っかける意味合いでも大きく取り上げるべきだと思います。

 さて、宣言しちゃったからこれで書かないと不言実行だな俺も。あんまり案件抱え込むのもいろいろとあれだけどなぁ。

  おまけ
 伊藤博文は一時期、日本国内の紙幣の肖像画にも使われていましたが韓国との問題があるので今後使われることはまずないでしょう。仮に印刷したら燃やされそうだし。
 なお紙幣の肖像画についてですが個人的には下記の、徳川家康が三方ヶ原の戦いで大敗した直後のがっかり肖像画とか使ってみたら面白い気がします。日本人はこの肖像画が描かれた紙幣を見る度に臥薪嘗胆の気持ちになれるんじゃないかな?

2013年12月2日月曜日

投稿件数2000件達成

 目指していた数字というわけでもないですが、この記事の投稿を以って陽月秘話の投稿件数が2000件となります。もっとも企画倒れで終わったものや社会状況の変化によって自分の病気自慢がガチでやばくなったため削除した記事がいくつかあるため、実質的な投稿件数ではとっくに2000件を超えており、あくまで今回の数字は現時点での投稿件数ということになります。
 このブログは2007年の12月スタートですのでほぼ丸六年かけて2000件の記事を投稿したことになり、年平均で言うと約333件ペースで投稿していることとなります。ただ今年や去年はサボることも多くなっている一方、2008年とか2009年は1日2本投稿することも珍しくなかったのでかなり貯金を食っているような状況と言えるでしょう。

 改めてこの2000件という記事投稿数ですが、正直な所それほど感慨はありません。本気でやればこれの倍くらいは書く自信もあるしブログだけに力入れるならあれこれ取材してもっと面白い記事を書く自信もあります。決して惰性でやっているわけではありませんがあくまで片手間で書き続けるということがこのブログのポリシーで、自分の政治意思や価値概念を世の中へ意識的に広げようとは考えず、変な出世欲などとは一線を置いた距離を保つことを意識しております。といってもほぼ毎日書いてるブログを片手間と呼ぶのも変な感じですが。

 なもんで今日は2000回記念で何か気合入れた記事でも書こうかなとも思ってましたが、昨日の記事が結構真面目に長く書いたものであり、二日続けてかたっくるしいを書くことにやや疑問を感じました。じゃあ何書こうと考えた結果、好きなものを書こうという結論に至り、ある漫画のキャラクターについて書くことに決めました。ただこのまえ半年ぶりに話をした友人に聞かせたら微妙な反応だったので自己満足な記事になるでしょうが。

 そんなわけでやっと本題ですが、今回紹介しようと思うその漫画キャラクターというのは球磨川禊(くまがわみそぎ)というキャラクターで、このブログに限らずあちらこちらで取り上げられていてジャンプ読者であればまず知っているであろう超有名キャラクターです。このキャラは今年初めに連載を終えた「めだかボックス」というまごうことなき萌え漫画に出てくる男性キャラクターなのですが、作中で主役を明らかに食う人気ぶりで、事実キャラクター人気投票では主人公に4倍ものスコア差をつけて堂々の第1位に君臨してました。

 私がこの「めだかボックス」という漫画に初めて接触したのはちょうど去年の今頃、十秒間口閉じてることのない先輩が日本からジャンプもってきたというので譲り受けて読んだ際、連載中だったこの漫画を初めて見ました。ちょうどその回にも今日取り上げる球磨川禊というキャラが出ていたのですがやはり一見して感じるものがあり、その独特なセリフ回しから非常に強い印象を覚えたわけです。なもんだから日本に帰ってきてからは「めだかボックス」の単行本を手に取って読み始めたのですが、最初に感じた印象に偽りはなく読み進めるごとにこの球磨川禊に対して興味を深めていきました。

 ここでこのキャラを簡単に解説しますが、この「めだかボックス」はジャンプの王道漫画らしく途中からは各人が持つ能力を駆使する完全なバトル漫画と化していくのですが、その中で主人公を含む生徒会一派に対してリコールを要求するグループのリーダーとして球磨川禊は登場します。これだけの設定であればよくある敵役であって、どうせ敗北した後は主人公の見方になるんだろ的な流れに繋がっていくわけなのですが(実際にそうなる)、そのキャラ造詣のいびつさから後半になっても一切人気が衰えず、というかむしろ高まっていた節すらあります。

 では球磨川禊はどんなキャラクターなのかというと、一言で言えば「ネガティブの塊」みたいな人間で、実際に作中でも「負完全」な存在だと自称してます。どれだけネガティブなのか作中のあるキャラクターに言わせると「まるで心が無いような」キャラで、実際に話すセリフはどれも飄々としていて本音が全く感じられず、本気で言っているのかふざけて言っているのか、果てには何が目的なのか全くわからないようなセリフを並べ立ててきます。一例を挙げると、誰がどう見たって明らかに球磨川禊が手を下してモブキャラを打ちのめしているのに、自分は経った今ここに来たばかりだと主張して『僕は悪くない』という口癖を平然と言ってのけてしまいます。

 その一方、会話の端々には妙にリアリスティックというか正鵠を射ぬくようなことを突然口にすることがあり、名言と称される代表的なセリフがNAVERにまとめられていますがをいくつか挙げると以下の様なのがあります。

『エリートを皆殺しにすればいいんですよ。そうすれば世界は平等で平和です』
『「人生はプラスマイナスゼロだ」って言う奴は、決まってプラスの奴なんだ』
『だからこの痛みの恨みは日之影くんに迷惑をかけないように、きみとは何の関係もないその辺の誰かに何かして晴らすとするね』

 引用しておいてなんですが、なんていうセリフばっかだと私も思います。
 上記のセリフからもわかると思いますが、このキャラは極端に破滅願望が強く、また世界全体に対してほとんど価値を見出さない傾向を持っています。それは他人に対してだけでなく、むしろ自分自身に対しても強く向けられており、自分の様な底辺は何をどうやっても勝利を得ることがないと自覚して勝負自体の勝利は相手に譲るものの、散々な嫌がらせをして勝利そのものを無意味にするかのような行動ばかりとってきます。

 と、ここまでで説明しただけのキャラクターであればただの気味の悪いキャラクターで終わるのですが、彼の評価がうなぎ昇り(うなぎが絶滅したらこの言葉はどうなるのか?)になった回で、球磨川禊が唯一と言っていいくらい信頼するキャラクターに対して初めて本音をぶちまけます。その本音というのも「勝ちたい」という4文字の言葉で、どんなに蔑まれても、嫌われても、才能に恵まれなくても、これらの条件をすべて兼ね備えたエリートに対して勝って駄目な人間でも主役を張れることを証明したいという内容でした。

 ほかの解説記事などでも書かれていますが、ジャンプの漫画というのは「努力、友情、勝利」というのが三原則になっていますが、球磨川禊に言わせるとそれでもジャンプの主役たちは現実世界と同じように、結局は恵まれた才能を持っている人間が勝つべくして勝っているそうです。そして、だからこそそれらすべてを持たないというか敢えて持とうとしない自分がエリートに挑んだところで負けることはわかっていながらも、それでも一度は勝って見せたいというある意味でジャンプキャラらしい強い意志を持って動いていたことを明かします。

 実際にこの「勝ちたい」というセリフに続く球磨川禊の独白シーンが私もこの漫画で一番好きなシーンで、ほかの多くの方々も名シーンに取り上げています。これ以外にも色々とすごいセリフを連発していてみていて本当に面白いキャラクターで、ネガティブさを前面に出し、実際にはチート級の特殊能力を持ってて簡単に勝利を得るのに自ら敗北へと走り、その上で自分が認める勝利を求めるという複雑な人物像であることから、個人的には日本漫画史上でも屈指のキャラクターではないかと私は評価しています。

 ここでがらりと空気を変えますが、私がこの球磨川禊に対して強い関心を持つのはその特異なキャラクター性もありますが、それ以上に自分自身も非常に強い破滅願望を持っていることが原因でしょう。スピリチュアリストの荒川さんにも、中世の西欧騎士の様に美しく散るような結末を強く望んでいると直接指摘されましたが、事実その通りで子供の頃から如何に生きるかよりも如何に死ぬかに対する関心の方が現在に至るまで強いです。でもって自分の知識量をはじめとする一部の能力は世の中で役に立つ要素があるかもしれないけど、少なくとも自分自身に関しては世の中にあってもなくても意味はなく、今現在を生きていても死んでいてもあまり意味はないなどと捉えております。

 荒川さんからはこのような破滅願望は百害あって一利なしだから早く捨てるべきだと結構マジで注意されましたが、私としては逆に生存欲求というかそのような希望を持ったところで何の価値があるのか、無駄に生き永らえようとして生き恥さらしたり、いざってところで自分の命優先してリスクを取れなければ何も面白くないのではなどと考えてしまうためやっぱりそっち方面に考えを変えることが出来ません。

 こういう自分だからこそこの球磨川禊に対して並々ならぬ共感を抱いたと自己分析しているのですが、このキャラクターの最後の結末というか作中で示されたメッセージに、「負け続けることがわかっていても勝負から逃げずに戦い続ける、何故なら負け続けることは戦わないことよりも価値があるから」というような内容のセリフがあり、なんとなく自分そうなのかもしれないと思えました。少なくとも、たとえ命を失うこととなっても勝負をしないような人生だけは送りたくないと本気で思います。

 以上が好き勝手に書いた内容ですが、やっぱり歯止めを掛けなくなるとネガティブな内容に走ってしまうのが自分らしいです。

2013年12月1日日曜日

「予定通り」にアイデンティティを持つ日本人

 先日、たまたまテレビを見ていたらある芸能人(名前は失念)が番組内で興味深い一言を述べていました。その一言というのも下記の内容です。

「日本人というのは欧米人と比べて自我が弱い一方、予定というものに物凄いアイデンティティを持つ傾向がある。たとえば予定通りに一日が終われば達成感を感じ、逆に何か予想外の事態が起きてしまうともうそれで全部駄目だったみたいに思ってしまう」

 他の人はどうかわかりませんが少なくとも私にとっては「まさにその通り!」と言いたくなるほど得心する内容で、実際にその場で手を打つくらい感心しました。私はかなり以前にも個人的にもいい出来だと考えている「日本人の欠点」という記事中で日本では駅員への暴力が異常に多いことを取り上げましたが、これこそ予定通りに物事を運べないと何故だか不安や怒り、イラつきを覚える日本人の特性を如実に表している一例と言えるでしょう。

 と、ここまででも十分に面白い内容か問われながら思うのですが、今日はこの指摘をもう少し発展させて日本人の人生観についても触れようと思います。まどろっこしい言い方はよして結論を書きますが、日本人は予定通りに物事を運ぶことが成功、運べなければたとえ結果がオーライでも失敗と考える傾向があり、それは面倒くさいことに人生というかライフコースにおいても同じ価値観を持っているのではないかとみています。
 具体的な例を書くと、いい大学を卒業し、大企業に新卒で就職し、結婚適齢期に結婚し、一人か二人子供を産んで、管理職になった上で定年まで勤め上げ、年金生活をしながら最低80歳まで生きる。これらの条件をすべて達成して初めて「成功」した人生となり、逆に一つでも欠けたら「失敗」した人生になると本気で信じ込んでいる気がします。それにしても、「最低80歳」というラインをここで出してくる自分のセンスに呆れる。

 このように考えるきっかけとしては最初の予定達成に対する執着とともに、以前に聞いた話で外国人から見て日本人の行動で奇妙だと思える点として、血液型占いを頑なに信じているということとやけに結婚適齢期にこだわるというのを耳にしたことがあったからです。実際に自分から見ても日本人は伴侶に求める条件がやけに高い割には二十代、広げても三十代前半までに結婚しないと何か問題がある、男性の場合だと「あいつはホモじゃないか」と冗談っぽくではありますが平気で口にする行動が多々見られ、「お前らは一体何と戦っているんだ?」と見ていて奇妙に思うくらい気にします。
 この結婚適齢期と同様、新卒での就職にも社会全体で不思議過ぎるくらいこだわりがあり、比喩を用いて表現すると「ライフコースにおいて脱線を許さない」とでもいうべき奇妙な価値観に満ちている気がします。

 私自身はもう既に脱線しっぱなしのオフロード(4WD)な人生を送っているので逆にこういうライフコースを忠実になぞろうとする人々に対し、はっきり言って軽蔑に似た感情を持つと同時に、どうして自分の可能性を狭めようとしているのか、そしてどうして脱線してまでも求めるものを得ようとする人々を馬鹿にするんだという八つ当たりにも似た腹立ちを覚えます。もちろんライフコースをなぞるために必死で受験勉強して、嫌いな上司とも付き合い続けるなど努力している人は努力していると思いますが、それにしても社会全体で脅迫にも近いこういう感覚もたれると自分なんかは単純に動きづらくて不便なだけです。

 そうした個人的な感情は置いといて話を戻しますが、とにもかくにも日本人は「予定通り」に物事を運ばないと絶対的に駄目という特性は確実に存在すると思います。そしてそうした意識は期日通りにきっちり物事を運ぶといういい面に作用する点もありますが、その一方で想定外の事態に異常に弱い、異常事態に対して無力すぎるという欠点も生んでいるかと私は考えています。

 それが如実に表れたのはほかでもなく東日本大震災の時で、各自治体や自衛隊がいろんな規則や法律に縛られてちょっと機転を利かせればどうとでもなる問題への対処がずるずると遅れた一方、駆けつけてくれた米軍はそういうものを一切無視してぱっぱと被災者のためにストレートな救援活動を展開していったと聞きます。これも具体的な例を挙げるとヘリコプターでの救援物資の輸送で、日本は空中から直接下ろすことが許されずなかなか物資を孤立した集落に渡せなかったのを尻目に、米軍はとっとと物資を空中から降ろして現地の住人から感謝されたそうです。
 また同じ区東日本大震災の時の話で、米軍基地で働いている方から直接聞いたのですが米軍人は普段はいい加減でちゃらんぽらんな様子であるものの、あの震災の時はそれこそ人が違ったようにみんなが強い目的と意思を持ってキビキビと動いていたそうです。この辺り、国民性が強く表れている気がします。

 確か今年の前半、夏頃に書いた記事で二次大戦の日本軍の敗戦理由としてある従軍体験者が、「一番起こってほしくない事態は起こらない前提で計画を作る」という内容を挙げたことを記事に書きました。実際に旧日本軍は仮に米軍がある基地を優先して攻撃してきたら非常にまずい事態になるが、それは多分起こらないだろうという事にして計画を作り、案の定米軍はしっかり研究してきてその基地をきちんと狙って攻撃してくるという事態が本当によくありました。私はこの手のことを「日本人の不測事態に対する楽観性」って呼んでますが、不都合な事態から目をそむけてしまう国民病だと言っていいくらいだとも考えており、こうした特性も「予定通り」に異常な執着を持つことに起因するのではないかとこの前閃きました。

 ここまで読んでもらえばわかると思いますが、「予定通り」にアイデンティティを持つことに対して私は否定的です。さっきも言った通りにこのアイデンティティにはいい面も悪い面もありますが、現代においてはいい面が薄れ悪い面が濃くなっている傾向があり、全部捨てろとは言いませんが多少は偏りをなくしバランスを取るべきだと言いたいです。
 一体何故現代においてこのアイデンティティが不利なのかというと、単純に世の中の流れが異常に早くなり、予定を立てても前提となる条件や舞台がひっくり変わりやすい、言うなれば想定外の事態が雨後の筍の如くどんどん出てくるからです。

 また文字量が多くなりますがいくつか例を出すと、ほんの数年で世界中の大多数の人が携帯電話をノキア製からi-Phoneに持ち替え、プラズマテレビがなくなり、ハイブリッド車が当たり前に走り、民主党が政権奪取したかと思えば自民党が再び与党になったりと、数年越しの計画を作ること自体が馬鹿馬鹿しくなるくらい世の中の変動が激しいです。

 言ってしまえば現代の世の中は予定通りしっかりレールに乗せることよりも、予想しない突発的な事態が起きた時にどれだけ素早くその場で対応できるか、これがスキルとして求められていると思います。古い言い方ですが「有り得ないことは有り得ない」ということを肝に銘じ、予定に対してもうすこしざっくばらんであいまいな態度を持つことも今の日本人には必要ということが私のいいたい内容であります。

 最後に、書くか書くまいか一瞬悩んで即断で書くことにしたことを述べると、日本人がそこに存在していると思っているレールは既に存在しないと断言できます。その先にレールのない人生を車輪で走る気なのか、タイヤくらい履いたらどうだとちょこっと思います。

2013年11月30日土曜日

「シドニアの騎士」のテレビアニメプロモーションビデオ

 既にこのブログでしつこいくらい取り上げている「シドニアの騎士」という漫画のアニメ化についてですが、やや古いですが今月中旬に下記のプロモーションビデオが公開されました。



 この動画が一体何なのかを簡単に説明すると、現在「アフタヌーン」という漫画雑誌で連載している「シドニアの騎士」という漫画が今度アニメ化する予定で、それの宣伝用動画です。この「シドニアの騎士」とは私が現在読んでいる連載中漫画の中で最も続きを楽しんでいる漫画で、2010年頃の単行本の3巻 から (現在では11巻)読み続けている漫画であります。
 作者の弐瓶勉(「にへいつとむ」、本人もたまに「ニビンベン」と読んでるが)はデビュー作の「BLAME!」の頃から知っていて、現代の漫画家としては他の追随を許さないほど、決して誇張ではなく壮大なスケールと有り得ない大きさの建築物を頻繁に背景に描くことから高く評価しておりました。はっきりとした経歴は明かしていないものの、どうもこの作者は建築関連の教育もしくは仕事をしていたということでその独特なバックグラウンドが作中にも活かされているとよく指摘されています。

 話は「シドニアの騎士」に戻りますがアニメ化が発表された際はてっきりOVA(オリジナルビデオアニメ)で短い話だけが公開されるのかと思っていたら、どうやら来年春にテレビできちんと放送するようです。でもってフルCGで動画を作るそうで上記のPVもそのような出来となっていますが、一見した感じだと弐瓶氏の絵とCGの相性は高いように思え、こういう作りにして正解なんじゃないのかと思う次第です。ただ人物の顔を見た感じだと昔公開されたアニメ映画の「スカイクロラ」になんか近いような印象を覚えますが、気のせいかな。

 内容を知らない人向けにこの漫画のあらすじというか全体の流れを説明すると、この漫画の世界では既に地球は崩壊しており、人類は宇宙船(作中では「播種船」)の中でわずかに命脈を保っている状態です。その宇宙船に対して地球を崩壊せしめた宇宙怪獣が再び襲ってくるようになり、主人公らはその宇宙怪獣と戦うロボットのパイロットとして戦っていくのですが、細かい設定がとにもかくにも素晴らしいの一言に尽きます。

 まず生き残っている人類ですが、遺伝子が既に改造されており光合成をすることによって栄養を体内で自ら作るため、主人公は例外ですが食事は基本的にとらなくていい体となっています。また一部の船員に限っては脳をクローンで作成した肉体に換装することで老衰することなく生き続けており、このほかアンドロイドや特殊な義手義足を身に着けたキャラも出てきます。

 そして何と言っても面白いのが、その宇宙怪獣の設定です。というのもこの宇宙怪獣はコアを破壊しない限り何度でも再生して襲ってくるのですが、そのコアを破壊する兵器というか武器というのが17本しかない槍で、この槍をロボットでもって突く以外は倒せないこととなっております。そのため、話が進むにつれて戦況は人類側が徐々に立て直してきますが前半は本当に絶望感が半端なく、主要キャラもバッタバッタとリアルに死にます

 最近のSF作品というとどれもこれも主人公側の兵器が最初からやけに充実してたり、如何にも媚びた感じの美少女キャラが出たり、お前のせいで何人死んでんねんとツッコみたくなる指揮官が如何にももの知ったような感じで出てくるのがお決まりですが、この作品に限ってはそういう要素は全く以って皆無です。唯一、指揮官に関してはパイロットを見殺しにしてでも敵殲滅を平気で優先してくる、別な意味で強烈なキャラクターでありますが。

 また例によってほめ過ぎな気もしますが、素直にこの作品はもっと評価されるべきだと私は思います。そもそも作者の弐瓶勉氏自身が日本国内よりも海外の方が評価が高いような漫画家であることもありますが、もっと日本国内がこの人のことを評価してあげるべきでしょう。
 来年の春に自分が日本にいるかどうかはやや微妙ですが、いるとしたらちゃんと毎週追っかけてテレビアニメを見てみたいものです。

2013年11月27日水曜日

特定秘密保護法案を巡るマスコミの対応

 今日は記事更新をさぼってまた副業に精を出そうかと思っていましたが、短くてもいいから書いときたいことが出来たのでそっちを書くことにします。

 さて、みなさんも知っての通りに特定秘密保護法案が昨日、衆議院で可決しました。一夜明けた今日の大手メディアの報道は政府というか安倍首相を批判するものしかなく、肯定的はおろか中立的な報道すら探すのも難しい状態です。はっきり言えばこの議論に関して日本のマスコミの報道は偏向だと言っても過言ではなく、よくもこんな低次元な内容で大騒ぎできるものだなと呆れてきます。この件に限るわけじゃないですが、日本の政治記者は私から見てあまり頭がいい人が多いようには見えません。逆に文化部の記者なんか真面目に尊敬するほど勉強しているなといつも感じますが。

 この件に関する報道でメディアが偏向的だと思えるのは、法案に対して批判しかしないのはもとより野党側の主張ばかり報じるなど明らかに野党の肩を持っている点です。具体的に挙げると一昨日に福島県で開かれたこの法案の公聴会に関する報道ですが、公聴会に参加した地元の人間が質問で、「震災の時にSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報が公開されず現場は大混乱した。この法案が出来ればさらに公開されなくなるのでは」と述べたのですが、この質問をどのメディアも繰り返し何度も放送していました。この質問に対して自民党側は、SPEEDIの情報はそもそも秘密対象の情報ではなく、有事の際には公開すると回答しましたが、当たり前すぎてなんで回答するのかとむしろ私には思いました。

 このSPEEDIの情報ですが、どうもこのメディアの繰り返した報道を真に受けちゃったのか、民主党の近藤昭一議員が同じ質問をどうも安倍首相に聞いてしまったようです。

首相「菅政権が対応誤った」 民主議員の原発事故情報非公表に反論(産経新聞)

 詳しくは記事内容を読んでもらえばわかりますが、近藤議員がさっきの公聴会参加者同様にこの法案が通れば震災時に情報が隠蔽される恐れがあるのではと聞いたところ安倍首相が、そもそもSPEEDIの情報を震災当時に公開せず余計な混乱を招いたのは当時の民主党政権だろうと言い返し、近藤議員もそれ以降は何も言えず「反省とおわびを申し上げたい」と言ったそうです。あんたなにがしたかったんだよなぁ。

 私が言いたいのは、情報の隠蔽体質で言うならば前民主党政権の方が明らかにひどかったということです。先程の震災当時の情報隠蔽はもとより2010年の尖閣諸島沖漁船衝突事件でも海上保安庁が保有する事故当時の映像を国民に公開しなかったりと、呆れた対応ばかりしておりました。なので以前に書いた記事で私は、「特定秘密保護法案関連で民主党は何も発言するな」と言いましたが、私のこの認識は大手メディアの間では持たれていない。それどころか情報を何度も隠蔽してきた人たちが「政府は情報を隠蔽するつもりだ」という発言を何度も放送するありさまです。私が責任者なら、民主党のシーンはカットするか、このような寸評を入れて「馬鹿がまた何か言ってるよ」として報じるのですが。

 ついでに書くと昨日の採決では野党がそろって反対しているにもかかわらず強行採決したなどという発言を載せる記事もありましたが、そもそも野党が諸手を挙げて賛成する法案の方が少ないだろうとツッコんだのは私だけでしょうか。それに上記のとおり民主党はこの議論で発言する余地はなく、共産党はどの法案にも全部反対であること考えると、みんなの党が賛成に回っただけでもむしろ珍しいと評価してもいい気がします。
 あと誰かとは言いませんが今回の法案通過を以って、「民主主義は終わってしまった」なんていう人もいましたが、私からするとこの程度で民主主義が簡単にくたばると考えているようであれば、この人こそ遠回しに民主主義を馬鹿にしているのではないかとみていて腹立ってきました。叩かれてナンボだというのが民主主義だというのにさ。

 最後に前回書いた記事で書きそびれたことを付け加えますが、仮にこの特定秘密保護法がなくても政府というのは様々な情報を隠蔽するでしょう。それこそかつての西山事件の様に、そんな情報は存在すらなかったという風にして。
 そのように考えればこの法案が通ることによって何を非公開にしているのかなど、隠蔽する情報の存在は確実に明らかになっていくと思います。いわば以前より非公開情報の存在ははっきりするのでむしろ前よりオープンになるんじゃないかと私は思え、なのになんでメディアはこんな大騒ぎするのか本当に理解できません。言ってしまえば暴けば金になる特ダネ情報を政府自らリストアップしてくれるようなもんなんだし。こういう風に考える当たり、自分は面倒な性格している気がしてきます。

2013年11月26日火曜日

部活動での拘束の是非

 昨日は緊急的に中国の話題を記事に書くこととなったので、当初予定していた一昨日の記事の続きを今日書きます。
 おさらいをすると一昨日の記事では公立中学校での朝練の廃止を長野県が検討していることを取り上げ、日本の部活動はやや勝利至上主義に走りすぎていてかえって青少年の心身の成長、ならびに学業に悪い影響を与えているのではないかという私の意見を紹介しましたが、今日はさらにアクセル踏んで日本の部活動に対して私が不満に思う悪口を書いてこうと思います。ちなみに「迷ったらアクセルを踏め」というのはコリン・マクレーというレーサーの言葉ですが、この言葉をベストカーという雑誌で引用した山路徹氏は二年前の不倫騒動を振り返って、「この言葉を思い出してアクセルを踏みました」と述べています。いい意味で懲りない人です。

 話は本題に入りますが、まず率直に言って私は日本の部活動文化が自分自身が中学、高校生だった頃から嫌いでした。その理由というのも単純に拘束が多いという一言に尽き、どうして課外活動であれやこれやといちいち細かく指示されないといけないんだよと不満で仕方なく、結局週三日だけ放課後の練習に出ればいいという緩さから中学校時代と高校の始めまで水泳部に所属しました。

 その過剰と思える部活動の拘束ですが、やや凝った言い方をすると文化系の部活ならともかく、運動部系の部活だと入部した時点で学校生活が部活動中心になってしまうというのが腑に落ちません。月から金のウイークデイの放課後は必ず練習に参加。そして土日も練習のため登校せねばならず、日常生活の大部分の時間を部活動に取られることとなってしまいます。
 もちろんその運動部で行っているスポーツ種目が大好きで仕方のない人はいいでしょうが、みんながみんなそうというわけでもなく、本当はサボりたいけどそのスポーツ種目をやるためには仕方ないからいやいや参加しているという子も少なくはない気がします。下手すればそのように練習づめにされて拘束されるのが嫌で、そのスポーツ種目自体は大好きなんだけど部活には参加しないって子もいるかもしれません。

 厳しいことを言えば、日本の運動部の部活動は多少は体を鍛える効果があるかもしれませんが、少なくとも生徒の競技に対するやる気を伸ばしているかといったら全く伸ばしていないと言っても過言じゃないでしょう。少し興味はあるんだけど必死こいてまでやりたくないという生徒は最初の段階で切り捨ててしまっており、その切り捨てによってもしかしたらその競技に非凡な才能を持っていたかもしれない人間の多くを無駄にしてしまっているのかもしれません。
 仮定の話が続きますが、最初は週二日くらいの練習でいいやと思って練習に参加しているうち、どんどんとやる気が湧いてきて最終的には週五日フルに参加してくる生徒もいるかもしれません。しかし日本の現在の部活動は週二日しか参加しない奴なんて初めから相手にせず入部を認めない可能性もあり、そう考えるとなんかもったいない指導しているなという気がしてなりません。

 私が何を言いたいのかというと、少なくとも中学までの部活動に関しては学校側は練習を強制せず、あくまで生徒の自主参加という形で指導するべきだということです。月から金の放課後練習には参加するが土日の練習には来ない生徒もいれば、土日も含めて全参加、はたまた逆に土日だけ参加するっていう生徒があってもいいような気がします。また一つの部活だけで活動するわけでなく月火水は陸上部、木金は水泳部の練習に参加するという選択肢もあっていいと思うのですが、こんなやり方を認める学校なんて私の知る限りではありません。
 恐らくこういうやり方を提案したところで多くの指導者並びに関係者からは、それじゃ団結力が生まれないだとか生徒によって運動能力にばらつきが出て指導し辛くなるとかいう意見が飛んできそうですが、私としては一緒に長く運動すれば必ずしも団結力が生まれるとは限らないと思うし、普通の部活でも生徒個人個人によって運動能力にばらつきは出るのだから、練習メニューを工夫すればどうとでも対応できる気がします。

 もちろん試合などに参加できるのは熱心に練習に参加している生徒でいいと思いますが、私自身がそうだったのですが試合とかに出なくてもいいから自分のペースで練習したいという生徒のニーズをもうちょっと汲んでもらいたいと思います。また同時に、一つのスポーツだけでなく複数のスポーツを楽しみたいという生徒もいるのであればなるべくしてその希望を叶えるように動くというのが本来あるべき学校の形じゃないでしょうか。
 少なくとも中学校の部活動に関しては、進学できる学校を生徒自身が選んでいることはほとんどないため、試合で勝つことを目的としてはならずあくまで生徒のスポーツに対する興味を育てることに重点を置くべきでしょう。ただ高校は生徒も進学先をある程度選べるし、熱心にスポーツやりたい子はそういうスポーツが盛んな学校に向かうことを考えると、多少は勝利を優先して部活動での拘束もあっていいとは思いますが。

 結論をまとめると、日本の部活動はやや硬直的で幅がなく、それがために高いポテンシャルを秘めている生徒を無駄にしてしまっているのではないかというのが私の意見です。こういう風に思うのも私自身が生来から協調性がないのが最大の要因ですが日本の部活動になじめず、同じような友人と一緒に「好きな時に好きなだけ運動したいよねぇ」とよく語っていたからというのと、サッカーは異常なほど大好きだけど部活の練習が嫌でサッカー部に入らなかった友人が身近にいたからです。

 それにしてもというか、また日本人批判になってしまいますが日本社会はどこを見回しても幅の狭い人生しか送れない仕組みになっているような気がしてなりません。この部活動一つとっても最初に書いたように日常生活が部活動中心になってしまう可能性が高く、また社会人も仕事を取るなら家庭を捨てなければという概念が未だに半端なく強いです。まるで「何か一つを選択するならほかのすべてを投げ捨てろ」と言わんばかりの価値概念で、何の根拠もなくこういう事を平然と要求してくる日本人のカビの生えたような思想が大っ嫌いです。「あれもしたい、これもしたい」というのは一見贅沢に見えるかもしれませんが、見方を変えればあらゆることにチャレンジしようとする心の表れでもあり、そうした可能性を摘み取るろうとする日本人は本当に自分の敵だと思います。

2013年11月25日月曜日

中国の防衛識別圏設置についての見解

 今日は昨日の記事の続きとして日本の部活動について批判的な文章を書こうと思っていましたがちょっと黙ってみていられないのもあるので、見出しにも掲げている中国が尖閣諸島上空を含む海域に防衛識別圏を設定したことについて私の見解を述べることにします。

 中国がどんなことを発表したか詳細については大手メディアの記事を呼んでもらいたいところですが、わかりやすく簡単に一言で述べると、尖閣諸島など日本政府が主張する領土の上空を含む空域に対して「この空域は中国の管轄下であり防衛する必要のあるところだから、変な飛行機とかがもし勝手に飛んできたら何するかわからないよ」というような内容を発表したといったところです。

 まず私個人の来歴について述べますが、小学生時代に三国志を読んでから中国贔屓になり、ついには中国に単身で渡って現地採用までしてきたくらいです。それくらい中国にどっぷりつかっている自分に言わせると、今回の中国の行動というか発表はあまりにも不用意過ぎるとしか言いようがなく、日本政府は一歩も譲らず中国に対して発表の撤回を求めると同時に、何かしらの対抗措置を講じるべきでしょう。

 今回の中国政府の発表ですが、私の予想としては政府、軍部がしっかり協議を重ねるなど準備を整えた上で発表したもので、この前のレーダー照射問題とは違って軍部が暴走したとか勝手にやった、圧力をかけたものではないように思えます。そしてどうしてこんな発表をしたのかというと、第一に尖閣諸島周辺の海域における領土主張でイニシアチブを握ろうとしたことと、少し時期はずれますが昨年の日本政府による尖閣諸島の国有化から一年二ヶ月を経過したことから、報復とばかりにやや強行とも取れる行動に打って出たのではないかとみています。

 確かに去年の日本による尖閣諸島国有化は中国側としては痛い一撃であったことに変わりなく、中国が一年越しで復讐したくなるのも理解できない話じゃないです。ただ大分時間が立って日中双方の国民も冷静になりまた経済活動を活発化していく中で、いわば寝た子を起こすような今回の行動は日中双方にとってマイナス以外の何物でもありません。もっとも中国の側からすれば先に仕掛けてきたのは日本だと思ってるかもしれませんが。

 それにしても理解できないのは、何故このタイミングで波風を無理に立たせようとするのかです。中国としても日本との貿易に影響が出ることは経済全体に良くなく(日本にはもっと良くないが)、尖閣諸島国有化の直後であれば国内向けのプロパガンダとしてまだ理解できますが、誰も気にしなくなったこの時期にこうしてこういう行動に出ても、お互いの商売で損し合うだけです。
 思えば、習近平政権となってから中国の外交方針が変わってきているのかもしれません。中国というのは共産党の一党独裁国家ですから仮にトップである総書記が変わったところで党としての方針が優先されるため外交方針は大きく変わり辛い国なのですが、南沙諸島の問題といい、胡錦濤政権と比べると落としどころが見えないのにやたら突っかかってくることが増えてきた気がします。まぁ突っかかってくるのは昔からだけど。

 また胡錦濤政権というのは案外日本に対する配慮はよくしてくれていて、レアアースの輸出を差し止めたりしましたがちゃんと落としどころを初めから想定し、今回の防空識別圏設置などのように軍事的に危険な挑発だけはちゃんと避けていました。しかし今回の中国の行動は軍事的な色彩が強く度が過ぎており、仮に周辺国が認めようものなら中国は何してもいいってことにもなりかねず、平和という観点から言えば危険以外の何物でもない行動です。こういう行動は胡錦濤政権気ならなかっただろうなと思うと、習近平政権になってから変わってしまったのかなとも感じます。

 ただしかし、今は日本にとってやや時期がいいです。というのもつい先日に米欧とイラクの間で核兵器開発を中止する代わりに経済制裁を一部緩和するという合意が出来たばかりで、米国の安全保障の目が中国に集中するという期待があります。逆にイラクとの議論が続いていたらアジア方面への関心は確実に薄れるだけに、日本としては素直にこのタイミングを喜んで米国、ひいては他の東南アジア諸国と完全タッグを組んで徹底的に圧迫をかけていく方がいいと思います。もちろん武力は抜きで。

 最後にここで一つ気になるのが韓国の行動です。多分今の韓国ならここでも中国の肩を持つ可能性があるとみえ、もしそうなったら米国の機嫌を損ねるだけでなく他の東南アジア諸国からも冷めた目で見られて孤立化を深めるんじゃないかと勝手に推測してます。もちろんそんなことなければそれでいいんだけど、予言すると今の韓国大統領は任期まで持たないと私は見ています。

2013年11月24日日曜日

部活動での朝練の是非

長野県「朝練廃止」 中学生部活動 「睡眠不足、成長に弊害」(産経新聞)

 上記はちょっと古いニュースですが個人的にかなり目を引いたニュースなので記事内容の紹介と共に私の見解をつらつら書いていきます

 記事の内容は見出しそのままで長野県県内の公立中学校行われている部活動朝練こと早朝練習の廃止を検討しているとのことです何故朝練廃止しようとするのかというと朝練をすることによって生徒睡眠不足を引き起こ学業成長悪影響が起こるだけでなく過度な練習による勝利至上主義走りかねないという理由からです
 私の結論を先に述べると、実にまともな提案であり是非そのまま朝練を廃止するべきでしょう。

 前もって言っておくと私はスポーツ科学に造詣が深いというわけでもなくただの素人ですが、その素人の目から言っても朝起きてすぐにきつい運動するのはどう考えたって体にいいわけないとしか思えません。特に冬場だと寒さから体の動きが鈍くなり怪我する可能性も高く、軽めのジョギングやストレッチなどにとどめるのならともかく、今日び日本の部活動で実施されているような練習量は明らかに度が過ぎている気がします。
 なおかつ今回の提言でも書いてある通り、朝6時に起きて7時から8時まで練習し、それから授業に出ると言ってもそりゃあ集中力が落ちるに決まってます。勉強だけが学校生活だけじゃないですが、効率が悪いとしか思えない朝練をしてまで集中力下げるってのは不毛以外の何物でもないでしょう。

 そして何と言っても大事なのは、学校の部活動は心身の教育が最重要であり試合に勝つことではありません。大阪の桜宮高校の体罰事件も最近は語られることが少なくなってきましたが、健康が学業に影響を及ぼしかねない練習を行うのはやっぱりこの勝利至上主義が背景にあるような気がします。いくら上から指導しても現場が従わないというのなら、この長野県の様に原則廃止するという手段を講じることが一番に思えます。
 こうした考えと関連するというか、同じくスポーツ教育で気になるニュースがもう一つあります。

甲子園を目指さない野球部」とは?(R25)

 上記のニュースによると、芦屋学園中・高校が来年にも高野連に加入せず予選を含め甲子園に出場しない野球部を作るそうです。高野連に加入しないことで引退したプロ野球選手などからの指導が受けられたり、地方リーグのチームとの対戦が出来るということがメリットだそうですが、それと共に必ずしも甲子園で勝つことを目的とせずプロを目指すような選手を育成することが目的だと書かれてあります。

 率直に言ってこの構想は非常に面白く、実に先行きが楽しみな話です。そもそもの話、日本の部活動は試合に勝つことが目的とされていることが非常に多く、芦屋学園みたいにプロになることを見越した教育がなかったり、あときつい練習してまで試合に勝ちたくないけど自分のペースでその競技を練習したい、楽しみたいという人に門戸があまりにも開かれていない気がします。
 まとめて書こうと思ったけどちょっと話題が逸れていくので、また次回にでも日本の部活動に対して私が疑問に思っていることを書きます。

2013年11月23日土曜日

私の嫌いな広告とその会社

広告コンクール:最優秀に味の素、パナソニック、東京ガス(毎日新聞)

 昨日に毎日新聞のニュースをアンドロイド用アプリで見ていたところ、気になったというか癇に障るニュースを見つけました。そのニュースというのが上記のニュースで、なんでも日本アドバタイザーズ協会というのが主催したコンクールで味の素とほか二社が入賞したとのことです。それにしても上記のリンク先、「~など計4366点の応募があっ... 続きを読む」って表示されててリンクが貼られているから続きあるのかと思ってクリックした所、「 ~など計4366点の応募があっ」という具合で、「た」の文字しか続きないんだけど。

 話を戻しますがなんでこのコンクール入賞で味の素が入っていることに一人いきり立っているのかというと、以前に「見ていて不快な広告」という記事でも取り上げたようにこの会社のバナー広告が見ていて本当に不快だからです。そのバナー広告の画像は先ほどの以前の記事にも貼ってありますが、疲れたおっさんの顔がネガティブな言葉とともに載せられており、この広告が目につくだけでも非常にイライラします。しかもかなりむかつくことにこのバナー広告は未だに載せられることがあって目にする機会も多く、文房具屋でボールペンの試し書きをする時はリアルに「ファッキン味の素」といつも書くくらい腹立ちます。

 今回のコンクールに入賞した広告はもちろんこれとは別ですが、非常に不愉快な広告を出している味の素がこうして表彰されることに個人的に納得いきません。主催団体にはもちろん責任はなく私も批判するつもりはありませんが、ともかく味の素の広告責任者に「鬱陶しいんだよてめぇの広告( ゚Д゚)<氏ね!」って大声で言いたいです。

 物のついでなのでもうすこし気になる広告について書きますが、保険大手のアフラックのテレビCMもこのところ見ていて不快感しか覚えません。そのCMというのは「保険は必要かなぁ」って誰かが言うと黒いアヒルが出てきて「必要ない、必要ない!」って喚くCMで、言ってるセリフも意味わかんないしその黒いアヒルもだから何なんだよと思えて不快です。逆に以前やっていたCGの猫が出てくるCMは猫好きなだけに大好きだったので、なんでこんな改悪したんだよと聞きたくなります。

 あと最後にもう一つテレビCMで自分が注目しているのだと、通信会社大手のKDDIことauのCMが一時期ソフトバンクに比べて酷かったのに対し、このところの剛力彩芽氏が出てくるCMは素直に好感が持てます。特に今放映しているきゃりーぱみゅぱみゅ 氏 が歌って踊る奴は見ていて面白く感じるほどで、タレント評論家でもない自分が言うのもなんですが、あのきゃりーぱみゅぱみゅ氏に関しては「かわいい」という英語や中国語に翻訳し辛い日本独自の概念を海外に切り売りする上で非常に稀有な才能を持ったタレントではないかと文句なしに最上級の評価をしております。
 ただ今のauのCMで「もったいないとめあ」という曲を歌って踊っていますが、この曲のサビ部分にある「もったいないから、もったいないから」という歌詞がたまに「おっぱいないから、おっぱいないから」と聞こえてきて、「もったいないおばけはよく聞くけどおっぱいないおばけっているのかな」なんて妙な疑問が湧いてきます。こんな疑問を抱く当たり、自分は相当疲れているのだと思うので明日はおいしいもの食べながらゆっくり休むことにします。

  おまけ1
 きゃりーぱみゅぱみゅ氏についてもう一つだけ述べると、この前にみたこの掲示板が面白かったです。

Siriにきゃりーぱみゅぱみゅを検索させたいんだが(ソニック速報)

 なんでもiOSの音声認識に「きゃりーぱみゅぱみゅ」を認識させようとするも、その発音の難しさからなかなかきちんと認識してくれないという顛末が描かれています。地味に「キャリー‰ ‰ 」とかいう表示がツボに来ます。

  おまけ2

 他に載せるところがないので載せますが、この前ネットで発見して非常に衝撃を受けた一枚です。初めて見た時なんか思わず、「ネットは広大だわ……」なんて呟いちゃったし。

2013年11月22日金曜日

猪瀬都知事の5000万円受領疑惑について

 今日はちょっと寒いのでパソコンを炬燵に移して今記事を書いていますが、やっぱりというかキーボードが打ちづらいです。っていうかそろそろOA用こたつみたいな商品が出ていてもいいような。
 話は本題に移りますが、宿敵である佐野眞一先生が大喜びしそうなビッグなニュースが今日飛び込んできました。

徳田議員から現金で受領=「無利息、無担保で」―徳洲会の5000万円・猪瀬知事(時事通信)

 記事の内容は皆さんも知っての通りだと思いますが、東京都の猪瀬知事が選挙活動で運動員を買収した疑惑から関連事務所や系列団が現在捜査を受けている徳田毅衆議院議員より、都知事選の直前である2012年11月に5000万円もの現金を受け取っていたことが今日までに分かりました。2020年東京五輪を決めて上昇気流に乗っていた時期なだけに、猪瀬都知事の政治活動にとっては非常に致命的でありやや気が早い気もするけど、下手したら辞職にも発展する可能性もあると考えています。

 まず今回の事件のポイントを整理します。今回の事件は先程も述べた通りに、徳田議員の問題で東京地検特捜部が捜査している最中に金の受け渡しがあったことが分かったようです。そして肝心要の金の受け渡しについては猪瀬都知事も今日の改憲で事実であると認めた上で、都知事選に出る直前に選挙資金として借りたものだと説明しています。ただ都知事選の選挙費用自体は自己資金で賄えたためで借りた5000万円は手付かずのままだったので、徳田議員への捜査が始まった今年9月に返却したと述べました。

 ここから私の意見を滔々と述べていきますが、まぁなんとも突っ込みどころの多い釈明っぷりで笑えてきます。普通に考えたらおかしいだろって言いたくなる点があまりにも多いのでもう箇条書きにして書いちゃいます。

1、無利子で現金5000万円も貸す奴いるか?
2、借用書を作成したと言っているが、なら現物を何故見せない?
3、選挙前の政治資金報告書に何故記載しなかった?
4、使わなかったというのなら、何故選挙後にすぐ返さなかった?
5、でもって徳田議員の捜査が始まったらなぜ急に返した?
6、なんで今まで黙ってた?
7、やましい理由がないのなら、急いで返す必要はないのでは?

 以上7点が私が持つ疑問点です。
 特に重要なのは2番と3番で、あるというのなら借用書を直ちに公開するべきでしょう。また仮に借用書が本当にあるとしても、さっきのNHKニュースでも学者が指摘してましたが政治資金報告書に記載しなかったのは明確な違反です。

 私としては仮に授受された金額が100万円や200万円なら堅いこと言わず、「次はばれないようにやれよ」で済ませてもいいのですが、今回の場合は5000万円という決して小さくない金額です。ましてやその金の出所というのが、運動員の買収という明確な選挙違反疑惑で捜査されている徳田議員ともなれば怪しい用途に使われたのではないかと邪推したくなります。
 事実関係がまだはっきりしていない段階で悪く言い過ぎるのもあれなので敢えてぼかして書きますが、借りた時期と返した時期を見るにつけ同じことをやっていたのではと私は思います。

 私は東京地検特捜部のことをあまり信用していませんが、今回の事件に関しては怪しすぎる点があまりにも多いことからきちんと仕事して☆取れよとちょっと応援します。それにしても、あれだけ目が泳ぐ会見も久方ぶりに見たな。

2013年11月21日木曜日

スズキの会長の鈴木修について

 昨日の記事でスズキをネタにしたので、もののついでもあるので園会長である鈴木修氏についてちょこっと私見を紹介しようと思います。

 まず率直に言って、私は鈴木氏に対して以前はあまりいい印象を覚えていませんでした。その理由というのも著書で自分は中小企業のおっさんだと言ったりしており、昨日の「軽自動車は貧乏人の車」などと言うセリフなどともにどことなく外っ面だけよく見せようとする発言が多く聞かれたからです。こうした発言の節々におっさん臭さを感じ、きっとこの人は成り上がりで発言とかその影響を考えないんだろうなという風にも考えていました。このほかにも鈴木亜久里に似ているうちの親父の情報によると、なんでもゴルフ場にクジャクを放ったりするなどわけのわからない金の使い方をしているとも知り、その趣味の悪さにも辟易しました。ってか、ゴルフボール当たったらどうするんだよ。

 そんな私の鈴木氏の印象がひっくり変わったのは二年くらい前です。何を思ったのかスズキについてあれこれ調べ始めたところ、苗字が鈴木だから高度経済成長期にのし上がった自動車メーカースズキの創業者、または二代目かと思いきや、鈴木修氏はスズキの二代目社長の娘婿に入っただけであり、なおかつ元々は銀行員出身ということを知りました。
 てっきり成り上がりだとばかり思っていだけにこの事実だけでも意外この上ありませんが、それ以上に驚いたのはスズキの名車「ジムニー」に関するエピソードです。

 ジムニーについて簡単に説明すると、軽自動車でありながらラダー構造という現代において採用されることの少ないボディ設計がされており、悪路に対する層は性能で言えばこの車は桁違いに高く、日本車で上に立つとしたらトヨタのランドクルーザーくらいしかないという稀有な車であります。その性能は海外でも高く評価されており日本を含む世界各国で長期にわたり好調な販売が続いており、自分も非常に高く評価している一台です。

 このジムニーは元々、スズキが設計した車ではなくホープ自動車が設計したものでした。しかしホープ自動車が自動車業界から撤退する際、この車の製造権を社内の反対を押し切って買い取ったのがほかならぬ鈴木修氏だったそうです。
 ここだけの話、日本のメーカーは生え抜き社員を大事にして中途採用の人間にやたら冷たい傾向があります。それだけに鈴木氏も中途、しかも娘婿として入ってきたのだから風当たりが強かったのではないかと思える中、こうして誰もが「売れない車」と見ていた車を見事にロングセラーに仕立て上げたという眼力には素直に恐れ入りました。

 このエピソードから評価を高めていたところ、中東系の顔立ちから社内のあだ名が一時期「ビンラディン」だったうちの親父によると、今年のスズキの決算会見が非常に傑作だったそうです。なんでも記者に二輪事業について見解を求められた鈴木氏は、「二輪は失敗しました。ホンダさんのようにはうまくいきませんでした」と一言だけ言い切り、記者もそれ以上深く質問出来なかったそうです。
 元記者の自分から見てもこの斬り返しは見事というよりほか有りません。会社経営での失敗や業績不振に対して曖昧な言葉で言い訳でもすればすぐさま二度、三度と同じ質問が向けられ、そこでだらだらと述べれば述べるほど記者としては「○○社は苦しい弁明を続けながら」なんて具合でいい感じに記事が書けます。逆に嫌なのは短く言い切られることで、メディアへの回答としては満点とまではいかないまでもこの鈴木氏の回答は経営者としてみるなら見事なものです。

 以上のような感じで、現在において鈴木修氏への私の評価は悪くありません。ただなまじリーダーシップが強いだけに鈴木氏が引退した際、スズキがどうなるのかやや不明瞭でもあります。知ってる人には早いですがこの会社は鈴木修氏の後継者がちょっと二転三転する事態が起こっており、今のところも迷走まではいきませんがやや曖昧模糊な感じです。まぁ最後には上手くやれると思うけどさ。

2013年11月20日水曜日

軽自動車の軽減税率は廃止すべきか?

 今日は部活動の朝練について頑張って書こうかと思ってましたが、何やらスズキの鈴木修会長の発言が盛り上がっているので、アクセス数アップを図りたいのもあるのでこっちを先に取り上げます。それにしても、近々このブログでも紹介する予定ですが今年夏にまた新たに起ち上げたサイトにアクセス数でとうとうこのブログが抜かれました。どっちも作ってるのは自分だけど、色々と複雑な気分です。

流行語大賞は「弱い者いじめ」=鈴木修スズキ会長兼社長、軽自動車増税案を批判(時事通信)

 話題を呼んでいるのは上記リンク先記事にある発言で、政府が検討している軽自動車二は軽減されている自動車税を一般の乗用車と同じ水準にまで引き上げる案を「弱い者いじめ」だと批判した上で、ダイハツとホンダが計量スポーツカー発表したことに対して「軽は貧乏人の車だ。スポーツカーは要らない」と述べました。軽自動車を貧乏人の車だと自虐的に述べたことについて有名な痛いニュース、そして記事の質にいい感情が持てない(と言いつつもリンクを貼る)ハフィントンポストなども取り上げており、消費者を馬鹿にしているのではないかと批判的なコメントが並んでいます。
 私個人の感想を述べると、別にこれくらいの発言ならいちいち目くじら立てるほどじゃないんじゃないかなという気がします。別に貧乏人=ダメな人というわけでもなく、収入が多い人=優れている人っていうわけじゃないんだし、この程度でいちいち腹立てていたらきりがないと思えます。

 と、この発言に関してはここまでにして本題の軽自動車の軽減税率改正、っていうか廃止案について書いていきます。この案に関しては先ほどにも述べたように鈴木会長は以前からかなりキツイ言葉を使って政府を批判しており、現行の税率を維持するように求めています。彼が経営するスズキは言うまでもなく軽自動車メーカーであり仮に税率が改正されようものなら打撃を受けることは確実で、そういう意味では利己的ともいえるし業界の立場を主張しているともいえるし、企業経営者として自己利益の最大化という目的に対し至極真っ当なことを述べているとも言えるでしょう。

 その鈴木会長曰く、軽自動車は例の貧乏人というか所得の低い層がメインユーザーであるため不公平だとか弱い者いじめだというわけですが、この発言については私としても同感です。仮に軽減税率が廃止されれば軽自動車をあまり選ぶとは思えない富裕層はノーダメージで所得下位層のみが増税となり、余裕のあるものが税を支払うという概念に逆行するのは間違いありません。また都市部ならともかく公共交通機関の少ない地方在住者にとって自動車がなければ生活は困難になるのですが、地方在住者ほど所得が低く軽自動車に乗っている率も高いと予想され、二重の意味で弱い者いじめになる可能性すらあります。

 それにもかかわらず何故政府は軽減税率を廃止しようとしているのかというと、聞くところによると軽自動車に乗るユーザーが多そうな地方自治体の財政問題が大きいそうです。自動車税というのは国ではなく地方が徴収する税金でいわば財源なのですが、それがこのところの軽自動車ブームによって徴収額が年々縮小を続けております。しかも同じく地方自治体の財源となっていた自動車取得税が消費税率10%への引き上げに伴い2015年に廃止されるため、減った金額を穴埋めするためにも自動車税を増やす必要があるとの観点が強いと、鳥取大好きの自分が推す西日本新聞さんが説明してくれています。
 「力こそが正義」だと信じて疑わない自分からするとこうした財源を確保するという観点についても理解できます。確かに所得の低い層飲みへの増税となりやすいものの、代わりに別の税金を増やすと言ってもあまり効率的とは言えず、こうした政策も内心アリかなという気もします。

 ただこの議論にはもう一つの観点があり、私はその観点にこそ従うべきだという考えを持っています。その観点というのも、環境への配慮です。

 今日頻出の鈴木会長は「弱いものいじめ」という題目と共に、軽自動車は燃費が良く環境性能が高いのだからもっと普及を進めるべきであって税金を増やすべきではないという主張をよく展開しています。この「軽自動車は燃費がいい」というのは半分事実で半分嘘だと言ってもよく、というのも、日本の道路事情や平均走行距離数を考えると軽自動車よりコンパクトカークラスの乗用車の方が総合的に燃費がいいと言われており、私も同じ見方を持っております。
 念のため説明しておきますが、軽自動車というのは廃棄量が660cc以下の自動車で、コンパクトカーは明確に定義されていませんが1000cc前後がそれに当たると言われています。排気量が小さいと確かに小回りが利く上に燃料も小出しで動かせるために低速度だと燃費は悪くないのですが、中~高速度だとエンジンに負荷がかかるため逆に燃費が悪くなりやすいです。日本の道路だと大体時速60kmくらいが平均的な運転速度となりやすく、この速度帯だと間違いなくコンパクトカーの方が燃費は良いでしょう。

 そのためトヨタなんかはかなり昔から言っているのですが、総合的な燃費だとコンパクトカーの方が軽自動車より上なんだから、軽自動車の自動車税率を引き上げるのではなく、逆にコンパクトカーの自動車税率を軽自動車に合わせて引き下げるべきだという意見もあります。言ってはなんですが、的を得た正論でしょう。

 仮に環境保護という観点を優先するというのであれば、軽自動車よりもワンクラス上のコンパクトカーの普及をもっと進めるべきです。そのため私の私案としては、660cc以下の軽自動車への軽減税率を廃止する代わり、新たに1200cc以下の自動車に対する軽減税率を設けたらどうかと思います。新たな税率の軽減率は現行よりやや引き上げてもいいですが1200cc以上の乗用車よりはお買い得感が出せるようにするべきでしょう。
 この私案だと軽自動車ユーザーは税率が引き上げられるものの、これまで優遇のなかったコンパクトカーユーザーが新たに恩恵を受けられるようになります。地方自治体の財政としてはちょっと厳しいかもしれませんが、うまく税率を調整できればややプラスには持ち込めるのではないかと思えます。さらにこの私案が実現すると自動車メーカー各社はよりコンパクトカーの開発に力を入れるようになり、ダイハツ、スズキは一時的に苦しくなるかもしれませんが長期的な自動車市場を睨むとコンパクトカーの方が海外市場で売れるようにも思えるので日本自動車業界全体にとっても一つの方向性というか流れが生まれ活性化につながる気がします。

 さらっと書くつもりだったのに、長々と書いてしまったなぁ……。ついでだし、今度鈴木会長特集でも書いてみよう。

  おまけ
 今日出たニュースですが、ヤマハが四輪自動車事業に進出すると発表しました。ヤマハは二輪で技術もあるし、昔に「ヤマハ・2000GT」も作っていたこともあるのでこのニュースには非常に強い期待感が持てます。それにしても、どのメディアもこのスクープを引っこ抜くことはできなかったんだなぁ。

2013年11月18日月曜日

JAとTPPと減反政策廃止

 予告通りに今日はお題に掲げたJAネタについて書くことにします。実はこのネタ、2週間前に構想を練っていつでも書ける状態だったのですが、賞味期限が長いというか急いで書く必要がなかったため延び延びになっていました。ただ年内には書かないと意味がないので、腹をくくって今日書くことにします。

 さてJAといったらみんなわかるかと思いますが正式名称は全国農業協同組合連合会といって、金融を含む農業関連の事業を統括する半官半民の組織です。そのJAについて私が何を言いたいのか結論から述べると、どうも安倍首相は本気でこのJAを潰す気なんじゃないかと思え、仮にそうだというのならぜひ推し進めてくれと私は支持します。

 まずJAと安倍首相の目下の関係ですが、歴代首相と比べてかつてないほどに険悪です。その理由というのもお題に掲げたTPPで、お米を含む農産物の関税撤廃も認めかねないほどに安倍首相は交渉妥結に前向きな姿勢を示しています。無論、農産物の関税が撤廃されると日本の農業界というか農家は大きな影響を受けることが予想されており、JAは政府の交渉参加当初からTPP締結に反対する姿勢を示し、仮に締結するのであれば農産物の関税維持は死守するように声明を出しております。

 しかしTPP交渉が進むにつれて米国をはじめとする他国は日本の農産物の関税撤廃を求め、また日本政府側も「仮に撤廃したらどうなるの?」というシミュレーションまで始め、JA側もこうした政府をけん制するためか8月ごろにはよくテレビCMを打ち出すなどして対応を取ってきています。そのテレビCMははっきりとTPPの名前こそ出さず、農業を守ることが自然を守ることになるというようなイメージCMに留まり意見CMではありませんでしたが、これまでそんなCMなんか出さなかったJAが出して来たことを考えるとTPP交渉が背景にあると私は睨んでいます。

 するとこのままTPP交渉が進むにつれてJA側は主張を先鋭化していくのか、と思っていた矢先、先ほどのJAのテレビCMが9月に入ってから急に見なくなってきました。単純に広告費がなくなったせいなのかもしれませんが、あくまで私の推測としてもう一つお題に掲げたポイント、減反政策の廃止について政府が言及したことが最大の要因ではないかと思います。

 減反政策そのものの説明については説明を省きますが、これがJAとどんな関係があるかと言うと、JAの農家に対する影響力の源泉とも言っていい政策なのです。というのも国から農家への補助金などはほぼすべてJAを通して支給されており、JAに加盟していない農家はこうした補助金が一切もらえないのです。そしてそれら農家への補助金の中でも際立って金額が大きいのがこの減反政策に使われる補助金で、仮に政策廃止となれば米の作付を放棄する農家だけでなくJAから離れる農家も出てくることが予想され、これまでの様にブイブイ言って農家を従わせることが出来なくなるのは明白です。それどころか元からJAに加盟しておらず、独立自営を保ってきた農家の発言力が高まることもあり、そういう独立自営の農家と仲が悪いJAとしては厳しい立場に追いやられる可能性があります。

 私自身は農業方面に関する知識が非常に浅くそれほど詳しくないのですが、「日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」という本の作者で農業技術通信社の専務もしている浅川芳裕氏は、「日本の農業が衰退したのは農水省とJAのせいだ」、などと主張しては読んでてこっちがドン引きするくらい激しく批判しており、先程の補助金政策のからくりを見るとなんだか私もそんな気がします。
 またこの20年の間にJAが主導したことによって日本の農業が進展した例を見たことがなく、逆にJAと関係ない独立系の農家があれこれやったり、自分で海外に販路を開拓する努力などを見ると、この際だからJAはもっと痛い目を見たらという気にさせられます。ここだけの話、JAは金融業務などであまりいい噂を聞かないし、去年のお米の価格設定(JAが出荷価格を決めている)のミスから加盟農家からも批判が出ているそうだし。

 私は政府が今のタイミング、TPP交渉が進められているこの時期に減反政策廃止について言及したのは確信犯だと見ています。いう事を聞かないのであれば一気に殺すと言わんばかりの方針で、JA側もこうした政府からのメッセージをしっかり受け取ったのか先月から今月にかけてTPPに反対する声明が鈍っているようにも見えます。仮にそうだとしたら、安倍首相とその周囲の人間の政治勘というものは大したものでしょう。

 最後にJAと自民党の関係について少し触れますが、そもそもJAは自民党の支持組織で大きな票田の一つでした。ただ農業人口も現象し続け、また昔と比べ組織票が弱くなってきているから自民党もそれほど大事に思わなくなってきたから冷淡になってきたとも思えるのですが、それでも自民党内にはJAや農家の側に立つ議員も少なくなく、私の目から見て元防衛庁長官の中谷元議員その最たる例だと思います。彼だけは未だにTPP交渉反対を激しく主張しているし。
 私はTPPには賛成する立場ではありますが、中谷議員は以前から高く評価しており、今回もやや孤立無援な状況ながらも地震の主張をちゃんと主張するのは立派なものだと思えます。ただこの人、さっきウィキペディアを見たら元自衛隊のレンジャー部隊員で、教官もやっていたほどの強者だったようです。折角だからプロレス好きで有名な民主党の野田前首相とスペシャルタッグマッチを組んで、八百長でもいいからリングで戦う姿を見てみたいな。

2013年11月17日日曜日

昨日の晩御飯+近況


 一昨日、近くのスーパーで米国産サーロインステーキが2枚で1600円くらいの所、40%引きで900円くらいで売っていたので思い切って買いました。でもって一人で二枚食べようかと思っていましたが、思うところもあって地元の友人を呼んで分け合いつつ食べました。

 そのステーキを調理したところ友人が写真に撮っていたので、自分もたまにはフェイスブックみたいに何食っているかをアップしようと思って自慢の富士フイルム製デジカメを使って撮影してみました。真面目にとらなかったからそんなに写真写りはよくないけど、右下にあるひこにゃん箸が写りこんだのはノーフューチャーでした。
 なおこの日は友人と合流してから同じスーパーでまとめ買いして、左上にある刺身に加え冷凍のたこ焼きなども購入し、一気にまとめて食べました。このところまともなたんぱく質を採らずでんぷんぱっか取っていたのでいい補給となったのですが、変に胃が拡張したせいか今現在、やたら腹が減ります。

 一夜明けた今日は部屋の掃除をした上で、先週に購入していたメガネを受け取りにメガネ屋へ行ってきました。今かけているのはその新しいメガネなのですが、以前かけていたメガネが異常だったというか、レンズは正味10年、フレームも8年間連続して使い続けていたもので、メガネ屋の店員も、「めちゃくちゃ傷ついている上に、なんか熱で歪んだ痕まであるんですけど」と驚くくらい酷使していました。
 メガネに限るわけじゃないですが、私は物への扱い方が荒い一方でやけに物持ちがよく、筆箱に至ってはもう17年連続で同じものを使っています。ただメガネは明らかにボロボロになってて、店員からも傷が多いと見ていて疲れると言われたので今回買い換えた次第です。レンズの度数はほぼ全く変わらずなので新しいメガネは今のところ違和感ありません。むしろ前からある左目のドライアイが辛い。

 話は変わりますがこのところ書かなきゃいけないネタが非常に多い一方、いろいろと副業で忙しくかけ切れていないのが現状です。そこで今日は忘れないうちに、書こうと思っているネタを念のためリストアップしておきます。

・JAとTPPと減反政策
・部活動教育の是非、自由度
・食品偽装問題に関する回転寿司の寿司ネタ
・テレビゲームにおける面白さの要素
・PS4など新ハードの年末商戦
・コミュニケーション能力と共通体験についての考察
・寂しいのか、関わりたくないのか?
・軽自動車の税率改正案について

 昨日の晩御飯について語るくらいならとっととかけよと言いたくなるネタばかりですが、どれもかなり時間が食いそうなものばかりで、ちょっと今は書く気分にはなれません。もっとも金曜日に書いた特定秘密法案の記事が片付き、なおかつかなりいい気分で書けたので山は越えた感覚はありますが。

 それにしても、このところ我ながら自分の異常性に色々驚くことが多いです。こうしてほぼ毎日だだ長いブログを更新することもさることながら、妙な作業に長時間取り組めるなど変に集中力が高いことが最近分かってきました。必ずしもいい特徴だけとは限りませんが、まぁ変わった人間に育ったもんだと実感します。

2013年11月15日金曜日

特定秘密保護法案に対する私の意見

 さきほど放送されたTBSの「ぴったんこカンカン」にて「別に」で有名な沢尻エリカ氏がゲストで登場したので、普段テレビなんかほとんど見ないのに何故だか全部見てしまいました。沢尻氏が出てきたのはいつもの安住伸一郎アナの外出ロケですが、安住アナも「やりにくい」と洩らしてましたが、こういう日常的な光景で沢尻市を見る機会がなかっただけになかなか新鮮に映りました。見てて面白かったのは沢尻氏の食いっぷりで、小龍包を一口で食べる様は安住アナをして「蛇が卵を丸呑みするかのような野生ぶり」と言わせるほどでワイルドな人なんだろうなぁとしみじみ思います。

 そんなどうでもいい話は置いといて今日の本題ですが、今国会での主要な議論となっているテーマとしてお題に掲げた特定秘密保護法案があります。この法案の主なねらいとその中身は、外交や防衛など公開すべきでない情報を政府が指定・秘匿し、仮にこれらの情報を公務員などが遅漏させた場合にはその遅漏者を刑法に定めて処罰するという内容となっています。結論から述べると今の審議はいい具合に進んでいるので、そこそこ煮詰まった段階で採決を採り、法制化しても十分だと思います。要するに、私はこの法案に肯定的です。

 この特定秘密保護法案は政府が情報恣意的にコントロールして権力の暴走を生むのでは、現代の治安維持法ではないかなどと主にメディア関係者から反対の声が出ていることから、どのメディアの報道も批判的な色彩を帯びております。曰く、知る権利の侵害、メディアへの冒涜、前近代的などと色々な言葉も出てきますが、自分はそんな中にあってもこの法案に賛成です。

 まず前提論から述べると、私はこういう国家機密を扱う明確な法案が未だ以ってないという状態の方が異常だと思います。外交や防衛に関する機密は言うまでもなく、原発の警備体制やテロ情報など、国家を維持・運営していく上で一般に公開せず政府だけが管理すべき情報はたくさんあります。そしてそういった情報を知り得る立場にある公務員がそれを漏らした場合はどのように罰するか、これもあって当たり前でない方が異常な気がします。
 しかし非公開とする情報は政府が指定するとあり、これでは公開すべきであるのに政権にとって不都合な情報が隠蔽される可能性があるのでは、情報の公開・非公開の指定は第三者機関が行うべきではないかというのが反対派の主な意見です。あんまり長く書きたくないのでスパッと言いますが、その時々の政権が不都合な情報を隠すのは当たり前で、なにわかりきったこと抜かしているんだと反対派の人間の知見を私は疑います。

 これはなにもこの法案が出来る、出来ない以前の問題であって、そもそもこれまでの数多くの政権は何度も不都合な情報を隠蔽したり、ミスリードさせてきているのだから、今更になってこういう事言うってのは批判の論点がどう考えてもおかしいでしょう。もっともこういう風に私が言ったら、「確かにそうかもしれないが、今回の法案が出来ることによって政府の隠蔽にお墨付きを与えることになる」なんて反論が来るかもしれませんが、法律的に是であっても民意がそれに納得するかは別で、仮に非公開とされた情報が不適当とみなされれば「法律的には問題ない」と政府が言ったところで国民は批判を続けるでしょうし、政権もダメージを受けることとなります。この議論に限るわけじゃないけど、一部マスメディアや論者の意見の根底には国民を馬鹿にしたような視点を強く感じます。

 むしろ私としては、法制化する以前にこれまでも多くの政権がその時々の都合によって、法律のお墨付きなしに無制限で情報を秘匿してきたのだから、むしろ法制化することによっていくらか制限が付けられるようになると感じます。また第三者機関についてもこれは政府の意見と全く同じですが、情報開示範囲が広がるにつれて情報が遅漏する可能性も増える事を考えると私個人としてはするべきではないと思えます。

 あともう一つ言いたいこととして、一部のマスコミ関係者はこの法案が成立することによって取材が制限される、報道関係者が処罰を受ける可能性があると述べていますが、この点については秘匿する情報を報道関係者が取材によって得たとしてもその報道関係者は罰されないということが明文化されているのでもはや杞憂に過ぎないと思います。それでも政府は信用できない、あれこれ理由を付けて記者を処罰、拘留するのではと言う人もいますが、記者であるならガキみたいに逮捕なんかいちいち恐れてんじゃねぇよ、と声を大にして私は言いたいです。
 こんなこと言うのも自分が力の論理で物事を考えるのと、中国でジャーナリストしていたということが大きいと思います。言うまでもなく中国では法律なんて関係なしにジャーナリストへの妨害は当たり前に行われているし、私なんかは冒険することはなかったけど向こうの現地記者は当局の弾圧に対して逮捕されても妨害されてもめげず、抗議することもあればきわどい活動を潜り抜けるなどしてでも情報の取得、公開に動きます。

 そんな中国のジャーナリストに比べ、日本のジャーナリストが言う事がこれかと思うとはっきり言って情けない限りです。言ってしまえば自らが攻撃すべき対象である政府に対して身の安全を保障した上で情報を公開してくれと言っているようなもんで、そんな骨のない意見を言っていて恥ずかしくないのかと私は問いたい。本当にジャーナリストであると自覚するのであれば、逮捕されようがされまいが、自分が公開するべきと思った情報は何をしてでも奪い取り、どんなに敵を作ろうが公開するものだろう。むしろ、弾圧されるリスクがあるのだからこそ公開するべき情報の価値も上がるっていうのに。
 何も中国を見習えとまでは言いませんが、命を簡単にとられるわけじゃないのに細かいことでピーピーわめくな、どんだけぬるま湯につかっているんだということを日本の報道界に言いたいというのが、この問題に対する私の意見です。

 最後にもう一つおまけですが、この特定秘密保護法案について民主党は何も意見を言うべきではないと私が考えます。その理由と言うのも二年前の尖閣諸島沖の漁船衝突事故で、事故直後は海上保安庁が撮影した衝突シーンのビデオを自分たちの都合で公開しなかったからです。結局流出することとなりましたが現段階においてもあのビデオは公開するべき映像だったと私は考えており、政府の恣意的な選択がどうとかこうとかは自分たちの行為を振り返ってから抜かせと、自分以外にも誰か一人くらいは言うかと思ってたんだけどなぁ。

2013年11月13日水曜日

小泉元首相の脱原発宣言について

 どうでもいいですが先程放送されたクローズアップ現代にて、私が今プレイしている「セインツロウザサード」というゲームに使われているBGM(キャラメイクシーン)が何故だか使われていました。このゲームは暴力ゲームとして有名な「グランドセフトオート」のクローンゲーム(=パクリゲーム)の一つなのですが、歩道を車でかっ飛ばせられたり街中で火炎瓶が投げつけられたりなどと自由度が売りです。とりわけキャラメイクの自由度が高くなんでも作れるため、こんなのとかあんなの、果てにはこんな人までゲーム上で再現できます。なお私はゲームの世界観が近いように思えるため、漫画の「ブラックラグーン」に出てくるレヴィというキャラに近い造形にして、ちゃんと二丁拳銃にして暴れ回っています。

 そんな本当に本題と関係ないことは置いといて、このところ政治関連で取り上げなきゃいけないネタが多いのですが忙しさにかまけてサボりまくっています。ただそろそろ腹をくくって何か書かなきゃと思って選んだテーマというのも、見出しに掲げた小泉元首相の脱原発に関わる活動です。
 皆さんも知っておいでかと思いますが政界を既に引退している小泉純一郎元首相がこのところ自ら記者会見を開くなどして、政府に対し迅速な全原発の廃炉、原子力発電の放棄を求めています。とりわけ自分が目をかけて育てた安倍首相に対しては名指しで速やかな決断を求めており、メディアの扱いも非常に大きなものとなっております。

 一体何故小泉元首相は脱原発を唱えるようになったのか。あくまで私の推測ではありますが小泉元首相はいい意味で物事を突き詰めて単純化するため、会見でも言っていたように放射性廃棄物の処理の不可能性、そして事故時の被害の大きさから考えて使用するべきではないと考えたのだと思います。私としても上記の意見、特に放射性廃棄物が無害化するまでに予測値で数万年以上かかると言われており、将来の世代に巨大な負債を残すことを考えると同意するところの方が大きいです。

 それにしてもというか小泉元首相が引退後、こうして表立って行動子発現することについて私は正直に驚きました。というのも小泉元首相は引退した政治家が影響力を行使することに対し、田中角栄に対する反骨心からか強い拒否感を昔から示しており、実際に首相退陣後は早々と国会議員を辞めただけでなく主だった政治活動も控えられていました。
 それだけに今回の脱原発に関わる活動はかなり本気というか、彼自身も自分の不文律を破ってでも主張せねばと考えたのでしょう。こういってはなんですがその気持ちもわからなくはないというか、震災直後と比べて原発に対する拒否感が日本国内で日に日に薄れてきているというのは実感します。とはいえ私は小泉元首相の主張する即全廃炉は現実的ではなく、30年スパンくらいで徐々に廃炉を進めていくプランを前から推しているのですが、こういう徐々に依存度を下げていくという計画もこのところは聞かれなくなっており、「今すぐ全廃炉だ!」と主張でもしないとバランスとれないのかなと思っていた矢先でした。

 対する安倍首相の側ですが、正直な所、野党なんかよりずっと手ごわい敵が突然現れたといったところでしょう。私の主観だと安倍首相と財界は極端にパイプが太いわけでなく彼自身は原発利権とは関わりがないように見えますが、電力供給が決して盤石でなく化石燃料の輸入額が著しく上昇している現状を鑑みて、原発を維持、または促進する立場を取っているのだと思います。言うなれば、安倍首相は現実路線というわけです。
 小泉元首相も間違いなく現実路線派の政治家でありますが、その彼から見ても原発の維持は問題だと感じるているのだと思います。その上で付け加えると、小泉元首相は安倍首相ならば原発放棄を決断してくれるのではないかと可能性を感じているのだとも思えます。元々仲のいい二人だし、安倍首相も上記のように原発利権を持っているわけでなく、またここぞというところで決断するタイプであるので、今は周囲の政治家や状況に振り回されているがきちんと論を通せばわかってくれるはずだと小泉首相は思って、彼に名指しで決断を促しているように私には見えます。

 ただ実際に原発放棄が実行されるかとなるとやはりその可能性は低いと言わざるを得ません。仮にそのような決断がなされたら日本のエネルギー事情はひっくり返り貿易赤字額も天文学的に高まることでしょう。ただそうは言うものの、どんだけ赤字を垂れ流しても日本は原発を放棄するべきじゃないのかと思う心も一抹有ります。頼みの綱はカナダとも契約したシェールガスですが、長期的な展望に立ってエネルギーを考える時期に来ているかも知れません。

 今日は指がかじかんでタイプミスがやけに多かったです。

2013年11月12日火曜日

先輩と食べたエスニック料理

 このところ副業が忙しいので今日も軽めの記事で一本。
 二週間前に大学の先輩が、「東京ビッグサイトの展示会に出るから泊めて」って言って泊まりに来たのですがその際に、「豊前市では食べられないものを食べたいから、和食、韓国料理、中華料理、インド料理はNGね」なんて面倒くさい要求を出して来たので、二日連続でエスニック料理を食べる羽目となりました。

 一日目はもう一人連れを連れて上野にあるタイ料理屋に行きました。私自身は何ともありませんでしたがそのやってきた先輩はどうもタイ料理独特のあの酸っぱいにおいが駄目だったようで、トムヤンクンに至っては一口で食べるのをやめちゃいました。実際、タイ料理は合う人と合わない人ではっきり差が出る料理に思え、中国にいる時も宴会会場にタイ料理屋が使われた際はあまり箸が進まない出席者が多かったです。なお香港だとタイ人もいっぱい住んでいることからタイ料理屋どころかタイ料理チェーンも多く、向こうにいた時はよく食べてました。

 でもって本番の二日目。二日目に行った店は私の家の近くなのですが、例の先輩が私が家の住所を教えたところ、「君の家の近くにロシア料理の店があるね。行ってみよう!」なんて勝手に食べログで調べて見つけてきた店でした。といっても私自身もロシア料理は物珍しく、面白い提案だと思ってすぐ乗ったわけなのですが。
 そんな具合で行ってみたロシア料理のお店。別に隠す必要もないので明かすと「サハリン」という名前のお店で、文字通りサハリン出身のロシア人のお姉さんがやっているお店でした。もっとも生まれはウクライナだと言ってたが。

 ロシア料理といっても私が知っているのはピロシキだけだったのですが、訪れてメニューを見た限りだとひき肉とジャガイモを使った料理が多かったように思えます。あとボルシチはその日のスープに入っていなかったので飲めませんでしたが、スープ料理も普通においしかったです。系統的にはやはり欧州式というか、イメージだとドイツ料理っぽい印象を受けます。

 ちなみに私は大学4回生の頃になぜかロシア語の授業を一年間受けていたので試しにお店の人にロシア語であいさつしてみたらちゃんと通じていて、「発音きれいね」と褒められました。中国語の発音も現地で毎回褒められるし自分でもそこそこ自信持っていますが、意外にこっちの方面で才能あったのかなとちょっといい気分になれました。ただ、なんで自分は中国といいロシアといい旧共産圏ばかり好きになるのか、すこし複雑な気分にもなります。

2013年11月10日日曜日

中国人の食へのこだわり

 リンクを結んでいる潮風大使さんから質問を受けたので、今日は中国人の職への意識について自分の思うところを書いてきます。

 まず前提論として、うろ覚えですが格闘(?)漫画として非常に有名な「バキ」の作中で範馬勇次郎が、「中国人は本能的欲求に対し忠実で強くこだわる」というような内容のセリフを言うシーンがあります。私はこのセリフが非常にツボにはまり「その通りや!」と手を打つほどだったのですが、中国人というのは食事や博打といった行為に対して並々ならぬこだわりを持つとともに研鑽をする民族だと考えています。
 博打において代表的なのは麻雀ですがそれは今回置いといて、食事に関しても単純に「上手いもの食べたい」という欲求が非常に強く、それが中華料理というジャンルの発展に繋がったように思えます。そのこだわりようは味だけにとどまらず、健康面においてもどれだけ体にいいかという点についても詳しく研究されています。

 では実際の中国人はどれだけ食を意識しているかですが、私の正直な感想を述べると、日本人以外にも体にいいかどうかを考えて食事取る民族がいたんだ、というのが本音です。というのも欧米人はびっくりするくらい食事への意識が低く、日本人なら肉を大量に食べたら野菜食べなきゃ、魚も定期的に食べなきゃと考えますがアメリカ人だと一食で肉なら肉だけ取ることもあり、栄養のバランスについてほとんど何も考えません。イギリスに至っては味の面で論外で、ドイツに入ったことないけどジャガイモ料理ばっかな印象があります。

 それに対して中国人ですが、やっぱり「野菜は多く食べなきゃ」と誰もが理解してます。私が体験したエピソードだと、前の会社で中国人運転手と移動中に普段何を食べているのかと聞かれ、「蘭州ラーメンばっかで基本外食だ」と答えたら「ちゃんと自分で料理しなくちゃ。野菜たべないと体壊すよ」なんて注意されました。なお中国では男も日常的に料理して、家族そろって夕飯を食べることが大事だと考える家庭が多いです。

 最後に中国における職の意識への地域差についてですが、もしかしたらあるのかもしれませんが少なくとも私自身は皆目わかりません。あくまで印象ですが福建省とか広東省など南方の方が食い意地貼っているというか何でも食べて、でもって味にもこだわりがある気がします。その影響なのか広東出身や福建出身の多い香港は一般市民においてもレストランの味に対する評価が厳しく、ミドルクラスのレストランはその競争の激しさからかどこもおいしい店が多いです。

2013年11月9日土曜日

空気を食す民族

 以前に「阪急阪神ホテルズのメニュー偽装問題について」の記事で食品素材の誤表示問題を取り上げましたが、私というか多くの人間の予想通りに阪急阪神ホテルズの後を続く形で国内のホテル、レストランで同じような発表が続いております。おかげさまでこの記事もここ最近のアクセスゲッターとなっており、アクセス数が第一というわけじゃないもののやはりうれしい限りです。
 それにしてもというかこの問題、自分が当初に予想していた以上に長引くというか後を引いているように思います。中には国産牛と偽ってオージービーフを出していたというトンデモ例も出てきましたし、あと「芝エビ」のかわりに「バナメイエビ」を使うという例があまりにも多いせいでバナメイエビ名前を覚えてしまいました。バナメイエビも悪い例として日本人に名前覚えられてしまい、なんだか不憫な気がするし。

 バナメイエビはともかくとしてこの問題に関し、このまえ面白い評論を読みました。その評論で書かれていた内容というのも日本人は素材に対して強いブランド意識を持つ傾向があり、お米でも各種のブランド米があったりなどと場合によっては出される料理以上に使われている素材の方に目を向けて価値を感じることもあると指摘していました。なかなか言い得て妙だと思うのと同時に、確かに日本人は食べた料理がどれだけおいしかったのかよりもどんな料理を食べたのか、下手したらどんな食材をどこで食べたのかを自慢することが多いように思えます。言うなれば、食べた料理の味よりも出される料理の金銭的、ブランド的価値の方に重みを置いており、だからこそ今回の様な事件も起きたのかもしれません。

 さて、この記事の見出しには「空気を食す民族」と銘打ちましたが、我ながら随分と皮肉っぽくなったもんだと思えます。空気を食すっていったって仙人みたいに霞を食べるわけでなく、その意味するところは「舌に感じる料理の味よりもそのシチュエーションの空気を味わうことに重きを置く」ということにあり、前記の様な日本人の性質の様な傾向を批判的に表現した限りです。
 全員が全員と言い切るつもりは全く有りませんが、やはり日本人は内面的な実質的価値よりも外形的な表面的価値を強く追う傾向がある気がします。行ってしまえば中身よりも外見を明らかに優先するということで、先程の食品表示問題についていうと料理の味という実質的価値よりもその料理に使われた素材にこだわり、それが表示と違っていたら怒りを見せるといったところから言えるように思えます。

 ここで全然別の話を一つ持ってきますが、日本でスポーツジムに通う人の運動量を測定した所、なんとその運動量は犬の散歩をしている人より少なかったという結果が出たそうです。確かに犬の散歩はその優雅な見た目に比べて意外にハードなだけなのかもしれませんが、「運動をする」という目的のための施設に通う人よりもペットの世話をしている人の方が運動しているなんてなんじゃそりゃと言いたくなってきます。

 もちろんスポーツジムに置いてある器具なり設備をしっかり使えば相当な運動量を叩き出せて効率的な体力の増強、維持管理を行うことが出来るでしょう。しかし上記の実験結果によると実際には通っている人の大半はお金を払っておきながらもちんけな運動量しか運動していおらず、きつい言い方をすると効率的なお金の使い方をあまりしていないわけです。一体なんでこんなことが起こるのかというと、これまたきつい言い方をするとジムに通っている人間はジムに通う自分に酔っているというべきか、実際に「運動する」ことよりも「運動するための活動(=ジム通い)をしている」ことに満足してしまっている、むしろその満足感を求めているんじゃないかと思います。言い換えればジムにお金を払うというのはその満足感を買うためであって、実際にどれだけ運動するかは二の次というわけです。

 以上のスポーツジムの例に限らず、ポーズだけで中身を伴わない、問わないという活動や評価が日本には非常に多く感じます。社内で問題起きたら対策本部を設置してそれで終了し、実際に対策内容は問わなかったり、その製品がどれだけの機能を持ってどう活用できるのかをあまり考えたりせず流行っているからという理由で買ったりなど。こういう外形的価値を追うことは何も日本に限るわけじゃありませんが日本の場合はやっぱりそれが他国と比べても強いと感じるわけです。

 そのためというか日本は実質的な価値がなくても、なんとなくな雰囲気とかそういうものがあれば喜んでお金を出してしまうんじゃないのか、いわばいい空気を感じるためならあまり中身を問わないんじゃないのかと思うわけです。エラそうな言い方をしていますが私も日本人の一員であるだけにそうした行動が全くないというわけじゃなく、過去を振り返れば結構思い当たる節が数多くあります。
 しかし中国に行ってきたせいかもしれませんが、やはり以前よりも「じゃあそれで何が出来るんだ」というものを重視するようになってきた気がします。そして同時に、日本人の中身よりも外見を重視する傾向は現代においてマイナスに作用し始めているとも思えてきたわけです。

 なんでもかんでも費用対効果で実質的価値ばかり追うのはロマンもないし面白くないでしょうが、それでも今の日本人全体にとってはもう少し外面よりも中身に目を向けた方がいいと私は主張します。空気なんか食べたって腹の足しにならないのだし、高級ホテルで食べようが下町の食堂で食べようが、まずいものはまずいのだしうまいものはうまいのだし、どこそこで食べたからというよりもうちょっと自分の舌なり感覚なりを動員してどう自分が感じたかをみんな意識した方がいいというのが今日の私の意見です。

  おまけ
 高校時代によく、「花園君はなんでスポーツジムに通わないの?」と結構聞かれました。はっきり言ってジム通いなんかより高校の部活の方が圧倒的に運動量多いのはわかりきったことですがそれは置いといて、なんでこんなこと聞かれまくったのかというと自分の体形が妙なせいだったからだでしょう。
 自分の体形はやせ形もいいとこですが脂肪がない分、妙にすっきりしていてなんか激しく鍛えているように見えるようです。少なくともウエストに関しては明らかに常人を逸脱しており、今日たまたま近くで洋服の青山がオープンして安かったからスーツを買いましたが、YA4のサイズでもウエストが余るのでさらにここからサイズを詰めてもらいました。でもって自分のウエストのサイズ測る際に店員が毎回、「Σ(゚д゚;)エェッ」って顔してくるのもだいぶ慣れました。

2013年11月6日水曜日

山西省の共産党庁舎前爆発事件に対する見解

 このところ秘密のお仕事が忙しいので今日はサボろうかと思っていたらまた中国で爆発が起きたので、さすがにこれは放っておけないので今日も頑張って書きます。ちなみにこの前、かなり久々に大学の同期生と会ってきましたが、「よくもまぁ毎日ブログを書き綴っていられるね」とやっぱり言われました。同期生らはみんなフェイスブックをやっていて写真とかすぐアップしてましたが、フェイスブックやツイッター、ミクシだと文字量少なくて自分には合わないんだよね。

計画的犯行、小型時限爆弾か=中国公安、「テロ」で捜査―山西省共産党委前の事件(時事通信)

 そんなかんだでようやく本題ですが、報道で皆さんも知っているかと思いますが本日、中国の山西省太原市にある共産党委員会庁舎前で小型爆弾が連続して爆発。1人が死亡、8人が重軽傷を負うという痛ましい事件が起こりました。爆弾は少なくとも5ヶ所に連続して爆発するように設置され、しかも殺傷能力を高めるためにベアリングが入れられていたとも報じられており、看過することのできないテロ事件と言って間違いないでしょう。

 今回の事件はその爆弾の威力もさることながら、事件が起こったこのタイミングの方に注目する人も少なくありません。というのも先週月曜日の10/28、私も記事にしていますが北京の天安門前に自動車が突入し、炎上するという事件が起こっております。中国当局は天安門の事件についてウイグル族の独立派グループが計画・実行したテロ事件だとして既に数人の容疑者を逮捕していますが、米国をはじめとする先進国はこうした中国の見解について疑義を呈しており、起こった事件を口実にウイグル族の弾圧をしているのではないかとより詳細な捜査を求める始末です。
 そんな最中に起きた今日の事件。見方によれば先週の事件に合わせて今週もウイグル族の独立派が起こしたテロ事件ではないかとも見れますし、前の事件とは全く関係なしに起こされたとも見えますし、ウイグル族とは別の反中国政府グループが起こしたのかもしれないしで現段階では何とも言えません。先程中国の新華社サイトなどを

 ここから先は根拠のない、完全な私の推測を書き連ねていきます。
 まず今日の事件の一報を見た際、中国共産党による自作自演の可能性を考えました。先週の天安門前の事件に引き続くように大きな事件を起こすことによってウイグル族のテログループの反攻だと断定し、彼らへの規制なりを強化するためわざと起こしたのではないかという考えですが、考えておきながらですがこれはやっぱり有り得ないでしょう。というのも、仮に中国共産党が自作自演の事件を起こすとしたらわざわざ自分たちの縄張りである共産党庁舎前ではまずやらず、郊外や市街地などで起こす気がします。連中は自分たちが傷つくのには敏感でも一般市民に関してはそうでもなさそうだし。また爆弾が5ヶ所でほぼ同時に爆発したという事実も、自演でやるにはちょっと大規模すぎます。

 では誰が事件を起こしたのか。言われている通りにウイグル族のグループなのかというとちょっとまだ疑問があります。その理由というのも、先週の天安門前の自動車炎上事件が組織だった事件とは思えないからです。
 先週の事件では炎上した社内にウイグル族の人が3人乗っていたと報じられ、これがウイグル族が疑われる要因となっておりますが、テロ事件とするには車でただ突っこむだけで手際がいいとは思えず、天安門前は確かにシンボリックな場所ではありますが共産党への怨みがあるというのなら今日の事件みたいに庁舎なり政府機関のある建物を狙うように思え、観光客が多い天安門前に突っ込んだというのはどこか自暴自棄な印象があります。前の記事でも書いてある通り、天安門前の事件に関しては個人の自暴自棄が生んだもののように思えます。

 しかし今日の事件に関しては共産党の庁舎前、しかも殺傷能力の高い爆弾が使われたことから明確な意思を伴うテロ事件と言って間違いない気がします。しかもその矛先は確実に中国共産党へと向けられています。誰がどのような意図で起こしたのかは今後の捜査を待たないといけませんが、中国共産党が事態の鎮静を図るために犯人をでっちあげる可能性は全くないとは言えず、仮にそうなれば真犯人はどう動くのかと予測の幅は尽きません。
 それでも私から一言だけ言わせてもらうと、他人を一方的に傷つけるこのようなテロ事件はどのような理由があっても許されるものではありません。中国の公安には是非とも犯人をでっちあげるのではなく真犯人をきちんと捜査して捕まえてもらいたいのもです。

2013年11月5日火曜日

ヒトラーが溺愛した姪

 ナチスドイツのアドルフ・ヒトラーと聞いたら誰もがちょび髭のあの顔を思い浮かべることが出来るでしょう。更に詳しい人だとエヴァ・ブラウンという女性がヒトラーの愛人で、ヒトラーとは自決を行う直前に仮初めとはいえ結婚式を挙げたということも知ってるのではないかと思います。しかし今日紹介しようと思う「ゲリ・ラウバル」という、ある意味でヒトラーが最も本気になって少なからず彼の人生に影響を与えた女性については知らない人も多いのではないでしょうか。

ゲリ・ラウバル(Wikipedia)

 このゲリという女性はタイトルにも掲げた通り正真正銘のヒトラーの姪っ子で、具体的にはヒトラーの異母姉であるアンゲラ・ヒトラーの娘です。ヒトラーはナチ党のリーダーとなってその勢力を拡大するにつけて多忙となっていくのですが、自身の住居としてベルクホーフを構えると身の回りの世話として異母姉を呼び、それに伴って現れたのがゲリでした。
 おじと姪っ子ですから年の差は随分と離れていましたがヒトラーはこの姪っ子にぞっこんだったようで人目をはばからずべたべたと接触し、またヒトラーらしいというか異常な執着心を見せて自分以外の男性を誰一人近づけさせないようにまでします。実際にヒトラーの運転手とゲリはそこそこいい仲にまで発展したそうですが、その事実を知るやヒトラーはその運転手を解雇する始末でした。

 こうした姪への干渉は明らかに度が過ぎた物でヒトラーの周囲は誰もがヒトラーがゲリに特別な感情を抱いていると知っていたと言われる、というか当時の新聞にもスキャンダルっぽい記事で公にも報じられてたそうです。ただその出来合いぶりは文字通り以上で、終いには自由な外出を禁止して屋敷に軟禁させるかのようにしたそうです。
 もちろんこんな措置、若い女の子には苦痛以外の何物でもないでしょう。こうした叔父の指図に対してゲリの側も段々と反抗してくるようになり、多分拘束から逃れたかったのかウィーンに行って声楽を学びたいと志願しますがヒトラーはこれを許しませんでした。

 そして来る日が来たというか1931年の9月、ゲリは自室で突然拳銃自殺をしてしまいます。遺書は残されておらず自殺の理由については未だはっきりしませんがヒトラー自身は深い責任を感じ、「俺も自殺する」などと喚いては周囲のナチ党幹部を青ざめさせたそうです。これだけ書くとまるでヒトラーは構ってちゃんにしか見えませんがどうやらマジでショックだったらしく、ゲリの葬儀が行われた後には一時期行方不明になって、八方手を尽くして探し出してみるとなんとゲリが埋葬された墓の中でめそめそ泣いていたというから驚きです。歴史上の彼の姿からも思い込みが激しい人物像がうかがえるだけに、あのヒトラーならやりかねんとか私は考えちゃいます。

 その後、周囲の幹部らの励ましによってどうにか立ち直って第三帝国を作るに至るわけですが、ある意味ここでヒトラーが政界から離れて一市民に戻っていれば彼自身にとっても、ドイツにとってもマシな未来になってた可能性があります。そう思うだに歴史は深いなぁと思うわけですが、さっきにも書いた通りに姪っ子をこれだけ溺愛する執着心と思い込みの激しさがあったからこそヒトラーなのであって、この仮定は仮定として成り立ちませんね。

2013年11月4日月曜日

PM2.5を排出しているのは誰か

千葉県、市原市内複数地点で「PM2.5」測定と全県に注意喚起(FNN)

 こうしてニュースリンクを貼るのもこのブログじゃ当たり前になっていますが、ブログ開設当初はリンクの貼り方すら知らずに最初やった時は結構ドキドキしたもんです。これに限るわけじゃないけど、慣れっていうのはいいと思う半面恐いな。

 そういう戯言は置いといて本題ですが、本日千葉県市原市内にて説明不要のPM2.5が国が定めた1日の平均値である70マイクログラムを超える85マイクログラムが複数個所で観測されたことから、外出や屋外活動を控えるよう注意報を発令しました。まぁ今日はずっと雨降ってて外出ようにも出辛かったけどね。
 このニュースを見て「これだから中国は」っていうのは簡単ですが、「中国じゃないとしたら?」と言う人は果たしてどれだけいるのか私には測りかねます。まぁ強気に出ると、こんなセリフ言うのも自分くらいなんじゃないのかな。

 このニュース、リンク先の記事ではそこまで言及していませんが夕方のテレビニュースでは、「発生原因は不明ながらも、国内で発生した可能性が高い」という一言が付け加えられていました。

 PM2.5は中国の大気汚染物質としてまるで日本全国民を洗脳するかの各メディアで現在においても大々的に報じられており、風にはこばれて日本の空気も汚染されていると被害者立場で取り上げられることも少なくありません。なので今日のこの千葉県のニュースも最初に書いたように「これだから中国は」という印象を持った方も多いように思えるのですが、私が思うに今日のPM2.5に関しては中国は全く関係ないと思います。
 そう思う根拠は夕方のテレビニュースの言及だけでなく、観測ヶ所が千葉県だからです。仮に中国と距離的敵に近い西日本、具体的には北九州にある福岡県とか長崎県であれば中国の影響が十分に考えられますが、そうした地域を飛び越してスポット的に千葉県内で高濃度のPM2.5が観測されるというのはどう考えても理屈に合いません。じゃあ何が原因かって、そんなの日本国内のどこか、具体的には市原市周辺で放出する設備なりなんなりがあるということでしょう。

 これ以前にも過去に環境問題の欺瞞性を追求した武田邦彦教授がテレビ番組(ホンマでっか!?TV)内にてPM2.5について、「日本の山の山頂など有り得ないところから観測されることもあり、中国からというより日本国内でどこかが輩出しているのだろう」と述べておりました。この発言はずっと頭に残っていたのですが、今日の千葉県内の観測を見てやっぱりそうだったのかと思った次第です。

 さてここからが本題というか自分の真骨頂になるわけなのですが、「じゃあ一体どこが出しているのか」、と言いたいところですがちょっと焦点をずらし、「日本人は日本国内で犯人捜しをするつもりはないの?」と問いたいです。
 先程にも書いた通りに日本人はメディアが総ぐるみでPM2.5というと中国が悪いといつも報じているせいでこの単語を見ると条件反射的に中国が輩出していると考えがちですが、少なくとも今日の観測に関しては日本国内で排出された可能性が高いわけです。またそれ以前にも、これまで日本の各地で観測されて中国が原因とみられていたものも、もしかしたら日本国内の誰かが原因だった可能性も捨て切れないわけです。比較的高いそのような可能性が考えられる中、日本人は国内で犯人捜しをする気があるのかと自分は問いたいわけです。

 ちょっとテンション上がっているのとここ1ヶ月不調だった体調が回復傾向にあることから妙な言い回しが続きましたが要するに何を言いたいのかというと、日本人はPM2.5の問題の責任を全部中国になすりつけようとしているのではないか、それこそ日本人自身が輩出している量に関しても、そんな疑問がもたげているわけです。この問題ではいつも中国が悪者にされるばかりで明らかに中国が無関係と思われるケースについてはスルーされることが多く、学生時代の自分のような言い方すれば、都合の悪い事実は他人のせいにして自分は素知らぬ振りでも気取る気なのかよと吐き捨てたくなります。

 結論を述べるとPM2.5が心配だっていうんなら犯人を捜せ。それでやはり中国に原因があるというのなら証拠をかき集めて突きつけ、改善しろと言うなり補償金を要求するなりすればいい。逆に日本国内の業者なりに原因があるっていう事が仮に分かったとしたら、その業者をつぶすなり設備改善を強制するなどといった対応を取るべきでしょう。もっとも、PM2.5なんてへっちゃらで自分のように始めから気にないってんならこんな犯人捜ししなくたっていいですがね。

 一応念のために最後に書いておきますが、中国の大気汚染は紛れもない事実で私もかなりリアルに体験しています。しかしそれがどの程度日本の大気に影響を与えているかについてはもうちょっと検討する余地もあり、はっきりしないにもかかわらず他国というか他人を批判するのは恥ずかしい行為だと思えるのでこういう主張をしてみたわけです。

2013年11月2日土曜日

「神聖にして不可侵」の天皇

 昨日の記事ではかなり激しい口調で山本太郎議員を批判しましたが、何も私に限らず各方面で厳しい球団が続いております。これほどまでに批判が多く集まるのはひとえに織田に掲げた「神聖にして不可侵」と旧憲法で謳われた天皇に対する行為であったからにほかならず、改めて日本における天皇制の影響力を感じ入る次第です。

 念のため先に書いておきますが私個人は天皇制の熱心な信奉者というわけではなく、単純にロイヤルファミリーがいた方が国として外交の幅が広がるという理由だけで存続を指示しています。他国を見てもイギリスと比べて米国やフランスは外交がやっぱり寂しい気がしますし。
 ただ日本人全体でみるとやっぱり天皇制を明確に意識してはいないまでも、何か天皇に関わることがあれば物凄い反応を示してくると思います。韓国の李明博前大統領が「天皇が韓国に来たければ土下座するべきだ」と主張した時も日本中ひっくり返るほど大騒ぎになりましたし、今の韓国との関係悪化は朴槿恵大統領のそっけない態度よりもこの時のこの発言に端を発すると私は考えています。今回の山本議員の行動も「天皇を利用しようとした」という一点に対して各界から拒否反応が出ており、そういう意味では「不可侵」という言葉が天皇に対して本当にしっくり来る気がします。

 そんな神聖にして不可侵なの存在の天皇ですが、その天皇に対して見方によっては失礼とも取れる態度を取りながらも誰からもどこからも批判が来なかった人物を私は一人知っています。その人物というのもほかならぬ、さかなクンです。
 覚えている方も多いと思いますが、さかなクンが絶滅したと思われていたクニマスの発見に関わったことからその年の園遊会に招かれた際、トレードマークであるハコフグの帽子を被ったままの姿で天皇の前に現れました。しかもめっちゃ自然に。

 通常、目上の人と会ったり話したりする際は工事現場などを除いて脱帽することが礼儀の基本とされていますがこの時のさかなクンの行動には誰も「天皇に対して失礼」という意見は出さず、むしろ普段通りの姿勢を貫いたことに称賛する声が大きかった気がします。一体何故さかなクンがこの時に批判されなかったのかというと、なんといってもその姿勢に一切ぶれがないからだと私は考えます。普段からあの帽子を被り続けてテレビなどにも出演し、それでいて魚に関する専門知識は本当に他の追随を許さない揺るぎない実力であることから誰もが、「あれがさかなクンのスタイルなのだ」と考えたのだと思え、ああいうぶれない姿勢はぜひ自分も見習ってみたいものです。

  おまけ
 昨日の9時のNHKニュースでホテルのレストランで伊勢海老と言いながらロブスターが提供されていた事実が報じられた際、ホテル側の「伊勢海老とロブスターは同種だと思っていた」という主張についてアナウンサーが「こうした主張に対してさかなクンは、」と言って、さかなクンのVTRに移りました。さかなクンによると「明らかに別種」だそうですが、こういう場面でコメントが求められるんだなぁと思うと同時に、○○大学教授とかそういった肩書きについて何の説明もなく「さかなクンの意見は」っていう一言で解説となってしまうのが妙に面白かったです。

2013年11月1日金曜日

山本議員の手紙問題について

 昨日一昨日と大学の先輩と一緒にエスニック料理を食べ回っていたのでまた更新がしばらく空きました。エスニック料理についてはまた後日書きますが、今日はまず久々の政治ネタというか元俳優である山本太郎議員の天皇への手紙問題について自分の意見を紹介します。結論から言えば今回の山本議員の行動は国民の代表たる議員としてあるまじき行動で、与野党幹部が求めている通りに速やかに議員辞職するべきでしょう。

 事の内容について簡単にまず説明しますが、昨日行われた秋の園遊会に招かれた山本太郎議員は天皇に直接、福島の原発問題について自分の意見を書いた手紙を渡しました。この行為について山本議員は天皇に福島の現状を伝えたかったためで政治的意図はないと説明しており、天皇に手紙を渡してはいけないというルールなんてないと開き直る態度も見せています。もっとも天皇に対して何かしら意見を言う際は内閣を通さなければならないという法律があるようで、渡してはいけないルールは存在するのですが。
 また山本太郎事務所のツイッターによると渡された手紙には、「子供と労働者を被ばくから救って下さるよう、お手をお貸し下さい」という内容が書かれてあり、仮にこれが真実だとしたら天皇の影響力を行使して政策を動かすこととなり、憲法、というかそれ以前の問題で禁止されている天皇の政治利用に明らかにつながると私は考えます。この点について山本議員はまた開き直るというか、「天皇陛下万歳という言葉を使うこと自体が政治利用だ」という自分の問題をはぐらかすかのようなわけのわからない主張を展開しています。

 どこから突っ込んでいいものか非常に悩ましい所ですが、少なくとも山本議員を弁護する余地は何もないと私は断言します。福島の放射能問題について天皇になにか伝えたところで何が動くのか?何も動かないでしょうし動いてはならないのです。そもそも山本議員は国会議員という非常に高い権力と意見発信力を持つ身分にあり、そんな身分でありながら合法的で正当な手段を使わず、このような自分の力を使わず他人を出汁に使うような卑怯な手段を取ったことに私個人として強い怒りを覚えます。

 また、以前からというか山本議員の発言はとんちかん極まりなく、世間をいい方向に運ぼうというよりはただ自分が嫌いなものを口汚く罵るしるだけの内容ばかりです。具体的に挙げると「自衛隊は人殺しの訓練をしている」とか「国会の弁当は放射能まみれだ」などというようなもので、放射能の問題をどう解決するか、除染の費用をどう確保するか、どのような手段を取るべきかというような前向きな意見は何も聞こえません。ただどこかに存在するのかしないのかわからない仮想敵に対して悪口雑言を述べているだけです。自分が言えた義理ではないかもしれませんが、このようなネガティブな人間からは絶対に何も生まれないでしょう。

 仮に今回の手紙問題だけならきちんと謝罪すればそれでいいかなとは思いますが、山本議員はこれまでの発言・行動からも信用に足る要素は何もなく、今回の騒動でも開き直るような態度を見せていることからもこの際だからぜひ政界から出て行ってもらうべきでしょう。もっとも、かなり強い調子で予言しますが、山本議員は今後海外で「日本という国をダメな国だ」というように日本批判をきっと始めると思います。何故そんな予言をするのかというとこの人がネガティブな人間であり、自分の行動の責任を全く考慮せず周囲の問題だと考える節があるからです。今回の手紙問題でもマスコミが騒ぎ過ぎだなどと反論してますし。

 彼は守るものがあるから戦うのではなく、戦うために敵を自ら作る性格なんじゃないかと思います。守るもののために戦うのは決して善ではなく正しいとは限りませんが、戦うために敵を作るということは間違いなく邪悪で、私自身は排除すべき存在だと考えます。

2013年10月28日月曜日

北京・天安門への車両突入事件について

天安門車炎上 死者は5人に、日本人男性もけが 抗議活動か(産経新聞)

 なんかNHKの9時のニュース、テレ朝の報道ステーションのどちらもトップニュースに持ってきていたので、一応中国関連も専門なので取り上げておきます。それにしても初見で、「ああ、こんな事件も起きたのね」とあまり慌てない自分も変になれてしまったなぁという気がします。

 まず事件の概要によると、今日日中に北京の天安門広場にスポーツタイプ多目的車(SUV)の車が突っこみ、観光客は警官をはねた上で炎上したそうです。どうでもいいですがNHKはSUVのことを「多目的車」と読んでましたが、それだとMPVじゃないかな。
 被害者は重軽傷を負った人間で三十人以上おり、北京大使館によると日本人一人も命に別状はないものの病院で治療を受けたそうです。死者はこの原稿を書いている時点で五人で、このうち三人は炎上した車に乗っていた人間で、このほかフィリピン人の女性と広東省出身の男性がそれぞれ一人ずつ亡くなったそうです。

 それでこの事件が中国でどのように報じているのか早速見てみましたが、どうもというか予想した通りに報道規制が掛けられているようで、下記の新華社ニュースで報じられている内容以外を報じているニュースは見当たりません。

北京迅速处置一起吉普车冲撞天安门金水桥事件(新華網)

 あと気のせいかもしれませんが、なんか中国のサイトへのアクセス速度が鈍い気がします。考えらえるのは中国政府が海外からのネットアクセス速度を制限しているか、日本を含む海外からアクセスが集中しているかでしょうが、まぁこれは後者かな。

 そんなわけであまり面白い内容が付け加えられてないのですが、先ほど報道ステーションでジャーナリストの富坂聰氏がこの事件について、政府筋の情報提供者から「政治がらみの事件だという確証を得た」と述べ、社会に不満を持つ市民による自爆テロである可能性について触れていました。ほかのしたり顔の中国事情通ならまだしも富坂氏の発言であれば私は信用しており、少なくとも大爆発が起きたわけじゃなかったことから、やはり富阪氏のいうように社会に不満を持つ層による自爆テロみたいな事件である可能性が高いような気がします。

 日本でもこのところ「むしゃくしゃしたから」というどうでもいい理由で通り魔など事件が起きていますが、中国でも同じような理由で幼稚園で園児が襲われる事件とか起きています。中国の方を持つわけじゃないですが、こういう事件で中国の格差がどうとかこうとかいうのはナンセンスで、中国だろうと日本だろうと社会上には頭のねじ飛んだ人間は多少は混ざるっていうのが私個人の主張です。

朴槿恵韓国大統領の外交について

 国会も始まり政治関連も動いてきたので、手始めに前から準備していた朴槿恵韓国大統領というか韓国のこのところの外交について私見を述べようと思います。結論から述べると私の目から見て今の韓国は孤立化への道をひた進んでおり、本気で皮肉ではなく隣国ながら見ていて心配になってきます。

 まず朴槿恵大統領の外交方針ですが、厳しい方となりますが韓国が一等でほかの国は韓国のやり方に従うべきだという、やや居丈高な態度に見えます。対日本については言うまでもありませんがこのところ慰安婦問題を盛んに煽ったり、また安倍首相が「いつでも受ける準備をしている」と発言している首脳会談についても徹底して拒否し、アベノミクスに対しても世界経済を悪くする原因だと安倍首相も目の前にいる国際会議の場で批判までしてきてます。
 もちろんこうした対日批判は韓国の大統領だと朴槿恵に始まる訳ではありませんが、私から見ていてこの人は今までの韓国大統領と比べてもかなり本気で、国益よりも自分の感情を優先する人だという風に見えます。もっともそういう性格なのは盧武鉉元大統領も全く同じでしたが。

 私がそう考える根拠としては対日外交以上に対米外交における姿勢で、この前も報じられていましたが参加を促されていた米国のMD(ミサイル防衛)計画への参加を拒否。そして対北朝鮮政策についてもオバマ大統領に直接、日本抜きでやるべきだと言い出すなど、これまで積み上げてきた成果を一気に崩しかねない突拍子な発言が多いからです。
 正直な所、今の米国と日本も決して仲がいい関係というわけではありませんが、六カ国会議で日米露中韓は共同して北朝鮮問題に対応してきたというのに、それを就任早々に否定してくるというのは上から目線の様に米国からは見えたのではないかと思います。このほかにも朴槿恵大統領はこれまたオバマ大統領に直接、日本の軍事化に懸念があるとわめいたそうですが、日本の軍備増強を願っているのはほかならぬ世界各国で軍事再編を進めている米国であり、実際はどうだかわかりませんがこの発言には米国も苛立ったんじゃないかという気がします。

 総じてというか朴槿恵大統領の外交発言は本当に思い付きでぱっと出してきているようにしか見えず、内心では嫌っているけど国益のためにここは我慢しようというような配慮は全く見られずにすべて自分の感情次第です。なんか悪口ばかり書いてて自分でも嫌になってきますが、傍から見ていてこういう外交方針は非常に危ういようにしか見えず、サーチナの記事によると韓国国内でも国際会議で席が隣り合った安倍首相が声をかけてきたにもかかわらずにべにもならない態度を取り続けるのはよくないという批判が出てきているそうです。私の勘ですが、こういう国内からの批判は今後も増えていく気がします。

 そんな日本とも米国ともしっくりこない朴槿恵大統領ですが、何故か中国とはこのところ積極的に接近しております。先日も私の知る限りでは史上初めて中国と韓国が共同で日本の歴史認識を批判しましたし、習近平とも関係の深さをやけにアピールする始末です。
 こうした中国への接近は日本や米国への牽制もあるでしょうが、先程調べてみたところ朴槿恵大統領は子供の頃に三国志にはまって大学時代に中国語を専攻していたらしく、どうも元から中国に対してシンパシーを持っていたようです。逆を言えばこれまた国益よりも個人的な感情で動いてるんじゃないかと勘繰りたくなり、それでいいのかとちょっと気になります。

 何度かこのブログでも書いていますが「敵の敵は味方」という価値観での外交は非常に危険極まりなく、今の韓国の中国への接近はそれに近いものを感じます。ましてや中国は、中国が大好きな自分ですら認めるくらいにこのところ国際社会で孤立化を深めており、その中国とつるむことによって韓国も孤立化を招く恐れもあるように思えます。しかも韓国と中国は漁業権などでよくぶつかっているなど火種も少なくなく、なにかこういう外交問題が起きた時に韓国は慌てる事態になるのではないかと密かに考えてます、余計なお世話だろうけど。

  おまけ
 前に中国人の友人に、「日系メディアや野党議員は日本は周辺国とみんな仲が悪いとよく言うんだよね」と言ったら、「それ言ったら中国は周辺国とみんなケンカしてるよ。日本なんかまだマシじゃん」とケロッと言われました。中国人も自国が国際社会で孤立してきているのを自覚しているようです。