・高山彦九郎(Wikipedia)
その銅像の人物が上記の高山彦九郎で、時代的には江戸時代中期の十代家治、十一代家斉の時代の人物です。「寛政の三奇人」に数えられる人物で、恐らく日本で最も初期に尊王意識というか幕府打倒、天皇親政を目指した人物であり、京都市内へ入る際に必ず皇居に向かって道端で土下座していたということから像のポージングにもなっています。
この高山彦九郎についてですが、上記の土下座前のエピソードから名前についてはかねてから把握してはいたものの、具体的にどういう人物であるかはこれまでほとんど知りませんでした。それが先日、知人に勧められてみなもと太郎の漫画「風雲児たち」を読んでみたところ、多くの登場人物が出てくるこの漫画にて中盤においてほぼ主人公ともいえる扱われ方をされていたのが高山彦九郎でした。
というのもこの高山彦九郎、同じ「寛政の三奇人」に数えられる林子平は当然ながら、前野良沢や杉田玄白をはじめ当時の知識人と幅広く交友しており、この時代における蘭学と尊王(国防)意識のうねりの中心にいたような人物でした。それに加え性格と行動も過激で、故郷で一揆が起きていると聞くや江戸や京都から馳せ参じて一揆に加わったり、飢饉が起こるや募金を募って救民運動したり、やることなすことエキセントリック極まらず、漫画的にも描きやすかったんだと思います。
こうした高山彦九郎の生涯について自分は全く知らず、というか「風雲児たち」に出てくるその他の人物、特に最上徳内などの事績について初めて知ることが多く、歴史はある程度極めたという自負がありましたが底の浅い考えだったと大いに恥じる思いをしました。特に幕末の吉田寅次郎なる人物が、前述の高山彦九郎の事績に影響を受け、彼の死後につけられた諱より「松陰」と名乗ったという事実はなかなかにでかいインパクトを受けました。
そんな高山彦九郎の生涯を追ってみていると、「ああ、水木しげるが好きそうなキャラだなぁ」という印象がただただ濃かったです。本人も相当ハチャメチャな人物、それこそボーボボっぽいところがあっただけに水木漫画でもハチャメチャなキャラクターが多く登場し、読んでるだけでも作者もこういうキャラこそ愛着をもって書いているなというのがよくわかります。
特に伝記漫画として「猫楠」という作品で描いた南方熊楠については、明らかにフィーリングが合っているというか筆の乗り方がほかの作品と段違いだった印象を受けます、うちのソ連人民の敵である親父もそう感じているらしく、水木作品の話題が出るたびに「猫楠」を挙げてきます。
それだけに、もし水木しげるがこの高山彦九郎について詳しく知っていたら、きっと恐らく漫画化していたいように思うのですが、実際にはそんな作品はないだけに水木しげるは高山彦九郎についてはあまり知らなかったのではないかと思ったわけです。実際はどうだかわかりませんが、自分が見ている限り水木しげるとかなり波長が合うキャラなんじゃないかと思えてならないです。