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2019年10月27日日曜日

身内の進路

 先週の日本滞在中に我ながらよくわかんないことしたなと思うこととして、何故か姉の進路について親父に説教していました。

 かいつまんで説明するとうちの姉貴は高校卒業後に地方私大のドイツ語学科に進学したのですが、これは明らかに誤った選択だと主張したわけです。その理由というのも、姉貴は明らかにドイツ語の専攻に向いておらず、且つ受験時点でもそうした性質がはっきりしていたからです。そもそも受験先にこの学科を入れた事自体が間違っていたと断言できます。
 何故姉貴がドイツ語学科に向いていなかったのかというと、単純に外向きの人間ではなく、外国語自体にも興味があるとは思えなかったからです。今の自分から見ても英語のレベルの時点でヤバいと思う水準だったし、また海外旅行とかそもそも毛嫌いするくらいで、語学以前に論理力も見るべき点はありませんでした。また高校自体は国際化のある学校に通っててそこでは第二外国語もカリキュラムに入れられていましたが、姉貴が選んでいたのは中国語で、高校で中国語学んでおきながら何故ドイツ語学科を受験したのかは正直理解に苦しみます。

 以上の点は姉貴の受験時、つまり自分が中学生だった時点で自分が感じていた点で、何故姉がドイツ語学科を受験して、合格して、進学したのか当時の自分からしても不思議でしょうがありませんでした。そしたら案の定、交換留学制度があるのに姉は留学を拒絶し、当初は両親に黙って申請せずに初年度の応募を流しました。二回目の応募に際しても、本来一年行けるところを散々拒否して、留学させようとする親に対し激しく抵抗して期間を六ヶ月に短縮してようやく行きました。
 そして就職先は、ドイツ語のドの字も出てこないIT企業に入り、SEとなって現在に至ります。

 逆にというか、コンピューター関連の仕事はちっちゃい頃から姉貴は就きたがっており、中学生の頃に作ったなりたい職業というテーマの粘土細工作品でもパソコンを前にしてキーボード叩く姿で作っていました。なおこの粘土細工はその後数年間ベランダに置かれていましたが、あまり造形がよくなく内心ではよ捨てればよかったのにと思ってました
 実際にというか、高校三年生時点で姉はコンピューターの専門学校にも見学に行っていたようです。以上を勘案すると、やはりIT系の技術を学ぶような専門学校や大学学科が向いており、逆にドイツ語学科なんて受験するだけ無駄なくらい適正にも志望にあっていない学科であったことが当時の時点でもはっきりしていました。まぁ数学は割と絶望的でしたから大学の情報科は無理としても専門学校に通わせてやればよかったのですが。

 以上のような見解を親父に突きつけて、やはり本人としてはなかなか好きな進路とか言い出しづらいのだし、ちゃんと親として適性や志望を判断して進学先を選んであげるのも責務であったと説教したわけです。少なくとも、ドイツ語学科には進ませるべきではなかったと言いました。
 なんで急に大分前の姉貴の進路について急に言いだしたのかというと少し前フリがあり、従兄弟の息子の進学先をつい最近聞いたからでした。その従兄弟の息子は医大を志望していたのですがあいにくどこにも受からず、仕方なく一緒に受験して受かったある大学の歯学科へ進んだとのことです。この内容を聞くや私が言い放った言葉というのは、「何故誰も止めなかった!」というもので、ガチで怒鳴るように大声を上げました。

 知ってる人には早いですが現在歯科医は供給過剰もいいところで、免許を得たところで新人を雇うような既存の歯科医院はなく、かといって独立するには既存顧客もない状態で大量の機材を揃える必要があり、歯科医として生きていこうとすると詰みやすいというか非常に困難な時代となっています。なにげに十年くらい前、歯科医団体のトップで現上皇にも拝謁したことのある人と一緒に授業を受けてたことがあり、その人ですら、「何故国は歯学科の定員を減らさないのか。何もわからない若者が入ってきてしまって路頭に迷うだけだ」と言っていました。
 従兄弟の家はもちろん歯科医院を経営していません。いうなれば何の地縁も資産もないまま歯科医の道を歩ませてしまっており、もし仮に私が進学前にその場にいたら全力でその進学を止めていたことでしょう。それこそ従兄弟の息子の前で合格通知をビリビリに破いて、「お前にこんなところへ行く資格はない!」とまで言っていたことでしょう。本人を前にしないならなんとでも言えます。

 もっともそれ以前というか、先にも述べた通りにどうして誰も進学前に止めなかったのかがつくづく呆れます。ちょっと調べればわかることだし、世の中の動きを見てれば簡単にわかるというのに、いくら本人が志望しているからと言ってむざむざ死ににいくような道を歩ませるというのは先達として取るべき行動ではないでしょう。それこそ姉貴の例じゃないですが、受験したこと自体が判断ミスもいいところで、私も実際は部外者で言ってもしょうがない親父に対しはっきり言いましたが、今からでも遅くないから受験し直したほうがよっぽどマシです。

 以上二つの例を上げましたがこれで何をいいたいのかというと、他人ならともかく案外身内だと、その本人の志望や適正にあった進路をうまく選び取れないものなのかもしれないなと感じました。やはり身内、特に自分の子供だとどうしても目が曇るというか、才能や適正があっても親は意外と気づかないのかもしれません。
 実際にそう思う節が私にもあり、姉貴について説教したあとでうちの名古屋に左遷された親父に対し、「ちなみに、俺の記憶力が異常だと気がついたのはいつだ?」と訪ねたら、四、五年前と言われました。ちなみに他の人だと、私の記憶力が異常だとわかるのは大体満二年、知り合って三年目くらいに差し掛かった当たりで、この当たりから二年前の出来事、会話内容すら正確に記憶しているというか諳んじて見せて、私に対し記憶力が異常だと気づくパターンが多いです。また私自身は、中学生の時点で自分の記憶力が異常であることを自覚していました。

 また記憶力とは別に、よく声というか発声方法についてもよく周りから誉められるのですが、去年に第三者から私の声が綺麗だと言われた際に横にいた親父は驚いてて、後で聞いても私の声に対しそのような印象はそれまで全く覚えていなかったと言っていました。記憶力にしても発声にしても、下手すりゃ初対面の相手ですら気づくくらいかなり特徴的な私の一面なのですが、生まれてからずっと接してきた親父が気づかなかった当たり、親父が鈍感と言うよりかはやはり身内ゆえに気づきづらかったのかもと今は考えています。

 その上で結論を述べると、やはり身内の相手に対してはその適性や特徴、才能に関して、案外目が曇りやすいのではないかと思います。逆を言えば第三者から見てもらったほうがそうした適正判断は正確に下せる可能性があり、親だから子供、または親戚をよく理解できるとは考えず、周りの第三者から意見を聞いて、ちゃんとその方向性というか進路とかも考えてあげたほうがいいのかなというのが今回言いたいことです。

 最後に、私は自分の適性などをしっかり把握した上で大学の進路を選びました。自分の場合は専門性が低ければ低く、範囲が広ければ広いほど強いという特徴があるだけに、社会学・文学系の学部選択はやはり適切だったと自負します。サブウエポンに中国語を選んだのも、一応今の仕事に直結したし。

2019年10月24日木曜日

眼鏡屋が増えている背景

 上司から最近、こんな難題を問われました。

「なんでこんなジョジョってつまらなくなったん?」

 「才能が枯れたとしか……」と答えましたが、実際マジヤバいくらいつまらなく、先週最新刊を漫画喫茶で一応読みましたが、よくこんなつまらない話を延々と続けるなと驚くくらいのつまらなさでした。ダモさんが出てきた当たりは面白かったのに。

 話は本題ですが今回の帰国中に眼鏡を新調しました。別に中国でも眼鏡くらいはどうとでもなるし日本のJINSとかも進出していますが、日本国内で消費しようと思ったのと、やはり何かあった時のことを考えて日本で作ることにしました。なお行ったのは眼鏡市場です。
 滞在中に作れるのかなとやや心配してましたが、店員に聞いたら20分もあればできるということで実際そのとおりでした。ほんのちょっと前まで発注から受取まで一週間位かかってたり、4、5万円かかってたのと比べると、料金は2万円強(フレーム+レンズ)と安くなったのにスピードは格段に早くてマジビビります。

 この購入時、実は前から気になっていたので店員に、「なんでこんな眼鏡屋増えてんの?(´・ω・`)」と聞いてみました。日本でも郊外やショッピングモールを中心に眼鏡屋が増えていますが、中国でもなんか最近やたらと眼鏡屋を目にすることが多く、生活必需品だから一定数需要があることはわかりものの、それにしても増え過ぎではないかと前から疑問に思っていました。
 それで店員の答えですが、一つはマシニング加工機械、要するにレンズをフレームに合わせてせん断する機械の性能が高まり、安くなって各店舗におけるようになり、これによって当日すぐの引き渡しが可能となったそうです。次に、こちらが重要ですが、以前と比べると眼鏡をファッション感覚でつける人が増えており、コンタクトレンズよりも眼鏡を敢えてつけようとする人が増えているとのことでした。この際、はっきりと店員からは、「コンタクトを常用する人の割合は以前よりは確実に縮小している」とも言われました。

 両方とも理由としては非常に納得できるだけに、私としても十分に納得できました。ただ、中国に関しては元々コンタクト率が低かったのですが、二番目の理由のようにファッションとしての眼鏡が流行ってきたことで増えているのだと思います。
 なお今回の眼鏡新調は前回からちょうど6年ぶりとなります。前の眼鏡はスチール棒で叩かれた際にフレーム曲がったりしていたこともあってしょっちゅうずれ、眼鏡の位置合わせを常にやってましたが、新しい眼鏡だと全くずれなくて逆にビビります。っていうか前の会社、向こうの責任でスチール棒で叩かれることとなったんだから眼鏡代くらいよこせよなと未だに不満に感じてます。

SIMカード壊れた?

 例によって今朝まで日本に居て今日夕方に上海へ戻ってきました。滞在中は「翔んで埼玉」を見ましたが、これ自分のような千葉県出身者は楽しめるけど、関西地方の人とかは楽しめるのかなと気になりました。

 話は本題ですが、現在私はデュアルSIM、つまりSIMカードを2本させるスマホを使っています。中国、日本それぞれで携帯電話契約を結んでおり、2本のSIMをスマホに挿しており、国境を移動した際は設定を変えるだけですぐさま通信ができるようにしています。
 これ地味に自分のような国境を行き来する人にはありがたく、以前のように日本国内ではガラケー浸かっていた時代と比べると利便性の面で大幅に向上しました。

 それで今回も国境を移動して日本に入るやすぐLINEモバイルに、上海に戻ったら中国移動へと設定を切り替えたのですが、なぜか中国移動のSIMカードは反応がなく、データ通信はおろか電話通信すらできなくなりました。何が痛いかって、中国はスマホを介した電子決済が当たり前なだけに、現金は一応持っているけど買い物などの面で非常に不利となることです。
 SIMカードを取ったりつけたり、設定を弄ったりしましたが復元はせず、友人に相談したら、「おそらくSIMカードが壊れている。自分も前にあった」と教えてもらい、明日にでも中国移動の営業所に持っていくよう勧められました。なんでもすぐ交換してもらえるそうです。

 それにしても今回、データ通信できなくなって心細さがたまりませんでした。なにせ日本のLINEに当たるWeChatが使えないと情報連絡も取れず、また前述のように電子決済もできなくて生活上、本当に不利でした。明日すぐ直るといいけどな。

2019年10月21日月曜日

変わる中国と変わらない日本

 すでに十年近くも中国でウロウロしていますが、十年以上前と比べると同じ国とは思えないくらい変化したと思います。一方で、日本は帰国する度に風景が何も変わらず、電車の中で、「ここらの家全部壊して抜本的に街づくりをやり直したほうがいい」と言ったら友人に止められたことがありました。
 なお中国では実際に、「そだねー」って感じで一気に街を区画ごと破壊し、新たな商業施設や高層ビル、あと住宅エリアとかを作ってくることがあります。上海市内のある公園なんか、曹操じゃないけど周近平が「広いね」つったら、忖度した周りの役人によって一気に壊され作り直されてます。

 よくこのブログでも書きましたが、以前はともかく現代日本人の本質は保守そのもの、社会の一切の変化を嫌って現状の風景や姿を維持することを強い目的に動いている節があります。こうなった背景としては目呼んだ分析で、上位数%の世帯がこれまでの生活を維持するために不定期雇用増やしたりなんやりしたという指摘をしており、その論に則ってみると上位の世帯のみがこれまでどおりの生活を維持するという方針で日本の世の中は回さされるということとなり、前述の私の主張とも一致すると感じました。

 そもそも論として、日本の若い世代を中心に「変化=マイナス」のように、変化すること自体が全てにとってマイナスの事態しか引き起こさないと考えているようにすら私には見えます。少なくとも、変化がプラスに転じるとして社会や価値観の変化を求めるような人物像は日本ではレアであり、実際にそうした思想で持って行動する人はなかなか見つけられないでしょう。
 そういったタイプにとっては現状を維持すること自体が最大の幸福であり、「これ以上幸福にはならないけど頑張れば今の幸福は維持できる、または微減で済む」的な価値観なのかもしれません。中国人も以前と比べれば保守的価値観が強まってきてはいますが、それでも「一発当ててみたい、そのために行動する」という人はまだまだ多くいます。でもってこの手の人達は、失敗した結果についてはいい意味であまり考えません。

 さっきから偉そうなことを言っている私ですが、少なくとも一般日本人に比べればたくさん冒険はしてきたつもりです。昔友人にも「年収を半減させてでも中国に行こうとする勇気は自分にはない」と言われましたが、私自身としてはそもそも中国に行くこと自体は普通に希望しての行動であり、勇気を持つ必要などあるのかと、当時内心で困惑しました。
 そういったいくらかの冒険を経た後、そこそこ見るものは見たし余生はのんびり過ごそうと30歳位の頃に安定した職を求めたところ、日本ではなんか知らないけどどこも仕事くれなくて、安定を求めたら何故か不安定になるという困惑した事態に追い込まれました。その後、「このまま日本にいたら腐るだけだ。何が何でも中国に戻らないとマズい」という価値観からまた中国にあの手この手使って戻ってきて、紆余曲折を経たら、これまでかつてないくらい安定した生活を現在得ています。

 周囲からは、自分の実力は認めているからもっと責任ある立場を目指したほうがいいと言われてますが、自分としてはすでに余生を過ごしている状態だから、自分にやってほしい業務があればなるべく協力するものの、そんな昇進とかは望まないとガチで言っています。なにげにメインタスクの業務能力ではなく、事務処理能力の速さと高さで評価されているのがやや皮肉ですが。

 途中から自分語りになりましたが何がいいたいのかというと、少なくとも自分に関しては安定を求めたら逆に不安定になり、何も考えずリスクだけ追ったら逆に安定した立場を得ることとなりました。これまたすごい皮肉なプロセスではありますが、案外世の中というのはこういうものなのかもしれないと最近思います。

2019年10月18日金曜日

不倫問題の本質

「最悪のタイミング」 巨人・鈴木尚広コーチ退団にG党困惑(J-CASTニュース)

 またなんか不倫関連ニュースが出ていますが、個人的にこの手の不倫行為というのは止められても、刑事罰つけたとしてもやる人はやるだろうし、どうしても伴侶に不倫してほしくないという人ならそういう人を地道に見つけるしかないんじゃないかなと、個人間の付き合い面に関しては内心考えています。一方、社会面で見ると不倫による弊害の方に目が向くというか、具体的には相続と子弟の教育で、どっちかというと問題の本質はこっちじゃないのかなとも考えています。

 これも知ってる人には有名ですが、不倫をして離婚した場合、不倫行為を行った当事者は子供の親権を取られた場合に元伴侶へ子供が成人するまで養育費を支払わなければなりません。しかし現実問題としてこの養育費の支払いが無視というか放置されるケースのほうが多く、一部自治体でもシングル世帯の養育費回収について、強制的措置も検討していると最近報じられてきました。

 私個人としてはやはり社会でこういった教育予算面でハンデのある子どもがいるという状況こそが一番問題であるように思え、前述の自治体のように強制的にも回収すべきではないかと考えています。また相続についても、相続する財産がなければそれまでですが、もし離婚時にそれなりの財産があるとしたら、所有権の分割、若しくは迅速な現金化によって即座に別れて暮らす子供に対して相続させる措置を取ったほうが、とりっぱぐれなくていいのではと思ってます。

 日本もそうですが中国も近年は離婚が増えているといい、住宅価格の高騰と相まって今後相続権絡みで色々問題が出てきそうです。もっとも一人っ子政策もあるから、再婚後にまた子供を作らない限りはそんな問題にならないかもしれませんが。

2019年10月16日水曜日

愛憎の矛先

 知ってる人には有名ですが、羊羹の老舗のとらやは現在東京に本店がありますが、元々は京都にありました。江戸時代から天皇家御用達の羊羹屋として栄えていたのですが、明治の代に天皇家が東京へ移った際、「あそこおいしいからつれてきて」と言われ、そのまま京都から東京へ天皇とともに電撃移籍を果たしました。
 一応現在、京都市内にもとらやのお店はありますが、上記の背景もあって京都市内の他の和菓子屋からは特別扱いされたことをやたら恨まれているそうです。詳しくは知らないけど、京都の和菓子組合とか入ってるのかな。

 このエピソードで個人的に面白いと思うのは、東京へ移った天皇家ではなく、天皇家に引っ張られたとらやに対し憎悪の矛先が向かっている点です。似たようなものだと、好きな男の子が付き合ってる女の子に憎悪を向ける女子みたいな状況が浮かびますが、このように本来、憎悪を催す行為を起こした実行者ではなく、その周辺というか対象に憎悪が向かうということはままあります。
 何故起こるのかというと簡単で、憎悪対象自体には強い愛情や親近感があり、憎むに憎みきれないためです。無論、憎悪の矛先が向かってしまう周辺対象にとっては迷惑もいいところでしょうが。

 この他にも坊主憎けりゃハゲまで憎いなどという言葉もあるように、憎悪というのはしばしば、直線的ではなくややずれたベクトルに向かうことは珍しくありません。逆を言えば、本来の対象のみを憎み続けるというのは逆に難しいのかもと思うこともあります。
 それこそ例えば、昔いじめた相手に対し強い恨みがあり、ふとしたことからその相手の親戚に対し強く出られる立場に立ってしまったら……などという感じで、憎悪対象本人自体よりもその周辺に復讐をかますことのほうが実態としては多い気がします。中東地域に至っては何代も前の親戚の仇とか言って、仇の対象の実質無関係な親族すらも襲うというし。

2019年10月14日月曜日

意外な反応

一躍ブームの蘭州ラーメン、本場の味はどう違うのか(JBpress)

 今日配信されたのが上の記事ですが、正直言って蘭州ラーメンはまだニッチだし、内容も平和的で悪くはないけどインパクトに欠けるからそんなに受けないだろう、蘭州旅行してきたついでに書いた記事だからいっかとか思ってたら、そこそこ読まれました。ヤフコメも100件超えたし、アクセスランキングも午前の段階ではトップに入ってて、「え、こんなのが受けるの?」と正直戸惑うくらいでした。

 内容については言わずもがな、最近日本でも増えてきた蘭州ラーメンについてです。ヤフコメを見ているとやはりというか駐在経験者と思しき人達が、「懐かしい」、「また食べたい」という具合で強い反応を示し、味や食べ方について議論を深めています。個人的には、「酒飲んだ後の〆にいい」という意見には至極納得し、薄味だからハーフサイズくらいで提供してくれたら確かに最後に食べる料理としていいかもしれないと思いました。

 記事執筆の背景は上でも書いている通り、蘭州にせっかく旅行に行ったのだから記事ネタにしようと思ったくらいで、そこまで激しく伝えたい何かがあったわけではありません。ただ記事執筆中、日清が蘭州ラーメン味のカップラーメンを出していたことを知り、日本でも知名度が広がっているのだなとしみじみ感じていました。
 改めて考えてみると本当の中華式ラーメンと言ったら、日本だと担々麺くらいしかあまり普及しておらず、日本の独自発展したラーメンはこれだけ増えたのに、本場中華ラーメンはバリエーションも多いのに日本だとまだ少ないなという気がします。先程も友人と、西安のビャンビャン麺とかあるのにねーなどと話してました。

 執筆中の思い出としては、読む側からしたらあまり想像しづらいと思いますが、味の表現というのは実は非常に難しく、そういう意味でこういったグルメレポート記事を出す際、以前は非常に苦労していました。
 具体的に言うと、味覚というのは個人によって変わるため、辛いとかしょっぱいと思って紹介しても、他の人からしたらそういう風には感じられなかったりします。また味覚に関してはまだはっきりしたものもありますが、おいしいかおいしくないかに至っては完全に個人の嗜好が影響するため、「マジうまい最高!」という風に書いても、「それは違う!」と思う人もいるだけで、公平忠実に味の内容を説明、表現したりするのは実は文章表現上ではかなり難しい作業に入ります。

 この辺の味覚表現については2016年に書いたラーメンミュージアムの記事で非常に苦しみ、このときに試行錯誤した結果、前と比べると段違いに表現できるようになってきた気はします。今回もそのときに培ったテクニックを利用し、「多くの人が同感するであろう際立った味の特徴」、「使われている食材の役割」、「このような味に感じたのはあくまで筆者自身と明記する」というポイントを抑えて書きました。
 今回の記事に関しては非常に議論になりやすいラーメンスープよりも、麺の方で際立った特徴が出たので、そういう意味ではまだ書きやすい方でした。またラー油に関しても見た目的にもわかりやすく、個人的には意外と簡単そうでありながら、他の人ならなかなかできない表現でうまく説明できたのではないかと考えています。

 それにしても金のなかった頃は、本当に週3回以上は蘭州ラーメン食べてお金貯めてました。最もそういう思い出があるからこそ、たまに食べたくなるのでしょうが。