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2018年7月8日日曜日

不動産の2019年下落説

 先日にあんな記事を出しておきながら、このところの長雨によって復活したダニによって昨夜も体中をハチの巣にされて寝不足のまま日曜を迎えました。ちなみに「ハチの巣にしてやるぜー!」ってセリフは「野郎、ぶっ殺してやる!」と並んでなんか最近死語化している気がします。
 今夜はゆっくり眠りたいのと休みなのでいろいろ手段が講じられるため、また殺虫剤をベッドにかけまくる戦法を使った後で夕方に寝っ転がってみたら、寝不足のせいもあるのかめちゃくちゃ熟睡出来ました。真面目な話、この戦法を確立するまで真冬もダニに咬まれて睡眠が浅く、今までどれだけ寝ていなかったんだろうかとしばし考えました。

地価下落「2019年1月開始」説は本当か? 専門家も賛否両論(AELA)

 話は本題に戻りますが、このところ読んだ記事で一番面白かったのがこのリンク先の記事です。見出しからもわかる通りに、東京オリンピック開催の2020年を待たずに現在一応都市部限定で上昇を続けている日本の不動産価値は下落し始めるという予測について肯定、否定意見をまとめてありますが、見た感じだとその根拠に税制を挙げている点で、肯定派、下落するという予測が正しい気がします。

 具体的には記事に書かれていますが、不動産は購入から5年以内に売ると利益の約4割が税金に取られますが、5年超であれば半分の約2割に低減されます。この年数の基準は一律1月1日であることから、2013年の東京オリンピック開催が決まった年に不動産を仕入れた仕手筋は、2019年1月1日に5年超の基準を満たすこととなり、早めに売りに出すだろうという見方です。
 実際に私も今見ていて、日本の不動産の上昇ぶりは力強さよりも妙に不安定なまま高騰しているように見えます。言い換えれば需要の実体がないまま上昇しているような感じで、そもそも日本の不動産市場自体の歪な構造(値下がり率が極端に高い)ということと相まって、いくら五輪景気があるとしても何かきっかけがあれば来年から下がるだろうと考えています。

 なお最近のマイブームなのが、将来の移住先候補の奈良市で駅から徒歩20分の物件探しというのがあります。日本の場合、駅からの距離が5分刻み増加するごとに不動産価格が激しく低下していくため、徒歩20分ともなると第4段階にも入り、その広さや新しさに比べて極端に家賃などの値段が低くなります。
 何気に学生時代に住んでいた部屋は徒歩20分、それも追い抜くことはあっても追い抜かれることはない私の足で20分ですから、多分普通の人からしたら徒歩25分くらいかかる距離の部屋に住んでたのと、無駄に体力持てあましているので徒歩20分でもあんま気になりません。なので敢えてこの距離感で部屋を探していますが、奈良市ということもあってかなり安く、歩いた分だけ家賃って安くなるなと妙な得心を得ています。

 真面目な話をすると、こうした駅チカならぬ駅トオ物件を有効活用するためにも、市内中心部にもっと無料駐車、駐輪スペースを設けることも手段だと思います。私なんか自転車があればどこだって行けるだけに、安心して停められる、それこそ三日くらい置いてても大丈夫な屋根付き駐輪場があったらすごい助かるし、自動車ではなく自転車(レンタサイクルでも可)普及を促せば環境改善にもつながるし、「チャリライダーの楽園」みたいな都市構想をどこかしてくんないかと願うばかりです。

2018年7月7日土曜日

ネットの匿名性は議論を加速させるのか?

 どうでもいいけど双子の人がドッペルゲンガーを見た時は「三人目?」と思うのか、それとも普通に相方と間違えるのか凄い気になります。体験したことがある人いないかな。

「転職会議」に事実無根の投稿、苦悩する中小企業…削除のためには多大な労力と時間(弁護士ドットコム)

 上の記事と関連するのかやや微妙ですが、前から少しネットの匿名性と議論の関係性についてちょっと考えていました。結論から書くと、ネットで匿名性が確保されることによって議論が加速するかと言ったらそうでもなく、むしろ鈍化するパターンの方が多いと私は考えます。

 きわどいネタ、具体的には皇室関連の議論などは公の場では行いづらく、現実にインターネットができるまでは皇室の在り方について現在ほど議論されることはなかったでしょう。これに限らず不謹慎とされるネタ、著名学者にしか許されなかった歴史検証や非合法すれすれの行為の是非などについてはネットによって匿名性が確保されることで議論が以前より進み、社会にも一定度影響を与えたと考えます。
 その一方でそこまでタブー視されない議論、法律解釈や個人や組織批判に関しては、理性的な批判を展開する人も少なくないものの、やはりどっちかと言えば感情的な主張を展開する人間の方が多く、また物によっては明らかに事実と異なる内容を主張する輩もいることで、いくつかこのブログでも書いていますがいつのまにかデマの方が真実のようにネットで共有されるパターンも見受けられます。

 具体的な例を挙げると、何かの事件の犯人について、「勤務先はここだ」、「両親はこいつらだ」などと間違った対象をあげつらって批判するようなパターンです。そもそも周辺関係者をあげつらう時点でも間違っていますが、対象を間違えるに至ってはもはや救いようのない馬鹿で、よくもそのうかつさで今まで死なずにこれたものだとそっちのほう私は驚きます。
 このような勘違いじゃすまない間違いに基づく見方や意見は、匿名性があるから出てきている可能性があります。そもそも匿名性の最大の特徴は「報復されない」という自信から過度な攻撃性を強めるところにあり、だからこそあやふやなソースの情報でも真実と勘違いして攻撃の材料にしてしまうのだと考えられます。

 こうした人間が議論に参加することによって起こる結果としては、議論の質を下げる以外なく、そしてネット上の議論はやはりこの手のパターンが多い気がします。もっとも、先日ある記事のNewsPicksについたコメントを見ていましたが、明らかに全文読まずに見出しだけ読んで見当違いな批判をしている人間が実名と肩書付きでたくさんおり、匿名性だけが原因かと言ったらちょっとそうでもないかもという光景を見せつけられましたが。

2018年7月6日金曜日

麻原彰晃の死刑執行について

 もはや説明するまでもありませんが本日、一連のオウム事件の首謀者である麻原彰晃とその元弟子6人の死刑が執行されました。自分も趣味程度ですがこのオウム事件を追っかけてきていただけにいろいろな思いが込み上げてきたのと、時期としては適頃かなという感想を覚えました。

 いくつかの報道でも出ている通りに、今回の死刑執行タイミングは「平成が終わるから」というのが何よりも大きいと思います。そんな理由でと思う人もいるでしょうが、オウム事件を見て来たものとして言わせればやはりこの事件は平成という時代の枠の中で完結させなければならず、それは前例とか慣習などのなによりも優先すべき要素であると考えます。そもそもこのオウム事件自体、日本犯罪史上過去に例のない規模と内容で、なんか死刑執行数の多さについて大逆事件を引用している人もいましたが、私に言わせればあんなの比較にならず非常にナンセンスもいいところです。
 ただ、わかってはいたものの麻原と同時執行された6人の元弟子については感情が波立ちました。

高橋シズヱさんに法務省が電話 6人の名に「動悸した」(朝日新聞)

 こちらのインタビュー記事に応えるオウム事件の被害者の会代表の方もそうした感情について少し言及されていますが、果たして本当に死刑を執行しなければならなかったのか、元弟子たちにはそう思ってしまところがあります。恐らく彼らの来歴というかオウム真理教入信に至るまでの過程を知っている人間ほどこうした感情を覚えるのではないかと思え、本当にこの教団に係るまでは純粋に生きてきて、裁判過程の価値観の変遷過程などを見ても、生かす道はなかったのかと考えてしまいます。

 そう言いながらも、彼らが実行した行為は許されるものではなく、どれだけの改心があったとしてもけじめとしての刑執行も必要であるということも十分わかります。恐らく逆の結果だったとしたら、執行の道はなかったのかという問いを覚えていたと思え、どっちであっても悔いの感じる選択となっていたでしょう。このように考えた上で、今回の刑執行に関する政府判断を私は支持します。

 その上で、今回のニュースを見て平成の時代が終わりを迎えつつあることを強く実感しました。他の人はわかりませんがそれだけオウム事件が残した時代の色は濃く、そしてそれは今日の刑執行まではっきりと続いていました。この色は次代につなげてはならず、そういう意味では平成の枠内で終わらせる必要があったと、歴史マニアの立場からすれば強くそう感じます。
 恐らく若い世代はこのオウム事件そのもの自体が分からないという方も多いのではないかと思います。そうした世代にどのような事件だったのか、伝えていく努力が今後必要になると思うのと、残りの死刑判決者の時期について思いがいろいろ浮かんできます。

2018年7月5日木曜日

文科省汚職事件と加計学園

文科省汚職事件、そもそも私大「ブランディング」に政府助成が必要なのか?(ニューズウィーク)

 上の記事は前から密かに実力者だと評価していた冷泉彰彦氏のコラムですが、今回の文科省局長の前代未聞ともいえる裏口入学汚職事件について舌鋒鋭く批評しています。見出しにも掲げている通りにそもそも何故大学の「ブランディング」について政府が補助金を出すのかと制度自体に疑問を呈しており、意外と気づきそうで気づかない点を相変わらずうまく指摘していると感じ入っていたら、本丸はそのすぐ先にありました。

「ちなみに、話題になっている加計学園は2年連続で『対象校』に入選しており、加計孝太郎氏の経営する岡山理科大学は2016年に、同氏の妹が経営する吉備国際大学は2017年にそれぞれ対象校になっています。」

 素直に感想述べると、割とびっくりしました。
 東京医科大が当初落ちた選考に加計学園系列大学は一発で選定され、しかも制度開始から2年で選考もまだわずか2回しかしていないというのに、2回とも選定されているというこの事実について世間はどう見るか試されているような気すらします。

 そもそも上記に書いている通りこの補助金制度自体その意味があやふやというかお手盛り感が否めず、また記事中にもある通りに選定委員には補助金支給対象の私大関係者が入っており、利害相反なんて概念なぞこの世にないのではと思うくらいいい加減な体制で運営されています。っていうかほかのメディアに先んじてこういうの指摘する辺りやっぱこの人はすごいと思う。

 ただ記事の感想だけだとつまらないので今後の展開も予想しますが、鎮火しかかっていた加計学園問題がここにきてまた一気に火花をまき散らすかもしれません。ついでに書くとこちらの記事でも特集されているように自分も前から日本のGDP値は予想値、速報値、確定値の乖離が激しいことから疑っており、もし仮にそうであれば、今の政権は本当になんなのかと思えてきます。
 意外と今年下半期はあつくなるかもしれません。ついでに書くと、このタイミングは偶然か必然なのかと特捜に聞いてみるべきでしょう。

本当に報じるべき価値ある内容

駆逐してやる!私は中国のダニにこうして勝利した(JBpress)

 上の記事は毎度ながら昨日配信された自分の記事です。友人は大絶賛してくれましたがやはりダニ被害を経験している人じゃないと共感できない内容であることからアクセスはそれほど芳しくはなかったものの、書いてる間はめちゃくちゃ楽しく、「俺はこの記事を書くためにライターになったのかもな」と本気で思いました。またアクセス数に関してもある程度想定内であり、あと最近こういう中国の生活ネタが切れてたので、記事自体には満足しています。
 と、言いながらですが、本当はもっと報じるべき内容が実はありました。それは何かというと、取材先の取材対応です。

 記事末尾にフマキラー社のコメントとして、国によって害虫の体力というかタフさは異なり薬剤成分もアレンジが効いているということを書いていますが、これは前から確認したかった内容で、記事を企画した段階で聞こうと考えていました。いつもは電話取材をかけるのですがやや技術的な内容だと考え、またそこまで深堀するようなレベルでもないのでメールでちゃっちゃと聞いてしまおうと、実は最初にアース製薬にコンタクトを取りました。なのに何故アース製薬の名前がないかっていうと、返信は来ず無視されたからです

 ここだけの話、メールでコンタクト取っても梨の飛礫(漢字にすると迫力あるな)ってことはこれまでにも何度もありました、っていうか人材派遣会社においては返事くれる方がむしろレアでした。しかし、いわゆる一般大衆消費者向け商品ことコンシューマー商品メーカーでこのような対応を受けたことはこれまでになく、なかなか返事が来なかった間は怒りよりも「なんで(。´・ω・)?」とばかりに疑念の方が強かったです。もちろん現在も何も返事なんて来ていませんが、コンシューマー品のメーカーでこんな広報対応で大丈夫なのかと、強いリスクすら感じます。

 そんなわけでお鉢が回ってきたのがフマキラー社でした。ちなみに最初は金鳥こと大日本除虫菊社にコンタクト取ろうとしたら、ここはホームページにメールアドレスはおろか問い合わせフォームすらなく、しょうがないからと一回電話かけたのが大阪で地震があった日でつながらなかったのでもう諦めました。
 話はフマキラー社ですが、ここはメール出したら割とすぐ返事くれました。ただ意外だったのは、その返信元がフマキラー社じゃなかったということです。どういうことかというと、フマキラー社は広報業務をあるコンサル会社に全部丸投げしていたようです。

 これも返信メールを見た際は質問の回答内容よりもその返信元クレジットの方に目が行き、一瞬の間にものすごい疑問が湧き出てきました。まずは何故広報が外注なのか、害虫対策品メーカーだからか。次に何故こんなクレジット、せめて社名だけでもフマキラー社と名乗ればいいのに。最後にコンシューマー品メーカーが広報を外注に任せているのか、やはり害虫だからか……というぐあいで堂々巡りしてきました。
 この件を友人に伝えたところ自分以上に強い反応を示し、「もしフマキラーの株を持っていたら速攻で全部売り飛ばす。真面目に正気の沙汰とは思えないことをやってる」とまで言いました。ただ、私も友人の意見に同感です。

 また回答内容も、サイトの紹介ページを示すだけでそれほど深いと感じる内容ではなく、言ってしまえば如何にもお決まりな返信内容で、広報的にも優れたものではありませんでした。返信しておいてもらってなんですが、真面目にフマキラーは大丈夫なのかと今でも強い疑念を感じます。
 これが例えば小さい会社とかベンチャー企業、あとあまり広報が強くない飲食関連企業とかならわかりますが、全国各地のスーパーに商品が並ぶコンシューマー品を扱うメーカーがこんな広報体制だったなんて、正直アース製薬の対応と合わせてこっちの方がニュースです。そしてはっきり言いますが、もし何か事が起こった場合のリスクに対して非常にもろい体制だと言わざるを得ません。

 ちょうど日大の問題で危機管理が話題になっていることから、以前にもこのブログで書いたような、企業の危機管理最前線である各社広報の違いや見極めのポイントなどをまとめて本にしようかとも今回の一件で思いましたが、そもそも書籍化する出版社のつてがないためすぐにいいやって気に戻りました。ただ今回の一件を通して想像以上に日系企業は、大きい会社であっても危機管理の弱いのではと強く感じ、多分今後も日大みたいなオウンゴールでハットトリックを決めるような会社がでてくるのではないかと思います。

2018年7月3日火曜日

一発でブチ切れた誤変換

 本業がライターでもないのに毎日恐ろしいくらいキーボードを叩いている私ですが、せっかちな性格も相まってミスタイプする数も非常に多いです。一方、正しく入力しているものの漢字がご変換されることも少なくないのですが、以前に「設計」と入力しようとして「せっけい」と打ち込んで変換したところ、それまで一度として、っていうか普通の人生でまず変換することは今後もないだろうと思う「雪渓」という単語がいきなり出てきたことがありました。
 なんかその時は仕事も忙しくてめちゃくちゃイライラしたこともあってか、職場でありながら「んだとてめぇこの野郎!」って、モニタに向かってリアルに悪態つきました。っていうか普通にこんな単語が真っ先に、しかもそれ以前はほぼ確実に「設計」と表示されていただけに半端なく頭に来ました。

 恐らくこうなった原因は、使用しているパソコンのOSが英語ベースになっているせいだと思います。日本語ベースと比べると同じIMEの日本語入力システムと比べても変換がおかしいことが多く、わざと作業を妨害しているのではないかと思うくらいに誤変換を連発することもあって非常に神経を削られます。
 今日なんか、昨日は夜遅くまで残業してへとへとだったこともあり早く上がってうどん食って帰ってきたこともあり余裕ありますが、本気で披露している時にこういったしょうもない、っていうかあり得ないご変換されるとダメージがでかいです。あと中国語使用のキーボードだとカギ括弧の記号のキー位置もずれているので、これも地味にイライラします。

 最後に全く関係ないですが、自宅キーボードの「K」のキーはほぼ毎回印字が削れて見えなくなってしまいます。これは右手中指の戦端でいつもKのキーを叩く癖があり、爪が伸びているとそのまま印字を削ってしまうからで、他のキーではそんなことないのに毎回Kのキーだけまっさらになってしまいます。ホームポジションとかもうちょっと見直した方がいいのかもしれません。

下ネタなきギャグマンガ

 現在「かぐや様は告らせたい」というギャグマンガを新刊が出るたびに購入して読んでいますが、今度この作品もアニメ化するそうです。つい先日までアニメが放送され好評だったという「ヒナまつり」もそうでしたが、「かぐや様~」も一目見て「ああこれは将来アニメ化するほど人気出るだろうな」とはっきりわかるくらい優れていると思うので、今回のアニメ化発表についても驚かないというか、もっと早くてもよかったのではないかとすら思います。

 この漫画のどこが優れているのか私見で述べると、話によってボケ役とツッコミ役がはっきり入れ替わる点だと思います。大体どのギャグマンガでも毎回ボケるキャラと、それに対してツッコミを入れるキャラという役割が作品を通して固定されますが、このかぐや様に限ってはそうではなく、前の話で終始おかしな行動をとっていたキャラが、別の話ではズレた発言をする他のキャラへのツッコミ役に回ることが珍しくなく、各キャラそれぞれの世間ズレした感覚を別の視点から指摘し合うともいうような後世のなされ方がされています。
 あとがきなどを見ていると割とじっくり考えこんで話を作る作者だと思えるため、上記の構成ももしかしたらはっきりと意識して行われているのではないかと考えています。もっとも主人公の四宮かぐやに限っては、世間ズレが激しくどの話でもほとんどボケキャラに回っているところがある気がしますが。

 話は戻りますがさきほどの「ヒナまつり」ともどもこちらの「かぐや様」も、ギャグマンガでありながら全くと言っていいほど下ネタが存在しない点が共通しています。普通、ギャグマンガと言ったら下ネタがつきものという時代がありましたが昨今はなんかそうでもなく、こうした要素を排除したギャグマンガの方がもはや多くなっている気すらします。
 単純なセールスの観点から言っても、下ネタが入ると女性読者からはまず間違いなく敬遠されるため、熱烈な読者層を囲い込むつもりでなければ排除した方がプラスに決まっています。しかし下ネタなしでギャグマンガを作るとなるとこれまた一工夫いるわけで、その点でさっきの二作品はどちらもうまく昇華して成功していると言えるでしょう。

 この手の下ネタが全くないギャグマンガで私が最も印象深いのは、90年代に月間ジャンプで連載されていた八木教広氏の「エンジェル伝説」ですが、ある意味この作品がこうした下ネタ排除の漫画の特徴を一番抑えていると思います。この作品は強面だけど実際は心優しい男子高校生を主人公にした作品で、その主人公が周囲からもたれるイメージと、実際の誠実な心根した行動のギャップが面白さにつながっているのですが、この周囲から見られるイメージと実際の行動とのギャップというかズレが、こうした系統のギャグマンガに多い気がします。
 先ほどの「かぐや様」なんかは典型的で、「ヒナまつり」においては大体どの回も神回に化すと言われる「瞳さん回」は、このような周囲の認識と本人の意識・行動のギャップが主軸になっています。逆を言えばこの点が人間にとって笑いを誘うポイントなのかもしれません。

 最後に余談ですが、こっちで家にいて暇だから電子書籍で漫画買いまくってたら、新規に買いたいと思うものがもうなくなってしまって地味に困ってます。今まで買っておきながら数年間開封すらしていなかった「信長の野望 革新」も遊んでみましたが、なんか自分的にはしっくりこず、むしろこの際だから「天翔記」を買いなおして遊ぼうかとすら思っており、地味にエンタメに飢えてきています。
 もっとも現在持っているゲームの中でも「パワプロ2016」なんかはまだ遊び倒しておらず、マイライフをこのまま続けていくのが財布的にも無難そうです。なおこの「マイライフ」モードで私が使うキャラには何故か「オエェ-ッ」って名前を付けて、会話が出るたびに「オエェ-ッ、飯でも食わないか?」などと、みんなえづいてから話しかけるカオスな世界が広がっています。