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2015年12月23日水曜日

愛国心とは何か

 最近買い始めたラブコメ漫画に「女の子同士のキスはノーカウント!」というセリフがあり、これを見たそのまさに一瞬、「なら男同士は?」という妙な疑問がよぎりました。なんだろう、こんな疑問よぎるのって自分だけ?

 話は本題に入りますが、先日ふと道を歩いている最中に「愛国心とは何なのだろうか」という疑問がよぎりました。愛国心と一言で言ってもその定義する内容は使う人間によって大きく変わることが多く、Wikipediaの記述を見ても一番最初に大きく分けて二種類あるとして以下のように記述してます。

 一口に「愛国心」といっても、話者によってその意味するところには大きな幅がある。愛国心の対象である「国」を社会共同体と政治共同体とに切り分けて考えると分かりやすい。

・社会共同体としての「国」に対する愛着は「愛郷心」(あいきょうしん)と言い換えることが出来る。
・政治共同体としての「国」に対する愛着は「忠誠心」(loyalty)と言い換えることが出来る。
(Wikipediaから引用)

 この分け方には私も同感でそもそも愛国心という気持ちの対象が何であるのか、自国の国民なのか、民族なのか、文化なのか、政権なのか、国体なのか、言うまでもなく前三つと後ろ二つでは明確に区切る壁が存在します。そう考えると上記のWikipediaの記述がまさに適当だと思え、その上で述べるならば通常使う「愛国心」という言葉は後者で、前者はむしろ「郷土愛」などと呼んで使い分けを明確にした方がいいように思えます。
 何故このように述べるのかというと「愛国心」という言葉はやはり政治用語のように思え、政権などに対する距離感を言い表すためだけに使うべきだと思うからです。妙な例を作りますが、日本食が大嫌いで洋食しか食べないし歌舞伎や能は興味ないけどオペラ好きではあるものの、日々日本のため汚れ仕事も率先して引き受ける敏腕な諜報員(独身)がいたとすると、この諜報員は前者の意味だと「愛国心がない」ということになってしまいますがそれはちょっと違うんじゃないかと思え、政権のために尽くすという一点でもってやはり「愛国心がある」と言うべきだと思うからです。ってかこんな諜報員いたら会ってみたいよ。

 というわけで愛国心は政権や国体にのみ向けられる気持ちだと整理した上で次の疑問点をだすと、その気持ちが向けられる政権というのはいつの政権なのか。また変な例を出しますが中には徳川幕府復興を志してまだ活動している人もいるかもしれず、その人は現在の政権に当たる日本政府に対して反動分子でありますがかつての政権である徳川幕府には忠を尽くしているわけで、こういう人は果たして愛国者と呼べるのでしょうか。同時に、現政権を打倒して新たな政治体制の確立を目指して活動している人間も呼べるのか。
 この疑問の答えははっきりしていて、やはり時の政権以外であればすべてテロリストでしかなく現代でテロリストを愛国者と呼ぶことはまずないので、愛国心は時の政権以外に向けられたものはもはや愛国心ではないというのが私の考えです。仮に革命がうまく成功して政権が転覆すればそのテロリストたちは愛国者として語り継がれるかもしれませんが、それはあくまで成功した上での話であって成功する前の段階でどうこういうべきではないでしょう。

 長々と整理してきましたが核心部分に入りますと、時の政権に対する一体どういう気持ちが愛国心となるのか。単純にその政権を支持する気持ちが愛国心なのかどうかですが、キーワードとなるのはじ「自己犠牲」があるかないかではないかという気がします。国家のために自分を犠牲にして命も捧げるような感情が愛国心なのか、そこまで行かなくても単純に国のために何かできる範囲で協力しようという気持ちがあれば愛国心と言えるのか。
 これは人によって考え方は違うでしょうが私の中の答えを述べると前者で、命すら捧げる気持ちがあって初めて愛国心と呼べるのであって程度の差なんてものはない気がします。なので「愛国心を育てる教育」なんていうのは間違いであって本来ならば「愛国心を作る教育」と言う方が適切ではないかとも考えます。

 なんでこう極端な物言いをするのかというと途中まで愛国心を考えているうちに、「突き詰めればこれは国家に対する『忠』なのでは」というように思え、儒学の価値観に沿うならすべてを投げ打ってでも仕える対象に尽くして初めて「忠」と言え、命の危険を感じて引き払ったり距離を置いたりするのはやっぱり利己主義であって忠とは異なるように感じたからです。
 なんかこう言うと時の政権の言うままに命を差し出すべきだと言ってる極端な人間のように思われそうだから釘刺しときますが、儒学の忠には「諌止の忠」もあり、「命を懸けて主君を諌める」事も含まれており、私もこういう行動も愛国心だと言えると考えています。政権に対して無批判でなければ愛国心がないというつもりはさらさらありません。

 ゲームの「メタルギアソリッド3」でまさにこの「愛国心」という言葉の定義を主人公と敵役が議論というか一方的にまくしたてられるシーンがありますが、ボロ雑巾のように国家に使い倒されてもなお文句ひとつ言わず受け入れることが国家へのLoyaltyであって「愛国心」であると言い、その上で敵役は主人公に対し、「お前の忠はどこに向けられている?国家か、任務か?」と問います。その後の話をすれば主人公のネイキッド・スネークは国家を「棄て」、兵士が使い捨てられないような世界を目指して自らの「国家」を作っていこうすることになります。
 この例に限るわけじゃないけど、本質的に愛国心と平和は同じ軌道上にはないのかもしれません。

2015年12月21日月曜日

大阪人は何故海外に強い?

 昨夜また前に原稿書いた中国雑誌社の編集者に原稿を依頼され、中国語でバッと記事書いたので疲労困憊です。書く時間はたっぷりあったけど慣れないテーマだったのと、最近ちゃんとした媒体に載せる記事書いてないから吐きそうな気分になりながら必死で900字弱で記事を書き終えました。
 なのでこっちのブログの方はパパッと書けるネタとして、昨日ちょっと飲み会で聞いてきた話を書きます。

 まず言いたいことだけ書くと、日本人の海外勤務では関西人、とりわけ大阪人が多方面で強いです。なんだかんだ言ってストレス多いから身体や精神やられる駐在員は決して少なくないのですが、大阪人でそういうのがやられるという話はほとんど聞かないし日本食屋とか言ってるとでかい声で関西弁がよく聞こえてくるなど、大阪人はどこ行っても大阪人だなと思いつつその海外での強さの秘密は何なのかと気になってました。
 何故気になってたのかというと、大学時代の友人との会話が原因です。その友人は岐阜出身なのですが彼曰く、就職活動の際に周りの大阪人は海外はおろか大阪府、下手すれば大阪市からも出たくないと言う奴が多かったと話しており、実際に私も「東京勤務になるなら仕事辞める」とまで言う人を見たりしました。なおその岐阜出身者は海外勤務になったら会社辞めると言っておきながら、面接時はどこでも行きますよアピールして内定取ったそうです。

 話は戻りますがこの過去の体験を鑑みると大阪人はどっちかっていうと地元に縛られてあまり外向きではないのかなと感じたのですが、実際の海外現場ではどこの出身者よりも元気なのは大阪人です。このギャップが気になってしょうがなかったので昨夜直接大阪人二人に、「なんでなん?」って聞いてみたところ、「若いうちは大阪出とうなかったよ」という回答がもらえました。
 その後はあまり深く突っ込みませんでしたが、あの一瞬の回答から察するに社会に出る前の段階では地元愛が強すぎて外界に対して出ていこうという意識が弱い一方、一旦社会に出ると仕事というか商売にのめり込んでぐいぐい出て行こうとばかりに考えが切り替わるのかなと思いました。もちろん個体差はあるでしょうが。

 でもって海外で強い要因に関してはこれは前からもほぼ確信してますが、概念が揺さぶられないのが何よりも大きいでしょう。自分の常識や価値観に対して目の前の人間なり社会が異なった動きを見せると人間は多かれ少なかれ動揺しますが、この際に相手が正しいのか自分が正しいのか、この迷いが大きくなると不安が高まります。関東というか東京の人は周囲に対してカメレオンのように合わせることを信条としているだけに海外では現地に合わせようと行動するも合わせられる限界を越えてパンクする傾向がありますが、これが大阪人だと自分のやり方のが正しいと思って合わせずにむしろ相手を自分の流儀に引き込もうとするので動揺しないのでは、というのが私の分析です。

 こういったことを話したら昨夜話した大阪人のうち一人が、「せやせや、うちのかみさんも中国語わからへんのに中国人の店員相手に電卓ひとつで必死に値切っとったで」と、我が意を得たかのように話し出したので、自分の見方は当たらすとも遠からずではないかとみております。ちなみにこの自分の流儀を押し付けるというタイプですが中国人も当てはまり、アメリカ行っても中国語でしゃべり続けるあたりはほんと大阪人と相性いいなと思います。

2015年12月19日土曜日

危機を切り抜けた名パイロットたち その四

 このシリーズもようやく手持ちストックを使い切れます。当初は一回で全部取り上げようとしてたけど、四回に分けて正解だった。

11、ノースウェスト航空85便緊急着陸事故(2002年)
事故内容:ラダーの破損  乗客乗員数:404人

 米国・デトロイトを出発して太平洋へと飛び立った同便は安定して飛行していた最中、突然機体が左方向に傾くというトラブルが発生しました。パイロットらは当初、左側のエンジンにトラブルがあるのではと考えたもののエンジン回りは特に誤作動はなく、またありとあらゆる方法で原因を捜したもののやはりわからず、緊急事態であることを管制に告げた上で緊急着陸先のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港へと向かいました。先ほどにも述べた通りに期待は常に左側へ傾いたままでした。しかも姿勢を制御する補助翼も操作を受け付けなかったため、パイロットらは左右のエンジンの出力を調整することで機体を見事に制御し、着陸先の空港でも大過なく無事に着陸してのけました。
 着陸後、機体の検査によってわかったのは姿勢を制御するラダー(尾翼についている稼働する羽)が金属疲労によって破損し、左側に傾いたまま動かなくなってしまったためでした。こういったラダーの故障は過去には一例もなく、原因がわからないまま最後まで操縦し続けたパイロットたちは航空会社から大きく賞賛されることとなりました。
 なお、同便の行き先は何気に成田空港だったりします。

12、ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故(1982年)
事故内容:火山灰  乗客乗員数:263人

 マレーシアのクアラルンプールからオーストラリアのパースへと飛び立った同便はインド洋上を飛行している際、本来雷雲を通っている最中にしか見えない発電現象の「セントエルモの火」がコックピットの中で確認されました。しかしレーダーでは雨雲は表示されておらず、何故この現象が発生するのかと思っていた矢先、突然4つのエンジン全てが停止してしまいました。
 発電機などはまだ生きていたため最低限の機体操作は続けられ、高度も確保されていたためエンジンが停止したままでも相当の距離を飛行できる状態でしたが、同便の航路途中には山岳地帯があり、11500フィート以上の高度が無ければこの山肌に衝突してしまう危険性が残っていました。機長は必死で操縦を続けましたが、いざとなれば海上への不時着も覚悟していたそうです。
 機長らはエンジンの再始動を繰り返したもののエンジンは戻らず、しかも悪い事態は重なるというかエンジン停止によって機内の与圧が下がってきたことから酸素マスクをつけようとしたところ、副機長のマスクが壊れるという事態に見舞われました。そのままだと副機長は酸素不足から気絶する可能性があるため、やむなく機長は酸素濃度を上げるため維持し続けたい高度を下げる決断をしました。

 既に機体は山岳地帯を越えるのに必要な高度を下回る11400フィートに達し、もはや海上着水もやむなしと思ったその瞬間、突然第四エンジンが復帰し、さらにほかのエンジンも次々と復活しました。蘇ったエンジンで機体を立て直し緊急着陸先のハリム・ペルダナクスマ国際空港へと向かったところ、それまで夜間帯の飛行であったため気づかなかったのですが、コックピットの窓ガラスは一面真っ黒になっており窓の先がほとんど見えない状態になっていました。こんな悪条件の中、わずかに見える隙間を頼りに滑走路に狙いをつけ、無事にそのまま着陸して乗客乗員のすべてが生還へと至りました。

 事故原因は頭の所に書いてある通りに火山灰で、インドネシアにあるガルングン山の噴火によって噴出した火山灰が同便が通過する航路にまで達し、エンジンがその灰を吸いこんだことによって灰が熱でガラス化し、詰まってしまったため停止してしまいました。雨雲を捉える気象レーダーは水蒸気に判別するのですが火山灰は乾燥しきってているため感知されず、レーダー上には表示されなかったためその存在に気付くことがありませんでした。無論、この事故を受けて世界の航空業界では火山灰が大きな事故要因になると見て、火山灰に対する観測も始まることになりました。
 なお何故最後にエンジンが復帰したのかというと副機長の酸素マスクが壊れたことによって機体の高度を下げたところ、高高度にまで飛んでいた噴煙は下げた先の高度にはなく、また詰まった火山灰も剥がれ落ちたため復帰することができました。逆に言えば、もし酸素マスクが壊れず高高度を維持していたら……と思うと非常に怖いものがあると同時に、こうした偶然が不思議な奇跡を生むのだなと感じさせられる一端です。

13、ユナイテッド航空232便不時着事故(1989年)
事故内容:全油圧システム喪失  乗客乗員数:296人(死者111人)

 同便ではデンバーからシカゴへ向かう途中、突然の異常音と共にすべての舵が効かなくなるという異常事態に陥りました。同便には乗務員として乗り込んだ三人のパイロットがいましたが、たまたま非番で乗り合わせたデニス・E・フィッチ機長もおり、事態発生を受けフィッチ機長もコックピットに入り対応することとなりました。
 パイロットらは機体の状態を点検し、機体操作に必要不可欠な油圧システムが一本残らずすべて喪失したことを確認しました。この事故原因は第二エンジンのファンブレード(エンジンの羽)が金属疲労によって飛び散り、吹き飛んだ破片が機体本体に衝突した際に油圧システム全てを切断したためでした。

 油圧システムが使えなくなるということは車で言えばハンドルを動かせなくなるような事態なのですが、フィッチ機長は飛行経験が豊富だったことと、たまたま少し前に全油圧システム喪失を想定したシミュレーション訓練を受けており、残ったエンジンを操作することで機体姿勢を維持する、さっきの車で言えばアクセルワークで上下左右を操るような離れ業でもって緊急着陸先のデモイン国際空港へと飛行し続けました。
 旋回すらおぼつかない中で空港へとたどり着いた同便は着陸直前まで理想的な姿勢を維持したものの、最後の最後で機首が下がり、機体が滑走路に衝突したため炎を上げながら分解するように転げまわってしまいました。ただ待機していた消防隊が迅速に消火、救出活動を行ったことで、111人の死傷者が出たものの185人は生還を果たすことが出来ました。

 見てわかる人はすぐわかっていたでしょうが、全油圧システム喪失という事故原因はあの御巣鷹山の事故こと日本航空123便墜落事故と全く同じものです。ただ日航の事故では全油圧システムとともに尾翼部が吹き飛んでおり、このユナイテッド航空の事故と比べれば姿勢を維持することすら難しい状態に置かれたものでした。
 前述のフィッチ機長が行っていた訓練というのはまさにこの事故を教訓として作られた訓練であって、死傷者こそ出たものの、そういう意味ではあの日航の事故に対して借りを返してくれたような生還劇だったのではないかと個人的に思えます。

2015年12月18日金曜日

自動証明写真撮影機で

 昨日から今日にかけてビザ更新手続きのため上海にある事務所などへ赴いておりました。昨夜上海で夜を明かした翌朝に当たる今朝、目的の事務所へ向かう途中であらかじめ用意しておく必要のある証明写真八枚をまた準備していなかったことに気が付き、「そうだ、あいつを使ってみよう!」とある案が閃きました。

 通常、中国で証明写真を取る際はそこら辺にある広告屋に行ってその場で撮影してもらい、印刷してもらうのが普通です。これだと一枚当たり1元(約20円)とか2元(約40円)と格安ですがまんまデジカメで撮影したのをプリンタで撮影するだけなので、正直あまり写り具合はよくありません。以前に頼んだところなんか白いシーツをもう一人が後ろで構えながら撮影した上、印刷前にもパソコンでやたら光沢を強くしてピカリン星人みたいな写真にされたのでげんなりしました。
 なお中国ではほんとそこらじゅうに広告屋兼印刷屋があり、ちょっとしたチラシや看板、タペストリーなど言えば割とすぐ作ってくれます。使い始めたのはつい最近ですが、案外便利な存在だと気づきつつあります。

 話は戻りますがそんなに写真写りを気にする方ではないもののもうちょいマシな写真にしたいと思い、今回中国では初めて自動証明写真撮影機を使うことにしました。
 こういった自動撮影機(省略しよっと)は日本だとごく一般的で昔からありますが、中国では恐らく上海だけ、しかもつい最近になって出回るようになりました。少なくとも三年前はどこ行っても見つからなかったし。聞くところによると日本からこういった機材を送るようになって使われ始めたそうですが、何気に送る事業に自分の大学のゼミ同期が関わってただけに思い入れが深いです。

 そんなこんだでとある上海の地下鉄駅に設置されてある自動撮影機を見つけ、早速撮影してみました。私の必要な写真サイズは3.5×4.5cmなので6枚撮るのに30元(約600円)かかるのでなんか高いなと思いつつ、20元札二枚入れて早速撮影スタート……と思いきや、「これってどうやって使うの?」、と言っていきなりおばちゃんが乱入してきました
 まだ画面開いて写真サイズを選んでいる最中だったので、「金入れて、写真サイズ選んで、椅子の位置調整して撮影ボタンをピッと押すんだよ」と操作しながら説明し、「それじゃこれから自分の写真撮るからちょっとどいて」といったら、「あら、あんた撮影してたの?」と言うあたり、自分のことをメンテナンス要員かなんかだと勘違いしてたのかもしれません。

 何はともあれおばちゃんどかして撮影し、お釣りの10元取ろうと思ったら何故か出てきませんでした。どうやら吸い取るだけ吸い取ってお釣りは出さない仕様のようです。
 さらに、私が必要な写真枚数は8枚に対してい界の撮影では6枚しか出てきません。そして私の手元には20元札が2枚しかなく、なんかもうわざわざくずすのも嫌になってそのまままた40元突っこんで2回目の写真撮影に臨みました。この際、またおばちゃんに一から操作を説明しつつ……。

 最終的に出てきた12枚の写真はなかなか移り具合がよく、やっぱり証明写真は自動撮影機に限るなと改めて感じました。使い終わった後でおばちゃんに、「椅子を回して高さを調節するんだよ」と言って撮影機を明け渡し目的の事務所へ向かいましたが、その途中で今度はおっさんから地下鉄車内で、「上海南駅にはどうやっていくの?」と道を尋ねられ、「あそこの駅で3号線に乗りかえれば着くよ」と教えてあげました。
 振り返ってみてなんかやたらいろんなことを教える日だったなと思え、自分にも人生の道筋を教えてくれる人でてこねぇかなと思いながらこの記事書くことにしました。

2015年12月16日水曜日

中国での中学生過労死事件とその教育

中学生の「過労死」、中国で問題化 宿題大量、睡眠削り「寝たい…」(with news)

 今日たまたま見かけたニュースですが、見出しを見て「なにこれ?」と目を疑いました。詳細はリンク先に書いていますがなんでも、中国人の中学生がある日教室の中で過労死によって亡くなったそうです。これだけ書くとまるで意味が分からないからすっごいニュースでしょう。
 何故その中学生は過労死したのか。ってか働いてないだろうというツッコミを抑えつつ記事を読むとその子は深夜遅くまで宿題をし続けており、恐らく勉強のし過ぎによる負担が限界を超えて心不全かなんかを起こしたようらしいです。勉強のし過ぎで死ぬなんてと思いたくなりますが、この事件が起こった背景に中国で過剰ともいえる受験競争があるということも記事中では丁寧に解説されています。

 以前に私もこのブログで取り上げたこともありますが、近年の中国における小中高生の勉強ぶりは熱心過ぎるというかもはや過剰な領域にあり、日本人である私だけでなく既に成人した中国人などからも「最近の子供は可哀相だ」などという声がよく聞かれます。学校内では夕方5時や6時くらいまでびっしり授業があり、その後ピアノなどおけいこ事をこなした後は自宅で大量の宿題に忙殺されるというハードスケジュールは当たり前で、記事中にも書かれている通りあまりにも宿題が多いから親が子供の代わりに半分こなすなんて言うのも当たり前です。

 何故が続きますが何故これほど勉強を無理強いするのかというと、近年の中国では大学受験競争があまりの過剰になりすぎており、中学や高校でいい成績や内申が採れないと進学すらままならず、また景気はそこまで悪くはないものの一程度の収入を得るには名門校とされる大学を卒業する必要があり、そこへ受かるためには文字通り血反吐を吐くような勉強が必要とされます。

 こうした中国の受験戦争は既に主要な社会問題として認知されておりますが、ただでさえじんこうが多いってんのに競争がさらなる競争を呼ぶ悪循環が続いており、私の実感でも十年前と比べると今の方がさらに激しい競争になっているような印象があります。友人にこの話題を振ってみたところ、「昔から科挙がある国なだけに受験戦争は珍しいわけでなく、勉強漬けを悪いと思っていないところがあるんじゃないか」となるほどと感じるコメントをくれました。

 それほどまでに激しい勉強を続ける中国の子供たちなだけに以前に実施された国際学力テストでは確か上海の子供が平均で世界一位を記録するなど、さすがという実績を残しています。しかしそういった教育を受けてきた中国の若い世代に何人か話を聞いたりしましたが、彼ら皆口を揃えたかのように「詰め込み教育で発展がない」、「英語とか実践では使えない試験のための受験英語だった」などと、実が伴っているかというやや疑問な所があります。特に想像力を鍛えるような分野に至っては誰もが「改善が必要」と述べており、なんとなくですが日本の昔の詰め込み教育時代を思い出し、今の中国こそゆとり教育が必要なのではと思うところがあります。

 あと最後にちょっと話題が発展した内容を盛り込みますと、中国は日本との国交回復直後に日本へ留学生を送ってきましたが、彼らは半年間だけ日本語を勉強した後で東大に留学生として入学しました。何が言いたいのかというと中国というのは先ほど述べた通りに人口が多いだけあって突出したエリートというのはやはりいるのです。彼らは教えれば教えるほど吸収してしまってそれを物にしてしまうのですが、今の中国の教育はそういったエリート向けの教育をエリートではない一般レベルに課してしまっているから問題なのではと思えてなりません。
 人気漫画の「暗殺教室」にも似たようなセリフが出てきますが、エリートには耐えられる内容でも普通の人には耐えられない教育というものは存在しており、それらを切り分ける棲み分けなり選抜なりがうまく機能していないがゆえに今の中国の教育システムはやや大きな問題を抱えているのでは、というのが個人的な分析です。

  余談
 私は自分のことを「特殊な分野の才能を持った凡人」レベルと自己評価してます。無駄に体力あったりこうした文章書くのにストレス感じないといったところが主な理由で、「エリート」ではないとはっきりと認識してます。
 というのも過去に何人かそういうほんまもんの「エリート」を見ており、個人的にそういう自分が認識できる上限を大きく引き上げてくれた友人に早くに出会えたことは幸運だったと思います。

2015年12月15日火曜日

虚像が独り歩く歴史人物

 昨日の記事で歴史証言者はよく事実とは異なる嘘の証言を突く傾向があるということを紹介しましたが、実際にそのような形で誤った証言が出されたため実態とは異なる虚像が独り歩くようになった歴史人物というのは数多おります。近年はこの方面への研究が進んできてこうした実態とは異なる虚像を正そうとする動きが盛んで以前とは評価が逆転する人物も多く、私も過去に取り上げたように「信長は当時の感覚からすると言われている程残虐ではない」とか、「石田三成はそこまで戦下手ではなかったのでは?」なんていう声も聞こえてくるようになりました。

 そんな中、未だに虚像が独り歩きしている人物も少なくありません。私がそう思う人物の筆頭だと思うのはほかならぬ勝海舟で、彼に至ってはほかの人が誤った証言をしたためというよりは自ら自分の業績を誇張する癖があったためで、しかもやたらおしゃべりでいろんな人間に語り聞かせたりしたもんだから収集つかないような状態となっております。
 一番有名なのだと咸臨丸でアメリカに渡った際は堂々とした態度でアメリカ人との交渉に臨んだと自ら言ってますが、同乗してた福沢諭吉からすると、「ずっと船酔いでゲーゲー吐いてただけじゃねぇかよ」とツッコまれています。また坂本竜馬は当初は勝を暗殺するため訪れたが勝の話を聞いてその場で弟子入りを志願してきたとも勝自ら話してますが、さすがにそれは出来過ぎというか誇張が入っているのではないかと私にも思います。第一、坂本竜馬自体そんなに暗殺仕掛けてないし。

 この勝と同じで自ら嘘をばらまいたというのがマッカーサーでしょう。この人は若い頃から自分を英雄願望強かったためやたら無駄にかっこいい言葉を用意していて「アイシャルリターン」とか「待たせたな、フィリピンの諸君」みたいなことをわざわざ記録させていますが、日本のGHQ統治の際も政治的思惑と共にいろんな嘘つきまくってたもんだから半藤一利氏をして、「こいつのいうことは真に受けてはならない」とまで言わしめています。
 マッカーサーがついた嘘の中で最大級だと私が思うものを上げると、まだ確定ではないものの憲法九条の発案者です。私が子供だった頃までは戦争放棄を謳ったこの法案は日本政府側から発案されたと誰も疑っていませんでしたが、当時からつい先日までがちがちの軍国主義だった日本がこんな内容を発案できるのかと疑っていました。そしたら案の定というかこの九条発案は日本側からだと喧伝してたのはマッカーサーだったようで、恐らく日本が平和協調主義に傾こうとしていることをアピールするために言いだしたんだと思いますが実際にはGHQ内部で発案し、盛り込んだものだったと思われ、近年はこうした考えが段々強まってきております。

 最後にもう一人上げると、これは先の二人とは違って確実に周囲の証言が独り歩きしてしまったと思える者として白洲次郎が挙がってきます。彼ほど近年になって急激にクローズアップされた人物はいないと思え、5、6年前にはやたら本が出版され「GHQ相手に一歩も引かなかったダンディな男」というイメージが付きましたが、堂々とした態度の人だったとは思うものの世間で言われているものはやや誇張され過ぎではと考えています。
 特に一番有名なエピソードとしてあるマッカーサーとの絡みで、昭和天皇からのクリスマスプレゼントを持って行ったらそこに投げといてと言われて、「陛下からの贈り物に失礼なことをするな!」と言い返して無礼を認めさせたというものですが、さすがにこれはどう考えても事実ではないでしょう。Wikipediaにも書かれてますがマッカーサーとの面会者リストに白洲次郎の名前はなく、また届け物を一役人が直接マッカーサーに渡すなんて普通に考えて有り得ず、爆弾ではないかどうかなど必ずセキュリティが一旦受け取って中身をチェックしたであろうと考えるとこれはさすがに虚像じゃないかと思うわけです。

 案外この手の虚像というのは「理性的に考えたら有り得ない」というのを発端にして調べていくと実態が明らかになることが多く、やや自画自賛ですが上記の憲法九条絡みの話は子供ながら疑問を持った過去の自分を褒めてやりたいです。なお歴史科目は子供の頃からやたらめったら強く、多分生涯で見ても100点満点中80点以下は一度も取ったことがないような気がします。

2015年12月14日月曜日

歴史証言者は嘘をつく


 今日の晩はすき家に行って、上記のすき焼き鍋定食を食べて帰ってきました。量、味共に納得できるものでこれで38元(760円)はありがたいです。
 それにしても湯気がえらい出るからパシッと撮ったけど、いまいち新しい携帯のカメラは前のサムスンのより悪いな。この新しいMEIZU(魅族)の携帯もまた今度取り上げます。

 さて話は本題に入りますが、かねてからこのブログでも言っていますが私は歴史研究家である半藤一利氏のファンで、基本的に歴史観はこの人に準じています。もし自分と半藤氏の歴史観で異なる部分があれば半藤氏の見方の方が正しいと見て合わせようとするほどで、世にいろんな論客はいますが彼ほど落ち着いて、なおかつ公平な視点はほかに見当たりません。
 その半藤氏の経験談として私が唸らせられた言葉に、「証言者はよく嘘をつく」という言葉があります。半藤氏は戦後間もなかった頃、文政春秋社に入社してすぐ第二次大戦時の日本側キーマンたちへの取材を行っており、巣鴨プリズンにも何度も入り浸っては軍人や官僚、皇居の侍従や職員などへの聞き取りを行っておりますが、その際に上記の言葉を身を以って知ることとなったそうです。

 一体証言者らは何故嘘をつくのか。多くの理由は自らの失敗や責任を忌避するためで、また自分の功績を実態以上に大きく見せようという動機が大半ですが、中には親友や上司を庇い立てするため失敗の原因を他者に転嫁しようとしたりするものもあり、一人の証言者から聞いた内容は即真実としては扱えないとして必ず複数の証言を比較し、場合によっては異なる証言を言う者同士を集めて直接確かめ合わせるなどして戦中期における詳細な記録を半藤氏はまとめ上げております。
 なお半藤氏の言によると陸軍関係者はお互いに、「あいつのせいだ」、「あいつが悪かった」などと聞いてもないのに悪口を言い出す人が多かったので全体像がすごく掴みやすかったそうです。一方海軍はというと、「サイレントネイビー」という言葉の通りに自分にも他人にも言い訳じみたことを全く言わず黙ってしまう人が多かったので聞き取りにおいて逆に苦労したと述べてます。

 話は戻りますがこの半藤氏の言葉はまさに金言で、歴史を研究する人は必ず胸に入れとかなくてはならない言葉と言えるでしょう。歴史学というのは様々な資料を見比べながら何が真実かを確かめる学問ですが、数多ある証言の中から正解を一つだけ引き抜く推理力みたいなものも要求されるのだなとこの言葉を聞くだに思います。

 ということを、大学で中国古代史を選考していた友人に話すと、「当たり前じゃないですか」とどや顔で言われた上、「だからこそ陳寿の書いた『三国志』は高く評価されてるんですよ」問ことを逆に教えてくれました。
 歴史書の「三国志」は紀伝体という形式で書かれており、これは年表ごとに何があったかを書く編年体とは異なり、登場する人物ごとに歴史事実をまとめるという形式です。劉備なら劉備、曹操なら曹操で独立して完結する内容になっているのですが、子細に各人物伝を比較すると同じ事件に対して内容が異なって書かれている所もあったりします。たとえば「魏延伝」では蜀軍が追撃に成功したと書かれてあるのに「張飛伝」では追撃したものの逆襲されたと書かれるなどといったところです。
 これは当時においてもその事件に関する証言や記録が複数あったということを示しており、いわば両論併記のようなものです。二つの伝にしか書かれてない場合は判別し辛いですが、さらに三人目、四人目の伝と見比べるとだんだん真実が見えてくることもあり、そうした比較が一冊の歴史書でできるという点で三国志は高く評価される歴史書だとの事です。

 ちなみにもし自分が有名になって後年に知人などへ証言が求められたりすると、「あいつはいろいろとアレな人物だった……」、「悪い人ではないけどいい人では絶対ない」なんて正直に言われそうな気がするので、あんま有名にならない方がいいかもしれません。