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2022年11月29日火曜日

やさしい武蔵丸

なぜ? “ご意見番”武蔵丸が珍しく優しい「大関が負けてクヨクヨしてる姿を誰が見たいんだ?」「高安、諦めるなよ!」「三賞はケチくさい」(Number)

 上の記事は今場所の各力士の取り組みについて元横綱の武蔵丸が寸評した内容をまとめたものですが、読んでて非常に納得感があります。というより、各力士に対して非常に温かい目で期待感と合わせた言葉で寸評しており、見出しの通りに読んでてこっちもやさしくなれるようなやさしい評論となっています。

 実は今場所は世を忍ぶ仮の姿で博多まで大相撲を見に行っていました。このところ中国にいて日本の大相撲を見る機会からかなり遠ざかっていて力士も見慣れない四股名が多く、各力士の特徴を覚えるのに必死でしたが、その後のテレビ観戦と合わせると今回の武蔵丸の寸評は自分も納得感があります。
 やはり目についたのは豊昇龍で、モンゴル人力士らしく体幹の強さはさすがであるものの、攻め手に引き出しが少ないという印象を覚えました。この辺、伸び盛りの若手力士に多いのですが、」ある程度までは勢いで登っていけるけど、三役に入るころには単調な攻めだと上位陣に通用しなくなり、そこでいったん順位を落とすのが常です。

 ただ今の相撲界は絶対王者の白鵬を欠くこととなったことから、前と比べると番狂わせ的なドラマが発生しなくなったと感じます。もっとも負けない白鵬が去ったことから、平幕から優勝力士がバンバン出るようにもなってはいるものの、全体としてはやはりスターが不在という風に感じます。必ずしも優勝しなくてもいいから、初日から10連勝くらい飾る力士がいるとニュースでも取り上げられるようになり、世間も注目しだすので、そうした序盤に勢いのある力士が出てきてほしいと思います。稀勢の里なんかまさにそういうタイプだったし。

 またスターとは反対ですが、ヒールも不在だなぁと感じます。それこそ朝青龍のいた時代なんか土俵の内外で騒動ばっか起こすもんだから、それはそれで相撲人気につなげていたなぁと今でも思います。そういう意味ではふてぶてしい力士も、角界にはやはり必要なのでしょう。

2022年11月28日月曜日

中国各地の反ゼロコロナデモについて

 未だ隔離中でこの記事も外付けキーボードではなくノートPC本体のキーボードで売っていますが、先日買ったTHIRDWAVEのキーボードはキーが比較的大きいので打ちやすいものの、CtrlキーとFnキーの位置が会社のパソコンと違ってよく押し間違えます。まぁこれくらいは自分でどうにかしろって話ですが。

 さてそんなわけで今朝になって一斉に報じられている中国各地で行われている反ゼロコロナデモについてですが、今朝方日本にいるかつての同僚が報道を見て久々にWeChat開いたところ、先月に自分が送った「日本帰るよー」というメッセージを初めてみて、自分に連絡してくれました。その元同僚は日本に帰ってからWeChat開いてなかったそうですが、今回のデモでモーメンツを見る際に開いて自分のメッセージにも気が付いたとのことでしたが、そういう意味では人の縁をデモがつないでくれだなとか思います。

 そのデモですが、上海市では「烏魯木斉(うるむち)路」でなんかやってたそうですが、上述の通り自分はホテル隔離中で見に行くことができませんでした。もっとも隔離中じゃなくても、ゲームするのに忙しいから行かなかっただろうけど。
 子の上海を含む各地で行われている反ゼロコロナデモに関して、中国国内では一切報じられていません。検索候補には「昨夜の上海の事件」などみたいに上がってくるものの、具体的内容は当局の検閲で消されているのか引っ掛かりません。とはいえ中国人同士で情報は共有されており、同僚からは当局関係者が烏魯木斉路の看板を引っこ抜いて持ち去る写真が送られてきました。烏魯木斉路なんでそもそもないよ的な主張でもする気なのだろうか。

 今回の騒動に関して自分の見解を述べると、単純にコロナの感染力を中国政府が見誤ったが故の帰結と思っています。隔離政策を徹底すれば流行を抑えられると思っていたし、実際これまではうまくやってこれてきたものの、最新のオミクロン株の前ではどれだけ隔離を徹底してもこれだけ流行してしまっている始末です。正直に言って今の北京と広州の流行状況は今年上半期の上海をすでに上回っていますが、上海のロックダウンはさすがにダメージが大きかったと認めているのか、北京と広州には同規模のロックダウンはまだ実施されていません。若干、不公平な感じはしますが、北京だと幹部もたくさんいるから彼ら自身も閉じ込められたくないだけでしょう。

 そのような状況で散発的な一部ロックダウンを繰り返しているものの、流行は全然収まらず、むしろこれから感想する冬を迎えてさらに拡大することが目に見えています。こうした状況、流行を抑えられないのにロックダウンを繰り返すし、感染したら環境の悪い施設に連れていかれるしで、これでストレス貯めない人間なんていないでしょう。
 また一部報道でも指摘されている通り、サッカーのワールドカップでみんなマスクなしで楽しそうにやっているのを見ると、誰でも不満に思うに決まっています。にもかかわらずゼロコロナを堅持すると言われたら、統制の強い中国でもこうしてデモが起こるわけです。

 内心、今回の各地のデモを見て思ったのは逮捕者が少ないという点です。中国で政府の政策に真っ向から異を唱えるデモにしては死者や逮捕者が少なく、なんとなく警察や当局もデモが発生するのはやや仕方ない面があると認めている節があるのではという風に見えます。せめてこれ以上大ごとにならないように慎重に対応しているように見えますが、だったらゼロコロナやめろよ言いたいです。

 昨年までは確かにゼロコロナで中国国内の感染者数はほんとに少なく、経済も回せていい感じでした。このころの中国の感染者について友人はさすがに少なすぎるし偽装していると言っていましたが、私は当時の中国における感染者はガチで発表通りに少なかったとみています。もし発表以上に多かったら、今以上に苛烈なロックダウンをやっていただろうし。
 そんな中国もこのところ毎日新規感染者数で国内新記録を更新し続けており、この点からみても感染者数の発表は入力漏れなどを除けば基本的に中国の発表は意図的な偽装はないと考えています。

 ただ昨年までは良かったものの、今年に入ってからのゼロコロナは完全に裏目裏目に回っています。この辺は今記事に書いていますが、来年に裏目のツケが一気に出てくるように思え、単純な中国の国益を考えるならデモが主張するように習近平退陣が最も有効な対策じゃないのと私ですら思います。はっきり言えば、ゼロコロナ政策そのものというより、出口戦略をこれまで一切築かなかったミスがここにきて一気に露呈してきたのではという風に見ています。それこそお得意の強権で、嫌がる老人相手にも全力でワクチン接種を徹底させとけばよかったのに。ロックダウンに強権発動する当たり、なんか力の入れどころが違う気がする。

2022年11月27日日曜日

電子書籍化に抵抗していた人々

 この記事が読まれているころ、私はすでに中国に旅立っていることでしょう。

 などと現在進行形で入国に伴う隔離中にこの記事を書いていますが、ぶっちゃけ中国入国時の隔離はホテルで、三食ちゃんと出るだけ先の上海ロックダウンに比べたら私物が周りにないだけでかなりまともな環境です。食い物が徐々になくなっていくという感覚はマジで恐怖でした。

 さて話は本題ですが、電子書籍は今やごく一般に普及し、出版業界からしてもなくてはならない存在となりつつあります。私が初めて購入した電子書籍は2011年に購入した文芸春秋で、当時文芸春秋は国内印刷会社などとの絡みなどからか、電子書籍の販売を海外に限定して、なおかつAmazonとかではなくなんか特殊なサイト経由でしか購入できませんでした。でもってビューアーもみすぼらしいもので、読み辛かったので買ったものの結局読むことはありませんでした。

 その後、2013年からはタブレットを購入してからは専ら漫画本を電子書籍で購入するようになり、今ではハードコピー本は一切購入しなくなっています。理由は、私の場合は海外在住で新刊をハードコピー本だと手に入らないこと、あと最近は少ないけど引っ越し回数が以上に多かった時期があり、その際にいちいち本を運ぶが億劫となったことが理由です。
 先にも書いたとおりに今や電子書籍は出版業界としても大きな売上げを占める形態となっており、その販売やプロモーションにも力を入れています。それこそ2015年くらいまでは集英社を筆頭に、新刊の漫画本だと電子書籍版はハードコピー版に比べ3ヶ月程度発売日をずらしていましたが、最近はそういう妙な小細工を取るアホはおらず、最初から今のように同時発売にしておけよと今更ながら思えてなりません。

 何故上記のような妙な小細工を取っていたのかというと、十中八九間違いなく印刷会社との絡みでしょう。出版社と印刷会社の関係はそれこそかつては水と魚のような関係で、互いになくてはならない存在ではあったものの、今やその関係には隙間風が吹く有様です。話を聞く限りだと両者の間では印刷会社のほうがやや立場が上というか、印刷リソースを確保、並びに校正スケジュールの調整面で出版社は頭が上がらなかったと聞きますが、今だと多分その立場は逆転しているでしょう。
 詳しい統計データこそ見ていないものの、かつてと比べると印刷部数はそれこそ何分の一程度にまで落ちていると見込まれています。輪転機メーカーの人に話を聞いたら、いま日本国内で新規発注はほぼなく、基本的には既存設備の更新しか修理しかないため、海外で売るしかないという話だそうです。

 当初でこそ出版社が電子書籍の発売日をずらしたりするなどしていたのは、まさに上記のような印刷会社の仕事を意図的に増やす、または彼らからの要請があったとみられます。しかし状況は今は変わり、かつてのような配慮がほぼ見られなくなったことを考えると、今後ますます印刷業界の景気は厳しくなってくるでしょう。

 こうした企業単位での話のほか、作家単位で電子書籍化に抵抗していた人もかつてはいました。主にミステリー系の作家に多く、代表格は宮部みゆき氏で、電子書籍が普及し始めても彼女の作品はなかなか電子書籍化されませんでした。やはり旧来の作家人からしたら本というものは紙で読むものという意識が強かったようで、先日逝去した佐野眞一も講演会で「紙の本は絶対になくならない」とアンチ電子書籍な立場を強く打ち出していました。もっとも同席していた友人は「それはない」と切っており、私も同感で実際にそうなりましたが。

 しかし上記のレジスタンスのような作家陣も、このところ著作の電子書籍化を認めるようになってきています。心変わりの原因は人それぞれでしょうが、言い方は悪いですが、紙の本の風味とか読書週間などを口にしてはいたものの、単純に不慣れな新規テクノロジーへの抵抗感ゆえにこれまで電子書籍化を認めてこなかっただけではないのかとみています。
 私のような海外在住者からしたら海外でも新刊が読める電子書籍はありがたいことこの上ないし、場所も取らず、アカウントがなくならない限りはいつでもまた読めるという形態は望まれて然るべきものです。こんな便利な形態を何故読者にもたらそうとしないのか、色々こだわりはあるだろうけど、単純に消費者の立場を考えてくれていないという気がしてなりません。

 なお電子書籍の形態は、出版社のみならず作家にもメリットが大きいと聞きます。「GANTZ」の奥裕哉氏が言っていましたが、かつて単行本は新刊が出たときにしか収入にならなかったのに、電子書籍が普及してからはちらほらと旧刊の著作権収入が入ってくるようになったそうです。電子書籍だと単純に古本が流通せず、なんかのきっかけで読み始めた人も旧刊を電子版で購入するようになっているそうです。
 こうしたところから見ると、電子書籍の普及は出版社のみならず、作家にも高い恩恵をもたらすように見えるのですが、それ故になぜ抵抗する作家がいるのかがいろいろ意味不明です。まぁ印刷会社と古本屋にとっては大打撃にしかなってないけど。

2022年11月25日金曜日

昭和のやばすぎた就活事情

【速報】森保監督の支持率、北朝鮮並になってしまうwwwwwww(暇人速報)

 北朝鮮並みという比較がなんかツボにはまります。

 それはさておき本題ですが、先日起きた就活のウェブ試験代行事件に絡んでこれらの試験の無意味さを問う記事をこの前書きましたが、現代のこういうウェブ試験とか、どうでもいい趣味とか聞きまくる面接も大概であるものの、昭和の面接に比べたらだいぶまともになっていることをこの前気が付きました。マジでこの前。

 気づくきっかけとなったのはあるYoutuberの動画でした。名前は失念したのですが昭和の風習や時代性を解説する方で、たまたま見たその回では昭和、具体的には昭和40年代くらいの企業面接を解説していました。その具体的内容はというと、まず初めに家族構成を聞き、政治思想や心情を根掘り葉掘り聞くというものでした。でもって、片親だった場合はその時点で落とされるとも解説されてました。

 最初聞いたときは俄かに信じられず、うちの名古屋に左遷されたことのある親父に「これってホンマなん?」と超軽量飛行機に乗りに行く途中で聞いてみたところ、ホンマやと言われました。たまたまその場にはウルトラライトプレーンノリの知り合いのおじさんもいていろいろ話をさらに聞いたのですが、両親が揃って健在でなければ、理由の如何を問わずその時点で就職で不利になったそうです。また政治思想面でも企業の支持政党と合っていなければ、これまた落とされていたそうです。
 親父によると、当時の就活本には「支持政党は社会党と答えるのが無難」とか書かれてたそうです。

 それどころかって話じゃないですが、面接をうまく通り抜けた後もまだ障害はあったそうです。なんでも、当時は面接後に候補者に対し、企業が興信所を使って素性を調べることが当たり前だったそうです。当然というか前述の家族構成とかごまかしてもばれるし、部落出身者であれば本当にごまかしがきかないというか、劣悪な差別も当時は一般的にされたそうです。
 そんな厳しい条件で果たして有能な人間を雇えるのかよと思ったのですが、当時はまだ人口も多かったので、その辺はどうにかなってたそうです。また企業側としては当時は終身雇用意識がまだ強く、本当の意味で一生を添い遂げる社員を求めていたようです。

 ただこうしたやり方は当然ながら通用しなくなります。具体的にはバブル景気が過熱した90年前後に入り、企業側はともかく数を揃える採用方針に切り替え、このあたりから上記のようなトチ狂っているとしか思えない採用方法が改められていったそうです。
 もっともその後、就職氷河期に入り有能な人材を選ぶというより、ともかく採用者を削る、落とすというやり方が一般化していく過程で、なんかよくわからない心理テスト気味な現代の採用方法になっていったように私は見ていますが。

 以上のような歴史を振り返ると、「人類は一歩一歩、ちゃんと進歩してるんだな」とマジで感じます。っていうかそんな差別まみれの世の中に生まれなくて、内心よかったと思う自分もいます。自分が差別の対象に遭うことよりも、そうした差別を当然視するような人間になっていたのではという点で、軽い恐怖を感じるためです。

2022年11月23日水曜日

就活のウェブ試験に感じる無意味さ

替え玉受験で捕まった男、余罪300件で逮捕カーニバル開催wwwww(ガハログ)

 先日、企業が就活の際に学生に課すSPIなどのウェブ試験を就活生本人に代わり問題を解いていた人物が捕まりました。結論から言うと、そもそもこんなウェブ試験をやっていること自体が自分は問題だと思います。

 ウェブ試験の詳細については省きますが、自分も就活生時代に一通り対応したことがあります。その時の記憶で述べると、国語の問題などは俗にいう「この時の作者の気持ちを答えよ」的に基準のあいまいな問題が散見され、しかも選択肢の中に明らかに論理的に正解と判断できる答えが見つからないなど、そもそもの問題作成に問題があると感じる問題がたくさんありました。むしろあの問題の成績を参考にしようってのなら頭のおかしい連中だろうと、その手の問題についてはいい加減に処理した覚えがあります。

 このウェブ試験ですが、ぶっちゃけズルし放題です。数学や英語の問題などは別端末などを使ってネットで検索かけるなどしたら容易に回答を導き出すことも可能なほか、同じ企業内で同じ試験だったら誰か一人が人身御供となることで問題文を取得することも可能です。
 以上のような公平性が保たれない試験なだけに、真面目にやった奴ほど馬鹿を見るテストだと内心考えています。であれば小論文など、具体的正解はないものの文章構成力とかが図れるような課題のほうがもっといいと思うし、そもそもこういったウェブ試験、SPIの成績がその後のパフォーマンスとどう関連するのか、その辺の分析も企業側はやるべきでしょう。

 このウェブ試験に限らず、日系企業の採用に関する選定基準は非常にあいまいかつ無意味なものが多く、面接も含めてもっと機械的な要素を高めるべきなんじゃないかと前から思っています。それこそ履歴書などの書類選考だけで済ますとか、一斉筆記試験で成績優秀者からとるとか、ともかく余計な感情の余地が挟まらないようにする方がずっと建設的である気がします。
 こういうと面接しないと変な奴は言ってくるかもしれないという人もいるでしょうが、面接したから変な奴を排除できるのかと逆に問いたいです。

 さらに言えばその就活における採用面接ですが、このところいろいろ調べたところ、どうも昭和と平成で面接の内容が異なっていることに最近気が付きました。その辺はまた次回の記事で。

2022年11月22日火曜日

そして誰もいなくなった(岸田政権)

 このところ辞任ドミノが続いている岸田政権ですが、さすがに終わるのは来年だろうと思っていたものの、なんか年内も怪しくなってきています。内心、アホみたいな不祥事が出てくる大臣が相次いでいて岸田総理に対しては同情心もあるのですが、今日は文春に岸田総理自身の疑惑を報じる記事が出てきており、ただでさえ逆境なだけに正念場となってくるかもしれません。

 大臣らの不祥事に関しては細かいところを追っていったら石を投げられない人はまずいないものの、死刑執行命令を金にも票にもならないといった葉梨氏や、故人が会計責任者やってた寺田氏に関しては弁明の余地なしに辞任以外は考えられず、よりによってこういう頭のおかしい人間を大臣にした点では岸田氏にも任命責任は発生してくるでしょう。
 にしても寺田氏の件は故人が責任者ってだけに、実はゾンビが会計をやっているのではと変な期待を抱きましたが。

 話を戻すとこの一連の辞任ドミノを見て自分はアガサ・クリスティの名作「そして誰もいなくなった」をまず連想しました。最後にいなくなるのは誰なのかは別として、岸田政権はまず来年一年を持たせることは不可能であるともう断言してもいいでしょう。
 以前の記事でも触れましたが、岸田総理自身の指導力や政治力以前のところでこのところの問題が起きており、それ即ち自民党議員の凋落こそが根本的な問題であるとにらんでいます。逆に言えば自民党執行部はもっと競争力や実行力のある人材をどうして引き上げられないのか、問題のある人間を身体検査で事前に排除できないのか、こうした点で明らかにぬるさを感じます。そういう意味では議員の資質の問題というより、自民党という組織の弱体化といえるでしょう。

 もっとも同じ党組織の能力でいえば野党のほうが身体検査を中心にぬるく、団体としての規律が整っていないところが多いです。そういう意味では鬼の副長こと土方歳三的に規律に厳しい人材こそが、今の各党に求められているのかもしれません。

2022年11月21日月曜日

「すずめの戸締り」をみて

 もう日本滞在が3週間くらい経過してやることないし、中国帰る前にどうせ話題になるのだからと「すずめの戸締り」を興味に行きました。平日の朝9時半からの回を見に行ったので、観客は自分を含めて7人くらいでした。
 なお本題と関係ないですが、本編開始前の別映画の宣伝が開始時間の10分前から見せられ、開始時間に入ってからはさらに20分間も見させられたのには辟易しました。またその宣伝映像も、見栄えが良ければいいのですが全体的に見ていて無駄に腹立つ感じのする映像で、もう少し消費者満足度を機にしろよ東宝とか思います。

 映画自体の感想に話を移すと、一言でいえば文句なしといったところです。新海作品特有の色のきれいな描写は言うに及ばずで、自然災害、都市と地方の対比など従来の作品から受け継がれているテーマもうまく話に落とし込まれています。
 強いて言えば、これまでの新海作品はごくごく狭い世界の出来事が全世界に影響を及ぼすようなセカイ系な特徴を持っていましたが、今作品では日本列島を縦断することとなっており、登場人物が関わる世界は比較的広くなっているため、従来と比べてセカイ系要素は弱まったかなという印象を覚えました。

 このほかの内容に関してはネタバレになるところもあるので敢えて言及を避けますが、見る前と変わった印象としてはヒロインのすずめについて、PVとかイメージビジュアルを見ていた時は「肩幅広くてごつそうな女だな」という、謎の印象を持っていました。実際の作品上では普通の女子高生で、男を追いかける形で全国飛び回ることから猛禽類とか呼ばれてますが、そこまでごついキャラクターとしては描かれていませんでした。
 ただ「君の名は」のヒロインと比べると、明らかに行動力やフィジカルですずめの方が勝っているようにしか見えず、その点ではごついヒロインといえるかもしれません。