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2018年7月25日水曜日

ポスト安倍に待ち受ける負の遺産

 前外務大臣の岸田文雄議員はこのほど、次期総裁選には出馬しないとの方針を示しました。この発表を受けて一部メディアではあくまでも安倍総理からの禅譲(後継指名)を待つつもりとのことだが、決断が遅く怯んだ、臆したなどとやや批判の強いトーンで紹介していました。私は当初、そうはいっても出馬するかしないかは確かに悩むもんだからそこまで批判しなくてもと考えたものの、そもそも岸田議員は次期総裁選を睨んで安倍首相の懇願にもかかわらず前回の内閣改造で外務大臣の職を辞しており、あくまでも安倍総理の後継指名を目指そうというのなら何故そこで閣外を出たのかと思うようになり、改めて今回の不出馬発表は中途半端な態度だと思えてきました。
 まぁ優柔不断は宏池会の得意技ですが。

 ただこんなことを言っておきながらですが、ポスト安倍となる首相職はならない方が案外いいかもしれません。というのも安倍政権の負の遺産を丸抱えすることとなり、将来の歴史的評価が真黒くなる可能性があるからです。

 その負の遺産とは具体的に何かというと、数え上げたら切りがないですが一番大きなものは日銀が買える大量の株式です。他のメディアでも報じられていますが年金を運用管理するGRIFと日銀を合わせれば日系企業最大の株主となり、この2つが日系上場企業4社中1社の最大株主になるという国家総動員法も真っ青な状態と既になっています。仮に日銀が緩和政策の出口戦略でこの株式を手放したらあっという間に大暴落になることが見え、かといって手放さなかったら企業統治に緩いお国なことですから、企業の不正は増えイノベーション力が低下する可能性も少なくありません。
 この出口戦略ですが、本来ならもうとっくにやっていなければいけないものの日銀はやめるにやめられないものだから、さらに買い増しすると発表しており、多分最終的には2社中1社が最大株主が国という、国がほぼすべての日系企業を支配する時代が来ると思います。中国の国有企業やかつての国鉄とか見てたらわかりますが、この手の企業は基本腐ります。

 次の負の遺産ですが、端的に言って経済指標です。先日も投信30兆円誤計上問題が発表されましたが、やはり世間の反応を見ていると「わざとだろ」とみなす人が多く、私も同じ考えです。景気が上向いていると主張するために統計指標を弄った、誤計上をしりながら発表してきたように思え、実態の指標はもしかしたらもっと悪いのかもしれません。
 何もこの投信指標だけでなく、GDP成長率の数字もいつも私は怪しんでいます。理由としては予測値、速報値、確定値の乖離が激しいのと、「その他」という内実不明の数字割合が年々異常な包丁を続けており、はっきり言えば中国以上に操作されていると考えています。

 そもそもこうした経済指標というのは単体だけでなく、他の経済指標と一緒に眺めて初めてその価値が分かります。例えば先ほどの投信も、家計貯蓄高が年々減ってきているにもかかわらず何故か個人の投信投資額は増加しており、前々から怪しむ声は出ていました。同様にGDPに関しても体感景気は盛り下がっており、そのほかの指標もパッとしないのに「戦後最長の景気拡大」などと言われていて、違和感しか覚えません。私個人の体感でも中国で日本製品を買い求める人は自動車とおむつを除くと減っているように思え、それでいて何故このような数字が出てくるのかと思わずにはいられません。

 こうした負の遺産が、ポスト安倍の次期首相の時代に一気に爆発する可能性が高いです。そう考えると果たして座るべき椅子なのかと疑問に思え、泥をかぶるつもりがないのなら無理して追わない方がいいのではと今回の岸田議員の行動を見て密かに思いました。

2018年7月24日火曜日

何故中国に居続けるのか

 初対面の人に会うとほぼ確実に、「中国にどれくらいいるんですか?」と聞かれたりします。このブログをしつこく追っていけばわかりますが私の場合だと2010年末(実質2011年頭)から中国で働くようになり、2013年に1年ほど日本に帰ったものの、翌2014年には再び中国入りしてからはずっとこっちなので、単純に働いている期間で言えば6年くらいとなります。さらに北京の留学時代を加えるともう1年プラスとなるので、合計すると7年でそろそろ10年選手とかも見えてきました。
 正直に言えばこれほど長くいることになるとは当初考えておらず、それこそ最初は2~3年くらい修行のつもりでしたが、今現在だと日本に帰国することは全く予定に入っていません。何気にこの点も、「いつ日本に帰るの?」とよく聞かれて、聞かれるたびに( ・´ー・`)って気分になります。

 何故日本に帰らずに中国へ居続けようとするのかですが、定期的にこのブログでも書いていますが単純に日本だと仕事がないからです。
 私より実力のあるライターは私自身もはっきりと認識するほど確かに存在しますが、はっきり言えば世の中の大概のライターは私より実力はなく、多分一記事辺りのアクセス数とかでも私に勝てる者となるとかなり限られてくるでしょう。単純に中国語、英語の原文読んで資料集めて記事書けるだけでもレアですが、それ以上に経済からコラム、歴史にスポーツと書けるジャンルの広さで自分に勝てるライターも少なくとも私は見たことがありません。でも多分、日本帰ったら私に仕事くれるメディアはないんだろうなって思います。

 何もライター業に限らずとも通常の貿易事務とか営業、検査、リサーチ等も一通りこなせますが、これまでの転職が多くて異色過ぎる経歴と、見た目の大人しさから採用する日系企業は多分ないでしょう。また仮に採用されたとしても、パフォーマンスよりも社歴の長さが何よりも評価で重視される日系企業の中では自分の力はきっと発揮できないという確信があります。そうした要素を考えると、単純に生活面、パフォーマンスの発揮と向上面において中国で暮らしていく方が自分にはメリットが多いです。
 なおここだけの話ですが、今いる会社の在職期間が今月になって2年6ヶ月をついに突破し、自分の中で過去最高記録に到達しました。逆を言えばこれまで1つの会社に2年半以上いたことはなく、ほぼ2年ごとに仕事と人間関係をリセットし続けるというハードな人生を歩んできてました。

 こうした切実な理由もさることながら、自分が中国にいる理由としては別の理由によることの方が大きいです。具体的には中国の方が社会が変化に富んでおり、自分的には退屈しないということです。逆に日本は、これまたはっきり言えば社会が年々落ちていっているようにしか見えず、世論を見ていてもどんどん余裕を失っている上、政治議論も10年前と比較してなんでと思うくらいつまらない内容が増えてきました。そういった社会の居心地というものでも中国、まぁこれは上海だから言えるのだと思いますが、生活している分の楽しさがあります。
 仮に日本で暮らすとしたら、それこそ世間と隔絶した環境を本気で望みます。無駄に世の中に関わろうとしても労多くして得るものはなく、人間も多分自分の眼鏡にかなうような面白い人は上海にいる人と比べればいないだろうし、今ある人間関係の枠の中にいる方がずっと有意義に時間を使えると信じています。

 凄い上から目線の発言だと感じるでしょうが、やはりこのところ日本にいる人の話や議論を聞いていると、「なんでそんなことを気にするのだろうか」と本気で思うような、議論しても悩んでも意味のない話題ばかりが飛び出してくるケースが非常に増えてきています。敢えて例を出すなら、行動すれば済む話を行動せずに済ませられないかと悩んでいる人が多く、養老孟司風にいえば、体の世界がなく頭の世界の中だけで完結し切っているような印象を覚えます。単純に、口ばかり動かす人が増え、黙って手だけを動かす人が減っているのかもしれません。

 あとこれはかなり特殊な意見だと思いますが、中国の生活が年々快適になってきているのもい続ける理由に大きく貢献しています。それこそ10年前の中国だとネットも遅くて規制されているわ、施設やサービスの質も悪いわで生活における不便がひどくあったものの、経済成長とともにこうした生活上の不便はどんどんとなくなっていき、最近だとスマホ決済など日本にすらないサービスも普及して、非常に快適になってきています。最悪からのスタートだったということもあってプラスに感じてしまうわけなのですが、逆を言えば昔は生活面の不便から日本の生活がいいなと思うことも多かったものの、今はあらゆるサービスの発達によってそう思うことが中国においてすら減ってきています。
 具体的には漫画の電子書籍配信、ゲームのネット購入、VPNサービスによるネット規制迂回、便数増加による日本帰国費用の値下がり、スマホによるあらゆる中国国内サービス予約・決済・リサーチ等々。あとこれは私だけですが、あんま日本だと店舗数が多くないGIANTの店舗が中国には多く、パンク時などの自転車メンテナンスが中国の方が充実してます。っていうかなんで日本人はGIANTブランドの自転車にあまり乗らないのか内心不思議です。

2018年7月23日月曜日

投資信託の誤計上問題について

<投資信託>家計保有額、30兆円以上も誤計上 日銀がミス(毎日新聞)

 今日はブログ書く気なかったんですが上のニュースを見て激しく戦慄しました。内容はリンク先読んでもらえばそれまでですが説明すると、個人(家計)が投資信託に拠出している資金額に関する日銀の統計で、30兆円も誤計上があったとのことです。これがどういう意味かというと、投資信託を含む投資が活発、それも企業や団体ではなく個人でバンバン投資されているということは景気が上向いている兆候とされ、経済指標的にはプラスであることを示します。
 これまでこの個人の投資信託への拠出割合は上昇傾向にあると発表されてきましたが、実態はさにあらず、30兆円分が個人ではなく企業や団体拠出であったことが今回の調査で分かったとのことで、もうなんか自分でも書いててよくわかんなくなるくらいショックですが、端的に言えば個人投資は全然増えておらず、結果はむしろこれまでの発表と真逆だったということです。

 コメントとかにも書かれていますが30億円ならともかく30兆円もの計算ミス、それも数年間にわたり行われてきたなんて、それ自体があり得ず日本の統計事態に疑問を覚えます。明日のマーケットがどうなるかわかりませんが、影響なしとは思えず、また日銀はこの件についてどう責任を取るのか問われるでしょう。

2018年7月22日日曜日

嵐の中で


 上の写真は再来週配信予定の記事のために撮影してきた写真のうち一枚ですが、これを撮影したのは本日です。そして本日、上海は台風が来て大雨でした。なんでこんな日にわざわざ取材に来たのかというと、めっちゃワクワクしたからです。

 今回この場所を撮影したのは昨日記事を執筆している最中にこの橋が、建て直されているとはいえ現在も同じ地名で存在するということを知ったからです。早速近くに住んでいた友人にも確認したところ知ってると返信がありそれなら行くかと決めたところ、「明日は台風来るから来週にしなよ(;´・ω・)」と友人が止めてくれました。
 確かに来週でも間に合わないというわけではなく、なんでわざわざ台風の日に撮影しに行かなきゃならないんだと思って私もやめよと思って布団に入ったのですが、今朝目を覚ましたところ風は強いものの雨は降っておらず、「よし行くか」と考えを改め出発しました。なお家を出て数分後に雨は降りだしてきました。

 行先は割と遠いので最初は地下鉄と思っていたものの、地下鉄駅からやや歩くのと、バスでも1回乗り換えだけで近くへ行けるとわかったので優雅にバスを選びました。バスに乗ってる最中も外は大雨でした。
 バスに揺られて約1時間で目的地に着きましたが、そこからこの橋に来るまで大雨に降られてずぶ濡れになりましたが、何故だか満足感でいっぱいでした。写真を撮り終えたところ先ほどの友人から、「もうすぐ台風上陸だから気を付けなよ(;´・ω・)」という連絡が来たので返信代わりにこの写真を送り付けたところ、「マジで行ったのかよ(; ・`д・´)」という期待通りの返信が返ってきました。

 もし本当に半端ないくらいの大雨と大風だったらさすがにやめてましたが、やはりたまに自分の身をリスクにさらすというのは生きているという実感が凄くもて、端的に言えばめちゃ楽しいです。なおこの後は近くのショッピングモールで寿司喰って、今度は地下鉄乗って帰ってきました。家にこもってゲームと執筆ばかりなので、なんか今はお疲れモードです( ˘ω˘)スヤァ

2018年7月21日土曜日

好転する対日感情

 あまり日本人は気にしてないと思いますが、今中国の対日感情はかつてないくらいに好転しています。歴史的な統計で言えば天安門事件前後が最も対日感情がプラス方面に高く、その後90年代に行われた反日教育によって悪化していき、00年代後半から再び上昇していくような経過をたどっていますが、ある意味で2000年以降としては今が最も対日感情がいい状態ではないかと分析しています。
 一体何故対日感情がよくなっているのかというと理由は大きく分けて二つあります。

 一つ目は、今貿易戦争真っただ中の米国への対抗です。中国としてもこの貿易問題で日本を引き込む価値は高く、というより米国との関係を重視する日本を巻き込むのは物凄い得策で、だからこそ今年に李克強総理を北海道に派遣するなどして関係を重視する姿勢を示しました。日本としては無碍に相手する理由もなく、また米国を怒らせない範囲であれば中国と仲良くする方が米国へのけん制としても価値を持つだけに、割と利害は一致していると私は考えています。

 二つ目は、単純に中国が豊かになってきたからです。米国が嫌われる理由は単純に、米国が最も金持ちだからという意見がありますが、同様に豊かな国というのはただそれだけで豊かでない国から恨まれる運命にあります。中国も反日教育とか歴史問題とか言われていましたが、そうした要素は実際は二割程度で、残り八割くらいが富への嫉妬が反日感情の原動力だったと思います。
 それがここにきて中国が経済成長して大分豊かになり、富裕層に至っては日本以上の生活を満喫した上、市民層でもスマホ決済をはじめ日本よりもサービスの進んだ分野が出るなど、「何でもかんでも日本人に劣ってるわけじゃなくなったよね(´・ω・`)」という具合で、日本へのどろどろした気持ちがなんかさらさらした気持ちに変わってきている気がします。金持ち喧嘩せずって奴です。

 決して誇張ではなく、この要素が非常に大きいと思います。何故そう思うのかというと、これと真逆の現象がなんか以前よりもはっきりと色濃く見えるからです。特に今週水曜にもJBpressで記事書きましたが、こいつら本当に中国の製造業の現況について全く見分がないのだなと思うコメントが多くてびっくりしました。嘲るコメントを書いているつもりでしょうが、あまりにも場違いな意見でただただ私としては困惑する内容でした。

 こうした変化について気付いている人間は、多分現状ではほとんどいないのではないかと思います。だからこそこうして書いているわけですが、やっぱこういうのは現場にいる人間が一番強いなと再自覚するとともに、日本で中国の分析書いている人よりはやっぱり自分は有利だと感じます。

2018年7月18日水曜日

庇った人間は庇われる人間に恨まれる?

 昨日の記事で私はいじめられっ子が長じていじめっ子に逆転する現象があることについて私見を交えて紹介しました。そしてその中で仮説として、いじめから庇った人間が何故か庇われた人間に逆にいじめられることもあるのではという説を展開しました。
 いじめドラマの金字塔こと「人間失格」ではまさにこの逆転現象が描かれており、転校したての主人公がいじめられっ子を庇ったところ、なぜかその後元いじめられっ子が主人公をいじめ自殺にまで追い込んでしまいます。これはドラマだけの世界ということも出来ないこともありますが、実際に私もこれに近い光景を見たこともあれば、いじめにまでは発展することこそなかったものの、かつて私もトラブルから庇ってあげた人間から妙な逆恨みを受けたことは何度かあります。

 そうした経験を踏まえて言うと、体感的にこうした逆転現象は実際に、それも結構な頻度であるのではないかと考えています。さらに極端に述べると、さすがに命の危機を救ってもらったとかなら感謝されっぱになるものの、いじめを含む軽・中度のトラブルから庇った場合、庇った人は庇われた相手から感謝されるよりも恨まれるケースの方が多いのではないかとすら内心考えています。
 そもそも一体何故、こういうことが起きるのか。仮説の域を出ませんがいくつか理由を挙げると下記の通りとなります。

1、自らが保護対象になるのがプライド的に許せない
 庇われるという行為は、基本的に強者から弱者への単一方向でしか起こることはありません(FFの「かばう」は除く)。逆を言えば「庇われる」というのは当人からしたら自分が弱者であることを強く認識せざるを得ず、実際にそうした意識へのプライド的反抗から他人に庇われるのを良しとしない人は珍しくもないでしょう。
 そのため過去に庇われた経験のある人間からしたら、かつて庇ってくれた人間に劣等感を感じやすく、乗り越えるというわけじゃないですが逆に支配下に置いてそのプライドを奪還したくなるのではないかと考えています。現実にみた先ほどの逆転現象でもやはりこのような動機で、かつて世話になった相手に対して裏切りとも取れるような反抗を見せる人がおり、それもやらなくてもいいことを敢えて実行して自分が上の立場だということを強調するような行動が多かったです。いじめられっ子がいじめっ子になるというメカニズムも、やはりこうしたプロセスを辿っているのではと推測しています。

 この説はそれほど珍しくもなく、多分私以外の多くの人も提唱しているのではないかと思います。今回記事を書くきっかけとなった本丸はむしろこの次です。

2、自らの不利な立場を強く認識させられるから
 私の持説ですが、人間は苦しい現実ほど目をそむけたくなります。なのでいじめにおいても「からかわれているだけだ」とか、「これはいじめじゃない」と信じ込んで我慢することでよりエスカレートするという例が見受けられます。こうした現実逃避の延長上に当たるのがこの説で、いじめられっ子がいじめられるのを庇う人間が出た時に、いじめられっ子はどう感じるのかと考えた際、「自分がいじめられている現状を強く認識させられるのでは」と私には思えてきました。

 いじめに限らなくても、トラブルから庇ってくれる人間が現れた際に庇われる人間は否応なしに自分がトラブルを抱えていることを認識せざるを得なくなります。
 具体例を出すと、社内での評価が悪く周囲から白い目で見られる社員に対し、奮起を促そうと励ましたり、業務をサポートしたり庇ってくれる同僚が現れたとします。社員としては現実逃避して目をつむっていればそうした周囲の評価は無視できるのに、庇ってくれる同僚が現れてしまうとどうしても自分が「劣っている」、「評価が芳しくない」という現実を否が応でも認識させられてしまいます。そんな社員からしたら庇ってくれる同僚はどんな風に見えるのか、結果から言うと逆恨みするようになったというのが私が実際見たケースです。

 何もいじめられっ子からいじめっ子へのクラスチェンジこと逆転までも起こらなくても、庇った人間が庇われる人間に逆に恨まれるというのはこのような形で往々にあるのではないかと思います。素直に庇ってくれたことに対して恩に感じてくれればいいのですが、私が見たケースでは圧倒的に逆恨みするケースが多く、何故か庇ってくれている人に対して庇われる人が陰口をやたらと口にするのを不思議に思いながら見てきました。
 まぁただ単に変な人間関係の中にいたことが多かっただけかもしれませんが。

 最後に、敢えてこの現象を名付けるのなら「鉄雄シンドローム」を私は推します。「鉄雄」というのは知ってる人には早いですが日本漫画史上に残る傑作「AKIRA」に出てくる準主人公の名前で、当初でこそ気が弱く周りにも弄られるだけのキャラだったもののの、作中で超能力に目覚めて以降は凶暴な性格へと変わり、かつて彼を公私に渡り庇ってきた主人公の金田に対して激しい憎悪を抱くようになります。
 鉄雄と金田の関係をみるならば鉄雄は金田に感謝こそすれども恨む覚えなぞないはずなのに、作品中盤からは金田のバイクを異常に執着したり、全力で襲い掛かったりとこれ以上ないくらいの憎悪を向け、その背景には金田への劣等感があることが作中でもはっきり示唆されています。今回の記事ネタを考えた際に即、「これは『鉄雄シンドローム』だな」と浮かんできました。

 この鉄雄の行動について、多分読者(映画版なら視聴者)はそれほど奇妙に感じなかったのではないかと思います。理由としては前述の通り、こうした光景は往々にしてありうるという前提があるからだと考えます。それだけに、庇うという行為は庇った相手に逆恨みされるという危険性は潜んでいると思え、敢えて言えば、嫌われる覚悟がなければ下手に庇わない方がいいのかもしれません。いじめを見て見ぬふりすることについても、自分が新たないじめのターゲットになるということはもとより、こうした逆恨み要因ももしかしたあるのかもしれません。

  おまけ
鉄雄「金田ぁ~~!」
金田「さんをつけろよデコ助野郎っ!」

 とくれば「AKIRA」に出てくる有名なシーンですが、自分もこのシーンは日本アニメ史上においても屈指の名シーンだと考えています。なお「デコ助野郎」というのはこの漫画のタイトルの由来元となった黒澤明監督の現場で若手を呼ぶ際の呼称だったそうです。

2018年7月17日火曜日

いじめられっ子は何故いじめっ子に変わるのか?

  毎度毎度書いていますが日本はいじめ自殺が起きるたびに「いじめは大変だ、よくない、なくさなきゃ」と言いつつ、いじめそのもののメカニズムや統計についてはあまり言及されずフェードアウトし、しばらくたってまた自殺が起きると話題にするというのを繰り返している現状があります。特に統計に関してはひどいもので、どの都道府県が多いのかとか、男女比、学年、クラス規模、偏差値等、一部は統計が取られているもののテレビやネットでの議論に活用されることはなく、今後もこうした無駄なサイクルが繰り返されると予想します。

 そのいじめのメカニズムですが、地味に無視できないというか検討する価値のある要素として、いじめられていた側がいじめる側に変わるという現象があります。この現象についてネットで検索すると出るわ出るわで、発言小町に至っては、真実かどうかは検証しかねますがかつていじめられっ子だった息子が他の子をいじめるようになりどうすればいいのかと、非常に真剣な相談が書かれてあってなかなか読ませられました。
 現実にというかこの現象、私も実際に何度も目の当たりにしており、また報道によると2015年の川崎市中1男子生徒殺害事件の主犯格だった少年もかつてはいじめられっ子だったものの、長じて自分より年下の子をいじめるようになったと言われています。このほかの未成年による目立った刑事事件でも、「元いじめられっ子」というキーワードをよく見ます。

 具体的な統計がない(多分調べようともしてないだろうし)ので発生割合は測りかねますが、必ずしもいじめられた子がいじめっ子に変わるというわけでないものの、少なくともこうした逆転現象が世の中で起きていることはほぼ確実だと私は体感的に考えています。たとえは変ですがマルクス主義者が市場原理主義者に、ビアンカ派がフローラ派に変わってしまうのはそうそうないと思うのに、いじめを軸にしたこの逆転現象は何故かよく起こるのはやはり不思議でしょう。
 っていうか自分で書いててたとえが意味わかんない。

 何故こうした逆転現象が起きるかについてネットで見たあるブログでは、「いじめられていた子はいじめる子に憧れを持つ、いじめる側の立場になることを望むようになる」というような分析をしていました。私は以前にこのブログで、「虐待されていた子は虐待する親を憎みながらも、長じて虐待する親になりやすい」という絶対的な統計結果を紹介した上で、先ほどの分析のように「憎みながらも暴力を行使する親に憧れを持つようになる」という心理傾向があるという研究の話を書きましたが、メカニズムではやはりこれと共通すると思え、先の分析を支持します。
 やはり暴力というのは晒されるのはただただ苦痛なものの、受けた人間からすればその威力もわかるわけで、行使したくなるのかもしれません。もちろんまともな子は自分が受けた苦痛を他人には与えないように心がけるでしょうが、まともじゃない価値観の子だと「自分だって苦しんだんだから他の人間も苦しむべきだ」という方向に考えが行ってしまうのでしょう。

 ある意味でこうしたメカニズムがはっきり出るのは軍隊や部活動のしごきでしょう。「やられたんだからやり返してもいい」を金科玉条に、何故かしごきを行ってきた相手本人ではなく無関係の下級生に暴力を行うという負の連鎖が起きるわけで、やはりこの背景には上級生に対する憧れめいたものが見え隠れします。
 ようやく最近になって時代が私に追いついてきたのか、「ブラック部活動」という言葉とともにこうしたしごきや先輩や顧問からの理不尽な要求を社会が排除するようになってきています。防衛大でもこの前このような報道があっただけに、いい方向に変わっていると私自身は考えています。

 しかしこの、いじめられっ子がいじめっ子に変わるメカニズムについて、やはりもっと深く突っ込んで対策などを議論してほしいのが本音です。昔のドラマの「人間失格」なんかまさにこの逆転現象を描いていて今思うとあの時に議論するべきだったなとも思えてきますが、この現象に対して対策を打つことでそれなりないじめ対策になるのではと密かに思います。

 と、以上を踏まえて敢えて私がこの議論で踏み込むとすると、地味に前から不思議だと思うのがこうした逆転現象で、何故かいじめから庇ってくれた人を元いじめられっ子がいじめるようになるという現象が少なからず起きているという点です。先ほどの「人間失格」で堂本剛氏が演じたキャラの役割がまさにこの庇った側でしたが、ちょっとこの点についてなんとなくそれらしいメカニズムが見えてきたので、次回にて詳しく説明します。