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2020年4月25日土曜日

大量に買った漫画

 DMMが毎年恒例の半額ポイントセールをやりだしたので、これまで発売されていながら購入を控えて来た漫画を大量に購入しています。特に「五等分の花嫁」は最終巻だったので楽しみにして読んだのですが、ネットで結末最悪などと書かれていてもこの漫画に限ってはないだろうと思って読んだところ、びっくりするくらい面白くありませんでした。話になんにも波がないというか予定調和過ぎて、ようやく○○を主役にイチャコラするかと思ったらほかの五つ子の方が出番が多かったりと、この最終巻自体が蛇足というかなかった方がいいのではと本気で思いました。

 一方、同日発売の「かぐや様~」は安定の面白さで、ラブコメ覇権の移り変わりをはっきり感じました。このほか「ハコヅメ」の最新刊に関しては、「ピョンピョン捜査」の回がやばいくらい面白かったです。元々セリフ回しなどが「銀魂」によく似た作品ですが、この回は展開も「銀魂」そっくりで、1ページごとに笑い出すほどでした。

 あと「よふかいのうた」も2巻と3巻をまとめ買いして、相変わらず面白かったです。この漫画の作者のコトヤマ氏は「だがしかし」から追いかけていますが、センスや表現力が他の漫画とは一線を画しており、絵も一見よくありそうな絵柄であって実は誰にもないタッチで描いてくるので前からすごい好きです。これほどの実力者でも、「だがしかし」連載前は食うや食わずやだったというのだから、この業界はなかなか難しいものです。

 そのほか「GIGANT」、「ヒナまつり」、「幸せカナコの殺し屋生活」とかいくつか買っているのですが、実はこの記事はある漫画を酷評するためにか書き始めまています。しかしその漫画についてネットで、「1~2巻はともかく、3巻からやばくなる」という書き込みを見たので、今回は何も批評を書かずに見送ります。現在1巻だけ買って読んでみてなんじゃこりゃとちょっと呆れたのですが、本番は3巻からというので、言われた通り3巻までは読んでみることにします。

 なお一人爆買いは続いており、先週もGT-Rのプラモ買ってまだ作ってないにもかかわらず、今日は何故か店頭にあったF4Dスカイレイのプラモも買ってきました。爆買いをしているのは理由があり、つい先日に中国の銀行に預けてた定期預金が満期を迎えて、利息が入ってきたからです。今回の金利は4%くらいあって、わずか3ヶ月とは言え小遣いとするにはそこそこおいしい収入が入ってきて、金遣いが荒くなっています。
 もっともスカイレイの値段62元(約940円)だけど。あのデルタ翼に一目ぼれ。

 それと定期預金について、これまではなかったけど今回満期直前に預けている銀行から電話があり、おすすめの商品とかやけにプッシュされました。なんか資金集めに忙しいのか知らないけど。
 ただ超競争資本主義大国中国というべきか、定期預金をスマホアプリで再購入する際、「商品購入サポート担当者(オプション)」って項目があり、そこにスタッフ番号を入れる仕組みになっています。先ほどの電話かけて来た行員からはそのスタッフ番号を受けており、要するに実績作りのために営業かけてきたのもあるでしょう。まぁよく競わせる仕組みだこと。

シュレディンガーの金正恩

 朝から金正恩が検索急上昇ワードだと聞いて検索かけたところ、見出しに掲げた「シュレディンガーの金正恩」という単語を見つけました。誰が言い出したかはわからないけど、非常によくできた印象に残る言葉だという気がします。

 その金正恩ですが、いろいろ報じられている通りに何らかの形で健康上で問題が生じ、政治的に死んだ状態になっている可能性が高いのではないかと私も見ています。こう思う理由はいくつかありますが、年初のイランのスレイマニ司令官殺害事件以降から急に姿を見せなくなり、ミサイルの発射実験も一時期ピタッと止まっていたほか、最近になって妹がクローズアップされるとともに発射実験も再開され始めたことから、やはりスレイマニ司令官殺人事件の前後に何かあったのではないかいう気がしてなりません。

 とはいえ、この報道は消息筋の情報でありきちんと裏付けがなされた情報ではありません。米国のトランプ大統領が、「報告は受けていない」、「死んだとは聞いていない」と発言してはいますが、この発言、特に後者に関しては「死んではいないけど健康上の問題を抱えているぞ(^ω^)」と言っているようにも見えなくもなく、やはり無視できる情報というわけではなさそうです。
 私個人としては、昨年末から公の場に姿を現さなくなったことと、ここ数ヶ月の北朝鮮での金正恩の活動写真が素人でもわかるくらいな露骨な合成写真であることから、政治的には活動できない状態にある可能性が高いとみています。この辺は下の記事に詳しいです。

「金正恩の死」を睨んで動き始めた世界(Jbpress)

 そういう意味では見出しの通り現在の金正恩は、生きている金正恩と、死んだ金正恩が50:50で並存しており、北朝鮮が情報を公開する(観測される)まで続くと言えるでしょう。各国も生存シナリオと死亡シナリオの二本立てで今、今後の対応をシミュレートしていると聞きますし。

 それにしても、「シュレディンガーの猫」という単語は一時期の「レーゾンデートル(存在理由)」といい、やたら日本人に愛されているワードに見えます。個人的には「~の猫」というのがミソで、猫じゃなく「シュレディンガーの犬」、「シュレディンガーのイグアナ」とかだったらここまで普及はしていなかったと思います。

 そもそもなんで猫になったのか、単なる偶然でしょうが、「シュレディンガーの熊」とか「シュレディンガーの中村紀洋」でもよかった気がします。
 後者は、あるボタンを押すと大阪ドーム内にいる中村紀洋が1/2でホームランを打ち、1/2で三振をするという装置があり、このボタンをドームの外で押した場合、大阪ドーム内にはホームランを打つ中村紀洋と、三振をする中村紀洋が50:50で並存する状態となり、この状態はナイター中継を見るまで続く、つまり中村紀洋の打率は.500になるという現象を指します。なんで中村紀洋になったのかは自分でもよくわかりませんが、真っ先に浮かんできたのが彼だったからで、シュレディンガーも恐らく真っ先に浮かんできたのが猫だったのではないかと推測します。

才能の片鱗

 また更新が少なくなっていますが、相変わらず仕事が忙しいせいです。今日午後昼過ぎなんか疲労からか右手の握力が出ず指に力が入らなくなり、マウスをクリックするのもなんかすごく辛かったくらいです。山場自体は乗り越えてはいるものの、2月くらいから疲労がたまってきたせいか今が一番しんどい状態です。
 そんな疲労でいっぱいの状態ですが、先週末はまた次のJBpress記事のために取材と執筆を行っており、この作業もそこそこ疲労をためる要因になってる気がします。もっとも今回書いたのは統計記事で、グラフさえ作れば後はその解説文書くだけなのでまだ楽でしたが。

 その統計記事ですが、はっきり言って自分には適性があります。ライターの間でもこの手の統計関連記事は、書くのを得意とする人とそうでない人にはっきり分かれる傾向があり、後者の方は逆にインタビュー記事を得意とする人が多いです。自分は別にインタビュー記事を苦手としていることはありませんが、統計に関しては自分一人で一通りグラフも作れれば、数字を読み解く方面の分析も割と苦にせず行え、記者時代もこの方面では周りより得意にしていました。もっとも記者時代より、今の方が確実に統計に強くなっていますが。

 この統計に強いという特徴ですが、今思い返すと自分は子供の頃からその才能の片鱗は見せていました。数学自体は得意ではなかったもののデータの羅列から無視すべきデータと、着目すべきデータの区別は明らかに周りより早く、且つ私自身がそうした大量のデータをさばく作業を好んで行っていました。データの収集や閲覧方法は大学に入ってから学び始めたものの、比較的統計を取り扱う同じ社会学系の学生に比べても、自分は割と頻繁に統計局のサイトに入りびたってはいろいろデータを漁ったり、気になった分野とかをよく調べていました。
 本格的に開花するようになったのはもちろん記者になってからですが、早くて中学、遅くても大学生時代から統計方面に関する才能の片鱗ははっきり見られ、案の定というかこの分野では比較的高い実力を持つに至りました。

 何が言いたいのかというと、意外と先天的な才能というのは早いうちからその片鱗を見せるのではということです。統計に関するセンスに限らなくても、情報に対する感度や、微細な変化に対する観察など、今思い返すと自分は子供の頃からこうした方面の片鱗が見られていました。一部に至っては当時の自分自身ですらも自覚していたほどで、周りの人間はもっと自分の才能の片鱗に気付いて、それを育てるべきだとすら本気で思っていたほどです。
 才能の片鱗などと大仰な言い難しなくても、単純に育成期において適正と感じられるものはやっぱり成人になってもその方面では強い力を発揮しやすいのではないかと思います。はっきりとした実力を備えなくても、興味や関心が周囲より高い分野や方面で訓練を積むなり、係るような業務を選択して就くということは、それもまた単純に自身の有利につながることでしょう。

 もっともそうした適正に自分自身、または周囲が気付かなければ全く意味はありません。この辺は進撃の巨人のシャーディス教官じゃないですが、各個々人について周囲とは異なる、一歩前にある分野を気付いて教えてあげられる人間がいるかいないかによって左右されるでしょう。

 ここで話を変わりますが、統計や分析方面で自分は子供の頃から明らかに才能の片鱗を見せてはいましたが、こと文章の執筆に関しては、はっきり言ってそんなものは全くありませんでした。今でこそ実質的に物を書く仕事で生きてはいるものの、小学生から中学生にかけては自分の作文力は子供のレベルであっても話にならない水準で、実際に夏休みの読書感想文とか凄い億劫な気持ちでいつも書いていました。
 それが中学二年くらいから小説を書き始めるようになってからはこの方面の実力を高め、前にも書きましたが高三の時点では教師相手でも決して劣らないくらい文章が上手くなっており、実際ガチで「お前らに教わることなんてないんだけどな」なんて本気で思ってました。こうした見方は今の自分から見ても、あながち傲慢な見方ではなかったと考えています。

 何が言いたいのかというと、私の文章力に関しては先天的な才能によるものではなく、完全に後天的な訓練によって獲得した能力だと自分で考えています。センスがあったのではなく一からセンスと技術を磨き続け、現在そこそこ人にも指導できる水準に至ったと考えています。
 無論、飽きっぽい自分がそこまで続けられたのも一つの才能と言えるかもしれませんが、やはりどう考えても子供の頃はこの文章方面で周囲とは異なるセンスや、一歩前にある実力というのは一切見られなかった気がしてなりません。凡庸、下手すりゃ劣位にある水準にあり、そこから現在の水準に至ったのはやはり後天的な訓練の結果なのだろうと分析しています。

 ただ自分にとって幸運だったのは、反対に先天的な才能が見られていた統計や分析に関するセンスが、後天的に得た文章表現力と上手く結びついたことで、数字や統計を苦にせず記事を書けるライターになれたということです。よく就職関連とかで「スキルセット」という単語が出てきますが、個別のスキルを組み合わせる以前に、個別のスキルを形成する適正要因を如何に組み合わせるかの方が根源的に重要なんじゃないかとも思います。まぁそこまで自分や他人を分析できる人間は多くないでしょうが。

 最後にこの記事の見出しですが、「ゼノブレイド2」のあるキャラクターのスキルに「聖杯の片鱗」というスキルがあって、これ見て「片鱗」という言葉を使いたくなって見出しを決め、そこから内容を考えてこの記事書いてます。こういうところは無駄に器用というか、自分らしい気がします。

2020年4月20日月曜日

中国でマスクが溢れる背景

 前に少し書きましたが、今や上海ではマスクがそこらじゅうで売ってて、薬局のみならずコンビニでも余裕で買えたりします。でもって、日系のスーパーやコンビニだと日本語パッケージのマスクも割にがっつり置かれていて、どうしてまたこんな風に溢れているのかなと少し懸念を覚えました。
 結論から言うと、今の日本のマスク不足は生産が追い付かないのではなく、物流のどこかに問題があるのではないかという風に見ています。

 2月ごろならまだしも、現在に至って中国はほとんど日常通りに戻っており、止まっていた生産能力も平常通りに戻っています。となればマスク工場もバリバリ稼働しているわけで、一応今でもマスクをつける人は多いものの、日本語パッケージのマスクだったらなんで日本に輸出されないのかが逆に不思議な感じです。
 考えられる理由としては、日本以外の国の需要が高くて供給されないという可能性もあるものの、実際には日本の消費者へ渡るまでの物流のどこかで洩れているか、止まっているかなんじゃないかと推測したわけです。理由としては、以前より強化されたとはいえ未だに日本ではマスクの転売行為が見受けられること、次に「小売店→消費者」の流ればかり取り上げられるものの、それ以前、または「小売店→?→消費者」のところの物流が実はちょっと見えづらいと感じるからです。

 ただでさえ現在はマスクが高値でさばけるというのだから、物流のどこかで業者または個人が差っ引く動機はいくらでも考えられます。そうした物流の阻害があって、供給が追い付かないことは事実であるものの、不足に拍車をかけているのではという風に疑っています。

 ということを今日上海人の友人に話したら、「じゃあ今僕らが中国でマスクを買い占めて、日本で売ったら儲かるかな?」と聞いてきました。私の回答としたら、「中国では日本以上にマスクの転売が厳しく制限されている」と踏まえた上で、「むしろ調達したマスクを寄付という形で後輩に送りつけ、後輩を介して日本でさばいた方が安全且つ確実に売れる」とアドバイスしました。もちろん、私も友人も実際にこんなことはしませんが。
 なおその友人によると、マスク工場はマスクの単価がある程度制限されているためそれほどでもないが、マスクの原材料となる不織布やPPの価格が今、物凄い高騰しているということを教えてくれました。マスクというよりも、マスク周辺が今特需のようです。

2020年4月19日日曜日

急性の関西人になった男のCM

【動画】関西電気保安協会、癖の強いCMをまた作ってしまうwwww(ぶる速)

 前々から高く評価していましたが、また関西電気保安協会がすごいCM作ってたので紹介します。っていうかどれだけ作り込んでんだよこれと思うくらい演出が細かい。
 なおあめちゃんの下りを見ていると、大学時代のロシア語の授業で、

学生「せんせー、昨日徹夜でカラオケで喉痛い。あめちゃんもってない?」
講師「あんた大阪のおばちゃんみんながあめちゃん持ってるとでも思ってんの?まぁ持ってるけど<ゴソゴソ」

 というやりとりが目の前で本当に起こったことを毎回思い出します。あの先生も元気しているかなぁ。

時事通信の広州写真についての疑惑

習指導部、求心力低下も 経済目標の達成困難に 中国(時事通信)

 いきなりですが上記リンク先の写真について強い疑問が感じられます。
 このブログでも書いている通り、現在上海市内はマスクをつけていることを除けばほとんど日常を取り戻しており、ショッピングモールや飲食店などもかつてのような賑わいを取り戻しています。一部の店には自粛の反動のような込み合いも見られ、割と楽しく暮らせてたりします。

 それに対し、上記リンク先にある「広州市内のショッピングモール」とされる写真では人が全くいない閑散とした風景が写されています。それこそ店舗運営の自粛、外出の制限がなされていた2月中であればこうした光景は確かに上海市内でも見られ、実際に私も直接見分していますが、4月以降でこうした光景は普通は撮影できないのではと正直思え、意図的な作為があるのではと感じました。

 そういうわけで早速広州市内の友人に「ヘイ、広州の状況はどんなん(´・ω・`)」と尋ねたところ、「もう日常通りだよ(∩´∀`)∩」とすぐ返事がきました。っていうかめっちゃ気を使ってくれて、わざわざ子供たちのキャッキャ(´∀`*)ウフフな声が聞こえる公園の動画まで送ってきました。
 その上で上記記事のリンクを送ってこの写真についてどう思うかと尋ねたら、「オープン直後か閉店直前など、狙いにようによっては撮れないこともない写真」という、結構辛辣な返事がきました。そしてはっきりと、「少なくとも、今の広州の実態を表すような写真でないことは確か」と言われました。

 私はこれまで時事通信に対しては比較的信用していたのですが、この写真の掲載に関しては疑問しか覚えません。また記事内容も「GDPの倍増目標が未達に終われば、習指導部への信頼が揺らぐこともあり得る」という文言についても友人は、「コロナの影響で達成が出来なくなるのはみんな当然と考えてるし、すくなくとも一般市民の間でそのような意識は感じられない」と、こちらが聞くまでもなくコメントしてくれました。
 なおその友人は自分の知る限り五指に入るくらい天才な友人です。理系出身なのに日本語を完璧にマスターして日本語で新聞記事まで書いてしまう中国人だし(;´・ω・)

 逆を言えば何故時事通信は見方によっては捏造とも取れかねない記事をここで出してきたのか、この点の方が気になります。はっきり言えば、中国人との接触がない人間が書いているのではないかと思います。下手したら、街中すら出歩かずに書いているのかもしれません。
 こういう人間がいるから、ある意味自分も仕事を続けなくてはならないとも思います。本当はわざわざ口うるさいことをいちいちJBpressとかで指摘とかしたりしたくないのですが。

2020年4月17日金曜日

事実は小説より面白い

 一言で読み物と言っても、こうしたブログなどのコラムから解説などたくさんあります。ただ現代において読み物として最高の地位、つまり最も面白いと言われているのは小説だと思いますが、私は内心そのようには思っておらず、やはり伝記が一番面白いと考えています。理由は何故かというと、結局のところ空想は事実に対し面白さで優ることがないと考えるからです。

 現代までに悲劇や喜劇、冒険活劇などたくさんの読み物が作られていますが、いろいろ読んでみたところで私が感じたこととしては、現実に起こった出来事の方が面白さで一段抜くところがあり、そういう意味では事実を元に人物を主人公とする伝記が一番面白いと感じています。三国志演義といった軍記物は確かに面白いものの、ベースとなった三国時代や明代の事実も負けず劣らず面白く(諸葛亮のモデルとなった劉基など)、またナポレオンの実際の軍事活動も波乱と知略に富んでいてこちらも面白かったりします。

 そのほかサスペンスに関しては、実際に起きた事件の方が確実に面白いです、古いのを挙げると日野OL不倫放火殺人事件もあれば、酒鬼薔薇事件に至っては多くの媒体がこの事件(というか犯人)をモデルに小説や漫画を制作したという事実も、上記の私の考えにつながっています。
 唯一、空想が現実を上回る可能性がるジャンルとしてはSFです。こればっかに関しては現実で超能力使える人はそんな目にするほどはいないことから、現実が勝ることはないでしょう。ついでに書くと、ハチロクがFDやランエボに勝てることはまずありないので「頭文字D」はSFに加えていいでしょう。

 しかしそういった空想より面白い現実がしばしば、空想の下に置かれているのは何故か。一言で言ってまとめ方の問題で、伝記とかでも書き方によって全然見方や評価、面白さが変わります。先ほど挙げたナポレオン戦記に関しても、長谷川哲也氏の漫画版「ナポレオン」は一部脚色も加わってはいるものの、ナポレオン本人のみならずその周辺、特に元帥らを大きく取り上げていて他のナポレオン本と一線を画す面白さがあります。企業の創業家や政治家に関してもそうで、取材量にもよるでしょうがきちんと書けば面白い人はいろいろ出てきます。

 そういう意味で、空想のお話を展開する漫画家や小説家に至っては、如何に面白い現実を見聞きしたり体験するかが、ストーリーセンスに物凄く影響する気がします。最近はネットの発達に伴って社会人経験を有する作家も以前より増えてきているのではないかと思いますが、やはり社会人経験のあるなしはSF以外のジャンルにおける実力を大きく左右する要素に見えてなりません。これがないと、作家が実際に体験した読者との共有体験というのは学校生活くらいとなりますし。
 またレアな体験を紹介する「実録レポート」的な漫画はやはりその体験の分だけ強くなると思います。極端な話、物凄い体験をした人なら下手に空想を描くよりも自伝書いた方がずっと面白く、水木しげるなんかまさにその典型でした。あの人の場合、体験というか本人の性格によるところも大きいですが。

ちなみに同じく体験系だと、松本ひで吉氏の犬と猫(あとトカゲ)シリーズがやっぱ見ていて面白いです。っていうかこの人の漫画はどれも緩急が強い。