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2025年3月23日日曜日

漫画「変な家」の変な展開

 先日に日本のホラー漫画や恐怖というより不安を煽る展開が多いという記事を書いた後、改めて日本のホラー漫画を読んでみようと、いくつかのおすすめホラー漫画紹介サイトを見て何冊か買ってきました。なおおすすめサイトの中には「彼岸島」を挙げている人もいましたが、あれをホラー漫画と取る人がこの世にいたということがある意味恐怖です。ギャグホラーではあるが。

 その買った本の中に1巻がセール中だったのもあったので、「変な家」があります。これは小説原作で映画や漫画など伊メディアミックスされている作品ですが、少なくとも漫画版に関してはホラーというよりはギャグに近い内容だと感じました。というのも話の展開がおかしく、ツッコミ不在のままおかしい妄想を広げていくからです。自分が読んだのは2巻までですが、これ以上読む気はなく、よくこんな作品が世に出たなという感想すら持ち得ました。

 簡単に話のあらすじを説明すると、主人公のオカルトライターが知人に購入を検討しているが変な間取りがある家として、ある間取り図を見させられます。変なところというのは台所の壁に一か所出っ張りがあるというところで、この点について再び知り合いの建築士にみせたところ、2階の子供部屋もおかしいという指摘を受けます。
 2階の子供部屋は入るまでにドアを二つ介さなくてはならず、またトイレなども専用に設置されていました。この点から察するに、この家の住人はこの子供部屋に子供を閉じ込め、殺人を行わせていたに違いないという結論へ突如至ります。

 もうこの時点でどこから突っ込んでいいかわからないのですが一つずつ上げていくと、まず最初の相談者が何故壁の出っ張りを気にしたのに対し、どう見ても換金部屋にしか見えない二重扉の子供部屋を気にしなかったのかという点でしょう。窓も一切設けられていない監獄っぽい子の子供部屋の間取りに疑問を抱かないとしたら、ぶっちゃけ部屋選びはほかの人に任せた方がいいくらい感覚のおかしい人間と言わざるを得ません。
 次に、そんな監獄っぽい子供部屋を見て何故「ここで殺人が行われていたに違いない」という結論に至るのか、これも強引過ぎてちょっとついていけませんでした。一応ほかにもそう推論する材料を挙げてはいるもののどれも根拠不足だし、さらには「浴場で後ろから刺していたに違いない」という妙な推理を前提に「あのでっぱりは子供部屋から浴室へ移動するための秘密通路に違いない!」という推論にもっていくのは、さらに無理があるでしょう。

 そもそも間取り図には「子供部屋」と書いてはいますが、実際にこの部屋に監禁させられていた人物が子供である必要はありません。仮に殺人を行わせていたというのなら子供にやらせるよりは大人を監禁していたと思う方が自然だと思うのに、何故かこの後もずっと「子供に殺人をやらせていた」という前提を一切揺るがさずに話を進めていきます。なんでそうまでして子供に殺人やらせたいんだか。

 この後も2件目の部屋の増設部分を見て、「きっと地下室があったに違いない!」などと、根拠からは程遠く、妄想に近いような推理を延々が展開されていきます。この一連の展開を見て私が真っ先に思い出したのは90年代最高のギャグマンガと呼ばれた「MMR マガジンミステリー調査班」です。「変な家」も「MMR」も、過剰な妄想を武器に仮定に仮定を重ねていくのですが、その過程において検証という行為が一切挟まらない点で共通しています。

 それこそ最初の家を内見しさえすれば、作中でも語られているように浴室のルミノール反応は取れないとしても、壁の出っ張りが実は秘密通路かどうかくらいは壁叩くなりしてわかるはずです。2軒目に関しても、地下室の有無くらいなら何かしら痕跡を探すといったことはできるような気がします。
 しかし、この作品のキャラクターたちは自分たちの推理というか妄想が正しいのかという検証を一切行おうとしません。にもかかわらず先に立てた仮定が正しい前提でさらに別の仮定を重ねて妄想を広げていくという点で、まるっきりMMRじゃんと思ったわけです。はっきり言っちゃえば、展開が雑にもほどがあるような気がします。

 それこそ、部屋の中に近隣で見つかった死体の人物がささいな所有物が見つかったくらいの条件を提示してさえすれば、「もしかして本当に?」というリアリティを持たせられたと思うのですが、驚くくらいにそうした展開はないし、むしろ登場人物側の方が検証を避けるように内見を拒否しようとします。ギャグマンガだったら許されますが、それなりにミステリー作品とするにはこんな展開だと萎えることこの上ありません。っていうかよくこんな内容でメディアミックスしたもんだ。

2025年3月22日土曜日

夜が暗くなってきた上海



 マジで地球防衛軍は時間泥棒だという風に思えます。

 話は本題ですが、このところ夜の時間帯に上海を歩いてて「マジ暗い」と思うことが増えてきました。理由は何故かというと、通り沿いのお店ですら潰れることが多く、そこに後から入る店もなくて空きテナントが増えているからです。特に個人的にショックだったのは、このところは不動産屋の店舗すら閉店した跡がよく見られることです。
 そこまで社会全体に悲壮感は広がってはいませんが、逆を言えば危機感がやや足りてないのではないかという気がします。街の活気も薄れてきており、このままいけばますます上海の夜は暗くなっていくのではないかと予想しています。

 その上でもう少し続けると、自分は以前の記事で2年後の2027年が一つのターニングポイントになると予想しましたこのターニングポイントについて自信を強めてきたのですが、恐らくそこを割るかのような大不況に入るのが2027年だと思います。

 その理由はいくつかありますが、一番は今の中国政府の失策です。年初より一定金額の家電購入には政府が補助金を出すというキャンペーンが始まりましたが、恐らくこれは日本が2008年にやった家電エコポイント制度と同じ失敗を繰り返すことでしょう。
 具体的には何かというと、需要の先食いです。数年先の需要を先に消費するようなもので、市場が拡大している時期ならまだしも、すでに家電が普及して行きわたっている状態でこれやるとかえって市場のバランスを崩し、メーカーや小売店を問わず数年後のデメリットの方が大きくなると私には思います。

 こうした細かな政策のほか、先日の全人代の政府施政方針を見てもこりゃだめだと確信しました。何がダメかというと全体として地方政府と銀行の救済を主眼に置いているように感じたからです。一部税源の地方移譲などが大きく掲げられていましたが、これは財政難、そしてこれまで土地売却益で財政を支えてきた地方を救済する手段とみていいでしょう。
 もちろん地方政府の財政難を克服するのは決しておかしいことではないのですが、その結果として社会の不良債権は棚上げすることはやはりマイナスです。また地方政府がどうしてここまで財政がおかしくなったのかというと、自治体でありながら不動産登記に手を出す自治体が多かったからです。この辺の処分とうか規制もはっきりしない状態で救済するというのは、ちょっとおかしいんじゃないかという風に思いますし、またいつか繰り返すことでしょう。

 恐らく、地方政府や国有銀行、企業の救済を優先して不良債権問題には手を付けないだろうから、中国の不況はあと10年は続くかもしれません。特に国有企業を何故かこの段階にきてまた保護しようという動きが見られ、民間企業に効率面で圧倒的に劣るということを考えると甚だ疑問です。
 ちなみに国有企業で仕事に行った友人によると、「食堂の飯がめっちゃうまかった(´・ω・)」そうです。

2025年3月20日木曜日

日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る

 前回記事で私は専門家の意見を引用しながら、

・恐怖と不安はほぼ同じの感情
・唯一の違いは対象が明確であるか否か

 という説明を引用しました。その上で不安とはどういう感情なのかを色々自分なりにまとめましたが、その過程で思ったこととして、日本のホラー漫画は恐怖よりも不安を煽る構成が多いような気がしました。言うなれば、恐怖漫画というより不安漫画のが多いんじゃないかってところです。

 そもそも日本のホラー漫画は、あまり指摘されてない気がしますが世界的にもかなり異質な文化ジャンルに入るんじゃないかと前から思っています。推理小説に関しても何故か日本と英国でやたら発達していて、犯人殴って自白させる展開が多い中国なんかだと一切この手の作品が出てこず独自性が際立ちますが、ホラー漫画になると独自性どころか日本の唯一無二的な分野になっています。
 漫画自体が日本で極度に発達しているのもありますが、それがホラー形式でもあるのはマジで日本だけなきがします。でもってこのジャンル、日本人だけというわけでなく「富江」などの伊藤潤二氏の作品が世界的にも高く評価されており、前にも少し書きましたが映画でも「リング」が大ヒットするなどジャパニーズホラーというのは際立った存在感を示しています。

 そのジャパニーズホラーの特徴は何なのかですが、ここでさっき上げた不安がやはり一番じゃないのかと今回思いました。欧米のホラー作品というとグロテスクな描写を見せて怖がらせる「恐怖」的な演出が多いのに、日本のホラーは「え、なんで!?」と思わせる理不尽さを突き付けて怖がらせる「不安」を煽る演出が多い気がします。
 先ほどの伊藤潤二氏の作品なんかまさにそれがわかりやすく、ヤクでもきめてんじゃないのかと思うくらいぶっ飛んだ展開ばかりで不安感をめっちゃ煽ってきます。でもって、なんでそういう異常事態が発生し続けるのかについて一切説明せず、不安が解決されないまま幕を閉じることが多く、この点が読者に怖いと感じさせる点なんじゃないかと思います。

 そのように考えていくと、そもそも江戸時代の怪談物からして日本の不安を煽ろうとするホラー文化というものはほぼ固まっていたのではないかとも思えます。中国にも幽霊が出てくる怪談話は少なくありませんが、日本と比べるとなんか話が論理的で、幽霊もやたら多弁で言い訳がましい連中ばかりです。
 それと比べると日本の幽霊は黙して語らず問答無用で生きてる人に襲い掛かってきたりするなど、意味わかんなくて色々怖いです。例えば耳なし芳一とかでも、私なんか姿が見えなくなったとはいえ平家の幽霊が芳一の耳をもぎ取っていく行為に「なんでやねん(;゚Д゚)」と子供心に思いました。見知らぬおっさんならまだしも、平家物語を数日間にわたって語ってくれた相手だというのにさ。

 なおこの手の問答無用系で言えば、一番ホラーなのは薩摩藩士かもしれません。「誤チェストにごわす」をはじめ行動に一切の論理性がなく、殺害をはじめとする極端な行動を迷わず取ってくるあたり恐怖なり不安なりを強く感じます。っていうか薩摩藩士って設定にすれば、そのキャラクターが頭のおかしい行動をいくらとっても説得力がついてしまうのが色々おかしい。

2025年3月18日火曜日

「不安」とはそもそも何なのか?



 日本円で1000円くらいだったので、この前創業者が亡くなった韓国アカデミー製のミラージュ3のキットを組み立てました。骨董品みたいなキットでデカールが破れやすくて苦労しました。

 話は本題ですが先日ふと、陰謀論にはまる人の特徴に関して何かいい研究が出ていないかなと思っていくつか解説記事を読んでいました。この手の陰謀論はカルトとかもかかわってくるため前からたまに調べたりしていましたが、論文はあまり信用できないというか、矛盾する内容の発表をよく見ます。
 具体的には、「学歴が高い/低い人ほどはまる」、「若者/中高年ほどはまる」、「裕福/貧乏な人ほどはまる」などというように、相反する要素をはまりやすい特徴として各々の論文は挙げており、細かい論文内容を読んだり実験の詳細を見ているわけじゃないものの、若干バイアスかかった主張がなされることが多い分と思って私自身もうさん臭く読んでいます。

 そんな風に眺めていたところ、ある論文がちょっと目につきました。簡単に内容を説明すると、学歴とか所得、日常の猜疑心や慎重さとかははまりやすさにそこまで有意に相関しておらず、むしろ不安感の大きさが大きく影響するという指摘でした。この説明には文字通り膝を打つほど納得感があり、また先ほど挙げた学歴や年齢などの要素に関係なく不安というのはある人とない人が存在していて、先の要素について矛盾する発表が相次いでいることも説明が付きます。
 何より、不安感が大きい人ほど陰謀論にはまりやすいという指摘が一番体感的にもストンと落ち、かえってほかの要素は無視した方がいいくらい説得力を感じました。

 そこまで来たところでふと、「そもそも不安ってなんやろ?」という疑問がもたげました。


 不安に関する解説記事をいろいろ読んだ中、一番自分が納得したのが上の赤田太郎氏の解説です。重要な個所を引用すると、

「不安と恐怖は同じものだと考えてもらって大丈夫です。ただ、なぜ呼び名がことなっているかというと、対象が明確なものを『恐怖』といいます。対象が不明瞭なものを『不安』といいます。」

 これまたストンと落ちる説明で、不安とは恐怖と同じ感情であり、その差は対象がはっきりしているか否かだということです。

 あえて比喩を用いると、同じ室内にたくさんの人がいる中、殺人犯が一人混ざっているとして、殺人犯が誰かわかっている状態が恐怖、誰だかわからない状態が不安だと私は思います。

 なお最初に作ったたとえは、「ハイパー化するインド人がわかっているのが恐怖、わからないのが不安」でした。なぜ自分はインド人をこうもハイパー化させたがるのかがわかりません。

 上のたとえを踏まえた上で敢えて不安単独に対して自分の言葉で表現するとしたら、「明確な答えが欲しいのにその答えがわからない、手に入らない状態」というのが不安状態じゃないかとも思います。陰謀論にすがりつく人の心理状態がまさにこれなんじゃないかとも思っており、コロナワクチンが安全かどうかわからない中で「安全じゃない」という言葉に急激にのめりこむのも、こうした下地あってこそじゃないかと考えます。

 その不安ですが、先ほどの赤田氏によると「強度の低い不安感情というのは、実は有益」だそうです、これも非常に納得できるというか、ある程度のストレスがあった方が人間の健康状態とかもよくなるといい、身近な例だと締め切りや納期がが迫ってくるにつれて集中力が増すというのは誰でも経験していることでしょう。
 もちろん極度な不安状態が良くないのは言うまでもないですが、一番最初の陰謀論の話に戻すと、そうした陰謀論がはやる背景としては社会に不安がはびこっている、人々の間に不安が大きくもたげている状態にある可能性があります。その上で陰謀論にはまる人にはその陰謀論が間違っているというより、その人が何に不安を持っているのかを探り、それを解消してやる方が陰謀論から目を覚まさせるキーになるような気がします

 ほかの例でもそうですが、なんかおかしな行動をとる人というのは何かしらその背景となる精神的疾患や問題があるように私には見えます。でもってそうした原因は異常行動からは一見して推定し辛く、粘り強く観察してそれらを探り当てて解消する必要があるのではと思います。
 先ほどの陰謀論でも、かねてからワクチンに疑問を持っていたというよりは、家族や将来、健康に関する不安にさいなまされていたところで、その手の陰謀論に触れて縋りつくようになったというパターンの方が多いのではないかと思います。であればその不安の原因を解消しなければ、陰謀論を捨てることもないでしょう。

 そんな風にいろいろ考えている中で、「日本のホラー漫画って、恐怖というより不安を煽るよな」とも思えてきたのでその辺はまた次回に書きます。

2025年3月16日日曜日

石破首相の次は誰?

 降ってわいた金券政治によって風前の灯火の石破首相ですが、となると次は誰が総理となるかがもはやトピックとなるでしょう。

 その前に総裁選もとい石破総理の辞任はいつになるのか時期もポイントになりますが、これに関しては参院選前か後かのどっちかにもう絞られています。参院選へのダメージを最小限にするべく前に行うのが常道ですが、それまで石破総理が粘る可能性もあれば、どうせ負け戦だから石破総理に責任を負わせて心機一転で新たな総理を担ぐべきという目もあるだけに、前と後ろのどっちかはまだ絞れないような気がします。

 それで人選ですが、現状最有力候補は前回決選投票まで行った高市氏といっても間違いではないでしょう。ただ高市氏は党内に敵が少なくなく、実際それによって前回は一敗地にまみれたわけであるだけに、当選確実とは言い切れないのが現状です。私個人としては前回同様リンこと林官房長官を待望しているところですが、安定感は抜群だけどこれという強みがなく、何かしら風向きの動きがなければ勝率は低いでしょう。
 また前回名を挙げた若手筆頭の小林氏も十分候補足り得ます。彼の場合は一般党員の支持をどれだけ広げるか、待ったバックにつくタニマチこと自民党大御所がいるかいないかによって左右され、この方面で誰かしらにもうバックアップを頼んでいる最中かもしれません。

 その小林氏の名を挙げといてなんですが、5、6年前の情勢ならここで小泉進次郎氏が総理になっていても時期的におかしくはなかったでしょう。彼の場合はこの数年間で一気に人気を落とし、党内でもそれほど支持する人がいなくなっており、少なくとも次の総裁選では彼の目はないとみています。着実にキャリアアップと行きたかったでしょうが、大臣職についてからこれという功績もなく、また発言もフワフワしたものが多くなり、ここまで評価を下げるというのも過去あまりなかったかもしれません。
 もっとも総理になってから下がるよりかは、なる前の方が絶対いいに決まっています。その点では彼は幸福な部類なのかもしれません。

 あ、あと麻生派の河野氏もいたが、彼ももう目がないでしょう。なんていうかかつての与謝野馨みたいな経過をたどっているように見えます。

2025年3月15日土曜日

死者に人権はあるのか?

 先日に起きた女性配信殺人事件では機能に私も記事に書いた通り、犯人に借金するよう仕向けながら返済しなかった被害者に非難が集まるとともに、そのプライベートな情報も大きく拡散されています。こうした状況に対しネットで「死者だからと言って、さすがにプライバシーが暴露され過ぎでは」という見解を示す人も見られ、「死者に人権はあるのか?」という問いにするならば、一考に値する意見のように私も感じました。

 結論から述べると私は死者に人権はなく、個人情報などもある程度公開されることになってもことさら特別視するべきじゃないかという風に考えています。但し、例外というか限定条件が守られることが前提です。

 ちょっと横道にそれますが死者の敬称について、乃木大将やハマーン様など敬称付きの方が通りのいい人物を除き、がこのブログでは死者に対して「~氏」などの敬称は一切用いないようにしています。大手メディアなどは死後から数ヶ月は敬称を維持するなどの独自ルールを持っているそうですが、私としては生者でないものに敬称は不要だと思うし、失礼な書き方さえしなければ何と呼ぶのも自由という風に考えます。また死後の表彰も無意味だと考えており、表彰するなら生きている間に、またはほかの生きている人にしろという風に見ています。

 話を戻すと、上の敬称に関する考えのように死者に対して余計な遠慮とか配慮は不要で、そんなものするならもっと生きている人を大事にすべきだという風に考えています。こうした考えから死者に対する批判やプライバシー暴露に関しても、そもそも暴露されて困る本人がこの世にもういないんだから気にする方が野暮でしょう。

 またあくまで私の考え方ですがこの手の死者に対する批判やプライバシー保護を変に規制なり配慮した場合、世の中への弊害の方が大きくなると思います。具体例を挙げると安倍晋三やジャニー喜多川などが好例で、「死んだ人を悪く言うのはよくないよ」と変にその生前の行動に関する暴露や報道を止めていたら、後世の公正な評価や現代における対応にも波及する恐れがあったと思います。
 むしろ死んだからこそ追求できることの方が多いだけに、「死者だから」と言って配慮したりするのは悪手この上ないでしょう。

 但し、これはあくまで死者本人に関する事柄に限ります。メリー喜多川氏の関与などどうしても触れざるを得ない部分を除き、まだ生きている遺族に対する誹謗中傷につながるような情報やプライバシーの暴露に関してはそこに公益性があるかないかを判断すべきで、ない場合は極力暴露や批判はすべきじゃないかと思います。私見として述べると、日本の報道はこの辺の境目が特にあいまいで、死者に対する情報の取り扱いで遺族や関係者に不要な社会的批判を招いている節があるような気がします。

 以上の考えの大前提として、私個人としては「死者よりも生者の方が大事」という考えに基づいています。この辺は論語の「生者に対する礼儀もまだ完璧じゃないのに、死者に対する礼儀なぞ語れない」という言葉の影響を受けてるやもしれません。

2025年3月14日金曜日

全く同情されない殺害された女性配信者

最上あい(享年22)、もし1万円返していたら殺されずにすんだ模様(ガハろぐ)

 例の女性配信者殺害事件ですが、一言で言えばこれだけ同情されない殺人被害者は近年稀にみる水準じゃないかと思います。私自身も同じで、殺害行為の肯定こそしないものの、もし自分が犯人と同じ立場にあれば同じことを絶対にしないかと言われればしないと言い切る自信はありません。少なくとも、背後から全力で頭突きするくらいならためらわずにやるでしょう。
 なおこの事件を見て真っ先に思い浮かんだのは、かなり昔の下の事件です。


 すでに各所でこの事件、というか被害者の行動が報じられており裏付けを取る必要もないほど赤裸々な情報が出ていますが、個人的に自分が着目したのは犯人が消費者金融から借金をしたのは被害者の指示だったという点です。もう工面できるお金がないという犯人に対して被害者は「すぐ返すから心配ない」といったことを言って消費者金融、それも複数社から借金させて借りた金を返済しなったそうです。
 言うまでもなくその後犯人は利息に苦しむことを考えるとこれは意図的に犯人の人生を破滅に追い込むような所業であり、重ねて言いますが殺人は肯定はしないものの、被害者は殺されても仕方ない人間だったという風に私は思います。

 また犯人は粘り強く返済を要求しており、司法手続きまで済ませているのに返済されなかったことを考えると、逆にこの人に私は同情を覚えます。以前からも指摘されていますが裁判で賠償命令が出たとしても踏み倒す人間が多く、また強制取り立て措置を取るためにはとてつもない労力が必要ということを考えると、この辺もっと簡単に取り立てられる制度があってもいいような気すらします。離婚時の慰謝料や育児費も支払いがよく滞るというし。

 もっとも今回の事件で被害者は自分名義の口座は空っぽにし、内縁者の口座で自分の収入を管理するなど意図的な取立妨害措置もとっていたため、並の手段じゃ取り立てるのは不可能だったでしょう。っていうかやり方が完全にプロの手口で、指南役がいるかほかにも多くの被害者がいるかのどっちかで、もうしばらくしたら「俺もこの女にやられた」という人が出てくるかもしれません。

 いつの世にも悪い奴はいますが、こういう人間が今回の事件のようにきちんと取り立てられない、処罰されないからこそ被害は広がるものであり、その点を踏まえてもこの手の民事案件に対する強制介入措置をもっと考慮すべきでしょう。