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2018年8月5日日曜日

統計に関する考え


 今日自宅で仕事(頼まれてもいない自動車統計記事執筆)しながら上のアイドルマスターの「待ち受けプリンス」聞いていたら、テンション上がり過ぎたのか猛烈な頭痛きてダウンしました。なおこの曲聞いて声優の原由実氏(四条貴音役)が好きになりました。

 話は本題に入って統計についてですが、ライターとしてみた場合、私はかなり統計データの処理に長けたライターに入ると思います。自分でも意識的に統計関連記事を書いていますが、やはりこれまでの同僚の中にはデータの収集や編集が苦手なことからあからさまにこうした記事を避ける傾向があり、どちらかと言えば経済記事でもインタビューを重視する記者の方が多かったです。
 私が何故統計に強くなったのかと言えば、一つはExcelの処理に長けていたことからそれほど苦手意識を持たなかったことと、学部生時代にこうした統計処理について専門ソフトを使った講義を受けるなどして訓練(と言っても初歩的)を受けていたからだと考えています。

 なお一部で、「統計学こそ最強の学問」と主張する人がいますが、統計学は手段であって学問としての目的や思想が全くないことからむしろ低い部類だと私は考えています。従って、最強はやはり社会学……とか言いたいですが、内心すげぇなと思うのはやっぱ天文学です。

 話は戻りますが中国だと統計をベースにした記事が非常に多く出るため、最近世界統計データを得ようとする場合は日本語よりも中国語で検索することが多いです。例えば新エネ車の世界販売台数なんて日本語じゃ全くヒットしませんが、中国語だったらすぐに整理されたデータを手に入れウェヒヒヒできます。これが何を意味するかというと、どうも統計方面の人材や考え方でもこのところ、中国に日本は抜かれつつあるのではないかとまたいつものジャパンバッシングになりそうなのでこの辺でやめておきます。

 ただ経済記事に限れば、先ほどにも述べた理由からか明らかに日系メディアは弱いと思うところがあります。だから私みたいなのが適当な統計出すだけで成立する記事を出せるのでありがたいっちゃありがたいのですが、この辺の教育とか最近はどうなってんのかなと思うところもあります。私に関しては一応統計処理について簡単に大学で学びましたが、その後の実際のExcel処理から分析、収集などはほぼ我流で磨けたものの、きちんとそういうのを教えられる人材が自分意外にいるのかとか気になります。特にメディアの中で。
 先ほどにも書いた通り、どうも日系経済メディアの記者たちは重要人物らへのインタビューを重視するような傾向があり、データ方面への意識が低いです。財務諸表すらきちんと読み取れない人も珍しくなく、メディア講座とかで教育機関がこの辺教えてあげるべきとも考えています。なお財務諸表の読み取りに関しては、自分はライターとしてはトップクラスです。

 もっとも、こう言いながらもこれまた先に述べた通り統計というのは手段であり、その統計からどんな結論や知見を見出せるかが一番重要なので、ただ統計処理ができる、グラフを作れる程度ではなんも意味がなく無価値もいいところです。分析が如何にできるかが重要で、地味に全く意味のないデータを無価値だと見抜く力なんか誰も言いませんが実は最も重要だと思います。真面目にそういう意味ないデータって少なくないし。
 繰り返しますが統計はあくまで手段であり目的でも思想でもありません。使いようによっては大きな武器になるのでできるに越したことはありませんが、「統計こそ最強」みたいに過大に強く見せようとする考えや動きには賛同できず、分をわきまえるべきでしょう。その上でこの統計の活用法なり処理方法、特に一般の方についてはその「読み取り方」についてもっと啓もうしてく必要があるのではというのが私の見方です。

炎天下のワーカー向けボランティア支援


 今日友人と上海市内を歩いていたところ、ショッピングモールなどの入口にコンビニなどでアイスを入れるような箱型の冷蔵庫があちこちに置かれてあるのを見かけました。中にはスポーツドリンクなどの飲料水が入っているのですがなんとこれ、友人によるとこれはボランティア団体が置いたもので、野外で警備、清掃、交通整理などを行う人たち(警官を含む)向けに無料で冷えた飲料水を提供しているとのことでした。

 冷蔵庫内の飲料水は上に挙げたワーカーであれば遠慮することなく無料で持って行けるそうです。また中の飲料水はボランティア団体が入れるほか、一般人も自分が購入したものをワーカーへの差し入れとして入れることが可能らしいです。
 この取り組みについて友人は、「多分、上海以外なら中の飲料水はすぐ持ち逃げされるし、下手すりゃ冷蔵庫ごと盗まれるけど、上海だったらさすがにそういうことは起こらない」と踏まえた上で、変わった取り組みだが世間、特に暑い中で作業する人たち向けの施策としてはいい内容なんじゃないかと話してました。私自身も同感で、ちょいちょい電気代とか気になってしまいますが、実際に炎天下で作業する人への支援としては面白いと思います。

 この会話の後に代わりとばかりに私が友人に話したのは、このところ日本で取り上げられる消防車や救急車へのクレームです。知ってる人には早いですが、このところ消防や救急隊員がコンビニなどに立ち寄ったところ、「業務中にサボっている」などと市役所などへクレームをつける輩が実際にいるそうです。
 こうした声に対して消防署などは、炎天下であり尚且つ食事をとる暇もないほど忙しいこともあるので、健康上の必要性からも上記車両で一般店舗に寄ることもあるが大目に見てほしいとわざわざ声明を出すことにもなったのですが、そもそも言いがかりとしか言いようのないクレームが出てくること自体おかしいことこの上ありません。むしろはっきり言えば、何故こんな気違いがえらそうに口聞いて、社会のために奮起している各隊員にケチ付けやがるんだとすら思います。しかもこう言うクレームをつける奴というのは、一人じゃなく全国で複数確認されているというのだから、一体いま日本で何が起きているのかとすら内心思えてもきます。


 上記サイトは友人が昨日教えてくれたサイトですが、なんとなくこういうのいるなぁというか、わざわざ気にしなくてもいいような粗を探して揚げ足をとろうっていう人間がこのところ日本で増えてきていると思います。それは匿名性の強いネットが発達したからだと言い切ることもできますが、なんとなく上記のクレームの件を見ていると、本当に原因はそれだけなのかと少し疑問に思え、言い換えれば、何か日本の社会で今変なことが起きているのではと疑っています。はっきり言えば、淘汰がないのではと見ています。

 もちろん中国にも気違いみたいな連中はいくらでもいますし真面目にこの未開部族どもめと田舎出身と思しき素行の悪い連中見て心の中で悪態つくこともないわけじゃないですが、なんとなく社会の世論や意見などを見ていて、このところの日本でびっくりするような声が耳に入ることが増えています。例の日大関係者やアマチュアボクシング関係者など、何故こうした人間がこれまで淘汰されてこなかったのか、何故変なことを言う人間がもうそんなことをわざわざ口に出そうと思わない蔵過去に痛い目に遭ってないのか、謎は深まるばかりです。

2018年8月1日水曜日

ジョーカー切り

 先日、購読している「かぐや様は告らせたい」という漫画の10巻が発売されてさっそく買って読んだところ、この巻から四条真紀というキャラクターが登場してきました。このキャラはそれまでも、セリフこそないものの背景にいるモブキャラとしてはずっと出てきており、いつか本編にも出てくるだろうと言われていたところ今回満を持して出てきたわけですが、やはり長らく温存されていただけあって非常に面白いキャラでした。このキャラが出てきたのを見て私は、「ああ、この作者はとうとうジョーカー(切り札)を切ったんだな」と思うと同時に、「俺もそろそろ切るか」と考えました。

かつて真夏の上海で日本軍と中国軍が突入した市街戦(JBpress)

 こうして出来上がったのが上の記事です。決して冗談ではなく「かぐや様」読んだから上の記事を出そうと決めました。

 内容はこのブログでも以前に取り上げた、第二次上海事変の解説です。何故この記事が私にとって切り札だったのかというと、

・前にブログで書いたから初めから知識があり、執筆準備が不要
・上海市内にいる日本人だったら確実に興味を持つ内容
・日本国内で取り上げられることが少なく知っている人が少ない

 上記の理由から、いつでも書けてそこそこ内容があるためネタ切れで苦しい時用に取っておきました。どうでもいいですがさっきから文字変換がおかしく、「こうして」と入れたら「孔子て」、「よんだ」といれたら「四だ」とか表示されてマジむかつきます。
 それで今回かぐや様に触発されて出したわけですが、今日のJBpressアクセスランキング上ではあんまり上の方に来ていません。っていうか、今日配信された記事多くね?

 そうした愚痴は置いといてこの記事について少し掘り下げると、そもそも何故この第二次上海事変が日本だとあまり取り上げられないのかという点について、敢えて記事内でははっきりとした言及を避けています。実際にJBpressの鶴岡編集長もこれまで知らなかったと話していたのですが、その返信として私はこう書きました。

「この第二次上海事変に続く南京攻略戦で南京大虐殺が発生しているため、意識的に第二次上海事変も話題に挙がるのを避けようとする傾向が強い」

 あまり取り上げられない理由は間違いなくこれだと私は考えています。そもそもその南京攻略戦ですが、上海防衛のために派遣した軍隊をそのまま大した準備なしに南京へ強行軍で進軍させており、そのため日本軍は食料にすら事欠く有様だったそうです。この辺りの過程を見ても、「命令違反であっても、功績を挙げればお咎めなし」という当時の軍部の気風が見て取れますが、そうした補給の追い付かない状況で兵や士官らが苛立っていたことも大虐殺の要因とする声もあります。
 とはいえ、私の友人のように地元上海人からすれば現地で市街戦を起こされたわけであり、片方の当事者である日本人が認知していないというのは確かに面白くないでしょう。極端な話、沖縄戦について米国人が「何も知らない」と言ってくるような感情じゃないかと思います。

 話は変わって毎度おなじみのヤフコメについてですが、内容が内容だけに予想していた通りあれこれ反発して私の人格批判も毎度ながらガンガンやられています。とはいえあまり胸に来るようなのは少なく、もっと面白いこと言ってほしいなと思う感情のが強いのですが、そうした記事内容への批判として、「中国軍」なのか「国民党軍」なのか、この表記について言及するコメントが多く来ています。
 実際に記事内には「中国軍」と「国民党軍」という二つの言葉が使われているのですが、これを見て、意図的か、意図的でないかをまず疑ったのかどうか、ここがポイントでしょう。無論言うまでもなく、これは意図的な記述で、次に何故この二つの言葉を混在させたのかという理由まで推察していたらパーフェクトだったでしょう。

 日本と戦った軍隊をどう呼ぶか、これを書くとき実はすごい悩みました。主に戦ったのは蒋介石率いる国民党の軍ですが、国民党の軍がすべて蒋介石傘下となるかとなると微妙で、また国民党以外の部隊も参加している可能性も高く、実際にドイツ軍関係者も蒋介石側についています。
 また歴史に詳しい人間ならともかく、そうでない読者からすると「国民党軍」が何を指すのかわからない恐れがあり、下手すれば中国の軍隊ですらないと考える可能性も懸念しました。そこで敢えて「国民党軍」という言葉を先に一回見せた上で、「中国軍」というレンジが広く連想しやすい言葉を使うことにしました。

 中には「この時代に中国は存在しない」等という輩もいましたが、既に蒋介石の北伐が済んでいたのと、そもそも「中華民国」自体はこれ以前に成立していたのと、国民党は孫文らの系譜を確実に引いていること、あと蒋介石ら国民党がこの前後の段階で中国の国権を代表して欧米各国と交渉しており、その後も中国を代表して日本軍と戦ったことを踏まえると、「中国軍」という表記も可能だろうという風に判断しました。
 またそうした時代背景以上に、現在の中国政府がこの第二次上海事変について「中国対日本の戦争の一つ」とはっきり捉えており、「国民党と日本の私闘」とみなしていない点も考慮しました。中国側はこの第二次上海事変を国と国との戦争と捉え、また日本側も当時において中国との戦争という風にはっきり認識しており、それが「中華民国」なのか「中華人民共和国」だろうがどちらも同じ「中国」、そして「China」と表記できることをもってしても、大きく事実関係から外れることはないという風に考え、敢えて二つの軍隊名を混在させたわけです。ここまで踏まえた上で自分を批判したのかどうか、要はそこだなと見ています。

 それと最初の話に戻りますが、やはりヤフコメを見ていると第二次上海事変の「前」に言及する人間が多く、やれ「通州事件について何故触れない」とかいう人がやたら多いですが、「後」に言及する人はやっぱりほとんどいません。理由は最初に述べた通りで、南京大虐殺の話に絡んでくるからでしょう。
 ただやっぱり目の肥えた読者もおり、やはりこの第二次上海事変で「終わりの見えない泥沼に入り込んだのは日本の失敗だった」という内容を述べる人が見受けられます。私自身も同感で、泥沼化の大きな一歩がこの第二次上海事変だと考えており、もしここで踏みとどまっていれば無用な戦争に巻き込まれずに済んだという見方をしているだけに、同じ意見が見られてほっとしました。

 このほか親類がまさにこの時の上海に従軍していたというコメントもあって、こうしたコメントが見られただけでもこの記事は出した甲斐があったでしょう。とはいえやはり近代戦争物を書くと感情論の言い合いが始まるのはあまり喜ばしくなく、この辺を今後どう封殺するか、何かいい手を考える必要もあるかもしれません。

2018年7月30日月曜日

高台への意識

 昨日の記事で大企業しか経験してないから視野が狭いと指摘した名古屋に左遷されたうちの親父ですが、私が生まれる前、購入する住宅を選ぶ際にこんなことを言っていたそうです。

「津波が怖いから、浦安はやめよう」

 購入候補の住宅は二つありどちらも千葉県だったのですが、そのうち千葉県浦安市内の住宅については上記の判断から避け、当時としては浦安とは比べ物にならないくらいのド田舎だった、海抜が浦安より高い別の街で最終的に住宅を購入しました。親父曰く、「バブル期前だったが安い時期というわけでもなく、損得で言えばトントンの時期に購入した」とのことです。
 この住宅選びにおける親父の判断は結果的には正しかったです。東日本大震災の後、津波こそ直撃しなかったものの埋め立て地で地盤の弱かった浦安市では液状化現象が多発し、他の都市と比べてもインフラ復旧が大幅に遅れました。当時、この影響で地価や住宅価格も大幅に下落したと書かれていましたが、今どうなっているかはわからないものの、地震や津波へのリスクを中心に住宅を選んだという観点で言えば親父の判断はピタリと的中しました。

2年前に買った家が浸水 河川氾濫リスクは説明義務なし(朝日新聞)

 なんでこんなことを思い出したのかというと上の記事がきっかけです。内容は今回の西日本豪雨による河川氾濫で水浸し被害に遭った方を取り上げていますが、この中で「購入前にあらかじめこういう注意喚起があれば……」という嘆きの言葉が書かれてあります。
 確かに注意があるに越したことはないでしょうが、やはり注意以前に普段から災害に対する意識を強く持っておくことの方が重要ではないかと率直に感じました。単純に高台であればこうした水害リスクはほぼ回避できますし、また水害に限らずとも土砂崩れや地盤沈下など、おおよそ想定できるリスクに対しては地勢を見ることである程度のリスク計算と予防ができます。注意があったなかったと後から言うことは可能ですし、確かにないよりは注意があった方が親切と言えば親切ですが、言われなくとも自分で意識しなければならないという価値観というか心構えも必要なのではという風に感じたわけです。

 図らずとも、うちの家では親父の判断によって損失を抑えることが出来たわけですが、やはり慎重すぎると言われても、災害に対して普段から意識しておくことこそが予防と言えるでしょう。「災害は忘れたころにやってくる」と言いますが、忘れる頃にどれだけ意識してそれを普段の生活で行かせるかが、ある意味今後の日本の防災において重要ではないかと思います。

  おまけ
 東日本大震災の後、親父とこんな話しました。

「おう親父、俺が子供のころに配当目当てで東電の株こうたゆうとったけどあれどないしたん?」
「まだ持っとったんや……」

 こういうこともあるので、親父の判断は必ずしも信用していません。なおこの後に投げかけた慰めの言葉は、「まぁネタにはなるけどね……」でした。

2018年7月29日日曜日

忘れられない議論

 今をさかのぼること数年前、日本に帰国していた私は関西で友人と会っていました。その友人とは学生時代を含め散々議論をした仲で、自分が一番苦手とするタイプでした。
 単純な議論中の頭の回転の早さや論の鋭さもさることながら、議論のスタイルが私と真逆と言ってもいいタイプであり、私からすれば一番相手にする上で不利なタイプであったと言っても過言ではありません。具体的には将棋でいうと防御陣形を組立て一切自分から攻めてこない完全な防御型で、防御を完全に無視して攻めに特化したような私からすると、一撃で向こうを突き崩せなかったらもう後は負けるだけでした。っていうかこの友人、議論の途中で論点を敢えてずらす振り飛車戦術も、「それ関係ないでしょ」と言ってピシャリと封じてくる唯一の人間でした。

 そんな友人と久々に会ったその夜、なんかの拍子に話題が雇用、特に日本人が海外現地で採用される現地採用について触れたところから議論に発展しました。私が現地採用を代表してその権利向上を主張する立場となり、

・現地採用者は能力的にも本社派遣の駐在社員より高く、その勤務の貢献度も高いことが多い
・っていうか現地語しゃべれない社員はむしろお荷物
・にもかかわらず収入は駐在社員の数分の一、下手すりゃ十分の一

 であるという点を挙げ、離職率も高いことからもっと給与待遇を引き上げその地位を向上させる必要があると主張しました。これに対し友人は、

・安い給与で高い効率を求めるのは企業にとって当たり前
・あらかじめ契約時に提示した給与額で雇っているのだから不当ではない
・待遇に不満があるのなら辞めてもらって結構、また次の人を採ればいいだけ

 という反論を提示し、大体それぞれ三つの論点を軸に小一時間ほど議論し続けました。私としては自分が現地採用の立場で、逆に友人はどちらかというと現地採用者を日本から使う立場であったという立場の違いもあるから、認識が異なってくるのも自然だと考えていました。なので議論でねじ伏せるということより向こうの考え方を、「現地採用もたまには大事にしないとね」くらいにこっち側へ少し引き寄せられたらベターかと考えながら議論していました。
 段々と議論が平行線となり始め私自身も攻めあぐね感を覚え始めた段階、友人が「労働内容と給与が見合わないのは当然。会社は利益追求のために安く雇っているんだ」と相変わらず血も涙もない言葉を言った直後、言わないだけマシかと思って私が以下の言葉を口にしました。

「ならなんで使えない、働かないおっさんどもを日系企業は高い給与で大勢雇ってるんだ?」

 私自身はそんなに意識した言葉ではなくむしろ苦し紛れな一言に近かったのですが、これを口にするや友人の顔色は一瞬でリアルに変わりました。そしてしばらく口ごもると、「それは……確かに花園君の方が正しい」と、急に態度を軟化させて私の主張に傾きました。そして先ほどの労働貢献と賃金額の一致に関しても理解しはじめ、確かになるべく一致させるよう心掛けた方がいいという風に主張を転換してきました。
 正直に言って、私としても非常に驚くくらいの態度の変わりようで、それこそまた将棋の例でいうなら苦し紛れに手許の歩を置いたら投了を取ってしまったような感覚で、自分の意見が勝ったとかそういう実感は全くありませんでした。同時に、何故彼があの一言でひっくり返ったのかを直後から分析しており、恐らくそういう「おっさん」どもに囲まれ苦しんだ経験があり、その問題の深さをしっかり認識していたからこそあの一言で動いたのでしょう。さすがに直接指摘するのは非礼だと思え、その場で友人には指摘しませんでしたが。

 この議論だけでも十分忘れられない体験となったでしょうが、実はこの話には続きがあります。
 友人と議論をした確か二日後くらい、うちの名古屋に左遷された親父とも同じテーマで少し議論になりました。親父の主張も友人とほとんど同じであったことから内心、先の議論をなぞるような感じで敢えて議論を進めていき、最後の段階でまさに友人を揺り動かした一言を全くそのまま口にしたところ、「それは……確かにそうだ」と、ほぼ全く友人と同じように一瞬で態度が軟化しました。
 正直に言って、この一言に何故そこまで威力があるのか、使っている本人である私にすらいまいち実感がつかめませんでした。ただこの一言以前に、友人も親父も主張の仕方がほぼ完全に一致しており、「なんかのドッキリ?」と話しながら思うくらい似通っていました。だからこそ最後の一言で刺せるという確信もあり、時間を見計らいつつ狙っていた議論段階まで持ってきたところで出したので、将棋で言えば完全に読み通りの展開を再現した気分でした。

 親父との議論を終えた直後に私が何を考えたのかというと、「使えない高給のおっさん」以前に、何故友人も親父も全く同じ思考と主張を私に見せたのかという点です。結論から言えば二人とも大企業しか経験していないということが何よりも大きく、給与と労働貢献の一致、あと内と外の概念というかプロパーと中途採用者の見方が全く同じだったからではないかと思います。ついでに言えば働かないおっさんに囲まれていたのも同じでしょう。
 それ以前からも漠然と持っていましたが、やはり最初の新卒から大企業しか経験していない人というのはこの種の弱さを抱えているのではと強く感じました。具体的に言えば視野の狭さで、いくらか仕方がないとはいえ、自分の見える「大企業社員の生活」が当たり前の世界であり、それ以外の世界は存在しないという見方です。言ってしまえば現地採用者が給与が低いのも、彼らが自ら行った選択でありまた本人の努力不足と切って捨てるように見ていた節があります。そういう面も確かにないわけじゃないですが、努力をしていない人間が高い給与を得ることに抵抗を感じていた辺りはまだ友人も親父もまともで、だからこそあの一言で自分のスタンスが矛盾していることに気が付いたんでしょう。

 無論、大企業の人でも広い視野を持つ人もいないわけじゃなく、逆に中小企業しか経験していない人で視野の狭い人もいますが、こと社会全体の視野で言えば、中小企業勤務者の方がバランスがいいと私には思えます。理由は簡単で、大企業の世界は何もしなくてもメディアが報じ、その逆はないからです。
 内心、こういう職業における身分制に関しては自分は極度にバランスの取れた視野を持っていると自負します。私自身が現地採用でやや枠から外れた存在であることに加え、派遣業界調べたり、日中間の労働環境などよく比較しているだけに、それぞれの環境の違いについて体験込みで話すことが出来ます。ただこの場合、私の方がイレギュラーであるだけなので、結論としては大企業経験者は意識的に、自分たち以外の世界に目を向ける努力をしないと視野が狭くなりやすいというところを書いて終わりにします。

2018年7月28日土曜日

日本におけるGIANTブランドに関する疑問

 先日コメントでGIANTについて触れられたので前から疑問に思ってた内容を書きます。その疑問というのも、なんで日本ではGIANT製のフレーム使った自転車が中国より多くないんだろうかっていう点です。原因は中国と比べるとGUANT販売店が少ないからとかだと思いますが、家電量販店とか眺めてもGIANT、あとMERIDAのフレームはそんな多くなく、ぱっと見だとTREKが一番多い気がします。
 なんでこんな風に疑問に思うのかっていうと、世界の自転車フレームの大半は実はGIANTとMERIDAの二大台湾メーカーが作っているといわれ、細かい市場調査とかないけど下手すりゃシェア8割とか行くんじゃないかなと見ているからです。

 元々、自転車のフレーム作りと言ったらユーザーの多いヨーロッパが盛んだったと言われます。ただそれまでヨーロッパメーカーのOEMで作っていたGIANTなど台湾メーカーがどんどん技術力をつけていき、例えばパイプに高圧で油を流し込んで成形する生産方法なども彼らが確立させたと言われ、次第にヨーロッパメーカーでは作れないようなより速く走れるフレームとかも台湾メーカーがガンガン作るようになっていきました。
 これに焦ったヨーロッパメーカーは、台湾メーカーにしか作れないフレームをレギュレーションでレースから排除し、既に認定されていたタイムレコードまでも後出しのレギュレーションでなかったことにするなど露骨な妨害を行いましたが、時代の流れとともに台湾メーカー製フレームの性能がますます高まっていくと選手からも声が上がり、最終的にはこれら台湾メーカーをターゲットにした不公平なレギュレーションは撤廃されました。それと同時に、ヨーロッパメーカーのフレームは性能的にお話にならなくなって衰退していくこととなりました。

 こうした過程もあって、生産原価もさることながら単純に生産技術の差で台湾メーカーが自転車フレーム市場を独占するようになりました。台湾メーカーと言っても生産地は中国本土(大陸)にある工場がメインですが、何気に私が以前住んでいた江蘇省昆山市にも工場があって(すぐ近くにはシマノの工場もある)、地元ということもあってかGIANTの販売・サービス店は非常に多く、所属していたサイクリング部もほぼ全員がGIANT一色のワンオフチームでした。
 このGIANTですが先ほども述べた通りに元々はOEMメーカーで、現在ももちろんOEMをやっているというか、世界の自転車ブランドのほぼすべてを代理製造していると言われます。実際に店員から確認した限りでは米国の割と高級ブランドなスペシャライズドのフレームはほぼ全部GIANTが供給しているそうで、「向こうで買うくらいなら、性能は同じでもうちのが安いよ」とはっきり言ってました。

 スペシャライズドに限らず他の有名ブランドもフレームはGIANTまたはMERIDAが実際に生産、供給していると言われます。フレーム以外の他のパーツにこだわりがある、と言ってもブレーキ+ギアはシマノがほぼシェア100%でどのブランドも一緒ですが、フレーム以外を重視して選ぶというのなら他のブランドの自転車を選ぶのもまだわかりますが、実質的に自転車の性能はフレームでほぼ決まり、そのフレームで言えばGIANTかMERIDAしかほとんど作っていないことを考えるとどこのブランドが優れているかとかは実際そんなないんじゃないかと思います。それならば大本のGIANTで買ってしまった方が商流で経由する企業数から言っても一番コストパフォーマンスがいいように思え、私もそうした視点とメンテナンスの観点からGIANT製のDEFYってモデルに今乗っています。

 このような考えもあって、日本でGIANTブランドのロードバイクをそれほど見ないということにいつも不思議に思っています。もっともこれはGIANTがあまり日本で販売に力を入れていない、例えば中国では入門モデルとしてポピュラーなアルミフレームのOCRシリーズは日本では一切販売されておらず、並行輸入品か中古品しか出回っていません。
 私も以前にこのOCRの確か2600に乗っていましたが、悪くない自転車でした。でも日本では売っていないということで、やはり販売やマーケティングで他の国ほどGIANTが力を入れていないのが、日本全体でGIANTブランドが少ない理由かもしれません。

 なお私が今乗っているDEFYは4400元(約7万5千円)で三年前に購入しましたが、この前GIANTのお店行ったら何度かモデルチェンジが重ねられたせいか2500元(4万3千円)くらいで売っててちょっとしょんぼりしました。あとタイヤのチューブによって、やけに空気の抜け方に違いがあるのが気になり、この前パンクさせるまでは全然空気減らなかったのに最近は激しく減るため空気入れの手間が増えてちょっと嫌です。

2018年7月26日木曜日

あの社長は今……

スカイマーク元社長が初めて語る経営破綻の真相
耐震偽装のヒューザー元社長が太陽光発電に挑む理由(JBpress)

 上の記事リンクはどちらもJBpressの阿部崇副編集長のインタビュー記事です。どちらも、「おおっ、いたなそんな人!」と思うチョイスな元社長で、何故破綻に至ったのか、あの当時に何があったのかについて赤裸々に語ってくれています。
 特にスカイマークの記事に関しては急伸から一気に破綻へと至った過程がつぶさに書かれており、自分の中で今年読んだ経済記事の中でも間違いなく五指に入る見事なインタビューです。後者のヒューザー元社長も、冤罪であることは私自身も把握していましたが、改めて当時のデマが錯綜した状況を思い出して感慨にふけりました。

 この両記事に関しては、自分が書いている媒体だからといって贔屓にしているわけでなく文句なしに素晴らしい内容なので、興味があればぜひとも読んでもらいたいです。なおスカイマークの記事は冷凍たこ焼き大好きマンな友人に教えてあげたところ、「この西久保元社長について今までノーマークだった。教えてくれてありがとう!」とえらく興奮され、その後返礼とばかりにネット上に点在する西久保元社長関連記事が友人から大量に送られてきました。スチュワーデスのミニスカート云々を含め。

 なおこの阿部副編集長について鶴岡編集長へストレートに、「なんかすごいいいインタビュー記事出す人来たね(´・ω・`)」と振ったところ、今年から加入した新戦力だったとのことです。心なしか、YahooやMSNなどでもJBpressの記事がトップなどに取り上げられることが増えているように思え、媒体として割と勢いがついてきた気がします。
 その一方というか、はっきり言えば寄稿するライターの質が明らかに上がっており、私の書いた記事が前ほど簡単にランキング上位を得られなくなってきています。っていうか去年までは記事出したら公開当日はほぼ確実に1位を取ってたのに、今じゃプラモの写真を載せて軍事解説記事を仕立てるというあり得ない暴挙とかしでかさないとトップ取れなくなりました(´;ω;`)ウッ…

 ぶっちゃけさぁ、こうした立場になってみると、井の中の蛙でもいいんじゃないかとか思えてきます……。