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2023年7月31日月曜日

中国経済に関するリチャード・クー氏の評論

 アラブ人顔で会社でのあだ名が一時期「ビンラディン」だったうちの親父の写真を今日、中国人の同僚に見せたところ、一目見るなり「新疆(ウイグル)人だ!」という声が上がってきました。中国人からしたらああいうアラブ系の顔は新疆人に見えるということを、今日発見しました。


 話は本題ですが、上記リンク先にあるエコノミストのリチャード・クー氏の中国経済に関する評論が面白かったので紹介します。なおクー氏については「クーさん」と呼ぶとすごくかわいく聞こえるなと思います。

 そのクーさんの評論ですが記事にもある通り「バランスシート理論」がベースとなっており、これは経済規模に関して支出と収入は常に同規模となるはずであり、経済規模を拡大、つまり経済成長するには社会が一定の借金をしなければ理論上実現しないという、言われてみてなるほどという理論を唱えています。
 この理論をもとにすると、経済成長を続けるには社会における借金額が増え続けなければならず、具体的には銀行の貸出量(マネーサプライだっけ?)が増え続けなければなりません。しかし中国は2016年の段階で先行きへの不安から借金を減らしていこうとする動きが社会に見られ、実際に貸出量も先細って言ったそうです。その点から見ると、中国の不況は2016年時点ですでに始まっていたというのがクーさんの見方です。

 この見方については私も同感で、不況というのは好景気と思われている時点ですでに始まっているものだと考えており、今の中国は市民レベルですら不況を実感するくらいまで具現化しているものの、その端緒という意味では確かに2016年くらいから始まっていたのかもしれないという気がします。何故かというと、銀行の定期金利がちょうどこのころ辺りから5%を切るようになり、その後もずっと目減りし続けていたからです。
 最近は諸般の事情で私は定期預金をやらなくなりましたが、2017年くらいなら4%台の金利は余裕でしたが、2019年になると3%台後半すらなくなり、羽振り悪いなぁと思いつつスマホで定期預金をよく申し込んでいました。今思うと、ああした市場金利の落ち込みを見過ごすべきじゃなかったかもしれません。

 以上のような見解を踏まえてクーさんは、景気打開のためには財政出動が否応にも必要であり、コロナ対策に追われ財政基盤が揺らいでいる地方政府には期待できず、中央政府が大規模な対策を打つべきであり、対策をきちんと打てれば何とかなるという見方を示しています。それに対し、


 そのクーさんの意見に対しこちらの藤和彦氏は、現状に対するクーさんの分析には同意しつつも、果たして大規模な財政出動を中国が行えるのかと、疑問を呈しています。何故行えないのかという理由に関して藤氏はあまり説明しておらず、文面を見る限り根拠がやや弱いと私は感じますが、実際に中国政府が財政出動に踏み切れるかに関しては自分も疑問視しています。

 その理由としては、中国の税収、貿易黒字による外貨獲得が弱まってきており、今投入した分の資金を将来に回収できるかという点で懸念があること。次に、クーさんも指摘している通り中国では既に人口減少が始まっており、経済規模、税収が今後も拡大し続けるかという点でも大きな懸念があるという理由からです。
 これまで、特にリーマンショックの起きた2008年であれば中国は人口が拡大しており、それ以上にプライマリーバランスが常に黒字で尚且つ更なる増収がはっきり見込めました。それだけに大量の資金投入を行ってリーマンショックからいち早く脱することができましたが、今の人口が先細っている中国で同じことできる、というより政策担当者が決断できるかと言ったら、確率は確実に以前よりは低くなるでしょう。そういう意味ではクーさんの言ってる通りに、まだ人口減少が始まっていなかった段階でバブル崩壊にあった日本の方が状況的にマシだったのかもしれません。

 私個人の見方では、やはり日本の例に則るとしたら財政出動は出動でも、景気刺激のためのインフラ投資などに使うのではなく、まとめて不良債権処理に用いる方がいいのではないかと思います。中国の消費者が借金をしないのは先行き不安からであり、その不安の源泉は不良債権というか借金の規模によるものであれば、経済規模は一時縮小するものの、損切りしてでも不良債権処理に舵を切るべきではないかというのが自分の見方です。不良債権はいつまでたっても不良債権であり、特にデフレに入ってしまえばその重みはますます増してくることを考えれば、デフレに入る前のインフレ段階で思い切り処理するのが最善手というわけです。

 ただ、既に恒大不動産をはじめ国が傾くくらいの負債を抱えた企業も今の中国には少なくありません。こうした企業をどう処理するかに当たっては、これまた日本の例にとるならば産業再生機構の
ような不良債権企業を抱え込む組織を作るのが一番な気がします。日本の産業再生機構も、潰そうにも潰すと国が傾くくらいの借金を抱えたダイエーを処理するために作られたんだし。

 このように考えると、本当に日本の後を今中国が追っているように見えてなりません。あんまり日本の過去になぞらえてみるのも視野を狭くするのでよくないと思いつつも、現状の中国においては日本の過去の対応が一番参考になるように思え、この際だから中国は竹中平蔵氏を招聘したらどうかなとすら最近思うようになっています。なんか彼だと中国とは意外と相性よさそうに見えるし。

 にしてもこれからウイグル人を見ると親父を嫌でも連想しちまうんだろうな(´・ω・)

2023年7月30日日曜日

なんでも「(´・д・`)ヤダ」だった谷干城

 最近、明治のテクノクラートという観点から批判閥でありながら政権中枢で徴用されてきた人材について着目し初め、一通りこれらに該当する人材について伝記を読み漁っています。具体的な人物としては、前回にも取り上げた原敬もそうですが、最も知名度の高い人物となると紀伊藩出身で外務大臣を務めた陸奥宗光でしょう。そして陸奥に続く形で元幕臣の榎本武明、土佐藩出身の谷干城がこれに続き、このうち谷干城についてはあんま調べたことがないので以下の本を買って読んでみました。



 谷干城と言えば西南戦争で熊本城に籠り、事実上、西郷軍撃退において最も功績の高い働きをした軍人として有名ですが、第一次伊藤博文内閣で初代農商務大臣になるなど、政治家としても要職を務めました。そんな経歴ながら陸軍の非主流派として政権や長州閥に度々楯突いたりするなど反骨精神のある人物であったと聞いていたので、改めてどんな人物であったのか伝記で読んでみたら、自分の想像以上に反骨の相に溢れた人物でした。
 なお谷干城の「干城」は戸籍名だと「たてき」ですが、本人はよく「かんじょう」と呼んでいたそうです。名前の由来は中国の古典の一説にある「干(=盾)となり城となり」という意味の文章からだそうです。

 話を戻すと、坂本龍馬の二歳下という同年代で谷干城は土佐藩に生まれており、代々の神道学者という家でした。長じて本人も当初は学者として採用されますが、神道の家計なだけあって徐々に尊王攘夷運動にのめりこむようになり、公武合体派で土佐藩の政治を仕切っていた吉田東洋を目の敵にしていたそうです。
 そのため吉田東洋が暗殺された際は真っ先に犯人と疑われたそうですが、暗殺直前に東洋と面談した際は普段から悪口言っている自分に快く時間を割いてくれ、またその主張も筋が経っており評価を見直したと述べています。ある意味、これ以降の彼を暗示しているかのような変節の一端が見えます。

 その後、土佐藩を尊王攘夷へと政策を変えさせようと動きつつ、途中で薩摩や長州と連携して徐々に尊王討幕へと方針を変え、土佐藩兵を京都に出兵させて無理やり討幕に加担させようとするなど過激な行動を取るようになります。大政奉還を経て討幕路線が固まると、同じ土佐藩の板垣退助らとともに土佐藩兵を率いて各地を転戦し、元新選組を甲州で殲滅するなど高い軍功を挙げていきます。
 その後、明治時代に入ると当初は土佐藩の執政として班内改革を進めますが、廃藩置県を経て中央政府に合流し、軍事指揮官として各地に赴任し、西南戦争直前に熊本鎮台司令として赴任します。なおこの人事の裏には、土佐出身で且つ天皇への忠誠が強い谷なら西郷軍に裏切らないという思惑があったそうで、その期待に応え見事西郷軍を撃退します。

 その後、しばらくは軍人として活動するも徐々に政治家に転身し、農商務大臣就任後は主に貴族院議員として活動しています。

 以上が主な彼の経歴ですが、改めて細かく政治思想や言動を追っていくと以上に変節の激しい人物であったというのが正直な感想です。具体的な変節ぶりを如何にまとめます。

・尊王攘夷→尊王討幕→攘夷はやっぱ不可能
・台湾出兵(1874年)に出陣→この際、清と戦争してやっつけろ!→日清戦争(1894年)反対!
・政党なんてカスの集まり→(国会開設以降)政党を中心に議論すべきで政府は勝手に決めるな!
(最後の政党に対する評価は当時の人からも「前と言っていることが違う」と突っ込まれている)

 以上は主だった変節で、細かいところを探ればもっといっぱい「前と言っていることが違う(;´・ω・)」と思わせられる発言のオンパレードです。こうした変節は何も谷に限るわけじゃないですが、彼の場合は変節前に自分の主張を激しく展開しては猛批判した挙句、自分の主張が通らないとわかるや「だったらもう辞める!(# ゚Д゚)」とすぐ辞表を叩きつけるなど、極端な行動が目立ちます。
 特に第一次伊藤政権では外務大臣であった井上馨の条約改正交渉を激しく批判し、内閣不一致を招いて井上馨の辞職を誘引するほどでした。

 以上のようなイヤイヤを繰り返したことから明治政府内では何度も辞職、復職を繰り返しているものの、主張に首尾一貫したものはほぼないものの、神道学者の家だけあって天皇家、ひいては国家に対する忠誠心は誰もが認めるものがあったことから、「谷君、また一緒にやろうよ(´・ω・)」と辞職しても誰かが復職の世話してくれるので、なんだかんだ言いつつ野に埋もれることはありませんでした。
 もっともそうした復職も、野に放っておけば西郷隆盛のように反乱を起こすかもしれないという懸念から、政権内に取り込んでおくという思惑も強かったそうです。それで反抗心が異常に強かったそうです。

 なお明治天皇からは「西南戦争の英雄」と高く評価され、谷の復職についても明治天皇の意向が強かったそうです。それだけに農商務大臣を辞めた際は「復職してくれるならどのポストでもいい、教育とか好きだったから教育大臣とかどう?」(過去に学習院院長もしている)などと、優先的にポストが提示されています。ただこの時は、議会の中で暴走を食い止めるべく貴族院議員を選んでいます。

 その後、貴族院議員の重鎮として名を馳せますが、ここでもほかの華族を率いて政府の方針に反発しまくり、あまりにも反発しまくることから当初は谷と行動を共にしたメンバーも、後期には彼と距離を置くようになっています。この時に限らず、「悪い奴じゃないんだけど」といろいろ世話して食える人は周りにいたものの、伊藤博文や山縣有朋らのように独自の派閥を形成するほど谷の周りでは徒党が形成されなかったように見えます。

 以上のように自分の見立てでは、主張や反発が激しいながら行動や発言に一貫性がまるでなく、政権にとってすればなんにでも反対してくる厄介な奴でしかなかったんだろうなという評価です。天皇家への忠誠心があったからこそ周りも大分理解してくれていますが、恐らくこれがなければ厄介な人物として暗殺されていたのではと思う節があります。
 概して大局観が一切なく、目先の問題にとらわれて過激な反対運動を展開する人間だったとしか自分には見えません。もっとも西南戦争で見せた軍事指揮や、議論においては理路整然と話すなど能力が高かったのも間違いないですが、その能力を大局観なく奮うもんだからいろいろ迷惑な人間だったようにも見えます。何か処理しなければならない課題が目の前にあれば活躍したでしょうが、なんにでも反対するもんだから反対派のシンボルに担ぎ上げられることも少なくなく、伊藤や山縣と比べるとその評価が低くなるのも自然な結果かなと思います。

2023年7月28日金曜日

夏場は長雨が重要?

 今朝、上海は台風が来たんじゃないかっていうくらいの豪雨で何度も雨音で目が覚めましたが、出勤時には雨が止んだので問題なく会社に来ることできました。こうした豪雨はこの1週間ほぼずっと続いており、晴れた日の方が少ない有様です。
 その甲斐あってか気温はぐんぐん下がり、夜なんか冷房かけていると逆に寒くなり、また扇風機オンでこれまで寝てましたが、昨日一昨日なんかはその扇風機を消しても余裕で寝られるくらいになっています。ぶっちゃけもう今年の夏のピークは越したんじゃないかなって気がします。

 こんな感じで今年の夏過ごしてて思いますが、夏場ってやっぱ長雨が非常に重要だなという風に感じます。あんまその筋の専門じゃないですが、日差しというのは夏至こと6月末が最も強いのですが気温の方は大体7月末から8月初旬に年内ピークを迎えます。1ヶ月くらいのタイムラグがあるのかというと、最初に地温が温められて、それから空気が1ヶ月間を経て徐々にあったまってくるからだそうです。
 逆を言えば、降りかかる日差しの量が少なければ少ないほど最終的な暑さも変わってくるということで、日差しの強い夏至のあたりにどれだけ雨雲が空を覆って日差しを防ぐかはその夏の暑さを大きく左右するんじゃないかと思います。もちろん夏至に限らず、7月も雨雲がどれだけ出たかは重要になってくるというわけです。

 それで何が言いたいのかというと、ゲリラ豪風のように一度に雨が降るのと、細々とした雨が長々続くのでは後者の方が夏としては涼しくなるんじゃないかというわけです。実際去年と今年の上海が上記のような状況で、今年は割とパラパラ降る雨が多くてそのおかげで今くらいになって大分気温が落ち着きましたが、去年は8月中も死ぬような暑さで自分が上海にいて過去一且つぶっちぎりで暑かったです。

 そういう意味では、ゲリラ豪雨をいかに分散させて細く長く雨を降らせるかが、地球温暖化にとっても災害対策にとってもかなり重要になってくるんじゃないかと勝手に思っています。最近知ったのですが、この辺の雨雲とかって湖とかを人工で作るだけでも結構気候にも影響するらしく、河川工事とかそういうのでもいろいろ変わってくるのかもとちょっと思うようになってきました。
 実際にというか、世界最大のダムの三峡ダムを中国が作ったから中国の気候はおかしくなっているという声は中国国内でもよく聞かれます。ならば三峡ダムほどとはいかずとも、ゲリラ豪雨を防ぐような人工湖やため池みたいなのをうまく配置できないものかと思え、その辺の研究とか進めばいいなと勝手に思っています。

2023年7月27日木曜日

第二のビッグモーターは現れるか?

 連日ビッグモーターのニュースが続いていますが、掘れば掘るほど出てくるというか街路樹枯らしていたとか草も生えない内容ばかりで毎日楽しんでみています。このほかにもサイン偽造、違法走行、不当要求などがネットで指摘されているだけに、あと1ヶ月はこのニュースは続くと思うとウキウキした気分になります。
 っていうか個人ではなく法人ってのはありますが、ネットで過度な誹謗中傷してはならないと最近言われる中、どれだけ叩いても非難されないどころか、過去の悪事を批判しきれない存在ってのは本当に希少だと思います。

 それで本題ですが、結論から言うと恐らくこれから第二、第三のビッグモーターともいうべき業者が報じられてくるのではないかと予想しています。今回の事件を受けて中古車業界がブラックだと思われなくないという業界からの声がたまに報じられていますが、中古車屋、特に大手はビッグモーターに限らず強引な営業ぶりで悪い評判をよく聞きます。それだけに今回のこのビッグモーターの事件を受け、「実はあそこも……」的な感じで、騒動が波及していくのではないかという風に考えています。

 具体的にどういった問題行為があるのかというと、やっぱりよく聞くのは買い叩きです。タマとなる中古車を得るため売却希望者に一回でも見積りを取りに行ったらしつこく何度も売却をするよう求め、でもって売却してもらえる段階になったら急に見積り価格を下げるといった話をよく聞きます。中でも笑えたのは見積りで、「9万9800円でどうですか?」と、売却なのに何故かねんだを小さく見せようと10万の大台を切ってきたという話を昔見たことがあります。

 ただこの問題行為を繰り返す中古車屋ですが、いろいろ聞く限りでは実は四輪ではなく二輪の方が根深いという噂をよく目にします。四輪と比べると市場が限られてくるためかあまり目立たないものの、ビッグモーター同様にテレビやラジオCMをバンバン流す大手ほど営業の仕方が強引且つ悪質だとよく聞き、次に槍玉にあがるとしたら内心二輪中古車チェーンじゃないのかなと勝手に思ってます。
 私としてはこうした業者が市場を歪めるだけに、せっかく社会が大きく注目しているのだから叩けるうちに叩くべきだという風に考えています。別に何か私が動かなくてもきっと波及してくと思いますが、この際だから禍根を一気に絶つよう、二輪化四輪化に係わらずこうした悪徳業者は市場から淘汰すべきでしょう。何もしないくせに偉そうなこと言うなって自分でも思いますが。

 なお自分は車は割と好きだけど中国にいるせいでこの10年一度も運転しないままゴールド免許となりました。あと中古車に関しては、埼玉県三郷市にでっかい中古車ヤードがあって越谷レイクタウンとかにサイクリングする際に無駄にあのあたりも走ってました。行けども行けども中古車ヤード、たまにロードサイドの飲食店が広がるあの埼玉の道はずっと走っているとなんか精神衛生的に悪い気がします。

2023年7月25日火曜日

中国の突然の外相交代

 今日のビッグモーターの記者会見は下手なコントよりずっと面白く、恐らく歴史に残ることでしょう。ちなみに自分が現場にいて質問できたとしたら、「あとどれくらいシャバにいられると思いますか?シャバにいられる間にやっておきたいことは何でしょうか?」と聞いてます。
 そんなわけでビッグモーターの話と思いきや、マクドでご飯食べて帰宅しようとした矢先に友人からメッセージが送られ、以下のニュースを知りました。


 かねてから1ヶ月間表に出てこなかった中国の外交部部長(外務省の外務大臣に相当)である秦剛氏が、今日突如解任されたと発表されました。変わって外相となるのは前任者でもあり日本大使も長く務めた東大卒の王毅氏で、「やってねおめでとう(/・ω・)/」と中国人の友人が言ってきました。
 まぁ実際のところ、日本の政治家も王毅氏とは交流あるし、また口ではきついこと言いながら日本に対しては必ず配慮してくれるツンデレ屋さんなので、プラスになるかどうかは未知数な点はあるものの、日本にとって彼が外交の表舞台に立つのは絶対的にマイナスになることはありません。

 ただそれ以前に、外相という最重要閣僚である人物が任期途中でこのように解任になるというのは中国では普通あり得ません。私自身も、1ヶ月間音沙汰なくてもまた素知らぬふりして復帰してくるだろうと思っていただけに、今回のこの発表にはかなりビビってます(;´・ω・)
 なお中国国内ではこの1ヶ月間、秦剛氏の姿が見えないことについて一切報じられていませんでした。そのため日本語ニュースを見たりするなど外信に触れている中国人を除いては、彼が失踪していたという事実すら把握しておらず、話題を振っても「え、何それ(。´・ω・)?」とマジでこんな反応されました。

 でもって解任が発表された今日に関して言うと、中国国内では解任、そして王毅氏の再登板のみが報じられ、解任の背景など詳細については一切報じられていません。またニュースに関するネットユーザーのコメント欄では

「王毅氏なら外務大臣の風格がある」
「王毅氏はいい男だ」
「王毅氏なら問題ないね」

 などと、王毅氏を誉めそやすコメントしか表示されず、「秦剛に何があったんだΣ(゚Д゚;≡;゚д゚)」的なコメントどころか、「秦剛」の文字すら一切ないのは見ていて楽しいものがあります。逆を言えば、それだけ中国政府も触れられたくないのでしょう。
 なお王毅氏がグッドガイなのは私も認めます。

 では一体何が起きたのか。報道ベースではどうも香港の女子アナと不倫していたのが規律に引っかかったなどと言われていますが、芸能人との不倫くらいで規律に引っかかるなら共産党からは幹部はいなくなるはずです。となるともっと大きな違反事項があったとみて間違いないのですが、一部コメンテーターが指摘しているように、何らかの重要情報を米国などに漏らしたくらいじゃないと、ここまでの処分は起きないと私も思います。その流出ルートに香港の女子アナがいたとすれば、従前の報道とも合致してきます。

 もっともこの辺は裏付けが取れないのでこのまま真相は闇の中へ入っていくでしょうが、秦剛氏は突然抜擢されたのと、年齢的にも次期総理、総書記も狙える立場であっただけに、習近平執行部への打撃は小さくないと断言できます。更に言えば、現在半導体や水産品を巡って日本とも通商外交で揉めていますが、恐らく中国外交部は今かなり混乱の最中にあるのではないかという気がします。だからこそ、既にほかの役職にもついているとはいえ経験者である王毅氏を無理くり引っ張ってきて、この混乱に対処しようとしているのでしょう。
 もっとも、外交以上に国内経済の方が中国はかなりやばいと思います。日本の轍をそのまま踏もうとしているというか、不良債権処理を先送りして内需刺激に走ろうとしており、マジで自分が習近平の側近なら「痛みなくして改革なし」ってアドバイスしています。

2023年7月24日月曜日

丸目インプレッサ、再び……

 またつまらぬものを作ってしまった……(´・ω・)


 見ての通り、GD型(2代目)初期のインプレッサのプラモを週末に作ってました。このモデルは以前にもWRC仕様で作ったことがありましたが、そちらのキットだとライトが黒目だったりしてフロントデザインがやや異なり、通常版も前から作ってみたいと思っていたところ何故か通ってる店がこのキット入荷したので、後先考えずに購入しました。


 このブログを始めた当初にも書いていますが、凛々しいデザインだった初代インプレッサからこちらに切り替わった際は、そのでかい丸目ライトから「デメキン」、「ボスボロット」などと揶揄され、私も「どうしてこうなった(´・ω・)」的な失望感を抱いたこのデザインでしたが、何故か年月を経てみるとほかにない独創性が胸を打つようになったのか、伝説の22Bに連なるGC8型も大好きですが、こちらのGD初期型もかなりお気に入りの一台になってしまいました。

近くにあったのでドイツ戦車兵とともに激写

我ながらよくこのリアエンブレムとデカールつけられたと思う。

 改めて思いますが、90年代から00年代初頭にかけての日本車のデザインはやばいくらい珠玉過ぎる気がします。近年の中でも最新のカムリとか嫌いじゃないですが、R34GTRをはじめ圧倒的な個性感をもった当時の車に並ぶものは今はありません。っていうか昔の車は今と比べやや細身で、スタイリッシュっていうところが大きい気がするけど。

次の選挙で試されるのは公明党

 先ほど友人とチャットで久々に日本政治について話をしましたが、報じられている通り岸田政権の支持率はサミット以降、見事なまでに右肩下がりです。っていうかサミット終わった時点でマイナカードは文字通り見えている地雷になっており、時間が経てば経つほど表面化して支持率下がるのは明らかだったにもかかわらず選挙に出ないという心境は、なかなかに理解しがたいものがあります。豊作でコメ相場が下がるの確実なのに、手持ちの米を売ろうとしないというような相場勘で、前から分かってましたが岸田総理の政局勘はかなりやばいです。

 それでも今現在は、ジャニーズ事務所問題、広末不倫、ビッグモーターの不正、ソフトバンクの悪夢の12連敗などこれでもかというくらい耳目を引くニュースが続出していることもあり、岸田政権への批判はあまり目に入ってきません。しかし仮にこうしたビッグニュースの波が途絶えると、恐らくマイナカード問題が再び俎上に挙がってくるとみられ、今後ますます支持率が低下していく可能性は十分にあるでしょう。
 そんなわけで岸田政権には逆風が吹いていますが、自分も友人もそれほど自民の大敗にはつながらないという見解で一致しました。理由はごく簡単で、野党への支持が一向に広がらないためであり、恐らく自民は今よりは議席落とすかもしれませんが投票率が低水準にとどまり、過半数は確実に確保できるのではないかとみています。むしろ試されるのは政権与党の一角である、公明党でしょう。

 公明党の支持母体は言うまでもなく創価学会ですが、同組織は平成に入って以降は一貫して信者数が右肩下がりであり、現在はもはやいわゆる二世、三世しか新規加入者がいないと言われています。仮に厚生省の思惑通りに少子化対策が効いて子供が増え続けてれば党勢も拡大したでしょうが、現実はさにあらず出生率は先細る一方で、その煽りを食らって創価学会も縮小傾向にあり、年を追うごとに選挙における動員力というか票田も縮小しています。
 特にその地盤とする東京都議選においては近年、創価学会の苦戦が激しく伝えられるようになってきています。またそうした苦しい台所事情もあり、自民党との票の割り振り、候補者一本化でも揉めることが多くなってきており、自民党もかつてほど公明党に対し票田的な期待を明らかに持たなくなってきています。それどころか、無駄にポストを分けたり、公明党の政策取入れなど気を遣うことにたいし、熟年夫婦の如く倦怠感すら見せています。

 仮に公明党と別れる場合、自民党としては比較的思想が近く、改憲勢力に組み込める維新の会が現在存在しており、実際に幾度か公明を落として維新と組むのではないかという憶測のぽつぽつ出てきています。それでもまだ実行に移さないのは、公明を切る大義名分がやや薄いのと、票田としての価値はまだあるとみられているからでしょう。
 それだけに次回選挙で公明の動員力が落ちたり候補者擁立で揉めたりした場合は、自民は維新との連立に向け一気に動き出す可能性が高いと私は見ています。私自身は維新の会に対してそれほど期待感は持っていませんが、改憲自体には賛成派ということもあり、改憲までの間だけでも組むのは有りだという立場を取ります。

 そういう意味では、護憲派は今この段階においては野党に票を入れるよりも公明党に票を入れる方がその目的は達成しやすいかもしれません。恐らく公明党もそれを踏まえて護憲を次回選挙で強くアピールしてくるかもしれません。