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2008年1月20日日曜日

韓国新大統領の報道について

 先月の韓国大統領選挙の結果、李明薄氏が次の大統領に成る事が決まりました。
 彼は元ソウル市長をやっており、日本のメディアでも報道されていたように、かつて暗渠にしていた市内を流れる川を再び掘削し、水を流した当時業を市長時代に行っています。この情報は数年前から手にしており、周辺の商店関係者などは人の通行が減り、商売は苦しくなるがきっと市民は喜ぶだろうと、合い半ばといった感想を洩らしているようです。

 さてこの李明薄氏ですが、日本での報道振りを見ていると、「サムソン財閥出身」、「経済に強い」などと言ったイメージを盛んに流していました。これらの報道に付随して、韓国ではGDPの経済成長は続いていながらも、若者の失業率は増加しており、その背景が経済に強い彼の指示に繋がったのではないかというような解説が何度もありました。さて、この辺で変だなと思ってくれなきゃ、私の出番です。

 はっきり言って、説明の中に激しい矛盾があります。まず韓国で若年層の失業率は日本の数倍とも言うほどひどい事は確かですが、その原因は一部の財閥企業による産業独占による一極集中が原因というのが通説です。簡単に言えば一つの企業が強すぎて競合する企業が生まれず、必然的に労働力が余るといった構造です。
 そこで李明薄氏、彼は確かに若くしてサムソンの建設部の社長までしましたが、あくまでサムソン、財閥出身者です。財閥出身者の彼が、どうして若年層の失業問題を解決する手腕を持っているのでしょうか。むしろその背景ゆえに、今後は余計に財閥に偏る可能性もあります。

 こんな感じに分析しており、前から変だなと思っていましたが、今回きちんと裏が取れたので紹介しました。日本での報道はやはり先ほどのようで、はっきりとはいいませんでしたが若者の支持があるような表現でしたが、実際に韓国の若者は彼を全く支持していないようです。理由は以上のようなものからで。情報のソースは日本にきている韓国人からで、彼を含め彼の友人らの中で李明薄氏を支持している人はいないらしいです。
 この韓国人の知り合いはなかなかに学識のある人で、現大統領のノムヒョン氏についても面白い話が聞けたので、今度また紹介します。

2008年1月19日土曜日

魂の価値

 最近になってギリシャ哲学とか見始めましたが、現代にまで通用する原子論を最初に唱えたデモクリトスは、物質を構成する最小単位を原子と考えましたが、なにもマテリアルな存在(日本語が思い浮かばない)に限らず、魂までもそれを構成する原子があると考えていたようです。
 彼曰く、魂も他の物質同様、消失した際に構成する原子はなくならず、くっついたり離れたりして、再びまた元の魂になったり、別の物質の構成要素になると考えたようです。自分は何度も書いていますが、肉体と精神の二元論を唱えていますが、この論にはなかなか後ろ髪の引かれる思いがします。

 私自身、以前にこれに近いような考えをもった事があります。というのも、地球上に存在する魂、というより霊魂の数には限りがあると考えました。人間、動物、植物など、それぞれに霊魂は宿っているが、それぞれに霊魂の重さというか、個体差はある。しかしながら地球上の総量には変わりがない……といったような。
 そうして何がいいたいのかと言うと、要するにこの地球上に人間は増加しているが、その背後にはおびただしい数の生物を絶滅に追いやっている。そうして絶滅させられた魂はどこへ行くかというと、人間になっているのではないか。こんな事を、たしか高校三年生くらいの頃に考えたのかな。何も食物連鎖などで説明するまでもなく、魂の上でも生物体系が壊れているのではと当時に主張しました。ちなみに、私の計算だと牛24頭あたりが人間一人の魂です。

 更に言うなれば、最近まやかしものの地球環境保護者が跋扈していますが。単純な話し、人間すべてが絶滅するほど地球にやさしい事はありません。たまにそういう主張をしている人も見かけますが、そういう人間を自分は「ガイア主義者」と読んでいます。ガイアは言うまでもなくギリシャ神話の地母神です。結構勘違いしている人が多いと思うので書いておきますが、ガイアは決して人間の味方ではありません。ギリシャ神話を読めばわかりますが、そういう意味合いをも込めての先ほどの名称です。

2008年1月18日金曜日

野田聖子の公認

 たった今のニュースで、次の選挙では岐阜選挙区の公認候補は野田聖子に決まったようです。もっとも佐藤ゆかりも活躍を認められたのか東京の選挙区で公認がもらえるらしいですが、私としては腹が立つ限りです。

 なにも佐藤ゆかりが好きな熟女好みなわけじゃないのですが、野田聖子は前回の郵政選挙、郵政民営化に反対して選挙戦を戦ったにも関わらず、選挙後の民営化の投票において賛成票を投じたことから心底見損ないました。当時、民意が民営化を選んだのは選挙の結果からわかる事ですが、だからといって大勝した自民党がその数を使って賛成票が過半数を上回る事は確実であったにも関わらず賛成を投じたのは、間違いなくその後に自民党に復党するという目算があっての行動でしょう。
 まぁそれは確かに議員の勝手でしょう。しかしだとしたら民営化反対にひかれて野田聖子に投票した有権者はどうなるのでしょうか。彼らは民営化に反対するから表を入れたにも関わらず、野田聖子は復党したいという自己の都合で賛成票を投じたのは、議員の資質として非常に疑わしいものです。

 平沼赳夫氏などは筋を通して反対票を出しましたが、私は民営化賛成派でしたがその男っぷりに非常に感心したものです。本来、平沼赳夫氏のように筋を通す人間こそが与党に復党すべきであるにも関わらず、根性の曲がった野田聖子ら造反組だけが復党したのも、また平沼氏を差し置いてその条件を受け入れるという神経のなさに怒りを通して呆れすらします。

 元々、野田聖子は小渕内閣で郵政大臣を担当したことから民営化論争の際もさも現場経験があるような口ぶりで表に出ていましたが、はっきりいいますがその時に話していた内容は実態からかけ離れた、論点のずれた事ばかり言っていました。これは何も野田聖子に限りませんが、自分はマスコットにしか過ぎないとわかっていない人間ほど愚かな人間はいないでしょう。このように、順を追って野田聖子を批判する声が聞こえないので、佐藤栄作に続いて批判しておきます。

2008年1月17日木曜日

ネヴィル・チェンバレンと佐藤栄作

 イギリス人は歴史に対してやはり優れた感覚を持っていると思う。
 毎年何がしかのイギリスの新聞にて組まれる特集に、「誇りに思うイギリス人、恥に思うイギリス人」の特集がある。その恥に思うイギリス人の中に、毎回といっていいほど出てくるのがこのネヴィル・チェンバレンだ。

 手っ取り早く知ってもらうにはウィキペディアの彼の項目を見てもらったほうがいい。結論を言えば、彼はノーベル平和賞を受賞したが、その受賞理由となった外交政策は、結果的にヒトラーのナチスドイツを助長させるきっかけとなってしまった。いわば、偽りのノーベル平和賞ともいえる。

 同じようなのがもう一人、日本に佐藤栄作がいる。私は日本人の歴史への感覚はイギリス人へ遠く及ばないと思う。なぜなら、非核三原則を唱えてノーベル平和賞を受け取った佐藤栄作は、沖縄返還に際して核ミサイルの基地装備を容認していたという。現在ですら国内で疑問視されているが、恐らく海外ではイスラエルの核保時と同様に確実視されていると思う。しかし、彼は表立って非難はされていない。受け取ったノーベル平和賞についても不当という評価は聞かない。
 自分は公正な歴史に従いたい。だれも彼を非難しないのならば、この場を使って私だけでも非難しておく。

日本版サブプライム問題

 今回は元ネタがあるので、興味が向いた方はそっちを手にとってください。

 今月の文芸春秋に今回のお題の日本版サブプライムローン問題をり扱った記事があります。タイトルは「日本版サブプライム破綻の日」というタイトルで、経済ジャーナリスの荻原博子氏が書いています。
 細かい内容は本文に譲るとして、大まかな内容は90年代後半の不況期に、消費を促すためと減らした公共事業の穴埋めとばかりに建設業者を救うためにかなり大々的な建築に際しての基準緩和、住宅税の引き下げが行われました。また住宅金融公庫が1998年にそれまでの常識を破る金利2%の「ゆとりローン」といわれる住宅ローンが作り、専門家じゃないとわかりづらいですが、この時期は不況でどこも売上が伸びない中、住宅市場のみは非常に活気であった時期でした。

 しかし結果はというと緩められた基準によって強度偽装事件が起こるなど、様々な問題を引き起こしました。荻原氏によると、この問題は現状に留まらず、金利2%でゆとりローンを組んだ人は、アメリカのサブプライムローン同様に10年間は金利据え置きの返済額のところが、98年から10年経った今年から基準金利が2%から4%へと上がり、返済額が急激に増える事を指摘しています。アメリカの場合、五年間は元本返済だけのところが五年目以降に金利分が月々の返済額に上乗せされて、返済できなくなった人が続出した結果、今回のような問題になったといいます。はっきりいいますが、日本と同じ構造です。

 しかも近年日本は配偶者控除など増税を行っており、また平均給与も下がっている中で無事に返済できる人間は少ないだろうとも荻原氏は予想しています。私から付け加えるなら、あの強度事件が起こって急激に建築認可が厳しくなり、建設業者はどこもひぃひぃ言っていると聞きます。この上でローンの返済が滞ったりしたり、更なる住宅不安が広がるものなら金融に留まらず、ゼネコンの倒産にまで繋がりかねない問題じゃないかと思います。
 知ってる人は知ってますが、先ほどの90年代年末は住宅バブルとも言うような時期で、それこそベンチャーの不動産会社まで出てきた時代なので、まぁなんというか、黒い噂がたえません。結論として、しばらく日本では持ち家は持たないほうがよさそうです。

2008年1月15日火曜日

ナポリゴミ問題と京都市のゴミ行政

 昨今ニュースにてイタリアのナポリでゴミ問題が発生しているとよく聞きます。
 その内容とはこれまで埋めていたゴミが埋立地が使えなくなり、焼却炉を作ろうとしたらマフィアに邪魔されてしまい、街中に処理しきれないゴミが溢れ返っているというものです。大体どこのメディアでも批判的に書きつつ、せっかくの観光都市がもったいないというような報道の仕方です。

 じつはまぁ、これを聞いててすぐに京都市が私には浮かんできました。実は京都市も似たような問題を抱えています。 信じられない事ですが、京都市は去年になるまで燃えるゴミとプラスチックゴミを分けていませんでした。それどころか、現在進行形で地域のゴミ集積所というものはなく、みんなゴミ回収の日に家の前に袋を置いていき、それをいちいち回収する現状です。
 更にちょっと昔に戻ると、2005年、つまり一昨年になるまで本当にルールのない無法状態で、袋に何でも入れて出すだけでした。その年になってようやく家庭ゴミ(プラスチックを含む燃えるゴミ)と缶やビン、ペットボトルと金属類を分けるようになったのです。ちなみに、家の前にゴミ袋を置くのはずっと以前から続いています。
 私などは最初、京都に来た時は非常に驚いたものです。既に分別回収になれていた性もあって、プラスチックを燃えるゴミに一緒に入れて出す事に非常に戸惑いつつやったのを昨日のように覚えています。おまけに、現在でも続いていますが、他の地域がやっているような新聞や紙類を回収する資源回収はありません。京都市がいうには、「古紙回収業者に勝手に渡せ」です。渡せないなら燃えるゴミに混ぜろとも言っています。

 この何から何まで呆れるゴミ行政が、なぜ日本一の観光都市京都で続いているのかこれまでずっと疑問でした。なんせ朝の早くに道を歩くと、各家の前にゴミ袋がでんと座ってるのです。もう少し考えたらと思っていたら、今度は訳のわからない分別方法になったし……。
 察しのいい人にはわかると思いますが、このみょうちきりんなゴミ行政の背後には京都市の闇権力とも言うべき、日本版マフィアともいえる部落団体が背後にいるそうです。一昨年頃から全国ニュースでも取り上げられるようになりましたが、京都市の職員にはその手の人間が数多くいて、まともな人間ならともかく、事件化したように麻薬をやってたり、無免許で何十年も車を運転したりと、不祥事には事欠きません。また組織ぐるみでもいわゆる「中抜け」といわれる、ゴミを午前中に回収した後、昼休みから自宅に戻って働かないという実態も報告されています。

 京都市ではこの団体が非常に強く、面倒くさい分別回収などにずっと消極的で反対活動をしていたようです。特にこれまで国政で高い権力に居座りつづけた、野中広務が団体を後押しし続けたのが大きかったのもあると思います。一説によると、前述の京都市職員の問題が発覚した背景には、この野中広務が政界から失脚したのが原因とも言う声もあります。

 とまぁ、実態的には京都市もナポリも変わらないということです。まぁこれを言い出したら日本の地方行政はどこもかしこも似たようなものらしいですが。
 ただ噂によると、警察や市職員というのはこのような不正が非常に多いらしいのですが、消防職員やレスキュー隊などでは全くといいほど不正がないと聞きます。というのも、不正をやるような根性の曲がった連中じゃ絶えられないほどの体力のいる激務なので、真面目で志の強い人間が集まるかららしいです。また、忙しすぎて不正をやる方へと頭が回らないとも、冗談のような話まであります。
 実際に彼らの激務は漏れ聞く限りでも非常に大変だと聞きます。冬山のレスキューなどそれこそ命がけでしょう。メディアに対してもう少し、彼らの地位向上に繋がるような報道を願う限りです。

2008年1月14日月曜日

国家の目的

 先日、NHKの「クローズアップ現代」にてサブプライムローン問題を扱った際、本題より面白い内容があったので軽く特集します。

 その言葉が出てきたのはアメリカのドル体制の説明の最中で、「このようにアメリカは国家を挙げてドルを世界で基軸通貨にしようとしていて、まさに国家資本主義とも言うべきやり方だ」と、ゲストの誰かが言ってました。
 今まで「国家社会主義」というのは散々私自身もやってましたが、「国家資本主義」というのはこの時初めて聞きました。ためしにぐぐって見ると、第一候補にはいきなりソ連が出てきましたが、実際にはこの言葉はアメリカをうまく表現していると思います。他の国に規制緩和を力ずくで行わせ、ドルが出回っていない中東に戦争を吹っかけて新自由主義経済を押し付けたりするなど、言いえて妙です。

 とまぁこの言葉の説明だけでも多分友人とは5、6時間は話せるネタですが、まだうちの親父としかこの話題をやってないのでその辺はまた今度にして、ちょっと今回は国家について考えてみようと思います。
 政治学上の国家については専門書に譲りますが、自分はここで国家の目的について考えてみます。基本、どの宗教もその信者の拡大を教是にしています。そのため宗教学上では「宗教的慣用性」というものがあり、たとえ不快に感じても、暴力などの物理的な弊害を受けない限りは他の宗教者の勧誘活動をある程度聞かなければならないという暗黙の了解があるそうです。まぁどの宗教も大体、世界中の人をその宗教を信仰させるのを目的としています。

 では、国家の目的とはなんなのでしょうか。言ってしまえば、帝国主義時代ならば宗教と同じく、領土の拡張、世界制覇が目的だったといっても過言ではありません。一応世界大戦が起こってない今では、じゃあその目的はなんになるのでしょうか。
 ひとつに、経済戦争に勝つ事。ひとつに、自国家の保持。ひとつに、他国からの干渉の排除。
 数え上げたら切りがありませんが、基本的には二番目の国家の保持がどこの国でも目的としているでしょう。しかしそれならば、国家の目的の前には国民はどうなるのでしょうか。保持するためには、犠牲になるべきなのでしょうか。改めてこのような基本的なことを考えてみると、国家とは何のための集団なのかと考えさせられます。
 自分は今回のにも書いた国家社会主義者を自認しており、国民の福祉の繁栄を主是としています。しかし言っててなんですが、それが達成された今の日本では自分で言ってて空々しいです。まぁそれ以外にもあれこれ国家でやりたいこともありますが、その辺はまだまだ秘密にしておきます。