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2021年1月20日水曜日

中国版桃鉄で盛り上がる

 一部ニュースで報じられていますが、アリババのジャック・マーが約3ヶ月ぶりに表に現れました。でもってこの3カ月間何をしていてどうして姿を見せなかったのかについて何も語っておらず、闇が深いです(ΦωΦ)フフフ…
 それはともかくとして先月、会社の飲み会で同僚らと話をしていた際にふと誰かが、「中国版桃鉄とかあったらやばくね?」という言葉を洩らしました。

 桃鉄とは言うまでもなく、「桃太郎電鉄」という会社経営型ボードゲームのことで、先日発売された新作は過去最高という空前の売上げを記録するなど、根強い人気を見せつけました。この新作は発売前、それまでのキャラデザが一新されて「こんなの桃鉄じゃない!」などという批判も一部見られましたが、コロナの影響の巣ごもり需要などもあって、前述の通り現在も好調に売れているようです。ちなみにこの前評判と裏腹な好調な売り上げを見て、同じく最初キャラデザが批判されたロマサガのミンストレルソングを自分は思い出し「デッデッデデデー」というイントロを口ずさんでいました。

 話は戻すと、日本で好調な桃鉄ですが、かつてあったUSA版みたく同じシステムとゲーム内容で、中国を舞台にしたバージョンを出したらかなり面白んじゃないかと誰かが言い出し、それを受けて周りも「絶対やりたい!」などとかなり盛り上がりました。その場でいろんな案が出てきて、それこそ物件は四川省なら麻婆豆腐屋、北京なら北京ダック屋などお馴染みの地元料理店が並び、浙江省ならジャックデマーなネットショッピング企業が買えたりと、現実の産業配置でマップ作ったら普通に中国社会を遊びながら学べるなどと言い合っていました。

 もちろんこうした物件だけでなく、桃鉄でお馴染みの突発イベント案もいろいろ出てきました。真っ先に出てきたのは「共産党に財産没収される」でしたが、「そんなの生ぬるい、いきなり懲役食らって数年単位で休みになるとか」ともっとダーティなイベントを言う人もいれば、「それより高速鉄道カード使って移動しようとしたら脱線するなんてのもいるだろう「と提案する者もいました。

中国版桃鉄にありがちなこと(togetter)

 同じようなこと考えてる人いないかなと検索してみたところ、2011年と今から10年も前ですが掲示板が立っているのを見つけました。やはりみんないろんな案を出していて、

・目的地に釣魚島(尖閣諸島)がある
・物件どころか都市ごと葬り去るカードがある
・決算が毎回粉飾されている
・貧乏神が大躍進なのね、文革なのねと言って物件を消してくる
・貧乏神が共産党
・列車がよく事故る
・COMキャラのレベルは民工、城管、憤青、公安、党員、幹部という順番

 などなど、見ていてこっちもめちゃ楽しい案が並んでいます。これに敢えて加えるとしたら、「ベンチャー応援家としてジャックでマーっぽい人がランダムで現金くれるけど、ある年を境に消える」というイベントを自分は考えてましたが、今日あっさり出てきちゃったからなぁ。

 ただこの中国版桃鉄ですが、中国も割と鉄道マニアが多いのと、こうした経営を競い合うようなゲームはかなり琴線に触れると思うので、実際ちゃんと作って出したらかなり売れる気がします。イースポーツ自体も中国だと最近盛り上がってきているので、こうした桃鉄などは団体戦などで組んだりすれば見ている方も楽しくいい商材となりうると本気で考えています。実際同僚らも、「これ絶対テンセントとかに提案すべきだよな」と割とガチで言ってました。敢えてタイトルつけるとしたら「漫遊桃鉄」とかになりそう。

 と、以上まで考えるに至ってふと気が付いたことが一つあり、先ほどのイベント案の羅列を見ていて、「中国ってほんとゲームイベントかと思う冗談みたいな出来事がしょっちゅうリアルに起きてんだな(;´・ω・)」という考えがよぎりました。下手にゲーム企画するより、中国の日常をゲームに落とし込む方が案外面白いかもしれません。

2021年1月19日火曜日

鈴木商店とダイエー

 昨夜自分より一回り年齢が小さい同僚と夕食した際、「中内功って名前を出しても君くらいの世代じゃもうピンとこないだろう。自分と同世代であっても反応できない奴の方が多いくらいだ」となんか一人で訳の分からないことを口走っていました。ただ、やはり20代だった頃と比べると最近は自分の中で歴史を積み重ねているという実感があり、自分より下の世代が知らないことを知っていることが増えたと思うことが多いです。もっとも自分より年上の相手が知らないくらい昔のこともやけに詳しかったりしますが自分は。

 前述の中内功に関しては、自分よりもう一回り年齢が高い世代の方がもっと身近であったろうと思います。昭和期における流通の王と言えば間違いなく彼でしたが、彼が作ったダイエーは既にイオンに吸収されて久しく、そのブランド名とロゴは年々他のものへと切り替えられていき、現在もダイエーの名を残す店舗は一応残ってはいるようですが、もう数限りあるほどです。
 このダイエーについて先ほど一人で調べていた際、大正期の大戦景気で勃興した後、その後あっという間に消え去った鈴木商店の名前を突然思い浮かべました。鈴木商店も創業者が消えた後ですぐ消えましたが、ダイエーもそういった要素が多いというか、中内功の退任後すぐに自主独立の道が閉ざされ、中内功自身の財産も散々没収されていく中で本人もなくなっています。何気にさっきWikipediaを読んで自分も今知りましたが、その逝去時は自宅が差し押さえられていたこともあって、一度も自宅に戻ることなく荼毘に付されていたとのことです。

 前述の通り、昭和期においてダイエーは日本を代表する企業で、その経営は実際に日本の流通を変えました。またこれは日本に限らず中国、というよりも世界的にすべて共通するかと思いますが、市場における地位でかつてはメーカーが最も大きかったものを、ダイエー・松下戦争を経て流通側の小売が主導権を握るに至るまでで日本で最も力を発揮したのはダイエーです。まぁそうして得た市場の主導権も、実際店舗からネット店舗に今まさに切り替わろうとしていますが。

 それほどまでに大きな存在感のあったダイエーですが、実質的に昭和が終わるとともに落ちていき、平成の中ごろに破綻へと至っています。そうした経緯を考えると令和の後期においてはそれこそ現代の教科書が鈴木商店を取り扱うように、「高度経済成長とともに勃興しバブル崩壊とともに消え去った幻の企業」みたいに取り扱われるのではないかと思って今こうして記事を書いていますが、まぁなんていうか驕る平家ではないものの一抹の儚さを覚えます。

 冒頭にも書いた通り、私自身はこのダイエーの歴史と中内功の経歴、そして小久保の無償トレードをはっきり覚えていますが、自分より下の世代はそれこそ流通業界と歴史のマニアでもない限り、恐らく今後ダイエーのことを調べようっていう人はなかなかいないでしょう。世代が変われば記憶はなくなるというのは当然のことですが、あれだけの会社であっても、語り継がれることなく消えていくものかと今まさにその消失していく歴史を自分は見ている気がします。

逆転評価記事の裏側

悪者じゃなかったの?歴史的評価が大逆転した2人(JBpress)

 ということで毎度ながらのヤンマガ風自分の記事紹介ですが、今回の記事は当たりましたヤフコメを見ると既に1000件を突破しており、またJBpress内のランキングも昼過ぎには一時1位に入っていました。地味に関連リンクが付けられた他のJBpressの歴史記事のアクセス数も引き上げており、今回はJBpressのPV数にかなり貢献できたと自負しています。
 何気に最近出した自分の歴史記事はあまりアクセス数が奮わず、「今まで当たった記事は運が良かっただけだったのかな(ヽ''ω`)」などとやや自信を無くしていた矢先だったのですが、今日はそれこそ画面を切り替えるごとに伸びてゆくヤフコメ件数などを見て、「見たか!俺の実力ヽ( ゚Д゚)ノ」みたいにやたらとテンション上げていました。

 そんなテンションアゲアゲなこの記事ですが、提出したのは実は年末で、書いたのは3週間くらい前です。なんでそんな大分前に出したのかというと、年末年始はバタバタするだろうから早めに記事出しておいた方が編集部としてもやりやすいのかなと考えたのと、自分も年末年始にあまり記事書くなど仕事したくないという理由からです。
 そうした判断から、それこそ二年くらい前から構想を温めていてすぐさまかけるこの記事ネタを選びました。何故二年もネタを温めていたのかというと、評価が逆転した歴史人物として石田三成と田沼意次はすぐピックアップしたのですが、マイナスからプラスじゃなく、プラスからマイナスに逆転した人物も誰か一人いるだろうと考えたものの、適切だと思う人物がなかなか見つからなかったからです。

 それでも半年くらい前に、ちょっと前の記事に書いたように山本五十六がちょうどそれに当たるかなとようやく思い当たったことからここで放出とばかりに年末に書きだしたところ、先の二名について書いたところであっさり文字数を使い切ってしまい、この二人でまとまってるしもういいやと割り切って出すことにしました。
 ちなみにこの記事を書くに当たって最初に見直したのはこの動画でした。

 記事内容自体は特に何か工夫なり仕掛けをしたわけではなく、自分なりに評価逆転の経緯を簡潔に書くように努めました。結果的には山本五十六を省いた分だけしっかりかけ、またあまりディープになり過ぎないよう書いたことが読み手にいい作用をもたらし、比較的好評な結果を得るに至ったと考えています。
 ネタ的に歴史マニアをそこそこ刺激しやすい話の切り口だったことからか、ヤフコメを見ると吉良上野介や大久保利通、平清盛など、もっと評価を見直すべき人物としていろいろな人物が挙げられるなどして盛り上がっています。一部コメントでも、「ここに寄せられているコメントを見ているのが楽しい」と書いている人がいますが、私自身も同感で、いい歴史討論ネタを上手く提供できたと思えます。

 なおコメントの中で、「今回この記事に挙げられている二人とも官僚で、官僚はその所属する政権の浮沈によって評価が左右されやすい」という内容が書かれているものがあり、この指摘は大変見事なものだと自分も感じ入りました。実際その通りで、官僚というのは自身の功績や能力以上に、所属する政権によって良い悪いの評価が付けられやすいところがあり、分析などでは確かに難しい点があります。
 私自身も以前にこのブログで、「仮に石田三成が豊臣家を裏切り徳川家についたならば、日本史上最高の施政家として名を残しただろう」という評論をしたことがありますが、これもまさに所属した政権に左右される傾向がみられる一端と言えるでしょう。

 これ以外にあんま書くことはないけど、割と久々に自分の記事でスマッシュヒットを、しかも歴史記事で出せたので非常に満足しています。恐らく今年は中国ネタについては、去年もそうでしたが仕事が忙しくてあまり書けなくなる可能性があり、さらに歴史ネタが増えるのではないかと自分で予想しています。
 その歴史ネタですが、やはりそろそろ本格的に書いてみたいと思っているのが現代史で、昭和と平成にかけてのネタをちょっと意識的に書いてみようかと検討しています。ついさっきも「90年代後半の日本金融史は下手なドラマより面白いんだぞ!(# ゚Д゚)」などとわけわかんないことを同僚に吠えていましたし。

2021年1月17日日曜日

日本のモノヒト感染に対する意識の薄さ

 中国でアイスクリームからコロナウイルス検出というニュースが話題となっています。この件に中国ではその後、「アイスクリームに使う外国産原材料からもウイルスが検出された」と報じていますが、中国国産アイスクリームからの検出という初期報道を見て日本ではネットを中心、「やはり中国国内ん感染者がたくさんいるのだろう」、「これまで隠蔽していたのだろう」などという意見が見られます。

 この件について中国側の原材料に関する報道の真偽についてはもう少し待ってから判断すべきと思いますが、個人的には日本側の反応の方が興味深いとみています。ポイントは二点あり、一点目は「何故今回だけ大きく反応するのか」という点です。
 というのも中国ではこれ以前、秋口くらいから外国から入ってきた冷凍魚などの一部貨物からもウイルスが何度も検出されており、食品や貨物からのウイルス検出は今回が初めてじゃありません。やはり「国産アイスクリーム」という点で中国を叩くに好材料であったことが大きいです。

 二点目は、「っていうか中国はアイスにもPCR検査しているのかよ?」といった反応です。感がいい人ならわかるでしょうが、人から人への感染ではなく物から人へのモノヒト感染に対する意識がやはり日本は薄いことを示す証左であるように感じます。

 現在日本の感染対策としてはともかく対人接触を避ける、いわゆる三密対策が主となっています。
 ちなみに以前ネットで「三密では何を意味しているのかわかりにくい」といって、「集まらない、近づかない、密閉空間にいない」の三つをとって「集・近・閉(しゅうきんぺい)」を流行らせるべきと言った人がいましたが、確かに私もこっちのが分かりやすい気がします。

 話を戻すと現実にはコロナウイルスはヒトヒト感染もさることなら、物を媒介としたモノヒト感染の割合もかなり高いように感じます。そもそも最初に大規模感染が確認された武漢市においても海鮮市場が起点とされており、その場所がらを考えると、冷凍された海鮮物を経由してきた可能性も考えられます。また上海で去年秋に確認された感染者も空港の物流倉庫勤務者の方々で、これも冷凍されたような貨物に付着していたのではないかと言われています。
 少なくとも感染者は夏に一時減少し、冬に再び増大していったことを考えると、コロナウイルスは低温で乾燥した状態ほど長持ちし、活発化しやすい傾向があることはほぼ間違いありません。そうした特徴を考慮する限り、貨物、特に冷凍物などは格好の媒介物となりえ、こうした貨物経由でのモノヒト感染に対する注意も求められてきます。

 なお個人的な見解を述べると、緊急事態宣言が出されながらも東京では依然と満員電車が見られるとされながら、そうした満員電車でのクラスター発生は未だ報じられているのを見たことがありません。報道が隠蔽されている可能性もありますが、あの密閉空間でのすし詰めと、東京での感染者数の増加ぶりを考えるとどうして満員電車クラスターが発生しないのかがやや不思議で、実はヒトヒト感染は実はあんま移り辛く、モノヒト感染のほうが経路としては大きいのではと勝手に睨んでいます。

 話を戻すと、こうしたモノヒト感染について中国側はある程度警戒しており、エレベーターなの設備は商業ビルなどでは1時間ごとのアルコール殺菌が今も続けられています。また今回のアイスクリームに対するPCR検査も、日本側で驚きとともに報じられるということは、日本ではあまり行われていないのだなと類推します。
 日本でも殺菌措置などはある程度行われているとは思いますが、それでもやはりモノヒト感染に対する意識が極端に薄いのではと去年から考えていました。もちろんヒトヒト感染対策の徹底はモノヒト感染対策も兼ねることになりはするものの、もう少し人が触れやすいところとかへの警戒があってもいい気がします。それ以上に、前述の通りコロナが長く付着し続けやすい冷凍物については、特に感染が爆発的に流行している欧米からの貨物に特別な警戒がもっと必要でしょう。

 改めてモノヒト感染で検索したところ、あまり日本語では情報がヒットしません。冒頭には嫌なページが出てくるし。もしかしたら別の用語があるのかもしれませんが、少なくとも私はモノヒト感染に相当する用語を見たことがありません。
 この点について日本にいる友人に話したところ、「恐らくその感染ルートを報じたら日本の物流とかでパニックが起こる」と言われ、なんとなくそういう背景だからメディアとか政府も黙っているのではとやや疑っています。はっきり書くと、私の目からして日本のモノヒト感染の無警戒ぶりは異常です。

スーパーホーネット作った( ´Д`)=3



 先週、水のトラブルでシール貼りが出来ず完成させられなかったプラモこと、「F-18 E スーパーホーネット」を昨夜作り上げました。キットは今回も韓国アカデミー世の物を使い、やたらシールの種類が多くて思ったより時間食いました(;´Д`)


 スーパーホーネットとは、米海軍で現在も運用されている戦闘機です。横須賀当たりに行けばみられる代物ですが、エンジン音が極端にうるさく、本国でも騒音訴訟が起こされています。


 知ってる人には早いですが、スーパーホーネットはその前身である「ホーネット」のアップグレード版です。既存のホーネットが古くなり性能が追い付かなくなったものの、新たに一から設計するくらいはとばかりに、期待を大型化して電子装備などを一新して作られた背景があります。
 ガンダムで例えるなら、ザクとハイザックみたいな関係です。「ハイザックC」はギレンの野望でめちゃ使える。


 このホーネットの特徴としては、エラが張っているというか、主翼がコックピット真下まで伸びている点です。本体と翼を一体化するという設計の下、その設計構想が最も極端に出た設計になっています。
 その出っ張ったエラのせいで、翼下のエアインテーク部分が影となってやたら撮影し辛かったです( ゚д゚)、ペッ


 今回このキットを選んだのは尾翼のドクロマークのシールがついてたからです。これはマクロスのスカル小隊、じゃなくて米海軍のジョリーロジャースという部隊のマークで、プラモ界でも非常に人気のあるシンボルです。その人気ゆえにマクロスも丸まんまパクったのですが、F-14トムキャットのプラモでもジョリーロジャース版が一番人気があると思います。


 このほかこのキットを選んだ理由として、友人が前から一つキットを組んでくれと言っていて、作るとしたら何かと考えた際、

・場所を取らないようあまり大きくない
・見栄えがするもの
・戦闘機に詳しくないからオーソドックスな機体

 この条件で勘案して、店に置いてある奴の中で選んだところこのジョリーロジャース番スーパーホーネットがいいという結論に至りました。


 もう一つホーネット系の特徴としては、機体先端のノーズが長いことです。そのため見方によってはくちばしの長いカモノハシみたいな印象を覚えます。

旧版(レガシー)ホーネットとの比較、全長ではっきり差がある

レガシーホーネットは以前にタミヤのキットで作ったもの
デカールの差でやはりアカデミーの方がかっこよく見える

左からF-4ファントムⅡ、F-14トムキャット、レガシーホーネット、スーパーホーネット
狙ってたわけじゃないけどF-4以降の米海軍機が手元に揃ったので記念撮影


後ろの黒い物体はディズニーランドで買ってきたトートバッグ
狙ってたわけじゃないけど後ろ向きに絵柄が隠れててラッキー(・∀・)

 今回は店に置いてあるキットの中で選んだことからアカデミーのキットを使いましたが、このメーカーは前述の通り割と派手なデカールが揃っているのが非常にプラスなところです。
 ただこの前作ったトムキャットのデカールが早くも剥がれ始めており、なんかデカールの定着が弱いように感じます。ファントムは水シール(デカール)じゃなくて一般的な粘着シールで張り付けたからそういうことないけど。

 またこのスーパーホーネットのキットに関しては、接着剤をあまり使わずともパーツ同士を構造的に組み合わせるだけで簡単に組み上がるようになっています。そのため組立自体は非常に簡単であったものの一部で、「これ接着剤で着けるようにした方がよくね?」と感じる箇所がありました。
 具体的にはピラーの部分で、穴があってそこに突き刺すようにして組み込むパーツなのですが、この穴がやたら狭く、かなり力を入れないと全く入り込まないようになっていました。余りにも固いもんだから、差し込むときに力が余って折れないかひやひやになるほどで、差し込んだ後は親指とかがめちゃ痛かったです。

 またデカールが豊富なのは良いんですが、一部のデカールは組立作業中じゃないと絶対に貼れないのに、説明書ではその旨がきちんと書かれていなかったりとやや不親切な点が見られます。全体として悪くはないんだけど、単純に組み立てる楽しみであればやっぱタミヤやハセガワの方が上かなという印象です。

 そういうわけでこのスーパーホーネットはこの後友人に引き渡しです。あと昨日はまたプラモ屋行って、春節の間に作るキットを購入済みです。

2021年1月15日金曜日

山本五十六の評価は低下気味?

 昨日JBpressの編集部からゲラ来てチェックしましたが、年末に書いた記事がまた次の月曜に掲載されます。今度の記事は歴史評価の逆転をテーマにしておりかねてから温めてきた内容だったのですが、書いてるうちにすぐ文字数使い切っちゃったので、当初この記事に加える予定だった山本五十六については一切触れずに終わってしまいました。
 具体的には、山本五十六の評価は近年、低下気味ではないかと言及するつもりでした。

 山本五十六と言えば言わずもがなの超有名人で、本人は米国との開戦を望んでいなかったものの図らずも海軍を当時指揮する立場であったことから、真珠湾作戦をはじめとする太平洋戦争初期の戦争を指揮し、最後は移動中を米軍に補足され、P-38ライトニングに撃墜されたことで戦死した人物です。
 っていうかこんなのあるんだな。

 話を戻すと、その山本五十六はかつては昭和の軍人の中でもピカ一の人気があり多方面から尊敬されていたのですが、なんとなく近年のメディアなどの取り扱いを見ていると、かつてと比べると人気が幾分低下気味であるように思います。さすがに否定的評価が肯定的評価を上回るほどではないものの、以前は褒められたり惜しまれたりすることしかなかったのに対し、近年は問題のあった判断だという指摘をよく見るようになってきました。

 仮に私の見立て通りに山本五十六の評価が落ちているとしたらそれは何故か。第一の理由としては、海軍善玉論が現代においてほぼ否定されつつあるからでしょう。
 この海軍善玉論否定の第一人者は、先日亡くなった半藤一利氏です。半藤氏の著作を見ると、海軍善玉論自体はやはり司馬遼太郎が大きく持ち上げたことが大きかったと述べる一方、やはり陸軍同様に海軍の責は多いと度々指摘しています。山本五十六自身は先にも書いた通りに開戦には反対の立場でありましたが、「やれってんなら二、三年くらいは暴れてやるよ」などというセリフを当時の政府首脳らにも言っており、半藤氏によると「断固開戦反対」というわけでもなかったと言わしめています。

 実際にというか海軍全体で本気で開戦を拒否していれば、どれだけ陸軍がごねても開戦には至らなかったとみる向きは大きいです。また陸軍内部の開戦反対派も重要な閣議で海軍側から「絶対に勝てないから無理」と反対してほしかったのに、そうした重要な閣議で海軍は毎回「難しいけど、陸軍さんがどうしてもやりたいというのなら……」などと消極的賛成を採ることが多く、陸軍内部の開戦反対派を大いに落胆させたと聞きます。
 このような海軍善玉論の否定、並びに山本五十六自身が断固反対的立場でなかったことが、かつてのイメージをやや崩しているところがあります。

 こうした開戦前の立場に加え、開戦後の指揮や行動に関しても否定的な意見が出ています。例えば米軍と開戦することになったとはいえ、やるからには早期に講和を持ち込むしかないと考えたというくだりですが、早期講和に持ち込むために「序盤で手痛い打撃を負わせる」方針を持って、真珠湾攻撃を敢行するに至ります。結果は知っての通り、確かに米国に予想を超える手痛い打撃を与えましたが、逆にそれで米国内の開戦意識を高め、早期講和どころか徹底抗戦に世論を反対に誘導するに至っています。
 実際私個人としても、手痛い打撃を負わせればすぐ講和に至るというのはいくらなんでも虫のいい話にしか聞こえません。それこそドイツも米国の領土に攻撃を加えるなど外の状況が悪化していくのならともかく、太平洋の領土がやられれば米国としてはむしろ燃え上がるのが自然です。

 むしろリメンバーパールハーバーさせるくらいだったら、フィリピンなどの東南アジアから先に攻めてそこをしっかり固めて米軍を疲弊させる方が良かったのではと個人的に思います。もっともこの案は実質的に持久戦論で、日本の国力では実行不可能だったのですが。
 となると米軍の士気を挫くとしたら、結局はハワイを占領して、太平洋を完全に占領するくらいまで持って行くほかなかったと思います。結果論だけど、奇襲だけじゃなくハワイを一気に上陸占拠するくらいしなきゃダメだったのかもしれません。

 戦術論はさておいて戻すと、もう一つ山本五十六の評価を下げているのは、真珠湾以降の指揮についてです。これに関しては自分からもはっきり否定しますが、どう見ても無駄に戦線を広げているようにしか見えず、余り戦略価値のない島々を占領しては陸軍に駐留させ、そこ米軍によって補給路を断たれて各個撃破されるという事態を招いています。山本五十六が決めたわけじゃないかもしれませんが、アリューシャン列島の占領なんて完全に無意味な進軍以外の何物でもないです。
 またミッドウェー海戦についても、あの戦闘では最初から最後まで攻撃目標が「艦隊撃破」にあるのか「島の基地破壊」なのかが曖昧であり、その曖昧ゆえに魔の兵装換装を招いたと言われています。私もそのように思っており、南雲忠一などはスケープゴートもいいところでしょう。

 以上を踏まえると、確かに真珠湾攻撃の成功は見事なものですが、見事過ぎて早期講和の道を自ら断ってしまっている節があります。そしてその後の指揮に関しても、なんていうか大目標がはっきりしていない節があり、それ故にオウンゴールを招いた面も大きいと考えています。
 まぁ誰がどう指揮したところで、太平洋戦争で日本が勝つというシナリオに持って行くことはまずできないので、損な役割を負ってしまった人物だとは思いますが。

2021年1月13日水曜日

半藤一利氏の逝去について

 いちいちリンクを貼ったりしませんが、元文芸春秋の編集長にして昭和史研究の第一人者であった半藤一利氏が先日、逝去されたことが報じられました。90歳の大往生ということですが、各界からはその功績を改めて称賛するとともに、亡くなられたことを惜しむ声が数多くみられます。

 つい一昨日の記事でも私は半藤氏の名前を出していますが、昨年末に書いた日本の歴史観をまとめる連載において改めて半藤氏の経歴を確認した際、既に日本の平均寿命を超える高齢であったことを確認して、同じ娑婆にいられるのも長くて数年、下手すれば明日かもしれないなと考えていました。そうした考えがよぎったこともあって五湖十六国関係の本を読み終えて手持無沙汰だった際、半藤氏の本を何か読もうと思い、先日にも新たに買い増した矢先でした。
 突然でない人の死はないというのが私の持論で、今回の半藤氏の逝去についても上記の年齢に対する前意識があったためそれほど突飛性は感じませんが、その遠からぬ逝去を感じた矢先だったというのは妙なタイミングのかちあいを感じます。

 敢えてもう少し書くとしたら、私が半藤一利氏のことを知ったのは文藝春秋の特集記事からで、「佐藤賢了とかと巣鴨プリズンで話聞いてた」などと、歴史の教科書に出てくるような人物名がポンポン出てくるのを見て、こんな人がいたなんてと確か2006年くらいにびっくりしたのを覚えています。その後、戦前の軍部に関する対談記事を見てまた更に感銘を受けて、半藤氏が手掛けた本などを読むようになりましたが、学者ではなく文藝春秋の編集者であったと知ってさらにびっくりしました。

 このブログを見てわかる通り、私自身も歴史に対する興味はかなり強く、JBpressとかでもネタに困った時なんかは歴史コラムを普通に書いたりしています。個人的に半藤を見て影響を受けたというか感じ入った点として、歴史を学問として専門的に学んでいなくても、ライターの立場でこうした歴史の事実探求に迎えるのだという点に凄く憧れを感じました。現在においても私は歴史を専門的に研究する立場になりたいとは思わないものの、ライターとしてどう歴史に向かうか、またそれをどう表現するかにおいては、今後もずっと半藤氏が憧れの立場に居続けると思います。

 今回の訃報に初めて触れた際、実は次のJBpress記事に半藤氏の追悼記事を書こうかと正直思いました。しかし直接会ったわけでもないし、中途半端に歴史を紹介しているだけの自分がそんなもの書いても蛇足にしかならないと思ってすぐそんなことはやめようと思いなおしました。ただ、書けるものなら書きたかったというのは偽らざる心情です。自分がここまで人の死を惜しむのも、水木しげる以来です。

 歴史観の連載でも書きましたが、現在の戦前の歴史評価に関しては半藤氏と保坂氏の考えや主張がベーシックになりつつあります。私自身もこれを支持する立場ですが、今回の半藤氏の逝去によって、完全な定着に至るかの分岐点を迎えると思います。
 同時に、定着というか完成に至った場合、次はいよいよ平成史に対する解釈議論が今後始まってゆくことになると思います。自分が関わるとしたら、恐らくこちらになるでしょう。

 末筆として、改めて半藤氏の冥福をこの場にてお祈りします。