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2025年2月5日水曜日

大阪市中心の再開発主導者は誰なの?

 また昨日まで関西地域を旅行し、奈良では定宿としている奈良ロイヤルホテルに泊まりました。ここが安くてお得なのはせんとくんなら知っている。

 この旅行中、関西に住む友人より大阪市の中心地を南北に貫く御堂筋が再開発できれいになっていると聞き、勧められるままに本町から梅田に至るまでの道を歩いてみました。友人の言葉通りに以前来た時よりも御堂筋はすっきりとしていて歩きやすく、たまに歩道を逆走する形でしかもスピード乗せてくる電動自転車を除けば散歩していても楽しく、何故かあんま足も傷みませんでした。
 ちなみに前日はまた日本人よりも絶対中国人のが多いエリアとなっていた兵庫県の有馬温泉付近を訪れていましたが、ここのアップダウンで坂道を下るときのブレークで普段使わない筋肉を使ったのか、左ひざの部分だけ筋肉痛を起こしました。自転車に乗っているから足の筋肉痛はこれまでほぼ起こったことなかったのに……。

 話を戻すと御堂筋のビルを見ていると、上階に比べ1~2階だけ内側にえぐれたようにへこんでいるビルを多く見ました。改装中のビルもそのようにというかえぐるように改装しており、恐らくこれは意図的な処置ではないかという気がします。1~2階部分がえぐれることによって人が歩ける道路沿いの浦東スペースは広がるし、また上階との幅の違いで建物には立体感が生まれるし、歩道を右折左折する車も見通しが良くなっているのではないかと思え、誰が指示しているのわかりませんがよくこんなこと考えたものだと思います。

 この御堂筋に限らず、大阪の梅田周辺はこの十年間で大きく様変わりしたというか再開発が続けられています。でもって、その再開発の結果について誰もが「前より良くなった」と評価しており、私も同じく高く評価しています。
 それこそ私が京都で学生していたころは梅田はマッドシティほどとは言わずともごちゃごちゃしており、特にJR、阪急、阪神が乗り合う梅田駅周辺は土地感覚もないためよく迷うし、道路広いし、車多いしであんまいい印象を持っていませんでした。それが梅田駅で再開発が進む、具体的にはヨドバシカメラ梅田店ができたあたりから歩道や地下道が整備されていき、地上付近もランドマークができてわかりやすくなり、見違えるように歩きやすくなった印象があります。

 前述の御堂筋といい、恐らく大阪市役所内でこの再開発を企画から主導している人がいるのではないかと思いますが、誰かとはわからないもののマジでプロジェクトXに出てもいいんじゃないかっていうくらい有能な人である気がします。可能ならばその再開発のノウハウを広く共有するとともに、マッドシティこと松戸市の再開発にも携わり、トラムを通してもらいたいものです🚊

2025年2月3日月曜日

中津市民の黒田官兵衛に対する評価

 先週九州を旅行した際、中津唐揚げでおなじみの大分県中津市を訪れました。何故ここを訪れたのかというとこの旅行の直前に知人に勧められ漫画の「風雲児たち」を読んでおり、この漫画に出てくる解体新書の前野良沢が中津藩士であったことを知り、興味を持ったからです。
 なお中津藩士にはこのほか福沢諭吉もおり、何かと学者を輩出する藩だという印象を受けます。

 この中津で訪れたのは福沢諭吉の旧居はもとより、一番の花形でもある中津城にも行ってきました。中津城自体は創建当時のものではなくその後に再建されたものなのですが、比較的建物がコンパクトで展示内容も分かりやすく、解体新書だけでなくこの中津城の位置取り、建設を行った黒田官兵衛や、その後に明治まで中津を治めた長篠の合戦で長篠城を籠城していた奥平家の具足なども展示してあり、あまり知名度は高くないとは思うものの見ごたえのある展示でした。

 今さらりと触れましたが、この中津の支配者はそこそこの変遷を辿っています。秀吉の九州征伐の後に最初に収めたのは黒田官兵衛ですが、黒田家は関ケ原の合戦の働きにより加増の上で福岡へ転封しています。その後は細川忠興が一時治めるも彼も熊本へ転封となった後は間に小笠原家が治めた後、前述の奥平家が中津を治めそのまま明治維新まで続きます。

 そのため中津の人たちからすれば殿様とくれば奥平家とのことなのですが、最初に中津へ入り、その基盤を作った黒田官兵衛についてどう思うのかと中津城の受付の人に何となく聞いてみたのですが、

「黒田家は中津に入って地元の豪族を騙し討ちにした連中なので、あまり好きじゃなかったりします(;´・ω・)」

 という、ちょっと意外な回答が返ってきました。
 この豪族というのは城井鎮房のことで、なかなか黒田家の支配に素直に従おうとしなかったことから黒田長政が酒宴にかこつけて呼び寄せてだまし討ちにして殺しています。またその父親の城井長房も、一揆勢と戦っていた黒田官兵衛に従軍していたところ陣中で殺されており、その後怨念の噂が立つなど血なまぐさい粛清が行われています。

 言われてみると確かにそうというか、中津の人からすれば地元の人を粛清するだけしてすぐに任地を変えて出て行った存在だと黒田家を見ているようです。そのまま中津を治め続けていれば話は別だったでしょうが、以上の顛末を見るに中津の人が黒田家を好ましく見ないのも自然なことでしょう。

 なおこのほか中津市はちょうど福岡との県境にあるので帰属意識はどうかとも尋ねましたが、その辺はやっぱり大分県にあると答えられました。我ながら妙なことばかり聞いてた気がします。

2025年2月1日土曜日

すずめ増えてね?

 今週は朝早くから漫画喫茶に入り浸って関心はあるけど単行本を買うほどではない漫画を読み漁っていました。具体的には、

・推しの子
・送葬のフリーレン
・戦隊大失格
・創世のタイガ

 以上の漫画を読んできましたが、この中だと「送葬のフリーレン」が白眉でした。時間の流れを読者に感じさせるあの構成は見事な気がします。

 そんな感じの日々を送っていますが、朝早くに自転車こいでるときにふと雀が増えているような感覚を覚えました。かつて、具体的には自分が子供だった頃は朝早くからチュンチュンなく雀の声をよく聞きましたが、大体00年代の中盤あたりから急激に減り、当時の報道でも人里を好む雀が何故減っているのかわからないという学者の意見が出されていました。
 推測として考えられる理由としてはカラスやハトなどの増加によって雀が追いやられたなどがありますが未だ詳細は明らかでなく、中国と比べても日本は雀を見る機会が少ないのでこのままいくともう見られなくなるのかなとも一時期は感じていました。

 それが今回、日本にいて朝早くに自転車乗っていると道路にたむろする雀を見る機会が以前と比べ多くなりました。もっとも朝方だけで昼日中に見る機会は少ないのですが、かつては全く見られなかったのと比べると自分でも驚くくらいの変化で、実際はどうだかわかりませんが雀が増えているような気がします。
 仮に増えているとしたらその理由はなぜか。やはり一番可能性を高く感じるのはコロナ期間で、この間に外出する人が極端に減り、現在もコロナ前と比べで歩く人が少なく、この街中における人の往来の減少が影響を与えているのではないかと推測しています。この辺、鳥類学者の意見とかも聞いてみたいですが、いないよりかはいたほうが雀はいいように思うのでこのペースで増えていってくれればと密かに思います。

 その一方、以前からも書いていますが日本のカラスの多さとでかさにはこっち来るたびに驚かされます。マジな話、上海でカラスを見る機会は一切なく、鳴き声すら聞いたことがありません。なんであんなでかい鳥が人におびえることもなく闊歩している姿には恐怖を感じます(;゚Д゚)