ページ

2020年6月15日月曜日

コロナのセカンドインパクト予想

 記事提出前にいつも友人に下書きを見せますが、最近あまり褒めてくれなくなりました(´;ω;`)ウッ…まぁ持つべきならこういう厳しい指摘くれる友人なのですが。

 話は本題ですが別にエヴァにはまっているわけではないものの、「第二波」と書くともう違った意味になってしまうので、「セカンドインパクト」が一番適切だと考えています。意味としては二回目の流行、つまり来年冬の再流行を指します。
 現状報じられている情報を見る限り、来年冬もコロナウイルスが世界各地で大流行することはほぼ確実だと私は考えています。抗体を既に取得済みの人(阪神の藤浪選手みたく)を除けば、流行対策のため恐らく今年以上に外出などの移動が制限されるのではないかとも考えています。

 一発目の今年に関しては各国ともに手探りの対策しか取れなかったものの、結局のところ一番効果があったのは都市封鎖こと移動の制限(「ロックダウン」とは書きたくない)で、ちょっと緩和したところで新規感染者がぶり返す今の東京を見ても、家に籠らせることが最良の対策であったと見るべきでしょう。次善の策としては、前も書いたけどマスクで、これは飛沫感染を防ぐというよりかは市民の流行対策意識を根付かせる手段として有効だと考えています。

 それで来年冬の話ですが、結論から言うと今の不況が来年も続くというのが一番のインパクトです。それこそ私みたいな海外勤務者にとってすれば自由に国境跨げないのが一番不便であるものの、勝手な推測を述べれば検査によって抗体を獲得済みの人に限っては旅客移動が認められるなどの限定緩和が行われる可能性があるとみています。まぁ多分私自身は抗体持ってないだろうから、向こう一年を含め日本に全くいけないかもしれませんが。

 次にこの国境をまたぐ移動とも関連しますが、どの国がどれだけ流行を防げるのか、これによってヒトとモノの移動がかなり変わってくると考えています。私の見解だと、既にアプリによって感染追跡を行っている中国、台湾、韓国などは来年冬は今年に比べかなりハイグレードに流行を抑え、封鎖も全国単位ではなく集団感染(「クラスター」とは絶対書かない)が発生した一部都市のみ、それこそ当初の武漢市限定みたいな感じで済ませられるのではないかという期待を持っています。
 逆を言えば、こうした感染者追跡アプリを備えていない日本はかなり危ういと現時点で見ています。今からでも遅くないから以前提言したように、大都市通勤者や飲食店関係者限定でもいいから、こうした感染者追跡アプリの使用を義務付け、使わない人には公共交通機関の利用やオフィスビルの立入を禁止すべきだと思います。いろいろ意見はありますが、今年流行ぶりが他国に比べ小さかったのは単純に運が良かっただけにみえ、満員通勤電車で一度でも集団感染が発生していたら今の比ではなかったことでしょう。まぁ文字通り、なかったことにしているのかもしれませんが。

 次に衛生用品に関しては、マスクバブルに乗じて生産機械を大量に購入する業者が現れたことから、今年ほどの不足は世界各国でも起こらないのではないかと思います。日本もサプライチェーンを日本に引き戻すと言いながら政府は何もしていないように見えますが、シャープを始めマスク生産に乗り出す異業種企業がそこそこ出ているため、仮に来年にマスク不足が起きたとしたらそれは生産が追い付かないのではなく、流通面による瑕疵以外ないでしょう。その上で言うと、日本では不足する事態が起きるかもしれません。

 最後にこれは悲しい予測ですが、来冬も流行するとなると観光や飲食業は今以上の塗炭の苦しみを味わうことになると思います。恐らく来年には今行われているような一時補助金などは支給されない、というより政府も匙を投げる可能性が高いと私は見ており、何とも書くことすら難しい事態が予想されます。無論、こんな予想は外れればいいわけですが。
 逆に強くなるビジネスとしてはやはり在宅系消費で、来年度は今年以上にITインフラの強さが各国で試されることになると思います。在宅フィットネスなんかも今以上にはやるかもしれず、アブトロニックとか今あったら意外と売れるかもなぁ(´-ω-`)

2020年6月14日日曜日

個人同士を安易に比較する危険性

 今でも夢に出てくるくらい納得いかないと感じる出来事として、高校時代におふくろに姉と比較された出来事があります。それはよく家庭内であるワンシーンで、高校生だった私に対しておふくろが、姉は学校でも常に上位の成績だったのにどうしてお前はそんなに不勉強なんだという小言です。
 この手の勉強に関する小言は姿を変え形を変え何度となく言われ続けており、それ自体に関しては子供の教育を預かる親の立場としては言わざるを得ないし、言いたくなるのも仕方ないと私も思ってて今になって特段不服を言うつもりはありません。しかし上記の姉との比較に関しては高校生だった当時においてすらも、「なんで姉貴が比較上位なんだよ?」と激しく疑問に感じました。

 言っては何ですが高校生だった頃の姉については、中学生だった自分が見ていた限りですらとてもまともに勉強しているようには見えませんでした。購入していた参考書数も見ていて不安になるくらい少なかったし、英単語帳を開いている姿もほとんど見たことありません。挙句には自分には不要と言って、実際はただ単に面倒くさかっただけだと思いますが、センター試験すら受験していませんでした。
 そんな受験姿勢もあってか受験した大学の学部学科のうち合格したのはわずか1校のみで、偏差値50以上の大学にはどこも受かりませんでした。結果的にはその合格した地方大学に姉は進学しましたが、この点についてはどんな進路を進むかは本人が決めたものであり、偏差値の高い低いは本人が納得しているのなら何も問うべきことではないと私自身は考えています。

 しかし姉の進学先はともかくとして、先ほどの姉との私の学力に対する比較については未だ強く納得できず、激しく不満に感じています。結果的には私は姉の進学先と比べた場合は遥かに上位の大学を複数合格しており、高三受験時の学力で比較した場合、私と姉とでは真面目にナッパとラディッツくらいの大きな差がありました。なお比較例は最初「ベジータとラディッツ」でしたが、地球襲来時とスーパーサイヤ人以降でベジータには戦闘力に差があるのでナッパにしました。

 そもそもなんで姉はおふくろが言うには高校内の成績で上位だったのかというと、単純に学校間の差による影響が大きいです。姉は県下の普通科公立高校に通ったのに対し、私は自称進学校の私立高に中学から通っており、自称とは言え通う生徒の平均学力で見れば大きな差がありました。敢えて例えるなら姉の高校の生徒は地球人レベルだったのに対し、私の高校の生徒はナメック星人くらい平均的に強かったと思いますが、いい加減ドラゴンボールでの比較はやめようかと思います。別に肌が緑でもなければ触覚も生えてないし。

 なお私の高校時代の成績は大体上位1/3、っていうか今でも自分で不思議だと思いますが、高校1年から2年の間の定期テスト順位は生徒300人中、なぜか毎回確実に100~109位の間にランクインし続けていました。高3からは文系理系で分かれたこともあって偏差値基準の順位で二桁に位置し続けましたが、1~2年の間の謎の固定的順位奪取に関しては何か表彰されても良かったのではと今でも思います。途中からは、「何か仕組まれてこんな順位になってるのでは?」とMMRっぽい陰謀論すら覚えてました。

 話は戻すと、高校生の時点でそうした学校間の生徒の学力差はおろか姉が受験時においてもほとんどまじめに勉強していなかったことをはっきり理解していたこともあって、冒頭にかいたおふくろの姉と比較しての勉強に関する小言に関しては到底納得できない感情を持ち続けています。私自身もほんまもんの受験エリートと比べれば受験時は不真面目もいいところでしたが、少なくとも姉と比較した場合は、言い方は変ですが比較にならないくらいは勉強しており、「なんで努力している人間が全く努力をしなかった人間と比較された上で下に扱われるんだろう」と思いましたが、どうせ説明しても相手も理解できまいと思ってその場では黙って、受験時の結果ではっきり差を示すことにしました。

 なんで急にこんな古い愚痴を言い出したのかというと、このケースのように個人同士を安易に比較することはかなり危険だということを書こうと思ったからです。上記の私と姉の例の様に、そもそも通っている学校間で激しいレベル差があるとい基本的な比較条件すら一致していなかったというのに、定期テスト順位だけで「姉の方が勉強している」などという結論を出すのは論外もいいところで、それをそのまま当てはめて私に小言を言ったところでそりゃ私もおかしいと思うに決まっています。

 また仮に比較条件が整っていたとしても、やはり他のできる人と比較されてうれしい人間なんてまずいません。それこそ企業内で同期同士を比較する場合、出世の早さは貢献の度合いや担当業務、上司との関係で決まるものなので差がついても当然ですが、業務能力に関してはわかっていても比較されると悔しく感じるのに決まってます。
 それでも10年くらいの期間の結果であればまだしも、入社して半年とか1年くらいの同期同士で能力を比較しようったって、短い期間では潜在パフォーマンスを見極められない可能性も高いだけに、比較するだけ下に下げた人間の恨みをただ買うだけでしょう。下手すれば、下げた人間が比較上位対象に対し逆恨みのような感情を抱く可能性すらあります。

 そうした考えから私は社内では、年齢差のある先輩社員などとは比較することはあっても、同時期に入った人間同士で、「向こうを見習え」等とは言わないように気を付けています。叱咤する場合はあくまで成果や時間のみを基準に、「もっと効率アップしてここまで狙おう」などと具体的な目標を提示するようにしています。まぁ一番いいのは、同じ業務をよーいどんでやって、実力差を敢えて見せつけることですが。

 その上で言うまでもないですが、おふくろがやった私と姉の比較の様に、表層的な数字だけで実態を示さない基準で個人同士を比較することは絶対にやってはならないでしょう。それこそ本当に努力して実力もある人間に対しそうじゃない人間、または一見して差がはっきり見えない人間を見習えだなんて言うと、モチベーションが下がるどころの騒ぎじゃなく流出すら招く恐れもあります。だったら初めから個人同士を比較なんてせず、私みたく具体的なタスクを基準に効率アップを目指すよう伝える方が無難です。

 もっともこんなこと言いながら以前いた新人に、同期で入って来た別の新人の名前を挙げて、「彼の体力マジ半端ない。悪いことは言わないから彼とはケンカせず、同期同士で仲良くした方がいいよ(;´・ω・)」と伝えたことはありますが。実際その半端ない体力ある新人は現在も大活躍していて、この点に関してはちゃんと自分は見抜いてたなとか思ってます。

 最後に蛇足ですが、以前にも書いたようおふくろと姉は反権力志向の塊のような私に対し、公務員が向いていると本気で信じていたそうです。この一点から見ても如何に両者が自分の人物像を把握してない、ひいてはまともに直視していなかったことが窺えますが、おふくろは多分私だけじゃなく姉もちゃんと見ていなかったから、どれだけ自分よりも勉強していなかったのかがまるで把握していなかったのだと思います。それでお小言言われるのだから、私もとんだとばっちりもいいところでしょう。

 一方というか大学時代の友人らは私に対して大学時代から、「君は志望通りに記者が一番向いていると思う」と言い続けていました。友人間の世辞もあるだろうと私は受け取っていましたが、実際に記者になってから同僚や上司から、「芯から記者のような人間」、「記者になるため生まれてきたような人間」と実際に言われるようになって、友人らの言葉は正しかったと改めて思うようになりました。

2020年6月13日土曜日

強まる規制

 今日の喫茶店出のランチに唐揚げ付きサンドイッチを頼んだところ、デザートなのかグレープフルーツがついてきたのでサンドイッチを食べ終わった後にかぶりついたところ、それはグレープフルーツじゃなく唐揚げにかけるレモンでした。料理来た時一瞬私もレモンかと思いましたが、レモンにしてはやたらでかいのでグレープフルーツだろうと思ってなんかギャグマンガみたいなことをリアルにやらかしました。まぁ酸っぱいものは割と好きだから悶絶することなく食べるのやめましたが。

 話は本題ですが、あまり日本では報じられていないでしょうがこの一年の間、中国のネット規制は滅茶苦茶厳しくなっています。一年前と比べるとVPNと言って、ネット規制を回避するための迂回回線の通信速度とかかなり遅くなっているし、混雑時につなげられるチャンネル数も半端なく制限されています。VPN業者もあの手この手といろいろ対策を採っているものの、話を聞くと一部業者のVPNはもはや全く使用に堪えず、解約者とかも増えていると聞きます。
 またVPNに限らずとも日本のサイトへのアクセスも流量が制限されているのか、Yahoo Japanを筆頭に表示速度がやたら遅くなったりしています。特にYahooメールなんか時間帯によってはなかなか開かず、コロナ対策関連の通知とかが領事館とかからくるのになかなか閲覧できない等してあちこちから不満の声が出ていました。

 こうしたネット規制が激しくなった時期は香港での騒乱が激しくなってきたころとほぼ一致します。なので香港が一段落したらまた元に戻るのかなと期待しましたが、一時期よりは少しマシになったものの、現在も香港騒乱以前と比べると速度は低調で、いろんな意味で不便を感じます。
 VPNは外国人だけでなく、中国人も数多く利用しているサービスであり、そういう意味では本当の規制対象は外国人というより国内中国人であり、単純な国内ネット規制の強化と見ることができます。ただ以前にも書いた通り、ここ一年くらいで明らかに「江沢民、胡錦涛時代は不正は多かったけどまだ楽しかった」という感傷をもつ人々は増えているように思え、強まる規制に対して明確に反発感が高まっているとはっきり感じます。

 コロナ対策に関しては流行抑制のために強権での制限が行われることにあまり不満の声は上がってきませんでしたが、それ以外の強まる規制については明らかに不満が広がっているように見え、この点を中国政府は今どう考えているのか、経済もコロナ不振を受けているだけに自分もちょっと疑問に覚えてきました。香港に対する措置ともども、はっきり言えば合理的な中国人らしくないようにも見え、政策がやや感情的な面が広がっているように感じます。

 私自身、何でもかんでも自由を広げればいいという立場ではなく、今の米国みたく「黒人デモ活動のためなら何やってもいい」的な暴動などは、トランプ大統領ほどじゃないにしろ軍隊ではなく警察部隊によって厳しく鎮圧すべきだと考えます。しかし、現在の中国における規制の強め方については、中国自身のためにもならないとはっきり思える程度になってきており、上から目線で言えば、頭冷やせよという一言が浮かんできます。

 なお規制強化の影響なのか、去年夏から現在に至るまで二回も自転車乗車中に警察に捕まりました。原因は自転車に乗ってはならない歩道を走ったとか、歩道の上で走らなきゃいけないところを車道で走ったとかで、1回につき50元(約650円)取られています。言い訳がましいですが中国の道路標識とかめちゃ見づらいし、第一なんでロードで車道走って罰金取られなきゃいけないんだといろいろ思うところありますが、摘発した警察は割と真摯な人が多く、「俺も日本によく旅行行くけど、交通ルールは日本と中国じゃ違うから気を付けてね」などと言われたりするので、あまり抵抗せず素直に罰金払ってます(QRコード決済で)。

2020年6月10日水曜日

野球選手の名前を軍艦に

 今日雨降る中で傘もささずに昼食のパンを買いに行く途中、「そうだ、軍艦に野球選手の名前を付けよう」と閃きました。真っ先に浮かんできたのは「超弩級戦艦 落合」で、やはり三冠王の重みというか強そうな感じがします。同じ三冠王だと、あらゆる作戦に万能に対応できる「万能作戦空母 野村」、その性能の高さは誰もが認めるけど何故だか大決戦に弱い「非決戦戦艦 松中」などが後から浮かんできました。

 やはりというか強打者と軍艦は相性がいいというかイメージがしやすく、他にも一番二番をすっ飛ばして「三番艦 長嶋」、「四番艦 王」などと並べることでさらに強そうな感じがします。強打者じゃなくても「強襲揚陸艦 赤星」みたいに、足の速いイメージとそこそこ珍しい苗字とあって妙にしっくりくるネーミングも浮かびました。

 また潜水艦に関しては言うまでもなくサブマリンで、アンダースロー投手の名前がそのままいけます。ただ「元祖級潜水艦 杉浦」はいいですが、山田久志氏とか渡辺俊介氏はどちらも名字が一般的なため、敢えて下の名前で「最多勝利潜水艦 久志」「最深潜水艦 俊介」とかの方がいい感じがします。
 そのほかだと、「無援護重巡洋艦 黒田」「暴走戦艦ガルベス」「魔人空母 佐々木」「ハイパーイージス艦 小坂」など考えましたが、なんていうかこの中だとガルベスが強すぎる……

 なお架空兵器だと航空戦艦ってのがありますが、もしこれに名前つけるとしたら「未来航空戦艦 大谷」以外ないでしょう。

2020年6月9日火曜日

伊藤詩織氏を中傷した漫画への訴訟について

 昨日、宅配業者から「荷物を宅配ボックスに入れたよ」という通知が携帯に来ましたが、書かれている住所は全然違うし、そもそも何か通販で購入した覚えもないので間違いだろうと思って無視してたら、先ほどまた同じ通知が来たので、面倒だと思いましたが通知に書かれてあった宅配人の電話番号に連絡して「多分間違えている」と伝えました。適当な中国語でいきなり話しかけたから向こうも驚いてたけど、最後はちゃんと通じてよかったε-(´∀`*)ホッ

 話は本題ですが当初はセカンドインパクトについて書く予定だったものの、こっちの賞味期限が切れそうなので先にこっちを書きます。

伊藤詩織さん、漫画家はすみとしこさんら3人を提訴。「枕営業」などツイートめぐり(ハフィントンポスト)

 何度かこのブログでも取り上げた、トンボ鉛筆の佐藤並に自分のことを勘違いしてそうな元TBSの山口敬之の強姦疑惑、並びに逮捕直前の不可解な捜査停止命令事件で被害を受けたジャーナリストの伊藤詩織氏ですが、今回この事件を揶揄するイラストや漫画を連続して投稿していたはすみとしこという漫画家を名誉棄損で訴えた、というのが上記リンク先の記事内容です。
 まだるっこしい事欠かずに結論を述べると、伊藤氏の訴訟行為は理に適っていると思うし、この漫画家に関しては内心生かしておけないなという印象を覚えました。

 仮にもしこの漫画家が今回の訴訟を受けて、「そうだよてめぇ嫌いだから皮肉って書いたんだよ!」などと主張していたらそれも表現の自由だし、内容の下品さなどに関して訴訟で争うことはあるとしても、私は何も批判とかしなかったと思います。しかしこの記事に書かれている通り、明らかに伊藤氏を連想させる名前と絵柄と出来事を汚らしく書いておきながら、この漫画家は漫画は伊藤氏とは無関係などと主張しているとのことで、この一点を以ってしてこの人はもはや表現者でなければ何の思想もない、ただ人を不快にさせるだけの唾棄すべき人間だと感じました。

 人を批判するに当たって私は基本、「殴られる覚悟」というものが絶対的に必要な条件だと考えています。いわば殴られる覚悟がある人間だけが人を殴ってもいいと言い換えることもでき、こと他人を批判するに当たっては、逆批判に対して反論することは自由であっても、逆批判そのものを避けようとしたり、逃げようと初めから考えている人間は他人を批判したりする資格はないと考えています。
 この価値観について私は、一種の報復懸念から行動を自重するような概念の様に考えており、自分が公で批判をする際は真面目に相手と刺し違える覚悟を持って行うようにしています。具体的には、「こいつを批判するためなら刺し殺して刑務所に行ってもいい」くらいの気持ちで、逆にそこまでの気持ちが持てなければいちいち批判とかせず、「まぁ自分と違う考えなんだね」というように相手の考えを受け入れないまでも、そうした考えが存在することを認めるように努めています。

 仮にこうした考え、逆批判などで報復されるという懸念がなかったとしたら、恐らく私だけじゃなく誰でもちょっと気に障ることがあれば一々口に出して悪しざまに罵ったりすることが増えるでしょう。いわば安全地帯にいるから好き勝手やるような状態で、傍目的にもそんな人間には私はなりたくないと思うし、なってはならないと考えていることから、批判に当たっては上記のように無駄に大仰な、昭和のヤクザ的な価値観を敢えて持つようにしています。

 然るにこのはすみとしこは前述の通り、伊藤氏の事件を明らかに馬鹿にしたようなことを書いておきながら「伊藤氏とは関係ないから自分は悪くない」と主張しているわけです。伊藤氏の行動に何かしらの考えを以って批判したりする様子は見られないどころか、先ほど書いた「安全地帯」からの好き勝手な言動はただ毒を撒くだけにしかならず、恐らくただ悪目立ちしたいだけで他人を平気で傷つける人間なんだろうと想像されます。無論こんな人間は世の中に至って人を不快にさせるだけで百害あって一利なく、はっきり言っていない方が世の中マシになるでしょう。
 もっともそれ以上に、単純にこうした行為を行う人間を自分は嫌いで、殴られる痛みというものをもっと知るべきだろうと考えます。

 ただ悲しいかな世の名にはそのような人間の方が実際多くいるのは事実でしょう。そういう意味で今回の伊藤氏の訴訟は悪目立ちしたい人間には報復を意識させる上では大事だと思うし、個人的にも強く応援したいとも思います。まぁ法に頼らずに済むならもっといいのですが、さすがにそれは理想的過ぎるかと自分でも感じます。まぁここでいう法に頼らずっていうのは、直接殴り込みにかけるって意味ですが。

 ちなみにガチで殴り込みかけたのは大学時代に一回しかないです。もし今やるとしたら前の会社で、本来会社が負担すべき中国のビザ切替え手数料を自腹切らされたこと(確か300元)、離職票をよこさなかったこと、他の従業員に比べ中国での家賃補助を減らされていたことなどを突き詰めにバット持って今からでも行きたいです。まぁ上はクソだったけど、いろいろ支援えてくれた人もいるので我慢していかないようにしていますが、死人も出したんだしもうちょいまともな対応できなかったのかと今でも呆れています。

2020年6月8日月曜日

中国のコロナ第二波対策記事

コロナ第2波の懸念、中国は今こんな対策をしている(JBpress)

 例によって自分の書いた記事ですが、この記事は友人から「中国で今フィットネスジムとかどうしてる?」とリクエストを受けたことから書いた記事でした。あまり取材が良くなく、尚且つ文章構成も悪く読みづらいところは反省していますが、真面目な問題提起をしたつもりの記事で、配信する価値はあったかなという風に自分は考えています。

 何気にこの記事を出した時点で既にもう一本の記事を編集部に出しており、この記事は無理して書く必要はありませんでした。にもかかわらず何故書いたのかというと、上記の通り友人からリクエストを受けたことがきっかけですが、それともう一つ、多分中国のコロナ対策はいい加減に行われていると勘違いしている日本人が多いのではと考えたからです。少なくとも日本在住者から話を聞く限りだと、コロナのピーク時における対策、そして現在の第二波対策のどちらにおいても、中国の方が日本よりもずっと厳格な対策を敷いていると断言します。

 確か三月ごろだったと思いますが、工場などで営業再開を認め始めた中国に対して一部日本人コラムニストらが、「中国は流行防止と経済の二兎を追っている。そして失敗するだろう」とか抜かしていましたが、現状みる限りだと日本の方がずっと二兎を追っており、流行抑止にも失敗しているように私には見えます。無論、こういうことをはっきり書くとPV数は稼げるだろうけど炎上することは目に見えていたので、JBpress用の記事では敢えて書きませんでしたが、全体的なニュアンスとしてはこうした「日本の方がずっといい加減」ということを暗に含める感じにして書いています。

 真面目な話をすると、現在の東京の地下鉄などではマスクなしで乗車している人が少数ながらいると聞きます。今の中国だとあり得ない話で、マスクがどこまで流行抑止に効果あるかについてはともかく、社会全体でコロナ流行を抑え込むという意識は中国よりずっと弱いという印象を覚えました。
 また、記事にも書いてある通り中国では現在、大型の商業施設、並びに地下鉄改札付近では毎回必ず来場者の体温を測定しています。地味にこの高温のあるなしの確認はマスクなんかよりずっと対策として価値があると私は思うのですが、これまた友人に聞く限りだと日本だとあまり行われていないとのことで、「やる気あんの?(´・ω・)」とガチで友人に聞き返しました。

 そのほか、これは実際には日本では導入が難しいとはわかってはいるものの、中国での流行抑止において最大の貢献を果たしたのはやはり、感染追跡アプリだと私は考えています。なんとなくだけど政府も自治体も「やれることは全部やっている」とはいうものの、このアプリの導入については台湾などで大きな成果があったと指摘されながら、誰も日本での導入については触れません。メディアも同じで、恐らくどう機能するかが想像できないためでしょうが、少なくとも都市部で勤務する人や、移動を行う運送業者など一部対象に限定しての導入だけでもやっておけばよかったと私は考えています。その理由は次もあるだろうからですが、その辺はまた次回記事で触れます。

 あとこの記事で特筆すべきこととしては、あまり他の比とは言っていませんが、マスクを着ける意味として私はこの記事で、流行抑止というよりかは市民に流行抑止を意識させる効果の方が大きいと指摘しており、本気でこのように考えています。これは日本でも同様で、やはりメディアや知人らの反応を聞いていると、街中でみんなマスクを着けるようになってから「これは大変なことになった」と意識を改める人が増え、中国もこうした意識を社会全体で共有させるために今もマスク着用を義務付けているように見えます。

 そういった内容でつらつらこの記事を書きましたが、まぁなんにしろ地味な記事です。とはいえ、中国の方が案外、日本よりずっと真面目に第二波対策を今も続けているということを読者に伝えられればいいという思いで書きました。なお日本の第二波対策について言えば、なんとなくこれまで営業を停止させてきた三密施設を一斉に解放しようとしているように見え、それはすごい危険なように感じます。この記事にも書いた通りに小規模施設から徐々に営業を再開させて様子を見るような、そうした指針が見えないし感染追跡アプリもないので、日本の抑えこめはまだ長引くのではないかというのが私の見方です。

2020年6月7日日曜日

安定と新鮮味

 今日自転車でスーパーに行く途中にふと、「この二年くらい、新鮮さを感じる瞬間がないな」という考えがよぎりました。実際、中国の風景とか見ていてもアッと驚くことはなく、先日も小型トラックから荷台に積まれた新品の冷蔵庫がダンボール梱包のまま道路に落ちて、「冷蔵庫落ちたでー」とおばちゃんが大声で知らせようとする場面に遭遇しても、「中国ならよくあること」という感じで何の驚きもなく見届けました(トラックは気づかずにそのまま走り去っていった)。

 何故このようになったのかというと、単純に生活が安定しているから以外他ありません。約2年ごとに転職して業務内容はおろか、業界ごと仕事と人間関係を一切合財ひっくり返してきた自分にとってすれば、4年間も同じ会社に居続けるなんてかつては想像もできませんでした。今の会社に移った2016年以降は仕事内容も大きな変化はなく、人間関係はおろか住居までずっと同じで、打線の援護がない時のカープの黒田元投手並の異常な安定ぶりです。
 真面目な話、日米ともに援護がない時の方が投手として安定している黒田元選手はいろいろおかしい(;´・ω・)

 無論、転職を繰り返してた時の苦労は半端じゃなく、今の立場は非常に楽だしコラムの連載もできててそれなりに楽しいですが、こと人生における新鮮さというかスリリングさではそれ以前の前半生と比べると雲泥の差です。逆に言えば、そうした激しい転職と激烈な体験を繰り返してきただけに、普通の人に比べ数倍の濃さの人生経験を積んでいるという妙な自負があります。あまり役に立つ経験は多くはないけれど(;´・ω・)

 古い漫画を例にするとしたら、「コブラ」の冒頭のシーンなんかが自分の心境に違いかもしれません。この漫画ではサイコガン片手に宇宙を飛び回り、いろんな悪党に追われるのが嫌になって記憶を封印し一階のサラリーマンとなった主人公でした、そしたら何の変りもないサラリーマン生活に退屈さを覚えてトリップムービーを見たことで「コブラ」としての記憶を戻すという展開ですが、実際、自分の心境はまさにこんなだと思います。もちろん私はサイコガンなんて持っておらず、「銀魂」がネタにしたように「酒瓶(サカビン)」も持ってませんが(;´・ω・)

 私の場合だと特に、中国という外国の生活に慣れたということも非常に大きいと思います。それこそ2010年に中国で初めて就職して生活し始めた頃は、留学時代と比べて普段の生活で驚いたり興味を持つことが多かったものの、かれこれ十年近くも中国での生活をしていると、留学時代の2006年くらい頃の方がいろいろ楽しかったなどと変に昔を懐かしむことが増えてきています。
 逆に今日本に帰ると、2013年に一時的にいた時の様に、その変化のなさぶりに逆に驚いて新鮮味を覚えるんじゃないかと思います。明日出る記事にも少し触れていますが、コロナ追跡アプリがないと聞いて本気で自分は驚いたくらいだし。

 最後にちょっと変なまとめ方ですがこうした自分の経験を踏まえていうと、海外生活は最初の2年間くらいはビックリワクワクな経験がたくさんできますが、3年目以降はそういったドキドキふわふわはなくなっていき、極端な話、滞在期間が3年でも10年でも、その本人が独自に活動したり追求したりしていない限りは海外経験において大きな差はないのではないかと思います。言い換えると、大体満2年毎に居住国を変えていけばずっとスリリングに生きられるだろうと私は思います。私はさすがにもうやりませんが(;´・ω・)