ページ

2017年12月7日木曜日

中国の格差の実体~都市間

 体力が付きかけているので短くまとめると、あまり言及されないけど結構大きな差になってきているとこのところ思う中国の格差として、都市間格差があります。これはある意味日本にも存在するものですが、中国の場合だとどの省・都市に戸籍を置いているのかがかなり人生にも影響し、日本の比ではありません。

 まず一番大きいのは医療と年金です。全国共通の日本とは違ってどの治療にどれだけ行政の補助が得られるかは中国だと都市によって違い、上海なんかだと無料で手に入る薬が他の都市ではそうもいかないということもざらです。年金も同様で、どの都市の戸籍であるかによって得られる金額が変わってきます。

 このほか細かい差を挙げると切りがないですが、どの都市に戸籍があるのかは高年齢になるにつれ中国では差が出てくるような気がします。住宅についても地元に戸籍があると転売用に2軒目も購入しやすいですし、ローンも組み立てやすいと聞くだけに、不動産価格の上昇が著しい大都市ほどこの恩恵が受けられることとなります。
 この都市間格差については今のところ中国全体で是正しようというような声すらほとんど見ず、存在に気づいてはいるものの誰も手出しできないような状況で、恐らく今後さらにその格差が広がっていくことでしょう。

 以上、力尽きたのでここまで。

2017年12月5日火曜日

中国の格差の実体~都市住民と農民

 数年ぶりかと思うくらいに体調が悪化し、昨日一昨日の丸二日間ずっと布団に寝込んでいました。風邪薬飲んでも効かなかったのに、寝すぎて頭痛くなったから飲んだ頭痛薬飲んだらすぐ治ったのがマジ不思議。

 そんなんでまだ体力ないまま続けると、中国の格差といって一般的にこれが指すものは都市住民と農民の格差でしょう。知ってる人には早いですが、中国の戸籍では出身地や民族を区別するほか、その人が「都市住民」か「農民」かをも定義しています。当然、何方に所属するかでその社会的な地位や役割は異なってくるわけで、農民戸籍の人は都市部に正式に定住することは認められないほか、農業的な義務もいろいろ持たされ、言い方を変えればかなりの面で土地に縛られた人生を要求されることになります。

 言うまでもなく、消費生活においては都市住民の方が有利です。安定した現金収入が得られるほか都市の運営する社会サービスや福祉も享受でき、また大学受験においても地元都市であれば優遇が得られます。一方、農民戸籍であれば以上の優遇はなく、また農作物を生産することから食うには困らないものの現金収入はほとんど得られず、この境遇から抜け出そうと思っても自力で商売を始めることもできず脱出することもなかなか適いません。

 そもそも一体何故中国はこのように都市と農村で戸籍を分けたのかというと、一言で言えば食糧生産量を確保するため、もう一つとしては都市部へ無尽蔵に人口が流入するのを避けるためです。このため、実質移動の自由を国民から奪い、ほぼ身分制のような二大戸籍区分を作ったわけです。
 この農村戸籍からの脱出方法として一番メジャーだったのは、やはり大学進学でした。学業によって大学に合格し、卒業時に都市部にある企業に就職内定を得られればそのまま都市戸籍への変更が行えました。逆に、大学卒業時に就職を果たせないと戸籍は元の農村戸籍のままなので、実家に送り返される羽目となるわけです。

 このように社会上で様々な制限を受ける中国の農民ですが、現実には都市部には農村から来た出稼ぎ農民が大量にいて、彼らの労働力なくしては都市部経済糊塗3K労働は何も回りません。これは一体何故かというと、現状の規定ではあくまで「定住」がダメということで、普通に賃貸借りて現地で働く分には制限がないためです。ただ、制限はないものの保障も支援もないわけで、就学年齢子弟がいても出稼ぎ先の都市部では一切就学支援が受けられないどころか、医療等でも保障はないため、幼い子供を農村に置きながら両親は都市部で出稼ぎをし続けるという光景も中国では決して珍しくはありません。
 先ほどにも書いた通りに農民は食うにはそれほど困らないものの、現実には資本主義な現代中国では現金収入がなければ生きていくには困難であり、また子供の就学などにもお金がいることから出稼ぎを余儀なくされます。

 以上がざっとした中国の農民の現状、と言いたいところですが、近年この状況に大きな変化が起きつつあります。
 あまり日系メディアは報じないものの、農村準民の都市戸籍への変更は以前に比べ大分緩和されました。何故かというと中国政府自身が食糧生産の維持よりも消費増加による市場拡大を図ってきているからです。農村住民と都市住民とでは年間消費額で大きな違いがあることから、農民を都市住民にすることで消費を拡大させようという考えの下でこうした措置が取られています。

 実際、一部地方では農民が希望さえすれば都市戸籍に変更できる上で、都市での一定の住居(詳細は調べていないが)等も提供された上で都市部で生活できるようになっているそうです。ただし、これらはあくまで一部都市での話であり、北京や上海といった大都市では戸籍を取るには依然と厳しい条件が課されています。
 また上記のような手続きを経て都市住民となったものの、定職が見つからず結局また別の大都市に行って出稼ぎを行う元農民というのも少なくないそうです。中国政府は現在も「都市化」をキーワードに都市住民の拡大を図っていますが、現実には様々な困難が起こっています。

 少しここで結論をまとめると、農民と都市住民の間には間違いなく未だに大きな格差があります。ただ、中国政府はこの格差の是正については非常に熱心であり実際に大量の資金を投入して対策を行ってきており、かつてと比べればこの格差は改善しつつあるのが私の見解です。現実に2011年に都市人口が農村人口を初めて逆転して以降、農村人口は減少する一方で都市人口は増加し続けています。
 まぁそしたらそしたで中国の食糧問題が気になるわけですが、そこは機械化に期待しましょう。

 私個人として気に入らないのは、よく日本の報道がかなり古い情報のままアップデートせずにこの都市と農村の格差を語ることが多いことです。現実にはすでに述べている通り確かに格差は未だ大きく開いてはいるものの、その差は確実に是正されつつあり、現実に10年前と今を比べたら驚くべきほどの改善ぶりです。しかし日系メディアはさっき上げた人口比率のデータどころか所得格差のデータ分析すら行わずに「絶望の中国農民」等と書き立てています。
 無論、格差は存在することは間違いないものの、是正されるつある現状、そして是正に努力する今の中国を語らないというのは何なんだという気がしてなりません。「ならば今すぐこの格差を是正してみろ」と某赤い彗星みたいなことを言う人もいるかもしれませんが、一瞬でなくなるものならそれは格差じゃありません。少しずつ埋めていかなければならないほど深刻だからこそ格差であり、それを埋めるための努力をしている人たちを、格差を見て見ぬふりして何も是正に動かない人たちが笑うのが自分には許せなかったから、今ここに自分はいるのだと思います。

2017年12月2日土曜日

漫画レビュー「ゴールデンゴールド」

 先月に日本へ一時帰国してからこの一ヶ月間はずっと体調が悪く、今週に至ってはお尻からラー油が出るわ風邪ひいて鼻かむたびに鼻水に血が混じってるのを見るとマジビビります。そんな具合で体調良くないので好きに書ける漫画レビュー書きます。

 結論から言うと、この「ゴールデンゴールド」という作品については将来確実にアニメ化かドラマ化が実現すると断言できます。底知れないポテンシャルはもとより、ここ先が気になってしょうがない展開ぶりなど数年間で間違いなく最も優れた漫画作品ではないかとすら思えるような面白さです。
 私がこの作品を知ったのはAmazonの売り上げランキングで上位に入っていたことと、その特徴的な表紙から「中身が全く読めない」という印象を覚えたことからでした。てっきり、表紙に出ている女子高生と変な生物がドタバタをやらかすギャグコメディではないかと想像していました。
 では実際はどうか。簡単にあらすじを話すと、以下の通りです。

******
 広島県の離島に住む女子中学生の主人公はある日、海辺で小さな仏像のようなものを拾い、なんとなくお堂に入れて拝んだところその仏像は子供くらいの大きさの人形となり、突然動き始めます。しかも知らないうちに主人公の家に上がり込みながら、主人公の祖母をはじめその島の出身者は誰もその異様な姿を見とがめることはせず、特に疑問を持たず同じ屋根の下で暮らし始めます。そしてその人形が来てからというもの、祖母が経営する民宿、雑貨屋は急に繁盛し始め、コンビニにも鞍替えするなど環境が段々と変わっていき、「もしかしてあれはフクノカミなのでは?」と主人公らは考えていくようになります。
******

 以上は本当に序盤のみのあらすじなのですが、回を追うごとにフクノカミとはどんな存在なのか、何が目的なのかという疑問がどんどんと膨らみ、その不気味さと相まって先が非常に気になっていきます。また主人公らが生活する離島、と言っても「ドクターコトー」ほどの鄙びた離島ではなくスーパーも高校も島内にある島ですが、その島の日常生活風景が非常に丁寧に書かれており、それだけに日常が段々とおかしくなっていく情景が妙なリアル感を持って描かれています。

 最初一読して感じた印象としては浦沢直樹氏の「20世紀少年」のような印象、日常が段々と非日常へと崩れていくようなイメージを感じました。ただミステリーじみた展開のあちらとは違ってこちらは明らかな超常現象というか見た目からして異様そのものなフクノカミが周りから一切特別視されずまるでそこにいるのが当然のように普段の日常世界が続いていきます。例えて言うなら明らかにおかしいものが画面に映ってるのに、誰も反応しないまま進行が続けられるテレビ番組というような不気味さで、この不気味さこそがこの作品のエッセンスだと思え、徐々にちりばめられるフクノカミに対するヒントなども非常に配置よく紹介されます。

 この作品を友人にも勧めてみたところ、「この作品は本当に凄い!」と今までにないような興奮した返事が返ってきました。ただ友人曰く、「最初の数話だけでは全く分からず、1巻丸ごと通しで読んでみて初めてその魅力に気が付けるような作品だ」そうで、この批評は全く持って私も同感です。チラ見した程度ではいまいちわかりづらいところがありますが、通しで読むことで段々と世界がおかしくなっていく展開が分かってくるだけに、やや敷居が高い作品であるでしょう。

 まどろっこしい語りとなってしまいましたが、余計なことを考えずとりあえず一読されることを強くお勧めできる作品です。私なんか1~3巻を購入するとそのまま三週くらい読み返しましたが、あらゆる意味でこの作品は現在の連載作品の中で別格です。


    

2017年12月1日金曜日

中国の格差の実態~昔と今

 前回記事に引き続きまた中国の格差の話です。

 まず格差と一言で言っても、どの格差を対象にするかで全然話は変わってきます。エリカが例えてあげるなら、ヒルズ族とネットカフェ難民の比較に対し、松戸市民と東大阪市民の比較だとその差の開きには大きな違いがあるでしょう。自分で言っててなんですが、松戸と東大阪の比較って逆にむずそう。
 なので、ちょっと自分の方でも頭の中をまとめたいのもあるだけにいくつかトピックを絞ってこの問題について書いてこうと思います。そこで今回は、多分自分しか書けないであろう中国の格差今昔こと今と昔の格差についてです。

 結論から書くと、自分の想像を超えるレベルで中国はその社会における格差をこの10年で是正したなと思います。私は2005年に留学で初めて中国を訪れましたが、その時の印象を述べるとやや粗野な人間と、人間以下のバーバリアンに分かれているのが中国だと思いました。
 ホワイトカラー的な仕事についている中国人はやや田舎っぽいところが残るものの普通にノートパソコンを使ったり、最新の携帯電話を使いこなすなど文明人らしく振舞っていましたが、そうでない中国人、具体的には出稼ぎできている農民などはそこらじゅうで唾吐いたりたちしょんしたり、すぐ怒鳴ったり平気で赤の他人に寄りかかったりするなどして、元々住んでいる都市住民が彼らを差別するのも無理ないなと思うような人間ばかりでした。

 現在もこういうバーバリアンな中国人がいないわけではないものの、それでも10年前と比べたら本当にレアな存在になり下がりました。また来ている服とかも、路上生活者ですら昔より大分マシになっており、本当に中国は豊かになったなぁと感じさせられます。もちろんこれはあくまで中国の都市の中の風景であって地方行ったらまだまだ話は違うだろうし、奥地の農村に至っては今でも水や電気といった最低限のインフラすらないところも珍しくはないでしょう。それでも、これは別の記事でも書きますが10年前と比べれば農村の生活は大分マシになり、また都市部への移住制限も緩和されたこともあって「どうあがいても這い上がれない」というレベルの格差は確実に減ってきていると断言できます。

 収入に関しても、中国はこの10年間で最低賃金が全国で約4倍くらい上昇しており、この最低賃金引上げは資本家にとってマイナスとなるのに対し底辺労働者は恩恵を蒙る政策なだけに、単純な収入格差はこの事実一つとっても大幅に是正されていると言えるかと思います。一方どっかの国は、GDPが過去最長の成長を見せていると言いながら、最低賃金基準も大卒平均初任給がビタ一文も動いてませんが。

 私個人の印象で述べると、かつての中国は都市に生まれるか、農村に生まれるかでどうしようもないくらいの差が存在しましたが、現在も農村生まれは大きなハンデを抱えるものの、かつてと比べれば脱出の道は数多く作られており、這い上がれないほどの壁の高さではなくなったという気がします。
 一方、高額所得者に関しても、一山当ててあり得ないほど金持ちな資本家は確かに多いものの、かつては成金で鳴らした資本家が事業の傾きによってあっさり破産するといった事例も少なくなく、割と市場の競争原理は働いている気がします。まぁ悪いことしておきながら国の救済受ける企業ももちろんありますが。

 大雑把なレベルで話しているので具体性が欠けますが、私は中国の社会全体で見れば昔よりは今は大分格差が是正されているのではという立場を取ります。かつての格差は人間か、非人間かというレベルでしたが、今の格差は勝者か敗者かというレベルであり、まだ機械というか勝負ができる社会にはなっているのではと思います。
 もっとも内陸の奥地行ったらまた話は違ってくるとは思いますが、少なくとも言えることは、日本以上に中国政府は格差是正について真剣に取り組んでいることは事実です。その差が今後どうなるかが非常に楽しみです。

2017年11月30日木曜日

中国の格差を何故日本人は気にするのか?

 先日コメント欄で中国の格差について質問があったので記事に書こうと思いますが、本題に応える前に私個人の疑問として、どうして日本人は中国の格差をやたら気にするのかということについて思いのままに書かせてもらおうと思います。

 まずこの質問ですが、ぶっちゃけすごくよく聞かれます。初対面の人に自己紹介がてら「中国にいた」というと、「ちなみに、中国の方の格差って……」という具合で高確率で聞かれます。どっちかと言えば「中国の食事ってどうだったんですか?」の方がやや多く、比率的には6:4くらいではあるものの、実質この二つの質問が中国に行ったことのない日本人から聞かれる質問トップ2です。
 中国の食べ物や食事について質問されるのはまだ理解でき、実際私もつい先日に知人には話したラー油事件が起こるなど、食事に関するトラブルは大分減ったものの存在し続け日本人も興味を持つのも自然なことでしょう。しかし格差については正直、一体何故これほど聞かれるのか本気で分からず、2013年に帰国していた折にやたら聞かれ続けてずっと不思議でした。

 前もっていうと、私自身は格差に関心がないわけではなく、むしろこの方面に対しトップクラスに関心が強い人間であると自負しています。エリカが例えてあげると、一般人がトノサマガエルなら、私はウシガエルくらい格差に対して強く関心があり、学生時代からしょっちゅうこの問題追っては仮説を検証し続け、現在もそこそこの知見はあると考えています。あの派遣マージン率調査なぞ最たるもので、断言しますがあの調査は私だからこそできたのであって私以外にはまず誰もできないものだったでしょう。

 そんな私がどうして日本人が中国の格差に関心を持つことに奇異を感じるのかというと、率直に言って自国の格差にはあまり目を向けないでおいてなんで中国の格差が気になるのかというのが分からないからです。恐らく間違いないでしょうが、中国の格差が気になる人は韓国、米国、インド、ネパール、東欧の格差については全く関心はなく、ピンポイントで中国の格差にのみ関心を持っていることでしょう。
 そして日本国内の格差については、多分同様にあまり関心が持たれてないでしょう。自分がやった派遣マージン率の調査でも、やはり反応を見ていると当事者である派遣労働者たちのアクションがあまりなかったし、今となっては派遣格差について議論する人すら消え失せました。

 このような疑問をずっと抱えていたのですが、今回改めてそうして日本人は中国の格差にだけ関心を持つのか考えてみたところ、割とすぐに仮説は浮かんできました。結論をここでいうと、目にする報道や現実にギャップがあって頭の中でいまいち理解できず、実態がどうなのか疑問を覚えているからではないかという気がします。

 この考えのベースとなっているのは、上海を初めて訪れた日本人はほぼ例外なく、「上海がこんなに大都市だとは思わなかった」と述べる感想からです。上海に関する報道は日本でもたくさんあると思うのに、ほぼ一様に上海の街の規模やインフラに嘆息してみせ、一体日本ではどう報じられているのか、恐らく未だに中国はバーバリアンが闊歩する修羅の国のように報じられているんじゃないかと内心で思いました。
 一方、現実では自分も何度も報じている通りにこのところ中国人は日本に大挙してやってきて膨大な買い物をして帰ります。恐らく日本国内にいる人たちからすれば、テレビや新聞では中国は未だ発展途上国で、最低限のインフラにさえ事欠き北京や上海のような大都市ではスラムが大量にできているなどと報じられているのに、日本に来る中国人はこれほどまで馬鹿買いしていくのは何故だろう的になって、中国国内には大量の貧困者がいる中、ごく一部の超裕福な中国人が日本に来ているのではと想像するようになったのかもしれません。またここまで行かずとも、同じ中国の報道でも上海の摩天楼と農村の貧しく差別される人たちが同時に映され、「これは本当に同じ国の話?」という具合で疑問に感じてるのかもしれません。

 まぁ何が原因かとなると、きちんと中国の実態をうまく報じる日系メディアが多くないってことに尽きます。実際ネットの報道見ていても中国に関しては妙なバイアスかかってますし、意図的に格下のように中国を報じてますから、こうなるのも案外不思議でないかもしれません。
 私個人としては先ほどにも書いた通り、所詮は外国の格差であって日本人がどうこう思ったところで何かが変わるわけでもなく、それよりむしろ自国の格差について考えたらどうかと気持ちが強いです。なおこのような価値観から、私は中国の路上生活者にカンパしないようにしています。カンパしたところで根本的解決にはつながらないし、またこれは中国人自身が対処するべき格差だと考えているからです。さすがに、賽銭箱に小銭は入れますが。

2017年11月28日火曜日

幻想に生きる日本人

 先日後輩から、「中国の事情を説明する際、必ず最初に日本を持ち上げること言わないといけないことに気が付きました」と言われました。その際の返答として、「俺の苦労が少しはわかったろう。俺が記事書くときはいっつもそれなんだぞ」と答えました。

 これはどういう意味かというと、全部が全部そうではないものの、既に中国の方が日本を上回っている面が多いということです。大都市部での生活の便利さはもとより、工場生産の技術力、コンプライアンス、麻婆豆腐のうまさなど、数え上げたら割と切りがありません。なおコンプライアンスについて先日、監査法人で働く中国人の知り合いが、

「アメリカの専門家が最近、中国企業より日系企業の方がコンプライアンスが低いと言ってた。その背景というのも、中国企業の場合は国も取引先も企業はコンプライアンスを能動的に守らないと把握して注意しているとともに、法規制も厳しく定められているが、日系企業の場合は国も取引先も企業はきちんと法律守っていると信じ込んで、相互牽制を果たしていないからだ」

 と言っていましたが、これに関しては私も全く同感です。今日も東レの件がばれましたが、日産にしろ神戸製鋼にしろ、真面目にもう中国メーカーを笑う時代ではないでしょう。

 話は最初に戻しますが、こうした日本を既に上回っている中国の面を日本人に紹介する際、それをそのまま言ってしまうとあまり具合がよくありません。率直に言って、そのまま話すと日本人は露骨に不機嫌となり、容易に反発を買うからです。なので後輩は、「日本は長年やってるだけあってこの方面は間違いないけど」などと最初に日本を持ち上げてから、「けど、最近中国も追い上げてきていて」などと、中国を一つ下に落とすような感じで話すようにしているそうです。私もそうです。

 特に私の場合、その後輩から、「花園さん、なんか狙われてるんじゃないですか?」と言われるくらいにJBpressで中国関連記事を書くたびにヤフコメが激しく炎上しますが、仮にありのまま(れりごー)に言いたいことをそのまま書いていたら、今以上に炎上することは間違いないでしょう。上記のように日本人が反発するということを私もわかっているだけに、記事を書く際は露骨に「中国の方が日本より上だ」なんて書くことはせず、所々で日本を持ち上げるような記述を入れてフォローを入れています。
 実際にそれをやった例としては中国のローコストオペレーションを紹介した際の記事で、「品質維持に関しては中国人は苦手で、日本人の方が優れている」と書いた記述です。まぁそれでも反発大きかったけど。

 そもそも一体何故このような反発を日本人はするのか。例えば、この相手が中国人ではなく欧米人だったら反発はまず来ないと思われ、それから察するに犬みたいに中国人を格下だと思い込んでいるからこその反発だと考えられます。何気に、清水潔氏も南京事件の取材で少なからずそのような格下に見る意識が自分にもあったと本の中で書いてあり、相変わらず鋭い人だと感じました。

 以上のような点を踏まえてその夜後輩に、「俺が今JBpressでやっている仕事は、ある意味日本人に現実を教えるような仕事だと考えている。はっきり言って今の日本人は現実を見ず、未だに日本は一等国で中国は格下、中国が日本より優れている点など何一つ存在しないと心の底から信じ切って、幻想の中に生きている」と話しました。これはその場限りのセリフではなく、今現在も揺るがない価値観です。
 その上で、「ある意味、俺は幻想を追わずに現実を見据え、声に出し続けたからこそ日本社会から弾かれたところもあると思う。今の日本では、周りに合わせて幻想を見ないと生きていけないだろう」と述べましたが、いつも細かく突っ込んでくる後輩もこの時は何も言ってきませんでした。

 決して誇張ではなく、今の日本人の大半は幻想の中に生きていると私は思います。そして不都合な真実、中国が日本を多方面で上回ったことやほとんど追いついているという事実には目を背け、欧米に負けることは許されてもアジアの国に負けることは許されないという妙なプライドからどんどんと現実から乖離してきているようにも思います。
 私に言わせれば、負けるのは恥でもなんでもないとは思うものの、少なくとも現実を直視できない人間には未来はないと断言できます。夢を追うのは悪いことではないもの、幻想にすがりつくのは無様以外の何物でもありません。

 何も自分が何もかもをわかっているわけではないし偉そうなことを言える立場でもないことは自覚していますが、そもそもジャーナリストを目指したのも最も真実に近い場所に立っていたいという願望からであっただけに、ただ現実を直視するという点については常に意識していたし、周りよりはずっとそれができていたという風には考えています。そんな私に言わせれば、ここ数年、具体的には東日本大震災以降から日本人はそれ以前にもまして幻想を追い求める傾向が強くなってきている気がします。

 幻想を見ながらそのまま死ぬのも決して悪くはない気がしますが、自分はそれが嫌だったからこうして今中国にいるのでしょう。それでも、やはり現実を見るに越したことはないだろうから、中国事情の紹介記事執筆という仕事を今やっているという自負があります。「不都合な真実」という言葉がある意味ぴったりですが、割と私が好きなジャンルのエログロといい、目をそむけたくなるような対象にこそ真実は宿るというのはあると思います。

2017年11月27日月曜日

日産問題の第三者報告書に対する疑問

<日産>現場を疲弊させた「原価低減推進室」の必達目標(毎日新聞)

 もはや説明するまでもない日産の検査不正について西村あさひ法律事務所が第三者報告書を出していたようですが、率直に言ってもし自分が責任者であればこんな報告書を見た時点で「書き直せ」というか、書いた奴を首にします。というのも、全く問題の核心をついていないどころか体面だけ取り繕った内容に見えるからです。

 具体的にそれはどこかというと上記リンク先記事冒頭に引用されている、検査不正が起こった背景には慢性的な完成検査員不足があると指摘している点です。
 何故ほかのメディアとかもこの点を突かないのか誇張ではなく本気で心配になるほどなのですが、今回の日産の検査不正は20年以上行われ、社内では誰も問題視せずこうしたやり方がもはや当たり前と見ていたことが窺えます。
 毎日のアホは2交代制から3交代制になって生産量が増え、現場が忙しくなり検査員が不足したとも書いていますが、肝心なのはそれ以前からも検査不正が起こっていたということでしょう。また20年間も検査員が不足するほど常に忙しかったのかというとそんなわけないでしょうし、忙しさゆえの不足というのは明らかな見当違いとしか言いようがありません。

 こうした観点から見れば第三者報告書が原因に挙げた検査員不足は私から見て理由になりません。そもそも日産としては検査員が不足しているなんて自覚は一切ないまま、忙しさに関係なく検査不正をやっていたわけです。なのでこの点に注意したところで今後の改善が期待できるわけなく、さすがに完成検査ではすぐには再不正することはないでしょうけど、まだ見つかっていない部分に関しては今後も気にせずやり続けるのではと思えます。

 このように考えると実にこの第三者調査、並びにそれに基づいた日産の改善策が如何に茶番でしかないのがよくわかります。そもそも日系企業並びに日本人は問題発覚時に限らず議論する際に論点の核心については何故かみんなして言及することを避け、表面的な問題とはほとんど関係なくどうでもいい内容、特にすぐに且つわかりやすい対策が打てる箇所を槍玉に挙げ、「この原因に対してこうします」的なクソどうでもいい対策を最後に発表することが多いです。
 一部で情報が錯綜したのか、誤解したのか、意図的に間違えたのかはわかりませんが、今回問題となった完成検査を行う完成検査員資格は国家資格でもなんでもなく、日産の社内資格でありその認定条件は各自動車メーカーによって異なります。日産側はこれまで資格研修中の作業員でも問題がいないと思って作業させていたと言っておりますが、問題がないなら研修のハードルを避け、報道では2ヶ月間の実習研修と筆記テストが必要とのことですが、これを2週間くらいの実習研修に短縮させることが最も効果的且つ実質的な対策じゃないかと思えてなりません。品質維持できるならそれで万事解決なのに。

 なおすでに述べましたが、議論でも日本人は何故か問題の核心を避けるような主張をする傾向があり、議論が進むうちにどんどんと本質とは関係ない議論に発展しがちです。逆を言えば核心に敢えて引っ張るとたじろぐし意見に詰まるので、どうでもいい相手を一蹴する際に私は、「ところで本題は?今自分たちは何について話してるの?」と言って追い込みます。ヒートアップした相手ほど効果的です。