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2015年8月17日月曜日

実録、左遷者列伝~後編

 昨日に引き続き左遷された有名人を片っ端から紹介するこの企画。前置きはいいので早速いってみましょう。

4、南雲忠一(海軍提督)
 戦史マニアなら誰もが知るであろう有名人である南雲忠一とはミッドウェー海戦を指揮した海軍の将軍です。ミッドウェーが惨敗に終わった原因を南雲の指揮時の逡巡にあるとの声はかねてから多く、この敗戦をきっかけに太平洋戦争は攻守が逆転していることもあって批判されることの多い人物です。
 しかし彼の敗戦は有名でも彼の最後はあまり知られていないように思われ、というのも彼は最後サイパン島にて玉砕命令を出して彼自身もそこで戦死しております。彼がサイパン島の指揮官に任命されたのは周囲の人事もありますが、見方によれば勝ち目のない戦いに無理やり放り出されたとも見え、左遷とは意味合いが異なるかもしれませんがここで紹介しておきたかった人物です。
 なおミッドウェー敗戦の原因を彼に求める声は多いものの、彼だけでなく作戦司令部の曖昧な目標決定や戦術指導にも問題があったとされ擁護する声もあります。私自身もあの敗戦の責任がこの人一人に押しつけられているように感じられ、擁護派の一人であります。

5、生方恵一(NHKアナウンサー)
 一定の年齢層にはまだ強く記憶に残っているのではないかと思われますが、この人物がどういう人かというとあの「ミソラ事件」の当事者であったNHKのアナウンサーです。
 ミソラ事件とは1984年の紅白歌合戦で、司会をしていた生方恵一が都はるみ氏の名前を呼ぶ際に間違って「ミソラ……」とばかりに、昭和の大スターである美空ひばりの名前を間違って口にしてしまった事件です、もちろん生放送で。
 年が明けた翌1985年の正月からこのハプニングが他のマスコミから大いに取り上げられはじめ、その最中に生方の東京本社から大阪局への異動人事が行われ、しかもその年にNHKを退職してフリーへと転身したためこの事件の余波を受けてのことだろうと大いに騒がれました。

 ただ実際のところは懲罰的な左遷ではなく、生方の大阪局への移動は紅白前からすでに内示されていた人事で、また呼び間違えられた当事者の都はるみ氏と美空ひばりはともに、「あらあら、間違われちゃったわ」という具合で全然怒ってなかったそうです。もっとも後年の生方はこの事件を自らネタにして使うことがあり、昔にたまたま見たテレビ番組では、

「あの事件が無ければアナウンサーとして天下を取っていた」
「(番組終了が予定されていた)ニュースステーションの久米宏の後釜といったら僕しかいない!」

 などと怪気炎を上げていました。
 なおこの記事を書くに当たって調べ直したら昨年末に亡くなられていたようで、この場を借りてご冥福をお祈りします。

6、二岡智宏(元巨人軍)
 この人は新しい人物なのであまり説明は必要ないでしょうが、生え抜きの巨人軍の中で抜群の成績を残していたことから将来のフロント入りもほぼ確実視されていたものの、2008年に芸能人の山本モナ氏と一緒にホテルから出てくるところを激写されるというスキャンダル事件が起こり、同年中に日本ハムファイターズへトレードで放出されました。
 この事件の何が面白いかってそれ以前からも路上でチューしてる所などをしょっちゅう報道されていた山本モナ氏が謹慎明けからすぐにまたスキャンダルを起こした点で、しかもシーズン中の野球選手であったことから、「なんかわざとやってるのでは」と思ったのは私だけではないと思います。あとこのスキャンダル事件の直後、ネットでは「山本マサと山本モナの違いを教えて(暇人速報)」という掲示板が立ち、「マサ関係ないやん」とツッコみつつ見事な比較が出そろってて大笑いしたのを今でも覚えています。あと、五反田という地名を見る度にこの事件思い出す。


7、うちの親父
 このブログの読者に会うとほぼ確実に話題に上がるうちの親父ですが、枕詞は決まって「名古屋に左遷された」で一貫しています。なんでこんな枕詞を付けたのかというとただ普通に「うちのおとんが」と書いても捻りないなと思って、読者に印象づかせるためにも読んでてドキッとするような枕詞がいるだろうと思って適当につけたら何故だか自分の想定以上に人気な代名詞になりました。ちなみに本人もこのブログ見てて、「読んでて胸が痛む」と言ってます。
 そんな親父は現役バリバリ(これも死語だな)の頃、東京本社から名古屋支社への転勤を言い渡されます。転勤当初は慣れない単身赴任生活もあって本当にしんどかったようで、この時期は会う度に、「名古屋人は汚い(#゚Д゚)y-~~イライラ」などと、やたら愛知の人の悪口を口にしてました。ただそんな生活でも数年を経て安定してくると悪口も言わなくなっていったのですが、ある年に仕事でしくじり、今度は広島へさらに左(=西)へ遷されることとなりました。広島に移った後も最初は大変だったそうですがこちらは比較的短い期間で済み、現在はまた名古屋に戻って今も働いております。

 なお最初の名古屋への転勤の際に親父は、「愛知の美人は豊臣秀吉が大阪へ、徳川家康が江戸へそれぞれ根こそぎ持っていったから不細工しか残らなかったのでは」という自説を展開した所、社内の女性社員からセクハラで訴えるぞと脅されたそうです。
 ただ親父の言うことも一理あるというか日本史中でも屈指といえるほど女好きである天下取り2人なだけに、話の種として私もある日この親父の説を当たり障りのない同僚に話したところ、その同僚が愛知出身の同僚(♀)にばらしやがって、「花園君は私にひどいことを言いましたね(*^^)」と、直接詰問される羽目となりました。もうその時は、「すいません、ほんっとにすいません(;゚Д゚)」、とばかりに平身低頭で謝り続けましたが、その後もその同僚にはずっと頭が上がりませんでした。


 以上が主だった左遷された人々ですが、昨日の記事で片倉(焼くとタイプ)さんがコメントしてくれたようにこの「左遷」という言葉の元になった劉邦はその後見事に再起して、中国の皇帝にまでなっています。何が言いたいかっていうと人生万事塞翁が馬っていうことで、左遷されたからってめげずにいれば天下も取れるかもよと言いたかったわけです。
 ついでにかくと地方への左遷を嘆く人がよくネット上にいますが、日本国内なだけいいじゃんと、国境ぶち破って就職転職異動を繰り返している自分は思います。

4 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

○×の地域には美人がいない(ブスしかいない)、については持論があります。  あるとき茨城
に美人がいないのは佐竹の殿様が秋田に全部連れて行ったからだという説が話題になりました。
私はこう反論しました。「美人にだって息子がいる。仮に佐竹の殿様が全ての美人を秋田に連れて
行ったとしても、茨城に残った息子経由での遺伝子が発動し、次世代に美人が生まれるはずだ。
それがおきないのは佐竹の殿様が美人を連れて行ったからではなく元々・・」
と言いかけたところで、これ以上は触れてはいけないものに触れそうなので、この話題は強制的に
打ち切りました。

おっさん労働者 さんのコメント...

いつも面白い記事で興味深く読ませていただいております。

左遷者列伝といいつつも、森林太郎や南雲大将あたりはいろいろと含蓄がありますよね。

林太郎氏については、陸軍医務局長時代の脚気の話もありますし、南雲大将についてはミッドウェーの運命の5分間があったりするわけで。
個人的には、本人以外の責任がかなり大きい大失敗の例であると思っていますが
日本人の悪い癖のひとつにこういう大失敗についてよく分析して評価しないところがありますよね。
事実、この二人の後世の評価が林太郎氏が高いにも関わらず、大将が低いというところを見ても明らかかな。
と、そんなことを考えたりしちゃいました。

花園祐 さんのコメント...

 そちらの自説は自説、また色んな所に角が立ちそうな自説ですね……。
 世界的には遺伝子パターンが多い土地、具体的に言えば複数の人種が交わってハーフが出やすい地域が美男美女の産地となりやすいそうです。この辺ももうちょっと調べて記事書いてみたら面白いかもなぁ。

花園祐 さんのコメント...

 おっさん労働者さん、コメントありがとうございます。

 まさかこの記事で南雲忠一にコメントが来るとは想定外でした。単独では記事にしづらいのと彼がサイパンで玉砕した一人だということを伝えようと思って無理矢理盛り込みましたが、記事中にも書いてある通りにやや評価が偏っているのではないかと思える人物です。ミッドウェーも、攻撃目標が地上施設なのか艦隊なのかはっきりさせられないまま出撃してるし。
 森鴎外も今回調べてて、なんかやたらと脚気議論で書かれることが増えてましたね。これも彼がただ反対したからという理由で森鴎外を叩く傾向が強く、おっしゃる通りに失敗の分析が案外出来ず、目に入る責任者を吊し上げする傾向があるのかもしれません。