ページ

2014年11月16日日曜日

シベリア出兵と尼港事件

 尼港(にこう)事件と聞いて何のことかすぐに言えるような人は私と同じで恐らくどこか頭のおかしい人でしょう。私自身ですら復習しなければすぐに記憶から飛ぶような事件だし、一応大学受験の参考書にはちょこっとだけ書かれているけど実際の入試に出題された例は見受けません。
 
尼港事件(どちらもWikipediaより)
 
 尼港事件とは、第一次大戦期に日本が行ったシベリア出兵中に起きた虐殺事件のことを指します。この事件について解説する前にまず、シベリア出兵について話をしましょう。シベリア出兵とは何か端的に述べるなら、一次大戦の末期に社会主義革命が起きたロシア(ソ連)に対する列強による干渉戦争、いわば社会主義革命を潰すために行われた侵略と言ってもいいでしょう。
 
<ロシア国内の革命戦争>
 一次大戦末期の1917年、ロシアでは十月革命が起こりレーニン率いるボリシェビキこと共産主義勢力が政権を握りました。こうした動きを懸念したのはほかでもなくイギリス、フランスをはじめとした列強各国というか連合国側で、彼らは対戦中のドイツとボリシェビキ政権が単独講和して東部戦線が解消されたことと、社会主義革命が他国に広がるのを恐れ、まだロシア領内でボリシェビキと主導権争いを続けていた勢力こと白軍を支援しようと企図しました。
 ここでまた二度説明ですがレーニン率いるボリシェビキ勢力は「赤軍」と呼ばれ、これに対しボリシェビキに抵抗していたロシア国内の勢力をまとめて「白軍」と呼んでました。何故この白軍は「まとめて」というのかですが、実態としては「反ボリシェビキ」を掲げていた勢力を一括してこう呼んでいたため実体としては同床異夢な民主党のような存在だったらしく、共和制主義者、王政復古主義者、反レーニンな社会主義者などごった煮な状態で、説明するまでもなくまとまった行動が取れず歴史では結局赤軍に敗北することとなります。もっとも、勢いに乗じた赤軍が何故かフィンランドに攻め込んできたのですが、それに対して祖国防衛のために動いたフィンランド軍も白軍に数えられ、この中には二次大戦で活躍するマンネルハイムも指揮官として参加しており、一時は首都ヘルシンキを奪われたものの最終的には見事赤軍の撃退に成功しています。
 
<チェコ軍団>
 話は本題に入りますが、このシベリア出兵が行われた理由は一に連合国による対戦国ドイツへの牽制、二にロシアの社会主義革命の粉砕でしたが、さすがにこんな理由を正直に出しては大義名分が立ちません。そこで取られたのが、ロシア領内で孤立していた「チェコ軍団」の保護、救出でした。
 当時のチェコ(スロバキアを含む)はオーストリアによって統治されていて独立を果たせていませんでした。そこに目をつけたロシアは国内にチェコ独立を目指す義勇兵組織を起ち上げ、主に戦時中にオーストリアとの戦闘で捕まえたチェコ人、スロバキア人の捕虜を組み入れ、オーストリア軍との戦闘に出兵させていました。しかし十月革命の後、このチェコ軍団は所属先はおろか行先も決まらず、そもそも祖国もまだなかったことから行き場に困りシベリア地方で孤立することとなりました。
 
 モスクワのボリシェビキ政権はこのチェコ軍団の取り扱いについて当初、武装解除の上でウラジオストクからアメリカへ移動することを認めますが、チェコ軍団の兵士が移動の過程でハンガリー兵と乱闘事件を起こしたことによりボリシェビキ政権は態度を硬化させチェコ軍団の移動を一時中止させます。これに対してチェコ軍団も現地に指揮官、最高責任者がが存在していなかったこともあって苛立ち、ボリシェビキ政権に対して蜂起し、再武装を始め、結果的に赤軍との戦闘を始めることとなりました。
 このようにシベリア地方で孤立しながら赤軍と戦うチェコ軍団を英仏は「連合国の一員」であり救助の対象でもあるとし、ボリシェビキ政権へ干渉戦争を起こすいい口実になるとして兵士の派遣を決断します。しかしチェコ軍団のいるシベリアは欧州からみれば地球の反対側にあり、なおかつドイツとの戦争もまだ続いていたことから、地理的にシベリアに派兵しやすい位置にある日本と米国に対して出兵を要請します。
 
<日本の出兵と狙い>
 日本は英仏からの要請に対して当初、「アメリカが出兵するのであれば兵を派遣する」と、アメリカの顔を立てる形で答え、その後アメリカが派兵を決定すると約束通り、1918年に出兵を内外に発表します。しかし遠慮がちな態度と裏腹に日本側は当初からやる気は満々だったと言われ、狙いとしては満州、シベリア地域で新たな領土を獲得するとともに現地に傀儡政権を立てて日本本土の防衛、領土拡張を最初から狙っていました。
 事実、英仏の派兵規模が1000人前後、日本に次いで規模の大きかったアメリカが約8000人だったのに対し、日本は最終的に約7万3000人という異常な量の兵員を派遣しております。またその行動もエキセントリックというよりほかなく、当初はウラジオストックより先には進軍しないという規約があったにもかかわらず平気で破り、北樺太や満州地域はおろか、バイカル湖周辺にまで占領地域を拡大します。
 
 こうした日本の行動に派遣国はほぼすべて懸念を示します。というのも派遣をしたその年の1918年11月に連合国と戦っていたドイツで革命が起こり一次大戦が終結し、背後(東部戦線)からドイツを牽制するという目的が無意味と化していたからです。しかもチェコスロバキアもこの際に独立を果たし、英米仏はしばらくは駐留を続けてましたがチェコ軍団もロシア領内から出た1920年にはみんな撤兵したのに対し、日本は上記のような目的もあって1922年まで一人で延々と残り続けました。
 しかも日本国内ではシベリア出兵を機に需要が高まると見られた米が商人によって買占めが行われ、それ以前から高騰していた米価がさらなら高騰を見せたことによって「米騒動」が起こります。結局、日本軍はシベリア地域で動き回りましたが領土を獲得する大義も得られなければ傀儡政権の樹立も果たせず、兵員や物資の損害を生むだけ生んで何も得ることなく撤退することとなります。
 
<尼港事件>
 上記が高校で教えられる範囲のシベリア出兵の中身、と言ってもこんなに詳しくやる教師はいないでしょうが、大体が米騒動とセットで教えられます。米騒動のほかにもう一つしべリサ出兵と共に一緒に関連付けられるキーワードとしてもう一つの本題であるこの「尼港事件」があるのですが、この事件はシベリア出兵中の1920年にアムール川河口の港湾都市、ニコラエフスクで赤軍パルチザンによって起こされた虐殺事件を指します。
 
 非常にきわどい内容なので簡潔に説明することに努めますが、当時ニコラエフスクには多数の日本人居留民とユダヤ人、白ロシア人が住んでおり、ボリシェビキ政権に抵抗する白軍の部隊とシベリア出兵によって派遣された日本軍守備隊も合わせて駐屯しておりました。当時漁業事業を営む日系企業がこの町に進出しており日本人居留民(約700人)も数多く居住していたことから、日本の領事館も設置されていました。
 この街にロシア人を中心として中国系、朝鮮系を内包した赤軍パルチザン部隊約4000人が白軍を追って1920年1月に進撃してきたのですが、日本軍守備隊(約300人)は日本人居留民保護を目的に駐屯していたものの白軍司令官とともに赤軍と交渉に当たり、居留民の安全、白軍関係者に対する不当な処罰をしないこと、一定期間の移動の自由を条件にニコラエフスクを赤軍パルチザンに明け渡しました。なお開城時に白軍の最高指揮官三名が自決していますが彼らについてこの事件をまとめた記者、グートマンは「彼らは、仲間の将校や、ニコラエフスクの市民より幸福であった」と書き残しています。
 
 こうしてニコラエフスクに赤軍パルチザンが入城しますが、残っている証言によると彼らは当初の約束を守らず市民への略奪や暴行、白軍兵士への迫害や投獄、殺害を繰り返したため日本守備隊と対立を深めます。そうした最中、パルチザンの司令官は日本軍に対して武器弾薬の引き渡し(武装解除)を要求し、事態悪化を恐れた日本守備隊は引き渡す前にパルチザンに対して決起を行ったものの兵力の差は埋められず敗北し、全滅します。
 日本軍の決起後にパルチザンは日本軍に協力したとして日本領事館を攻撃しただけでなく日本人居留民を一方的に殺害し、その後事態を知った日本軍がニコラエフスクへの派兵準備を始めると日本軍の報復を恐れたのか、証拠隠滅と日本軍への進軍妨害を兼ねて今度は日本人だけでなく、中国系を除いたロシア人やユダヤ人などあらゆる街の人間の殺害を始め、被虐殺者数は街の全人口の半分に当たる6000人以上に上ったと言われています。なおこの時にパルチザン内部でも虐殺を批判する幹部がいたものの、ほかの居留民殺害に紛れて一緒に殺されたようです。
 
 この事態に日本軍は救援隊を派遣しますが、アムール河の解氷を待って到着した頃にはパルチザンは逃げ出しており、既にニコラエフスクは焦土と化していました。またソ連側でもこの時のパルチザンを監督していたハバロフスク革命員会が事態を知り、パルチザン兵士への聞き取りを行っています。唯一溜飲が下がることとしては、ハバロフスクの革命員会はパルチザン兵士と接触した上で指令をだし、虐殺時のパルチザン指揮官であるトリャピーツィン以下幹部全員を捕縛した上で処刑している点でしょう。この時の容疑は「同士、同胞に対する虐殺」だったそうです。
 
 
 以上がシベリア出兵と尼港事件に関する顛末ですが、この事件は当時の日本国内においても衝撃と共に受け止められ、時の原敬政権が部隊を派遣しながらみすみす居留民を見殺しにしたと強く批判されています。また日本側はこの事件の報復としてその後しばらく北樺太を占領し続ける行動に出ています。
 という具合でいつものようにロシアは恐ろしあという結論で片づけたいところなのですが、そうは言いきれない点がこのシベリア出兵にはまだ隠されています。この記事だけでも非常にしんどかったですが、続きはまた次回にて頑張って書きます。我ながら、歴史学者でも文化部記者でもないのによくやるよ。

2014年11月13日木曜日

解散・総選挙予測の報道について

 また本題と関係ないところから始めますが、8月に書いた「大津の欠陥マンション訴訟について」という記事がこのところ私のブログで最もアクセス数が多くなっております。というのも何度かワイドショーに取り上げられていたようでちょうどその放送日と重なるようにグンとアクセスが跳ね上がっているのですが、あまりにもアクセス稼ぐもんだからなんかいたたまれない気分になり、この訴訟の当事者である住宅販売会社の大覚さんに、「こういう記事書いてアクセス稼がせてもらっています。ありがとう、でもって拙い文章でごめんね(^_^;)」っていうメールを送ったらすぐ、「応援ありがとうございます。アップ直後から見ています(*^^)」という返事をもら、「え、見られてたの(;゜Д゜)」という具合で急に焦りを覚えました。なんかますます申し訳ないので、この記事読んでる人はこういう訴訟が起きてると言って大覚さんのサイトを他の人も紹介してあげてください。
 
 話は本題に入りますが、皆さんも知っての通りだと思いますが年内にも安倍首相は議会を解散し、総選挙を実施するのではないかとの報道が出ております。この報道を最初に目にした時は人気を二年も残しておいて、なおかつ現在与党自民党は議会で多数の議席を保有しているのだから打って出るわけないだろうと思って信じませんでしたが(確か初報は毎日新聞だったような)、その後も複数のメディアに跨って続報がどんどんと出ており、特に地方の選挙区が急に候補者選びなどで慌ただしくなったというのはどうやら事実そうであることから決して根拠のない報道ではなかったようです。実際に安倍首相が決断するかしないかはまだわかりませんが、少なくとも解散を執行部が検討しているというのは間違いない事実でしょう。
 なおこの解散予測報道についていくつかのメディアは予測が正しい根拠や解散に打って出る理由をいろいろ挙げており、中には飯島勲内閣官房参与がそれとなく匂わしていると書いたメディアもありましたが、私個人は飯島氏の資質といい人格といいあまり信用していないのでこれは全く参考になりませんでした。ただもしこの噂が間違っているなら、今のところ最も高く評価している菅官房長官が何かしらコメントするよなと思うと真実味があるように感じます。
 
 では一体何故このタイミングで安倍政権は解散に打って出るのか。理由はいくつか取り沙汰されていますが消費税の再増税が最大の理由であることに間違いないでしょう。当初は来年10月にも消費税を10%まで引き上げる予定でしたが足元の景気は念願の円安を達成しておきながらも改善する目途が立っておらず、株価は上昇し続けているものの実体経済や個人消費は苦しい状態が続いております。この時期にさらなる引き上げを行えば止めの一撃になりかねないと批判する声も多く、少なくとも引き上げ時期の延期くらいはやらないとまずいのではないかと与党内からも声が上がっていると聞きます。中国にいながら我ながらよく言うよ。
 
 私としては海外の投資家は既に消費税の再増税に伴うインフレを見越して金融取引を行っており、ここでスケジュールを弄れば投資家から失望を買うだけでなく解消しつつあるデフレに逆行しかねないとして延期はすべきでないという立場を取っております。しかし実体経済が芳しくない、当初の想定以上に悪くなりつつあることは理解しており、何故そうなっているのかという理由については消費税の引き上げ以上に政府が何の成長戦略も描けていない、いわば安倍政権の不手際にあると考えております。とはいえ足元の状況が悪いことは事実で、来年十月に再引き上げをしたらググッと景気が悪化するという予測に関してはさもありなんでしょう。
 
 与党としてもこの辺の事情が分かっているだろうし、どうせ再増税で印象悪くなった後で選挙やるくらいならこの際先手に出ようと考えたのかもしれません。もしくは選挙前に引き上げ時期の延期を公約に掲げ、民意を盾にして各方面の了解を得ようという作戦かもしれません。確かにこういう理屈であれば野党は何の準備もしてないので奇襲となってそこそこ議席も確保できるんだし、年内に総選挙をやる価値はあるでしょう。
 
 私の意見としてはやるならやるで構わないしこのやり方が卑怯だとも何とも思いませんが、小渕前大臣を始めとして無能な政治家はこの際切った方が良いよと老婆心的に思います。むしろ次の選挙で小渕前大臣を公認しないと言ったら安倍政権の支持も上がるんじゃないかな。
 野党に関して述べるとまぁ見事なくらいに今ぐちゃぐちゃな状態で、維新の会も軋轢を増している最中ですから今選挙やったらとんでもない結果になるのが目に見えています。民主党なんか下手したら分裂するんじゃないかな、これを機に。

2014年11月12日水曜日

日中で異なる老人のライン

 たまに上司と一緒にバスに乗って自宅近くまで帰ってくるのですが、今年御年59歳の上司と一緒にバスに乗るとほぼ確実に座席にいる誰かが上司に席を譲り、その度に上司も、「俺ってもうそんな年なのかなぁ」と言ってきます。ってか今日言ってきました。こっちにイタコとのある人ならわかるでしょうが中国ではバスや地下鉄で老人や妊婦に対して日本なんかとは段違いなくらいにみんな率先して席を譲る傾向があり、自分も知らぬ顔して席座っていること出来ないから必要とあれば席を譲っております。
 
 こうした席を譲る文化に関しては程度の差はあれ日中で共通していて中国の方がやや強いと言えるのですが、果たして上司は日本で電車に乗ってて席を譲られるのかなと今日ふと疑問に思いました。うちの上司は年こそそこそこいってますが足腰はしっかりしてるし中国来て激痩せしたことから持病の腰痛もなくなり、今のところは日々のストレスからか酒量が増えていることを除けば見るからに健康体です。しかし中国だと周囲から明らかに「席を譲られるべき老人」と見られるのに対し、日本人らしくないけど一応日本人である私の目からすると、「席を譲るとかえって気にするくらいの年齢じゃないのかな」と、もし電車の中でカチあっても席を譲るべきかややためらうべき外見をしています。
 
 何が言いたいのか端的に言うと、老人と認識するラインが日中で明らかに異なっていると言いたいわけです。日本は統計ごまかすために65歳以上を高齢者としていますがほかの国は普通60歳以上です。無論これは法律上の定義であって社会上の観念ではございませんが、社会上の観念でも日本人は相手を社会的弱者である老人と見るラインが中国よりは高くなっている気がします。
 確か三年前くらいのサラリーマン川柳で、定年後に故郷に戻って地元の青年会入ったら60歳なのに若手(最年少)と扱われることを謳う川柳が入ってましたが、これが端的日本人の見方を表しているでしょう。私個人の見方で言っても60歳前後であればまだまだ現役と見られる年齢で、70歳を越えた当たりからもうそろそろ老人、80歳を越えたら本人が同言おうと老人として扱われる気がします。
 
 では中国ではどんなもんか。私の観点で言えば55歳を越えた当たりが老人として区分されるラインだと思います。根拠としては日々の実感と、企業で社長職を努める人間が中国だと40代がメインで50歳を越えると引退とか考える年齢だからです。今の日本では40代の社長であれば若手経営者と呼ばれ、50代の社長でも少なく60歳を越えた人が経営者として一番多い層ではないかと思います。この点一つとっても日本が中国と比べて老人ばかりってのがなんとなく見えてくるのではないでしょうか。
 言うまでもないことですが日本は65歳以上が既に人口の四分の一を越えてて、世界基準の60歳以上だと三分の一くらいいっていた気がします。それくらい老人が多いのだから60歳くらいでへこたれてちゃ社会が成り立たないってのはまだ理解できるものの、日中間の経営者の平均年齢の差はあながち環視できない事態だと私は考えてます。上記の例は社長だけですが責任を持つ管理職の人間も同じくらい平均年齢に差があると思えるし、まぁあとは言わずもがなかな。
 
 かつては人生50年と織田信長は言ってましたが定年が60歳となり今度70歳まで引き上げようかと言われる時代にこういうことを議論するのも野暮な気がしますが、単純に若い人間が多い中国はそれだけで自分からしたら羨ましく見えます。もっともこの点に一番着目しているのはうちの上司とたまたま同い年したうちの親父で、中国に来るたびに街中を若者が多く歩いているという事実を取り上げ嘆息してます。年寄りの視点もたまには聞く価値があるもんだ。
 
  おまけ
 かなり昔にテレビで見ましたが、どっかの町工場で凄い技術を持っていることから定年を過ぎても働き続けているおじいさんがいて、番組が放送された時点で90歳を越えていながら毎日定時出勤してました。しかもその人の息子も60歳を越えており、父よりも先に息子が定年退職するというわけわからない状態になってて、日本は老人を働かせ過ぎではとなんか見ていて妙な気分にさせられました。

2014年11月10日月曜日

日本人で過剰礼賛するテレビ番組

 昨日何故かこのブログの最新コメントを表示するフィード欄がおかしくなったので、HTMLを再度組み直し(自動で組んでくれるサイト経由だが)ました。組み直すついでとして新たに誰がそのコメントを書いたのかAutor欄を表示するようにしましたが、なかなか気に入っています。
 
 そんなわけで本題ですが、先日友人からこのところ日本で放映されるテレビ番組でやたら「凄い日本人」みたいな特集が増えていると切り出してきました。なんかまたえらそうな書き方になってしまいますが、この友人が思ったことと同じことを私は去年の時点で感じていました。その時も記事に書こうかと思ったものの、今現在(昔から?)の私は日本、並びに日本人に対して並々ならぬ不信感を抱いているため、やや極端に受け取りすぎているのではないかと懸念したため記事化は見送りました。しかし今回話をした友人だけでなく、ネット上でもこうした日本や日本人を過剰に礼賛する番組が多くてうんざりするといった声も散見するようになってきており、一般的な感覚になっているのかと思えてきたので強行して書くことにしました。
 
 まず結論から述べると、簡単に視聴率が取れるからこうした過剰礼賛する特集が増えているのでしょう。ただ友人が話したことですが、従軍慰安婦問題の様に自虐史観から一気に逆ベクトルに振れ過ぎではないかという意見はもっともであり、なおかつ私が見たことのあるこの手の番組は明らかにバランスが偏っていると感じるものが多く、やはりおかしいのではないかという声を上げるべきな気がします。
 具体的にどの点でバランスが偏っているのかというとこれは単純明快で、わざわざ「日本人」としてPRする必要のない人まで「凄い日本人」みたいに取り上げていることが多い点です。確かにこれらの番組で取り上げられる人たちは個人としてみたら立派な特技や知識、実績を持っているのですが、だったら「凄い人」と言えばいいだけなのに何故か「世界に誇れる日本人」みたいな形で番組では紹介されることが多く、その人個人を持ち上げるというよりは日本全体を持ち上げるかのような論調がはっきり言って気に食わないです。恐らく私以外に不満を感じている他の人もこの点について違和感を覚えているんじゃないかという気がします。
 
 あらかじめ申しておくと、立派な功績や特殊な生い立ちを持っている人たちを取り上げるという番組は私は嫌いではありません。しかし近年のこの手の番組はなんか中途半端な人間が出てくることも少なくなく、始めから知名度も高い人もいたりするのでだったらもっと市井に埋もれた人を発掘してきたらどうかなんていう風にも感じます。やや古いですが、NHKの「プロジェクトX」という番組では取り上げるのは基本的に大企業でしたが、その企業の中にいる末端の人間の葛藤を数多く描いてきたから世間にも評価されたように思えます。無駄に「凄い日本」みたいないやらしいアピールもなかったし。
 
 ここでひとつ疑問点を上げますが、なら何故民放どもはやたらに日本アピールを急に行うようになったのでしょうか。この答えの一つは既に述べているようにそれで視聴率が得られるからだと見られ、それは言うなれば私の様に違和感を覚える人間もいる一方で嬉々としてみる人間も一定数存在する、というよりは増えているということでしょう。自分の国が嫌いであるよりは好きな人間が多い方が良いというのはそりゃそうですが、このところの日本は明らかに産業レベルで他の国に追いつかれ始めているにもかかわらず、「日本は技術じゃ負けていない、売り方が悪いだけだ」という苦しい言い訳を展開するなど、実力差をわきまえずに他国を見下す風潮がやや出てきているように見えるためあながち笑っては聞いていられません。自動車に関しても、中国メーカーや韓国メーカーには負けていないとみんな言いますがドイツなど欧州メーカーと比較する話をする人間はほとんど見られず、この手の情報は「ベストカー」という雑誌に頼りきりです。
 ってかなんでカー雑誌に佐藤優氏はまたインテリジェンス講座という連載持ってるんだろうか。インテリジェンスとかあまりにも関係ねぇ……。
 
 自分は従軍慰安婦問題華やかなりし2000年前後の頃は日本を持ち上げようとする意見に対して何も違和感を感じませんでしたが、現状のこの手の番組が氾濫する状況においては「偏狭なナショナリズム」をやや感じます。だからと言って日本はもっと自己批判すべきだとまで言うつもりはありませんが(産業界には言いたい)、凄い個人を取り上げるに当たって無駄に日本人だと強調するのはやめるべきだと思います。個人は個人であって日本人という集合体の一部ではありません。まぁ自分はそっからはじかれた口なので言ってて説得力ありませんが。

2014年11月9日日曜日

何よりも重みのある現場の声

 先日に友人が、「この記事どう?」って下記リンク先の記事について私に意見を求めてきました。
 
 
 リンク先の記事では上海市のはずれにある、西洋風の建築物が密集したところがゴーストタウンになっている状態を紹介し、中国の不動産バブルとも言う現象が見られるがその一方で市民のニーズにあった店舗や物件はそこそこ人気もあれば繁盛しており、ニーズさえ間違えなければまだまだ盛り上がれるという内容が書かれてあります。
 そんなこの記事を読んで私が友人に最初に言った一言は、「この中で紹介されている西洋風の建築物が集まったゴーストタウンだが、俺はここに四年前に足を踏み入れてるよ」というものでした。というのも私は2010年に友人と一緒にこのゴーストタウンへ行ったことがあり、そこでは当時からも人や店舗は一切入っていないながらも風景はいいことから今と同じように結婚式の写真撮影などが行われてて、ぶっちゃけ四年前と何にも変わってないねとこの記事読んで思いました。その上で四年前の時点で存在していた、つまり建築自体はそれより前の不動産物件を取り上げて「不動産バブルの崩壊が懸念される上海の現状はこうだ」と言われても、一年や二年前にできた物件ならまだしもいくら何でも無理があるんじゃないかと思ったわけです。第一、ニーズが合えば売れるなんて言うのは当たり前以外の何でもなくわざわざ記事にする必要もなければ、じゃあ今の上海でどんなニーズがあるのかそこまで具体的に書かないと前の職場だったら書いた人間は怒鳴られてたと思います。マジで。
 
 と、厳しめの批評を書きましたが、この記事を書いた人を私はこれまで知らなかったのですがどうやら金融系の小説を書いている作家の方で中国に常住しているわけではないようです。恐らくこの記事も上海を短期で訪れてその感想として書いた記事だと思われ、そういう立場であればこの記事で書かれているような意見を持たれるのも不思議じゃありません。ただ以前から上海をよく訪れたり常住している人間からしていると恐らく私みたいに「だから何?」っていう感想しか出てこず、無理して書くくらいならこういう現場にいる人間の話をあらかじめ一回くらい聞いておいてみるのも悪くはなかったのではと思います。
 私が上記のような意見を言えるのもそこそこの期間を上海で過ごしておりなおかつ写真に写るゴーストタウンの現場を知っていたことに尽きます。私のような不動産、金融の素人ですら現場を知っていれば上記のような意見を言えるのですがこれはほかの分野にも同じであって、どれだけ鋭い洞察力や深い知見を持っている人間であっても、現場の事情に関しては現場にいる人間には絶対敵わないだろうと私は考えています。
 
 一気に話が転回しますが上記のような価値観を持つに至った一つのきっかけとして、大学時代に取っていたロシア語の講師(女性)の話があります。その講師は旧ソ連時代に留学もしたことある人だったのですが1991年にゴルバチョフ大統領が腹心に監禁されるクーデター(ソ連八月クーデター)が起きた際、バイトで出入りしてていた大手新聞社に言われて手当たり次第にモスクワにいる知り合いに電話をかけて現場の状況を伝えていたそうです。その電話をかける合間にふとその講師は周りの新聞社社員に対し、「あのー、この事件って多分三日くらいで終わると思いますよ」と伝えたところ、「そんなわけないだろ、何を言ってるんだこの小娘は?」というような呆れて侮るような顔をされたと話していました。しかし実際、リアルに三日でこのクーデターは終わりました。
 この時のことについてその講師は、「電話でモスクワにいる人に話を聞いている感じだと誰も緊迫感を持っておらず、普段通りでなんか怒ってるねみたいな感じだったから」と話していました。一見すると超大国の大統領が突然監禁されて連絡が取れない事態なのだから大事の様に思えますが、モスクワにいる人間、そしてモスクワにいた人間の肌間隔の方が事態の展望予想について正しかったわけです。
 
 このように、変に国際事情に詳しくなくても現場を知っている人間の方が情勢予測の点では案外正しい目を持っていることが多いように思えます。私も前職で一時期香港に渡りましたが、やっぱり現地で経済記事を書くというのはどれだけ産業に関する知識を持っていようが、どれだけ文章を上手く書く技術を持っていようが、記事を書く現場にどれだけ長く滞在して現地事情を理解しているかがモノを言います。この点は日本の大手メディアに対して特に強く言いたいことなのですが、最近はどこも地方支局を減らして大事件が起こるたびに東京から記者を応援に派遣して取材することが多いものの、こういうやり方では取材がどうしても薄くなりがちで長期的な視点だとやはりマイナスだと思います。
 
 ここでまた話が一回転しますが、よく経済紙などで現場の声は大事だという言葉が出てきますが、これについては私も同感です。しかし心の狭い日本人がボトムアップの声を掬い取れるかと言ったら私は甚だ疑問で、先程のロシア語の講師の話に限らず知識はないけど現場にいた人間の声をきちんと汲み取るという例は日本だと少ない気がします。
 もっともこれは自分に対しても言え、よく偉そうに知った振りしてあれこれいろんな分野において批評をしていますがその現場にいる人間から見たら見当違いなことを言っているのかもしれないという懸念は常に持っております。その上で大事にしていることとして、現場にいる人間が自分の意見に同意すれば自信を持って書き、逆に違うと言われたらなるべく現場の生の声をそのまま文字に起こした上で自分の意見を書くようにしております。
 
 最後にもう一度日本のメディア記者に向かって言いますが、自分が何でも知っている、理解できるなんて勘違いも甚だしいです。取材の基本は現場の声をきちんと汲み取り読者にわかりやすく伝えることにつき、変に自分の視点を他人の言葉の様にして入れるなんて間違い以外の何物でもないでしょう。
 
  おまけ
 昔にも書いていると思いますが、この記事に出てくるロシア語講師の授業である日学生が、「せんせー、昨日徹夜でカラオケ行ったから喉痛い。のど飴持ってない?」と言ったら、「あんた大阪のおばちゃんがみんな飴ちゃん持ってるとでも思ってんの?まぁ持ってるんだけど」といってすかさずのど飴出したのを見て、「大阪のおばちゃんってすげぇな(;゜Д゜)」って思いました。

2014年11月8日土曜日

松坂豚肉の謎

 来月から近くでやっている日本人同士のサイクリング同好会に入ることとなったので、今日雨の中にもかかわらずロードバイクを一台買ってきました。自分の住んでる昆山市は台湾系の企業が数多く進出していることから今や世界一の自転車用フレームメーカーである「GIANT」製品の販売店が多く、さらいに日本の変速機・ブレーキメーカーであるシマノも工場あることから、真面目に自転車屋が多いです。
 上記のロードバイクは本体が3000元くらいで、ライトなどのパーツをつけて合計3400元くらいで買ってきました。ロードバイクとしては安価な製品ですが、中国だからすぐ壊れる可能性があるのと、私自身あんま最高速度とかラップタイムにこだわらず自分がどれだけ長く乗り続けるかを大事にするのでこれにしました。こだわる気になったらその時に高いの買えばいいんだし。
 ただこの自転車の価格、二年前の1元=12円の頃だったら日本円で36000円くらいなのに、1元=17円の未だと51000円という計算になるので財布と心が痛い。
 
 話は本題というかまたどうでもいい身近なネタですが、私の家の近くに小さい台湾料理屋があります。ここには台湾料理の名物といっていい「魯肉飯」という肉そぼろごはんが6元(約102円)で食えるのでよく通っているのですが、テーブルに写真付きで貼って紹介されている「味噌松坂肉(20元=340円)」という料理が前から非常に気になっていました。紹介文を見ると豚肉料理のようですが、なんで松坂と付くのか、ってか何故豚肉に……などと疑問符をずっと抱えていたので、今日思い切って頼んで食べてみました。
 
 出てきた料理は味噌と一緒に焼いた豚肉が小ぶりに切られた物で、食べてみるとあっさりした味で確かにおいしかったです。私が料理を食べていると店の親父(何気に韓国人だった)から声をかけてきて、なんでこんな名前なのと聞いたら、「日本で松坂牛って高級牛肉あるじゃん。それにあやかってつけた」とあっさり認めました。まぁ豚肉だし、松坂産ってことをPRもせず細々としているし、単純に松坂牛へのリスペクトでつけられているんだから私個人としてはいいのかなと思いますが、なんかほかのお店にもたまに「松坂豚肉」って商品が置いてあることがあって、その妙な伝播力に驚かされます。こういういい加減さは中国見習いたい。

2014年11月6日木曜日

勉強漬けな中国の中高生

 九月に日本に帰国した際にふと気が付いたのですが、駅のコンコース内で一番大手を振って歩いているのは女子高生な気がします。これは女子高生が生意気だからとかそういう意味ではなく、一般成人、特に男性が暗い色の服着てうつむきながら歩いていることが日本では多いため、相対的にかつ人生でハッピーなお年頃であることから横に広がって歩いてても全く気にしないような素振りになるのではと見ています。宮台真司は正直言って大嫌いですが彼が着目した日本の女子高生文化は真冬でも短いスカートをはくなど一種独特で、日本の風俗史としてみるなら研究対象として価値ある存在ではないかとこの頃よく思います。まあ自分はやらんけどね。
 話は本筋に戻しますが、どうして日本では女子高生が大手を振って歩いていると気が付いたのかですが、それはやはり中国での生活体験があるからに尽きます。そもそものファーストステップが、「日本は中高生がいっぱい歩いているなぁ」という印象で、何故そう思うのかというと中国では誇張ではなく中高生が休日でもそんなに街中を歩いていないからで、なんで出歩かないのかというとリアルに勉強漬けとなっているからです。
 
 先に申しておくと中国では一人っ子政策が継続(一部都市では既に緩和)されてはいるものの子供の数は人口比で言っても日本よりは確実に多いですし、結婚した世帯の出産意欲も非常に高いです。実際に街中を歩くと小学校低学年くらいの子供が本気で拳骨加えてやりたいくらいにきゃーきゃー騒いでて(日本の子供の比ではない)、日本と比べると社会の平均年齢は本当に若いと常々感じます。
 しかし大体小学校高学年から高校生くらいの年代の子となると不気味なくらいに街中で見かけません。地方の中学校を出てすぐ都市部に出稼ぎにきたであろう訛りの汚い中国語を話す15~18歳くらいの子であればレストランとか行けばいくらでも見かけますが、その都市で生まれ育ってきたような中高生となると平日はおろか休日でもあまり見かけないし、日本の女子高生みたいに「マジウケルー」みたいな声も耳にしません。前々からこの疑問は持っていていくつか知り合いの中国人などにも話を聞いたりしてきた結果、現代の中国の中高生は朝から晩まで休日も含めてずっと勉強漬け、もしくは習い事をやっているため街中にそんなに繰り出してこないのだろうという結論に私は至りました。
 
 知ってる人には早いですが数年前の国際学力テストで全世界でトップを取ったのは上海市の子供でした。中国は国単位ではこの学力テストに参加せず一部都市だけが参加したのですが、上海を含む主要都市の子供であれば確実にトップ句クラスの順位を取ってもおかしくないほど近年の中国の子供は勉強漬けとなっています。何故勉強漬けになっているのかというといくつか理由はあり、一つは生活が豊かになって子供の教育に親がお金をかけられるようになったことと、もう一つは現代中国は日本、下手したら韓国以上に学歴社会化が進んでおりいい大学を出ないとまともな職業に就けられなくなっているためです。
 中国は日本と比べれば明らかに景気はいいですが、それでも1人当たり可処分所得で言えばまだまだ低いです。また仕事による賃金の差が非常に大きく、底辺の仕事はきついわりに給与はほとんどないのに対して大手企業、特に外資系であれば日本の会社員よりもいい給与も得られる可能性もあり、いい大学でないとまともな生活が出来ないという圧迫感は日本と比べて遥かに高いです。
 
 そうした事情を知っている親からすれば子供にはまともな大学に受かってほしいと思うのは当たり前で、自然と教育熱は高まります。ただその教育熱は尋常じゃないレベルで、私の周りで見聞きするレベルでも小学校入学前に英語塾に入るのは当たり前で、小学校側も入学前にアルファベットの読み書きができるようにしておくことを親に要求してきます。そして中学校になると学校教師は正規の授業とは別に放課後などに費用を払った生徒にのみ補講授業を行うため、肝心なことは正規の授業で教えずに補講で稼ぐ教師も少なくないそうです。
 万事が万事こんなレベルで、親の側も子供に勉強を教えるために必死で勉強して仕事が終わった夜に一緒に問題集を解くのも当たり前です。むしろ学校側が親に宿題の採点、並びに翌日の授業の予習を求めてくるのでそのプレッシャーは半端じゃありません。
 
 こういう具合でなおかつ中国の中学、高校には日本のような部活動もないため、休日でも中高生は自宅で勉強し続けるという有様だそうです。例の上海忍者にこの辺の話を聞いてみると、彼が子供だった頃はまだ日本の中高生同様にプレステで遊んだりバスケットしてたりしてたそうで、「今の子供は勉強ばっかで本当にかわいそうだ」と述べながら時代の変化を指摘しています。なお彼は「鉄拳」か「バーチャファイター」かで悩み、「鉄拳」があるからサターンではなくプレステを親に買ってもらったそうです。
 
 以上のような理由から中国では中高生、というよりは十代の少年少女が街中にあまりいないという妙な状態になっていると私は推測しています。正直に言って私の目から見ても中国の中高生は勉強漬けで不憫に感じると共に、最近では日本同様にいい大学でても就職戦線が激しくてまともな仕事に就けない若者が中国でも増えているので、変な形で社会問題にならなければと懸念しています。現実に中高生の自殺が中国では増えており、メディアなどでも勉強ばかりで倫理観の指導が疎かになっているのではないかとよく取り上げられています。それと同時に、こんだけ教育に熱が入っているのだから国際学力テストでトップ取るのもさもありなんってところです。
 
 最後にどうでもいい話ですが、先日帰宅途中に中学生らしき女の子が道路の上で自転車を止めてなんかくるくるペダルを回している所に出くわしました。一見して自転車のチェーンが外れて走らなくなったのだろうとわかり自分から声をかけて外れたチェーンをつなぎ直してやったところ、お礼を言いながらその自転車に乗って去っていきましたが、この記事で述べているように街中で中学生を見ることなんてほとんどなく、また会話することも全くないので妙にレアな体験だなと心に残ると共に、チェーンが外れていたその自転車は前輪三段、後輪七段の計二十一段変速の自転車であったため、「え?なに?中国の女子中学生ってこんないい自転車乗ってんの?」と思いつつ家路へとつきました。

2014年11月5日水曜日

新小岩駅で人身事故が何故多いのか?

 関東在住の方なら知ってる方もいるかもしれませんが、総武線の新小岩駅は知る人ぞ知る人身事故の名所です。ここで人身事故が多いということを私は中学生くらいの頃から噂で聞いており、ただ当時はここよりも同じ総武線で隣駅である錦糸町駅の方が多いという風にも聞いておりましたが、隣接する駅で人身事故が多いということはなんとなく曰くがあるような気がします。
 直近の人身事故については下記リンク先の記事にまとめられています。サイゾーの記事だから胡散臭いけど。
 
 
 新小岩駅で人身事故が多いということが認知され始めたのはちょっと調べた限りですとどうも2011年ごろからで、なんでもこの年の7月に成田エクスプレスに飛び込んだ女性が吹っ飛ばされ、キヨスク近くにいたほかの人に衝突して重軽傷者を数名出すという大惨事になったニュースが取り上げられ、そのすぐ後にも人身事故がまた起こって定着してしまったのではという見方が出ています。またこの事件の時に出てくる成田エクスプレス自体が人身事故が多い要因で、ホームが湾曲していて飛び込みやすい上に特急で新小岩駅を通過する列車であることから自殺志願者から使いやすく考えられているのではなんていう意見も出ていて、この理由は確かに私もありうるかなと思えます。
 
 なお私が中学生だった頃に聞いた噂だと新小岩駅のホームの配色なり外観がどうもネガティブな要素を持っていて、心理的に自殺を誘導するような効果があるから多いのだという分析を聞きました。ただそれがどんな色でどんな外観なのか具体的な話はなく、また配色であればほかの類似例もあると思えるのにそういうのは全く聞かないので私はこの理由は有り得ないと考えています。そもそも外観と言ってしまえば、新小岩駅周辺は東京都内でも有数のラブホテル街でラブホテルばっかしか見当たらないんだけどなぁ。
 真面目に分析をするとやはり飛び込みやすい上に特急成田エクスプレスの通過駅ということと、日頃から乗降客数が多く何らかの形でこの駅の存在を知っている人が多いことなどが大きいように思えます。不真面目に分析すると、甲子園にだっているんだし何らかの魔物なり妖怪が潜んでいて自殺志願者を引き寄せたり、ホーム下から河童みたいに足引っ張って落としてるのではないかと思います。
 
 前者はともかく後者は私が水木しげるフリークであるがゆえの意見ですが、変に都市伝説みたいな形で伝播するくらいなら「新小岩駅には魔物が潜んでいる」などとふざけた理由で大きく喧伝した方が良いのではないかと密かに考えています。何故かというと大きく喧伝することで普通の乗客の間でも認知が広がり周囲への注意が増しますし、「あそこで死ぬと来世は成田エクスプレスしか乗れなくなるらしいぜ」なんて変なペナルティ的な話も混ぜれば心なしか自殺志願者も敬遠するのではないかと勝手に期待します。それにしても、我ながらよくわからないペナルティだ。
 そもそも妖怪というのは原理がよくわからない現象や危険地帯に対して人々に注意を喚起するために数多く使われていました。前述の河童も川の近くに行くと足を取られてみずに引き込まれると子供に伝え、みだらにじゃなくてみだりに川の傍に近づかせないようにする説得に用いられていて、そういう視点で見るとこういう新小岩駅みたいな所でこそ妖怪の存在が必要なのではないかという気がします。甲子園の魔物に関しては注意のしようがないけど。
 
 最後にどうでもいい話としてこのところ会う人によく、「河童は絶滅が危惧されているから保護が必要では」なんて話を聞かせます。河童の潜む場所と言えば川ですが、それ以外にもかつて存在した「ぼっとん便所」にも潜むと言われていました。私が子供だった頃より前はぼっとん便所では河童が潜んでいて油断すると尻子玉が抜かれるなんて言われてましたが、現代ではぼっとん便所は田舎はともかく都市部ではほとんど見られず、有るとしたら簡易トイレくらいでしかないでしょう。
 これは言うなれば河童の生息地が減少して脅かされていると言っても同然で、絶滅させないためにも一定数のぼっとん便所を政府は確保するべきじゃないかなんて普段通りに真面目な顔して主張してます。なお私はそんなに河童が好きじゃなく、どっちかっていうと「油すまし」の方がビジュアル的に好きです。

2014年11月4日火曜日

ポストリーマンショックの世界

 
 ほんとどうでもいいですが上記リンク先のニュース見出しを見た際に何故か、「瓶とちくわで殴った!?」と見間違えました。でもって中身を見てみると、「ほかに逮捕されたのは、同じ会社に勤務する25歳から25歳の3容疑者」と書いてあって、25歳以外の何物でもないじゃんと心の中でツッコみました。ってか、記者も編集も妙な表現だと思わないのか?
 
 話は本題に入りますが自分が学生だった頃は竹中平蔵大臣(当時)の政策が是か非か、盛り上がる新古典派に対してマルクス経済を見直すべきだなどという経済学の議論がそこそこ盛り上がりましたが、あまり勉強していないのでただ単に知らないだけかもしれませんが、近年はこういう世界を大きく俯瞰するような経済議論がやや物足りないように思います。なもんだから一人で練り上げるしかなく、今日は20分程度考えて自分なりに分析した現代世界の見方こと、ポストリーマンショックというような見方を勝手に書いて行こうと思います。
 
 2008年に起こったリーマンショックは文字通りそれ以前の世界を大きく一変し、特に欧米を中心に大規模な金融危機が襲ったことからそれ以前とそれ以後を分断する大きなターニングポイントになったと事件と言えるでしょう。ちなみにこの一つ前を上げるとしたらやっぱり2001年の9.11かな。
 このリーマンショックによって世界中で経済活動が停滞して日本でも失業率の上昇や税収、給与の現象が起こりましたが、歴史的に語ればこのリーマンショックの余波からいち早く抜け出したのはほかでもない中国で、確か50兆円だったかあんまはっきり覚えてないけど、途方もない額の政府投資を行うことによって自国のみならず世界の経済を引っ張り、別の見方もあるでしょうがリーマンショックからの立ち直りという面で大きな役割を演じたと私は見ています。仮にこの時の中国の躍進というか投資が無ければ世界はどうなっていたか、20世紀の大恐慌ほどではなかったでしょうがその影響が下手したら未だに続いていたかもしれません。
 
 ただそのリーマンショックから既に四年が経過しており、「リーマンショック後の世界」というにはもはやその直接的な影響は残っているようには思えず、敢えて言うなら「ポストリーマンショック」という、リーマンショックからひとまず立ち直った状態が現代世界ではないかと思います。となるとリーマンショックが終わったのはいつなのかですが、これは国によって多少異なり中国に関して言うと完全なV字回復を遂げた2010年、経済が割と絶好調な米国は2012年くらいなんて思えてきますが、一つの区切りとしてはリーマンショックを起因として起こった欧州の金融問題が先送りによってひとまず沈静化した去年こと2013年が終了年としてみています。なお日本はリーマンショック以上に2011年の3.11の方がダメージが大きく未だに引き摺ってる気がします。
 
 ではそのポストリーマンショックの世界とはどんな世界なのか。始まったばっかなのでまだ何とも言えないところがありますが、いくつか要素を箇条書きで挙げると以下のような変化の兆しがあるように見えます。
 
・中国が「世界の工場」から「世界の市場」に
・東南アジアを中心とした新興国市場における日本ブランドの失墜
・欧州の未だくすぶる不安定な金融爆弾
・米露間の軍事的緊張の高まり
・地域、民族による独立・分離意識の拡大
・イスラム過激派の世界的拡張・分散化
 
 いくつか説明のいるのだけ追記すると、二番目の新興国市場における日本ブランドの失墜は意識的に見ていないと案外気づいてない人が多いと思います。たとえば中国一つとってもソニー、パナソニックといった家電ブランドはおろか自動車のブランド価値も急減しており、伝え聞く話ではシンガポールやインドネシアといったほかの国々でも同じような経過を辿っていると聞きます。なんでこうなったのかいろいろ理由は考えられますがここではひとまずその議論を省きます。
 我ながらいい着眼点をしていると思うのは下から二番目の独立・分離意識の拡大で、一例をあげるとこの前投票があったスコットランドといい、軍事的な影響も大きいですがクリミア地域のロシア帰属など実際に国境線が変わる例も出てきています。以前から取り沙汰されているスペインのカタルーニャ地方もスコットランドの余波を受けて独立を意識する層が増えていると聞き、かつては妄想での話でしかなかった沖縄独立論も公に主張する人まで出てきて、こういうのって世界的な動きなのかなと密かに見ています。最後のイスラム過激派にも通じる気がするし。
 
 ここだけの話、私はリーマンショック後は世界的に保護主義が高まるのではないかなと思っていましたが現実はそうならず、TPPを含むFTAなど部分的に目指そうとする動きはあったものの各国の利害意識が鋭く対立して案外今まで通りに回ってきています。その一方で妙なところがグローバル化したというか、この前も日系のハーネスメーカーたちがしょっ引かれたように国境を越えた企業同士の国際カルテルが明らかに増えており、攻殻機動隊の世界みたいに企業の方が国家を部分的に超越している面も見えます。
 おかしな話をしますが、異常のような世界が広がりつつあるため個人としての価値を求め、イスラム国が拡大しているのではなんて思う時があります。日本人はそんなに個人というものを意識しないですが、埋没していく懸念に対して強大な権力に反抗するというのは、それ自体が過激派組織に取り込まれることでありながら非常に「魅力的な餌」であるように思います。そうした懸念に対してどうするべきか、話しを発展させすぎかもしれませんが日本も外交を真剣に考え、イスラム国に対する姿勢をもっと示した方が良いのではというのが密かな意見です。

2014年11月3日月曜日

中国のリッチなホテル内装

 昨日まで上海に来たうちの親父の相手をしていたのでブログ更新をまた休んでました。ちなみに土曜の晩には香港料理の店に連れて行きましたが、出された料理の中でうちの親父が一番気に入ってたのは何故かロシア料理の「ボルシチ」でした。「うちのおかんがこういうのよく作っとったねん」といいながら8割方一人で全部飲んじゃうし(ーー )
 
 話は本題に入りますが、上記の写真は土曜に親父が予約してたので一緒に泊まった上海にあるオークラホテルこと「上海花園飯店」の一室です。なお最初に指定された部屋はダブルベッドが一つだけだったのですぐフロントに文句言って「デラックスツイン」とホテル側が称するこの部屋に案内されましたが、ベッドは普通にシングルでした。
 そうした文句はさておき、このホテル内装を見て感じ方は人それぞれでしょうが恐らく大抵の人は、「オークラなだけあって悪くないじゃん」と思ってくれるのではないでしょうか。実際に一晩泊まった私の感想としても悪い印象ではないのですが、ここ上海に限っていうならせいぜい並の程度というくらいところで、取り立てて特別豪華だとは思いません。なんでこんな言い方するのかというと、ほかのホテルを含めて上海にあるホテルはどこも非常にリッチな内装をしていることが多いためです。
 
 以前にも中国のビジネスホテル市場で記事を書いておりますが、中国、特に上海においてはヒルトンやシャングリラ、ホリデイインといった外資系大手ホテルチェーンが数多く進出しており、その競争振りも半端なく激しいレベルにあります。現実にいくつかのホテルチェーンで競争に耐え切れず撤退するところも出てきているくらいで、それくらいガチの競争が繰り広げられているだけあって物価の差もありますが日本人からすれば驚くくらい安い値段で五つ星のホテルにも泊まることが出来ます。上海旅行で何が一番華かと問われるなら、私ならやっぱり手ごろな価格で泊まれる豪華なホテル施設を上げることにします。
 
 では上海のホテルはどんな点がリッチなのかですが、サービスに関しては日本と極端な差はないものの中国の中では図抜けて高いです。この前西安から来た私の後輩などはホテルのボーイに荷物を預けた際、「凄いですよ花園さん。さっきあのボーイ、僕に対して笑顔を見せながら荷物を受け取りました。西安だったら必ず舌打ちされるのに……」と感動した(実話)程のレベルです。
 
 こうした中国としてはマシなレベルのサービスはもとより、見出しに掲げた内装の良さには目を見張ります。以前に私が別の上海市内のホテルに泊まった際に妙な居心地の良さを感じたので家具などの内装に詳しい知人というか読者に尋ねたところ、「中国のホテルの方が日本よりも内装はいいよ」という回答を受けました。その知人によると、中国人は日本人と比べて家具の質、とりわけ色彩の組み合わせに特段を気を使っており、またタイルなどといった建築材でも日本は機能性を優先してビニールなど化学素材を優先するのに対し、中国は機能性を無視してでも大理石などといった天然素材を選ぶ傾向があるそうです。実際に言われてみてから見回してみると、中国は駅構内を始めやたらと大理石を多用していて日本のようなビニールのタイルがあんま見られないことに気が付き、知人の言う通りに中国人の方が内装のセンスは上かもと私も思えてきたわけです。
 
 一体何故中国のホテルの方が内装がいいのか、この答えは私の考えだと民族性にあると思います。近年の日本は車において燃費を絶対重要視するなど機能性を何よりも優先する傾向があります。それに対して中国は機能性を度外視、ってか不良品が出ても出してもあんま気にしない性格もありますが、こと外観というかデザインに関しては強いこだわりを持ちます。車においても燃費や馬力は一切無視してどれだけでかくて派手で目立つ色か(+価格)を大事にしており、そう考えると内装に機能性の高い化学素材ではなく天然素材にこだわるというのと一致する気がします。
 
 やや本筋から外れましたが中国のホテルはクラスに比べて明らかに手ごろな値段に加えて、日本のホテルとはいい意味で一線を画した内装となっていることが多く、中国旅行に来られる際は意識的に良いホテルを選ぶことをお勧めします。もっともビジネスホテルに関しては日本とそんな大差なくふとんも心もちしっとりした肌触りのため、私の感覚で言えば一泊300元(約5100円)が一つのボーダーとなっているように思えるのでこれより上の価格のホテルがお勧めです。ちなみにビジネスホテルは200~250元くらいかな。

2014年10月31日金曜日

今日の日銀の追加量的緩和について

 最初にまたどうでもいいことですが中国というのは人間もタフだったら虫もほんとタフな国だなとつくづく思います。冗談ではなくこの時期においても蚊が飛んでいて油断すると刺されるし、しかもこいつら明らかに日本の蚊よりすばしっこくて殺しづらいです。血を吸った後だとさすがに奴らも動きが鈍るのですがそのかわり叩き潰すと手が返り血で薄汚れ、この前も低空飛行している蚊を革靴で上から思い切き踏みつけて殺しましたが床に血の跡が残った時はやや気分が晴れました。
 あと蚊ともう一つ、ダニもやけに生命力が豊富でちょっとでも湿気が増えたりすると急に大発生します。さっきもどうもパジャマ着てるとあちこちかゆくなるので、耐えきれず夜中であるものの洗濯機に放り込みました。そんなわけでしょうがないから今は半袖のパジャマで代替してます。
 
 話は本題に入りますが本日の日経平均株価終値は前日比+755円、為替も1ドル111円超にも達し、大幅な円安株高となりました。こうなった理由は非常に明白で、日銀の黒田総裁が正午ごろの会見で追加量的緩和を実施すると発表し、この発表がトレーダーに好材料と判断されたことに尽きるでしょう。しかし結論から言うと、今後はちょっと怖いと思うのと同時にしばらく株買うのはよそうと私は思いました。
 
 量的緩和の中身については説明を省略しますが、つい先日に米国のFRBが量的緩和の規模を今後縮小すると発表した矢先の出来事だっただけに、日銀側は米国の発表に合わせて反対の行動となる今回の追加量的緩和を発表したのでしょう。では何故量的緩和を追加で行う必要があるのか、これに関しては既にロイターなどでちゃんとした記事出てるので自分の記事よりそちらを参考にした方がいいのですが、私の方から書くと理由は大きく二つあり、一つは今年四月の消費税増税以降インフレがほとんど進んでいない、もう一つは来年のさらなる消費税増税を実行するためにも市場を盛り上げる必要がある、この二つだと見ています。
 
 後者に関してはもうとやかく説明しませんが、前者に関しては前々から知人には伝えていたもののどうして日本のメディアは統計データを出して取り上げないのかと前から不思議でしょうがありませんでした。今年四月の消費税増税以降、最新の9月データだとインフレ率(=物価上昇率、CPI)は実質で1%にとどまっており、3%の消費税引き上げを行った割には非常に弱含んだ数字となっております。日銀の当初の目標は2%であり今の状態のままだと到底足らず、アベノミクスの前提が崩れる可能性もあることから早くからこの追加量的緩和を計画していたのかもしれません。もっとも、計画しながら実行しないことが多い日本の実情を考えるとかなり果断な決断と言え、トレーダー達の間でも日銀がこのような行動に出るとはだれも予想していなかったことでしょう。
 
 それで今後の推移ですが、しばらくは今回の発表によって株価の上昇とインフレ率の持ち直しが期待できますが、どれだけ効果が持続するかとなると全く分かりません。言うなれば「もう日銀には残された手段がない」と見られてどっかで株価がガクンと落ちる可能性もあり、デイトレードで来週やるならともかく長期的に株式を保有するとなると結構考え物です。というのも、実体経済の具体的な成長戦略を安倍政権がなにも描けていないのが不安で仕方ありません。
 しかしここでテコ入れしなければ来年の消費税増税は批判されっぱなしでやり辛く、不意を突いてやるタイミングとしては決して悪いタイミングではありません。当初の想定通りにインフレりる2%に持ってこれなかった手前、手放しで誉めるつもりはないですが修正をするという手段としては間違ってはおらず、非常に評価が難しいというのが本音です。この辺は歴史に判断してもらうしかないですね。

2014年10月30日木曜日

私なりの社会学的アプローチ

 最近中身の薄い記事ばかり書いている気がしてならないので今日はまたぞろ頭を使うような記事にします。
 最近マイブームな「大学生にこんなこと聞いてみたい」と思う質問としてこれまで、「労農派と講座派の違いは?」、「ロシアのラストエンペラーは?」を上げていますが、この二つは多少おふざけが入っているので答えられなくてもまだ理解できますが、「学問を身に着けるとはどういう意味か?」というこの質問には真面目に回答してもらいたいです。答えをあっさり明かすと、理系に関してはそのまま技術と知識を覚えるという意味になりますが文系に関しては「その学問分野に根差した思考法を身につける」ということが私の中の模範回答です。私は幸いというかこの内容を一回生の頃に恩師に教えてもらったのでそれ以降は意識的に思考法を身につけるよう努力するとともに、ほかの専攻の連中はどんな思考法なのか密かに観察していました。

 もっとも今の大半の日本学生はそれほど真面目に勉強しないので思考法以前に教養が物足りない者で溢れ返っていますが、割と真面目に勉強している学生を見ていていくつか気づいた点として、まず経済学の学生は明確に貨幣の流通を中心に社会を分析するという前提があるので、比較的現代的価値観に近い思考法を持ってることが多いです。具体的には流通経済の価値観に沿ってどれだけ回せばどれだけ返ってくるような、こうした考え方することが多く普段はそんな突飛なこととかも言い出したりしません。ちなみに一番突飛なのはやっぱりダントツで文学部出身者。
 最も考え方に特徴が出てくるのを上げるとそれは法学部で、彼らのやっていること自体がそれだからってのもあるでしょうが、基本的に枠の中でしか物を考えません。法学部出身者は何か新しい発想を求めてもあんまり意見は出てきませんが、「こういう条件で」という具合で枠を作ってあげるとその中にある材料でいろいろ組み立ててくるのでこうした傾向がある人間にはなかなか有効な手段となり得ます。

 以上はあくまで私の独断による見方で自分の中でもまだ固まっておらずほかにも意見がある方がおれば是非話を聞きたいのですが、それはさておきじゃあ私はどんな思考法でどんなアプローチをするのかというのが問題です。そもそも私の専門とする社会学はまだそれほどメジャーでないこともあって「一体どういう学問なの」って聞かれることも多いのですが、あくまで私個人による解釈として社会学とは、「人間は集団となると個人としての人格とは別の、集団の人格が形成される」というのが大前提です。これは個人としては非常に良心的な人を集めて30人にしても、その30人が集団して活動すると非常に好戦的で残酷な思考でもって行動を取ることがあるというように、個人と集団の考え方や思考、人格は大きく異なるという考え方です。
 心理学との大きな違いは心理学は個人の精神、思考を対象とするのに対して社会学は集団の精神、思考を研究対象とします。具体的には民族や国民といった同じ文化をもつ大きな集団から小学校のクラスや会社の人間関係なども小さい集団も取り扱います。大きなポイントとしては人間の思考や心理を対象にするという点で、制度やルールは逸れに絡まない限りはあんまり相手にしません。

 そんな社会学を曲がりなりにも学んで来た身であるため私の考え方というかアプローチの仕方も社会学に影響されており、必ずしもこれが正道というわけではないかもしれませんが、私がモノを考える際は基本的に「動機」から入ります。
 科学でいちばん基本的なこととして因果関係の概念があります。原因があるから結果がある、英語で言えばCause and effectですが、この構図をどのように組立て適用し、証明するのかという過程が文系理系を問わずに存在する科学です。社会学は人間を対象にするため基本的にはその心理と行動が因果関係となっており、ある心理からどのように行動に移されるか、また逆にある行動がどのように心理へ影響を与えるかという構図で基本的に組み立てます。まぁ社会学はずるい学問なので、原因と結果を平気で逆にしたり、原因でもあり結果ともなるといった具合に双方向な干渉を主張したりすることもありますが。

 それはともあれ私のアプローチの仕方ですが、私は何か疑問に当たったり、何か構造を分析しようとする際は必ず最初に「一体どんな目的で?」という具合に動機から探るようにしています。ちょうどいい例と言ってはなんですが今何かと話題の小渕優子議員の後援会における資金問題が発覚した際に彼女の発言などを見て思ったこととして、「何故憎悪が込められていないのだろうか?」というのが、決して誇張でもなく最初に感じた事でした。

 この資金問題は彼女の後援会が不可解な経理報告書を出していたことに端を発し、発覚当初は小渕議員というよりは後援会の会計責任者がきちんと管理しなかったために起こった問題で小渕議員にはそれほど責任はないのではという声もありました。しかし私の考えは違い、もしその通りに会計の責任者なり担当者のポカミスもしくは不正があって起こったというのであれば一般的な人間の常識感覚だとその上司たる小渕議員は、「余計なことしやがって!」という風に怒りを覚えるのが普通な気がします。しかし先程も言った通りに小渕議員は釈明で、「監督不行きがあった」、「事実を調査中」という事ばかり述べて、自分の部下に対する怒りや恨み言を全く口にしないばかりかその目にも憎悪の炎が見えず、むしろ発言は会計担当者をかばうかのようなトーンすら感じました。

 私の勝手な想像で進めますが何故小渕議員は会計担当者の責任なりをあげつらい自分に責任がないなんて主張せず、むしろかばうかのような素振りを見せたのか、一つに考えられる理由としては、やっぱり自分が主導してやったことなのでこの難局をどう乗り切るかでいっぱいいっぱいだった、もう一つに考えられる理由として、今後どのように秘書なり会計担当者に罪をおっ被ってもらうかを考えていたからあからさまな非難が出来なかったのでは、なーんて私は考えました。なんでこんな風に考えるのかというと一つはこういう組み合わせなら動機と行動が一致するように思えるのと、これまで秘書の責任にして逃げ切ろうとした議員たちも同じような釈明をしていたからです。なおこの例外は鈴木宗男元議員で、彼は部下なり他人に罪をおっ被せようとはしませんでしたが全部知らぬ存ぜぬで乗り切ろうとするのはちょっと無理があった気がします。

 またややこしい話をしますが動機と行動は必ずしも一致するとは限りません。ですが普通なら何らかの思考があって行動が伴ってきます。逆を言えば周囲にある条件と行動が一致しない場合はその条件を無視する必要のある思考があると言え、その思考は一体何なのか、そしてこれからどんな行動を取ろうとするのかという風に考えて私は物事の予測を立てることが多いです。恐らく社会学を学んだ人間でもこういうアプローチをする人間はそんなにおらずやっぱり私独特な考え方だとは思いますが、こうしたアプローチをするようになったのは間違いなく社会学の影響を受けており、中にはこういうアプローチする人もいるんだという風に考えてもらえればありがたいです。
 読者に負担をかけることは承知していながらも、たまにはこういうわけのわからない内容を書きつづるのはいいストレス解消になります。

2014年10月28日火曜日

派遣労働法改正審議に対する個人的見解

 今日は元々更新する予定はありませんでしたが最近政治記事少ないし短くまとめられそうなので派遣労働法の改正審議について一言書いてきます。結論から書くと、この記事書いた記者は自分で書いてて違和感を覚えなかったのだろうか。
 
 
 小渕、松山の両元大臣の問題で審議開始が遅れましたが、今国会での目玉とされていた派遣法の改正審議が今日から始まりました。改正箇所の論点は派遣労働におけるいわゆる「三年ルール」の取り扱いについてで、与党と野党で意見が真っ向から対立しています……という風に最初は書く予定だったのですが、記事を読んでなんじゃこりゃと「?」でいっぱいな状態です。
 派遣労働における三年ルールとはなにか私が世間で見聞きして理解している内容だと、「通訳など一部業種を除き企業がある仕事を派遣社員に任せる場合はその期間は三年までと定められており、三年以上雇用する場合はその派遣社員を正社員にしなければならない」というルールです。上記の毎日新聞の記事によると今回の改正審議で与党自民党はこのルールを、「派遣社員を三年以上雇用するとしても、三年ごとに派遣社員を切り替えるのであればOKにする」方向で改正するよう主張しているそうです。この文言を見て「?」と疑問に感じたのですが、ほかの人はどうなのかな。
 
 一体何に疑問を感じるのかというと、「これって現行でも一般的に行われている事例ではないか」と覚えたからです。三年以上雇用すれば正社員にしなければならないのでどの企業でも二年十一ヶ月で派遣社員を切り替えるというか雇い止めする方法が横行していると私は以前から聞いており、何も改正がどうのこうの以前に今も普通に行われている事に対して与党も野党も何をこいつら揃ってグダグダ言い合っているんだと思いました。
 念のために書いておくと毎日だけがこういう風に書いているだけでなく、ざらっとほかのメディアの記事を読みましたがどれも同じような内容で書かれてあり、おぼろげながら見えてきた内容を見ると現行ルールでは、「同じ仕事を派遣に三年以上任せてはいけない」と名目上はなっているようで、たとえば「お茶汲み」という仕事を派遣社員に任せていれば三年以後はたとえ派遣社員を切り替えたとしてもその仕事担当者は正社員でなければならない……ってことになってるそうですが、こんなルールは私は初めて聞いたし、第一仕事内容を「お茶くみ」から「雑巾絞り」に変えればいいだけではなんて思えます。
 
 何が言いたいのかというと、この記事内容から見える議論の論点が明らかにおかしく、現行で横行しているルールを改正の必要ない再認をするのに与党と野党が言い合っているなんて書かれてあり、本当にこういう議論になっているのか非常に不思議に感じます。私が依然に聞いていた与党の今国会での改正案は三年ルールの撤廃で、「三年以後も同じ派遣社員を派遣として雇い続けられる」という内容だったはずですが、この記事の内容だと「派遣社員を切り替えれば三年以後も派遣に仕事を任せられる」になってます。どっちが正しいんだ?
 
 
 念のため自分の認識が正しいのか軽く検索してみてみましたが、上記のサイトに書いてある内容を読む限りだとやっぱり各企業では切り替えことで派遣雇用形態での労働を維持しているようにしか見えません。なおマイナビ派遣の記事タイトルが「ギモン」とカタカナで書かれてあるのにはちょっとムカッってきて、「日本語なめてんじゃねぇよこのカス」とか思いました。
 
 現行の三年ルールで大きな問題になっている点として、派遣社員の側が派遣の身分のままでもいいから同じ職場で働き続けたいと願っても雇用側は正社員化義務があるため切らざる(=切り替えざる)を得ない、こういう問題があると以前から聞いております。そういう意味で当初聞いていた改正案の内容、三年ルールの完全撤廃は一見すると派遣社員の負担が大きくなるようではあるもののあながちそうは言いきれない点もあり、果たしてどういう議論が展開されるのか楽しみだったのですが、なんか今日の記事を見ると論点が違っていて肩透かしを食らったかのように残念に思います。
 
 その上で政治家とマスコミ双方に対する苦言として述べると、これらの議論に当事者である派遣社員の声が全く出てきません。それこそ適当な人間をランダムで国会に承知して三年ルールをどう思うかとか生の声を聴いてみたいのですが、そういう試みはなく野党側も派遣社員の格差が広がるなどと大した根拠やデータも持ち出さずに声高に言うだけです。データの集計とか細かく調べていませんが、前にメディアに出たデータだと派遣社員の身分で満足しているという回答が過半数を上回ったデータもありましたし、当事者たちがどのような制度を望んでいるのか、そうしたものを拾わずに議論だけしてても無駄な時間にしかならないと思う次第です。

2014年10月27日月曜日

ロシアのラストエンペラー 後編

 昨日に引き続きロシアのラストエンペラーことニコライ二世について書いてきます。昨夜はやる気満々だったけど、今日ちょっと頭痛くて調子悪いですが期間空けられないのでこのまま頑張って書くことにします。
 
 前編ではその生い立ちから即位、そして日露戦争に至るまでを書きましたが、日露戦争中に戦争の中止、並びに憲法制定など民主化を求めた大衆のデモ隊に発砲して千人以上が亡くなる(どっかの国もあったような……)「血の日曜日事件」が起こりました。この頃から王制に対する批判も激しくなってき始めバリバリの王権神授説論者のニコライ二世も日露戦争後はセルゲイ・ヴィッテらが提出した民主化改革案の「十月詔書」にサインして一旦は歩み寄る姿勢を見せますが、すぐさま翻意してヴィッテを首相から降ろすと折角開設した国会でも議員の選挙方法を回改正して貴族寄りの政策に方針に変えています。
 
 ニコライ二世というかロマノフ朝は元来、皇帝の側近が中心となり政治を取ることが多いのですが、この頃のニコライ二世の傍に最も近かった人物というのはあの有名な怪僧、グレゴリー・ラスプーチンでした。その圧倒的な存在感から現代においても様々なサブカルチャー作品に登場するだけでなく「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏(何気に同門)を始め多数の人物のニックネームにも使われる彼ですが、特に宗教教育を受けたわけでもない農夫だったのに突然、「巡礼に出る」といってロシア国内を流浪し、首都サンクトペテルブルクで彼の祈祷で病気が治る人が続出したことから王室にも出入りするようになりました。
 ここでニコライ二世の家族について触れますが、彼と妻のアレクサンドラとの間には一男四女が生まれ、写真で見る限りですとどれもみな粒ぞろいの美男美女ばかりです。ただ長男のアレクセイは当時としては不治の病だった血友病キャリアで、しかも重度の症状を患っていました。彼の血友病は元代においてヴィクトリア女王の血統によるものとみられていてほんのちょっとのあざでもなかなか治らず寝たきりになるため、両親は息子の将来とその健康を非常に心配していたそうです。そこへさっそうと登場したのがラスプーチンで、彼が祈祷をするやアレクセイの病状や気分がぐんとよくなることが多かったため、ロシア皇帝夫妻はラスプーチンを深く信用して王室内への自由な出入りすら認めるに至りました。
 
 こうしたラスプーチンへの贔屓が面白くなかったのは言うまでもなくロシア貴族たちで、ただでさえ怪しい人物が妙な祈祷をして皇帝夫妻に取り入るのを見るにつけ、「何か裏があるに違いない」と誰もが思ったことでしょう。そうした不満は主に皇后のアレクサンドラに向かい、元々社交的でなく王室行事にも率先して参加したがらない彼女がロシア国民から嫌われていたのもありますが、当時からもラスプーチンと密通しているのではという噂がまことしやかに流れ王室への信頼が日に日に薄れていく事態となりました。
 ここでちょっと早いですが私の見解を述べると、元々ニコライ二世は極端な保守的政策を取ったことからロシアの一般国民からは即位当初からそれほど敬われていたようには見えません。そんな彼が支持基盤として固めていたのは特権を持つ貴族層で、彼らの利益を代弁する形で政権を維持してきましたが、このラスプーチンへの肩入れによって貴族層からの支持も薄れていき、それが彼の末路へと導いて行ったように思えます。もっとも本人は国民からは信頼を得ていると考えていた節があり、敢えて言うならちょっと古いタイプの王様でフランス革命以降の時代の変化を嗅ぎ取れず実感しきれなかったことがドイツ王室と共通し、英国王室と異なっていたのかもしれません。ボナパルト家はまぁ別だけど。
 
 話は戻りますが、ニコライ二世のみならず欧州すべての国にとって運命の転換点となった第一次世界大戦が1914年のサラエボ事件をきっかけに勃発します。この大戦でロシアはバルカン半島での利害関係がぶつかるオーストリア、そしてその同盟国のドイツと対戦しますが近代兵器を多数保有していたドイツに対して日露戦争同様に連戦連敗を重ねます。また総力戦に対する対応も遅れ国内では経済の混乱、物資の不足が起こり日に日に王室への批判が高まっていきました。
 しかも間の悪いことにニコライ二世は自ら前線へ赴き戦争指揮を手掛けたため、首都では嫌われ者の皇后アレクサンドラが主に政治を執り、その傍らにはラスプーチンも控えていたことからとうとう沸点を越える事態こと「二月革命」が1917年に発生。首都は革命勢力が実権を握り前線にいるニコライ二世は軍を率いて首都奪還を図るも現場指揮官全員から拒否され、強制的に退位させられることとなります。
 
 この前線での退位の際にニコライ二世は自分の後継として病弱な息子ではなく弟が次の皇帝だと指名しますが、革命勢力に対する報復を恐れた弟はこの使命を拒否してしまいます。ニコライ二世としては自分が退位させられても王朝はまだ続けられると考えていたようですが時すでに遅しで、仮に革命前に周囲の一部から薦められていたように譲位していればもうちょっと反応は違ったでしょう。
 また退位後の決断においても結果論ではありますがニコライ二世は鈍さを見せています。ニコライ二世は当初、従弟であるジョージ五世が国王だった英国への亡命を企図して打診しましたが、英国は国内の社会主義勢力を警戒してこの打診を黙殺します。その一方で、対戦国同士であるものの個人的な関係は非常に親密であった同じく従弟でありドイツ皇帝だったヴィルヘルム二世は「ドイツにおいでよ」と誘ってくれましたが、対戦国同士ということを懸念してかニコライ二世はこの誘いを断り、ロシア国内にとどまってしまいました。まぁ難しい決断ではありますが。
 
 こうしていよいよフィナーレへと至ります。ロシアにおける革命の革命こと「十月革命」によってロシアの実権はレーニン率いる社会主義勢力ボリシェビキが握ります。ボリシェビキはニコライ二世一家をエカテリンブルクの屋敷内に監禁し、翌1918年にレーニンの決断によって一かとその使用人の計11人が処刑というべきか、一応殺害されます。殺害時の現場は当時の関係者が数多く証言しており比較的詳細にわかっており、当日の深夜、というか直前に地下室に集められて、「これから処刑する」と一方的に伝えられてニコライ二世、長男アレクセイ、皇后アリックス、そして四姉妹の順番で射殺されたようです。その際に皇后は娘達の除名を求めましたが通ることもなく、痛ましいことに全員が殺害されしばらくは、「皇帝のみ処刑して家族は無事」とソ連政府が喧伝したことから後に四女アナスタシアを名乗る偽物がでる事態も招いています。
 
 同じく一次大戦中に退位することとなったドイツのヴィルヘルム二世は亡命先で天寿を全うしていることと比べると、ニコライ二世の末路は本人に全く責任がないというわけではありませんがやや不憫にも感じます。特に一家全員が問答無用で殺されているのは素直に同情心を覚えると共に、国王と皇后が処刑されたものの子供たちは名目上は放免となったフランス革命と比べてもそのやり口の強引さは目に余ります。
 そのフランス革命との比較ですが、国王ルイ16世の処刑は一応は議会での決議を踏まえた上でその暴力が実行されていますが、ニコライ二世のケースだとトロツキーの反対があったにもかかわらずレーニンが何の議会、裁判手続きを踏まえず命令しており、この辺がロシアの国民性なのかと言われればそうなのかもしれないと私なら答えます。昨夜も友人に話しましたがレーニイズムとスターリニズムは基本的な軌を一にしており、違いがあるとしたらその期間と粛清された人数くらいししか案外ないのではと思います。
 
 まとめになりますが一次大戦によってロシア、ドイツ、オーストリアという列強各国で各王朝が滅亡しています。その要因は戦争に負けたことが大きいのはもちろんですが、20世紀に入り国の形が変わったというか植民地主義こと世界戦国時代の風潮が薄れ思想が変わっっていったのに対して各国の皇帝がその辺かを受け入れなかった、対応しきれなかったことが背景としてあると私は見ています。逆を言えば、そのような時代の変化にも鋭敏に反応して役割を変えた存続し続けた、もっと溯れば17世紀の時点で政治実権を議会に譲り渡した英国王室というのはやはり際立った存在のように感じます。
 英国が何故強いのかと問われるならば、変化に対応できる王室がいるということも十分要素に入ってくるでしょう。逆に変化に対応できなければロマノフ朝の様に滅ぶこともあり得、日本の皇室もその辺を頭の隅っこに入れておいた方がというのがちょっとした私の意見です。念のため書いておくけど、別に私は社会主義者みたいに皇室の廃立はのぞんでませんからねっ。

ロシアのラストエンペラー 前篇

 日本でラストエンペラーとなると中国清朝の最後の皇帝である「溥儀」の名前が挙がってきますが、ラストエンペラーはその王朝の数だけ存在しておりそれは何も中国に限るわけではありません。例をあげればフランス第一帝政であれば初代のナポレオン・ボナパルトがそのままラストエンペラーですし、日本も将軍をこの類として考えれば徳川慶喜がラストエンペラーです。
 そうした滅びゆく王朝の最後の権力者として人生を歩んだ人物の中で比較的近代だと、ロシアとドイツでそれぞれ一次大戦末期に国内で革命が起こり、二人のラストエンペラーがほぼ同時に生まれました。最もロシアはその後「紅い皇帝(つるふさの法則)」の時代を経て現在はKGB皇帝が君臨していますが、名目上のラストエンペラーであるニコライ二世については日本と深い関わりを持っているにもかかわらずいまいち認知度が低いような気がします。そこで今日は詳しい内容までは踏み込めませんがさらりと紹介するような具合で、ニコライ二世についてその経歴と私の見解を述べていくこととします。さらりと紹介と言いながら前後編にするのもあれですが。
 
ニコライ二世(Wikipedia)
 
 ロシアのロマノフ朝第14代皇帝にして最終皇帝のニコライ二世は1868年、時の皇帝のアレクサンドル二世の息子で皇太子であった後のアレクサンドル三世の長男として生まれます。生まれながら将来の皇帝を約束され両親からの教育も帝王学に沿ったものでしたが、コライ二世の幼少期の行常はそんなに良くなかったようで勉強にはそれほど熱心でなく、またやや気弱で女の子っぽい所もあったことから父親は少し心配していたようです。
 成人に至る前のニコライ二世に大きな影響を与えた事件として、祖父であり皇帝のアレクサンドル二世の暗殺事件がよく挙げられています。アレクサンドル二世は進歩的な改革者でロシアでの国会開設を目指し一般市民の権利向上など人民に寄った政策を取ってきたのですが、国内の過激な民主派によって爆殺されてしまいました。この事件は当時13歳だったニコライ二世にとって、「人民に肩入れしても平気で裏切られる」という感情を持たせたのではと言われておりますが、祖父がこういう死に方したらそう考えるのも無理ない気がします。
 
 こうして成長していったニコライ二世が日本と初めてファーストコンタクトを持ったのは彼が23歳だった1891年のことで、父親の勧めで前年から世界旅行に出かけていたニコライ二世は最後の渡航地として日本を訪れます。当時の日露関係は樺太(サハリン)の帰属を始め決して良いものではなかったものの、来日したニコライ二世に対して日本政府は礼を尽くして歓迎し、ニコライ二世自身も率先して長崎の街を回るなどそこそこ堪能していたようです。
 それが暗転したのはニコライ二世が大津に入ったその日でした。わかる人には早いですがこの時に警護を行っていた警察官の津田三蔵が突然ニコライ二世に斬りかかるという大津事件が起こり、ニコライ二世は津田に右耳のあたりをサーベルで少し切られます。幸い、怪我自体は大したこともなくその後に明治天皇がわざわざ神戸まで訪れ謝罪し、日本国内から見舞いの手紙や品がたくさん送られてきたこともありロシア側は外交問題に発展させず矛を収めましたが、当事者であるニコライ二世自身がどのような感情を持ったかについては諸説あり、彼自身が日本側の対応に好感を持って事件かを見送ったとも、内心では相当腹に据えかねていてそれが後の日本との対立を作る要因になったとも言われております。
 私個人の見解を述べるとこの時のニコライ二世は残っている記録などからそこそこ日本側の対応に満足していたのではないかと思うものの、その後日本と外交で対立する機会に直面するに至って、「そういやあの時に日本人には酷い目に遭わされたな」という具合に、後から思い出して憎悪の種にしたのではという風にみています。そういう意味では日露関係を悪くさせた要因と呼んでもよい事件でありますがサラエボ事件と比べると即火種にはならなかっただけに、ほんとこの時死ななくてよかったなんても思います。なおこの大津事件当時、ニコライ二世に対して申し訳ないと自決した女性もいました。
 
 話は戻りますがニコライ二世がロシアに帰国して数年後、彼が26歳の時に父親であるアレクサンドル三世が病に倒れこの世を去ります。初めから後継者と決まっていて特に争いは起らずニコライ二世は皇帝に即位し、また父の逝去前から付き合いの続いていたヴィクトリア・アリックス(ロシア語読みならアレクサンドラ)と結婚します。アリックスについて少し述べると、彼女の母親は英国のヴィクトリア女王の娘で父親はヘッセン大公国(現在のドイツヘッセン州)の大公でした。ドイツで生まれますが生後すぐに母親が逝去した6歳からはずっと英国のヴィクトリア女王の下で育ち、ロシアに来るまではほとんど英語しか話せなかったようです。だけど後年ロシア人からは「ドイツ女」なんて呼ばれて批判されちゃってますが。
 皇帝となったニコライ二世は側近に後の好敵手とも言うべきセルゲイ・ヴィッテを採用し、彼の主張に合わせシベリア方面に鉄道を敷き(シベリア鉄道)、ロシアは東アジアでの勢力拡大を図ることとなり、特に日清戦争後の中国では列強による分割が進められていただけに国境を接するロシアにとっても重要な狩場の一つだったっことでしょう。しかも満州地域はロシアが太平洋へ出るに当たって重要な地域で、日清戦争後に中国から旅順を租借した日本に対し三国干渉を行って中国に返却させるなどかなり早い時期から干渉というか目をつけています。
 
 しかし「極東の和を乱す」として日本に旅順を返却させながら、極東進出の足掛かり並びに不凍港として価値があるという周囲の声に押されニコライ二世はヴィッテに反対されながらも1898年に中国を脅迫し、旅順と大連を中国から無理矢理租借します。この行為に怒ったのは言うまでもなく三年前にロシアに言われて旅順を返却した日本で、国民の間でも打倒ロシアという感情が明確に生まれ明治政府としては国内政策がやりやすくなった一方で外交に苦慮することとなるわけです。
 ロシア側でもこの時期から対日政策についての議論が活発となり、前述のヴィッテなどは対日融和派で日本も模索していた「満韓交換論」こと満州はロシア、朝鮮半島は日本がそれぞれ管轄するというか住み分ける方針を唱えていましたが、ニコライ二世はこれとは別の満州も朝鮮も両方まとめて切り取るべしと主張する強硬派の意見を採用する形でヴィッテを罷免させてしまいます。こうしたロシア側の態度を見て日本も対露同盟派は瓦解し、将来の対決を見越して英国との間で日英同盟を締結するなどして準備を進めます。そして1904年、日本人のノスタルジーともいえる日露戦争がついに火蓋を切って開戦へと至るわけです。
 
 日露戦争についてはさすがにいちいち説明しませんが主要な戦闘では日本が文字通り連戦連勝で、最後の逆転をかけたバルチック艦隊も日本海海戦で完敗と言ってもいい大敗北を喫します。ロシアの敗因はウィキペディアの記事を引用すると、戦地が首都から遠いだけでなくシベリア鉄道もまだ整備しきれてなくて動員力で日本に大きく劣っていたことと、軍の指揮官同士が仲が悪く戦争指揮で拙いミスが連発されたことが挙げられています。
 さらに開戦当初はともかく序盤から負け続けたことから国内でも厭戦気分が高まり、ついには戦争中止、憲法の制定と施行を求めた市民グループが宮殿前をデモ行進している最中に兵士が発砲するという「血の日曜日事件」が起こり、国内でも革命の機運が高まり支配体制が大きく揺らいでいくこととなりました。ついには軍隊内でも「戦艦ポチョムキンの反乱」で有名な水兵の反乱が起こり、ここに至ってロシア側も日本との講和交渉へと臨まざるを得なくなります。
 
 米・ポーツマスで開かれた講和会議には日本側からは小村寿太郎が出て、ロシア側からは急遽呼び戻されたヴィッテが全権代表として望みます。先程私はこのヴィッテを好敵手と呼びましたが、戦前からの外交判断も大したものでしたが彼はこのポーツマス会議での日本側の態度から継戦能力はほとんどないと見抜き、当初強気だった日本側に対して一歩も引かず賠償金を放棄させた上で講和条約をまとめてしまいます。彼がニコライ二世の側近で居続ければ日露戦争はなかったかもしれず、彼がポーツマスにいなければ日比谷焼打ち事件はなかったかもしれません。敵ながら、これほどの巧者はあまり目にかかれないでしょう。
 
 日露戦争終結後、ヴィッテは仲間と共にニコライ二世に対して国会開設や普通選挙実施を含む改革案の「十月詔書」を提出します。ヴィッテとしてもこれまでの王族と貴族を中心とした体制ではロシアは続かないと考えていたのでしょうが、ニコライ二世は当初はこの詔書に署名こそするもののすぐに後悔し、実際にその後すぐに選挙法を改正して貴族に有利な制度に変えてしまいます。そしてヴィッテの方も、初代首相になるもののニコライ二世にまた嫌われていたのもあってか国会の承認が得られずすぐ辞任し、政治の一線から引退する羽目となります。
 先程の「血の日曜日事件」を受けてからニコライ二世はしぶしぶですが民主化に少しは動いたものの、すぐまた旧制度への転換を図ろうとするなど強い保守主義的傾向を見せています。また一応は開設された国会では首相となったストルイピンが自作農の創出を図るなど改革を進めましたが、その彼も1911年に暗殺されたことから中国の光緒帝同様に改革は頓挫し、そのままのロシアであり続けたまま(れりごー)1914年の一次大戦を迎えることとなるわけです。ってことで、残りはまた次回に。

2014年10月25日土曜日

予告先発報道での食い違い

 細かいことかもしれませんが気になったので記事にして記録に残しておきます。変な積み重ねかもしれないけど、このブログも10年くらいの地に資料的価値持つかなぁ。
 
日本Sは予告先発!初戦メッセvsスタン(日刊スポーツ 18時3分配信)
 
 上記のニュースはどれも本日報じられたニュースですが、見出しを見てわかる通りに午前中には野球の日本シリーズで予告先発にソフトバンクの秋山監督は応じないと報じられていたのに対し、夕方のニュースでは快諾したと報じています。しかもニュース記事の内容を見ると監督会議の場で秋山監督の方から阪神の和田監督に持ちかけたと書かれており、一体午前のニュースはなんだったんだと思わず首をひねります。
 私が最初に見たのは予告先発で合意を報じる夕方のニュースだったのですが、Yahooニュースでは「予告先発に合意」と書かれた見出しの横で、「日本シリーズでの予告先発を"拒否"した秋山監督」というキャプションがついた写真画像があってなんじゃこりゃと思ったことからさっき調べたのですが、ここまで報道と結果が異なるニュースもまた珍しいものです。
 
 仮に東スポだけがやらかしてたらいつものことと片づけられるのですが、さすがに三紙が揃って同じ報道をしていて秋山監督の談話もほぼ一致していることから飛ばし記事ではなかったと思います。恐らく昨日の23日に秋山監督は応じないというセリフを記者に言ったものの、球団などから考え直すよう求められてそれに応じたのかもしれません。もしそうだったら逆に誤報流すこととなったメディアに同情します。
 
  おまけ
 以前に東スポが誤報による名誉棄損か何かで訴えられた際に東スポ側が裁判で、「うちの記事内容を本気で信じる奴などいない」と弁論で言ってのけたことがあったそうです。しかも判決でもこの主張が認められて実質東スポ側が勝利したのですが、判決後に裁判官からは、「自分とこの報道が信頼性に欠けるだなんてメディアに携わる人間が言うべきことではない」とたしなめられたそうです。チャンチャン。

2014年10月24日金曜日

就職活動における交通費

 本題と全く関係ありませんが先週苦労の末、「極黒のブリュンヒルデ」の電子書籍10巻のダウンロードに成功して読むことが出来ました。以前から評価している作者と作品でありこの巻も満足できるクオリティだったのですが読んでて一つ気になったこととして、ほかの漫画なら四肢切断シーンが出るとちょっと「うっ」となるのに、何故だかこの漫画では何とも思えず全く気になりません。わかる人にはわかるでしょうがこの漫画の作者である岡本倫氏の漫画では四肢切断や首チョンパなんて当たり前のようにバンバン出てくるため、読んでる側も「ああいつものね」って感じで感覚が麻痺してきます。
 
 そういうわけで本題に入りますが、中国で生活していて日本とのギャップを大いに感じる点の一つとして交通費が上がってきます。というのも中国の交通費はどこでも非常に安く、上海の地下鉄は初乗り3元(約51円)で遠くまで行っても5元くらい(約85円)で済みます。バスに至っては2元(約34円)で、上海以外の地方ならもっと安く私の住んでる昆山市なんてプリペイドカード使えば0.6元でそこそこの距離を移動できます。このほか都市間を結ぶ鉄道も比較的安価に抑えられてて東京から大阪くらいの距離でも5000円くらい払えば快適に移動できるし、タクシーも地方都市なら初乗り10元(約170円)程度なのでちょっとの距離でも割と気軽に使えます。
 中国で交通費が安いのは物価の差もありますがそれ以上に建前上は社会主義国家であることも大きく影響していると見られ、食費というか農作物の価格もかなり抑えられていて最低限生きてく上でのコストは本当に安いです。では中国以外の国はどうなのかですが、実を言うと案外日本の交通費が突出して高いのではないかと密かに考えています。
 
 これまで行ったことのある国を挙げていくと香港、シンガポール、インド、米国、英国といったところで実のところそんなに海外旅行は好きではないのですが、シンガポールとインド、米国はそんなに公共交通使わなかったのであまり意識はありませんが、英国は消費税率が高いため物価はかなり高いですがこと交通費に関してはロンドン地下鉄は2ポンド(約300円)で指定エリア内をその日一日乗り放題となり、大阪地下鉄みたいに初乗りだけで200円以上取られることを考えるとお得感がありました。しかも一週間単位でも定期で購入すると様々な割引がついてきて、ほかの物価が異常に高いと感じる一方で交通費に関しては悪くはないという印象を覚えました。
 それに対して我らが日本は同じ東京内の移動でも1往復とかで1000円くらい達してしまうこともざらで、観光などできて何度も乗り降りしたりJRと地下鉄を乗り換えたりすると結構な金額を取られたりします。詳しく検証してみないと何とも言えませんが、都市交通費だと下手したら世界屈指の金額になるんじゃないかな。
 
 とはいえ日常生活ならそんなに気にならず、また通勤でも日本の場合は会社が大体払ってくれるので意識することはないでしょう。しかし就職活動時となると話は違います。私はこれまでに日本で二度も就職活動をする羽目となりましたがどちらの時も面接の度に交通費がかかり、この金を別方面に使えてればと面接に落ちる度に歯ぎしりする思いをしました( ゚皿゚)キーッ!!
 昔なら面接先の会社が交通費を捻出したでしょうが現代では一次面接でそういうの払ってくれる会社なんてまず皆無でしょうし、金のない学生時代の就活となると活動費をどれだけ使えるかは地味に大きなハンデとなりうる可能性があります。特に都市部在住の学生ならともかく地方在住となると面接は本社の集中している東京の場合が多く、直接見たりしたことはありませんが話しで聞く限りだと種且つシーズンならほぼ毎週、地方の学生は夜行バスに乗って面接に行くなんていう話を聞いたりします。
 
 この交通費の負担は学生に限らず成人の、特に失職者の再就職活動においても地味に負担が大きい、というか自分自身で体験したからよくわかるけど遠距離にある会社なんてその時点で面接に行くのに気後れしてきます。ただでさえ収入が途絶えているのに見込みのない面接なら初めから呼ぶなとも言いたくなり、特に履歴書に書いてある内容しか聞いてこなかったスギムラ化学なんて面接官に対して「てめぇ人生舐めるなよ」なんて言いたくもなりました。なんか自分でも脈絡ないセリフな気もするけど。
 
 えらく前振りが長くなってしまいましたが私の言いたいことを述べると、上記の様にただでさえ日本は公共交通料金が半端なく高くて就職活動者の金銭的負担も大きいのだから、政府は就職支援であれこれアドバイスとか変な訓練に給付金出すくらいなら交通費の補助なり免除なりをやった方が良いのではと言いたいわけです。面接後に訪問した会社の確認が得られたら実費精算するのでもいいし、なんなら多少悪用される可能性を考慮してもJRならフリーパスになるカードも渡したっていいでしょう。家に引きこもられたりするくらいなら。
 なんでこんなこと言うのかというと一つは求職者に対して積極的に動いてもらえるよう支援できそうに思えることと、上記にも書いてあるように遠距離から面接に来る地方在住者の負担があまりにも大きく、そのハンデを解消させてやるのも行政の務めだと思うからです。たった30分程度の面接に数万円の交通費をかけて来なければならないなんて普通に考えておかしいと言いたいのですが、最近の日本ではおかしいことを誰もおかしいと言わなくなってきたしなぁ。
 
 最後に現在ハローワークなどが行っている就職支援について一言述べると、金の使い道をもう少し考えろと言いたいです。知ってる人には早いですが最近ハローワークでは求職者が就職できるよう職業訓練にやたら金かけてて、外部の訓練、教育機関と提携して求職者に講座なり訓練なりを無料で施しています。そしたら案の定ですが実際は受講者が来ていないにもかかわらずこれだけ教えたからこれだけ補助金頂戴とハローワークに申請して横領する会社が出てきて、またムダ金を使っていたわけです。
 こうした詐欺事件の横行だけならまだ許せますが前にテレビで見たのだとネイルアートの訓練にも金を出してて、しかもその訓練を受けた女の子はネイルアートとは全く関係ない所に就職してました。感覚にもよるでしょうが、就職希望者も多いネイルアートに国が金をだして訓練を受けさせる価値があるかとなると私にはないと思います。

2014年10月22日水曜日

道徳科目の正式教科化方針について

 
 今日辺り二週間前に思いついた就職活動における交通費優遇案について書こうと思っていましたが久々に家でご飯炊いてカレーとおにぎりで一気に二合ぐらい食べたらちょっとボーっとしてきたので、やっぱり気軽に書ける時事ものにします。時事ものを気軽に書くというのもなんだけれど。
 ってわけでサクサク本題に入りますが、上記リンクは今日出ていたニュースなのですが「道徳」を小中学校で正式科目に昇格させる方針を中央教育審議会が出したそうです。結論から述べると基本的に私もこの方針に賛成ですが、やるなら思い切りやった方が良いと思います。
 
 道徳を正式科目に引き上げる背景としては現在の形態ではやっぱりサブ的な扱いで学校など教育の現場ではそれほど力を入れて授業が行われていないそうです。実際に私が通っていた小学校ではほぼすべてのクラスが土曜日(当時はまだ第二だけ休み)に授業を持っていき、道徳科目の研究を行うよう上から言われたていた学校なのに授業数が少ないと指摘されたと聞いています。こうした授業コマ数的な問題はもとより、教師の裁量によって授業が行われ教科書も自治体によってかなりまちまちであることが問題点として挙げられており、今回出た方針では検定教科書の導入を入れる一方、各地方ごとに郷土資料も活用するという案も提示されています。
 
 あと地味に私が今回の方針で評価した点として、正式科目には挙げるものの数値による成績評価は不適切としている点です。もし仮に道徳で音楽や書道などの科目同様に数値評価となればそれこそ学校による価値観の押し売りとなると共に、教師の恣意的な価値観で内申点が変動することもあって教育にとって非常に良くないものとなる気がします。しかし今回の方針では数値評価は避け指導要録に文章で記録するだけにするべしと書かれてあり、また倫理観などを育てると共に情報モラルも扱っていく方針も出ていて、ちょっと誉め過ぎな気もしますが非常にバランスがよくまともな提案じゃないかと感じます。
 
 何気にこれも今度別に記事で書く予定ですが今の中国ではかつての日本の様に受験競争が非常に激しくなっており、親も学校側も各試験科目の成績アップにしか眼中になく子供のモラルや倫理観について誰も教育しようとしない、昔より悪くなっているなどと言われてはちょっとした社会問題となっております。義務教育の学校で倫理観を育てるというのは考えようによっては国家による思想教育とも取られますが、全くそういった教育が行われていないであろう中国にいて街中や電車の中でやたらと奇声をあげる子供をしょっちゅう見ているだけに、やっぱり多少はこういう独特教育も学校に必要なんだろうなと思っていた矢先だっただけに、このニュースを見てちょっとホッとした気がしました。ってかこっちいるとたまに、本気で奇声上げる子供を殴りたくなるほどイライラします。
 
 話は戻って道徳教育ですが、私が子供だった頃は倫理観や公共意識の重要さが示される有名なエピソード、体験談の話を授業で読み、それらのエピソードについて班ごとに感想をまとめるようなやり方が多かったです。パッと思いつく当たりだと、副島種臣が主役のマリア・ルス号事件なども読んでおり、最近だと元阪神の藤川球児選手の戦力外間近から不動のストッパーに至るまでのエピソードも題材となっているようです。
 
 確かにこうしたエピソードを読むだけでもやらないよりはやった方がよく当たり障りはないのですが、友人にもたびたび注意されるほど極端な方面に私は走りがちで、どうせ正式科目に引き上げるんだったら倫理の限界まで悩み抜いた方が良いのではと個人的に思います。具体的にどうすればいいのかというと、タブーなど普通じゃ議論できないことについて道徳の授業で取り上げて真剣に意見を交換し合うというやり方です。それもなるべく現実世界にベースを置いた内容で。
 それこそ今なんか中学生に議論させてみたら面白そうなテーマがたくさんあって、パッと思いつくのをまた書いてくと以下のようなのがあります。
 
・いい政治を行うために賄賂や裏金を取ることは許されるのか
・会見で大泣きすれば許されるれのか
・大津のいじめ事件の犯人は制裁を受けるべきか
・悪いことしても自殺すれば許してあげるべきか
・すき家のワンオペは容認すべきか
・お金を稼ぐために従業員をこき使うのは許されるのか
・先輩だからといって後輩をしごいてもいいのか
・ナベツネと清武はどっちが悪いのか
 
 適当に考えた内容ですがまさにホットな話題だからこそいま議論すべきだと私は思いますし、中には中学生にはまだ早いと思う人もいるかもしれませんが、議論をするのに早い遅いは関係なく今やるか否かだというのが私の隠れた信条です。でも深刻なテーマについてわからないなりにでも中学生くらいから手を付けた方が良いんじゃないかというのは真面目な意見です。

2014年10月20日月曜日

昨夜見た恐ろしい夢( ˘ω˘ ) スヤァ

 雨雲が近づいているのか今日は昼から頭痛がしてブログは休もうと考えておりましたが、昨夜に見た夢が相当なインパクトがあったので「ゆめにっき」とばかりにここで書いておくことにします。
 
 その夢で最初に視界に入ったのはセミナー会場らしき広いイベントホールの中で、そこで自分の席の後ろにいる人に回ってきた紙の束を手渡しした所、「花園君じゃない?」と手渡した女性から声をかけられました。見てみると相手は小学校時代の同級生で、私を見ながら「昔と全然雰囲気が変わっていない」という、リアルでもしょっちゅう言われることを言ってきたので、この時点で夢にしては変な内容だと思い始めました。
 なおこの夢に出てきたその同級生ですが初恋の相手でもなんでもなく、むしろクラス内で騒ぐことが多かったので内心で嫌な女だとみなしていた子でした。同級生だった頃もそれほど頻繁に会話したこともなければ卒業後は一瞥すらしたことありません。
 
 話は夢の内容に戻りますがやや思い出話をした後に連れだって外へ出ると、その子は雨が振りしきる中でブームも沈静化してきた「アイスバケツチャレンジ」をやおら自分の目の前でおっぱじめました。しかも二回も。この行為に私が興味なさそうにしていると今度はライターに火をつけ、その火をそのまま自分の鼻の穴に入れて鼻毛を一気に焼き切る妙なパフォーマンスをやりだしたので、「自虐的な行為はよせ」と、そこで私もさすがに止めに入りました。そのシーンを最後に目が覚めたわけです。
 
 読んでて何を言ってるんだと思うでしょうが、夢を見た本人である私も「なんだったんだ今の?(´゚ω゚` )」という具合で、起きたあとはしばらく悩みました。夢というのは基本カオスなものでカオスだからこそ面白いのですがこの夢は近頃見た中でもカオスっぷりが飛びぬけており、特に鼻の穴にライターの火を突っこむシーンは思い出そうとすればするほど触れてはならないものに近づいているような奇妙な感覚があります。
 自分は神様を信じていなければ(悪魔はちょっと信じてる)それほど信心深い方でもありませんが、ちょっとこのカオス極まりない夢を見ただけに、その同級生だった女の子の身に何か起きたのではないかと少し心配です。もちろん確認する気はさらさらありませんが、その身の安全を陰ながら祈りつつ今日は寝ようと思います。

2014年10月19日日曜日

ゲームレビュー~ウォーシップガンナー2 鋼鉄の咆哮

 現在このブログはVPNを繋げて中国から直接アクセスすることも可能ですが、VPNが無ければ無理なので普段はメールアドレスを設定してそこにメールを送ることで記事を投稿しています。ただ最近気が付きましたがアップロードされる際に改行が無くなっていることが頻繁に発生しており、昨日の記事もさっき見たらそうなっていました。一応気が付いたら修正しますが、改行ないとやっぱ見辛いな自分の文章。
 そういうわけでサクサクと本題に入りますが、現在PSPのゲーム「ウォーシップガンナー2 鋼の咆哮」というゲームにはまり、休日が来るのがリアルに楽しみなほどはまっています。
 
ウォーシップガンナー2 鋼鉄の咆哮(Wikipedia)
 
 このゲームはどんなゲームかというと、軍艦を使って海上でひたすら戦う海戦シューティングといったところです。世間が「艦隊これくしょん」で盛り上がっている中、こういうゲームするのもなかなかオツな感じがします。
 
 大まかなあらすじを紹介すると、ストーリー内の世界は二次大戦期の年代に設定されており、主人公はシベリアにある架空の小国の主人公で日本や米国、イギリスなどの国々を渡りながら各海域で敵軍とドンパチし合うと言ったところです。ストーリールートは三種類用意されててそれぞれのルートで副官が変わり、昔堅気の老軍人(日本)、美人でメガネな女性科学者(ドイツ)、主人公の士官学校時代の後輩(主人公の国)と、よくわかっている人選がなされております。
 
 ゲーム中では軍艦であればどんなものでも使え、駆逐艦、巡洋艦、戦艦、空母はもちろんのこと、潜水艦や最新のフリゲート艦などもストーリーの進行に合わせて使えるようになります。またこのゲームの醍醐味として、各軍艦はパーツを組み込むようにして自ら設計していくようになっており、多種多様な兵装の中から好きなものを選ぶだけでなく機関に通常のボイラーを使うのか、熱量の大きいが重量のある原子炉を用いるか、コンパクトなディーゼル機関を使うのかと色々思案に暮れているだけでも楽しいくらいです。
 特に兵装については本当に幅が広く、魚雷や砲はもちろんのこと、ロケット弾から火炎放射器、巨大機銃など戦闘に合わせていろいろな組み合わせが試せます。しかもゲーム序盤は設定された時代に合わせた小さな砲や原始的な魚雷とかしか使えませんが、ストーリが進むにつれて使える兵器はどんどんと増えていき、最終的には後半に至っては酸素魚雷や誘導弾、果てにはミサイルやレーザーまで使えるようになります。
 またこのゲームにはいわゆるボスキャラに当たる「超兵器」と呼ばれる巨大な軍艦などが登場しますが、その超兵器が使う兵器がかなりぶっ飛んでおり、いくつか例を挙げると艦首にまんま巨大なドリル付けた奴とか、宇宙戦艦を彷彿とさせるような波動砲とかが普通に出てきます。しかも攻略することでプレイヤーも波動砲をぶっ放せるようになるし。
 
 あと軍艦がメインなためサブな感じは否めませんが、空母などであれば戦闘機を搭載し運用することもできますが、その戦闘機のバリエーションも半端な量じゃありません。お馴染みのゼロ戦はもとよりスピットファイア、スツーカは当たり前で、最新鋭のホーネットやファントム、でもって銀色の円盤状したUFOとか普通に飛ばせます。なおこのゲーム中盤で非常に威力を発揮することから、スウェーデンのサーブが作っている「グリペン」って戦闘機が大好きになりました。ウィキペディアの記述を見ると、現実でも傑作機として高く評価された機体のようです。
 
 私の主観で述べると、案外こういう軍艦シューティングというのはありそうで今までなかったような気がします。なもんだからこういうゲームがあると知って、「まさにこういうのを遊びたかったんだ」と思い、先月の日本帰国時にPSVitaでダウンロード購入をしたのですが、期待に違わず自分がやりたかったゲームのジャンルにぴったりと合致しました。
 ただこのゲーム、PSP版だと特にその傾向が激しいとレビューでも語られていますが、正直に言って非常に難しいです。後半に至ってはこちらが一隻に対して百隻くらいの軍艦を相手にさせられるステージもあり、レビューにも経験者であっても最初は難易度EASYからやるべしと書かれているくらいで事実私も一週目ではNORMALではどうやっても越せないステージがありました。それでもどうにか一週目を攻略して開発した兵器を引き継ぐ二週目は余裕でクリアできるだろうと思っていたら、二週目には強力な敵艦が新たに配備されるようになり一週目以上に苦戦する面が増える始末でした(ーー;)
 
 とはいえ難しくてなかなかクリアできなくても不快に感じることは少なく、むしろ「次はこういう設計と組み合わせで戦ってみよう」といろいろと兵装を変えて望んだりして、負け続けていても楽しさを覚えられます。なお私が試した組み合わせとしては、戦艦に小型サイズの砲をあらん限り搭載し、最終的には一隻に36門もの砲を搭載するという設計がお気に入りです。砲が小型なため射程や威力は確かに小さいですが一旦接近してからはマシンガンの如く異常な量の砲弾を絶え間なく打ち込めるので、単位時間当たりの破壊力は目を見張るものがありました。そのほかとしては「にゃんこビーム」は面白いんだけど使い勝手があまりにも良すぎてかえって使う気にならず温存してます。
 
 あとこのゲームで使ってみて初めて、酸素魚雷がこれ一つで戦況を変えるくらいの威力を持つ強力な兵器であることを実感しました。詳しくはリンク先のウィキペディアの記事を見てもらいたいのですがこの酸素魚雷というのは推進剤に空気ではなく純酸素を用いた魚雷のことを指し、爆発事故を頻発させるほどの整備性の悪さから各国で研究、開発が進んだものの、二次大戦中に実際の運用までこぎつけたのは日本だけだったというやや特殊な兵器です。
 特徴としては推進剤が空気より燃焼効率の高い純酸素であるため推進力が高い上に射程距離が半端なく長く、燃焼後に発生するガスが炭酸ガスのため水に溶けるので航跡が読み辛くなり通常の魚雷と比べ相手側に気付かれにくいという長所があります。その上で破壊力も半端じゃなく、実際の戦闘で使用された際は目標の敵艦を撃沈しただけでなく、撃ち洩らした酸素魚雷がその延長方向先にある別の艦も撃沈してしまったという例までありました。
 なお私が高圧ガス業界にいた際、当時は広島に左遷されていたうちの親父がこの酸素魚雷について話しだし、どこのガスメーカーが絡んで酸素魚雷は開発されたのかと聞いてきました。業界人ったってそんなのわかる奴なんて普通いないだろ(;´Д`)

2014年10月18日土曜日

小渕経済産業相の問題について

 既に出ている報道で皆さんも知っての通りでしょうが、故小渕元首相の娘でその地盤を引き継いだ小渕優子経済産業大臣がまた政治と金の問題で炎上しています。結論から述べるとさすがにこれは安倍首相の任命責任が問われるというか人事観について疑問がもたれるところでしょう。

 ネットベースでの報道しか私は見ていませんが、支援者を伴った観劇会の収支で約2700万円もの差額があったことと、政治収支報告書を見たらあまり政治と関係なさそうなものを政治資金で買ってたことがわかり内からも外からも批判が出ていると聞きます。なお購入した品の中にさりげなく下仁田ネギが入っていたという事実には失笑を禁じ得ません、新手のステルスマーケティングか……。

 この問題の根本的原因は内閣改造に当たって身体検査をきちんと出来ていなかったという点に尽きるのですが、そもそも論として私はTPP交渉を控えたこの時期に小渕氏が経済産業大臣に就任すること自体がおかしいと疑問を感じていました。前大臣だった甘利氏は途中で体調を崩して米国との協議を欠席することもありましたが私の目から見て非常に粘り強く交渉に臨み、またこのTPPの論点や課題についてしっかりと理解しているように見え、手放しで誉め過ぎな気もしますが非常に頼りになる仕事ぶりでした。それに対して小渕氏ですが、はっきり言ってしまえば無能な政治家の典型とみなしていた人物であり、政権マスコット(もしくはパンダ)として採用するならもっと無難なポストをあてがえばよかったのにと、安倍首相の人事観について強く疑問に感じた程でした。

 なんか後出しじゃんけんっぽくて今この段階で批判するのも自分ですらどうかと思いますが、先ほどにも述べたように私は小渕大臣が無能な政治家だと以前から考えていました。理由としては明らかに父親の威光で議員になれただけで普段の発言内容を見ても政治家として明らかに実力が不足していると感じるのに対し、本人がその点に気付いて弁論や政策研究に努力する節が全く見られないどころか全く謙虚さも見せず、むしろ年々実力をつけてきたと勘違いしている節が見られたからです。自分が党内でポストを得られるのはマスコットとしての役割でしかないのにそれすらも気づいている節が無く、発言する内容はいかにも官僚が作ったノートの通りで、しかも答弁の仕方も同じマスコットだった川口順子元外務大臣と比べると雲泥の差です。その点、川口元大臣は自分がマスコットだと自覚している節があってその役割をきっちりこなしているだけにまだまともな人だったなとちょっと評価してます。

 なもんだからTPP交渉が始まったらすぐに問題起こすだろうと見ていましたがまさか交渉を始める前の段階でこんな問題が見つかる当たり、日本にとってはある意味、「塞翁が馬」になるかもしれません。ほんとなんで採用したんだろうなぁ。
 それにしてもこの小渕大臣の就任は内閣改造の目玉として取り上げられていただけに安倍首相に対する印象悪化は避けられないでしょう。改造前の内閣ではたまに麻生氏が失言をぽろっと洩らすのを除けば非常に防御の硬い内閣だっただけに、どうしてこうなったのか、やっぱり安倍首相の人事観は当てにならないのかと不安ももたげます。ってか、次の経済産業大臣は今、規制改革匿名大臣している甘利氏が横滑りして再任になるのかな。

 あと小渕大臣の就任前の報道についても苦言を呈すと、先ほどにも述べた通りに内閣改造の目玉になったのはともかく、人事案が発表される前には、「幹事長に就任か?」なんて推測報道もあり、人事案が発表されると今度は、「将来の女性首相候補」なんて報道もありました。はっきり言いますがこんな無能がそんなわけないだろと誰も思わないのかがその時凄い疑問で、悪いことは言わないからこういった見出しの記事書いた人は政治記者降りた方が良いとすら思います。あまりにも勘が無さすぎる。

 最後に、小渕大臣と同じように松島法務大臣についてもうちわの配布が有権者への寄付に当たるのでは巡って野党が批判していますが、これに関して私は松島大臣の方を持ちます。第一、うちわなんて無料で配られることも多く金銭的価値を持つかどうかとなると果たして疑問で、むしろこういった日用品に写真なりイラストなり政策なりを書いて配布するのはPR手段として真っ当かつ悪くないんじゃないかと思います。それにこんなのにまで金銭的価値がどうのこうの言うなんていくら何でも了見が狭すぎるのではと仙石氏に言いたいです。

中国で普通選挙を行わない理由

 先月から今月にかけて香港では民主選挙を求めるデモ活動ですっかり日本のお茶の間でもメジャーになりましたが、ちょこっと豆知識書くと香港市民はかなりデモ好きでいつも何かしらデモ活動が行われるため観光ガイドブックにすら「デモが見物」と書かれたこともあります。ただこの民主的選挙について香港特別行政区という限られたエリアならともかく、中国の本土でやろうとなると現在障害が大きく、一外国人の立場である私からしてもやらない方が良いと考えております。今日はその辺の理由をこの前後輩に行った講義を基にいくつか書いてきます。
 
 まず中国の政体を簡単に述べると、共産党の一党独裁体制によって運営されております。一応、財界関係者による政治協商会議(政協)というものもありますがこれは業界関係者から政府に対して規制や制度改正といった要望を行う場所となっていて主体的に立法を行うようなものではありません。では中国の政治トップは何によって決まるのか、端的に言ってしまえば共産党内部でのパワーゲームによって決まると言って過言ではなく、かつては�小平が幹部人事を先の胡錦濤までほぼ全部決めていましたが、近年は共産党内部の派閥間で調整が行われるなどして決まります。
 この辺、民主主義しか知らない普通の日本人からしたら「中国には選挙がないの?」とたまに驚かれますが、中国で選挙と言ったらAKB48とその姉妹バンドのSHN48の選抜という意味でしかありません、リアルで。無論選挙制度については中国人も理解はしていますが、当の中国人ですら、「アメリカとかならともかく中国ではやらない方が良いよね」とちょっと達観した考えを持っております。
 
 
理由その一、中国人全体で選挙できるほど啓蒙できてない
 かなりもも蓋もない意見ですがこれは大卒の中国人なら恐らく誰もが持っている考えだと思います。今まで私が聞いた中では最低が2割、最大が9割なのですが、この数字は何なのかというと中国人自身がこの世にいらない中国人として挙げた割合です。よく中国人はマナーが悪いとか横柄だとか頭おかしいと日本人は言ったりしますが当の中国人自身はもっと激しく、人間というよりは獣に近いとかまともな神経していないなどと質の悪いとする中国人を批判しています。
 そんな中国人からしたら全員が選挙権持ったらたちまち投票とかで混乱が起こり、またなまじっか人数多いせいか変な人間も議員になったりして下仁田ネギとかで騒いでる場合じゃないような事態も起こり得ます。こうしたリスクについて中国人は割としっかり認識しており、普通選挙なんてもってのほかと言う人もいます。
 
 
理由その二、地方意識が非常に強い
 これはある意味日本だけがやや特別なのですが、日本は何人かと聞かれたら普通は日本人だと答えてわざわざ「北海道人」みたいに出身地方名を関することはまずないでしょう。中国人ももちろん外国なら「中国人だ」と答えるでしょうが中国国内では北京人だ、上海人だ、ウイグル人などと地方名を出し、なおかつ地方ごとに意識や考え方、下手すりゃ言語だって変わってきます。そして何より重要なのは、中国全土よりも出身地方が発展することを強く望みます。
 一言で言えば出身とする地方に対する意識が強く、同じ中国と言っても日本ほどには一体感を持っていないということです。逆を言えば日本は世界でも稀なほど国内の地方同士で文化水準や言語、メディアが共通化していて一体感が非常に強い国で、米国ですらここまで統一できてはいないでしょう。ただ米国は州ごとに地方差が強く出ますが、政党と軍隊、そして経済は統一できているのでまぁ強い国です。
 
 こうした地方意識の強さというのが政治にどう影響するかですが、自分も最近になって知りましたが隣の韓国なんかは如実に出ており、候補者がどの政党というよりもどの地域の出身者かで支持するかしないかが分かれ、大統領選などは地方ごとに得票差が物凄くはっきり出ます。そして、そうやって選ばれた議員らはやっぱり出身地域への利益誘導を強く行おうとすると聞きます。
 こういっては何ですがまだ国土も人口も小さい韓国ですらこの有様ですから、仮に中国で普通選挙をやったら地方間の対立は確実に深まるでしょうし、汚職も今以上に増えるかもしれません。現時点ですら沿岸地域で徴収した税金が内陸部の開発に使われることについて不満を感じるという声が出ており、それぞれの議員同士で税金の使い道や利益誘導を巡ってかなり激しい対立となるでしょう。その点、共産党は汚職もやらかすけどまた地方間対立についてはニュートラルに近いので、中国という国家単位で運営できる組織なのかなという気はします。
 
 
理由その三、極端な人口比
 その二と多少被りますが、中国は地方ごとに人口に大きな差があり、仮に人口で選挙区を作ろうものなら四川省を始めとした開発の進んでいない内陸部出身の議員が議会で多くの議席を占めることとなります。それに対して上海市や広州市はそのGDP貢献度や影響力に比して少ない議員しか送れず、まぁどうなるかは目に見えてきます。
 
 上記までが私が中国で普通選挙を薦めない主な理由となります。共産党の支配が決して完璧だとは言うつもりはありませんが仮に普通選挙による民主制を実施したら今以上の混乱と停滞を招きかねず、行うまでにはもう少し時間をかけるか制限選挙をするしかないと思います。
 逆に日本人に言いたいこととしては普通選挙と民主制によるデメリットをもう少し自覚してもらいたいです。現代日本は先ほども述べた通りに世界的にもまれなくらいに国家統一が出来ててあまり心配する必要はありませんが、男性のみですが普通選挙法が可決してからの大正から昭和前期にかけての議会政治がどれだけ腐敗して混乱したか、そして軍部の増長を許したという歴史をもっと意識してもらいたいのが今日の私の意見です。

2014年10月17日金曜日

ストレス重圧化の文章表現

 以前の記事にも書きましたが10/8のソフト更新以降からAmazonKindleでダウンロードが急劇に遅くなる事態が続いています。先程から「極黒のブリュンヒルデ(10巻)」をかれこれ4時間以上もダウンロードしておりますがたった44Mのファイルに対してちまちまとしかダウンロードできず、しかも途中で何度も失敗してやり直す羽目になることから未だに完了しません。しかもWiFi接続しているのに「ダウンロードするならネットワークを繋げ」と何度もエラーメッセージが出てきて、いい加減にタブレットかマウスを投げつけたくなるほどイライラしてきました。さっきAmazonのヘルプセンターにも「てめぇどういう了見だ」って文句書いたけど。
 
 普段からこのブログを読んでる人間ならわかるでしょうが、私の文章は結構感情が素直に出やすくイライラしていたりするとただでさえ過激な表現が普段以上に凶暴な表現になってきます。ただ文章表現者の立場からすると文章ほど執筆者のその時々の感情が出やすい物はなく、むしろ今ある感情が文章の中に出てこないのであればその人は表現力が足りていないのではとすら私は考えます。ちょうど現在の状態と好対照なのは昨日の記事で、比較的落ち着いた状態で書いていることから書いている内容は「暴力」であるのに割と淡々と書けて書き終えた後は割といい気分で出られました。
 
 そんなわけで今日はまたちょっと重たいテーマの内容を続けて書こうと考えていましたが今の精神状態だととてもまともな記事になるとは思えないためまた再延期です。見ている人間からすれば何を言っているのだという気もするでしょうがストレス重圧化では文章なんてなかなかまともに書くことが出来ず、政治家とかへの文句ならともかくちゃんとした内容ならしかるべき状態で書くべきだと言いたいわけです。
 もっともすごい作家や漫画家というのはそのような高いストレス重圧化にありながらも凄い作品を書いて来たりします。具体的にどんなストレスかというとその多くは貧困などで、お腹すかせた状態でありながら高い芸術作品を作るのは文字通り神業です。逆を言えば自分はまだその領域に達していないということになりますが、それでもほぼ毎日こうやって記事書けるんだから人並み以上にはストレスとかには強い気がしますけど。

2014年10月16日木曜日

暴力が支配する閉鎖空間

 香港で話題になっているので中国と民主主義について一本記事を準備中ですが、このところ中国ネタばかり書いていて今日もまた中国ネタになるとやや過剰投下な気もするので今日は一風変わったネタを書いていきます。先に書いておくとこういう他愛のない出来事から深い話に持っていくのが案外得意なのかもしれません。
 
 先日日本に帰国している際、たまたまAmazonのKindleストアで電子書籍の日替わりセールをチェックしてみたら「漂流ネットカフェ」という漫画が99円という価格で販売されていました。この漫画の作者は押見修造氏という方ですが、彼の代表作は知ってる人には有名なあの「惡の華」という漫画で、私も前回の日本帰国時に最終巻を読み終えてそのあまりのぶっ飛んだ内容というか言いようのないストーリー展開にびっくりさせられた作者だっただけに、ほかの作品はどうなのかと思っていた矢先だったので迷わず購入しました。
 
 この「漂流ネットカフェ」は全7巻なのですが1巻を購入してすぐに引き込まれ、そのまま徐々に買い進めていって先週にようやく最後まで読み終えました。大まかなあらすじを書くと妊娠中の妻を持つサラリーマンの主人公はある日何気なく立ち寄ったネットカフェで中学生時代の発行為の相手と十数年ぶりの再会を果たします。再会を果たしたその直後、主人公たちがいたネットカフェは360度周囲に何もない湿地帯へワープし、原因も何もわからないまま主人公とヒロイン、そしてワープ時にネットカフェにいたメンバーたちは思い思いにその世界から元の世界へ帰る方法を探る……といったところです。
 タイトルからも察することが出来るように、この作品は楳図かずお氏の傑作の一つである「漂流教室」のオマージュが入っていて序盤などは意識して似たようなエピソードを持ってきているなと思う節があります。もっとも後半に行くにつれて「忘れられない初恋の人」というテーマ性がどんどん強まっていくのですが両作品に強く共通している点として、体格・腕力に優れた人物が暴力によって自分以外の人間を支配しようとする点が挙げられます。
 
 正直に言うと「漂流教室」は前から読みたいと思いつつもまだ手に取れていないのですが、ざらっとあらすじを聞く限りだとワープ後の世界で唯一の大人に当たる人物が暴力でもって度々主人公を妨害する様が描かれていると聞きます。この「漂流ネットカフェ」だとさらに露骨で、腕力のある人物が初めから周囲の人物を暴力で屈服させ、主人公を罠にはめようとしたりなどと文字通りの横暴の限りを尽くします。Amazonのレビューを見るとこの人物による暴力描写がはっきり不快だと述べて作品の評価を低くする方も見受けられるのですが、私の目から見ても見る人によっては強い嫌悪感が持たれ評価は二分すると思えるだけに、そのような評価が出てくるのもやむを得ないなという気がします。ちなみにどれくらいの暴力描写かというと、端的に述べると途中で誰も逃げられないようみんなのアキレス健を切ったりします。
 しかしそうした暴力描写に嫌悪感を示すレビューの中には、「このような暴力描写を描く作者の妄想がひどい」という一文が目に留まりました。この意見自体を批判する気は毛頭ありませんが、私は一見して逆に、「閉鎖空間ならきっとこうなるだろう」と逆に、程度の差はあれこの漫画の中で描かれている描写は現実に近いという印象を覚えました。
 
 何故私がこのように考えるのかというと、以前に読んだあるシベリア抑留体験者の話が浮かんできたからです。その抑留体験者はちょっと変わった人で抑留中にもかかわらず二次大戦での日本の敗因を分析し、記録しており、元々技術者であったことからその内容はリアリスティックに科学的な見地に基づいていてそれも非常に面白いのですが、ちょっと気になったというか記憶に強く残ったのはシベリア抑留者の収容施設の話でした。
 その人物によると収容所の中では文字通り「無法」な世界で最高権力者は言うまでもなくロシア兵であることに間違いないのですが、収容者である日本人の中で腕力などに優れた者がその力に物を言わせ、ロシア兵に取り入るなどしてほかの日本人を暴力的に支配することがどの施設にも見られたそうです。具体的な記述はそう多くありませんでした気に入らないなどの理由で同じ日本人を殴る蹴るは当たり前で、配給される食事を強奪したりいじめたりと、おおよそ法も秩序のない世界であったと書かれてあり壮絶な世界が広がっていたのだと思えます。
 
 このシベリア抑留の体験者が書いた著作に対し批評を寄せた、一時期ユダヤ人だと僭称したある作家(わかる人いるかな?)も戦後、フィリピンの捕虜収容所に収容された経験を持ち、その収容所でも全く同じ光景が広がっていたと話し、シベリア抑留体験者の話は真実味があると高く評価しております。そしてこの二人は共に、「収容所内の暴力による支配者らは帰国が近づくにつれ、元気をなくしていった」という事実を述べています。
 どう解釈するかは勝手です。私は後者の作家が書いたように、無法な収容所から法の秩序のある世界に戻ることで閉鎖された空間の支配者からただの一般人に戻ることをお山の大将たちは恐れたという説に納得しており、それと共に人間というのはたとえ小さかろうが、本質的な自由が無かろうが支配者であり続けたいとする妙な支配欲を多かれ少なかれ持つのだなという風に感じました。そして法という秩序が無ければ暴力によってその支配欲が強く発散される、そのためには同胞を痛めようが気にしなくもなる……なんていう具合で。
 
 ここで話は最初の「漂流ネットカフェ」に戻りますが、暴力でネットカフェを支配するキャラクターは序盤はまだその世界からの脱出を図ろうとする節があるのですが、中盤からは全く以ってその意思を失い、むしろ脱出する手段が見え始めてくるやその手段を妨害しようとする、つまり閉鎖された空間に自ら居続けようとする行動を取ります。作者の押見氏が意識的に描いたのかどうかはわかりかねますが、私にとってすればこのような描写は上記の収容所体験者の話と一致し、ある意味でリアリティがあり実際にこうなったら案外こういう奴が出てくるのかもしれないと思えてきました。
 
 近年の日本では暴力というと犯罪といじめがらみではよく取り上げられますが、その本質についてはあまり議論が無いように思えます。もっとも議論した所で何かいい解が生まれるのか私も疑問ですが、暴力には様々な型がありなおかつ手段ではなくその用途ははっせい原因を探ることで見えてくるものはある気がします。何が言いたいのかというと、平時は大人しい奴でもいざ閉鎖空間に放り込まれたり、秩序が無くなったりすると暴力的になる人間は少なくなく、人間の良心や団結信というものはどこまで通用するのかななんていうのをちょっとはみんな意識してみたらと言いたいわけです。自らも含めて。
 
  補足
 補足ならぬ蛇足でしょうが、シベリア抑留において日本人にとって日本人は被害者以外の何物でもないでしょう。しかし先程の暴力的な支配者の話を聞くにつけ、抑留中に日本人が殺した日本人は何人いたのか、ちょっと気になりました。

2014年10月15日水曜日

上海の今後のオフィス賃貸料予測

 上記の写真は先週、友人と共に上海で遊び回っている最中に浦東地区で撮影した写真です。どうでもいいですがこの写真を撮った日の前日は会員割引を持つ友人を使って上海市内のシェラトンホテルに男二人で宿泊しましたが、その際に友人はダブルベッドの部屋を主張してきましたが却下してツインの部屋にしました。
 
 話は写真に戻りますが、この写真に写る二本のビルは上海在住者であれば誰でも知っているビルです。右側の栓抜きみたいな形をしたビルは「上海環球金融中心」といって日本の森ビルがおったてたビルで、完工してからは上海で最も高いビルだったこともあり事実上のランドマークタワーとして君臨し続けました。その森ビルに対して左の建築中のビル、こちらは「上海タワー(上海中心)」といって中国系企業が現在建設しているビルなのですが計画段階で森ビルの高さを追い越す予定で、久々に上海に来てみたら既に現時点で高さを追い越していたため写真に撮りました。改めてこうしてみるとこれまで上海で一番高いビルだった森ビルが追い越されなんとなく寂しさを覚えると共に、やっぱ横にもっと高いビルが出来ちゃうと幾分スケールダウンの印象が否めないと感じました。
 ただこの上海タワーを見ながら友人と、「果たして上海タワーのテナントはすべて埋まるのか?」という話で盛り上がりました。結論から言うと恐らく人気にはなるものの完全に埋まることは有り得ず、またその他の要因も相まって供給が需要を上回り上海のオフィスビル賃貸料は今後下落していくのではという予測が立ちました。
 
 まず上海のオフィスビル市場についてですが、現時点でも供給の方が多いため選り好みしなければ比較的楽に条件の合う空きオフィスを見つける事が出来ます。
 通信インフラや床の強度(金庫を置いても抜けない程度の)などの関係で銀行を始めとする金融企業などは入れる場所が多少は限定され、日系の銀行各社はこれらの条件をすべて満たす森ビル内にほぼすべてが入居しております。森ビルはこうした方面の設備が充実していたこともあり完工後にリーマンショックが起こったもののテナント事業に関しては比較的うまく言っており現在もランドマークタワーとして機能しているのですが、逆を言えばこうした充実した設備を必要とするビルは既に森ビルで足りており、上海タワーが出来上がったとしてもそこに移る企業は果てしているのか、この点が非常に疑問です。
 
 また需要の面から考えても既に世界各国のグローバル企業はどこも上海市内に拠点を構えており、一昔前ならともかく現在において新たに上海に進出してくる企業の数は既にピークを越えています。さらに大手は既に進出済みであるため今後やってくるとしたら中堅の企業がメインとなるでしょうが、そのような規模の会社となるとロケーションがいいとはいえ高額なオフィスビルを選ばず市内にある別の比較的安価なビルを選んでくる可能性もあります。
 ですが上海タワーは浦東地区の一等地にあり、なおかつ森ビルより背の高さが高いという立場上、賃料は最低でも森ビルと同等、もしくはより高く設定しないとメンツが立たなくなります。そうした事情を考えるにつけ、果たして上海タワーに入ってくる企業はいるのか、一部の中国国有企業が政府の肝煎りで来ることはあっても到底全部屋が埋まるとは思ないと考えたわけです。しかもこの上海タワー、でかいだけあって完工後の供給量がビル一つの割には半端なく多いでしょうし、下手したら急激な供給数の増加によって周辺ビルの賃料も下げかねません。
 
 このように初めから見えていたけど案の定良いうわさの聞かない大阪の「あべのハルカス」よろしく、上海タワーもそのでかさは認めますがテナント事業はちょっと先行きがよろしくないのではという風に私は考えているわけです。しかも上海タワーだけはでなく、浦東の北エリアをこの前歩いてみたらあちこちでオフィスビルの建築が進められている現場が見られ、上海市内全体でオフィスビルの供給が過剰過ぎるのではないかという印象を覚えます。現状で上海のオフィスビル市場がどうなっているか詳しく研究はしておりませんが、今後数年間は大幅な供給が続くことを考えると賃料平均は今後下がっていくように思えてきます。
 
 私は日本の反中主義者が主張する中国の住宅バブルは起こらないと考えております。理由は簡単で、どの中国人も現在の住宅価格は高すぎると主張する一方で購入需要は非常に高く、仮に価格が少しでも下がれば今度は一斉に購入する消費者が現れすぐさま住宅市場の景気を持ち上げ直すであろうという風に見ているからです。
 しかしオフィスビルに関しては見方が違って、少なくとも上海市内に限ればいくらホットな経済都市であっても現在の着工、供給数は過剰に感じられ、バブル崩壊とまではいかないまでも長期的には賃料が下落していき苦しくなるデベロッパーも出てくるのではと見ています。まぁ森ビルさんは問題ないだろうけどね。
 
Office Space Across the World 2014(クッシュマン・アンド・ウェイクフィールド)
 
 最後におまけですが、上記サイトは英語ですが国際不動産サービス大手のクッシュマン・アンド・ウェイクフィールドがまとめたオフィス賃料の世界ランキング2013年版です。リンク先は英語で書かれていますが日本語で検索すれば日本のサイトが出てくるので英語が苦手ならそっちに当たった方が良いかもしれません。けど案外こういうリリース文の英語はわかりやすいし原文の方が的を得たこと書いてることが多いのでなるべくこっち呼んだ方が良いと思うけど。
 で、このランキングによると昨年はロンドンがオフィス賃料で世界一位となり、二位には香港が入ってアジアナンバーワンを維持しています。以下、十位以下までを列記します。
 
<オフィス賃料世界ランキング(2013年)>
1、ロンドン(英国)
2、香港(香港特別行政区)
3、モスクワ(ロシア)
4、北京(中国)
5、東京(日本)
6、ニューヨーク(米国)
7、リオデジャネイロ(ブラジル)
8、ニューデリー(インド)
9、パリ(フランス)
10、オーストラリア(シドニー)
 
 改めて見てみるとなかなか面白く、中国だと北京が一番高かったというのは恥ずかしながら自分も知りませんでした。でもってその北京が既に東京を上回っていたということも。
 アジアナンバーワンが香港であることは間違いなく、確か2011年はロンドンより上で世界一位でした。実質このランキングは毎年ロンドンと香港が一位、二位を争っており、世界中でもこの二つの都市はやや異常なくらいにオフィス需要が高く、現地にいたことのある私の肌実感でも香港はまだまだオフィスビルが足りてなくて企業経営者はみんな困っている状態です。
 でもって最後、いつの間にかモスクワが三位に入っているのも衝撃的でした。そんなに企業の進出ラッシュが続いているのかなぁ。この手の記事は香港居た頃によく英語サイト入って調べながら書いてたからなんだか書いてて楽しいです。

2014年10月14日火曜日

Android版キンドルの更新不具合について

 昨日に引き続き頭痛に苦しんでいるので今日はサッと書き上がる愚痴ネタでも書きます。まぁ昨日の頭痛は薬飲んで直したけど、今日昼間に作業監査した工場でいきなり紹興酒振る舞われたのが良くなかったんだろう。
 
 結論から述べると、先日更新があった電子書籍アプリのAndroid版キンドルの不具合がなんかひどいです。友人から、「今Amazonで安売りしているから~メイドにはまった(中略)」という連絡があったので自分も「シャーリー(2巻)」という作者が色んな意味でおかしいメイドが主人公の漫画を購入したのですがダウンロードが遅いのなんの。その前にもキンドルでは同じ回線で購入していましたがその時と比べてダウンロード速度は文字通り雲泥の差と言っていいくらい遅く、先月あった更新から遅くなっているのでここはまたおかしくさせたのではという疑念がよぎりました。
 とはいえ昨晩に長時間かけて何とか「シャーリー」葉ダウンロードできましたが、今日また読み返そうとクリックしたら何故か「WiFiに繋がってないよ」都かわけのわからないメッセージが表示され、もう一回クリックしたら何故か既にダウンロード済みの電子書籍をまたダウンロードし始めました。なんなんだよなぁもう。
 
 キンドルのAndroid版ソフトがおかしいのは今に始まったことではなく、昨年の更新時も音量ボタンをページめくりにする機能がそれ以前は使えてたのに、設定上存在するにもかかわらず突然使えなくなり、またページの表示が一部白くなったりという不具合がありました。この時の不具合はそれから数ヶ月後の更新で改善しましたが、今度の葉ダウンロード速度という重たい機能なだけにいつまで続くのかやれやれって感じします。
 ネットのレビューを見てみるとどうやらほかのユーザーにも同様の問題は起きているようで、これだけ大規模な問題は普通事前テストかなんかで気づくもんじゃないかなぁと個人的に思います。前にも不具合があっただけに、ソフト開発メンバーを早く入れ替えてもらいたいもんです。

2014年10月12日日曜日

中国のビジネスホテル市場2014年版

 今日は昼間に冬用の布団を新たに買ってきた(今まで持ってなかった)のですが、あまりのふかふかぶりに「気持ちいい、チョー気持ちいい」なんて在りし日の頃の北島選手みたいなこと言いながら昼寝して、なかなかベッドから起き上がることが出来ませんでした。いや、もちろん北島選手は今でも存命ですが。
 話は本題に入りますが、先日の記事では中国の大手ビジネスホテルチェーンを二系列も創業した季琦氏を取り上げましたが、改めて見てみると中国のビジネスホテル市場は案外面白いなと思えてきて、物のついでだし現在の市場状況はどうなのかと調べてみました。調べてみたのは大手ホテルチェーン各社の店舗数などですが、恐らくよそではまず見かけないというかこんなのに手を出すのは確実に私だけなので、日本語では本邦初公開とばかりに中国の大手ビジネスホテルチェーン各社の説明と現況を一気にまとめます。
 なお各欄に書いてある店舗数はすべて各社のホームページで公開されている情報を基にしておりますが、どこも凄い勢いで店舗を作りまくっているので実態はこれよりやや多いと見た方が良いかもしれません。

  如家連鎖酒店集団(Home Inn
店舗数:2200軒(自称では2500軒強
設立年度:2002年の設立で2006年には米ナスダックに上場
概要:中国の旅行予約サイト大手の携程旅行網(シートリップ)と首都旅遊集団の合弁によって設立され、1号店は上海市の世紀公園前店。元々のCEOは現在「漢庭酒店」を引っ張る季琦だが今のCEOは孫堅(マジ)。中国におけるビジネスホテルチェーンの先駆者でもあり最大手。
  傘下ブランド
1、如家酒店:1800軒。何故か今まで一度も泊まったことないから今度泊まってレビュー書こ。
2、和颐酒店Yitel):18軒。ハイローエンドクラスブランド。名前はソフィテルをパクったと見える。
3、莫泰168(Motel 168):380軒強。ここだけ詳しくは下記に。
4、雲上四季酒店(Fairy land):35軒。2008年発の雲南省内のビジネスホテルで2014年5月に如家が2.3億元で買収。名前は国際高級ホテル大手の「フォーシーズンズ」をパクったのだろう。


  莫泰168Motel168
店舗数:380多家
設立年度:2003年
概要:上海の老舗ホテル「上海美林阁酒店」が別ブランドとして2003年に設立、2006年にはモルガンスタンレーが出資。破竹の勢いで店舗数を伸ばしていたが2011年に上記の如家連鎖酒店集団に買収され傘下ブランドとなる。
 元々は名前の通りに一泊168元という価格で提供していたが現在はどこも一泊200元前後していてなんだかなって気がする。親会社の如家酒店どうよう低価格路線のビジネスホテルで、私も何度か泊まったことがありますが布団はややしっとりしていて、WIFIが繋がり辛くてパズドラが遊べなかった。
 なお、上海浦東空港に隣接されている「大衆空港賓館」もここの系列。このホテルには二度泊まったことがありますが、空港とはエレベーターで直結されており、朝ホテルをチェックアウトして即空港でチェックインできる利便性でなんとなく重役出勤をした気分になれます。一泊200元台なので使う機会がある人には是非お勧めします。ちなみにここの布団はしっとりしてません。


  華住酒店集団(以前は漢庭集団)
店舗数:約1900軒(別ページだと1600軒)
設立年度:2005年で2010年には米ナスダック上場
概要:如家酒店の創業者の一人である李琦によって設立。数年のハンデこそあれ元々の如家酒店と互す勢力にまで成長している。一回だけ泊まったことがあるけど可もなく不可もなく値段相応のビジネスホテル。WIFIは繋がりやすくパズドラで遊べた。
  傘下ブランド
1、漢庭酒店(Hanting Hotel):1400
2、禧玥酒店:ハイクラス
3、漫心度暇酒店:リゾートホテルっぽい。
4、全季酒店All Seasons):約100軒、ここもフォーシーズンズホテルから名前パクッたと思うがそろそろいい加減にしろ。
5、星程酒店:約100軒、2008年設立のミドルクラスホテルチェーンだが2012年に華住酒店集団によって買収された。
6、怡莱(elan):ビジネスホテル
7、海友酒店:ビジネスホテル


  7天连連鎖酒店集团(7 days Inn)
店舗数:2000軒強
設立年度:2005年で、2009年にニューヨーク証券取引所に中国のビジネスホテルとしては初めて上場。
概要:創業者は鄭南雁という人物で、電算科出身でも元々はホテル管理ソフト開発会社の社長でシートリップとも縁があった模様。グループの店舗数では如家集団に次ぐ勢力で、近年は安かろう悪かろうからミドルクラスのホテルへと脱却を図ってるようだ。生憎私は一度も泊まったことがない。


  錦江之星
店舗数:1000軒くらい
設立年度:1996年
概要:物流、レンタカー、旅行事業を行う上海錦江国際実業投資股份有限公司の傘下ホテルチェーン。中国としては比較的高級なホテルの「錦江飯店」もここの系列化で、錦江之星もどっちかっていうとハイミドルな部類に見える。ビジネスホテルチェーンとしては老舗に当たるが新興勢力と比べ展開はややゆったり。まぁクラスも多少違うってのはあるけど。


  格林豪泰(GreenTree Inn) 
店舗数:1000軒くらいかな、はっきりしない
設立年度:2004年設立
概要:米系George realty系列のビジネスホテルチェーン。差異との説明を見る限りだとホテルなのフィットネス施設に力入れてる模様。
  傘下ブランド
1、格林東方酒店:一泊300~600元のミドルクラスホテル
2、格林豪泰酒店:一泊150~320元のビジネスホテル
3、青皮樹酒店:一泊150~300元のビジネスホテル
4、格林聯盟酒店:一泊150~400元の似たようなもん


  速8(Super 8 Hotel)
店舗数:約500
設立年:2004
概要:米系ホテル大手ウィンダムワールドワイド傘下のビジネスホテルチェーン。海外では「Super 8 Hotels」という名称だが、「速8」を中国語で読むと「スーパー(Suba)」と聞こえるのでこういう名称にしたのだろう。泊まったことないけど今度パジャマパーティをするのに使おうかな、一緒にやる人がいないってのが最大の問題だけど。


  まとめ
 以上が私がばっと調べた限りの中国の大手ビジネスホテルチェーン概要です。注目すべき点は二つあり、上位三社がどれも旅行予約に関連するIT企業を母体にして発足している点なのですがこの点について勝手な推測を述べると、中国はやっぱ国土が半端なく広くて日本みたいに駅前の土地をどうこうするかとかではなく、予約や会員割引といったネットワークの充実さがこの業界の競争点になっているような気がします。言ってはなんですが、アメリカ的です。
 もう一点の注目点は、各ホテルチェーンの設立年度が2005年前後に集中しているという点です。ちょうどこのころが中国経済が最も成長していた頃でそうした景気の追い風を受けたと共に、中国でビジネスホテル市場がこの時期に花開き、その後定着していったと考えるべきでしょう。
 個人的な所感ですが私が北京に留学していた2005年は街中のあちこちに「招待所」と書かれた北朝鮮を連想させる簡易宿泊所が見られたのですが、近年の中国ではこのような宿泊所はとんと見かけず、本当に少なくなったと感じます。恐らくビジネスホテルチェーンに取って代わられて消えていったのだと思いますが、なんだかんだ言いつつこうしたサービス産業の質がこの十年で底上げされたのだなとしみじみ感じる次第です。