ページ

2017年1月3日火曜日

酸素魚雷の恐怖

 今日何気なく星占いを見たら「上司に無理やり仕事を押し付けられ自分の仕事がはかどらない」とか書かれてあり、三が日なのに仕事する人いるのかよと言いつつ、「ここにいるぞ」とオフィスで思いました。でもって上司にも、「今日何か自分に振る仕事あるんですか?」と無駄に聞いてみました。

 さて中国では今日からまた平常運転に戻りましたが大晦日から昨日まではお休みで、おせち食べに昆山へ行った以外は家の中で割合過ごしてました。でもって「ウォーシップガンナー2」という戦艦とか使って海上で戦う、何度もクリアしたゲームをまた遊んでたのですが、このゲームに出てくる兵装の中で地味に好きなのは何を隠そう酸素魚雷です。

酸素魚雷(Wikipedia)

 そもそも酸素魚雷とは何かってところから始まるでしょうが、平たい言葉で説明すれば燃料の推進剤に通常は圧縮空気を用いるところを敢えて純酸素を使った魚雷の事を指します。圧縮空気から酸素に変えたところでどうなるのかというと、単純にすべての面で魚雷の性能が桁違いにアップする上、推進後にでる排気ガスが水に溶けやすい炭酸ガスとなって水泡もほとんどでなくなり、検知することも非常に困難になるというおまけつきです。
 性能に関してまず爆発力ですが従来の魚雷に比べて酸素魚雷は数倍にまで跳ね上がると言われ、射程に関しても従来品を遥かに凌駕する性能を見せました。二次大戦時に日本軍が酸素魚雷を使った例だと、目標だった艦船には外れたもののその外れた先にあった艦船に当たり、戦艦一隻を中破、駆逐艦一隻を大破してのけました。その射程距離たるや9.3kmもあったそうで、米軍はまさか外れた魚雷が当たったとは思わず近くに潜水艦が潜んでいたと勘違いしたほどでした。

 この酸素魚雷を二次大戦時に置いて実際に開発、運用にまでこぎつけられたのは地味に日本だけでした。一体何故日本だけが開発できたのかというと、この酸素魚雷は威力が桁違いである一方、非常にデリケートな兵器でしょっちゅう爆発事故を起こし、ほかの国では安全に使用できないとのことから開発が投げられたからでした。
 それに対して日本海軍は徐々に酸素濃度を挙げるという作り方で爆発事故を回避した上、運用にまでこぎつけられましたが、それでも結構な頻度で事故は起こっていたそうです。現在の世界において酸素魚雷はロシア海軍だけが使用しているのですが、そのロシア海軍でも2000年、搭載していた酸素魚雷が爆発して原子力潜水艦クルスクが沈没し、中の乗員118人全員が亡くなるという事故が起きています。

 そんな酸素魚雷に対して米軍も存在を知ってからは激しく警戒し、日本の駆逐艦相手には絶対に横っ腹を見せるなと訓示を出すほどでした。それでも不意の攻撃には太刀打ちできず、終戦間際に置いても酸素魚雷によって沈没させられた例があります。
 それは1945年7月30日の例で、海上で敵艦を発見した日本の潜水艦伊号第五十八は見つからないうちに潜水し、酸素魚雷を初めに3本、数秒後にもう3本の計6本を発射しました。何も知らない米軍の重巡洋艦にこの酸素魚雷は見事3本が命中して、地味にすごいですが3本で見事撃沈してのけました。

 この撃沈例が日本にとって最後の、そして米軍にとっても最後の撃沈例となったのですが、非常に皮肉というかこの時に撃沈された重巡洋艦とは一時期は米軍の旗艦ともなった重巡洋艦インディアナポリスで、サイパン近くのテニアン島へ広島、長崎投下用の原爆資材を運んだ帰りでした。撃沈せしめた伊号の乗員らも後の投下後、その事実を知ることとなります。
 またインディアナポリスが撃沈させられた際、中の乗員らはそのままの状態で海に投げ出され、救命ボートもなく救命胴衣で浮かんだまま救助を待つ羽目となりました。その救助が来たのは5日目で、その間に体力の低下やサメに喰われるなどして生き残ったのは乗員約1200人中約300程だったそうです。

 日本の兵器というと零戦ばかり脚光を浴びますが、地味にこっちの酸素魚雷も注目されたらいい、もといもっと魚雷の撃てるゲームで遊びたいと思いつつこういう記事も書いてみました。

2017年1月2日月曜日

国家に忠義を尽くした場合の末路

 昨日、ASUS製のタブレットPC「Memo pad」が電源は入っているのに液晶が全く表示されなくなる(音は出る)というトラブル、っていうか故障が起こり、今日上海市内のサービスセンター回ったもののほとんどの地図情報が間違ってて久々に瞳孔が開きました。ただ不思議なもので、同行拓くと視力が上がるのかやけに物が見えるようになりました。
 っていうかもう買い換えない駄目なパターンで、どうやって調達しよう……。あとさっきパイナップル食べてからしゃっくり止まらないんだけど……。

 話は本題に入りますが、大晦日に「国家と自分」というタイトルで国家という組織に対する距離感を書きましたが、年末ということもあって何も配慮せずに久々に自由に書きたいものを書きましたが、ちょっとハードルを高く上げ過ぎたかなと思うので今日はその解説版として、国家に忠義を尽くしたら末路はどうなるかについて少し書きます。結論から書くと、忠義を尽くした人間は最終的には国家に裏切られることとなります。

 上の結論を見てパッと具体例が浮か部のであれば特に説明は要りませんが、例外なく裏切られるというわけではないものの、大体の場合は国に裏切られる羽目となって忠義を尽くさなかった者よりも哀れな末路を終えるパターンが多いかと私は考えています。一体何故忠義を尽くしたのに裏切られる羽目となるのかというと、まず大前提として国家は常に生贄というなの人身御供を求める傾向があります。生贄とまでいわなくても、ある程度国のために犠牲となってくれるというか負の面を多い被ってくれるような人間を常に大募集しており、その際に生贄として選ばれるのは適当な人間などよりも、忠義を尽くしてきてくれた人間の方が案外ありがたいというか選びやすいためにポイ捨てされる羽目となるわけです。

 近い時代の例だと元外交官の佐藤優氏で、古い例だと前漢の李陵などがこれに当たり、真偽はまだこれからの検証を待たなくてはなりませんが通説で特攻の発案者とされる大西瀧治郎について実は発案者にされたという説もあり、仮にそうであれば大西もこの例にはまります。国家というのはその運営上、やはりどこかしらで後ろめたいものが生まれ出てきてしまい、それをどこかで清算する際には生贄が必要となって、そうして闇に葬られるわけです。
 この生贄選びに置いて下手に忠義心のない者を選ぼうものなら余計なことを喋ったりすることも多く、また生贄としての迫力にも欠けてしまうため、それ自体は損失であってもやはりこの生贄には忠義心のある者が選ばれてしまうというのが私個人の考え方です。

 はっきりとはならなかったものの、なんとなくですが「忠義を尽くせば尽くすほど国家に裏切られる可能性が高まる」といつからか気づき、私の場合はその時点から段々と国家というものに対して距離感を置くようになりました。付かず離れずと言えば聞こえはいいですが、国家に絡みとられないように警戒しているというのが正しいです。
 一方で、国家を利用する側に回ろうとは思ったことはありません。最終的にはこの手の輩が一番得することもわかってはいますが、それでもその道を選ぶことは個人的には有り得ないかな。

 ああ、まだしゃっくり止まらない……。

2016年12月31日土曜日

国家と自分

 年末だからと言って何をするわけでもなく一昨日は同僚との忘年会、昨夜は大学の先輩方らとゲーム大会のためブログを執筆せず、今日も普通に起きて洗濯して、バーガーキング行ったあとでコスタコーヒーに行ってケーキ食って帰ってきました。なお最近のマイブームになってることとして、ロードバイクを手放し運転しながらあれこれ考えるというのがあり、傍目には不気味に見えるだろうけどかなり集中して物を考えられるのでお勧めです。

 そんなわけで特に書くこともないのでどうでもいい心情を書くとしたらなんとなく浮かんできたのが自分と国家の関係性です。恐らく普通の人はそんな国家と自分の関係性なんて意識することはないでしょうが、自分の場合は少し特殊だったというか割と子供の頃から意識があり、確か中学校の作文か何かで「国家に教育を押し付けられている気がする」みたいな文章を書いて担任を慌てさせたこともありました。
 結論から言えば、自分が国家に何をしたか、国家が自分に何をしたかとなると確実に後者です。それ故に私は国のためには行動を取ることはできず、自然と人文主義者になっていったんだと思います。

 私的な意見ですが、日本の場合は国家が国民に尽くすというか国民の利便のために存在しており、国民が国家に何をするかという議論や考えはそれほど及ばないというか一般的だと思います。もちろんほかの国も大概ですが、昔の大統領みたく「国があなたに何をするかではなく、あなたが国に何をするかだ」のように、個人として国家を見つめるというか貢献を考えるということは日本では例外に収まるでしょう。それゆえに自分は今は国家とは距離を置くこととなったわけですが、先日後輩からは、「そんなんゆうても花園さんは今年金も税金も払ってないんだけら貢献もクソもないんちゃいます」と言われましたが、その際に、「そもそも、貢献する機会すら俺には与えられなかったよ」という返答が頭をよぎったものの口には出せませんでした。

 恐らく大半の人は私に対し、勝手に日本を出て行ったと指を指すことでしょう。しかし私本人に言わせれば、どうあがいても生きてくことが出来なかったため生存圏へ向かったらこうなったというのが本音で、恐らく今後も続くのではないかと思います。
 最近ゲームの「メタルギアソリッド」のセリフで「俺たちは国を捨てた」という主人公のセリフが非常によく気になり、たまにリアルで口に出します。セリフだけ見るとそうでもないでしょうが、何故主人公のスネークが国を捨てたのか、その背景にこそもっと目を向けるべきセリフだったと今は思います。

2016年12月28日水曜日

上海の大江戸温泉取材記事の裏側

パクリ疑惑の上海「大江戸温泉物語」に行ってみた(JBpress)

 知ってる人には早いですが例の上海にある大江戸温泉に行って、上の記事を書いてきました。記事は昨日にアップされましたがYahooのトップにも掲載されてコメントもえらいついていましたが、何気にYahooトップに記事が掲載されたのはこれが初めてです。もっと早くてもよかったと個人的には思いますが。
 今回の取材は依頼されたものではなく、自分の方から連載コラムを持っているJBpressの方に持ち込んだ原稿でした。というわけで今日は楽屋裏ネタというかこの取材の裏側に何があったのかを記録がてら書いていきます。

<何故取材に?>
 まず、件の大江戸温泉については日本で騒ぎになる前からその存在を知っていました。というのも友人の上海人が今度オープンするから一緒に行こうよと誘ってきていて、どうせまたいつもの冗談だろうと思って聞き流してたら日本の方でパクリ疑惑が出てニュースが大きくなり、なんや大きく取り上げられるようになったなぁと他人事のように見ていました。
 そしたらこの前の日曜の晩、その友人から「今度あの施設に行こうと思うから、花園君明日休みなら行って下見して来て。ついでに取材記事書いて報告して(^o^)」と無茶振りしてきやがって、まぁ確かに月曜はたまたま休みだし興味もないわけじゃないから、ほんならよっこいせとばかりに行く羽目となりました。

 ただこの時、内心ではチャンスかもとは思っていました。というのもこの件は連日報道されるなど大きく注目を集めながら、どのメディアも施設内に入った取材は一切行っておらず、日中双方の業者の発表を垂れ流すだけの浅い報道しかしてなかったからです。ついでに言うと、契約関連については中国側の主張は恐らく現地報道を一部翻訳してただけだと思います。
 それなので仮にいま現地レポート書いたら多分一手に独占出来るということと、割合こういう系統の体当たり系の記事は昔から得意でもあったのと、報道が日を追って高まってきている中だからインパクトがあるだろうとは踏んでました。っていうか今書いてて思うけど、何で他のメディアは入りに行って取材しなかったのだろうか。このところ散々周りの人間に、「最近の記者は本当に取材しない」と当り散らしている中だったこともあり、一つ手本を見せてやるという妙な気持ちもありました。

<書き上げるまで>
 そんなわけで雨が降る中、気候変動を受けて体調が悪い中にもかかわらず早朝から取材に赴いたわけです。昼過ぎまで取材してから自宅に戻り、すぐ熊本県庁に電話取材かけた後、日本の大江戸温泉物語にも電話をかけたら広報課の担当者が不在とあったので、折り返しましょうかと言われたものの、「国際電話やからわしから掛け直す」といって帰ってくる時間を確認し、その間にJBpress側にこの件で記事いるかと打診しました。
 JBpressの担当者は生憎打ち合わせ中だったのでメールを一本書いて送り、大江戸温泉物語へ電話をかけるまでの間も記事を書き、さっき確認した時間にもっかいかけ直して取材を終えるとまた記事書いて、大体取材込みで4時間くらい記事を書きあげました。JBpressからは返信メールで「是非に」とあったので、とりあえずありったけの内容を4800字くらいで書き上げた原稿をブン投げ、「修正等はすべて任すしこっちの再確認は不要だから明日にも出稿してくれ。タイミングがマジ命」と伝えました。結果的にはこの判断はドンピシャで、やはり昨日のあのタイミングにアップして大正解だったと思います。そういう意味でこんな急な提案に乗ってくれ、多分夜遅くまで作業させてしまったJBpress側にはほんと感謝しています。

<コメントを見て> 
 そうして朝出社してYahooのトップページ開いたら自分の記事載っててオイヨイヨとか腹の中でツッコみつつ、Yahoo記事に大量についていたコメントを見てました。ちなみにそのコメントは今日も見返しましたが、ちょっと過激というか個人の人格批判系のコメントは非表示というか削除されており、Yahooの中の人たちもこういう仕事してるんだなと妙に感心しながら眺めてました。

<中国人認定>
 コメントの中でまず目についたのはやはり私への批判というか妙な推定で、「中国を持ち上げやがって、こいつきっと中国人だろ!」とか勝手に中国人認定されました。中には「いや、在日の中国人だろう」とか言ってるのもいましたが、「よりによってこの俺に向かってよくそんなこと言えるな」と、昨日話した友人もこのようなコメントを見て私と同じことを思ったそうです。
 仮に私が中国人だとして、毎日ブログで誰に頼まれることなく意味不明なことを長文で書き続ける中国人がいたとしたら、私個人としては軽い恐怖感を覚えます。日本人ならこういうブログも続けられるだろうけど、外国人でありながら日本語でこんだけ書き続けていたら相当恐ろしい人間に間違いないでしょう。どうせこのブログは見てないだろうけど、私に対して中国人認定する判断はそらないよなぁとか思います。

<この記者は馬鹿か?>
 あと目についたというか多かったのは「この記者は馬鹿か?」と書いたコメントです。まぁ確かに単純な記憶力だけならまず他人に負けることはありませんが実際に物覚えは悪い方なので馬鹿だと言われても言い返せないのは事実ですが、コメント欄ではどっちかっていうと取材方法をあげつらって馬鹿と書かれてあり、その中にはいくつか「?」となるのが多くありました。

 まず気になったのは、「電話取材しかしてないで何を偉そうに。取材ならちゃんと熊本県庁と大江戸温泉物語の本社へ行けよ」というようなコメントで、企業不祥事とか社長インタビューなら確かに訪問はしますが、普通の企業取材は広報への電話取材です。もしかしたら私の知らない世界で企業取材のために毎回出先へ乗り込むメディアもあるのかもしれませんが、少なくとも私はそんなメディアは見たことがありません。
 その電話取材についても、「企業の窓口に電話して聞いてもちゃんと答えられるわけないだろ。広報にアポすら取れない記者なんだろ」というのもありましたが、なんで大江戸温泉物語の広報課に電話かけてるのにこういうこと言ってくるかなと不思議に思いました。っていうか総合代表窓口が取材に答えるはずなどなく、広報課・部以外は絶対に回答しないってのに。また私が広報課に取材していないという根拠をどこで見つけたんだろうかと、思うだけなら勝手だがよくそれを文字に残せるなとその勇気と無謀さには多少は感心しました。まぁそれ以上に、自分の本職は今は記者じゃなく普通のサラリーマンなんだけどね。

 このほか中国人認定の根拠として記事中に「日式ラーメン」という言葉を使ったことを挙げてる人がいましたが、あの箇所は施設内の食堂に中華系飲食店が一軒もなかったことを強調する必要がある中、ただ「ラーメン」と書いたらどっちゃねんと混同する恐れがあり、日本のラーメンということで中国現地で使われている「日式拉面(日式ラーメン)」と表現することとしました。最近中国で日本のラーメンが流行ってるという報道をよく見てその中でも使われているのでわかるだろうと思いましたが案外そうでもなく、使っただけで中国人認定食らうほど普及してないというのは完全に想定外でした。

 あともう一つ気になったので、「五右衛門風呂が珍しいって、こいつ日本のスーパー銭湯に入ったことないんじゃねぇのか?」という記述については、少なくとも松戸のラドン温泉には五右衛門風呂はなく、私個人としてはあれ初めて見ました。松戸潜伏中はいっちゃん近くのラドン温泉しか行ったことなかったから普通に知らんかったよ……。

<出稿時に削除された文言>
 このほか楽屋ネタとしては、記事を書いたものの出稿される前に恐らく4000字以下に落とすため削除された箇所があります。もちろん削除される前提で大目に書いたわけなので特段問題ありませんが、消された箇所に書いてあった内容の一つに、施設内にある漫画ルームに置かれてあった漫画の話がありました。
 そこは畳み敷きで本棚に中国語に翻訳された漫画本が置かれてあったのですが、作品は「ワンピース」や「ナルト」などジャンプコミックスが中心でした。それを見て個人的に、「To Loveる」はないのか探したものの見つからず、元の記事にも「『To Loveる』はなかった」と明記してました。

 それともう一つ削除された箇所として、銭湯内に置かれてあった資生堂製のシャンプー類については銘柄まで、アクエリアスとスーパーマイルドだったと細かく書いた上で、「ボディーソープのスーパーマイルドの方は洗い流した後の質感が非常によく、今度からこれ使おうと決意しました」という私個人の風呂場改革事情も元記事には書いていました。文字数的には確かに削る箇所はこの辺りで間違いなく不満はないのですが、多分ほかのメディアはこういうところには絶対触れないだろうという確信があったので書いておき、修正後の原稿でも「シャンプー類は資生堂」という記述は残してあったのでまずますでした。

2016年12月27日火曜日

インパール作戦に抗命した将軍

インパール作戦(Wikipedia)

 太平洋戦争に通じているものならインパール作戦について説明するまでもなく史上最低の作戦であることを承知でしょう。この作戦は大した戦略目的もないままインド側に対して「借り」を作ることを目的として編成から補給まで何から何まで杜撰極まりない計画で実行され、おびただしい死者だけを生んで失敗した作戦です。
 この作戦は功名心を持つ牟田口廉也によって遂行が進められ、途中で食料や弾薬が尽きて戦闘継続が不可能な状態にありながらも強引に継続されたのですが、最終的に撤退が行われた背景にはとある将軍の死刑を覚悟した抗命、つまり命令違反があったためでした。

佐藤幸徳(Wikipedia)

 インパール作戦の現場責任者に当たる師団長を務めた佐藤幸徳は元々統制派の将軍で、皇道派の牟田口とは過去に取っ組み合いの大喧嘩までしているという因縁がありました。牟田口の下に置かれた佐藤は補給を確実に行うよう司令部に約束して出撃したものの司令部はこの約束をあっさりと反故にし、進軍する最中で早くも手持ちの食糧が尽きるという憂き目をみます。
 進むも引くも困難な状況にあって積極的な攻勢を控えていた佐藤でしたが、戦況は悪化するばかりで、対峙する英軍は航空機から補給を受け続ける中で日本軍は制空権すら得られず航空機による支援はほぼ全く受けられず、敵軍の補給を「チャーチル支援」などといいながら奪い取ることで食いつなぐ有様でした。

 こうした状況を司令部へ何度も報告し佐藤は何度も撤退を提案していたものの司令部は意に介さず、前進のみを命ずるだけでした。このままでは完全なる絶滅すらありうると判断した佐藤は最終的に、恐らく日本陸軍に置いて最初で最後となる、師団長による抗命として司令部に無断で全部隊に対し後退を命じしました。
 この佐藤の無断での後退に司令部は直ちに反応し、佐藤以下の現場指揮官一同を更迭にしたものの、抗命による佐藤への処分は行いませんでした。これは佐藤を処分することによって陸軍人事に問題があったということになるのを恐れて、言うなればメンツの問題でしたが、それと共に軍法裁判に置いて作戦の失敗要因について佐藤が陳述することを恐れたためとも言われます。それがため佐藤の更迭理由については「精神異常のため」とされ、後に医者を送って精神鑑定も行わせていますが鑑定医が出した結論は「シロ」だったものの、その後も長く佐藤は「戦地で発狂した将軍」という事実と異なる風説が流布し続けました。

 結果的には佐藤の抗命を受け、東南アジア方面軍の間でもインパール作戦の失敗を悟る幹部らが出たため、抗命事件から一ヶ月後の1944年7月に正式に撤退が開始されますが、撤退が決まるまでの一ヶ月間、そして撤退決定後の実際の退却においても餓死者は出続け、その退却路は現在に「白骨街道」とまで呼ばれました。
 佐藤の命令違反については色々な意見がありましたが、彼の行動がなければ数千人の命は確実に失われていたとされ、現代においては肯定的な評価が多いように思え私もこれを支持します。一方で佐藤は後退の際に最前線で唯一善戦していた、水木しげるをして陸軍最強の指揮官と言わしめた宮崎繁三郎率いる歩兵第58連隊に対し味方の撤退時間を稼ぐように殿を任せ、これによって58連隊は孤立無援の中で大量の死傷者を出すという自体に追い込んでいます。ただこの時の宮崎繁三郎の戦闘指揮は凄まじく、部隊もよくその指揮に従って大いに善戦して味方の撤退を助けたと言われています。

 戦後、佐藤は晩年にいたるまで発狂した挙句に命令違反を犯した将軍のレッテルを張り世間の風当たりもひどかったそうですが、結果から言えば彼の行動によって救われた将兵は少なくなく、死後に精神鑑定で問題がなかったことなどが明らかになるにつれ再評価が進んできました。
 現代でも上司の命令に反した行動を取るのは難しいながら、将兵の命を優先して命令違反を犯した佐藤は軍の士官としては確かにその責めから免れえないものの、一人物としてはやはり勇気ある人物だったと言えるでしょうし、反することが難しかった時代故にこうして紹介するべき人物だと私には思えます。

 なお最近、インパール作戦に従軍した経験のある人と話をしたという知人からこんな話を聞きました。その従軍者も撤退の最中、何も食べていなかったことから銃や背嚢といった荷物を徐々にすてながら逃げ帰っていたのですが、最後に手放したのは聖書だったそうです。元々、キリスト教の神父をやっていた人物だったそうですが、やはり聖書を手放した際は断腸の思いだったそうで、手放さなければその重みで歩むことすらできない状態だったと悔恨と共に話していたそうです。

2016年12月25日日曜日

日系企業は外国企業技術者をスカウトしないのか?

 まともなメディアなどでははっきり書けないのでこのブログで書きますが、このところ日本人ネットワークの中で旭硝子のとある部門の技術責任者が中国企業にスカウトされたという噂が出ています。真偽は確認できませんが仮に事実だとすればそこそこの人物だっただけにその方面の技術が全部流出するだろうと周囲は話して心配しておりますが、旭化成の事業は他分野に渡ってるから屋台骨は全然揺るがないだろうと一応私の方から述べておきました。

 この際、悪い癖ですがまた人と話をしながら余計なことを考え始め、これまでの日系企業の技術者がスカウトされる事例を思い起こしていました。90年代から00年代にかけてはやはり韓国企業からのスカウティングが多く東芝の半導体技術者の多くが週末アルバイト、もしくは転籍し、家電系メーカー技術者もたくさん移って行ったと聞きます。最近に関しては韓国よりも中国企業からスカウトされる事例をよく聞き、私の周りでも大手自動車部品メーカーの管理者やってる日本人の知り合いが、「もう何度もスカウトが来ていて、今よりも金を出すと言っている」と話しています。

 こうした話を聞いてて大半の日本人は、「スカウトを受ける方も受ける方だ」と、技術流出を行った日系企業技術者に対して非難めいた感情を持つのではないかと思います。私としてもこうした感情を持つのは自然なことだと思え、スカウトを受けた人を擁護することはしませんが、だからと言って批判する人たちに対して特段逆批判めいた内容を覚えることはありません。こういう言い方すると無関心すぎると言われるかもしれませんが、私としては「それが資本主義でしょ」といったところです。

 ここで終わればただのしょうもない雑談で終わりますが、ふと今回改めて日系企業技術者の流出なりスカウトを考え直している際、「日系企業は外国企業の技術者にスカウトをかけているのか?」という疑問を覚えました。詳しく調べたわけではありませんが具体例とか、大量にスカウトしたとか、スカウトした技術者が活躍したという事例は少なくとも私は知らず、上記の様に「スカウトされた」という事例が大量にあることを考慮するとなんていうか一方向的な流れが続いている気がします。

 先ほど私はスカウトされた日系企業技術者に対して擁護はしないと申しましたが、スカウトした韓国企業や中国企業に対してはアカっぽい資本主義者の立場から擁護をする気が満々です。何故なら彼ら外国企業からすれば自社発展のために最善の手を採らなければならず、また雇用・被雇用の自由は侵害してはならない上、退職後の機密守秘義務などを破ったりハッキングなどで情報を盗んだりするのでなければ技術者の引き抜きによる技術流出はある程度は認めなければならない面があると考えるからです。それこそ引き抜かれたくないのであれば、引き抜かれないための努力を敷く必要が日系企業にはあります。

 話は日系企業のスカウトについてですが、上にも書いた通り国内企業同士ならまだしも外国企業の技術者をスカウトしたという話はほぼ全く聞いたことがありません。経営者レベルであればソフトバンクや日産、武田薬品を始め海外の有能な人物をヘッドハンティングした事例がいくつもありますが、技術者となると恐らくはいるでしょうがその割合は韓国や中国企業と比べるとごくごく少数でしょう。では何故少数にとどまるのか、推測レベルで感がられる理由はいくつかあり、一つは日本我技術先進国で引き抜くより引き抜かれる立場に回りやすい事、もう一つの理由としては割と日系企業は自国の技術がナンバーワンだと信じ、海外企業の技術力を全体的に見下す傾向があるからではないかというのが長い前置きを経た今回の主題です。

 断言してもいいですが、部品レベルならまだしも携帯電話を製造する技術で言えばもはや中国企業の方が日本より圧倒的に上です。私も愛用しているMEIZUの携帯を今日昼間まで会っていた親父も驚きながら使ってましたが、逆に親父の持っていたソニーエリクソンのスマホのレスポンスの悪さになんやこれと私の方は思ってました。カメラ切り替えなんてやけにラグあるし。
 しかし、日系企業がこうした携帯電話分野で中国企業、っていうよりむしろ米アップル社から技術者を引き抜いて自社技術の発展を促したという事例はありません。真面目な話、アップル社からはあの手この手で技術者を引き抜くくらいの凄みが日系企業には足りません。

 携帯電話に限らずとも自動車分野などでもドイツ系やフランス系企業から引き抜きをしたって話も聞かず、むしろ日系企業は引き抜きをすることに対して必要性すら感じていない振りすら覚えます。その背景こそ、「ジャパンアズナンバーワン」じゃないですが密かに日系企業は日本の技術は世界トップだという、誇張した言い方をすれば自惚れに近い感覚があり、引き抜きという選択肢を頭から外しているのではないかと密かに思うわけです。

 結論を述べると、私は日系企業はもっとスカウトによる引き抜きを率先して行う、もしくは選択肢に入れるべきだと思います。何故ならこうした引き抜きを選択肢に入れることで、自社の技術者の流出リスクが把握しやすくなり、対抗策も組み立てやすくなるからです。またそれにより本当に評価されるべき技術者が正しく評価されることに繋がれば社内活性化にもつながるように思え、比較的技術者に対して冷遇だとする日系企業の習慣に新風が吹きこむことも期待できます。

 あくまで仮定に仮定を重ねた上での提言ではありますが、スカウトについて日系企業は取られてばかりではなくたまには「奪う側」に回るというか、「やられたらやりかえす、倍返しだ!」っていうセリフの一言でも言ってみろというのが私個人の意見です。

メディアが行う貧困特集の問題点

 何も現代に限らずいつの時代も新聞やテレビは「貧困特集」と称して貧困層とされる人々を取り上げた記事や番組を特集していますが、結論からいうと近年みる貧困特集は私から見ればそれほど面白いものはなく、物によっては不快感すら覚える内容が多いです。ほかの人はどう感じているのかは断言できませんが、NHKが以前に行った貧困特集でネットを中心に大批判が起きたり、中日新聞が記事を捏造した事件を鑑みると私の様に不快感を感じる人もある程度入るのではないかと思います。
 では何故不快感を覚える、っていうかつまらないのかというと、結論から言えば問題点が多く特に上から目線で書かれることが多いからだというのが私の考えです。

 基本的に貧困特集は収入が少なかったり支出が多かったりするなどして家計上で生活の苦しい世帯が取り上げられますが、全体として「可哀相な人たち」というスタンスで紹介される事が多いです。無論、確かにそうした貧困層は憐憫に値すると私も考えますが、だからと言って「可哀相」というスタンスで紹介してしまうとバイアスがかかり、必然的に上から目線での報道になりやすいです。
 この辺は私が社会学を学んでいた際、こうした対象に対しては余計な感情は一切挟まず、ありのままに報じたり紹介したりする必要があると厳しく教えられましたが、やはりそうした一程度の距離を置いた態度というものがこれらの報道にかけていると思います。わかりやすく述べると「可哀相な対象」として取り上げるのではなく「こうした人たちがいる、これが現実」というようなスタンスが欠けており、変に可哀相だという風に描いてしまうとなんとなく感情を強要されているような感じがして私個人としてはあまり馴染めません。

 加えて、こうした貧困特集で必ず引っかかる点としては、特集される人たちよりもっと悲惨な人たちはいくらでもいるということです。そうした人、またはそうした人たちを知っている人たちからすれば、「何だこの程度で」という感情を催すでしょうし、上記のNHKの特集はまさにこれで炎上しました。こうした点から言って殊更に支援が必要だと唱えることも個人的には反対で、やはりそういうのは行政の問題だと割り切りそこにあるものを報じるだけであるべきでしょう。

 その上で個人的に許せないのは、貧困者の声を記者らが代弁するかのようにして作っているのがなんか納得いきません。これまた上記の中日新聞の特集なんか捏造してまでこれをやってましたが、そのほかの貧困特集でも、「本当に彼らはこんなことを言うのだろうか?」と感じる様な言葉や意見が記事本文などに書かれることが多く、見ていてリアリティに書ける記述が散見されます。断言してもいいですがそういった記述はまさに上から目線の記者たちが作っているもので、「如何に同情を引くか」という視点で以って書かれています。
 私個人の意見で述べると、やはりこうした貧困特集などにおいては記者らは最低限の仕事だけを済ませ、貧困者自身に素直な気持ちを述べさせたり書いてもらうことが一番いいと思います。収入は少ないがそれでも楽しくやってるという人もいるでしょうし、取材に来た大新聞の記者らの給料は高額で内心ムカついているとかでもよく、素直な本音を彼ら自身に述べたり書いてもらってそれを編集なしでそのまま出すことこそが最もリアルな声で傾聴すべき対象であると私は考えます。

 そういう意味で何故新聞社や放送局は、自社の派遣社員自身に派遣格差を書かせないのかいつも不思議に思います。新聞社や放送局内の派遣格差ほど面白いものはない上、またすぐ近くに当事者がいるんだからその当事者自身に語らせればいいってのに何故やらないのか、いっつもこの点が不思議に感じています。そもそも、格差問題を格差のトップ側が報じたりするのも変で、やはりボトム側が自ら声を挙げて発信するべきでしょう。そういう意味ではトップ側の新聞社や放送局は逆に、「セレブ特集」みたいなのを組んでどれだけ楽しく暮らしているかを自分で語ってみるのも手かもしれません。