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2012年8月19日日曜日

天皇のタブー性

 以前の記事でも書いたように韓国の李明薄大統領が天皇に対して謝罪を求める声明を出したことによって、現在日韓関係が急激に冷めてきております。心なしかYahooニュースのエンタメ欄も韓国系アイドルの報道が急に見えなくなったようにも思えるのですがそれは置いといて、今日はちょっと思うところがあるので日本の天皇に対するタブー性について自分の意見を書こうと思います。それにしてもいい時代になったもんだ、以前に叔父が「わしが若い頃に核保有議論なんかした時点でクビ飛んだで」と言ってましたがきわどい意見が随分言いやすくなってる気がします。

 まず今回の日韓関係のこじれのそもそもの始まりは李明博大統領の竹島訪問ですが、今これだけ日本人の感情が悪化しているのは訪問したという事実よりも、先に書いたように天皇への謝罪要求でしょう。この辺、多分見ていてくれているかと思いますが韓国にいる友人に聞きたいのですが、日本の報道の一説によると土下座や両足を縛って謝れというような過激な文言も入っていたそうで、本当かどうかはわかりませんがかなり強気な発言だったのは間違いないようです。
 私自身としてはこれが李明博大統領の国内対策のための発言で日本向け発言でないことは重々承知ですが、それにしたってあまりにも唐突感が否めず、何故ここで急に天皇を持ち出すのかいろいろと疑問に感じます。それとこれも以前に書いていますが、日本における天皇の特殊性は対日外交官であれば知っておかねばならない内容で、どうして発言前に韓国の外交部署の人間は止めなかったのか、一体韓国の官僚は何をやっているのかとかえってその能力に疑いを持ちます。

 そんな天皇ですが、大日本帝国憲法において「神聖にして不可侵」と書かれていたように日本におけるタブー性は群を抜いております。さすがに戦前ほど極端ではないにしろ戦後の歴史を振り返れば年々そのタブー性は高まっており、1945年以降としては多分今がピークだと思います。
 私がこういう風に考える根拠として、以前に読んだ半藤一利氏の「昭和史探究」という連載でまさにこの天皇タブー性が触れられていたからです。半藤氏によると、戦後直後に昭和天皇は各地を巡行して一般市民とも会話を交わすなど、GHQなどからの追及を避ける目的もあって「開かれた皇室」を目指したと書かれてありました。その「開かれた皇室」がピークとなったのは今上天皇の皇太子時代にあったご成婚パレードで、当時が一番国民と皇室の距離が短かったと分析されてあり私もこの説を支持します。

 ではそれ以降は何故皇室のタブー性が高まっていったのか。この点については自分のような素人が口出しするべきでなく専門家に任せますが、具体的事例は敢えて挙げませんが現在の皇室は明らかに昭和の頃と比べると「菊のカーテン」が厚みを増しています。一つだけ素人っぽい理由を出すと、天皇のタブー性が高まったのはいわゆる自虐史観に対する反動もあるかと思います。90年代に「新しい歴史教科書をつくる会」などができるなど戦前の日本をただ批判するだけの言論に対する巻き返しが起こりましたが、それこそ正当な批判ならまだしも天皇制に対して感情的で俗っぽい批判をする左翼活動家に対して私も強い反感を覚え、高校生の頃は逆に天皇制に親近感を感じるようになった気がします。

 ちょうどいい機会なので当時の左翼とされる言論者たちの天皇制批判について具体例を挙げると、最も代表的なのは「週刊金曜日」の佐高信がやらかした「皇室コント事件」です。これはあまりにも下品過ぎる内容なので、リンク先を閲覧ください。
 また自分自身が直接見た中だと2006年に京都市内で格差社会問題に対するシンポジウムがあるというのでとある公会堂に足を運んでみたら、これまた天皇をモノマネして茶化す非常に下品なコントが延々と続けられて肝心要の格差社会についてはなかなか議論を始めず、見ていて腹立ってきたので中座して帰ったことがあります。それにしても大学生時代とはいえ、こういうのによく自分も足を運んでいたもんだ。

 皮肉な話ですが天皇制を貶めようとする活動が度が過ぎ、かえって日本人の天皇制意識を強化したのではないかというのが私の意見です。外国人にはなかなか理解できないかもしれませんが、日本人にとって貶したり、肯定的以外に天皇制を話題にすることは理屈抜きでタブーで今回の韓国との問題はずっと尾を引くでしょう。

 最後に自分の天皇制に対する見方を書きますが、国家として見るならばロイヤルがいる方が外交チャンネルが多くなり、単純に機能として有用であるから護持すべきだという立場を取ります。それこそアメリカやフランスといった国は日本やイギリスと違ってロイヤルがいなく、大統領自身が外交の矢面に立たざるを得ず、そうした役割を日本の政治家に期待するというのはファーストレディ共々不可能だと思いますし。
 あと蛇足ですが今上天皇のあるエピソードの中にこんなのがあります。

 時折、くだけた一面も覗かせる。登山時に天皇の姿が見えなくなった折、取材のため同行した新聞記者が天皇のことをうっかり「おとうちゃん」と呼んだところ、記者の背後に突然現れ「おとうちゃんはここにおりますよ」と冗談めかして言い、驚かせたことがある。(Wikipediaより)

 なんかこのエピソードだけで今の天皇はいい人だなぁと感じました。

2012年8月18日土曜日

オリンピック中に中国で盛り上がった話題

 コメント欄でリクエストを受けたので、今日は先日に閉幕したロンドンオリンピックの最中に中国で盛り上がった競技について簡単に紹介しようと思います。それにしてもこのところは中国ネタが続く、需要があるのはいいんだけれど。

 まず率直な感想として一番盛り上がったのは、ほかでもなく水泳の飛込みだった気がします。中国はこの競技の女子シングル、ツインとかで前大会に続き金メダルをほぼ独占しており、元々人気競技であることから新聞などニュースの取り扱いもでかかった気がします。これは中国に限らずロシアなど旧共産圏に一致することですが、どうも連中は甲乙つけがたいというか、得点評価の難しいこういう飛込みとかバレエ、フィギュアスケートなどといった競技をやけに好むところがある気がします。逆にアメリカなどバリバリの資本主義国はタイムがはっきり出る陸上とかが好きな感じしますけど。
 話は戻って中国で盛り上がったオリンピック競技ですが、私が特に扱いがでかいと思ったのは女子水泳バタフライで金メダルを取った選手です。名前は忘れてしまいましたが叩き出した記録が男子の最高記録を上回っていたことから欧米から「ドーピングしてんじゃね」とクレームをつけられてましたが、少なくとも現時点で検査違反などの報告は出ていないからやっぱり欧米のやっかみだったんでしょう。ただこうした欧米の批判に、「何故中国選手が金メダルを取ったら文句言われなきゃいけないんだ」とやや民族意識を伴った声が出ており、変な話ですが通常以上に注目されることになりました。

 あと最後、というかある意味一番議論が盛り上がったのはほかならぬ陸上ハードルの劉翔選手です。日本でも大きく報じられていましたが2004年のアテネ五輪でアジア人として非常に貴重な陸上短距離金メダルを取った彼は次の北京五輪でも大きく期待されておりましたが、結果はなんと試合に出る前に棄権という、中国人を大いに落胆させる内容でした。
 そして今回のロンドン大会。大会開始前から集団練習に参加しなかったり休養を取るなどしてかなり怪しい行動を取っていましたが、いざ本番が始まるやなんと一本目のハードルで転倒、そしてそのまま退場という内容で、こっちの新聞にも「悪夢再び」という見出しが躍りました。ただ劉翔選手は一旦退場した後、片足ケンケンで戻ってきて競技場を一応完走し、最後にハードルにキスをするという行動を取りました。

 この一連の行動に対し翌日の中国紙では、大半は「よく頑張った」的な彼を擁護するような論調が目立ちました、っていうか10ページくらいに渡って大きく特集が組まれ期間中としては最大の扱いがされてました。しかし一部の新聞に限っては、大会開始前に棄権しなかったのか、このレースでアキレス健を切ったといっているが本当なのか、なんで中国に戻らずロンドンで手術を受けるのか、調子が悪かったのであればほかの選手に代表を譲るべきではなかったのか、というように疑問を並び立てているのもありました。
 では一般中国人の反応はどうだったのかですが、少なくとも私が見る限りだとにしおかすみこ(最近マイブーム)ばりに「がっかりだよ!」という具合で、前大会といいこいつは一体何やってるんだと呆れる声が多かったように聞こえます。私の上海人の知り合いなんか最後に競技場に出てきたことに対し、「パフォーマンスが過ぎる」とむしろ批判していました。多分メディアは監督官庁からのお達しで擁護してやれと言われて書いたものの、世論としてはやはり批判的だったというのが私の見方です。

 このほか日本を余裕で打ち破り中国が金メダルを獲得した卓球ですが、こっちではそれほど大きく話題にならずむしろ「金で当然!」という雰囲気でした。確かに中国は卓球のプロリーグがあり世界でも断トツの強さを誇っておりますが、現時点でスポーツとして根強い人気があるというわけでなく、強いけどみんなやってるわけじゃないスポーツになってる気がします。逆にサッカーは人気が高いのに弱いというジレンマがありますが。

2012年8月16日木曜日

魚釣島上陸者逮捕に対する中国の反応

 昨日も中国ネタを書いたのにまた今日も書くことになるとは……。

中国外務省、14人の釈放要求を繰り返す(NNN)

 もはや説明するまでもないでしょうが、香港から出向し尖閣諸島こと魚釣島に上陸した中国人活動家を日本が逮捕した件で、こっちも昨日から大騒ぎになっています。昨日の新聞の一面はほぼすべてが連続殺人犯の射殺された死体でしたが、今日は今日で尖閣諸島関連の写真が経済誌を含めてトップを飾りました。なおちょっと面白い話を書いとくと、頼んでもないのに配達してくる中国版恐怖新聞こと人民日報だけは全く関係ない話題が一面トップでした。

 こちら側の反応ですが概ね日本でも報じられている通り、日本側の対応への非難と逮捕者の即時解放を要求するというもので特にこれと言って私から紹介するようなものはありません。なので中国側の意向と今後の展望について軽く書いておくことします。
 まず今後日本が取るべき対応ですが、やはりすぐにでも逮捕者を強制送還することに限るでしょう。弱腰だといわれるかもしれませんが日本も中国もこの問題で長々争って得することは何もありません。また以前の漁船衝突事故の場合は海保の船が損傷するなど刑事事件に発展せざるを得ませんでしたが、今回はあくまで上陸だけで不法入国だけです。以前の小泉政権時代も全く同じことが起こりましたが、その時もすぐに強制送還処置を取ることで大ごとにまで発展することはなく、今回もこの轍を踏むべきでしょう。

 中国側をかばうというわけではありませんが、私が見る限りだと向こうもそれほど大事にしたくはないというメッセージを出している気がします。まず今回の上陸船出航前には「あまり薦めない」としてやんわりですが制止をかけており、これを受けてか台湾で合流する予定だった活動家は今回参加しませんでした。また上記リンク先のニュースによれば北京にある日本大使館への抗議デモも当局が止めてくれているようです。こうした中国側のメッセージに対して日本もある程度応じるべきで、さっと返して早くお互いに忘れてしまうことが一番です。

 もちろん中国側がこういうメッセージを出していると鵜呑みにしてはならない、っていうかしてはいけない国なのですが、今の中国の状況を考えれば今回に限れば信じてもいいのではないかとみております。まず前にも記事を書きましたが中国は今年十月に党大会を控えて政権交代をする予定ですがこの直前の今の時期にあれこれ政治問題を起こしたくない、胡錦濤総書記にとっても晩節を汚したくないのではないかと予想されます。さらに中国の経済は未だに好調ではあるものの、これまでの成長率が半端じゃなかった反動からプラス成長を保っているものの、景気減速によって資金繰りに悩む企業が増加するなどちょっと今の経済は微妙な状態となっています。輸出成長率も先月は1%台だったし。
 今の状態で日本との貿易関係が悪化したら、恐らくダメージは日本側のが大きいでしょうが中国側も相当の物を覚悟せざるを得ません。特に最大の貿易相手先であるEUがあっぷあっぷしている最中で、ただでさえ日本やアメリカ、東南アジアとの取引を増やさなければいけない時期なだけに、尖閣問題で言い争っている場合じゃないと考えるのは自然じゃないかと思います。

 そんなわけで私個人としては現在報じられているように、明日にでも逮捕者を強制送還してもらいたいのが希望です。もし変な対応を取ったら中国側も国内世論を気にしなければならず、2010年のように通関を止めてくるということも場合によっては有り得ます。
 なお日本のメディアは中国側の反応として「環球時報」という中国の新聞をなんかあっちこっちで引用していますが、今日うちの上司とも話しましたけど、「あれ使うのはおかしいよね( ´゚д゚)(゚д゚` )ネー」ていうことで一致しました。というのも環球時報はタブロイド紙で、日本で言うなら夕刊フジみたいな感じで過激な意見を載せることで読者を取っている新聞で、中国の世論を反映しているかとなるとかなり微妙な新聞です。日本だって東スポの記事を日本人の意見として海外で紹介されたら困るだろうに。もっともこう言いながら、「一番過激な意見はこんな感じです」っていう具合で過去に日本の自治体に紹介したことは私もあるのですが。

 最後に話が脱線しますが、私は領土問題というか二国間関係では中国より韓国の方が今えらいことになっていると思います。多分これを読んでいる皆さんも知っているでしょうが任期間近の李明薄大統領が先日、天皇に謝罪要求(後に表現を訂正)をしましたが、滅多に怒らない日本人の逆鱗と呼べるのはかつてのBSEなど食品問題と天皇に関する事柄なだけに、今回の発言でヒビの入った日韓関係を修復するにはシャレ抜きで長い時間が必要になるかと思います。はっきり言わせてもらえばもう日本でコリアンエンターテイメントが活躍する余地は全くなく、すでに日テレが放送予定だった韓流ドラマを竹島関連で批判が高まっていることから放送延期を決めたそうですが、ほかの局も韓国関連のエンターテイメントを出せば視聴率どころか批判を集めることになるでしょう。
 更にこれは勝手な予想ですが、大抵の人間は「ここまで言ったらまずいよな」という悪口なり批判なりに自分なりのラインを持っていると思うのですが、一旦そのラインを越えてしまうとそれまでためらっていた発言内容をこれみよがしに繰り返すようになるとこれまでの経験則から私は感じます。これは即ち今回の天皇への謝罪要求を韓国は今後もためらわずに繰り返すようになるという予想で、そうなれば経済的な損失を無視しても日本人は国交関係を絶つのではないかと私は思います。それだけ日本において天皇という言葉はタブーであるという裏返しでもありますが。

2012年8月15日水曜日

中国の連続殺人犯の射殺について

 今朝の中国の新聞は控えめに言ってもとても面白かったです。というのも一般紙から経済専門誌に至るまでどれも一面トップに、昨日射殺された連続殺人犯の写真を持ってきておりました。

中国連続強盗殺人凶悪犯、重慶で射殺(人民日報日本語版)

 念のため言っておくと上記リンク先には写真の類は一切ありません。ただ今日の中国紙では大半が顔面部分にモザイクをかけていたものの、ものの見事に射殺されて横たわる犯人の死体を掲載しておりました。一部に限ればモザイクもありません。香港の新聞だったら車にひかれたり、高所から落ちた死体の写真をノーモザイクで載せることは多い、っていうか毎日1枚は載っているのですが、中国本土の新聞でこういうことは自分が知る限りだと初めてです。そのせいで香港にいた頃の同僚なんか、「アップルデイリーだけは私に見せないで」と明言するくらいでした。

 今回射殺された人物は周克華という人物で、2004年から現在に至るまで何度も強盗事件を起こしており、今月10日にも重慶市の銀行で強盗を行い1人を射殺、2人に重傷を負わせております。これまでに殺害した人物は10人にも及んでおり、拳銃を所持していたことから中国の警察も発見次第に射殺するように通達されていたのだと思います。
 最終的には昨日早朝に路上を歩いていたところを市民から通報があったのか警官が発見し、様子を探っていたところ発砲してきたために応戦し、4発を撃ち込んで射殺したとのことです。なお今日自分が読んだ新聞には「正義の銃弾4発」という見出しが書かれておりました。

 私個人がどうこう言うのもあれかなという気もしますが、この犯人に関しては前科が前科だけに射殺されてもしょうがないと思うのと同時に、ほんの少し前にも強盗事件で殺人を犯した上、拳銃を所持していたことから中国警察の対応は正しかったのではないかという気がします。ただ以前にも私は人質を取ったりしている立てこもり犯に対しては射殺条件を緩めるべきだと主張しましたが、そんな私ですら中国の警察対応を見ると時々ぞっとしたりします。
 以前に女性に刃物を突きつけ立てこもっていた若い男が警察に水を要求し、言われた通りに見るからにおばさんという感じの中年女性が持っていき犯人が受け取ろうとしたその時、そのおばさんがパッと懐から拳銃を取りだしこともなげに犯人の頭を正確に打ち抜いて射殺する動画(人質は無事)を見ることがありましたが、そのおばさんというか警察官が本当に自然な動作でやってのけた姿にはちょっとビビりました。

 何はともあれ今回の犯人は足掛け8年間にも渡って逃げ続け、上海でも以前に指名手配写真があちこちに貼られていただけにこっちではちょっとお祭り騒ぎになってます。射殺した警官2人は既に実名どころか年齢も出ていて、「20年以上も勤務した警官としての勘が……」などとインタビューに答えていますが、これから大規模に表彰されるそうです。今回の例は極端だとしても、日本も活躍した警官をもっと大規模に表彰することも必要なのではないかという気がします。

マツダ、1-7月の中国販売は12%減 中国紙「未熟」(人民日報日本語版)

 上の事件とは関係ありませんが、見ていて笑ったというか「言うなぁ中国」と思ったのでこのニュースも報じておきます。
 内容は今年のマツダの中国市場の売れ行きが悪かった、っていうか私も先週くらいにマツダ本社広報部に直接電話して販売台数を確認しておりますが、マツダが主張する不振だった理由に対して人民日報が、「言い訳がましい」と書いているわけです。以下抜粋すると、

「マツダ中国法人の山田憲昭会長兼CEOは『販売減少は主に自動車市場の低迷や酷暑・豪雨などの異常気象、競合他社の大幅な値下げなどの影響によるものだ』と述べた。
 マツダが販売減少の原因を『競合他社が強すぎるため』としたのは、これで何度目だろうか。自動車市場の低迷、酷暑・豪雨などの異常気象は、マツダだけに対するものだろうか。その他のメーカーは影響を被らなかっただろうか。
 これはただの言い訳だ。周知の通り、マツダは中国市場でいつまでも方向性を見出せないでいる。これは中国市場をないがしろにし、新車を出し惜しみしていることと関連している。世界のほぼすべての自動車企業が業務の重心を中国に移す中、日系企業の2流ブランドのマツダは、事の軽重をわきまえているのだろうか。今後も子供のように駄々をこねるならば、マツダに未来はない」

 確かに書いている通り、ほかのメーカーと比べてマツダが中国市場に最新車種を持ってくる時期というのは明らかに遅いです。日本では数年前にモデルチェンジしたアクセラを今年になってようやく持ってきたくらいですし、スカイアクティブ搭載車もまだ少ないです。
 それにしたって、「日系企業の2流ブランドのマツダは、事の軽重をわきまえているのだろうか」とまで言ってくるとは、まぁ一流でないことは事実だとしてもここまではっきり言ってしまうのかといろんな意味でびっくりです。ただマツダの中国市場戦略は私もいまいち読めないというか方向性がはっきりしていないと感じますし、マツダ関係者はこの記事を金言として今後に役立てるべきだと個人的に思います。

2012年8月13日月曜日

意志の強い人間について

 昨日の記事で私は人間の性格なんて言うものは環境によって容易に変わり得ると主張しましたが、その一方で環境に左右されにくい人間もいるのでは、そういう人間は一般的に「意思が強い人」なのではという意見を書きました。今日はここからさらに掘り下げて、意思が強いという人間について考察を書いていきます。

 まず意志が強い人間とはどんな人間を指すのかですが、私の中の定義ではどんな場所でも自分の意思を貫き通すというか、あきらめの悪いような人間を指すかと思います。それこそ受験勉強を例にとると目標とする学校に合格するためには膨大な量の勉強時間が必要となると、それを苦にせずきちんと果たすような具合の人間がそれで、逆に理想は高くてもその理想の実現に必要な努力をしようとしない、または途中であきらめてしまうのは「意志薄弱」と言えるでしょう。
 またある意味では妥協をしないというか、自分が正しいと思うことを信じ続けて、どんな逆境においてもそれを主張し続けるというのも意志が強いといえるでしょう。これも例を取るなら戦前の山本五十六など、勝てないとわかっている日米戦に対して暗殺予告が来ても主張し続けるようなもので、昨日の南原繁の話じゃないですがこういう人間が当時も今も日本には少ない気がします。どうでもいいですが南原の弟子の丸山眞男はあまり好きじゃないです。

 昨日にも書きましたがこうした意思の強い人間は恐らく、現代社会、というかほとんどの時代で爪弾きにあうでしょう。いつの時代、どの国でも直言居士というものは大抵煙たがられるもので、逆に妥協を是とする人間はどの時代、どの集団でもちやほやされるでしょう。またさらに言えば、意志の強い人間が変な方向に理想とか思想を持ってしまうのも非常に問題です。例は悪いですが極左やオウム真理教に走った人間はこの典型で、方向性さえ間違えなければと周囲の人間が言う世にその気真面目さがおかしな方向に行って世の中を悪くさせてしまう結果となりました。

 ここまで書いていると意志の強い人間はさも面倒くさそうな人間に見えてきますが、それでも私は意志の強い人間に強い憧れを持つと同時に、そうした人間を明らかに好んでいると言い切れます。私自身はどちらかと言えば意志が弱い方で言いたいことを時たまかみつぶすことがありますが、人間いうべき時は言わないと物事がおかしな方向へ行ってしまうと常々感じます。それこそ空気に支配された集団ほどどうしようもないものはなく、そうした空気に抗する人間というものは一定数は必ず必要だと思います。
 なんでこれほど意志の強い人間にこだわるのかですが、もうはっきり書いてしまえばこうした人間をないがしろにしてきたからこそ今の日本の苦境があると思うからです。オリンパスの損失隠しを例にとることなく、日本では問題に対して真正面から取り組もうとする人間がパージされる一方で責任逃れがうまい人間が出世していきます。このオリンパスの問題も外国人社長によって初めて明らかになったことを考えると、これは日本人、というより日本社会が劣っているという風に考えてもいいでしょう。

 また古くは山一證券でも、破綻の数ヶ月前にしっかりと対策を取っていれば破綻を免れたと元社員が書いているにつけ、責任逃れこそが山一を破たんさせた最大の原因のように思います。なんかちょっと話がずれてきているように感じますが、真面目に意志の強い人間がもっと世の中に出る必要があると感じつつあることからこうして記事にすることにしました。

2012年8月12日日曜日

環境によって性格が変わること

 あまり有名ではなく歴史の教科書にもまず乗ることはないでしょうが、戦後直後に東大の総長となった南原繁という人物がおります。この人の業績をいくつか書くと法学部出身で、サンフランシスコ平和条約の際には全面講和を取るべきと主張し、ソ連や中国を含まない多数講和を取った吉田茂に対して激しく批判した人ですが、確か戦後最初の東大入学式で行った講演は当時に大きく取り上げられ、新聞などに全文が掲載されと聞きます。その時の講演の概要ですが大まかに書くと以下の通りになります。

「日本人が何故勝ち目がないにもかかわらず先の大戦(=二次大戦)に入ってしまったのか、それは等しく日本人一人一人が独立した理性を持たず、周囲が開戦の熱気に盛り上がるや自分もその熱気にあてられ勝算や戦う価値を考えることをやめてしまったからである」

 文章自体は私が作っておりますが、大まかには日本人一人一人が冷静な思考を持ち続けていればあのような戦争は回避できた、といったようなことを言ったそうです。言われることまさにその通りに感じますし、ややもすると付和雷同しやすいとされる現代日本人にとっても耳の痛い内容に聞こえます。
 ただこう言っておきながらも、周囲の状況に抗して自分独自の意思というか個性を守るというのは至難の業だといっていいでしょう。これなんか社会学の代表的な学論で私もよく主張しますが、「人間というのは個性やその性格よりも周囲の環境に定義される」ものだと本気で信じています。

スタンフォード監獄実験(Wikipedia)

 周囲の環境によって性格が決まる、というより性格が変わるという代表的な実験として、上記のスタンフォード監獄実験というものがあります。非常に有名な実験で別名「アイヒマン実験」とも言われますが、この実験では参加者を看守役、囚人約に分けて刑務所に近い設備に入れてそれぞれの役割を演じさせたところ、看守はより看守らしく傲慢で暴力的に、囚人はより囚人らしく卑屈でおどおどするようになっていったそうです。もっともこの実験は禁止されていた暴力すら看守が途中で振るうようになっても主催者がそれを一切止めなかった、情報を完全に隔離するなど(実験中止は危険と見た牧師が参加者家族に伝えて果たされている)実験結果を一般的とするには問題となる要素も少なくないのですが。
 ただこのスタンフォード監獄実験ほど極端でなくとも、地位が上がるや急に傲慢な性格になったり、逆に移籍されるや大人しい性格になるなど、就く役職、または組織内の地位や支援者の数によって性格の変動が起こり得ると私の実感では感じます。

 では逆に、そうした周囲の環境変動に左右されずに一定の性格を維持できる人間とはどういったものなのでしょうか。それこそ最初の南原繁が言ったような、戦時中でも日本はこの戦争に勝てるわけないといえるような。
 言ってしまえばこのような人間は古い言葉でいうと「KY」と呼ばれるような、空気の読めない人間でしょう。ただ昔にも一度書きましたが、日本人は周囲の空気を過剰に読もうとしてそれこそ「空気に飲まれる」人間も少なくありません。そんな中で、というよりもそんな人間が多いからこそ敢えて空気を読まない人間、空気に支配されない人間が一定数いるんじゃないかとこの頃強く感じます。もちろん空気読めない人間ばかりというのもまた問題ですが。

 では空気を読まない人間とはどんな人間か、敢えて言い換えるなら「意志の強い」とされる人間がそういうタイプなんじゃないかとにらんでおり、このところ自分の周囲で誰がどんなふうに意思が強いのか観察しています。そういうわけで次回は意思の強さとはどういうことかを簡単にまとめて、具体例をいくつか紹介しようと思います。

2012年8月8日水曜日

中国とロシアの関係



 本日の上海市は台風直撃のため、飛行機が全便欠航になるわ各所で大混乱が続いています。自分の会社も午後4時で撤退を決めてその後は自宅で作業をしましたが、雨はともかく事務所周りでも並木が倒れるほど風が強く、話に聞く限りだと高層ビルが林立している浦東地区ではビル自体が風邪で大きく揺れ続けたために立ち入り禁止になったそうです。それにしても上の新華社の写真はいいシャッターチャンスをものにしている。
 そろそろ本題に入りますが、ちょっと久々に専門だと自認している国際政治の話を書きたいので、中国ロシアの関係について書こうと思います。まず結論から言うと中国のロシアに対する恐怖心というものは現在も相当なもので、トラウマと言ってもいいレベルにあると私は見ています。

中ソ対立(Wikipedia)

 中華人民共和国が設立して以降の中ソ関係をてっとり早く確認してもらうには上記のウィキペディアのサイトが一番ですが、ここで書かれている内容を簡単に説明します。
 まず中国の設立当初、中ソは同じ共産主義国家として非常に仲が良かったです。単純に毛沢東とスターリンがぎゃくさ…をためらわずにお互い実行するなど馬が合ったというか、この蜜月自体にはソ連から核兵器など様々な分野にわたって技術供与を中国は受けています。なお余談ですが、自分が北京に留学した際に最初に入った学生寮は、この蜜月時代にソ連の技術者が建てた寮でした。

 そんな蜜月時代が暗転したのはスターリンの死後にフルシチョフが立ち、かの有名な「スターリン批判」をしてからでした。現代においてはこのスターリン批判は至極まともな内容でまさにその通りとお墨を付けてもいい内容ですが、当時の全世界の社会主義者にとってはどうもイデオロギーの転換というか路線変換に移ったらしく、ちょっと想像しづらいですが相当にショッキングな内容だったそうです。これは中国にとってもそうで、米国との親和路線(雪解け=デタント)をフルシチョフが取ろうとしたことも相まって公にも激しい批判を毛沢東が繰り返すようになり関係が険悪化していきました。

 その後、これは私の想像ですが中国が1965年から文化大革命に入るとイデオロギーというか思想に対する意識が極大化したこともあって、もし戦争になったらどうなるのかなど関係悪化に伴うデメリットなど一切考慮せず、「ソ連憎し」みたいな感情が中国で広まったのだと思います。もうこのころになると国交は断絶状態に近いのですが、1969年にダマンスキー島事件という中ソの国境紛争がおこるなど、実際に火花も飛んでおります。更にソ連はアメリカに対して「中国を攻撃したらどうする?」と非公式に打診するわ(そしてそれをばらすアメリカ)、また機関紙でも中国への核攻撃を示唆するなどかなり強気な態度を取るようになっていきます。

 こうしたソ連の態度に中国側も恐怖心を抱いた結果、敵の敵は味方とばかりにアメリカとの国交回復に至ることとなりました。考えてみれば非常におかしな話ですが、元々フルシチョフの親米路線から対立が始まったのにアメリカと手を組むなんて、このころには目が覚めたというか昔みたいにイデオロギーだけじゃやってけないと毛沢東も考えたのかもしれません。
 なお断言しますが仮にこの時期にソ連が中国に対して戦争を起こしていたら、文化大革命で大混乱していた時期なだけに赤子の手をひねるように簡単に叩き潰せたでしょう。当時はアメリカもベトナムにかかりっぱなしで中国を助けることもできなかったでしょうに。仮にそうなってたらという設定で大友克洋氏作画で「気分はもう戦争」が書かれていますが、この本は自分も読みましたけど内容はちょっと……というものでした。

 話は戻って中ソ関係ですが、米国の後ろ盾を得たことで中国のソ連に対する軍事的脅威は一時緩和します。またその後に中国が改革開放路線に転じ関係改善を図るようになり、ソ連側もゴルバチョフのペレストロイカに入ったことによって現在のように普通の国交関係を維持するまでに回復します。

 ただここで現在の話に入りますがこのところの中国の新聞を見ていて非常に気になる点として、日本の北方領土問題に対して異常に大きな扱いで取り上げられていることが多いです。それこそこれまでの経緯から今後の展望に対する解説、果てにはキーマンとなる日本の政治家の個人名など事細かに1ページ丸ごと書いていることも珍しくなく、まるで自国の領土問題化の様な扱いです。内容に関しては中立を保ってはいますが、「ここで日本が譲歩すればロシアの拡大路線が強まる」などと書くなど、どちらかと言えばロシアへの警戒感が強くにじみ出た内容である印象を受けます。

 一体何故中国はここまでロシアに警戒するかですが、日本と違って陸続きであることも大きいでしょうが、歴史的にも油断のならない国だと認識しているのだと思います。世界史を学んでいる方には早いですが、過去にロシアはプラハの春やアフガン侵攻を筆頭に、傍若無人さでは中国にも負けないことを平気で何度もやっております。それだけに日本に対しては尖閣問題などでがみがみ言い合える関係だけれども、ロシアに対しては強く言ったらなにをしてくるかわからないというような、潜在的な恐怖感があるように感じます。

 上記を踏まえた上で私が感じる点として、日本は中国との衝突に対する後ろ盾をアメリカに期待する人が多いですが、これにロシアを組み込んだらどうなるのかとたまに考えます。もっとも二次大戦時には平気で約束破られて北方領土を奪われたのですから、あまり期待してはいけないのですが。

2012年8月7日火曜日

消費税増税法案を巡る攻防

 昨日は用事があったため午後6時台というかなり早い時間に帰ってきましたが、突然感染した夏風邪の影響から何もできず寝込んでいました。今日も本音では会社休みたかったけど、マジで病欠を認めてくれないところなので吐きそうになりながら出社して勤務を終えました。食欲ないから今日の晩御飯はバナナだけだし……。
 ただ今日の夕方位からちょっと持ち直して来ているので、明日には全快するでしょう。そんなわけで今日もブログを書いているわけですが、ようやく政治関連で動きが出てきているので個人的に好きな内容を書くことが出来ます。ここだけの話、見てる側はつまんないだろうけど政治系記事はすぐ書き終ります。

増税法案あす採決を自民容認=与党、不信任協力して否決(時事通信)

 当初は消費税増税法案可決後の解散を確約しない限りは三党合意破棄も辞さない姿勢を見せていた自民党ですが、ここにきて方針転換し、無条件で参議院での採決で賛成に回ることを決めたようです。私の意見を言うと、まぁ正解な対応だと思います。
 前回の記事でも書いていますが、確かに民主党が分裂した上に政権基盤が弱まっている野田首相を攻める上では今がこの上ないタイミングでしょう。ただ一旦増税に賛成しておきながら後になって党利党略でひっくり返すという手段は恐らくあまり政治に興味のない人たちにとっても変な行動に見え、実行していたら今の民主党以上の反発を受けることになったでしょう。もっともそれを言ったら、初めから解散を迫るために三党合意破棄をちらつかせなければベストだったのでしょうが。

 何はともあれこのままいけば、明日の野田内閣不信任決議も否決されて増税法案も可決といたるでしょう。私としては消費税増税はあと十年早ければと思えてならないのですが、ギリシャを笑ってられないのだし、これ以上遅れるよりはまだいいといったところでしょう。ただこうなると気になるのは解散の時期です。一応今の民主党の任期は来年までありますが、以前にも書いたように今上天皇の体調がすぐれないことから、可能ならば年内にやっておいた方がいいのではというのはという気がしてなりません。時期としてはやはり年末がいいですが、野田内閣が来年度予算の編成に取りかかったところを見るとどうもこのまま粘って寄り倒すつもりなんじゃないかと思います。
 それにしても愚痴になりますが、もうすこしまともな政治家、というより政治家志望の人間はいないものかとつくづく思います。維新の会にしろ減税日本にしろ、一部の人間かもしれませんが真面目に資質を疑う人間もおり、一体どういう基準で人選しているんだと言いたくなってきます。地方議員に至っては政治屋が大半だし。愚痴っても始まりませんが、次回選挙の際にはまともな議員が出てくることを切に祈ります。比例制をなくせばいいだけでしょうが。

2012年8月5日日曜日

野田内閣不信任案について

 本日、ハマコーこと浜田幸一元議員が死去したというニュースが流れました。なんかこの人はいい意味で殺しても死ななそうな人間だっただけに、この突然の訃報はなんかほかの人とは一味違うような感じがします。何はともあれ、ご冥福をお祈りします。

 話は変わって今国会における最大の山場こと消費税増税法案議論ですが、自民党を中心とする野党が野田内閣と結んだ三党合意を破棄し、逆に内閣不信任案を突きつけて止めを刺そうかと動いているようです。こうした野党の動きに対して野田内閣はあくまで三党合意を遵守するよう呼びかけていますが、特になにか新条件を出すわけでもないし正当性を訴えるわけでもないので私から見てもあまり説得力はない気がします。仮にこうした呼びかけを野党全体にではなく、やや立場がふらついている公明党に集中して呼びかけるというのであればまだ面白いのですが。
 もっとも説得力がないと言いつつも、私個人としては消費税増税に賛成であるためにこのまま参議院でも十てもらいたいのが本音です。ただ自民党の側からすると確かに政局的には今が追い詰める絶好のチャンスであり、また法案成立後に解散することを確約させる譲歩を引き出す上でも重要な局面でしょう。

 しかし仮にこのまま何も進展がなく三党合意を破棄し、消費税増税法案が流れたとしたら逆に自民党の立場が悪くなることも有り得ます。もしかしたら私だけかもしれませんがもしそうなった場合、消費税増税を煽っておきながらそれをフイにしたことで次回選挙時に「増税に反対した」、「増税を食い止めた」という宣伝文句がうすら寒くなり、むしろ党利党略を優先し過ぎて停滞を招いたと批判される恐れがあります。そんなわけだから仮に三党合意を無視して参院で否決されても、残り国会会期を考えれば衆議院に戻っても時間切れによって自動成立することは間違いないでしょうが、野田首相は敢えてここで解散に打って出てみると面白いかもしれません。もっともそんな大それたことをする度胸があったのは小泉元首相くらいでしょうが。

 ここで少し話をまとめると、今自民党が何よりもほしいのは解散だけです。民主党が不人気で分裂しているので解散に持ち込むだけで漁夫の利が得られるからです。しかし今の自民党は政権を奪回したところで何をするのか、はっきり言ってビジョンも何もなく、下野する前と比べればあまりにも地力が落ちた状態と言わざるを得ません。
 じゃあ今度はどこが来るのか、橋本大阪市長が率いる維新の会が来るのかなどという人もいるかもしれませんがこれには私は否定的です。別に維新の会が悪いとかそういうものじゃなく、友人曰く「あそこはスポンサーがいない」ということから、選挙を戦うことが出来ない上にこの前当て逃げした人みたいにやや烏合の衆しか集まっていない節があります。せいぜい橋本市長が国会議員になるだけで終わるでしょう。

 まぁこんな感じで、多分次回選挙後も日本は混乱が続くことになるでしょう。そのころには自分も日本にいるかどうかわかりませんが、少しでも良くできるように何かできればとは思います。

2012年8月4日土曜日

人材の当たり年とはずれ年は何故発生するのか

 学生時代の友人との会話の中に、やや不可思議さを感じさせられる年代の話がありました。その内容というのも、○○年生まれの世代は中学校時代に荒れていたというものです。
 具体的に何年生まれかまでは書きませんが、その世代が中学校に進学した際に私が住んでいた学区の公立中学は荒れに荒れて、暴力事件なども頻発していたそうです。ただこれは私の地元に限らず、遠く離れた都道府県出身の友人によると全く同じ年代がその友人の地元でも他の年代と比して荒れていたそうで、なんかほかの出身のどの人間に聞いてもピタリと年代が一致したそうです。この前にふと思い出したのでこの話を会社の日本人同僚に聞かせてみたところ、「そう言えば、その年代は僕の上位学年ですが荒れていたとよく聞きます」と、まさか中国でも同じ内容を聞くことになるとは思いませんでした。

 一応断っておくとその問題行動が多い世代というのはいわゆる「キレる17歳」世代ではありません。それにしたってこう呼ばれた世代は今、「草食世代」と言われているのだからマスコミは勝手だ。
 話は戻りますがこの不思議なことにその該当する年代の前後ではそれほど問題行動はなく、その一年だけが際立って荒れていたというのです。仮にある年代を境に問題行動が増えるというのであればなんとなく理解の使用もあるのですが、一年限定でこういった現象が確認されるというのは非常に珍しい話です。確かにその年代は詰め込み型教育からゆとり教育へ移る過渡期だったために一年ごとに指導カリキュラムが変わっていたというのは事実ですから前後の年代と異なる傾向を持つのも無理な話ではありませんが、それにしても極端過ぎるきらいがあります。

 そんなわけで何がその世代を全国的に荒れる方向へ持っていったのかいろいろ個人的に調べてはいますが、現時点でヒントすらつかめていない状態です。ただここで話は変わりますが、企業の人事担当者によると新人採用では当たり年ともいうべき集めた人間みんなが活躍する年もあれば、はずれ年ともいうべき誰も使えない年が明確に表れることがあるそうです。
 日本のプロ野球でもそう言った年はいくつか見受けられ、たとえば最近だと「ハンカチ世代」こと日本ハムの斎藤選手の年代は楽天の田中選手や広島カープの前田選手、巨人の坂本選手などぬきんでた選手が確かに多いように感じられ、また古くは「KKコンビ世代」、「松坂世代」もやはりなんかいい選手が固まっているような気にさせられます。逆にここだけの話、自分が生まれた年代はプロ野球で活躍する選手がやけに少ないような気がしてます……。

 仮にこうした優秀な層が年代によって固まるというのを立証できたらそこそこ面白い論文になりそうですが、はっきり言って原因は皆目見当が付きません。ただスポーツに限らず一般社会人、あと国家公務員でもこういった現象があると聞くので、少なくとも何かしら背景なり影響を及ぼす要素があるような気がします。
 なんでもいいから仮説を出せというのなら一つ上げるとすると、やはりその世代に対する注目度というものが大きく作用しているような気はします。先程のハンカチ世代だと前後の世代と比べてドラフトの時点で大きく注目されており、取り上げ方も何か違ったのではないでしょうか。それこそ監督やコーチの練習時の見方など。

 単純に言い換えるなら注目される分、評価してもらえるチャンスが多いのではということです。また注目されることでその年代自体も意識するようになり発奮していた可能性もあります。
 では現代の若者が「ゆとり世代」とされることはどんな意味になるのでしょうか。言ってしまえば何か失敗すれば「ゆとりだから」と言われて、成功をおさめたとしても「ゆとりなのに珍しい」となって、「さすが松坂世代」とは言われ辛いのではないかと思います。ここら辺は社会学で言うところの「予言の自己成就」ですが、無駄なレッテル貼りはよした方がいいんじゃないかというのが今日の私の意見です。

2012年8月3日金曜日

ゲームレビュー「コープスパーティ」

 どうも職場で風邪をうつされたのか昨日から喉がいがらっぽく、今朝起きたら関節痛とかでいろいろとだるい状態が続いています。あとこのところ本当に解説するようなニュースがあまりにもなくネタ切れが激しいので、この前日本から取り寄せたコープスパーティというゲームについて軽く書きます。

コープスパーティ(Wikipedia)

 このゲームのジャンルはホラーアドベンチャーで、私が今回遊んだのはPSP版です。結論から言うと非常に期待外れな出来で、買ったことを後悔するくらいひどい内容でした。
 まずなんでこのゲームを遊んでみようとしたのかというと、発売してから年月が経っているのに一向に中古価格が下がらなかったことがまず興味を引きました。これだけ値段が下がらないというのであればそこそこ評価が高いということだし、あと夏だからなんかホラーゲームがしたくなったということもあってAmazonで購入することにしました。

 ただ購入する以前から、ある種の地雷臭いうべきか不安がありました。というのもAmazonのレビューだと「シナリオはいいんだけど」とほぼ一様に書かれてあり、どうもシステム面とかゲーム性に問題がある節が見て感じ取れました。特にほとんどの人間が書いていたのは「ロード時間がやけに長い」という内容で、比較的値段が高い分、買って後悔はしないかと心配ではありました。残念なことにこの心配は見事に的中しました。更に言えば比較的評価が高いシナリオについてもにしおかすみこみたいに言うと「がっかりだよ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言いたくなるくらいのひどい出来でした。

 具体的にどの点が悪かったのかというと、まずはほかの人同様にロード時間です。このゲームは校舎内を探索するアドベンチャーゲームなのですが、教室を出たり階段を上り下りしてマップが切り替わるとキャラクターが数秒間、硬直して動かなくなります。それこそ昔のセガサターンやプレイステーションの頃のゲームと比べると屁みたいなロード時間なのですが、なんでマップもキャラクターも2Dドットで作られているのにこれだけ頻繁に硬直が起こるのかがすごい不思議です。仮に3Dマップのようにデータ量が大きいのならともかく、どう見たってしょぼいグラフィックなのにこれほどまでにロード時間を作るというのはある意味すごいんじゃないかと思うくらいひどいです。プログラムの組み方が極端に悪いのでしょうか。

 そして次に不満だったのは、このゲームにはゲーム性が全くないという点です。話を進めていく上で一応バッドエンドなどは設けられているのですが、そのどれもがアイテムを取ったか取ってないか、校舎内をうろつく幽霊にぶつかるかぶつからないかで決まるもので、「油断したら死ぬ」ってキャッチコピーがついていますが実際には「しょうもないことで死ぬ」といったところです。
 またアドベンチャーゲームでありながら話に分岐が全くと言っていいほどなく、ほぼ一本道のシナリオというのは手抜きもいいところでしょう。ゲームの最終盤に至ってパーティが二手に分かれてザッピングしながら探索するようになって少しは面白くなりますが、どうしてこれを最初からやろうとしなかったのか、探索というか決められた通りに物事を運ぶだけなのが非常につまらないです。

 そして極めつけがBGM。なんか主題歌も入っていますが控えめに言ってもあまりうまくない歌だし、歌詞も作品に合っているとは思えません。最もそう思うのはOPムービーが如何にも適当に作られた感じがする出来なのでそれに引っ張られている感もあるでしょうが。また探索中のBGMも、どう聞いてもダンジョンRPGに使うような変にポップなBGMで、探索している最中になかなか怖いと思うことが出来ませんでした。個人的にホラーゲームはBGMが命だと思いますし、PS2の「サイレン」とかSFCの「かまいたちの夜」などはBGMがムードに合ってたのが最大の評価点だと思います。

 肝心のシナリオについては目も当てられません。時系列上の明らかな矛盾があるばかりか、「ホラーというよりはスプラッター」と言われているからもっとバンバン人が死ぬかと思ってたらむしろなかなか死なないし。押切連介氏の漫画作品「サユリ」みたいな理不尽な暴力を期待していたのですが、ゲーム中に出てくるキャラクターは明らかにうかつな行動を取り続けて死ぬのが自業自得に感じてきます。ヒロインキャラに至っては例にって自分勝手に単独行動を取ることが多く、「むしろ早く死ね」とすら思えるくらい嫌悪感を感じるキャラです。

 自分でもここまで悪く言うのはどうかと思うのですが、本当に評価点が全くない作品です。真面目な話、どうしてこのゲームが一定層の支持を得ているのか全く理解が出来ません。まだ「ひぐらしの鳴く頃に」はわかるんだけど。
 唯一爆笑したところとして、「刻命」とかいて「キザミ」という名前の男子高校生が出てくるところです。全般的に名前のセンスがばね飛んでます。


2012年8月1日水曜日

10月開催の中国共産党全国代表大会について

 知らない方も多いかと思うので、今日はちょっと中国の政治制度こと中国共産党全国代表大会、通称中央党大会について解説します。

中国共産党全国代表大会(Wikipedia)

 よく中央党大会と勘違いされるものとして、毎年1回3月に開かれる全国人民代表大会(全人代)というものがありますが、これは日本語に言い換えるなら国会で、中国共産党員以外にも財界人なども参加して意見を言い合う大会です。
 では本題の中央党大会というのはどんなものなのかですが、こちらは5年に1回のペースで開かれるもので、ひとつ前が2007年に開かれたので次回大会は今年10月です。ここでは中国共産党内部の人事や重要事項の決定などが行われるため、先程の全人代と比べても重要度はこちらの方が遥かに高く、その意義も非常に重いです。

 この中央党大会では中国共産党のトップこと総書記人事も決まります。現在の総書記は胡錦濤ですが、彼は2002年、ちょうど10年前の中央党大会で総書記に就任しており、2期10年を務めた今年に退任することが確実視されております。今年の中央党大会は10月を予定しており、その時に現在の常務委員の習近平が総書記に就任することが確実視、というかもう決まっております。中国の次のトップというのは数年前の時点で計画的に決められており、習近平も大体2009年くらいには本命だろうとみられておりました。胡錦濤に至っては総書記に就任する10年前の1992年くらいに鄧小平から指名されていたと言われてますが。

 そんな中央党大会の開催を目前にした現在、一部のチャイナウォッチャーの日本人の間では次の人事はどうなるかという下馬評争いが激しくなっております。自分はあまり興味がないので加わっておりませんが、派閥を争いが好きなタイプにはたまらない話題らしいです。あまり詳しくない私ですが伝え聞くところによると、最高幹部会である常務委員会入りが有望視されていた以前の重慶市書記こと薄熙来が日本でも大きく報じられたように失脚したことから、代わりに誰が入るのかなどでそこそこ盛り上がっているそうです。
 そうした人事面での揉め事が影響しているわけではないでしょうがやはり5年に1回の大イベントということで、今現在の中国はちょっとピリピリした雰囲気になっています。身近なところだと最近メールが送り辛くなっていますし、また外国人に対して警官の職務質問が増加していると言い、日本大使館もパスポートを必ず携帯するようにと呼びかけております。

 最後にまた日本との尖閣問題についてですが、先ほども言った通りに今年10月に中国のトップは胡錦濤、温家宝と共に入れ替わります。これが何を意味するかですが、一つの仮説として退任するトップが辞める直前に尖閣問題で何か行動を起こしてくる可能性もあります。どうせ退任するのだから揉めるだけ揉めて、関係修復は次のトップにお任せということを冗談じゃなく中国はやってこれる国です。もちろん可能性があるだけで、実際にはそういうことはないと思いますが。

2012年7月31日火曜日

格差と教育

 教育とは何のためにあるかといえば一義的にはやはり全体の知識水準の向上ですが、副次的な要素として国家の力となる人材の育成と格差の是正があります。国家の力となる人材というのは代表的なのは官僚でそのほかとなると科学者や芸術家が挙がってきますが、これは裏を返すと国家の反逆者も同時に作ってしまうという面もあります。たとえば古来中国で行われていた官僚採用試験こと科挙を例にとると、確かに出自に関係なく優秀な人材を行政指導者に採用できた一方、大体どの王朝も科挙に落第した秀才止まりの人間が反乱起こして滅亡に追いやられてます。
 話は移って格差の是正ですが、これも科挙を例にすると「出自を問わない」というのが大きなポイントです。学力、いうなれば実力さえあれば金持ちだろうと貧乏人だろうと出世することが出来、機会の均等とも言ってですが貧困脱出の手段としても教育は大きな役割を果たしております。ただこの格差の是正に対する反論として、教育がさらなる格差を生んでいるという逆説的な意見もあり、今日はその辺と現状を簡単に解説します。

 まずこれまでの話として日本は諸外国と比べてよく、「東大にさえ入ればいくらでも成り上がれるから平等だ」と評されてきました。たとえどれだけ貧乏で有力者とのコネがなくとも、東大にさえ入れば官僚になりやすく、また民間企業でも出世しやすいという点で機会の均等は保たれていると言われてきました。ただこの東大に入るということについて近年、そもそも受験段階で格差が影響してきたという意見が強まってます。
 恐らく知っている方も多いでしょうが各大学に通う学生の両親の収入を調べたところ東大の学生は平均で一千万円を越すなど、他を突き放して断トツトップでした。この結果を取って有力者の子弟ほどまた有力者になりやすいとして、格差拡大に繋がっていると主張する人もおります。

 まず両親の資産が東大入学に影響するか否かといったら、相関しているとしか私も言いようがありませんしそれは事実です。では有力者の子息ほどまた有力者になりやすいのかについてですが、これは見方にもよって意見が分かれるかと思います。
 こっからは個人的な意見となりますが、最初の前提として東大が以前ほどブランド力を持っていないということ考慮に入れなくてはならないと思います。日本は少子化の影響で子供人口は減る一方で大学の定員は増えていき、かつては希少だった大学卒業生が今や多数派と言ってもいいくらい増加しております。東大単体を取ってしても、前は数万人に一人の割合だったのが大げさ位に言うと今だと数千人に一人くらいという具合に割合は確実に減少しており、以前ほどレアでなくなった分、社会での取り扱いも変わってきているでしょう。加えて最近は留学も一般的となり、「東大に入る価値」というものは軽くなっていると私は見ております。

 ただ東大に限らずとも、子供の学力はよく親の資産に影響するという意見も耳にします。これに関しては概ね同意で、毎月数万円の月謝を払って予備校に通えるか否かは教育指導要領の内容が大幅に削減されている今の学校社会だと明確な差となって跳ね返ってきます。また関東首都圏や学区制の如かれている京都や大阪などでは公立高校のレベルが私立高校に比べて低い傾向があり、自然と私立校に通えるほど余裕がある家の子弟が有利となる傾向があります。
 ここで唐突に結論を出しますが、よくいう大学の入学には親の資産が影響云々という議論は大学は関係なく、むしろその一歩手前の高校レベルでの公立と私立の差が影響しているのではというのが私の意見です。簡単にまとめると一部都道府県では公立校のレベルがあまりにも低く、私立校出身者が大学受験で有利となるために資産のある家が有利になる……といった具合です。

 公立公立とさっきから自分でも馬鹿にしてるんじゃないかと思うくらい悪く書いておりますが、これはあくまで学区制のある一部都道府県レベルの話です。逆に学区制のない地方、自分が知っている中だと愛知、岐阜、奈良の公立高校は下手な私立高校より受験体制がえげつなく、事実ある奈良の高校では日本史受験者に対し本来は一定度授業を受けさせないといけない世界史を一切教えずに日本史だけ教えるということを平気でやってました。でもってこの三県の上位公立高校出身者は明らかにものが違いました。
 ちょっと地元トークをすると実家のある千葉県の公立高校は大まかに学区が分かれていますが、それでも上位校と下位校ははっきり分かれてあり京都とかと比べるとまだ競争原理が働いています。ただ上位の公立高校はどうもブランド力で学生を集めている節があり、ある高校なんか数学のベクトルを高三から教えるなど明らかに受験体制になっていない授業を組んでて浪人率が異常に高くなってます。だからといって私立が優れているというわけでもありませんが。

 話を戻すと日本の教育における格差拡大効果を是正したいというのならば、大学をどうこうするとか授業料を下げる以前に、公立高校のレベルを引き上げることが最善ではないかというのが私の意見です。せめて大学進学を考えている人間に塾に通わなくともある程度戦える程度でいいのですから。
 最後にどうでもいい小話ですが、二年前に雑誌の企画で東大と京大の総長が対談してましたがどっちか片っ方が、「正直、今の大学受験のレベルで自分所の大学に入ってこれます?」と聞いたら、

「絶対ムリ(・ω・` )」
「だよね(・ω・` )」

 と話しており、お前らぶっちゃけトークも過ぎやしないかと思いましたがなんだか妙に好感を持ちました。

2012年7月30日月曜日

カーナビのカスタマイズの可能性

さあ、宇宙へドライブだ 「スターウォーズ」がカーナビに(Jキャストニュース)

 またスターウォーズグッズの宣伝となってしまいますが、ちょっと気になる商品があったので取り上げます。今回はなんとカーナビで、あのスターウォーズのBGMと共に道案内をしてくれる代物で、お値段なんと39800円。安いと思ってしまったのはフォースに染まりすぎだからでしょうか。
 ただこうしたカーナビ商品ですが先日にソニーが市場から撤退すると発表するなど、近年は同様のアプリを持つスマートフォンに押されてなかなか厳しいようです。私個人としても友人のスマートフォンが持つGPSシステムを見てこれで十分じゃないかと思った節があり、恐らく今後はどんどんとスマートフォンで代用する人が増えて専用機を使い人は減っていくでしょう。あくまで私個人の予想ですが、スマートフォンであれば規格がある程度統一されていることもあり、それこそ音声や機能といった面で差別化が測ったカーナビゲーションシステムアプリがよりバリエーションが多く出てくるのかと思います。

 具体的にどんなバリエーションが出てくるかというと、まず一番多く出てくるのは先程のスターウォーズ仕様のように音声やBGMで凝っているものでしょう。既に有名声優を使った音声でナビしてくれるカーナビなどもありますが、私個人としては7年前にカーナビを使っていた段階で今頃にはもっと多くのバリエーションが出ると踏んでいましたが、市場を見る限りだとどうやら頑張ってるのはクラリオンくらいでまだ種類としてはそれほど多く出ているわけではなさそうです。
 一番有り得そうだなと思っていたのは既にクラリオンが出しておりますが、関西弁でナビするというカーナビです。それこそ方向指示を間違えたりしたら、「右ゆうとるやないけ」と突込みが入ったり、しばらく直線が続くようであれば「ほな次の交差点着いたら起こしてや」と職場放棄するようなものが市場に溢れるのを期待していたのですが、需要がないのかまだお目にかかっておりません。

 ただ先程もいった通りにこれからスマートフォンで代用する人が増えれば、それこそ中の一部ソフトを買えるだけで発音する音声が変えられるアプリも出てくるかもしれませんし、もしかしたらもう出ているかもしれません。またまた登場のクラリオンさんは専用機でこの機能を既に実現させておりますが、「右方向です」と発声するところを敢えて「左方向です」と天邪鬼なシステムに変えたり、突然「ここでインド人を右に」を言わせたりできそうで、なんか見ていて気になります。
 ちなみにこれはカーナビではなくパソコンのキーボードの話ですが、会社で仕事している際に暇だった時に自動変換システムを弄って、「そば→うどん」、「うどん→そば」と変換するように何故か登録したことがありました。そんな登録をしたことをすっかり忘れた一年後、確か英文マニュアルの翻訳をしていた際に、「スイッチのそばにあるレバーを」と打ったつもりで変換したら「スイッチのうどんにあるレバーを」と変換されて真面目に「うどん!?」と目を見張ってビビったことがあります。余計な小細工はするべきものじゃないとこの時に痛感しました。

2012年7月29日日曜日

日本に影響を残した外国人~ダグラス・マッカーサー

 かなり久々となる「日本に影響を残した外国人」の連載ですが、今日は近代日本に最も大きな影響を残したと言ってもいいダグラス・マッカーサーを取り上げようと思います。

ダグラス・マッカーサー(Wikipedia)

 この連載を始めた段階でマッカーサーは取り上げる予定でしたが、書くことが非常に多く実際に書くとなるとなかなか決断に至れませんでした。それが何で今日になって取り上げるのかというと、昨日一昨日は日中は全く家から出ずに夕食も豪華(焼肉と焼き鳥)だったこともあって体力に余裕があるからです。先週までは暑さと取材の多さから疲労でいっぱいでしたが。

 まずマッカーサーの来歴について触れますが、彼の父親のアーサー・マッカーサー・ジュニアも軍人であったことからかなり早いうちから軍人になることを意識していたと言われております。家庭内についてもう一つ付け加えておくと、母親のメアリー・ピンクニー・ハーディ・マッカーサーはかなりの教育ママだったらしくマッカーサーに英才教育を施し、彼が士官学校に入学すると近くのホテルに移り住んでちゃんと勉強しているか見張っていたという逸話もあるくらいです。
 そうした父母の薫陶を受けてか在学中のマッカーサーは抜群の成績を残して卒業してます。そして卒業後に、在日アメリカ大使館に駐在することとなった父の副官として東京に滞在していますが、まさか本人も数十年後にまた日本に来ることになるとはこの時は思わなかったでしょう。

 比較的初期のキャリアとして有名なのは第一次大戦時のレインボー軍団創設が挙がってきます。これは一次大戦開戦直後のマッカーサー自らが時のウィルソン大統領に提案して実現したもので、各州から兵士を集めて一つの師団を作り、全米一丸となって戦うというプロパガンダを含んだ部隊ですが、これが創設されるやマッカーサー自らが率いて欧州で戦闘を行っております。この例だけでなく日本のGHQ時代の施政といい、なにかと世の中に「見せる」というやり方に長けているような気がしてなりません。ただこの一次大戦後時は華々しい活躍を遂げて最年少で少将にもなりましたが、大戦後はキャリアが伸び悩み、参謀総長を辞してからは旧知のフィリピンへ軍事顧問として赴き、そこでコネクションを利用して私財作りに明けていたようです。

 そんなマッカーサーに転機が訪れたのは太平洋における緊張化こと、対日戦が現実味を帯びてきた1941年7月でした。当時のフランクリン・ルーズベルト大統領ははっきり言ってマッカーサーが嫌いだったようですが(むしろ彼と仲のいい大統領は聞いたことないくらいいつも衝突してるけど)、アジア事情に詳しく実績のある人物はマッカーサーしかいなかったことから現場復帰を要請し、開戦後は大将に昇進しています。
 ただ現場復帰を果たしたマッカーサーですが、太平洋戦争初期は日本軍が一気に攻勢をかけてきたことから各地で敗北。しかもその敗因は「たかが日本人」となめてかかった彼自身の戦略ミスも大きいとされ、結局拠点としていたフィリピンも陥落しかけたことからあの有名な「I shall return」と言って逃げ帰る羽目となりました。ただその後の反攻作戦は素人の自分の目から見て状況に適したもので、拠点をつぶしながら北上するのではなく要所要所を落として補給線を壊滅させるという戦略で確実に日本を追い詰めて勝利を得ております。そして日本の降伏後にGHQ総司令官として日本にやってくることとなりました。

 日本統治時代初期は当時のアメリカがやや左傾化していたこともあってか農地改革を筆頭に憲法作成など社会主義色の強い政策を次々と打ち出し、五一五事件や二二六事件で反乱を起こした将兵が最も望んでいた地主制農業を崩壊させることに成功し、生産効率などを飛躍的に高めています。ただGHQ内部の権力抗争の結果、いわゆる「右旋回」が起こってからは自衛隊の創設に道筋をつけるなどタカ派的な政策へとシフトしていきます。
 ただこの右旋回についてはマッカーサー自身の個人的事情も影響していたとも考えられます。というのも彼は1948年のアメリカ大統領選への出馬する気まんまんだったらしく、本音としては早く日本の非武装化にケリを付けて本国に帰りたかったそうです。ただ予備選でどの州でも1位になれなかったことから結局あきらめてしまい、それからというもの日本の再軍備化を推し進めたり労働争議を叩き潰したり下○事件を起こしたり……と、○山事件はまだ解明されてないですが、ともかく気兼ねなく強攻策を採るようになったと言われております。

 そんなマッカーサーにとって再びの転機となったのは1950年の朝鮮戦争です。この時もマッカーサーは諜報から北朝鮮が南進してくる可能性が伝えられていたにもかかわらず一切黙殺するなど、初期対応を誤るというミスを犯しております。ただ例によって反攻作戦を立てるのはうまく、マッカーサー以外が全員反対していた中で強行した仁川上陸作戦を成功させると一気に形成を逆転させております。
 しかしこれまた諜報から「人民解放軍が警戒している」と報告されていたにも関わらず調子に乗って朝鮮半島でやたら進軍を続けたせいで、中国の参戦をわざわざ招いて38度線に押し返されるなど、どうも要所要所で状況判断を誤ることが多いです。さらに原爆の使用許可を申請したことが引き金となり、最終的にトルーマン大統領によって解任されることとなりました。

 アメリカに帰国後、1952年に再び大統領選出馬を画策していたそうですあ高齢からこれを断念し、その後は特に大きな事件に関わることなく自然死しております。なお息子のダグラス・マッカーサー2世は独立後の日本で駐日大使となり、安保改定に尽力したと伝えられております。

 マッカーサーについて寸評を加えるとするなら、どうもこの人はナポレオンと一緒で、自分が将来歴史書に乗る時を意識したような行動や発言が多いです。いわゆる英雄思想が強かったのかもしれませんが、この点について歴史家の半藤一利氏などは、「しょっちゅう嘘をつく奴だ」と評価しており、私個人としても実際には知ってたことをさも知らなかったかのように、またその逆に知らなかった内容をさも知ってたかのように振る舞っていたように見えます。
 ただ日本一国に限れば当時の時局と地理の恩恵を受けていたとしても、非常に多くの改革をドラスティックに成し遂げ立派な基盤を作ってくれたと言ってもいいでしょう。そういうことをたまに自虐的に、「戦後最高の日本政治家はマッカーサーだよ」という時もあります。

2012年7月28日土曜日

神奈川県警、愛媛県警の不祥事について

 以前に私は「問題があると感じられる県警」という記事で言い訳のしようがないような不祥事を出している県警をいくつか紹介しましたが、不祥事界のキングこと神奈川県警がまたもやってくれたようです。

警官集団セクハラ、立件視野に捜査へ…判断撤回(読売新聞)

 内容に関してはあまりにも下品なので詳述しませんが、どう考えても犯罪としか思えない行為を実行していながら当初、「立件はしない」とこれまた規格外の発表をしてのけた神奈川県警ですが、さすがに世間はそうは問屋をおろさなくて身内びいきと批判が起こったことから、「最終的な判断ではなかった」とこれまた苦し言い訳をして捜査に着手したそうです。でも神奈川県警のことだから捜査をした上で、「やはり違法性はなかった」とか言ってまた立件見送りに舞い戻るだけかもしれませんが。
 それにしてもこの事件のコメントでもしこれで立件されないというのであれば、「カラオケ屋で服を脱いでも公然わいせつには当たらない」というある意味すごい前例を作ることになりかねません。全く関係ない話ですが、上司からこの前に自分が行かなかった二次会について、「お前はいかなくて正解だった」と言われたのでわけを聞くと、参加した一人が途中でパンツ一枚になった上に女装するなど破天荒ぶりを見せたそうです。そもそも女装用衣装が置いてある店があるっていうことが驚きだけど。

警視ら2人を書類送検=虚偽公文書作成容疑―愛知県警(時事通信)

 神奈川県警の不祥事にやや隠れ気味ですが、こちらの愛知県警の不祥事も非常にきな臭さを感じる事件です。
 こちらについては内容を簡単に説明すると、昨年1月にオウム真理教の事件に関して情報提供があったとして県内で勤める医師に感謝状を贈った件について、管轄と異なる蟹江署から送られていたことから調べてみると、提供された情報の確認に行ったとする署員の運転日誌が改ざんされていたとのことです。これははっきり書いていない記事のせいでわかりづらいのですが、言い換えるなら「情報提供を受けたという事実はなかった」ことなのかもしれません。つまりありもしない情報提供に対して感謝状を贈ったという意味です。

 北海道新聞が北海道警が捜査協力者への報奨金で裏金を作っていたという事実が明るみになってから久しいですが、もしかしたらこの事件はまた同じことを愛知県警がやっていたのかもしれません。こちらは既に関わった人間が書類送検されておりますが、普通に考えたら怪しいところ満載です。
 オウム真理教絡みで情報提供ときたら昨年から今年にかけて一気に捕まった指名手配犯3人に関するものしかはっきり言って有りえないですが、この3人は結果的に関東都市圏に潜伏しており、なんで遠く離れた愛知県で情報提供があったのか容易には理解しがたいです。何も愛知県警に限らず、オウム絡みの情報提供を調べたらほかの都道府県でも同じようなケースが見つかるかもしれません。

2012年7月27日金曜日

刹那的に生きること、将来を見越して生きること

 決して誇張ではなく言い切ると、恐らく同年代でも自分はトップクラスなまでに他人からの評価や印象が両極端に分かれる人間だと思います。一つ例にとると大抵の人は私のことを「大人しそう」、「温和」という表現を使って説明しますが、一部の人間に限れば「何かあればすぐ激高する」、「思想が過激」と言われており、私個人としては後者の方が実像に近いかなと感じています。
 このほかよく言われてたこととして学生時代に、「花園君は公務員になって安泰を図るような安定志向でしょ」とよく言われてましたが、実態としては「公務員のことを公僕って言ってのける人を初めて見た」と言われるまでに公務員になる気などさらさらなく、むしろなろうとしていた友人に対して「公僕に身を落とす気か( ゚д゚)」と、前時代の左翼じゃないんだし余計なおせっかいもいいところと思うくらいの発言までする側でした。

 一体なんでこれほどまでに評価が真逆、私個人の意見としては実態とかけ離れたイメージが持たれやすいのかというと、私自身が親しくない人間にはあまり関わりたくないことから大人しそう、下手すれば卑屈で陰険に見られるように敢えて振る舞っていることが大きいですが、最近になって着眼点が周囲と異なることからギャップが大きくなるのではないかというように考え始めてきました。この着眼点について今日は一つ、自分のこれまでの選択経験を拾って持論を展開しようと思います。

 まず話の前提として私は20代の身空で既に2回転職、いうなれば3回も新入社員を経験しております。このうち2回目はいつか借りを返すような特殊な例で無視してもいいのですが、日本でそれほど忙しい仕事でなく、そこそこ安定した正社員の職を放り投げて中国に転職に来たというのは最近増えてはいるもののやはりまだレアな存在です。
 傍から見ればこんな選択、行き当たりばったりで刹那的な生き方に見えるかと思います。そうまでして中国に行きたかったのか、海外で働いてみたかったのかと実際によく質問を受けますが、私個人の考え方としては逆で、可能ならば避けたかったものの今のうちに行かざるを得なかったというのが本音です。

 私は一部の人間のように極端に日本の未来を悲観はしていませんが、今後の日本社会はこれまでの「どこに属しているのか」より「あなたは誰なのか」という具合に、評価対象が集団からより個人へ重量配分が移っていくと考えております。私としても同じ会社でのんびり安定できるというのならそりゃ同じ会社に留まっていたかったというのが本音ですが、高度経済成長期でもないこの時代でそうした意識を持つこと自体がリスキーな価値観だとみており、むしろ自分にとってプラスになる可能性があるのならどんどん動く方が長期的に見れば安定する可能性が高いと思って中国に来ることにしました。一見すれば安定を放棄しているように見えても、私としては消極的により安定を求めた故の決断だと今でも信じております。

 ここで話を着眼点に戻しますが、まずそもそも何を以って安定ととるかです。変化のないことが安定なのか、満足度を得ることが安定なのか、落ち着いた生活をすることが安定なのか人それぞれでしょう。恐らく日本人の大多数としては一番最初の「変化のない」ことが安定でしょうが、私としては「いつでもどこでも状況を切り開けるだけの力量を身に着ける」ことが安定の定義です。たとえ自分の職業や住所が変わるとしても、力量的にそうした変化に追いつくことが出来るのであれば安定で、それを常に求め続けております。言い換えれば、どこでもやっていけるだけの知識や経験さえあれば追い詰められることはないというように考えてるわけです。こんな具合に周囲と着眼点が異なっているため、私をよく知る人間とそうでない人間との間で印象に対するギャップが生まれるのだと思います。

 ここでまたいつも通りに話が急旋回しますが、上記のような価値観から私は自分は長期的な視野に立って将来を見据えながら生きてるつもりで、どちらかと言えば刹那的な生き方をする人に対して否定的に見ておりました。ただこのところは逆、というか少し考え方が変わって、今この一瞬々々を悔いなく過ごそうとする、精一杯生きようとすることの方が、十年後に楽したいとか、どの程度の収入を得たいから今はこういう風に過ごそうと考えることよりも有意義なのではないかと思うようになってきました。
 もう少しわかりやすく言い換えるとすると、これまでは目標とする未来に対して今どう動くべきかと決めてきたつもりでしたが、そうした生き方よりも、今現在を必死にというか手を抜かずに攻め続けることで少なくとも後悔しないというか満足する未来がついてくるのではと思うようになってきたわけです。一言で言い表すなら、未来のために現在が存在するのではなく、現在の積み重ねが結果的に未来になるといったところです。

 我ながらまどろっこしい言い方が続きますが、その日暮らしで快楽だけ求めることを刹那的な生き方とする人がいますが、私に言わせればこれは破滅的な生き方で刹那的というべきではないと思います。私の中の「刹那的な生き方」の定義はスパンが短く、最長で一年下手すりゃ一日スパンで物事を考え、その場その場でやりたいと思うこと、すべきと思うことを手を抜かずに生きるという意味になり、十年先は知らないからとりあえず来年にはこういうことを成し遂げたい、こうなりたい、ああしておこうという生き方になります。少なくとも怠けさえせずにやろうとすることに真剣でいられれば、多分いい方向に物事が向かうのではと信じるようになりました。

 だからどうしたというのがここまで読んでくれた方の感想かもしれませんが、私個人の見方として、今の日本の若者はやけに老後や親の介護、会社の将来なぞ遠い未来ばかりを考え過ぎなのではないかと思うところがあります。その一方で突然行き当たりばったりに物事を決めたりして遠い先の方向ばかり見ていて近い距離の方向を間違えてしまっているのではと感じることが多々あります。
 恐らく日本社会では「将来のことをしっかり考えた方がいい」という思想が強いかもしれませんが、不確実性の高い未来を見越すというのはかえって危険な行為に思え、それであればもっと足元を見つめて、近距離に絞って方向性を決める方が、刹那的に生きる方がかえって将来に安定をもたらすのではないかというのが今日の私の意見です。適当に思い付くままに書いたからすごい妙な内容になりました。

今の上海の食費

 この前故あって陽月秘話時代に公開した北京にいた頃の留学体験記を読み返しました。ざらっとしか読み返してはいませんが学生時代の意気盛んな頃に書いたこともあって文章はやや粗いものの突破力のある内容だと改めて感じたとともに、地味に当時の物価を事細かに記載してあって将来資料価値として高まるのではという妙な期待感を覚えました。
 さて物価とくれば、恐らく日本にいる方は中国の物価が今どれくらいなのかが気になるかと思います。はっきり言って上海は中国で最も物価が高い地域で中国を代表するかとなるとあまり当てにならない場所ではありますが、「一番高い地域」という前提であれば何かの参考になるかと思うので、一つの目安として私の食費に関わる物価を教派紹介しようと思います。早速片っ端から書いていくと、以下の通りとなります。なおレートは1元=12円で計算します。

・さっきの同僚との晩御飯(麻婆豆腐、野菜炒め物、白米3杯):37元(404円)
・マクドナルドのダブルチーズバーガーセット(昼割引):16元(192円)
・ファミリーマートのカツカレー弁当:12元(144円)
・コーラ(350ml):2.5元(27円)
・蘭州ラーメン:7元(84円)
・卵サンド(2個入り):6元(72円)
・香港料理屋のおかゆ:16元(192円)
・洋食屋のミートスパゲッティ:21元(252円)
・日系ラーメン屋のラーメン:32元(384円)
・日系洋食屋のおろしハンバーグセット(ごはん+スープ):70元(840円)
・食べ飲み放題の焼肉屋:144元(1464円)
・日系焼肉屋の焼肉ランチセット:50元(600円)
・スタバのコーヒー:18元(206円)
・ベーカリーのケーキ:15元(180円)
・吉野家の牛丼(並盛):16元(192円)
・レトルトカレー:10元(120円)

 パッと思いつくのを上げると以上のようになります。これを見ればわかるでしょうが、どうも食生活が偏り気味です。多分ほかの日本人はもっとマシなところに通っているでしょうが、自分はどうもけち臭くてやたら安いところに、しかも同じ場所へ何度も行く傾向があります。友人からも体には気をつけろと言われているのですが、ここ一週間でまともと思えるものは「日系洋食屋のおろしハンバーグセット」くらいでしょうか。ちなみにここに食べに行った時は口に口内炎が出来てて、ポン酢を付けたハンバーグを口に入れる度に泣きそうな顔して食べてて、口内炎の人に口に醤油を含ませるのは立派な拷問になり得るとか考えてました。

2012年7月26日木曜日

公聴会での電力会社社員発言問題について

 今日も帰宅は9時半!といっても、やることがあるだけあまり辛くはありませんが。
 ここだけの話、最初に勤めた会社では毎日定時に帰っておりましたが、業務時間中にあまりにもやることないのに椅子に座ってぼーっとパソコンの画面を見続けてなければいけないのが地味に辛かったです。あのころに比べたら帰宅時間遅くとも、今の方が楽に感じるほどです。
 話は変わって昨日に書いた「ここ数日の産経の気になる報道」の続報ですが、自衛隊への協力を都内11区が拒否したというのはやはり産経の誤報だったようです。

自衛隊訓練記事で産経が「おわび」(J-CASTニュース)

 どうやらこの訂正記事は紙面に載っているだけでネット上では公開されていないようです。きちんとJキャストが追いかけてくれているからいいものを、ほかの記事にも書かれてましたが誤報は大きく報じて訂正は小さく報じるというのは如何なものです。
 とはいえ、この記事に関しては同じメディアにいる人間から言わせてもらうと有り得ないと言っていい内容です。仮に11区のうち1区か2区が間違ってたのであれば、許されるものではないものの何かしら手違いなり誤解があったんだろうと見ることもできますが、今回は産経が名指しした11区すべてが事実無根と抗議していることから、間違いなく取材すらせずにこの記事を書いたんだと思います。通常、この手の内容だったら必ず各自治体に電話をかけて本当に自衛隊の要請を拒否したのか事実確認をしなければならない、というよりするのが当たり前で、それすらもしていなかったというのならもういろいろと人事を考え直した方がいいでしょう。起こってはならないというか、有りえないミスです。
 もう一件の丹羽大使更迭報道については今日もどこも後追い報道はありません。また9月に訂正記事が見られるのかな。

 そろそろ本題に入りますが、このところというかこの1ヶ月がやけに忙しくて触れることが出来ずにいましたが、各地で行われている原発絡みの意見公聴会で電力会社社員が次々と発言していることが問題となりました。

原発意見聴取会もヤラセ?電力会社社員「原発どんどん作れ。福島で死んだ人いない」(J-CASTニュース)

 狙っているわけじゃないですがJキャストの引用が増えてます。知り合いも一番ここのニュースが面白いと言っていますが、私からしてもいい内容を拾っているように思えます。

 話は戻ってこの問題ですが、こうした公聴会で発言した電力会社社員らはいわば会社におもねった意見というか、原発存続に賛成な立場を言ったそうです。ただ一般募集した人の中にこうした電力会社の人間、いわばダイレクトに利益に関わる人間が入り込むというのはどうかという批判が起こっており、政府もこうした声を汲んで今後は電力会社関係者はこうした場で発言してはならないという声明を出すに至りました。

「意見言えないには違和感」 公聴会での発言禁止に電事連会長(産経ビズ)

 Jキャストに続きこちらもまた産経からの引用です。くれぐれも言っておきますが別に産経を狙い撃ちしているつもりはないのですが、問題ある記事を引用してたらなんかやたらと産経の記事が引っかかります。なんか末期のコミックボンボンみたいな編集になってないかな。
 さっきから話の脱線が多いですが、引用したこの産経ビズの記事では電事連の八木会長が電力会社の発言を禁止した政府の措置について「会社として参加を強制したものではなく、本人の自由意思。所属も明らかにしており、問題はない」と批判しております。はっきり書いちゃうと産経は意図的にこの記事を載せて政府を批判したい、というより電事連の肩を持っているのでしょう。そもそもこんなくだらない発言なぞ取り上げる価値もないのですが。

 ピッチ上げて一気に書き上げますが、ああした公聴会で電力会社の関係者が発言するなぞ言語道断もいいところで、それを平然とやってのける電力会社社員の無神経さにはつくづく呆れます。しかも一部報道では中部電力は各営業所やらに家族などを使って公聴会の一般発言者に応募するようメールを出していたとも聞きます。恐らく彼らの魂胆としては自分たちの意見を言うことよりも、ああした場で反対意見が出てくるのを封殺するというのが主目的でしょう。
 そもそも電力会社であればああした市民を対象にした公聴会で発言しなくとも、関連する会議などでいくらでも発言する機会があり、それこそホームページ上で会社として意見を出すことだって可能でしょう。それに対して普通の一般市民はああした公聴会でなければ意見をくみ取りづらく、そうしたことを考えると貴重な意見収集の場を土足で荒らすような真似だと私は感じます。そういう意味では電力会社関係者の発言を禁止する政府の措置は当然、というよりいちいち言わないと駄目なのかと思うととてつもなく情けなく感じます。

 去年の震災以降、こうした電力会社の無神経というか常識はずれな発言や行動は相次いでます。はっきり言って一般感覚からねじが飛んでいるとしか言いようのない思考をしているようにも見え、至って真面目におかしなことを言っていることに本人らが全く意識してないというのが別な意味で怖いです。中国ですら……といってはあれですが、発送電分離しているんだから日本も早く市場開放して民営化した方がいいでしょう。

2012年7月25日水曜日

ここ数日の産経の気になる報道

 今日も帰宅は11時半!決して仕事がたまっているわけではないですがなんか飲み会の回数が先週から異常に多く、ブログを書く時間がなかなか取れません。おまけに明日は校正当番でまた帰宅が遅くなるし……。
 そんなわけで普通ならブログを休んでとっとと寝るのですが、ちょっと放っておくことのできない報道が連続して起こったので書き残すことにします。その方っておくことのできないニュースの一つは昨日の下記報道で、これが出た時は自分の職場である編集部は色めき立ちました。

丹羽大使9月交代 尖閣国有化に矛盾と判断
素人ぶりは突出…民間起用の限界露呈 丹羽大使9月交代(どっちも産経)

 ニュース内容はリンク先を見てくれればと言いたいところですが、下手したらリンクが早くに切られる恐れがあるので簡単に解説します。要するに尖閣問題で中国におもねる発言をしているから丹羽中国大使を更迭するという内容なのですが、ストレートに書いてしまうとこの報道は産経の飛ばし、言い換えるなら誤報の可能性が高く、「また産経がやらかした」と私の周りでは言っております。
 まさかこんな大々的な記事で誤報ってと当初私も考えましたが、グーグルか何かでニュース検索をしてもらえばわかりますがこの更迭を報じる記事というのは産経しかありません。最初に疑念を呈したのは自分の上司ですが、速報性を重んじる共同通信が全く後追い記事を出しておらず、中国側はどう報じているのか自分も新華社のサイトへ行ってみましたが、この更迭記事には触れつつも、「北京にある日本大使館は事実ではないと否定」と取材文が載せられておりました。

 仮に産経の言う通りに9月に本当に丹羽大使が更迭されたそりゃ立派なスクープでしょう。ただこの記事は内容から言っても怪しい点が多く、ズバリ言うなら後任の人事について何も触れられていません。この一点だけでも怪しい上に更迭時期の9月も中国共産党中央党大会を控えた非常に敏感な時期なだけに、いくら何でも冒険が過ぎやしないかという時期です。まぁ初めから誤報と決めつけず、予告時期の9月までゆっくり見てやろうじゃないかという気分ですが。

「迷彩服を区民に見せるな」 自衛隊の防災演習、東京の11の区が庁舎立ち入り拒否(産経新聞)
産経「自衛隊訓練で立ち入り拒否」記事に9区が抗議・訂正要求文(J-CASTニュース)

 続いての産経の気になる記事というのは上記のニュースです。別に産経を狙い撃ちする気は全くないのですが、いくらなんでもこれはというニュースがここ数日に立て続けで起こるというのは明らかに以上です。
 ニュース内容を簡単に説明すると自衛隊が東京都の区役所庁舎の利用を申し出たところ11区が拒否したという報じていますが、続いてリンクを貼っているJキャストニュースによると名指しされた11区のうち9区が既に、「このような要請を受けたこともなければ拒否したこともない」と事実内容を否定しているそうです。

 この記事もこういってはなんですが、どことなく焦点を意図的にぼかした書き方をしていて妙な構成になっているように私には感じます。具体的にそれはどこかというと、自衛隊の協力要請を11区が拒否したという事実以上に、見出しにも入れている「迷彩服を区民に見せるな」ということを何かやたらとアピールしたがっているような、そんな印象を覚えます。なんでこんなことをアピールしたいのかっていうと、私が書くべきことではないような気もしますが何か一方向に読者を扇動したいような意図を感じます。
 産経は25日付の紙面でこの記事の続報を載せると言っているようですが、もう日付は変わっているので明日とはいえないものの、出たらこっちもじっくり見てやろうじゃないかという気で満々です。少なくとも、自治体側と事実認識が真っ向から食い違っていることと取材手法について書いてもらわなければ納得いかない内容なだけに、誠意ある対応を見せてもらいたいものです。

 余計なお節介かもしれませんが、真面目に産経のデスクは大丈夫なのかという気がしてなりません。

2012年7月22日日曜日

尖閣諸島国有化宣言に対する中国の反応

 久々に専門領域で一本とばかりに今回の尖閣諸島ネタですが、いきなり結論を言うと今、非常にまずい状況です。詳しい理由は後できちんと解説しますが、ネットニュースを見る限りだと日本と中国でこの問題に対してあまりにも温度差があり、いまいち危機感が伝わっていないような気がします。

 まず事の起こりはいつごろかは忘れてしまいましたが、石原新太郎都知事が尖閣諸島こと魚釣島を地権者から買収すると発表したことからでした。この発言自体は中国でも大きく取り上げられましたが中国人も石原都知事については前から極端なことを言う人だとの認識がもう持たれていたので、友人が「花園君の言った通りだった」というくらいに誰も本気にせず、日本への批判運動とかもなにも起こりませんでした。
 それが変わったのは石原都知事の発言からしばらく時間が経ち、野田首相が追って「魚釣島を国有化する」と発言してからでした。この野田首相の発言が出てから数日間はどの現地紙も野田首相の写真をトップ一面に飾り、それこそ一挙手一動を報じるくらいの反応を見せました。それと同時にネットなどでも日本批判が急激に増加。街中で日本人だとわかるや怒鳴られたり殴られたりとかはないものの、やはり以前と比べてピリピリした空気は感じます。

 はっきり書きますが、今の中国の日本に対する態度というか意識はかなり危険な状態と言わざるを得ません。先日に有識者ともこの件で会話しましたが小泉首相(当時)の靖国参拝で各地で反日デモが頻発していた2005年時は、「あれは政府がやらせているものだ」と大半の中国人は日本批判に無関心だったのに対し、今の中国のメディアや民衆の日本を見る目は非常に厳しいものがあります。それこそうちの社内でも2010年の漁船衝突事故が起きた時のように、もうひと押しあれば中国政府は日本向け通関を停止させてくるのではないかという意見が出ています。脅しとかそういうものではなく、中国に工場を置いているメーカーなんかは今のうちに在庫を多く持たせるべきだと本気で薦めます。

 ここでちょっと話を整理しますが、私自身はやはり日本人であることと、中国がかつて中越戦争を引き起こして大敗した経緯を鑑みても尖閣諸島は日本の領土だと思います。思うと書くのは私が領土問題や歴史の専門家ではないためで、漠然と一国民として感じるだけだからで、恐らくほかの大半の日本人も同じだと思えるし、中にはテレビや書籍で拾ってきた根拠を挙げる人もいるかもしれません。
 ここで意識してもらいたいのは、こうした意識を中国人も全く同じ形で持っているということです。日本国内のメディアで尖閣諸島は歴史的な経緯から言って日本の物で当然というような話を、中国人も中国のメディアからそのように受け取っているのです。そんな中国人からしたら自国の領土を日本が勝手に国有化宣言して奪い取るように思えて仕方ならず、極端な例を挙げると八丈島とか隠岐の島を中国がいきなり国有化宣言するというくらいに感じてるんだと思います。

 さらに言えば中国は未だに外国人アレルギーというかコンプレックスを持っております。かつて、というか今でも中国はかつて外国に侵略されていいように弄ばされたという風に教えられているので、何か仕掛けてくる外国人に対して強い敵愾心とともに妙な恐怖感を明らかに持っております。特に領土関係においては敏感で、こっちの新聞でも堂々と書かれておりますがもはや軍事衝突もやむなしと本気で中国人も覚悟を決めており、実際に上海市内で「そうなったら戦うしかない」と中国人に言われたという話を聞いております。
 比較的、っていうか中国で最も外国人アレルギーの少ない上海ですらこれなのですが、北京や内陸の地方都市ではもっと程度が激しいのではないかと思います。さすがに軍事衝突は両国政府も望まないでしょうが、さっき言ったように通関差し止めに関してはたとえこの処置で中国もどれだけの負担を払うこととなっても、それもやむなしと中国人は政府を支持するでしょう。

 あともう一言書き加えておくならば、日中両政府はこの問題が白熱化することは双方にとって損だと考えております。この場合の日本政府は外務省、並びに経済産業相といった官僚で、野田首相の腹については私はわかりません。ただ以前に私が日本にはこの問題が解決せずに揉めることで得する連中がいると書いたように、中国にも揉めることで得する連中がおります。はっきり書くならそれは人民解放軍の一部で、彼らが増長することは中国政府としても好ましくはないでしょう。
 この問題を如何に軟着陸させるか、私が考える手段としては国としての国有化はひとまず置いて、石原都知事の好きに任せるのがベストだと思います。仮に都が購入するのであれば政府は関与していないと言えますし、また中国側も石原都知事の主導であれば彼の独走と見えて最悪スケープゴートに据えることもできます。ただ政府が仮に購入したら、中国政府も国内不満を抑えるために何かしらアクションを取らざるを得なくなり、あまり面白くない結果は見えています。

 最後にもう一回書きますが、この問題で中国人の反応は日本が考える以上に敏感です。別に領土問題とか二国間交渉に限るわけじゃないですが、決着をつける気があるなら一撃で物事は仕留めなければなりません。尖閣諸島問題で日本がそれが出来るかとなると、まだ準備不足というのが今日の私の意見です。

2012年7月21日土曜日

「積み木くずし 最終章」について

 一週間くらい前の記事の「積み木くずしについて」の続きです。前回の記事に書いたように、今まで自虐ネタに散々使ってきたのだからという思いで今年になってこの「積み木くずし」、並びに今年発売されたばかりの「積み木くずし 最終章」を手に取ったのですが、いくつか疑問点を感じる内容があり、その点を教派解説します。

 積み木くずしのあらすじについては前回にも書いた通りですが、今回私が手に取った最終章、というより正確にはそのひとつ前の「由香里の死、そして愛 積木くずし終章」では作者である穂積隆信氏の家族の真相が書かれてあります。著書によると、積み木くずしの主人公ともいえる一人娘の穂積由香里氏の遺品を整理していたところ、既に自殺していた由香里氏の母親である穂積隆信氏の元妻の遺書が見つかったそうです。その遺書は由香里氏が読み終えた後に燃やすように指示されていたようですが、何故だか燃やされずに残っていたそうです。
 その遺書の内容というのも、由香里氏は隆信氏との子供ではなく、元妻と共謀して隆信氏の財産を奪った会計担当の男との子供だったというものだそうです。もう少し詳しく話すと、既に隆信氏と結婚していた元妻は自分で作った借金を理由に迫られてこの男と関係を持ち、由香里氏を生んだということで、積み木くずしが大ヒットして大金を得るやこの事実をネタに男から脅迫されたことで隆信氏を裏切らざるを得なかった、本音では今でも愛しているということが書かれていたそうです。

 正直に言って、この箇所は本当に事実なのかどうか疑わしいというのが私の感想です。確かに話の筋立てとしては面白いのですが逆を言えば面白過ぎる、また新しく本を出版するために話を作ったのではないかという風に感じました。ただこうした遺書を元妻が書き残すということについては有り得ないとまでは言うつもりはなく、最初の積み木くずしの本の中でも大量にこの元妻の日記が引用されているあたり筆まめな人物であったことは予想され、最終章の中で取り上げられた長い遺書を書き残していたというのも有り得るとは認めます。
 ただ最終章によると穂積隆信氏はこの元妻の遺書を、本人の願い通りに由香里氏に代わって焼却しております。仮に手元に残して第三者も確認できるというのならまだしも、燃やしたというこの事実を見ても本当にそんな遺書があったのか疑わしく思えます。ただ最終章という本自体についてはこれまでの積み木くずしの経緯なども書かれてあって本としては面白いので、もし興味のある方は真実かどうかは別としてお勧めできる内容です。

 話は変わりますが過去の代表的な親殺し、子殺し事件を見るにつけ、「もし自分の子供が非行に走ったら」ということを想像するだにやはり怖いなという気持ちを覚えます。仮に親である自分に直接危害を加えなくとも外部で障害、下手すれば殺人事件を引き起こした場合は遺族に対して支払う莫大な謝罪金を負担しなければならず、果たしてそういう事態になっても自分は自分の子供の味方でいられるのか、下手すればそういう事件を引き起こしそうな兆候を見せた段階で「捨てる」ことは可能なのかということまで考えてしまいます。
 自分なんか日本で正社員の身分捨てていきなり中国に来て現地採用で働くくらい行動が突飛なもんだから、少年時代もほかの同年代と比べて騒動を引き起こした数は明らかに多く、うちの両親もいろいろ気苦労が絶えなかったでしょう。実際にお袋からはっきりと、仮に自分が傷害事件を引き起こすと後の負担が怖いと言われたこともありますが、この年(といっても20代だが)になってみてそらその通りやという風によく感じます。

 敢えてこれまで触れてきませんでしたが大津市のいじめ事件、あと印象に残っているのだと2000年に発覚した愛知の中学生5000万円恐喝事件を見ていると、うまく表現できませんが本当にこういうのは紙一重なんだなという気がします。そういう意味では今更感は感じるものの子供が非行に走った時に親はどう対応するか、一つのケーススタディーとして「積み木くずし」を今読んだのはまずくなかったという気がします。作中で子供の非行対策を専門とする警察関係者が非行に走った子供への対処として、「子供をどう指導するかではなく、親がどんな態度を取るか」と穂積隆信氏に諭しているように、結局は親である本人が自分をある意味律するというのが最善かという風に今感じます。
 なにやら尻切れトンボの具合であまり良くまとまっておりませんが、20代の身空でこんなことをいちいち考える当たり自分は何事にも考え過ぎな人間だとつくづく思います。


ネット回線復活ヽ(・∀・ )ノ

 前回の記事で書いたネット回線の断線ですが、本日になってようやく復旧しました。正確には今まで恩顧で使わせてもらっていたネット回線が使えなくなったので改めて回線会社と契約したわけですが。
 念のため記述しておくと今回契約したのは「東方有線(OCN)」といって、ちょこっと今調べたら上海市のケーブルテレビ会社が運営している回線会社です。全国的には日本で言うとNTTに当たる中国電信がネット回線契約を独占しているような感じですが、上海市だけはこの東方有線が比較的力を持って運営しており、以前に同僚が使ってて問題ないと言っていたので自分もここの営業所に昨日アタックして、早くも翌日の今日に接続してくれました。

 はみ出たことを書くと今日自宅に来てくれたのは業者の人は若い人で、自分の仕事が中国記事の翻訳とかだよと教えると、「日本円あるなら見せて見せて(0゚・∀・)」と言ってきたので、千円札とかを見せてみるとやけに感心してました。つなげた回線ですが今のところ速度とかは以前と同程度で問題なく、これからも安心して使えそうです。
 それにしても去年の今頃だったら、多分申し込みに入ったでしょうが今ほど中国語に自信がなかったから気楽にはいけなかったでしょう。こお1年で契約だろうがなんだろうが、中国語で全部済ませられるだけの度胸と知識が身に着いたのは強みです。

 そんなことで今日はご機嫌な一日だったと言いたいのですが、実は一昨日からずっと腹下していて、今日もちょっと体調が悪くずっと家に閉じこもってました。そもそも昨日、一昨日と会社の飲み会が連続してあった(飲酒の教養はなかったが)のが致命的で、今日も十分に休めたわけではないため、明日は仕事だけどもう少し寝ていたいというのが本音です。家にいたってやることもないのですが。

2012年7月18日水曜日

自宅ネット回線断線(;Д;)

 昨夜メールを書いている最中、突然ネット回線をつなぐルーターが「パシッ」ってリアルな音を発しました。直後、ネット回線はものの見事にダウンし、このブログも更新できずじまいとなってしまいました。
 この文章は別のルートを通じて現在アップしていますが、上記のような理由からしばらく更新を休みます。早ければ金曜日にも復帰できるかもしれませんが、へたすりゃ一週間くらい更新出来ないかもしれません。更新が再開するまで、どうかしばらくお待ちください。

2012年7月15日日曜日

「積み木くずし」について

積み木くずし(Wikipedia)

 ある一定の年齢層以上であれば、「積み木くずし」と聞いて何の事だかすぐわかるでしょう。また比較的若い世代の人も、2005年に特別ドラマが放送されたのでもしかしたら知っているかもしれません。ただ自分が大学生の時は、「うちの家庭は積み木くずしがなんぼやっちゅうもんやった」と言っても、ごく一部の人しかこの比喩がわかりませんでした。

 先にこの積み木くずしがなんなのか説明すると、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくるドク博士の日本語吹き替えなどをやっている俳優の、穂積隆信氏の子育てを巡る体験記です。具体的には中学校に進学後に素行が悪くなった穂積氏の一人娘が更生するまでを描いた作品で、1982年に発行されるや大ベストセラーとなり、テレビで放送されたドラマは連続ドラマとしては民放歴代最高視聴率となる45.3%(関東地区)を記録するまでに至りました。
 なお余談ですがこの時のドラマで娘役を好演した高部知子氏は第2の大竹しのぶとまで評されたのですが、人気絶頂の最中に写真週刊誌「FOCUS」に当時15歳でありながら喫煙中の写真が載せられる、いわゆるニャンニャン事件が起こったことでそのキャリアが大きく流転しております。この一連の過程を覚えているかとうちのお袋に聞いたら、欽ちゃんファミリー退団など事細かに覚えていたので、当時としても相当インパクトが強かったものだと伺えます。

 さてそんな積み木くずしを、出版当時に生まれてもいない自分がこうして話題に上げようと思ったのかというと、単純に最近にこの本を読んだからです。なんで今更読もうと思ったのかというと、元々この積み木くずしが家庭崩壊を描いた作品だということは子供の頃から知っていたので、うちの家庭がどれだけ崩壊していたかを比較するたとえとして冗談めかして「積み木崩しなんのその」と以前から友人によく言っていました。もっとも何度も引用しながら実は元ネタは読んでいなかったということもあり、これはなんだかよくないと急に思いついて日本から取り寄せて手に取った次第です。
 実際に積み木くずしを読んだ感想ですが、さすがにここまではうちの家庭もひどくはなかった、っていうかあの時代はこんなことしてもゆるされたんだなぁって隔世の感を覚えました。故人をあれこれ言うのもどうかと思いますが、穂積氏の一人娘である穂積由香里氏は幼い頃から体が弱かったにもかかわらず、13歳にて学校にも行かず朝から晩まで遊び回って暴走族と付き合うわ、シンナー吸うわ、バイクを盗んでくるわ、まだ存命中の父を残して35歳で亡くなっておりますがこれだけ好き放題したんだから満足だったんじゃないのかと正直思いました。

 先程、隔世の感があると書きましたが、さすがに30年以上前の本なのだから当たり前と言えば当たり前ですが、やっぱ今の日本の世界と違うなということを読んでて強く覚えました。例えば自分がまだ小学生から中学生くらいの頃は漫画や小説で不良がシンナーを吸うシーンがありましたが、現代に至ってはそもそもシンナーを吸う行為自体が廃れているというか、実際に吸ってる人がいるかもしれませんけどそんなシーンが文物に出ることはまずありません。また夜中ずっと遊びまわったりパーマをかけたりなど、今やったらなんか痛いなぁという思いしかしません。
 こうしたいわゆる「不良行為」だけでなく、更生手段もいくつか気になる所がありました。作中で穂積氏は少年少女の校正を専門に行っている警察官から助言を受けてあれこれ手段を講じるのですが、私の思い違いかもしれませんが現代ではごく当たり前とされる更生方法に対して穂積氏が、まるで見たことも聞いたこともないような新鮮さを覚えているシーンに違和感を覚えました。恐らく当時としては子供の教育方法としてそういった更生方法が一般化しておらず、なんていうか新しいメソッドのように受け取られたのかと思います。

 と、内容についてあれこれ書いてきましたが、知ってる人には早いですがこの積み木くずしは出版して、ドラマ化して大ヒットしてからがある意味本番でした。というのも極端に知名度が向上してしまったせいで穂積由香里氏はどこ行っても「積み木の娘」と後ろ指さされるようになり、一旦は更生しかけたところ一気に逆バネが効いてしまってその後は覚醒剤にも手を出して逮捕されたりします。また印税をはじめとした大量の収入が入ったところで一緒に娘の更生に手を携えあった穂積隆信氏の妻が会計担当の人物と持ち逃げし、穂積氏は今に至るまで多額の負債を抱え込み続けているそうです。
 この辺の顛末もすべて、「積み木くずし崩壊そして」などの穂積隆信氏の著作に書かれてあります。最後まで書いちゃうと、2001年に持ち逃げした元妻は自殺し、穂積由香里氏は2003年に自室で孤独死し、穂積隆信氏の再婚相手も大病を患っております。この顛末に穂積孝信氏も、積み木くずしが招いた因縁だとして最初の著作を書いたことを後悔しているとはっきり書いております。なお個人的に由香里氏が死去した際に「あんなものを書いてしまったばかりに」と隆信氏が号泣する所をテレビニュースが流した場面が未だに記憶深いです。

 まるで書評の様な記事、というより書評そのものですが、何故ここでこうして書こうかと思ったのかというと実は積み木くずしの最新作こと、今年3月に出版された「積木くずし 最終章」を手に入れたからです。具体的には3日前、暑い時期にもかかわらずうちの両親がまた上海に、親父に至っては5月にも来たのに訪ねてきたので、日本から持ってきてもらったからです。短い内容でもあったので1時間半程度でもう読み終えておりますが、ちょっと気になる点、あと20代の身空ながら子育てについて感じた点などがあったので、そこら辺を書いてみようかと思い立ったというのがきっかけです。その辺の内容についてはまた次回で。


2012年7月14日土曜日

下半期の中国経済の行方

中国GDP 3年ぶり8%割れ(NHK)

 上記リンク先に引用しておりますが、中国はこのほど第2四半期のGDP成長率が7.6%であると発表しました。日本のメディアなんかは「中国の高度経済成長は終わった」、「このまま下り坂一直線!」とばかりに悪しざまに報道するかなと見ておりましたが、3年ぶりに8%を割った事実は報じるものの思ったより落ち着いた報道が多いです。この第2四半期のGDPについてですが、発表前の現地予想などでは第1四半期を下回り7%台に入るということで概ね予想済みで、私としてもそれほど驚きのない数字です。むしろ7%台前半も有り得るかと思っていただけに、思ったより高かったなという気もします。
 このGDPが発表されたからというわけではありませんが、このところこっちで会う人みんなに「下半期の中国経済はどうなる?」という質問をぶつけられるので、ちょうどいい機会なので持ってる材料を一気に吐き出そうかと思うので、下半期予想について今回は書いてくことにします。

 まず結論から言うと、下半期の中国のGDP成長率は反発するとほぼすべての現地メディア、並びに専門家らの間で一致しており、私自身も同じ考えを持っております。

 中国のGDPというとちょっと前まで毎年10%以上という二桁成長が続いていましたが、急速に経済成長が続く一方で富むものと富まないものの格差が拡大しつづけ、大きな社会問題となりつつありました。そういうわけでちょうど昨年あたりから急速な成長にブレーキをかけてでも格差解消を政策として中国政府は掲げ、2011年のGDP成長率は久方ぶりに一桁に落ちましたが、今年に入っても去年同様に安定化路線が続けられております。そのため今年のGDP成長率は政府も7.5%に抑えると掲げており、また市場も8%前後と織り込んでいるため、さすがに5%台だったらいくら何でも急激に鈍化し過ぎで大騒ぎですが、今回発表された第2四半期の7.6%であれば矢神月じゃないですけど「計画通り」といった具合な感じです。
 とはいえ、これまでと同じペースの成長率を期待して設備投資した会社からしたら思った以上に需要が伸びず、実際に赤字になる企業も増加しており進出している日系企業でも先行きに不安を持つ会社も多いです。それこそ今のペースでGDP成長率が鈍化し続けたらどうなるかと、危機感もはっきり言って高いです。

 にもかかわらず何故私が下半期は反発すると強気でいるのかというと、下半期にはまた政府が金融緩和をはじめとした景気刺激策を打ち出す可能性が高い、というより準備が整ってきているからです。先程も書いたように中国では近年、経済成長の裏で格差が拡大して社会問題化してきましたが、その中でも特に大きな問題となっていたのが物価の高騰です。日本も高度経済成長期に給料が2倍になった一方で物価も2倍になりましたが、中国もちょうどそんな感じで去年まで物価が物凄い勢いで高騰し続け、一例をあげると確か豚肉の価格が1年で2倍ぐらいに跳ね上がってもいました。また中国経済崩壊論の代表格でもある住宅バブルに関しても、確かに全国的に高騰一直線でもありました。
 そんな手が付けられない状態だった物価上昇ですが、今年に入ってからは「よくもここまで抑え込んだもんだ」と感心するくらいに落ち着いてきております。これまで前年比5%以上のペースで上昇し続けていた物価上昇率は最新統計の6月だと前年比2.2%上昇に落ち込み、しかも高騰していた豚肉に至っては約15%減とむしろ安くなってきました。住宅に関しても同様で、一部の内陸部都市を除けばほとんどの所で下降線をたどっております。

 この物価上昇率が落ち着いてきたことが何を意味するのかというと、単純に景気刺激策を打てるようになったということです。景気刺激策こと財政支出や金融緩和を行うと、ちょっと専門的になりますが市場に出回る貨幣量が増加して物価が上昇する傾向となります。仮に物価上昇率が高い数字で推移している時期に景気刺激策を打てばさらなる高騰を招きかねないのですが、ある程度落ち着いてきた今の状態であればそれほど社会に悪影響を及ぼさずに景気を引き上げることが可能です。
 また景気刺激策の中身に関しても、こういってはなんですが中国はいくらでもやりようがあります。日本は周知のとおりゼロ金利の上に借金財政であるため、金をばらまこうにも余計に借金するしかないという本末転倒になってしまうところがありますが、中国は歳入は伸び続けているうえに、金利もまだまだ引き下げる余裕もあります。またこれまで物価上昇を防ぐため、住宅購入などに対して様々な景気抑制策を打っておりますが、単純な話、こういった抑制策を解除するだけでも十分に消費を促すことが出来ます。

 もちろん中国経済にも弱点はあり、産業転換が図れない軽工業を中心とした中小輸出メーカーなどはこのまま倒産が相次ぐし、太陽電池製造などの一部ハイテクメーカーも供給過多からこのまま日は上らずに統廃合が進むでしょう。ただそれらを推しても今の日本に比べればまだまだマシな環境にあると言え、なによりも中国政府の経済政策は比較的一貫している上にきちんと目標通りに事を運んでいることは素直に大した実力と認められます。
 前にもちょっと書きましたが日本人は経済を見る上であまりにもマクロ経済指標を無視し過ぎです。中国を例にとってもいろいろわかることもあるので、もうすこしこっちに目を向けてほしいという思いもあって今回はこういう解説をしてみました。

2012年7月12日木曜日

小沢新党の立ち上げについて

 スルーするのもなんなので、一応軽く触れておくことにします。

小沢新党、49人で発足…第3極の結集目指す(読売新聞)

 先の衆議院での消費税増税法案に反対した小沢一郎が、確かこれで3度目となる新党立ち上げを行いました。なんか党是には増税反対とか抜かしているようですが、かつて社会保障税の導入を主張して連立政権を瓦解させたのはどこのどいつだと言いたくなるような党是です。

 ちょうどいい機会なので書いておくと、小沢一郎が何故こうなんども政党を作っては壊し手を繰り返すのかについて、政党助成金の私物化が理由であると以前から指摘されております。かつて陽月秘話時代にも取り上げたことがありますが、一定数の議員を保有する政党には政党助成金といって国から政治活動資金が支給されます。元々これは汚職の絶えなかった時代にスポンサーなしでも政治活動が行えるようにと作られた制度なのですが、かつて小沢一郎が作って自ら壊した新進党、自由党時代に、振り込まれたはずの政党助成金がどちらもすっかりなくなっていたことがありました。長く書くまでもないのでしれっと書いてしまいますが、どうも小沢一郎は解党する際に返還しなければならないこの政党助成金を、まるまんま自分の口座に着服していたようです。この辺に関しては少し古いですが昔の文芸春秋に公開されている口座収支とともに検証がなされていて、文句のない記事がのっけられております。

 もちろんこんなのは税金の横領で、本人の知らないところで口座が一時プール先に使われていた藤井裕久財務大臣はこの件で途中辞任する羽目になったと言われております。ただこの件があまり大事にならない理由としては、発端が文芸春秋という雑誌メディアであったということと、ほかの政党も多かれ少なかれ似たようなことをしているからだと私は睨んでおります。
 ここまで書いた上で私が何を言いたいのかというと、今回作られた新たな新党も1年か2年したら解党し、また政党助成金も横領されるのではないかということです。そもそもこの政党助成金という制度自体が小沢一郎が作ったような制度ですし、裏技のやり方も知ってて当然です。何か政策がある、目標があるとかじゃなく、政党助成金を着服するためにまた新党を作ったとしか私には思えないというのが今日の意見です。

 またしばらく忙しい、というか家を空けることになるので更新が減ります。次かくのは土曜日かな。

2012年7月10日火曜日

大豆国産化計画

大豆が最高値更新=米国供給不安で―シカゴ市場(時事通信)

 本日のニュース記事で上記のニュースを見た際、このところ思索に充てる時間がなくて真面目にネタに困っているのもありますが、今日のブログネタはこれだと心の中で決めました。それにしても、すごいタイトルにしたな我ながら。
 以前にも確か一回触れておりますが、私はかなり真面目に大豆だけは自給率を100%以上、少なくとも70%以上にしなければならないとかねがね主張しております。なんか引用したYahooニュースのコメント欄に日本の大豆自給率は3割ちょっとと書いてる人がいますが、私が記憶している限りだと9割以上を輸入に頼っているような……。

 一体何故私がこれほど大豆にこだわっているのかというと、大豆は白米と並んで日本食に必要不可欠な食材だからです。日本食というのは海外で暮らしてみればわかりますが、実はその味付けのベースはほぼすべて醤油ベースのしょっぱい味が基本となっております。また醤油以外だと味噌の割合も非常に高く、両調味料の原料となる大豆が枯渇した場合は恐らく日本食が9割方作れなくなること間違いなしです。
 たかが料理くらいでという方もおられるかもしれませんが、食事というものは生きてく上でのモチベーションに深くかかわるため、日本食が作れなくなった場合は日本人は一気に堕落する可能性が高いと、決して冗談ではなく私は考えております。というのも過去にイギリスを訪れた際、来る日も来る日も値段が高い割には星一徹みたいにちゃぶ台(イギリスにはないけど)をひっくり返したくなるほどまずい料理を食べていた頃は本気で生きてて嫌になりました。

 料理を作る上では素材も大事ですがそれ以上に調味料の領分というものは非常に高いです。それだけにお梶の方じゃないけど調味料が料理の味をすべて決めると言っても過言ではなく、日本食にとって欠かすことのできない醤油と味噌を確保するためにはたとえどれだけのコストを支払ってでも大豆だけは自給するべきではないのかと言いたいのです。ただどうもあちこちから話を聞いてると大豆は栽培が容易な分、大規模農場でバーッてばらまいて栽培するだけで育ってしまうために日本国内だとどうしても海外製と比べてコストが割高になってしまうそうです。
 かくなる上は多少の醤油価格の値上がりを容赦してでも、市場が成り立つくらいに高い国産大豆価格を受け入れるほかないです。しかし繰り返しになりますが、大豆だけはどんだけ高いコストを支払ってでも日本人は確保するべき農作物です。日本人は普段は怒らない癖に食べ物のことにあるとBSEの時などやけに強気に怒ることがあるだけに、早くから対策を打つべきです。

 なお醤油とくれば私の中ではキッコーマンが地元に近いだけあって挙がってきます。あそこの野田工場は無料で見学させてくれる上に帰りに醤油1瓶くれるから、まだ行ったことのない人は大阪にある日清の「インスタントラーメン発明記念館」に次いで行っとくべき場所です。

外国人が日本人に抱くイメージ

 三日ぶりの更新。というのも昨日と一昨日は休日ながら忙しかったのが原因です。
 そういうどうでもいいことは置いといて本題ですが、日本国内にいるとそれほど意識することはありませんが、やはりどの国にもある程度決まったカラーというかイメージがあって、初対面の外国人はその別の国の人間に対してあらかじめイメージを持って接します。これが日本の場合だと代表格は「侍」や「忍者」で、どことなく寡黙で何考えてるかよくわからず、任務に忠実なイメージを持たれているように私は感じます。

 では今私が住んでいる中国人はどんなもんでしょうか。最近はそうでもないけど以前の日本人の中国人に対するイメージは漫画の「ラーメンマン」に出てくるような辮髪の格闘家という、実際にそんな中国人がいるわけないだろうという気イメージではありましたが、今だと接触することも増えてきているせいか偽物をよく作ったりするようなネガティブなイメージの方が強いでしょう。ただ欧米人からしたら中国人はやはりブルース・リーのイメージが強く、実像はどうあれカンフー格闘家のようなイメージを未だに持っているような気がします。
 これは逆に言えば日本人も同じです。欧米人がイメージ(勘違い?)する日本人のイメージは先ほども言った通りに侍や忍者ですが、前者は黒沢映画で活躍した三船敏郎、後者はハリウッドで活躍したショー・コスギがモデルであると言ってほぼ間違いありません。仮に両者がいなければ日本人はまた別のイメージ、恐らく今よりも悪いイメージを持たれるか無色透明な印象であった可能性もあるだけに、三船敏郎は既に逝去されているので仕方ありませんがショー・コスギに関してはかねてから日本人情報の発信者として国民栄誉賞級だと私は感じています。

 また少し話が変わりますが、国際政治学では軍事力を指すハードパワーに対して、文化を指すソフトパワーという概念があります。ソフトパワーの代表格はハリウッド映画とマクドナルドと言われ、「なんとなくその国(アメリカ)が好きになる」ような文化というかイメージを植え付けることを指しているのですが、さっきの日本や中国の例を考えるだに映画というものは非常にエグい媒体だと思います。最近の日本では映画よりもアニメや漫画を主なソフトパワーの媒体として使っておりますが、時代が変わっているとはいえ、かつての「世界のミフネ」のような人が出てきてくれないものかと時たま考えます。

 最後に蛇足ですが、一時期の日本のソフトパワーの代表格として活躍したものにドラマの「おしん」があります。これは中国を含むアジア各地で大ブレイクして、中年の中国人ならまず間違いなくおしんを知っているでしょう。このおしんですが以前に同僚から聞いた話で、なんかイランでも有り得ないくらいにヒットして、国内で「尊敬する人ランキング」ってのをやったらホメイニ師をぶっちぎりで破っておしんが一位になってしまい、政策担当者が激怒してしまったことがあったらしいです。

派遣社員の待遇は正社員より上?

 この頃同年代の友人と話をしている際によく、「今の時代、派遣の方が正社員より待遇いいんじゃないの?」という会話をよくします。今日はちょっと短めに、この辺の話を一筆打とうかと思います。

 まず前提条件として、日本社会では一般的に正社員の方が派遣社員より待遇はいいとされております。それこそ格差社会議論が盛り上がった2008年位には派遣は差別を受けているとして派遣の原則禁止案まで出てくるほどでしたが、現在においてはこうした議論は少なくとも目に見える範囲では消失したと言っていいでしょう。
 では当時、具体的にどういったところで派遣社員は正社員より待遇で劣っていると主張されたのか、いくつかポイントを上げると以下の様になります。

1、ボーナスがない
2、仕事内容が単純作業でスキルアップにつながらない
3、年金など社会保険が正社員に比べて少ない
4、いつでもクビを切られるため雇用が安定しない
5、望んでもなかなか正社員になれない

 ざっとあげると以上の5点でしょう。特に2008年のサブプライムローン崩壊直後は派遣社員が真っ先に首を斬られたということもあってこの手の議論が大きくなりました。はっきり言って派遣社員のこれらの待遇は以前と今もそれほど変わりはないのですが、比較対象である正社員、それも若年世代の待遇が実はこの数年で大きく変わってきております。

 まず1点目のボーナスがないですが、これはそのまんま正社員もボーナスがなくなりました。あったとしてもどこも大幅に減らしていて、私の感触だと大体どこも夏と冬にそれぞれ月給1ヶ月分くらいじゃないでしょうか。昔は夏冬それぞれ月給3ヶ月分が出たなんて話を聞くと、「何をそんな法螺話を」という気すらしてきます。なおここだけの話、私は正社員1年目のボーナスが一番多かったです。
 次に2点目、スキルアップにつながらないというこの点ですが、これも不況で正社員でもまともな仕事がなくなり、底辺の仕事が増えております。しかも人員構成の関係からただでさえ採用数を絞った若手社員にいろいろ末端の仕事が押し寄せるようになってて、見方によれば派遣の方がいい経験が出来ることすらあります。

 さくさく続いて3点目、これは巷間ではよく言われ日雇い派遣についてはまさにその通りですが、定期派遣の場合は2ヶ月以上雇用する場合は年金加入義務が生まれるため実際にはほぼ差がありません。しかし年金に関してはこの前出た試算では、今の20代は払い続けた額の半分しか将来受給できないと出ており、かえって払わないで済む立場の方が搾取されずに済むんじゃないか、払わなければならない立場の方が苦しくやしないかと密かに考えてます。
 最後に4、5点目ですが、今の時代だと派遣に限らず正社員もクビをよく切られており、恐らく東芝とパナソニックはこれからテレビ事業関連部門の人間を万単位で切ることになると予想されます。さらに言えば若年世代に限れば正社員率は低い一方で正社員退職率は高く、なんていうかもう差はないんじゃないかという気がしてきます。

 以上のように派遣社員よりも正社員の待遇が大きく落ちてきており、さらに言えば基本給もどこも昇給を凍結していることからほとんど差がつかなくなってることによって、両者の待遇は相対的に同じになりつつあるのではというのが私の考えです。

 さらにもう一点、というよりこれが今回の主張で一番大きなポイントですが、自分たちの世代が就職や転職に当たって何を一番恐れているのかというとブラック企業に当たるか当たらないかです。ブラック企業というのは説明する必要はないでしょうが、要するに労働内容が過重だったり職場の人間がイカれてたり、サービス残業がオンパレードな会社を指していますが、仮に正社員でブラック企業に入ってしまうとすぐに抜けたら退職履歴がついて次の転職に影響するし、頑張って残っても体や精神をおかしくしてしまう可能性があってまさに前門の虎に後門の狼。はっきり言って給与や福祉といった待遇は二の次でいいから、過重労働のないまともな会社に入りたいというのが我々の世代の本音だと思います。
 このブラック企業問題が派遣社員とどう関係があるのかというと、派遣の身分だと問題のある会社だとわかっても派遣会社を通すなどして比較的職場を離れやすく、なおかつ勤務時間が契約で定時に定められているため残業も発生しません。最近はあらかじめ月間残業時間を定める契約もありますが天井知らずな働かされ方はまずされない、っていうか制度に守られます。

 私は実際に派遣の身分で働いたことはありませんが、あくまで私自身の見解で客観的に見比べてみると、今の時代は派遣社員の方が制度的に正社員より守られてやしないかと強く感じます。毎日定時で帰っていいんだったら、余った時間で勉強とかブログ書いていたいし、私だって派遣社員になってみようかなという気すら起きます。

 最後に最近友人から聞いたあるブラック企業の実態ですが、その日の業務が終わると社員全員でパチンコ屋に行き、勝った金額を集めてみんなでそのまま飲みに行くという妙な慣習がある会社があるそうです。しかも毎日で、拒否したら「ふざけるな!」となるそうです。そんなにパチンコ好きならもう会社なんてやめちゃって、パチプロ集団としてやってけよという感じです。

2012年7月6日金曜日

無抵抗の相手をいたぶる日本人の特質

 先日、またも会社でNHKを見ていたら駅員への暴力が昨年に過去最高を更新したと報じておりました。何かニュース原稿はあるかなと思ったら以下のサイトがあったので、念のためはっつけておきます。

駅員らへの暴力 過去最悪に(NHK)

 ただ過去最高とは書いてありますが、私自身は一時期よりは減っているのではないかと勘繰っております。というのも以前は暴力事件、それこそ駅員が殴られたり蹴られたりしてもわざわざ報告したりせずに認知されることがなかったと思うので、社会的に認知されるようになって見かけの件数だけ増えているのが実情だと思います。
 私が何でこんな風に思うのかというと、実は友人に阪急でバイトしている人間がいて、彼から話を聞くとしょっちゅう同僚が殴られていると聞いていたからです。殴られる理由はそれこそ千差万別ですが、いきなり発車時刻聞かれて即答できなかったとか本当にくだらないことばかりだそうです。なお殴られる人間については、意外にも背の高く大柄な人ほど殴られやすく、逆に小柄だった友人は暴言は吐かれても殴られることなかったそうです。

 以前にも同じテーマで私は、日本人は相手が抵抗できないとわかるや極端に暴力的になる傾向が全体としてあると指摘しましたが、結構頑張って主張している割にはなかなか浸透していないようなので、こうしてもう一回書くことにしました。折り悪く、というべきなのか滋賀県大津市の中学校で未だにこんな事件が起こってしまうのかと感じさせられるいじめ自殺事件が話題となっておりますが、決して誇張ではなく、日本人はもっと私の主張する特質を自分自身で理解した方がいいと思えます。

 ここで話を少し変えますが、では一体何故日本人はこうして無抵抗の相手をいたぶろうとする形質を持っているのでしょうか。多分本気で追求したらライフワークにするくらい、過去の歴史とかそういったものを全部洗う必要があるでしょうけど、仮説だけでいいのなら「締め」というものの価値観が影響しているんじゃないかという気がします。「締め」とはそれこそこれ書いてる最中に咄嗟に思い浮かんだ言葉ですけど、どうも日本人はほかの外人と比べて、最初にスタートする際にはあれやこれやと綿密に計画を練る一方、どの程度に達したら行動や活動を止める、ある一定のラインに達するためにはどのように行動するかというような、到達目標に関してはあまり考えないような傾向がある気がします。一番大きな例を持ってくる太平洋戦争で、アメリカと戦うほどに何を求めたのか、またどこでケリをつけようと考えたのか、どこまで言ったら戦争を辞めようと考えていたのか、こういったところは完全に無視されていました。

 そのほかにもどこまで行けばリタイアする、どのラインを割ったら撤退する、ここまで我慢したら離婚するという、あまりにも明確過ぎるとそれはそれで問題ではありますが、なんかこういうところがほかの国と比べて曖昧な感じがします。撤退線の見極めが悪いというか。
 最初のいじめの話に戻っても、どこまでいったらやり過ぎなのか、いじめていた本人らを始め周囲がどうも理解していないというか無視しているとしか思えないところがあります。よく日本人は自分たちの特質をなんでもかんでも「曖昧」の一言で片づけようとしますが、最近私はなんだか、こうやって曖昧で片づける点も含めて、ラインを作ったり深く考えようともしないほど面倒くさがりなだけなのではないかと思うようになってきています。なんにしても、「引き際が肝心」という言葉はもっと評価されてもいい気がします。

遺伝子隕石飛来説について

 今日はなんか久しぶりによる9時台に家に帰りつくことが出来たのですが、なんかダラダラネットを見ていたらまたブログを書く時間が遅くなってしまいました。でもって書くネタも浮かばないからどうしよっかなーとか思っていたら、そういえばヒッグス粒子が見つかったという話を思い出し、天文関係でこのネタを書いてなかったことに気が付いたので今日は遺伝子が隕石によって運ばれてきたという説を紹介します。

 この説はその名の通り、隕石が遺伝子、まさしくDNAことタンパク質を運んできたという説で、この運ばれてきた隕石によって地球上の種の系譜が広がったとする考え方です。この説の根拠となっているのは古代の昆虫類の種類数で、なんでも当初はごく限られた種類、確か数百種類しか昆虫がいなかったのですが、ある時期を境に数万種類へと、しかも劇的に形状を変えて増えているそうです。ダーウィンの進化論とかそういったものをもってしてもこの系統分化はちょっと急激すぎるということで、もしかしたら宇宙から地球に飛んできた隕石になにがしかの遺伝子の破片がくっついていて、それを地球の昆虫が取りこんだことによって種類数が急増したのではないかという説があるそうです。

 もちろんこの説にはいろいろ穴がありますし、そんな当時の地球にとって未知のDNAがくっついていたからと言ってどうやってそれを取り込むんだという疑念もありますが、単純に説として面白いので私は支持してます。支持する理由はいくつかありますが、まず昆虫という種類は人間が大まかに分類しただけであってなにかDNAに基づいてくくっているわけでなく、蜘蛛などの節足動物を含めると実に多種多様、それもどれも全く似通っていない姿をしていれば羽があったりなかったりでまるで姿が違います。これほどまで膨大な種類ある昆虫や節足動物が進化論で説明できるかとなるといくら膨大な時間があってもちょっと信じ辛く、また形状が大きく異なっていることから見ても、なにか外からの力によって系統分化したのではと思わせられます。

 なんかこの説を以前に知り合いに披露したら、「それ、さくらももこも同じこと言ってた」ということを教えられました。話によるとさくらももこ氏のエッセイかなんかで取り挙げられて、さくらももこ氏も「あたしはこれを信じる」と言っているそうです。なおさくらももこ氏と言えば言わずと知れた「ちびまる子ちゃん」の作者で私自身も昔にこの作品をよく読んでおりましたが、何故だかこの前に同僚との会話で、

「財布の中にお金がない時ってさいつも、寿司屋の料金を払えなくて先にまる子に買ったローラースルーゴーゴーを返品しに行くともぞうが思い浮かぶんだけど」

 といったら、なんか同僚もこの時の回だけはやけに覚えているらしく、なんでほかの回は思い出さない癖にこの回だけはパッと思い出せるんだろうと二人で思案に暮れました。あとほかにすぐに思い出せるのと言ったら、まる子が鍋でネギを食べずにいると周りが「ネギを食べると頭が良くなる」と説得したら、「そうじゃぞまる子、わしも昔からネギが大好きじゃ」とともぞうが言って、ともぞう以外の家族全員がネギに効果かがないということを理解する回くらいですかね。全部ともぞうがらみというのもなんだけど。

大きく叩けば大きく鳴るということについて

 歴史に詳しい人ならもしかしたら知っているかもしれませんが、坂本龍馬は西郷隆盛の人物評を、「大きく叩けば大きく鳴る」と書き残しております。この意味は太鼓のように、つまらないことを聞くとつまらない答えが返ってくるが、逆に面白いことを聞くと面白いことが返ってくるということを表していると言われております。
 この人物評を聞いたのは確か小学生くらいの頃で正直ピンときませんでしたが、年を重ねてみてなんとなくこういう人っているもんだという実感を覚えるようになってきました。どんなところで実感するかですが具体的に挙げると大学の恩師がまさにこれで、在学中も凄い人だなぁと漠然と感じていたものの、自分が成長を感じるにつけ、その凄さというものが段々理解できるようになり、最初に会った際よりも距離感というか実力差をより深く思い知るようになってきました。

 ちょっと今、アルコールが入ってて真面目に頭痛いのでまた短く切り上げざるを得ませんが、たまに後輩などから、「実力のある人と交流をしてみたいものの、そういう人に巡り合えない」という相談を受けることがありますが、実態的には巡り会えないというよりも目の前にいても気づかないのではという印象を覚えます。中には例外もいますが、私はやはり本当に実力のある人間を見抜くには自分自身も一程度の実力がないと、その相手の凄さがわからず見過ごすことになってしまうかと思います。これは逆に言うならば、凄い人間と知り合いたいのならまず自分自身が実力を養わないということです。
 真面目にもうこの辺で限界。明日はもうちょっと真面目に書こう。

2012年7月2日月曜日

外国でストレスを感じない人間

 一泊二日の出張から今日帰ってきたら自分が住んでるサービスアパートメントでカードキーがないとロビーに入れないようになってました。多分、年がら年中ドアの隙間に広告(大抵マッサージ屋)を入れる人間が後を絶たないせいだと思うけど、気軽に外とか出づらくなるし、財布にもう一枚カードを入れないといけないと思うとなんだか億劫な気がします。っていうか今週は今日までの出張を筆頭にやけにイベントが満載で、更新が少なくなるかもしれません。

 話は本題に入りますが、学生時代に受けた心理学の授業で今日の表題になっている「外国でストレスを感じない人間」という解説がありました。その授業の孔子じゃなくて講師曰く、人間というのは文化圏の異なる外国に行くとどれだけ対策を施しても、どうしてもストレスというものを多かれ少なかれ受けてしまうそうです。ただ2種類、ある種の人間だけはこの手のストレスを全く受け付けない人種がおり、てっとり早く明かしてしまうとそのうちの一種類は真の意味で国際人と呼べるような完全に先天的な特殊な人間、もう一種類が今回の話の肝ですが、何かしら信仰を持っている宗教家だそうです。

 私がこの話を聞いた際に真っ先に思い浮かんだのは、デーブ・スペクターが言う「日本初の外タレ」ことフランシスコ・ザビエルです。何もザビエルに限らずどの時代でも伝道者というのは今の時代のようにインターネットもなければ航海中に客死することも珍しくなかった時代に言葉も何も通じないところへどんどんと赴き、エネルギッシュに活動してます。仏教でも鑑真のような人物もおりますし、そうした歴史的孤児を考慮するだに先ほどの話にはなかなか信じさせられるものがあります。
 更に最近は現実に海外に暮らしてて、やっぱり信仰心がある人間というものは外国で強いとよく実感させられることも多いです。私自身は普通の人に比べれば恐らく信仰心が高い方ですが特定の宗教に染まってるわけじゃなく毛の生えた程度ではありますが、身近にキリスト教の洗礼も受けてて毎週日曜に教会に通っている人が身近に複数おり、その人たちを見ていると本当の意味で海外生活を楽しんでいるようにしか見えず、ほかの日本人と決定的なまでに違って、日本に戻ってゆっくり暮らしたいとかいう素振りを見せることが全くありません。もう一つ止めに付け加えると、この手の人間らは語学能力も極めて高い人間が多いです。

 先日にまたNHKで見た企業の新卒採用現場特集とやらで、なにやら国際社会に強いとかいう理由で留学帰りの学生をターゲットに募集をかける企業が増えていると報じられていました。またそれとは別の報道で、「これからの時代は"倭僑"となれる人材が必要だ」とかいう「華僑」にかけた記事も見受けましたが、私に言わせるのならば"倭僑"というイメージに合う人間はとっくのとうに日本から出ていてそもそも国内に残っていないのではないかという気がします。むしろそれだったら上で書いてある通り、初めから海外で働かせる気なら宗教を信仰している人材を語学能力を無視してでも取る方が効率的な気がします。

 あと最後に蛇足ですが、信仰を持っていれば外国での生活に強いというのであれば悪魔主義者(サタニスト)はどうなのかという疑問がもたげます。とはいうものの国際的なサタニストというのも、なんだか想像しづらいような。

2012年6月30日土曜日

何を以って景気回復とするのか

 先日に消費税増税を含む一体改革法案が衆議院を通過したのは記憶に新しいかと思います。これら法案に対する反対意見として、「不況期の今に増税するべきではない。財政再建は景気が回復してからだ」という声がたくさん、っていうかこれ以外の反論はほぼなかったかと思います。こういった意見を主張する人はまだしばらく赤字財政が続くこととなっても景気刺激策を打ち、公共事業などをしていくべきだという案を披露していますが、私はこうした意見には真っ向から反対です。またでかいことを書いてしまうのならば、彼らの言う景気回復という状態は今後永遠に日本には訪れず、あるとしたら今の40代以上の世代がすべて死んだ後に来るでしょう。

 あまり長くする話でもないのでちゃっちゃとまとめてしまいますが、上記のような意見を主張する人が言う「景気が回復した状態」というのはほぼ間違いなくあの90年代前後のバブル景気の時代で、当時くらいに税収が集められる状態を指していると私は感じます。しかし以前からも書いておりますがあの高度経済成長期という時代は冷戦に挟まれた特殊な状態であったことから実現したのであって、少なくとも日本一国がどう努力したところで再現することは不可能と言っていいでしょう。これは言い換えるならあの時代ほど景気が良くなることはもう有り得ず、今の税収、経済規模でどうにか国をまわしていくしかない。更に言えばあの時代を無理に再現しようとしてムダ金使った分の借金を返しつつやるしかない、というのがかねてからの私の持論です。

 これは断言してもいいですが景気回復優先論者達は何を以って景気が回復したと判断するか、具体的な経済指標を示したことはないと思え、あるとしたらバブル期並みの歳入実現しかないでしょう。それこそ失業率が何%を下回ったら、GDPがどの程度に達したら、経済成長率が年率で何%成長に達したら財政再建に取り組むとか、そういった具体的な議論は今まで全く見たことも聞いたこともありません。更に言えば小泉政権時代に連続して経済成長を達成していた際も、「国民は景気回復の実感を持っていない」と言って景気回復には至っていないという強弁もありました。私に言わせるなら指標で確実に成長しているのだから、国民の実感云々は再分配の問題で、公共事業がいるかいらないかは別問題な気がしてならないのですが。

 以上のような観点から私が何を言いたいのかというと、景気回復優先論者はどのラインで景気が回復したと判断して財政再建に取り組むのか、具体的な数字を上げてもらいたいの一点に尽きます。仮にそれが現実離れした桁外れな数値だったらそこまでの話ですが。
 なお私個人の意見としては失業率が10%を下回って、GDPがプラス成長であれば今の国際環境であればまだ景気がいい状態なんじゃないかと思います。特に日本は今、少子化で人口も減り始めているのですからGDPは自然減するのが当たり前です。そういった点を考慮してほしいのですが、このところよく思うこととして、中国にいるせいかもしれないけど日本人はなんでこんなに経済指標を意識しないのかが不思議でしょうがないです。変なことを言うと日本のGDP成長率以上に中国のGDP成長率を気にしているようにも見え、一桁になったとか、成長が大幅に鈍化しているとかで大騒ぎしているのはやや滑稽に見えます。

2012年6月29日金曜日

暴れん坊将軍、足利義教について

 暴れん坊将軍とくれば徳川8代将軍の吉宗を誰もが思い浮かべるかと思います。余談ですがドラマの「暴れん坊将軍」では平均して35人が吉宗(松平健)に殴り倒されており、総数では約29000人にも上るそうです。
 そうした豆知識は置いといて、徳川幕府だけでなく足利幕府の将軍にも暴れん坊としか言いようのない将軍が一人おります。その激しい行動の割にあまり知名度がないと思うので、今日はその足利6代将軍の義教について簡単に解説します。

足利義教(Wikipedia)
 
 足利義教は6代将軍ではありますが、系列的には初代尊氏のひ孫で、3代目義満の3男です。6代目にしてはやけに系列が短いような気がしますが実はこれにはわけがあり、足利幕府は初代から3代目義満まではみな成人してから将軍に就任していますが、4代目義持(義満の息子)はわずか9歳、5代義量(義持の息子)も16歳と総じて就任年数が若いのが特徴です。こうした年若い就任は必然的に周囲の有力武士が政権を担ってしまうことになり、この点が足利幕府が終始将軍権力の弱い集合政権で終わってしまった最大の原因でしょう。
 それで足利義教の就任の経緯ですが、5代目義量は父親の義持が存命中に将軍位に就いたのですが、就任からわずか三年後の19歳で早世してしまいます。その後しばらくは義持が将軍につきましたが、この人の何が面倒かというとなんと死の直前まで後継者を一切指名しなかった点です。これには幕臣らも困り、しょうがないから有力血縁者の中からくじ引きで選ぼうということになり、くじの結果で既に出家していた当時34際の義教が6代将軍に選ばれることとなりました(くじ引き自体は八百長で初めから決まっていたという説もあり)。

 そんな偶発的な経緯から就任した義教でしたが、将軍となるや積極的に政治に関与します。それまで不可侵の存在だった社寺勢力等に対しても比叡山延暦寺を取り囲むなどして要求を貫き通したり、義教の将軍就任に異を唱えていた鎌倉公方の足利持氏を攻め滅ぼしたり(永享の乱)と、元坊主とは思えないくらいに果断な行動を取り続けました。
 これ以外にも有力武家の家督継承にもたびたび介入し、いろんな家で自分の意中の人物を当主に据え、逆に反抗しようとした人物に対しては刺客を送って暗殺することもままありました。こうした行動の多くは前向きに見るなら将軍権力の向上を目指してのものと見ることもできますが、私個人としては苛烈な義教の性格から来るものだったと考えています。義教は宮中に対しても強い態度を取り続けたことから当時の公家の日記には「悪御所」とまで評されており、一部は尾ひれがついたものもあるでしょうが「酌の仕方が悪い!(#゚Д゚)ゴルァ!!」と言って侍女の髪を切って無理矢理に尼にしたり、自分に説教しようとした日蓮宗の僧をしゃべれなくするために舌を切ったりと、かなり細々とした内容が残されております。

 厳しい評価をすればこのような苛烈な性格の持ち主が大成した例は少なく、いずれ暗殺か追放されると感じた有力守護の赤松満祐はやられる前にやってやれとばかりに、自宅に招いた義教を暗殺してしまいました(嘉吉の乱)。暗殺後、赤松満祐は幕府から追手が来ると考えて京都の邸宅内にしばらく残っていましたが、義教に権力を集中させ過ぎたせいで当の幕府は混乱し、何の追手も来ないことから義教の首と共に領国に帰ってしまう始末でした。もっともその後に追討軍が差し向けられ、一時的に赤松家は取り潰されることとなりますが。
 義教の政治は確かに一時的ではあるものの足利将軍家の権力向上にはつながりましたが、結果的には義教自身が暗殺されたことによって将軍家の権威はそれ以前より下がることとなりました。同じ強権力志向者でも、まだローマ帝国の背教者ユリアヌスの方がマシだったという気がします。

2012年6月26日火曜日

消費税増税を含む一体改革法案可決について

 もはや何も語るまい、と言いたいところですがそうも言ってられないのが今日の消費税増税を含む税と社会保障の一体改革法案可決です。まず結論から述べるとついに通ったかとホッとするとともに、よく決断したと野田首相に対して強い賛辞を送りたいと思います。結果はどうなるかまだ分かりませんが、良くも悪くも日本政治の大きなターニングポイントになると考えて間違いないでしょう。

 今回の採決について中国メディアも大きく報じており、今朝の朝刊でも「野田首相が政治生命を賭す」というような見出しで採決があることを報じておりました。そして採決後の今はどんな風かと思って新華社の記事をめくってみたら「湯手山芋」という四字熟語が見出しにつけられておりました。恐らく「火中の栗を拾う」という意味でしょうが、重要部分を翻訳すると下記の通り書かれております。

 1997年に橋本内閣が消費税を3%から5%に引き上げた後に橋本元首相は退陣に追い込まれたことから、日本にとって消費税増税は政治におけるタブーだった。

 と私から言うことなしの評論書いた上で、「日本の債務残高は世界一で、年間GDPの2倍以上もあってIMFなどからも消費税を15%以上に引き上げるよう勧告を受けていた」と書いてあります。その後は小沢の説得に努めたが結局物分かれて造反に至り、これでまた小沢が新党を作ったら四度目だと書かれてあります。外国人が書いたことを考えるとよくまとまっています。

 この中国の記事が書いている通り、今回の法案採決は野田首相にとって文字通り命がけの決断と言えるでしょう。私としては増税があと十年早ければと悔やんでならないし、これで子ども手当も放棄してくれていればパーフェクトと言いたいのですが、子ども手当に関しては民主党内への最低限の妥協なのかもしれない可能性があるので多少は仕方なく感じます。
 よく日本は国が保有する資産残高を財政に計上していない、実際は無借金国だという主張も見られますが、それにしたって今の支出が収入を大きく上回る状況は異常というよりほかがないでしょう。さらに言えば、今の自分を含む日本人が不安を持っているのは明日ではなく十年後や二十年後のような気がします。明日ではなく十年後や二十年後がどうなるかわからないがために貯蓄傾向が高まるのだし、なによりも今の自分より下の世代に負債や問題を引き継がせたくない、少なくとも借金を作った世代は自分が作った分くらいは返してから死んでいくべきだと思うので、私はかねてから増税によるプライマリーバランス回復を主張してきました。

 今後の政治の行く末ですが造反者が多数出たことによって、場合によっては解散につながる可能性もあるでしょう。また自民党も造反者を処分しろとここぞとばかりに強気な要求を出していますが、一歩間違えれば増税を推進したとして次の選挙で野田首相を中心とする民主党同様に大敗する可能性があります。どちらにしろ、次の選挙で野田首相グループが選挙で勝ち残るのは世間体もあって厳しいでしょう。
 それだけによくこんな決断をしたものだと、重ねて野田首相には尊敬の念を覚えます。ほかの人が見向きしなくとも、私一人は彼を高く評価していようと思います。

2012年6月25日月曜日

JALのこれまでの再建、東電のこれからの再建

 先日にダイヤモンドが出したJAL再建の記事が面白かったので、ちょっとここでも紹介します。

【企業特集】日本航空(上)破綻2年で営業利益2000億円 JAL式アメーバ経営の真髄(ダイヤモンド)

 こういってはなんですが、わずか2年でここまでJALの業績が回復するとは私も想像だにしませんでした。今回このダイヤモンドの記事を検索するに当たって「JAL 再建」で検索したら破綻当時の日経ビジネスの記事、「JAL再建計画に信憑性なし」が引っかかってきて、なんていうか隔世の感があります。ただ結果的には日経ビジネスの予想は外れてしまったわけですが、なにも日経ビジネスに限らなくてもJALの再生がうまくいくなんて誰も思いもしなかったでしょう。
 ここだけの話、私も日経ビジネス同様にJALの会長に就いた京セラ出身の稲盛会長をあまり評価しておらず、財界人脈の少ない民主党のなけなしの人事だと見ておりました。京都ブラック企業四天王の筆頭、FF4で言うなら火のルビカンテに当たる京セラ出身ということから、恐らく社員のクビを切るだけ切って見かけの数字だけでよくするのではと本気で信じていましたが、破綻前と比べてJALはニュースになるような整備不良やヒヤリハットの件数は減っており、またサービスなどに対する評判もあまり悪いものを聞きません。むしろ苦しいのはわかるんだけど、ANAの方がこのところなんか妙な報道が目立ちます。

 JALはまた再上場するとの報道も出ておりますが、ここに至っては稲盛会長の力量を認めざるを得ません。こんなことを友人と話している最中にふと、「この際だから東電も稲盛に任せた方がいいんじゃないか」という発言が出てきました。既に時期東電会長職には下川辺氏が内定しておりますが、どうしようもない組織なだけにもっとドラスティックな人事が必要だったのではないかと思えてなりません。それこそ口を開く傍から嘘八百を並び立てる役員が多いだけに、稲盛会長のようなクビ切れる人間、ほかにも挙げるなら必殺技がコストカッターな日産のゴーン会長とかのが適任な気がします。

 といっても、JALをやった後で今度は東電というのもなんだか大変ですし、日産のゴーン会長に至っては現業を離れることはないでしょう。となるとほかに経済界に人材はいるかという話になってきますが、パッと思いつくあたりなら幸之助精神の破壊者こと中村邦夫パナソニック会長とかもいますが、大穴で言うならオリンパスのマイケル・ウッドフォード元社長もありかもしれません。
 ここだけの話、東電の幹部人事はこの際だからほかの条件はともかく外国人を招いた方が好都合かもしれません。これまで独占産業で海外市場の感覚を全く持ち合わせておらず、明らかに世間一般とずれた感覚を有している組織なだけにトップだけでも社内常識に染まらない、っていうか国内の様々な反動勢力の影響を受けない人間が必要でしょう。トップを変えれば何とかなるというのは代々の阪神タイガースの思想ですが、東電に関してはトップにすべて壊してもらわないと何も始まらないでしょう。

2012年6月24日日曜日

政府の自殺対策について

 前にも書きましたが日本人は自分たちで自殺率が高い民族だと考える傾向がありますが、世界ランキングで言えば第8位で、韓国をはじめとしてまだまだ上には上がいます。さらに「先進国中で最も自殺が多い」と負けじと言ってくる人もいますが、先ほどの世界ランキングと比較するならそれでは韓国やロシアは先進国ではなくなってしまうので、私としてはちょっと無理な言い方な気がします。
 それはさておき未だに自殺者数の増加は歯止めのかからない状態が続いておりますが、政府のここ数年の自殺対策は一体なんだったのかというくらいに効果がありません。政府自身も「無駄な仕事でした」とはっきり認めていますが、そうやって素直に間違っていたといいつつ自殺対策のPRキャラクターにAKB48を使う当たり、多分何も反省してないんじゃないかという気がします。

 いきなり結論を言いますが、私の見立てだと政府は初めから自殺対策なんてする気が全くないんだと思います。さらに言えば今のうちに人口減らしとけと言わんばかりに、自殺者が増えることを歓迎しているのではないかと思う節があります。一体なんで私がこんなことを言い出すのかというとさっきに上げたようにPRキャラクターにAKB48を使ったという点で、日本の自殺は他国と比べて50代以上が大半という特殊な国(他国は若者が多い)であることを考慮すると、若者向けのキャラクターよりも50代以上の年寄りにも通じやすいキャラクターじゃないと意味がない気がするからです。それこそ北島三郎とか加山雄三など、往年のスターを使った方が認知度から言って効果が高いという気がします。

 ただ最近の自殺だと若者の自殺率も有意に増えており、若者の対策も全く必要でないわけではありません。根本的に自殺をなくすことは不可能に近いですが、もうちょっと傾向と対策をそれこそ社会学者に練らせて予算を無駄に使わない対策をやってもらいたいと陰ながら思います。

2012年6月22日金曜日

第一印象を悪く見せる理由

 自分が自分を最も偏屈足らしめている性質の一つに、敢えて第一印象を悪く見せるというものがあります。これなんか私と親しい人間などはよく知っているでしょうが、普段は赤い人みたいに常人の3倍くらいしゃべる癖に、初対面の相手に対しては割と不機嫌そうな顔してぶすっと黙り続けることが多いです。後から聞いてみると、「なんか怖そうな感じがして取っつき辛そうだった」という声が聞かれますが、これらの印象は意図的に与えていると自負します。

 一体なんでこんな面倒くさいことをするのか。一見すればただ人見知りしやすいということで片づけられますが普段の私を見ている人からは「人見知りはあんなにしゃべらない」とのことで、私も違うと思います。結論を書いてしまうと初対面の際は自分を売りに出すより相手の性格や話し方、教養、反応速度を測る方に集中して、自らの情報は極力出さないようにしています。その上で最大の目的を言うと、第一印象で相手を決めつけるような人間とはなるべく関わりたくないとの思いがあり、逆に第一印象にとらわれずに二回、三回と会っていく中で相手を見極めようとしてくれる人と付き合っていきたいとも考えており、そうした人間をスクリーニングするという意味合いでこんなことをしております。

 よく友人からはこんなことするのは間違っていると言われており、人を試す、試さない以前に自分が損するから辞めるべきだとよく諭されます。言わんとしていることはよくわかるのですが、自分の経験上、第一印象を一度定めてしまうとそこから全く相手の人格を動かさない人間はよくおり、しかもこういった人間に限って平気で嘘をつけば相手の痛みを気にせず行動する人間が多いです。私自身もこれまでにこういった輩に何度も痛い目に遭わされており、それだったら初めからビジネスライクに、必要以上に接触しないことが自分にとっても相手にとってもいいように思うようになりました。
 またほかの人はともかくとして自分の場合は周囲の話を聞くと、短時間じゃ測りきれないところが多いそうです。考えてみると日本史や世界史、政治や社会事情などといった知識に強みがあるということや、フォースと共に生きていることは数時間話しただけではわからず、後からいろんな意味で変わってる人間だと気付いたという評価をよく受けます。言ってしまえば、私の場合は第一印象ではやや伝わりづらい人間性が多いために、単純に長い目で見てくれる人ほど評価してもらいやすい性質があるということです。

 私自身もこれまでいろんな人間と会ったり、実際に指導したりしましたが、やはり第一印象というのはあまり当てにならない気がします。ちょこっとひねってみると思わぬ一面が見えたり、逆になんでも卒なくこなせそうに見えるけど少しやらせてみると極端に苦手な分野を持ってたりすることがわかったり、基本的には長い目で相手と話したり一緒に行動しないと評価はしきれないものです。
 翻ってこの頃の日本社会ですが、これはこんなことをしている私だからはっきり言わせてもらうと、なんでもかんでも第一印象で決めつけようという空気が社会中にはびこっている気がします。新入社員面接然り、商品のマーケティング然り、政治家の活動然りで、中身にはあまり目を向けず外っ面ばかり見て何もかも決めている人があまりにも多すぎます。もちろん見た目がいいということに越したことはありませんが、それは中身が伴って初めて言えることで、中身も何もないのに見た目ばかり気にされるというのは本末転倒で、それであれば見た目が悪くともまだ中身がしっかりある方がいいに決まってます。

 前にも新書で第一印象で評価はすべて決まるとかいうタイトルからして気に入らない本が売れてましたが、これも厳しく指摘させてもらうと中身を審議するのが面倒だからなるべく上っ面で判断したいという欲求が今の日本人にあるからだという気がします。日本には折角「質実剛健」という言葉があるのに、この言葉を多用しているのが自分だけというのも寂しいを通り越して複雑な気持ちになってきます。
 私が友人からかなり激しくやめるようにと言われながらもわざと第一印象を悪く見せ続けるのも、こうした今の風潮に無駄かもしれないが反抗したいという思いがあってのことです。第一印象で何もかも決まってしまう世の中だからこそ、第一印象だけで決めない人間が必要なんだと、声を大にして言いたいわけです。

2012年6月21日木曜日

SNSを使ったマーケティングに効果はあるのか

 私事ですがこの約一ヶ月、中国版ツイッターこと「微博(ウェイボー)」を使って中国市場マーケティングを展開するという日系のコンサルティングなり広告会社のリリースが非常に多く、私一人でも十本くらい記事書いている気がします。どれも同じような内容ばかりではっきり言わせてもらえばもううんざりで、昨日なんか同僚に向かって、「俺はもうこんなの書きたくないんだよ(#゚Д゚) プンスコ!」とまで漏らしてしまいました。
 それはともかくこの微博ですが、中国は人口が馬鹿みたいに多いだけあって利用人口は確かに非常に多いです。日本のツイッター、ひいてはフェイスブック利用者数なんて比べ物にならないくらいなのですが、ちょっと前にこのウェイボーを取り上げて気になった記事が一つありました。

SNSでファン層を拡大~中国版Twitter“ウェイボー”活用法(オリジナルコンフィデンス)

 中身は微博を大雑把に紹介している記事なのですが、「日本人では、元サッカー選手の中田英寿のフォロワー数が最も多いが~」と書かれているところがやけに気になりました。というのも日本人アカウントのフォロワー数で言ったら今や中国で最も有名な日本人と言っても差し支えない、AV女優の蒼井そら以外には私は考えられません。ちょこっと検索してみたら既にフォロワー数が1200万人を超えているそうですし、蒼井そらを無視して日本で微博を語るなんて語るに落ちたところでしょう。

 いつもの如く話が脱線しておりますがそろそろ本題に戻ります。最初に書いたようにこのところいろんな日系企業が中国に進出している日系企業向けに微博を使ったマーケティングサービスを始めるとか、引用した上の記事のようにこれから中国市場を攻める上で微博を無視することなんて考えられないという話を本当にこのところ見ます。こんな風に書いているからもうわかるでしょうが、私はこういった微博礼賛、というより微博やツイッター、フェイスブックなどといったSNSを使って企業がマーケティングすることに対し、そもそも効果があるのか強い疑問を感じています。もう言い切ってしまうとどう見たって効果があるようには思えず、こんなのにムダ金使うくらいなら地道に展示会とか即売会する方がよっぽと価値がある気がします。

 一体何故SNSのマーケティングに疑問を持っているのかというと、単純に成功例をほとんど聞いたことがないからです。それこそツイッターとかフェイスブックでの発信を契機にある商品が爆発的に売れたとか、海外市場で知名度が大きく向上した、ブランド価値を持つようになったという話は日本企業のみならず米国や中国の会社ですら聞いたことはなく、あるというのなら是非とも教えてほしいくらいです。もっともこう言いながらただ一件だけ、ツイッターの投稿文があまりにも悲し過ぎるということから注目を集め、来客数が急増して2号店設立にまで至ったネパールカレー屋「だいすき日本」の成功例(?)は存在しますが、比較的規模が大きな企業でフェイスブックを始めたことによってどれだけ売り上げが伸びたとか、実際の商品購入に結び付いたとかいう話は皆無に近いでしょう。

 またこのSNSを使ったマーケティングの効果や必要性を声高に主張しているのが、私個人の主観ですがどうもコンサルティングと広告会社しかいないような気がして、さも効果があるように見せかけて商売してるんじゃないかと疑ってます。それこそミクシが流行った数年前も、「就職活動を行う学生にとって必須となりつつある」とかいう、今の微博やフェイスブックと同じような宣伝文句が盛んにあちこちで言われてた気がします。なんていうか、これこそが業界ぐるみのステルスマーケティングなんじゃないかというのが私の感想です。

 念のため付け加えておきますが、私はSNSがくだらないものだとは思っていません。それこそ芸能人にとっては今や必須のツールとなっておりますし、私はあまり使いませんが一般個人でも友人間で連絡を取り合うにはうってつけだと思います。ただそう考えるにつけ、このSNSというのは個人が使うから価値が出るのであって、企業や団体が使うにはあまり向いていない代物なのではないかという気もします。それこそ本気でSNSを使って商品を売り込むというのなら、有名人とかに依頼してその商品の情報をたくさん発信してもらうという、まんまステルスマーケティングをする以外ほかないんじゃないかと思えます。

 なんだか今日はやけに逆説で文章つなげることが多いですが、最初に微博関連の記事はもううんざりだとか言っておきながら、自分が記事書いた中で、「ここはなかなか面白い」と思った会社が一社だけありました。会社名はわざわざ挙げませんがそこも微博を使ったマーケティングサービスを請け負うという会社でしたが、主なターゲットとしている客層は日本の全国自治体で、各地の観光促進につなげたいと社長が言っていました。企業が商品を売り込むのには向いているとは思いませんが、こと観光産業であれば地道な情報発信が大事だと思えるし、SNSを使う価値があるのではと話を聞いてて感じました。その社長は、「自分で言うのもなんだが、日本人で微博のことなら自分が一番知り尽くしている」と自負してましたが、ほかの会社と違って着眼点というか発信する価値観では確かな違いを覚え、気持ち分だけ応援するような感じで記事を書きました。

2012年6月19日火曜日

小沢グループの実態と現状

 国会も終盤に差し掛かり消費税増税議論も本格化してきました。そんな中で民主党内では小沢一郎を中心とするグループが民主党主導部の方針に異を唱えており、いざとなったら分裂も有り得るというような報道がこのところの政治記事の中心となっております。あまり長く書く記事でもないのでちゃっちゃと書いてしまいますが、私は世間、というより大メディアが主張するほど小沢グループに力はないと思います。
 そう思う根拠としてまず増税議論においては私の見る限りですと国民の中でも意見が割れており、私みたいに増税をやむなしとする層が多数派でなくても一定数おり、国民総出で反対しているわけじゃないということが挙がってきます。仮に全員が全員反対だったら民意を縦にすることが出来ますが、今の状況だと増税反対は民意だと言っても(既に言っているが)どうも政局に利用されているような感じがして、正当な行動には見えないでしょう。もっとも、実際のところ政局に利用しているだけなのですが。

 また小沢グループの構成員にも大きな問題があります。現在、小沢グループのほとんどは先の総選挙で当選したばかりの一年生議員ばかりで、すわ解散となったら今の支持率ではほとんど当選できないほど基盤の薄い議員ばかりです。そのため民主党主導部に反抗して推薦が得られないばかりか、法案が否決されてすぐさま解散に持っていかれたら明日をも知れぬ身となるので、かつての郵政選挙のように土壇場で寝返る可能性も高いとみています。
 その上で今の小沢グループには重鎮となる議員が極端に不足しています。以前であれば輿石民主党幹事長がおりましたが今の彼は完全に野田首相側について行動しており、むしろ小沢に対して妥協するよう求める立場で距離を置いている感じがありありとします。そして極め付けとなるのが今の小沢グループと歩調を同じくしているのはほかならぬ鳩山由紀夫元首相で、今後政局が深刻さを増すにつけていらんことを次々と口にして周囲をややこしくかき回すことが目に見えています。しかも下手したら散々面倒な事態に身内をひっぱた挙句に最後の最後で、「野田首相の言うことも一理ある」と致命的な場面で寝返ることすらなんかありそうで、この人をどこか遠いところに置かない限りは小沢グループの未来は暗いでしょう。

 ここまで言えばもうわかるでしょうが、私は今回の増税案はこのまま通過するかと思います。この増税を財務省のただの焼け太りにさせないよう、監視するのはこれからの国民の使命でしょう。

2012年6月18日月曜日

犯罪者の生い立ちは刑に考慮すべきか

 刑事事件の裁判などではよく、弁護士が被告の不幸な生い立ちを語ることが多いです。それこそ貧しい家庭に生まれたとか親の愛情を受けなかったとか、そうした背景が性格に影響を及ぼして犯罪に駆り立ててしまったという具合に、弁護士が語るのは何もドラマだけの話じゃないでしょう。
 まず前提の話として、細かいデータなどは出しませんが貧困家庭出身の人間がそうでない出身の人間と比べて犯罪を引き起こす確率が高いのは各種統計からも伺えます。そのため犯罪をなくす、減らすためには生活を豊かにさせればいいのだとばかりに社会福祉の充実が図られた時期がありましたが、少し脱線すると高度経済成長期以降は裕福な家庭出身者でも犯罪に走る人間が出てきて軽いモラルパニックが起きています。

 本題に戻りますが、果たしてこういった生い立ちは刑罰の軽重に影響を与えるべきでしょうか、不幸な生い立ちは刑を軽くする理由として認めるべきでしょうか。結論から話すと私の答えはノーで、それが犯罪を実行するに当たって直接的な動機とならない限りは全く考慮する必要はなく、審議に当たって無駄な時間となるのでこういう言い訳はしないように裁判で徹底するべきでしょう。

 たとえば家庭が貧乏で満足に食事が取れず、餓えから食べ物を盗んだというケースのようにその不幸な生い立ちや状況が直接的な動機となる場合、餓えという問題が解決すれば次回以降は犯罪を抑止する可能性が高いと言えるので、この場合は通常の窃盗と比べて減刑するべきでしょう。また貧乏な家庭出身、極端な場合は被差別部落出身であることを罵倒され続たことからその罵倒した相手を殴打したり、怪我をさせた場合も、差別さえなければ犯罪を起こすことはないと言えるのでこの場合も普通の傷害と比べて減刑するべきだという立場を取ります。
 しかしその犯罪が不幸な生い立ちと全く関係なく引き起こされた場合、これも例を出せば子供時代は非常に貧乏だったものの、成人後は働いて自活していたにもかかわらず窃盗や殺人を犯した場合、こういうケースはその生い立ちはなんの言い訳にもならないでしょうし、むしろお涙ちょうだいとばかりにそんな話をされるだけでも虫唾が走ります。よく少年期の体験が性格を捻じ曲げてしまったなどという弁論がされますが、では同じような体験をした人間はみんな性格がねじ曲がるのかという疑問が出てきます。さらに言えばでは恵まれた生い立ちの人間が同じような犯罪を引き起こせば、一般的な生い立ちの人間と比べて罪が重くなるのかと言えばそれもまた変な話でしょう。

 私がこのように考える一因となったものとして、戦後の死刑基準となった永山則夫連続射殺事件が大きく影響を与えております。現代は死刑基準が厳しくなって既に「永山基準」は過去のものとなりつつありますが、恐らく法学部出身者ならこの事件は目に耳にしているはずです。私個人としてこの事件で無関係の人間4人も問答無用で射殺した犯人の永山則夫に対してその不幸な生い立ちには強く同情します。しかし最高裁の判決で「同じように不幸な生い立ちだったほかの兄弟は犯罪を犯してはおらず、その生い立ちが犯罪を犯す理由とはなり得ない」と指摘した内容はまさにその通りだと感じ、同情されることはあっても犯罪に対する免罪符にしてはならないと私は考えております。
 同じようにその不幸な生い立ちが大きくクローズアップされた事件として池袋通り魔殺人事件がありますが、この事件も生い立ちとは全く関係のない人間を襲っており、減刑するようなものではないでしょう。

 私自身は比較的恵まれた家庭で育っており、また被差別階級の出身でもありません。敢えて言うのなれば「持たざる者」ではないが故に、このような意見を主張するのではないか、逆の立場であれば言うことも逆になるのではないかという危惧はあります。しかしそれでもなおこのような意見を主張しようと思ったのは、もうそろそろ不幸自慢みたいなことを日本人全体でやめるべきじゃないかと常々感じていることから、こうして記事に書こうと思った次第です。

2012年6月17日日曜日

専業主婦志向が高まったわけ

 一昨日から続いていたYahoo Japanを含む日本のサイトへのアクセス規制ですが、本日正午12時きっかりに復旧しました。理由は恐らく尖閣買取問題での嫌がらせだと思いますが、日本企業みんな揃って「業務に支障が出たぞ(#゚Д゚) プンスコ!」と言って各プロバイダ会社に損害補償を請求してもいいんじゃないかという気がします。大事になればなったで政府も二回、三回と出来なくなるだろうし。

 話は本題に入って久々に社会学ネタですが、近年、日本人女性の間で専業主婦志向が高まっていると言われております。この論はこれまでにもパラサイトシングルなど様々な流行語を生んできた山田昌弘氏が主張しておりますが、山田氏のデータ以外にも各種の社会データがこの傾向を裏付けており、専業主婦志向が高まっているというのは間違いないでしょう。
 では何故専業主婦志向が高まっているのか、この前も同僚に「我々の仕事は5Wの最後のW、Whyを書く仕事だ」と言われましたが、背景となる理由が一番求められているかと思います。そこで今日は専業主婦思考が高まっている理由を数字データの立証なしに私が思いつくままに上げてきます。

 まず以前、と言っても2年前の関西某所で開かれた勉強会にて講演したある社会学教授の意見から紹介しますが、その教授曰く、「視界のなかにいる大人の女性」が大きな原因だと指摘してました。少し過去の話をすると90年代初頭は男女雇用機会均等法が成立した直後ということもあって、「結婚後も働きたい」というような質問にはその前後の年代と比べて「そうだ」とする回答が多い年代でした。実際にそれ以前と比べて現代は働く女性、管理職となる女性は確実に多くなっているのですが、その一方で婚活にいそしむ40歳前後の独身女性などの姿も多く見かけられるようにもなってきました。「そうした結婚より仕事を選んできた女性を見るにつけ現代の若い女性(大学生以下)は、専業主婦であった自分たちの母親の方が幸せに見えるのでは」とその教授は言っており、私もこの意見にほぼ同感です。

 こうした「働く女性と専業主婦の女性」を見比べるという以外で私から理由を挙げると、単純に労働環境が以前より厳しくなっているというのも大きいでしょう。それこそ90年代であれば高い給料で且つ終身雇用で働くことが出来ましたが、現代は女性はおろか男性ですら薄給激務に追われ、また雇用の流動化も格段に進んでおります。そんな厳しい環境で働いてお金もらうくらいなら、旦那の給料だけで生活できるならそうしたいという単純な損得勘定も働いているとも言えるでしょう。なおこれは逆バージョンこと、「嫁さんの給料で生きてけるなら、この際主夫でもいい」という声が一部の男性からも出ており、女性だけの話ではありません。でもこれも考えようによっては、専業「主夫」志向の高まりとも言えるかも。

2012年6月16日土曜日

税の一体改革を巡る各党の思惑

 昨日にも書きましたが現在中国ではYahoo Japanのサイトにアクセスすることが出来ません。恐らく規制だろうなと考えていましたが、時事通信がきちんと調べて書いてくれてました。

日本の一部サイトに接続不能=ネット規制強化か―中国(時事通信)

 別にYahooのニュースが見れない程度ならいいですが、Yahooメールが使えないのが地味に痛いです。折角友人に「さしこも終わったな」とメール出そうとしてたのに……。
 ちょっと真面目な話をすると、前にも書いたとおりに中国のネット環境は遅いわ規制が多いわでひどいものです。そろそろこういったところを改善しないと、投資を呼び込むにも限界が来るかと思います。逆に香港が何であんなに欧米からの投資を集めるかというと、やっぱりネット環境はもとより英語が標準語という環境ゆえだと分析してます。なお今回のアクセス規制ですが、ちょっと試したところトヨタやホンダのHPもシャットアウトでした。恐らくほかの多くの日系企業も同じかと思われますが、中国メディア使って大々的に抗議とかしてくれないかな。

 話は本題に貼りますが、現在与党民主党を中心に消費税の増税、社会保障制度改革の一体化議論が続けられております。詳しくチェックこそしていないものの既に民主党が検討している内容にに対して自民党も大筋で合意、公明党は一応まだ難色を示しているそうです。
 まずこの増税議論に対して私の立場を書いておくと、基本的には賛成です。今の日本社会、ひいては経済状況を見るにつけ何が一番問題かというとそれは言うまでもなくデフレで、なんでデフレが進んでいるのかというと複数の要因があるものの、その中の大きな者の一つに将来の消費への不安があると私と周囲の友人間で一致しています。将来の不安というのは言うまでもなく年金をはじめとした社会保障で、なおかつ一向に減らない日本の債務残高。せめてプライマリーバランスを回復するだけでもまだ将来に希望が持てるもので、このような考え方から増税に賛成の立場を取っております。

 さてこの増税案ですが、民主党にとって可決に当たって目下の敵は野党自民党ではなく身内こと、同じ民主党員というような状況になりつつあります。現在離婚報道も出ているんだから早くこの世から消えてほしい小沢を筆頭に一部民主党員が消費税の引き上げに反対という立場を取っておりますが、彼らが何故反対なのかというと、建前は景気によくないとか国民生活ともっともらしいことを言いますが、その実は増税に賛成してしまうと次の選挙で落選する可能性が高いからというのが本音でしょう。逆に自民党にとってすれば、一定の距離を置きつつ民主党に増税役を果たしてもらえれば次の選挙で勝ちやすく、なおかつ政権奪取に成功すれば税収が多い状態でスタートできるので恐らく通すでしょう。

 最後に税金について一つ書くと、ただ額面だけ増やすのではなくもっと効率化についても議論してほしいのが本音です。税の三要素として公平性、効率性、簡易性というものがあり、言うなれば平等で効率よく取れて、なおかつ制度がわかりやすいというのがベストということです。私は公務員の中でも国税局(+公正取引委員会)の人たちはしっかり働いていると思いますが、それでも直近では鳩山元首相のようにまんまと脱税するいんげんは後を絶ちません。より効率的に脱税を逃さず、なおかつ誰でも理解できる税制度を組み立ててくれないかというのが以前からの願いです。

2012年6月15日金曜日

オウム高橋容疑者の逮捕について

 本日早朝、オウム真理教で指名手配されていた最後の一人、高橋克也容疑者が逮捕されました。これで一連のオウム事件はすべての容疑者が逮捕されたこととなり、名実ともに一つの区切りを迎えることとなりました。逮捕自体については取り立てて書くことはないのですが、今回の騒動を見て感じたこととしてはやはりテレビの力の絶大さに尽きます。先日から監視カメラの写真などが公開されていたことから恐らく逮捕は近いと予想していましたが、訪れていた漫画喫茶の店員からの通報が逮捕の決め手となったことから見てもここ数日の報道が大きな原動力となったと見て間違いないでしょう。以前に何かのテレビ番組で、今時戦闘に指名手配犯の写真や似顔絵を貼っても誰も集まらないし見ないので意味がなく、むしろ定期的にテレビで、「本日の指名手配犯の時間です」とばかりに報道した方が効果があるという意見がありましたが、今回の一件を見る限りだとさもありなんです。

 あともうひとつ気になった点としては、あまり言いたくはありませんが警察は本当に真剣に捜査していたのかという疑問点です。既につかまっている平田信容疑者は出頭したにもかかわらず機動隊員に「よそ行って」と追い帰されるわ、菊池容疑者に至っては近所の人間から通報があったにもかかわらず黙殺するなど、これまで長きにわたって捕まらなかったのは警察の怠慢も影響しているのではないかと思わざるを得ません。私としては警察をあまり叩くよりは応援したい身ですが、一連の不手際で何か処分を出したとも聞きませんし、この件に関しては疑いの目を持ちます。

 最後にどうでもいいことですが、なんかさっきからYahoo Japanだけ一切アクセスできません。多分中国政府がアクセスを禁止しているからでしょうが、なんでこうなるのか、理由が知りたいです。今やってるイベントとしては上海国際映画祭くらいしか浮かびませんが、豆知識ですがこの映画祭の期間は当局の検査も厳しくなるので海賊版DVD屋はどこも閉めて、終わったらまた開きます。どうせ私は利用しないけど。

2012年6月14日木曜日

ストレスに対する人間の心理行動

 先日訪問したある会社から、ストレスに対する人間の心理行動というのは決して1種類じゃないという話を聞きました。その人曰くストレスに直面した際に人間は、そのストレスの発生源となる問題を解決しようと動こうとするのと、その問題は大したものじゃない考えてストレスを軽減しようするのとで、大別して2種類に分かれるそうです。問題解決に取り組みつつストレス負担を下げるといった具合に、両方一緒にできるというのがベストだそうですが、日本人はどちらかというと問題解決にひたすら取り組もうとするところがあって、ストレス負担を高めてしまう傾向があるそうです。逆に中国人なんかはあまり大きな問題と取らずにストレス負担を小さくするのはうまいものの、問題解決をなかなか行おうとせずに長期にわたってストレスにさらされる傾向があるとのことです。

 なかなか話を聞いてみると面白い内容で、確かにストレスに対する対応というのは人それぞれ異なる気がします。私などはまさに典型的な日本人パターンで、何か問題が起こるとすぐに処理したがり、逆に即座に処理できなければ不安で仕方がなくなって参ってしまうことが多いです。今すぐ思い当たるのだと、去年にシチズンの時計が壊れた際になかなか修理することができなくて、なんか途中で泣き出したりしましたし……。
 そういう意味では日本人が苦手とする、問題をそれほど深刻に考えないという心理行動はまさに大事なもののように感じます。ちょっと古いですが以前に渡辺淳一氏が「鈍感力」という本を出して物事を必要以上に真剣に感じない能力、また過剰な敏感さや繊細さを捨てる努力の必要性を訴えましたが、友人も絶賛してたようにもっとこの言葉が普及するべきだと私も思います。

 ただこの「鈍感力」という本を書いた後で渡辺氏は、「周囲に求められているにもかかわらず全く適切な対応ができなかった安倍首相(当時)は鈍感なだけだ」と批判し、必要なものを感じ取れないことについては問題だという見方をしていました。折角安倍元首相に登場願ったんだからもう少し政治の話をすると、今増税議論で盛り上がっていますが、本来ならばこの議論は十年前にやっておかなければならなかった議論であります。もちろん今のうちにやっておくに越したことはありませんが、この十年間、日本の政治は対処すべき課題、行うべき改善策というのは割とはっきりしていましたが、どの政治家もやろうとしなかったというか国民も敢えて目を閉じていたようなところがあります。早く処理すればそれで言い訳ではありませんが、問題を先送りしてきた付けというのがまさに今の世の中で、そういう意味では日本人も中国人と同じストレスの処理方法をしているのかもしれません。

2012年6月13日水曜日

今日のサッカーオーストラリア戦

 最近なんか自分のツイッターのフォロワーになってくれる人がやけに増えているのですが、生憎と中国からではツイッターにアクセスできないので更新することができません。もしこのブログを見てフォロワーになった方にはこの場を借りて、何も書く事ができないことを謝ります。その分、ブログはモリモリ書いてくけど。

 話は本題に入りますが、本日夜はWカップの予選のオーストラリア戦があって、日本中が熱狂していたかと思われます。うちの会社の上司も、「今日はサッカーあるから早く帰るね」といって作業が残っている自分たちを置いてとっとと帰ってしまいました。もっとも上司は、「ほかの部署の連中にも、いざとなったらここのテレビ使えと言ってあるから」といって、暗に社内にある日本の番組が見られるテレビを使っても構わないという発言をしてくれてたので、遠慮なく自分も中継を見ておりました。

 前回のヨルダン戦も同僚と一緒にスポーツバーに行って見ていましたが、このところの日本のサッカーの試合は段違いに強くなったのもあって、見ていて本当に面白いです。今回のオーストラリア戦は1-1の引き分けでしたが、アウェーということ、相手があのオーストラリアということを考えると立派な成績だと思います。
 
 実は海外生活をしていて何が辛いかと言うと、こういうスポーツの試合でみんなと一緒に盛り上がれないのが辛いです。去年もアジアカップや女子Wカップで日本チームが大活躍した際も、ネットで結果だけしか見ることができず、なんだか楽しそうな雰囲気を遠くから見ているようで少し寂しかったです。幸いというか最近会社の同僚に同性で比較的年の近いメンバーが集まってきているので一緒に盛り上がれるようになりつつありますが、意外とこういう空気に乗れない寂しさというのも、海外に来て初めてわかるようになりました。

 それにしてもヤフーのコメントにもあったが、本田選手の髪の毛はいつも根元まで金髪で、黒い箇所が全くないのは何でだろう。

2012年6月9日土曜日

第二次上海事変に対する考察 後編

 昨日に引き続き第二次上海事変について解説いたします。昨日は主に言語別の解説サイトで語られている内容にどう違うのか、というより日中がお互いに都合のいいことばかり書きあっているということを紹介しましたが、今日は事件の経過とともに、一番の問題の焦点となっている「どっちがどのような目的を持って、軍事衝突にまで発展したのか」という点について私の見解を書きます。
 早速ですが、事件の経過を私なりに簡単にまとめると以下の通りとなります。なお年代はどれも1937年です。

7/7 盧溝橋事件が勃発。華北地域で日中間の戦闘が始まるが両政府ともに外交は不拡大方針を打ち出し、上海を含む華東地域にまで戦火は広がらなかった。

8/9 当時の虹橋空港周辺で上海海軍特別陸戦隊中隊長の大山勇夫海軍中尉と斎藤與蔵一等水兵が他殺体で発見される。

8/10 日本側は大山中尉の殺害を中国軍衛兵らの待ち伏せによる殺害と主張。中国軍側は大山中尉らが先に発砲したので正当防衛と主張し議論は平行線。ノルウェー総領事アールが各国領事と事件に対する共同会議を設けるべきと主張したが、何故か日本総領事の岡本は当初は拒否し、最終的に承諾。会議で中国軍は上海周辺から全面撤退するべきと主張した。また日本国内の閣議では陸軍の派遣が決定された。

8/11 蒋介石、中国軍の上海への進軍を命令。日本軍は海軍陸戦隊を上陸。

8/12 上海市長、かつて軍事衝突を引き越した前科(第一次上海事変)があるとして日本側の主張に抗議。上海市民は中国軍の治安統治を望んでいると主張。日中間の事件を巡る交渉は引き続き行われた。

8/13 虹口区で戦闘が開始。日本語ウィキペディアでは午前10時半頃に中国側から、百度百科では時間は記載せず日本側から攻撃を仕掛けてきたと記載。英語版ウィキペディアでは9時頃に中国側から攻撃開始と記載。(注:2018年7月現在、百度百科では「日本側から攻撃を仕掛けてきた」という記述はみられない。記事執筆時の誤読もしく削除された可能性あり)

8/14 中国軍機による市外への誤爆が起こり、民間人約三千人が死傷。また市街地で本格的な戦闘が起こるが、中国軍は兵力で日本の10倍以上と圧倒的に勝っていたものの、火力が致命的なまでに不足し日本軍の防御陣地を攻略できなかった。

8/18 英米仏政府が日中に停戦を呼びかけるが日中共にこれを拒否。

8/23 日本から派遣された軍が上海市北部に上陸。本格的な戦闘が11月まで行われ、両軍ともに激しい消耗戦となる。最終的に日本軍が上海周辺地域を制圧し、そのまま南京へ進軍することとなる。

 大雑把にまとめると以上のようになります。日本語版ウィキペディアの記述を引用すると、「日本側は3ヶ月で戦死者10076名、戦傷者31866名、合わせて41942名の死傷者を出し、日露戦争の旅順攻略にも匹敵する凄残な消耗戦であった。」とのことで、決して楽勝な勝利ではなかったことがうかがえます。ただ英語版ウィキペディアにも書かれていましたが中国軍の火力が絶対的に不足していたのは事実なようで、緒戦では日本側の防御陣地が全く攻略できず、緒戦の失敗を蒋介石も後悔していたそうです。
 また補足として、この戦闘で中国軍を指揮していたのは蒋介石ですが、その相談役にはドイツから派遣されたゼークト大将、ファルケンハウゼン中将がおり、ドイツ軍が深く介入しております。そもそも蒋介石の精鋭部隊を訓練したのはドイツの将校で、またこの戦闘自体、両者が築いた要塞線に日本軍を引き込んで一網打尽にするという作戦目的があったとも言われております。結果的にはこの要塞線はあっさり突破されたのですが、第一次大戦もあったし、やっぱりこの時はドイツも日本が憎かったんじゃないかと個人的に思います。

 そろそろ本題に入りますが、この第二次上海事変は一体日中はどういう目的を持ち、どんな背景で起きたのでしょうか。日本側は「中国がケンカ売ってきた」と言い、中国側は「日本が侵略してきた」とお互いに言い合っており完全に食い違ってます。これはなにも日中だけじゃなくどこの世界も同じでしょうが。私はあくまで一素人であって具体的な検証はやはり歴史学者に任せるべきでしょうが、愚才ながら私の見解を敢えてここで書かせてもらうと、この第二次上海事変は日中両軍が望んだ戦争だと考えております。

 まず敢えて中国軍の目的から書いてきますが、中国軍、つまり蒋介石の腹としては華北地域で既に戦闘が始まっており、遅かれ早かれ日本とは全面戦争になると考えてたのだと思います。既に1936年12月に西安事件が起こって共産党との国共合作に動いていましたし、全面戦争になるのが見えているのなら先手を打って主要都市である上海を確保しておく、もしくは上に書いたように要塞線に引き込んで撃破しておこう、というのが私なりの見解です。
 さらに付け加えると、当時に数多くの租界があった上海で実際に戦火を起こすことで欧米列強の目を日中戦に向けさせるというのも狙いだったと思います。下手すればわざと大敗して見せることで中国への同情を集めるという腹も持っていたと、可能性レベルなら言ってもいいでしょう。
 このように考える根拠としては、既に国共合作に動いており敵は日本ということで方針が決まっていた、華北で戦闘が起こっていた、そして何より最初の大山中尉の殺害事件の後の中国軍の展開の早さの三点が挙がります。

 これに対し日本側ですが、さすがに第一次上海事変(日本人僧侶に対し田中隆吉陸軍少佐が暗殺者を仕向け、中国のせいにして攻撃)のように大山中尉らをわざと殺したとは思い辛いですが、何か事が起こればそれを口実に中国への攻撃を開始したいと考えていたような節がある気がします。こう思う根拠として、大山中尉の殺害事件後に頑なに中国軍の全軍撤退を求めるという、殺害事件の処理を巡る外交にしてはかなり強圧的な内容であることと、8月10日の領事会議への参加を当初拒否したという、ちょっとよくわからない姿勢を見せているからです。また中国軍同様、といっても既に展開している中国軍の備えという言い訳は立ちますが、日本側もやけに対応が早いというか軍の派遣を決めるタイミングが機敏だったようにも感じます。軍事に疎いからこの辺どうなのかは断言しかねますが。
 また日本軍については明確な前科があります。満州事変にしろ盧溝橋事件にしろ、政府の方針とは逆に現地の軍隊が勝手に攻撃や占領を行っても現地指揮官は処罰されるどころか逆に高く評価されており、この辺は歴史学者らもはっきり指摘しておりますが、結果が良ければ命令違反をしても許されるというジオン軍のジーンみたいな風潮がはびこっていたそうです。実際に南京への進軍は現地派遣軍が勝手に決めて、政府が追認するという有様でした。

 そのため、当時の近衛文麿政権は確かに不拡大方針を持っていたかもしれませんが、少なくとも中国現地にいた軍はそうでもなく、攻める口実を待ち構えていたのでは、そしたら蒋介石軍が動いてきたのでよし来たとばかりに動いた、というのが第二次上海事変における日本軍への私の見解です。ただ一点付け加えるとしたら、日本軍としても列強の租界があってある意味戦いづらい上海に対し、こんなに早く中国軍が動いてくるとは予想外だったような気がします。結果的に日本人居留民を危険に晒すことにもなりましたし、多分日本軍は大山中尉の事件から少なくとも一週間くらいは猶予があると思って強気の外交に出たところ、急に攻撃されて慌てたのは事実ではないかと考えています。

 自分がこの見解にたどり着いたのは、やはり英語版ウィキペディアを見てからでした。事実関係だけ追ってみてみるとなんか日本軍も中国軍も初めからかなり強気でやる気に見えてきて、お互い先制攻撃を先に受けたと主張しますが、逆を言えばそれだけどっちから攻撃が起こってもおかしくない状況だったわけで、そういう風に考えるとこうなるのではという具合にまとまっていきました。
 昨日今日の休日は本当に何もせずにスターウォーズのゲームでジェダイを殺しまくってたので、気力体力ともに現在十分な状態です。さすがに手間のかかるネタだけあっただけにこういう状態じゃないと全く書く気が起きませんでしたが、その甲斐あっていい内容にまとまっているのではと自負します。

2012年6月8日金曜日

第二次上海事変に対する考察 前編

 以前に友人の上海人を靖国神社についている博物館に連れて行った際、日中戦争のコーナーで「なんで上海事変の説明がないんだ」ということを言っていました。前からこのブログで書いているように日本史においては絶対の自信を持っている上に日中戦争に関してはほかの人より詳しいと自負していた私ですが、この言葉を言われた当初は「上海事変ってなんだっけ?」と、パッと内容を思い出すことはありませんでした。それもそのはずというか、上海事変は高校の日本史ではあまり取り扱われません。家に帰ってからいろいろ調べましたが、唯一確認できたのは予備校お手製のテキストにほんのちょっとだけという有様で、これなら自分が知らなくてもしょうがないなと自己満足しました。
 その後、ずっと頭に気にかかっていたのでいつかは解説記事を書こうかなと考えていたのですが、先月になってネタ切れに及ぶにつれてようやく決心がつきました。そんなわけでまたネットを使っていろいろ調べていたのですが、調べている最中にいくつか疑問点が出てきたので調べてみると、いろいろと面白いことが互いにわかってきたので、今日はこの辺を一気に解説しようと思います。

 まず上海事変とは日中戦争時に起きた上海での日本と中国の軍事衝突事件を指します。この衝突は1932年と1937年の二回あり、前者を第一次上海事変、後者を第二次上海事変と分けておりますが、上海事変ときて一般的に指されるものは日中戦争が本格化するきっかけとなった後者の第二次で、今回解説するのもこちらの方です。
 この第二次上海事変がどういったものかを簡単にまとめると、1937年同年7月に起きた盧溝橋事件によって日中間で戦争が開始された後、日中両政府は建前は戦争不拡大方針を打ち出して外交での決着を図っていたのですが、盧溝橋事件から一ヶ月後の8月、日本の水兵が上海市で殺されたことをきっかけに両軍で戦闘が勃発。両政府ともそれまでの外交決着をあきらめ本格的に戦争を遂行する方針に切り替え、日中戦争が本格化する一手となった事件です。

 ざっと書くとこれだけなのですが、私がウィキペディアで調べていて少し気になったのはやけに蒋介石の陰謀論が細々書かれていることです。そりゃウィキペディアなんだからあまり期待する方が間違っているものの、なんとなく日本の正当性を主張するかのような文言が目立ったので、それならどうせ中国語も読めるんだし、中国側がどうこの事件を取り扱っているかもこの際調べてみました。
 すると面白いことに、ネット上の情報だけですが中国側は中国側で日本が無理な戦闘をけしかけてきたとこっちも正当性を主張している始末でした。中国がまた歴史捏造をしたということに済ませれば楽なことこの上ありませんが、果たして本当にそうなのか。そもそも事件の重大性に比べ日本の取り扱いが小さいことを考えるとそうとも言い切れないんじゃないかと思い、何か調べる方法はといろいろ考えた結果、もう頑張っちゃって英語版のウィキペディアも見比べてみようという結論に至りました。そういうわけで、参考した際とは以下の3サイトです。

第二次上海事変(ウィキペディア)
八一三事変(百度百科)
Battle of Shanghai(Wikipedia)

 百度百科というのは中国版ウィキペディアみたいなもんです。なんでここを参照したかというと、第二次上海事件に関して論じる中国の掲示板などで、ほとんどの人がここのサイトから情報を引用していたらからです。あと英語版ウィキペディアの記事についてですが、久々に長い英文を読んだ、しかも一般的でない単語多かったのでなんかしんどかったです。
 まず特筆すべき点として、各サイトごとに参戦兵力と損害が異なっており、まとめると以下のようになります。

<参戦兵力>(括弧内は損害)
日本語:日本軍25万人(7万人)、中国軍60万人(15~20万人)
中国語:日本軍28万人(4万人)、中国軍は記載なし
英語:日本軍30万人(9.2万人)、中国軍60万人(33.3万人)

 どれも本当に同じ戦闘を扱っているのかと言いたくなるように見事にばらけてます。歴史を一致させるというのは難しいですね。
 まず言えることとして、中国のサイトが中国軍の参戦兵力を具体的に書かなかったのは意図的なものでしょう。百度百科以外でも探してみましたが見つからず、恐らくウィキペディアに書かれている60万人という数字が当たりでしょう。何故か書かなかったのかというと、2倍以上の兵力を投入したにもかかわらず負けたという事実を隠したいのと、出来るなら日本が不意打ちして中国軍は少ない兵力で抗戦したが負けてしまったという、中国は被害者という印象を作りたいためだと思います。こんだけネットの発達した時代なのにね。

 次に気になった点、というより明確な意図を覚えた点として、中国軍の誤爆事件が百度百科にはやはり書かれていません。戦闘が開始後2日目に中国軍は日本の軍艦へと空爆を仕掛けるのですが、日本側の抵抗などを受けた結果、なんと市内のど真ん中、具体的にいえば現在も上海一の繁華街である南京路に誤爆するというとんでもない大ミスを犯しています。この結果、三千人以上の民間人が死傷しているのですが、日本語と英語のウィキペディアでは数字や場所について一致した記述があるのに対して百度百科は完全スルーです。これは中国贔屓の自分でも、見過ごすことのできない印象操作です。

 そしてもうひとつ気になった点、というより三ヶ国語で調べようと思ったきっかけですが、第三国の反応についても三者バラバラです。私が最初日本語のウィキペディアを読んでいて非常に気になった点というのがここなのですが、「海外メディアの反応」というところで、海外メディアは日本側は戦争をギリギリまで回避しようとした、中国が無理に戦闘を仕掛けてきたと報じたと、日本にとって都合のいいところだけを如何にも切り取っているような印象を受けました。
 それならばと百度百科はどうか。するとこっちはこっちで、西欧諸国はみんな日本の行動に憂慮したとか、上海にいるジャーナリストらは日本の帝国主義的行動を批判したなどと書いてあります。まぁ多分こうだろうとは思ったけど。
 なら最後の砦の英語版ウィキペディアはどうだったのか。多分これが真相だと私は感じるのですが、「列強諸国はヨーロッパ事情に頭がいっぱいで、あまり感心を持たなかった」とのことです。そもそも他国のジャーナリストや新聞がどう報じたかを言い合っても、私はしょうがないと思うのですが。

 なんかここまで書くとさも中国がまたねじくれたこと書いてるように思えるかもしれませんが、日本のウィキペディアにも記述が足りないと感じるところがあります。そのヶ所というのも、欧州諸国とは別にまだ余裕のあった米国はこの事件を通して、中国側に接近するようになっております。しかも上海事変後、中国側の提議によって米英を含む九カ国条約加盟国による国際会議が開かれ和平案が検討されますが、この点については日本語ではスルーされてます。まぁ何も決まらなかったのは事実ですが。

 既に大分長くなっているので、上海事変の経過と、誰がどういった目的で起こしたかについての見解はまた次回に解説します。