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2018年7月6日金曜日

麻原彰晃の死刑執行について

 もはや説明するまでもありませんが本日、一連のオウム事件の首謀者である麻原彰晃とその元弟子6人の死刑が執行されました。自分も趣味程度ですがこのオウム事件を追っかけてきていただけにいろいろな思いが込み上げてきたのと、時期としては適頃かなという感想を覚えました。

 いくつかの報道でも出ている通りに、今回の死刑執行タイミングは「平成が終わるから」というのが何よりも大きいと思います。そんな理由でと思う人もいるでしょうが、オウム事件を見て来たものとして言わせればやはりこの事件は平成という時代の枠の中で完結させなければならず、それは前例とか慣習などのなによりも優先すべき要素であると考えます。そもそもこのオウム事件自体、日本犯罪史上過去に例のない規模と内容で、なんか死刑執行数の多さについて大逆事件を引用している人もいましたが、私に言わせればあんなの比較にならず非常にナンセンスもいいところです。
 ただ、わかってはいたものの麻原と同時執行された6人の元弟子については感情が波立ちました。

高橋シズヱさんに法務省が電話 6人の名に「動悸した」(朝日新聞)

 こちらのインタビュー記事に応えるオウム事件の被害者の会代表の方もそうした感情について少し言及されていますが、果たして本当に死刑を執行しなければならなかったのか、元弟子たちにはそう思ってしまところがあります。恐らく彼らの来歴というかオウム真理教入信に至るまでの過程を知っている人間ほどこうした感情を覚えるのではないかと思え、本当にこの教団に係るまでは純粋に生きてきて、裁判過程の価値観の変遷過程などを見ても、生かす道はなかったのかと考えてしまいます。

 そう言いながらも、彼らが実行した行為は許されるものではなく、どれだけの改心があったとしてもけじめとしての刑執行も必要であるということも十分わかります。恐らく逆の結果だったとしたら、執行の道はなかったのかという問いを覚えていたと思え、どっちであっても悔いの感じる選択となっていたでしょう。このように考えた上で、今回の刑執行に関する政府判断を私は支持します。

 その上で、今回のニュースを見て平成の時代が終わりを迎えつつあることを強く実感しました。他の人はわかりませんがそれだけオウム事件が残した時代の色は濃く、そしてそれは今日の刑執行まではっきりと続いていました。この色は次代につなげてはならず、そういう意味では平成の枠内で終わらせる必要があったと、歴史マニアの立場からすれば強くそう感じます。
 恐らく若い世代はこのオウム事件そのもの自体が分からないという方も多いのではないかと思います。そうした世代にどのような事件だったのか、伝えていく努力が今後必要になると思うのと、残りの死刑判決者の時期について思いがいろいろ浮かんできます。

4 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

新天皇の即位によって恩赦が行われたとしても麻原彰晃とその弟子達は死刑を免れることは
出来なかっただろうと思います。 そういえば、今上天皇が即位した時、『夕張保険金殺人
事件』の犯人たちのように恩赦による減刑を目当てに控訴を取り下げる人がいました。
結局夕張の事件は凶悪すぎたため、恩赦の対象にはなりませんでしたが。

花園祐 さんのコメント...

 夕張保険金殺人事件は自分も知っていますが、またマニアックな事例を恐ろしいタイミングで提起されますね(;´・ω・)
 自分も同感で、仮に新天皇即位があってもオウム事件犯人らに恩赦は下りないでしょう。コメンテーターとかで口にする人がいますが、はっきり言って可能性として挙げるだけでもこの人らは無能だってことが証明されます。

上海熊 さんのコメント...

私が小学生時代、「しょーこしょーこー」って歌が流行ったのを今でも覚えてます。

江川紹子さんがTwitterで仰られてましたが、もうこの事件には暴かれてない真相はない終わった事件ですよね。警察庁長官狙撃はオウムの犯行ではないようですからね。

花園祐 さんのコメント...

 自分らは怪しいところがあると「第七サティアン」と呼び、ドラえもんの真似しながら「どこでもポア~」等と言ってました。
 江川氏の言う通りにオウム事件で解明されていない真相はほぼなく、せいぜい言って主観の違いくらいだというのは同意です。強いてあげれば村井秀夫刺殺事件ですが、あれは下手人が確かまだいるので、もしかしたら後年明らかになるかもしれません。