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2014年2月14日金曜日

中国人の好きな男性のタイプ

 先週末に引き続き本日も関東各地で大雪となり、報道によると各交通機関で遅延など混乱が起きている模様です。かくいう私も先週土曜のようにあの「荒川沖の悪夢」が再現されるのではないかと戦々恐々としながら今日家を出ましたが、北関東ではお昼の二時くらいに雪が止んだことから今日は楽勝かと思って普通に電車に乗り帰ってきたものの、自宅のある千葉県某所にある駅に降り立ったら思ったより雪降ってて冷や汗が流れました。何はともあれ、今日は無事に帰って来れて本当によかった。
 雪の話を続けてすると先日に読んだ記事の中に「どうして週末に咳咳が多いのだ?」という、このところ平日ではなく土日に集中して関東地方で雪が降る現象について疑問を呈す記事があって面白かったです。その記事では原因はわからないまでも統計的には有意なほど集中しており、何かしらメカニズムを解明できたら面白いかもと書いてありました。

 それでは話は本題に入りますが、昨夜行われたソチ五輪のフィギュアスケート競技ショートプログラム演技で羽生結弦選手が史上最高得点で一位、私がひいきにしている高橋大輔選手が四位、町田樹選手が十一位と日本人選手全員が立派な成績を残しました。最終結果は今夜のフリープログラム演技の結果を待たないといけませんが、選手の皆さんには結果はどうあれ悔いのないような演技を期待し、一個人として応援したいつもりです。
 これまでフィギュアスケートというと日本では女子の方に注目が集まりがちでありましたが、今回のソチ五輪に限っては男子の方のが注目されているような気がします。要因としてはどの選手もメダルを狙えるほどの実力者が集まったことに加え、現在トップをひた走る羽生選手のルックスが優れているというか男の自分から見てもめちゃかわいいことが大きいように思えます、ってかそれ以外ないんじゃないとすら思えてきた。


 しかもこの記事によると、羽生選手は上記の写真でセンター飾っているクマのプーさんぬいぐるみを各遠征に帯同させているとのことで、もはやあざとすぎるという言葉じゃ納まらないほどかわいいことやってます。にしても織田信成選手もいい仕事しすぎだろ。

 そんな羽生選手ですがちょっと前に読んだ日系メディアの中国記事によると、日本国内にとどまらずその甘いルックスからかなんか中国でも人気なようです。同じく中国で人気になった日本のスポーツ選手には体操の内村航平選手もおりますが、実を言うとこの二人が中国で人気だと報じられて「そりゃそうだよなぁ」なんて一人で深く納得しておりました。なんで納得してたのかというと、二人ともいかにも中国人が好みそうな男性タイプだからです。

 ここで書くことはあくまで私個人の印象ですが、羽生選手にしろ内村選手にしろ中国人が好みそうなルックスをしているように見えます。具体的にこの二人のどんな点が中国人の感性にビビビッと来るのかというと、二人とも一見すると体格は細そうに見えますがトップアスリートなだけに腕や足などをみると強靭そうな筋肉が見え、敢えて表現するなら細マッチョな体型をしています。何故か知らないけどこういう細マッチョな男性が中国では人気が出やすいように見え、そんなに数多くを視聴しているわけじゃないけど向こうの映画やドラマに出てくる二枚目俳優にはこういうタイプが多い気がいします。
 更に踏み込んでいうと、日本でもルックスでプラスの要素となるポイントですが、中国における「小顔」のステイタス価値は日本より数段、かなり大きなレベルで高いように思えます。羽生選手も内村選手も私の目から見てこういう小顔のタイプ、しかも割とかわいい感じの顔で、顔だけ見ると華奢そうなのに実際の肉体は余分なものを全てそぎ落とし一切の無駄のないかのようなルックスが中国人にとってたまらない姿なんじゃないかと、あくまで個人的に思います。

 こうした特徴をまとめなおすと、「中性的な雰囲気だけと実はがっちり系の体格」が中国で男性がモテる要素なのかもしれません。この「中性的」という要素は中国でモテる女性のタイプにも当てはまるように思え、なんか向こうでは目線が鋭かったり活動的な女性(ややお転婆にも映る)がやけにモテるように感じるので、中性的というのが向こうでモテるキーワードなのかもしれません。
 さらにさらに補足ですが、中性的とは逆に筋肉ムキムキだったり濃いひげを蓄えたワイルド系などいかにも男性的な要素に溢れる男は逆にモテない気がします。日本でも男性的な要素がついタイプは必ずしもモテるわけじゃないですが、それでも中国に比べればまだ扱いがいいような感じがします。私の言葉で敢えて中国でモテる男性のイメージを述べると、武人ではなく文人的な、静かな中に鋭い光を放つタイプといったところでしょうか。日本は「文人が好み」というとやっぱ笑われるし、武士的な男性イメージがやっぱり強いのかなぁ。

 ちょこっと書いて企業拠点の作業を進めようと思っていましたが、なんかじっくりと長々書いてしまいました。まぁ書き終えてみてなんだけど、結構いい出来かな。

2014年2月12日水曜日

家入一真氏に対する私の見方

 コメントにネタ振りがあったので、今日は先週末に行われた都知事選に出馬した家入に対する私の印象をつらつらと書いてこうと思います。それにしても先週土曜にあったJRの悪夢による疲労がようやく来たか、頭痛がするのがやや辛い。それでもブログの更新をさぼらない辺り、我ながら頭おかしいと思う。

家入一真(Wikipedia)

 家入氏について正直に述べると、この都知事選に出馬するまで名前も知らない人物でありました。経歴を見てみるとなかなかに変わった経歴で、高校中退後に大検を取得して大学に進学するも中退し、IT企業を設立してジャスダック市場に最年少(当時29歳)で上場を果たしております。この経歴を見て私は真っ先に、漫画家の地獄のミサワ氏が頭に浮かんできたのですが、今に始まるわけじゃないけど別に高校なんていかなくったっていいんじゃないかと実は前から考えてます。大学は志望と合っていたらすごい成長が期待できるけど、高校は逸脱許してくれないしなぁ。

 話は家入氏に戻りますが今回の都知事選に家入氏は35歳という年齢で出馬し、最終的には得票数で主要候補4人とは大きく離れたものの第五位につく結果を残しました。私がこの家入氏に注目したのはその経歴よりも、主要候補と大きく離れた家入氏の若い年齢に期待感をやや持ちました。というのも国会議員ならまだしも都道府県の首長(「くびちょう」とは言わず「しゅちょう」と私は読んでます。1単語で訓読みと音読みの組み合わせって変じゃん)というのは将来の政治家を育成するポストだと常々考えており、やや極端な意見であることは重々承知であるものの、資質にやや不足感があっても若い年齢、具体的には三十代から四十代程度の人間を付けるべきだと考えています。

 然るに今回主要候補となった四人は揃いも揃って相当な年寄りばかりで、なおかつ舛添氏を除くと資質に明らかに問題があると思わせられる人物ばかりで、色んな意味でげんなりさせられました。だからと言って家入氏を、というのはまた問題かなと思って記者会見も見ましたが、少なくとも会見の場の態度などは比較的落ち着いておりこれならまだ将来投資と思って投票するのもアリかななどと、私が都民だったらそう考えたと思う会見でした。今思い出したので書き足すと、家入氏は若者への対策を確かこの記者会見で話しており、自分自身もそうした政策を求めていただけにこの点においては彼の経歴と相まって好感を持ちました。

 今回、この記事を書くに当たって家入氏の選挙戦の内容を改めてチェックしましたが、IT企業家らしくツイッターなどインターネットツールを活用した選挙戦を展開しており、やはりというかライブドア元社長の堀江氏もいろいろくっついて応援していたようです。ただこっから苦言となりますが、家入氏はネット上で有権者から必要とされる政策を募集していたようなのですが、こうした行為は私はあまりいいとは思いません。というのも民意を反映するだけの政治ほど衆愚政治に陥りやすいものはなく、政治家というのは時には民意に反しても、あくまで自分の頭で考え将来に必要と思われる政策を実行するために身を切る覚悟が非常に重要だからと考えるからです。

 また同時に、果たして家入氏は自分自身がどういった政策が今の世の中に必要とされているのか、またそれをどのように達成するのか手段を持っているのかについてははっきり言って疑問です。堀江氏もそうでしたがIT出身者は自分が政治家になることで有権品の民意を反映させることが目的というような主張が多いように見えますが、政治家というのは最も自分の責任をはっきりさせなければいけない職業なだけに、自分が何をするかもっと我を出してもらいたいのが本音です。端的に言うなら、有権者にやや媚びすぎる態度じゃないかと私は思うわけです。まぁ民主主義なんだから多少はしょうがないけど。

 とはいえこうして若い年齢でこうやって選挙に出馬するのは立派な行動というよりほかなく、家入氏については別に政治家にならなくても活動できる領域があるのだから是非そういった活動を続けていってもらいたいです。若いから何でも許されるわけではありませんが、若いことは一つのプラスな要素であるのだからほかの分野、ほかの人もそうい要素をぜひ活用してもらいたいと、三十路を手前に思うわけです。

2014年2月11日火曜日

私の過激思想について

 ちょっと前に先週末に実施された東京都知事選の順位予想を書いた記事をアップしましたが、1位当選者は舛添氏で当てたものの、二位以下は全部外すという情けない結果に終わってしまいました。まさか二位に宇都宮氏が来るとは思わなかったなぁ。
 軽く分析を行うと今回の都知事選はメディアも選挙戦の状況についてほとんど取り上げず、投票直前の土曜日に至っては東京で大雪が降ったため翌日朝にかけてインフラの運行状況などの報道がメインとなるなど、有権者もあまり関心が持てなかったような気がします。もっとも関心持ったところで結果はそう動かなかったろうが。
 それと今回の選挙戦で一番馬鹿をしたのは、間違いなく民主党です。民主党は当初、舛添氏を推薦する方針だったとのことですが何故か途中で細川氏の支持に回り、言ってることが訳の分からない選挙戦に付き合う羽目となりました。仮に自民党が推薦する前には約舛添氏を推薦していたら相乗りとの批判も受けず、舛添氏に軽い貸しを作ることが出来たのではと思うとまだこの党は迷走が続いているようです。

 話は本題に入りますが、パソコンとかでブログを見ている方なら既に知っての通りだと思いますが、先週にかけてトップページ右上の欄に投票ボタンを置いてみました。質問文は「このブログの執筆者の思想は過激だと思う」で、回答はYESかNOの二択。これはこのブログについている投票アプリで作ったもので、投票アプリ自体が結構便利なのにこれまでほとんど使っていなかったことから折角だしと思ってこんな質問をしてみました。
 で、その投票結果はというとYESが2票、NOが2票のフィフティフィフティという結果となりました。てかしょうもない質問なのにわざわざ投票していただいた4名の方にはこの場で厚くお礼申し上げます。

 そもそもなんでこんな質問をしたのかというと、以前から友人に「君ほど過激な思想の持ち主は見たことがない」と言われ続けていましたが、別の友人からもこの前、「花園君の考えは昔から乱暴なんだよ」と言われたからです。なお乱暴云々と言われる直前、大阪梅田地下街にある居酒屋の中心で、「日本人全員頭おかしいんだよ!」ってマジで絶叫してました。これが東京だったらみんな一斉に自分を見てただろうけど、大阪だったから「よくいるよなーこういう奴」みたいな具合で誰も気にしてなかったのは素直に良かったです。

 話は戻りますが、決して誇張ではなく今の今まで自分以上に思想が過激な人物にはただの一度も出会ったことがありません。どういう風に自分の思想が過激なのかというと物事の解決に手段を択ばないところが多く、政治的な議論では如何に有権者を騙すというか誘導させて物事を運ぶかということを主張するとともに、経済事案に対する考察でも、「まずパナソニックは万単位で、具体的には2万人くらいクビ切るべきだ」なんてことを亥の一番に言い出したりします。刑事犯でも昔、線路に自転車投げ込んだ中学生なんだし「まだ若いんだし、死刑くらいでいいんじゃないかな?」なんて言ったことあります。前振りが逆だと思われるかもしれませんが、若いうちからこういう犯罪する奴は将来もっと大きな犯罪を犯すとの見込みから「まだ若いんだし」と言っています。

 なんでこんな過激思想に染まったというか隣のテーブルにいる他人が「何この人!?」って感じで振り向くような(非常に多い)発言するようになったのかというと、一つは非常に結論を急ぐせっかちな性格に起因すると考えています。結論を急ぐあまり目的を最速で達成する手段を選びがちで、野球ゲームでも本当に初球からバットをガンガン振るので、「もうちょっと相手の配球を見た方がいい」と対戦相手にまで言われたことがありました。なんていうか段階を踏んで徐々に目的を達成するという方法がどうにも性に合わず、どうせゴールは同じなんだから最短距離を選んで一気呵成に実行するべきだというのが昔からの信条であり、それ故に過激な手段をためらいもなく主張したり実行しているんだと思います。いきなり日本で勤めていた会社を辞めて中国に現地採用で飛び込んだのも、日本国内で中国に派遣される仕事を探すよりもずっと早いと考えたことがきっかけだったし。

 そしてもう一つ、これが今日の記事で一番書きたい点なのですが、私が主張する過激な意見の多くは一見すると強引な案のように見えますが、私に言わせるなら問題を解決させる上で唯一の手段であると私が信じるものばかりです。たとえば日本の年金問題を取り上げると、今の基金方式は維持できるはずもなくいずれは全額税付加方式にするか廃止するしかなく、制度は遅かれ早かれ改正しなければならないと前から主張しています。また過疎化が続く日本の地方に対しても、日本の全体人口が伸びているならともかく減少が続く現況からすると下手にインフラを維持するとなると社会負担が非常に高くなるため、早くに集落や村を放棄して集住を推進すべきだとも主張しています。断言してもいいですが、これらはどうにもならない問題です。

 こんな具合でプライベートではきつい意見ばかり口にするものの、このブログでは暗にそういう内容を示唆させるものの直接的に「○○は死んだ方がいい」なんていう内容は敢えて書かないようにし、ソフトな表現に留めるようにしています。とはいえ読者はどんなふうに見ているのかな、もう少しブレーキをかけるべきかアクセルを踏むべきかとふと思ったことから今回のアンケートを実施することにしたわけです。結果は半々という事なので今くらいの抑え方でいいかなと考えていますが、このアンケートはもっと使った方が面白そうなので、今後も読者の意見を測るという目的でどんどん使っていこうと思います。

2014年2月9日日曜日

楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)

 昨夜は大雪全国各地で大雪となり、特に災害に対してもろい関東都心部では各所で交通が乱れて帰宅難民が大量に発生したと報じられています。私が見た限りでは成田空港が一番大きく取り上げられてて帰宅難民がどんなに苦しい立場であるかを細かに報じているように見えますが、飛行機だけじゃなく電車も大変だったぞと、実際に帰宅難民となった私が言います。今日はそんな楽しい楽しい私の帰宅難民体験を、天災なんだから仕方ないと思いつつもJR東への八つ当たり的な怒りと共にあの苦しかった一夜についてじっくり語ろうと思います。

 まず当日の予定について簡単に説明すると、この日は土曜日ながら出勤日であったためにいつものように6時前に起床して家を出て勤務先へと向かいました。そもそも土曜出勤であること自体がファッキンな気がするし大雪で外に出るなと軽い警報も出ていたのだから、「今日会社いかねーよ。恨むなら気象庁を恨みな」って中国人の様に言いたいところでしたが、一応自分は日本人だし残念なことに日本社会にいるのだから黙って出勤することにしました。
 朝の段階では特に電車のダイヤは乱れておらずスムーズに会社へとたどり着けましたが、夕方から夜が本番という予報も出ており帰りがどうなるかと軽い不安は抱えていましたが、それでも一、二時間の遅れでつけるかなと日本人らしく、何故か根拠のない楽観視をこの時は持っていました。なので夜にセッティングしていた親父との夕食も行く気満々で、まぁちょっとなめていましたね。

  17:45 乗車
 勤務は定時の夕方5時に終わりバスに乗って勤務先である茨城県某所にある駅に着いたところ、悲劇の舞台となった常磐線は既に遅延が発生していましたが、列車の遅延時間はわずか15分で当初の想定より随分と短いようにこの時は感じました。でもって17時45分にやってきた列車に乗車しましたが、数駅先の土浦駅で先行していた電車に追いつき、先にその先行していた電車が向かうとのことで乗り換えをしました。乗り換えと言っても車両は同じ型式だし何も変わることはないと思って乗り込みましたが、まさかそれから何時間もその車両に乗り続けることになるとはなぁ。

  18:10 荒川沖駅で停車
 土浦駅から上りで一駅先の荒川沖駅に着くと車内放送で、上野駅と柏駅でポイント切替機が故障したため運航を停止するとの連絡がされました。まぁこの雪だし、ポイント切替機の故障ならまだすぐに動き出すだろうと高をくくり、いまいち自慢できないNexus7でパズドラをしながら待っていました。なおこの時はドアの開閉が利き、暖房のついた車両の中で待っていました。

  20:00 金町駅でポイント切替機故障
 既に一時間以上の列車に缶詰めされながら未だに動き出す気配がなく、ポイント故障ってこんなに修理に時間かかるんだなぁ、それとも雪で作業が遅れているのかなぁと思っていたら、「上野駅の修理は終わったけど柏駅はまだ完了しておらず、また金町駅でもポイント切替機が壊れた」という衝撃的な放送が流れました。なんで一つ直したらまた一つ壊れるんだよとショックを受けるとともに、このまま無限に壊れ続けてずっと動かないんじゃないかなと不安がよぎり始めてきました。

  20:30 我孫子駅で架線断線
 先ほどの放送から30分後。パズドラも遊び飽きたのでキンドルで既に発売していた「実は私は」の5巻を購入して読んでいたら、今度は我孫子駅の架線が断線したので修理・運航再開にはまだ時間がかかるとの放送が流れてきました。思わず「うおォン」と言いそうになったが堪えたものの、放送では電力会社でなければ修理できないとも説明されたために今日中には帰れないかもと考え、一旦駅の外に出てコンビニでレーズンロールパン(マーガリン入り)4個を買い、車内に戻って食べることにしました。なお私が車内に戻って食べていると私に触発されたのか、同じ車両の数人が席を立って何かを買って戻ってくる姿が見られました。

  21:30 あと1時間?
 車内放送で我孫子駅に電力会社社員が到着したと報じられ、順調にいけば修理は約1時間後に終わるものの運転再開にはそれからまだ少し時間がかかるという説明を受けました。こういう時の日本人の時間予測は当てにならないと思いつつも早く修理が終わることを祈って、あったかい車両の中で仮眠を取っていました。

  22:20 パンタグラフから火花
 仮眠を取ってうとうとしていたところ、やや緊迫した声で急に車内放送が入りました。その内容というのも、「8両目のパンタグラフから現在火花が出ております。お近くにおられる乗客は直ちに離れてください」って話で、放送が終わるやすぐ車両外にを出て8両目に向かいました。いやね、言い訳をすると私が居座っていたのが7両目でことによってはここからも離れる必要があると考えたのと、ほかの人もたくさん外に出たのよ。
 で、実際に見てみるとものの見事にバチバチと放電していて、激しく火花が飛び散っているほどではなかったものの、「オイオイ大丈夫かよ……」と思う状態ではありました。しばらくすると車両の電源ごと切って火花を止めましたが、その後の放送でパンタグラフが焼けてしまったのでこっちも電力会社呼んで修理する必要があると説明されました。グッバイ、今夜中の帰宅。

  22:50 我孫子駅の修理完了
 先ほどのパンタグラフは雪の重みが原因と、専門家じゃないので意味が分かりませんがそう言われ、とりあえず焼けたせいで1~10両目まで半自動ドアの開閉は効くものの電源が切られました。11~15両目では電源が維持され暖房もあることから11両目に私も移っていたのですが、ここで我孫子駅での断線が修理できたもののポイント切替機がまだ直っていないところがあるのに加え、さっきのパンタグラフの問題でまだ運行が再開できる状況にはないと説明を受けました。我孫子駅での修理は最初1時間程度と言っていたが、結局1時間20分かかってんじゃんとか思いました。

  23:00 ウワァ
 昨夜のメモにはこの時間帯に「ウワァ」とだけ書いてあるのですが、書いた本人であるものの意味が全く分かりません。昨夜の俺は一体何を意図してこんなことを書いたのだろう?

  23:30 状況確認
 いい加減やることもないし状況の説明も途中からさっぱり亡くなったので、駅事務室にいる駅員に尋ねに行きました。改札前では乗車券の返金を求める乗客が数人いて後ろに並んで待ってましたが、自分の番が来た時に途中から来たおばさんが割り込んで返金を求めたので軽くカチンと来ました。けど大人の精神我慢して待って駅員に状況を尋ねたところ、金町駅のポイント切替機はまだ治っておらず、パンタグラフを修理するために電力会社に連絡は既に行ったものの修理する人はまだ到着していないとの説明を受けました。まぁそうだろうよと思いながら帰ろうとすると車両内は混雑しているかと状況について駅員に尋ねられ、そんな混んでないし空いている椅子の上で横になってる人もいるよと教えてあげました。あと車両に戻ったらすぐ、また別の駅でポイント切替機が壊れたって放送が流れました。

  00:00 車両内の状況
 何の音さたもな勝ったこの時間帯に自分は仮眠を取っていて周囲のほかの乗客も体大寝ていました。たまに飲料を買いに行く人が車両から出るのですが、その際にドアを閉めずに出て行く人が何人かいて心の中で何度もファッキンとつぶやいてました。細かいですがピンクの上着着たおばさんが出る時も、戻ってきた時もドアを閉めなかったので、出た時はドア近くにいた自分がボタン押して閉めましたが、帰ってきた時もまた開けっ放しにしたのでいい加減注意しようと思ったら別のおっさんが先に注意してドアを閉めさせました。自分の中のファッキンな乗客大賞はこのおばさんです。

  01:25 車両からの退去
 しばらく鳴りやんでいた車内放送がこの時間に突然鳴り、「これから運航再開に向けた安全確認、雪下ろし作業を行うため、防犯のため乗客の方は車両から降りてください」と言われました。車内の乗客から不平が出る中で駅コンコースに行くと駅員、というよりJR東社員らしいおっさんがいて、1時間後に運行を再開するので寒いとは思うが外で待っててくれと拡声器を使って説明してました。
 乗客からはこれまで暖房の効いていた車両内から寒い外に出すなんてと不平が出てましたが、あと1時間で運航が再開されるならという雰囲気でみんな従うような態度だったと思えます。しかし拡声器で話すおっさんの後ろで気弱そうな駅員が、「運航再開時刻は1位時間後とはかぎ……」と言おうとしておっさんの声にかき消されてたので、難しい状況だなぁと私は見ていました。またさっきも書いた通りにこういう緊急時の日本人の予測は東電の様に概して現実的でなく過度な楽観視が行われるため、これからおこなわれる作業が完了するのは少なくても1時間30分はかかるだろうと見て、車両に戻るまで頑張って待とうかなどと覚悟を決めてました。

  02:30 作業時間の延長
 作業が終了すると約束された1時間後のこの時間、駅員から作業完了まであと30分かかると延長の説明がなされました。やっぱりと私は思うと同時に、30分後にまたあとちょっとというから実際の完了時刻は3時10~15分と修正。あとまだ余裕があったからこの記事を書くためにメモを取りつつ周囲の状況を観察してました。なお雪が降ってるくらい寒い外、しかも深夜に放り出されていることから自販機でホット飲料を買う人が多かったのですが、自販機を見てみると「ホッとレモン」、「ホットココア」、「しるこ」が売り切れていました。

  02:35 体調不良者の確認
 この時間になって初めて駅員から、体調不良者がいれば申し出てほしいという連絡がされました。雪害だし電車が止まるのはまだしょうがないものの、体調不良者へのケアがここまで遅れた事に関して私はJR東は批判されるべきだと考えています。もう少し早く、それこそ車両の中に缶詰めになっている時間帯にでも一言言えばよかったのに。
 なおこの時点で残っていた乗客は30人前後で、比較的年寄りが多くてあとは若い女の子が次いで多かったように見えました。待ってる間にあるおじいさんが言ってましたが、電車が止まったのが夕方だったからよかったものの、夜だったら酔っ払いもいて色々ともめたろうと言ってましたが、その通りだと私も思います。

  02:45~03:30 最終確認?
 この時間、今現在安全の最終確認をしていてそれが終わったら運行を再開するという説明がされました。それなら明け方までに帰れるかなと考えていましたがその後、ずっと最終確認が続き、3時半になってようやく、「4時半からの運行再開を見込んでいる」という衝撃的な事実が告げられました。この発表には乗客も強く反応して、「あと一時間って最初に言っただろ」、「どっから指令が出ている!」などと駅員に詰め寄る人も出てきてかなり険悪なムードが駅舎内で漂ってました。
 あと既にこの時点で外にほっぽり出されて2時間も経っており、周囲の人もみんな青白い顔しながら足踏みをするなどして必死で寒さを堪えていました。自分もさっきからさらりと書いていますが体力的にかなり厳しく、足の指の感覚とかもうほとんどありませんでした。おまけに寒さで筋肉が緊張していたためにしゃがみ込むと膝のあたりがマジで痛く、本気でしんどかったです。なおこの時の自分の服装ですが相変わらず薄着で、下は作業ズボンのみ、上はYシャツの上にパーカーとGジャンだけで「馬鹿をしたな」などと反省してました。ただこんな時にGジャン着ているのは自分だけだろうと思ってたら、もう一人Gジャンを着ているおっさんがいて、「自分だけが特別だと思うな」なんてカミーユ・ビダンの声が聞こえた気がします。

  04:00 車両内へ移動
 4時となり、駅員から車両を開放するのでそちらで運航再開を待ってほしいと説明され、寒いしずっと立ちんぼだったのですぐに移動しました。ただ車両内は電源が入っておらず暖房も効いてなくて寒いまんまでしたが椅子に座れるだけでもありがたく、自分を含めて他の人もすぐに音言ってました。
 それにしても、電車が止まっているとはいえ2時間半も冬空の下で乗客を外に放り出すって正気の沙汰じゃないような気がしないでもありません。これは駅員というより本部からの指令でしょうがそれにしたって年寄りもいたんだし、電気つかなくても車両にいさせてほしかったのが私の本音です。あとこれは勝手な推測ですが、「雪下ろしと安全確認作業のため」として乗客は車両から出されましたが内心、これは本当なのかどうか疑っており、1時半に追い出されて4時にまた車両に入れたという時間帯を考えると、単純に営業時間外だからという理由で出されたんじゃないのと思ってたりします。というのも、外で待たされている間に車両が修理されたりする様子は見られず、むしろ車両内に入ってから人員があれこれ車両調べてたので。

  04:30 運転再開
 文字通り4時半となりようやく運転再開となりました。ただホッとしたのもつかの間で2駅進んだら、「前の駅でポイント切替機が~」ということになり、線路上で40分立ち往生。その後も約2駅ごとにやれ信号機が、線路内に異物がって理由で何度も止まり、天災なんだからわかってはいるんだけど、「死ね、JR東の社員はみんな死ね……」なんて死ね死ね団みたいなことを一人でブツブツつぶやいてました。自分の年齢で死ね死ね団の名前を挙げるものなんだが。
 そんなこんだで最終的に、午前7時前にやっと自宅に着きました。愚痴になりますがJR東は運行が無理だと思ったらもう夕方7時くらいに安全のため終日運行停止と発表してほしかったです。そうすれば大きな駅にでも降りて、ビジネスホテルなり漫画喫茶なりに避難できたのだし、自分はともかく別の交通手段で家路に迎える人もいたでしょう。

 結論としては、成田空港はまだ椅子もあるし暖房もあるのだからまだいい方じゃないか。こっちは雪降る中で外に2時間半の立ちんぼだったぞ、というのが私の心からの叫びです。にしても、JR東へのいろんな思いがあるもんだからまたえらく長文となってしまったな。

2014年2月6日木曜日

朴槿恵大統領の対日観に関する報道について

福島みずほ氏「宇都宮健児氏はまさにアンパンマン」(アメーバニュース)

 本題とは関係ありませんが上記のニュースに対しネットの掲示板で、「アンパンマンを政治利用している!」などという批判の声と共に、「アンパンマンは自民党内にいるじゃないか」などと、アンパンマンにほんとよく似た石破茂幹事長をネタにする人がいて笑えました。去年の夏に日焼けした際は「焦げたアンパンマン」とまで言われてたし。

 それでは本題に入りますが、このところ関係がすっかり冷え込んでいる日韓関係ですが、向こうからしたら「安倍首相が悪い」でしょうが日本からしたら「朴槿恵が悪い」と、双方の首脳が原因による関係悪化だという世論が大勢を占めているように見えます。そんな朴槿恵大統領の対日観に関する報道でやや気になるというか「はぁ?( ゚д゚)」って思う内容の記事がよく目につくので、なんで疑問に思うのかとともに私見を今日は述べようかと思います。

 その目につく記事とは冷え込む日韓関係に触れた記事について書かれたものなのですが、どの記事も冒頭において以下のような文言が非常に多く見られます。

就任前は朴正煕大統領様に親日意識が高いと思われた朴槿恵大統領だが

 このように父親である朴正煕大統領は歴代の大統領の中でも親日意識が高かったことから父親の薫陶を受けた娘の朴槿恵大統領も親日派だろうとどこも書いているのですが、単刀直入に言ってそれはないだろうし、そもそも朴正煕は親日家だったのかというと私はこれも疑問に感じます。私がこのように考えるのは、去年に好評ではなかったもののこのブログで韓国の現代史に関する連載を行った際に少し勉強したことがきっかけなのですが、あれこれ調べてみると朴正煕はそれほど親日家だったとは思えないし、政権前半期ならまだしも後半期に対しては日本に対して怒りというか相当なわだかまりを抱いていたのではないかと思えるようになりました。

 そもそも何故朴正煕が親日家であったと日本で報じられているのかというと、第一に国内の反対を押し切り日本との国交回復を切り開いただけでなく、戦前は植民地化にあった朝鮮領内で自ら志願して日本の軍人となり、当時に日本から受けた教育について賛美を示していたためとされています。こうしてつらつらと書いておりますが実は前者はともかく後者は事実ではなく、朴正煕は日本の陸軍士官学校に留学には来ておりますが正式な出身校は満州にあった陸軍軍官学校で、彼は日本陸軍ではなく満州軍の軍人だったのが正しく日本軍の軍人だったことはありません。とはいえ日本式の教育を受けたことは間違いありませんが、その教育を受けたのは彼が日本に強いシンパシーがあったからというよりは単純に教育を受ける機会として都合がよかったから選択したというのが本当な気がします。

 ここで私の朴正煕のパーソナリティに対する見方を述べさせてもらうと、彼はリアリストこと理想よりも現実での利益を優先する打算型政治家であって、それが開発独裁という自分が正しいと思う事だったら手段はあまり選ばず、速攻に効果のあるものを強引に選択していくというスタイルを形成したように思えます。これが何を示すのかというと、日本との国交回復も日本へのシンパシーというより単純に経済開発のための資金引き出しと対日貿易による経済のテコ入れを求めたから実行しただけに思え、もしかしたら日本にあまりいい印象を持っていなかったかもしれないけど利益追求のためにそういう気持ちは棚上げして国交回復に踏み切れる人だったのかもしれません。
 もっともこの辺の感情はイタコでも呼んで朴正煕大統領の霊に直接聞いてみないとわかりませんが、先ほど少し述べたように政権後半期においては明確にかつ確実に日本に対して憎悪を抱いていたと私は確信しています。何故憎悪するに至ったのかというと二つの事件からで、一つは金大中事件、もう一つは文世光事件からです。

 金大中事件に関する説明は省略しますが、文世光事件は私も記事に書いてますが簡単にここでも説明すると、北朝鮮こと朝鮮労働党の指令を受けた在日朝鮮人の文世光が朴正煕をピストルで暗殺しようと試みた事件です。幸いというかピストルの弾は朴正煕を外れて暗殺は失敗しましたが朴正煕の妻であり朴槿恵大統領の母である陸英修が流れ弾に当たり、この事件で死亡しています。
 この事件は韓国と北朝鮮間だけの事件ではなく日本も深くかかわっており、まず犯人の文世光は在日朝鮮人で暗殺時も日本人に紛争することで群衆に紛れこんでおります。そしてもう一つ、これがなかなか重要なのですが、暗殺に使われたピストルはこのところ不祥事続きの大阪府警ですがこの時もそうで、大阪府内の派出所から盗まれたものでした。なおかつ文世光が韓国に入国する際は偽造パスポートを用いていますが、これの取得審査と出国審査ももちろん日本が取り行っており、仮にこれらのうちどこかで日本の捜査なり審査が機能していればこの事件はまず起こらなかったでしょう。

 朴正煕というか韓国側もこのように考え、日韓の政府間で関係が一気に冷え込んだと言われます。なおかつ事件後も日本は国内の朝鮮総連に対してやる気のない捜査しかせず、韓国側からしたら日本は北朝鮮スパイを要請して韓国に送り込んでくる中継基地に見えたとのことで、自分が言うのもなんですが韓国政府が怒るのも無理ない気がします。こうしたことからウィキペディアの記述では朴正煕はこの時に日本との国交断絶まで考えたとのことで、それが事実かどうかはわからないまでも日本に対して相当腑に落ちない感情を持ったのは間違いないと私は考えております。

 話はここで朴槿恵大統領に戻りますが、上記のような文世光事件を22歳(当時はフランスに留学中)の多感な時期に直面したことを考えると、私はとてもじゃないですが彼女が親日家になるはずがないと思えます。そう思うだけに「当初は親日意識が高いと思われた」という文言を入れた記事を書く人間は何もこの辺の事情を勉強していないのか、そもそも日本にいい感情を持っているとうかがわせる発言を過去にこの人がしているのか、もう全部が全部書かれてることと現実が矛盾しているように思えてなりません。そんなクソ記事書いて金もらっていいと思うのか、その前に発行する前に編集はちゃんと事実関係をチェックしているのかと非常に強い疑問を覚えるわけです。

 更にこうした事情を勘案するにつけ、朴槿恵大統領のいわゆる告げ口外交こと日本批判は自身の感情から実行しているように見え、そういう意味で父親とは対照的に実質的な価値を全部台無しにしてでも理想を追求する理念型の政治家の様に私には思えます。これが何を意味するのかというと、理念型の政治家というのはあれこれ妥協案や条件、もしくは金を出しても効果が薄いため今後何をやっても朴槿恵大統領は日本批判をし続ける可能性が高いと予想されるわけです。極論を述べると、彼女の要求通りに日本の歴史観を韓国の歴史観に即したものに変えたとしても、彼女はそんなものを本気で求めているのではなくただ単に日本が嫌いなのだからまた別の難癖をつけてくるように思えます。つまり、妥協したって無駄だからあまり関わろうとせず次の人が来るまでほっとくのが一番じゃないかなというわけです。

 以上がこの記事で書きたかったこと全部ですが、最後にこのところこういう社会ニュースに対する論評を書いてて思うこととして、自分はもしかしたら社会に対してマルチな視点を身に着けて来たのかもとこのところほくほくしてます。私が世の中を見る上でベースにしているのは出身学問である社会学がやはり基礎にあって主題となっている人物がどのようなモチベーションでどういう行動をとるのかを一義的に考えており、言い方を変えると相手の感情を分析してから次の行動を予想しようと自然に考えます。これともう一つ、ある意味ではこっちの方が感覚的に古いですが歴史的な視点からで、主題となる人物たちの相関関係や過去の事例などを如何につなぎ合わせるか、どういった点でつながっているかをこちらもまた自然に分析するようになっており、意識していたわけじゃないけど佐野眞一氏のスタイルに徐々に近づいている気がします。まぁやっていた人類学自体が歴史考証学に近いスタイルを持つのだから、ある意味自然な流れでこうなったのかもなぁ。

2014年2月5日水曜日

平成史考察~磯野カツオの声優交替(1998年)

 本題とは関係ありませんが今開かれているオウム真理教の平田信被告の裁判が非常に面白いというか、興味深く見ております。何度かこのブログで宣言してますがオウム事件を最終的に総括するのは当時小学生の立場であの事件を見ていたほかならぬ自分になるだろうと考えており、今回の裁判での各証人の発言は凄いキーワードになると見ております。

 それでは本題に入りますが、各所の報道にも出ている通りにアニメ「サザエさん」で磯野波平役の声優であった永井一郎氏が鬼籍に入りました。ちょっと今日あたり歴史物をやりたいと思いつつもいいネタが浮かばなかったのもあるので、今日は永井一郎氏の逝去に合わせて久々に書く平成史考察で、同じ「サザエさん」の磯野カツオ役の声優交替劇を紹介しようかと思います。っていうか部屋の中寒くて指が上手く動かず、キーボードが打ちづらい……。

 磯野カツオについての説明は無用でしょうが、「サザエさん」の第二の主役ともいうべき代表的キャラクターであるこのキャラの声優は実は過去二回変わっており、しかも初代声優を務めたのは初代ドラえもん役をしていたあの大山のぶ代氏でした。ウィキペディアの記述によると、なんでも大山のぶ代氏は放送開始から3ヶ月間だけカツオ役を演じたものの、何らかの理由から自主降板したとのことです。その後の二代目カツオ役には高橋和枝氏が就き、その後28年の長きにわたってカツオ役を演じることとなります。なお私としては高橋氏の演じていた時代に一番サザエさんを見ていたことから、「そりゃないよ姉さん」っていうようなカツオのセリフを見ると高橋氏の声が真っ先に思い浮かんで来ます。

 そんな高橋氏ですがかねてから抱えていた持病が悪化し、1998年にカツオ役を降板します。容体の急変から来た降板ということもあり、代役にはそれ以前から「サザエさん」で登場頻度の少ない別のキャラを演じていた現在のカツオ役、富永みーな氏が代理登板することとなりましたが、富永氏の起用は当初は一時的な措置で、高橋氏の健康が回復したらまた元通りにする計画だったそうですが容体は結局回復せず、数ヶ月の闘病生活の後に高橋氏は逝去されたとのことです。

 こっからがこの記事のハイライトでありますが、高橋氏の葬儀には「サザエさん」のほかの声優たちも数多く集まり、その中には今回鬼籍に入った永井一郎氏もいました。そして葬儀の場で、実際には高橋氏は永井氏よりも2学年年上でしたが、「こりゃ、カツオ。親より先に逝ってしまう奴がどこにおるか」という弔問を読み上げたと言われます。今回記事を書くに当たってウィキペディアを読み直しておりますが、この弔問時のエピソードは当時の私も聞いており、確か週刊誌で読んでたと思いますがやけにうちの姉貴が「波平の声優がこういう事言ったんだってー」って、「サザエさん」がテレビ放送される一週間おきくらいに口にしてたのでやけに記憶に残ってます。なんども言わなくったってわかるっつーのに。

 そして今回の永井氏の葬儀では、現カツオ役の富永氏がカツオのキャラになり切って弔問を読んだと報じられます。考えてみると不思議なもので、波平からカツオ、カツオから波平へと弔問が読まれており、恐らく今後もこういう小粋な演出が各所で続くんじゃないかなと思います。こういう事が起これるのも声優が交代されてもアニメ放送が続けられるからで、「サザエさん」に限らずとも「ドラえもん」など長寿アニメではこうした声優の交替がこのところ珍しくありません。
 今回なんでこの内容で記事を書こうと思ったのかというと、今思うとこの1998年のカツオ役の声優交替が一つの契機となって長寿アニメでの声優交替が一般的になってきたように思えたからです。この方式によって長寿アニメはさらに寿命を延ばすことに成功しており、概念的には結構大きな一歩だったのではないかと思え、永井氏の逝去をいい契機としてこうして書いてみた次第です。

  おまけ
 全くその気はありませんでしたし今もそうですが、高校時代とかに「花園君は声優向いてるんじゃないの?」って何度か言われました。なんでそんなこと言われたのかというと私の声がひどく特徴的というか、明らかに一般人と異なった発声の仕方で珍しいからでしょうが、私の声の性質は妙に甲高くて聞く人によってはガチで聞くだけで不快になります。友人によると、そのあまりの声の甲高さからどんなに騒々しい場所でもはっきり聞き分けられるとのことで、しかもそんだけ目立つ声してるくせに「○○殺されねぇかな」とか「2、30人くらい一気に死ねばいいのにさ」などとやけに物騒なことを平気で口にするもんだから見知らぬ人でも「何この人!?」みたいに思うのも無理がないそうです。まぁあながち、その見方が間違っているわけでもない気がするが。

  追記 
 コメント欄にてご指摘を受けましたが、ドラえもんの声優で大山のぶ代氏は初代ではなく三代目でした。初代は富田耕生氏、二代目は野沢雅子氏がそれぞれ声を充てており、長くやっているからって大山氏が初代だと今の今まで勘違いしておりました。

2014年2月4日火曜日

三菱地所の欠陥マンション事件について

 事件内容の大きさの割にテレビニュースなどの報道の扱いが小さいように思えるので、せっかくだからブログ記事にして残しておくことにします。

青山の「億ション」、水道管の孔がない欠陥が発覚 三菱地所・鹿島・関電工の「一流処」による建設(アルファルファモザイク)

 事件の詳細は上記の2ちゃんねるまとめ記事に詳しく載っておりますが私の方から簡単に説明しますと、東京都青山で建設が進められていた三菱地所が販売、鹿島建設と関電工が施工の高級マンションが購入予約者へ引き渡される直前、施工不良というお粗末な理由から販売が中止されました。しかもその施工不良の内容も水道管などを通すための孔、いわゆるスリーブがほとんどの工事が終わっていた段階にもかかわらず開いておらず、さらに後から空けよう壁などに無理やり穴を空けていたら一部の鉄筋まで切ってしまって強度不足に陥り、もうどこから突っ込もうかという状況に至って販売中止となったとのことです。各所の報道によると既に手付け金と見舞金は契約者側へ支払われているそうですが、J-CASTの報道だとマンションの価格が価格だけに一人当たり3000万円程度の金額が支払われいるのではと予想されています。

 この事件はその内容もさることながら発覚の経緯が些かほかの事件と異なっていて非常にきな臭いのですが、なんと匿名掲示板の2ちゃんねるに施工不良の内容が書き込まれ、その書き込みの内容を見た契約者が問い合わせた(恐らく三菱地所に)ことから発覚しています。最初にリンクを貼ったまとめ記事にその問題の書き込みと思われる文言が引用されていますが、その文言が指摘する施工不良は発覚した内容とピタリと一致しており、なおかつその同じ書き込みには「現場、会社揃って組織ぐるみの隠ぺいがある」とまで書かれています。

 私の見方を述べると、その書き込み通りに組織ぐるみの隠ぺいがあったと見て間違いないでしょう。根拠としては問い合わせがあるまでこれほど大きな施工不良の事実を発表していなかったことと、発表前に上記の施工不良に関する正確な書き込みがあったということから少なくない人間がこの事実を知っていたのではと予想されるといったところです。更に穿った見方をすれば、もし最初の書き込みなく契約者が問い合わせをしなかったら、三菱地所はこの事実を隠蔽したまま黙って契約者に引き渡すつもりだったのではという疑念も覚えざるを得ません。
 それだけにこの事件はただ事実報道だけで終わらせるべきではなく、一体どの時点で施工不良の事実に気が付いたのか、そしていつから対策をして事態を悪化させたのかなどを業者はきちんと説明するべきじゃないかと思います。さらに言えば、何故施工不良を起こしたのか、気づかなかったのか、管理監督する立場の人間は何をして今何をしているのか、退職金は出さなかったのかということも聞いてみたいというか、まだ自分がメディアに身を置いていたら広報部に必ず聞くでしょうね。

 それにしてもというかこのところ見ていて呆れるというか次元の低い企業事件が増えている気がしてなりません。今日発覚した北陸新幹線談合事件然り、アクリフーズの薬物混入事件然りですが、後者の事件はもし犯人が毒性の強い農薬を盛っていたらと思うといろんな意味で衝撃的だったなと思うのと同時に、食品問題で叩かれがちな中国をあんま笑えなくなったなという気がします。中国を笑えないと言ったら最初の欠陥マンションも同じですが。
 私は性悪説に立って物事を考えるのでこういう事件が起きるのもまた人の営みだと考えあんま気にしない方ですが、アクリフーズの例を取るとネジのとんだおかしな人間はどこかに絶対いるのだし、たとえどれだけ工場の管理や施設を厳しくしたところで無意味じゃないかと思います。それこそ本気でやるならわかる人だけわかればいいですがフォックスコンみたいに人格追い詰めるくらいじゃないと駄目でしょうし、仮にそれをやるとしても倫理的にどうだってことにもなります。何が言いたいのかっていうと、ルールで縛ろうとしても限度があるのだから無意味に雁字搦めにしてもあんま効果ないよっていうのを、日系企業らにちょっと言いたい訳です。

2014年2月2日日曜日

自分が感じるお粗末な「おもてなし」

 ちょうど去年の今頃に私は日本へ帰国してアナーキーな活動を続けていますが、日々日本で生活していてすごい違和感というか納得いかないことの一つに、コンピに者スーパーで売られているサンドイッチが挙がってきます。一体サンドイッチの何に納得いかないのかというと、単純に入っている具材が少ない、というかサギっぽい見せ方しているのが非常に腹が立ちます。

 今日もこの記事を書くために各コンビニ店舗やスーパーを軽く巡回してきましたが、やっぱりどこもというか同じようなサンドイッチを販売していてなんでこういうところで足並みそろえるのはうまいんだよとつくづく先が思いやられました。日常的にサンドイッチをこういうところで購入している人ならわかるんじゃないかと思いますが、昨今のコンビニ店舗などで売られているサンドイッチはいわゆる三角サンドで、三角形に切られた状態で陳列されているため中身の具材(どうでもいいけど「ぐざい」と入力する変換候補に「ξ」が入っているのが結構気に入っている)が見えるようになっています。これが今回の記事のミソなのですが、どこの店のサンドイッチも陳列棚から見える部分、具体的にはサンドイッチの二等辺三角形の底辺部には具材がしっかり盛られていますがその反対側はすっかすかで、いわば外から見える部分にしか具材が入っていないのです。

 これは実際に買ってみてサンドイッチのパンを分解すればもっとわかりやすいですが、三角形なパンの面部にくまなく具材が盛られているのではなくどれも底辺部に、目視的には全面に対して五分の二程度しか具材が盛られていません。普通サンドイッチと言ったらパンの全面に具材が満遍なく盛られているものじゃないのかなと私は思うのですが、世間的にはそうではなく少なくともこういうコンビニなどで売られているのはかなりせこい具材の盛られ方がされています。

 何で私がこの事実に気が付いたのかというと、ひとえに中国から帰国した身だからではないかと思います。こう見えても私はサンドイッチをかなり好んで食べている方で、向こうで働いている時も昼食は誇張ではなくほぼ毎日コンビニのサンドイッチで済まして、香港で働いている際はあまりにも毎日近くのパン屋でサンドイッチを買うもんだから店員のおばさんがなにも言わなくても1ドルか2ドル割引してくれるくらいに通っていました。
 勘のいい人なら私が何を言いたいのかもうわかるでしょうが、中国のコンビニで売られているサンドイッチは日本のものとは明らかに異なっており、三角サンドであることは同じですが具材はパンの全面に渡って満遍なく盛られておりました。それがわかっているだけに日本のサンドイッチを買って食べた際、「なんでこんな具材が少ないんだ。これを作った奴を今すぐここに呼べ(# ゚Д゚) ムッカー」などと海原雄山みたいなセリフを言いたくなるほどカチンときたわけです。

 真面目な話、中国から日本に来た旅行者だったらこのサンドイッチの具材の少なさは一発で気づくと思います。しかも今日改めて各店舗を巡回して気づきましたが、どの店も具材が見える表側に対して裏側がどうなっているか手に取ってみてみると、ちょうど裏側にシール貼ってたり、もしくは白く着色した包装になって見え辛くなっていたので売っている連中は確信犯でこれをやっていると見て間違いないでしょう。欧米系の旅行者は気づくかどうかわかりませんが、多分気づくんじゃないかな。

 最近日本人を上手く怒らせる際にいいフレーズとして、「この点において中国の方が上だ」という言葉があることに気が付いたのですが、このサンドイッチの売り方に関しては間違いなく中国の方が上だと言いたいわけです。でもってこんなせこい商売している癖に、このところやたらと「おもてなし」などと言う言葉を使って日本の接客や商売方法は懇切丁寧だなどと自画自賛しているのを見ると、本当にそれでいいのなんて思ったりするわけです。
 このサンドイッチの事例に限らなくても日本人が図に乗っている「おもてなし」というのは案外お粗末なもんだと前から感じています。これは友人が気が付いた点ですが、日本の飲食店というのは店舗面積に対してかなりぎっちり客席を敷き詰めることが多くて食事中の空間が非常に狭いことが多いです。無論それはゆったりできる雰囲気ではなく、むしろ急がされているような感覚すらあって外国行ってから日本の飲食店で食事するとなんか圧迫感を覚えてなりません。

 このほか景観や広告などについてもいろいろ言いたいわけですが、総じて日本人の空間感覚は外国と比べて極端に悪いように思えます。もちろん、敢えて怒らせる言い方をするとその外国には中国もきちんと含まれております。
 さっきのおもてなしの話に戻りますが、案外日本人ってのは顧客目線に立ってサービスを組むことは少なく、自分たちで発案した店舗レイアウトなり販売方法やサービスなどがサービス精神に溢れているものなどと勝手に主張して喧伝している例が多い気がします。まぁ一言で言うなら、自画自賛でしかないということです。

 こういう事を前から感じていたので、「おもてなし」って言葉をやたら連発する姿を見ていてまたいつもの自画自賛なのとやや皮肉めいた目線で見ております。少なくても日本の接客やサービスが優れていることを日本人自身が言うべきものではないし、たとえ外国人に言われたとしても図に乗らずもっと上を目指せよと言いたいわけです。
 それにしてもサンドイッチのあの売り方は本当に腹が立つ。それでいて値段は案外高いし、昔のおにぎりの詰め物じゃないんだからクオリティを挙げる努力にもっと取り組めよ、中国のコンビニ以下の商品売ってて本当に良いのと経営者に深く問いたいです。

南アフリカの「名誉白人」

 昨夜は深夜0時に就寝して午前10時まで寝ていました。でもって今日のお昼にカツサンドを食べたら猛烈に眠くなって昼寝をしたら2時間も寝ていて、見事に半日眠るという偉業を達成することとなりました。普段の睡眠時間が少ないからって、こんなにも平気で人間眠れるものなんだなぁ。多分今夜もコテンと眠れそうだし。

 話は本題に入りますが、昨年末に南アフリカ共和国で人種札別政策、アパルトヘイトを廃止に動かせたネルソン・マンデラ氏が死去されました。マンデラ氏の死去に合わせて各テレビ局や新聞ではマンデラ氏の業績やその人生を紹介する特集が数多く組まれたのですが、正直に言ってこれら特集を見るにつけ私自身は強い不快感を覚えていました。
 前もって述べておくとマンデラ氏に対しては何十年も監禁され、家族との接見も半年に一回に制限されながらも一貫として差別撤廃を訴え続け、大統領に就任してからもその強いリーダシップから第三世界を代表して意見を国際社会に訴え続けるなどその業績は疑う余地もなく、その屈服無き精神は私も深く尊敬しています。にもかかわらず何故マンデラ氏を紹介する報道に不快感を覚えていたのかというと、かつて日本人が南アフリカ共和国より「名誉白人」と呼ばれていた事実に対して悉くスルーしていたからです。

アパルトヘイト 「名誉白人」項(Wikipedia)

 アパルトヘイト政策について細かい説明は本題ではないので省略しますが、要するに人種差別を国家政府が認めて差別対象となる黒人層に大幅な制限を課していた政策です。この政策は黒人というか白人以外の有色人種が対象となって現代の日本人の感覚からすると驚くほど極端な政策が取られていたと言います。マンデラ氏はこの政策の撤廃を訴えたことから収容所に監禁されたのですが、彼の必死の努力の甲斐もあって撤廃直前に至っては国際社会は南ア政府に対して強い制裁措置、具体的には貿易制限などをかけて撤廃を促しておりました。
 この制裁措置ですが、今でいうなら北朝鮮やイランに対して行われていたものに近いです。通商を制限することによって改革を促すものであって、これを実行するには国際社会が一致団結して多少の不利益を覚悟してでも貿易をやめなければいけないわけですが、仮に抜け駆けをするところが現れようものならその効果が薄まることは言うまでもありません。日本だって、北朝鮮に今貿易制裁を課しておりますが中国が北朝鮮に物資を流しているのを見たらあまりいい気分しないでしょう。

 ここで「名誉白人」という言葉について説明しますが、この言葉はアパルトヘイト政策を敷く南アが、「有色人種であるけれども白人と同等の権利を有して差別対象にはしない」と認定した民族、国民に与えられる名称でした。対象となったのはアメリカ出身の黒人とか白人も食べにくるような中華料理店を運営する華僑などでしたが、実は日本人もこの名誉白人に数えられていました。一体何故日本人が名誉白人となったのかというと、ほとんどの先進国がアパルトヘイトへの非難から南アとの貿易を制限する中、一貫して活発に取引を続けたからです
 どうして日本人が他の国が手控える中で南アとの貿易を継続したのかというと、単純に旨味が大きかったからです。南アは希少な天然資源が豊富な国であるため本音ではほかの国も取引を続けたかったのでしょうがそれを我慢してまでアパルトヘイトを批判していた中、日本は全くそんな事情も気にせずにアパルトヘイトを継続する政府を支援するかのように貿易を継続して、いわば独占的に儲けていました。そんなことをやっていた日本人がマンデラ氏が死去するや彼は立派な人物であったなどと報じるのを見るにつけ、彼と対立していた昔の南ア政府とずぶずぶの関係だった連中が何を言うかと、皮肉めいた感情を覚えていたのは自分しかいないのかとちょっとイライラしていました。

 ちょこっと今回の記事を書くに当たって検索をかけてみると琉球新報はちゃんとこの事実について触れており、私もなんだか安心しました。何もどっかの国の大統領みたいに未来永劫に謝罪し続けろとこの件に関して私は主張するつもりは毛頭ありませんが、まだそんな遠い昔の話でもないんだし、マンデラ氏が亡くなられたという一つの契機でもあるのだし、この「名誉白人」であったことに触れてこの事実を認識しておいてもらいたいというのが私の本音です。逆を言えばこの事実ついて触れずに置きながらマンデラ氏を讃えるのは、些か言い過ぎかもしれませんが冒涜に近いようにすら思えます。

 我ながらこういう事をやかましく言うようになって自分も年寄りくさくなったなという気がします。もっともアパルトヘイトが行われていた時代は幼児だった癖にとも思えますが、自分が最初に就職した会社で貿易部門にいた頃、上司が「俺たちは名誉白人だからな」などと皮肉めいて言っていた当たり、貿易関係者の間では広く認識されていた事実だったのだなと感じていたのでこうして書くに至りました。

2014年2月1日土曜日

茶道具を購入

 昨夜はこのところ行っていなかったので仕事が終わったら定時ですぐ帰り、晩飯食べて漫画喫茶に行こうと思ってたら、やけに緊急の仕事が振られて帰宅が通常よりやや遅れて帰りました。にもかかわらずなじみの喫茶店でカレー食べて漫画喫茶へ突入したわけですが、そこで時間が余ったので新規開拓とばかりに「へうげもの」という漫画を手に取って読んでみました。ちなみに、ついでに読んだ漫画は「デスレス」と「ギャンブルフィッシュ」と「悪の華」。
 話は「へうげもの」についてですが、戦国時代の茶人であり利休七哲の一人である古田織部を主人公にした作品で、物欲のままに行動する主人公の姿はなかなか痛快です。話題作だから前から気になっていたもののなかなか手に取らなかったのですが、今回読んでみて売れるだけある作品だと私も太鼓判を押します。

 それでこの作品に影響されたというか、物凄く茶道具が欲しくなりました。元々、以前から茶碗やティーカップを集めることが好きでしょっちゅう買いあさっていたのですが、今の家に引っ越してからは物がかさばると大変だなどと考えて急須すら持たず、お茶もティーパックで済ます毎日です。しかし「へうげもの」を読んで久々に急須などをそろえてお茶を飲みたいと猛烈に願い、早速次の日である今日になって靴底がはがれたのでホームセンター(島忠)に安全靴を買い替えに行くとともに、伊勢丹に行っていい道具はないかと探しに行ったわけでした。


 そんなこんだで買ってきたのが上の二品です。当初は急須のみ買うつもりでしたが、右の茶碗がセールで1300円だったのでついでに大人買いしちゃいました。なお急須の方は2700円で、自分のことを「花園君の考えは乱暴すぎるんだよ」と先週言い放った友人からすれば、「急須にこれだけの金額をかけるなんて花園君の金銭感覚はおかしい」と指摘してくれることでしょう。ついでに書くとその友人は学生時代、「100g100円以上の肉は買わない」と言い放つほど価格にシビアでした。



 斜め上からの角度で撮った写真です。見てもらえばわかるように急須の方は蓋がなかなかオシャレで、あと取っ手が平べったくて持ちやすいです。急須に限りませんが私や茶道具や食器に関しては表面が波打ってたり、ざらざらしている方が好きで、逆につるんとした白一色の物なんかはあまり好みじゃありません。



 こちらは茶碗ですが、満を持して私のブログで大きさ比較をする際に出現する阿修羅像フィギュアに登場してもらいました。こうして並べると大きさがわかりやすい……なんてことはないでしょう。



 折角だから入れてみた。



 上の構図をアップしたもの。っていうかこんなことしてたら阿修羅観音に呪われても何も文句言えないし、そもそもなんでこんなことしようとするのか自分のセンスを時々疑う。



 続いて急須との比較。黒い茶器を二つもかと少し思いましたが、蓋の染付が明るいからまぁありかな。それにしても自分のデジカメは阿修羅像ばかり写してて、付喪神がついたらなんか怒られる気がする。付喪神がつく以前に阿修羅観音に怒られそうだけど。



 蓋の裏を取ってみた写真。右下に茶葉のかけらがついているのは観なかったことにしてください。



 実際にお茶を入れた状態での撮影。黒色茶碗に対してなかなかいい深緑色が映えてます。ここだけの話、湯飲みなどではなくこうした大きな茶碗で飲むとなかなかお茶もおいしく感じられるし、こういう事に興味がない人でも一回くらいは大きな茶碗で飲んでみて、出来ることなら一つくらい持っておくことをお勧めします。
 最後に私が茶碗など食器を選ぶ際のポイントとしていることとして、先ほど述べたように外観がざらざらした感じであることと、使い古した後でどんな風になるのかを想像しています。新品の状態ではよくても使い古して茶渋などがつくと外観ってのはやっぱり変わってしまうものですが、いい茶碗などは逆に渋さが増すこともあり、また使い古した姿でも美を感じられそうだと思えたらなかなかに買いじゃないでしょうか。

 それにしても今回品物を見ている時に鉄器もあったのですが、一個くらいはああいう急須も欲しいです。ここだけの話というか実は南部鉄器を愛好する中国人は多く、私の知り合いの中国人もわざわざ取り寄せて購入していました。
 あとこれは中国製と比べてですが、鉄器に限らずとも日本の陶器は優れている上に価格も安く、これだけいい品が溢れているのだからもっと日本人はこういう茶器を購入するべきだと思います。中国も陶芸が盛んな国ですが、意外や意外にあまりいい品が市場に出回っておらず、日用品としての湯飲みも絵付けから焼きまでそれほどいいレベルになく、日本の100円ショップで売っているものにすら劣っているように見えるくらいです。つうか日本はもっと茶道を海外に普及させて、こういう茶器の輸出を増やすべきなんじゃないかな。

橋下大阪市長の辞任、再出馬宣言について

橋下氏、出直し市長選表明 維新役職辞任も示唆(産経新聞)

 テレビニュースなどの報道などでもう皆さんも知っておいでかと思いますが、維新の会の代表でもあり著名人である橋下大阪市長が本日、突然の辞任と共に次の市長選挙に再出馬することを発表しました。私の意見を先に述べると、かまってちゃんもいい所だなぁというのが本音です。

 上記の産経の記事、ならびにテレビニュースなどの報道によると、橋下市長は今回の辞任理由を自身が進める大阪都構想について民意を問うためとしており、さらにそうする理由として公明党が政策協定で反対したためだと名指しで批判しております。細かい議論などは見ていないためまだ何とも言えない部分もありますが、仮にこの通りだとすると公明党のせいで出直しをするんだと言っているようにしか見えません。言ってしまえば公明党との話し合いや協議を放棄しているようにも見えるし、民意を問うったってわざわざ辞任して市長選にまでする必要はないように思えます。

 となると何か別の腹があるのではと見てみましたが、差し当たって自分が勘付いたのは選挙日程と任期です。この辺は時事通信の記者も同じように考えたのか知りませんがきちんと記事に載せてくれており、「橋下氏が出直し選で再選された場合、任期は残りの2015年12月まで」だそうで、出直し選で当選しても変わらないようです。
 仮に任期が次の衆議院選挙直前に合わせられているのなら国政出馬を睨んでの行動だと読めるのですが、元々の任期で変わらないのであればこの線は薄いです。となると今回の辞任は本当に公明党への八つ当たりと共に選挙で圧勝することによって自分は民意を得ているという大義名分を得たいがためだけの再出馬と考えるべきなのかもしれません。

 私個人の意見は先ほどにも述べた通りに今回の橋下氏の行動はあまり評価できず、大義のためというより小義のため、話し合いや調整などといった努力を放棄して自分が有権者から評価を得ているということを再確認したいがための行動にしか見えません。恐らくというか有権者の目にもそう映るでしょうし、維新の会を含めた支持率も今回の辞任によってこれまで以上に下がると予想します。
 では次の大阪市長選はどうなるのか。残念というべきか対抗馬があまりにもいないために現状では7割方の確率で橋下氏が再選されるでしょう。私個人としては橋下氏は破壊型の政治家であって創造型でないことはこれまでの施政を見る限り明らかで、もう長く大阪に居座ってやるべきことはやり終わって出来ることはもう何もないと見ているのでそろそろ降りてもらいたいところですが、いい候補者がほかに出ない限りはまたやっちゃうんだろうねと残念な気持ちでいっぱいです。細かいところを突っつくと、あの「あべのハルカス」の工事を不許可、または中断させられなかっただけでもその能力を疑いますが。

 なら誰なら橋下氏を破って市長選に勝てるかですが、東国原氏ではまず負けるでしょうし、ほかの有名所も東京都知事選(これの日程は辞任発表時期に影響したかも)に出ていてちょっと人手不足というか日本は本当に政治家が少ない国だと思えてなりません。もし本気でやるっていうのならやっぱり現職の国会議員を議員辞職させてぶつけるくらいしかなく、小泉進二郎氏だったら8割方勝てるような気がします。もっともそんな都落ちみたいなことを誰がするかってんだけど。

 ただ三年くらい前と比べて橋下氏も、維新の会も随分と支持を失ったなぁとしみじみ思います。致命的だったのは去年の今頃に出てきた、従軍慰安婦に関して米国をも批判した橋下氏の妙な発言でしょうが、それ以前にも公募した大阪区長が相次いで問題を起こして辞任するなど勢力の急拡大を測って自滅した節があります。彼らの失敗理由を指摘すると「焦り」と「人を見る目のなさ」の二点につき、何もこの業界に限らなくても日本に不足しているのは人材ではなく伯楽だなということを最後のまとめにしようかと思います。

2014年1月30日木曜日

「極黒のブリュンヒルデ」のアニメ化について



 また趣味の話で申し訳ないのですが、私が以前から熱読している「極黒(ごっこく)のブリュンヒルデ」という漫画が四月からアニメ化するそうです。以前にも紹介した「シドニアの騎士」といい、なんか今年の四月は面白そうなアニメが一気に放映されるなぁ。

 ちょうどいい機会なのでこの「極黒のブリュンヒルデ」という漫画、というより作者の岡本倫氏について自分の所感を述べると、漫画家など芸術家には変わり者が多いとよく言われますが、実存する人物に対して非常に失礼極まりないことを言うと、本当の意味で頭がおかしい人っていうのはきっとこの人なんだろうなどと前から思っています。
 岡本氏の代表作となるとデビュー作でもある「エルフェンリート」という漫画で、この漫画はかわいらしい女の子の絵柄が表紙であるため一見すると萌えマンガにしか見えませんが、その内容は下手なスプラッター映画よりも激しい残虐描写に満ち溢れていて、連載中は「萌えマンガの皮を被ったトラウマ本」とまで言われたほどです。そういう特殊な嗜好性が海外だと妙に受けるというかこの漫画は主にアメリカで大ヒットしており、岡本氏も「シドニアの騎士」の弐瓶勉氏同様に日本国内よりも海外の方が評価が高い珍しい漫画家です。

 話は「ブリュンヒルデ」に戻りますが、岡本氏はこの作品の前に「ノノノノ」という今でこそ旬の女子(男装)のスキージャンプ漫画を描いていてこれもまた非常に面白かったのですが敢え無く打ち切りに遭ってしまいました。その際にどうも知り合いに岡本氏は、「お前が求められているのはエルフェンリートの様な漫画だ」と言われたそうで、原点回帰とばかりにこの「ブリュンヒルデ」を書き始めたと述べています。
 原点回帰というだけあって、「萌えマンガの皮を被った究極のスプラッター」は見事なまでに復活しています。冗談抜きでそういう描写が苦手な人にはこの漫画は一切薦められないのですが、具体的にどれくらいスプラッターなのかというと大体単行本一冊当たりにつき上半身と下半身が分断される人間が一人や二人出てきます。冗談かと思われますがこれはマジです。

 ではストーリーはどうかというと、簡単にあらすじを述べると高校男子である主人公のクラスにある日、幼い時に死んだ幼馴染によく似た女の子が転校してくるのですが、その子は自分は魔女であり超常現象じみた能力を用いることが出来ると話して実際にその力を主人公の目の前で見せます。これだけならよくある展開ですがこの辺はさすが岡本氏というべきか、ヒロインら魔女は鎮死剤という薬を一日一回飲まないと全身から血が噴き出しバラバラになって死ぬという、どうしてそう平然と残酷な設定を用いてくるのか理解の範疇を軽く越えてきます。こうした設定に限らなくても以前から岡本氏は普通の人間じゃ有り得ないとしか思えない展開を平然と打ち出してくることが多く、この「ブリュンヒルデ」でも「あれっ?」て思ったら重要そうな登場人物がさくっと死ぬことが多いです。

 この辺が岡本氏が異常だなぁと一番に思う点なのですが、自分がこの人の漫画を読んでいてよく感じるのは残虐描写に対して全く呵責なく描かれているように見えます。言ってしまえば「エルフェンリート」や「ブリュンヒルデ」などよりも残虐な漫画は世の中いくらでもあります。しかしそれらの漫画と岡本氏の漫画で決定的に違うのは、どの漫画も残虐なシーンをなるべく際立たせるように、読者にショックを与えるように何かしら作者の意図が込められて描かれているのに対し、岡本氏は「よくあるシーン」のような具合で1コマにポンとそういうシーンを何気なく投入してきます。言いづらいのですが敢えて表現すると、そういうシーンを載せるのにためらいがないというかなんとも思っていないとしか思えない展開が多く、同様に漫画の中の登場人物に対して生かそうが殺そうがどうでもいいような、まるで感情がなく淡々とストーリーを展開している風によく感じます。もっとも主要キャラは何があっても死なないというところがあるだけまだ人間味が感じられますが……。

 さっきから岡本氏のことを一体なんだと思っているのかと言わんばかりの評論を書いておりますが、これは言い方の問題であって私自身は岡本氏を当代でも稀有な漫画家だと考えており、弐瓶勉氏と並んで最大限に高く評価しております。ただその才能は漫画というよりはストーリー原作者としての方が高く、いくつか原作のみ参加した漫画もありますがそのどれもが「岡本倫節」というような、見ていてゾッとするようなセリフと展開のオンパレードでした。
 なおデビュー作の「エルフェンリート」はストーリーはいいが絵に難があるとよく言われていましたが、現在においてはややキャラクターの描き分けが上手でないものの昔と比べたら劇的に向上しており、運が良ければ「ブリュンヒルデ」は「エルフェンリート」より売れるんじゃないかとみています。本音を言えばその前の「ノノノノ」が売れてアニメ化もしてほしかったのですが。

2014年1月29日水曜日

東京都知事選の得票順位予想

 昨日はまた更新をさぼりましたが、「企業居点」の作業を優先しただけであって書くネタがなかったわけじゃありません。それよりもこのところは書かなきゃならないネタが多すぎて書ききれない状況が続いており、次の土日にでも一気に放出しようかなぁ。つっても、このところ企業居点の作業と日々の勤務で左手を固定した状態で使うことが多すぎるせいか、朝起きるとリアルに左手だけ神経痛を覚えるから無理しない方がいいんだけど。

 話は本題に入りますが、選挙戦が繰り広げられている次回東京都知事選で得票順位の予想が出来たので、余計なことをガタガタ言わず早速主要四候補に対する私の予想順位を披露します。

1位 舛添氏
2位 細川
位 田母神氏
位 宇都宮

 結論から述べると舛添氏が当選すると見てほぼ間違いないでしょう。根拠としては主要候補の中で舛添氏が厚生大臣時代など豊富な施政経験を持つことに加え政策論が無難というかオリンピック対応など過不足なく揃っているからです。逆に言うなら、ほかの候補者は強みという部分以上に弱みというか問題点が多すぎるからです。

 一人一人特徴を述べていくとまず細川氏については応援に小泉氏が就いたことからどうなるものかと少し慎重になりましたが、先週に開かれた記者会見を見て悪い意味でこの人は変わってないことに気が付きホッとしました。前の記事にも述べましたが細川氏は敢えて言うなら劣化ルーピーこと鳩山由紀夫元総理と下位互換バージョンに近く、具体的な手段なく理想論ばかり主張する傾向にあるため幅広い……と言わなくても一定の支持も得られないのではないかと私は見ます。
 仮に鳩山元総理の出現前ならまだしも、一度あれを見ている日本人からすると同じような臭いのする人物にはさすがに警戒が強くなるでしょう。とはいえ知名度は依然と高く、メディアも「舛添VS細川」という筋立てで報じることが多いためなんとなく二位に来ちゃうんじゃないかというのが結論です。

 続いて三位の田母神氏ですが、右派系の団体からの支持が厚いことと理念はともかくとして主張する政策内容は細川氏、宇都宮氏に対してまだ無難であることから三位予想となりました。当初は細川氏を抜いて二位になるかなとも考えたのですが、やはり知名度の差は覆りづらいことと先程にも述べたようにマスコミが対立構造を煽っているので抜けきらないところに落ち着きました。

 最後に宇都宮氏ですが、非常にきわどいことを書くとこの方は年を取ってから変な権力欲に目覚めちゃったのかなと失望する気持ちでいっぱいです。宇都宮氏は宮部みゆき氏の小説「火車」に出てくる多重債権者救済を専門とする弁護士のモデルとなるなど、この方面においては右に出るものがないほど悪戦苦闘してきた人物だと聞いておりました。しかし前回の都知事選にも出馬しておりますが話を聞いていても「この人じゃなければならない」と思わせるような独自性の強い政策案は全くと言っていいほどありません。むしろほかの候補と主張する内容が被っていることが多く、だったら別の人に任せればいいのではという気分にもさせられるくらいです。
 では何故宇都宮氏は都知事になろうと出馬するのか、はっきり言えば彼の権力欲から来る道楽行為にしか私には見えません。権力欲から来る行為を否定するつもりは全く有りませんが、宇都宮市の場合は明らかに晩節を汚すような選挙の仕方で、なおかつ支持層に共産党を囲っているあたり、共産党には失礼だけれども負けること前提でやっているようにも見えます。こういうあたりを有権者はちゃんと見抜くのではないかと思い、主要候補で最低順位になると私も予想したわけです。

 最後に主要候補全体を見て思うことですが、どうして年寄りばかりこう出馬するのかなという風にげんなりさせられます。都知事であれば私としては40代くらいの人がやるのがいい塩梅じゃないかと思うのですが日本だと政治キャリアが積み辛いこともあり、70を越えた爺さんがこうして選挙に出ているのを見るとつくづくもったいない気がしてなりません。
 もっとも維新の会が公募した大阪市内の区長がことごとく問題起こして辞職しているのを見ると、若いからっていいわけでもないなと私ですら感じてきます。まぁこれは年齢以前に維新の会における審査基準に問題があったからかもしれませんが。

2014年1月27日月曜日

八甲田山の悪夢

 このブログを日常的に呼んでいる人なら周知の事実ですが私は極端に寒さに強く、記憶する限り過去四年間で一度もダウンジャケットに袖を通したことがありません。それどころかコートもこの前正装しなきゃいけない時に一回着ましたがそれ以外だとほぼ皆無で、出勤時はパーカー一枚、オフの日はGジャン一枚で元気に走り回ってます。北京でも冗談抜きでGジャン一枚だったし。
 ただそんな自分でも昨日今日の寒さは非常に堪え、直前に気温が上がった反動もあるでしょうが珍しいことに参ってます。個人的な印象ですが寒くなる前に全国各地で雨が降ったことから湿気が増したことから心なしか風が重たく、乾燥している時期に比べて冷たいように思えます。北京なんか空気乾燥しているから気温は氷点下マイナス十度でも日によっては東京より寒くないし。

 このように寒い時期が続くとついつい「寒くてつらいなぁ」などと独り言も出てくるのですがその際に、八甲田山に比べれば」という言葉が同時に浮かんできます。ある程度年齢の高い世代なら何のことか言うまでもないでしょうが私より下の世代は何のことかちんぷんかんぷんでしょうし、今日はひとつ気合入れて日本の冬山遭難史上で最大最悪の事件である八甲田山の雪中行軍遭難事件を紹介しようと思います。

八甲田雪中行軍遭難事件(Wikipedia)

 この事件が起きたのは明治時代、日露戦争を控えた1902年で、結果から話すと遭難した陸軍兵士210人中で生き残って救助されたのはわずか11人(うち6人は救出後すぐ死亡)。生存率はわずか5.2%という凄惨な遭難事件となりました。

 事件の経緯を話すと、当時の日本陸軍内部ではロシアとの戦争が間近であるとの観測から戦場となる寒冷地での訓練の必要性が高まっており、各地で戦術研究を兼ねた訓練が実施されておりました。そうした訓練の一環として、事件の舞台となった八甲田山で冬山での行軍や輸送訓練を計画されたわけです。
 この訓練には青森歩兵第5連隊(210人)と弘前歩兵第31連隊(37人)の二部隊が参加することとなり、このうち遭難することとなったのは青森歩兵第5連隊です。両部隊はそれぞれ別ルートから冬の八甲田山に入って目的とする駐屯地への移動を計画したのですが、映画や小説などと事実は異なり両部隊とも計画や日程の擦り合わせなどは行っておらず、お互いの部隊の存在すら知らなかったそうです。

 話は遭難した青森歩兵第5連隊を中心に進めます。こちらの部隊ではそれ以前からも寒冷地訓練は幾度か行っていたものの本格的な冬山登山の経験はほとんどなく、また以前から訓練を実施してきた指揮官が休養のため離れ、代わりにほとんど経験のなかった神成文吉大尉が訓練中の部隊を率いることとなりました。

 このように訓練前から非常に危なっかしい出だしと言わざるを得なかったのですが、これに拍車をかけたのは天候の急変です。実際の訓練開始前、登山ルートの確認のために数名が登山を行ったのですがこの時の天気は晴天で、特に大きな問題もなく移動を完了したことから部隊間では行軍訓練に対して初めから楽観視されていたと言われます。そうした見方は装備からも見て取れて、大半の兵士は毛糸の外套を着るほかは特別な防寒装備もなく、手袋に関しても軍手程度だったそうです。靴に至っては当時としては珍しいゴム靴などただ一人を除いて持っておらず、革製の軍靴で冬山登山に臨むくらいでした。
 このような無謀と言ってもいい装備で臨んだ訓練当日は猛烈な寒気が周辺地域を多い、地域住民も訓練に臨もうとする部隊に対して決して山に入ってはならないと警告したそうです。それもそのはずというかウィキペディアによるとその日は日本各地で観測史上最低気温を記録するという、歴史上かつてないほど寒い日で、一説によると気温はマイナス20度、吹雪による体感温度はマイナス50度にまで達していたと言われています。このような気候にもかかわらず部隊は当初の計画通りに山へと入り、悪夢のような遭難へと突き進むこととなります。

 遭難一日目。部隊は山に入るや深い雪によってすぐに行軍が困難となり、そりでの移動が難しいと判断したことから食料や燃料といった物資を各兵士がそれぞれ手に持ち移動を始めます。しかし猛吹雪からすぐに前後不覚に陥り、帰路すらままならないことから当日は雪濠こと雪の中に穴を掘って露営することとなりました。
 遭難二日目。部隊の指揮官らはあまりの天候の悪さから訓練を中止してやってきた道を引き返すことを決断したものの、ここが運命の分かれ道となってしまうのですが夜中の二時から行軍を開始してしまいます。何故こんな時間に動き出したのかというと既に凍傷などで動けなくなる兵士が続出しており、急いで山を下り治療を受けさせなければと焦りがあったためだと言われていますが、結果的にまだ日も明けきらぬ暗い時間に動き出したことによって完全に道に迷ってしまい、出口のない遭難へと突き進むこととなってしまったわけです。

 この二日目の迷走について詳細は省きますが、道がわからない中で真偽の取れない情報が錯綜し、不眠不休で絶食していたことからこの日から凍死する兵士も現れて部隊の統制すらままならない状況となったそうです。結局右に左に無為に動いて体力を消耗しただけで最初の露営地からほとんど移動できず、この日も再び露営することとなります。三日目の朝までに部隊の三分の一に当たる約70人が行方不明、または凍死しており、想像するにつけ恐ろしい状況と言わざるを得ません。

 そうして明けた三日目。この日も天候は回復しなかったものの帰路を探して生き残った兵士らは行軍を開始しましたが、途中で断崖に突き当たったところで指揮官の神成大尉が、「天は我々を見放した」と述べた上で、生き残っている兵士らにここで部隊を解散するので各自で帰路を探しだすようにと伝えるに至ります。この解散命令によってそれまで保っていた兵士たちの緊張感というか意識が切れてしまい、生き残った方の証言によると突然裸になって凍死するものや崖下や川に飛び込むなど発狂する人間が一斉に現れたとのことです。
 このあと部隊は神成大尉、またはゴム靴をたまたま持ってきて履いていた倉石大尉らなど主だった指揮官のグループごとに分かれて帰路を目指したのですが、このうち神成大尉のグループにいた後藤伍長が遭難から五日目、いつまでたっても中継地に現れない部隊を心配して出されていた捜索隊に見つかったことによって遭難していたことがようやくわかります。なお後藤伍長は発見された際、雪の中で直立したまま何事かを一人でしゃべっていたほど意識があいまいだったそうですが、救助の甲斐あってこの遭難における生存者の一人となっております。

 後藤伍長の発見後、正式に救助隊が組まれて生存者の救出へ軍や地域住民は動くわけですが、天候は依然として悪いままで救助隊の中でも凍傷になる人間が後を絶たず二次被害が深刻だったそうです。また息のある生存者を見つけても皮膚すら凍っている有様で、治療のために注射しようとしたら針が折れたとの信じられないような話すらあります。そして山の中に置き去りにされた遺体はほぼ例外なく凍っており、無理にでも雪から引き出そうとしたら関節から文字通りポキリと折れることもあり、慎重に周囲の雪を掘りすすめていかなければならないために作業は難航したそうです。
 またこれは遭難中のエピソードですが、みな意識の限界ともいうべき境地にあってふとしたことをきっかけに発狂することが後を絶たなかったそうです。そのためあるグループでは奇声が挙がったらラッパ係にラッパを吹かせてその音によって意識を保っていたものの、極寒の環境からそのラッパ係の唇がラッパに張り付き、そのままはがれてしまったという話も聞きます。

 どれもこれも人の想像力を超えるほどの状況というべきか、この遭難事件は絶望的な状況というよりほかなく、これより何を以って表現すればいいのかわからないほど恐ろしい事件だったと言わざるを得ません。最終的に救出された生存者は最初に述べた通りに11人で、救出後すぐに亡くなった6人を除くとわずか5人しか八甲田山から生きて出ることが叶いませんでした。部隊を指揮した神成大尉は発見時は息があったものの山の中ですぐに亡くなりますが、もう一人のグループを率いた倉石大尉は崖穴の中に避難しながら移動していたところを遭難九日目に救助され、無事に生還を果たしております。
 なお生存者はみな凍傷によってほぼ全員が四肢のいずれか、または全部を切断することとなるのですが、不思議というか奇妙というか、この倉石大尉のみが五体満足な状態で救助されてその後軍隊に復帰しております。倉石大尉は士官であったことから兵卒に比べて装備が充実していたことと、たまたま私物としてゴム靴を持って履いていたことなどが大きかったとも言われていますが、それ以上にこの人自身の体力が図抜けていたことが大きいのではないかと私は見ております。
 しかし人の運命というものはわからないもので、この倉石大尉はこの遭難から三年後、日露戦争中の戦闘で戦死することとなります。それこそ、天は何故彼を二度も死地へと誘ったのかと、いたためれない気持ちにさせられます。

 この遭難事件は作家の新田次郎によって小説にされ、それが高倉健氏の主演で映画化されたのが「八甲田山」です。この映画は多いに当たったことから当時の世代に幅広く事件が知れ渡ったものの、逆にこの映画を見ていない自分くらいの世代は事件そのものもあまり知らないのではないかと思い、ちょっと書いてみる気になりました。
 最後にちょっとした豆知識ですが、この映画で神成大尉をモデルにしたキャラを演じたのは役者の北大路欣也氏で、先程の「天は我々を見放した」という彼のセリフは当時の流行語となったそうです。そんなエピソードをCMプランナーはしっかり把握していたということか、例のソフトバンクのテレビコマーシャルで北大路氏が声優をしている白い犬のお父さんが何故か冬山に昇る回があり、その時のBGMになんと先程の映画「八甲田山」のBGMが使われたそうです。こんなマニアックなつながりなんて誰もわからんだろうにと思いつつも、きちんと実行してくる辺りは感服させられます。

2014年1月26日日曜日

深夜の決闘

 それは真冬のある夜、っていうか先週金曜の晩に起きた出来事でした。その日の夜、私はいつも通りブログを書き終えると布団に入って就寝へと入りましたが、時間にして恐らく夜中三時くらい、外から漏れ伝わる聞き慣れない音に目を覚ましました。

「アーオン、アーオン」
「ウーワオー」

 一体何なのだこの音はと寝ぼけた状態で神経を集中してみたところ、どうやら家の前で野良猫二匹が互いに威嚇し合っている声だということがわかりました。何でもってこんな夜中にと思いますが元々猫は夜行性なのだし、このくらいの時間にケンカと化するのかと思っていると、

「フギャッ、フギギギル、フォッ!」

 とばかりに、威嚇し合う段階からリアルファイトに発展したのか、互いに争う激しい鳴き声が続いて聞こえてきました。先程家の前と書きましたが私が今借りている部屋は一階にあり、窓をガラガラって開くとすぐに軒先へと出られるのですが、どうやらその軒先でケンカしているようですごくはっきりと鳴き声が聞こえてきました。正直に言って、はっきり目が覚めるくらいの大きな泣き声でした。

 とはいえそんな長々とケンカはしていないだろうと思ってそのまま布団に入ったまままた寝ようとしたのですが、何故か知らないけどやけに長期戦となり、体感時間にして約30分くらい二匹は争い合っていました。無論その間、こっちは全く眠れません。
 終いには「ガツンッ」っていう金属音まで聞こえてきたので、恐らく軒先に置いてある私の洗濯機にどっちかが体当たりをかましてたのだと思います。にしてもあんまり長く続くもんだから、たまたま冷凍庫に入っていたササミの切り身をレンジでチンしていい加減仲裁に行こうかなと思うくらいの長期戦でした。

 結局、普段から平日の睡眠時間は約5時間と極端に短いのですが、この日の晩は4時間弱とまた極端に短く終わって次の日はずっとぼーっとした状態で集中力を切らしながら過ごしました。ただうがった見方をすると、実は家の近くで野良猫が根城にしている元家具屋のビルが十年くらいの放置を経てようやく取り壊し工事が始まってきたこともあり、近隣で新たな縄張り争いが始まっているのかもしれません。こんな寒い真冬に根城を失い領土争いに出ざるを得ない野良猫を思うと猫の一生も大変だとつくづく感じ、人の一生が辛いだのなんだのそういう事は考えるべきじゃないなと最後に思った次第です。

2014年1月24日金曜日

3/16実施のHSK試験受験料割引のご案内

 私も何度か受験したことがある中国語の資格試験、HSK(漢語水平考試)で、受験料の割引を伴う受験者募集の告知依頼を受けたので、この場を使い簡単なご案内をさせていただきます。

 今回この募集を行っているのは日中間で学生交流などを行っている「日中学生会議」という学生団体で、次回3/16に実施されるHSK試験の受験をこの団体を通して1/25の23:59までに申し込むことによって、各級で10%の受験料の割引が受けられます。通常料金での申込期限は2/16までですが、割引が受けられる今回の募集は上記の通り1/25までと日程がタイトなので、迷っておられる方は早めに決断し、腹をくくって受験に臨みましょう。

  ~応募方法~
jcsc33rd@gmail.com題名に「HSK受験」、本文にお名前をご記入の上ご連絡下さい。返信にて詳細と申込フォームをお送り致します。

  ~申込期限~
1/25 23:59まで

  ~各級の受験料と割引額~
(通常申込みでの受験料→割引での受験料)
6級:8500円→7650円
5級:7500円→6750円
4級:6000円→5400円
3級:5000円→4500円
2級:4500円→4050円
1級:3500円→3150円

 最後に業務連絡ですが、明日より関西へ遠征に出かけるのでブログの更新をお休みします。余裕があればなんかの端末使って更新しますが、多分月曜まで更新はないと思いますのでご了解ください。

2014年1月22日水曜日

中国の新聞に載った日本のスポーツ漫画評論

 今日くらいは記事更新をさぼろうかなと思っていましたが、ちょっと紹介したい中国の記事があったので書くことにします。

日本のコミック・スポーツの相関性(人民日報日本語版)

 前は中国語のニュースサイトを見ていたのですがこのところ忙しく(パズドラで)て人民日報の日本語版に頼りっぱなしなのですが、今日出てたこの記事はいろんな意味で笑かされました。書かれている内容は日本のスポーツ漫画についてで、多種多様なジャンルで描かれているだけでなくどれも綿密な取材やプロ選手の観衆を受けていて完成度が高いと指摘し、これらのスポーツ漫画の中には各時代の少年少女に強い影響を与えてそのスポーツジャンルの興隆に一役を買っているなどと随分と持ち上げてくれています。

 書いていることは決して的外れではなくおかしくはないのですが、なんというべきか各スポーツジャンルで代表的な漫画タイトルが数多く載せられており、しかもそのどれもがやや古いというのが気になりました。たとえば引用すると、

『バスケットボールでは、「スラムダンク」のみならず、松田尚正の「HI5!」、藤井五成の「DRAGON JAM」、井上雄彦の「BUZZER BEATER」などが根強いファンに影響を与えた。』

 「スラムダンク」はわかるんだけど、ほかのタイトルはそれほどメジャーだったのかなというとちょっと疑問符つきます。ファンの方には申し訳ないけど「HI5!」と「DARGON JAM」はそもそもタイトルすら知りませんでした。っていうかバスケ漫画だったらこれも古いけど「DEAR BOYS」とか、今だったら「黒子のバスケ」を挙げるべきじゃないかな。
 ほかにもテニス漫画として挙げられているものだと、

『小島一将の「青空スタンバイ」、許斐剛の「テニスの王子様」、高橋陽一が描いた「翔の伝説」などのテニスコミックがつづく。』

 「テニスの王子様」はともかくとして、ほかの二つのタイトルは果たしていかがなものか。特に高橋陽一氏の「翔の伝説」はタイトルだけは知っているけど売れなくて「キャプテン翼」に回帰したっていうのに。
 これら以外にも格闘漫画として「拳児」とか「B・B」が出てきて、一読した私の感想というと、「この記事書いた奴絶対おっさんだろ!」というのが本音です。まぁここだけの話、石渡治氏の「B・B」は私も大好きでこの記事書いたおっさんは私と同じく「10cmの爆弾」を知っているとみて間違いないでしょう。

 なお記事では最後に中国ではこういったスポーツ漫画はほとんど存在しておらず、青少年への教育的意義を考えるとあまりいい状況ではないとして日本のスポーツ漫画、アニメを見習うべきみたいな感じでまとめられています。書いた奴はおっさんに間違いないとコナンばりの推理を披露した後で言うのもなんですが、確かにこういったスポーツ漫画は教育的価値は高く、またスポーツ振興において無視できない影響力があるため「中国にも!」という意見は非常にいい指摘のように思えます。

 記事中でも最初に触れられていますが、仮に「キャプテン翼」がなければ日本サッカーは今より十年くらい遅れていたかもしれません。中田英寿元選手くらいの世代などはまさにこの「キャプテン翼」を読んでサッカーを始めた人が多い世代で、この世代がオリンピックやWカップで活躍したことによってアジア屈指のサッカー国に日本はなれたのではないかとかねてから考えています。

 なんで「翔の伝説」をディスっておきながらこう「キャプテン翼」を持ち上げるのかというと、実は自分も今から約十年前に似たような記事というかコラムを書いているからです。当時の自分は高校生でしたが図書委員であまりにも活動してないからたまには仕事してやるかっていう妙な上から目線で図書館の司書に自ら直訴し、書評コラムを不定期に書いて全校に配布してました。そんなコラムの中に、「たまには教師とケンカしてみよう」などとこれまた妙なノリで確か「漫画は読書かこれ如何に」っていうタイトルで漫画を読むことは読書となるのかどうかというテーマで一本記事書いて、中学・高校(一貫校だった)の生徒全員にプリント一枚分のコラムを流したわけでした。

 そのコラムでは漫画を大量に読んでいる層は案外活字の本も読んでいる人が身の回りに多いと体験談を述べて、何も読まないよりかは漫画でも読んだ方がいいんじゃないかと書いた上で実際の活動につながる例として「キャプテン翼」を持ち出し、当時Wカップがやっていたので日本代表もこれ読んで始めた人が多いって感じでまとめてました。今思うと、こんなくだらないコラム書くくらいなら文化大革命について持論でも展開しとけばよかったかななどという気持ちがあります。

 最後にこうした自分のコラム執筆でしたが、結局一代で終わったというかその後には誰も続きませんでした。一応後継者を育てようと図書委員会内で書きたいと思う奴はいないのかと募った上で、もしやる気がある奴がいれば自分が文章の書き方を指導すると伝えたのですが誰も来ず、いろいろ支援してくれた司書の先生にちょっと申し訳なかった気持ちが今でも残ってます。
 ただ今も変わらず上から目線で述べると、ほかならぬ自分から文章指導をタダで受けられるチャンスがあったのにそれをみすみす見逃すなんて勿体ないことしやがってという風にも考えてます。それこそ原稿用紙100枚くらいを一瞬で書ける人間なんてそんなにいないんだから、もし見つけたら中学・高校生、何だったら大学生くらいならすぐに教えを請いた方が絶対得でしょう。っていうか、そういう存在が自分の中学時代に欲しかった……。

2014年1月21日火曜日

大河ドラマで見たい悪い奴ら

 年初から放送が始まったNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」を一応見ていますが、今のところは大きな展開もないためまだ評価はし切れないなとやや我慢するような感じです。それでも前の「八重の桜」よりかは脚本面でまだマシだと思えるので今後も見続けてみます。
 それで今回の主役である官兵衛こと黒田官兵衛ですが、各種の評論で「ややマイナーな人物なので視聴率が不安」等と書かれているのをよく見るのですが、「えっ、黒田官兵衛がマイナーなの!?」とこれら評論を読んで逆に私は驚きました。でも確かに歴史マニアで知らなかったらお話にならない人物ですが一般的にはそれほど知られていないし、今回の放送をきっかけにもっと知名度上がって黒田節とかも流行ればいいなとか内心思っています。

 しかしこういう大河ドラマの人選ですがメジャーどころはもう既に一度や二度は製作されているし、かといってマイナーすぎると返って人気が出なくなる恐れがあります。以前にもこのブログでこういう人物を取り上げてみたらどうだろうかという記事を書いてみましたが、今日ふと仕事中に「むしろ悪い奴らを取り上げてみたら面白くね( ゚∀゚)」なんて思いついたので、大河ドラマにしたら面白そうな悪い連中を今日はいくつか紹介しみます。

1、松永久秀
 知ってる人には説明の必要もないでしょうが、日本史上で悪い奴ナンバーワンと言ったら文句なしにこの松永久秀が確実に候補に挙がってくるでしょう。どんな悪いことをしたのかってそれこそ数えていたらきりがないのですが代表的なのだと東大寺大仏殿を燃やしたり、主家を乗っ取ったり、家中で暗殺しまわったり、農民をいじめたり、信長を裏切ったり(二回も)と、やれるだけのことをやったというよりやるだけやってしまったような悪い奴です
 しかし悪いことをしておきながらも戦争指揮はピカイチだし、当時の茶人としてはほぼ最高級の評価を得ているというのがミスマッチというか彼の不思議な魅力につながっています。しかも最後は茶釜に火薬しこんで自爆するというハリウッド映画さながらの幕切れだし、大河ドラマにしたらすごい面白くなる気がします。社会的影響はこの際無視しないといけないが。

2、宇喜多直家
 上述の松永久秀、斎藤道三と並んで戦国三大梟雄の一人である宇喜多直家ですが、この人に関してはガチで理性を持った精神異常だったんじゃないかと密かに考えています。どういう事をやったのか順を追って説明すると、自分の祖父が同僚である島村盛実に暗殺されたため父とともに放浪後、島村盛実と同じ主君に仕えてその主君にあることないこと吹きこみ島村盛実を謀反の疑いで始末させたことを皮切りに、家中でライバルとなる同僚を片っ端から暗殺してぐんぐん出世していった後に主君を裏切って独立、そして状況が悪くなるや一旦和睦した後でまた裏切るという鬼のような所業をなしています。
 実の弟からも「私の兄はサイコパス」みたいな証言されてますが自分の娘婿とかも出世のためには平気で暗殺しているだけに、弟君も気が気じゃなかったのでしょう。敢えて凝った言い方するとちょっと精神に異常をきたした人が変に才能を持っていると手に負えなくなる好例なので、これで大河ドラマをやったら火曜サスペンスもさながらの急展開の連続になるだろうな。

3、梶原景時
 リンクを貼るためウィキペディアのページを開いたらいきなり『「大悪人」と古くから評せられている』と表示され思わずニヤリ。彼の悪行はほぼすべて「チクリ」に集約されるのですが、このチクリよって謀反の疑いをかけられたのは源義経を筆頭に数知れず、ジャイアンにおけるスネ夫の様な活躍を鎌倉を舞台に実行しています。しかし最後はまたあることないこと吹きこもうとしたら不満を持たれていたみんなに一斉に糾弾され、追いやられて反乱起こして死ぬというまたまたドラマチックというか昼ドラみたいな終わり方です。

4、甘粕正彦
 細かい説明は省きますが、大杉事件に関して甘粕は現代においてほぼ冤罪であったということがほぼ確実視されていますが、満州帝国の闇の帝王だったというのは揺るがない事実です。実際には満州国建国前の方がえげつなく、特務工作員として麻薬ビジネスに関わったり、溥儀を拉致って来たりなどと007の悪役も真っ青なことを現実に実行しています。しかし全体的な人生で見るとまさに国家に翻弄されたともいうべき男で、私自身はその運命の流転ぶりに深く同情する一人です。なかなかドラマチックだし、日本史であまり扱われない満州帝国の建国から崩壊まで扱えるので、ドラマの題材には格好ではないかという気がします。

 以上、ざっと四人ほど悪い奴を挙げてみました。ただ今回の記事を準備するに当たってあれこれ人物候補を考えたのですが、いろいろ悪人を比較するにつけて日本って本当に小悪党しかおらず悪党のスケールが小さいという考えが段々強くなってきました。
 というのもお隣であり自分のホームグラウンドである中国では数十万人単位の虐殺が頻繁に起こったり、国家予算の半分くらいを横領したり、元主君とその一族全員を数百人単位で残虐な処刑方法で殺したりする人間がしょっちゅう出てきて、こう言ってはなんですが日本の悪党と比べると中国はあまりにもスケールが違いすぎます。今日挙げた松永久秀も中国の水準に照らすと「よくいる奴」レベルで、下手したら悪党として数えてもらえない可能性もあります。

 これをただ単に日本のスケールが小さいと見るべきか、中国が修羅の国とみるべきかは深い議論が必要となりそうです。

2014年1月20日月曜日

沖縄・名護市長選の結果と今後の展望

 今日いじめに関するニュースを昼休みに見ていたら、「クラス全員からハブにされてたのかな」という文章が浮かぶやクラスメイト全員から呪詛をかけられハブの姿に変えられる生徒の姿が思い浮かんで噴き出していました。多分働きすぎなんだと思います。

 そんな自分の明日はどっちだ的な話は置いといて本題に入りますが、皆さんも知っての通りでしょうが昨日に沖縄県普天間市にある米軍基地の移設先候補である名護市で市長選挙が実施され、移設反対派である現職の稲嶺氏が新人の末松氏を破り見事再選を果たしました。当選発表後の会見で稲嶺氏は改めて移設反対の意思を表明し、沖縄県や国からの埋め立てなどと言った工事申請を拒否する考えを示しました。

 まずメディア報道に苦言を呈しますが、新聞各社で言えば産経がつまらなそうに報じた一方で朝日や毎日が楽しそうに報じている辺りは予定調和な感じがします。読売は短く、最後に政府高官の話をのっけているからどっちかっていうと産経寄りかな。
 これらの報道でちょっと気になったのは、朝日や毎日系列各社が候補者の得票差が約4000票となったことをやけに強調している点です。「4000票も差がついた」と書くとさも大差であるような印象を覚え、実際にこう報じたところはそのように認識させようとこういう表現を取ってきたのでしょうが、候補者両者の得票数は稲嶺氏が1万9839票、末松氏が1万5684票で、大まかな比率にして20:16=5:4だから決して圧勝ではなかったように私には見えます。当選した稲嶺氏は前回選挙時より得票数は増えたそうですが、私としては末松氏が受かると移設が非常に現実的になる事を考えると割とアウェイだったんじゃないかと見ていて、それにも関わらずこれだけ票を取ってきたのは正直言って想定外でした。

 とはいえ、どれだけの差だろうと受かったのは稲嶺氏です。移設反対派の稲嶺氏が受かったことによって普天間基地移設のスケジュールに影響が出るという点については産経を含めてどのメディアも指摘しており、勢い上げる朝日や毎日は政府は民意をきちんと反映すべきだとしており、移設計画の修正にも踏み切るべきだと言わんばかりの主張が透けて見えます。対する産経は「名護市長選 辺野古移設ひるまず進め」という実に産経らしい見出しで社説を打ってきて、日米同盟への影響を懸念しつつ稲嶺氏に再考を促すという、まぁ産経らしい香ばしい記事を書いてきてます。

 ただ正直な感想を述べると、私の意見も産経に近いのが本音です。仮にまた移設計画を修正するとなると普天間における現在進行の問題は今後も続くわけだし、基地移設に当たって補助金など出すべきものは税金から出してもいいからどうか計画を受け入れてほしいと個人的な意見として述べます。
 もちろん移設される名護市民としては何故自分たちばかりが負担をという不満を感じるのは当然でしょうし名護市に住んでいない自分がえらそうに言うべきではないのかもという気持ちもありますがそれでも書くと、沖縄に米軍基地を置くのは防衛上、地理上からの観点からであって、これを変な感情や意志によって曲げることは藪蛇にしかならないと私は思います。また神奈川県横須賀市みたいに米軍基地があっても米軍と仲良くやっている都市もあるのだし、軍事上、外交上の課題解消を優先してどうか前向きに考えて欲しいという思いがあります。

 こうした個人的な意見を述べた上で今後の展望についてやっと書き始めますが、たとえ稲嶺氏がどれだけ抵抗した所でやはり移設は強行されるのではないかと見ています。大きな理由としては今現在で安倍政権は支持率も高く、また先日も中国がまた国産空母を計4艦建造しているというニュースが出るなど中国脅威論が現実化しており、メディアがどれだけキャンペーンを打っても全国的な反対運動には至らないのではないかと考えているからです。仮に沖縄県知事である仲井眞氏が移設反対であればまだ話は違いますが今の彼は賛成派に回っており、たとえ名護市がどれだけ手続き面で抵抗しても裏道的な法規解釈によって潰されるのがオチじゃないかと思います。そもそも、自分は日本が法治国家とはあまり思っていませんが。

 あとこれは先ほど自分が述べた個人的意見にもつながるのですが、今月24日からまた国会が召集されますが、この問題で野党民主党は与党自民党に対して何も意見を主張できないし、したところで失笑される結果を自ら招くだけでしょう。理由は言うまでもないですが民主党は鳩山政権時に何の代替策もなしに県外移設を掲げた挙句に結局辺野古へと意見を振替してこの問題で大きな混乱を招いており、米国はおろか沖縄県民からも信頼されているとは思えません。となるとこの問題で批判できる勢力っていうのは、共産党はするだろうけどいかんせん勢力が小さすぎるのもありほぼ皆無ってところです。
 稲嶺氏が移設に反対する理由を全く理解できない訳ではありませんが、じゃあどうするのか、普天間はこのままでいいのかという問いがもたげ、それであればと批判を受ける覚悟で私は辺野古移設に賛成の立場を取るわけです。

 もっとも、完全に蛇足でしょうがやはり言わなければならないと思うので主張しますが、そもそも普天間の米軍基地が出来た当初は基地周辺は更地で、後から住民が流入してきたと聞きます。そういった経緯で出来たこの問題に果たしてどれだけ労力を注がねばならないのかと思うと、力技で一気に問題を解決しようとする中国がたまにうらやましく思えます。

2014年1月19日日曜日

電子書籍コミックス、出版各社の戦略

 つい先週までアクセス数トップだった「奈良ドリームランドを偲ぶ」を追い抜き、いつの間にか「足利事件の真犯人について」が二位、「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」が一位に繰り上がってきました。二位についてはこの前小学生の女の子が行方不明になって公開捜査された影響が大きいと考えますが、一位の地下鉄サリン事件についてはどうやらまとめサイトでリンクを貼ってもらったことが原因のようです。ただこのところ地下鉄サリン事件に関する掲示板まとめ記事を数多く見て、これも恐らくは平田被告の裁判が始まった影響でしょうが、事件を知らない世代も増えていることからどういう事件だったのか興味を持つ人が増えている気がします。ちなみに自分の記事ですが改めて読んでみるとよくまとまっていて、まぁこれなら人に見せても恥ずかしくはないかなと勝手に考えてます。

 話は本題に、というかちょっと手のかかる内容なだけに休日じゃないと書けないと思って今日まで引き延ばしてきたのですが、このところあまり自慢できないNexus7で電子書籍を買う機会が増えています。と言っても買うのは全部コミックスこと漫画ですが、日本の出版業界事情は世界的にもやや特殊でこれら漫画がメインであることを考えると電子書籍業界の先行きを占う上で重要なカテゴリーであると私は考えます。そんな電子書籍の漫画ですが、冷静に分析してみてみると出版社ごとに性格があるというか戦略が分かれており、今日は各社が今現在でどのように販売しているのか、どんな戦略を持っているのかを私なりにまとめてみようと思います。
 先に今回の分析での前提を説明しておくと、私が電子書籍を購入しているのはAmazonのKindleなので、今回の分析も基本的にKindleでの販売方法というか価格を前提にしております。


1、集英社:発売時期をずらした上での割安な固定価格
 「少年ジャンプ」を擁する漫画界の王者こと集英社ですが、ここが一番特殊というかもっとも際立った販売の仕方をしております。それはどんな売り方なのかというと、集英社は少年漫画、青年漫画の区別なくほぼ全ての漫画で同じ売り方を展開しており、その売り方というのも実体書籍が発売されてから約3か月後に1冊368円で売るという手法です。
 実体書籍と電子書籍の発売時期をずらしているのは印刷会社への気兼ねでしょうが、販売価格をどの本も368円という固定価格にしているのは実に面白い取り組みです。固定価格せいなので割引率は発行媒体によって異なっており、少年ジャンプコミックスの実体書籍が420円に対しヤングジャンプコミックスの実体書籍が540円であることを考えると、青年コミックスの方が割安で購入できる計算となります。

2、秋田書店:同時発売で小幅な割引
 調べたサンプル数が少ないのでもしかしたら本によって違うかもしれませんが、ここはどうやら実体書籍と電子書籍を同日に発売した上で、電子書籍の方はやや値引いて売っているようです。今回調べたのは私も購入した「実は私は」のコミックスですが、実体書籍が440円に対し電子書籍だと400円(または399円)で買うことが出来ます。こうした売り方が出来るのも、後で説明しますが集英社同様に印刷会社にあまり気兼ねする必要のない出版社だからじゃないかと推理しています。

3、講談社:小幅割引はあっても発売日は書籍別にバラバラ
 価格に関してはたとえば実体書籍価格が450円の漫画だと420円と30円引きになっていることが多いです。しかし発売日は書籍ごとに完全にバラバラになっていると言ってもよく、人気作の「進撃の巨人」や「ダイヤのA」は実態書籍と電子書籍が同日に発売している一方、「七つの大罪」という漫画は電子書籍版の発売日が数ヶ月ずらされております。さらには「はじめの一歩」に関してはどうも新しい単行本は電子書籍化すらされていないようです、最初の方はしてるのにね。


 上記三社を今回のサンプルに選んで調べましたが、やはり特筆すべきは集英社でしょう。電子書籍版の割引率で言えば群を抜いており、またどの単行本も区別なく同じ売り方で売っているのは確信犯でやっているように思えます。
 この売り方で効果を発揮するのは、連載開始当初は読んでいなかったけど途中から読み始めて最初の方の単行本を買おうとする購買層でしょう。368円であれば古本価格にも十分対抗できる金額であり古本で買うくらいならスマホやタブレットなどで読めるんだしと、私自身がそうですが電子書籍版を買う人が少なくない気がします。こうした売り方が出来るのは先にも述べた通り、集英社は出版する書籍のうち漫画が大半を占め小説など文芸書が少ないことからほかの出版社と比べて意見力の強い印刷会社を気にせず、独自販売がしやすいためではないかと私は考えます。

 同様に秋田書店も印刷会社を気にしなくていいというか、そもそも少年チャンピオンの発行部数がジャンプやマガジンと比べて極端に低いことからも集英社同様に気兼ねすることがないためだと推察されます。秋田書店のコミックスだと実体書籍にこだわりがない場合は電子書籍で購入した方が価格といい携帯性といい有利な点が多く、また先にも述べた通りに少年チャンピオンはお世辞にも売れている漫画雑誌ではないため、人気漫画だけでも単行本をより多く売るためにこういう手法を取っているのではないかと思えます。「バキシリーズ」といい、なんか単独の作品がバカ売れする傾向が多いしなここは。

 最後の講談社ですが、こう言ってはなんですが中途半端な売り方に思えますが、これは印刷会社への気兼ねから実体書籍の売り上げを維持せざるを得ないためにこういうやり方になっているように見えます。ここは超人気作の「進撃の巨人」などはためらいなく電子書籍版を同時発売していますがそれ以外は大した割引もせず、発売日もずらしているので「だったら実体書籍で買った方がいいじゃん」ってな状況を作ってるようです。多分「進撃の巨人」なんかは電子書籍版を同時発売しても実体書籍も確実に売れるからこうできるのでしょうが、ほかの漫画なども同時発売されると印刷会社に文句とか言われる可能性があるため、こうなっているのではないかとこれで今日何度目だと言いたくなるくらいに勝手に推察します。
 あまり出版業界に詳しくはない(新聞業界のが詳しい)のですが、人づてに話を聞いているとどうも印刷会社に出版社は頭が上がらないそうです。なんでそんな印刷会社がえらそうなんだと色々腑に落ちない点も多いのですが、電子書籍が普及すると間違いなく大打撃を喰らうのは出版業界ではなく印刷業界なので、それこそ嫌がらせとかだってしてくるのも理解できなくはありません。

 話を本筋に戻しますが、売上げ的には集英社のやり方が一番うまく、でもって奇策的には秋田書店のやり方もうまいように思えます。秋田書店のやり方についてもう少し深く書くとこの方法なら最悪、漫画雑誌が売れなくて赤字になっても人気作を作ることにさえ成功できればそこそこ稼ぎ出すことも可能になり、かえって発行部数が少ない少年チャンピオンだからやれるやり方なのかもという風に見えます。私個人としては旧作についてはもう少し割り引いてもいいような気がしますが、同時発売に踏み切る出版社が今後増えることによって漫画業界も今後、売り方がいろいろ変わってくるんじゃないかと思う次第です。

 一旦書き終えた後で再び書き加えますが、これら漫画の電子書籍版販売において何を一番念頭に置かなければいけないのかというと、私は古本との競争ではないかと考えています。特に旧作などは価格も安いということでただでさえ古本に購買層が流れやすい現在の状況からすると、電子書籍を多少割り引いてでもこれらの購買層に買ってもらうという風に誘導することで単行本当たりの収益がかなり変わる気がします。このように考えるなら、集英社がやっぱり一番うまいのかな。

  おまけ
4:スクウェア・エニックス:発売日ずらした上で割引なし
 電子書籍版の漫画販売で一番ファッキンな所となるとここですかね。というのも「EIGHTH」って漫画を読み始めてみようかなと思い電子書籍を見てみたのですが、一切の割引なしのフルプライス売ってやがって、これならブックオフで古本を選んだ方がいいやとなって購入に至っていません。ついでに発売日を調べてみたら最新刊の11巻は同時発売ですがそれ以前の巻は電子書籍版がややずらされています。ただでさえ「鋼の錬金術師」が終わってから不安定なのに、こんなんじゃやってけないぞと言いつつ、頼むからもう少し割り引いてくれという希望を書き残して筆をおきます。

   追記(2014年4月15日)
  この記事中で集英社コミックスの電子書籍版の価格は「368円」に統一されていると紹介しましたが、今日たまたま確認してみたら旧作は「300円」に統一されていました。タイミングとしては今年4月の消費税増税のタイミングで価格改定をしたのかもしれませんが、値下げするならもっと早く下げてくれてればよかったのに(´;ω;`)

2014年1月18日土曜日

ソフトよりハードな日本人

 また日本人論かと自分でもなんだかうんざりしてきますが、そろそろ打ち止めになるのでどうかご容赦を。それに今日は自分のネタというより友人のだし。

 ちょうど先週の土曜日、モーニングの誘いを華麗にスルーした友人がディナーにしないと提案してきたので焼肉屋に行きましたが、どうも客が大挙してきていたのか、はたまたバイトの店員が足りていなかったのかリアルに怒号が飛び交う店内を堪能しました。そんな焼肉屋を出た後、「甘いものが食べたい」と女子高生みたいなねだり方する友人と今度はミスタードーナツに男二人で行ってきたのですが、そこで「最近の日本人は語彙力が乏しい。かつては様々なニックネームが横行したが近年はこれというニックネームがない」と私が主張し、かつて書いた「センスのいいニックネーム集~プロ野球選手編」で挙げたニックネームを紹介していったところ友人が、「あのさ、全然話が違うんだけどそのニックネームを聞いていてつくづく思うのは、日本じってんってハード思想なんだなってことなんだけど」とぽつりと言ってきました。

 その友人が反応したニックネームというのは元広島カープ投手である北別府氏の「精密機械」というニックネームなのですが、これ以外のニックネームも合わせてやたら機械や道具といったハードに即した物が多いと友人は考えたそうです。更には日本人が得意とする擬人化も、最近だと「艦これ」などが典型ですがハードをキャラクター化するのに長けているもののソフトウェアを元に取ることが少なく、ソフトよりハードにこだわる日本人の思想がこういうところにも出ていると指摘してくれました。

 ソフトよりハード、と言えば聞こえはいいのですがこれは裏返すとソフトを軽視しがちな日本人の欠点も出ております。私の目から見て日本人は過分にこの傾向があり、たとえば製品の開発においてもまずハードこと製品の物質そのものから構想を高め、ソフトからスタートして開発を進める例は多くないように思えます。対照的にアメリカ人はソフト思想が強く、たとえばアップル社などはそれ以前から存在していた携帯音楽プレイヤーに直接音楽をダウンロード購入するサービスを付加させることでi-Podを作り、また同様にそれ以前にノキアやRIM社が製造・販売していたスマートフォンに対してシンプルさとデザイン性を追求した自社OSを組み込んで売ってきたのが言わずとしれたi-Phoneです。どちらもハードとしての製品は既に他社で発売されていたにもかかわらずソフトウェアを新たに組み込むことで半端ない売上げを実現しており、彼らがソフトを重視するという姿勢がよく出ている好例でしょう。

 日本人のハード思想は何も開発現場だけでなく、先ほど述べたニックネームなど文化的な側面にも出ていますし、消費者の志向にも現れています。たとえば自動車会社のホームページを見てみると日本ではどのメーカー、車種でも亥の一番に燃費のカタログスペックが出てきます。お国柄もありますが中国の自動車サイトではこのように燃費が表示されることはほとんどなく、また燃費に限らなくても日本人は家電製品とかでやたらとカタログスペックを気にするという声も聞きます。その一方で私から見て思うのは、デザイン性に対して日本人は無関心すぎるというかなんか日本の製品を見ていると性能はいいんだけど置いておくにはちょっと考えさせられるデザインが多い気がします。

 では日本人はソフト思想が弱いのかですが、これについては私はそうではないと考えます。たとえば先ほどの擬人化の例だとボーカロイドの「初音ミク」はそのソフトの性能と共に世界中で高く評価されたキャラクターでありますし、単純にソフトウェアサービスでも「LINE」は海外を相手に健闘してくれています。
 にもかかわらず何故ハード思想が日本で幅を利かすのか、これはそのまま幅を利かすというかソフトウェア思想の強い人材が出てき辛い環境にあるのかなという気がします。私が言うまでもなく発想力の高いクリエイティブな人材はかねてより、そして近年はこれまで以上に社会で評価され辛くなっており、実際にはそこそこ価値を生み出せる人材はいるのに周囲から評価されなかったりして世に出て来れないというのが現状で、そうした環境が循環するかのようにハード思想特化の道をひた進んでいるというのが私の考えです。

 最後に今後の世界情勢と掛け合わせて話すと、ハード思想特化への道は不利であるよりほかない気がします。かつての高度経済成長期のように物資の少ない時代であればハード思想は大いに威力を発揮して世界で戦っていく上で有利さを持っておりましたが、現代は物が溢れそれら数多くある競争相手から如何にして目に見える差をつけるかが大きなカギとなっており、その差をつける材料こそサービスやデザイン性だと思えます。ソフト思想に転向しろとまでは言いませんが、日本人の強すぎるハード思想を少し緩めてソフト思想をちょっとでもいいから身に付けた方がいいよというのが今日の私の意見です。

2014年1月16日木曜日

自販機業界の便乗値上げについて(#゚Д゚) プンスコ!

 昨年末に書いた「自動販売機の設置台数規制の提案」の記事の中で私はキリンビバレッジ、もとい自販機業界関連企業を批判しましたが、これ以前からもこの業界には不信感を強く持っておりつい最近でも如何なものかと思う行動をとってきたので、賛同者よこのブログに集まれとばかりに私の思うことを書いていくことにします。

コカ・コーラグループが4月に自販機価格を一部値上げ 消費増税3%分の転嫁を調整(産経新聞)

 上記リンク先の記事は数日前に出されたもので読んでいる方もいるかもしれませんが、読んだ方の中にはいくらかの疑問を感じられたのではないでしょうか。記事の内容は見出し通りで今年4月に消費税を現行の5%から8%に引き上げることによって原価コストが上がるって言うで、コカ・コーラグループが自動販売機での飲料価格を引き上げるという内容です。どれくらい上げるかははっきり書かれていないものの、これ以前の記事などではスタンダードとされている120円から130円に引き上げるのではないかとみられています。

 何が納得いかないかっていうと、なんで3%の増税に対して約8%(120円→130円)くらい値段を引き上げるんだよって点です。そもそも消費税が導入される以前の自販機価格は1本100円で、それが消費税が3%で導入された際に110円となりました。この110円という価格は103円にするくらいならと理解できるのですが、何故か飲料業界は消費税が5%に引き上げられた際は120円(+9%)に一律して引き上げてきました。っていうか、3%から5%へ引き上げられた際は100円→103円→105円>110円なんだからそのまま110円でよかったんじゃないのと日本中の誰もが思ったことでしょう。

 私個人としてはメーカーや小売店は自由に価格を設定するべきだし、デフレの世の中だからこそ各社売れる商品についてはどんどん値上げを実施するべきだという立場を基本にしています。しかしこの自販機業界に関しては消費税増税にかこつけた値上げの仕方があざとく、価格に全く合理性が感じられないことから強い不信感を感じずにはいられません。

 なおかつこの業界で腹立たしいのは、これは先月の話ですが業界各社が揃って公開カルテルと称し、スーパーマーケットなど流通業界に対して消費税増税に伴う価格転嫁分をメーカーに負担させないように申し合わせている点です。確かにこのところの小売店はPBブランドなどいやらしいことしているなと私も思いますし、そうした動きに対して個別ではなく業界全体で抗議して要求をするというのは至極もっともな行動です。しかし片一方でほぼカルテル的に便乗値上げをしておきながら流通業界には価格転嫁を認めないと公開カルテルに出るなんて、自分たちに都合のいい主張ばかり唱えていて見ていて癇に障ります。はっきり言えば馬鹿抜かせアホってとこです。

 そもそも自販機関連では最初にリンクを載せた記事でも書いてあるように、キリンビバレッジ社は自社の社員をゾッとするような勤務体系で働かせて過労自殺に追い込んでおり、数メートル間隔で自販機を設置するもんだからその電気使用量など社会コストも決して低くありません。改めて主張しますがこのような他者を省みない連中は社会から排除されるべきで、それこそ私が前回主張したように自販機の設置台数を制限するなどして規制をかけるべきだと思います。
 基本、飲料なんて原価が本当にたかが知れており、どんだけ電気代払っても自販機を設置すればするほど利益が伸びるような商品です。しかしそうして使用される電気消費のコストは社会全体が一部負担することにもなり、またやたらあちこち自販機が立っていう日本の景観も決して美しくなく、多少の不便を確保しても消費者は自販機を減らすよう努力するべきではないでしょうか。私もこのような考えを実行に移すべく、飲料はなるべくコンビニなど小売店でこのところ買うようにして密かな抵抗を続けるつもりです。

 それにしても、こういう意見を言うのが自分だけっていうのはさびしいなぁ。でもってコンビニで買おうとする自分の行動もまたみみっちぃなぁ。買うのは決まって1.5リットルのコーラで、なんで中国みたいに2.5リットル売ってないんだよと文句ばっか言ってますが。

2014年1月15日水曜日

家族のつながり、遺伝子のつながり

 突然ですが高校時代の友人に「火星人」というあだ名の友人がおりました。名付け親は自分ですがそこそこ定着して普段から「火星人テスト何点だった?」という具合で読んでたので携帯電話のアドレス名もそのまま「火星」と登録しておいたら、大学のサークルの先輩が自分の着信履歴を盗み見て、「なんやお前、火星と交信しとったんか!?」とあらぬ疑いをかけられる羽目となりました。

 話は本題に入りますが今一番ヒートアップしている芸能界の話題ときたらAKB48の大島氏のいきなり卒業宣言よりも、元・光GENJIの大沢樹生氏の長男の血統を巡る騒動でしょう。詳細については説明するまでもないでしょうが、前妻との間の長男のDNAを鑑定した所親子関係がないという結果が出て、まぁその後はごたごたというか未だに何が本当なのかよくわからない状況が続いています。私個人の印象としては会見に出た大沢氏の嗚咽ぶりを見ると嘘をついているようには見えず、またスクープは大沢氏自らが公表した物ではなく週刊女性の報道に端を発する騒動であることを考えると嘘をつく必要もないんだしななどと考えています。

 先日に私は日本人の家族関係は非常に希薄だなどという記事を執筆しましたが、今回の大沢氏の騒動などのように仮に血を分けたと思っていた家族が実は違ったなどと言うのはやはり計り知れないショックを受ける出来事のように思えます。昨年にも生まれた直後に取り違えられて別々の家庭で育っていたという事件がありましたが、ショッキングとしか言いようがなくそれこそ本人でなければ分からない苦悩があったのではないかと推察します。
 そもそも論で話すと、リチャード・ドーキンス先生が言っているように人間を含む生物の本能は自己の遺伝子を最大限増殖することにあり、血を分けた肉親や子供を大事に思うのは普通の感情です。逆を言えばそういう対象である子供を虐待するのは種として終わってるということですがそれは置いといて、肉親だと思っていた存在が実はそうでなかったというのは種として非常に大きなストレスを覚える要因においてほかなりません。それだけに上記の二事件の関係者の方々にはココアらから深く同情の念を覚えます。

 ただこの二事件とも誕生から相当程度の時間をおいて発覚したという点で共通しますが、これはこれで辛いものの誕生した瞬間にわかるというのも結構心が痛むような気がします。ネタにして悪いような気もするので実名をぼかしますが過去にあるスポーツ選手が奥さんの出産に立ち会ったところ、生まれてきた子供の肌が黒かったというお話のような事件があったそうです。もちろんその選手はその後、その奥さんとは離婚したそうですが。

 遺伝子がなんでもかんでも家族を規定するわけでなく、三国志における義兄弟みたいに魂のつながりによって出来る家族も存在しますが、このところは遺伝子の解析が進んできたことによってやはり遺伝子の一致性が絶対という風潮が前より強くなっている気がします。ここで少し話を変えますが私はこうした遺伝子絶対論ともいうべき風潮に対して文学部出身の人文主義者らしく「納得できないヽ(`Д´#)ノ 」などと言っては反論を展開してました。その一方で自分の記憶力と集中力は先天的なものがあると主張しているのですが……。
 しかし単に感情論だけで主張していたわけでなく、たとえばヒトとチンパンジーの遺伝子はなんと98%以上も同じだというのにどうして骨格や見かけ、果てには行動や思考力が異なるのか、遺伝子が絶対だというのなら絶対値で2ポイント弱の差がここまで分けるのかという疑問もちゃんと持っていました。そんな風に考えてネットを駆け巡っていたところ、どうもこのところ新説が出ているというか遺伝子だけがその生物のありようを決めるわけじゃないという意見が出ているそうです。では何がそのありようを決めるのかというと、細胞に含まれるウイルスが与える影響が大きいのではないかと出ているようです。

 ウイルスの定義は非常に難しく、問題のない言い方をするとタンパク質の一種としか言いようがありません。その原理や成り立ちなどもまだ研究が進んでいないのですが、一般的にはインフルエンザなどの病気の元のように悪い存在だと考えられがちですが、そうした人間に悪影響を与えるものもあれば普段は無害で細胞にずっとくっついているウイルスもたくさんあると聞きます。これらウイルスはその働きなどもまだよくわかっていませんが、これらの組成によって生物は種を跨いでいたり同じ人間という種においても個体差を分ける要因になっているのでは、というのが私が聞いた仮説です。
 私にとっては夢があるというか面白い話で、遺伝子だけが人間を規定しないという説に魅力を感じます。それと同時にタンパク質が与える影響と聞いて真っ先に狂牛病が浮かび、将来この方面の研究の需要が高まってくるのかなと思う次第です。

2014年1月14日火曜日

東京都知事選に対する予想(ー_ー)!!

 年末年始にテレビ付けている際にいくつかお笑い番組を見ましたが一時期のお笑いブームの頃と比べてどれも面白く感じられませんでした。その中で唯一面白かったのが、名前は知りませんが有るコンビがやっていたネタで、

「お会計は5000万円になります」
「猪瀬じゃねぇんだから払えねぇよ!」

 っていうネタがツボにはまりました。本来ジョークというのは政治を風刺するところから生まれたのだし、もっとこういうネタが世の中はやってもいい気がします。そんな猪瀬前都知事の後継を争う次回都知事選ですが、ようやく役者が出揃ったこともあるのでそろそろ私の予想と見方を書こうかと思います。

 まず現在までに出ている著名な候補者を挙げると、元厚生大臣の舛添要一氏、元航空自衛隊幕僚長の田母神俊雄氏、元日弁連会長の宇都宮健児氏の三人に加え、本日になり細川護煕元首相も立候補を表明しました。結論から述べると現時点では舛添氏がリードしているように見え、対抗馬が細川氏、残りの二氏とドクター中松氏は順位予想の賭けの対象にしかならないでしょう。

 当初、というか先週時点で私は次の選挙では舛添氏がほぼ確実と見て、誰が当選するかよりも1~4位までの順位を競馬の連勝枠みたいに予想する選挙だと見ていたのですが、今日になって細川氏が立候補してきたことを受けやや見え辛くなりました。仮に細川氏一人が出てくるというのなら名前は失念しましたがある自民党議員が行ったように「殿、ご乱心」で終わったことでしょうが、同じ脱原発を掲げている小泉元首相がセコンドについたこともあり、何かの拍子にひっくり返されるかもという懸念を覚えざるを得ません。

 それでも現状においてはまだ、舛添氏の方が情勢的に有利ではないかと私は見ています。その根拠としては厚生大臣時代の施政経験と与党自民党との太いパイプ、圧倒的な知名度を持っていることに加え、細川氏が脱原発を掲げて都知事選に出ることに違和感を覚える有権者が多いのではないかと考えているからです。仮に国政選挙であれば脱原発はテーマとして通用するものの、都知事になって原発問題にタッチするかと言ったらやや疑問です。
 その上で個人的な意見を述べると、実現性を無視したむちゃくちゃな理想論ばかり掲げて引っ掻き回すだけ引っ掻き回した鳩山由紀夫元首相となんとなく姿がダブります。また自分と同じ20代ならまだしも40代以降の世代であれば突然政権を投げ出したことを忘れていないでしょうし、こういう変節振りは未だ修正利いているとはとても思えません。

 ここまで読んでもらえればわかると思いますが、私個人としては次の都知事選では舛添氏を推します。理由は単純に無難であることとで、年齢がやや高いのが気になるので仮に40代くらいの若くてビジョンのある方が立候補するならそっちを推しますが、現状では舛添氏がやはり一番な気がします。
 私が次の都知事に期待することとしては第一に2020年の東京五輪を見据えた再開発、都市設計で、具体的には自動販売機設置台数の規制や汚い広告を広告主ごと闇に葬り去る景観規制などで、このほかとしては複雑すぎる東京都の地下鉄再編計画、ブラック企業の見せしめを兼ねた残虐な排除などもやってくれたら文句ないです。そういう意味で、脱原発というのはやっぱ二の次なんですよね。

 しかし相手はあの小泉元首相。セコンド役とは言えやる気は満々のようですし、既に一部で予想する意見が出ていますが、先程の五輪対策など数多くある論点をすべて無視して「原発にイエスかノーか」と言って、原発問題だけを争点にしようと動いてくると思います。もちろん私も原発については廃止論者でありますが、そういう事は国政選挙でやってくれというのが本音です。
 しかし仮に、都知事になってこれが出来るというのなら自分の意見は変わります。それはどんなことかというと東電の徹底的な締め付けです。

 東京都は東電の大株主であり意見なども一応行使できる立場にあります。このストックパワーを用いて大々的なリストラに加え原発作業員の直接雇用などを都知事として確実に踏み切るというのであれば、もしくはそういうビジョンを見せるというのであれば、まだ行っていることにも信憑性というものが湧いてくるでしょう。
 それにしてもこれだけやる気あるならと、小泉元首相が自分で出馬していたら確実に圧勝していたことでしょう。何故小泉元首相は立候補せず細川元首相を推薦したのか、最大の理由は元首相が表舞台に出るべきでないという自身の矜持と、並外れた政局の読みでしょうかね。危ない橋は他人に渡らせとけってとこですか。

2014年1月13日月曜日

家族関係が異常に希薄な日本民族

 このところ日本人論ばかり書いていていい加減食あたり気味ですが、何故か知らないけどこのところこういうネタばかり思い浮かぶので片っ端から書いていきます。これらの日本人論は基本的に日本人を持ち上げる物ではなくむしろ批判的な内容に染まっていますが昨日に友人から、「好きと嫌いは背中合わせだよ」というようなことを言われ、こういう内容でも参考にしてくれればという思いがもしかしたら自分にあるのかもしれません。
 なお私はプロフィールで専門は国際政治と社会学と書きましたが、大学在学中に在籍した学部は社会学で、その中でも人類学のゼミを受講していました。そういう意味ではこれら日本人論は秦に自分の専門にマッチした内容であるのかもしれません。

 それではそろそろ本題に入りますが最終的な結論から述べると、あくまで私個人の実感ではありますが誇張ではなく、私は日本人ほど家族を大事にしない民族を知りません。もちろん戦争中や宗教上の戒律などがある場合は別ですが、一般的な先進国における家族の中隊を見比べるにつけて日本人が最も家族をないがしろにしているように見えます。

 私が比較対象として考えているのは米国と中国ですが、米国に至っては児童虐待事件なども少なくないものの、普通の家庭では子供が成人した後もハグし合ったりしたり、お互いの誕生パーティを派手に開いたりしていて全く屈託がありません。そして中国に至っては儒教的概念からか明らかに一族意識が強く、旧正月には一族で集まったり、記念日などに親へ贈り物を送ったりする習慣がありその中退は非常に強いです。なお以前に日本で夫婦別姓が議論された際にある議員が、夫婦別姓にしたら日本の家族における紐帯が切れるなどと言って反対しましたが、中国は夫婦別姓にもかかわらず家族仲が日本よりよさそうに見えるのは私くらいなものなのでしょうかね。

 話は戻しますがこうした他国に比べ、残念ながらというべきか日本の家族関係はそれほど濃いようには見えません。子供が幼児であればまだアットホームな光景が浮かびやすいですが、一度成人にもなろうものなら非常に関係が希薄になり、私の周囲でもそれほど顔を合わせたくないという人が少なくありません。
 また仕事との関係でもこうした傾向は顕著で、日本では未だに仕事のために家族を犠牲にすることが美徳というか推奨されます。たとえば野球などでは米国から来た外国人選手が家族が病気などになるとシーズン中でも帰国しますがこれなんか批判の的になるし、このほか家族を優先して残業せずに帰ろうとしたら「やる気あるのか?」とすごまれる職場なんて星の数ほどあるでしょう。多分というか中国人なら家族を優先して仕事をさぼる、もとい頼んだって残業をしないほど自分の気持ちに素直に従うと思います。

 もちろん個別の家庭によってこうした家族意識は千差万別でしょうが、社会全体でみるなら家族という単位が日本では非常に弱く、それが組織への概念意識の低さにもつながっているように見えます。蛇足かもしれませんがやっぱり普段ユースを見ていて、児童虐待を行った親に対する報道というか社会の批判が緩すぎる気がします。今日日一人の殺人でも死刑が判決されるのだし、自分の血を分け、さらには何も抵抗できない子供を殺害する人間に対しては例外なく死刑でもいいと思うし、殺害まで行かずとも暴行を行う親に対してももっと社会が厳しい目を持ってヒートアップした報道がされてもいいような気がします。なんていうか、今の状況は淡白すぎるというか。

 また話は戻しますが、じゃあなんで日本人はこんなに家族意識が低いのか、「団塊が悪い」と団塊の世代のせいにしたら楽っちゃ楽ですしあながち間違っていない気もしますがもう少し考察すると、歴史的には日露戦争が一つの区切りだったかなぁという風に考えてます。
 日露戦争ときたら与謝野晶子で、出征する彼女の弟を心配する短歌が新聞に載ったら与謝野晶子が市民から批判されたという事件がありました。何が言いたいのかというと国家意識を高める教育をしていくうちに外見だけ「お国のために」なんて言っていたらいつの間にか本音と建前が入れ替わってしまい家族意識が微塵もなくなった、というには自分で書いておきながらですがやや強引ですね。

 まぁこの際原因は何だったかは置いといて今後日本人はもっと家族関係を濃くするべきなのか、このままを維持するべきなのかを少し考えます。私自身リアルに親戚と絶縁に踏み切るほど家族関係が希薄な人間の一人ですがそれでも敢えて述べると、本気で少子化対策を進める気があるというのであれば「家族を大事にするべきだ」というような標語を国家レベルで普及させるべきでしょう。
 昨日の記事にも続きますが突き詰めると日本の少子化は家族関係の希薄さが大きな原因のように思え、家族というものを大事にする日本人が増えることによってこの方面の問題が少し改善するような気がしないでありません。なのでそれこそさっきみたいに家族を優先したいのに残業を強制する様な企業に対して目立つところを二、三社くらい業務停止させ、大々的に発表しさえすればみんな一斉に黙るんだし、こういうところに着眼点を置いて政策立てたらどうかなって思います。

 最後に面倒な説法は嫌いな人は読まないことをお勧めしますが、自分の思想の原点は良くも悪くもキリスト教の概念が非常に強いです。そのキリスト教における重要な協議の一つに「隣人愛」という概念があり、これはどの人間に対しても隣人の様に愛せよという説明がよくなされていますがそれ以外の解釈として、ただ隣人を何よりも愛せよという説明のされ方もあります。これはどういう事かというと私の解釈で言えば、距離が近い身内の人間を大事にできない人間がどうして多くの人を大事にできるのか、身近な人から大切に思うことが博愛の精神につながるという風に見ております。

2014年1月12日日曜日

中国の報道から見る日本の課題

高齢化が進行する日本 専門家「中国も警戒すべき」(人民日報日本語版)

 遅くまで友人と話をしていたことから今日も執筆する時間少ないので以前に撮りためていた記事を今日は紹介します上記のリンク先は人民日報日本語版に掲載されていたものですが、日本の少子高齢化の現状を紹介しつつ、中国でも今後直面することが予想される少子高齢化に対してどのような対策が必要なのか専門に尋ねたインタビュー記事です。

 内容としては中国で今後求められる対策に重きを置かれていますが、日本の現状について過去何年にも関わらす少子化対策が実施されているにもかかわらず効果が出ていないどころか、減少傾向に拍車がかかっていると耳に痛いことを書いてくれています。あとこの記事で地味に初めて知ったのですが、「また、日本人の離婚率は2013年に34%にも達した。3組が結婚すれば、1組が離婚する計算だ。」も書かれてあり、そりゃ子供も減る、もとい独身者も多いわけだよと納得しました。ちなみに近々詳しく書く予定ですが、私は日本人ほど家族関係が希薄な民族は知りません。

 話は戻しますが耳にの痛いこと一杯書かれている一方、外国からの支店だけあって冷静に日本の現状が書かれている気がします。あとこの記事中で果たして日本の少子化対策がどれほどの効果を上げているのかという質問も挙げられていますが、それについてはもし対策が何も成されていなかったらもっと減少していたかもしれないと優しくフォローしてくれています。しかしこの問題について私はやはりもっと日本人は真剣に考えるべきで、たとえばゆとり教育などでもほとんど期待した効果が出ていなかったにもかかわらず導入に関係した責任者は誰も処罰されていません。

 同様にこの少子化対策においても、少なくとも目に見える効果が出ていないにもかかわらず予算だけは毎年山ほど使われ、わけのわからないポスター代とかに消えていることを考えると果たして今何が求められているのか、何が不必要なのがもっと真剣に議論すべきでしょう。その上で、これまで何も効果を挙げられなかった責任者に対しては相応の処分を取り二度と政策や立案に関われなくするべきです。

 なおたまに中国崩壊論の根拠として一人っ子政策から来る人口比の歪みが社会を崩壊させるなどと述べ、上海市の60歳以上人口の比率が四分の一まで来ていると主張するお馬鹿さんがいますが、日本は65歳以上で四分の一まで来ています。しかもさっきの中国の数字は中国で最も高齢化が激しい上海という一地域に限定されている一方、さっきの日本の高齢化率は全国での統計で、今後団塊の世代が65歳以上に入って来ることを考えるとここからさらに急激に数字が跳ね上がってくる計算となるわけです。よく上海時代に同僚と、日本終わってるなぁ等と話したもんです。

  おまけ
 先ほどの上海の高齢化率の数字ですが、介護市場関連の記事ではよく引用していました。その際に日本のデータとの比較をしてしまうと、「なんだ、中国の高齢化はまだまだ進んでいないじゃないか」ってことになっちゃうので、編集部内で絶対に出さないという方針で一致しました。実際に自分は一回計算したけど、日本は二年前の時点で60歳以上の人口比が30%まで行ってたような。

2014年1月10日金曜日

漫画レビュー「実は私は」

 火曜日に突然上海から友人が電話をかけてきたので受け取ったのですが、「バイオハザード4が2本もうちの中に転がっているんだけど(;Д;)」といきなり言ってきました。
 種明かしをすると、先月に日本にやってきた際に面白いPS2のゲームソフトはないかと尋ねるので「バイオ4がお勧めだよ」と自分が勧めたので友人は買って帰ったのですが、この前部屋を掃除していたら全く同じソフトが家の中に既に存在していたとのことです。友人によるとそのソフトは友達から受け取ったものですっかりその存在を忘れていたために必要もないのに2本目のバイオ4を買ってしまったとのことです。まぁその友人にバイオ4を譲ったのは私なんですけどね、すっかり忘れとったわ自分も。

 話は本題に入りますが、久々に自分の中でスマッシュヒットというか面白いと思えるマンガを読み始めたので紹介しようと思います。そのタイトルというのも見出しに掲げた、現在少年チャンピオンで連載している「実は私は」です。

実は私は(Wikipedia)

 この漫画のあらすじを簡単に書くと、主人公は思っていることや考えていることがすぐに顔に出るほど嘘が苦手な男子高校生なのですが、ふとしたことをきっかけに片思いの相手である同級生の女子生徒が実は吸血鬼だったことを知り、この事実がばれれば退学となる女子生徒を慮って周囲にばれないように協力しつつト様々なラブルに巻き込まれるというよくある学園ラブコメです。そんなよくあるラブコメの何が面白いんだって自分で書いてて思いますが、特筆すべき点は掲載誌がチャンピオンなだけに登場するキャラクターがどれも濃いというか、個性が強くてキャラが非常によく立っている点だと私は思います。

 私がこの漫画に興味を持ったのは「実は私は」という変わったタイトルと、単行本1巻の表紙絵がちょっととらえどころがないというかどういう漫画なのかわからなかったことがきっかけです。なもんで早速レビューを探してみると、「ヒロインの口が極端にでかい漫画」と書かれあり、なんやそれと逆に興味を募らせていったことから先日に電子書籍で購入するに至りました。読んでみてやっぱりヒロインの口がでかいと思ったが、こんな形容されるヒロインって今までいたのかな。

 仮にヒロインが実は吸血鬼ってだけの漫画だったらこれまでにいくらでもあったでしょうが、この漫画はヒロインに限らず、っていうかほぼ主人公以外が「実は……」って感じで何かしら秘密なりを持っているキャラクターで占められてます。代表的なのはサブヒロインの委員長で、多分この漫画で一番人気あるキャラクターだと思いますが、思ってることが顔に出やすい主人公に対して告白される前に振るというお決まりな役割で第一話に登場したかと思えばその後、なんとその正体は手の平サイズの宇宙人で普段は本体と全く同じ外見の外部ユニット(アンドロイド)に乗って行動していたということがわかります。委員長らしく真面目な性格であるもののすぐに冷静さを失うという性格も見ていて飽きません。
 このほか後からやってきた狼男が月(写真でも可)を見ると普通の人間に戻るかと思いきや痴女に変わるとか、学校の校長先生が悪魔だったりとかで、むしろメインヒロインが吸血鬼なだけでキャラ薄くないかと思えるくらい濃い面々が次々と登場します。

 こんな具合で面白いから一気に現在まで発売されている4巻までまとめ買いしちゃったわけなのですが、連載開始当初はともかくとして2巻以降からは絵の質も安定しており、どこに出しても恥ずかしくない漫画に仕上がっていると思えます。あとこれは私の主観ですが、ストーリー展開もテンポがいいことはもとより、コマ割り、特殊効果、背景、人物の表情など漫画に必要な要素が実に過不足なく整っており、作者の増田英二氏はある長所が極端に高くない一方で短所がほとんど見当たらない漫画家の様に見えます。長所が極端に高くないとは言いましたが人物の描き分けとあとキャラクタの表情に関しては一般的な水準を確実に超えており、それらが内容にマッチしているから自分は面白いと感じるのでしょう。

 あとこっからまた持論ですが、普通ラブコメと言ったらその人気を左右するのはヒロインを始めとする女性キャラクターをいかにきれいにかわいく描けるかに尽きると言われます。ただ私は以前から「それは違うんじゃないか」と考えており、むしろ主人公の男性キャラクターの人物像がラブコメで最も重要な要素だと考えてなりません。
 一例を出すとこれはゲーム(ギャルゲー)ですが昔セガが出してた「サクラ大戦シリーズ」では当時全盛期(今はもう……)だった藤島康介氏がデザインした女性キャラクターが人気の要因となった一方で、主人公の男性キャラクター(大神一郎)が真面目で決断力があり、それでいて公平な性格で優しい人物像であったことから女性を中心に高い人気を得たと言われます。実際に私も1と2はプレイしましたが、男の自分から見ても応援したくなるような主人公で、ゲーム中はほぼハーレム状態であるにもかかわらずどこからも悪く言われることがない稀有なキャラクターでした。

 この「実は私は」に出てくるヒロインらは決してかわいくないデザインというわけじゃありませんが、勢いのある萌えマンガと比べるならやや古いデザインで、極端に優れている程ではありません。その一方で各キャラは個性というかキャラ付けが際立っている上、男性である主人公はやや気弱でキャラが薄いですがメインヒロインに対しては一途な感情を持ち続けている上に基本的にやさしく、読んでて好感が持てる人物像になっています。こういう要素が上手く絡まっているというかキャラクターをしっかり使いこなしているのは見事というしかなく、ちょっと気が早い気もしますが多分アニメ化まで行くんじゃないかと現時点ですら思えるマンガです。
 なおネタバレになるので断片的に言いますが、現在最新刊の第4巻で先ほど言った宇宙人な委員長がタイトルの言葉である「実は私は」を冒頭にして始める独白シーンは読んでて何度も見返すほど感情移入できるシーンに仕上がっており、チャンピオンも「イカ娘」の作者をはじめ、たまに面白い作家拾ってくるなと感心させられます。


2014年1月9日木曜日

アンパンマンマーチを改めて聴く

 あんまよくないことだとは重々承知ですが、かなり昔に下記のYoutubeの動画ことゲームの「ゼルダの伝説」に使われるBGMをオーケストラ演奏した動画にいたく感動して今でも定期的によく聞いております。


 この曲自体はゲームのプレイ中に何度も聞いたことがあるにもかかわらず、改めて高質な楽器と演奏家によって演奏されるとこうも感動が違うのかと音楽の偉大さを改めて感じ入った動画です。私自身は昔からそれほど音楽に素養がなくリアルに5段階評価でいつも「2」だったくらいですが、こういうオーケストラチックな音楽ではほかにも「天地創造」というゲームのサウンドトラックを持っててこのゲームに使われているそれっぽいBGMを何度もかけて聞いており、もしかしたらそういう嗜好があったのかもしれません。
 それで一昨日にふと、我ながら突然すぎるけどさっきのゼルダの曲みたいにありふれた音楽だけどオーケストラっぽくしたら聞き応えがありそうな局はないのかと歩いている最中に考えだし、いくつか案があった中で最初にネットで検索を書けたワードというのが「アンパンマンマーチ オーケストラ」でした。

 なんでアンパンマンマーチが出てきたのか、っていうかなんで突然オーケストラっぽい曲を求めた時点で意味不明ですが、恐らく原作者のやなせたかし氏が昨年に往生されたことが頭に引っかかっていたためではないかと思います。それと共に自分は社会記事も書けばブログ記事も書き、一時期はむしろ小説のがメインだったくらいの活字狂ですが、そもそもの物書きスタートは作詞家になりたいと思ってゲームのBGMに歌詞をつけ始めたことがきっかけでした。自分の本領は長い文章で発揮されるため歌詞という短いワードにいろんな意味をこめてリズムを作るというのは向いていなかったのですぐやめましたが、自分にないものを持っている人は素直に尊敬できるというか、やはり立派な作詞家や俳人には頭が下がります。

 そうしたことを踏まえた上で改めてアンパンマンマーチの歌詞を思い返すと、何故この歌を自分は子供の頃に歌っていたのに大人になって歌わなくなったのだろうかと思うくらいに精緻でありつつ実に情熱の詰まった歌詞のように感じます。これはほかのブログで色んな方々が書いておりますが、やっぱりこの歌は大人になってから歌詞を読むと全然違った意味が見えてくるように見え、それでいて槍で刺しぬかれるかのような強い衝動を胸に覚えてきます。
 具体的にどの箇所が胸を打つのか、私個人としてはJASRACを恐れずに該当箇所を引用すると、

なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないままおわる
そんなのは いやだ

忘れないで夢を
こぼさないで涙
から君はとぶんだ
どこまでも

 この部分が私としてはダイレクトに響くというか、失った感情を取り戻すかのような感覚すら得ます。それこそさっきのゼルダの伝説のように、ちょっと音程をクラシック風に変えさせてもらって50人くらいの大合唱にして聞いたら涙が止まらないんじゃないかと思うくらいです。誰かやってくんないかなぁ。

 折角の機会なのでこのまま書き続けますが、私が子供だった頃にアンパンマンマーチの歌詞が話題になると、「愛と勇気だけが友達さ」という部分を揚げ足とって、「アンパンマンって愛と勇気しか友達いないんだぜ」なんて小4くらいの頃によく言ってた気がします。
 しかしこの部分には深い意味があるとされ、というのもアンパンマンマーチの歌詞というのはやなせたかし氏の弟に捧げられた歌だったそうです。その弟は、特攻隊の一員として戦死された方だそうです。

 愛と勇気だけと書かれたのは、飛び立つ際に本当にそれしか抱えられなかったから、友人や家族などを伴わず本当に自分自身で孤独に飛び立たなければいけない中で奮い立たせるものがこれしかなかったからだなどという解釈がなされています。それと同時に、アンパンマンはバイキンマンなどと戦う際に誰かを頼ることは許されず、誰も戦友と呼べるものがいない中で自分一人が犠牲になって戦い続ける孤高を示したものだという解釈もあります。

 前者については私から何も書くことはありません。後者についてはもう少し書くと、ヒーローというのはやはり孤高であるからこそヒーローだという気がします。戦友というものがいれば確かに頼もしいけれど、それは戦友を戦いに巻き込むことにもなり、それであれば敢えて自分一人で戦い続けるという姿勢こそがヒーロー像であると私は考えます。アメコミなどはこうした傾向が強く、バットマンもスパイダーマンも社会のはみ出し者として描かれており、バットマンにおいてはサイドキック(=相棒)と呼ばれるロビンなどのキャラクターも出てきますが、大抵悪役に殺されたりするので「争いに巻き込む」という悲劇を演出しているような気がします。自分もこういうのに影響されているのか知らないけど、やたら一人で孤独に突っ張ることが多いです。ただ単に友達が少ないだけですが……。

 最後の最後にどうでもいいことを書くと、もうこの際だからアンパンマンマーチを日本の国歌にしてもいいんじゃないかとすら思うようになってきました。英語にすると「The March Of Anpanman」でそれなりにかっこよく見えるし、東京五輪の国歌斉唱でこの曲をみんなで歌えば韓国や中国の連中だってもう靖国なんてどうでもいいと思い始めるんじゃないかな。
 でも真面目な話、婉曲の聞いたわけのわからない歌詞なんかよりずっと、単純でありながら強い意志のこもった歌詞の方が胸に響くね。

2014年1月8日水曜日

最近書いた記事について

 正月に色んな人と会ったりスカイプで会話したりしましたが、その際にこのところの記事の感想などをよく訪ねていました。自画自賛となりますが先月こと2013年12月からやけに記事の質が上がっており、誤字脱字が多いのはいつも通りですが書きたてるテーマがそんじょそこらじゃお目に書かれないテーマが多いだけに自信を持ってお見せできる記事になっていると胸張っています。

 具体的な記事タイトルを挙げると、「『予定通り』にアイデンティティを持つ日本人」が去年一年間では最高傑作であったのではないかと思います。着想自体は他人からの引用ですがそれを具体例など共に解説し、人生のライフコースを定めた年齢通りに歩むことでしか幸福感を得辛いという日本人の特性を指摘したのはいい反応をしたと思います。やはりいい記事には人が集まるというか、どうもツイッターか何かで紹介してもらってこの記事を出した後しばらくはアクセス数がやけによかったです。

 同じく日本人論、というかこのところ日本人を批判したり貶す内容ばかり書いてて、「あなた疲れているのよモルダー」と言われそうな状態ですが、つい先日書いた「監視し合う民族」の記事もほかの記事と比べてややアクセス数がいいです。この記事は自分自身が一から着想して形にしている内容なだけに自分も気に入っているとともに、ある種自分の中で自分が日本人らしく振る舞う必要はないと決別するような意思表示をこめているので将来忘れられない記事になる気がします。
 なおこの記事について友人にコメントを求めたところ、自分の記事全体に言えることとして小泉元首相のような雰囲気を感じると言われました。その心はと説いたところ、「敢えて敵を作って自分の立場を明確にするような感じ」だと言われ、よく自分の記事読んでくれているなぁとしみじみ覚えます。なおその同じ友人によると、その前の「阿修羅像祀ってみた」の記事については、「あのノリとテンションはよくわからなかった……」と至極真っ当なコメントくれました。内心、自分でもよくわかりません。

 あと名古屋に左遷されて「最近年取ったせいか怒りっぽくなってんねん」と言っているうちの親父からは、「スマイルサーバーに対する不満と不信」の記事が八つ当たり的な内容を書き殴っているだけで、公平性に欠けててよくないとお叱りを受けました。自分としてはあくまで一ユーザーの立場としてスマイルサーバーの感想を述べたのだし、こういうのを見てレンタルサーバー会社を選ぶ人もいるんだからアリかなと思ってましたが、確かに八つ当たりと言えば八つ当たりなのでちょっとだけ反省することにしました。ちなみにある友人はこの記事の冒頭文にある、「私とNTT西日本が運営するレンタルサーバーサービス、スマイルサーバーとの心温まるふれあいについて」という一文が印象に残っていたようでわざわざ向こうから口に出してきました。
 それとこの記事の副次的効果ですが、なんどもスマイルサーバーと書いてたことが影響したのかこのところバナー広告にスマイルサーバーの広告がよく出てきます。まぁ「スマイルサーバー」で検索かけると私の書いた記事がかなり上位に表示されるので、ちょっとは貢献したかなっていう自負があります。どっちの貢献だっていうのは聞かないで。

 このほか話題に上がる記事としては、やっぱりというか「北京で受けたインスピレーション」が好評です。この記事は短い内容ですがこれこそ普通の日本人からはまず出てこない話題ばかりで、自分と友人が感じた内容をそのまま書いたのが功を奏したのか面白く仕立てられたかなとは思います。

 最後、これは最近というにはやや古い記事ですが、「奈良ドリームランドを偲ぶ」の記事がやけにコンスタントにアクセス数を稼いでいます。右下にある人気投稿記事順位でもこのところずっとトップを維持してますが、そんな気合入れて書いたわけでもないのになんでって自分でも驚く成績です。ふと奈良ドリームランドを思い出しては検索する人が世の中に多いからこそこれほどアクセスを稼いでいると推測してますが、それだけに記事中にも書いていますが特定の世代の関西人にとってはほんとに忘れられない思い出の場所だったんだろうなと偲ばれます。

 今この記事を書いている最中にパッと閃きましたが、もしかしたら奈良市に住んでて奈良を心の底から愛していてボランティアで観光案内までしている親父の従弟も、このドリームランドの記事を自分が書いていると知らずに読んでたりしたら……という考えがよぎりました。この親戚には自分も公私ともにお世話になっていますが、リアルにあれほど奈良を愛している人は見たことがありません。なもんだから昔テレビドラマで「鹿男あをによし」という奈良県民のための番組がやっている時はやけに盛り上がり、「この前一緒に行った居酒屋がドラマにでとったやろ!」などと、男子中学生っぽい会話を交わしたのはいい思い出です。

2014年1月6日月曜日

毛沢東の中国のGDPに対する貢献度

 真冬にもかかわらずGジャン一枚で貫き通す人間ときたら私とスギちゃん位なもの、といってもスギちゃんみたいに素肌の上ではなく私はちゃんと厚手のシャツの上にGジャンですが、そんな自分でも昨日今日の寒さは身に応えて今日も夕方から頭痛が響き、ぶっちゃけ持病とセットで気絶しそうです。でもブログは書くんだ(゚∀゚)アヒャ
 なので簡単に書けるネタとして今日は、毛沢東と中国のGDPについてちょっと書きます。

 結論から書くと、毛沢東が現代の中国に与えている観光収入は一体どれほどのものなのか非常に気になります。この前も北京に行ってきましたが相も変わらずに街中にはたくさんの毛沢東グッズ、具体的には毛沢東の肖像画が書かれた絵皿やバッグ、時計、人形などなどで、マフィアなど闇社会の経済を研究する学者はよくいますが、毛沢東による中国の観光収入を研究している学者がいるのであれば是非詳しく教えてもらいたいものです。
 なお今回の旅行中に一番気になったのは天安門前にでっかく掲げられていてニュース映像にもよく映るあの肖像画だったのですが、一緒にいる友人に対して、「そろそろあの肖像画も3Dで表示できるようにしないと中国は遅れてしまうぞ」などと、寒かったからなのかわけのわからないコメントをしてました。まぁやれるもんだったらぜひやってみてほしいのが本音で、闇夜に3D映像で浮かび上がる毛沢東を想像するだけで体が震えてきます。ただ単にいま寒いだけだけど。

 ただそれだけ死後も中国の観光産業に貢献し続ける毛沢東ですが、以前にも書いたことがあると思いますが一つ気になることとしてこれら毛沢東の商標権ことコピーライトは誰が持っているのかが未だにわかりません。もしかしたら中国共産党が持っていてあのお土産一つ一つからお金を取っているのかもしれませんが、あの中国のことだからみんな勝手に作っていてはっきりとした商標権は誰も持っていない気がします。
 だとすれば折角だし、敢えて日本人なり日本企業が「毛沢東」ないし「毛主席」で商標権を取ってみたらどうなるのか。恐らくですがこういう事したら中国政府並びに中国人はマジギレする一方、焦って自分たちも商標権を得ようと似たような言葉で商標権の登録に走るんじゃないかと思います。まぁ実際には受け付けてくれないだろうけど。

 それにしても日本にはこれほどたくさんグッズが作られる首脳は今だ出ておらず、そういう意味では中国がうらやましいです。日本で作るとしたら自分だったら伊藤博文だけど、商業的には早稲田卒が買ってくれそうだから大隈重信のがいいかもしれません。

2014年1月5日日曜日

監視し合う民族

 昨日の記事で年末の北京旅行で気づいた点というかインスピレーションを個別に紹介していきましたが、最後の最後に気付いた大きなトピックについて今日は紹介しようと思います。先に書いておくと恐らくここで書く内容は書かなければ書かずに置いた方がよく、書くことによって少なからぬ人間を敵に回してしまう内容です。

 その事実に気が付いたのは、日本に到着して自宅に帰る途中の電車の中でした。帰路が同行した友人と同じ方向なので電車でも隣り合って座り、話しをしながら乗っていたのですが、途中の駅で特急待ちとなったことからそこで停車する時間がありました。その停車中、自分の携帯電話が鳴ったので着信元を見ると上海にいる中国人の友人からだったので、電車も停車しているのだしまぁいいかとばかりに電話を取って、「喂,你好啊!」って具合で景気よく中国語を口にしました。
 その瞬間、それほど多くはいませんでしたが車内にいる乗客の目が一斉に自分へと向けられました。こういう体験は何もこれが初めてでなく、これまでにも中国語を電車で移動中に使うと日本語にない発音の珍しさからなのか、乗客が一斉にこっちを見つめてくることを何度も経験しています。なので今回も「よくあること」で片づけられたのかもしれませんが、この直前にあった出来事とリンクして咄嗟にある仮説が思い浮かんだのです。

 私が中国からの電話を受け取る直前、具体的には特急待ちで電車が駅に停車をした際、一旦車内のドアを閉めて空調の電源が落とされたのですが、空調の電源が落とされた瞬間は一時的にそれまであった空調特有の騒音がなくなり会話をする自分たちの声が急にクリアに聞こえるようになりました。ただクリアになったとは言ってもそれは本当にごく一瞬で、そのすぐ後には「シーン」という擬音が似合うほどの静寂が車内を包みます。何故かというと、それまで会話をしていた乗客が一斉に会話をやめたからです。
 日本人である皆さんならこのような体験を一度や二度、ひょっとすれば何度も経験してはいないでしょうか。室内にいる人間全員がそれまで会話をし続けていたのに、突然騒音がなくなったりBGMが中断されたり、誰かが部屋に入ってきたりすると一斉に黙ったり、声を小さくしたりなどと。もしくは、誰かが近づいて来たりしただけでも会話を中断してしまうこともあるのでは。

 まどろっこしい言い方はこれまでにして私が導き出した仮説を述べると、日本人というのは無意識に周囲の会話を盗み聞きしようとする一方、自分の会話を盗み聞きされないように気を配っているように見えます。嫌らしい言い方をすると、常に相互監視し合っているのが日本人社会だと言いたいわけです。誇張ではなく日本人は周囲で会話があると無意識にその内容を把握しようとするし、周囲に人がいれば自分たちの会話を聞かれていないかどうかを意識するところがあります。

 私がこのように考える根拠はいくつかあり、一つ目は上記の私の中国語の発音に対して乗客全員が反応を見せたこと、二つ目は私自身も電車に一人で乗っていたりすると知らず知らずのうちに周囲の会話に聞き耳を立てていること、三つ目は中国人は全く他人の会話に興味を持たないことからです。
 ちょっと長くなりますが三つ目について自分の体験を話すと、中国人は電車で移動中、本当にやかましいくらいの大声で常にみんな話をし合っています。なもんだから私が日本人の友人と一緒に電車に乗りながら日本語で会話していると中国人のおばさんが、「ねぇねぇこの駅に行くのはどう乗り換えたらいいの?」って中国語で尋ねてくることがありました。なんでよりによって日本人の自分に聞いてくるんだよと思いつつ中国語で路線の説明をしましたがどうもなかなか通じず、終いには我々を見かねた別の中国人のおばさんが、「この子たちは日本人よ。私が教えてあげるからあなたたちは無理しなくていいわ」と助け舟に入ってきてくれました。電車を出た後には一緒にいた友人に、「俺ら結構大声で日本語話してたんだけど、あのおばさんは全く聞いてなかったようだ」と言い合いました。

 この自分の例に限らず中国人は全く以って他人の話を聞かず(やや仕事でも)、かつ自分の会話が他人に聞かれることについて全く恐れを抱いていません。それに対して日本人は自分の会話を聞かれることに強い恐れを抱くし、盗み聞きした会話をよく話のネタに使います。先程やってみましたがGoogleで「電車 会話」と検索するとまさに盗み聞きした内容が書かれたサイトが出るわ出るわで、こんなの見ている電車の中で会話すること自体がタブーなのではないかとすら思えてきます。
 ただ同じ日本人でもこの傾向には地域差があり、関東よりは関西の方が聞き耳を立てないというか中国的な印象を覚えます。とはいえ関西人が全く聞き耳を立てないかというとそれはなく、というのも非常に嫌らしいことですが私はこの日本人の盗み聞きしようとする傾向に気付いてはいなかったものの、自分の会話の内容に何かしらの反応を示すことは知っていてそれを逆手に取ってしょっちゅう実験をしていたからです。

 その実験をしていたのは関西で過ごした学生時代ですが、友人と一緒に電車に乗るとやおら日本の統計データ、具体的には日本人の平均年収や自殺率、国債残高や首相支持率などといった数字をやや大きな声で口にして、それに対して周囲の乗客がどんな顔をするのかじーっと観察してました。日本人の世代別平均年収を話すと若い女の子は大抵意外そうな顔します。
 そんな私の本当に厭味ったらしい学生だった過去は置いといて話を戻しますが、まぁこれだけグダグダ説明しなくても同じ日本人なら最初の方の説明ですぐに理解してるんじゃないかと思います。何せ普段からやっていることなんだし。

 では何故日本人はそのように盗み聞きしようとして、またそれに対して盗み聞きされないように気を配るのか、これは結論から述べると単純に教育が悪いせいだと思います。ここ数日、この仮説に気が付いてから街中を歩く時や電車に乗っている最中はずっと観察してましたが、やはり小学生くらいの子供だとこの傾向が全く当てはまらないことに気が付きました。日本人の大人は電車が駅に到着して騒音が減ると露骨に会話の音量が小さくなったり下手すれば中断したりしますが、小学生はそんなのなんのそのとばかりにそれまで通りの音量でしゃべり続けています。また大人がみせる盗み聞きされているのではないかとばかりに周囲に向ける警戒感らしきものも全く見せず、まぁ無邪気に話し続けます。
 ターニングポイントとなる年齢層はやっぱりというか中学生くらいで、この層あたりから気にせず話し続けるのと周囲を気にするようなのに分かれてきます。友人にこの仮説を説明した所、やはり思春期に当たる世代で色々と気にし始めることが影響しているのと、日本人の場合その思春期特有の感覚が成人になっても変に続いているのではないかという面白いコメントが得られました。

 今回、ここで書いた内容はあくまで仮説であり実態としてはもしかしたら間違っているかもしれません。しかしそれを推しても自分としてはそこそこ自信のある仮説であり、日本人の民族性において意外な盲点によく気が付いたという自負があります。もっともこれまでなんで気が付かなかったのか、自分もやはり日本人の一人だったのかという妙な敗北感も覚えますが。

 率直に言って、このように盗み聞きをしようとするような、まるで密告社会であるかのようなこの特性を持つ自分を含めた日本人というのは非常に気味悪く感じます。また古来よりこのように相互監視し合うかのような陰湿な民族が栄えたという試しは聞いたことはなく、むしろ衰退していくというのが自然の流れの様にも思います。メディアも去年は個人情報保護法案関連で日本が監視社会になるだのなんだの散々に煽りましたが、同じ日本人同士で日常茶飯事みたくしていることを今更何言ってるんだよという気がしてなりません。

 冒頭から非常に挑発的な文章を綴っておりますが、自分は日本人がこのような行為をそうそう簡単にやめるとは思えず、この記事で改善を促すなぞ以ての外でしょう。ならなんで記事にしたのかというと、このブログの読者であればこうした日本人の傾向を意識することでいい意味で見えてくるものがあるだろうと確信していることが大きいですがそれ以上に、書かなくてもいいことを書くと「俺はお前たちとは違う」ということを鮮明に宣言したいというのが本音かもしれません。

2014年1月3日金曜日

北京で受けたインスピレーション

 既にブログで写真もアップしてますが、昨年末に北京へ友人と旅行に行ってきました。この時一緒に来た友人は自分の同世代の友人の中でも十指に入るくらい頭が回る勘のいい友人なだけに、旅行中は様々なポイントを指摘してくれて数多くのインスピレーションを受けたので今日はそれらを順番に紹介していきます。ただ十指とはいっても、そもそも私の友人は十人もいるのかどうかちょっと微妙ですが。

1、真冬の北京の味千ラーメンはうまい
 味千ラーメンというのは中国滞在者なら知らない人はいない、日系で最も向こうで人気なラーメンチェーンです。友人がこの店には是非とも行ってみたいと言っていたことから一日目の夕方に訪れたのですが、上海で何度も味千ラーメンを食べている私ですらスープをずっとすするほどこの時食べた味はおいしかったです。恐らく真冬の北京を、具体的には日壇公園の近くを長い時間うろうろして体が冷えた後に食べたからおいしかったのだと思いますが、友人も大絶賛で二人してべた褒めしながら麺をすすってました。

2、アイスクリーム屋に行列をつくる中国人
 この時訪れた味千ラーメンの店舗はショッピングセンター内にあったのですが、同じ階は他にも飲食店が並んでいる階でした。なので麺つゆすすりながら周りを見てみるとなにやら行列が出来ている店があり、どんな店かと見てみるとなんとアイスクリーム屋でした。なんで真冬にアイスクリーム屋が繁盛するんだよなどと思いつつもあれだけ並んでいると自分もなんか食べたくなるなと見ていたら友人が、「おい見てみろよ、中国人が行列作ってるじゃねぇか」と言って、自分も初めてその事実に気が付きました。
 そう、肝心なのは真冬にアイスクリーム屋が繁盛していることじゃなく、並ばずに割り込んでばっかだった中国人がきちんと行列を作って並んでいることです。言われて自分も目を疑ったのですが私が留学していた七年前なら行列なんてまず有り得ない光景だったのに、時が経った現在に至って中国人というか北京人もちゃんと並べるようになってます。
 この傾向は何もそのアイスクリーム屋に限らず地下鉄の乗車口でもきちんとドアの左右に並んで待っており、以前はドアが開くや降りる人と乗る人が毎回のようにラグビーの試合みたく激しくぶつかり合っていたものの、こちらも現在ではちゃんと降りる人が全員降りてから乗る人が整然と乗るようになってました。わずか七年でこれほどまでにマナーは改善するのかと驚くのと同時に、貼り紙をあちこちに貼ってマナーを守るよう喚起していたこともちゃんと効果があったのかという事をしみじみ感じます。っていうか中国人もやればできるじゃん。

3、中吊り広告のない車両
 これも友人が指摘してくれたのですが、中国の地下鉄車両には基本的に中吊り広告はありません。中吊り広告と来ると日本では週刊誌の見出しがいっつも踊っててなんとなく見ちゃうあれですが、改めて中吊り広告のない中国の車両を見ると同じ車両の奥の方まで見ることが出来ます。
 その友人曰く、中吊り広告がないと空間が広く感じるとのことで、確かに言われてみると日本の車両はなんとなく圧迫感というか中国の車両に比べて狭く感じる気がします。それに中吊り広告の週刊誌の見出しは下品なものも少なくなく、むしろない方が精神衛生上いいのではなどと言うことをお互い話しました。
 また電車内に限らずとも、中国は都市部にいて圧迫感を感じることがほとんどありません。建物のサイズが何でも日本の数倍くらい大きいということが第一ですが、日本の都市部と比べて統一感がなく見ていて不快に感じる広告が少ないこともあるでしょう。はっきり言えば日本の都市設計は酷いなんてもんじゃなく、各担当者はシムシティでしっかり勉強し直せと言いたいです。

4、流れるモニター広告
 市内での移動中に地下鉄に乗っていてふと窓の外を見てみるとトンネル線路の壁にモニターが横一線に設置されてて、まるでパラパラ漫画を見るかの様に列車に乗りながら広告が見られる路線区間がありました。私はそれほど感動しなかったのですが友人はこれにいたく感動して、単純に視覚的に面白いだけでなく広告の幅が広がる、中国は進んでいるなどとべた褒めでした。
 そんな友人に対して付け加えるように私も説明したのですが、中国の地下鉄車両には基本的に、ドアの横に一台はテレビモニターが設置されています。そのモニターは主に新華社のニュース番組を流しつつ広告も流すのですが、日本ではこのようなモニターは都心の一部車両にしかなく、また流す映像も中国のものよりお粗末な感じがします。こと電車での広告に関しては中国の方が日本の先を行っている、私にはこう思うし友人もきっとそう思っていることでしょう。

5、ゆっくりと流れる時間
 北京の留学体験記にも確か書いていたと思いますが、不思議なことに中国にいると日本にいるときに比べて時間がゆっくりと流れるような感覚があります。それは今回の短期滞在でも同じで、日本だと大分時間が立ったからもうそろそろお昼かなと思っていたらまだ午前十時だったり、晩飯食べて風呂も入ったしそろそろ寝る時間(午後十一時過ぎ位)かと思ったらまだ午後八時半だったり、こういう事が本当に数多くありました。
 この感覚は中国にどっぷりつかっている私だけでなく友人も一緒だったようで、二人してこっちは時間が本当にゆっくりだなどと何度も話し、じゃあなんで日本はあんなに時間が足りず、いつもめまぐるしいんだという原因について議論しました。結論としては日本は周囲に対して常に神経を貼っているというか気を配る必要があるのと、テレビ、ネット共に膨大な情報が常に流れているからそういった情報の処理に脳の大部分が使われるからじゃないかということに落ち着きました。
 ちなみに旅行三日目は万里の長城の疲労が祟ったのでホテル内の部屋で長い時間を過ごしましたが、その際にNHKワールドプレミアムで「あまちゃん」のダイジェスト版が流れてて、「能年もいいけど橋本愛のがかわいいよね」なんていいながら見てましたが、この時ばかりは時間が早く流れた感覚がありました。耳にする言語が日本語、中国語ってのも影響あるんだろうね。

 以上が今回の旅行で主に感じた点ですが、帰路における最後の最後でとんでもない事実というか傾向について気が付いたことがあります。なかなか大きなネタなので、こちらは次回に独立して解説することとします。

2014年1月1日水曜日

阿修羅像祀ってみた

 かねてからこのブログでは買ったものを写真に撮って公開する際、親父と親父の従弟のいい年こいたおっさん二人がガシャポンで獲得した阿修羅像を大きさを比べる材料として一緒に写真に撮っています。一昨年の「中国製タブレットPC購入」の記事で詳しく紹介していますが、この阿修羅像は未だに手元に置いているのですが、何を思ったのかいつも窓際に置いています。
 私が今住んでいるのはアパートの1階で、しかも道路側に一番近い部屋です。このアパートでよくわからないのは道路に面した窓が曇りガラスとなっていないため、カーテンを開けていると部屋の中がまる見えとなってしまい、しかもその道路側の窓は部屋の壁から突き出ており、突き出た部分にはカーテンがかけられない構造となっています。

 仕方ないので突き出た部分の外側というか壁沿いにいつもカーテンをかけているのですが、突き出た部分が棚みたいになっているので、何も置かないのもあれだと思って何故か、「阿修羅像を置こう」ってことになり、私の家の前を通る人は洩れなく阿修羅像が見えるような配慮をしています。そんな配慮、誰もいらないだろうが。

 そんなみんなの崇望集める阿修羅像ですが、なんか今日は元旦だし儀式めいたことをしてみたいなぁと考えていたところ、アロマかと思って間違って100円ショップで買ってしまった普通のキャンドルがあることに気が付き、せっかくだからこのキャンドルと阿修羅像を組み合わせてみようと思い立ちました。恐らく普通の人なら思い立つだけでしょうが、実行力に関しては定評のある自分なだけに即実行しちゃいました


 これがその写真です。「その」って言うのもなんかおかしい気がしますが。
 手前の下部分に窓の桟があると思いますが、この構図はばっちり道路からも見ることが出来ます



 フラッシュをたいたバージョンです。右のキャンドルの炎が小さいのが残念。後ろに見えるカーテンを開くと自分のプライベートが見たい放題です。



 斜めの構図からのショット。なんでこんなことを真冬に路上で、しかも風呂入った後にパジャマ姿でやっているんだろうという疑問が頭をよぎります。相変わらず右の炎が小さい。



 ちょっと時間をおいてから、室内の電気をつけた状態で再撮影。光が露光しているのは間に窓ガラスを挟んでいるからです。右のキャンドルもこの時点はこうこうと光ってた。

 なんでこんなことをしようと思って本気で実行してしまったのか我ながら理解に苦しみますが、こうした自分の信仰心を汲んでかなりハードだった去年よりはいい一年にしてくれたらいいなとか思います。
 あとこの記事書いている最中に家の前で「すげぇ」って子供の声がしましたが、これ見て言ってくれたのかな?好評なら定期的にやってみようかなという気もしますが、こんだけ阿修羅像に対して信仰する元キリシタンも珍しいでしょう。

正月とグランツーリスモ6と自転車

 このブログの早期からの読者なら恐らく覚えているのではないかと思いますが、五年前の2009年の正月に私はなぜか自転車での房総半島一周を企図していろいろと痛い目に遭いました。詳細は「房総半島自転車一周地獄の旅」の中で書いていますがこの体験のせいか、正月を迎える度によくもまぁあんなアホなことをしたもんだとよく思い出します。ちなみにある友人はこのブログで一番おもしろい記事がこのネタだったとよく言ってくれます。

 話は現在に戻しますが私はここ数年中国で生活していたこともあり、日本で正月を過ごすのは実に2010年以来となります。向こうで生活していて日本の生活を懐かしむことなんてほぼ皆無でしたが、この正月のシーズンだけは向こうで日本のサイト見ていていっつもさびしい思いをしていたので何が何でも今年は日本で年越そうと思っていました。この辺は海外駐在者じゃないとわからない感覚じゃないかな。

 そのように待望していた今日の元旦ですが、特にやることもなく朝起きてからは普通にゲームしてちょっとぼんやりしてました。一人暮らしなせいでおせち料理や飾りつけを準備する気も起きず、昨夜も夜中まで年末に買っておいた「グランツーリスモ6」で遊んでたくらいで、ちょっともったいない過ごし方しているなぁ等と感じてました。
 ちなみにこの「グランツーリスモ6」とはPS3のレースゲームですが、日本では希少な親子二代揃っての三菱党である私はこのゲームでも三菱自動車の車ばかり動かしてます。ただ今回のこの6に登場する三菱の車種だと「FTO」と「GTO」がグレードや年代別に細かく分かれて登録されてますが、こんだけこの二車種を数多く登場させるくらいならハッチバックの「ミラージュ」とか「八代目ギャランVR4」を出してくれよと贅沢な文句が出てきます。まぁ三菱の車の中でもFTOが一番好きだから別にいいんですが。
 もう少しこの話を続けると、ランエボの中では「ランサーエボリューションⅧ MR」が一番好きです。他のメーカーについても触れると、スズキの車で「スイフトスポーツ」が入っている一方で市販されている「SX4」が入っていない(WRCに出した特別車は出てくる)のは残念でした。スズキの中ではあれが一番好きなのに。

 話を今日やったことに戻しますが、午前中はゲームしながらボーっとしてたので午後は外出しようと思い、先ほど話した房総半島一周の悪夢を思い出し、「今回は距離を控えて白井まで行ってみよう」という結論に至りました。
 隠すことないので明かすと現在は千葉県松戸市のやけに横揺れの激しいアパートに住んでます。で以って今回目標の白石は同じ千葉県内で、昔予備校講師が「毎年あそこではセミが集団自殺する」と語るほど自然にあふれた場所だと聞いてたので、今まで行ったことないし自転車で行ってみようと思い立ったわけです。

 京成線の白井駅まで私の家から直線距離で約5キロ、往復で約10キロの距離です。軽く地図で見て行ってみましたが、京成線の沿線というか千葉県内は都市部以外だと入り組んでいることが多く、行くまでに結構道に迷ってかなり遠回りした挙句に到着しました。しかも千葉県内は沿岸部を除いて丘(形状からしてその多くが古墳)が多く、自転車での移動だと昇って下りての繰り返しになるため、正直な感想としては走っててスゴイつまらなかったです。途中の鎌ヶ谷大仏の近くでは狭い道に車が渋滞して先進めなかったし。
 京都とかだと道も走りやすいし風景もいいからそういうことないけど、千葉県というか関東は自転車で走ってても面白味が少ないです。まだスピードの出せる河原沿いならともかく都市部や都市間に至ってはイライラが増すだけであんまこういうところ走るのはもうやめようかなと思います。

 自転車で走ってたのは午後一時前から三時までの二時間ですが、ずっと走ってて疲れたので家に戻った後は漫画喫茶行って真冬にもかかわらず清涼飲料をがぶ飲みして、友人おすすめの「電波の城」と「自殺島」という漫画を読んでました。でもって家に帰った後、何をトチ狂ったのか妙な行為をおっぱじめるわけです。