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2015年1月21日水曜日

イギリスのあるカップリング番組

 外で中国人労働者に日本語教えて帰ってきて、マンション手前で野良猫と遊んだため時間がないので間に合わせネタです。

 前に日本に帰っている際、たまたま見ていた「世界まるみえテレビ」であるイギリスのカップリング番組が紹介されていました。その番組では応募してきた女性一人に対してイケメン十人が求愛するというシチュエーションで始まるのですが、簡単な自己紹介が終わると番組側から女性に対して衝撃的な事実が告げられます。

「ここにいる男のうち九人はゲイです」

 そう、普通の男性であるかのように女性へ求愛してくる男は十中八九ゲイで、最終的にノーマルの男性を女性が選ぶことに成功したらカップリング成功となり、番組側から賞金ももらえるという仕組みです。女性はもちろんこんな企画であることを知らずに応募してきたため、この事実を知らされた際は思わず顔を覆って泣き出してました。

 そんな女性の気持ちなんてお構いなしに男性陣はゲイであるような素振りは一切見せず、女性に対して様々な形でアプローチを仕掛けてきます。ただ番組の進行に合わせて女性側から徐々に意中の男性、というよりも消去法的にゲイの男性を絞っていくため、女性側からゲイであると見破られた男性は途中で退場することとなります。
 このルールの下で女性もある程度判断が出来た段階でその男性を呼び、カメラの前で「あなたはゲイだ」と告げるのですが、見事ゲイであると見破られた男性からは、「ごめんね、俺が好きなのは男なんだ」とか、「残念だな。もっとみんなと一緒にいたかったんだけれど」なんて言葉を口にする辺り、この企画はガチ過ぎると妙に感心しっぱなしでした。

 企画も終盤になるとゲイであるかどうか本当に見分けがつかなくなって選択も難しくなってくるのですが、女性はそのようなプレッシャーにも負けず男性を絞っていきます。そして確かわずか三人だけが残った段階で一人を呼んで、「あなたは……ゲイだわ」と伝えたところ相手はニヤリと笑い、

「いいや、俺はゲイじゃない。スーパーゲイだ」

 と話し、最後まで頑張れよと女性を励まして去っていきました。このセリフを聞いてベジータのセリフを何故か思い出しました。

 最終的に女性は見事ノーマルの男性を選び出し、めでたくカップルとなって賞金も無事GETしました。身も蓋もないテレビ企画と言えばそれまでですが、やっぱ欧米というのは日本人の感覚以上にこういう同性愛者に対しておおらかでそこに存在するのが自然の様に扱うのだなと、私の方でも違いというものを強く感じました。にしても女性からするとゲイの人は見ていてなんとなくわかるという話を聞きますが、この企画の結末を見る当たりやっぱそうなのかとも思えてきます。我ながら最後はもっともらしくまとめるなぁ……。

2015年1月20日火曜日

ISISの日本人人質事件について

 このところ時事ネタを一切触れていないのでたまにはという具合でこのネタを書くことにします。

 既に各所で報じられているのでニュースリンクを貼りつける必要もないので省略しますが、本日イスラム国ことISISは日本人二人を人質にとり、日本政府に対し二億米ドルの身代金を要求しました。人質となった二名の身元はほぼ判明しており、そのうちの一人は既にISISによって拘束されていると見られていた湯川遥名氏であるようです。

 まず人質についてですが、確かに出来ることなら助かってほしいとは思うものの上述の湯川氏に関しては巷間伝えられている内容が事実であるというのであれば、個人的な感情としてこのように人質となってしまったのも自然な成り行きだったのではとやや思います。というのも傭兵会社代表の名刺を持ってこんな危険な地域をうろついていればISISでなくても拘束するのが自然な気がしますし、いくらなんでも迂闊すぎる印象を覚えます。

 次に政府についてですが、既に身代金の要求には応じない方針で人質解放のために交渉を含め全力を尽くすということを菅官房長官が明らかにしています。この政府の対応について私の方からとくに文句はなく、テロリストとは身代金などと言った条件交渉は一切行わないという姿勢は当たり前と言えば当たり前ですがしっかりやれていることには安心できます。また安倍首相の中東外遊で視察などの予定を一部キャンセルする対応もなかなか早くて評価できる対応です。

 という具合でもう書くことなくなっちゃったので前から書きたかったことをこの際書いちゃうと、かつてのイラク戦争前までイスラム教の過激派というと少数派のシーア派勢力が主だと伝えられていました。所謂イスラム原理主義者はこのシーア派出身が主であったのですが、伝え聞くところによるとISISの幹部はシーア派ではなく世界のイスラム教徒の大半を占めるスンナ派で、旧フセイン政権の残党が母体となっているそうです。
 これが何を意味するのかというと、シーア派とスンナ派でどっちにテロリストが多いのかという大きな分別が出来なくなったことはおろか、イスラム教宗派の教義や集団的特徴が見え辛くなってきているということです。専門家ではないので詳しいところまではわかりかねますが、北アフリカのボコ・ハラムを含め、近年のイスラム過激派テロリストの行動は宗教的協議に則った方針なり行動理念は見えず、また続々とISISに参加する外国人を見ていてもただ単に自分の欲望、破壊欲求のような暴力をすること自体が目的なのではとすら思えてきます。

 勝手な意見でそのまま話を進めると、こうした参加者らはまるでイスラム教を暴力のシンボルの様に捉えてているように見え、協議なり信念なり理想は度外視されて破壊活動が行われているようにしか見えません。またそれと同時に、冷戦期における西側諸国の極左勢力もこういう具合だったのでは、細かい思想なり考えは度外視されてただ社会の不満を晴らす暴力を行う理由づけのシンボルとして機能してたのではないかと、少なくとも旧赤軍派の面々とその行動を見ていて思います。

 このように考えるとなかなか世界は悲しいものです。世の中は暴力を正当化するシンボルが求められているということになり、ハードロックなどああいうやや過激な音楽スタイルなどもこの系統に入るのかもしれません。まぁ音楽なら直接殴ったりするわけじゃなくそれでストレス解消になるのなら真の意味で世の中に必要とされているのかもしれませんが。

 では「○○ハイツ、最強の武闘派」とまで呼ばれたほど過激な性格の私はどこでそういう破壊欲求なりストレスを解消しているのか。私の場合は激しい系の音楽はあまり聞かずどっちかっていうとゲームとかでストレス潰したり、あとこういうところで過激な記事書いているのでそこそこ消化できているのではないかと自己分析しています。ただ最近ストレスがややたまっているのか、同僚へのメールでいい加減極まりない図面を送ってくる会社の設計部に対して「金属バット持って乗り込みたい」なんて内容を送ることが増えてきました。なんで板厚も自由高さの寸法も書いてない図面で見積りよこせとか抜かすんだよあの北欧メーカー……。

2015年1月18日日曜日

最近の買い物

 先月末に西安に旅行した際、友人と後輩の二人して私に対して「もっとお金を使った方が良い」という妙な説得を受けました。知ってる人には有名ですが私は昔からとんとお金を使わず大学時代も家賃を除いた生活費(光熱費込み)は大体4万円前後でほとんどすべてをアルバイトで賄ってて、社会人になった後も夜遊びなんてほとんどせず(夜はできるだけ長く寝たい)お金を使う先と言ったらゲームか漫画か自転車かコーヒーくらいなんもでした。しかもやけに物持ちのいい性分をしていてさすがに二年前で限界を迎えましたがそれまで使っていたナップザックは中学生の頃から使い続けてたもので、ペンケースに至っては小学校六年生から使い始めた物を現在でも使っています。

 そんな生活ぶりを話したら二人からもっと中国経済に貢献しろなどとも言われ、確かに去年医学部に受かった友人への支援金を除けば特に使う当てのない資金が手元にはあり、毎月の収支も家計簿上では林原と違ってずっと黒字ではあるのだし、一つ前から買いたかったものを一気に買ってみるかと年末年始にかけ自分にしてはやたら物を買い込みました。そこで今日は自分が、「こんな高いものに散在してしまった……」と思うものを一挙公開します。

その一、革張りの椅子(240元=4800円)

 私が自宅にいる際はほぼずっとパソコンに向かってブログを書くなり調べ物をするなり情報収集するなどしているため椅子に座っている時間が非常に長いです。これまでは部屋に備え付けられていた木製の椅子を使っててそんなに不満はなかったのですが、西安行った時に泊まったシェラトンホテルの部屋に革張りの椅子があって後輩と二人して、「めっちゃええやんこれ」とやけに二人して競い合って座るなど心地よく、座ってる時間も長いんだしこの際だから自分の家にも買ってしまおうと購入に至りました。
 写真で見てもらえばわかる通りにキャスターや座高を調節するポンプなどはありませんが、オフィスにいるわけではなく後ろに幽霊が経つこともないので振り返ることもなく、案外なくても不便はありません。座高に関しても同様で、購入する際に問題ないと思ったこの高さで基本固定なのでこれもなくても意外と困らない機能なんだなと再発見しました。

 あと革張りにこだわったのは座った感触の良さもあるものの、それ以上にメッシュ張りの椅子だとダニがすぐ湧き、皮膚が弱いせいかやたら噛まれるので自宅の椅子には基本革張りを使っています。松戸にあるねぐらもそれでメッシュ張りから革張りに変えたし。
 それと左下に見え辛いですが大きさ比較のために西安で買ってきた兵馬俑のミニ銅像を置いています。



 そのミニ銅像のアップです。



  更にアップ。こんなのが確か25元(500円)だった。なんか欲しかった。


その二、スニーカー(170元=3400円)

 それまで履いてきた靴自体は別にまだ破損してなかったものの、ソールがやや薄く、あと靴底が平面に作られるという構造であったため、前からこっちで歩くのに難儀していて新しいスニーカーを欲しがっていました。というのも中国の歩道は日本と違って非常にでこぼこしており靴底が平面だと足裏にごつごつとした感触が直接伝わり歩き辛いのなんので、西安では友人から、「今回やけに歩き疲れやすいね君」なんても言われてしまいました。靴のせいやと言い訳したかったがそこはぐっと堪えた。
 それで今回買ったこの靴ですが、中国のローカルメーカー製で大きいスーパーで年始割引ということで70元引きだったので即決して買ったものです。勝って履いてみた感じとしては耐久性はまだわからないものの履き心地は悪くなく、今朝もサイクリング同好会の面々と一緒にこれ履いて60kmくらい自転車で走ってきましたが自転車走行に使っても問題ありませんでした。
 それにしても、靴を履き潰さない間から新しい靴買うなんて自分も贅沢になったもんだ。


その三、自転車用手袋(120元=2400円)

 これとは別に60元で買った皮手袋を持っていたのですが正月元旦に自転車同好会の催しで市内の日本料理屋でおせち料理食べた後、日本酒も飲まされフラフラと帰り道を逆方向に走ったりするなど変なテンションだったのでそのままGIANTの自転車屋さんで買ってきました。
 その前に持っていた皮手袋も決して悪くないものの指先の寸法が少し余りギアチェンジの際にスカッと外れることがたまにあり、しょっちゅう買うものでもないんだからちょっといいものをと思って買いました。質は悪くなく長時間足っても指先が冷えることもないのですが手の平部の摩擦というかザラザラがもうちょい強ければグリップも強まるのになんても思います。
 ここだけの話ですが自分は日本で自転車乗る時に使う手袋はいつもホームセンターで売っている工業用の手袋です。はっきり言ってこっちの工業用の方がグリップは強いはサイズは豊富にあるわ価格も安いわで変に自転車専門店とかで売ってるのよりずっといい品が選べて変えます。今回もそういう手袋をあらかじめ探しましたがこれというものが見つからず結局専門店で買うこととなりました。あっちの手袋なら財布の中の小銭も掴めて便利なのにな。

 以上が、自分からして高い買い物をしてしまったと思う品々です。さすがに年末年始となると自分も気が緩むのかこのところ食事にも平気で高い金出してしまい、さっきもサイクリングの帰りにチーズケーキ屋で29元(580円)のチーズケーキ買って全部一人で食いました。それ以外にもピザとかケンタッキーとか気にせず行くようになり、赤貧の心はどうした、マルクス主義精神を忘れたのか(覚えたこともないが)なんて気にする毎日です。
 来月はしっかり節約しよう。

  おまけ
 ほかに書くところがないのでここに書きますが、先日書いた林原の記事でAmazonの広告を貼った林原健氏の著書が自分のサイト経由で売り上げがついていました。喜んで詳細を見てみると「林原家 同族経営の警鐘」というタイトルとともに売上額が「619円」、そして私に入る紹介料は「19円」と表示されてたのですが、売上額から察するにおそらく中古本を購入してくれた方がいたのでしょう。内心、「新品で買ってくれればよかったのに……」なんて考えがよぎりました。

2015年1月17日土曜日

美濃加茂市長に贈賄したと主張する社長への実刑判決について

 本題とは全く関係ありませんが大相撲で先日、豊真将関が引退することを発表しました。私は彼が幕内に初めて上がった頃から見ていて比較的多才な取り組み、そしてインタビュー時の真面目な受け答えの仕方から現在いる幕内力士の中で実は一番好きな力士でした。今回の引退は怪我に泣いてとのことで、涙を流しながらインタビューに応じる姿を見て自分も涙腺が緩みました。本当に素晴らしい気力士でした、本当にお疲れ様でしたとこの場を使って述べたいと思います。

 そんな熱い私の思いは置いといて本題に入りますが(我ながらどっちが本題かわからない)、先月に「美濃加茂市長の公判について」の記事で私も取り上げた、業者から現金を授受したとされる藤井浩人現美濃加茂市長の事件で昨日、市長に現金を渡したと自ら主張する業者社長に対し贈賄、詐欺行為への刑として懲役四年の判決が名古屋地裁でおりました。結論から話せばなかなか筋張った構造の判決の仕方かなと私には思いました。

美濃加茂市長へ30万円、贈賄業者に懲役4年(読売新聞)

 できることなら先月の私の記事を読んでもらえばありがたいのですがこの事件について簡単に前説明をすると、業者から口利きの謝礼として現金を受け取ったとして藤井市長は岐阜・愛知県警によって逮捕、立件され、現在検察との間で刑事裁判が行われています。しかしこの事件では直接的証拠は一切存在せず、しかも現金が授受された現場には第三者もいてその証言者は授受した現場は見ていないと述べています。
 そのため贈賄があったという根拠は目下の所、金を渡したという業者社長の自白証言しかないのですが、この業者社長はこれ以前から詐欺によって数億円の資金を病院や銀行からだまし取っており、検察から藤井市長に贈賄をしたという証言をすればいくつかの詐欺事件の立件は目をつぶると言われたことを知人に洩らすなど、疑惑真っ黒の人物であったりします。結論から言えばこの事件はちんけな詐欺師に偽の供述を強要することで起こった、検察による捏造事件ではないかと現時点で私は強く疑っています。

 今回出たニュースは藤井市長の件とは別件の裁判で、この贈賄をしたとされる社長個人に対する贈賄、詐欺行為に対する刑事裁判です。今回出た判決では行政から大規模な取引を受注したと偽り金融機関から融資金6100万円を搾取した詐欺行為、市長への贈賄行為が裁判所によって認定され、社長に対し懲役四年が下りました。

 一つ一つポイントを整理すると、まず詐欺行為に関しては社長自身も認めており、また実際に被害に遭った金融機関もあって内容に関して特に大きな争点はないのですが、金額に関してはちょっと妙なしこりが残っています。というのもこの社長が搾取した金額は6100万円ではなく実際には数億円に上るそうですが、そのうち検察が立件したのはごく一部の融資だけで、そのほかの搾取に関してはノータッチです。この点については前回記事というかさっきにも述べていますが、検察との間で証言を行う代わりに目をつむるという司法取引があった可能性が高いです。

 もう一つの藤井市長に対する贈賄ですが、この社長の裁判では贈賄はあったものと認定され懲役に加算されているようですが、この点で注意してもらいたいのはこれは社長の裁判であって藤井市長の裁判ではありません。これまでの裁判でも同じ当事者の別々の裁判で事実認定が異なる展開は数多くあり、藤井市長の裁判では贈賄行為があったと認定されない可能性は高い、というかそうならなかったらなんやねんと私はむしろ思います。

 とりあえず今回の裁判で言えることは市長に贈賄したとされる社長は根っからの詐欺師だったことと、検察が敢えて立件してきたのは社長が美濃加茂市長に口利きしたとされる受注案件による詐欺だったということで、始めから市長を狙い撃ちにして社長の裁判も組み上げていったという事でしょう。まぁ手の込んでいることと呆れますが、藤井市長の裁判の判決は三月五日に下りる予定なのでその時期が来たらまた続きを書くことになりそうです。

2015年1月15日木曜日

主観的嗜好からの選択


 上の集合写真は先日ネット上をさまよっている最中に偶然見つけた画像なのですが、一目見てたまげたというかこんなすごい集合写真がこの世にあったのかと大きな衝撃を受けました。見てわかる通りこの集合写真は昭和期のメジャーな漫画家とその奥さんが写っているのですが、その写ってる面々たるや手塚治虫、水木しげる、赤塚不二夫、石ノ森章太郎、横山光輝、さいとうたかを、藤子不二雄×2など、数え上げたらきりがないくらいレジェンド級の漫画家がずらりと並んでおり、「日本漫画界版アベンジャーズ~世界よ、これが漫画家だ」と言ってもいいような凄い写真です。よくもまぁこれだけの大物が一堂に会せたものだと重ね重ね驚嘆に値します。
 なおこの中の真ん中右上に「デビルマン」や「マジンガーZ」でお馴染みの永井豪も写っていますが一目見て、「若っΣ(゚Д゚;)」という声が飛び出てきました(マジで)。あと手塚治虫の左隣に水木しげるが入っておりますが、この写真の並びについて手塚治虫のウィキペディアのページの中にある両者の不仲説とその真相に対する項目の中で少し触れられています。

 話しはこの二人の漫画家の特徴について書きだしていきますが、横山光輝とともに最前列に並んでいることから察するにこの写真が取られた当時としても両者は漫画界の超大物として扱われていたと考えられます。ある漫画評論家をして「日本の漫画は90%が手塚治虫、10%が水木しげるの影響を受けている」と評されていることからも日本漫画史における両者の存在感は非常に大きいと私も考えています。
 しかしこの両者の漫画はまるきり正反対というか好対照と言ってもいい作りをしていると常々言われており、手塚自身もその事実をことある毎にそうした傾向について話しています。現在残っている手塚の言及をまとめると、手塚自身は緻密にストーリーを練り上げ読者が何を求めているかを計算した上で漫画を描くのに対し、水木などは自分の感性のままに好きなこと、面白いと思うことを勝手気ままにストーリーを組み立て漫画を描いているとのことで、そう言われてみると両者の漫画はそのような正反対な特徴を持っているかのように見えてきます。

 それで非常に僭越ながら両者と比べると、私自身はどちらかといえば水木のようなスタイルでもってこのブログを書いており、だからこそ水木作品に対して異常な愛着を持つなどシンパシーを持っているのだと思います。手塚作品ももちろん面白くて好きですが。

 私がこのブログの記事を書くに当たってどういう基準で記事の内容を決めているのかというと、一言で言えば「自分が面白いと思うこと」を基準にして選んでいます。歴史ネタ然り政治ネタ然り、あと見ていて非常に怒りを覚えてほかの人にもぜひ自分と一緒にその怒りを共有してもらいたいような社会問題など、自分の興味(むしろ欲望)の赴くままに記事を書き綴っています。逆に読者におもねるというか、アクセスが増えそうなホットな話題や注目度の高い事件などは全く書かないわけではありませんが興味が向かなければ無視してしまい、たまに周囲からも「なんであんな大きな話題となっている事件を取り上げないの?」と聞かれることがあります。
 もちろんアクセス数はモチベーションにもつながるのでなるべく多くの人に見てもらいたいというのは事実です。それにもかかわらず何でもって読者受けするように動かずそのように自分の好きなことばかり書くのかというと、「世の中たくさん人がいるんだから10%くらいは自分と似たようなセンスを持った人がいるだろう。自分が好きなことを書いてたら最低でもその10%程度の人達は食いつくはずだ」なんていう計算が働いているからです。

 逆に読者受けするかもしれませんが自分が面白くもないと思うことを書いた場合、自分と似たようなセンスを持った人間も一緒になって面白くないと感じることが予想され、その記事は当たれば残り90%の人間は読むかもしれないが外れれば最悪0%、つまり誰もが面白くないと感じる記事になる可能性があります。それであれば10%を狙う方が手堅いというか、ややインナーな動き方かもしれませんが「自分が面白いと思うかどうか」を絶対の価値基準として記事内容をいつも選んで書いてます。
 敢えて言うなら手塚が計算型、水木が直感型であれば私は間違いなく後者のタイプで、記事の選択に限らず普段の行動でも計算して動くというよりはその場その場の直感、「なんとなくこっちの方がよさそう」と感じる方を選択して常日頃生きてます。そんな自分に言わせれば現代日本人の大半は計算型に見え、しかも計算の仕方がおかしいがゆえにマーケティングなどの面で失敗することが多いようにも見えます。

 たとえば自動車を例にとると、メーカーとしてはなるべく多くの人間が購入意欲を持つような車を開発しようと考え、狙い方としては上位と下位それぞれ10%の層に嫌われても真ん中の80%のゾーンにいる人間が気に入る車を作れれば大成功と言えます。この最大公約数的な80%のゾーンは「ボリュームゾーン」と言われておりますが、このところ日系メーカーを見ているとこのボリュームゾーンを狙って作ってみたものの出来上がってみれば「誰もが欲しがらない」と思うようなどうしようもない製品に仕上がってしまうケースが多いのではと思います。
 こういうケースは日系家電メーカーで特に顕著ですがなんでそんなどうしようもない製品が出来てしまうのかというと、一つは「誰にも嫌われない」に比重を置きすぎるあまりに「嫌われない代わりに誰にも好かれない」製品にしてしまう。二つ目としては目には見えず存在すらしない人間に好かれる製品にするため自分自身の嗜好を置き去りにしてしまってるからではないかと密かに見ています。

 というのも、マイナスイオンを発生させるテレビとか数万円もする電子メモ帳とか、一体こんなの誰が欲しがるんだよとツッコみたくなる製品がガラパゴス大国日本ではよく見られるからです。普通にこういう製品を見ていて開発者はこんな製品をお前自身はお店で買うのかと問いたくなるようなものばかりで、開発者やマーケティング担当者からして借金してでも自分は買うと思うような製品を作れているのか強く疑問に感じます。
 確かに顧客に受け入れられるような製品を計算して作るのはマーケティングの基本ですが、少なくとも自分自身が好きになれない製品を作ったところで顧客にも受け入れられない可能性の方が高いような気がします。それであればもうちょっと主観的な嗜好で開発者自身が好きになれる製品、あったらいいなと思うような製品を作る方向に努力するべきではと言いたいわけです。

 多分読んでると思うけどこのところの友人のブログ記事を見ていてまさに同じことを思っています。ちょっと読者におもねり過ぎというか君自身はこのネタを本当に面白いと思うのか、こうした情報が必要なのかと思え、こうした視点を持つことでもアクセス数は上がるよと言ってあげたいわけです。実際、変に読者を意識して解説ぶった記事よりも自分の不満などを思い切り愚痴ってぶちまける記事の方が案外面白かったりすることもあるし。

 最後に蛇足かもしれませんが、こういう直感型というか自分の嗜好を基準にしている代表格としては地味に明石家さんまが来るかもしれません。聞くところによるとさんまは自分のテレビ番組を録画してはよく一人で見て、「俺ほんまおもろいやんけ」と笑い転げるそうですが、これなんか自分が面白いと思うトークを視聴者にも見せて成功している好例と言える気がします。
 自分の好きなものばかりを追いかけようとすると独りよがりになると警告する人もいますが、極端な方向でない限りはこういう姿勢も悪くないんじゃないかなと自分を振り返りながら思うところです。

  注
 今回の記事では故人も出てくるので、引用する人物名は芸名やペンネームということもあって敬称を省略することで統一しています。書いてて非常に畏れ多かった……。

2015年1月14日水曜日

薩摩閥のフェードアウト

 最近調べ物でガチで忙しいので、このところ書いてなかったのもあるので日本史ネタでかわすことにします。我ながら思いますが日本史ネタを間に合わせでパッと書く、それも意図的にほかの人間が触れないようなテーマをすぐ用意できるのは多少つけ上がっているかもしれませんが異能振りもいい所でしょう。何気にこの辺のセンスは5年前当たりと比べると明らかに成長している節もあり、何を目指しているのか自分にもよくわからなくなります。

藩閥(Wikipedia)

 そういうわけで本題に入りますが、明治から大正にかけて日本の軍部、政治界における幹部はほぼ薩長閥こと薩摩藩、長州藩出身者によって占められ、このような状態を「藩閥政治」と呼ばれたことは皆さんも知っていると思います。明治期こそ土佐の板垣退助、肥前の大隈重信なども要職を歴任していますがこの二人以外となると海軍大臣や陸軍大臣、元帥などを含めてほぼ薩摩、長州出身者によって占めらることとなります。
 しかし大正期に入ると次第に薩摩閥の勢力が徐々にフェードアウトしていき、政党幹部を含めて長州閥の勢力の独壇場となっていきます。一応、山本権兵衛のように薩摩閥でありながら大正時代に首相を務めた人物も下りますが、一体何故一世を風靡した薩摩閥が時代と共にフェードアウトしたのでしょうか。
 解説を始める前に先に主だった薩長出身者を列記します。ありそうでないよねこんな表。

<薩摩閥>
・西郷隆盛(元勲、陸軍元帥)
・大久保利通(元勲、内務卿)
・黒田清隆(首相、開拓使長官)
・西郷従道(陸軍卿、海軍大臣、元老)
・松方正義(首相、大蔵相、元老)
・山本権兵衛(首相、海軍大臣)
・大山巌(陸軍大臣、元老)
・樺山資紀(海軍大臣)
・上原勇作(陸軍大臣)
・東郷平八郎(海軍大臣)

<長州閥>
・木戸孝允(元勲)
・伊藤博文(初代首相)
・山縣有朋(首相、陸軍元帥)
・井上馨(首相、外務卿)
・桂太郎(陸軍大臣、首相)
・乃木希典(陸軍大将)
・児玉源太郎(陸軍大臣)
・寺内正毅(首相、陸軍大臣)
・田中義一(首相、陸軍大臣)
※追記:井上馨は「首相」にはなってませんでした。指摘があったので、訂正します。

 恐らく、さりげなく東郷平八郎を薩摩閥出身者として数えるのは日本広しといえども自分を除けばそんなに多くないと思います。彼を藩閥とみなすかはいろいろ意見があるでしょうが、単純に薩摩出身者で要職を務めたという一点でもって敢えて加えました。

 ばっと見てもらえばわかる通りに薩摩出身者は海軍の要職を務めていることが多いのに対し、長州出身者は陸軍関係が多いというか、木戸、伊藤、井上を除いたすべてが陸軍最高幹部を必ず経験しています。唯一の例外として薩摩の西郷従道が何故か陸軍卿と海軍大臣の両方を経験していてかなりレアです。
 実際、明治の時代においては薩摩閥は海軍、長州閥は陸軍という具合に暗黙のうちに棲み分けが進んでいったようです。そうなったきっかけは話せば長くなるので一言で済ますと西南戦争が原因であるのと、東郷みたいに薩摩出身者は英国に留学する一方で長州出身者は乃木の様にドイツへ留学するなど、主な留学先も別れていたからという可能性もあります。

 話は本題に戻しますが、明治でこそ薩摩は海軍、長州は陸軍という具合で棲み分けられていた薩長閥は大正に入る頃辺りから明らかに長州閥と比べて勢力を落としていきます。特に議会においてこの傾向は顕著で、長州閥は伊藤や山縣、桂が何度も長期にわたって首相職を務めたのに対して薩摩閥は黒田清隆の首相時代は短命に終わり、松方や山本はそれぞれ複数首相職になっていますがどちらも長州出身の首相と比べると任期は短いです。特に山本に至っては政権期に重大事件が起こったため、二度も本人とは関係なく責任を取る形で辞職してるし。
 軍部においては薩摩、長州共に大正中期辺りから同じ程度に勢力を落としていきますが、どうして政界では薩摩閥が先に脱落していったのか。私の考える理由は大きく分けて二つあり、一つは薩摩閥は軍人タイプが多くて政治に向いた人材が少なかったこと、二つ目は薩摩閥の首魁に政治的野心が極端に少なかったためです。

 一つ目の理由について解説すると、明治政府発足当初こそ大久保利通が内務卿となり実質的なリーダーとして政治を運営していましたが、彼は同じ薩摩閥の人間よりも伊藤や井上といった海外経験のある長州出身者を主に使い、大久保の死後はこの二人と山縣がその路線を引き継いでいきます。この時点で政治分野におけるイニシアチブは長州出身者に移ったと言ってもよく、派閥間のバランスを取る形で黒田が伊藤に続く二代目首相として就任しますが経歴を見る限りだと黒田は勢力の調整などといった政治的な才能はそれほどなく、在任中も評判が悪いまま任期を終えています。しかも黒田の場合、同じ薩摩閥の人間からも嫌われていたようで一番仲良かったのは元幕臣の榎本武明だったそうです。
 黒田の後、松方はまだ政治・経済分野に明るく首相にも就任しましたが、彼を除くとほかに政界を渡り歩けるようなタイプの人物は薩摩閥からなかなか出ず、後に山本が首相にはなりますが彼を含めて薩摩閥の面々は政治よりどちらかというと軍務に情熱を燃やすタイプの方が多かったように見えます。こうした人材の偏りが主導権を失った大きなきっかけでしょう。

 このように薩摩閥は政治分野のファーストステップで主導権を長州閥に握られるわけですが、それに輪をかけたのは薩摩閥の首魁たちの政治的野心の少なさです。これが最も顕著だったのは西郷隆盛の実弟、西郷従道で、彼自身が元勲に数えられる人物で何度か首相就任の打診を受けていたものの西南戦争で逆賊となった兄を気にして、「逆賊の弟が首相になるわけにはいかない」と徹底的に固辞したそうです。年齢、功績から言って薩摩閥の長たる西郷従道がこんな具合で、彼を差し置いて目下の人物が首相になるなんてやはり具合が悪く、また西郷兄弟の従弟である大山巌も同じように、「逆賊の親類が~」と固辞し続ける有様で、みんなして政界での活動に及び腰な態度が見られます。

 こうした薩摩閥の面々についてちょこっとだけ掘り下げると、これは恐らく薩摩出身者における一種独特なメンタリティも影響しているように見えます。薩摩、というか現在の鹿児島県にも言えることですが、ここの出身者の理想の人格は昔も今も西郷隆盛です。それがどんな人物像かというと、「普段はどっしり構えて慌てず、やる時はやる」というようなタイプで、事が起こる前かからせこせこ動いたり、猟官運動をするような輩は逆に嫌われます。むしろ、

「もうお前さんしからおらぬ。頼む、やってくれ」
「拙者のような粗忽者でどれだけお役に立てられるか……」

 などと言って渋々引き受けるような人間なんか薩摩人の琴線に強く触れると思います。このように自分から積極的に動かないタイプが理想であるため、上から命令されてそれを黙々と実行する軍人とは相性が良くても政治家としては向いていなかったのかもしれません。

 逆に長州閥は幕末の長州藩で内部抗争がかなり激しく、否が応でも前に出ないとすぐやられるという修羅場が多かったため渡世術に長けた人間が数多く輩出出来た節があります。人間何ごとも経験かな。

 最後に長州閥について少し掘り下げると、長州閥は実質的には山縣閥と言い換えても問題ないと私は考えています。伊藤は明治期に何度も首相となるなど活躍しましたが割と他人には素っ気ない態度の人物で、使用した部下も出身は気にせず必要かどうかだけで採用し、不必要となると切り捨てるところがあったためとうとう自身の派閥は生まれなかったと聞きます。そんな伊藤の主だった部下を見ると陸奥宗光や金子堅太郎、後継に至っては西園寺公望と長州出身者はそんな見当たりません。
 それに対し山縣は本人からして権勢を広げることが好きだったのもあるでしょうが、それ以上に身内の面倒を割としっかり見るタイプで、頼ってくる人間を相手しているうちに一大派閥を作っていたと見る説もあります。実査、私も山縣の発言などを見ると自分の出身が武士として最下級だったことを気にしつつ、認めてくれる人間がいれば道は切り開ける的なことをよく言っているように感じられ、自分を頼ってきた人間を切り捨てることはできずに派閥を作っていたようにも見えます。

 もっともそれだけ権勢をほしいままにした長州閥も昭和に入る頃にはほとんどいなくなり、そのかわり陸軍内部では皇道派と統制派、海軍内部では艦隊派と条約派に分かれた派閥争いが展開されるわけです。人はいつの時代も派閥争いはやめられないものです。

漫画レビュー「もっけ」

 このブログのヘビーリーダーなら言うまでもないでしょうが私は妖怪漫画の第一人者である水木しげる氏の大ファンです。なんで好きなのかそこらへんは置いときますが、ある日ネットの掲示板で非常に良くできた妖怪漫画あると聞き、一つ試しに買って読んでみるかと手に取ってみました。

もっけ(Wikipedia)

 この漫画の大まかな概要を話すと、勿怪(もっけ)ことあちらの世界の人たちが直接目に見える姉と、そういったものにやたら憑りつかれやすい妹という組み合わせの姉妹のお話です。作中、姉は中学二年生、妹は小学五年生からスタートしますが話の進展に従ってそれぞれ高二、中二にまで成長し、この間の成長の過程で遭遇する様々な現象を基本一話完結の話でまとめられた上で話は進んでいきます。

 この漫画の最大の特徴は上記の、「あちらの存在」と関わる姉妹の役割が明確に分かれている点でしょう。姉妹は都市部に住む両親とは離れ田舎に住む元拝み屋の祖父と共に暮らしているのですが、姉は好むと好まざるを関係なく霊的な存在を見て危険を察知することができるものの、祖父の命令もあってそれを周囲には伝えられず、周囲の人が「障る(さわる)」ことによって怪我などするのを黙ってみているだけということにやきもきします。その甲斐あってこっちのお姉ちゃんはどの話でも困った顔をいつも浮かべてます。
 そんな姉に対し妹は姉ほど霊的な存在を事前に見えることないのに、ほぼ毎回不意打ち的に憑りつかれて一方的に被害を被ることが多いです。もっともこっちの妹は、大人しくて女の子らしい姉とは違い活発な性格、悪く言えばお転婆なキャラのため、毎回痛い目に遭いながらもめげることはないのですが、話によっては溺れ死ぬ直前にまで引っ張り込まれたりするので意外と笑えない事態に巻き込まれることも少なくありません。

 それで肝心のこの漫画に出てくる妖怪、といっても作中ではほぼ全く「妖怪」という言葉は出て来ず「彼岸(あちら)の存在」として表現されます。中にはかわいらしくデフォルメされたデザインで他愛もなく姉妹と関わりを持つのもいる一方、最初は姉妹に対し協力的な態度を見せながら、ふとした拍子に牙をむくというか彼岸の世界、つまり死後の世界へ姉妹を引っ張り込もうとするのももおり、一言では言い切れない強い不気味さを持ったキャラクターが多数出てきます。恐らく作者も意図してのことでしょうが、「何が目的かわからない、掴みどころのない存在」をうまく表現できているように見えます。

 こうした「あちらの存在」には元拝み屋の祖父が解説し、時と場合によっては姉妹に手を貸すことで祓うようなこともしますが、基本この祖父は妖怪たちについて「そこに存在していることが自然」であるとしてゴーストバスターズみたいに祓うという行為は積極的に行わず、むしろ姉妹に自己解決するよう突き放すことのが多いです。このような祖父の態度というのが私個人的には非常にツボで、妖怪など物の怪の類は「眼には見えないがそこにいるのが当たり前」、「祓うという行為自体が自然の摂理に反する」、「祟られないよう触れずにおく」という価値観が非常に納得するとともに、通常の妖怪漫画と一線を画す所だと思います。

 勝手な想像で描いていくと、この漫画における妖怪に対する思想は日本古来の霊的なものに対する価値観がよく出ていると思います。既に書いてある通り、日本は神仏はもちろんのこと動物霊なども含めてあちらの存在は「どんな理由があろうと触れてはならない」というもので、向こうが困っていても協力しない、こちらへ手を貸すと言われても耳を貸さないという具合に、こちらとは異なる世界の住人であるためどんな理由があろうと関わってはならないという鉄則が徹頭徹尾貫かれています。
 人によって意見は違うと思いますが、私は霊的な存在に対する態度というのは斯くあるべきだと内心考えています。頼りにしても駄目、頼られても駄目という具合に、興味こそ覚えても絶対に近づくべきではないし近づかれてもよくないという存在な気がします。しかしそうだとわかっていても何故だか興味を覚え、知りたくなる、近づきたくなるという不思議さこそが妖怪の妖怪たる所以でしょう。

 そのような存在、価値観が非常に丁寧に書かれてあり、また登場する「あちらの存在」も江戸時代の文献や絵巻をふんだんに引用しながら聞いてて本当に存在するかのような解説が加えられているため、一言で言って非常に面白い漫画で、どうして連載中に手に取ることが出来なかったのかと本気で後悔しました。

 あとちょっと専門的なことを話すと、作中の世界こと姉妹が住む田舎の風景が背景の中で非常に良く描かれており、まるで本当に妖怪の一匹や二匹が潜んでいてもおかしくない印象を覚えます。水木氏の漫画にも言えますが、こうした漫画というのは地味に背景が一番重要な気がします。水木氏の漫画もキャラクターは非常にデフォルメ化されていますが、背景は「点描を打ったような背景」と称されるほどこれでもかというくらいに緻密に描かれており、雰囲気を表現するのに大きな役割を果たしています。