ページ

2018年10月22日月曜日

監視社会をどこまで許容すべきか

 ここ数年、監視社会によるパノプティコンを描いたジョージ・オーウェルの「1984」という小説が話題に挙がることが増えている気がします。考えられる理由としては村上春樹氏の「1Q84」とか、これを題材にとったとされるゲームの「メタルギアソリッド5」による影響などを候補に入れていますが、それ以上に世界全体でこうした監視社会に対する見方が現実化してきたせいもあるかもしれません。

 現在、世界で最も「1984」の世界に近い国はどこかと言ったら、恐らくは北朝鮮になるでしょう。また私が現在住んでいる中国もこの分野においては世界的にも上位に食い込むことが予想され、このほかだったら有名どころだとロシア辺りが来そうです。
 ただ、こうした監視社会先進国(?)に限らずとも、電子機器とネットワーク社会の発達に伴ってどの国でも監視社会の程度は年々増してきていると言っても過言ではありません。自由の国を標榜する米国ですらNSA(最初、「NSC」と書き間違えた)が通信を傍受していたことがスノーデンに暴露されましたし、またFacebookやtwitterも、ユーザー情報を官公庁に提供というか売り買いしているのもほぼ確実でしょう。っていうかFacebookはユーザーのパスワード情報などを大量に流出させたことがほぼ確実なのに何も補償もせず処分も受けていないのがむかつく。

 ただ、これらの企業を批判しても意味がないというか、現実には報じられたりしないだけでそこら辺にある小さい企業とかでもユーザー情報をガンガン売買しているのが現実です。また売買しなくても、ビッグデータとしてあらゆる行動が観察、収集さているのが現実であり、こうした米国や日本におけるこの現況が監視社会でなければなんだといったところです。

 逆接に逆接を重ねますが、しかし、Facebookのパスワード流出はともかくとしてこうした監視社会の発達は一方で、一般市民にメリットをもたらしている面もあります。一番大きなメリットとしてはやはり治安面で、何も「密着!警察24時間」を見ていなくても、近年は監視カメラの映像が決め手となる検挙が増えていることはほぼ間違いなく、また個人レベルであってもドライブレコーダーの普及によってかつてであれば起訴まで持ち込めなかった案件も起訴に持ち込め、危険な運転や自己責任の実体がかつてと比べるとよりはっきり証明できるようになってきています。
 こうした治安面に限らずとも、ビッグデータの活用による新システムの開発や分析、情報の共有やマーケティング活用など、いわば行動が逐一監視されることによって生活が豊かになっている面を否定することはもはやできないでしょう。

 以上を踏まえた上で私見を述べると、監視社会というと「そんなの良くない(; ・`д・´)」と頭から否定する人間や団体が多いですが、現状既に半ば監視社会へ入っており、ここから監視のない世界に戻ろうとするとデメリットの方が大きくなります。それであればむしろ、社会上のメリットを享受するためには一体どこまでの監視を許容し、逆にどこまでを認めるべきではないのかという区切りを考える方がより建設的だというのが私の見方です。
 先にも述べた通り、現状では既に多くの企業や団体、政府が市民の了解なしに勝手にその行動を監視、収集しており、限度については誰も何も持っていません。いわば無法地帯のような野放し状態なのですが、これについて「ここまでなら無許可での監視OK」というラインを作るべきだと言いたいわけです。

 例えばこの前閉鎖した漫画村についても、既存の法律上ではあれは完全に通信の秘密を侵害しています。しかしああしたサイトを規制することによって表現者のところにお金が回り、文化が進行されることを考えると、やはり規制することが社会にとってはプラスです。
 このように監視範囲と対象、そして規制区分についてもっと、「どこまでならOK」という議論をすべきだと思います。どんなことであれ監視はされたくないというのはもはやナンセンスで、ある意味治安上では危険な概念であると思います。まぁこうして挑発するには私なだけに裏があるわけですが。

 さすがにこのテーマを一回で終わらすのはもったいないので、しばらくこのテーマで思いつくことを書いていこうと思います。

2018年10月21日日曜日

今日の150キロ走行について

 今日は朝五時半から自転車に乗って昆山へ行き、合計で約150キロ走行してきました。昆山へサイクリングへ行くのは何気に今年初めてで、100キロ超の走行も今年初です。
 昆山へ行ってサイクリングしてくるまでは良かったのですが、上海への帰路で途中雨に降られ、トイレ休憩もかねてショッピングモールへ一時避難しました。雨足が弱くなったところで再び乗って走りましたがさすがにこの頃(4時くらい)はバテはじめ、途中にある安亭という場所のバーガーキングに5時くらいにたどり着くと夕食を兼ねた食事をとった後、そのまま20分程度仮眠しました。

 その後が我ながら信じがたいのですが、めちゃくちゃ調子よかったです。再び乗り始めてから約30分の間はほぼフル加速を維持でき、坂道でも電動バイクを次々と追い抜くことができました。休憩前が単純に栄養不足からのバテだったとも考えられますが、ほんのちょっと食事休憩取っただけであれほどまでに回復するとはこれまで経験したことはなかったです。
 その後、7時くらいに帰り道の途中にある極楽湯によって湯につかった後、しばらく休憩し、うどん食べよっかなと思ったものの48元(780円)払うのがなんか惜しくて、結局食べずに出ました。出たら外また雨降ってるし……。

 でもって雨の中をまた家路に向かって走り、途中コンビニ寄ってうどん代わりのカップラーメン買って、先ほど食べ終えて今これ書いています。何気に携帯の歩数計見たら負担は7000~8000歩くらいなのに、今日は36000歩超えててバグったような数字になってました。

 何気に今回の収穫は、これまで走行中に感じていた右側頭部の頭痛が全く起こらなかったことです。理由ははっきりしており、なんとなく運動していると右肩付近の血行が止まるという感覚があったことから右肩を中心によく動かして可動域を広げ、血行をうまく通るようにしていたからでしょう。前は30キロくらい走るたびに激痛に襲われ死ぬような思いしてただけに、今回克服できたことは自分にとっては僥倖です。
 なおこの右肩と側頭部の痛みですが、何気に10歳くらいから存在を感じていました。解決法を見出せなかったとはいえ、あの年齢でよく気づいていたなと我ながら思います。

 ただ頭痛は起こらなかったものの、やはり久々の100キロオーバーのせいか内臓に来ています。今もなんか腹のあたりに異物感というか不思議な感覚があるのですが、これが内臓へのダメージなのか、空腹によるものかいまいちはっきりしません。

 それにしても久々に会ってきた昆山サイクリングメンバーとの関わりは非常に楽しかったです。向こうも私のことを懐かしがってくれましたが、自分がロードバイク乗るようになったのもこの昆山サイクリング部に入ってからということを考えると感慨深いものがあります。

2018年10月20日土曜日

実感した景気の良さ

 前回記事からちょこちょこ書いていますが先週は日本に単独で潜入して、以前に一向一揆をネタにしたことから蓮如が北陸布教の拠点とした福井県あわら市にある吉崎御坊とかを見てきました。行ってみて初めて知ったのですが、この吉崎御坊も東西本願寺の分裂に伴い同じ敷地内で東本願寺派、西本願寺派で領土というか所属が区切られ、僧房とかも分けられていました。案内の人が詳しく説明してくれたこともあり、なかなかに有意義な訪問となりました。

 この吉崎御坊について延々と語ってもいいのですが、折角なので今回日本を見てきて感じたことをいくらか述べると、一番感じたこととしては単純に景気がいいなってことでした。その波の大きさで言えば、高額な品にほどポップが付けられていた2016年ほどではありませんが、街中全体やレジで購入されていく品々、あと飲食店の混雑具合や店員の表情などを見ている限りでは比較的お金が回ってきている印象がありました。普段を景気の良い中国を見ている自分からしても現在の日本の空気感としては景気がいいように感じられ、悲壮感なんてものはほとんど感じることはありませんでした。

 ただ現状はある意味、崩壊前の最後の輝きと言い切ってしまってもいいかもしれません。それほどまでに日本の将来は暗く、早ければ来年度から深刻な不景気に陥ることがはっきりしています。
 来年あたりから地価、不動産価格の下落が始まり、もはや家電をまともに作っているのはパナソニックだけですが、家電メーカーと量販店から苦しみ始め、徐々に他の業界にも波及していくことでしょう。東京だけは予算以上のオリンピックマネーが投入されてマシな環境を保つでしょうが、地方はその分、税金も増やされてより負担は高まるでしょう。

 小売業界に関してのみ、中国人観光客の流入が続けば比較的好調を保つでしょうが、それでも現状維持が精いっぱいでしょう。この辺に関しては次の水曜日にJBpressで出す記事にて少し示唆しています。

 以上のように将来の景気悪化はほぼ確実と見ているだけに、現在の日本の景気の良さは目につきました。例えるならリーマンショック前の2007年辺りを見ているような感じで、今思い出してもあの時代は大きなイノベーションが起こる直前であったこともありますが、不気味な時期であったなと改めて覚えます。1995年くらいもそんな感じでしたが、なんとなく麻薬を嗅ぐような、根拠はないけどなんとなくいい感じに日々が過ぎていく感覚がありました。
 逆を言えば今後の不況期にまた日本でも大きなイノベーションが起こるかもしれません。目下、フィンテックばかり注目されがちですがEVシフトやハイスピードトレイン、あと空飛ぶ車とか色々出ていますが、案外この辺は実用化されたら一気に広まるかもしれません。

 なお空飛ぶ車については個人的に、なんで絨毯から作らないのか疑問に感じています。空飛ぶ絨毯と言ったらドラクエにも出てくる便利なアイテムですが、ドラクエ6では「空飛ぶベッド」という中途半端な乗り物が出てきてストレス溜まりましたが、今思うと「空飛ぶ棺桶」とかだったらもっと楽しめたかと思います。ドラクエと言ったら棺桶なのに、何故出さなかったのだろう(´・ω・`)

2018年10月17日水曜日

帰ってきていきなり……(´Д`)

 昨夜の便でまた日本から上海に帰ってきて、今日は有休消化と一応の態勢立て直しとして会社は休んでいました。なので朝を鬼太郎みたくゆっくり寝てから起床してネットをし始めたところ、最初はすいすい動いてたのにあるタイミングから急にアクセスが途切れました。
 自動的に転送されて表示された情報によると、「ネット料金が支払われてないよ」とのことで、単純に支払い遅れから会戦がストップしていたようでした。何も私が支払いを忘れたってわけではなく、元々部屋のネット料金は大家が支払っていたもので、セパレートされた部屋を賃貸する私はご厚意に預かり無料で使わせてもらっていました。

 ただ昨年、大家が娘夫婦の子育て支援のために娘夫婦の家近くに引っ越し、それまで玄関先で私の住む部屋と分かれる大家の部屋は別の家族への賃貸に出されました。こうした背景から今回、ネット料金の支払いが滞ったわけでした。
 以前ならともかくさすがに今は大家も住んでいないのだし、ネット代くらいは自分で払おうかと一応の状況を大家に伝えたところ、「夜にそっちの部屋に行くから待っててよ」と言われたので素直にネット出来ない環境の下で待ってました。ただ何もしなかったわけじゃなく、プロバイダー側によって強制転送されたサイトの情報を見ていくと、「支払い次第にまた回線を繋ぐよ」と書いてあるのとかを見ていました。

 そこには一応の本人確認として契約者名を入力する欄があり、試しに大家の名前を入力したところ不足料金(なお中国のネット契約は年間料金一括払いが基本)と、その料金をオンライン決済するためのQRコードが表示されていました。大まかな仕組みは見て取れ、恐らくこれをWeChatでスキャンしてそのままスマホ決済すれば接続できそうでしたが、さすがに大家の確認なしに勝手に他人の契約を延長するのは悪いと思って、今回は素直に待ちました。

 そうして待った甲斐あって夜に大家が娘、孫とともに先ほどやってきて、事の状況を説明したところ早速娘さんがアリペイの「公共料金支払い」でぱっぱと1200元(約2万円)を支払い、「これでしばらくすれば回復するよ」と話して去っていきました。なお去る前に大家とは、「さすがに悪いから今後は自分で払うよ(待つの嫌だし(;´・ω・))」と自分から申し出て、大家もそれを承認しました。
 そしたら早速というか、再び回線接続を試したところまたプロバイダーに料金不足通知ページに転送され、そもそもの不足料金は1298元で、まだあと98元(約1600円)不足しているという表示が出てきたので、今度は大家の名前を入力して自分がWeChatで98元支払いました。その後は問題なくまたネット接続が復帰して今に至ります。

 日本から帰国早々、っていうか折角の休日をネットなしで過ごす羽目となった訳ですが、上記のやり取りを見て、日本にいる方はどの点に着目するのかなっていう点で少し気になります。
 ポイントはいくつかあり、列挙すると以下の通りです・

・ネット料金が年払い
・支払いは毎回の口座引き落としではない
・不足、期限満了ごとに料金支払い
・スマホ決済で即支払い、即サービス契約延長
・本人名義さえ確認できれば他人も支払い可能
・中国人は細かく金額を確認しないΣ(゚Д゚)

 やはり一番のポイントは4番目で、いちいち営業所へ行かなくてもサイトに表示されたQRコードを使ってスマホで即支払い可能だっていう点でしょう。またその支払いをシステムが自動で認識し、サービス再開も自動で行っているとみられ、ここら辺を仮にマニュアル作業でやるとなると24時間対応はできない上、そこそこな人件費もかかるんだろうなってことも推測されます。
 ただこうしたやり取りについて私自身も、「やれて当然」と初めから思っており、だからこそ大家にこれからは自分で払おうかとも最初から提案していたわけです。それくらい、近年の中国における決済サービスは異常な発展を遂げています。

 これはネット料金だけでなく電気・ガス代なども同様です。100%とまでいかずとも8割方こうしたネット決済が普及することによって、集金等の決済コストのみならず契約管理コストも社会全体でありえんくらいに節減できるでしょう。また今回の私のように、契約者本人ではなくその近い人間が自分のスマホを使うことによって代わりに支払うことも可能となるわけで、素直に便利な社会になります。
 何も言う必要もないですが、やはりこの点でまだ日本は遅れており、節約手段が存在しながら無駄なコストを支払い続けているのが現状です。私が既にこうした決済が当たり前と思うくらいの社会モデルがあるのだから、もっと必死に追いつこうとする努力くらいは見せてもらいたいものです。

2018年10月14日日曜日

地獄の風景

 最近、「お色気系かと思いきやガチなストーリーが展開される骨のあるRPG」という評判を聞きつけて「クリミナルガールズ」というゲームを購入して遊んでました。このゲームは女の子にお仕置きをして、能力を付けさせながら突き進むというなんやねんとか言いたくなるゲームなのですが、評判の通りに後半はかなり深刻でガチなストーリーが展開され、そこそこ面白かったです。何気に戦闘中のコマンドが、キャラクターがランダムに提案する内容しか選べないという不規則性があり、ゲーム性的にもなかなかよくできた仕組みのRPGです。
 それにしても最近、「閃乱カグラ」といい、色物なゲームばかりやっている気がします。

 話は戻りますが「クリミナルガールズ」はそれぞれ罪を抱えた少女たちとともに地獄を巡って、彼女らに自身の罪と向き合わせていくという内容となっています。その地獄の情景ですが、初めが沼地獄、次が炎地獄、そして氷結地獄とオーソドックスな地獄が続いていきます。そして四番目の地獄ですが、多少ネタバレとなってしまいますが明かしてしまうと、なんと学校そのものが舞台となります。
 実際にゲーム内の少女たちは学校絡みで心に葛藤を抱えているのですが、地獄の情景が学校そのものという演出には素直に舌を巻きました。妙に現実感があるというか、確かにいじめなどを受けた人間からすればこの世の地獄として学校を思い浮かべる人間も少なからずいるのではと感じます。

 恐らく大多数の人間からすれば、中学や高校といった学校は人生の花形、絶頂期として記憶しているかもしれません。しかしその一方で地獄だったと捉える人間もいると私には思え、そう思うと学校とは地獄にも天国にもなりうる舞台とも考えられ、良くも悪くも人の思念を糾合する場所なんだなと思えてきます。
 現実に私も中学高校時代はあまり楽しかったとは思えない側に入ります。学校そのものもそうですが、幸いにも金銭的な苦労こそ経験しなかったものの学校外、具体的には家庭内でも非常に窮屈な時期であり、私もこの世の地獄はどこかと言えば学校はあながちハズレでもない気がします。

 ここで私が何を言いたいのかというと、ある人にとっては天国のような場所でも、ある人にとっては地獄にもなりうるということです。これは学校に限らず職場、集会、サークル、家庭内にも当てはまりますが、天国のような場所としてステレオタイプのように使われる場所は必ずしも誰にとっても天国ではなく、下手したら地獄を想像させることとなるわけです。
 その天国と地獄を分ける基準についてはそれはもう個々人によるとしか言いようがありませんが、こうした天国と地獄が並存する場所というのは間違いなく人間の思い入れが強く持たれる場所であるでしょう。そうした思い入れとかなく機能的に使われる場所、具体的には映画館とかバッティングセンターはごく一部を除き、天国とか地獄になることはないはずです。

 このように考えると天国も地獄も表裏一体のように見えるわけで、なんか人生の教訓めいた話になってきます。最後に言いたいこととしては、このように天国と地獄が同居する場所において、天国の住人と地獄の住人に力関係はあるのか、具体的には地獄の住人がいるからこそ天国の住人は住人となるのかって点です。仮にそのようであれば、そこは現実には地獄そのものなんじゃないのかって気がしてきます。

2018年10月13日土曜日

晩節を汚した日本の偉人

 よく中国史では後継者争いをややこしくしたりなどして、若年期は治世を敷きながら晩節を汚す偉人がよく出てきます。日本でもそういう晩節を汚した例がないかなと先日考えてみたのですが、結論から言うと豊臣秀吉一人しか浮かんできませんでした。
 具体的には甥の秀次処刑、朝鮮出兵による国内疲弊と子飼い武将らの反目増長などなど、往年の勘の冴えはどこに行ったのかと思うほどの迷走を繰り返し、結果的に徳川家康の横取りを許す結果となりました。

 逆に秀吉以外となると、晩節がひどかった人間は大抵若い頃から問題のある人間が多く、老後に突然おかしくなるという人物はあまり浮かんできませんでした。後継者を決められず組織の弱体化を招いたという点では足利幕府8代将軍の義政がいますが、彼の場合はむしろ縁戚関係や有力大名同士の争い、そして何より足利将軍の権威の低さもあるから、一概に彼を責める気にはなりません。

 以前に私はこのブログで、やはり人間は体力以外の勘や判断といった方面の能力にもピーク期間があり、これを過ぎた後は落ち込んでいく一方だと述べました。そしてそれを自覚するならまだしも、短くであれば周囲だけでなく本人にとっても不幸であり、また「前できたんだから今回もできるはず」と言ってはやらかしてしまうなどその影響も大きくなってしまいがちです。
 突き詰めればこの辺のピーク期間の判断は興味の強さである程度判別できると私は考えており、私自身も意図的ではあるものの去年あたりが思考の鋭さではピークを迎えて今現在は既に落ち込み始めていると考えています。

 秀吉の場合もまさに上記の例で、晩年は秀次処刑時にその妻子も残らず処刑するなど当時としても異常な残酷さを見せるようになるなど、やはりいくらか物狂いを見せています。もし自覚できていたのならば一切の政界からその身を退くべきであって、仮に秀吉の晩年の行為がなければその英雄像は今よりもずっと輝いたものになっていたでしょう。
 こう考えると「人間引き際が肝心」とはよく言ったものです。もっとも元阪急で世界の盗塁王だった福本豊氏に言わせれば、「塁に出なけりゃ盗塁もクソもない」だそうで、引く以前に世に出ないと意味がないという意味でこれもこれで金言だと私は思います。

2018年10月12日金曜日

ゲームのナラティブ

王 貞治、長嶋茂雄、田中将大、大谷翔平……球界のレジェンド・野村克也が『パワプロ』各選手&自身の能力データをボヤキながら分析してみた(電ファミニコゲーマー)

 本題とは関係ないですが面白かったのでリンクしときます。

【田中圭一連載:ゼビウス編】ゲーム界に多大な影響をもたらした作品の創造者・遠藤雅伸は、友の死を契機に研究者となった。すべては、日本のゲームのために──【若ゲのいたり】

 で本題はこっちで、大体月一で連載されている田中圭一氏のゲーム業界取材レポート漫画ですが、この回では往年の名作シューティングと名高い「ゼビウス」を制作した遠藤雅伸氏を取材しています。
 このゼビウスですが、私も一応子供の頃にファミコンで遊んだことはあるものの、当時としては古いシューティングゲームだなという印象しか覚えませんでした。ただ当時に育ったゲーム業界関係者はこの取材漫画に限らずみな口を揃えて影響を受けたと話しており、今回のこのインタビューを見て私も少し納得できました。

 詳しくは取材漫画を読んでもらえば早いのですが、遠藤氏はこのゼビウスにおいてゲームとしてはほぼ初めて「陰影」のついた配色を行った他、細かい裏設定を感じさせる仕組みを設けていたようです。現実にこれらはプレイヤーに立体感、そしてゲーム内のストーリーとして認知されていたようで、特にゲームを終わった後も強く印象に残らせる要因となったそうです。
 個人的に面白かったのは後半の下りで、日本人はゲームにナラティブ(ストーリー)を自分で構築して感じることに面白みを感じると言及している箇所でした。ラスボス手前でゲームを辞めてしまう人が10%強もいるということなどを挙げつつ、自分の世界を楽しみたいという欲求をゲームでかなえている点があると指摘してます。

 この点については私も同感するところがあり、正直ゲームのシステムや演出以上にストーリー、没入感を求めており、最近のやたら喋りまくるRPGの主人公とかを見ていると、無口なドラクエの主人公の方がやはり感情移入できたとこの頃よく感じます。
 遠藤氏は現在大学教授をしているだけあってこの辺の下りの説明は、プレイヤーを求道者とたとえたりするなど非常にわかりやすいです。ゲームが面白いのは当たり前で、何故面白いのかを探る上では個人的に参考になりました。