本題と関係ないですが嘘つきが手を入れると抜けなくなると言われる彫刻の「真実の口」について、一昨日久しぶりに「思春期ルネサンス!ダビデ君」を読んでいる最中、「『真実の尻』ってのはないのだろうか?」という妙な妄想がもたげました。多分この間、「ケツバトラー」の漫画紹介を見た影響だと思います。
話は本題ですが、先日死刑判決が下りた2023年の中野市四人殺害事件の犯人についてですが、リンク記事でも触れられているように犯人は精神病であったと主張してはいるもの、冷静に被害者へ銃を向けその後立て籠もった経緯を考えると詐病であるように思います。昔法学部の友人が言っていましたが、殺人犯は基本的に殺人を犯す時点で常人と比べ精神が異常な状態にあるため、ちょっとやそっとの精神障害では減刑理由は成立しないそうです。極端に言えば、うんこ食べるくらい気が狂ってなければお話にもならないそうです。
以上からこの犯人はこうして詐病を装うあたり、本人は死刑を望んでいるようなことを言っているものの実際は恐れているんじゃないかと思います。仮にそうだとしたら非常に卑怯な人間だと思え同情の余地も感じないのですが、彼が主張した人目を気にする生き辛さというのには密かに共感を覚えるものがあります。
裁判などでの供述によると、犯人は大学に入ったあたりから自分が馬鹿にされているのではと人目を気にするようになってひきこもるようになったそうです。特に笑い声が聞こえると自分が笑われているのではとも思ったと語っているのですが、この供述については嘘ではなく、実際の本音だったのではないかという気がします。というのも、この犯人ほどではないのですが私もそのような経験があるからです。
一番記憶に古いものだと子供の頃に連れてこられた外国で外人が笑っていると、子供心に「自分が笑われているのでは?」という風に思ったことをはっきり覚えています。また成人後も、厳しい状況にあった時なんかは外から笑い声が聞こえると、さすがに自分が笑われているとは思わなかったものの何となく肩身の狭くなるような感情を催しました。
私個人の所見で述べると、上記のような体験は日本人ならほぼ全員が多かれ少なかれ経験しているのではないかと思います。主な場面としては小中高の環境、そして私が上記に挙げた外国人から聞こえてくる笑い声が候補であり、悪意がないはずだと分かっていながらも何となく嘲笑されているような居心地の悪い生き辛さを感じた経験は誰しもあるでしょう。
恐らくこれはほかの国の人にも同様に当てはまる気がしますが、その度合いで言えばやはり日本人の方が高いのではないかと考えています。何故かというとやはり日本人は人目を気にするというか、自己評価よりも他者評価、つまり外部からの評価を重視する傾向にあり、自分が自分のことを高く評価していても外部からの評価が低ければ「俺って無能?σ(゚∀゚ )」という風に思い込む人が大半で、中には自己評価なんて一切しない人も珍しくありません。まぁそれは自我がないせいでしょうが。
この点、中国人なんかは人目を気にしない人間ばっかで、自分も感化されたのか昔と比べると今は周りの目をあまり気にしなくなりました。そんな自分からみていると、やはり日本人の大半は人目を気にしすぎるあまり、それだけで生き辛さを感じているように見えます。まったく気にしない人もはた迷惑ではあるものの、生き辛さを感じるくらいならもっとわがままに生きたらといいたくなるほどなのですが、多分日本の教育ではそのような人目を気にしすぎる人にすら「もっと周りを見て行動しなさい」といって、余計に追い込む気がします。
そういう意味で自分としてはもっと、この「人目を気にする生き辛さ」という単語を広めて、気にしすぎると本人にも周りにもよくないし、極端なことを言えばこの中野市の事件の犯人のように暴発する可能性もあるという認識を社会全体で持った方がいいと思っています。っていうかぶっちゃけ、日本国内の統合失調症の人の多くが「誰かに見られているような気がする」と口にする当たり、この人目を気にする習性は日本の精神衛生を大きく悪化さている要因ですらあるようにも思えるし。
このような見方を持ったのと、「やや理解を得辛い自分の好きなことを理解し合える関係」をテーマにしている聞いたことから、今回の日本滞在中は漫画喫茶で「その着せ替え人形は恋をする」を一気読みしてきました。実際、このテーマが作品全体で貫かれており、キャラの心情も良く描けていてこりゃ人気が出る作品だと納得な面白さでした。個人的には主人公の男の子が、男の自分からみても一貫して自分の夢を追い続ける姿勢がかっこいいと感じました。
今回こうして問題提起的に記事書いていますが、正直なことを言えばなぜ日本人がこれほど人目を気にするのかが実はよくわかりません。ムラ社会だからといえば話は早いですが、村落文化が衰退した現代でこの図式をそのまま当てはめるのはやや安直だと思えるし、また着せ恋じゃないですが、何故個人の趣味に良し悪しというか人目を気にするもの、気にしなくていいものがあるかについても、何か考慮する余地があるのではないかと思え、確固とした線をいまだ描けずにいます。
敢えて言えば、人目を気にする背景には劣等感が確実にあり、その劣等感がどこからどのようにして生まれるのかというメカニズムに何かヒントがあるような気がします。地味にこの劣等感についてはこれまでも学生時代も一切触れてこなかった感情で、自分も何度も抱いてはいるものの、何故抱くのかについてはいまいち分析できていないような気がします。
最後に着せ恋について、主人公に両親がいない背景についてアニメ版で原作にない背景が掘り下げられたことについて作者が、「(ストーリーの構成上)邪魔だから殺しただけだったのに……」と言いながらアニメ見て感動したというエピソードが一番強烈な印象に残りました。
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