ページ

2016年12月25日日曜日

メディアが行う貧困特集の問題点

 何も現代に限らずいつの時代も新聞やテレビは「貧困特集」と称して貧困層とされる人々を取り上げた記事や番組を特集していますが、結論からいうと近年みる貧困特集は私から見ればそれほど面白いものはなく、物によっては不快感すら覚える内容が多いです。ほかの人はどう感じているのかは断言できませんが、NHKが以前に行った貧困特集でネットを中心に大批判が起きたり、中日新聞が記事を捏造した事件を鑑みると私の様に不快感を感じる人もある程度入るのではないかと思います。
 では何故不快感を覚える、っていうかつまらないのかというと、結論から言えば問題点が多く特に上から目線で書かれることが多いからだというのが私の考えです。

 基本的に貧困特集は収入が少なかったり支出が多かったりするなどして家計上で生活の苦しい世帯が取り上げられますが、全体として「可哀相な人たち」というスタンスで紹介される事が多いです。無論、確かにそうした貧困層は憐憫に値すると私も考えますが、だからと言って「可哀相」というスタンスで紹介してしまうとバイアスがかかり、必然的に上から目線での報道になりやすいです。
 この辺は私が社会学を学んでいた際、こうした対象に対しては余計な感情は一切挟まず、ありのままに報じたり紹介したりする必要があると厳しく教えられましたが、やはりそうした一程度の距離を置いた態度というものがこれらの報道にかけていると思います。わかりやすく述べると「可哀相な対象」として取り上げるのではなく「こうした人たちがいる、これが現実」というようなスタンスが欠けており、変に可哀相だという風に描いてしまうとなんとなく感情を強要されているような感じがして私個人としてはあまり馴染めません。

 加えて、こうした貧困特集で必ず引っかかる点としては、特集される人たちよりもっと悲惨な人たちはいくらでもいるということです。そうした人、またはそうした人たちを知っている人たちからすれば、「何だこの程度で」という感情を催すでしょうし、上記のNHKの特集はまさにこれで炎上しました。こうした点から言って殊更に支援が必要だと唱えることも個人的には反対で、やはりそういうのは行政の問題だと割り切りそこにあるものを報じるだけであるべきでしょう。

 その上で個人的に許せないのは、貧困者の声を記者らが代弁するかのようにして作っているのがなんか納得いきません。これまた上記の中日新聞の特集なんか捏造してまでこれをやってましたが、そのほかの貧困特集でも、「本当に彼らはこんなことを言うのだろうか?」と感じる様な言葉や意見が記事本文などに書かれることが多く、見ていてリアリティに書ける記述が散見されます。断言してもいいですがそういった記述はまさに上から目線の記者たちが作っているもので、「如何に同情を引くか」という視点で以って書かれています。
 私個人の意見で述べると、やはりこうした貧困特集などにおいては記者らは最低限の仕事だけを済ませ、貧困者自身に素直な気持ちを述べさせたり書いてもらうことが一番いいと思います。収入は少ないがそれでも楽しくやってるという人もいるでしょうし、取材に来た大新聞の記者らの給料は高額で内心ムカついているとかでもよく、素直な本音を彼ら自身に述べたり書いてもらってそれを編集なしでそのまま出すことこそが最もリアルな声で傾聴すべき対象であると私は考えます。

 そういう意味で何故新聞社や放送局は、自社の派遣社員自身に派遣格差を書かせないのかいつも不思議に思います。新聞社や放送局内の派遣格差ほど面白いものはない上、またすぐ近くに当事者がいるんだからその当事者自身に語らせればいいってのに何故やらないのか、いっつもこの点が不思議に感じています。そもそも、格差問題を格差のトップ側が報じたりするのも変で、やはりボトム側が自ら声を挙げて発信するべきでしょう。そういう意味ではトップ側の新聞社や放送局は逆に、「セレブ特集」みたいなのを組んでどれだけ楽しく暮らしているかを自分で語ってみるのも手かもしれません。

看了「你的名字。(君の名は。)」

 今日25日はクリスマスですが、金曜から今朝までは上海に遊びに来ていた親父の相手をしており、午後からは日本はもちろん中国でも大ヒットを続けている映画「君の名は。(中国題:你的名字。)」を見に行きました。唯一問題だったのは、一緒に見に行った相手が後輩(♂)で、男二人でクリスマスに恋愛映画を見に行く羽目となったことです。

 事の発端は二週間前、後輩と友人の上海人と一緒に昼食した帰り、途中で通過した映画館で「君の名は。」が上映されていることを知って、そういえばこれまで中国の映画館に入ったことがないことを思い出し、大ヒットしている作品であることから今度一緒に見に行こうと後輩が言い出したこともあって見に行く約束をしていたのですが、何故か知りませんがその見に行く日が今日となり、よりによってこんな日に二人して見に行くこととなったわけです。

 昨夜にあらかじめ上映している映画館をネットで調べて後輩に伝えたところ、「自分が予約しておく」と後輩が言うので任せたところすぐに、「すいません、アプリのウォレットの金額足りないので送金してください」と言い出してきたので後輩に100元(約1800円)を送金して、受け取った後輩は携帯アプリを通じて予約したそうです。
 なお映画館の一人当たり入場料金は50元(900円)でしたが、IMAXなど特別な映画館だと100元くらいになるとのことで、普通の映画館なら日本と比べて割安感があります。

そんでもって今日午後、親父を一人で空港へ送り返した後で後輩と合流し、映画館へ赴きました。待ってる間に館内の売店などを見ていましたが、ポップコーンも25元(450円)くらい、飲み物も10元(180円)くらいで、場所にもよるでしょうがやっぱりここでも日本に比べるとあこぎじゃないなと後輩と言い合ってました。あと待ってる間、近くの階段にヒールが引っかかり、床にダブルニープレス(両膝突き)をかましている姉さんがいましたが見ていて痛そうでした。

 そうこうしているうちに開場されて映画館に入りましたが、館内は前評判通りにほぼ満席で、客層としては比較的若い年齢層の男女、やや女性が多いような感じでした。上映前の予告が終わって本編が始まると比較的静かにみんな見ていましたが、コメディなシーンでは割とみんなして声を挙げて笑うなど、日本の映画館と比べると比較的感情をはっきり出す傾向がみられました。米国の映画館も割とこんな感じらしいと聞くので、むしろ何一つ物音を出すべきでないとされる日本の映画館のの方が世界的にも特別であるのかもしれません。

 映画の感想に映ると、中だるみするシーンが一切なくヒットするというのも十分頷けるほど面白い作品だと私にも思いました。個人的に気になったのは風景シーンの色使いを明確に分けている、具体的に言えば東京のシーンではややもやがかった色使いに対して飛騨のシーンではビビッドな色にまとめているところで、この辺りを意識して行っているのかということに驚くというか唸らされました。
 ストーリーにつちえも展開がスピーディに二転三転してうまく連結しており、むしろこの時間でよくここまでまとめあげたものだとこちらも合わせて感心する内容で、欠点という欠点は私からは見つけられなかったほど高い完成度を誇るといったところです。

 私はこの新海誠氏の作品を見るのはこれが初めてですが、見ていた感じだと中国人の観客の受けも悪くなく、恐らく今後も世界中で売れ続け真面目に「千と千尋~」越えもあり得るんじゃないかと思います。これまで名前の知られていない監督の作品がこうして世界中で大ヒットするというのは普通に考えればあり得ないだけに、単純に作品の質だけでここまで来ていることを考えると実に恐ろしい人物が世に出たものだという気がします。

 最後に中国人の観客が声に出して笑ったシーンの一つに、「それって美人局じゃないの?」というセリフを言うシーンがあったのですが、このシーンの字幕を見て初めて「美人局」の中国語が「仙人逃」ということがわかり、こっちもなかなか面白い漢字を当てるなと一人で感心してました。

2016年12月22日木曜日

サイバーエージェントの「Amoad」広告の不作為

 なんか今日は珍しく書くことないのでサイバーエージェントとの過去のちょっとしたやり取りを暴露しようと思います。

 それは2015年初旬の事でした、突如サイバーエージェントから私の所へブログの内容が素晴らしいので是非広告枠を置かせてくださいと依頼するメールが来ました。ブログ内容が素晴らしいって、自分のブログほど過激派なブログはそうないので本当にちゃんと読んでるのかと一回尋ねるメールを送った所、「読みました」と返事が返ってきましたが、多分その担当者はちゃんと読んでなかったことでしょう。自分のブログ読んでたらこういう風に書かれるリスクだって感じ取れたでしょうし。

 で、言われるがままにそれまで置いておいたGoogle Adsenseの広告枠をわざわざ撤去してまで「AmoAd」とかいう妙な広告枠を設置したものの、何故だかこれが全く広告が表示されず、一体どうした物かと相手側に対応を求めたところそれから一年半にもわたって何も返事がきませんでした。その後で元のGoogle Adsenseに戻しましたが、何気に作業が結構面倒くさかったです。

 何故そんな過去の話を急に蒸し返したのかというと、この前のDeNAのウェブ記事炎上問題でサイバーエージェントも大量の記事配信を停止したと報じられたのを見て、まぁここはそんな会社だろうなと思いつつこの件を思い出したからです。基本、記者というのは相手の弱みに付け込むのが仕事なもんで、今を置かずにいつ攻めるとばかりについ先ほど、「一年半も連絡寄越さず何やってんだてめぇ」みたいなメールを送りつけました。返事が来るかはわからないですが、たまにはこういう突っこんだこともやらないと人生面白くありません。

 なお、「対応をするからしばらく待っててください」と返事しながら一年半も無視することも言語道断ながら、このサイバーエージェントの広告配信プログラムも技術的にいかがなものかと非常に胡散臭く感じました。いろいろ説明見ましたが広告料還元のシステムも曖昧だったし、なによりブラウザやブログソフトによって広告が表示されたりされなかったりだなんて技術的にかなり低レベルなものに思えてなりません。
 私が使っているこのBloggerなんて非常にシンプルな作りなのだからそれほどプログラムに影響を及ぼすとは思えないし、第一本体とは独立したウィジェットにはっつけたというのにそれでもうごかないってなんなんってレベルです。

 ちなみにこの陽月秘話のアクセス数は一日当たり大体600PV位で、広告料はGoogle Adosenseをそれほど真剣にやってないのもあって、数ヶ月に1万円が入ってくるか来ないかです。自分としてもこのブログは本気で稼ぐつもりは全くなく、むしろ商売っ気から遠ざけてあくまで趣味の媒体として使いたいため、今後もこの方針を維持することと思います。
 なお姉妹サイトの企業居点はもう少し広告枠の設置個所を凝っているため、アクセス数も多いことから広告料はあっちの方が多いです。といってもそっちも数ヶ月に1万円が入ってくるか来ないか程度で、入ってきたら「ああこれで漫画買える」というようなお小遣い的な感覚しかありません。むしろ企業居点だったら、自動で配信される広告枠より広告記事を書いて乗っけるの方が価値あるのでしょうし、何気にそういう記事書くの得意なんだけど肝心の広告主がいないなぁ(;一_一)

2016年12月21日水曜日

日本の賃上げ運動を見て奇妙に感じる点

 昨日はまるで人は健康体でありながら一日に何時間寝られるのかを競うかのようにずっと寝ていましたが、今日はちゃんと起きていました。なので真面目なことを書きます。

 最近なんで専門家でもないのに労働問題ばかり記事書いているのか自分でもよくわからないですが、日本の賃上げ運動を見ていていつも不思議というかおかしいんじゃねとよく感じます。何故そう感じるのかというと原因ははっきりしており、香港で現地の賃上げ運動を見ていたせいだからですが、香港と日本で何が違うのかというと賃上げ幅の根拠です。
 香港では毎年、年末にかけて来年度の賃上げ要求が労組を中心に行われるのですが、その際に叩き台となるのはCPIこと消費者物価指数、もっと卑近な言葉で言えばインフレ率です。香港ではこのCPIを軸に労使間で前年度の上げ幅や昇給率を含めて議論を行い、来年度の賃上げ幅の交渉を行います。

 説明するまでもないでしょうがCPIとは何かというと、単位当たり通貨の価値の変動率を表します。たとえばCPIが5%上昇(5%のインフレ)したということは通貨の価値が5%下落するのと同義で、それまで1万円で大根を100本買えていたのに、CPIが5%上昇すると1万円で購入できる本数が95本に代わるといった具合で、5%下落(5%のデフレ)するとその逆が起こるわけです。

 仮にCPIが前年比で5%上昇していたとなると表面上の賃金(名目賃金)は変わらなくてもその賃金額の価値である実質賃金は5%下落するということになるため、次年度に5%賃上げされなければ何もしなくても給与が下がるも同然です。もっとも日本の場合はずっとデフレが続いているので経営側からすれば実質賃金はずっと上がりつづけていると主張できるわけで、賃上げ見送りの理由にしやすい所ですが。
 なお先程統計局で見たら、今年10月の日本のCPIは0.1%の上昇で、日銀の2%インフレは遥か遠くにある状態です。

 話は戻りますが香港ではこのインフレ率をまずたたき台にして、その上で既存社員の昇給率や前年度の賃上げ幅を様々に考慮しながら労使間で交渉が進められます。たとえば労働者側はCPIは前年比でほとんど変わっていないにしても前年度に昇給幅がそれまでより抑えられていたら今年こそはと主張したり、雇用者側はCPIが上昇していたとしても前年に最低賃金が引き上げられていることなどを理由にして今年は見送りたいなどと、それぞれがそれぞれの立場で意見を主張し合って落としどころへ持って行くという、非常に理路整然とした運びを行っています。

 それに対して日本の賃上げ運動ですが、最近は官制賃上げとまで言われるように政府に言われて労組側が動く始末で、しかもその労組側もこれという根拠を挙げずにベアアップを主張したりするなど、はっきり言って議論がちぐはぐな感じがします。それこそ非正規を含めた過去一年の昇給幅や、産業全体の収益率の上昇幅などを盾にとって労働者に還元すべきなど主張すればいいのに、なんて言うかお祭りみたいにわっしょいわっしょい言ってるだけで、「何故その金額を要求するのか?」という根拠が全く見えません。はっきり言えば幼稚な運動に見えます。

 ある意味、香港だからそういう理知的な賃上げ運動が繰り広げられているのかもしれませんが、日本の労組ももうちょっとその辺を見習って、何の根拠もない変な要求をするのではなくきちんと筋道立てて要求すべしだと思います。もっとも労組に限らず、なんで日本ってCPIを始めとしてPMIとか地方別GDPなど主要経済指標をほとんど見ないのか前から不思議に感じてます。

2016年12月20日火曜日

中国でも流行ってるくまもん


 今日は有給消化日ということもあって仕事はお休みでしたが、昨夜0時に寝てから朝10時に起きてゲームしたり朝食、昼飯を食べた後、12時から再び昼寝に入り起きたのは午後4時でした。目をつむったらいくらでも寝られるし、左半身がなんかやたら重たかったりと、先週のハードワークが少し間をおいてからどっと来たような感じです。ちなみにこれ書いている最中も欠伸が止まらず気を抜いたら即寝る自信があります。

 話は本題に入りますが、上の写真は上海の街中で見かけたので携帯(MEIZU魅藍2)で撮影してきたものです。もうすでにオープンしてるのかまでは確認してませんが、例のくまもん専門ショップが出来るようです。
 この専門ショップに限らずくまもんが割と流行っています。街中歩いていたらなんかちょっと違うような感じする着ぐるみとかにも出くわしますし、関連グッズもあちこちで売られており、控え目に言っても中国で流行っていると言っていいでしょう。やはりこの辺というかゆるキャラ方面で中国は余り作り慣れていないというか、一応かわいいのを狙ってるんだろうと思うけどかわいくなり切れていないキャラクターが多く、その点で日本のゆるキャラ勢はペリーの黒船並に圧倒的な実力を中国市場で発揮しています。

 このほか方々でも報じられていますが映画「君の名は」も流行ってるようです。実際に私の職場でも中国人女性スタッフらが話題にしているのを耳にしますし、日本での評判そのままに中国でも人気に火がついています。
 最後にもう一つどうでもいいこと書くと、中国人女性スタッフのパソコン画面がちらりと目に入った際、漫画「銀魂」の壁紙が使われていました。日本のアニメ、漫画キャラの壁紙なら珍しくはないものの、あれだけ下品なネタオンパレード(面白いけど)の「銀魂」を中国人も見るんだと感心してたら同僚から、「銀魂好きな女の子多いよ」と教えられ、なんかちょっとしばし考え込んじゃいました。ちなみに「銀魂」で一番好きなセリフは「チャイナ服強化月間ってなんだよ、何を強化するんだよ」というセリフに対する「男の妄想よ」というものです。

2016年12月19日月曜日

電通事件で見られない残業代の遡及支払い

 またえらそうな口をきいてしまうことになるでしょうが、そこそこほとぼりが収まりつつある電通の過重労働問題について電通の元役員の方が今月の文芸春秋に寄稿しており、その中でいわゆる「鬼十則」について撤回すべきという声もあるがこんな標語だけを撤回した所で現場は何も変わらず、きちんと具体的な対策を見つけ実行すべきだと指摘していてなるほどと思ったのですが、当の電通は「鬼十則」を社員手帳から削除する方針を先日出しており、みんなこういった何の意味もない象徴的な行動ばかり取り上げて具体的な中身については何も取り合わないんだなと、日本のメディアを含め遥か上海の地でせせら笑っておりました。一人や二人は同じ価値観の人間がいるだろうと思っていましたが今の所それらしい意見は見当たらず、それどころかこの問題も段々としぼみつつあり恐らく来年の今頃には誰も覚えていないことでしょう。

 この電通事件について私が個人的に不思議に思ったのは、不払いの残業代は結局払うのか払わないのかでした。自殺に追い込まれた女性社員を含め電通社内では一程度を越えた残業時間は申請しないようにしており、中には百時間単位で残業代を申請してこなかった社員も多々いると報じられていたのですが、今回こうして問題が大事になったにもかかわらずそうした電通が実際に支払わなかった残業代をその後、過去に遡って払うのかどうかという点について電通側からの発信はなく、それ以上に日本のマスコミがその点について誰も追及しないことが誇張ではなく不思議で、自分が特別だなんて言うつもりは全くありませんがとてつもない異常性を覚えました。
 恐らくこの点については、最近頑張っている(と思う)BuzzFeed Japanが取材して取り上げていましたが、電通問題を批判している朝日新聞社内でも残業代の過少申告があったとのことで、同じ脛に傷を抱えた者同士で黙って指摘しない可能性もあります。まぁそういうレベルじゃなく、遡及支払いまで単純に頭が回らないのが実態でしょうが。

 話はここで私の最近の勤務状況に移りますが、現在私が世を忍ぶ仮のサラリーマンとして働く会社で私の職種は残業した場合、その時間の分だけ別の日に休みが取れる振替休暇制で動いています。この振替休暇制度が法的にOKかどうかは軽く調べたところややグレーなところらしいですが、そもそも日本の会社で働いているわけじゃないし当の本人である私は気にしておらず、むしろやらなきゃいけない作業があるなら一人で時間かけてでもずっと働いていたいと思う口なので、こうした制度があるだけめっけもんだと思っています。でも先週は本当に忙しく、家帰って左耳痛くなった時はマジビビりました。
 このように最近は残業が多くブログの更新もやや滞りがちだったわけですが、上司からはやたらと「遅くまでありがとう」と声をかけられています。これについて別の上司が、「最近の若い人は残業をあまりやりたがらない人が多いから率先して残業しようとする花園さんのことを単純にありがたがってるんだよ」と話していましたがそれについて私は、「間違ってはないでしょうが、多分会社が残業代をフルに払うとなれば若い連中でもいくらでも残業しますよ。残業代を払ってくれないのをわかってるからみんな残業をやりたがらないだけでしょう」と返しました。

 敢えて先程から話題を頻繁に切り替えていますが、私が一方的に敵視している団塊の世代辺りがよく私たちの世代について必死で働こうとしないとかすぐ会社から帰ろうとするなどと言っている声が耳に入ってくるのですが、やる仕事があり、残業代を払うというのならいくらだって残って働くに決まっています。こういうと上の世代から、よっぽどおかしい会社じゃない限り最近は厳しくなってもいるんだから残業代くらいきちんと払うだろという返答が帰ってきますが、断言しますが現在の日系企業の9割は残業代を規定通りに支払っていません。変な言い方ですがあの電通ですら満額を支払うどころか、人によっては既定の半分も出しておらず、ほかの企業に関しても大小を問わずまともに払ってないでしょう。
 なおこの議論で一番揉めたのは何を隠そう名古屋に左遷されたうちの親父でした。何故か大半の企業は残業代をきちんと払っていないという事実をなかなか信じなかったのですが最終的には私が、「数多くの中小企業を渡り歩いた俺が言うんだ。おっきい会社一つしか経験してへん親父と俺の認識のどっちが正しいか、そんなんきまっとるやろう」といって押しこみましたが、誇張ではなく私はこれまでアルバイトを含め一度も残業代というものを受け取ったことがなく、また周囲の友人もみなし残業として月30時間分を固定給に加える一方で月間200時間の残業を強いられるなど、満額の支払いを受けたという話はただの一度も聞いたことがありません。

 さてここで冒頭の電通の議論へ戻るわけです。私は本当に、電通が真摯に、真面目に反省しているというのであればこれまでの残業時間の過少申告状況を全て、洩れなく洗い直し、過少分について全額を直ちに支払うのが筋じゃないかと思っていますが、そんな話は一切出てこないし反省しているような素振りすら見せず、元役員がまさに指摘した通りに箸にも棒にもかからない「鬼十則」の撤回という象徴的で無意味な対応しかまだ見せていません。そしてマスコミを含めた外野もまた、残業代はもらえないのが当たり前というのが身に沁みついているのか、遡及支払いについて誰も何も指摘しません。私にとってこの状況は不思議この上なく、電通社内の労働組合に至ってはこれ以上の好機はないんだから弱みに付け込んでガンガン攻めればいいというのに何故やらないのか、本当に鬼十則読んでんのかてめぇらと見てるこっちが言いたくなります。

 恐らく経営側、労働側はどっちも及び腰になって明確な算定証拠がなく現実的でないとかいうでしょうが、こんだけの事やらかしたんだから自己申告で払ったればいいと私は思うしそうあるべきだと思います。過去に食品で問題が起きたレストランではレシートなしで返金に応じた例もあるのだし、反省する気があればまず真っ先にこの残業代の遡及支払いに取り掛かるべきでしょう。逆を言えばこれすらやろうとしない辺り、場当たり的にごまかす気で、労働担当役員とかどうでもいいポスト作ってる当たり反省する気などまるでないことが見て取れます。
 ただ仮に、これがモデルケースとして定着したら日本の世の中はすごく楽しくなると思います。未払い期間の金利を上乗せするようにすればさらに楽しいし、補完会社にも広がれば日本経済の血栓こと企業の内部留保も一気に吐き出せ、駄目な会社も一緒になって消えてもらえます。だからこそこの遡及支払いは非常に重要だと思え、真面目に日本で誰も指摘しようとしないことが不思議を通り越して異常というか間抜けな気がしてならないわけです。

  おまけ
 これまで数多くの中小企業を渡り歩いた私ですが、先日友人から何社経験したのかといわれて数えてみたところ既に6社に達してました。「武士は七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と戦国切っての転職プレイヤーの藤堂高虎は言ってましたが、まさかその七つ目にもうリーチかかっているとは自分でも驚きでした。

日本漫画における責任感ある大人の欠如

 昨夜の鹿島VSアントラーズ戦は私も後輩と一緒に日本食屋で見ていましたが、2対2で後半が終わりそうになった時にその後の展開が延長戦なのかPK戦なのかわからず、

後輩「PKやるくらいやったら入れるか入れられたいですね」
花園「それゲイが言ったらすごいセリフになるよな」

 そんな後輩とは先週にも会っており、その際にまだ出たばかりの漫画「進撃の巨人」21巻の電子書籍版を私が先にダウンロードしていたので彼にも見せてあげてましたが、この最新巻になってようやくタイトルの「進撃」の意味が少し明かされるなど、相変わらずその伏線の見事さに後輩と二人で誉めまくっていました。
 私自身、この漫画は近年にない傑作で今後もずっと語り継がれる作品だろうと確信していますが、その伏線やハードなストーリー展開の見事さはもとより、個人的に評価していてるのは登場する大人の存在で、具体的に言うと責任感ある大人がきちんと出てくる点が他と一線を画すと密かに考えています。

 あまり大きく指摘される点ではありませんが、日本の漫画の大きな特徴の一つとして「出てくる大人はみんな揃って無責任」であるポイントがあると考えています。何故このような特徴を持つのかというと漫画の主な購買層は少年~青年層であり、主人公も大抵の作品でおっさんではなく少年少女が据えられ、ストーリー展開で少年少女が敢然立ち向かっていく対比として成人した大人が無責任な姿を見せるというパターンが非常に多くあります。具体例を出すと見方にも寄りますが星一徹などが典型で、アニメでもガンダムシリーズでは基本的に大人は足を引っ張る存在として描かれることが多いです。

 それに引き換えと言ってはなんですが「進撃の巨人」では、確かに無責任な大人も出てくる一方で他の漫画と比べるなら責任感というか強い信念を持った大人がまだ多く登場し、人気キャラのリヴァイ兵長(中国人に聞いても男女ともに圧倒的な人気)を筆頭に少年少女である主人公らに冷徹な決断を迫ることもあれば、彼らの失敗を自分たちの指導不足だと慮る態度などが通常の大人キャラと大きく異なる姿に感じられます。

 個人的な好みかもしれませんが、やはりこうした責任感ある大人のキャラクターが絡むかどうかで作品の良し悪しは大きく変わるように思え、こうした大人のキャラにもっと注目すべきなのではないかと思うところがあります。その一方で、このように日本の漫画には無責任な大人が多数出てくるというのは社会性を反映しているのではないかと思え、大分以前に日本のサラリーマンの行動原理は責任回避だと述べ、責任から最も逃げてきた人間が最終的に企業トップに就くことが多いと指摘したことがありますが、そうした世相を反映しているからこそ漫画の中でもそうなっているのかもしれません。

  おまけ
 最近小銭を得ることが多くなったのでやたらとKindleで電子書籍を購入し回っており、最近買ったのだと「波よ聞いてくれ」、「新装版BLAME」、「中間管理職 利根川」、「私の少年」を立て続けに購入し、先程書いた「責任感ある大人」という意味で利根川のことを思うと複雑になりつつこれまで単行本を買っている「干物妹!うまるちゃん」は最新刊の9巻を買おうか考えていた所、レビューが酷評の嵐で埋まっているので結局やめることにしました。この漫画、最初の方は確かに半端なく面白かったけどほかでも言われている通り7巻辺りから急激にトーンダウンしてるし……。