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2009年2月25日水曜日

満州帝国とは~その一、満州への進出

 今日から満州帝国についての歴史と私見を紹介する連載を始めます。ある程度勉強は終えているのですが、この連載に備えて小林英夫氏の「満州の歴史」(講談社現代新書)を先月に買っていたのですが、まだ他に読む本があったために先にうちの親父に貸したらまだ返してもらえず読むことが出来なかったのが唯一の誤算でした。
 それではまず第一回目として、いつ、どのように日本は満州と関わりを持つようになったのかを今回説明します。

 まず満州とされる地域ですが、これは現在の中国で言う遼寧、吉林、黒龍江の東北三省を一般的に指しています。何故これらの地域が満州と呼ばれるようになったのかですが、日本が戦国時代だった頃、当時のこの地域ではかつて中国において「金」という帝国を作った女真族が各部族ごとに集住、抗争していたところ、ヌルハチというある部族の長が女真族内で次第に統一をはかり、最終的には一つの軍閥として纏め上げ、その際にそれまで「女真族」としていた民族名を「満州族」という名称に改めたことがきっかけで、そのまま民族名が地域名として定着したのが由来だそうです。

 ヌルハチの死後、満州族は混乱の続く中国中心部へと進撃してついには統一を行い、現時点において中国の最後の王朝に当たる「清」を設立することになります。その清の時代も満州地域では漢族の流入が抑えられ、満州族の伝統が守られていたそうなのですが、近代に入るとロシアと国境の接する地帯として紛争が続くようになり戦略上の重要度が時を経るに従い増していきました。
 そんな中、明治維新を断行し日の出の勢いで国力を増していた日本は当初は同じアジア国として朝鮮、中国を支援して欧米の列強の進出を防ごうとしていたようですが、福沢諭吉らなどの脱亜論などのようにこの際アジアよりも欧米のように植民地を切り取っていくような政策に変えるべきという国論も強くなっていき、その目標として日本に定められたのも朝鮮と満州でした。

 そうして国論が次第に変容する中で朝鮮内の甲午農民戦争をきっかけに日中間で日清戦争が起こり、この段階に至って日本ははっきりと中国に対して侵略を行う立場へと変わり、戦後の講和条約にて台湾をはじめとした領土の領有権を中国に認めさえ、その中に満州地域に含まれる遼東半島も含まれ、この時を以って日本は満州と関わりを持つに至ります。

 もっともこの時はその後ドイツ、フランス、ロシアによる三国干渉を受け、遼東半島の日本の領有は当該地域の安全に好ましくないといちゃもんをつけられ中国へ返上することになりましたが、日本には返上を迫る一方で満州内の鉄道敷設権を得るなどどんどんと進出してくるロシアに対して日本は、「俺たちには適当なことを言いやがって!」とばかりに日本は国民感情上でも相当怒り、特に支配権を握りつつあった朝鮮と国境の近いことからも非常に危機感を募らせていくようになりました。
 その後この地域の安全を図る策として「満韓交換論」等が練られますが交渉としてはどれも失敗し、最終的には維新後日本において最大の試練となった日露戦争へと突入し、辛くも勝利を得たことによって日本はこの地域へと本格的な進出を行うに至るようになります。

 具体的にどの程度進出したかですが、まずロシアが中国より租借していた遼東半島の先端に当たる関東州、そしてこれまたロシアが中国に認めさせて敷設していた東清鉄道こと、後の満州鉄道の経営権と付属地が日本に譲渡されることとなりました。
 ちょっとこの辺が自分も今まであまりよくわかっていなかったところなので詳しく解説しますが、この時点で日本は満州の大半の地域を獲得したわけではなく、あくまで満州鉄道とその周辺地域の支配権だけを得たに過ぎませんでした。というのも日露戦争前にロシアは中国より満州内に鉄道を敷設する権利を受けてその鉄道の管理権、及び線路を中心にした幅六十二メートルの付属地の支配権を握っていたので、それがそのまま日本のものとなったわけです。とはいっても当時の物流はすべて鉄道によるものなので、満州における鉄道の経営権を握ることはその地域の経済源をすべて握るといっても過言ではなく、この時に日本が得たものは決して少なくはありませんでした。

 そういうわけで、日露戦争後に日本が満州に得た領土は遼東半島の一部と、満州に敷設されている鉄道線路を中心にした幅六十二メートルの付属地でした。その後付属地は日本側によって「関東州」と称され、この地域を防衛、守備するために作られた部隊が「満州駐箚軍」こと、後の「関東軍」となるのです。

2009年2月24日火曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四

 まさか昨日の今日にこの件で続報を書くことになるとは思いもよりませんでした。

新潮社に虚偽と抗議 「本社襲撃」手記で元米大使館員(asahi.com)

 今朝の朝日新聞の朝刊で私はこの記事を確認しましたが、昨日に引き続き週刊新潮による一連の赤報隊事件の犯人手記に対してその内容を事実無根だとする非難記事を発表しており、特に今朝のはなかなか面白いことが書かれているのでまた紹介します。

 まずなにが凄いかって、新潮側が犯行の指示犯とする元アメリカ大使館職員の、週刊新潮の記事中で佐山と仮名されている方が出てきていることです。もちろん実名は伏せられていますが、何でも今回の新潮の記事によって「犯行の指示役に仕立てあげられた」として朝日新聞に実名で連絡を寄せてきたそうです。
 もうこの時点で本当にこの方が犯行指示犯だとすればありえない事態で、新潮の言っている内容、取材が如何にいい加減だったかがよくわかるのですが、前回の記事で私も奇妙だとして指摘した、犯行の実行犯と自称している島村氏と指示犯とされるこの方の一月十九日に撮影されたツーショット写真について、島村氏に貸した金を返すとの連絡を受けて秋葉原で会ったところを隠し撮りされた物だとした上、新潮側からの一月二十六日の取材にてこの事件の関与を全否定したにもかかわらずその旨が記事では書かれなかったと主張しています。

 前の記事で書いたように、あの写真が撮影された日と取材日が異なっているのが妙だと思っていたら、案の定あの写真は隠し撮り写真だったということで、そう考えるならこの日程の違いにも納得がいきます。更に新潮の記事ではさもこの男性が赤報隊事件当時に東京のアメリカ大使館に勤務していたように書いているのですが、実際にはこの時この方は福岡の領事館に勤務していたとも朝日新聞には書かれており、現在のアメリカ大使館の報道官もこの事実を認めています。

 他のメディアでもこの新潮の記事についていぶかしむ声は多く、新潮側はもっと確たる証拠やこれらの批判に対して応答すべしという意見が載せられていますが、私としても同じ意見です。前回の記事でも書きましたが、こんなあやふやな島村氏の証言だけでこんな記事を書いて公表したのだとしたら、事件にて殺害された記者への冒涜にしかほかなりません。

  追伸
 昨日今日とNHKへライフルの実弾が入った封筒が、「赤報隊」と書かれた紙と一緒に郵送される事件が起きており、うちのお袋なんかは今回の新潮の記事に対して、「適当なこと言いやがって、俺が本当の赤報隊だ」と、朝日新聞での真犯人が言うためにやっている事件なんじゃないかとまで言っています。もちろん新潮の記事に便乗した愉快犯が行っている可能性もありますが、なんとなく不気味な事件ですし、このような報道機関への脅しはどこをどうみたって最低の行為なので、早くこんなことはやめてもらいたいと個人的には思います。

中国と日本の現役層のバックグラウンドの違い

 前にも一回書きましたが、出張所のFC2ブログの方ではクリックするだけでその記事を評価したことになる拍手ボタンというものがついており、案外目立たないのですが管理者の側からすると一ヶ月前までの履歴はすべて把握でき、やっぱり押してもらっているとなかなかうれしいものです。それがまた他の記事より手の込んだものであればなおさらというものでしょう。
 それでこの前ふとしたことから出張所の方で文化大革命の連載記事を読み返していると、「紅衛兵」についての記事だけ七拍手も集まっており、ほかの連載記事とは一線を画して拍手が多いということに気がつきました。実際にこの紅衛兵の記事、ひいてはその次の下放に関する記事はつたない知識ながらも頑張って書いた記事だったので、これほど拍手が集まっていたのは素直にうれしく思いました。

 それにしても、この紅衛兵と下放の下りは読み返す度にいろいろと思うことがあります。その現実としての歴史の凄まじさは言うまでもありませんが、果たしてこんな時代を生き抜いてきた中国人に対し、自分たち日本人は対抗できるのかという疑念も必ず湧いてきます。
 意外と知られていない、というより報道なんてほとんどされないで当たり前ですが、現在中国の常務委員のメンバーにて次期総書記として最も有力視されている習近平氏、そしてその次に有力視されている季克強氏の二人ともこの下放を受けており、特に習近平氏なんて父親が元副総理という立場ながら追放された上での下放でしたから相当な経験をされたことが予想されます。

 下放についてはリンク先の記事でも書いてあるのでここでは細かく語りませんが、それこそ一生を賭すような壮絶な体験です。そんな体験や苦難を乗り越えてきた彼ら二人に比して、今の日本の政治家の中でそのような塗炭の苦しみを乗り越えた人間がいるかといったらまずいないと言っていいでしょう。
 更に言えば、今の中国において財界、政治界で指導者として活躍している壮年層のほぼすべてはこの下放を乗り越えて現在の地位におります。なんでも文化大革命が終了した後、中国政府は文革で失った人材の穴埋めをするために全国からエリートを集め、半年間猛勉強させた後に大量の留学生を東大に送りこんでいます。なおその際の入学試験はもちろん他の学生と同じ日本語の試験だったそうで、この時に日本に留学した者たちが現在の中国の財界のリーダーとなっているそうです。

 なにもなんでもかんでも苦労すればいいってもんではありませんが、それこそ生死の狭間を歩き、自らの概念を毛沢東思想などの様々な影響の中で反芻してきた末に乗り越えてきた文革世代に対し、とてもじゃないですが私なんか敵う気がしません。幸いというか私の世代に当たる1980年以降に生まれた世代は中国でも「80後(パーリンホウ)」といって、恵まれた環境下で甘やかされて育ってきた貧弱世代とも言われているようで、直接的にぶつかる同世代の相手は文革世代に比べればまだ互せそうな相手ですが、少なくも現役指導者世代の人材の質を見る限り、今の日本の政治界の混乱振りを見るにつけ中国の方が遥かに上だと私は考えています。

 若いうちの苦労は買ってでもしろとは言いますが、やはり人材全体の質の底上げという意味では、皮肉な言い方ですが悪い時代というのは格好の時代となります。現在の日本は若者の雇用が年長世代のために犠牲になっているなどあれこれ言われていますが、逆を言えばこの時代を乗り越えることで他国にも負けない強靭な世代を作れるのだという前向きに捉えることも出来ます。また私自身は現在割合に恵まれた環境下で公私共に充実した生活を現在送っていますが現在不遇を囲っている同世代の若者に強く言いたいこととして、現在の苦労は決して無駄にはならないし、中国のあの文革が行われた時代からも這い上がった人たちはたくさんいるので、今つまずいているからといって希望を決して投げ出さずに自己研鑽に励んで頑張ってほしいということです。

 ところでまた話は変わりますが、中国の文革期のように日本にも多大な苦難があった時代を乗り越えた末に各界に大量に優秀な人材を生み出していったある時代と場所があります。もったいぶらずに言うと、それは満州こと、わずか十数年で滅んだ戦前の満州帝国のことです。
 以前から友人にこの時代のことを書いてくれといっていたので、次回からあの満州帝国はなんだったのかという近現代史の分析という意味でまた連載を始めますので、どうぞよろしくお願いします。

2009年2月23日月曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三

 ちょっと書くのが遅れていましたが、ちょうどいい具合に続報が入ってきたのであながち無駄ではありませんでした。

<朝日新聞>週刊新潮の襲撃犯手記「真実性なし」(YAHOOニュース)

 以前に書いた記事で私もリンクに貼った記事に書いてあるように、週刊新潮で連載された自称赤報隊事件の犯人手記の記事は非常に疑わしいと書きましたが、本家本元、というより事件の当事者である朝日新聞側がとうとう怒って公然と批判を行ったようです。結論から言うと、私もこの件では朝日新聞の肩を持ちます。

 さてその肝心要の犯人手記の連載記事ですが、ちょうど先週木曜日発売の二月二十六日号で連載は終了しましたが、はっきり言って読み終わった後は言いようのない怒りを私も覚えました。前回でも不満だと私が言ったこの事件の核心部に当たる指示犯の動機については類推だけで確たる事実については一切書かれず、結局謎のままだという尻すぼみな内容に終わっているどころか、二月十二日号で新潮のこの連載記事を批判した週刊文春の記事への逆批判という、私からするとあまり事件の本質に関係ない内容に大量の紙幅を割いているなどこれだけ引っ張っといてこんな終わり方かよと憤懣を持ちながら家に帰りました。ついでに言うとこの日はマンガの「ノノノノ」の五巻の発売日なのに一軒目の本屋には置いておらず、ただでさえイラついていたのもあったのか電車に乗った際に車窓に映る自分を見ると目つきが異様に恐かったです。

 それはともかく、今回の新潮の記事は私が見ても穴だらけです。犯行指示犯が元アメリカ大使館員という荒唐無稽さもさることながら、その情報を公開する前に週刊文春に言わんとする内容で先を越されるわ、果てにはFBIとCIAという名前を出してくるなど、朝日側も言っているようにこの事件で死亡した記者を冒涜するようなひどい内容です。
 特に私が一番疑問に感じたのは、二月十九日号の末尾にて件の犯行指示犯と新潮側が主張する元アメリカ大使館員の佐山(仮名)が新潮の電話取材に答えるシーンにて、「自分の存在が表に出ないのであれば自分が知っていることも話さないわけでもない」と、取引を持ちかける場面があるのですが、この佐山の言葉を真に受けるのであれば、新潮側はその取引に乗らずに指示犯は元アメリカ大使館員という事実を公開したために犯行動機を得られなかったということになるのですが、そう考えるには不自然なものが連載記事中に二回も出ています。それは何かというと、犯行実行犯と自称する島村氏と佐山が公園のベンチで並んで座る2ショット写真、ご丁寧に「佐山(左)と島村(撮影・今年1月19日)」とまで書いてくれちゃっています。

 まさか実行犯の島村氏がわざわざ佐山を呼んでプライベートにて男二人で写真を撮ったなんて考えられず、普通に考えるのならこの写真は新潮側が今回の取材過程で撮影したものと思っていいでしょう。つまりは新潮側はこの連載記事の取材過程で、この二人が直接会った現場にもいたということです。確かに二月十九日号で一月十九日に島村氏と佐山が直接会って会話した内容が掲載されていますが、なぜかその会話には新潮側の質問や取材した形跡はなく、わざわざ数日後に佐山に対して電話取材をして先ほどの佐山の回答を受けているのですが、何故島村氏と佐山が直接会っている現場にてこんな2ショット写真を取っているのに、必要な質問がなされなかったのか明らかに不自然です。

 そして連載終了記事に至ると、前号で取材した佐山は島村氏の告白の中でしか登場せず、新潮側が佐山に対して追加取材した形跡は一切ないままでした。多少言いがかり的なものを自分でも感じますが、この尻切れトンボみたいな妙な終わり方に私は違和感を覚えました。新潮側は今回の取材が真実であるという証拠として佐山と島村氏の会話などをすべて録音していてすぐにでも出せると言っていますが、そんなの本人が表に出てこなければその音声が誰のものか確認できるわけないので証拠になりうるわけありません、こんなことくらい中学生でもわかるだろ。

 こんなくだらない記事に約一ヶ月も付き合わされた怒りもあるので、腹いせに今年に入って新潮が負けた裁判ニュースと、松本サリン事件の河野義行氏の件のウィキペディアのリンクを貼っておきます。もう二度と新潮なんて買わないぞ( ゚д゚)、ペッ

名誉棄損:野中氏が勝訴 新潮社に賠償命令 東京地裁
報道訴訟:楽天・三木谷氏の捜査報道で新潮社に賠償命令
貴乃花親方・名誉棄損訴訟:新潮社社長にも責任 「対策講じてない」--東京地裁判決(以上、毎日jpより)
松本サリン事件(ウィキペディア)

2009年2月22日日曜日

派遣制度の有効性について

 私はこれまでこのブログでは一貫して労働者派遣制度に対して批判的な姿勢を取って来ましたが、実はその裏では本当に派遣制度を完膚なきまで全廃していいものだろうかという疑問が頭をもたげていました。この疑問の端緒となったのは確か2007年にNHKにて派遣制度について是非を問う討論番組があり、派遣労働者に1000人にアンケートをとったところ、確か率にして55%ほど、過半数の方が派遣はいい制度だと思うと回答したことがきっかけでした。
 まさか過半数が派遣を肯定的に取るなんてと正直面食らったのですが、よくよくその番組を見ているとアンケート対象の方がコメントを寄る際に簡易プロフィールが出るのですが、その大半が30代以上の女性ばかりだったのでようやく合点がいきました。

 実はこれ以前からもお袋の知り合いで派遣労働をやっている方から話を聞くと、下手なアルバイトより全然収入も大きくまた仕事もオフィスでのお茶汲みや簡単な入力作業ばかりで非常に助かっていると、先ほどの番組同様のコメントを私は聞いていました。そうした話を聞いていると、なんだかんだいって現在の派遣制度は一家の家計を養う男性、特に既婚者の方にとっては非常に迷惑な制度ではあるのですが、逆に結婚を期に職場を離れた既婚女性が再就職する際には非常に有効な制度なのではないかという気がするのです。

 知っての通り現在でこそ出産のための一時休暇などが日本でも大分認められてきましたが、それでも未だに出産を期に職場を離れることが多いために日本の女性就職率はいわゆるM字カーブといって、30歳前後で就職率が谷のように急激に落ち込んで40歳前後でまた上昇するという、欧米と比べると非常に偏った形を毎年とっております。出産のために職場を離れなければならないというのはまだわかるにしても、キャリアや実力のある女性労働者がその後再就職するには非常に大きな障害があると言われており、育児が終わったり家計のために働きたいと願っても、なかなかいい仕事が見つからないという話は今に始まるわけでもなく昔から言われてきました。労働力が不足しているといわれるこの日本で。

 それに対し現行の派遣制度であればこうした既婚女性、特にオフィスワークを相応にこなすことが出来る方などは再就職が容易でかつ条件にあった職、それこそ最初に言ったアルバイト以上正社員未満くらいの職ならば簡単に見つけることが出来、こうしたことが影響してNHKの番組で肯定的な意見が多かったのだと思います。
 不安定な雇用環境や伸び悩む収入(収入についてはまだ議論の余地があるが)など、日本で家族を養っていくにはやはり派遣では限界がありこうした雇用制度に問題があるのは間違いありません。しかし先ほどの既婚女性の例や、男性でも独身で音楽活動など自分の時間を有効に使いたいという方にとっては見方によれば非常に有意義な制度となる可能性もあり、やはり勢いに任せて全廃すべし制度のようには思えません。

 ほかの議論などでもよく出てきますが、やはり派遣という制度は残して問題のある箇所、社会保険や労働保険、そして派遣会社のマージン率の公開などそういった面で改正していくのが派遣制度に必要なのではないかと思います。

2009年2月21日土曜日

日本の教育における想像性の問題

 昨日に引き続き日本の教育制度への批判記事です。
 去年にノーベル賞を受賞した益川氏がよくセンター試験などの現在の試験制度には、子供の想像性を問うような問題がないなどといって激しく批判していたことは恐らく読者の方も記憶に新しいと思われます。実は益川氏の主張は現実に確認されていることで、国際学力テストなどで日本の子供は定理や公式などの知識はあるものの、それを応用する力が非常に低いということがテスト結果で現れています。
 一例を出すと、平行四辺形の面積を「底辺×高さ」で出す問題については正解率が高いものの、街路地図を見せて平行四辺形の形となっている部分の面積を求めたところ、街路の区画などから底辺と高さの長さが簡単に類推できるにもかかわらず、先ほど正解した日本の子供の多くが解答できなかったという結果が報告されています。

 実際に予備校で講師をしている友人にこの件で話を聞くと、最近の子供は本当に書かれている文章の内容が読み込めない人間が多いと聞きました。それこそ算数や数学の文章問題となると、図形の角度を求めているのに解答欄に長さとか、ひどい場合には変な四角形の図を書き込んだりする子供もいるらしく、一昔前のCMみたいに何から教えていいのかわからなくなる時が多々あるそうです。

 ここで話は変わって私の体験談ですが、一応私の時代からも日本の子供には想像(創造?)性が低いという指摘がよく教育界でされており、またもそういった言質を真に受けた当時の私は何を思ったのか、数学などならともかく何かを説明する国語の記述問題などは誰も思いつかないような、突飛な回答にこそ真の価値があると信じ込んで、今思うとものすごい答案を毎回提出していました。
 そんなもんだから、中学校の頃の成績というのはひどいものでした。当時は大体180人中160番台くらいだった気がします。

 しかし中学三年生位になった頃、ちょっと思うことがあってあることを実験しました。
 それまで私は前述の通りに自分で物を考えてオリジナルな回答を出した方が評価されると思っており、教師が授業中に言っていること、それこそ国語なんかは先生が授業中に説明した解釈とはなるべく異なる回答を出すように心掛けていたのですが、ある日試しにテストの回答に教師の授業中の解釈そのまんまを書いてみたのですが、そしたら自分でもびっくりする位に正解率が上がっていきました。

 そのあまりの成果に私も驚き、それ以降授業中に私は理科や数学といったほかの科目でも教師が言う言葉を細かくチェックするようになり、授業中のちょっとしたアクセントや表現の違いからどこがテストに出るのかを予想しては当てることによって当時に成績はぐんぐんと上昇して行きました。あんまりにもどこが問題に出るのかを当てるもんだから、高校に入った頃なんかは予想屋として友人らの得点上昇に一役買っていました。
 しかしこうして成績を上げることについて、私自身は素直に喜べませんでした。言ってしまえば自分が考える余地をなくして教師の言う事通りにテストの回答に書くことが、果たして自分の能力の向上につながるのか疑問だったからです。そうはいっても成績を上げねば親からもにらまれるし、これは本意ではないと自分に言い聞かせながら高校時代のテスト期間を過ごしていました。

 そんなもんだから、益川氏の教育制度についての話を聞いたときには私も素直に納得しました。数学だって問題を工夫すれば解答に至るアプローチが複数あるものが作れるのですが、試験には単一のアプローチしかないようなものほど使われている気がしますし、国語の問題に至っては解釈なんて人それぞれなのに問題作成者の意図に沿ったものを出さないと正解が得られない。こんな試験で、どんな人材が育つのか私は不安です。
 更に言えば、国語の記述式解答で50文字など制限してあるのは、45文字以上書かないと正解にならないという暗黙のルールにも不愉快さを覚えます。私は文章というものは短く表現できるに越したことはないので、20文字であろうと30文字であろうと核心をついていれば正解を与えるべきだと思うのですが、そんなことしてたらすごい点数になってしまいます。

 以上のように、日本の教育にはたくさんの問題がありますが、試験制度それ自体にも問題があるというのが今日の私の意見です。

2009年2月20日金曜日

個性が強いゆえに日本で起こる問題

 このブログを読んでいればわかると思いますが、私は基本的に反権力的な思考の人間です。それでなんで私がこんな風になったかと思い起こすと、きっかけはやはり日本の教育に反感を持ったのが原因だと思います。
 私が日本の教育に始めて疑問を感じたのは、我ながら呆れますが小学生四年生くらいの頃でした。自分で言うのもなんですが私は傍目にキャラが濃い人間らしく、友人からも「一度会ったら忘れられない」、「夢に出てくる」などといったことをほぼ知り合った人間全員に言われながら今まで生きてきましたが、それだけの強烈な個性というのは日本の社会の中ではやはりマイナスに働くことの方が今までの人生で多かった気がします。

 私がそれをはっきりと認識し始めたのがまさに小学四年生くらいの頃で、多少の自意識過剰も入っているかもしれませんがこの頃から周りから思いもよらないやっかみを受けたり、なんの根拠のない陰口などが言われるようになってきたと思います。そしてその原因が隠し様のない私の個性が原因だということも、当時からなんとなく気がついていました。
 私としても原因がわかっているのだから何も対処をしてこなかったわけじゃないのですが、多分それでも隠しきれなかったと言うべきか、その後中学から高校へと進学しても周りからの言われのない評価に困らされて続けてきました。

 別に私はなにか犯罪をやったり、周囲に対してなにかしら妙な干渉をしてきたつもりはないのですが、恐らく周囲を気にせずに自分が正しいと思うことを自分自身に行ってきたのが周りからは目に付いたのか、むしろ私と何の関わりもない、それこそ一言も話したこともない人間ほど私に対していろいろと言っていたようです。後年に話すようになった中学の友人に言わせると、やっぱりその友人の周囲で私は「変な人間」という風に言われていたそうです。
 それこそなにかの拍子に殴り合いとかした相手にいろいろと悪口を言われるのならともかく、今まで何も話したことも接したこともない人間から悪し様に陰口を言われていたというのは今でもよく不思議に思います。

 その原因は一体なんなのだろうと、恐らく一番頭使って考えたのは徐々に周りから孤立し始めてきた小学校四年生の夏休みくらいでした。確かその時はそれこそ朝から夕方くらいまで一人で外を自転車で走りながら(友達が本当にいなかったから)あれこれ自分の状況について考えていましたが、その結果思いついたのが日本の教育のせいじゃないかという結論でした。
 すでにその頃辺りから、「日本人はもっと自分だけの個性を大事にするべきだ」という教育方針がアメリカから輸入される形で入ってきており、小学校などでも先生がそんなことを言っていたのですが、恐らく大概の日本の子供は、「そうは言っても、周りに合わせないとやっぱハブられるだろ」、と悟っていたところ私だけがアホだからその方針を真に受けて、出来るだけ周りと自分を差別化させるように行動していたので、なんというか右を向けと言われて私一人だけが右向いちゃったような状態だったんだと思います。

 現在の私としてもモンスターペアレントの問題のように、何でもかんでも個性として認めるべきではないということは重々承知ですが、集団に流されず自分で自分の行動を思考する独立した自己という意味の個性は未だ日本人には必要だと考えています。ですが既に述べたように日本の教育下ではそうした個性ほど摘み取ろうとする傾向があり、過剰に集団性を強化するところがあるのでいじめ行為や集団万引きといった、冷静に考えるのなら異常な行為が学校現場などで起こっているのだと私は思います。
 大体こんな感じの結論に小学校四年生で達した私はどうしたかというと、前述の通りにいくら周りがみんなしてやっている行為とはいえ、明らかに間違っていると自分が思う行為に対してはたとえ自分ひとりになっても一緒にやってはならないという変な原則を作ってしまい、その後の人生で浮いた存在のまま今に至っております。中学高校時代も、制服のYシャツの第一ボタンは必ず留めていたし。

 私は別に日本人の集団性が強いことが悪いと言うつもりはありません。中国人の日本人観の一つに、「あいつらは一人一人だと弱っちいが、集団になるととてもじゃないが敵わなくなる」というのがあるように、日本人の団結力はそれはそれでたいしたもんです。
 しかし私のように恐らく先天的に個性が強い人間、もといキャラが濃過ぎる人間というのは日本には本当に居場所がありません。今でこそ必死になって猫かぶって自分の個性を抑えながら何とかやりすごして生きてきていますが、知り合いの中でも別にそいつが何か悪いことをしたわけでもなく、むしろ周りに対して思いやりもあって向学心のある人間ほど周囲から奇異の目で見られることによって悩まなくていいことで悩まされてきた人間を数多く見てきています。

 私が言いたいのはただ一つ、自分たちにも居場所をくださいということです。個性の強い人間の一人や二人、直接的な迷惑が起こらない限りは追い出そうとせず、こんな奴もいるんだなというくらいに普通の人には見てもらいたいです。