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2016年1月13日水曜日

提供者側の権利保護について

 先程、パズドラで初めて「アテナ」が取れました。あんなに興奮したのって小学生以来じゃないかな。そのせいでブログ書く時間がだいぶ遅れちゃったんだけど。

 なわけで今日もまた簡潔に記事をまとめそうなのですがこのところ日本のニュースを見ていて思うこととして、一般的に商取引では消費者側が弱者であるとみられ消費者を保護するためにクーリングオフといった制度や、消費者問題に対応する消費者庁などの機関が設けられておりますが、消費者を守るのはもちろんである一方、サービスや商品を提供する側の権利も何かしらで守る必要があるのではと今日突然思いつきました。
 突然思いついたといっても前振りが無かったわけではなく、確か一昨年にあった事件だと思いますが店員の態度が気に食わないと言ってコンビニに来た客が店員と店長に土下座を要求した上、勝手にお詫びの品だとして煙草を強奪したという事件がありました。もちろんこの後でやらかした客は逮捕されましたが、ここまで極端な例でなくてもこの頃は変に勘違いした消費者がサービスの提供者を脅迫したり暴行する事件は日の目を見ないだけでもっとたくさんあるはずです。駅員への暴力も社会で認知されることがこの頃増えて少し減りましたが、それでも普通に考えたら有り得ないと思うくらい依然として多いです。

 一体何故こうした事件が起きるのか、モンスタークレーマーはどうして発生するのか。背景としては「お客様は神様です」という妙な言葉が誤って浸透してしまったためだとかいろいろ言われますが、一社会学士としての意見を述べるなら消費者の保護程度がやや強すぎるというか提供者の保護が無さすぎるためではないかと思います。それこそ土下座要求をしてくるクレーマーに対して店員が暴言を言ったり、手を出したりすれば店員の側が逆に捕まる可能性もあり、また暴行を受けたからといって同じく店員が反撃したとしても果たして正当防衛が認められるのか確固たる自信が私には持てません。

 最初にも書いた通りに消費者は法規などで保護すべき対象であるということは私の中で揺るぎません。しかし消費者だけ保護し続けることによって無駄な弊害も生まれると思え、また何かある度に毎回警察を介入させるというのも社会資源的にはもったいないという気がしてならず、それであれば提供者側を守るような法規を設けるのも一つの手段ではないかというのが私の言いたい内容です。社会における権利の強さは割合的に、「消費者:提供者=6:4」ぐらいが私の中の理想ですが、「客主提従」は実はあまり好きではないだけにやはりある程度対等な方がいいと思えます。

 では提供者を守るためには具体的にどのような法規を設けるべきなのか。まずは不当な要求や脅迫を行ってくる客に対しては取引、サービスを拒否する権利を確立することで、引っ掴んで店内や施設内から追い出すといった強制的な排除権も認めるべきではないかと思います。クレーマーってのは文句言うくせにやたらと居座ろうとしますし。
 そして客からの暴力についてですが、これにはもうはっきりと反撃してもよいとするお墨付きを与えるべきでしょう。もちろん過度な反撃は過剰防衛として制限するべきですが、日本人というのはただでさえ相手が反撃できないとわかるや途端に狂暴になる傾向があるだけに、勘違いしているクレーマーへプレッシャーを与えるためにも何かあったら逆に反撃してもよい、「当方に迎撃の用意あり!」と言えるような権利があった方が案外社会が回る気がします。

 難しいのは何をされたら反撃してもよいかの線引きですが、殴られる、蹴られる、唾吐かれる、物投げられる辺りをされたら即OKで、なるべく監視カメラや証人となる目撃者を備えることを推奨条件にすればいいような気がします。次にどこまでやり返していいのかですが、一つの線引きラインとして何故か思い浮かんだのは「アームロック」で、アームロックまでの反撃であればやってもよいことにして一連の法規を「アームロック法」と称すれば普及にもいいんじゃないかとなんか一人で悦に入っていました。
 それにしても現代日本において、アームロックはもはやプロレスラーや格闘家の技というよりも個人輸入商の必殺技として定着しつつあるのはなんか妙だなぁって思いつつも、家具を輸入するに当たってはまずアームロックが出来るようにならなくてはならないことにすれば日本はもっとすごい国になるのではと、また道歩きながら変なこと考えてました。

2 件のコメント:

潮風太子 さんのコメント...

だいぶ遅くなってしまいましたが、
改めまして新年のご挨拶をm(__)m

さて、消費者過保護というのは、
ある意味日本独特の「文化」でもあるんですが、
決して国際基準でも標準でもありませんよねぇ(^^)
しかし、この手の問題をじっくり観察していくと、
どうやら「今の日本には怖いものがなくなった」
というところに行きつくように思います。
警察はもとより、かの「暴対法」によるヤクザの衰退、
インターネットの普及に伴う「裏技信仰」等々・・・
3.40年前なら店で「輩」が騒げば地元の「地回り」を呼んで、
コトを納めるというのが一般的とまで言わないにしろ、
ごく当たり前の光景だったものです。
警察とて「民事不介入」を決め込むもんですから、
「輩」は「輩」でその後、チンピラや、
その「舎弟」たちから「ゆすり集り」に遭って、
それが口コミで・・・という流れで、
皮肉なことに「恐怖」のブレーキがかかっていたものですが、
そういうコトも今や「都市伝説」みたいになってしまって。
そういう流れの中で「自称・保守」を主張する連中が、
軍国主義的な「恐怖」を「治安の維持」と言い換えて、
戦前の日本の軍国主義思想を崇拝する方向へと、
つながっていっているような不気味さを最近、
特に感じるようになってきました。
また、それが30代以上の「オトナ」が、
そういう社会を待望している点も、
注意しなくてはなりませんね。
ではまた今年も花園さんの辛口かつ舌鋒鋭い記事を、
楽しみに拝読させていただきます、
当方、ともども本年もまた宜しくお付き合いのほど
m(__)m

花園祐 さんのコメント...

 こちらこそ明けましておめでとうございます。
 何気機に書き辛くてスルーしましたが、昔にこういうモンスタークレーマーが何故いなかったのかというと自分もヤクザの存在が大きかったと内心思ってます。だからといってヤクザは必要悪だなんていうつもりは全くないですが、せめて提供者側が自衛の手段を持つべきだと思ってまたわけわかんないこと書きました。
 今年は多分、去年よりは少しは落ち着いて物書けると思うので前よりは調査記事が増えるかもしれません。目下は環境変化がやばいくらい激しいですが、もう少ししたら落ち着いて少しは過激さも抑えた記事を書けるようになると思います。でも過激じゃなければつまんないかもなぁ。